ワークショップ「モンゴル語の辞書」 2011 年 2 月 12・13 日 於:東北大学 清代のチベット語・モンゴル語辞典について 松 川 節 はじめに モンゴル語の辞書・語彙集の編纂史は,3 つの大きな流れからなる。ひとつは, 『華夷訳語』, 『満蒙清文鑑』 , 『五体清文鑑』といった,明朝,清朝期の国家翻訳局の編纂による語彙集で, もうひとつは, 『ムカッディマト・アル・アダブ』, 『王の辞書』といった,アラビア語学習用 のアラブ・ペルシア語辞書にモンゴル語の対訳を付したものである。 3 つめがチベット語・モンゴル語対訳形式の仏教語彙集の系譜で,清代 18・19 世紀にモン ゴル語訳仏教文献がさかんに翻訳・出版される際に,訳語決定・統一を目的として編纂され た。本報告では,その全体像を俯瞰してみたい。 1.モンゴル語仏教語彙集の系譜 モンゴル仏教は,モンゴル帝国が建国された 13 世紀に,中国仏教,契丹仏教,西夏仏教, ウイグル仏教など多くの周辺集団の影響を受けて成立したが,モンゴル帝国の官房において ウイグル文字が採用されたことにより,ウイグル語の仏教用語が広くモンゴル語に導入され た。一方,フビライの大元ウルスにおいてはチベット仏教が公認され,大元ウルス宮廷にチ ベット仏教が急速に広まった。14 世紀初頭に僧侶チョイジ・オドセルがモンゴル語に仏教文 献を翻訳し,さらに『ジルヘヌゥ・トルタ』というモンゴル語の文法書を著したとされるが, 辞典・語彙集の類は編纂されるに至らなかったようである。 モンゴルに仏典の翻訳理論が伝わり,仏教語彙集が編まれるのは,史料的に確認できるか ぎり 18 世紀になってからである。当初はチベット語の仏教語彙集にモンゴル語の逐語訳を 付すという形で編纂が開始された。チベット語の語彙集は「ダイグ」 (Tib. rda yig)と総称さ れ,モンゴル語に借用されて「ダイグ」と称され, 「ドヒオニィ・ビチグ」 (Mong. dokiyan-u bičig) と翻訳される。これとは別に,チベット語で「ダグイグ」 (Tib. dag yig)と称される語彙集があ り, 「ダイグ」との違いは詳らかにされていないが, 「ダグイグ」は術語辞典, 「ダイグ」は対訳辞 典あるいは学習辞典とする見解がある【Čoyim-a ba Bürin-e 1992, p.109】。また,それらとは別 に, 「ドゥイミン」 (Tib. btus ming)つまり「集められた語」という意味の,チベット語の著作 ごとの難語をチベット語とモンゴル語の対訳形式で解釈した語彙集が広く利用されており,その 大谷大学文学部, [email protected] 1 多くは写本であったが,アルバイヘールで木版印刷された「十種のドゥイミン」はモンゴル国で 広く流通していたという【Dorǰi 1961, p.87】 。 これらチベット語・モンゴル語対訳辞典の母体となったチベット語の仏教語彙集は,古く 9 世紀の吐蕃時代に訳語決定を目的に編纂されたサンスクリット語・チベット語対訳『翻訳 名義大集』に遡るものである。以下,清朝期のチベット語・モンゴル語対訳語彙集として知 られているものを,成立年代順に列挙する。 (1) 『ネレィン・ダライ』(1718 年) Tib. Ming gi rgya mtsho‟i rgyab gnon dag yig chen po skad kyi rgya mtsho ‟am skyad rgis gsal byed nyi ma chen po zhes bya ba bzhungs so. Mong. Nere-yin dalai-yin darulγ-a yeke daγ-yig üges-ün dalai ba üges-ün ǰüil-i todoraγul-un üiledügči yeke naran kemekü orosibai. 北京木版貝葉本,4 巻(43ff., 221ff., 104ff., 8ff.)。著者 ‟Bro ba rab ‟byams pa Kun dga‟ rgya mtsho については詳細不明。成立年代としては最も古いチベット語・モンゴル語対訳語彙集であ る。ハイシッヒは 1718~1720 年に成立した北京版モンゴル・ガンジョールの編纂と関連すると みる【PLB, p.43】 。