未知の中性子過剰ラムダハイパー核を探索する:J-PARC E10 実験 研究の概要 ラムダハイパー核とは? ラムダハイパー核とは? 原子核は複数の陽子と中性子(共にバリオンの一種)から出来ています。陽子と中性子は互いの 間に働く強い引力により集合し、量子力学に従って運動しています。原子核を作る陽子と中性子 の数の組み合わせにはある程度自由度があり、自然界には多くの種類の原子核が存在しています。 またそれ以上に多くの種類の原子核を人工的に作り出すことも可能です。 一方、ハイパー核と呼ばれる別種の「原子核」を人工的に作り出すことも可能です。ハイパー核 と原子核の違いは、ハイパー核の場合には陽子と中性子以外にハイペロンと呼ばれる種類のバリ オンが含まれている点です。ハイペロンにはいくつか種類があり、ラムダ粒子(Λ) 、シグマ粒子 (Σ) 、グザイ粒子(Ξ) 、オメガ粒子(Ω)などの名前が付けられています。この中でもラムダ粒 子は最も質量が軽く(陽子・中性子の質量の2割増し程度)一番安定なハイペロンで、ハイパー 核を作る粒子として適しています。このラムダ粒子を含むハイパー核をラムダハイパー核と呼び、 ハイパー核研究の中では最も研究が進んでいるものの、百年以上の歴史がある原子核の研究と比 べるとまだまだ発展途上にあります。 ハイパー核研究の更なる推進:中性子過剰ラムダハイパー核の生成に向けて ラムダハイパー核研究の目的の一つはラムダ粒子と陽子・中性子の間に働く力を調べることです。 ラムダハイパー核が存在するということはラムダ粒子と陽子・中性子の間には強い引力が働いて いることを示しています(十分な引力が無いとラムダ粒子はすぐに原子核から逃げ出す) 。更に 詳細に力の性質を調べるためにはラムダハイパー核が励起した状態のエネルギーを精密に測定 すればよいことが分かっています。近年、ラムダハイパー核の励起状態から放出されるガンマ線 の精密なエネルギー測定が可能になり、ラムダ粒子と陽子・中性子のスピン(粒子が固有に持つ 角運動量)の組み合わせ方の違いに依存する力の大きさについても情報が得られつつあります。 原子核の研究に比べラムダハイパー核ではまだ実現していないものとして、陽子過剰あるいは中 性子過剰なラムダハイパー核の研究があります。そこで我々は、二重荷電交換反応と呼ばれるタ イプのハドロン反応を用いることで、中性子過剰ラムダハイパー核の生成を試みる研究を推進し ています。この二重荷電交換反応は、原子核中の2個の陽子を1個の中性子と1個のラムダ粒子 に変換します。この反応により、原子核中の陽子数が減り中性子数が増えるため、中性子過剰ラ ムダハイパー核の生成が可能です。 J-PARC E10 実験:二重荷電交換反応を用いた中性子過剰ラムダハイパー核生成 実験的に有望と考えられる二重荷電交換反応には2種類あります。一つは負の電荷を持つパイ中 間子(π-)を原子核と反応させ正の電荷を持つK中間子(K+)を生成するもので、もう一つは 負の電荷を持つK中間子(K-)を原子核と反応させ正の電荷を持つパイ中間子(π+)を生成す るものです。我々は前者の反応を用いた研究を提案しています。 1 我々の研究に使用するパイ中間子は、ハイペロン生成の際に余分なエネルギーが必要なため、1.2 GeV/c の高い運動量の粒子を用います(運動エネルギーで約 1 GeV、これは陽子や中性子の静止 。このようなパイ中間子は、自然界では一次 質量 M をエネルギーに換算した Mc2 よりも大きい) 宇宙線と地球大気上層部の原子・分子との反応で生成されるものがほんの少しある程度で、実験 には利用できません。そこで実際の研究では、陽子を加速器で高いエネルギーまで加速し(例え ば運動エネルギー30 GeV、つまり陽子や中性子の静止質量エネルギーの30倍以上) 、その陽子 を原子核に衝突させることで高い運動量のパイ中間子を生成します。 日本国内ではこのような方法でパイ中間子を生成できる施設が茨城県東海村にあり、大強度陽子 加速器施設(Japan Proton Accelerator Complex、通称 J-PARC)と呼ばれています。我々は、 この J-PARC にある加速器を利用し中性子過剰ラムダハイパー核を生成する研究提案として J-PARC E10 と呼ばれる実験を実施しています(実験には提案された順に E01, E02, E03, … と いうように通し番号が付くのが通例) 。 