オーストラリアの地下住居 南オーストラリア州クーバーペディーへの旅 -1 稲 葉 一 八 -地下住居との出会い- 中国の黄土高原にポッカリと1辺が10mほどの四角い穴が空いている、その大きな穴の縁にお そるおそる近付いて、下をのぞき込むと、深さは6mばかり、穴の中には鶏がいる、人もいる、農 家の庭のようだ。周りの土壁に横穴式に部屋がいくつもあり入り口には板戸が取り付けられ、カー テンがかかっている。 なんと、これは家だったのだ。 つまり、私が立っている地面の下には部屋があり人が住んでいるのだ。 階段を下りて、穴底に出てみると、横穴の1つは寝室、1つは台所、1つは物置と・・・皆そろ っている。 こんな住宅もあるんだ! これが私と地下住居の初めての出会いである。そして、そこに生活する人々の笑顔とともに、私 の心をつかんで離さなくなったのである。 ところが、地下式住居(洞窟住居)を生活の場としているのは、中国だけではなかった。例えば、 スペインのアンダルシア地方のガデックス、チュニジア南部のマトマタ、シェニーニ、トルコのカ ッパドキア、イタリア南部のマテーラなどである。 これらの北半球にある地下式住居のほとんどは数百年以上も前から存在し、昔からの住居形式を 引きずっていて、なかば遺跡化しつつある場合が多く、なんとなく暗いイメージがつきまとう。 では、地下式住居は北半球にしか存在しないのか・・・否! 南半球のオーストラリア大陸にも地下式住居(洞窟住居)があるのです! そして、オーストラリアの地下式住居は少し趣が違うのです。 それは、4万年も前から住んでいる原住民アボリジニの人々の住居ではなく、全く人間を寄せ付 けなかった半砂漠地域、不毛の荒野に、20世紀になってから突然現れ始めたもので、現在でも盛 んにつくられているという。 しかも、住宅だけでなくホテル、教会、商店なども地下につくられているというのだ。 オーストラリアの現代版地下式住居(ダッグアウトと呼ばれている)は、積極的に地下空間を利 用して、そこでの生活を楽しむ明るいイメージなのである。 そして、余りにも厳しい気象条件下では、地上の住宅に住む人と、地中の住宅で生活する人とで はその性格まで違ってきてしまうというのである。 なんとしてもこの目で見てみたい! ぜひとも地下式住居に泊まってみたい! なぜ地上の住宅ではなく、地下に住むのか、それが知りたくてオーストラリア大陸まで出かけてみ た。 1990 年 8 月 〈目 次〉 1 2 3 4 5 6 7 8 -地下住居との出会い- やってきました!! 地下住居の町へ いざオーストラリアへ オパールの採掘穴へ落ちた男の話 地下住居・・・ダッグアウト住宅とは 地中のホテル ウモーナマイン地下モーテル 地下モーテルの寝心地・・気温と湿度 ロビーでの雑談・・老人パワーにびっくり いびきと音 目の前にあらわれたオパールの層 ウモーナのおこり・・・原住民アボリジニ 地中のユースホステル ラデカ夫妻との初対面 これが手掘りのユースホステル 地下にある教会 カトリック地下教会 カタコンベ教会 クロコダイルハリーの地下住居を探し歩く 砂漠の陶芸家ピーター ハリーの地下住居へ クーバーペディーという町 オパールの発見・・・その歴史 クーバーペディーの命名 飲料水の確保が生命線 クーバーペディーの厳しい気候 クーバーペディーで地下住居をつくってみませんか ダッグアウト住宅用地の確保 穴掘り 完成した地下住居はいくら オーストラリア人がみた地下住居(バッグ氏の論文より) 地中住居がつくられる背景 クーバーペディーをアンケート調査地域として選ぶ クーバーペディーの人々は アンケート調査・・・地上の住宅で生活する人と地下住居で生活する人の違い 地上の住宅で生活するとストレスがたまる 地下住宅を選ぶ理由 地下住居のよい点 アンケート調査のまとめ 夢をありがとう 1 やってきました!!