災害・防災への歴史地理学的アプローチ

歴史地理学
4
3
1 (
2
0
2
)
1~3
2001
.
1
〔趣旨説明〕
災害・防災への歴史地理学的アプローチ
小林茂・磯望
この場合,人間の生存をおびやかす災害は,
近年,雲仙普賢岳の噴火,阪神大震災,有
珠岳や三宅島の噴火など社会に大きな影響を
非日常的なできごととして世代をこえて記憶
与える災害がつづいている。歴史地理学があ
され,また記録されるケースが多かった。災
っかう災害は,こうした発生してまもない災
害記録はこのような性格をもつので,歴史学
害ではないが,過去のさまざまな時代におき
や歴史地理学だけでなく,自然科学にとって
た災害の検討を通じて,将来の防災に貢献す
も重要な史料であることが認識され,すでに
ることを期待して本シンポジウム「災害・防
『新収日本地震史料1 3)のような資料集成が
災への歴史地理学的アプローチ」が企画され
おこなわれている。またその利用についても
た九災害のなかには,発生の頻度が低くて
活発な議論が展開されている九歴史災害に
も被害のはなはだしいものがあり,その解明
おいても,その発生や被害状況などを理解す
には歴史的な研究が少なからぬ意義をもっ。
るに際して,原因となる自然現象の理解がも
また,過去の災害の研究を地理的広がりを
とめられ,自然科学者との資料の共有,さら
もった現象としてとらえなおすことで,将来
には視角の共有が発生している。本シンポジ
の災害予測や防災に貢献することができょう。
ウムでは,まずこうした分野を検討した。
歴史地理学会では,すでに 1
9
7
0年代に共同
ところで,歴史地理学会常任委員会による
課題「災害の歴史地理」を設定している 2)。
「共同課題(災害・防災への歴史地理学的ア
しかしこの分野における研究は,その後も少
プローチ)の趣旨 J5)は,当面の課題として,
数にとどまり,また組織的に展開されている
(1)過去における自然災害の復元, (
2
)過去の
とはいえない。他方,隣接分野では災害研究
災害に対する社会的対応・人間行動に関する
が活発に展開され,さまざまな枠組みが設定
分析, (
3
)災害常襲地における環境知覚・環
されている。歴史地理学における災害研究も
境評価の分析をあげている。この枠組みは,
それにともなって変化していくべきものと考
1
9
6
0年代以降地理学で発展してきた災害研究
えられ,本シンポジウムでは,とくに今後の
の視角的を歴史災害に適用することをめざす
研究のフロントを探索することをめざした。
ものといえよう。ただし近年では,この枠組
災害は,人間の居住とたえまなく変動する
みを批判しつつ,伝統社会にうめこまれた災
環境との関係のなかで発生する。大規模な変
害対策システムの意義も強調されている))。
動でも,その発生する場所に人間の居住がな
伝統社会では,災害に対する経験が長期間の
ければ災害と認定されない一方で,小規模な
うちに蓄積され,それに対応して対策システ
変動であっても大きな被害がもたらされるこ
ムが社会のさまざまな部分にうめこまれ,災
とがあるのは,人間の居住がそれに密接に関
害時に発動されてきたとするものである。
連しているからである。
どの枠組みを採用するにせよ,現在では個
-1-
別的な事例研究をこえた視角が必要であり,
理学的な研究が,地域住民の生命を災害から
それに際しては災害の発生する社会,さらに
守る上で大切な成果を含んでいることを示す
はそれが共有する災害観に関する理解がもと
もので,一般の参加者の関心も大きかった。
められる。本シンポジウムの後半では,こう
古谷尊彦「歴史資料としての絵図・絵画等
8
4
7年の善
に見られる自然災害の解析」は, 1
した観点から発表を配列した。
なお,共同課題として「災害・防災への歴
光寺地震に伴う地すベりと犀川の塞き止めと
史地理学的アプローチ J が設定されて以後,
洪水についての歴史資料を検討した結果を報
まず例会第 1
8
2回(園撃院大皐, 1
9
9
9年 3月
告している。自然災害の解析には,災害の状
2
5日)で 2編の発表がおこなわれ,さらに第
況の克明な記述や図化を欠かすことはできな
4
2回大会(立命館大, 1
9
9
9年 6月 6 日)で 9
い。また,歴史災害の研究では,史料の精度
編の発表がおこなわれた。水害を中心に研究
についても適切な評価が不可欠である
成果が発表され,このうち 5編は,すでに論
点で,地震による虚空蔵山地すべりとこれに
文として『歴史地理学~ 4
2巻 1号に掲載され
伴う犀川の災害について,青木雪郷のスケッ
た
。
チ画はきわめて詳細に災害の細かい状況を伝
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この
えていることを指摘した。歴史史料の解析の
歴史地理学の立場からの災害研究が水害に
集中するとしづ傾向は歴史地理学会文献
なかで絵画の利用例は限られている。しかし,
目録:学会 4
0年 の 歩 み J8)に掲載された論文
その位置・方位が認定可能であり,かっ状況
でもあきらかである。本シンポジウムでは,
が的確に描写されていれば,大きな役割を果
その蓄積をふまえ,また島原市で開催される
たし得ることを示し,解析の対象とすべき歴
という事情も考慮し,火山災害や地震災害,
史資料の評価・選択の重要性を示唆した。
さらに流行病について発表を依頼した。ここ
松田時彦「陸域地震と活断層の分布相関」
は
,
で流行病をくわえたのは,災害との類似性が
日本列島の歴史時代から現在までの被害
多く,同様の枠組みで研究する必要性が指摘
地震の分布密度と活断層の分布密度を比較し,
されている 9)からである。また,災害研究の
被害地震と活断層の頻度の関連について明ら
学際性という観点から,会員外にも発表やコ
かにするとともに,地域性の違いも指摘した。
メントをお願いした。
歴史地震の年代別分布を検討すると
つぎに本シンポジウムの発表論文について
9世紀
と近代以降を除いた時代には,百年当たりの
地震記録の数が少ない。このことは,災害記
その概要を紹介しつつ,意義を考えてみたい。
赤木祥彦「島原半島における眉山大崩壊に
録が関心を持って残されるかどうかに関わる
よる津波の高度とその範囲」は, 1
7
9
2年の雲
問題であると判断され,地震に関連する記録
仙火山寛政噴火時に発生した眉山大崩壊にと
を検討する上で,重要なポイントとなる。ま
