兼ふしだらな女

三段目
すしやの段
すし
※
つるべ
春は来ねども花咲かす、娘が漬けた鮓 ならば、
※
なれがよかろと買ひに来る
しもいち
や ざ え も ん
風味もよし野下市に売り広めたる所の名物、釣瓶
ずし
※
まだ春はやって来
な い が、 今 が 花 の 盛 り
1
三段目 すしやの段
の 娘 が 漬 け た 鮓 な ら、
材 料 が 混 ざ り 合 い、 熟
成する加減がきっと良
い に 違 い な い。 男 女 の
親 密 な 間 柄 の「 馴 れ 」
風味もよく、吉野下
と「熟れ」を掛ける。
※
市の名物。
「風味もよし」
娘のお里は、片袖を
と「吉野」を掛ける。
※
か ら げ た 片 襷、 前 掛 け
まえだれ
儀がはや漬に、娘お里が片襷、裾に前垂ほや〳〵
(男女の仲は)ぐっ
りだ。
似 つ か わ し く、 ぴ っ た
釣 瓶 鮓 と は、 い か に も
まい)の振り袖姿の娘。
が、女性として盛り(う
に鮎の鮓を漬け込むの
だ が、 そ れ と 同 じ よ う
と馴れあっていくもの
き ) し め て、 じ っ く り
と押さえ込んで強く(抱
※
姿も愛敬たっぷりでか
わいらしく。
にわか
4
※
うまい盛りの振袖が、釣瓶鮓とはものらしゝ
しめき
締木に栓を打ち込んで桶片付けて
しゆうげ ん
とと さ ん
やすけ
めあわ
迎ひにやろにも人はなし﹂
と噂半ばへ
が、もう戻らるゝでござんしよ﹂
込の桶が足るまいと明桶取りに往かれました
あき
﹁サイナ折悪う弥助殿も方々から鮓の誂 へ、仕
あつら
所から親父殿を呼びに来て思はぬ隙入り。もう
ひま
やるは、其方と娶す兼ねての心。今日は俄に役
そなた
り、主は弥左衛門と改めて内の事任せて置かし
ぬし
戻つて、気も心も知ると弥助といふわが名を譲
ぞ。器量のよいを見込みに熊野参りから連れて
﹁ヲヽあの言やることはいの。なんの嘘であろ
いは嘘かいなア﹂
女夫になれと仰つたが、日が暮れてもお帰りな
みようと
の晩には内の弥助と祝言さす程に、世間晴れて
かか さ ん
※
と愛に愛持つ鮎の鮓、押さへてしめてなれさする、
だすき
鮓屋の弥左衛門、留守の内にも商売に抜け目も内
※
1
2
3
※
﹁申し母様、昨日父様の言はしやるには、明日
※
※
にな
やさ
だ て
あつびん かむり
明桶荷ひ戻る男のとりなりも、利口で伊達で色も
※
※
※
鮓の明き桶を荷っ
て 戻 る 使 用 人 の 男 は、
身 の こ な し、 利 発 さ、
好 み も し ゃ れ て い て、
姿 も 心 も す ぐ れ た、 な
よ や か な 優 雅 な 男。 娘
好 み の、 ま じ め で 古 風
な 様 子 は、 使 用 人 の 男
な が ら も、 公 家 の よ う
に冠を着けさせても不
いろいろ推測し、邪
似合ではない。
※
さすがに(熟れ)鮓
推して心配した。
※
屋の娘だけあって、
(男
女の仲のことも)早熟
で、 す で に 馴 れ あ っ て
いるようだ。
こ の 吉 野 郷 は、 天
川 弁 財 天 を 信 仰 し、 夫
※
弁財天の教へによつて夫を神とも仏とも戴いて
りんき
を神様や仏様と同様に
おきて ※
そん
つる
いよとある天女の掟。その代り程悋気も深い。
※
また有様は親の孫、瓜の蔓にではござらぬ﹂
と言ひくろむれば
※
※
殿付けをなされて、さりとては気の毒。やつぱ
せぬ。さりながらとかくお前には弥助殿〳〵と
なお娘御まで下され、お礼の申し様もござりま
﹁ こ れ は マ ア 却 つ て 迷 惑。 段 々 お 世 話 の 上 大 切
※
ゆる
﹁イヤ〳〵それは赦して下され﹂
﹁ソリヤ又なぜでござります﹂
﹁さればいの。弥助といふ名はこれまで連れ合
にく
ひの呼び名。殿付けせずにどうせいかうせいと
もつたい
は勿体なうて言ひ難い。言ひ馴れた通り、殿付
けさして下され﹂
嫉妬心も深いので
親からの遺伝でしょ
これはかえって当
これはなんとも心
苦しいことです。
※
惑いたします。
※
の場をとりつくろって。
の で す よ。 と う ま く そ
た嫉妬深い娘ができた
ん。 嫉 妬 深 い 母 親 に 似
なったのではありませ
う か。 瓜 の 蔓 に 茄 子 が
※
すよ。
※
掟があります。
敬って大切にせよとの
※
﹁弥助殿、気にかけて下さんな。この吉野郷は
1
5
※
※
り弥助どうせいかうせい、とお心安う、ナ申し﹂
※
6
7
8
※
2
三段目 すしやの段
香も知る人ぞ知る優男、娘が好いた厚鬢に冠着せ
ても憎からず
い馴れとぞ見えにける
と女房顔して言ふて見る、さすが鮓屋の娘とて早
じた ﹂
※
た。もしやどこぞへ寄つてかと、気が廻つた案
﹁アレ弥助様の戻らんした。待ち兼ねた遅かつ
内へ入る間も待ち兼ねて、お里は嬉しく
※
母はにこ〳〵笑ひを含み
※
2
3
4
※
※
ごんた
※
おつごえ
※
と、げに夫をば大切に思ふ掟を幸ひに、娘へこれ
を聞けがしの母の慈悲とぞ聞こえける
そうりよう
お里弥助は明桶を板間へ並べてゐる所へ
や
※
※
この家の惣領いがみの権太、門口より乙声で
ははじやひと
﹁母者人〳〵﹂
い
と言ひつゝ入れば
びつくり
お里は吃驚
あにさ ん
﹁又兄様か、ようお出で﹂
と揉み手する
つら
﹁エヽきよと〳〵しい、その面 なんぢやい。よ
う来たが吃驚か。わりやアノ弥助とへヽうまい
※
事してゐるさうなが、コリヤ弥助もよう聞け。
※
い
今追ひ出されてゐても、釜の下の灰までおれが
※
物ぢや。今日親父の毛虫が役所へ往たと聞いた
によつてちと母者人に言ふ事があつて来た。二
※
人ながら奥へ失せう﹂
と睨み廻されうぢ〳〵と
※
﹁これに﹂
※
しようこ
と言ふて立つ弥助、娘も後に引つ添ふて、一間へ
こそは入りにけれ
後に母親溜息つき
わんばくもの
※
い腕 白者、そのおのれが心から嫁子があつても
※
るげなが、互ひに知らねば摺れ合ふても嫁
あきめくら まなこ
