Cancer Research UK での自主研究 医学部医学科四回生 中根 崇智 1 初めに 6 月 6 日から 8 月 25 日にかけて、約 12 週間、イギリスの Cancer Research UK Clare Hall Laboratories とい う研究所にある、Molecular Enzymology 研究室 (Dale Wigley 氏がリーダ) で自主研究を行った。この研究室は、 「生化学がやりたい」と相談した際に、武田先生に紹介されて行くことになった。これは、そのレポートである。 なお、あらかじめ断っておくが、私の研究経験は、京都大学医学部遺伝薬理学教室 (武藤教授) のところと、今回 のところしかない。それに加えて、いくつかの研究室を見学したこともあるが、実験を行ったことがあるのは、この 二ヶ所だけである。そのため、「日本と比べると」といった表現は、ごく限られた例からの一般化に過ぎないのであ り、注意はしているものの、誤解や思い込みが混入していることと思う。エビデンスレベルの低い症例報告だと思っ て読んでいただきたい。 2 研究 2.1 研究内容 私は、生化学 biochemistry 、とくに代謝酵素の触媒機構を化学のレベルで解明することに興味をもっている。今 回の最大の目標は、蛋白質の取扱いの基本を、X 線結晶回折 X-ray crystallography 実験を通して身に着けるという ことだった。もちろん、酵素を理解するためには、活性部位の構造を考察することが不可欠であり、構造生物学の代 表的手段とも言うべき、X 線結晶回折を体験すること自体も、重要なテーマであった。 X 線結晶回折には、当然のことながら、結晶化された蛋白質が不可欠である。結晶化にあたっては、蛋白質の濃 度、塩の種類と濃度、析出剤 precipitant の種類と濃度、温度など、さまざまな変数があり、適切な条件を見つけな いと、結晶ができなかったり、できたとしても、小さすぎたり、形が悪くて、十分な回折を起こさない。結晶化のた めの条件は、蛋白質のアミノ酸配列などから決定できればいいのだが、残念ながら、大規模なスクリーニングと試行 錯誤によって見つけるしかないのが現状である。そのため、高純度で、大量の蛋白質を精製することが、結晶化実験 には不可欠なのである。 今回のターゲットは、DNA の複製起点を認識する Orc1 (Origin Recognition Complex)*1 という蛋白質である。 この蛋白質は、ゲノム上の Orb (Origin Recognition Box) という塩基配列を認識して結合する。Orb は、DNA 複 製起点で、Orb1, Orb2, Orb3, Orb4 と 4 つ並んでいる。これらは、配列が微妙に異なるため、Orc1 との結合強度 が異なる。1 つの Orb に 1 つの Orc1 が結する。4 つの Orb 全てに Orc1 が結合すると、Orc1 同士の相互作用に よって、DNA がゆがめられ、Orb2 と 3 の間にある A-T rich region で DNA の二重鎖がゆるむ*2 。そこに、ヘリ カーゼなどが結合して、DNA の複製が始まるという仕組みだ。既に、Orc1 - Orb4 複合体の構造は先任者によって *1 *2 この段落で説明した内容について、詳しくは、“Structural Basis of DNA Replication Origin Recognition by an ORC Protein” Martin Gaudier, Barbara S. Schuwirth, Sarah L. Westcott, Dale B. Wigley Science 317 (5842), 1213 等を参照 A-T 塩基対の水素結合は 2 本であり、3 本の水素結合を持つ G-T 塩基対よりも結合が弱いことに注意されたい 決定されており、Orc1 - Orb1, Orc1 - Orb3 など、他の組み合わせの構造を決定するのが、私の目標となった。 もう一つは、蛋白質の変性 denature と 再生 refolding 実験である。Orc2 という、これまた DNA 複製開始にか かわる蛋白質がある。