リチャード2世治下のイングランドにおける君主鑑と

「調和をもたらす王」と音楽の隠喩
――リチャード2世治下のイングランドにおける君主鑑と王権
武田啓佑
王リチャード 2 世(在位 1377-99)の時期のイングランドでは、王侯間の党派争い、農民
反乱、ロラード派の出現などに象徴されるとおり、王国を構成する諸身分の至るところに不
和が生じていた。王侯に対する教育と助言の書である君主鑑 (mirrors for princes) の作家は
その状況を嘆き、イングランドを繁栄と調和のもとに復させる王を望んだ。とりわけ、リチ
ャード 2 世からヘンリ 4 世にかけての時期に著述活動をしたジョン・ガワー(1330?-1408)
は 14・15 世紀の君主鑑作家の中でも最も道徳的ないし社会的な意図を強く持っていた。一
方、音楽は中世思想において世界の調和と結びつく根本的なメタファーであるが、ガワーの
作品においても王国の調和や王権のあり方を論じる際に音楽が重要な役割を果たす。本報
告では、一方でガワーの君主鑑にみられる王権論を音楽という切り口から検討し、他方でリ
チャード 2 世のもとで宮廷楽師や聖歌隊によって行われた音楽活動の様子をも確認する。
これにより、王のもとで行われた文化的活動の一領域に王権や王国をめぐる考えがどのよ
うに表現され、それに対して君主鑑がどのように影響したかを分析した。
グラスニックやポーターらによるジョン・ガワーと王権をめぐる先行研究の状況を手短
に概観した後、彼の著述にも影響を与えたことが明白である中世盛期の君主鑑にみられる
コスモロジーと王権の議論について検討した。ソールズベリのジョン『ポリクラティクス』
に代表される国家有機体説、擬アリストテレス『秘中の秘』におけるミクロコスモスとして
の人間理解、エギディウス・ロマーヌス『君主統治論』にみられる自己・家政・王国の連続
的な認識が、中世後期にも受け継がれていく。中世後期の俗語君主鑑の出現と広まりについ
ても論じ、リチャード 2 世とそれらの接点について確認した。
次に、ガワーの著作をめぐる具体的な議論に移った。Mirour de l’Omme(
『人間の鑑』)
、Vox
Clamantis(
『叫ぶ者の声』
)
、Confessio Amantis(『愛する者の告白』)を三部作として捉える考
え方に則り、そこに通底する王権論を分析することに努めた。まず、彼の著述活動と同時代
の出来事についてまとめ、とりわけ晩年には彼がリチャード 2 世への批判を強めていくこ
とを確認した。そして、ガワーが、王たるものは自己というミクロコスモスをコントロール
しなければ王国というより大きなコスモスを支配することもできないと考えていることを、
これらの三作品とラテン語詩 O Deus Immense(『おお、無限なる神よ』
)を引用して論じた。
さらに、ガワーが理想の王を音楽と結びつけて論じている箇所を取り上げて論じた。
『人間
の鑑』にはハープ弾きたるダビデ王が、
『愛する者の告白』では古代の文学にみられるハー
プ弾きが登場し、音の調和した響きのように王国に調和をもたらす王の姿が説かれる。報告
者は、挿話の置かれた位置や同時代の政治への言及、 ‘mesure’ という語の使用から、この
音楽のメタファーに込められたガワーの意図の重みを指摘した。
最後に、王のもとで行われた音楽活動すなわち宮廷楽師と聖歌隊の活動についてその特
徴を検討した。これらの二集団は、いずれも王の威厳を表現したり王国の繁栄を待望したり
するような儀式の場で用いられた。楽師らについては、14・15 世紀の他のイングランド王
と比較してもラッパなどの音の大きい楽器を使用する者が多かったことが特徴である。聖
歌隊について見ると、1340 年代からほとんど一定であったその人数が 1390 年代半ばにはロ
ラード派への当て付けの必要もあって大幅に増やされた。このようにリチャード 2 世の音
楽家たちは、まず音の大きさや人数の多さにおいて特徴づけられ、リチャードが人々に自ら
の権勢を印象づけるためのものであったことが示唆される。そこには、ガワーの君主鑑や
『秘中の秘』の中英語版が説くように音楽的な調和をもって王国を治める王ではなく、自ら
を中心とする秩序がうまく保たれるように王国を支配する専制的な王の像が浮かび上がる。
その点で、中英語君主鑑作家の説く調和と王にとってのそれの間にはずれがあり、俗語君主
鑑の王に対する影響の限界が見受けられると結論した。