しゆうとめ
姑
※
※
娘よよく聞いてお
き な さ い よ、 と い わ ぬ
ばかりの母親の言葉は、
母から娘へのいつくし
鮓屋弥左衛門家の
みの心だと思われる。
※
低くすごみのある
長男。
※
声。
※
親愛の情をこめて
いかにもどぎまぎ
母 を 呼 ぶ 語。 お か あ さ
ん。
※
し た よ う す の、 そ の 顔
お前はあの使用人
つきはなにごとじゃ。
※
の弥助と親密な関係だ
家の中のものあま
そうだが。
※
す と こ ろ な く 全 部、 お
いやな、うるさい父
れの物だ。
※
親。
※
奥の間へさっさと
どうぞごゆっくり。
行け。
※
※
金品をねだりに来た
自分の心がけが原
のか。
※
この家に寄り付か
因で、自分の心ゆえに。
※
互いに知らないの
せることもできない。
※
で、 す れ 違 っ て も わ か
ら ず、 互 い に 目 が 合 っ
た と し て も、 見 え て い
な い の と 同 然 で、 世 間
の 人 に は 愚 か に 見 え、
そ し ら れ る の が、 恥 ず
かしい。
3
三段目 すしやの段
1
2
3
4
5
6
7
8
9
※
※
※
の明 盲、眼 潰 れ と 人々に 言 は れ る が面 目 ない。
※※
11 10
※
※
﹁コリヤ又留守を考え無心に来たか。性懲りもな
※※
12
※
※
足踏み一つさす事ならぬ。聞きやこの村へ来てゐ
※※
13
※
※※
14
※
※※
エヽ不孝者め﹂
と目に角を立て、変つたる機嫌に
※
※
ぐんにやり、直ぐではいかぬといがみの権、思案
しかへて
※
※
※
怒った目つきで鋭
く見る母親の機嫌がい
力や気力が抜けて
つもとは違っているの
で。
※
しまったかのようにぐ
に ゃ り と し て、 通 り 一
遍ではいかないな。
どうぞお元気で。
※
放 っ て お け ず、 細
他人の物について
広袖を袋のように
しい。
まで届かない舌が恨め
鼻 が 邪 魔 に な っ て、 目
せ か け よ う と す る が、
目に唾をつけて涙と見
都 合 よ く 涙 は で な い。
泣 こ う と す る が、 そ う
当ててしゃくりあげて
縫 い 付 け た 袖 を、 顔 に
※
んが。
いたことはございませ
と で も、 不 正 を は た ら
は、 ど ん な わ ず か な こ
※
が騙されるきっかけだ。
か く 問 た だ す の は、 親
※
ると。
しょんぼりしてみせ
※
3
4
三段目 すしやの段
1
2
4
﹁申し母者人。今晩参つたは無心ではござりま
いとまごい
せぬ。お暇乞に参りました﹂
﹁ソリヤ何で﹂
※
﹁私は遠い所へ参ります程に、親父様もお前に
まめ
※
も、随分お健で〳〵﹂
と、しほれかければ
母は驚き
に行く﹂
と根問ひは親の騙され小口
﹁サアしてやつた﹂
と目をしばたゝき
か た し いが
ぬすびと
孝の罰か、夜前私は大盗人に遭ひました﹂
﹁ヒヤア﹂
がね
﹁ そ の 中 に 代 官 所 へ 上 げ る 年 貢 銀、 三 貫 目 と い
ふもの盗み取られ、言訳もなく仕様もなく、お
※
仕置に合はうよりはと、覚悟極めてをりまする。
情ない目に遭ひました﹂
と、かます袖をば顔に当て、しやくり上げても出
ぬ涙、鼻が邪魔して目の縁へ届かぬ舌ぞ恨めしき
※
5
※
に人の物、箸片端歪んだ事も致しませぬに、不
※
6
※
﹁遠い所とはそりやどこへ、どうした訳で何し
※
﹁親の物は子の物とお前へこそ無心申せ、つひ
※
7
※
す
甘い中にも分けて母親、誠と思ひ共に目を摺り
おうどう
※
かた
※
鬼も内心は正直な
も の だ。 悪 者 の 権 太 に
も素直な心があるもの
だ。
※
遺産分配。
※
きせるの先の煙草
※
親子がうまくごま
ている、その時。
かして処理しようとし
※
すいやつだ。
甘いやつだ。騙しや
※
うまくごまかして。
を詰める金属部分。
※
にかける。
い 鍵。 母 親 の「 甘 さ 」
よく締まっていな
きっぱり。
※
2
﹁鬼神に横道なしと年貢の銀を盗まれ、死なう
と覚悟はまだ出かした。災難に遭ふも親の罰、
コリヤよう思ひ知れよ﹂
※
3
5
三段目 すしやの段
1
4
5
6
﹁アイ〳〵思ひ知つてはをりますけれど、どう
がんくび
と仕馴れたる、おのが手業を教ゆる不孝
親はわが子が可愛さに地獄の種の三貫目、後をく
※
﹁何ぞに包んでやりたいが﹂
と限りない程甘い親
※
﹁うまいわろぢや﹂
といがみの権、
鮓の明桶よい入れ物﹃これへ〳〵﹄
こがね
い
と親子して、銀を漬けたる黄金鮓、蓋閉め栓締め
※
きず
﹁サアよいは、これで目立たぬ提げて去ね﹂
ぐあい
と親子が工合の最中へ
として門口を
苦い父親弥左衛門これも疵持つ足の裏、あたふた
※
7
で死なねばなりますまい﹂
﹁コリヤヤイ﹂
﹁アイ〳〵﹂
ゆえ
﹁常のおのれが性根故、これも衒りか知らねど
※
※
も、しやうぶ分けにと思ふた銀、親父殿に隠し
※
と、そろ〳〵戸棚へ子の蔭で、親も盗みをする母
てやろ。これでほつとり根性直せ﹂
※
﹁エヽつひ雁首で、こち〳〵がよござりまする﹂
※
※
8
※
※
の、甘い錠さへ明け兼ねる
※
ろめて持つて出で
※
﹁戻つた明けい﹂
と、うち叩く
※
﹁南無三、親父﹂
てんどう
と内には転倒うろたへ廻り
なにとぞ
これもり
※
しもべ
※
※
今宵祝言と申すも心は娘を御宮仕へ。弥助〳〵
しまった。
※
家へ戻って来た時
(弥助を)上位の座
し。
額から頭上にかけ
今 宵、 娘 お 里 と 祝
御奉公にあげるつもり
わりのお世話をさせる
本 心 は、 娘 を お 身 の ま
言を挙げるというのも、
※
多いことでした。
※
あまりにもおそれ
せかけることをお勧め
て 髪 を 剃 り、 町 人 に 見
※
手をついて。
席に導き、座を改めて、
※
の機嫌が悪く。
※
て、うろたえまわり。
落ち着きをなくし
※
1
