こ の 論 文 は 「 犯 罪 と 非 行 123 号 」 ( 2000 年 2 月 25 日 発 行 ) 9 6− 123 頁 に 掲載されたものです。 N PO によるセミフォーマルな犯罪統制 ――ガーディアン・エンジェルスの社会学―― 小宮 信夫 (ライフデザイン研究所副主任研究員・立正大学講師) 目 次 はじめに 1. 犯 罪 防 止 N P O と は 何 か 2. 犯 罪 に 対 す る セ ミ フ ォ ー マ ル ・ コ ン ト ロ ー ル 3. カ ー テ ィ ス ・ ス リ ワ に よ る ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス の 創 設 4. 研 究 者 に よ る ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス の 調 査 5. 小 田 啓 二 に よ る 日 本 ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス の 設 立 おわりに はじめに 1998 年 3 月 に 特 定 非 営 利 活 動 促 進 法 ( 通 称 N P O 法 ) が 成 立 し 、 1999 年 3 月には日本 N PO 学会が設立されるなど、近時、N PO (民間非営利組織) が 重 要 な 社 会 セ ク タ ー と し て 認 知 さ れ 、そ れ へ の 関 心 が 急 速 に 高 ま っ て い る 。 そ こ で、 本 稿 では 、 N PO の 台頭 と い う動 向 を 踏ま え て 、 まず 総 論 とし て 、 犯罪防止 N PO によるセミフォーマル・コントロールを論じ、次に各論とし て、典型的な犯罪防止 N PO であるガーディアン・エンジェルスを紹介した 1 い。 1. 犯 罪 防 止 N P O と は 何 か N P O ( non profit organization ) と は 何 か 、 ボ ラ ン テ ィ ア 団 体 と は ど う 違 うのか。この点について、日下部眞一は、「ボランティアは『個人』や『個 人 の 活動 』 を 指し て い る のに 対 し 、N PO は 、 その よ う な 人た ち が 集ま っ て 活 動 し て い る 『 団 体 や 組 織 』 を 指 し て い ま す 。 非 営 利 組 織 ( N PO ) の 下 で 活 動 し て い る 個 人 が ボ ラ ン テ ィ ア と い う こ と で す 」 と 解 説 し て い る (1 )。 も っ と も 、 山 岡 義 典 は 、 「 N PO = ボ ラ ン テ ィ ア 団 体 な ど と い う 人 も い ま す が 、 そ れ は間 違 い です 。 N PO は 事業 体 で す。 た だ 、儲 け が 出 ても 関 係 者で 配 分 せず、また次のミッション実現のためにその儲けを使うという組織なので す 」 と 説 き 、「 ボ ラ ン テ ィ ア 団 体 は N P O の 一 部 で は あ る か も し れ ま せ ん が 、 N PO の 主要 な 部 分と い う の は有 給 の 専門 ス タ ッフ を き ち んと 抱 え たプ ロ フ ェ ッ シ ョ ナ ル な 団 体 と い う イ メ ー ジ で す 」 と 説 明 し て い る (2 )。 こ こ で 問 題 に なるのは、山岡の説明にある「有給の専門スタッフ」をボランティアと呼べ るかどうかということである。この点については、菅井直也の「ボランティ ア 成 分 」 (3 )と い う 考 え 方 に 依 拠 し て 、 活 動 に 対 す る 報 酬 を 受 け 取 る 者 も 、 そ の額が同類業種の賃金水準を下回る場合には、必要経費も全額自己負担する 者 の よ う に ボ ラ ン テ ィ ア 成 分 が 100% と は い え な い に し て も 、 ボ ラ ン テ ィ ア 成 分 が 0% と も い え な い の で 、 ボ ラ ン テ ィ ア と 呼 ば れ る の に ふ さ わ し い と 考 えたい。というのは、報酬を受けず必要経費も全額自己負担する者だけをボ ランティアと呼ぶとすれば、ボランティア活動は経済的余裕がある者にのみ 許された特権的活動ということになり、逆に、同類業種の賃金水準以上の報 酬を受け取る者もボランティアと呼ぶとすれば、報酬を目当てに活動する者 もボランティアと呼ばれることになるからである。そこで、必要経費を全額 自己負担する者と必要経費のみ支給される者を無償ボランティアと呼び、報 2 酬 も 支 給 さ れ る 者 を 有 償 ボ ラ ン テ ィ ア と 呼 ぶ こ と に し た い 。 も っ と も 、N P O であるための要件は、非分配制約、すなわち、活動の結果として発生した利 潤は、将来の活動のために投資することはできるが、利害関係者に分配する こ と は で き な い 、と い う 制 約 が 課 せ ら れ て い る こ と な の で 、理 論 上 は 、N P O のメンバーの中に、同類業種の賃金水準以上の報酬を受け取る者がいること 自体は認められる。したがって、前述した山岡の説明にある「有給の専門ス タッフ」には、有償ボランティアと同類業種の賃金水準以上の報酬を受け取 る者の両者が含まれると解することができる。 こ の よ う に 、 N PO は 、 理 論 上 、 無 償 ボ ラ ン テ ィ ア 、 有 償 ボ ラ ン テ ィ ア 、 及 び 、同 類 業 種 の 賃 金 水 準 以 上 の 報 酬 を 受 け 取 る 者 か ら 成 り 立 つ 。も っ と も 、 実際上は、圧倒的多数の無償ボランティアと少数の有償ボランティアが、そ して極めてまれには、同類業種の賃金水準以上の報酬を受け取る者も活動し て い る 組 織 が N P O で あ る と い え る (4 )。 し た が っ て 、 「 N P O = ボ ラ ン テ ィ ア 団 体 」 と は い え な い も の の 、 「 N PO ≒ ボ ラ ン テ ィ ア 団 体 」 と い う こ と は で きると思われる。 以上の ことを総合 して、犯罪 防止 N PO を定 義すると、 次のように なる。 犯 罪 防 止 N P O と は 、 犯 罪 防 止 の た め に 、非 分 配 制 約 の 下 で 組 織 的 に 活 動 し 、 典型的には、多数の無償ボランティアと少数の有償ボランティアから成り立 っている民間の組織である。 2. 犯 罪 に 対 す る セ ミ フ ォ ー マ ル ・ コ ン ト ロ ー ル 犯罪を、法律によって刑罰が科せられると定められた行為と定義すれば、 犯罪統制は、法律を犯す行為を阻止するメカニズムということになる。もっ とも、犯罪のような重大なルール違反を阻止するためには、軽微なルール違 反を阻止することも必要であり、それゆえ、犯罪統制は、法律だけでなく、 それ以外の規範・規則も視野に入れなければならない。換言すれば、犯罪統 3 制は、「犯罪」だけでなく、規範・規則に非同調的な行為である「逸脱」に も照準を合わせなければならないのである。したがって、犯罪統制とは、ル ールへの同調を促進するメカニズムであるとするのが最も妥当であろう。 こ の よ う に 定 義 さ れ た 犯 罪 統 制 は 、個 人 的・内 在 的 コ ン ト ロ ー ル と 社 会 的 ・ 外在的コントロールに大別することができる。このうち、後者は更に、フォ .. . ーマル・コントロール(公式統制)、インフォーマル・コントロール(非公 .. . 式統制)、及びセミフォーマル・コントロール(準公式統制)に分けること ができる。フォーマル・コントロールは、法システムに基づくコントロール であり、そこには、刑罰法規の制定や、国及び地方公共団体の機関がつかさ どる、警察、検察、裁判、矯正、保護といった活動が含まれる。インフォー マル・コントロールは、日常生活におけるコントロールであり、そこには、 家族、学校、会社、町内会・自治会による働き掛けが含まれる。セミフォー マル・コントロールは、フォーマル・コントロールとインフォーマル・コン トロールの中間に位置するコントロールの形態であり、その主体は、犯罪防 止 N PO と犯罪防止企業である。 これら三者の異同を整理すると、次のようになる。