報 告 書

 田舎のヒロインわくわくネットワーク緊急集会 2011 報 告 書 NPO 法人田舎のヒロインわくわくネットワーク 2011 年 3 月 16 日・17 日 芦原温泉べにや旅館 三文役者の群れ
はじめに
山崎一之
まるで「原発劇場」を見せられているようだ。
テレビはほぼ筋書き通りに「原発劇」を流し続けている。
何が真実で、何が虚偽なのか?
否、全部真実であるかのように演ずれば演ずる程
すべてが嘘であるかのようにも思える。
登場人物も多士済々。
福島県の牛乳が全量廃棄。
汚染だけが広く深く進行していく。
制御不能な科学技術を
経済・経済と、経済を最優先にして
遂にここに至っても原発事故を省みず
必死に弁明に終始する東京電力、政治家たち
マスコミュニケーション、東京大学の学者たち。
人間の本性というよりも
これは日本人の本性であって言葉もない。
結局、世界の流れの中にあっては
日本人とはこの程度であったということを
思い知らされたという次第だ。
その上、一般の日本人に
加害者のごとく原発の容認論をぶたれたのでは
かくも完璧に「原発劇場」を書き上げた
プロデューサーと監督に
アカデミー賞を満場一致で授与するしかないでしょう。
原発は安全です。放射能は大丈夫です。
誰も信じていないのに
誰も言葉を発しない
日本丸ごと汚染列島。
日本は世界の敵と認識された 2011 年 3 月
しかし、世界も同じ役者同志。
主役を張るのは誰なのか?
プロデューサーはどうするのか?
登場人物は、次から次へと
大見得を切る歌舞伎役者のごとくあらわれてくるだろう。
原発賛成論者は、全財産没収。
全額義援金に差し出すことにより
「原発劇場」は幕ということにはならない。
原発反対論者が次々と抹殺されていくというシナリオが
これから先に淡々と書かれていくのだろう。
目
次
はじめに
三文役者の群れ(山崎一之)
寄稿集Ⅰ
3・11 故郷から(宮城県 吉田佐柄子) ......................................................................................................1
未来を身近なものに(福井県 長田奈津子).........................................................................................2
ドキュメント一週間(福井県 松村かなこ).........................................................................................3
緊急集会レポート
プログラム .......................................................................................................................................................................9
フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」........................................................................... 11
講演「原発、今起こっていること」......................................................................................................... 42
フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?................................................................... 53
̶分かち合いの社会へ向けて̶」
緊急集会「今、私たちにできること、ヒロインでできること」........................................ 82
寄稿集Ⅱ
自然を感じる一番近いしごと(福井県
鶴さかえ)................................................................... 99
暮らしを守るつながり̶日印の震災危機が教えてくれること̶(秋吉恵).......... 100
卒業式からの卒業(長野県
田中泉) ................................................................................................ 102
2011 田舎のヒロイン全国集会(福井県
緊急討論会を終えて(福井県
奥村智代) .............................................................. 103
吉村みゆき) ................................................................................ 106
東日本震災により被災された皆様に...................................................................................................... 108
謹んでお見舞い申し上げます(山形県
報告書(広島県
倉田泰子)
梶谷きよみ) ................................................................................................................ 110
提案
フランス財団への東北関東大震災による........................................................................................... 111
被災農家支援プロジェクト(アンベール-雨宮裕子)
田舎のラピュタ グリーン作戦 趣意書(声明文)案(滋賀県
岩田康子).......... 115
農林漁業を存続させる、バランスのとれた日本の国づくりの提案 ............................... 117
(福井県
やまざきようこ)
おわりに
失われる故郷 ヒロイン緊急集会に寄せて(福井県
やまざきようこ)
寄稿集Ⅰ
3・11
故郷から
宮城県
吉田佐柄子
澄み切った美しい故郷の空、輝くような日差しの国道4号線は一瞬のうちに大地が揺れ、信号機が止ま
り、私はビルから飛び出し、路上の人となった。
手も、ひざも、足首、時には顔までがその狂った地の叫びをしっかり受け止める時と出会った。
「恐ろしかった。ほんとうに恐ろしかった。・・・」
ふと、我に返り、たくさんの人々が、同じ地面でひざま付き、向かい合い、その時を共有していた。
一週間過ぎた今、あの時空間こそが、私の一生(傘寿)への贈り物となった。
それは、「安心」の原点に接していたような気がするからだ。
「安全」ではなくとも、人はまず「安心」から、次の行動力が生まれることを知らされた。とりわけ老
いの身、長い人生を多くの人々とともに暮らし、支えられ、「いのち」の「継続保障」されてきた。今、
私はこれからも暮らし続けることへの新しい発見となった。
これから「被災者へのケア」には、それぞれの個人差が大きく機能してくるものと思う。せっかくいき
のびた「命」をより大切に保つための新しい「知恵」が、さらに求められることを痛感した一週間であっ
た。
1
寄稿集Ⅰ
未来を身近なものに
福井県
長田奈津子
3 月 11 日に起こった大きな地震は、はじめ、福井の周辺で起きたことなのかと思ったことを覚えてい
ます。
テレビをつけ、震源地が宮城県沖であること、津波の心配があることをニュースで知り、福井にいる
私が揺れを感じた規模の大きさがどれほどのことなのか、時間が経つにつれ映像が恐ろしいものになって
いくのを見て理解しました。
地震、津波という大きな自然災害の後に続いた原発の事故。
これから、日本はどうなってしまうのだろう、東北にいる友達や東京の家族、友達、みんな大丈夫なの
だろうか、福井はこのまま無事でいるのだろうか、と思いながらも、目前に迫ったヒロインの全国集会は
どうなるのだろう、と思っていました。
参加できる人だけ参加するという形をとった緊急討論会は、県外からも福井県内の人も大勢参加しました。
今回だからこその、熱のこもった討論会だったと思います。
私は農家なので、TPP によって日本の農業がどうなるのかとても気になっていました。そもそも、TPP
というのがなんでできたのか、アメリカの思惑が絡んでいることや、経済先行の今の世の中だからこうい
う話が出てくるんだと思いました。私は都市から農村へ入ったこともあり、農村がただ作物を生産するだ
けではない魅力を持っていることをよく知っています。
都市の人間は地方へ旅行に出かけますが、決して美味しいものを食べるだけに出かけるわけではなく、
その土地独特の風景や、息づく生活習慣、土地の人の温かさを求めているのです。
TPP によって、農業そのものが成り立たなくなってしまえば、農村の風景は一変し、どこへいっても
同じようなチェーン店が立ち並び、味気ない住宅街が広がり、その土地の美味しいものはなくなり、魅力
がなくなるのではないでしょうか。それどころか、田畑が支えてきた自然の機能が果たされなくなれば、
梅雨の暴雨で山の土砂が流れ、雨が降らなければ飲み水に困るような事態になりかねません。自然の生態
系が崩れ、今まで無害だった鳥獣が有害になるかもしれません。
私たち農家は、といえば、効率よく農業をしてお金を稼ぐか、自給自足で小規模に地道にやるか、まわ
りに若い農家が少ないこともあって、どうしていけばいいのか、わかりません。
守るべき自然環境も、もしかしたら TPP に参加することによってなくなってしまうとすれば、農家とし
て生きていくことができるのか、疑問です。
でも、今回の被災地の一つ、福島に私の友人がいます。臨月で、もしかしたら出産したかもしれません。
その人へ、私なりにできることがあるとすれば、食べるものを送ることです。東京にも、家族や友達がい
て、その人たちにできることも一緒です。農家だからこそ、できる支援の一つです。これを続けるために
も、TPP に参加せず、自分で自分を守る体制を作っていかなければなりません。
原発の事故で、人間の作り出した巨大な道具のためにヒト自らが苦しむことが表に現れました。ハサミ
ひとつとっても、道具とは便利であるが危険なものであるというのに、便利さばかりに目がいって、危険
なところを忘れていました。現代の、モノに溢れ、生きることが本来どういうことだったのか忘れて生活
している私が、身の丈に合った生活を取り戻せるのか。この事故を前に、取り戻さなければならないのだ
と思いました。
2
寄稿集Ⅰ
ドキュメント一週間
福井県
松村かなこ
「今回は、洋子が最後になるからなぁ」
牛乳と卵を配達してくれた一之さんが、我が家の玄関で何気なく放った言葉がきっかけだった。夫の仕
事が重なっていたため参加を断念していたが、洋子さんにとって最後の全国集会というのなら話は別だ。
私はまだ、ヒロイン集会に参加したことがない。一之さんの姿が見えなくなった途端に夫に懇願した。
「ねぇ、仕事をずらせない?私、参加するべきだと思うの!洋子さんを見たいの!」
夫は、仕事は何とかすると即答してくれた。リーダーとしての洋子さんを自分の目で見ておくべきだと、
背中を押してくれたのだ。普段は優柔不断なのに、こういう時の決断は驚くほど早い夫。おまけに家事も
育児も任せられる。頼もしい夫が隣にいてくれることは、私にとって大きな強みだ。
さっそく申込書をラーバンの森に取りに行くと、洋子さんに「かなちゃん、スタッフとして手伝ってみ
んか」と言われた。農家ではない私が数ヶ月前から動いている実行委員会に直前に加わるのは申し訳ない
気がしたが、どうせなら内側に入って見る方がよほど面白い。喜んで実行委員に加わらせていただくこと
になった。
打ち合わせに参加して、自分の役割分担が決まった。ラーバンの森に通うのは久しぶりだったが、福井
チームのメンバーには地域通貨 COW の仲間も多く、すぐに馴染んだ。私はエディターとして広告まわり
の仕事を本業としている。パンフレットやカタログなどの広報物を制作したり、あちこちに出かけて取材
して原稿を書いたりするのが仕事だ。この仕事が好きだし、ずっと続けるつもりだが、自分の仕事に何か
が足りないとずっと悩んできた。山崎家と出会ってから学んだこと、地域通貨 COW や地域づくりに関わ
って感じたこと、神主の嫁となり見えてきたコミュニティの原点。あれもこれもと興味が広がるなか、
「私
の原点、やりたいことは【暮らし】を見つめることだ!」とようやく口にできるようになったのが、昨年
末のことだった。生活に密着した仕事を自分で作ってみたい。漠然とだが芯が固まっていたせいか、久し
ぶりのラーバンの森はこれまで以上に心地よかった。
あとは心おきなく参加できるように、自分の仕事を調整するだけ。そう思って仕事のスピードをあげた
矢先の出来事だった。取材にでかけた福井市で地震速報を受け、カーテレビから流れるニュースに凍り付
いた。「地震はまだおさまらない。なにかとてつもない恐ろしいことが、まだまだ続く」そんな嫌な予感
が体中を駆け巡り、慌てて仕事を切り上げて自宅へと戻った。「家族と一緒にいなければ」それだけを考
えていた。
3 月 13 日
午後 7 時半、震災後初の実行委員会があった。テレビから流れる惨状に身動きができないまま2日が経
過。全国集会をやるべきなのか、自分なりに答えをまとめてラーバンの森へと向かった。10 数名が集ま
り、重い空気のなか、一人ひとりが順に意見を述べていく。中止にすべきという人。集まるべきだという
人。どれも正しい気がして、意見を聞くたびに私の心も揺れた。みな原発のことが頭から離れない。けれ
ど、最初から最後まで、洋子さんだけは意見がぶれなかった。
「こういう時だからこそ、みんなで集まって考えよう!原発も農業も TPP も、全てが無関係ではないん
や。いま話し合うことが大事なのよ。命がけでやるからこそ、真剣に考え学ぶことができる。日本人はす
ぐに忘れてしまうから、一ヵ月後では遅い。」
なぜ延期ではダメなのか。こんなに大きな震災、一ヵ月で忘れるわけがない。原発のことは大切だが、
3
寄稿集Ⅰ
福井の広告業界で働く私は、福井の経済社会がいかに原発から抜け出せなくなっているかを目の当たりに
している。経済だけではない、教育もだ。そのため、原発問題をてっぺんに掲げると、学ぶべき人の足も
遠のいてしまうのではと危惧していた。そんな時、開催場所である「べにや旅館」の女将、奥村智代さん
が口を開いた。
「べにやは、100 人であっても 20 人であっても対応します。だから、旅館のことは気にしないで決めて
ください。命がけでやらないと、物事の真実は見えてこない。洋子さんの仰る通りと思います。私は、こ
ういう時の洋子さんをしっかりと見て、そして学びたい」
私は、智代さんの言葉にハッとした。べにや旅館といえば、北陸でも指折りの老舗旅館だ。幼い頃から
祖母に、福井一の旅館だと聞かされた。その旅館の女将が、損害を承知の上で言い切っている。智代さん
の言葉を聞いて、私はようやく冷静になれた。最初は、一ヵ月延期したところで熱意は変わらないと思っ
たし、家族といることが何よりも大切だと思った。けれど、いま話し合わなければ社会はもう変えられな
い。いま学び考えなければ、私たちは真実に向かって動き出す大きな機会を逃すことになる。それに、今
こそ洋子さんを間近で見て学びたい。それならば、私の答えはひとつだ。
そして、私はようやく理解した。意見はまっぷたつに割れていたが、洋子さんが「やるよ!」と断言す