なのです。
6
三段目 すしやの段
2
3
4
5
﹁その桶を、こゝへ〳〵﹂
と明桶と共に並べて親子はひそ〳〵、奥と口とへ
引き別れ息を詰めてぞ入りにける
﹁エヽなぜ明けぬ〳〵﹂
しき
と、頻りに叩けば
奥より弥助、走り出でて戸を明くる
※
内入り悪く辺りを見廻し
﹁エヽコリヤ又どいつも寝てをるか。言ひ付け
た鮓どもは仕込んであるか﹂
と鮓桶を、下げたり明けたりがつたがた
しようざ
﹁ム、コリヤ思ふ程仕事が出来ぬ。女房共やお
里めは何してをるぞ﹂
﹁アヽイヤ只今奥へ呼びましよ﹂
と行く弥助をば
とど
※
だ い ふ しげもり
引き止め、内外見廻し表を閉め、上座へ直し手を
つかへ
それがし
さかやき
某 、何卒御子維盛卿の御行方をと思ふ折から
※
供申したれども、人目を憚り下部の奉公。余り
はばか
熊野浦にて出で合ひ、御月代を勧めこの家へお
※
※
6
※
と申せば勿体なさ。女房ばかりに子細を語り、
※
7
※
※
﹁君の親御小松の内府重盛公の御恩を請けたる
※
いや
えんぎ
と賤しきわが名をお譲り申したも、いよ〳〵助
もんじ
かじわらへいぞうかげとき
く る と い ふ 文 字 の 縁 起。 人 は 知 ら じ と 存 ぜ し
の
※
からす
さぎ
に、今日鎌倉より梶原平三景時来たつて、維盛
かくま
じやち
卿を匿へあると退つ引きさせぬ詮議。烏を鷺と
※
言ひ抜けては帰れども、邪智深い梶原、もしや
吟味に参ろも知れずと、心工みは致して置けど
※
も、サア油断は怪我の元、明日からでもわが隠
かみいち
居上市村へお越しあれ﹂
と申し上ぐれば
維盛卿
※
﹁父重盛の厚恩を請けたる者は幾万人、数限り
よ
もろこし い お う ざ ん
なきその中に、おことが様な者あらうか。昔は
ご
如何なる者なるぞ﹂
と尋ね給へば
しどうきん
ふね
へ祠堂金お渡しなさるゝ時、音戸の瀬戸にて船
※
乗り据ゑ、三千両の金分け取りに致した船頭。
とが
盛様﹃日本の金、唐土へ渡す我こそは日の本の
やまが
※
盗賊﹄と御身の上を悔み給ひ、重ねて何の咎め
いとま
も な く お 暇 を 下 さ れ こ の 山 家 へ 参 つ て 鮓 商 売。
※
今日を安楽に暮せども、親の悪事が子に報ひ、
せがれ
※
倅 権太郎めが盗み衒り。人に言はねど心では
ざんげ
お恥かしうござります﹂
思ひ知つたる身の懺悔。
と語るにつけて維盛も栄華の昔父の事、思ひ出さ
れ御膝に落つる涙ぞ痛はしき
※
理を非に、非を理に
言 い く る め て。 黒 を 白
と い う。 不 合 理 を 押 し
通して。
悪知恵が働く。
※
※
あ り が た い こ と に、
日々を安楽に暮ら
自分の悪事の報い
懺悔いたします。
だ と、 後 悔 し、 こ こ に
※
事を働いております。
て 金 品 を 取 っ た り、 悪
み を し た り、 人 を 騙 し
て、 息 子 の 権 太 郎 が 盗
犯した悪事が子に報い
し て お り ま す が、 私 の
※
ました。
山家で鮓の商売を始め
暇 を い た だ い て、 こ の
と が め も な く、 私 は お
な さ り、 私 の は 何 の お
分をお責めになり後悔
分 こ そ 盗 賊 だ、 と ご 自
中国へ渡そうとする自
重 盛 様 は、 日 本 の 金 を
※
た船頭でございます。
三 千 両 を、 山 分 け に し
戸 で 船 を 止 め、 祠 堂 金
り に な る 時、 音 戸 の 瀬
に 寄 進 す る 金 を、 お 送
建 築・ 修 理 な ど の た め
山 へ、 先 祖 供 養 や 寺 の
重 盛 卿 が、 中 国 の 育 王
私は、
平家全盛の時、
※
そなた。
なります。
わいをもたらす原因と
け れ ど、 油 断 は、 わ ざ
ぐらしてはおきました
心の中で工夫をめ
※
2
4
7
三段目 すしやの段
1
3
5
6
※
﹁ハヽ私めは平家御代盛りの折から唐土育王山
※
御詮議あらば忽ち命を取られんに、有難いは重
※
※
7
※
※
※
8
※
※
娘お里は今宵待つ、月の桂の殿まうけ、寝道具抱
せ
わな
※
コレ二世も三世も固めの枕、二つ並べた、こち
※
や寝よ﹂
うたたね
と先にころりと転寝は、恋の罠とぞ見えにけり
維盛枕に寄り添ひ給ひ
﹁これまでこそ仮の情け、夫婦となれば二世の
それがし
縁。結ぶに辛き一つの言訳。何を隠さう某は国
まみ
に残せし妻子あり、貞女両夫に見えずの掟は夫
※
※
る。
月の世界に住んで
まあなんと物わか
ねえねえ、じれった
何をうぶな、何を心
現世も来世も、前世
貞 操 堅 固 な 女 性 は、
そ の 掟 は、 夫 の 身 と し
二 人 の 夫 を 持 た な い。
※
もう寝てしまいますよ。
並 べ ま し た の よ、 私 は
す る 契 り の 枕 を、 二 つ
の固い結びつきを約束
も 現 世 も 来 世 も、 夫 婦
※
配なさっているの。
※
い。
※
しょう。
存 分、 派 手 に い た し ま
こ ち ら は、 こ こ で 思 う
事 の た と え ) で も …。
せんから、お餅つき(情
そんなお年でもありま
せん。お父さんもまだ、
近くに他の家はありま
れ 座 敷 へ 行 か れ る と、
り の よ い お 父 さ ん。 離
※
ろう。
りさっぱりして気楽だ
部屋で変に気を使うよ
我ら夫婦としても近い
ま た、 も う 色 気 の な い
いうことになるだろう。
婦にはありがたい親と
い る の が、 新 婚 の 若 夫
※
離れ座敷に行って
待 っ た 今 宵、 夫 に 迎 え
よ う な 弥 助 を、 待 ち に
い る と い う、 美 男 子 の
1
ても同じこと。
8
三段目 すしやの段
へ立ち出づれば
主は﹃ハツ﹄と泣く目を隠し
﹁コリヤ弥助、今言ひ聞かした通り上市村へ行
く事を必ず〳〵忘れまいぞ。今宵はお里とこゝ
かか
あも つ