フォーマル・コントロ ールと他の二つの形態のコントロールとの最大の相違点は、組織的・物理的 な強制力の有無である。また、インフォーマル・コントロールと他の二つの 形態のコントロールとの最大の相違点は、犯罪防止という目的の自覚の有無 である。したがって、フォーマル・コントロールとインフォーマル・コント ロールとは明確に区別できる。しかしながら、セミフォーマル・コントロー ル は 、フ ォ ー マ ル 的 な 性 質 と イ ン フ ォ ー マ ル 的 な 性 質 を 兼 ね 備 え て い る の で 、 それを他の二つの形態のコントロールと区別することは容易ではない。すな わち、セミフォーマル・コントロールは、組織的・物理的な強制力に支えら れてはいないという点でフォーマル・コントロールとは明らかに異なるが、 犯罪防止という目的を意識しながら活動しているという点では差異はなく、 4 しかも、セミフォーマル・コントロールの主体には、活動の形式性と専門性 においても、フォーマル・コントロールの主体に匹敵するものも存在する。 一方、セミフォーマル・コントロールは、犯罪防止を意図しているという点 でインフォーマル・コントロールとは明らかに異なるが、組織的・物理的な 強 制 力 を 保 持 し て い な い と い う 点 で は 違 い は な く 、し か も 、セ ミ フ ォ ー マ ル ・ コントロールの主体には、活動の形式性と専門性が、インフォーマル・コン トロールの主体と同程度に低いものも存在する。 セミフ ォーマル・ コントロー ルには、前 述したよう に、犯罪防 止 N PO に よるものと警備保障会社などの犯罪防止企業によるものがある。このうち、 犯罪防止企業によるセミフォーマル・コントロールも重要な犯罪統制の形態 であり、実際に、セキュリティ産業(警備業)は巨大な成長産業として安全 の確保に貢献しているといえる。しかし、犯罪防止企業によるセミフォーマ ル・コントロールの強化は、犯罪防止企業が提供するサービスを購入できる 者とできない者の間における格差を拡大ないしは顕在化する危険性も内包し ている。強者と弱者の間における格差が拡大・顕在化すれば、それが犯罪駆 動力になり、犯罪発生率を上昇させることにもなりかねない。したがって、 犯罪防止企業によるセミフォーマル・コントロールを強化するにしても、そ れ以上に、不特定多数の者にサービスを提供する犯罪防止 N PO によるセミ フォーマル・コントロールを強化し、強者と弱者の間における格差が拡大・ 顕在化することを回避することが必要である。要するに、「平等主義」の視 点からは、犯罪防止 N PO によるセミフォーマル・コントロールの方が優れ ているといえるのである。 このよ うに、犯罪 防止 N PO と犯 罪防止企業 とでは、《 だれの》安 全を守 るのかという点で大きな差があることに加えて、《だれが》安全を守るのか という点でも大きな違いがある。犯罪防止 N PO の活動に参加する者の多く はパートタイマーであり、犯罪防止企業の従業員の多くはフルタイマーであ 5 るが、このことは、犯罪防止 N PO による活動の方が一般大衆にとって参加 しやすい活動であることを示唆している。しかも、犯罪防止 N PO の活動に 参加する者の多くは金銭的報酬を受けないのであるから、その自発性・自主 性も、犯罪防止企業の従業員よりも高いといえる。換言すれば、犯罪防止 N PO は 、一 般 大 衆が 主 体 的 に犯 罪 問 題に コ ミ ット し よ う とす る 場 合の 社 会 的ツール(道具)になり得るのである。要するに、「民主主義」の視点から も、犯罪防止 N PO によるセミフォーマル・コントロールの方が優れている といえるのである。 さらに 、犯罪防止 N PO と犯罪防 止企業とで は、《だれ から》安全 を守る のかという点でも差異がある。犯罪防止企業によるセミフォーマル・コント ロールにおいては、サービス購入者(契約者)の存在が前提とされているた め 、 潜在 的 被 害者 と 潜 在 的犯 罪 者 を区 別 す る意 識 が 強 いが 、 犯 罪防 止 N PO によるセミフォーマル・コントロールにおいては、共生・共助の理念に基づ く 活 動 、つ ま り 一 般 大 衆 に よ る 一 般 大 衆 の た め の 活 動 と い う 色 彩 が 濃 い た め 、 《だれから》《だれの》安全を守るのかがあいまいである。このことは、直 接的・短期的・表層的な犯罪防止については、犯罪防止企業による活動の効 果の方が大きいが、間接的・長期的・深層的な犯罪防止については、犯罪防 止 N PO による活動の効果の方が大きいことを示唆している。というのは、 発信者が一般大衆である犯罪防止 N PO は、ルールへの同調を促進するメッ セージを一般大衆の生活空間に飛散・伝達することが容易であるが、犯罪防 止企業が発信する同様のメッセージの感染力・感化力は弱いといわなければ な ら な い か ら で あ る 。換 言 す れ ば 、一 般 大 衆 は 、同 じ 社 会 的 立 場 か ら 自 発 的 ・ 自主的に発信されたメッセージの方を、サービス購入者(契約者)のために 発信されたメッセージよりも、自発的・自主的に選択して受信するといえる のである。要するに、「自由主義」の視点からも、犯罪防止 N PO によるセ ミフォーマル・コントロールの方が優れていると考えられるのである。 6 . なお、 犯罪防止 N PO にも、論理 的に考えて 、犯罪前に 活動する事 前制御 . ( 予 防 警 戒 )型 の N P O と 、犯 罪 後 に 活 動 す る 事 後 対 応( 治 療 回 復 )型 の N P O という二つの類型が有り得るが、以下では、前者の事前制御型 N PO を取り 上 げ る (5 )。 3. カ ー テ ィ ス ・ ス リ ワ に よ る ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス の 創 設 ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス が 誕 生 し た の は 、 1979 年 2 月 13 日 、 創 設 者 カ ー テ ィ ス ・ ス リ ワ ( 写 真 1 参 照 ) が 24 歳 の と き の こ と で あ る 。 し か し 、 そ の ル ー ツ は 一 昔 も 前 に 、 す な わ ち ス リ ワ が 14 歳 の と き に ま で 遡 ら な け れ ばならない。当時、スリワは、ニューヨーク市ブルックリン区において、近 所から空き缶、空き瓶、古新聞、くず鉄を集めて自宅に保管し、月に一度現 れる回収業者に売却するというリサイクル活動を自発的に始め、「がらくた 収 集 家 」 と し て 知 ら れ て い た 。 ま た 、 15 歳 の と き に は 、 新 聞 配 達 中 に 、 燃 え 立 つ 家 屋 か ら 一 家 6 人 を 助 け 出 し て 称 賛 を 浴 び 、 16 歳 の と き に は 、 新 聞 配達少年としてコミュニティに貢献したことが評価されて米国大統領に謁見 するまでに至った。しかし、スリワは、高校の卒業を目前に控えていたにも かかわらず、校則に対する抗議運動をやめなかったために退学処分になり、 大学進学を断念して、ニューヨーク市ブロンクス区のフォーダム通りにある ハンバーガーショップ「マクドナルド」で夜間マネージャーの任に就くこと になるのである。 このような活動家としての経験をいかして、スリワは、当時、荒廃の極み にあったサウスブロンクスにおいて、「マクドナルド」の従業員やコミュニ テ ィ の ボ ラ ン テ ィ ア か ら 成 る「 ロ ッ ク ・ ブ リ ゲ ー ド 」( 岩 石 隊 )を 結 成 し て 、 落書きをペンキで塗り消したり、空き地を掃除したりする環境美化活動を始 め た 。 ス リ ワ が 22 歳 の と き の こ と で あ る 。 この活動は地域住民や行政機関から高く評価されたが、スリワは環境美化 7 活動だけでは満足できなかった。というのは、彼の職場である「マクドナル ド」が、犯罪被害者の避難所の様相を呈していたからである。そこで、スリ ワは、元鉄道員からの懇願もあって、地下鉄、それも当時「強盗急行」とし て恐れられていた 4 号線でパトロールしようと決心した。 