― 思い描くAPUへの姿 ― 【パネリスト 学長:モンテカセム第 2 代学長】 どうもありがとうございました。吉田代表の言葉に感激で、 AKB の 49 番目のメンバーカセムです。今日は女装し忘れて、 すいませんでした(一同笑) 。先程是永先生とお話している時に、 今回の文科省のスーパー・グローバル大学事業の採択は、APU の実力とおっしゃいました。その実力というのは、これまでずっ と積み重ねてきた物で、その積み重ねが大事です。私が学長の時 には、坂本先生には言ってないかも知れませんけれど、辛い時に は、初代学長の坂本先生の顔が浮かんでくるんです。坂本先生を裏切れないと言う事、それ が私は、APU 現象だと思うんですよ。人が人を元気づける。この DNA をね、絶対大事に して欲しいと思う。 もう一つ私にはコンフェッション(告白)する事があるんです。女装しなかった事じゃな くて(一同笑) 、APU を大分に創ろうとなって、立命館学園内の審議があった時、坂本先生 はご存知だと思うんですが、私は、別府に APU を創るのに反対してたんですよ。学校法人 立命館は、たいしたもんだと思う。その時反対した人を、APU 学長に任命するわけですよ。 それで、何故私ですかと聞いたら、 「反対してた人が、一番課題が分かってるやろう」と(一 同笑)。立命館の指導者たち、なかなか大物だなあと思いますよ。 まあそれは別として、そう言う事で海外で研究留学をしてた私が、それを切り上げて、坂 本先生のような偉大な先生の後任として学長に任命された時、この APU 現象が私を支えた んです。坂本先生の顔です。象徴的に言うと、APU 全体の顔だと思ってください。そうい う業績があって、その後、是永先生が積み重ねてきて、スーパー・グローバル大学に選ばれ たと言う事です。日本のトップ 37 大学にいるって言う事ですよ、開学 15 年間で。この事 業に選ばれ、これから 10 年間、国が色々な支援を保証すると言う事ですよ。15 年間の経歴 で、すごい事と思います。また法人全体で立命館大学と APU あわせて 2 大学選ばれると言 う事は、やはり APU のこれまでの功績が無かったら、出来なかったと思います。 皆さん、これをバネにしてですね、今後どう考えればいいかと言う事に話を移したいと思 うんです。吉田(APU 校友会代表)さんね、以前、 APU が世界一になった事があるんで すよ。 この中村さんと関係あるんです。裏千家が年に一回自分の会員の中から大賞を一つ、会員外 の方々から大賞を一つ、世界を相手にした大賞の一つを渡すんです。それを中村さんの茶道 部が受賞した事があるんです。すごいんですよ、 APU っていうのは。文化度は高い、人は 助ける、何でも出来る所ですよ。We can do it そのままですよ、そういう所が。 じゃあ未来に向けてどうするかと言ったら、私は、少し自分が置かれてる環境を想像して みた方がいいと思うんですね。今日本国の富の半分、国民所得の半分以上は海外発生なんで す。それも従来の先進諸国じゃないです。一番元気良い上り坂の所は新興国と発展途上国、 そういう国々は日本のどんな大学と付き合いやすいと思いますか、もちろん APU です。だ から皆さん、未来の人材の担い手ですよ。日本国だけじゃなく、さっき坂本先生がおっしゃ ったアジア・パシフィック(アジア太平洋)を超えて、アフリカからも一番多くの学生が来 ている大学は APU でしょう。これからね、グローバル・チャレンジャーズの先頭に立つの は、 APU ではないかと思うんです。そうすると、若い日本人が国外で働いて日本の富を稼 ぐ、日本に海外の方が来て日本の富を稼ぐ、自分の母国にも色々なご褒美を返して行く、 そう言った富の循環型の社会の根底にある物、それが APU。将来、我々の後任となる学長 たちが、そう言った事を大事にして行きたいという気持ちで、我々、歴代 3 学長の顔を思 い浮かべてくれればいいなと思ってます。 もう一つは、 APU のボランタリズムの精神です。震災が起きて、よく朝、別府市内で 自分の民族衣装を着て、お金を集めて、困っている人のために頑張っていました。あの APU 生の姿は、忘れられないです。そのボランタリズムが、これから世界の秩序維持に貢献する。 何故かと言うと、これから日本が富を稼ぐ新興国は、私が日本に来た昔、最貧層は最貧諸国 にいたんです。今、最貧層が一番多くいるのは新興国なんです。