期待される研究 期待される研究成果: 研究成果:ハイパー核の存在限界 成果:ハイパー核の存在限界と中性子星中心部にある物質 ハイパー核の存在限界と中性子星中心部にある物質 陽子過剰あるいは中性子過剰な原子核の研究は近年活発に行われています。その一つの興味は原 子核の存在限界を探ることにあります。この限界を超えると原子核から多過ぎる陽子や中性子が 逃げ出します。中性子過剰ラムダハイパー核の研究でも、この存在限界の探索は大変興味あるテ ーマです。ラムダハイパー核では「ラムダハイペロンの糊的役割(glue-like role of Λ hyperon) 」 と呼ばれる効果があり、通常の原子核の存在限界を超えた中性子過剰ラムダハイパー核が生成で きると考えられています。 また一方で、ハイパー核の研究は近年観測が進んでいるコンパクト天体の研究とも深い関係があ ります。コンパクト天体の代表例として中性子星があります。中性子星は主に中性子で出来てい ると考えられ、巨大な中性子過剰な原子核と見なすことも可能です(従って原子核の研究と深い 関係がある)。この中性子星の中心部では重力により非常に圧力が高くなり、一部の中性子が更 にハイペロンに変化している可能性があります。従って中性子星の中心部は巨大な中性子過剰ハ イパー核と呼んでもよいかも知れません。観測によりいくつかの中性子星の質量の情報が得られ ていますが、その大きさもまだ直接観測出来ていません。このような天体観測では直接調べられ ない中性子星の中心部の物質の性質を知る上で、中性子過剰ラムダハイパー核の研究を地上の実 験室で行うことは意義があると考えています。 2 更に詳しく ハイパー核:もう一つの「原子核」 私達の身の回りにある物質は全て原子という微少粒子から出来ていて、その大きさは 1mm の1 千万分の1程度です。この原子を詳しく調べると、原子は原子核と呼ばれる更に微少な粒子とそ の周りを運動する電子で出来ていることが分かります。原子核の大きさは何と 1mm の1千億分 の1程度しかなく、研究者でない方には存在の実感が湧かないかも知れませんが、私たちの世界 を作る基本的な粒子で、実際我々の体の中にも途方もない数の原子核が含まれています。この原 子核は宇宙のどこでも同じ性質のものが存在していると考えられ、私達の身の回りにある原子核 を詳しく調べることで、宇宙の様々な場所で起こっているが直接には観測できない現象について も、理論的な推定がある程度可能となります。 自然界に存在する原子は100種類余りあることが知られています。また、自然界に存在する原 子核の種類は270程度であることも知られています。この原子と原子核の種類の数の違いは、 原子核を構成する陽子と中性子の数に起因しています。原子の種類(=元素の種類)は原子核の 中の陽子と呼ばれるプラスの電荷を持つ粒子の数で決まります。一方、原子核の種類は陽子の数 の違いに加え、中性子と呼ばれる電荷を持たない粒子の数にも依ります。従って、同じ種類の原 子(陽子数が同じ)の中にある原子核は何種類かあってもよいことになり(中性子数が異なって いる)、その結果原子の種類に比べより多くの種類の原子核が存在しているわけです。このよう に陽子数が同じで中性子数が異なる原子核のグループをまとめて同位体(アイソトープ)と呼び ます。 ところで、原子核の種類は自然界にある約270種類のみなのでしょうか。実は、人工的になら もっと沢山の種類の同位体を作り出すことが可能です。これらの人工の同位体は放射線を出して 比較的短時間で壊れてしまいます。我々の宇宙でも、例えば星の中心部などでは、このような短 時間で壊れる同位体が自然に作り出されています。しかし我々が「自然界にある原子核」と呼ん でいるものは、宇宙的な時間スケール(例えば1億年程度)経っても壊れない長寿命の同位体で あるため、その種類が限られています。最近の約一世紀にわたる原子核の研究の結果、短寿命の 原子核まで含めると約3000種類の原子核が作り出されています。また、近い将来の研究で1 万種類程度の原子核が人工的に作れると考えられています。 ではこのような研究をもっと進めて、宇宙の至る所を探して もほとんど見当たらないような新しいタイプの「原子核」を 人工的に生成することは可能でしょうか。