まずスリワは、乗客が本当に襲われるのかを調べようと、中国系米国人の 仲間と二人で、警察官が不在な深夜に、高給取りを装って地下鉄に乗ってみ た。その結果は、地下鉄パトロールの必要性を確認させるものだった。そこ で 、 ス リ ワ は 、 彼 と 12 人 の 「 マ ク ド ナ ル ド 」 で 働 く ロ ッ ク ・ ブ リ ゲ ー ド の メ ン バ ー か ら 成 る 「 マ グ ニ フ ィ セ ン ト ・ サ ー テ ィ ー ン 」 ( 華 麗 な る 13 人 ) を 結 成 し て 、 1979 年 2 月 13 日 、 非 武 装 の 下 に 地 下 鉄 パ ト ロ ー ル を 開 始 し た。これが、ガーディアン・エンジェルスの前身である。団体の名称にあえ て 不 吉 な 数 字 で あ る 13 を 組 み 入 れ た の は 、 地 下 鉄 パ ト ロ ー ル の 構 想 に 対 す る非難や懐疑を逆手に取るためであった。実際スリワは、ロック・ブリゲー ドを支持していた地域住民からも、ボランティアだけでは犯罪を防止できる はずがないとか、超法規的な自警団という烙印を押されてしまう、といった 批判を受けていたのである。また、マグニフィセント・サーティーンという 名称が付けられた背景には、黒澤明監督の『七人の侍』を西部劇としてリメ ークした『マグニフィセント・セブン』(荒野の七人)の影響もあったよう である。確かに、ボランティアのガンマンが村の農民を盗賊から守るという この米国映画のコンセプトは、ガーディアン・エンジェルスのそれと重なる ところが大きいといえる。 スリワは、その少年期に、商船隊員であった彼の父親が航海から持ち帰っ た英国の新聞で知った市民逮捕権を利用して、多様なエスニック・オリジン (民族的出自)のメンバーを率いて、被疑者の身体の自由を拘束し警察官に 引き渡す活動を展開した。もっとも、このような活動を快く思う警察官は少 なく、そのためメンバーが逮捕されることも度々起こった。しかし、この新 8 奇な活動はマスメディアの注目を集め、大々的に報道された。その結果、パ ト ロ ー ル 開 始 か ら 半 年 後 の 8 月 に は 、 メ ン バ ー の 数 が 400 人 に 達 し た 。 こ こ に 至 っ て は 、も は や 名 は 体 を 表 す と い う こ と は で き ず 、マ グ ニ フ ィ セ ン ト ・ サーティーンを改名する必要が生じた。そして、同年 9 月 4 日、若者を魅 了してきた暴走族「ヘルズ・エンジェルス」(地獄の天使)に対抗する意味 を込めて、マグニフィセント・サーティーンは「ガーディアン・エンジェル ス」(守護天使)に改名された。 このようにしてガーディアン・エンジェルスは誕生した。その後、カリス マ性を備えたスリワの強力なリーダーシップの下で、ガーディアン・エンジ ェルスのパトロールは、地下空間(地下鉄パトロール)から地上空間(街頭 パトロール)へと発展し、更には電脳空間(インターネット・パトロール) に も 進 出 し た 。 こ の う ち 、 イ ン タ ー ネ ッ ト 内 の パ ト ロ ー ル に つ い て は 、1995 年に、そのための組織として「サイバー・エンジェルス」(電脳の天使)が 創設され、そこで、インターネットを利用した詐欺などのネット犯罪を法執 行機関に通報する活動や、ネット上の付きまといや嫌がらせの被害者を援助 す る 活 動 な ど が 行 わ れ て い る 。こ の サ イ バ ー ・エ ン ジ ェ ル ス は 、1998 年 に 、 ボランティア活動によるコミュニティへの貢献とボランティア活動への若者 の参加推進を評価されて、「ボランティア奉仕大統領賞」を受けた。 また、ガーディアン・エンジェルスは、パトロール活動だけでなく、保護 者 の 承 諾 を 得 て 課 外 活 動 を 通 し て 10 歳 か ら 15 歳 ま で の 年 少 者 の 克 己 心 や 自尊心を養う「ジュニア・エンジェルス」(年少の天使)として、並びに、 大都市の低所得者密集地帯において課外活動を通して要保護少年や不良行為 少年の克己心や自尊心を養う「アーバン・エンジェルス」(都会の天使)と して、青少年健全育成活動も展開している。 さらに、ガーディアン・エンジェルスは、ニューヨークだけでなく、ワシ ントン DC、ボストン、シカゴ、デンバー、リノ、サンフランシスコ、ロサ 9 ンゼルス、ロンドン、ストックホルムなどにおいても活動も展開している。 こ の う ち 、 1989 年 に 設 立 さ れ た ロ ン ド ン 支 部 ( 写 真 2 参 照 ) は 、 米 国 で 誕 生したガーディアン・エンジェルスが、ヨーロッパにおいて最初に創設した 支部である。当初、マスメディアは、ガーディアン・エンジェルスの登場に 困惑したが、それは、警察が、ガーディアン・エンジェルスの必要性に異議 を唱え、そのアカウンタビリティー(説明責任)についての懸念を示し、そ の 活 動 は 英 国 風 で は な い と さ え 示 唆 し た た め で あ っ た (6 )。し か し 、現 在 で は 、 マスメディアの混乱も終息し、ガーディアン・エンジェルスは、地域住民の 支 持 を 得 て 、 ロ ン ド ン 以 外 の 都 市 で も 活 動 を 展 開 し て い る (7 )。 このように、ガーディアン・エンジェルスは、ニューヨークの地下鉄パト ロールを原点にして、同種多様化(地下鉄以外のパトロール)、異種多角化 (パトロール以外の犯罪防止活動)、広域国際化(ニューヨーク以外の支部 設立)という三つの座標軸から成る三次元空間において、その活動を拡大・ 発展させてきたのである。 このような先駆的かつ地道な活動が信頼を醸成し、活動開始から数年を経 て、当初懐疑的であった地域住民もガーディアン・エンジェルスを支持する ようになり、更にそれから数年を経て、当初敵対的であった警察官もガーデ ィアン・エンジェルスを応援するようになった。とりわけ、ジュリアーニ・ ニューヨーク市長は、ガーディアン・エンジェルスの最も積極的な支援者の 一人である(写真 1 参照)。また、ガーディアン・エンジェルスは、法的 に も 、 1981 年 に 、 内 国 歳 入 法 の 501 条 ( c) 3 項 に 規 定 さ れ て い る 被 寄 付 控 除 ( 個 人 の 寄 付 金 は 課 税 所 得 の 50% ま で 、 法 人 の 寄 付 金 は 課 税 所 得 の 10% まで、課税所得からの控除が認められる)資格を取得し、公益性の高い法人 としての地位を得た。 し か し な が ら 、す べ て の 活 動 が 順 風 満 帆 で あ っ た わ け で は な い 。と り わ け 、 五人のメンバーが殉職したことは最大の悲劇であった。スリワ自身も、盗難 10 車とは知らずに乗ったタクシーの中で 4 発銃で撃たれ、さらに疾走するタ クシーの窓から道路に飛び降りた後にも 1 発撃たれて、2 日間意識を失うほ どの重傷を負ったことがある。そのため、自衛のために銃の所持を勧められ たりもしたが、スリワは非武装というガーディアン・エンジェルスの方針を 変えようとはしなかった。現在、スリワは、ニューヨークのラジオ放送局 77W A B C に お い て 、ト ー ク 番 組 の パ ー ソ ナ リ テ ィ ー と し て も 活 躍 し て い る 。 4. 研 究 者 に よ る ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス の 調 査 B rian O strow e と R osanne D iB iase は (8 )、 ニ ュ ー ヨ ー ク の ガ ー デ ィ ア ン ・ エンジェルスに対する意識調査を実施し、次のような結果を得た。①一般人 の 4% 、 交 通 警 察 官 の 43% 、 及 び ニ ュ ー ヨ ー ク 市 警 察 官 の 52% が 、 ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス の 活 動 に 反 対 し て い た 。 ② 一 般 人 の 61% 、 交 通 警 察 官 の 13% 、 及 び ニ ュ ー ヨ ー ク 市 警 察 官 の 12% が 、 地 下 鉄 を パ ト ロ ー ル す る ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス の 増 員 を 望 ん で い た 。 ③ 一 般 人 の 22% 、 交 通 警 察 官 の 10% 、 及 び ニ ュ ー ヨ ー ク 市 警 察 官 の 14% が 、 ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジェルスのメンバーは英雄的な理想主義者であると考えていた。④一般人の 25% 、 交 通 警 察 官 の 83% 、 及 び ニ ュ ー ヨ ー ク 市 警 察 官 の 74% が 、 専 門 的 で 武 装 し た 警 察 の み が 犯 罪 と 戦 う べ き で あ る と 信 じ て い た 。⑤ 一 般 人 の 45% 、 交 通 警 察 官 の 13% 、 及 び ニ ュ ー ヨ ー ク 市 警 察 官 の 16% が 、 ガ ー デ ィ ア ン ・ エンジェルスは一部の警察官から不当にいやがらせを受けていると考えてい た 。⑥ 一 般 人 の 24% 、交 通 警 察 官 の 70% 、及 び ニ ュ ー ヨ ー ク 市 警 察 官 の 51% が、行動が無謀なためガーディアン・エンジェルスのメンバーは危険にさら さ れ て い る と 考 え て い た 。 ⑦ 一 般 人 の 75% 、 交 通 警 察 官 の 17% 、 及 び ニ ュ ー ヨ ー ク 市 警 察 官 の 22% が 、 ニ ュ ー ヨ ー ク 市 長 や 市 職 員 は ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス の 活 動 を 承 認 す べ き で あ る と 考 え て い た 。 ⑧ 一 般 人 の 67% 、 交 通 警 察 官 の 27% 、 及 び ニ ュ ー ヨ ー ク 市 警 察 官 の 28% が 、 ガ ー デ ィ ア ン ・ 11 エンジェルスの活動は地下鉄や公園をより一層安全にしていると考えていた。 ⑨ 一 般 人 の 28% 、 交 通 警 察 官 の 53% 、 及 び ニ ュ ー ヨ ー ク 市 警 察 官 の 37% が、ガーディアン・エンジェルスの活動は警察の監督下で行われるべきであ る と 考 え て い た 。 ⑩ 一 般 人 の 45% 、 交 通 警 察 官 の 20% 、 及 び ニ ュ ー ヨ ー ク 市 警 察 官 の 16% が 、 活 動 中 の ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス の メ ン バ ー は 地 下鉄への無賃乗車を許されるべきであると考えていた。この調査結果から、 創設当時のガーディアン・エンジェルスと警察との関係は、友好関係という よりはむしろ敵対関係であったことがうかがえる。 D en nis Jay K en ney は (9 )、 ニ ュ ー ヨ ー ク に お い て 、 ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェルスの地下鉄パトロールが、犯罪の発生や乗客の犯罪被害不安に対して及 ぼ し た 影 響 を 調 査 し 、 次 の よ う な 結 果 を 得 た 。 ① 調 査 に 応 じ た 乗 客 の 98% がガーディアン・エンジェルスを知っていたが、ガーディアン・エンジェル ス を よ く 見 掛 け る と 答 え た 者 は 9% に す ぎ ず 、 54% が め っ た に 見 な い ( 又 は 見 た こ と が な い ) と 答 え 、 37 % が 時 々 見 掛 け る と 答 え た 。 ② 調 査 に 応 じ た 乗 客 の 61% が 、 ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス は 乗 客 の 不 安 感 を 低 減 さ せ て い る と 思 っ て い た 。こ の よ う に 判 断 し た 者 の 割 合 は 、と り わ け 、女 性( 68% )、 白 人 ( 64% ) 、 高 齢 者 ( 73% ) で 高 か っ た が 、 ラ テ ン ア メ リ カ 系 人 ( 56% ) 、 10 代 の 若 者 ( 53% ) で 低 か っ た 。 ③ 調 査 に 応 じ た 乗 客 の 66% が 、 ガ ー デ ィ アン・エンジェルスは犯罪を減少させることができると思っていた。④調査 に 応 じ た 乗 客 の 74% が 、 ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス の 存 在 と そ の や り 方 を 是 認 し て い た 。是 認 し た 者 の 割 合 は 、と り わ け 、女 性( 80% )、黒 人( 77% ) で 高 か っ た が 、 白 人 ( 66 % ) で 低 か っ た 。 ⑤ パ ト ロ ー ル 回 数 の 増 減 は 、 乗 客の犯罪被害不安に対して、ほとんど影響を及ぼさなかった。⑥パトロール 回数の増減が犯罪の発生に対して及ぼした影響については、調査対象地域で 起こった犯罪の数が余りに少なかったため、意味のある結論を得ることがで きなかった。 12 S usan P en nell、 C hristine C urtis、 及 び Joel H en derson は (1 0 )、 1984 年 に 、 8 都 市 の ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス 支 部 の メ ン バ ー 106 人 と 活 動 日 誌 に 書 き 込 ま れ た 672 回 の パ ト ロ ー ル を 調 査 し 、 次 の よ う な 結 果 を 得 た 。 ① パ ト ロ ー ル の 理 由 ・ 目 的 に つ い て は 、 メ ン バ ー の 64% が 犯 罪 を 防 止 す る た め に 、 49% が 他 人 を 援 助 す る た め に 、 9% が 若 者 の 模 範 と な る た め に パ ト ロ ー ル し て い た 。② 訓 練 や 研 修 に つ い て は 、メ ン バ ー の 87% が 格 闘 技 の 、76% が 無 令 状 逮 捕 手 続 の 、 48% が 心 肺 蘇 生 法 の 、 46 % が 応 急 手 当 の 訓 練 ・ 研 修 を 受 け て い た 。 ③ パ ト ロ ー ル は 、 平 均 し て 7.1 名 の メ ン バ ー に よ り 、 4.1 時 間 行 わ れ て い た 。 ④ メ ン バ ー は 、 毎 週 平 均 し て 2.6 回 、 パ ト ロ ー ル に 参 加 し て い た 。 ⑤ 活 動 ・ 参 加 形 態 に つ い て は 、 メ ン バ ー の 97% が 街 頭 パ ト ロ ー ル に 、 55% が バ ス ・ パ ト ロ ー ル に 、 62% が 地 下 鉄 パ ト ロ ー ル に 、 21% が 学 校 パ ト ロ ー ル に 、 57 % が シ ョ ッ ピ ン グ セ ン タ ー ・ パ ト ロ ー ル に 、 28 % が コ ン サ ー ト 警 備 に 、 39% が 高 齢 者 護 衛 に 、 43 % が 講 演 に 、 75 % が メ ン バ ー 募 集 に 、 33 % が 資 金 調 達 に 参 加 し て い た 。 ⑥ パ ト ロ ー ル 中 に 市 民 と 交 わ し た 言 葉 の 内 容 に つ い て は 、 メ ン バ ー の 74% が ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス の 組 織 に つ い て 尋 ね ら れ 、 15% が 市 内 の 問 題 地 区 に つ い て 尋 ね ら れ 、 30% が ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス を 応 援 す る 言 葉 に 接 し 、 10 % が ガ ー デ ィ ア ン ・ エンジェルスを非難する言葉に接していた。⑦犯罪関連の事件への関わり方 に つ い て は 、メ ン バ ー の 86% が け ん か を 止 め 、46% が 窃 盗 を や め さ せ 、46% が 容 疑 者 を 逮 捕 し 、 45 % が 容 疑 者 を 発 見 ・ 通 報 し 、 20% が 法 廷 で 証 言 を し ていた。 