にゆるり。嬶とおれとは離れ座敷、遠いが花の
※
香がなうて気楽にあらう﹂
と打ち笑ひ、奥へ行くのも
娘は嬉しく
すい
てんじよ
せうとホヽをかし、こちらはこゝに天井抜け、
※
寝て花やろ﹂
と蒲団敷く
維盛卿はつく〴〵と身の上または都の空、若葉の
ないし
※
内侍や若君の事のみ思ひ出されて、心も済まず気
しお
も浮かず、打ち萎れ給ひしを
思はせぶりとお里は立ち寄り
しんき
※
2
※
﹁テモ粋な父様、離れ座敷は隣知らず、餅搗き
※
﹁ コ レ イ ナ 〳〵 ヲ ヽ 辛 気。 何 初 心 な 案 じ て ぞ。
※
3
4
5
6
※
も同じ事。二世の固めは赦して﹂
※
7
※
ちやくし
※
と、さすが小松の嫡子とて解けたやうでもどこや
らに、親御の気風残りける
かた
神ならず仏ならねばそれぞとも知らぬ道をば行き
※
迷 ふ。 若 葉 の 内 侍 は 若 君 を 宿 あ る 方 へ 預 け 置 き
ておい
﹃ 手 負 の こ と も 頼 ま ん ﹄ と 思 ひ よ る 身 も 縁 の 端。
この家を見かけ戸を打ち叩き
※
※
﹁この内は鮓商売、宿屋ではござらぬ﹂
あいそ
おさな
※
さ す が に 小 松( 内
府)重盛卿の嫡子だけ
あ っ て、 柔 ら か く う ち
と け て い る よ う で も、
ど こ か に、 親 の 重 盛 卿
の堅くまじめな気質が
神でもなければ仏
残っていた。
※
で も な い 人 の 身 で は、
そんなことが待ち受け
ているとも知らないで、
道に迷いながらやって
※
一晩宿をお貸しく
ちょうどよく、場を
めくださいませ。
※
立ち去る機会だと。
扉。
※
たりのよい感じとなり。
応 対 し た こ と が、 人 当
冷 た く 応 対 し た が、
※
5
と愛想のないが愛想となり
一夜﹂
と宣ふにぞ
﹃断り言ふて帰さん﹄と戸を押し開き月影に、見
さ
れば内侍と六代君、﹃ハツ﹄と戸を鎖し内の様子、
いぶか
娘の手前も訝しく、そろ〳〵立ち寄り見給へば
てい
なりかたち
早くも結ぶ夢の体、表に内侍は不思議の思ひ
つま
﹁ 今 の は ど う や ら わ が 夫 に 似 た と 思 へ ど 形 容、
しもおのこ
つむりも青き下男、よもや﹂
と思ひ給ふ内
戸を押し開いて維盛卿
﹁若葉の内侍か、六代か﹂
と宣ふ声に
つま
﹁ヒヤアさてはわが夫﹂
ととさま
﹁父様か﹂
3
4
6
の
来て。
﹁一夜の宿﹂
1
と乞ひ給へば
とぼそ
※
※
﹁イヤコレ申し、稚きを連れた旅の女、是非に
※
9
三段目 すしやの段
※
だ さ い ま せ。 一 晩 お 泊
※
※
維盛はよい退きしほと表の方、叩く枢に声を寄せ
※
2
※
ことば
﹁なうなつかしや﹂
すが
と取り縋り、詞はなくて三人は泣くより他の事ぞ
なき
﹁まづ〳〵内へ﹂
と密かに伴ひ
※
﹁今宵は取り分け都の事、思ひ暮してゐたりし
そくさい
が、親子共に息災で不思議の対面、さりながら
やしま
いくさ
10
健康で、無事で。
※
その頭髪はどうな
※
若い女性が眠りに
さいました。
。
※
落ちたばかりのようす、
そ の 上、 枕 も ふ た つ 並
ん で い る。 き っ と 添 い
寝の侍女か側女なので
こ の よ う な、 ゆ っ
しょう。
※
たりとゆとりのあるお
暮しを送っておられる
すのに。
ださってもよいはずで
い出しになって、ちょっ
な ら、 都 の こ と も お 思
はるばる
ま
某この家にゐる事を、誰が知らせしぞ殊に又、
た
1
としたお便りもしてく
と尋ね給へば
若葉の君
す
が
﹁都でお別れ申してより須磨や八島の軍を案じ、
さ
一門残らず討ち死にと聞く悲しさも嵯 峨の奥、
こうや
泣いてばつかり暮らせしに、高野とやらんにお
はするといふ者のある故に、小金吾召し連れお
行方を心ざす道追つ手に出合ひ、可愛や金吾は
めぐ
深手の別れ、頼みも力もない中に廻り逢ふたは
さんみ
※
嬉しいが、
三位中将維盛様がこのお姿は何事ぞ。
※
※
※
ら、都の事も思し召し風の便りもあるべきに、
おぼ
めてお伽の人ならん。かくゆるかしきお暮しな
とぎ
﹁若い女中の寝入り端、殊に枕も二つあり、定
ばな
涙の内にも若葉の君、伏したる娘に目を付け給ひ
沈みてぞおはします
面目なさに維盛も、額に手を当て袖を当て、伏し
めんぼく
と取り付いて、咽び絶え入り給ふにぞ
むせ
袖のないこの羽織に、コレこのおつむりは﹂
※
三段目 すしやの段
2
3
4
遙々の旅の空、供連れぬも心得ず﹂
※
※
※
打ち捨て給ふは胴欲﹂
と恨み給へば
﹁ホヽそれも心にかゝりしかど文の落ち散る恐
※
れあり。わけてこの家の弥左衛門、父重盛への
※
恩報じと、我を助けてこれまでに重々厚き夫婦
ちぎ
※
かえ
あだ
つれなく言はゞ過ちあらん。反つて恩が仇なり
※
11
都に捨ておかれる
の は、 無 慈 悲 な お 扱 い
それも気がかりだっ
です。
※
た け れ ど、 手 紙 は 他 人
とりわけ、この家の
の手に渡る恐れもある。
※
主 弥 左 衛 門 は、 父 重 盛
何かお礼になるこ
の恩に報いるためにと。
※
と は な い か、 と 思 っ て
い る と こ ろ、 娘 お 里 の
好 意 に 気 づ い た。 薄 情
そうなると、かえっ
娘の恋心に応えた
ふしだらな女、憎ら
美男の少ないこの
と恋心をいだきました。
可 愛 ら し い、 い と し い
く知らず、浅はかにも、
り、 維 盛 様 と は ま っ た
うなお方がおいでにな
田 舎 へ、 絵 に 描 い た よ
※
開きをいたします。
なられることへの申し
し い や つ と、 お 思 い に
※
い訳だと考えている。
い う こ と が、 妻 へ の 言
弥助としての関係だと
の義理からで、仮の姿、
の も、 弥 左 衛 門 夫 婦 へ
※
も漏らしてしまうもの。
嫉妬心から大切なこと
関 係 を 結 ん だ が、 女 は