これは笹川平和財団の研究 レポートに書いてます。そうすると、この貧困を是正するためのボランタリズムで APU 学 生が中心になればいいんです。これが第 3 の力になるんじゃないかと思います、経済基盤 の。 そう言う事をやりながら、今、 APS(アジア太平洋学部)と APM(国際経営学部)の 将来を考えるとね、是永学長とさっき話してたんだけど、僕はやっぱり APM は未来のビ ジネスリーダーを作るべきだと思う。倫理観があって道徳観があって、きちんとしたビジネ スリーダーを育てるべきだと思う。提案を一つ加えるのであれば、 100 年以上経営してい る企業が、日本には 2 万 6 千社近くあるんです。それはアメリカの 2.6 倍ぐらいです。 ドイツの 4 倍近くなんです。だからこういう長期経営、貨幣経済以前からある企業が日本 にありますか ら、そういう方々が、どうして存続して行ったかと言う事の秘訣を APU のビジネススクー ルが意図的に、これを分析して解析して出す事はどうでしょうか。今後、 AACSB(ビジネ ススクールの国際認証)を取ると思うんです。それも大事ですが、それはアメリカのビジネ ススクールの基本基準なんです。それを超えた物を、更に APU は出せるんですよ。 APU からグローバル・スタンダード、創りましょう。 それから APS ですね、ちょっと今影が薄くなってると思われがちな APS は、やっぱり 文化度が高い所があるんです。未来の行政官を養成すればいいと思うんです。各国の予算を 握るのは彼ら行政官なんですよ。マレーシアに行ったら総理府の先輩たちがいます。スリラ ンカに行ったら財務省の方々がいます。国家予算を握っている人々、それが APU の OB た ちですよ。だから吉田( APU 校友会代表)さん、これからあなたたち校友会がね、日本国 より豊かな存在になるかも知れません、この APU 校友会が。やっぱりそういう方々が ネットワークを持ち、どういう風に大学の力に展開するかを考えて頂ければと思います。学 校だけじゃなくて学生の皆さんも含めて、 APU の関係者、 APU のファン全員が一緒にな って、考えないといけないと思うんです。 正直、私には一つ夢があり、それは叶わなかったんですが、 APU に理工系学部を創りた かったんです。未来に向けてですね、次世代の産業とインフラを創りたかったんです。その 理由ですが、大分県と熊本県は日本の半導体の 20%を生産していて、シリコンは沢山ある んですが、 「シリコン・バレー」が無い。シリコン・バレーの秘訣は何か。金じゃないんで す、人です。スタンフォード大学に来ている魅力的な若者たちみたいな、人です。ここを見 渡す限り、APU ではそういう顔が見えるじゃないですか。だから本当に大分県の産業基盤 を未来に向けて展開するのであれば、 APU には理工系学部をこれから 10 年 15 年間で創 って行けばいいかなと思うんです。どんな事でもいいんですが、私が生きてる間には、そこ には力を注ぎます。 最後になりました。皆さんに考えて欲しいんです。 1995 年頃、坂本先生たちが APU 創 造を初めた 20 年前、開学時 15 年前を考えてみてください。 1980 年代は、インターネッ トが誕生するために難産してた時期です。では今これから 15 年後を考えたら、我々は想像 出来ますか、その間の 15 年間、 30 年間を。これからの未来をどう考えればいいかという 時、未来に向けての学びを APU で築くんです。 IT の MOOCs、 APU の現場力、そう言 った色々な学び方が合体したブレンデッド・ラーニングと、グローバル・ラーニング・シス テムを開発して、人類に貢献出来る大学になるんじゃないかと思うんです。 APU は「世界 の公共財」なんですよ。 是非諦めず、ここにいる三人の顔が浮かんでくるように、頑張り続けて頂ければありがた いと思います。最後に一つだけ言います。イギリスのチャーチル元首相が、第二次世界大戦 に負け気味の時に言った言葉ですが、APU の精神だと思うんです。あらゆる難しい物に取 り組む時には、 「失敗は、死ではない。成功は、終点でもない。やり続ける勇気が何よりも 大事」です。やっぱり APU 生、We can do it です。
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