ま た 、 P en nell、 C urtis、 及 び H en derson は 、 サ ン デ ィ エ ゴ に お い て 、 ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス の パ ト ロ ー ル が 、 1982 年 1 月 か ら 1984 年 12 月 までの 3 年間に、犯罪の発生や住民の犯罪被害不安に対して及ぼした影響 も 調 査 し 、次 の よ う な 結 論 に 達 し た 。① 暴 力 犯 罪( 殺 人 、強 姦 、強 盗 、暴 行 ) は、パトロールの標的にされている犯罪であるにもかかわらず、それに対す 13 る 影 響 は な か っ た 。 例 え ば 、 パ ト ロ ー ル 開 始 前 の 1982 年 上 半 期 と パ ト ロ ー ル が 最 も 活 発 に 行 わ れ た 1983 年 上 半 期( こ の 時 期 の パ ト ロ ー ル 回 数 は 139) における暴力犯罪の認知件数を比較すると、パトロール対象地域では暴力犯 罪 は 22% 減 少 し た が 、 パ ト ロ ー ル 非 対 象 地 域 で は 42% も 減 少 し た の で 、 パ トロール以外の要因によって暴力犯罪は減少したと考えられる。②財産犯罪 (不法行為目的侵入、窃盗、自動車盗)に対しては影響があった。例えば、 パ ト ロ ー ル 開 始 前 の 1982 年 上 半 期 と パ ト ロ ー ル 最 盛 期 の 1983 年 上 半 期 に おける財産犯罪の認知件数を比較すると、パトロール非対象地域では財産犯 罪 は 15% 減 少 し た が 、パ ト ロ ー ル 対 象 地 域 で は 25% も 減 少 し た 。も っ と も 、 パ ト ロ ー ル 回 数 が 139 か ら 80 に 減 少 し た 1983 年 下 半 期 に は 、 パ ト ロ ー ル 対 象 地 域 に お い て 財 産 犯 罪 は 25% 増 加 し て し ま っ た 。 し た が っ て 、 ガ ー デ ィアン・エンジェルスのパトロールは、その可視度や注目度が高い時に財産 犯罪に対して効果を生む短期的なものであったと考えられる。③調査に応じ た 市 民 の 60% が 、 ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス の パ ト ロ ー ル を 知 っ て 、 よ り安全になったと感じていた。また、調査に応じた市民は、ガーディアン・ エンジェルスの犯罪減少に対する効果を、調査に応じた警察官よりも高く評 価していた。 さ ら に 、 P en nell、 C urtis、 及 び H en derson は 、 1984 年 に 、 15 の 犯 罪 防 止のための市民団体とガーディアン・エンジェルスを比較調査し、次のよう な 結 果 を 得 た 。 ① ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス 支 部 に は 平 均 し て 20 人 の メ ン バ ー が い た が 、 他 の 市 民 団 体 で は 45 人 で あ っ た 。 ② ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス 支 部 で は メ ン バ ー の 84% が 男 性 で あ っ た が 、他 の 市 民 団 体 で は 53% が 男 性 で あ っ た 。 ③ ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス 支 部 で は メ ン バ ー の 66% が 20 歳 以 下 で あ っ た が 、 他 の 市 民 団 体 で は 66% が 50 歳 以 上 で あ っ た 。 ④ ガ ー デ ィ ア ン・エ ン ジ ェ ル ス 支 部 で は メ ン バ ー の 32% が 白 人( 29% が 黒 人 、 23% が ラ テ ン ア メ リ カ 系 人 ) で あ っ た が 、 他 の 市 民 団 体 で は 94% が 白 人 で 14 あ っ た 。 ⑤ ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス 支 部 で は メ ン バ ー の 59% が 中 学 校 卒 業 以 下 の 学 歴 で あ っ た が 、 他 の 市 民 団 体 で は 62% が 大 学 卒 業 以 上 の 学 歴 で あ っ た 。 ⑥ ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス 支 部 で は メ ン バ ー の 11% が 結 婚 し て い た が 、 他 の 市 民 団 体 で は 72% が 結 婚 し て い た 。 ⑦ ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス 支 部 で は メ ン バ ー の 38% が 年 収 5,000 ド ル 未 満 で あ っ た が 、 他 の 市 民 団 体 で は 62% が 年 収 25,000 ド ル 以 上 で あ っ た 。 ⑧ ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス 支 部 で は メ ン バ ー の 64% が い つ ま で も 活 動 を 続 け よ う と 思 っ て い た が 、他 の 市 民 団 体 で は 89% が い つ ま で も 活 動 を 続 け よ う と 思 っ て い た 。 この調査結果から、ガーディアン・エンジェルスと他の市民団体のメンバー には質的に大きな相違があるといえる。 ガーディアン・エンジェルスの活動については、今もなお賛否両論が渦巻 いてはいるが、ニューヨークの街角でスリワを目に留めた通行人が次々とう れしそうに手を振る情景を目の当たりにすると、ガーディアン・エンジェル スの存在は既にニューヨークの生活世界の一部になっていると思わずにはい られない。 5. 小 田 啓 二 に よ る 日 本 ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス の 設 立 日 本 に お い て ガ ー デ ィ ア ン・エ ン ジ ェ ル ス が 設 立( 認 定 )さ れ た の は 、1996 年 2 月 11 日 、 代 表 者 の 小 田 啓 二 が 24 歳 の と き の こ と で あ る 。 し か し 、 そ の ル ー ツ は 小 田 が 米 国 に 留 学 し た 16 歳 の と き に ま で 遡 ら な け れ ば な ら な い 。 当時、小田は、北海道立北見北斗高校に在学していたが、友人関係の悩み、 成績優秀な兄姉に対する劣等感、英語に堪能な父親の影響などが折り重なっ て 、 米 国 留 学 を 熱 望 す る よ う に な っ て い た 。 そ し て 、 1988 年 8 月 20 日 、 小田は、大手予備校が主催する留学プログラムの交換留学生として、アラバ マ州の高校を目指し機上の人となったのである。やがて、小田は、日本に帰 って高校 3 年に編入するか、米国に残って大学に進学するか、という岐路 15 に 立 た さ れ る が 、日 本 の 同 級 生 よ り も 約 半 年 早 く 大 学 生 に な れ る 後 者 を 選 び 、 高校留学の翌年、ボストン大学に進学することになるのである。 こうして移り住むことになったボストンが、小田とガーディアン・エンジ ェルスとの運命的な出会いの地となる。小田はまず、ボストン大学の国際学 生として、付属の語学学校に入学した。その寮のロビーで、寮に入って間も ないある日、小田は見ず知らずの日本人に話し掛けた。この日本人こそが、 現在の東京本部長のムーンである。これがきっかけとなって二人は意気投合 し、小田が寮を出てアパートを借りると、ムーンも引っ越して小田のルーム メイトになった。ムーンは、渡米前に、日本のテレビ番組でガーディアン・ エンジェルスを見たことがあり、そのことを小田に話したところ、小田も興 味を持った。