るのをみんなが待っている。一方で、洋子さんは自主的に意見があがってくるのを待っている。だから話
し合いが膠着しているということを。その時、終始冷静に話を聞いていた相模さんが、洋子さんの肩を叩
きながら言った。
「この人は、きっと一人でもやるよ」
その瞬間、気持ちがすっきりしたのは私だけではなかったと思う。本来は、こういう流れで決まるべき
ではないのかもしれないが、緊急事態は別だ。ずっと中止を訴えていた梶谷さんは「本当は最初から、洋
子さんがやると言ったら私はついていくつもりでした」と告白した。やっぱりな、と思ったが、梶谷さん
が反対し続けてくれたから、私は開催するべき本当の意味を理解することができた。そして相模さんの冷
静な言葉。ヒロインチームはすごい。閣僚会議もこれくらいのチームワークがあれば、日本はあっという
間に変わるのになと思った。
メンバーで分担して参加申込者に電話連絡し、開催の旨を伝えることになった。しかし、プログラム変
更は必要だ。細かな内容については、翌日夜にまた話し合うことになった。気がつけば、午前 0 時を回っ
ていた。
3 月 14 日
朝、割り当てられた参加者に電話をかけた。「こんな時に全国集会をやるのか」という非難を覚悟して
いたのに、開催を喜ぶ声がほとんどで驚いた。ホッと胸を撫で下ろしたが、すぐさま事態は急変する。午
前 11 時頃、福島第一原発3号機の爆発が報じられ、夜に行われる予定だった実行委員会は前倒しとなり、
午後 3 時にメンバーが召集された。
申込者のほとんどが参加希望だと判明したが、130 名のうち 50 名ほどが県外からの参加者だ。原発事
故の被害拡大が予想されるなか、このまま開催してよいのかと再び悩み始めた。
さまざまな意見を出し合いながらログハウスで話し合っていると、突然、携帯が一斉に鳴り始めた。震
度4の揺れがくるという緊急地震速報だったため、慌てて森のなかへと逃げた。幸い、大きな揺れはなか
ったが、今すぐ子どもを迎えに保育所に飛んで行きたいというのが、その時の私の正直な気持ちだった。
こういう事態では、全国集会はやめるべきではないか。しかし、今だからこそ学び考えるべきだという熱
意は変わらない。どうするべきか。森の中で、みんなで議論した。そして、「全国」という冠は取り除い
てプログラムを変更し、福井県内の参加者を中心とした「ヒロイン集会」に切り替えて開催することにな
った。
帰り際、洋子さんが私の顏をまっすぐに見つめ、人差し指と中指を掲げ「ヒロイン集会、やろう!よろ
4
寄稿集Ⅰ
しくね」と言った。洋子さんは、同じ仕草で、同じ言葉を、私と同世代のメンバー、なっちゃんやみゆき
ちゃん、えこちゃんにも伝えていた。その時、洋子さんの心が少し見えた気がした。もしかしたら、リー
ダーとして揺るぎない意見を保ちながらも、誰よりも心を痛め、悩んでいたのは洋子さんだったのかもし
れない。そのうえで洋子さんがさらに心を固めたことが伝わってきて、私は大きく頷いた。
3 月 15 日
相手は原発だ。人間の手に追えない怪物のようなものだ。それが最悪の形で証明されることとなった。
15 日早朝、原発の爆発が相次ぎ、メルトダウンの可能性が報じられたのだ。避難エリアも拡大し、前日
の爆発とは比べものにならないほど危険な状況になった。パソコンやテレビで情報を集めながら、私は恐
怖と怒りで体の震えが止まらなかった。なぜ、こんなことになったのか。そして、爆発したものと同タイ
プの原子炉が、なぜ福井県でたった今も稼動しているのか。福井には原発推進、反対、賛否両論いろいろ
あるが、そういう問題ではない。同タイプの原子炉を止めない社会は、正常ではない。狂気だ。唇を噛み
締めながら、ラーバンの森へ向かった。午後1時半から、再び実行委員会が開かれた。
原発事故の今後の展開や交通パニックを考えると、中止にせざるをえないとの判断になった。しかし、
べにや旅館に迷惑をかけてしまう。この時は、智代さんだけでなく、ご主人も一緒に話し合いの場にいら
していた。(きっと困っているだろう、だからご主人も一緒なのだろう)と思ったが、それは私の思い違
いだった。
「昨日もお伝えしたとおり、べにやのことは気にしないで決めてください。本物を提供すれば、お客さま
は必ずつながっていく。べにやはそうしてやってきたのですから、今回が中止になっても大丈夫です」
こういった内容を、女将の智代さんがみなに伝えた。
「キャンセル料もいらないと言ってくれているけれど、そうは言ってもビジネスは別問題なのだから、ご
主人の話も伺いましょうよ」
と、梶谷さんが尋ねると、奥村さんは、
「べにや旅館は福井地震に遭い、芦原大火では旅館を焼失しましたが、そうした災害を乗り越えて、本物
を提供することで今日までやってきました。だから、今回中止になっても、べにやが無くなるわけではな
いのですし、大丈夫です。私たちも、こういう形でヒロイン集会に貢献したい」
と、いう主旨の話をされた。
状況が二転三転するなかで、そのたびに旅館は振り回され、現場から不満の声もあがっているはずだ。
それなのに、夫婦が一糸乱れず、きっぱりと申し出てくれた。2人の言葉を聞いて、背中がゾクッとした。
心がしびれた。感動して胸が詰まった。べにや旅館は、このご夫婦は本物だ。日々、本物の仕事をしてい
るからこそ、口にすることができる言葉だ。むちゃくちゃカッコいいし、本物であることの大切さを教わ
った。私も、そう言い切れる仕事をしていきたい。べにや旅館は庶民がなかなか泊まれる宿ではないが、
多少の無理をしてでも泊まる価値がある宿なのだ。
こうして奥村ご夫妻の言葉に後押しされ中止を前提で話が進んだが、今だからこそ学び考え話し合うこ
とが重要だという意見は、メンバー間でも揺るがない。そこで全国集会とは別途「ヒロイン緊急集会」を
開催することになった。
福井県内の参加申込者のなかで「どうしても話し合いたい」という人だけを集めて、べにや旅館の大広
間を貸していただき、16 日午後 1 時∼6 時頃まで緊急討論会を開く。すでに福井に向けて出発している県
外参加者約 30 名と実行委員はべにや旅館に宿泊し、夜も話し合いを続けることになった。
全国集会の中止、宿泊の取りやめ、緊急集会の開催を知らせるために、実行委員が申込者に再び電話を
かけた。2 日前に開催すると連絡したばかりなのに、今度は中止のお知らせなのだから批判もあがるだろ
う。緊急討論会にせいぜい 30 人くらい集まれば御の字だと、メンバー間で話していた。
5
寄稿集Ⅰ
私が最初に電話をかけたのは、あわら市まで車で片道 1 時間半ほどかかる嶺南地区の女性だった。事情
を説明すると、緊急討論会だけでも参加したいと言う。実行委員へのねぎらいの言葉、そして電話の向こ
うから伝わる真摯な姿勢。目頭が熱くなった。その方は、原発のすぐそばで暮らしている。
ひととおり電話をかけ、集計を待つ。結果、緊急討論会に 70 名ほどの参加者が見込まれた。
震災後、家族と離れることが怖くなった。被災地のことを考えて、泣いてばかりいた。原発震災という
人災が、夢の中まで追いかけてきた。きっとそれは、私だけではないと思う。緊急討論会への参加が命が
けというのは、決して大げさな表現ではない。けれど、「こういう時だからこそ、学び考え話し合うこと
が大切」との想いを通ずる人がこんなにもたくさんいる。「こんなことなら、中止にせずとも良かったか
もね」と誰かが冗談まじりに言った。
緊急集会に変更した以上は、近いうちに全国集会を改めて開催しなければならない。洋子さんは「私、
これで全国集会は卒業しようと思っていたのに、まだ続けなければあかんくなったわ」と笑った。緊急討
論会は充実したものになるに違いない。そんな期待を抱きながら、明日の役割分担を確認して、家路につ
いた。
3 月 16 日朝
私はおにぎり係。集合時間を少し遅れてラーバンの森に着いた。ちょうど洋子さんが母屋から出てきた
ところだったので、ログハウスに入る前に挨拶を交わした。何を話したかは覚えていない。洋子さんの目
がいつもとまるで違う強い光を放っていたから、たじろいでしまった(もしかしたら、ただの寝不足だっ
たのかもしれないけど)。こんな時勢に集会を決行するということは、それ相応の批判がでるはずだ。実
行委員が何日も議論して出した答えは、簡単には理解してもらえないだろう。それでも、やるのだ。そこ
には覚悟が必要だった。洋子さんの表情を読み取って、わくわくしている自分がそこにいた。今日はいよ
いよ本番だ。明るい気持ちで腹を据えた。
ログハウスに入ると、千賀子さん、けいこさん、みきさん、なっちゃんが、ガス釜で炊いたお米でおに
ぎりを握っていた。慌てて「おにぎり隊」の輪に加わる。和やかに世間話をしながら握るおにぎりは、と
ても美味しかった(つまみ食いをしました、ごめんなさい)。
「かなちゃん、頼まれてくれんか」
と、千賀子さん。とある挨拶文を添削して欲しいとのことだった。千賀子さんは市の議員さん。さまざま
な場で挨拶をするが、行政から予め配られた挨拶文は読みたくない、自分の言葉で伝えたいと、自分で挨
拶文を書いており、それを添削してほしいということだった。ヒロインから生まれた議員は、結構カッコ
いい。でも、はっきり言って全国集会とは何の関係もない!けれど農家でも事務局でもパネラーでもない
私が、自分の仕事で役に立てることが嬉しかった。「夜までに添削しておきますね!」割烹着姿で大きな
おにぎりを握る千賀子さんに、笑いながら返事をした。そして 80 個ほどのおにぎりとともに、べにや旅
館へと急いだ。
3 月 16 日午後
ヒロイン緊急集会
受付はべにや旅館のロビーに設けられ、続々と人が集まってきた。実行委員である吉村みゆき氏の挨拶
と黙祷から緊急集会は始まり、あわら市長である橋本氏の挨拶。続いて、べにや旅館の女将、智代さんが
「命がけで学ぼう」という心を参加者に伝えた。そして洋子さんが、田舎のヒロイン、TPP 問題、そし
て緊急集会を開催するにいたった経緯を説明する。30 名ほど集まればいいと開催を決めた緊急集会だっ
たが、なんと 100 名ちかい参加者が集まっていた。洋子さんに出会い、惹かれ、遠方から駆けつけた大勢
の参加者が洋子さんの見つめる、その光景を見た時に、この日、この場を作ることに、どれほどの覚悟と
信念が必要だったのか、事の大きさと洋子さんの大きさを感じて、しっかりと自分の目に焼き付けなけれ
ばと思った。
6
寄稿集Ⅰ
「今こそ見える世界の中の日本」「原発、いま起こっていること」「経済成長のない豊かさってあるの?」
この 3 つを柱に、緊急集会は繰り広げられた。休憩時間は設けず、会場の隣に飲み物を用意し、会場の出
入りは自由というスタイルで、午後1時半∼午後 7 時半頃まで 6 時間ぶっ続けで行った。長時間にも関わ
らず、ほとんどの参加者が始まりから終わりまで真剣な眼差しで話に聞き入り、意見を交わす。私は終始、
会場の熱気に圧倒されていた。私の親世代である女性たちが、一言も聞き漏らすまいといった気迫でパネ
ラーの話に耳を傾けている。6 時間という長丁場にも関わらず、会場の集中力が途切れることはない。
「日本の女性はすごい!彼女たちが日本を育ててきたんだ。日本は強い。日本はきっと大丈夫だ!」
会場を幾度となく見渡しながら、私は大きな勇気をもらっていた。日ごろから、さまざまなセミナーや
研修に積極的に参加するようにしているが、こんなにも充実した場には出会えなかった。以前は地域づく
りや食、コミュニティづくりに積極的に参加していたが、今は少し遠のいている。けれど、やはり私はこ
の場が好きなんだ。「ここに私の場所を作りたい」と改めて感じ始めていた。
3 月 16 日夜
集会が終わり参加者らが帰った後、全国のヒロインから提供された食材を使った料理を堪能して、ほの
かに酔いながら本物に囲まれる幸せを味わった。楽しければ楽しいほど原発のことが頭に浮かんだが、
「こ
んな穏やかな宴は人生最後かもしれない」とどこか観念しながら、今を精いっぱい享受しようと心のなか
で呟いていた。
食事をすませると、すぐさまヒロイン総会が開かれ、正会員以外の実行委員もみな参加した。深夜遅く
まで今後の動きに向けた議論が交わされ、ふらふらになりながらも知恵を絞り、ようやく待望の温泉につ
かったのは午前1時を過ぎた頃だった。欲張って長湯した私は少しのぼせてしまったが、良質のお湯と美
しい庭(うっすらと雪化粧した日本庭園!)に心身がときほぐされ、ようやく緊張がゆるんだ。べにや旅
館には、改めてゆっくり足を運びたい。いつか母を連れてきてあげたいなと思いながら、床についた。
3 月 17 日朝
朝 7 時半には、朝食が用意された広間にみな集まっていた。各テーブルに用意された新聞を読み始める
と、一之さんの顔色が変わった。もしかしたら、メルトダウンが現実のものになってしまったのかもしれ
ない。緊迫した見出しが一面に打ち出されていた。昨日学んだ原発の仕組み、社会システム、これらを照
らし合わせると、最悪のことしか想像できなかった。関東にいる大切な人たちの顏が次々に浮かび、不安
でいっぱいになった。
「緊急集会をしよう」
一之さんと洋子さんがすぐさま決断した。緊急集会の、そのまた緊急集会なのだから、その場がいかに
張りつめた空気だったのか想像できるだろう。事態は刻々と悪い方向へ動いており、ヒロインとしての被
災者支援、ヒロインとしての社会的な動きを打ち出し、原発の本当の情報をつかみ理解することが必要だ
った。べにや旅館の和室を借りて 40 名ほどが集まり、緊迫した空気のなか意見を交わした。防災の専門
家である武生の井上さんの見解を聞いて少し冷静さを取り戻し、今後のヒロインとしての取り組みについ
て議論した。
私一人だったら、ニュースを見て愕然とし、ただただ泣くばかりだっただろう。けれど、この場は違う。
みんな前を向いて、しっかりと学び、真剣に考えている。原発事故の結末が見えないのと同じように、話
し合いに答えは出なかった。けれど、いま何が必要で、何をすべきなのか。それだけは分かった気がした。
こうして田舎のヒロイン緊急集会は終了し、長い長い 2 日間が終わった。
7
寄稿集Ⅰ
̶後記̶
ヒロイン集会に参加して、しっかりと考え、学び、自分の意見を持つことは、自分の視界をぐんと広げ
てくれるのだということを知りました。視界が広がると、分かち合う心を持つ余裕が生まれました。実行
委員会に参加させていただいたことで、それ以前の自分とは少し違う自分になれたような気がしています。
ヒロイン集会のなか、挨拶文や司会のコメントの原稿をチェックしてほしいと 2 人の方に頼まれ、自分
の仕事が役立てたことがとても嬉しかったです。これまでは生産者ではない自分の無力さをいつも感じて
いましたが、今回は私にも「言葉で綴る」という役目があるのかもしれないと思いました。
8 年程前に洋子さんに「ただ文章を書くのではなく、書きたいことがある生き方をしなきゃ」と言われ、
それ以来、私は何を何のために書いているのか自問自答してきました。今回、少しだけその答えを見つけ
ることができた気がしています。
長々とした報告書となってしまいましたが、緊急集会の舞台裏を伝えることができたら幸いです。
8
緊急集会プログラム
田舎のヒロインわくわくネットワーク緊急集会 2011
食と農から世界の中の日本の未来を考える
̶一人ひとりが心豊かに生きるために̶
日時・会場
2011 年
3 月 16 日(水)あわら温泉べにや旅館大広間
3 月 17 日(木)あわら温泉べにや旅館 2 階
プログラム
1 日目
12:00 受付開始
13:00 開会挨拶 実行委員
吉村みゆき氏
あわら市長
橋本達也氏
べにや旅館
奥村隆司氏・智代氏
オリエンテーション
やまざきようこ氏
13:20 フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
パネリスト…………アンベール-雨宮裕子氏・秋吉恵氏・井上和治氏
コーディネーター…大石和男氏
15:00 講演「原発、今起こっていること」
スピーカー…………山崎隆敏氏・山崎一之氏
16:00 休憩
16:10 フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?
