ロンド ン事 務所 【テロ対策関連法の施行】英国 56人 の 死 者 と 約 700人 の 負 傷 者 を 出 し た 2005年 7 月 7 日 の ロ ン ド ン の 同 時 爆 破 テ ロ 事件から間もなく1年を迎えるが、ここにきて、幾つかの新法制定によって政府の反 テロ対策が実を結び始めている。伝統的に市民に対する国家の関与を抑えてきた英国 にとって、これらの新法は、方向転換とも言えるべきものである。 同時テロ事件以前に構想されていたものの、事件によって弾みがついた形になった の が 、 3月 31日 に 施 行 さ れ た 「 2006年 反 テ ロ 法 ( Terrorism Act 2006) 」 で あ る 。 同 法 に よ っ て 、警 察 は テ ロ 対 策 の た め の 広 範 な 権 力 を 新 た に 与 ら れ 、「 テ ロ の 計 画 」や「 テ ロの称賛」、「テロリストの教育・訓練」などの幾つかの行為が違法になった。政府 や警察には待望されていた同法だが、野党や人権擁護団体からは強い批判を浴びてい る。 英 国 に お け る 近 代 の 反 テ ロ 法 は 、「 1974年 テ ロ 防 止 法( Prevention of Terrorism Act 1974)」に 始 ま っ た 。同 法 は 、北 ア イ ル ラ ン ド 共 和 軍( IRA) 1 の テ ロ 行 為 を 取 り 締 ま る た め の 暫 定 法 だ っ た が 、 国 会 で 毎 年 、 期 限 が 延 長 さ れ て き た 。 そ の 後 、 2001年 9 月 11 日 の 米 同 時 テ ロ 事 件 を 受 け て「 2001年 反 テ ロ・犯 罪・安 全 保 障 法( Anti-Terrorism, Crime and Security Act 2001) 」 が 、 さ ら に 2005年 に は 「 2005年 テ ロ 防 止 法 ( Prevention of Terrorism Act 2005) 」 が 施 行 さ れ 、 テ ロ 対 策 は 強 化 さ れ て い っ た 。 英国では、各種運動団体やジャーナリスト、弁護士などが参加する人権擁護団体が 活 発 に 活 動 を 行 っ て お り 、 「 2006年 反 テ ロ 法 」 に よ る 「 テ ロ の 称 賛 」 の 違 法 化 は 、 こ うした団体から強い非難を浴びた。上院も反対したものの、結局は政府が下院での多 数票を利用して承認を押し切る形になった。この条項をめぐっては、「テロの称賛」 となることを恐れ、大学が適切な歴史教育をできなくなるとの批判も出ていた。 こ れ に 先 立 ち 2月 、「 2006年 人 種・宗 教 憎 悪 法( the Racial and Religious Hatred Act 2006) 」 が 施 行 さ れ た 。 英 国 で は 、 「 特 定 の 人 種 に 対 す る 憎 悪 を 引 き 起 こ す 行 為 」 は 違法とされており、宗教についても、シーク教徒とユダヤ教徒を保護する同様の法律 が 存 在 す る と と も に 、キ リ ス ト 教 徒 も「 神 の 冒 涜( blasphemy)」を 禁 じ る 古 代 か ら の 法律のもとに守られている。しかし、イスラム教徒はこうした法律によって保護され ていなかったため、差別であるとして信者の間に不満が広がっていた。同法は、すべ 1 北アイルランドのカトリック系過激組織 1 ての宗教を対象に「宗教を理由に憎悪を引き起こす行為」を違法とし、あらゆる宗教 の信者を保護するもので、イスラム教徒の不満を取り除くために必要であると政府は 主張したが、「言論の自由」と「知的自由」に対する侵害として批判された。上院は 同法に強く反対し、妥協案が提出されてようやく下院を通過した。 ま た 3月 30日 に は 、「 2006年 身 分 証 明 書( IDカ ー ド )法( Identity Cards Act 2006)」 が成立した。政府は、過去数年間にわたり、テロ対策や組織犯罪対策、また不法移民 対策のために身分証明書の導入が必要であると訴え、同法の成立を試みていた。野党 は導入に強く反対し、労働党の下院議員たちにも全面的に支持されていたわけではな かったが、政府はその重要性を強調していた。 2008年 よ り 、 17歳 以 上 の 者 が パ ス ポ ー ト の 新 規 発 給 ・ 更 新 を 申 請 す る と 、 指 紋 や 虹 彩 パ タ ー ン な ど の 情 報 が 「 国 家 身 元 認 識 登 録 ( National Identity Register) 」 と い うデータベースに登録され、パスポートとともに身分証明書が発行される。