二人はガーディアン・エンジェルスを実際に見てみたいと思っ たが、遊び惚けていた二人には、真剣に探す気はなく、やがて、ガーディア ン・エンジェルスに対する関心も薄らいでいった。 そ う こ う す る う ち に 、ム ー ン が 自 動 車 で 米 国 横 断 旅 行 に 出 る こ と に な っ た 。 1990 年 の 夏 の こ と で あ る 。 ロ サ ン ゼ ル ス に た ど り 着 き 、 ハ リ ウ ッ ド の チ ャ イニーズ・シアターへ足を運んだとき、ムーンは、ガーディアン・エンジェ ルスに偶然出会った。彼は、衝動的に参加を申し込み、事務所でメンバー登 録 の 手 続 を 済 ま せ る と 、早 速 、強 姦 未 遂 犯 の 逮 捕 に 駆 り 出 さ れ た 。ム ー ン が 、 この驚くべき出来事をボストンにいる小田に電話で伝えると、小田は、ムー ンの刺激的な体験を嫉妬し、電話を切るや否や電話帳からガーディアン・エ ンジェルスの連絡先を突き止めた。勇んで電話をかけたが、連絡先が留守番 電話になっていたためいったんは気勢をそがれたが、今度ばかりはあきらめ ることなく、翌日再び電話をかけた。すると、先方は、金曜日の午後 7 時 に地下鉄の駅の構内に来るように指示してきた。小田は、胸をわくわくさせ て 集 合 場 所 に 赴 き 、 そ の 場 で メ ン バ ー に な っ た 。 1990 年 8 月 31 日 の こ と である。 16 このように、ガーディアン・エンジェルスの活動に最初に参加した日本人 はムーンであった。しかし、ムーンは、活動に参加したのが米国横断旅行の 途上立ち寄ったロサンゼルスにおいてであったため、2 週間足らずでロサン ゼルスを去ってから再びボストンにおいて活動に参加するまでの約 2 か月 の間は、活動を中断せざるを得なかった。したがって、本格的・継続的に活 動に従事した者という意味では、日本人メンバー第一号は小田啓二であると いうことができる。 1990 年 の 大 晦 日 、 小 田 と ム ー ン は 、 ニ ュ ー ヨ ー ク で 、 ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ンジェルスの恒例のカウントダウン・パトロールに参加した。そこで、二人 は 初 め て 、カ ー テ ィ ス・ス リ ワ の 謦 咳 に 接 し 、す っ か り 魅 せ ら れ て し ま っ た 。 加 え て 、 全 米 各 地 か ら 集 ま っ た 100 人 を 超 す メ ン バ ー に よ る 行 進 、 行 き 交 う人や車から送られる声援、リーダーたちの成熟した言動、本部の本格的な 装備など、ボストンでは経験しなかったことが次々と現れ、二人は更なる活 動への意欲をかき立てられた。 年 が 改 ま り 、 1991 年 1 月 15 日 、 ス リ ワ が ボ ス ト ン 支 部 を 訪 れ た 。 そ の 機会をとらえて、小田は、日本でも支部を作りたいと大言壮語した。翌月に は、彼は、誘われるままにニューヨークに赴き、本部の活動に参加した。ニ ューヨークでの活動は、当初 2 週間の予定であったが、結果的には 6 か月 になった。その間、小田は、国際部長や本部長の下でエリート教育を受け、 ガーディアン・エンジェルスにのめり込んでいった。その後、いったんはボ ストンに帰り、2 か月間の冷却期間を置くものの、ニューヨーク本部への思 い は 捨 て 難 く 、 10 月 1 日 、 小 田 は 、 周 囲 の 反 対 を 押 し 切 っ て 、 ボ ス ト ン の 大学生活と決別し、ガーディアン・エンジェルスのニューヨーク本部専従者 としての生活を始めるのである。一方、ボストンに残ったムーンも、強力な リーダーシップを発揮して、沈滞していたボストン支部を立て直すことにな る。 17 このようにして、小田とムーンは、活動の本拠こそ別々になったものの、 頻繁に連絡を取り合いながら、次第にガーディアン・エンジェルスにおいて 重要な役割を演じるようになっていったのである。 1992 年 の 初 頭 、 ニ ュ ー ヨ ー ク 本 部 で は 、 小 田 が 、 出 張 の た め 不 在 が ち で あった本部長を代行することになった。外にも何人かのメンバーが本部長を 代行したが、ことごとく信頼を得るには至らなかったため、小田に白羽の矢 が立ったのである。そして、2 月に、彼は正式に本部長に就任する。スリワ は、小田の口数が少ない点を不安に思っていたが、前本部長の推挙やリーダ ー養成というガーディアン・エンジェルスが掲げる理念を重視して、小田を ニューヨーク本部長に据えたのである。 日本人のニューヨーク本部長の誕生は、一方では、日本のマスメディアの 関心を呼び、他方では、ニューヨーク在住の日本人の支援を掘り起こした。 その結果、日本では、小田を応援する者やガーディアン・エンジェルスへの 参加を希望する人が現れ、また、ニューヨークでは、日本人コミュニティに おける小田のパーソナル・ネットワークが形成されていった。小田に自信と 責任感をもたらした、このような事情こそが、東京支部開設を促し、それを 実現可能にした大きな要因である。 1995 年 3 月 、 ニ ュ ー ヨ ー ク 本 部 長 か ら 米 国 東 海 岸 地 区 長 に 昇 進 し て い た 小田は、友人の結婚式に出席するため、日本に一時帰国していた。彼は、日 本滞在を活用して、ガーディアン・エンジェルスを日本に紹介したマスメデ ィア関係者や支援者の間のあいさつ回りや、阪神・淡路大震災の際のボラン テ ィ ア と の 意 見 交 換 を 精 力 的 に こ な し て い た 。 そ の 最 中 の 3 月 20 日 、 東 京 でいわゆる地下鉄サリン事件が発生した。小田は、滞在を延長して、スリワ が パ ー ソ ナ リ テ ィ ー を 務 め る ラ ジ オ の ト ー ク 番 組 の 東 京 特 派 員 と 化 し 、連 日 、 日本人の安全・安心が脅かされている状況を調査・報告した。一部の支援者 からは、東京支部開設の声が上がり、小田も、局面の予期せぬ展開に当惑し 18 ながらも、東京支部開設の実現可能性を探り始めた。こうした動きをマスメ ディアが取り上げると、連絡先(支援者の事務所)に問い合わせが殺到し、 そ の 件 数 は 300 に 及 ん だ 。 小 田 は 、 う れ し い 悲 鳴 を 上 げ た も の の 、 既 に 一 時帰国してから 2 か月が過ぎていたため、後ろ髪を引かれる思いでニュー ヨ ー ク に 戻 っ た 。ニ ュ ー ヨ ー ク で 小 田 を 待 ち 受 け て い た も の は 、ス リ ワ の「 東 京支部開設」の指令であった。今こそ東京支部開設に着手すべき時であり、 この機を逃してはならない、というのがスリワの考えであった。小田の心境 としては、期待と不安が交錯していたが、彼は、とんぼ返りでニューヨーク を 後 に し た 。 5 月 26 日 、 今 度 ば か り は 「 東 京 支 部 開 設 」 と い う 明 確 な 使 命 を帯びて、小田は帰国した。米国留学から 6 年、ガーディアン・エンジェ ルス参加から 4 年が過ぎていた。 帰国後、小田は、ニューヨーク本部長時代からの支援者の口利きで、事務 所を東京都港区赤坂のワンルーム・マンションに置いた。ニューヨーク本部 か ら 支 給 さ れ た 4,000 ド ル が 元 手 で あ っ た 。 小 田 は 、 そ れ ま で に 形 成 し た 支援者のネットワークに支えられながら、取材応対、応募者面接、説明会開 催、国際大会派遣、講習会開催、護身術訓練、パトロール実習、街頭募金、 助 成 金 申 請 、警 察 へ の 説 明 な ど を こ な し て 、支 部 開 設 の 準 備 を 整 え て い っ た 。 その間、ロサンゼルスで働いていたムーンも、東京へ出張するたびに事務所 を訪れ、支部開設の準備を手伝った。 年 が 改 ま り 、 1996 年 2 月 11 日 、 ス リ ワ の 列 席 を 得 て 、 ガ ー デ ィ ア ン ・ エンジェルス東京支部の発足式(認定式)が挙行された。発足時のメンバー は 25 人 で あ っ た 。 小 田 は 、 東 京 支 部 の 活 動 を 軌 道 に 乗 せ る た め 、 三 つ の 戦 略を立てた。