た 末 に、 仮 初 の 男 女 の
な り か ね な い、 と 考 え
て恩を仇で返すことに
※
に扱えば間違いが起こ
と仮の契りは結べども、女は嫉妬に大事も洩ら
くちどめ
るかもしれない。
※
※
さず、仇な枕も親共へ義理にこれまで契りし﹂
と語り給へば
こた
伏したる娘、堪へ兼ねしか声上げて﹃わつ﹄とば
かりに泣き出だす
﹁こはなに故﹂
と驚く内侍、若君引き連れ逃げ退かんとし給へば
5
6
7
﹁なうコレお待ち下され﹂
と涙と共にお里は駆け寄り
﹁まづ〳〵これへ﹂
と内侍若君上座へ直し
﹁私は里と申してこの家の娘。いたづら者憎い
※
珍しい草中へ、絵にある様な殿御のお出で、維
盛様とは露知らず、女の浅い心から、可愛らし
※
へ焦がれて死ぬればとて、雲居に近き御方へ鮓
おんかた
聞えず母様も夢にも知らして下さつたら、たと
いいとしらしいと思ひ染めたが恋のもと。父も
※
三段目 すしやの段
1
2
※
が情け。何がな一礼返礼と思ふ折柄娘の恋路、
※
すと弥左衛門にも口留して、わが身の上は明か
※
3
4
※
奴と思し召されん申し訳。過ぎつる春の頃、色
※
8
※
※
ほ
※
屋の娘が惚れられうか。一生連れ添ふ殿御ぢや
と思ひ込んでゐるものを、二世の固めは叶はぬ
あずかり
※
親への義理に契つたとは、情けないお情に与り
※
ました﹂
と、どうど伏し、身を震はして泣きければ
維盛卿は気の毒の
内侍も道理の詫び涙、乾く間もなき折からに
村の役人駆け来たり戸を叩いて
﹁アヽコレ〳〵こゝへ梶原様が見えまする。う
ち掃除しておかれい﹂
と言ひ捨てゝ立ち帰る
※
人々﹃ハツ﹄と泣く目も晴れ﹃いかゞはせん﹄と
俄かの仰天
さそく
お里は早速に心付き
﹁まづ〳〵親の隠居屋敷上市村へ﹂
と気をあせる
﹁げにその事は弥左衛門われにも教へ置きしか
※
ど、最早開かぬ平家の運命、検使を引き受け潔
う腹掻き切らん﹂
ごしら
と身拵 へ
内侍は悲しく
まづこゝを﹂
と無理矢理に引つ立て給へば
※
落ち給ふ、御運の程ぞ危うけれ
※
お 父 さ ん も ひ ど い、
お か あ さ ん も。 夢 の 告
げにでも真実を知らせ
て く だ さ っ た ら、 た と
え恋い焦がれて死んで
し ま っ た と し て も、 宮
中 の 高 貴 な お 方 に、 鮓
屋 の 娘 が 惚 れ、 恋 す る
一生連れ添う夫だ
ことができるでしょう
か。
※
と思い込んでいるのに、
あの世までも結ばれる
夫婦の固めは叶えられ
な い、 親 へ の 義 理 の た
めに私の恋を受け容れ、
男女の仲となったとは、
薄い愛情をいただいた
内侍も、お里の歎き
ものでございます。
※
は も っ と も だ と、 ふ た
りともに涙ながらに詫
び、 そ の 涙 が 乾 く 間 も
ないところに。
どうしようか。
※
この幼いかわいい
※
盛 り の 子 を 捨 て て、 死
のうなどとお思いにな
維盛も、子への恩愛
らないで。
※
に後ろ髪を引かれる思
い で、 戦 っ て 死 ぬ 決 断
が実行に移せないまま
に。
12
三段目 すしやの段
1
2
3
4
※
※
﹁ コ レ こ の 若 の い た い け 盛 り を 思 し 召 し、 ひ と
※
5
※
維盛も子に引かさるゝ後ろ髪、是非なくその場を
※
6
※
様子を聞いたかいがみの権太、勝手口より躍り出
と縋るを蹴倒し張り飛ばし、最前置きし銀の鮓桶
﹁これ忘れては﹂
と引つ提げて跡を慕ふて、追ふて行く
﹁ナウとゝ様、かゝ様﹂
とお里が呼ぶ声
弥左衛門、母も駆け出で﹃何事﹄と問へば
娘は
みだい
﹁ コ レ 〳〵〳〵 都 か ら 維 盛 様 の 御 台 若 君、 尋 ね
さ迷ひお出であり。積もる話のその中へ、詮議
に来ると報せを聞き、三人連れで上市へ落とし
ましたを情けない、兄様が聞いてゐて討ち取る
ほうび
か生け捕つて褒美にすると、ソレ〳〵〳〵たつ
た今追つ駆けて﹂
と言ふよりびつくり弥左衛門
﹁ソレ一大事﹂
※
※
手 に 入 れ て や ろ う。
邪魔するな。
捕えてやろう。
1
2
13
三段目 すしやの段
で
※
﹁お触れのあつた内侍六代、維盛弥助め、せし
と頼めど
は
聞かず刎ね飛ばし
※
﹁大金になる大仕事、邪魔ひろぐな﹂
おおがね
※
﹁兄様これは一生の私が願ひ、見赦して下され﹂
とお里は取り付き
﹁コレ待つて﹂
と尻引つからげ駆け出だすを
めてくれん﹂
※
たしな
しゆざや
※
わきざし
※
あまた
じつてい
と嗜みの、朱鞘の脇差腰にぼつ込み駆け出す向こ
うへ
ちようち ん
﹁ハイ〳〵〳〵﹂
やはず
と矢筈の提灯梶原平三景時、家来数多に十手持た
せ、道を塞いで
とむね
﹁ヤア老ぼれめ、いづくへ行く。逃ぐるとて逃
がさうか﹂
のが
しつてんばつとう
と追つ取り巻かれて﹃ハツ﹄と吐胸、﹃先も気遣ひ、
※
こゝも遁れず﹄七転八倒心は早鐘、時に時つく如
くなり
※
すれば、存ぜぬ知らぬと言ひ抜ける。そのまゝ
じとう
にして帰せしは思ひ寄らず踏み込まうため。こ
※
の家に維盛匿ひある事、所の者より地頭へ訴へ
は や うち
早速鎌倉へ早打、取る物も取り敢へず来たれど
※
も、油断の体はおのれを取り逃すまいため。サ
いはい
と責めつけられ、叶はぬ所と胸を据ゑ
﹁ 成 る 程、 一 旦 は 匿 ひ な い と は 申 し た れ ど も、
余り御詮議強き故、隠しても隠されず、はや先
達て首討つたり。御覧に入れん、お通り﹂
と伴ひ入れば
母娘﹃どうなること﹄と気遣ふ内
鮓桶引つ提げ弥左衛門、しづ〳〵出でて向うに直
し
﹁三位維盛の首、御受け取り下されよ﹂
※
いつも携えていた
赤い鞘の脇差しを腰に
矢筈の紋(梶原の家
無造作に差して。
※
胸がどきっとし、取
紋)が入った提灯。
※
りまかれた自分の今の
危 急 と、 権 太 へ の 気 遣
い も 重 な り、 は な は だ
し く 混 乱 し、 災 害 や 緊
急事態を知らせるため