最近の実験技術を 用いればこのような「新原子核」の生成が可能で、その代表 的なものが「ハイパー核」と呼ばれるタイプの新原子核です。 原子核とこのハイパー核の違いは、核を構成する粒子の違い です。上に述べたように原子核は陽子と中性子の2種類から 構成されていますが、ハイパー核ではそれに加えてハイペロ ンと呼ばれる粒子を含みます。ハイペロンは陽子や中性子と ほぼ同じような大きさと重さを持つ粒子ですが(ハイペロン の方が 1.2 倍程度重い) 、100億分の1秒程度の、我々の 3 日常感覚からするとあっという間の短時間で壊れてしまい ます。しかし、この程度の時間があれば原子核の中でハイペ ロンは1000億回程度往復運動出来ます(実際には陽子や 中性子は量子力学に従うため目に見えるような運動をする わけではありませんが)。1往復を原子核の世界の1日と考 えれば、1000億日(=3億年)の長きにわたって存在し 運動が可能なわけで、そういう意味では通常の人工原子核と 同格の存在と考えてもよいでしょう。 これまでのハイパー核研究 ハイパー核の発見は、宇宙から降って来る高いエネルギーの 粒子(宇宙線)と物質(原子・分子)との反応で生成された ものが最初です。このような反応を正確に測定できる原子核 乾板(高感度の写真のフィルムのようなもの)の中に最初の ハイパー核が生成された証拠が見つかりました。 その後の研究は、加速器施設で得られる K-中間子のビーム と原子核乾板の組み合わせで行われました。K-中間子はマ イナスの電荷を持つため、プラスの電荷を持った原子核に近 づくと質量の重い電子のように振る舞います(電子が原子核 を中心に運動している通常の原子に対し K 中間子原子と呼 ばれる) 。電子の場合には原子は安定なままですが、K 中間 子原子の場合は K 中間子と原子核が接近すると反応し、ハ イペロンとパイ中間子を生成します。生成されたハイペロン はそのまま短時間で壊れる場合もありますが、一部のハイペ ロンは原子核に取り込まれハイパー核を生成します。ハイパ ー核もまた非常に短時間で壊れますが、壊れる際に出る粒子 (パイ中間子、陽子、アルファ粒子など)のエネルギーを正 確に測ってやると、ハイパー核が元々持っていたエネルギー (質量と等価)を知ることが可能です( 「不変質量(invariant mass) 」の測定)。このエネルギーからハイペロンが原子核 の中の陽子や中性子とどのように相互作用していたかが分 かります。 最近のハイパー核研究の主流は「欠損質量(missing mass) 」を測る方法です。例えば、K 中間 子を静止した原子核に衝突させパイ中間子とハイパー核を生成する反応を考えると、K 中間子と パイ中間子のエネルギーおよび運動量が測定できれば、反応前後におけるエネルギーと運動量の 保存からハイパー核のエネルギーと運動量が推定できます。エネルギーE と運動量 p が分かって いれば、特殊相対論の関係式 m2c4=E2-p2c2(c は真空中の光速度)を使ってハイパー核の静止質 量 m(静止したハイパー核が持っているエネルギーと等価)が計算でき、これを欠損質量と呼び ます。この方法ではハイパー核の基底状態の静止質量だけでなく、ハイパー核がより高いエネル 4 ギーに励起している状態を調べることも可能です(励起したエネルギー分だけ質量が重く観測さ れる) 。このような手法を用いることで、ハイパー核の研究が大きく進みました。 ハイパー核とΛ ハイパー核とΛN-ΣN 混合 ハイパー核の研究で興味深い現象の一つにΛN-ΣN 混合があります。ここで出て来るラムダ粒子 (Λ)とシグマ粒子(Σ)は共にハイペロンの一種です。ΛとΣは、アップクォーク(u) 、ダウン クォーク(d)の2個の組(uu, ud+du, dd, ud-du の4種類の組み合わせ方がある)にストレン ジクォーク(s)が1個加わって構成されていますが、uと d の組み合わせ方の違いによりアイ ソスピン(I)という物理量が異なります。Λはアイソスピン I=0 に対し、Σはアイソスピン I=1 を持ち、この物理量の違いで 2 種の粒子が区別できます。 しかし、このような粒子の区別はハイペロンの近くに他の粒子(例えば陽子や中性子)がいると 事情が変わってきます。陽子や中性子のアイソスピンは I=1/2 です。