第一の戦略は、警察と連携することである。というのは、米国 と異なり、日本では、警察に対する敵対的な傾向がほとんど見られないから である。第二の戦略は、地域住民や住民組織と交流することである。という のは、住民の招きにより地域に受け入れてもらわなければ、団体は活動でき 19 ないからである。第三の戦略は、マスメディアを活用することである。とい うのは、一般大衆に活動を理解してもらうためには、まず団体が知られる必 要があるからである。 このような戦略が効を奏して、ガーディアン・エンジェルス東京支部は、 警察や住民組織の仲介によって、駅伝競走のたすきが手渡されるがごとく、 赤 坂 か ら 、青 山 、原 宿 、渋 谷 、新 宿 、池 袋 へ と 進 出 し て い っ た 。そ し て 、1999 年 に な る と 、 武 蔵 野 支 部 ( 2 月 21 日 ) 、 仙 台 支 部 ( 3 月 28 日 ) 、 関 西 本 部 (4 月 4 日)が次々と開設され、日本のガーディアン・エンジェルスは四箇 所 の 拠 点 を 構 え る に 至 っ た 。 さ ら に 、 同 年 4 月 19 日 に は 、 経 済 企 画 庁 が 、 特定非営利活動促進法に基づき、ガーディアン・エンジェルスの法人格を認 証した。ここに、特定非営利活動法人日本ガーディアン・エンジェルスが誕 生したのである。 特定非営利活動法人日本ガーディアン・エンジェルスの目的は、「不特定 か つ 多 数 の も の に 対 し て 、安 全 パ ト ロ ー ル 等 犯 罪 防 止 に 関 す る 事 業 等 を 行 い 、 住民の生活の安全の確保に努め、安全で住みよいまちづくりの推進に寄与す る こ と 」 で あ る ( 定 款 3 条 ) 。 ま た 、 米 国 で 作 成 さ れ た 「 G uardian A ngels International S trategic P lan 1996-1999 」 に は 、 「 ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス の ミ ッ シ ョ ン( 使 命 )は 、犯 罪 の な い コ ミ ュ ニ テ ィ を 作 り 出 す た め に 、 ボランティアによる安全パトロールを通して、ポジティブな(前向きの)役 割モデルを現出することである」と明記されている。さらに、小田啓二はイ ン タ ビ ュ ー の 際 ( 1999 年 2 月 15 日 ) に 、 「 自 分 が 感 じ て き た ガ ー デ ィ ア ン・エンジェルスというのは、やはり育ててもらったという感覚があります から、これはいわゆるまじめな子であれ、不良な子であれ、子という言葉を 使うとちょっと語弊がありますが、若者を中心に人間を育てる団体だなとい うふうに思います」、「パトロールするという表向きの活動はもちろん惜し まないつもりではありますが、それは別に自分は大半を占めている活動だと 20 は思いません。集まってきている人たちがこの中で居場所を感じてくれて、 確立してくれて、巣立っていってくれることが、一番自分にとってはうれし いことですから」と語っている。したがって、ガーディアン・エンジェルス は、安全なコミュニティの形成を目指して、主にパトロール活動を展開し、 そのパトロールによって、一方では、一般大衆が社会的役割に目覚め、他方 では、メンバーが成熟することを期待する N PO であるといえる。 このような活動目標を達成するために、日本ガーディアン・エンジェルス に は 、 様 々 な 組 織 が 存 在 し て い る 。 1999 年 11 月 現 在 、 地 域 別 に は 、 東 京 本 部( 渋 谷 パ ト ロ ー ル・チ ー ム 、新 宿 パ ト ロ ー ル・チ ー ム 、池 袋 パ ト ロ ー ル ・ チーム)、関西本部、西東京本部(吉祥寺パトロール・チーム、立川パトロ ー ル ・チ ー ム )、仙 台 支 部 が あ り 、機 能 別 に は 、サ イ バ ー ・エ ン ジ ェ ル ス( イ ン タ ー ネ ッ ト 内 の パ ト ロ ー ル ・ チ ー ム ) 、 ジ ュ ニ ア ・ エ ン ジ ェ ル ス ( PTA による校外パトロールの指導チーム)、緊急救援チーム(防災・災害救援チ ーム)、サムライ塾(武道・護身術の稽古・指導チーム)がある。また、こ れらの組織を統轄する機関として、本部事務局が設置されている。 特 定 非 営 利 活 動 法 人 の 常 置 機 関 で あ る 理 事 の 任 に は 、小 田 啓 二( 理 事 長 )、 ムーン(東京本部長・副理事長)、ペニー(事務局長)、なにわ(関西本部 長)、及びクック(西東京本部長)が就いている。このうち、本部事務局専 従者(フルタイマー)のペニーだけが、ガーディアン・エンジェルスから報 酬(月額 8 万円)を受けている。ムーン、なにわ、及びクックは定職に就 いており、ガーディアン・エンジェルスの活動にはパートタイマーとして参 加している。小田啓二はフルタイマーに近いが、父親の会社の役員や単発の 通訳などをして生計を立てている。 ガ ー デ ィ ア ン・エ ン ジ ェ ル ス の メ ン バ ー( 特 定 非 営 利 活 動 促 進 法 上 の 社 員 ) に は 、 16 歳 以 上 の 者 で あ れ ば 、 特 段 の 事 情 ( 暴 力 団 員 や 前 科 者 の 場 合 な ど ) がない限り、だれでもなることができる。リクルートについては、「求人情 21 報誌を読んで」、「テレビで見て」、「新聞の記事で知って」、「友人に誘 われて」、「街で見掛けて」など様々な経路がある。ガーディアン・エンジ ェ ル ス の 文 書 に よ れ ば 、メ ン バ ー の 数 は 、1999 年 10 月 現 在 、273 人 で あ る 。 もっとも、この数字は登録書を提出した人の数であり、提出後に全く活動に 参加していない者も含んでいる。小田啓二の言によると、登録書を提出した 人のうち、活動を長く続けるのはその一割程度らしい。活動が長続きする要 因について、彼は、「残る人はガーディアン・エンジェルスをうまくバネに して伸びる人だと思いますけど、去っていった人というのは、又はそれなり の活動しかしない人というのは、ガーディアン・エンジェルスの存在自体を そこまでのバネとして感じなかった人、又は感じていない人ですから、それ なりに楽しんだり喜んだりすることはできても、これをうまく使ってという 面 で は ……。 自 分 も ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス を や は り バ ネ と し て 自 分 自 身相当変わったと思うし、すごい勉強をさせてもらったという感覚があるか ら、そういうプラス志向の考え方ができる人はやはり残るだろうし、それが できない人は去っていくでしょう」と語っている。 メンバーは、登録書の提出後、原則として、週に 2 回パトロールに参加 すれば、3 か月で一人前として認められる。この一人前のメンバーは「セー フ テ ィ ー ( SA F E T Y ) 」 と 呼 ば れ 、 「 セ ー フ テ ィ ー 」 な し で は 、 す な わ ち 、 「 ア イ ・ サ ポ ー ト ( I SU P P O R T ) 」 と 呼 ば れ る 訓 練 生 だ け で は 、 ガ ー デ ィ アン・エンジェルスのパトロールを実施することはできない。そして、「セ ーフティー」にのみ着ることが許される T シャツにプリントされたデザイ ンこそガーディアン・エンジェルスのシンボルマークなのである(資料 1 参照)。このマークの中央にある目は、カーティス・スリワが、ハンバーガ ーショップ「マクドナルド」の夜間マネージャーとして紙幣を勘定していた と き に 、 目 に 留 ま っ た 1 ド ル 紙 幣 の 裏 に あ る 目 を 借 用 し た も の で あ り 、《 コ ミ ュ ニ テ ィ を 見 守 る 目 》を 意 味 し て い る 。こ の 目 と 盾( 保 護 の 象 徴 )と 翼( 仲 22 間の象徴)が、血(生命の象徴)の色である赤で描かれ、それらが雲の上に あることによって、守護天使としてのガーディアン・エンジェルスの理念が 表されているのである。このシンボルマークがプリントされた白い T シャ ツと赤いベレー帽がガーディアン・エンジェルスの制服である。