もなう大津波について,文献と絵図の精査に
た,時間的・空間的に地震密度と活断層密度
もとづいた結果を報告している
絵図にみえ
を並べて比較すると,北海道で地震の数が少
る,津波の侵入経路となった河川をとりあげ
ないことは,必ずしも歴史地震が少なかった
て,丹念に現在の地形や地図を照合して特定
ことによるのではないことも解明された。
O
山口祐造・木下
し,文書記録もつきあわせて,津波の到達位
良「洪水と橋の強度」は,
置が確認できるケースを選別している。この
1
9
5
7年の諌早水害の被害とその背景を分析し,
結果は, 1
9
9
0年にはじまった雲仙普賢岳噴火
そこにおける眼鏡橋の役割に焦点をあてる。
における災害予測をする上で,きわめて説得
1
9
8
2年の長崎水害など,石橋が流失すること
力のある資料のーっとなった。災害の歴史地
によって被害が両岸に広がらなかった例も示
2
しつつ,これに対して鉄材で補強されていた
ンポジウムについても島原市より多くのご援
ため流失せず,被害を拡大した眼鏡橋の特殊
助を得た。冒頭には吉岡庭二郎市長よりご挨
性を指摘し,伝統的石橋築造技術の今日的意
拶をいただいたほか,島原大変絵図(写真・
義を考えている O 関連して興味深いのは,長
複製)展が会場で並行して開かれ,平尾明氏
崎の石橋群にも近世には洪水で、流失し,再建
はじめ市職員の方から説明をうけることがで
されているものが少なくないことであろう
1
0
)。
きた。他方,歴史地理学会が準備した『島原
恒久的なものと考えられがちな石橋ではある
大変絵図資料集~
が,それにこめられた伝統的知識をほりおこ
され,好評を博した。この資料集所収の絵図
す必要がありそうである。
の一部は本号末尾に掲載されているので,今
川口
洋「牛痘接種法導入期の武蔵国多摩
(
全 42頁)もあわせて配布
後の研究に活用されるのを期待したい。
郡における癌癒による疾病災害」は,近世末
(大阪大学文学研究科・西南学院大学文学部)
期の天然痘対策とその効果を検討する。症状
の軽い患者からの病原体を接種する人痘接種
〔
注
〕
法から,当時伝来した牛痘接種法への変化,
1)歴史地理学会常任委員会「共同課題〈災害・防
災への歴史地理学的アプローチ〉の趣旨 J歴史
さらに乳幼児への普及を通じて,その死亡の
地理学 40-5,1998,巻末。
低下がもたらされたとする。人痘接種法は危
2
)歴史地理学会編『災害の歴史地理(歴史地理
険性をともなうが,すでに農村地帯にまで普
8
) 1歴史地理学会, 1
9
7
6。
学紀要 1
及しており,牛痘接種法の急速な普及の前提
3
)東京大学地震研究所『新収日本地震史料』
をつくっていたことがうかがえる。また,過
(
全1
6冊) ,東京大学地震研究所, 1981-1994
0
去帳の分析による天然痘流行の周期や範囲を
4
) 小山真人「日本の史料地震学研究の問題点と
展望」地学雑誌 108-4,1999,346-369頁など。
示し,歴史地理学の新課題を示唆する。
5
)前
掲1)。
発表の末尾,江藤彰彦「災害と近世社会 j
6
) たとえば, K
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は,個々の事例に関心が分散しがちな災害研
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究を近世社会との関係という点から集約を試
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,43,1962,pp.
438-451
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みる。近世社会の展開とともに災害の性格や
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「災害ポテンシャル」や「災害耐性」といっ
8
) 歴史地理学会「歴史地理学会文献目録」歴史
た用語は,地理学などの災害研究で近年さか
9巻特別号, 1
9
9
7,24-25頁
。
地理学 3
んな脆弱性(
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ろが大きい。この論文ではさらにすすんで,
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個々の災害をこえたレベルでこそそれが有効
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なことをあきらかに示している。
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) 林一馬「石造アーチ橋の技術史的側面
の石橋群を中心にして JMuseum Kyushu
以上のような論考は,歴史地理学における
長崎
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物館等建設推進九州会議) 2
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災害研究のフロントが多彩な方面に発展して
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いることを示している。災害記録の解析から,
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社会の発展にともなう災害の変化まで,さま
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ざまなレベルで、歴史地理学からのアプローチ
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,1993,pp.
43-67,H
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なお,歴史地理学会大会だけでなく,本シ
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7,pp.141-168
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