ラムダ粒子と陽子の組の持 つアイソスピンは、スピンの合成則と同様のアイソスピン合成則から計算できますが、この場合 には I=0+1/2=1/2 となります。一方シグマ粒子と陽子の組の持つアイソスピンは I=1+1/2=3/2 の 場合と I=1-1/2=1/2 の2種類が可能です。シグマ粒子と陽子の組のアイソスピンが I=1/2 の場合 には、ラムダ粒子と陽子の組が持つアイソスピンと等しくなり、アイソスピンという物理量では ラムダ粒子+陽子とシグマ粒子+陽子の区別がつかないことになります。このように物理系が同 じ物理量(量子数)を持つ場合には、2つの状態は量子力学的な混合が起こり、この例ではΛN-ΣN 混合が起こります(N は陽子あるいは中性子を指す) 。 通常の原子核でもこのような混合が多少は起こっていると考えられますが、ハイパー核ではその 混合の程度が大きく、ハイパー核の性質に顕著にこの混合効果が表れる可能性があります。 中性子過剰ハイパー核を作る 我々の研究グループではこのハイパー核の研究の次の段階として、陽子数と中性子数が非常にア ンバランスなハイパー核の生成手法を開発しています。具体的には中性子数が陽子数に比べて非 常に多い中性子過剰ハイパー核を生成するための実験を試みています。 通常の原子核でも、陽子数と中性子数がアンバランスな原子核は陽子過剰核や中性子過剰核と呼 ばれ、陽子と中性子の数があまり違わない原子核には無い興味深い性質を持っています。ハイパ ー核の研究ではこのような陽子数と中性子数がアンバランスな核の研究はまだほとんど進んで おらず、研究の進展が待たれています。 我々のグループでは、茨城県東海村にある大強度陽子加速器施設(J-PARC、Japan Proton Accelerator Research Complex) にて中性子過剰ハイパー核を生成する研究 (J-PARC E10 実験) を提案しています。J-PARC には陽子を高いエネルギー(粒子の運動エネルギー30 GeV)まで加 速する陽子シンクロトロンと呼ばれる加速器があり、この陽子のビームを物質に照射することで、 パイ中間子や K 中間子が得られ、これを二次ビームとして用います。これらの中間子二次ビーム を更に物質と反応させることでハイパー核の生成が可能です。世界中でもこのような研究が可能 な施設は元々数えるほどしかなく、その中でも J-PARC はハイパー核の研究を最も強力に推進出 来る施設と言えます。 5 中性子星との関連 中性子が過剰なハイパー核の研究は、我々の宇宙にある星の性質とも深い関係があります。超新 星爆発と呼ばれる劇的な恒星の最期の残骸として、中性子星と呼ばれる高密度の星が残る場合が あることが天文観測から知られています。この中性子星は数ヘルツから1キロヘルツ程度で周期 的に強度が変動する電磁放射を出すことがあり「パルサー」と呼ばれることもありますが、これ はこの星が1秒間に千回近い高速で回転していることを意味します。通常のサイズの恒星がこの スピードで回転すると星表面が光速度を容易に超えてしまいます(そもそもそれ以前に遠心力で 星がバラバラになってしまう) 。従って、このような星は質量の割には半径が小さな高密度星だ と考えられます。なお、我々の宇宙にある高密度星の候補としては白色矮星、中性子星、ブラッ クホール(密度という概念はもう通用しないが)などがあることが、地上の実験室で得られる事 実とそれを元にした理論研究から予想されています。 このうち中性子星は重力の効果で生成される巨大な原子核のようなものですが、その構造はそれ ほど理解が進んでいるわけではありません。中性子星の構造を推定する際に参考になる情報とし ては、我々の身の回りにある原子核の性質があります。しかし、中性子星中心部の密度が通常の 原子核よりかなり大きく(中心部では通常の原子核の密度の 10 倍近くにもなる可能性がある) 、 通常の原子核に比べ非常に中性子過剰である点が中性子星の構造の推定を困難にしています。こ のような未知の領域の「原子核」の性質の研究も進んでいます。 その一方で、中性子星のような高密度状態では中性子と陽子以外にハイペロン、パイ中間子、K 中間子、クォークなどの通常の原子核中には無い粒子が生じる可能性があり、中性子星の理解を 更に複雑にしています。