PLB 45-48, TOYO 129, StP 818-820, 石濱文庫にもあり。 (2) 『トグバル・ラバ』 (1737 年) Tib. Bod kyi brda yig rtogs par sla ba zhes bya ba bzhungs. Mong. Töbed-ün kelen-i kilbar-iyar surqu neretü bičig orosiba. 北京木版線装本,2 冊 3 巻(174ff., 12ff., 4ff.)。序文(ff.1-23b, チベット語・モンゴル語対照): ジャンジャ・ホトクト・アグワンロブサンチョイダン著,辞書本体(ff.23a-174b, チベット語・ モンゴル語対照) :ゴムボジャブ,ダンジンチョイダル,ロブサンツェリン,アグワンプンチョク, アビダ共著,補遺 1(ff.1-12a, チベット語・モンゴル語対照):ビリギィンダライ,ロブサンチ ョドバ,チョイダンバ,ロブサンダンバ共著,補遺 2(ff.1-4b):著者不詳。 ウスピェンスキーの研究【Успенский 1986】によると, 『トグバル・ラバ』はシュミット がチベット語・ロシア語辞典を 1841 年に刊行した際に利用され,コワレフスキーの『モン ゴル語・ロシア語・フランス語辞典』 (1844 年)においても参照されており【Kowalewski 1844, p.IX】,また,序文の一部分はアベル・レミュザによってモンゴル語原文とフランス語訳の形 で出版されている【Abel-Rémusat 1838, pp.42-61】 。1986 年に北京で出版されたチベット 語・モンゴル語対照『メルゲド・ガルフィン・オロン』の補遺として序文部分が著録されて いる【嘉木様圖布丹・卓日格圖 1986, pp.1435-1519】。刊行年については,「補遺 1」に giyan-lung-un nögöge on(乾隆二年)とあることから,補遺を伴って開板されたのは 1737 年であることが知られる。辞書本体の跋文(f. 174b)に出版者として和碩親王ケンゼ(康熙 帝の第 17 子,允禮,1697-1738)の名が書かれている。PLB 88, TOYO 127, StP 822-824. 2 (3) 『リシの宮殿(丁香帳) 』 (1742 年) Tib. Bod kyi skad las gsar rnying gi brda‟i khyad par ston pa legs par bshad pa li shi‟i gur khang zhes bya ba bzhungs. Mong. Töbed kelen-ü sine qaγučin ayalγus-un ilγal-i üǰügülügči sayin üge-tü liši-yin ordu qarsi kemegdekü orosiba. 北京木版貝葉本,1 巻,26ff. チベット語の原著者は sKyabs ston Rin chen bkra shis, 成 立年は 1536 年? で,9 世紀吐蕃時代のティ・レルパジェン以前の訳語を古語,それ以降の 訳語(すなわち現行のチベット文語)を新語とし,両者の対応関係を列挙したものであった。 配列規則なし。モンゴル語への翻訳者はビリギィンダライら。PLB 100, StP 833-834. (4) 『メルゲド・ガルフィン・オロン』(1742 年) Tib. Dag yig mkhas pa‟i ‟byung gnas zhes bya ba bzhungs so. Mong. Merged γarqu-yin oron neretü toγtaγaγsan dagyig orosiba. 北京木版貝葉本,11 巻, 40ff., 16ff., 89ff., 65ff., 19ff., 20ff., 18ff., 27ff., 20ff., 30ff., 27ff. 仏 教学全般にわたって仏教用語の語義をチベット語・モンゴル語対訳形式で説明したもの。ジ ャンジャ・ホトクト・ロルビドルジがシレートゥ・ロブサンダムビニマの協力を得てチベッ ト語原文を著し,20 人以上の学僧が乾隆六(1741)年~七(1742)年にかけてモンゴル語 に翻訳した。