ただし、 2010年 ま で 身 分 証 明 書 の 発 行 は 任 意 で 、 拒 否 す れ ば 発 行 さ れ な い 。 政 府 は 、 公 的 機 関 や企業が顧客に身分証明書の保持を要求することなどにより、多くの人が身分証明書 を 保 持 す る よ う に な る こ と を 望 ん で い る 。 2010年 以 降 は 、 パ ス ポ ー ト の 新 規 発 給 ・ 更 新をした者全てに発行される。 欧 州 連 合 ( EU) 加 盟 国 の 多 く は 身 分 証 明 書 制 度 を 導 入 し て お り 、 英 国 は こ れ ら の 国 を 追 随 す る 形 に な る 。 し か し 英 国 は 、 EUの 一 部 の 国 の よ う に 、 国 民 に 身 分 証 明 書 の 常 時携帯を義務付けることはない。制度に対しては「英国は第二次世界大戦以降、身分 証明書制度を導入せずに切り抜けてきた。制度は費用がかかり過ぎるうえ、政府が主 張するような不法移民や詐欺の防止効果もない」との批判もある。 さ ら に 4月 1日 に は 、「 重 犯 罪・組 織 犯 罪 庁( Serious and Organised Crime Agency)」 が 新 設 さ れ た 。「 英 国 版 FBI」と 呼 ば れ る 同 庁 は 、い く つ か の よ り 小 規 模 な 組 織 を ま と め た も の で 、 「 国 家 犯 罪 対 策 局 ( National Crime Squad: NCS) 」 お よ び 「 国 家 犯 罪 情 報 部( National Crime Intelligence Service:NCIS)」の 機 能 と 、「 税 関・税 務 局( HM Customs and Excise) 」 お よ び 「 移 民 局 ( UK Immigrations Service) 」 が か つ て 担 っ ていた機能が統合されている。政府は、今や国際レベルで展開されているテロと組織 犯罪に対抗するため同庁が必要だと主張しているが、「地域に根差した治安維持を行 ってきた英国の伝統に逆らう」との批判もある。 (参 照 ) http://www.homeoffice.gov.uk/security/terrorism-and-the-law/terrorism-act-20 06 http://www.homeoffice.gov.uk/passports-and-immigration/id-cards/?version=1 2 【 イ ン グ ラ ン ド の 2006年 地 方 選 挙 】 英 国 <背景> 英国の地方選挙はしばしば、中央政府に対する国民の信任投票であるとみなされて い る 。 今 年 は イ ン グ ラ ン ド の 地 方 選 挙 が 5月 4日 に 実 施 さ れ た が 、 閣 僚 の ス キ ャ ン ダ ル や 政 策 の 不 手 際 な ど 、与 党 労 働 党 に 不 利 な 報 道 が 数 多 く な さ れ る 中 で の 実 施 と な っ た 。 例えば、労働党が、党に献金した者を見返りとして上院議員に推薦していたという疑 惑 は 3月 以 来 報 道 が 続 い て い た し 、ヒ ュ ー イ ッ ト 保 健 相 は 、国 民 医 療 保 健 サ ー ビ ス( NHS) の財政難による人員削減などで強い非難を浴びていた。クラーク内相に対しては、多 くの外国人服役囚が釈放時に母国への強制送還を考慮されなかった件を受けて辞任を 求める声が高まり、プレスコット副首相は、秘書との不倫が暴露されて窮地に立たさ れていた。こうした問題にばかり国民の関心が集まったため、地域の問題に焦点を当 てた労働党の選挙キャンペーンは、なかなか人々の興味を引くことができなかった。 イングランドの選挙区の中でも、特に注目されたのは、労働党の大敗が予想されたロ ン ド ン の 32の 区 ( borough) で あ っ た 。 激 し い 選 挙 戦 が 展 開 さ れ 、 ま た 7つ の 区 で は 、 郵便投票に関する不正疑惑で警察の捜査も行われた。 保 守 党 の デ ー ビ ッ ド ・ キ ャ メ ロ ン 党 首 に と っ て は 、 昨 年 12月 の 党 首 就 任 以 来 、 今 回 の選挙が初の主要選挙だった。同党首は選挙期間中、「保守党の復興へのかぎはイン グ ラ ン ド の 都 市 部 に あ る 」と 述 べ 、ま た 4月 の 保 守 党 大 会 で は 、同 党 の 都 市 部 政 策 専 門 調査会を率いるマイケル・へーゼルタイン氏(元副首相)が、イングランドのより多 く の 地 域 で 直 接 公 選 の 首 長 が 誕 生 す る よ う 訴 え た 。一 方 、今 年 3月 に 就 任 し た ば か り の キャンベル自由民主党党首は、最近の地方行政における同党の躍進を維持し、票獲得 に つ な げ た い と 考 え て い た 。