中性子が過剰なハイパー核の研究では、中性子星の中にハイペロンが生 じる可能性を議論する際に基本となる情報を得ることが可能です。 6 J-PARC E10 実験の目的 軽い中性子過剰ハイパー核を作る J-PARC E10 実験では比較的軽い中性子過剰ハイパー核を 生成します。現在生成を試みる予定のハイパー核は、陽子1 個、中性子4個、ラムダ粒子1個のハイパー核(水素6ラム ダハイパー核、6ΛH)と陽子2個、中性子6個、ラムダ粒子 1個のハイパー核(ヘリウム9ラムダハイパー核、9ΛHe)で す。これらのハイパー核は陽子数(Z)と中性子数(N)を 見て分かるように、中性子と陽子の比率がそれぞれ N/Z=4 および N/Z=3 と陽子と中性子の数が非常にアンバランスに なっています。これらのハイパー核の生成が可能になれば、 ハイパー核においても中性子過剰な核の研究が本格的に開 始できます。 通常の原子核の場合との違いを見るために、 「水素」の仲間 の核(同位体)について考えてみます。通常の原子核の水素 、質量 (原子番号が1)の同位体は、質量数1の水素(1H) 数2の重水素(2H)と質量数3の三重水素(3H)のみです。 上で述べた水素6ラムダハイパー核(6ΛH)は質量数6の「水 素」であることを考えると、ラムダハイパー核では非常に特 異な核も安定になる可能性があるということを意味してい ます。従って、ラムダハイパー核では、通常の原子核よりも、 より多様な核構造や現象が期待できます。 ΛN-ΣN 混合の定量的な 混合の定量的な評価 的な評価 我々が生成を試みている水素6ラムダハイパー核(6ΛH)の 性質とΛN-ΣN 混合の関わりについては理論的な予想がいく つかなされています。水素6ラムダハイパー核の質量はラム ダ粒子が関係する相互作用の結果、相互作用が無い場合に比 べ 千 分 の 0.76 程 度 軽 く な り ま す ( ハ イ パ ー 核 の 質 量 5800MeV/c2 に対し 4.4MeV/c2) 。更に、ΛN-ΣN 混合が強く 起こりラムダ粒子が原子核とより強く結合すると、更に質量 は千分の 0.24 程度軽くなります(1.4MeV/c2) 。このような 質量変化は割合でみると小さいものという印象を受けるか も知れませんが、実験的な質量の決定は千分の 0.03 程度と 精度がよいため、質量変化からこのようなΛN-ΣN 混合効果 が明確に観測出来ると考えています。 7 J-PARC E10 の実験方法 二重荷電交換反応 中性子過剰ハイパー核を生成する有望な方法として二重荷電交換反応があります。例えばマイナ スの電荷を持ったパイ中間子(π-)を原子核と反応させ、プラスの電荷を持った K 中間子(K+) が生成する反応が起こったとします。この場合、原子核側では2個の陽子が1個の中性子とラム ダ粒子に変換され、ハイパー核が生成されます。陽子が減り中性子が増えるため、中性子過剰な ハイパー核が反応後に残ることになります。反応の前後で中間子(π-と K+)の側は2価だけ電 荷がプラス側に増え、電荷の保存を考えると原子核とハイパー核側は電荷が2価マイナスの方に 減ります。2価の電荷の変化が起こるこのような反応を二重荷電交換反応と呼んでいます。 J-PARC の実験施設では非常に高強度のパイ中間子二次ビームが得られるため、この二重荷電交 換反応を効率よく測定することが可能で、中性子過剰ハイパー核の精密な研究が可能です。 J-PARC 50GeV 陽子シンクロトロン実験施設 J-PARC(Japan Proton Accelerator Complex)はいくつか の陽子加速器から成る研究施設です。通常、陽子は電場によ る力で加速し易いように、イオンの形で利用します。イオン 源と呼ばれる装置の中で、水素ガス原子に1個余計に電子を 付けることで水素負イオンを生成します。水素負イオンはリ 二アック(linac)と呼ばれる線形加速器で運動エネルギー 180 MeV まで加速されます(イオンのスピードとしては光 のスピードの約 54%) 。このイオンを RCS(Rapid-Cycling Synchrotron)と呼ばれる円形加速器に打ち込みます。イオ ンの打ち込みをスムーズに行うために、打ち込みの際に薄い 炭素の膜を通すことで水素負イオンから電子を2個剥ぎ取 り、水素イオン(=陽子)にします。これ以降の加速は陽子 の形で行います。