序文に仏教史と仏典翻訳理論を記し,本文は,チベット・モンゴル仏教寺院に て内明を 5 部に分けて学習することに合わせて,「波羅蜜多」,「中道論」 ,「阿毘曇論」,「戒 律」に分類し,さらに, 「密宗」 , 「各派宗義」の章が付され,最後に「因明」の章がくる。続 いて外明として, 「声明」 , 「工巧明」 , 「医方明」の章が来て,最後に「古今音韻」で全 11 章 が完結する。分類辞典であり,配列は上記の項目順。1741 年~49 年にかけて編纂された北 京版モンゴル・ダンジョールの翻訳に際して決定訳語集の役割を果たしたものと思われる。 本書に対する研究は,1968 年にブリヤート版(チベット語・モンゴル語対訳)に基づいてプバ エフとダンダロンによって開始され,最初の二章( 「波羅蜜多」と「中道論」)の部分の著録・ 訳注が公表された【Пубаев и Дандарон 1968】 。1975 年には,ジャンジャ・ホトクト・ロル ビドルジ全集の第 7 巻(ja 帙)に納められるチベット語部分のみの影印テキストがインドのレ ーで刊行されている【C. R. Lama 1975】 。1988 年,全テキストの著録版が北京で出版された 【Jamyantübden ba Joriγtu 1988】 。また,全ての語彙をチベット語・モンゴル語対照のま まチベット語の三十子音順に配列し直して検索の便宜を図り,さらにモンゴル語見出し語も 十二字頭順に配列したインデックスを付した労作が,内モンゴル大学のラシスルンによって 1998 年に二巻本で刊行された【Rasisereng 1998b】。日本においても研究の蓄積が進められ ており,酒井真典による部分訳【酒井 1942】を始めとし,金岡秀郎による一連の研究【金岡 1986, 1987a, 1987b, 2005, 2006, 2007】 ,北村彰秀による研究【北村 2007, 2008, 2009】が ある。PLB 99, TOYO 124, StP 825-827. 3 (5) 『マハーヴュットパティ』 (モンゴル・ダンジョール所収版,1749 年) Skt. Vyutpatti. Mong. Ilγal-i onoγuluγči orosiba. 北京版モンゴル・ダンジョール所収。巻 123, ff.319a-523b. サンスクリット語・モンゴル語対 照で,サンスクリット語の部分はモンゴル文字で音写される(チベット語訳は含まれていない)。 原典は 9 世紀にチベットで成立したサンスクリット語・チベット語対訳語彙集であり,配列は項 目順で,約 9,500 の語彙を含む。 『マハーヴュットパティ』の原典と校訂出版の歴史については,石濱・福田による校訂本の解 題【Ishihama and Fukuda 1989, pp.14-19】に詳しい。注目すべきは, 『マハーヴュットパティ』 「レニングラード写本」 【Lokesh Chandra 1981】の存在であり,これはサンスクリット,チベ ット,モンゴル,漢の四体合璧である。モンゴル語テキストはダンジョール本とレニングラード 写本とで相互に異なることが報告されており,石濱・福田の校訂本では双方が収録されている。 なお,モンゴル語のアルファベット配列の索引が福田・石濱によって 2002 年に刊行された【福 田 2002】 。 また,ハンガリーのシャルコージは,つとにモンゴル語訳『マハーヴュットパティ』に注目し ており【Sárközi 1982】 ,1995 年に英語訳付きの校訂テキストを公刊した【Sárközi 1995】 。こ れにもモンゴル語のアルファベット配列の索引が付されている。この他,ラシスルンによる校訂 テキストが刊行されており,これは,全ての語彙をモンゴル語・漢語・サンスクリット語・チ ベット語対照のままモンゴル語の十二字頭順に配列し,別にチベット語の三十子音順に配列 したインデックスを付した労作である【Rasisereng 1998a】 。 なお,『マハーヴュットパティ』の抄本とみられるものがあり,サンスクリット・チベット・ モンゴル三体のもの【Schiefner 1859】 ,さらに漢文が加わった四体のもの【Raghu Vira 1961】 が知られている。前者は金岡の研究がある【金岡 1988, 1989】 。