ま た 、3月 以 降 、年 金 制 度 改 革 を め ぐ っ て 地 方 自 治 体 職 員 がスト行動を行っていたことから、今回の選挙期間中もストの可能性が懸念されてい たが、これは回避された。 合 計 で 176の 自 治 体 で 選 挙 が 行 わ れ 、こ の 中 に は 、地 方 を 中 心 と し た 88の デ ィ ス ト リ ク ト ・ カ ウ ン シ ル と 、 都 市 部 に 位 置 す る 36の 大 都 市 圏 デ ィ ス ト リ ク ト ・ カ ウ ン シ ル 、 20の ユ ニ タ リ ー ・ カ ウ ン シ ル が 含 ま れ て い た 。 デ ィ ス ト リ ク ト ・ カ ウ ン シ ル 、 大 都 市 圏ディストリクト・カウンシル、ユニタリー・カウンシルともに、今回は大半が議員 の3分の1のみの改選を行った。 これに加え、ロンドンのハックニー区、ルイシャム区、ニューハム区、ハートフォ ー ド 県 ワ ト フ ォ ー ド 市 で は 直 接 公 選 の 首 長 選 挙 が 行 わ れ 、 2002年 に 直 接 公 選 首 長 制 度 が発足して以降初めて、現職の公選首長について有権者が判断を下すことになった。 2002年 の 選 挙 で は 、ロ ン ド ン の 3区 全 て で 労 働 党 の 候 補 者 が 、ワ ト フ ォ ー ド 市 で 自 由 民 3 主 党 の 候 補 が 当 選 し た 。ま た 、マ ン チ ェ ス タ ー 近 郊 の ク ル ー・ナ ン ト ウ ィ ッ チ 市 で は 、 公選首長選挙実施の是非を問う住民投票が行われた。 昨 年 5月 に 改 選 さ れ た イ ン グ ラ ン ド の カ ウ ン テ ィ・カ ウ ン シ ル と 、ウ ェ ー ル ズ の 22の ユ ニ タ リ ー ・ カ ウ ン シ ル で は 選 挙 は 行 わ れ な か っ た 。 ス コ ッ ト ラ ン ド の 32の 地 方 自 治 体 で は 来 年 5月 に 次 回 選 挙 が 行 わ れ る が 、こ れ は 、ス コ ッ ト ラ ン ド 議 会 で 労 働 党 と 自 由 民主党の連立政権が比例代表制選挙に合意してから初めての選挙となる。 <選挙戦> 与党労働党は、守りの体制で選挙戦に突入したが、より多くの自治体で支配政党と な る べ く 、議 席 数 増 加 を 狙 う と 表 明 し て い た 。一 方 、キ ャ メ ロ ン 党 首 率 い る 保 守 党 は 、 地域に向けた政策としては犯罪や反社会的行動の取り締まり、街の美化などを選挙戦 の テ ー マ に 掲 げ 、同 時 に 全 国 向 け に は 、「 保 守 党 に 投 票 し 、環 境 を 保 護 し よ う( Vote Blue, Go Green) 」 と の ス ロ ー ガ ン の も と 、 環 境 保 護 を キ ャ ン ペ ー ン の 主 眼 に 据 え た 。 保 守 党はまた、選挙期間中、キャメロン党首の党首就任後に新設された専門調査会が、イ ン グ ラ ン ド の ラ イ ト レ ー ル 2に 関 す る 政 策 を 検 討 す る と 発 表 し た 。 自 由 民 主 党 は 、 今 回 の選挙はブレア政権に対する信任投票であると訴え、同党が労働党・保守党双方の代 替政党であるとして有権者にアピールしていた。 極 右 政 党「 英 国 国 民 党( BNP)」は 、移 民 排 斥 と 、テ ロ 行 為 に 対 す る イ ス ラ ム 教 徒 非 難に焦点を当てて選挙戦を展開した。同党は、ホッジ雇用・福祉制度改革担当大臣が 選挙期間中、自身の選挙区であるロンドン東部バーキング・ダゲナム区で「白人家庭 の 8 割 が BNPに 投 票 し て も よ い と 思 っ て い る 」と の 発 言 を し た こ と で 注 目 を 浴 び た 。同 大臣のこのコメントに対しては、「バーキング・ダゲナム区が不必要に世間の関心を 集 め 、BNPに 対 し 、従 来 は 持 ち 得 な か っ た 宣 伝 材 料 を 与 え る こ と に な っ た 」と の 批 判 の 声が上がった。 政 府 は 投 票 日 前 日 、 「 最 悪 の 結 果 を 覚 悟 し て お り 、 イ ン グ ラ ン ド で 惨 敗 し た 1968年 の地方選以来の大敗を喫するかもしれない」と述べていた。 <結果> 投票の結果、保守党は議席数を顕著に増やし、多くの自治体で多数党の座を獲得し た 。労 働 党 は 300議 席 以 上 を 失 っ て 大 敗 し た が 、「 敗 北 は 予 想 さ れ て い た こ と で 、予 期 し た ほ ど 悪 い 結 果 で は な か っ た 」と の 反 応 を 示 し た 。