̶分かち合いの社会へ向けて̶」
パネリスト…………榊田みどり氏/岩田康子氏/稲澤宗一郎氏
マルク・アンベール氏/アンベール-雨宮裕子氏
コーディネーター…やまざきようこ氏
20:30 食事・交流会(講師・遠方からの参加者・ヒロイン役員及び実行委員)
2 日目
9:00
緊急集会「今、私たちにできること、ヒロインでできること」
スピーカー…………井上和治氏/山崎一之氏
9
緊急集会プログラム
●食事献立
3 月 16 日
夕食
食前酒
スパークワイン
先付
紫芋豆腐・白魚酒煎り
前菜
筍 烏賊の木の芽味噌和え・ぶぶあられ・才巻芝煮・助子と打ち豆煮凝り・
行者にんにく 蛤 卸しポン酢
3 月 17 日
御造
鯛 鰤 甘海老
御椀
油目葛打ち すだれ麩 花弁人参
凌ぎ
鯖寿司・赤大根酢づけ
焼物
喉黒若狭焼き・栗茶巾
焚合
つくね鍋 トマトスープ仕立 百合根 白菜
食事
赤米黒米御飯 自家製たくあんとこんぶ
止椀
うすひらたけ赤出汁
果物
ミルクジェラート ブルーベリーソース いちご ミント
朝食
かれい一夜干し
きっちょんどん豆腐
人参うどん・じゃこ・アスパラ・ブロッコリー・ベビーリーフ・柿ドレッシング
三陸つぼみ菜 煮浸し
魚沼産こしひかり
大根割り漬け
うすひらたけ 岩のり 信州味噌仕立て
せとか デコポン カットフルーツ
●食材を提供してくださった皆様!!(敬称略 順不同)
富津金時・かぼちゃ・紫芋(福井県 吉村みゆき)/百合根(北海道 中沢幸子)/ベビーリーフ(広島
県 梶谷きよみ)/りんごジュース・信州味噌(長野県 越信子)/たまご・牛乳(福井県 山崎一之)/
ジェラート(福井県 山崎大和)/赤米黒米餅米・青大豆打ち豆(福井県 稲澤エリナ)/ブルーベリー
ジャム(滋賀県 岩田康子)/高給にんじん(福井県 鶴さかえ)/豆腐・豆乳(福井県 林敬子)/三陸
つぼみ菜(東京都 白石俊子)/栗(福井県 朝倉雪)/りんごジュース(長野県 田中泉)/人参・人参
うどん(埼玉県 尾崎千恵子)/レモン・せとか・デコポン(広島県 長畠由佳)/自家製ワイン(山梨
県 三森かおり)/すだれ麩(茨城県 池田公子)/たまご・鳥肉(千葉県 大松優子)/トマト(長崎県
西村ふじ子)/柿ドレッシング(福岡県 足立友美)/アスパラ(佐賀県 梁井朱美)/米(新潟県 細金
剛)/うすひらたけ(福井県 橋本一恵)
10
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
パネリスト
アンベール雨宮裕子/秋吉恵/井上和治
コーディ̶ター
大石和男
非常事態にこの会を開催すべきかどうか話し合い、
二転三転としてきましたが、こういう時だからこ
そ、真実をしっかり見つめ話し合うべきではない
かというご意見も多数いただき、開催することに
いたしました。内容にも変化はありますが、あら
ためてはじめに掲げたこの会の主旨にそって会を
開催したいと思います。今日のこの会が、みなさ
まの今後の行動指針になるような時間になること
を願い、この会を開催したいと思います。ありが
吉村 みなさん、こんにちは。私は、地元あわら市
とうございました。
で農家をしています。吉村みゆきと申します。今
日は、このような緊急非常事態の中、この緊急討
橋本あわら市長 みなさん、こんにちは。地元の開
論会にお集まりいただきありがとうございます。3
催地の市長、橋本でございます。歓迎のごあいさ
月 11 日に起きた東日本大地震では、大変多くの方
つをさせていただきます。歓迎のあいつは短いほ
が命を亡くされました。心からお見舞いを申し上
うが好まれるというのは、よく承知しております
げ、この場をかりて 1 分間の黙祷を捧げたいと思
が。そういうことは承知したうえで、今日は少し
います。どうぞ、ご起立をお願いします。
お時間をいただきたいと思います。今回開催の主
̶黙祷̶
旨は変わりましたけれども、この芦原温泉でお集
まりいただいたことを大変うれしく思っているか
らなんです。全国からステキな女性がたくさん集
まってきてくれた、それもありますが、このネッ
トワークの主催者でもございます、やまざきよう
こさん、かずゆきさんご夫妻とは、4 半世紀昔から
仲良く家族づきあいをさせていただいておりまし
て、そのネットワークの全国大会が、いつも東京
で開催されますが、今回はこの地元ということで、
吉村 ありがとうございます。どうぞ、お座りくだ
それがとてもうれしくて、少しお時間いただけた
さいませ。今もなお避難生活をされている方々に、
らと、それが理由でございます。
この場をかりてお見舞いを申し上げます。このよ
25 年ぐらい前ですか、隣の三国町の山の中に、変
うな大惨事が起き、準備委員会のほうでは、この
な怪しげな夫婦がいるぞ、みたいな話は聞いてい
11
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
たんですけれども。その後いろいろなご縁があり
ですけれども。その頃の食事が一番いいというこ
まして、おつきあいさせていただいております。
とは、今の子育てのお母さん、30 歳ぐらいだとし
ほんとうに、いろんなことを勉強させていただい
ますと、そのお母さんのおばあちゃんあたりの食
ております。いつも市政・行政のことについても
事が一番いいんじゃないかと。それよりもっと古
「それは、ダメだ。あーやれ、こーやれ」とご指
くなりますと、戦後の食糧事情が悪いですから。
導いただいております。そういう仲でございます。
当事の食事が一番いいんであれば、「おばあちゃ
農だとか、食、食べ物についても、いつもいろん
んの味」というものに、もう一回スポットを当て
なご指摘をいただいております。
てみようと、事業をはじめたわけです。うちの担
今年度、22 年度になりまして、私たちの町の政策
当課にそういう指示をしましたら、実はこの辺は
として、ひとつのことばを作りました。これから
浄土真宗が盛んなところです。浄土真宗は昔「講」
どんな時代になるのか、と自分たちで考えたんで
というグループがあって、その「講」というグル
すけれども。やっぱり、健康・教育・環境、こう
ープの人たちに出す料理があるのです。これを報
いうものが重要な時代になっていくんじゃないか
恩講、報恩講料理というんです。そうしたら、担
と。これらの分野に力を入れていくためには、支
当は健康長寿課で、保健師さんがたくさんいるわ
えていくものがどうしても必要なのではないか。
けです。「市長、それは報恩講さん料理じゃない
わたしは、ふたつ支えるものが必要だと思いまし
ですか?」といわれ、そういわれれば、そうかもし
た。ひとつは地域社会、人々の力です。そして、
れないなということで、おばあちゃんの味、報恩
もうひとつは、当り前ですけれどもそれを支える
講料理ということで銘打ちまして。毎月 25 日を「お
財政、経済社会です。したがいまして、健康・教
ばあちゃんの味」の日としまして、昔からのレシ
育・環境、そして地域社会と経済産業。この英語
ピを今、発表してもらっています。行政チャンネ
の頭文字を全部並べましたら、HEECE になったわ
ルでは、おばあちゃんに出てきていただいて、若
けです。これは、ヒースと読めます。ヒース構想
いお母さんだとか、お孫さんといっしょに昔から
という名前をつけさせていただきまして、22 年度
の料理を作って、それをテレビで流す。あるいは
は 21 の事業を体系化して進めはじめました。その
広報誌で伝える。月に 1 回学校給食でも使ってい
中で、今日お話させていただきたいのは、一番頭
ます。健康はまず「食」だろうと思いますし、「食」
にあります健康です。健康というと、やはり食べ
はまさに「農」であります。農にたずさわってお
ること。「食」が一番大事なんじゃないかと。あ
られます全国のみなさんに、是非健康で安全なバ
る雑誌で読んだんですけれども、1977 年にマクガ
ランスのとれた食をアピールしていただきたいと、
バンレポートという、食べ物に対する世界で一番
思っているわけでございます。
大きな調査結果が発表されたことがありました。
今回、国災ともいえるような大震災がありまして、
この中に、とても驚くような内容がありました。
このネットワークの会も主旨を変えて開催をされ
その当時世界で一番バランスのとれた食事をして
たということです。前へ進むのも勇気ですけれど、
いるのが日本だと、和食なんだと書いてあったの
とりやめるのも勇気だと思います。今回このよう
を見たわけです。1977 年といいますと相当前です
なかたちで変更されたということは、素晴らしい
けれども、いま女性が結婚するのが、だいだい 27
決断をされたな、と思っております。たまたま私
歳ぐらいですから、30 歳ぐらいが子育ての真っ最
たちのところは災害にあいませんでしたけれど、
中かと。そうすると、1977 年、3、40 年ぐらい前
できるだけのことをしようと、話し合いをしてお
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緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
ります。一部支援物資の搬送なんかもしておりま
は、芦原温泉は昭和 23 年に福井の大震災にあって
す。今朝がた幹部を集めまして、会議を開きまし
おります。阪神大震災が起きるまでは、死亡者数
て、今被災されまして住むところがない、困って
が一番大きかった福井大震災です。それから 31 年
おられる方に、市町村や国レベルでまとまった要
に、芦原温泉全部を焼き尽くす芦原大火というの
請があれば、芦原温泉で引き受けられないかとい
がありました。「そういう災害にべにやは遭って
うことを提案いたしました。テレビでもお風呂に
いる、したがって被災者の方の気持ちはよく分か
はいって大変喜んでおられる姿がみえましたので、
るので、たとえ全てキャンセルにあってもキャン
芦原温泉で本当のお湯に浸かっていただきたい。
セル料はいりません」と、ここの社長がおっしゃ
市営住宅だとか、雇用促進住宅もありますけれど、
ったという話をききまして、非常に感動したわけ
今朝指示をいたしましたのは、休館中の旅館、こ
です。実はそんな話をうかがっていたがために、
の旅館にまとまって 100 名なり 200 名なり来てい
今朝がた幹部の職員を集めましてそういう指示を
ただければ、プライバシーも守れますし、地元の
したところでございます。今日ここで話し合われ
社会福祉協議会やボランティアの方といっしょに
たことを、ここで得たものを、全国にお帰りにな
なって、その中でひとつのコミュニティを作って
られたら、是非地域の方にお伝えいただきたいと
いただいて、いわば臨時の町内会を作って、でき
思います。そして、なんとか元気に復活できるよ
たらそこで生活をして、戻れるようになったら戻
うに頑張りたいと思います。今日は心から歓迎の
っていただく。おそらく被災地の学校もそんなに
気持ちを表させていただきまして、ごあいさつに
再興できないと思いますから、そういうことも含
させていただきます。どうも、ありがとうござい
めて検討できないか、今朝指示をしたところです。
ます。
難しいところもありますから、うまくいくかどう
かはわかりませんけれど、とにかくみんなでがん
梶谷 私は、広島からやって来たんですけれども、
ばろうや、という話をしたところです。
本当にこの期間、みなさん、私たちを励ましてく
れて、何回も何回もどうしようか、どうしようか
悩み、うしろから、「できることはやればいいよ、
ここの会場も全部貸すからやってくれ」っていっ
て、それで今日この会が開けました。それでは、
今からべにやさんのご夫妻にあいさつをしてもら
おうと思います。
このわくわくネットワークの開催にあたっての話
を聞きました。この会を開くべきかどうか議論を
されたそうです。その時に、このべにやさんに、
芦原でいちばんの老舗旅館さんですけれども、
「も
う用意がしてある、急にキャンセルをしたら申し
訳がない」という意見が出たそうです。そうした
ら、この会の会員でもあられます奥村社長が、実
13
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
そんな中、全国からヒロインのみなさま方をお招
きして、今回この集会ができるということは、私
どもにとりまして、大変光栄なことでございます。
今回、緊急集会というかたちになりましたけれど
も、こんな時だからこそ、みなさまと集まってい
ろんなことを勉強して、また一歩前に進む、そん
な勇気を自分自身持ってがんばってまいりたいと
思っております。今日は、至らない点多々あるか
と思いますが、精一杯努めさせていただきます。
どうか、こちらのほうでゆったりとした時間をす
ごしていただければ幸いでございます。本日はご
来館いだきまして、誠にありがとうございます。
女将 今日は、べにやにお越しくださいまして、誠
にありがとうございます。当館女将の奥村でござ
います。なぜ、延期にならなかったか、キャンセ
ルにならなかったか。それはようこさんが「命が
べにや社長 当旅館の奥村でございます。本日は、
けになりなさい」といってくれたからです。命が
芦原温泉、べにやにお越しくださいまして誠にあ
けにならないと何も勉強はできない、それだけを
りがとうございます。心よりご歓迎させていただ
信じて今日までやってきました。今日来た方は、
きます。本来でありますと、もっともっと笑顔で
みなさん命がけで来たと思うんです。県外からも
みなさまを心からお迎えできる、そんな雰囲気の
お越しくださいました。命がけにならないから地
中で私どもも紹介させていただきたい、そんな思
球は怒ってどんどん地震を起こします。みなさん
いでございました。しかし、想像を絶する地震等
今日は命がけでこの勉強会をして、地震を鎮めて、
が起きまして、その中で開催するかどうか議論を
これからの生きる力をべにやで養ってほしいと思
重ねながら、今日緊急集会というかたちでこの会
います。帰りは、是非温泉に入ってください。か
を開いていただくことになりました。当初、この
け流しの本物の温泉、大地からのめぐみを先祖か
会を開いていただくというお話をいただいた時に
らいただきました。それに浸かると、きっと何か
は、ほんとうに嬉しいという気持ちでいっぱいで
が見えてくると思います。今日は、ご来館ありが
ございました。私どもも、ヒロインの会長でござ
とうございます。
います、やまざきようこさん、かずゆきさんご夫
婦と出会いましたのは、10 年以上前なんですけれ
ども、その時からいろんなことを自分自身で考え
るようになり、また 3 年先、5 年先、10 年先をど
うするんだ、今覚悟を決めなきゃいけないんだ、
といういろんなことを教えていただきながら、こ
の 10 数年間仕事をやってきたつもりでおります。
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緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
中で歩んでいくということに、とても難しさが残
っていました。そんな時に、お米の自由化があっ
て元細川首相がお米の自由化を受け入れました。
その時に、女性たちが「こんな大変な時に黙って
いたら日本の国はバタバタになってしまう、主食
の米がきちんと認められていない。その後ろには、
大きな農村の背景とこの国を守る山々の緑や水や
空気、田んぼや畑や大地など、お金に換算できな
い大切なものが横たわっている。そのことを都会
の人たちや、それから食べてくださる人たちに、
田畑で働き、山で暮らし、田舎に住んでいる私た
ちがきちんと伝えられなかったら、必ずやこうい
う日が来るということがみんな心の中に見えてい
たんですね。もう、黙っていられない、みんなで
発信しようということで、1994 年の 3 月に「田舎
のヒロインわくわくネットワーク全国集会」とい
うのをやりまして、それから歩きはじめました。
その時以来、東京の早稲田大学の教室でやらせて
梶谷 それでは、わくわくヒロインネットワーク理
いただいていました。なぜ早稲田大学かといいま
事長・やまざきようこから、みなさまにオリエン
すと、早稲田というのはまさに稲と田んぼなんで
テーションをさせていただきます。
す。日本の農村と将来のあり方と主婦のあり方を
象徴的に示した名前なんじゃないだろうかと。そ
やまざきようこ みなさま、こんにちは。今日は、
して、本当にものを考えるということが、20 歳前
このような大変な時にご出席いただきまして、ほ
後の若者が大学に学ぶことはとても大事なんです
んとにありがとうございます。田舎のヒロインが
が、社会へ巣立った私たちにも大切なことではな
どうしてできて、みなさまに何をお伝えしたくて