に続けざまに激しく打
つ 鐘 の よ う に、 動 悸 が
けしからん不届き
激しくなり。
※
馬などを走らせ急
ものめ。無礼者め。
※
な 用 を 知 ら せ る 使 い。
命令に従わないつ
使者。
※
もりか。
14
三段目 すしやの段
1
2
3
4
※
ア首討つて渡すか但し違背に及ぶか、返答せい﹂
※
5
※
﹁ヤアこいつ横道者。おのれに今日維盛が事詮議
※
※
6
※
と蓋を取らんとする所を
※1 相談の上で争って
みせている。
正気を失い。
※
商いをする僧、転じ
途 中 で 頭 を 剃 っ て、
(弥助をお里の婿に
人前で恥をかかせ
てやろうと。
※
婿の吟味。
し つ こ く い や ら し い、
し よ う と ) 色 情 的 で、
※
てて。
の青い未熟者風に仕立
月 代 頭 に し て。 剃 り 跡
※
者。
て 悪 徳 僧。 人 を だ ま す
※
るぐるとしばり。
り 方 で は な く、 た だ ぐ
正式な捕手のしば
※
2
15
三段目 すしやの段
女房駆け寄りちやつと押さへ
うち
﹁コレ親父殿、この桶の中にはわしがちつと大
さん
事の物を入れて置いた。こな様明けてどうする
ぞ﹂
﹁ヲヽわれは知るまい。この桶の中には、最前
維盛卿のお首を入れ置いた﹂
※
生け捕つて面恥と存じたに思ひの他手強い奴。
3
4
5
6
﹁イヤ〳〵この桶にはこなたに見せぬ物がある﹂
と引き寄すれば
※
に引つ立て目通りにどつかと引き据ゑ
まいす
※
む こ ぜ んさ く
道にて頭を剃りこぼち、青二才にして弥助と名
※
を替へ、この間はイヤモほてくろしき婿詮索 。
※
※
7
引き戻し
﹁エヽおのれが何も知らぬ故﹂
﹁イヤこなたが知らぬ故﹂
※
と妻は銀と心得て、争ひ果てねば
梶原平三
ぢ
き
つたり、討ち取つたり﹂
と呼ばはる声
﹃ハツ﹄とばかりに弥左衛門、女房娘も気は狂乱
※
※
いがみの権太は厳めしく、若君内侍を猿縛り、宙
※
※
﹁維盛夫婦餓鬼めまで、いがみの権太が生け捕
が
と下知の下﹃捕つた〳〵﹄と取り巻く所に
げ
﹁さてはこいつら言ひ合はせ、縛れ、括れ﹂
※
﹁親父の売僧が三位維盛を熊野浦より連れ帰り、
※
※
ようよう
村の者の手を借つて漸々と討ち取り、首にして
持参。イザ御実検﹂
と差し出だす
あいもん
※
※
取をさせぬ分別。マようしたもの﹂
い
ならず者。
※
て。
い。
懸賞金をかけて犯
仲間同士にだけ通じる
美の懸賞金を受け取る、
人 を 訴 え さ せ、 そ の 褒
※
て、気持のよいやつだ。
※
きっぱりとしてい
つと直接ご相談くださ
※
あいつの命はあい
とが、予想どおりになっ
気になっていたこ
※
1
印。割符。
16
三段目 すしやの段
2
3
4
﹁ムヽ成る程〳〵。剃りこぼち弥助といふは存
さきだつ
かね
とかくお銀﹂
と願へば梶原
ちやく
と着せし羽織、脱いで渡せば
仏頂面
そくだく
召し替へ。何時でも鎌倉へ持ち来たらば金銀と
なんどき
﹁アヽコリヤ〳〵その羽織は 忝 くも頼朝公のお
かたじけな
﹁ハヽヽヽハテ小気味のよい奴。褒美くれん﹂
※
﹁出来た〳〵、当世衒りが流行るによつて二重
と聞くより戴き
釣り換へ、嘱託の合紋 ﹂
※
5
じながら先達て言はぬは、弥左衛門めに思ひ違
ひをささうため。聞き及んだいがみの権太、悪
※
者と聞いたがお上へ対しては忠義の者、ヲヽ出
※
量。夢野の鹿で思はずも女鹿子鹿の手に入るは
あつぱ
※
※
﹁ハテあのわろの命はあのわろと相対。私には
あいたい
﹁スリヤ親の命は取られても褒美が欲しいか﹂
てこの働きは致しませぬわい﹂
﹁イヤ〳〵申し、親の命位を赦して貰ほと思ふ
してくれう﹂
天晴れの働き。褒美には親の弥左衛門めが命赦
※
かいた〳〵内侍六代生け捕つたな。ハテよい器
※
と引き換へに、縄付き渡せば
※
なんじ
※
しっかりした勇ま
あおむいて後ろへ
しい男だ。
※
天 罰 を 思 い 知 れ よ、
そりかえる。のけぞる。
※
親不孝の罪を思い知れ
(家の)門をまたが
よ。
※
せるな。
17
三段目 すしやの段
1
2
3
受け取つて、首を器に納めさせ
しばら
﹁コリヤ権太、弥左衛門一家の奴等、暫く汝に
さの、母は思はず駆け寄つて
ぞ泣きゐたる
弥左衛門歯噛みをなし
※
様を殺し、内侍様や若君をよう鎌倉へ渡したな。
ひ付け置いたに、内へ引き入れ大事の〳〵維盛
界の人の大きな難儀ぢや。門端も踏ますなと言
かどばた
可愛いのと言ふてこんな奴を生けて置くは、世
﹁泣くな女房ナヽヽ何吠えるのぢや。不 憫なの
ふびん
と言ひながら、先立つものは涙にて、伏し沈みて
﹁コリヤ天命知れや不孝の罪、思ひ知れや﹂
※
※
4
預くるぞ﹂
※
﹁イヤモお気遣ひなされますな。貧乏ゆるぎも
させませぬわい﹂
いぞ﹂
と見送る隙間
つと突つ込む恨みの刃
※
見るに親子は﹃ハアハツ﹄と、憎いながらも悲し
﹃うん﹄とのつけに反りかへる
※
油断見合せ弥左衛門、憎さも憎しとひん抱へ、ぐ
だか
﹁アヽコレ〳〵そのついでに褒美の銀、忘れま
帰る
と誉めそやして梶原平三、縄付き引つ立て、立ち
﹁ハテさて健気な男め﹂
※
こぼ
もう〳〵腹が立つて〳〵涙が零れて胸が裂ける
わい。三千世界に子を殺す親といふのはおれば
※
つかり、天晴れ手柄の因果者にようしをつた﹂
と抜身の柄、砕くるばかりに握り詰め、ゑぐりか
けるも心は涙
いがみにいがみし権太郎、刃物押さへて
※
月代を剃って(梶原
えが甘すぎる。
※
首。
が用意した(小金吾の)
に ) 渡 し た の は、 お 前
3
18
こ の 世 の 中 で、 子
を 殺 す 親 は 俺 だ け だ。
前世の悪行の報いを受
けた飛び切り上等な者、
と い う 名 誉 を、 よ く 与
おかわいそうなこ
えてくれたな。
※
と だ、 親 父 様。 私 の 根
性 が 悪 い の で、 ご 相 談
の相手もなく、独断で、
前髪の(小金吾の)首を、