一 方 、自 由 民 主 党 は 、わ ず か 1議 席 増 や し た の み で 、 ロ ン ド ン で は 1区 を 失 い 、 1 区 を 獲 得 し た 。 今 回 の 選 挙 結 果 か ら 読 み 取 れ る の は 、保 守 党 が イ ン グ ラ ン ド 北 部 の 大 半 の 大 都 市 で 1 2 地 下 鉄 、高 架 鉄 道 な ど よ り も 軽 量 の シ ス テ ム を 使 っ た 鉄 道 で 、ロ ン ド ン の ド ッ ク ラ ン ズ ・ ラ イ ト ・ レ ー ル ウ ェ イ ( DRL) や 、 モ ノ レ ー ル 、 ト ラ ム ( 路 面 電 車 ) な ど が 含 ま れ る 。 4 人も当選者を出すことができず、同地方での支持獲得に失敗したこと、そしてロンド ンでの労働党の大敗である。労働党はロンドンの9区で主に保守党に多数党の座を譲 り渡したが、特に予想外だったのが、労働党の牙城だったカムデン区、ルイシャム区 が 「 多 数 党 な し ( No Overall Control) 」 と の 結 果 に な っ た こ と と 、 イ ー リ ン グ 区 で 保 守 党 に 破 れ た こ と だ っ た 。し か し 、ロ ン ド ン 内 3区 の 直 接 公 選 区 長 選 挙 で は い ず れ も 労働党候補が再選し、一方ワトフォード市では、自由民主党候補が再選を果たした。 英国国民党は大きく議席を増やして躍進し、特に前述のバーキング・ダゲナム区で は 、労 働 党 に よ る 移 民 を 優 遇 す る 住 宅 政 策 に 焦 点 を 当 て て 支 持 を 獲 得 、第 2政 党 に の し 上がった。選挙結果を受け、人種差別的な政策を標榜する政党の勢力伸張に対して改 めて懸念の声があがっている。 前述のクルー・ナントウィッチ市で行われた、公選首長選挙実施の是非を問う住民 投 票 は 、 賛 成 60.8% 、 反 対 38.2% で 、 公 選 首 長 制 の 導 入 を 否 決 し た 。 投 票 率 は 35.2% だった。 政府は大敗となった結果を受け、投票日翌日に内閣の大規模改造を行った。 5 イ ン グ ラ ン ド の 2006年 地 方 選 挙 結 果 投 票 率 は 36% 。 2002年 、 2004年 の 投 票 率 は そ れ ぞ れ 33% 、 40%。 自治体数3 政党名 増減 議員数 総数 増減 総数 保守党 +11 68 +317 1,830 労働党 -17 30 -320 1,442 +1 13 +1 907 住民連盟 0 0 -13 35 英 国 国 民 党 ( BNP) 0 0 +27 32 緑の党 0 0 +21 30 リスペクト党 0 0 +13 16 自由党 0 0 -2 8 独立キダーミンスター 0 0 +1 5 0 0 0 3 キリスト教徒連盟 0 0 +2 3 英国独立党 0 0 0 1 その他 0 0 -50 106 +5 65 自由民主党 病院・健康問題党 代替社会主義者党 ( SALT) 多数党なしの自治体数 総 ※ 数 - - 176 -3 ※ 4,418 議 員 定 数 の 総 数 は 、4,421で あ る が 、選 挙 結 果 に つ い て 係 争 中 の も の が 3議 席 あ り 、 そ の た め 、 増 減 欄 が 3議 席 の 減 と な っ て い る 。 (参 照 ) ‘ Local elections 2006’ , p8-9, House of Commons Library May 10 2006; http://www.parliament.uk/commons/lib/research/rp2006/rp06-026.pdf http://news.bbc.co.uk/1/hi/in_depth/uk_politics/2006/election_2006/default.s tm http://en.wikipedia.org/wiki/UK_local_elections%2C_2006 【北アイルランドで自治復活を目指す動き】英国 最近の北アイルランド情勢を受け英国政府は、現在その機能を停止している北アイ 3 多数党の座にあり、支配政党となっている自治体 6 ルランド自治政府による自治復活を目指すことを決定した。政府は現在、アイルラン ド 共 和 国 政 府 と と も に 、 自 治 復 活 に 向 け て の 法 制 定 に 動 い て お り 、 1972 年 に 英 政 府 が 北アイルランドの直轄統治を再開して以来初めて、長期間にわたって自治が復活する 可 能 性 が 出 て い る 。し か し 、ピ ー タ ー・へ イ ン 北 ア イ ル ラ ン ド 相 は 、「 11 月 ま で に 交 渉 がまとまらなければ、自治政府を廃止し、北アイルランドの和平プロセスは事実上、 棚上げとなる」と述べている。