StP 97. (6) 『サラニィ・ゲレル』 Tib. brDa yig ming don gsal bar byed pa‟i zla ‟od snang zhes bya ba bzhugs so Mong. Ner-e udq-a-yi tododqaγči saran-u gegen gerel kemegdekü dokiyan-u bičig orosibai. 北京木版貝葉本,1 巻, 139ff. 著者はアルシャーのアグワンダンダルで 1838 年の著。跋文 によると,ゴムボジャブの『トグバル・ラバ』はやや簡略にすぎるため,最近イフ・フレーで 刊行された Eriküi-e kilbar という詳細なダイグから必要なものを取り入れて編纂したという。配 列はチベット語の三十子音順。 1993 年にウランバートルで著録影印本が出版されている 【Мягмарсүрэн ба Тэрбиш 1993】 。PLB 210, TOYO 131-133, StP 828-829, 石濱文庫にもあり。 (7) 『イフフレー・ダイグ』 Tib. Bod hor kyi brda yig ming tshig don gsum gsal byed bzhugs. Mong. Töbed mongγol dokiyan-u bičig ner-e üge udq-a γurban-i tododqaγči orošiba. 4 ブリヤート僧ダグワドルジ(ギルディバザル)著。別名 Ordon-u dayiγ(宮殿のダイグ) 。 アギンスキー・ダツァンの木版貝葉本。565 ff. 配列はチベット語の三十子音順。StP 830. (8) 『イシドルジの辞典』 Tib. Bod skad kyi brda‟ gsar rnying dka‟ ba sog skad du kā li sum cu‟i rim pas gtan la pheb pa‟i brda‟ yig mkhas pa rgyam tsho blo gsal mgul rgyan ces bya ba bzhugs so. (Mong. Merged-ün dalai kemekü töbed mongγol dokiyan-u bičig.) 1959 年にウランバートルで著録・刊行された【Rintchen 1959a】 。リンチェンの序文によると, イシドルジ Ye shes rdo rje は 19 世紀の人。ロシア紙に書かれた写本がゴビアルタイ県ジャルガ ラント郷第 6 バグからもたらされた。著者はモンゴル文字を知らなかったため,モンゴル語の部 分もチベット文字で書いた。西モンゴルの方言がみられる。配列はチベット語の三十子音順。付 録としてチベット語の三十子音順のモンゴル語索引あり。 (9) 『スマティラトナの辞典』 Tib. Bod hor kyi brda yig ming tshig don gsum gsal byed bzhugs. Mong. Töbed mongγol dokiyan-u bičig ner-e üge udq-a γurban-i todoraγulun qarangγui-yi arulγaγaγči ǰula orošibai. 1959 年にウランバートルで著録・刊行された【Rintchen 1959b】 。ブリヤートのロブサンリン チェンが 1877 年,57 歳のときに著した。 参考文献 Abel-Rémusat, M., “Notice sur le dictionnaire intitulé miroir des langues mandchoue et mongole,” Notices et extraits des manuscrits de la bibliothéque du roi et autres bibliothéques, tome XIII, 1re partie, 1838, pp.1-125. C. R. Lama (ed.), Dag yig mkhas pa‟i ‟byung gnas, 1975, Leh. (Smanrtsis Shesrig Spendzod 59) Čoyim-a, Si. ba Tu. Bürin-e, Töbed kele bičig-tür surulčaqu debter, 1992, Ulaγanbaγatur. 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