いだろうかと。ともすれば、私たちの暮らしは、
この会をはじめたのか、そして、この危険な中で
考えること学ぶということを放棄して、与えられ
なぜにこうしてまでもみんなで集まって発信しよ
た現実の中で働くことで目いっぱいになって、お
うとしているのかを短い時間でお伝えしたいと思
金を儲けることに一生懸命になっている。そして、
います。
一生懸命になっている自分の回りを見回すという
田舎のヒロインわくわくネットワークは、全国に
機会を持たなかったために、ドンドン進んでいっ
散らばっている農家の女性たちを中心に、応援し
て、こういう限界にきてしまったということがと
てくださる人たちもいっしょになって出来上がっ
ても恐ろしいことなんです。これで一生終わって
たネットワークです。本来はご夫婦で、男性も含
しまったら私たちきっと子供たちの将来に禍根を
めてということでしたが、今から 17 年前にこのネ
残すだろう。そういうところからきちんと考えて
ットワークができた時には、まだ女性たちが男性
発表し、人の前で意見をいって、それで叩かれた
たちに、農村できちんとものを発言して、地域の
ら、またそこからきちんと考え直して、また表現
15
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
していこう。それが生きる力になってくるという
きゃ!ということで、去年の 11 月からみんなに呼び
前提のもとに、第 1 回、2 回、3 回、4 回、5 回、6
かけて準備をしてきました。それならば、場所を
回とやってきました。その間には BSE や雪印の食
どこにしようかと尋ねた時に、事務局のある三国
中毒事故、食肉偽装事件をはじめとする食品偽装
から発信を始めようと理事さんたちから提案があ
など様々な問題がありました。
りました。では、会場をどこにしようかといった
突然去年 3 月、4 月の段階で、国は食糧農業基本法
時、「べにや旅館の奥村さんがヒロインのメンバ
の中で自給率を 40%、50%、60%に上げて、国民の
ーなので、そこでやらせていだいたら」という話
食糧をみんなに行き渡るように、農業を守り、自
がありました。福井県でも、県外でも有名な、由
給率を上げ、国民の食をきちんと見直そうという
緒あるべにやさんでそんなことをさせてもらえる
法案ができて動き始めました。なのに突然のよう
のだろうかと思いましたが、「私もヒロインのメ
に、11 月になったら TPP という問題が出て、菅首
ンバーなんだから」と快く引き受けてくださいま
相からは日本を開国するという言葉がでてきまし
した。
た。明治維新の頃の開国から第 2 次世界大戦後の
開国、こんなに開国しているのにこれ以上開国し
てどうなるんだろう。それは開国というよりも、
国の枠を取っ払って、国をなくして、経済で世界
を動かしていく。そのために開国という言葉を使
っている。そういうことをやっていったら人の立
ち位置や心のよりどころが危うくなってしまう。
地方の私たちの暮らしが荒らされてしまいます。
田舎に住んでいる私たちが、田舎をきちんと維持
してものを考えて、協議していかなかったら、農
山村は空中分解して田舎の存在があり得なくなっ
てしまいます。都会を支えるのは田舎。田舎を支
えるのは都会。田舎がなければ都会の暮らしは成
り立たないのです。地域で安心して暮らすために
大切なことを全国集会できちんと話し合いみんな
で考えて提案しようということになりました。そ
の時、7 回目のヒロイン全国集会を東京の早稲田大
学でやろうと提案でしたんですが、却下されてし
まいました。もうそんな時代じゃない、東京の時
ところが予期しない今回の大震災、津波、原発の
代じゃない、都会の時代ではない。これからは地
前代未聞の事故です。何度も何度も話し合って、
方の時代、地方に暮らすみんながきちんと発言し
もうやめよう、ここでやめなきゃ危ない。家族や
て大切なことを守っていかなかったら、日本の存
親戚の人たちを心配して動かなきゃいけない時に、
在なんてありえない。木っ端微塵に大海に浮かん
何でこんな時にここに集まって話をしなきゃいけ
でいる船が壊れてしまう、ちゃんと地方に立って
ないのか、という意見が出ました。確かにそうな
よりどころになるものをきちんと提言していかな
んですが、こういう時だからこそきちんと考えて、
16
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
事実の背景に起こっていることを見極めて、それ
ではありません。いったん動きだしたら止められ
がどういうことなのか、一体起こっているものは
ない原発事故はもんじゅのある福井では、もっと
何なのか、私たちはこれからどうしなきゃいけな
大事故になる可能性があります。だからこそ私た
いのか、どういう日本の国を作っていったら安心
ちは、ここできちんと考えて自分たちの暮らしの
して住める地域ができていくのか。とても大切な
あり方、提言の仕方をみんなに問うていく必要が
ことなので、あえてみんなで話しあって緊急集会
あると思い、最終的にヒロイン緊急集会開催への
というかたちで行わせていただくことになりまし
GO サインの判断をいたしました。そういう中で今
た。そうすると、べにやさんの奥さんから「私た
日のスケジュールをこなしていきたいと思います。
ちは、かまいません。キャンセル料もいりません。
いま、世界の人たちが日本をどうみているのか、
べにや旅館もみなさんといっしょにこういう大切
私たち日本の中にいると実際の状況はわかりませ
な問題を話し合える旅館でありたいし、心のより
ん。でも、フランスの方たちもドイツの方たちも
どころとして、心身ともに頭の中もリフリッシュ
みんなに「日本の国内から緊急退避!」という指令
し、物事を考えて発信できるような新しい旅館の
が来て、みなさんお帰りになっています。それか
あり方を探っていきたい。全て不利を覚悟で引き
ら外国の企業に勤めていらっしゃる方も、日本の
受けていますから、そういうことは一切関係なく
方も、その国のほうへ行くようにという指令が出
決断してください」という言葉をいただきました。
されている国もあります。そういう中で私たちは
それがとてもすごい勇気になりました。それで毎
本当のことは見えなくて、いつものような生活を
日毎日、状況が変化するたび、参加希望くださっ
しています。それはどういうことなのか。国の枠
た方たちに実行委員が何度も何度もお電話しまし
を取っ払らって、経済の利潤を求めた動きに突っ
た。最初 200 人近い方の参加をいただいて、130
走ったエネルギー問題から見た大事故なのですが、
名余のお食事と宿泊希望をいただきました。状況
いかに人の命を軽んじてきたことか。
変化でこういう形になりましたがと、連絡しまし
っと大きな事故につながる。もっと大きな問題が
たが、百何十名の方たちの数は減りませんでした。
起きてきます。そうなる前に、私たちの子供たち
しかし、3 日前に長野の方、埼玉の方、東京の方、
や孫たちに伝えるべく、何をどうやっていったら
山形の方から足がない、道がない、どうにもなら
いいかということを考えようと思います。どうぞ、
ない、来られない、すごく残念だという連絡をい
みなさまご遠慮なく思うことを忌憚なく発言して、
ただきました。じゃあ、私たちはどうすればいい
今日の討論を、一日を過ごしていただきたいと思
のか。余計な心配をするのはやめて、集まって話
います。危険な日に命を賭けてご参加くださいま
せる人たちで大切なことを話し合い発信していこ
して、ありがとうございました。
これがも
うと決めました。しかし、原発の問題があります。
放射能汚染は目に見えない形で広がっています。
梶谷 みなさん、今日はいつもより耳を何倍にもし
でも、この福井というのは、日本の中でも 54 基の
て、欲をかいて、いっぱい聞いて、吸収して、自
うちの 15 基があります。動いているのは 13 基だ
分の身につくようにしてください。
そうです。しかも、一番危険な「もんじゅ」があ
ります。そんな中で今安全でこうしていられるの
は、ここでしかできないことをやれ!ということで
す。福島の事故がいつ、福井に起こっても不思議
17
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
フォーラム開始
んでいけばいいのか」という問題を考えたいと思
います。講師の先生方にはそういったところを話
していただければと思っています。
今回の講師の方は 3 人でございます。みなさんそ
れぞれ海外の事情にお詳しい先生方ばかりです。
向かって左側からアンベール・雨宮裕子さんです。
マルクさんと結婚なさいまして、フランスのほう
の暮らしが長い方で、レンヌ第 2 大学の准教授を
されています。専門は民俗学です。そして、フラ
ンスで農業者と消費者の産直グループを自ら主宰
しておられて「ひろこのパニエ」という名前で活
大石 コーディネーターをしております京都大学
動を続けておられます。つづきまして、真ん中の
助教の大石と申します。今回のフォーラムは、と
方が秋吉恵さんです。秋吉さんは獣医学と開発学
ても欲張りなフォーラムとなっております。まず、
を修められまして、この一年ほど前から早稲田大
本来の目的 TPP の問題を皮切りに起こりました問
学で教員をなさっておられます。秋吉さんは、イ
題、すなわち農業、農村、そしてわれわれの暮ら
ンド、インド農村部との関わりをずっと持ってき
しといったものを今後どのように考えていき、描
ておられますので、今日は主にインドの話を中心
いていき、行動していけばいいのかという問題を
にお聞きしたいと思っております。そして、右の
考えたいと思い、今回のフォーラムを考えており
方が井上さんです。こういう事態で急に講師をお
ました。今の社会といったものは、経済効率一辺
願いすることになって申し訳ないと思っています。
倒に走ろうとしております。そして、日本の農業
井上さんは農村工学あたりの分野を大学で修めら
はひたすら非効率であるといわれかねない状況で
れたと聞いております。海外経験もお持ちで、東
す。しかし、ほんとうに農業を非効率なものとし
南アジアの農業開発とか農村計画にたずさわり、
て考えていいのだろうかと。農業を排除した時に、
最近は防災方面のことを仕事になさっていると聞
われわれの生活は本当に豊かなものになるのだろ
いております。今日は、そういった方面の話をお
うかということを考えたくて、この集会を開こう
聞きしたいと思っております。
としております。この問題については、今からじ
今回このフォーラムでは、海外の話が中心にはな
っくりと考えたいと思っております。
りますが、それは結局日本の問題を考えるために
ところが、この一週間の間に全く想定外のことが
比較の対象として海外の話を聞く、という会にし
起こりました。震災です。たまたまこの福井とい
たいと思っております。海外と比較をする中で、
う地域は、今日この場におきましては、あまり揺
日本の良さ、日本の欠点がわかってくるわけです。
れておりません。食べ物もとりあえず確保されて
われわれは日本の農業、農村といったものの中で
おります。でも、おそらくここに来られていらっ
何を守っていくべきなのか、そして何を今後新た
しゃる方々は、東日本の惨状にひどく心を痛めら
に築いていくべきなのかという点を考えながら、
れて、何か考えたい、何かつかんで行動していき
話を聞いていただきたいと思っております。そし
たい、将来をどうするか考えていきたい、といっ
て、講師の先生方には、最後には日本の問題に入
た方々ばかりだと思います。だからテーマとしま
っていけるようにまとめをしていただきたいと思
して「われわれは今まさにこの場において何を学
18
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
っております。ただし、非常に時間は短いです。
民として母親でもあって、子供を育てて普段の暮
先生方には 15 分というとてもタイトな時間をお願
らしの中で食の問題を考えています。そして、私
いしております。質問はいつでも OK というかた
の暮らす地域の農業の問題も考えています。どう
ちにします。話し中でもどんどん手を挙げて質問
したらみんなでもっと住みやすくて安全な食べ物
してください。15 分で軽くベルが鳴り、20 分で思
を手に入れられる生活ができるのか、農業者がこ
いっきりベルが鳴ります。そこで、とめてくださ
れほど苦労をしないで、いい物を作っている人た
い。よろしくお願いします。それでは、はじめま
ちが売り場がないような今の市場のあり方、それ
す。
を変えるにはどうしたらいいか、私が何ができる
かということを考えて研究計画を作って、その研
究計画を地方審議会で認めてもらって、4 年半研究
費をもらって活動しました。
私は、考えるだけではなくて、提言するだけでは
なくて、それを必ず先まで現実に何ができるか、
私にできること、国を変える事はできないかもし
れないけれど、その一歩である私の生活は、私が
食べるものは私が選ぶし、私が食べるものを作っ
てくれている人は私がいっしょに何かをするし、
そういう形でいろいろ自分ができることを考えて、
雨宮 私は、14 日にパリからこちらに戻ってきまし
そしてそれに加わってくれる仲間たちを自分で見
た。地震の時にはパリにいたわけで、状況がわか
つけて、そうして少しずつやってきました。それ
らないですごく心配な思いで帰ってきて、今福井
のひとつの成果が「ひろこのパニエ」です。その
に来ています。そして、フランスの政府のほうか
お話を今日はみなさんに紹介したいと思っていま
らは帰国したほうがいいうとう情報通達がまわっ
す。できることは、私たちひとりひとりが必要だ
てきていて、確かに在日のフランスの仲間たちの
と思ってやろうと思う気持ちがあったら、必ずで
何人かは既にパリのほうに戻っています。ですか
きることはあるんです。それを私は是非知ってい
ら私は逆ルートでこちらに戻ってきたわけで、な
ただきたいと思って、今日ここで紹介させていた
おかつ今ここにいて、みなさんといっしょに何か
だきます。
をするためにここにいます。夫もそれで今日はこ
これは、私たちが 2 年半かけて作った、レンヌで
こに来ています。
作った「ひろこのパニエ」という産直グループの
私はフランスの大学で教師をしていますけれども、
その教師の仕事をしながら農業の問題を考えはじ
一番初めの、パニエというのは野菜のバスケット
のことなんですけど、その野菜のバスケットに入
めて、ようこさんにも加わってもらって 4 年半ほ
れた実際の野菜を撮った写真です。私たちの産直
ど研究グループをやってきました。農産物の産消
グループ「パニエ」には、野菜のバスケットには、
提携によって村おこしをするにはどうしたらよい
野菜も入っているし、果物も入っているし、パン
のか、どれだけのことができるかということをテ
も玉子もチーズも何かも入っています。いろいろ
ーマにして、日本とフランスで研究活動をしてき
な生産者たちがいっしょに協力しあって、このひ
ました。なぜそんなことをはじめたかというと、
とつのバスケットの中身を揃えてくれています。
私は教師であるけれども一市民でもあって、一市
19
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
これはレンヌ市という、日本でいえば名古屋市ぐ
れども、東京にはもうこういう市はありません。
らいの中堅都市なんですけれども、ブルターニュ
日本の大きい都市ではこういう市はなくなってし
地方の中心の都市です。そこの市民が、街中にい
まった、これはとても大きな問題です。これは、
る人たちが、たったひとりの人、私がイメージし
おじいちゃんと孫たちが来て、自分のところで作
たのは高齢者なんですけれども、高齢者でも自分
った野菜を持って来てそれを売っている、ばら売
で取りに来て持って帰れる大きさにしました。重
りをしています。ここで大切なのは、ほしいもの
さがあまり重かったら一人で持って帰ることはで
を自分の目で確かめて、ほしい量だけ買えるとい
きません。フランスでもこういう買物車が盛んで
うこと。こういう習慣がなくなってしまっている
すから、それに入れて、自分で公共の交通機関、
ことに、日本のみなさんが気付いていないことが
バスであるかメトロであるか、自転車であるか、
とても大変な事実です。日本では、たとえばジャ
歩いていくか、車ではなくて、自分で使える公共
ガイモだったら 5 個売り、キロ売りではないんで
の交通手段で取りに来て持って帰れる大きさにし
す。5 個売り、ニンジンだったら 3 本、みんな袋に
ました。そのことをまず覚えておいていただきた
入って売っています。有機であろうがなかろうが、
いです。地元の人たちが自分の手で持って帰れる