地下住居の町へ いざオーストラリアへ 世界地図を広げて日本列島の真下(南)へ目を移すと、日本の約22倍の広さをもつ大陸がある、 それが最近とみに日本との交流が盛んになったオーストラリアである。日本から日本航空かカンタ ス航空の直行便に乗れば赤道を越えてわずか九時間半たらずでシドニーまで行くことが出来る、し かしこの種の飛行機は正規料金のためだいたい料金が高いものである。料金の安い飛行機を使った 我々は、7月23日の朝10時に成田をたって、マニラで飛行機を乗り換え、メルボルンでひと休 み、そしてシドニーのマスコット空港に着いたのは翌日の午前11時過ぎであった。まさに時は金 なりである。しかし、飛行機の乗継ぎの待ち時間にマニラの市内見学をすることになり、マニラ国 際空港の前で少しでも安くと交渉して乗った白タクの運ちゃんにべらぼうに高い料金を支払って しまったハプニングはあったが、まー・・一気に飛んでしまう直行便よりおもしろかった・・・と しておこう。 オーストラリアは9~11月が春、12~2月が夏、3~5月が秋、6~8月が冬であり北へ行 くほど暑くなる。我々が目指す地下住居のあるクバーペディーは、赤道を対称軸として日本を南半 球に移動すると、四国の南端よりまだ南(オース トラリアでは北)に位置している。 シドニーから大陸横断列車インデアンパシフィ オーストラリアは日本の約 22 倍の広さ ック号の旅を約26時間楽しんで、南オーストラ リアの州都アデレードに到着、そしてアデレード の北西約940Kmにある地下住居の町クーバー ペディーを目指して長距離バスに夜8時10分に 乗り込んだ。 がたつく窓に運転手からもらった ガムテープを貼ったが、冷たい隙間風は容赦なく 入り込んでくる。がたつく窓とすきま風を気にし ながらも知らないうちに寝入ってしまった。 翌 朝六時頃、アデレードからクーバーぺディーへ突 っ走る夜行バスの中で目覚める。明るくなった車 窓から見えるのは薄い灰色から薄水色に変わろう としている空と茶色っぽい大平原、それにまっす ぐのびた道路だけである。荒涼とした原野をまっ すぐに走る。広い!広い!何でこんなに広いん だ!前席の熊のようなお尻をした女子学生は、2 人分の座席を堂々と占領してまだ眠りこけている。 この女子学生は、アデレードでバスの乗り場を間 オーストラリアは日本の約22倍の広さ 違えてはいけないと、何度も駅員に確認し、発車 ホームの先頭に並んで待っていた我々がバスが到着したときに、荷物が確実にバスのトランクに積 まれるかと不安そうに眺めているすきに、横からきて、さっさと乗り込んでしまった女子学生グル ープの一人である。ほんとにもー・・・でも、たくましいですねオージーは。 午前7時50分頃、バスはやっとクーバーぺディーに着いた。 バスから下りると西部劇映画の一場面に出てくるような町並みが目の前に広がり、埃っぽい冷気 が顔にかかるのを感じた。この荒野の中に現れた町は地下15~30mにあるオパールを採掘して、 一山当てようという人々が住み着いてできた町である。そのため、町の中心部から少し離れたあち こちに採掘場があり、掘り出された砂がピラミッド型に積まれたままとなっており、採掘のための 直径約二メートルの縦穴が防護柵も何もなく口を開けている。ウロウロしていて落ちたらそれまで だともいわれている・・・・・・・ 気を付けよう。 荒涼とした原野を 真っ直ぐ伸びる道路 西部劇の町並をおもわせる クーパーペディー オパールを採掘するために地中深くから 掘り出された土がピラミッドをつくる オパールの採掘穴へ落ちた男の話 ここクーバーペディーには、採掘抗救助隊というのがある。