月 代 を 剃 ら ず、 な で つ
け た だ け で( 維 盛 の 首
﹁コレ親父殿﹂
﹁エヽ何ぢやれ﹂
と と は、 考 え 違 い。 考
さむらい
として梶原に)渡そう
﹁こなたの力で維盛を助ける事は叶はぬ〳〵﹂
﹁コリヤ言ふなやい、今日幸ひと別れ道の傍ら
に手負の死人、よい身代りと首討つて戻りこの
中に隠し置く。コリヤこれを見をれ﹂
と、鮓桶取つて打ち明くれば、がらりと出でたる
三貫目
﹁ヒヤアこりや金ぢゃ、こりやどうぢや﹂
と呆れ果てたるばかりなり
手負は顔を打ち眺め
﹁おいとしや親父様、私が性根が悪さに御相談
※
の相手もなく、前髪の首を総髪にして渡さうと
りようけ ん
いふて青二才の男に仕立てあることを、知らい
うつて
で討手に来ませうか。それと言はぬはあつちも
工み。維盛様御夫婦の路銀にせんと盗んだ金、
重いを証拠に取り違へた鮓桶、明けてみたれば
さかやき
中には首﹃ハツ﹄と思へどこれ幸ひ、月代剃つ
※
て突き付けたは、やつぱりお前の仕込の首﹂
※
三段目 すしやの段
1
2
※
は、了簡違ひの危ない所。梶原程の侍が弥助と
※
﹁ムその又根性で御台若君に縄を掛け、なぜ鎌
倉へ渡したぞ﹂
﹁ホヽそのお二人と見えたのは、この権太が女
房、倅﹂
﹁ヤア〳〵シテ〳〵維盛様御夫婦、若君はいづ
※
むご
持はなぜにしてくれた。常が常なら連れ合ひが
きず
むざと手疵も負はせまい、酷い事を﹂
と、せき上げて、悔み嘆けば
権太郎
※
﹁ヤレそのお悔み無用〳〵。常が常なら梶原が
身代り喰ふては帰りませぬ。まだそれさへも疑
ふて親の命を褒美にくれう、忝いと言ふと早や
詮議に詮議をかける所存。いがみと見た故油断
して、一杯喰ふて帰りしは、禍も三年と悪い性
※
値段が一文ほどの
これほど正しい心
一度に驚きあきれ
安く粗末なおもちゃの
笛。
※
た。
※
を 持 っ て い て、 な ぜ、
世間の人から嫌われ非
いつも今のような
難される行状をしたの
か。
※
様 子 な ら、 夫 の 弥 左 衛
門 殿 が、 こ う 簡 単 に は
常日頃から善人な
傷を負わせはしない。
※
ら。
19
三段目 すしやの段
1
2
3
4
くに﹂
いちもんぶえ
﹁ヲヽ逢はせませう〳〵﹂
※
と袖より出だす一文笛、吹き立つれば
ちやくみ
折よしと維盛卿内侍は茶汲の姿となり、若君連れ
て駆け付け給ひ
※
﹁弥左術門夫婦の衆、権太郎へ一礼を。ヤア手
を負ふたか﹂
と驚くも
﹁お変りないか﹂
そし
と、びつくりも、一度に興をぞさましける
母は悲しさ手負に取り付き
※
﹁か程正しき性根にて、人に疎まれ譏 らるゝ身
※
※
※
5
※
※
※
かた
根の年の明き時。生まれついて諸勝負に魂奪は
にじゆう
れ今日もあなたを 廿 両、騙り取つたる荷物の
うやうや
おとり
内に恭しき高位の絵姿、弥助が顔に生き写し。
ははびと
合点がいかぬと母人へ金の無心を囮に入り込み
忍んで聞けば維盛卿、御身に迫る難儀の段々。
おやびと
この度性根改めずば、いつ親人の御機嫌に預る
※
※
20
禍も三年置けば役
に 立 つ、 と い う こ と で
す。 今 ま で の 性 根 の 悪
機会もないであろ
さを改めるよい機会で
す。
※
(内侍と若君に仕立
うと。
※
てた女房と子に縄を)
何 度 か け て も、 ず る ず
る と ほ ど け、 心 が ひ ね
くれて邪悪な俺が、
真っ直ぐで正直な心を
時節もあるまいと、打つてかへたる悪事の裏。
維盛様の首はあつても内侍若君の代りに立つ人
をいたしました。
吐くようなつらい思い
た。 そ の 時 に は、 血 を
一声泣き声をあげまし
そ う に、 女 房 も わ っ と
を 流 し ま し た。 か わ い
こらえきれない血の涙
険な心を持っていても、
蛇のように執念深く陰
ごい心を持っていても、
鬼のように無慈悲でむ
に 縛 り 上 げ た そ の 時、
て は 泣 き ま し た。 後 手
ては泣き、
(縄を)締め
持った子を持ったのは、
何の報いなのかと、思っ
うろた
もなく、途方に暮れし折柄に、女房小仙が倅を
こしゆう
連れ﹃親御の勘当、古主へ忠義、何狼狽へる事
わし
がある。私と善太をコレかう﹄と手を廻すれば
倅めも﹃母様と一緒に﹄と共に廻して縛り縄、
ほど
掛けても〳〵手が外れ、結んだ縄もしやら解け、
す
いがんだおれが直ぐな子を持つたは何の因果ぢ
やと思ふては泣き、締めては泣き、後ろ手にし
たその時の心は、鬼でも蛇心でも堪へ兼ねたる
血の涙、可愛や不憫や女房もわつと一声その時
※
﹃ コ レ 〳〵 子 供 衆、 権 太 が 息 子 は ゐ ま せ ぬ か ﹄
目印に苦味の走つた子があるかと尋ねて見ては
一人ぢや。子供が大勢遊んでゐれば、親の顔を
れぬ。広い世界に嫁一人、孫といふのもあいつ
時血を吐く程の悲しさを、常に持つてはなぜく
﹁ヤレ聞こえぬぞよ権太郎。孫めに縄を掛ける
力み返つて弥左衛門
と語るにぞ
に、コレ血を吐きました﹂
※
三段目 すしやの段
1
2
3
※
※
いえな
と問へど子供は﹃どの権太、家名は何と﹄と尋
まんざら
※
右大将源頼朝が、権
そうとするひどいやり
まだ平家方の者を滅ぼ
争は終わっているのに
力 を ふ る い 威 圧 し、 戦
1
方。
21
三段目 すしやの段
ねられ、おれが口から満更にいがみの権とは得
言はず。悪者の子ぢや故に、はね出されてをる
であらうと思ふ程猶そちが憎さ、今直る根性が
半年前に直つたらナウ婆﹂
よめんじよ
﹁親父殿、嫁女や孫の顔見覚えて置かうのに﹂
﹁ヲヽおれもそればつかりが﹂
と、むせ返り﹃わつ﹄とばかりに伏し沈む、心ぞ
思ひやられたり
内侍は始終御涙
維盛卿は身に迫るいとゞ思ひにかきくれ給ひ
﹁弥左衛門が嘆きさることなれども、逢ふて別
いんねん
ふだい
れ逢はで死するも皆因縁、汝が討つて帰りたる
しゆめ
首は主馬の小金吾とて内侍が供せし譜代の家
来。生きて尽くせし忠義は薄く、死して身代る