これは、ヌクレオチド結合領域と ATPase 活性を持ち、G 蛋白質と似て、ADP 結合状態と、 ATP 結合状態で、働きが異なる。この蛋白質を大腸菌で大量発現させて精製すると、ADP 結合状態になっている。 この ADP の結合はとても強いため、取り外すには、いったん蛋白質を変性させるしかない。これで、 ADP は外れ るのだが、今度は、蛋白質を再び折り畳まなくては、使いものにならない。従来法では、この効率が悪く、多くの蛋 白質を失っていたので、新たな手法を試してみることになったのである。 2.2 古細菌について ところで、今回の蛋白質は、全て古細菌 Archaea 由来である。古細菌は、原核生物なのだが、真正細菌 Eubacteria (大腸菌など、いわゆる普通の細菌) とは異なった体制の生物である。イントロンを持つ、ユビキチン系を持つなど、 真核生物に近いところも多い*3 。DNA の複製開始に関しても、真核生物型の機構を持っており、それでいながら、 酵母などと比べると、構成要素数が少ない。そのため、手頃なモデル生物として使われているのである。 古細菌は、高塩濃度 (培地に数 M もの塩を加えないといけないものもある) で生育するものや、高温のもと で生育するものが多い。実際、イエローストーン国立公園のような、温泉の湧き出る場所や、深海の熱水噴出孔 hydrothermal vent から多くの種類が採集されている。このような状況で生育する菌由来の蛋白質は、高温でも熱変 性せず、安定である*4 。熱に耐えるという特徴は、実験上、大変有用である。もっとも身近な例は、PCR 反応に用 いられる Taq DNA ポリメラーゼである。Taq というのは、由来細菌の学名の頭文字 Thermus aquaticus から来て おり、熱 thermus という言葉が入っている。 耐熱性は、蛋白質の精製においても便利な性質である。好温型の古細菌由来の蛋白質を、大腸菌で発現させ、その 培養液をホモジナイズ (細胞壁などを破壊して、細胞質にある蛋白質を外に出すこと) する。この水溶液には、大腸 菌由来の蛋白質と、目的蛋白質が混ざった状態で存在している。そこに、60 度 10 分間の熱処理を加える。すると、 大腸菌由来の蛋白質は熱変性を起こして、凝集するので、これを遠心器にかけて落としてしまえば、古細菌由来の蛋 白だけが残るという仕掛けだ。実際には、大腸菌にも、histone like protein など、熱に強い蛋白質があって、それ が生き残るので、後述するように、カラム精製を怠ることはできない。それでも、高純度を比較的容易に達成できる というのは大きなメリットだ。 また、もともと 70 度を越える温度で働いている蛋白質なので、常温で実験操作をしても平気である。通常、蛋白 質精製作業は、4 度のコールドルームで防寒着を来て震えながら行うことを考えると、かなり楽である。ちなみに、 蛋白質が安定であることを、英語圏では、“These guys are quite happy at room temperature.” と擬人化して表現 するのが、微笑ましい。 2.3 蛋白質の精製 上で、蛋白質の精製にはカラムを用いると言ったが、カラムにもいろいろな種類がある。私の扱った精製実験で は、アフィニティカラム二段階と、ゲル濾過カラムのあわせて三段階の精製を行う。これらのカラムは、FPLC Fast Protein Liquid Chromatography システムの一部である。 FPLC は、ポンプ、混合機、カラム、分画機と、これらを監視制御するコンピュータから成る。入力は三系統で、 サンプル一つと、バッファ二つである。バッファ用に入力が二つあるのは、混合機の設定次第でバッファの濃度を自 由に調節できるようになっているのだ。アフィニティカラムを例に取って説明しよう。まず、カラムを、一つ目の バッファと平衡状態にする。次にサンプルをカラムに流す。これで、サンプルがカラムに吸着される。次に、混合機 *3 *4 その理由を探ることは、生命の起源を理解する上で大きなヒントを与えてくれる その理由については、水素結合や、イオン橋の数が多いといった点が指摘されているが、完全に解決したわけではない の設定を変えて、例えば、30 分かけて、ゆっくりとバッファの濃度を 20% から 100% に上げる*5 。