この最後通牒により、プロテスタント系、カトリック 系双方の政党が互いに歩み寄り、自治復活に向けて協調することが期待されている。 1920 年 の ア イ ル ラ ン ド 分 割 で 英 領 と し て 残 っ た 北 ア イ ル ラ ン ド で は 、1921 年 に 北 ア イ ル ラ ン ド 議 会 ( Parliament of Northern Ireland ) が 発 足 し た 。 議 会 は 、 選 挙 で 選 ば れ た 52 人 の 議 員 か ら 成 る 下 院 と 、 下 院 に よ っ て 任 命 さ れ た 26 名 の 議 員 か ら 成 る 上 院 で 構 成 さ れ て い た 。 し か し 、 1960 年 代 末 か ら 、 カ ト リ ッ ク と プ ロ テ ス タ ン ト 、 さ ら に 英 軍 も 巻 き 込 ん で 紛 争 が 激 し く な っ た こ と か ら 、同 議 会 は 1972 年 、英 議 会 に よ っ て 機 能 を 停 止 さ れ 、 翌 1973 年 に は 「 1973 年 北 ア イ ル ラ ン ド 憲 法 法 ( Northern Ireland Constitution Act 1973)」 に 基 づ い て 廃 止 さ れ た 。 ブ レ ア 労 働 党 政 権 誕 生 後 の 1998 年 4 月 、北ア イ ル ラ ン ド の 和 平 に 関 す る 包 括 的 な 合 意 文 書 「 聖 金 曜 日 合 意 ( Good Friday Agreement: GFA)」 が 締 結 さ れ 、 同 年 5 月 に は 、 南 北 ア イ ル ラ ン ド の 住 民 に よ る 住 民 投 票 で 可 決 さ れ た 。さ ら に 同 時 期 、「 1998 年 北 ア イ ル ラ ン ド 選 挙 法 ( Northern Ireland (Elections) Act 1998 )」 が 成 立 し た こ と を 受 け 、 108 議 席 か ら 成 る 北 ア イ ル ラ ン ド 議 会 ( Northern Ireland Assembly) が 同 年 7 月 に 最 初の議会を開催した。自治政府の首相にはプロテスタント穏健派、アルスター統一党 のトリンブル党首が、副首相には、カトリック穏健派、社会民主労働党のマロン副党 首 が 選 出 さ れ た 。ア イ ル ラ ン ド 共 和 軍( IRA)4 の 武 装 解 除 に 関 す る 合 意 が 難 航 し 、分 権 作 業 は さ ら に 遅 れ た が 、 1999 年 11 月 29 日 の 議 会 で は 、「 1998 年 北 ア イ ル ラ ン ド 選 挙 法 」 に 従 っ て 、 自 治 政 府 の 大 臣 10 人 が 任 命 さ れ た 。 IRA の 武 装 解 除 は そ の 後 も 順 調 に 進 ま ず 、 つ い に 2000 年 、「 2000 年 北 ア イ ル ラ ン ド 法 ( Northern Ireland Act 2000)」 に よ っ て 、 政 府 の 直 轄 統 治 が 復 活 す る に 至 っ た 。 同法は、北アイルランド議会と北アイルランド自治政府の機能を停止させたほか、自 治復活は国務大臣の命によること、北アイルランドの立法作業は英政府が「枢密院令 ( Orders in Council )」 5 に よ っ て 行 う こ と を 規 定 し た 。 そ の 後 、 同 法 に 従 っ て 2000 年 6 月 に 自 治 が 再 開 さ れ た が 、2002 年 10 月 、IRA に よ る 北 ア イ ル ラ ン ド 議 会 内 で の ス 4 北 ア イ ル ラ ン ド の カ ト リ ッ ク 系 過 激 組 織 。政 治 部 門 は シ ン・フ ェ イ ン 党 。同 党 は 2003 年 の 北 アイルランド議会選挙で、カトリック系の最大政党となった。 5 議 会 の 承 認 な し に 、 枢 密 院 ( Privy Council) の 助 言 に 基 づ い て 国 王 の 名 の 下 に 制 定 さ れ る 法 令。 7 パイ疑惑が浮上したことで再び自治は停止され、現在に至っている。このため北アイ ル ラ ン ド 議 会 は 、 自 治 が 再 開 す る ま で は 、 立 法 機 能 を 行 使 す る こ と が で き な い 。 2003 年 5 月 に 予 定 さ れ て い た 北 ア イ ル ラ ン ド 議 会 選 挙 は 延 期 さ れ 、 同 年 11 月 26 日 に 実 施 されたが、それ以降、議会は召集されていない。