オパール鉱の穴に落ちた人を助け出 すのを仕事としている。そして、救助隊は人々が穴に落ちないように、危険区域に、『危険! 深 い穴に注意!』と書いた絵入りの看板をあちこちに立てているのである。 ある男が、この立て看板を見て、「ばかばかしい!発見したオパールを盗られないようにするた めの脅しだよ。そんなにあちこちに採掘用の縦抗があるはずがない」と、オパール採掘のために掘 り出した土が積み上げられて、あちこちで白い小山のようになっている近くを挑戦的な態度で歩き 始めたのである。 この男歩き始めて間もなく、突然足が中に浮いたかと思うと、激痛が全身をはしった。深さ二十 メートルの採掘用の縦抗に落ちてしまったのである。目がくらみ、激しい息切れが襲った。しかし、 好運にも彼は生きていたのである。しばらくして、両腕と両足が骨折していることに気が付いた彼 は、大声で叫んだ「助けてくれー!助けてくれー!だれかー!」、やがて縦抗の入り口に頭が現れ、 のぞき込んで言った。「この立て看板を注意して読むべきであったね」、「私もそう思う、しかし 今となっては少し遅いようだ」 「反省したら、自分で登ってこい」、「両足が折れているので出来ないよ」、 「それでは、ロープを降ろしてやるから自分で登ってこい」、「いやそれもだめだ、実は両腕も折 れているのです」 のぞき込んでいた頭は消えてしまった。まもなくして、採掘抗救助隊が到着したのである。苦労 をして注意の立て看板を立てた救助隊員であったが、「どうして注意看板を無視して危険区域に入 ったのですか?」と不満は言わなかった。 隊員の一人が担架のついたウインチを縦抗の底へ降ろし、落ちてうずくまっている男の側まで一 人で降りて行った。折れた手足に応急処置をしたのち、担架に乗せ、穴の底で、釣り上げる担架を 下から支え、無事にけが人が運び上げられるのを見守っていた。助け出された男は半ば気を失って いたという。 一攫千金! オパールを! 危険地区には 「危険!深い穴に 注意!」の看板が立っている ダッグアウト住宅の外観 地下住居・・・ダッグアウト住宅とは 「ダッグアウト」と聞くと、野球の好きな私はすぐにプロ野球の 選手が座っているベンチを思い浮かべるのだが、南オーストラリア 州では、この地方の地下住居のことを「ダッグアウト」と呼んでい るのである。 こんもりと盛り上がった丘の横腹を掘って、堀だし方式で地中に 家をつくることからこの名が付いたのであろう。 クーバーペディーは1915年、金鉱脈探しの父親とやってきた ウイリーハッチソンという少年が最初にオパールを発見したのが きっかけで始まった町である。翌年1916年、オパール採掘者達 が移住し始め、第一次世界大戦後、戦場から多くの軍人がクーバー ペディーにやってきた。その軍人のなかにフランス戦線で何ヵ月も 塹壕生活をしたことのある者が、この地方の暑さを避けるために 『ダックアウトDUGーOUTS』という斬新な地下住居を考えだ し、それが広まったと言われている。 ダッグアウト住宅(オーストラリア の掘り出し式地中住居) この地下住居は、入口(玄関)に大きなひさしがせりだしている ( Sydney A.Baggs et al.:Australian のが特徴でもある。夏、ときたまこの地方を襲う猛烈な砂嵐もこの地下住居なら安心であろうし、 Earth-coverd Buuilding より) 昼中、摂氏四十五度以上にもなるという厳しい自然から身を守るための生活の知恵の一つなのであ ろう。 そして現在では、いろいろと工夫を凝らして、室内の内装も良くなり、夏涼しく、冬暖か い快適な地下空間をつくりだしているのである。 次は→2 地下のホテル
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