すると、蛋白質 によって、結合が外れる塩濃度が異なるため、別々のタイミングで溶出してくる。分画機は、指定した量ずつ、別々 の試験管に溶出液を集めてくれる。最後に、SDS-PAGE などで、目的のバンドがどの分画に多く含まれるかを確認 する。 こう書くと簡単だが、カラムの流速は、せいぜい毎分 3cc なので、一日かけてカラム一段階分の精製が精一杯であ る。また、内部は数気圧の圧力がかかっているため、下手をすると、あちこちから液漏れを起こして、厄介なことに なる。こういう時は、チューブや接続部を交換したり、流速を下げて圧力を落とすしかない。場合によっては、カラ ム一本を終了させるのに、二日かかることもある。しかし、一日の最後に、溶出液の SDS-PAGE をすると、コンタ ミネーションが段々減って、目的の蛋白質が純化濃縮されていくのは、見ていて達成感がある。 2.4 結晶化とデータ収集 このようにして精製した蛋白質に対して、ハンギングドロップ–水蒸気拡散法 hanging-drop vapor diffusion に よって結晶化を試みた。操作としては、蛋白質を濃縮して、バッファに混ぜて、スライドグラスに一滴ずつ垂らし て、バッファを満たしたウェルの上に並べていくだけである。ただし、100 近い種類のバッファに対して、一つ一つ 仕掛けていくのは、集中力と根気のいる作業だった。結晶が成長するには、早くても二週間かかる。結晶の成長具合 は、実体顕微鏡で観察するのだが、とても美しいものである。 図1 左は結晶化のためのトレイ。水滴一滴が 1.5µL である。奥に見えるのは、結晶を封じ込めたループを取り 扱うための器具。右は実体顕微鏡で見た結晶。 こうしてできた結晶は、まずグリセロールを含んだバッファで安定化し、液体窒素で低温保存しておく。研究室に は、X 線発生源がひとつしかないため、他のメンバとの順番待ちが結構長い。機械が空けば、結晶に X 線を当てて 回折像を撮影する。ここで用いる X 線は、医療用よりもはるかにエネルギーが高く、長時間当てていると、結晶中 のタンパク質が劣化してくる。それを抑えるために、撮影中も 100K ほどの窒素ガスの冷気を吹き付けて、低温に保 つ必要がある。 結晶はたくさんできたが、そのほとんどは小さすぎた。大きいもの 10 個を安定化、低温保存し、データ収集に挑 んだ。そのうち、二つが、それぞれ 3.8 オングストロームと 4.0 オングストロームまで回折像を与えた。いくつか の回折スポットは重なりあっており、データ品質の低下を招いた。一枚の回折像の撮影に、数十分の露出が必要であ り、結晶の角度を少しずつ変えながら写真を何枚も取るので*6 、データ収集には、2, 3 日かかった。より強力なシン クロトロン放射光を利用すれば、データ収集は短時間で済み、より高品質で高解像度のデータを収集できる場合が多 *5 *6 これを、linear gradient という。一気に濃度を変更する、step elution という手法も使う なお、角度の調節や、撮影自体は自動化されている いとのことだった。しかし、シンクロトロンはフランスのグルノーブル*7 にまで出て行かないと使えないし、予約が 詰まっているので、使えなかった。 このようにして得られた回折像の解析は、コンピュータで行う。昔はスーパコンピュータを必要としたが、現在 は、普通の PC/AT 互換機でも十分な性能がある。ただし、この研究室では、分子モデルをいじるときには、SGI の Octane というグラフィックワークステーションを用いていた。これは、映画の CG 製作などにも使われていたシス テムである。3D モニタがあって、専用の眼鏡をかけて見ると、モデルを立体視できる。もちろん、交差法などを使 えば、普通のモニタでも立体視は可能だが、訓練が必要であるし、目が疲れるので、こういう専用システムがあった ほうが便利である。また、分子モデリング専用の入力デバイスもあって、ダイヤルを回すと、視点をずらしたり、拡 大縮小したり、回転させたりできる。マウスとキーボードで操作するよりも、ずっと快適だ。 2.5 研究環境 研究環境は、非常に充実しており、快適に実験をすることができた。 まず、研究のサポートをするスタッフが非常に充実している。