しかし、議員は各選挙区での業務を 続 け て お り 、 通 常 の 70% ほ ど の 給 与 が 支 給 さ れ て い る 。 英 国 と ア イ ル ラ ン ド 政 府 は 北 ア イ ル ラ ン ド 自 治 再 開 の た め 尽 力 し た が 、「 聖 金 曜 日 合 意 」に 反 対 す る 政 党 が 和 平 プ ロ セ ス の 進 め 方 に つ い て 合 意 し な か っ た た め 、2004 年 12 月 、両 政 府に よ る 試 み は 挫 折 し た。 2005 年 7 月 の IRA に よ る 正 式 な 武 装 解 除 宣 言 を 受 け 、 過 去 数 か 月 間 、 北 ア イ ル ラ ン ド の 自 治 再 開 を 目 指 す 動 き が 活 発 化 し て お り 、ヘ イ ン 北 ア イ ル ラ ン ド 相 は 2006 年 4 月 、 「 北 ア イ ル ラ ン ド 法 案 ( Northern Ireland Bill)」 を 下 院 に 提 出 し た 。 同 法 案 は 、 北 アイルランドの自治復活を、大臣の選出を経た自治政府形成によると規定している。 2003 年 11 月 の 選 挙 で 選 出 さ れ た 現 在 の 北 ア イ ル ラ ン ド 議 会 は 、自 治 政 府 の 大 臣 選 出 の ために召集されるが、立法権は行使せず、国務大臣が、首相と副首相が選出されたこ と を 確 認 し 、「 2000 年 北 ア イ ル ラ ン ド 法 ( Northern Ireland Act 2000)」 に 従 っ て 指 令 を出して初めて自治が復活することになる。自治政府復活に成功した場合、新自治政 府と北アイルランド議会が態勢を整える間の新たな選挙を避けるため、同法案による 法 律 は 、 そ の 施 行 期 間 が 2008 年 5 月 ま で 1 年 間 延 長 さ れ る 。 議 会 が 2006 年 11 月 25 日までに自治政府のメンバーを選出できなかった場合、議会を解散する権利と、次回 議会選挙を開催するかどうか、また開催する場合の期日を決定する権利が国務大臣に 与えられている。 1960 年 代 後 半 に 始 ま っ た 紛 争 以 降 、 経 済 的 苦 境 に あ え ぐ 北 ア イ ル ラ ン ド で は 、 雇 用 創 出 の た め 公 共 サ ー ビ ス 団 体 の 数 が 増 え 、「 過 剰 統 治 ( overgovernance)」 の 状 態 に 陥 っ て い る 。英 政 府 は 2005 年 11 月 、初 め て「行 政 評 価( Review of Public Administration (RPANI))」の 結 果 を 発 表 し 、北 ア イ ル ラ ン ド の 26 の デ ィ ス ト リ ク ト・カ ウ ン シ ル を よ り 大 規 模 な 7 つ の 地 方 自 治 体 に ま と め 、効 率 性 を 向 上 さ せ る こ と を 提 言 し た 。「 行 政 評 価」は、北アイルランドでの「過剰統治」の問題に対処するため自治政府によって始 め ら れ 、 自 治 政 府 の 機 能 停 止 後 は 北 ア イ ル ラ ン ド 省 ( Northern Ireland Office) が 引 き 継 い だ も の で 、 2006 年 3 月 に も 、 や は り 効 率 性 向 上 の た め 北 ア イ ル ラ ン ド の 行 政 機 関の大幅な規模縮小を提言している。 (参 照 ) http://www.epolitix.com/EN/Institutions/Northern+Ireland/region.htm http://en.wikipedia.org/wiki/Northern_Ireland_Assembly 8 【メクレンブルク・フォアポンメルン州の自治体構造改革】ドイツ 2006年 4月 6日 ( 水 曜 日 ) に メ ク レ ン ブ ル ク ・ フ ォ ア ポ ン メ ル ン 州 の 州 議 会 議 員 は 、 州 行 政 全 体 の 簡 素 化 と 改 革 を 目 的 と す る 州 内 自 治 体 (郡 、 郡 独 立 市 )の 大 型 構 造 改 革 法 案を可決した。自治体の構造改革は、行政の能率と効率を高め、そして州から自治体 への分権を目指している。この目的を達成するために、広域自治体である郡 ( Landkreis)の 統 合 が 含 ま れ て い る 。メ ク レ ン ブ ル ク・フ ォ ア ポ ン メ ル ン 州 に は 現 在 12郡 が あ る が 、 改 革 後 に は 5つ の 郡 に 統 合 さ れ 、 そ の 中 に あ る 6つ の 郡 独 立 市 が 普 通 の 郡属市となる。 