忠勤厚し。これも不思議の因縁﹂
と語り給へば
﹁テモさても、そんならこれも鎌倉の討手の奴
等が皆仕業﹂
ひと
﹁ホヽ言ふにや及ぶ、右大将頼朝が威勢にはび
※
残し置きし。ずた〳〵に引き裂いても御一門の
﹁これはこれ、頼朝が着替へとて褒美の合紋に
と弥左衛門、梶原が預けたる陣羽織を取り出だし
﹁げにお道理﹂
と怒りに交じる御涙
こる無得心、一太刀恨みぬ残念﹂
※
さき
おん た む
しん
よじよう
ためし
※
数には足らねど一裂づつの御手向け。サア遊ば
せ﹂
と差し出だす
きぬ
さ
※
※
じゆず
か け ら れ た 歌 に、 た っ
た 一 文 字「 内 ぞ 」 と 言
い 替 え て「 私 も 宮 中 の
玉簾の内が恋しいこと
でございます」と返し
「内や床しき」とは
たことで有名。
※
…。 こ の 羽 織 の 縫 い 目
襟際や付際を切り
の内を見たい。
※
解 い て 見 る と、 内 に は
袈裟衣に数珠まで添え
そうあるべきだ。そ
て入れてあった。
※
保 元 平 治 の 乱 の 頃、
うあるはずだ。
※
私 の 父 小 松 の( 内 府 )
重 盛 は、 池 禅 尼 と 相 談
し、 死 罪 と 決 ま っ て い
た 頼 朝 の 助 命 を 願 い、
これは、過去をそっ
伊東へ流罪とした。
※
く り 真 似 た、 歴 史 は 繰
り 返 す と い う こ と か、
頼朝の心の内こそ
恩返しなのか。
※
慕わしい。
22
中国戦国時代の晋
の人、
予譲の例。予譲は、
忠臣の手本としてたび
貴人の太刀の尊敬
たび浄瑠璃に登場する。
※
「内や床しき内ぞ床
語。
※
しき」とふたつの句を
並べて書いたのは理解
「宮中は小町がいた
できない。
※
時 と 変 わ ら な い が、 馴
れ親しんだ宮中の玉簾
※
の 内 が( 内 や ) 恋 し い
﹁内や床しき内ぞ床しき、と二つ並べて書いた
※
たま だれ
はありし昔にかはらねど見し玉簾の内や床し
き﹄とありけるを、その返しとて人も知つたる
※
恩返しか。ハア敵ながらも頼朝は天晴れの大将、
※
5
この歌を、物々しう書いたは不思議。殊に梶原
もののふ
※
け さ ごろも
は和歌に心を寄せし武士、内や床しきはこの羽
えりぎわつけぎわ
織の縫目の内ぞ床しき﹂
※
ほうげん へ い じ
と襟際附際切り解き見れば内には袈裟衣、数珠ま
で添へて入れ置いたは
﹁コリヤどうぢや﹂
﹁コハいかに﹂
と呆れる人々
維盛卿
※
いけのぜんに
るにん
おうむ
罪に極まる頼朝を命助けて伊東へ流人。その恩
の昔わが父小松の重盛、池禅尼と言ひ合せ、死
﹁ホヽさもさうず、さもあらん。保元平治のそ
※
6
7
8
※
報じに維盛を助けて出家させよとの鸚鵡返しか
※
9
※
見し玉簾の内よりも心の内の床しや﹂
※※
10
※
三段目 すしやの段
1
のではないか」と問い
ゆか
ば、裏に模様か歌の下の句
と御佩刀に手を掛けて羽織を取つて引き上げ給へ
おんばかせ
衣を刺いて一門の恨みを晴らさん、思ひ知れ﹂
﹁ 何 頼 朝 が 着 替 へ と や、 晋 の 予 譲 が 例 を 引 き、
※
るはアラ心得ず。この歌は小町が詠歌﹃雲の上
※
※
2
3
4
※
※
と衣を取つて
おんかげ
﹁これとても父重盛の御蔭﹂
※
と て も か な わ な い、
な い 知 恵 を 絞 っ て、 梶
原をだまし欺いたと
思 っ た が、 あ っ ち の 方
が 一 枚 上 で、 な に も か
思 え ば、 こ れ ま で
も皆承知していた。
※
人を騙してきたことが、
最後には自分の命を騙
り取られるもとになる
と は、 知 ら な か っ た。
これまでは、仏を騙
愚かで情けないことだ。
※
して執着心や未練を捨
てることができなかっ
た。 こ の 世 を 捨 て る の
はいまこの時をおいて
髪を頭の上に束ね
ない。
※
たところをすっぱりと
お 切 り に な っ て( 出 家
する)
。
23
三段目 すしやの段
1
2
と、戴き給ふぞ道理なる
人々﹃ハツ﹄と悦び涙
手負の権太は這ひ出で摺り寄り
たばか
﹁及ばぬ智恵で梶原を謀つたと思ふたが、あつ
※
※
ち が 何 に も 皆 合 点 。 思 へ ば こ れ ま で 衒 つ た も、
りんね
後は命を衒らるゝ種と知らざる、浅まし﹂
と悔みに近き終り際
維盛卿も
※
﹁これまでは仏を衒つて輪廻を離れず、離るゝ
※
時は今この時﹂
もとどり
内侍若君お里は縋り
もんがく
し、死目に逢ふて下され﹂
﹁ナウコレつれない親父殿、権太郎が最期も近
手負を労はる母親が
いた
と諸共旅用意
﹁女中の供は年寄の役﹂
弥左衛門
と立ち出で給へば
は兄になり代り親へ孝行肝要﹂
﹁内侍は高雄の文覚へ六代が事頼まれよ。お里
たかお
叶はず打ち払ひ〳〵
と願へど
﹁共に尼とも姿を変へ、御宮仕へを赦して﹂
※
3
4
※
※
と髻ふつゝと切り給へば
※
と留むるに
※
た
む
たかの
ぶん
※
阿耨多羅三藐三菩
権 太 の た め に 唱 え、 出
提 の 句 を 含 む 経 文 を、
1
家の道を歩みはじめた。
24
三段目 すしやの段
せき上げ弥左衛門
﹁エヽ現在血を分けた倅を手に掛け、どう死目
ひとあし
に逢はれうぞ。死んだを見ては一足も歩かるゝ
ちからぐさ
ものかいの。息ある内は叶はぬまでも助かる事
さ
もあらうかと思ふがせめての力草、留める其方
が胴欲﹂
てておや
げ
と言ふて泣き出す父親に
母は取り分け
なお
娘は猶
﹁不憫〳〵﹂
わ
さんみやく さ ん ぼ だ い
と 維 盛 の、 首 に は 輪 袈 裟 手 に 衣、 手 向 け の 文 も
あ の く だ ら
も高く顕はせり
あら
維盛弥助といふ鮓屋、今に栄ふる花の里、その名
顔、思ひはいづれ大和路や、吉野に残る名物に、
くる夫婦の別れに親子の名残、手負は見送る顔と
阿耨多羅、三藐三菩提の門出、高雄高野へ引き分
※