TE、 Tris - HCl、5M NaCl、 PBS、 LB 培地と いった、よく使う溶液は、全て彼らが作ってくれ、廊下に備え付けの棚に瓶がずらりと並ぶ。使用済みのメスシリン ダや、ガラス瓶も、廊下に置いてある洗浄液の入ったポリバケツに入れておけば、翌日、きれいに洗って乾かした状 態で戻ってくる。蒸留水は、自分で汲みにいかなくても、蛇口を捻れば水道のごとく出てくる。まるで、企業の研究 室のような贅沢さである。 また、蛋白質をコードしたプラスミドを渡せば、大腸菌、酵母、昆虫細胞などから指定した系で大量発現し、精製 して返してくれるサービスもある。自分の所属した研究室は、蛋白質の精製法自体も研究対象なので、このサービス を利用することはないが、とにかく蛋白質が欲しいという研究者には便利だろう。 研究室所属の技官のレベルも極めて高く、研究室内のことならなんでも把握しているし、技術的な詳細もちゃんと 理解して、ある程度自立的に仕事している。例えば、蛋白質の精製について、より効率のよいプロトコルを工夫した りしていた。自分のやっていることを理解せず、言われたことを淡々とこなしているだけの技官が日本に多いのとは 対照的だ。 あと、ささいなことであるが、NanoDrop という機械があって、非常に便利だった。これは、たった 1 マイクロ リットルの DNA や蛋白質溶液から、光学的に濃度を測定する装置である。前の研究室では、DNA の濃度を測りた いときには、わざわざアガロースゲル電気泳動を行って、濃度の分かっているマーカのバンドと濃さを比較してい た。たんぱく質の場合も、発色反応を利用してプレートリーダを使って測定する方法を取っており、キャリビュレー ションカーブを引くだけでも面倒だった。どちらの場合も、30 分から 1 時間はかかる手順である。これが、わずか 数分で正確に測れてしまうのだから、最初に使ったときの驚きは相当なものだった。 まとめて言えば、このようなちょっとした合理化の集積が、作業全体の効率化につながり、研究者の士気を維持す ることにつながっているのだと感じた。日本の大学の研究室では、夜遅くまで作業していることが多いが、こちらの 人たちは、実験の具合にもよるが、4-5 時になるとさっさと帰ってしまう。週末に出てきて作業することもほとんど ない。それでも日本と同等以上の成果を出せるのは、実に不思議である。その秘密を探ろうと、いろいろと様子をう かがってみたのだが、今ひとつピンと来ない。ただ、その一つは、研究を支援する環境が整っているため、研究者が 本質的な作業に没頭でき、機械的作業の多くから開放され、時間を有効に使えるからではないかと思った。 3 生活など 観光ガイドブックに書いてあるようなことは避けて、感想を中心に述べよう。 *7 日本では、兵庫県にある Spring-8 が有名である 3.1 入国 イギリスの入国審査は、ヨーロッパ諸国の中ではかなり厳しいほうに入る。6 ヶ月以内の滞在ならば、観光目的で も、留学目的でも、ビザは不要である。ただし、就労 (給与をもらうこと) は厳禁である。自主研究に際して、観光 目的と称して入国する人もいるようだが、入国審査官に疑われて別室に連れ込まれたりと、トラブルが多いようなの で、お勧めできない。素直に留学であると言うべきだろう。その時、受入先機関の証明書が必要である。私は、ボ スに、Summer Student であるということ、給与をもらわないこと、滞在のための住居が提供されることを書いた 書類を作ってもらい、これを提示した。また、英国外務省のサイトの記述に従い、日本での銀行残高証明書 (十分な 金を持っており、イギリスで働く必要がないことを証明するため) も持って行ったが、これを提示しろとは言われな かった。 3.2 気候 今年のイギリスは異常気象の年だった。もともと、イギリスは樺太よりも北にあって、日本よりも涼しい場所だ が、今年は特に寒かったらしい。朝は 15 度前後から始まり、日中でも 25 度を越えた日は、数えるほどしかなかっ た。また、薄曇りで、小雨が降ったり止んだりを繰り返す日が多く、からっと晴れた、ヨーロッパらしい夏は 10 日 ほどしか続かなかった。それでも、猛暑の日本と比べると、快適に過ごせた。 