RCS の中では打ち込み時のエネルギー180 MeV から更に加速を行い、最終的に運動エネルギー3 GeV の陽子イオンが得られます(イオンのスピードは光のスピー ドの約 97%) 。 陽 子 イ オ ン は 最 後 に 50GeV PS ( 50GeV Proton Synchrotron)と呼ばれる加速器に打ち込まれ、3 GeV から 30 GeV(設計値は 50 GeV だが現在 30 GeV で運転)まで加 速されます(イオンのスピードは光のスピードの約 99.95%) 。 このエネルギーの陽子は、我々の研究で使用するパイ中間子 や K 中間子の二次ビームの生成に適しています。また高エ ネルギーのニュートリノ・ビームの生成も可能で、ニュート リノ振動と呼ばれる現象を詳しく調べる研究(T2K 実験) 8 にも使用されています。 パイ中間子や K 中間子の二次ビームを使用するには、二次 ビームを生成する際に発生する強い放射線を閉じ込める必 要があり、特別な構造を持った実験施設が必要です。J-PARC ではこのような中間子二次ビームを利用する施設としてハ ドロン実験ホールがあります。ハドロン実験ホールには、実 験に必要な特定の中間子二次ビーム(粒子の種類を選択し運 動量が出来るだけ一定)を実験装置まで導く、通称「ビーム ライン」と呼ばれる装置がいくつか用意されています。平成 25年現在では、K1.8 ビームライン、K1.8 ブランチ・ビー ムライン、K1.1 ブランチ・ビームラインと中性 K 中間子ビ ームラインが存在しています。ビームラインの名前の中の 1.8 や 1.1 の数値はそれぞれのビームラインで使用できる中 間子二次ビームの最大運動量が約 1.8 GeV/c と約 1.1 GeV/c であることに由来しています。この運動量の大きさの違いに より実施できる研究の種類が異なってきます。 この中で、J-PARC E10 実験は K1.8 ビームラインにおいて 運動量 1.2 GeV/c のパイ中間子二次ビームを利用しています。 K1.8 ビームラインと ビームラインと SKS スペクトロメータ 一般に中間子二次ビームラインに必要な機能が2つありま す。1つは二次ビーム粒子の運動量を大まかに選ぶと同時に 正確に測定する機能です。運動量を大まかに選ぶのは、実験 に必要な粒子の運動量が限定されているためで、運動量の異 なる余計な粒子が来てしまうと測定の邪魔になるからです。 また、エネルギー保存則と運動量保存則をうまく使って、実 験でどんな反応が起こっているかを正確に決める際に、ビー ム運動量の測定精度が最終的な実験結果の精度に直結して いるからです。 もう1つの機能は、ビームラインを通って来る粒子の種類を 大まかに選ぶと同時に粒子の種類を正確に判定することで す。粒子の種類を大まかに選択するのは、先ほどの理由と同 じで、実験に必要な粒子の種類は限られており、違う種類の 粒子が来ると測定の邪魔になるからです。また、必要な粒子 が来たかどうかを最終的に測定により正確に決定する必要 があります。 K1.8 ビームラインは、磁場や電場をうまく使って上の「大まかに選ぶ」という要求を満たしてい ます。また、「正確に測る」あるいは「正確に判定」するために、ビームラインにはビームライ ン・スペクトロメータと呼ばれる装置が組み込まれています。「スペクトロメータ」は直訳する 9 と「分光装置」というような意味です。イメージとしては、可視光をプリズムに通すと色毎に分 解できますが、そのように粒子の運動量毎あるいは粒子の種類ごとに分解し、それがどう分解さ れたかによって運動量や粒子の種類を決定するという感じです(もちろん実際の装置はプリズム とは全く原理の違うもっと手の込んだ装置です)。K1.8 ビームライン・スペクトロメータは約 0.03%の高精度で粒子の運動量が決定できるようにデザインされています。K1.8 ビームラインで は、このような機能を使って、ほぼ純粋なパイ中間子あるいは K 中間子が、最大 2 GeV/c の運動 量までビームとして利用可能です。 ビームラインから得られたビームは、実験目的に合った物質(標的と呼ばれる)に照射します。 照射しただけでは物質の中で何が起こったかは分からないので、物質からハドロン反応で出て来 る 粒 子 を 捕 ま え て や り ま す 。 