メクレンブルク・フォアポンメルン州は、旧東ドイツの地域でバルト海に面する最 も 北 部 の 州 で あ る 。面 積 2万 3,171平 方 キ ロ の 同 州 に は 、176万 人 し か 住 ん で い な い た め 、 人 口 密 度 は 1ヘ ク タ ー ル 当 た り 77人 と 、ド イ ツ で 最 も 低 く な っ て い る 。1990年 の 東 西 ド イツ統一以降、人口は減少傾向にあり、州にとって望ましくない状態が続いるが、人 口増を目指す方法はまだ見つかっていない。そのため、州と州内自治体の組織と行政 をスリム化し行政の効率をあげることは、重要な課題とされている。 4月 初 め に 可 決 さ れ た 法 律 は 、郡 の 数 か ら し て 妥 協 の 結 果 で あ る 。社 会 民 主 党( SPD) と 民 主 社 会 党( PDS)の 連 立 政 権 は 、も と も と 4つ の 郡 の 提 案 を 支 持 し た が 、6つ や そ れ 以 上 の 郡 を 提 案 し た 他 の 意 見 に 配 慮 し 、 5つ の 郡 に た ど り 着 い た 。 し か し 、 5つ の 郡 で も、ドイツの広域州としては非常に大きい郡となる。中には連邦州であるザールラン ド州の3倍の広さを誇る郡も誕生する。このような状況のもと、法律の目的である効 率化や州から自治体への分権を支持する議員、自治体関係者、市民の間にも、その目 的をいかにして達成するかについて議論が続いている。州と自治体の機能改革、つま り分権は、郡の構造改革なしでも実行できるのではないかという意見があらゆる方面 から出されている。しかし州政府は、現在州直轄の機関が担当する機能を自治体に移 譲させるには、十分な能力と規模を持つ自治体が不可欠であり、郡改革は分権の前提 と考えている。 ま た 、現 在 東 ド イ ツ の 州 で は 、西 ド イ ツ の 州 と 比 べ て 、州 と 自 治 体 の 職 員 数 が 多 い 。 メクレンブルク・フォアポンメルン州では、郡においては西ドイツの広域州と比較し て 2,000人 多 く 、 市 町 村 に お い て は 5,000人 多 い と さ れ て い る 。 州 政 府 は 、 過 剰 人 員 を 削減することを目的としているが、自治体の職員は簡単には解雇できないため、何年 に も 渡 る 長 期 的 な 政 策 と な る 。ま た 、州 に お い て も 1万 人 の 職 員 を 削 減 す る こ と が 長 期 間の目標である。その一部は、州機能が郡に委譲される時に、その職務についている 職員も郡に異動することとなり、州の職員統計上は減員となる。しかし、人件費も州 から郡に移転されることとなる。 9 僅 差 で 法 案 は 可 決 さ れ た が 、 37の 賛 成 票 に 対 し 反 対 票 は 33で あ っ た 。 与 党 で あ る 民 主 社 会 党 ( PDS) の 12議 員 の う ち 、 5人 だ け が 賛 成 し た 。 議 決 す る ま で の 議 論 は 夜 遅 く まで続き、議場が入っているシュウエリーン城の前では郡や郡独立市などの代表者か ら な る 約 300人 の デ モ 隊 が 反 対 運 動 を 続 け て い た 。 ま た 、 州 議 会 議 員 選 挙 は 9月 に 予 定 さ れ 、一 番 力 を 持 っ て い る 野 党 の キ リ ス ト 教 民 主 同 盟( CDU)は 構 造 改 革 に 反 対 し て い る た め 、 本 当 に 2009年 ま で に 実 現 さ れ る か ど う か は ま だ は っ き り し て い な い 。 (参照) Government of Mecklenburg-Vorpommern internet pages “ Verwaltungsreform” : http://www.mv-regierung.de/im/verwaltungsreform/start.php http://www.mv-regierung.de/im/verwaltungsreform/_files/_content/pk_verwaltun gsreform.pdf?PHPSESSID=1720b5a8846541187af425bf92a7be50 Norddeutscher Rundfunk internet pages: “ Schweriner Landtag entscheidet über Verwaltungsreform“ : http://www1.ndr.de/ndr_pages_std/0,2570,OID2469550,00.html “ Schweriner Landtag beschließt Verwaltungsreform mit knapper Mehrheit” : http://www1.ndr.de/ndr_pages_std/0,2570,OID2474386_REF_SIX8,00.html 【バイエルン州の開発戦略改訂】ドイツ ドイツ最大の広域州であるバイエルン州は、州の経済と社会的環境をふまえ、さら なる発展の方向を制定する戦略を定期的に発表している。