3.3 食べ物 イギリスの食べ物はまずいというのが、日本人の共通理解のようになっているが、私はそうは感じなかった。 研究所付属のレストランでは、平日の朝食と昼食が食べられる。朝食のメニューは固定だが、トースト、ベーコ ン、ソーセージ、茹で豆、茹でトマト、Hashed Brown (ゆでポテトを固めて揚げたもの)、目玉焼きなどが食べられ る。飲み物としては、牛乳、ジュース、紅茶なども注文できる。昼食は日替わりで、メイン料理を三種類の中から選 び、それに野菜などの副菜を組み合わせるというスタイルだ。京都大学の生協食堂ほどの自由度はない。サラダバー とデザート類もある。ここでの値段は、朝食が 1.5 ポンドほど、昼食が 3.5 - 4.5 ポンドぐらいだ。 私は自炊はできないので、夜は、トーストとハムとインスタントスープばかり食べていた。週末は、スーパで、電 子レンジで温めるだけの食品を買ってきて食べていた。この冷蔵食品は、日本よりも遥かに充実していて、味もよ い。イギリスでは、インド料理ブームらしく、そちらのものもたくさんあった*8 。この冷蔵食品は、1 つ、1.5-3 ポ ンドほど。 なお、ロンドン市内に観光に出ると、一食 10 ポンドは覚悟しないといけない。2、3 年前の、1 ポンド 150 円ぐ らいの時代ならともかくとして、円安で、1 ポンド 250 円近かったため*9 、かなり割高な印象を受けた。なお、ほと んどの店でクレジットカードが使えるが、10 ポンド以上の支払いのみに限定している場所もある。また、イギリス では、サインをして使う磁気式のカードから、暗証番号を入力して使う IC チップ付きのカードに移行している*10 。 観光地などでは、磁気式カードでも受け付けてくれるが、現地の人しか行かないような店では、磁気カードお断りの ところもあるので、 IC チップ付きのカードを持っていくべきである。生協のカードなら問題ない。 最後に水について付け加えておく。イギリスの水は硬水である。硬水とは、カルシウムやマグネシウムなどの金属 イオンを多く含む水のことである。衛生的には問題ないので、飲んでしまってもかまわないが、ガイドブック等に は、下痢をする人がいると書いてある。私は、生水は飲んでいないが、沸騰させて、スープを作ったり、お茶を淹れ *8 ただし、私には、どれを食べてもカレー味にしか感じられなかった 帰国直前に、大幅にポンドが下落したため、大損である *10 偽造防止のためである *9 るのには使った。ただし、沸騰させて作るお茶 (ウーロン茶など) を淹れるのに使うと、茶葉に含まれるカテキンや タンニンなどのポリフェノール類が重合して、現地人が “scum” という灰汁が浮いてしまう。お湯は少し冷めてか ら注いだほうがよい。また、石鹸類を日本から持っていっても、カルシウムイオンが界面活性剤の水酸基やカルボキ シル基と結合して沈澱を作るため、泡立ちが悪い。現地で売っている石鹸は、硬水対応*11 なので、これを使うべき である。 3.4 住 この研究所付属の宿泊施設は、二つあって、一つは Manor House、もう一つはコテージである。前者は、上で述 べた食堂が入っている建物で、研究所まで、徒歩 1 分である。私が泊まったのは後者で、これは Manor House より も少し遠く、徒歩 3,4 分ぐらいである。 図2 左が Manor House, 右がコテージ コテージには、個室が三部屋あり、私と、同級生の川口君と、建築スタッフのイギリス人が滞在していた。風呂、 トイレ、応接間、台所は共用である。オーブン、冷蔵庫、冷凍庫、電子レンジ、コンロ、テレビ、ビデオ、DVD プレ イヤ、洗濯機/乾燥機などは備え付けである。ホテルではないので、掃除、洗濯、トイレットペーパなどの消耗品の 補充は自分たちで行わねばならない。また、見知らぬ人と共同生活をすることになるので、細かな生活習慣の違いが 気になることもある。 Manor House は、居住部分に入ったことがないので、伝え聞きだが、個別のキッチンなどが付いた大部屋から、 コテージのようにキッチンを共有する部屋、物置のごとく狭い部屋までピンからキリまであるらしい。食堂が一階に あるが、ルームサービスはない。ただし、研究者たちの噂によると、タオル類のクリーニングは頼めばやってくれる そうだ。 