この派手な 制服には、一方では、メンバーのアイデンティティを確立させ、他方では、 若者にとっての役割モデルを視覚化する機能が期待されている。 メンバーは、各自に付けられたニックネームで呼び合っている。というの は、敬称を用いると、対等の立場にあるボランティアの間にまで、年齢によ る序列構造が持ち込まれる虞があり、また、活動中に本名を呼び合うと、ボ ランティアのプライバシーが侵される危険性があり、さらに、ニックネーム を持つことによってボランティアは「もう一人の自分」を一層楽しむことが できるからである。しかし、ガーディアン・エンジェルスは親睦を深めるた めのサークルではないので、メンバーが遵守しなければならない厳しいルー ルも存在する。例えば、武器(及び武器に転用可能な大型の懐中電灯など) の 携 帯 禁 止 、 パ ト ロ ー ル 中 及 び パ ト ロ ー ル 前 24 時 間 の 飲 酒 禁 止 、 メ ン バ ー 間の男女交際禁止といったルールがある。 財 政 に つ い て は 、 1998 年 決 算 報 告 に よ る と 、 収 入 が 12,854,893 円 ( う ち 寄 付 金 8,831,025 円 ) で あ り 、 支 出 が 11,538,615 円 ( う ち 通 信 費 2,839,515 円 、旅 費 交 通 費 1,917,594 円 、家 賃 1,020,000 円 )で あ る 。財 源 に つ い て は 、 当分の間、不安定な寄付に頼らざるを得ない状況が続くと思われるが、法人 格 の 取 得 が 契 機 で メ ン バ ー か ら 会 費 が 徴 収 さ れ 、 ま た 、 利 用 金 額 の 0.5 % が 信販会社から(利用者の負担なしで)寄付されるというクレジットカードが 発行されるなど、ガーディアン・エンジェルスの収入構造も徐々に安定化し つつある。今後は、地方自治体などからの業務委託を受けることによって増 収を図る必要もあろう。 広報については、マスメディアの利用が主たる方法であり、講演がこれに 23 次 ぐ 。 ま た 、 メ ン バ ー 及 び 支 援 者 に 向 け て は 、 広 報 誌 『 10-4 』 が 発 行 さ れ て い る 。 「 10-4」 と は 、 無 線 暗 号 の 「 了 解 」 の こ と で あ る 。 保険については、社会福祉協議会のボランティア保険に加入している。 おわりに 典型的 な犯罪防止 N PO であるガ ーディアン ・エンジェ ルスといえ ども、 その存在基盤は依然として脆弱である。しかし、ガーディアン・エンジェル ス の 存 在 が 徐 々 に 社 会 に 浸 透 し つ つ あ る の も ま た 確 か な こ と で あ る 。例 え ば 、 筆 者 が 行 っ た 調 査 票 調 査 ( 1999 年 7 月 実 施 、 標 本 数 2,000、 回 収 数 1,441 の全国調査)の結果でも、ガーディアン・エンジェルスの認知度は相対的に 高 か っ た 。 と り わ け 、 20 歳 代 の 認 知 度 に お い て 、 ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス が B B S( B ig B rothers and S isters)を 凌 駕 し た こ と は 注 目 に 値 す る (1 1 )。 おそらく、それだけガーディアン・エンジェルスが若者向けのメディアに登 場する回数が多いということなのであろう(資料 2 参照)。いずれにして も、ガーディアン・エンジェルスのような犯罪防止 N PO に、セミフォーマ ル・コントロールの主体としての社会的役割を演じさせるためには、その健 全な発展を行政、企業、住民が支援することが必要である。刑事司法機関と のパートナーシップの形成もその一助になるに違いない。 (注) (1) 日 下 部 眞 一 ( 1999 年 、 118 頁 ) 「 N P O の 時 代 ― ― 志 縁 社 会 へ の 扉 ― ― 」 日 下 部 眞 一 編 『 ま ち づ く り 曼 荼 羅 ― ― ボ ラ ン テ ィ ア か ら N PO へ の ひ ろ が り ― ― 』 大 学 教 育 出 版 : 115-128 頁 。 (2) 山 岡 義 典 ( 1997 年 、 4 頁 、 8 頁 )「 N P O の 意 義 と 現 状 」 山 岡 義 典 編『 N P O 基 礎 講 座 ― ― 市 民 社 会 の 創 造 の た め に ― ― 』 ぎ ょ う せ い : 1-41 頁 。 (3) 菅 井 直 也 ( 1999 年 ) 「 地 域 福 祉 を つ く る ボ ラ ン テ ィ ア 活 動 」 日 下 部 眞 一 24 編 『 ま ち づ く り 曼 荼 羅 ― ― ボ ラ ンテ ィ ア か ら N PO へ の ひ ろ が り ― ― 』 大 学 教 育 出 版 : 29-42 頁 。 (4) 堀 田 力 ( 1997 年 ) 『 共 生 社 会 へ の 道 ― ― 超 高 齢 化 日 本 の ボ ラ ン テ ィ ア ― ― 』 日 本 放 送 出 版 協 会 、 経 済 企 画 庁 国 民 生 活 局 編 ( 1997 年 ) 『 市 民 活 動 レポート ――市民活動団体基本調査報告書――』大蔵省印刷局。 (5) 以 下 の 記 述 の う ち 、 文 献 に 基 づ く 箇 所 以 外 は 、 筆 者 が 行 っ た 、 2 年 間 に わ たる、ガーディアン・エンジェルスにおける参与観察とインタビューによ る調査結果の一部である。なお、調査の実施に当たって、東洋大学井上円 了記念、ブリティッシュ・カウンシル、及び東京女性財団から研究助成を 得た。 (6) G avin R ees (1994), T h e G uardian A ngels: M aking S pace and F in ding T im e on the L on don U ndergrou nd , C am bridge A nthropology 17(1) : 27-48. (7) R ay A braham s (1998), V igilant C itizens: V igilantism and the S tate, C am bridge: P olity P ress. (8) B rian B . O strow e and R osanne D iB iase (1983), C itizen Involvem ent as a C rim e D eterrent: A S tu dy of P ublic A ttitudes T ow ard an U nsanctioned C ivilian P atrol G roup , Jou rnal of P olice S cience and A dm inistration 11(2) : 185-193. (9) D en nis J. K en ney (1986), E xam ining the R ole of A ctive C itizen P articipation in the L aw E nforcem ent P rocess, A nn A rbor: U niversity M icrofilm s International. (10) S . P en nell, C . C urtis and J. H en derson (1985), G uardian A ngels: A n A ssessm en t of C itizen R esponse to C rim e, S an D iego: A ssociation of G overnm en ts. (11) 20 歳 代 の 男 性 の 認 知 度 は 、 ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス が 26.4% 、 B B S 25 が 2.2% で あ り 、 20 歳 代 の 女 性 の 認 知 度 は 、 ガ ー デ ィ ア ン ・ エ ン ジ ェ ル ス が 13.8% 、 B B S が 2.5% で あ っ た 。 26
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