この戦略は「州発展プログ ラ ム 」 と 呼 ば れ 、 30年 前 に 、 初 め て 公 表 さ れ て か ら 定 期 的 に 改 訂 さ れ て い る 。 最 後 に 改 訂 さ れ た の は 2003年 で 、2006年 の 改 訂 は 4月 に 案 と し て 発 表 さ れ 、近 く 州 議 会 で 議 決 される予定である。 2006年 の 「 州 発 展 プ ロ グ ラ ム 」 は 、 戦 略 性 を 高 め 、 よ り 読 み や す い も の を 目 指 し て い る ほ か 、 開 発 の 目 的 と 開 発 の 原 則 を は っ き り 区 別 し て い る 。 2003年 の プ ロ グ ラ ム よ り 約 40% 短 い 文 と な っ た が 、 重 要 な 開 発 目 的 は 存 続 し て お り 、 「 ① 州 内 各 地 域 の 発 展 水準をできるだけ平等に保つ、または必要な地域の状況を改善する、②経済構造やイ ンフラ構造を必要に応じて改善する、③インフラ整備が特に遅れている農村部の発展 を促進するために「優先原則」を導入、④最大都市ミュンヘン市、他の重要都市の機 能と発展に先駆的な役割を果していることを認識し、それを支持する、⑤将来の長期 的発展に向けて、地域計画の役割の重要性を認識し、特に「中核的な役割を果す市町 村・中核市」を発展させ、また水資源、洪水保護地帯と資源保護地帯などの自然資源 に関係する地域を指定・保護する。」という5分野に分類されている。 特に⑤は、市町村の支持を受けている。バイエルン州都市会議は、新発展プログラ 10 ム 案 に つ い て 、意 見 を 述 べ て お り 、そ の 中 で は 、中 核 都 市 と し て 指 定 さ れ て い る 354市 町 村 の う ち 、313市 町 村 は 主 な 都 市 圏 域 外 に 位 置 す る と 指 摘 し て い る 。小 規 模 の 中 核 市 町村は、バイエルン州の重要な発展目的である生活水準の平等性を達成するのに大切 な 役 割 を 果 し て い る た め 、注 目 す べ き と こ ろ で あ る 。ま た 、バ イ エ ル ン 州 都 市 会 議 は 、 議 論 が 分 か れ て い る 大 型 ス ー パ ー の 問 題 に つ い て も 助 言 し て い る 。都 市 会 議 の 意 見 は 、 大型スーパーなど近郊に建設するための許可は、事業ごとに決める必要があるとして いる。過去には、大型店に全面的に反対の市町村代表者も多かったが、最近は少し変 わってきている。例えば、小さな村に食料品や生活用品の店舗が一つも残っていなけ れば、郊外に大型店を建てることは村に障害を与えるおそれが少ないため、許可すべ きである。しかし、店舗がまだある町村は別で、この場合では郊外の大型店舗開発は 抑えるべきであるとしている。 ま た 、バ イ エ ル ン 州 都 市 会 議 は 、州 発 展 プ ロ グ ラ ム は 従 来 通 り 改 訂 さ れ た が 、改 訂 にあたっては根本的に変わった州の経済条件、人口傾向及び社会的変化を調査し、分 析 す る 時 間 が な か っ た こ と を 危 惧 し て い る 。 1976年 に 初 め て 州 発 展 プ ロ グ ラ ム が 策 定 された時には、人口増加と経済成長が当たり前のように考えられたが、大きく変化し た現状に適切に対応するためには、このような徹底的な分析が不可欠であると警告し ている。 (参照) Bayerisches Stastsministerium für Wirtschaft, Infrastruktur, Verkehr und Technologie: “ Entwurf des Landesentwicklungsprogramms 2006” http://www.stmwivt.bayern.de/landesentwicklung/bereiche/instrume/lep06.htm?P HPSESSID=2e823440872de7d44bd1321f8fc94a5b Bayerischer Städtetag: „ Zentrale Orte sind das Rückgrat Bayerns“ http://www.bay-staedtetag.de/ 11
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