Manor House の個室には、インターネットに接続できるイーサネット回線が来ている。一方、コテージからはイ ンターネットを利用できない。研究室内では、もちろんインターネットが使えるが、セキュリティ上のポリシーか ら、外部から持ち込んだノート PC は接続禁止である。ただし、USB メモリによるデータの交換は許可されている。 Manor House のほうが、恐らく便利であろうが、コテージのほうが、 「外国で生活している」という実感が湧くか もしれない。 *11 なんと、実験でおなじみの EDTA が入っている! 3.5 周辺 研究所の周辺には、のどかな牧草地がひろがり、馬や羊が放牧されている*12 。野ウサギが研究室の中庭でも遊ん でいる。私はこういう雰囲気が好きなので、大いに楽しんだ。 研究所があるのは、South Mimms という村だが、ここにはパブぐらいしかない。買い物をするには、隣町の Potters Bar まで 10 分ほどバスで行く必要がある。バス停までは徒歩数分である。ただし、日曜日や夜は、徒歩 15 分ほどかかる遠いバス停まで歩く必要がある。バスは往復で 2 ポンド程度だ。Potters Bar には、大きなスーパが あって、食料品や雑貨類は大体揃う。また、Potters Bar からロンドンのキングスクロス駅まで電車で 30 分 (特急で 10 分) である。そのため、ロンドン市内の日帰り観光はとても容易である。ただし、乗り継ぎがあまりスムーズでな いため、意外と時間を取られる。ロンドンまでの往復と、ロンドンの地下鉄一日乗車券がセットになった切符が、11 ポンドである。 その気になれば、週末を使って、湖水地方*13 などに遠出したり、イギリス国外へ行くことも可能である。しかし、 かなり忙しくなるので、私は行かなかった。 3.6 言葉 イギリスは、英語の国なので、言葉で困ることはないと思ってよい。どうしても口頭で通じなければ、紙に書い たってよいのだ*14 。 私は、もともと洋書を (教科書も小説も) よく読むほうだし、英語のシンポジウムやコロキウムによく参加してい るので、言語面での心配はあまりしていなかった。実際、研究に関するやりとりは、概ねスムーズにできた。また、 コテージの同居人とも、いろいろ雑談を楽しんだ。これらは、一対一のやりとりなので、もし分からなかったら、聞 き返せばよいし*15 、自分が話すときは、分かる表現で説明すればよいのだ。セミナーは一対多だが、話し手が言い 淀んだりしないように練習して丁寧に話しているので、これも聞きやすい。 問題は多対多のやりとりで、例えば、食事のテーブルで、研究室の皆が、わいわいと雑談している時、これを聞き 取って、タイミングよく口を挟むのは、とても難しい。概要は分かっても、詳細までは聞き取れないし、かといって、 たわいもない話をしている所でいちいち聞き直すのも、憚られる。英語教材/ 試験のリスニングのテープは、プロが きれいにしゃべっているのだから、かなり聞き取りやすい部類に入る。NHK の英語ニュースなども同様だ。これら が聞き取れても、上に挙げたような「食事中の雑談」が聞き取れるとは限らない。 こういう英語を訓練するよい方法を、私は知らない。また、数ヶ月程度の留学では、あまり向上は期待できない。 Nature や Science が、注目の論文の概要と研究者への電話インタビューをまとめた Podcast をインターネットで 配信*16 している。このインタビューは、研究者によってひどい鈍りがあったり、言い直しが多かったりと、かなり 現実の会話に近いので、訓練になるかもしれない。 また、重要な内容は (各種手続き、実験手順など)、聞き取った内容を即座に繰り返して、確認するように心がけ た。これは、外国語に限った話ではないが……。 *12 研究室の緯度経度は、(51.689132735268565, -0.2376866340637207) なので、興味のある人は、インターネットの衛星画像サイトなど で見ていただきたい *13 Arthur Ransome の Swallows and Amazons シリーズや、Beatrix Potter の Peter Rabbit シリーズなどの舞台として有名 *14 一度だけ、駅で “Windsor Castle” がどうしても通じなかった *15 「もう一度言ってください」は、日本では “Paradon?” だと習うが、こちらの人は “Sorry?” と言っていた *16 Nature: http://www.nature.com/nature/podcast/index.html Science: http://www.sciencemag.org/multimedia/podcast/ 3.7 人づきあい 研究室の人は、皆親切で、質問をすれば熱心に教えてくれるし*17 、教えかたも上手だった。 また、イギリスでは、あちこちにパブがある。研究室からも、歩いてしばらくのところにあって、ボスに連れて いってもらったりした。パブといっても、日本での居酒屋のイメージとは全然違う。アルコール類の他に、ジュース やコーラも置いてあるし、サンドイッチのような軽食から始まって、フィッシュアンドチップスやパイなどの伝統料 理*18 まで揃っている。私は、アルコールが一滴も飲めないのであるが、始めに「私はアルコールは飲みません」と 断っておけば、無理に飲めと言われることもないし、そもそも変な顔をされることもない。何かにつけて飲み会をし たがる日本とは大違いである。 3.8 トラブル 小さなトラブルがいくつかあった。 隣のコテージに、武田先生の研究室からの大学院生が滞在していたのだが、彼の退出後、「備品のタオル類を持ち 逃げした」 「冷蔵庫やコンロがとても汚い」 「ベッドが壊れている」と施設係から武田先生へのクレームがあった。自 分のコテージでも、ベッドは始めから全室で壊れており (底板が外れやすくなっている)、コップや皿などの備品の数 も、一覧表と一致しない状態である。慌てて施設係に連絡したところ、「ベッドが始めから壊れているとは認識して いなかった」 、 「備品の数が多少足りないのは認識している。隣のコテージでは、規定数あったはずのタオルが大幅に なくなっていたから問題だった」とのことで、自分のコテージについては問題は生じなかった。隣のコテージのタオ ルについては、大学院生が、保管場所を移動したのを、クリーニング業者が見つけられなかっただけだった。それで 問題は片付いたのだが、余計なトラブルを避けるためにも、入居時に備品のチェックを行い、不足があれば直ちに連 絡しておくべきだと思う。もちろん、備品を大切に使い、帰国前には掃除をするべきであることは、言うまでもない。 それから、Windsor 城に行った帰りに、シャーロックホームズの像を見ようとベーカ街駅で地下鉄を途中下車し た時、帰りに再入場しようとしたら、その切符で改札を通れなくなってしまった。駅員に事情を説明して、入れても らったが、「途中下車有効」と別の駅員は言っていたのに、奇妙なことである。 帰国時には、パリでの乗り継ぎの時間的余裕がもともと 2 時間程度しかないところで、ロンドンからパリへの飛行 機が 90 分以上遅れた。幸い、パリから名古屋への飛行機も遅れたため、亊無きを得た。海外旅行に慣れている人に とっては、なんてことのないトラブルだろうが、私は海外の一人旅は初めてだったので、かなり心配した。 4 まとめ 私にとっては、非常に有意義な自主研究だった。実験内容もよかったし、外国での研究状況が垣間見れて興味深 かった。また、周囲ものどかで美しく、心洗われる気がした。 個人的な意見としては、海外に行く人は、最低限の語学力と、実験の基礎知識と基礎手技を身に着けてから行くべ きだと思っている。貴重な時間を有効に使うためにも、どこでも学べるようなことは、日本で習得しておき、そこで しかできない経験に時間を生かすようにすべきだ。 最後に、この自主研究に係わった全ての人々に感謝の意を示します。 *17 こういうことを書くと、お世辞のように思われるが、本当である。そもそも、このレポートを彼らは読めないのだから、そんな気を遣う必 要がない! *18 フィッシュアンドチップスは、白身魚のフライとフライドポテトに酢をかけて食べる料理。パイというのは、日本でおなじみの果物のパイ ではなくて、鶏肉などのシチューをパイ生地で包んで焼いたもの。外側はサクサクで、内側はジューシーでおいしい
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