無農薬であろうが特別栽培であろうが全部みんな
パニエというのを考
袋に入っています。最近はトレイサビリティがい
われていますから、そういう認証、安全性に関す
るケアを少ししてます、という姿勢はみえますけ
れど、実際の売り方はまだ袋詰めです。ほしいも
のを自分で選んで、野菜にさわったり、何しても
いいんです、ひとりの人で 1 本でも買えます。こ
ういう買い方ができなくなっているということは、
とても大きな問題です。それから、生産者に直接
会って話しが聞けない、これも大きな問題です。
「どんな風に作ったの? 」「何が大変だったの?」
そういうことを日常に話していると、この人はど
んな農業をしているか、消費者が自分でこの人の
生産の姿勢とか、何をどういうふうに作っている
かを普段から聞いて知ることができます。
これは、社会復帰支援農園といって、ここでは有
機農業の野菜を作って、これをひとつひとつボッ
クスに入れて産直をしています。社会から長期の
失業であるとか、監獄にいたとか、いろんな事情
で普通のルートから外れてしまった人達を社会復
帰させるために、ひとつのステップとして、有機
えてやりました。
農業を教えながら普通の生活に入っていく。朝起
これをはじめるきっかけになったのが、レンヌ市
きて外に出て仕事をして、お昼にご飯を食べて、
にある土曜日の朝市です。マルシェといいますけ
みんなと話をして、一日の朝・昼・晩という時間
20
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
の普通の流れを、野菜を育てながらもう一回取り
すから、実際の農民は 6 分の 1 に減っている。そ
戻していく。農業だからこそできる自然とのふれ
こで広がってきたのがアマップという農民農業を
あい、土とのふれあいをしながら、社会から外れ
支える会です。農民農業を支える会というのは、
てしまった人たちが普通の生活に戻っていけるこ
最近日本でもその話はでてきているので、ご存知
とを、農業を通して助けていくというひとつのや
の方がいらっしゃるかもしれませんが、日本の提
り方です。ここに来る人たちはこの後農業に従事
携運動にヒントを得て、それからアメリカ、カナ
していくわけではないけれど、農業というのはそ
ダの CSA という運動にヒントを得て、フランスで
ういう効果も持っているということを示すひとつ
2001 年に第 1 号が発足しています。今は 1200 以上
の例で、こういう取り組みが今なされているとい
あるといわれていますし、大きな流れとして少し
うことです。
ずつ広がっていますし、私のいるブルターニュ地
これが市民向けの産直ボックスで、この野菜を取
方でもかなり数が増えています。このグループに
っている人たちというのは、そういう人たちを支
入りたいという消費者たちは多いんですけれども、
援したいという人たちが取っています。だれそれ
それに応えられる生産者が充分いないというのが
さんのところの大根がおいしいからその大根が買
現状です。このアマップというのを、提携とどう
うというのではなくて、この人たちの社会復帰を
いうふうに、提携はみなさんご存知だと思うんで
助けてあげたいと思う人たちが、この野菜を取っ
すけど、70 年代にはじまった日本の若いお母さん
ています。そして、農家の人たちが自分たちで取
たちが中心になって作った産直のグループです。
り組んでやっているのが直営店。直営店だと野菜
それからいろんなかたちに発展していって、今で
がばら売りで、自分で取って、自分で量って、好
も続いている千葉県の三好村とやっている「安全
きなものを好きなように買っていきます。ここも
な食べものを作って食べる会」というのは 73 年か
そうです。こういう売り方自体がなくなってしま
らはじまっていますから、もうかれこれ 40 年近い
っているというのは、もし、みなさんが何か野菜
長い歴史のあるグループですけれども、アマップ
を作ったりしているんだとしたら、少し考えてみ
運動のヒントにはなっているけれども、現実には
てほしいことです。もっと直接ものを見せて、ど
あの提携運動と今フランスで起こってきて発展し
んなふうに作っているのか説明できる場をみなさ
つつあるアマップ運動とは基本的に大きな違いが
んが探してもらいたい。そして、消費者に自分の
あります。だからこそ、今度フランスで起こって
農業に少しでも理解を持ってもらうような努力を
きている、今起こっているアマップ運動にヒント
してもらいたいと思っています。
を得て、日本で新しくみんなが参加するかたちの
実際は、フランスでも日本と同じような問題を抱
産直グループをもっと増やしていけたらいいなと、
えているんです。フランスは農業国で自給率は
今私はここの日本にいて思っています。
120%なんてことよくいわれますけれども、とんで
アマップに関しては提携とやり方が違うところが
もない話です。フランスでも野菜や何かは不足し
あって、それなりに問題が無いことはないんです。
ていて、果物であるとか、今だったらニンジン、
基本的には私はアマップよりも日本の提携運動の
ジャガイモ、オレンジとかは近隣の国から入って
ほうが、生産者と消費者が共に手を組んで何かに
きます。スペインであるとか、イタリアであると
向かっていくという基本的な姿勢は、もっと哲学
かルーマニアであるとか、そういうところから入
的なところまでいく深いものがあると思っていま
ってきます。そして、農業の大型化が進んでいま
す。日本でいう和の思想。和というのは平和の和
21
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
でもあって人の和(輪)、たとえばこのわくわくネッ
うのは、これからみなさんに話し合っていただき
トワークのような人のつながりがもてる力、それ
たいところですけれども、ひとつ確実に違ってい
を表していると思うので、もしフランスのアマッ
て、たとえばこのわくわくネットワークのみなさ
プ運動が大きなうねりとして広がっていくことが
んの動きを見ていても、私が感じることのひとつ
できるとしたら、そこには当然日本の和の思想み
です。
たいなものが、人と人との間の調和を求める和で
私は、フランスで生活をしていて、フランスで家
もあり、そういうところまで他人を思いやる気持
庭を築いて、フランスで仕事をしていますから、
ちを持った運動であれば、フランスのアマップを
フランスの社会の中で鍛え上げられました。鍛え
越えるもっと大きな運動が、産直運動が日本でも
上げられたというのはどういうことかというと、
展開できるはずだと思っています。
黙っていたら私の場所がなくなります。黙ってい
たらというのは、私が何も考えていないと思われ
てしまう。たとえばベルリンの壁が落ちた時、「裕
子はどう思う?」必ず聞かれます。今こういうふう
な状況になっている日本について「裕子はどう思
う?」「どうしてる?」すぐにメールが来ます。い
ろんなことについて、旧ユーゴが分裂した時も、
ユーゴから来ている先生がいましたけれども、教
室の中まで集まって、どうしようか、どうやって
支援をしようか、クロアチアとセルビアに分かれ
「ひろこのパニエ」については、先ほどちょっと
てしまったこの国境の問題をどうするか、いちい
説明しましたけれども、毎週 1 回定期的に同じ日
ち「裕子はどう思う?」ということを聞かれます。
に同じ場所にメンバーが取りに行くかたちになっ
ですから私はいろんな問題に関して、常に自分な
ています。1 年間は 52 週あります。夏は、フラン
りに勉強をしていて、どう思うか自分の立場をは
スはバカンスというものがあって、農家もちゃん
っきりさせていく必要がありました。日本にいた
とバカンスを取りますから、私たちは年間 40 回の
らこんなことはなかったです。どんな時でも、ど
定期購買契約をして、40 回分のお金を先払いする
んなことに関しても、私はそれについてどうする
かたちでこのパニエを受け取りに行きます。それ
か、どう思うか。誰かが道端に寝転んでいたらそ
ぞれの生産者が協力し合うということがひとつの
の人に対してどうするか、私がその人を助けに行
ポイントで、これはアマップとは違います。アマ
くのか、警察に電話するのか、私はどうするか常
ップというのは、ひとりの生産者とグループの消
に考えています。そういう習慣が身に付いてしま
費者でやる定期購買契約です。日本の提携のいい
っている。どんな時でもただ黙っているというこ
ところは、生産者同士が協力し合う、これをまず
とはなくて、私ができることを考えていく。だか
ひとつの基盤にしている。原則として、です。今
ら、こういう機会があったならば、このグループ
ほんとうにやっている提携のグループが、こうい
は何をするのか。私は、今回この集まりの中から
うふうに動いているかどうかはまた別の問題です。
いくつかのグループを見せてもらいましたし、私
何か新しい息吹が出ていくものにしていただきた
いし、ただ考えて「集まってよかったね」で終わ
も日本で参加していますけれど、なかなかここが
ってほしくないし、私自身は終わるつもりはあり
そうはいかない。そうはいかないのはなぜかとい
22
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
ません。私もこの会のメンバーですから、この会
ず買いますということで、彼が新しく就農するこ
の中から何かをしていこうと思っています。
とを助けることができました。
パニエの話も、こういうものをみなさんにもやっ
これはみんなで農家訪問しているところです。フ
てもらいたいんです。野菜を作ったり、お米を作
ランスのこういう産直運動で大切なことは、生産
ったりしていたら、どういうふうに作っているか、
者も自立していて、それをいっしょに助けてやっ
ただ売って買ってくれる人がいる、それでいいこ
ていきたい、農業を支えていきたいという私たち
とにしないでほしい。もっと自分のお米を持って
消費者のグループも自立していて、お互いにどこ
いって話せる場を作ってもらいたい、野菜を持っ
まで何ができるかということを常に討論しながら
ていって話せる場を作ってもらいたいんです。
前に進んでいます。必ずしも私たちがいったこと
これは、私たちの市民集会です。農家で集まりま
を生産者が守ってやってくれるわけではないし、
した。場所がなければどんなところでも、その辺
生産者もできないことはできないとはっきりいい
の干草を積み重ねてこういうふうにイス作って、
ますから、そこで話し合いながら常に前進してい
集まれるところでやるというかたちでいつも私た
っています。パニエの分配の日なんかは、生産者
ちはやってきていますから、今回みたいにこんな
はまったくおしゃべりをしているだけで、何を量
立派なところでやると、ちょっと戸惑う気がしま
ってどれだけ持っていくか計算は全部私たちで、
す。「ひろこのパニエ」が、どういうところで配
自分たちで好きなように取って、お金は箱がある
っているか、野菜を集めて配っているかというと、
のでそこに入れて、という信頼関係ができている
これが今とても大きな問題になっています。マル
ので、売り買いというものは全く別のところに置
シェをやっている場所でやったら、物を売り買い
かれています。そういうかたちのやりとりも可能
していないから、あなたたちはここでやっちゃダ
かということです。
メ、っていわれて追い出されました。必ずしもそ
んな簡単なことではないんです。追い出されて黙
っている私たちじゃありませんから「じゃ、やれ
るところを探してくれ」といって市に交渉に行き
ました。市庁の下の前に広場もあったりします。
市民の家というのを見つけてくれて、そこに行っ
てその中でやれといわれました。これは、その市
民の家の中の中庭でやっているところです。中庭
でやっていたら他の人に見てもらえないので、ま
これは東京の日仏会館でやったことですけれども、
た他に出ていってます。こういうふうに常に問題
マルシェをはじめました。たった 1 回しかまだで
はあって、新しいことをやっていますから、決ま
きていませんけれども、本物の生産者に来てもら
りがないところで決まりを作っていってくれるよ
って本物の野菜を並べてもらって、東京の恵比寿
うに常に市と交渉をしたり、市民の他の人に話し
でやりました。こういうことをいろんなところで、
かけて入ってくれるように交渉したりしながら、
たとえば田舎のヒロインマルシェとかいうのをあ
いろんなところでやっています。
ちこちでやるとか、こういうふうにして出会いの
私たちは、ここにいる青年を助けることができま
場をいっぱい作ってもらいたい。出会いの場がで
した。新規就農の青年を、このパニエを作って必
きれば、生産者と消費者の新しい関係は育ってい
23
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
くし、その関係の中から、たとえばこういう問題
人で処理をしろ。もっと違うやり方で、もっと有
があった時に支援活動はどうしようか、すぐ義援
効なかたちでゴミの配分ができるし、無駄にしな
金の箱はできるし、何かをしていこうという動き
いでいつの間にかごく自然に分かち合いができて
ができます。人がつながれる場所が必要です。そ
いる。無駄にしない社会、これはひとつ大切な、
ういう場所をこれからみなさんといっしょに作っ
マルシェのある意味ではひとつの大きな機能だと
ていけたらと思っています。ありがとうございま
思っています。
した。
大石 ありがとうございました。次は、秋吉さん、
A 女 マルシェを見に行った時に、残ったものを、
お願いします。
ゴミみたいな感じのものを放置していく姿をみた
んですけど、それについて説明してください。
雨宮 今とてもいいことをいってくださいました。
パリにもいっぱいマルシェが出ます。マルシェの
日というのが決まっていて、マルシェの場所が決
まっていて、とてもよく準備ができています。市
の行政でそのテントをずっと作っていく係りの人
がいて、生産者は自分のボックスのところに野菜
をトラックで乗り入れて売って、終わったらクズ
秋吉 みなさん、こんにちは。早稲田大学の平山郁
はその下に置いていきます。置いていくのは大切
夫記念ボランティアセンターから参りました秋吉
なことです。なぜかというと、それをまた拾って
恵と申します。私は、今回の地震を横浜の自宅で
食べていける人がいるわけですから。ある意味で
子供とともに感じました。大変大きく長い揺れで、
は当然の分かち合いです。そういうものを必要と
3 回次々にやってきたので 30 分ぐらい布団をかぶ
している人がいて、そういう人たちがコソコソし
っていたでしょうか。かなり強い揺れにびっくり
ないで当然自由に取っていける。野菜クズを置い
いたしました。今日は夫と息子とともに横浜から
ていく場所があって、そのあと清掃車が来てゴミ
新幹線を乗り継いで来ております。
は全部片付けていきます。生産者は自分で持って
ご紹介いただきましたように、もともと私は獣医
来て、自分で片付けて、自分でゴミも拾い集めて
師です。獣医師としてインドで働くうちにその経
っていうことはしないで、自分が消費者と対話を
験から、医者として獣医としての知識ではインド
して自分のものを売って帰っていけばいい。行政
の家畜しか救えない、家畜を飼っている人たちの
はそれを支えるかたちでテントを作ったり、テン
生活は救えない、ということに気が付きました。
トをはずしたり。そして残り物は、取っていける
社会を知らなければ私たち獣医は何もできない、
人は取っていけるようにする。ごく自然なかたち
そう思いました。だから、社会開発というものを
で分かち合いができていて、残りクズは全部清掃
勉強し直して、今、私の専門は発展途上国の農村
車がきれいにしていく。ゴミを出さないという日
開発です。1998 年ごろから 2 年半インドに住んで
本の社会が私はすごく気になっていてイヤなこと
獣医をしておりまして、インドの農村女性たちと
なんですけれども。ゴミは自分で持っていけ。個
それからずっと約 12 年間つきあってきております。
24
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
そこの農村女性から学んだこと、そこで感じたこ
ールさんはそこで働いている人達です。ラバリさ
とを伝えていきたいと思います。
んは、主に牛を飼う人です。バルバールさんとい
インドというとみなさんどんな印象を持たれるで
う人は主にヤギを飼う人です。名前を聞けば何を
しょうか。すごく経済成長していて、今イケイケ
する人なのかも分かる、そんな世界です。家もこ
ドンドンという感じを持たれると思いますが。も
んなふうにパテルさんは、立派なコンクリートぽ
ちろんカーストとか、就業人口の 6 割が農業に従