こ の 役 目 を 果 た す の が 、 K1.8 ビ ー ム ラ イ ン で は SKS (Superconducting Kaon Spectrometer)と呼ばれる生成粒子を測るためのスペクトロメータで す。このスペクトロメータも、生成された粒子の運動量と粒子の種類を正確に決定できます。粒 子の運動量は 0.1%の高精度で決定可能です。 J-PARC E10 実験ではこのようなビームライン・スペクトロメータと SKS スペクトロメータの 組み合わせで実験を行います。つまり、ビームライン・スペクトロメータで負電荷のパイ中間子 を測定し、SKS にて正電荷の K 中間子を測定することで二重荷電交換反応を測定します。 10 これまでの中性子過剰ラムダハイパー核研究の経緯 KEKKEK-PS での実験 二重荷電交換反応による中性子過剰ハイパー核生成の試み は J-PARC E10 実験が初めてではありません。1996 年には 最初の実験研究の報告があります。この実験は茨城県つくば 市にある高エネルギー加速器研究機構(KEK、当時は高エ ネルギー物理学研究所)の 12GeV 陽子シンクロトロン (KEK-PS)実験施設にて実施されました。使用した二重荷 電交換反応は、負電荷の K 中間子を減速して標的中に止め (静止 K 中間子) 、標的中から正電荷のパイ中間子が出て来 る反応を用いました。この実験では残念ながら中性子過剰ハ イパー核の生成には成功しませんでした。 その後 2005 年に報告された KEK-PS での実験では(KEK-PS-E521 実験) 、負電荷のパイ中間 子を標的に当て正電荷の K 中間子を測定する二重荷電交換反応を用いた実験で、世界で初めて中 性子過剰ハイパー核の生成に成功しました。この実験では質量数 10 のホウ素(10B)を標的とし、 リチウム 10 ラムダハイパー核(10ΛLi)を生成し、この二重荷電交換反応が有効な実験手法であ ることが示されました。なお、J-PARC E10 実験はこの流れを汲む実験です。 FINUDA での実験 イタリアのフラスカティ研究所には DAΦNE という電子陽 電子衝突型の加速器があり、そこで生成される低エネルギー の(従って減速し易い)負電荷の K 中間子を用いて、静止 K 中間子を用いた実験を効率よく行ったのが FINUDA 実験で す。2006 年には、静止 K 中間子を用い正電荷のパイ中間子 を測定する実験の結果が報告されていますが、KEK-PS での 初期の実験と同じく中性子過剰ハイパー核の生成には成功 しませんでした。 2012 年になり、この実験データの再解析が実施され、詳細な解析の結果中性子過剰ハイパー核で ある水素6ラムダハイパー核(6ΛH)の生成が3例見つかった可能性があると報告し話題になっ ています。 この核は J-PARC E10 実験でも生成を目指している核で、 大変興味深い実験結果です。 そのため、この水素6ラムダハイパー核をもっと大量に生成出来るよう研究を進めています。 高エネルギー重イオン衝突の実験 陽子過剰ハイパー核や中性子過剰ハイパー核が生成できる ハドロン反応のもう一つの有力な候補として、相対論的高エ ネルギー重イオン衝突を用いる方法があります。相対論的高 エネルギー重イオン衝突では、ビームとして原子核を光速に 11 近いスピードまで加速し原子核の標的に衝突させます。 この衝突の際に、ビームの原子核中にある陽子・中性子と、標的の原子核中にある陽子・中性子 が衝突し、ある確率でラムダハイペロンが生成できます。また、高エネルギー重イオン衝突では 衝突した原子核の破片(これも原子核)が多数出てきます。破片の原子核は陽子過剰な原子核や 中性子過剰な原子核となることがあり、これにラムダハイペロンがある確率でくっつくことがあ ります。このような過程を経て陽子過剰あるいは中性子過剰なラムダハイパー核が生成される可 能性が示唆されています。 この研究は現在ドイツの GSI 研究所にある SIS 加速器実験施設にて進んでいます。我々のグルー プは、この中性子過剰ハイパー核に関連する研究にも興味を持っており、ドイツグループの実験 実施に協力しています。 12
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