い家に住んでいます。ターコールさんはレンガの
事するという農業大国、農業大国といっていいか
家に住んでいます。ラバリさんは、人によってい
わかりませんが、農村に多くの人が住んでいると
ろいろですが。牛の飼い方も全然違います。牛舎
ころであることは確かです。そして、食糧自給率
をつくるパテルさんに対して、ターコールさんは
という意味では、自給的な農業がメインですので、
家の前で繋ぎ飼いをする、ラバリさんは放牧する、
大変高い国だといえます。
そんな違いがあります。
インドで経済成長の次に思い浮かべるのは貧困で
グジャラートの村の主な産業というと、農業と小
はないでしょうか。世界の貧困人口の最多数を抱
規模な酪農、ひとつの家が 2 頭 3 頭のほんの少し
えるのがこのインドです。そして貧困というと都
の牛を飼って、そのミルクを主には自給的に、最
市のスラムを思い浮かべられるかもしれませんが、
近ではそれを売って生活の助けにしています。そ
貧困者の 7 割は農村に住んでおります。私はこの
して、ここには大きな男女の役割分担というのが
12 年間、いくつかの村とつきあいはありますが、
あります。耕作農業はほとんどが男性の仕事です。
今日は主にグジャラート州というインド西部の州
もちろん草取りなどの細かい作業は女性が担いま
の村のことをお話します。グジャラート州は、イ
す。牛を飼う、ヤギを飼う、そういう家畜の飼育
ンド西部大地震で、2001 年 1 月 26 日、パブリック
は育児と似ているからでしょうか、女の人の役割
デー、独立記念日に被災しております。死者約 2
です。飼料を採取して裁断してエサをやり、牛糞
万人、重傷者 2 万人、50 万人が負傷したという大
で燃料を作って、そして乳搾りをする。一方、村
変大きな災害でした。私の行っている村の人たち
では、ミルクを売る、村の外に出る、家の外に出
も被災した人々です。こうした村からの発信とい
るのは男性の役割です。だから、作った労働のほ
うことで聞いていただければと思います。
とんどは女性が担っても、ミルクの代金を手にで
グジャラート州というのは半乾燥地帯で、牛を飼
きるのは男性、そういう時代が長く続いてきまし
っている人たちがとてもたくさんいるところです。
た。
その村の主な住人たちをご紹介しますと、パテル
さん、ターコールさん、ラバりさん、だいたい 20
くらいの姓、氏名、苗字を持つ人達がいるところ
です。そしてこの苗字はみなさんご存知かと思い
ますが、カーストと呼ばれる社会的な職能集団の
区分けとほぼ一致しています。つまり、苗字を聞
けばこの人がどんなカーストかというのが分かる、
そういう場所です。そして、カーストというのは、
そのまま経済的な状況といまだ一致しています。
パテルさんは土地を持っている人達です。ターコ
25
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
いることの価値を、家族にどんな貢献をしている
のかを認識できない。家族や自分にとって何が必
要なのか認識できない。そういう認識できないっ
ていうことが、女性の家庭での交渉能力を著しく
低下させて、そのことが、女の子に対する、女の
子を大事にしていこうとか、女の子に教育を受け
させようとか、そういう方向性をどんどん失わせ
ていっているのではないかというふうにいわれて
います。女性が家庭でのお金とか土地とかそうい
うものをどう利用するかという意思決定に参加で
きない、そのルールこそがこうした抑圧的なジェ
ンダー、教育の結果をよんでいるというふうにい
われています。
これに立ち向かったのが、私が行っているある村
のひとつ、ゲス村です。女性酪農協同組合、女性
だけでつくる組合を作って、それによって女の人
たちが収入を得るようにしようという動きです。
世界的にも有名な女性の自立支援の NGO、SEWA
私が通っている村では、こんな男女の役割分担が
と酪農協同組合の連合体による支援があって実現
あります。これをジェンダーと呼んで、社会的に
したものでした。1991 年から約 20 年間の運営に成
つくられた男女の格差、区別というふうに、呼ん
功しておりまして、ミルクの出荷量や品質が A ラ
だりもします。インドでは今いったように、女性
ンクの組合に育ちました。それによって村の中で
に抑圧的な区別があるといわれています。そのこ
女性の活動が認められて、女性がミルク生産の担
とを顕著に表すのは、男の子のほうが女の子より
い手として、そして組織を運営できる能力を持つ
も大事にされるから死ににくい、人口も男の人の
者として認められ、かつ家庭の中で組合員として
ほうが当然多くなる、教育も男の人のほうが高い
登録できるようになりました。それまで、女性が
から女の人は、場所によっても違いますが、3 割 4
公的な組織の一員になるというのは、村のジェン
割しか字が読めない、こうした男女の格差は農村
ダーの中ではほとんど考えられなかったことなん
部でより顕著です。なんでこのようなことがおき
です。正式に組合員として登録し、ミルクの生産
るのか、さまざまな人が研究していますけれども、
管理に関与し、そして、ミルクを売って得たお金
その中でわかってきていることは、農村の女の人
をどう使うのか意思決定に参加できる、そんなこ
たちは、育児に仕事に家事にやることがたくさん
とが起こるようになりました。ただし、こうした
ありすぎて、余分な時間がない。だから外から情
家庭での変化は、カーストによって大きく異なっ
報が得られない。特にインドの農村部は、ネット
ています。それは、カーストのコミュニティの間
が簡単につながるような世界ではありません。電
に立ちはだかる大きな壁によるものだと、私は考
話もみんなが持っているような世界ではありませ
えています。
ん。外からの情報が得られない分、自分がやって
26
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
土地を持っているパテルさんの女性たちは、大き
っていると彼らたちから託されてきたことをここ
な力を持っています。大きな力を得ています。タ
にお伝えして、彼らが作った映像を見ていただき
ーコールさんやラバリさん、いわゆる低いカース
たいと思います。
ト、貧困の状況にある人は、いまだ貧困と女性と、
その二重の差別の中でなかなか起き上がることが
できない、力を持つことができないという状況に
あります。このコミュニティの間に立ちはだかる
壁、社会的な規範、そういうものは村の中だけで
はなかなか越えることはできないのだと、この 12
年間ひしひしと感じてきています。
ほんとうは彼らには農村女性という共通項があり
ます。みなさんが日本全国の中で農村女性として
互いに何かわかりあうものを持ってネットワーク
̶映像̶
を作っていった、そういう共通項があるはずです。
(内容)
ほんとにすぐ近くに住んでいます。でも、この間
インド農村には貧困や、幼児婚、ダウリ(持参金)
の壁は驚くほど高いです。もしかしたら、日本の
などネガティブな面がたくさんあると思い、そ
農村女性とインドの農村女性の間にある壁よりも
の解決策を考えようと村を訪れた学生たち。で
っともっと高いかもしれません。だから、私はず
もそこには家族や、集落や、友人たちとのつな
っと前から願っています。田舎ヒロインのみなさ
がりを大切に生きている人々の姿があった。15
んへ。インドのこのような社会基盤をゆるがす刺
歳で学校を辞めざるを得なかった女の子は、辞
激剤になってください。風穴を開ける人になって
めた後、大家族の中に生きる場所を見出してい
いただけませんでしょうか。同じ女性の農業者と
る。さらには義姉からの紹介で、村の外とつな
して、村を越えたネットワークを作ってきたみな
がりを作り、家族の生活を良くするための仕事
さんに、このインドの農村での刺激剤になってい
やネットワークを手に入れた女性もいる。イン
ただきたい、国を超えた女性のネットワークを作
ド農村の女性たちは家族や集落のつながりつ
りませんか、これが私の訴えたいことです。
つ、外の世界へのつながりを広げていた。
実は、私はこの 4 月から早稲田大学で教員をする
一方の日本の大学生である自分たちは、バイト、
ようになって、この 12 月末にようこさんもいっし
サークル、授業、家族、いろんなコミュニティ
ょに学生を連れてインドの農村に入りました。そ
に属しているけれど、夫々に合わせた顔を見せ
して、とても驚かされるような発見を学生たちが
て、属するコミュニティの間には何のつながり
するのを間近に見ました。学生たちの発見を見て
も作っていない。インド農村の良いところを学
いただけないでしょうか。本当はこの集会にも、
んで、これからは「つながりを深めつつ、新し
インドに行った学生 5 人が参加する予定になって
い世界へ広がる」ことを目指したい。
いました。しかし、この事態で学生たちの参加を
大学側から差し止めるようにという勧告を、私自
身がいただきまして、学生たちには涙を呑んであ
秋吉 学生たちのこのような発見に、正直驚かされ
きらめてもらいました。ネットワークの成功を祈
ました。これを見て私は思ったんです。少なくと
27
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
も都会に住む学生たちが感じていることからは、
の生活や家計というものを計画的に成していくと
今の日本は何かを失ってしまったのではないでし
いう能力は、まだ多くの人たちがそれほど高くな
ょうか。そして、都会の学生たちが気付いていな
い、それは自給的な作物栽培しかしてこなかった
いことを、みなさんはきっと知っていらっしゃる
人たちが、急に外とつながることの難しさもある
と思います。私は本当はインドの農村女性とつな
と思います。それは、つながった外の相手の問題
がってくださいと、お願いにきたんですが、日本
ではないかとも思います。そういう計画的に自分
の中でもみなさんはもっと何かを伝えていける、
たちの家計を成していくことも教えていく、そう
そんな立場にいるのではないかと、そう思います。
いう人たちとつながれれば、まったく状況は変わ
ありがとうございました。
っていたのではないかと思っています。
大石 何か質問はありますか。
A 男 この前テレビで見たんですけど、インドの問
題で自殺が増えている、そのひとつに無理な融資
という話がありました。外のコミュニティに出れ
ば出るほどそういうリスクがあるという意味で、
やっぱり教育が大切だというのはわかるんですが、
教育と外に出るリスク、ひとつのコミュニティに
対する、もしくはコミュニティから出ることに対
してのリスクは多々あると思うんですけど、その
ことについてはどうお考えでしょうか。
秋吉 外のコミュニティに出る、もしくは外のコミ
ュニティとつながることによるリスクというのは、
特に自分の中で計画的に、たとえば自分の生活を
計画的に考えていける能力がないままに外とただ
つながってしまうことは、とても危険な部分もあ
ると思います。自殺が増えているというのは、イ
井上 越前市から参りましたラピュタ創造研究所
ンドでも中間地域デカン高原というあたりで綿花
の井上と申します。今秋吉さんのお話でインドが
の新しい種を導入した会社が、それを購入するた
でていましたけれども、実は、私も 40 年前、学生
めの資金をどんどん貸し付けて、でも育てるため
時代にまさしくああいう感じでインドに行ってい
の知識や計画性のところには手を入れてなかった
まして。インドっていうのは非常に魅力的な国で
ので、思ったような収穫量が得られないために借
ありますけれども、また治安が危ない国で、イン
金だけが嵩んでしまった。それを苦にして自殺し
ドでの何ヶ月間の学生時代の経験が、今の悪い人
てしまうという人がたくさんいるというのが問題
生を歩んだか、楽しい人生を歩んだか、それの境
になって、今国際機関も入って大きな問題になっ
目になりました。それくらいインドというのは非
ているところだと思います。それは、やはり自分
常に複雑で魅力的で、そういう国であったという
28
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
ことを、今久しぶりに見ていて学生時代を思い出
なんです。ところが、私がスリランカに行きます
しました。
と、今はちょうど停戦になりまして政府軍が大き
今日は、急な話だったので何も用意しておりませ
くなりましたけど、当時「タミルの虎」というゲ
ん。パワーポイントも何も用意してありませんの
リラ軍がいまして、インドに近いところはゲリラ
で、口だけでしゃべらせていただきます。私は 3
軍が攻めていて、首都コロンボに近いところは政
点についてお話させていただきます。技術援助と
府が占拠していました。われわれが携わる農業開
して東南アジアの国々に農業開発として関わった
発というのは、ちょうどその中間に行くんです。
ことと、TPP の国民国家としての役割ということ
ゲリラ軍と政府軍のちょうど間にありまして、ま
を、いろいろとラピュタ創造研究所で研究してい
あ危ない、いくつ命があっても足りないようなと
ますから、そのことを少しさせていただいて、最
ころに、ずいぶん行かされました。ゲリラからす
後に防災のことを、今主として仕事をしています
れば、「お前らが政府を援助しているから今の政
ので、それと絡めて、農業と絡めたそういう 3 点
府はもっているんだ」といって、われわれも目の
についてお話をさせていただきたいと思います。
敵にされました。先輩がゲリラに捕まったり、そ
まず、農業の私の海外経験をもとに話をしますと、
ういう仕事をずいぶんしてまいりました。そんな
先ほどのようにインドをずっと旅をしていまして、
中でいろんな国を廻ったんですけれども、やって
その中からインドの貧困を見まして、是非東南ア
いて思ったのは、結局 JICA とか世界銀行で行き
ジアの農業開発をしたいと思いました。私は農業
ながら、日本大使館と盛んに組みまして、たとえ
工学というのをインドでの経験から専攻しました。
ば工事の仕事だと大成建設とか竹中工務店とかが
東南アジア、国でいいますとインドネシア、マレ
請け負い、日本の援助というのをまた日本の業者
ーシア、フィリピン、スリランカというところで、
に回して持って帰ってくるというような、そんな
農業開発の仕事をさせていただきました。私の場
組み込みをされているような感じはかなりしまし
合は世界銀行・JICA とかあるいは OECD とか、
た。それはそれで、ずいぶん楽しいこともありま
そういうところの仕事をさせていただきまして、
したが。それを 5、6 年やりまして、田舎に戻りま
どちらかというと日本政府、世界戦略の中に組み
した。
込まれた日本政府の役割を成していくような感じ
もう二度とこういうコンサルはしないと思い、そ
でした。当時ご存知のように東西冷戦の最中です
ういう中でコンピュータシステムを組みながら田
から、日本は世界銀行、マクナマラを中心とする
舎でやってきました。越前市の武生というところ
理論が構築されておりまして、その中で日本の役
に私は住んでいるんですけれども、私が生まれた
割を成せと。だんだん日本は工業国になってきま
すぐ近くに、善光寺通りという小さな通りがあり
して、工業製品を売りたい。そういう中で、農業
ます。そこの出身で、江戸から明治にかけての政
は東南アジアにやっていただいて、なるべく安い
治家で学者の渡邉洪基という者がおります。もと
農産物を入れようということで、農業開発をどん
もとお医者さんで、立身出世しまして東京大学の
どん指導するということになりました。その一兵
初代総長に、東大も出ていないのになる方であり
卒として盛んに東南アジアによせていただきまし
ます。武生の人は、武生から東大の初代総長が出
た。
たというのでうれしい、うれしいというんですけ
主として私がやりましたのは、灌漑工学と排水工
れど、彼の役割というのは非常に複雑でおもしろ
学であります。どちらも私にとっては面白い学問
いことが勉強してくるとわかりました。
29
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
彼は伊藤博文の下で働いていた人間です。伊藤博
こを抜け出ていってしまう。それから金融。ピッ
文とか渡邉洪基は何をしたかといいますと、実は
ポッパとやりながら、昨日今日とまた外国の投資
今 TPP なんかで問題になっています国民国家、国
家が日本の株券を売って逃げ出して何千円も下が
民が国家を成していくという今の日本のかたち、
っていますけれども、そのお金というのもいとも
ヨーロッパのかたち、すなわち国民国家、英語で
簡単に国境を通り抜けようとしています。人に関
いうとネーションステイトといいますが。われわ
してはパスポートを持って行きますから、まだ制
れが国旗を掲げて、そのもとにいれば保護もして
限はあるようですけれども、昔に比べればずいぶ
くれるし利益もやろうという、この日本という国
ん行き来しています。TPP は、もっと物をズタズ
の国民、たとえばスリランカという国の国民、と
タにしてしまうということのひとつの現れであり
いう感じで、その中で国民国家を作っていくこと
ます。先ほどやまざきようこさんが「TPP 絶対反
を、いち早く伊藤博文とか渡邉洪基というのは気
対!」というようなことをおっしゃっていたんで、
付くわけなんです。渡邉洪基がなぜ初代総長にな
ちょっといいにくいんですけれども、私は賛成で
るかというとをいろいろ調べますと、彼は伊藤博
はないんですけれども、絶対反対でもない。イン
文によって東大へ送り込まれて、国家学会という
ドとか東南アジアで仕事をしている時に、日本っ
学会を作ります。国家学会はなにかといったら、
てずいぶんと贅沢だな、圧倒的に東南アジアから
国家というのは何かという要素を考えて、この近
絞り取った富で日本人は暮らしているなと、実感
代国家、彼らにすれば明治維新、今のことばでい
としてずっと感じていたところであって、日本国
うと国民国家です、それを作っていく。要素を作
民だとこういういい生活がのほ∼んとできるんだ
っていく。彼はドイツのシュタインという学者の
なと。一旦違う国に所属してしまった人は大変だ
指導を受けながら国民国家の骨格を作っていくん
なと思っていたところであります。
です。どういう要素が国家を成立するにはないと
国民国家というのが崩れているのか、崩れていこ
いけないかということに気付いていくわけです。
うとしてるのか、あるいは守るべきなのか、ちょ
その中で東大法学部を作りまして、その中で官僚
っとわかりませんけれども、これから国というか
制度を作って、今の東大法学部を出た人間が大蔵
たちがどういうものになっていくのかということ
省に入るとか、内務省に入るとか、そんな最初の
が非常に注目を浴びている。国民国家という古い
仕組みを作ったのが武生の人で、今の国民国家を
パターンを堅持していくほうがいいのか、あるい
作っていったわけです。
は情報・金融・金が抜け抜けになっていますから、
それで 150 年が経ちました。今にきてどうなって
それに合わせて人・物も国境を事実上なくすよう
いるかというと、これが TPP とも関係するんです
なかたちにしていって、EU みたいなかたちにして
けれども、実はこの国民国家というのが今次第に
いけばいいのか。そういうことのあり方というの
崩れていこうとしています。何が崩れていこうと
が、これからこの国のかたちを決めていくのに、
しているかというと、人・物・金、あるいは情報
非常に大切なところにきていると私は思います。
を国家というのはひとつの中に組み込んでいるん
こっちがいい、いやこっちがいい、となかなかい
ですけれども、ご存知のようにインターネットが
いにくいところに、みんながあると思います。み
できることによってかなり情報がボーダー、国境
んながここでしっかり考えていかないといけない
というものを抜けていってしまう。いくらボーダ
と思っています。
ーというところで国家が管理しようとしても、そ
30
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
しています。どんな地震が起こった時でも、自分
の主たる仕事を守りぬいて生きぬいていく。これ
は企業でもいえることですし、各行政、県とか国
とか市町村などにもいえます。今日もうちのお客
さんが災害で大変な目に遭っていますので、ぎり
ぎりまでいろんな方と打ち合わせをさせていただ
いておりました。
防災に関することをちょっとお話いたしますと、
地震が起こったところから技術コンサルが沸きに
沸いております。仕事の予定発注がずいぶんとで
ています。あそこを再興するためにどうしたらい
いかということで、沸き立つように技術コンサル
ト、工業コンサルタントが、次の仕事が舞い降り
る。まずは、被害調査ということで一斉に動き出
しています。農業の個人補償とか子育てとか高速
道路の料金をや∼めたといって、災害復旧に回そ
うというかたちに民主党もなりつつありますから、
たぶんそこしか財源がありませんのでそうやって
私はもう少し自分で歩きまわれる、自転車で行け
回ってくるんだと思います。
る距離、範囲の中の衣・食・住というものを大切
特に農村地帯の現状復帰はないであろうと今いわ
にしたいなと思って武生に帰りました。今、武生
れています。特に高齢者農業のところ、あるいは
の中の昔からの歳時記を調べさせていただいてお
零細企業の復旧をインフラからやるというのは非
ります。その中で信仰とか神社とか含めて武生固
常な負担になるということです。一部、農村地帯
有の歳時記を調べて、そこに出てくる衣・食・住
の復旧復興・インフラはするかもしれませんけど
をもとに暮らすことによって、国家が自分を守っ
も、多くの場合はそういう復旧をしないで、どう
てくれるというより、自分が地域に住んでいる風
しても農業をやりたいという方は、一部固めてそ
土の中での自分の生き方というのを再構築したい
こをやるというかたちになるのではないかといわ
なと思っています。ラピュタ創造研究所は、そう
れております。その他は生活保護的にいろんな零
いう仕事をしているつもりであります。
細企業の方とか高齢者農業の方とかを補償してい
最後は防災の話をさせていただきます。実は、防
ったほうが、政府としては安上がりというような
災で一番金を儲けていているというか、ビジネス
感じで、そういうような方向にいくのではないか
をしています。サイエンスクラフトという会社の
ということが噂をされています。
防災コンサルティングの代表取締役もやっており
災害ユートピアという言葉があるんですけれども、
ます。地域防災計画や国民保護計画とか、企業が
災害に遭われた方が非常にユートピア的状況にな
こういう災害が起こった時にでも生きぬいていく
るというのは、これはどこでも起こることであり
ための BCP、ビジネスコンティニティプライニン
まして、アメリカの 9・11 の時もそうでした。今
グ、事業継続計画というんですけれども、それを
回も災害ユートピア的になりつつあります。世間
31
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
ではお金を持っている方、地位のある方で社会が
決まっているんですけれども、同じ条件下で災害
に遭うと、お金をいくら持っているとか、どんな
地位があるとか、男とか女とか、関係なく差がな
くなる。そうなると人間本来もっている役割をな
そうとするわけです。「僕、バケツを持って運ぶ
わ」「私、これするわ」と誰がいうともなく役割
をなしていって、その中を切りぬけていこうとす
る。人間の持っている社会的動物のひとつの本能
なんでしょうか、そういうことが防災をやってい
るとわかってきます。問題はその後で、ある程度
落ち着いてくるとまたお金を持っているとか、持
ってないとか、地位が云々というところに戻って
いくわけです。今若干災害ユートピア的なところ
が出てこようとしているところが、われわれとし
ては見ているところであります。外国との関わり、
TPP、防災についてのことをお話しました。あり
がとうございました。
井上 非常に広域ですよね。地震の規模が違います。
大石 今回地震で大きなダメージを受けられた地
神戸は集中的に起こったもので、今回は非常に広
域は、僕の印象では、都会もダメージを受けまし
域であること。それからご存知のように 75cm ぐ
たが、農村、漁村、人口の少ない第 1 次産業の地
らい下がっているところがあって、海に戻りつつ
域がひどいダメージを受けているんですね。神戸
あるところも含めて、非常に難しいところがあり
は 16 年経ちますが、震災の後がぱっと見ではわか
ます。人間というのはぎりぎりのところで、私も
らないほど完全に復興してしまっています。とこ
農業土木をやっていたのでわかるんですが、湿地
ろが今回の東北地方の復興に関しては、それとは
帯はなるべく田んぼに田んぼにとして、自然に反
全く異なるようなことをおっしゃいました。そこ
するというのはおかしいですけれども、いかにし
をお聞かせください。
てそういうことを克服して良い水田を作るかと。
私も学問的に教えられてそうやってきました。自
然界からすればずいぶんなことであって、今回そ
れのしっぺ返しがあったというところ、100 年、
1000 年単位の地質学的な観点から見るとそういう
ことがあるのかもしれません。その中でそれを無
理矢理全部戻して、インフラも水田も全部そこま
で復興するのかというと、そこまで日本の力があ
るのか、意味があるのかということも含めて、イ
ンフラも含めて完全復旧があるのかどうなるのか
32
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
わからない、というのが私の印象です。そして、
山崎 TPP の発想として国を解体していくという
既にいわれだしていることだとも思います。みな
ことですが、みんな国を解体していくという意識
さん避難所にいる段階でこんなことをいうのはな
そのものがないんじゃないかなと思うんですけど、
んですが、そういう感じでまわりでは見ています。
その辺をもう少し優しく砕いてお話いただけると
ありがたいです。
<討論会の会場づくりをしながら、質疑応答がつづ
く>
A 男 東南アジアの人たちから搾取して日本人が
いい生活をしていたというお話がありましたけれ
ど、私としてはそういう実感がなかったので驚き
ました。
井上 日本人はアイデンティティーが、外国から見
るとそれはなんだろうと。日本人なんだろうと思
って、自分のアイデンティティーを持ってやるん
ですけれども、やっぱりその時に日本という国が
あると「あ、日本人やな、福井県人やな」となる
んですけれども、僕はあまりあの「ニッポン、チ
ャチャチャ」というのが好きじゃないんです。あ
井上 あくまでも、私の主観ですが…。インドネシ
の日の丸のもとで「ニッポン、チャチャチャ」っ
アに私が行っている時に、日本の林野庁から人が
てやって、あまり好きじゃないんです。いわゆる
来て、そこで木を育てる。そこで働いている方と
国民国家の、いい意味でも悪い意味でもひとつの
いうのは非常に貧乏な方で、我々日本人はそこか
現われなんです。国が軍隊で守って、国境を守っ
ら建材を輸入して、安い建材を使っている。そし
て、これが幸せという世界はたぶん崩れていくだ
てその分快適な生活をさせていただいて「あ、こ
ろうと私は思っています。ただし、完全にそれを
れはインドネシアから来てるんか」「あそこで働
崩してしまうということがいいことかどうかとい
いている労働者ひどい生活をしているな」と思い
うのは、私にはわからないです。この段階で、昔
ながら、私はいろんなものを見ています。割安で
みたいな国民国家がさしいかないことは EU を見
そういうものを輸入しながら、それを日本人の知
ていればわかると思いますし、この国のかたちと
恵といえばそれまでですけれども。そういうこと
いうのを、明治維新で作った国のかたちのままで
を建材の例で挙げましたけれども、食べ物にして
はいかないという中で、われわれがこの国のかた
もそういうことをずいぶん感じていましたので、
ちというものを決めていかなければいけと思いま
客観的というよりも私の主観的な話ですが、たぶ
す。日本人は、あんまりそのことに意識がないと
ん当たっている主観だと思います。
いう気がします。私が電子コンピュータで質問し
て中国で誰かが答えてというのが既に行われてい
33
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
ますから、国境というのが事実上なくなって、ク
討論会
ラッシックな国境というものがなくなっている現
コーディネーター
在、どういうような暮らしを我々がしていくか、
パネリスト
大石
雨宮/秋吉/井上
農業をやっていくのかということを、もう一度真
剣に考えていく必要があるのではないか。答えは
持っていませんが、必要はあると思っています。
大石 海外に目を向ける中で日本を考えた時に、日
本の良い点、守っていくべき点は何か。
そして、欠けている点、欠けているから今後築き
上げていくほうがよかろうと思われる点は何か。
ご自身の海外でのご経験をもとにお話ください。
雨宮 日本の良い点は、こういう場づくりの力です。
人のことを思いやる気持ち、「お先にどうぞ」と
いってあげる人がいたり、災害があったらすぐ心
が痛んで、何ができるかなと考える人たちがたく
さんいるというところ。それがとても良いところ
だと思っています。欠けている点は、じゃ、それ
をどうするか。即自分が行動に移る、そのアクシ
ョンに出ていく力が欠けていると思います。こう
いう問題が起こった時に行政がどう動くのか、こ
ういうふうに依頼があったらそれに応えて何かを
する、義援金の箱が用意されたらそこにお金を入
れる。施設にランドセルを贈ったら次から次にい
っぱいお金や物を贈る人が出てきてというのが話
題になりましたけれど、そうではなくて困ってい
る人に寄り添って、その人が何を必要としている
かを聞いて、そして自分は何ができるかというこ
とを考える。自分が何をしたらいいかということ
を考える市民意識が、日本にはまだ十分育ってい
ないんじゃないかという気がしています。
34
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
ます。先ほど EU のことでひとつ気になったんで
大石 セバスチャンという新規就農者の方を育て
すけど、EU は EU の中で農産物とか人の移動が前
るというかたちのグループの方を結成していらっ
より簡単になってお金もひとつに統一されました
しゃいましたけれども、農業と人々の関わり方に
けれども、それによってフランスの農業は、むし
おきましても、日本の場合は買ってもらうという
ろ自国の農業を保護するいろんな政策を作ってい
関係だけにとどまってしまって、その行動のもつ
ます。そういうことを前提にしての協同体です。
社会的意味、買うという行動、作って売るという
そのことを忘れないほうがいいと思います。
行動を通じて社会を変えていこうという意識が、
日本の場合やや弱いのかなと。フランスの場合、
大石 では、つづきまして秋吉さん。
ただ買うというのではなくて、その買うという行
為でなにか社会を変えていこうとする動きが強い
と思ったのですが、その辺はいかがでしょうか。
雨宮 先ほどマルシェの写真をお見せしましたけ
れども、安全な農産物がほしい人、有機農産物が
ほしい人は、フランスの場合は有機農業に関して
は日本に比べればはるかに、ドイツに比べればま
だ弱いんですけれども、農産物はもっと一般的に
いろんなお店がありますので、スーパーでも手に
秋吉 日本の良い点、守っていくべき点。もしかし
入るし、専門店もありますから自分で買うことが
たら良かった点かもしれないんですけれども、私
できます。マルシェに行けば、そういう物を売っ
たち農村開発、途上国農村開発の研究者の中で全
ていますという生産者がはっきりと何人もいるの
員がそうだとはいいませんが、日本という国が戦
で、そこに行って好きな物を好きなだけ買えばい
後ここまで発展してきた大きな要因としてみんな
いんです。買うことに不便はないんです。それと
が感銘を受けているポイントがあります。それは、
は別にわざわざ面倒なグループを作って、新規就
日本はお祭りを運営する人々と、生産、畑、作物
農者を助けたり、新しい農民農業を育てていこう、
を育てる、そういう生産をする組織の人々、地域
守っていこうというのは意識的な行動で、そうい
の自治を行う人々、それがほぼ一致している。お
うふうにして私たちは自分たちの地域社会を自分
そらく東南アジアや南アジアの中では稀有な存在
たちの手で守っていくという意識があってやって
ではないかというふうにいわれていて、この 3 つ
いることです。本当に面倒くさいし、年中問題は
を担う人々が一致していたことが、日本の経済発
起こるし、いつも同じ野菜が入ってきて我慢した
展を生んできたのではないかと。これを真似した
り、そういうことも承知でやっています。はじめ
いと思っても、少なくとも私が研究対象、活動対
からそれがただ農産物の取引に終わっていない、
象としている南アジアでは、それはほとんど一致
生産者にしても買っていただく消費者として私た
しないです。さっきいった村でも、お祭りをする
ちのことを考えていない、一緒に何かをやってい
のはカーストコミュニティの単位です。村は 20 ぐ
く仲間として私たち消費者を受け入れてくれてい
らいのカーストコミュニティが集まっていますか
る。私たちもそういう姿勢で生産者を応援してい
ら、政(まつりごと)は経済的に力を持っているカー
35
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
ストコミュニティに独占されてしまいます。生産
日本の社会は、中間層の 8 割の人は、みんなしっ
ということになれば、土地を持っている人しか入
かりしているなと思います。私も会社を経営して
れないのが生産者組織です。酪農は牛を持ってい
いて若い社員が入ってくるんですけど、その 8 割
る人しか入れません。日本では、お祭り、政治、
はしっかりしているという日本人のパターンが、
生産を担う人々全てが、本当の意味で一致してい
最近崩れているんじゃないかと思いまして。だん
るかわかりませんが、ある程度一致していて、そ
だんその 8 割のしっかりした中間層の日本人がな
れが地域というものを、暮らしを守る単位になら
くなりつつある、特に若い人の中でなくなりつつ
しめている。日本は、村にあるつながりが、暮ら
ある、しっかりしているんだろうけど自分よがり
しを守る単位を盛り上げてきた、それが今もしか
で社会のシステムというのをあまり考えない、と
したら無くなりつつあるのかなと。それは農業政
いうところが若干心配なところです。
策、日本の政府の政策によるものもあるのかもし
れませんが。この暮らしを守る単位のつながりと
いうのが、これから是非守っていくべき点であり、
場所によっては一度失われてしまったものをこれ
から作っていく点ではないかと思います。
欠けている点としてもうひとつ。今回の地震とそ
の後の原発でインドの友人からもたくさんのメー
ルをもらっています。日本は支援というかたちで
素晴らしい動きをしていてそれを世界が驚嘆して
いると、彼らは書いてくれました。でも、原発に
大石 では、ここで会場からもご発言をお願いしま
対する対応をなぜ日本の人々が黙って見ているの
す。
か理解できない、というメールもたくさんいただ
きました。インドは 98 年、私が行くちょっと前に
山崎 雨宮さんに。EU というかたちのものが、27
核実験を行っていました。パキスタンに対抗する
カ国がひとつになって新しい国づくりをはじめた
ために。その時インドの人たちはたくさん「人の
んですけれども、その中で農村がいろんなかたち
輪」をつくってデモをしました。変だと思ったこ
で保護されているとおっしゃいました。日本人に
とに対して、すぐ行動するという習慣があると思
はなかなか理解できないぐらいの保護政策という
います。日本の人たちにも今それが期待されてい
のが、ヨーロッパでは過去 60 年間ぐらいやってき
るように思います。
ているんですけれども、その一部でも紹介いただ
ければ。日本人というのはちょっとでも保護する
井上 日本の良い点は、中間層がしっかりしている
と、日本の農業は保護されたといってケンカにな
ことだと思います。アメリカにも何年間か住んだ
るんですけれども、ヨーロッパの保護は日本の保
ことがありますし、東南アジアにもあるんですけ
護の比でないと思うのですが。その辺をちょっと
れども、たとえばトップ 5%か 10%はアメリカなん
でもいいので、お話ください。
か大変優秀で、彼らがいろんなことを考えてマニ
ュアルを作って、後の 9 割の人はそれに従ってい
雨宮 今具体的な数字は手元にないので申し上げ
くだけの社会で、それで幸せなんだと思います。
られませんけれども、少なくとも分かっているこ
36
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
とは、環境保護費としても、農業というのは生産
した者に関わるだけではなくて、農業者は、日本
でいえば田んぼや何かで緑地を守っている、環境
保全に貢献しているふうに捉えられているので、
各自が持っている農地の広さあたりに対して国か
ら補助が出ます。酪農家だったら酪農の収量、何
頭牛を持っていてどれだけの乳をだしているかと
か、そういう生産量に対してではなくて、農地、
牧場、フランスだったら、平均は地域によって違
うんですけれども、たとえばパリ近郊だったら麦
を作っているので、だいたい 1 人 100ha 単位の農
地を持っています。ブルターニュだったら、私が
いるレンヌ市があるブルターニュ半島は酪農圏な
んですけれども、そこだとどんなに狭くても新規
就農するのに最低 10ha はないと。10ha が基本に
なっていて、10ha を借り受けて新規就農というか
たちで農業がはじまります。そういう農業者に対
して国が大幅に保護をして、環境保護のためのお
金として、国が 1ha 当たりいくらという保護費を
雨宮 有機農産物に関しては、それだからこそ、マ
それぞれの農家に直接支払っています。
ルシェが必要だと申し上げたのはそれもあるんで
す。伝統的に市というのはフランスに長く根付い
C 男 フランス、ヨーロッパでは日本より有機が盛
ていて、自分で直接見て買うという習慣ができて
んですね。農産物の有機と慣行栽培との価格差と
きているから、スーパーでも野菜はばら売りにな
いうのは国民が認めているんでしょうか。日本で
っていて、自分で選んで取って量って買うという
は苦労して有機で作ってもそれを認めてくれない
ことが、有機であろうが、慣行栽培であろうがで
んです。ちょっとでも価格を高くすると買ってく
きます。消費者が野菜を見た時に、野菜のかたち
れないし、そういうやりにくい面があるんですけ
がどうであろうが、作った人が信頼できて、その
ど、ヨーロッパは有機に対して政府も援助するの
野菜が確かなものであれば買います。そういう習
か、国民が価格差を納得して買ってくれるのかが
慣ができているから、有機のものが売れないとい
聞きたいです。日本では米の輸入関税というのが
うことはないんです。価格差があっても買います。
780 ポイントかかっているんですけど、ヨーロッパ
天候が悪くてその生産者が、これを私が知ってい
ではそういう輸入関税かけているんでしょうか。
るリンゴの生産者の例ですけれども、有機でも特
に凝ったやり方で月とか星とかの運行をきちんと
見ながら、尚かつ農薬なんかは一切使わない、肥
料も自然のものしか使わないというやり方をして
いて、年によってはほとんどできない時もある。
全滅してしまうか、真っ黒になってしまうリンゴ
37
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
もある。こんな小粒のリンゴを持ってきて売って
とか。地域の中で生きている、生活している中で
います。彼がそんな大変な状況にいると知って、
脈々と伝えられてきた。それはいちいち教えるわ
みんなそのリンゴを買っていきます。かたちは不
けではない、そういう行事の中で、たとえば晴れ
細工だし、小さいけど、彼を支援するという意味
の日にご馳走をいただく。普段は質素だけれど分
で買っていくから、たいしたものがなくても、持
かち合う食卓がある。そういうことの中で幸せと
ってきた時には彼のところのものは売れています。
いうものを脈々と受け継いできたものが、やはり
そういう関係というのは育ててこなければできな
戦後の極度の高度成長の中で「お金があれば、幸
い。農産物は、売ったり買ったり値段で計るもの
せ」というものに私たち自身がすげ替えてしまっ
ではなくなっている。そういう関係を作ってこな
た。秋吉先生が、インドの人たちと私たちがもっ
いと有機農産物は売れないし、今ラベルで A・B
とつながっていけるし、ちゃんと主張できますよ
とかあんなマークを取るとか、トレイサビリティ
っておっしゃいましたが、今のこのままの私たち
とかいっていますけれども、そんなものがなくて
の姿のままではいけない。お金があったから私た
も、この人のだったら安全だ、この人の生き方を
ちこんなふうにしてきたというのを、まかり間違
私は支えるという人間関係は、マルシェという、
って語ったら大変なことになるのではないか。行
出会って話せるところがなかったら育てないし、
く前に、たとえばこういうところで、みんなもう
作ってこられない。今日本はそういうものをもう
一回、自分たちの考え方を変えていって、なんの
一回見直して、作っていく必要があると思います。
ためにこの大きな震災が起こって、亡くなってい
輸入関税の問題は、後でうちの旦那に聞いたほう
る方はいるけど、まだ私たちはここで命をもらっ
がいい。お米に関しては関税が高くて、日本から
て生きている。生きている中で何をするのかとい
は入っていませんけども。
うことを、きっちりひとりひとりが、自分の命と
いうことについて、どう生きるのかということを、
大石 次の質問者の方、どうぞ。
ここで一度立ち止まって考えるということをしな
いと。いろんな問題、課題、これからどうするの
か、何をどう入れ替えて、何に向かうのか。私た
ちが手放したものの大きさに一回気づかないとそ
こは作り上げられないのではないかと思っていま
す。3 人の先生方のお話は一番底辺では何かつなが
っていて、私たちが今気づかないといけないこと
を提案してくださったのではないかと思います。
さらに考えていきたい。インドに行って私たち、
なにができるんだ。反対に教えられること、貧し
さの中でもこんなに幸せに生きているんだ、でき
A 女 一番必要なのは考える力、見ていく力、そし
るんだといこうとを反対に教えてもらいに行くの
て自分で選べる力、それを今日本人は落としてし
かなというぐらいの、そんな気持ちになりました。
まったと思うんです。お祭と生産と自治が一体化
していたそういう時代には、農家のおっちゃんが、
大石 これは質問ということですか?
お祭になると裃を着て神社を粛々と歩いている姿
みて、すごいと尊敬したり、神々しさを感じたり
38
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
A 女 ごめんなさい。インドに行って、こんな私た
めに我々はどういったことを考えればいいのかと
ちでも、何かできますか。
いうことを、考えざるをえないところがあります。
その場合、今回たくさんの方が避難所に避難され
秋吉 自分たちをそんなに客観的に見られる力こ
ています。これが大変な状況だというのは当り前
そが、インドの農村の女性たちと話すことによっ
ですし、それを日本という国家のシステムが支え
て、彼女たちに感じてほしいものだと思います。
るというのは当り前なんです。ところが日本とい
失ってしまっているかもしれないと気がつく力が、
う国家システムが、いつかは助けてくれる、いつ
少なくともここにいらっしゃるみなさんにはあり
かは食べ物を運んできてくれると思われていると
ます。考える力を持っている農村の女の人たちが
いうことは、国というシステムを人々が信じきっ
ここにはいると、私は思っています。経済成長の
ているということなのです。でももしかしたら、
波は今まさにインドを襲っています。同じように
この国家というシステムが、本当に自分たちを支
経済成長という荒波に呑まれ、グローバルゼーシ
えてくれるかどうかわからなくなる時があるかも
ョンの中で、何かを失ってしまい、それに気が付
しれない、もしかしたら原発が全部破裂してしま
いてこれから取り戻そうとしているという、その
って東京もなにもなくなってしまうとなった時に、
生のままの状況で、インドの女の人たちと話して
誰も助けに来てくれないということがありえるわ
ほしいと思います。彼女たちもまさに、感じ始め
けなんです。これは、原発や災害だけではないと
ようとしているのかもしれません。先ほどの学生
思います。TPP のことも同じです。TPP というシ
たちが作った映像は学生たちの目線です。お祭り
ステムを推進することによって、果たしていつで
と生産と自治が一体化していたころにはあった
もどんな時でも私たちは安定に食べ物を手に入れ
人々のつながりを失いきってしまった若い人たち
ることができるのか、そのシステムを絶対に信じ
の目線です。見えていないものもたくさんありま
ることができるのかという問題が残されていると
す。あれがそのままだとは、私はもちろん思いま
思うんです。今はオーストラリアからアメリカか
せん。インド農村の女性たち自身も少しずつ失い
らアルゼンチンから農産物は入るんだけれど、い
つつあるものを、共有してもらえたらそれが一番
つ、いかなる時でも買えるとは限らないんじゃな
いいのかもしれないと、今コメントいただいて思
いかということを考えることが、大切なんです。
いました。
だからこそ、大きなシステム、国家だとか国際貿
易、TPP のシステムをどこまで信じていいのか。
逆に信じられない場合、どういった自分たちのセ
イフティーネット、本当に困った時に自分を助け
られる、困った人を助けられる関係を作っていけ
るのかということを考えざるをえない。そうした
時に、インドの事例、フランスの事例からは何が
いえるのか、また井上さんは国民国家論の観点か
らお話をお願いします。
大石 3 人の方にお聞きします。今回、危機の中で
こういう集会を開いたわけです。危機に備えるた
39
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
秋吉 国家とか市場にあるシステムっていうもの
を信じているのは、男たちだと思います。国家を
語るのが大好きです。
雨宮 国民国家の話はもう少し深めると危険なと
ころまでいきそうなので、私はいま控えておいた
ほうがいいかなとは思いますけど、国が守ってく
れるなんていう発想は、フランス人は少なくとも
そんなふうには考えていません。日本は、みなさ
ん国が守ってくれたんでしょうか。フランスに暮
らしている日本人として、私はいま日本にいて、
日本のいわゆる、国との結びつきから外れた人た
ちと行き来があります。たとえば在日の人とか、
アイヌの問題とか、不差別の問題にも関わってい
ました。その人たちは、いっしょに戦争を戦った
のに国民としては何の保護も受けていませんね。
ああいうことの事実があって、国が守ってくれる
ということを本当に信じている人がいるのかな、
秋吉 目に見えるつながりしか信じないインドの
ということが疑問ですし、フランスに関してはま
農村。そこにある意味システムしか信じていない
ずそんなことは考えていない。私が作っている国
学生たちが行ったらという発表を、私はさせてい
であるし、私が作っているコミユニティであるか
ただいたと思います。私たち日本人は、政府が、
ら、コミュニティを住みやすくするのは私が自分
企業が作ったシステムではなくて、自分で作って
の責任として、私はこういうコミュニティであっ
いくシステム、自分が構築していくシステム、そ
てほしいということを願って動くという発想の仕
れが人々のつながりかもしれませんが、それをこ
方でいきます。危機だからどうかということでは
れから再度作っていかなければならないんじゃな
なくて、今私はどういう生き方をしているのか、
いでしょうか?それは、すごく面倒くさそうだし、
どうやって生きていったらいいのか、そして、今
どう作っていくのか具体的にはいえないんですけ
困っている人がいたら私はどうしたらいいか、何
ど、自分で地域の社会を作っていく、つながりを
ができるかで常に考えていく。自治体が動くとか、
作って行く、そしてそれをシステムとする。誰か
国が動くとか、政令がでるとか以前の問題として、
が作ったものでも、誰かが与えてくれるものでも
私は何ができるのかということを常に考えて生き
ない自分の目で見えるシステム。それが今の私の
ています。それが今こういう問題の中で、即、物
答えです。
を届けることはできないけれども、時期がきたら
すぐ向こうの人たちからこういうふうにしてくれ
といわれたら対応できるような姿勢を準備して、
大石 インドの方々ってそういうシステムを信じ
ておられますか。
40
緊急集会レポート:フォーラムⅠ「今こそ見える 世界の中の日本」
いつでも動けるように待っていたいと私は思って
れをやられたほうがいいというのが私の考えです。
います。
平常時はみなさんの意見を聞いてなんかするけれ
ども、緊急時には自分の今までの経験と集めた情
大石 ありがとうございます。では、最後に井上さ
報の中で、自分で責任を持って左に行くか、右に
んお願いします。
行くか決めるということ。人を頼っていてはいけ
ない。
もうひとつ公式的な業務的な答えをいいます。助
けるというのは、公助・共助・自助という考え方
があります。国が助ける公助、共助、ご近所が助
けるというものと、自分で生きぬいていくという、
災害時・緊急時にはこの区分けをしないととても
ダメであります。今回のように広域になった時に、
誰も助けに来てくれません。自分が交通事故にな
った時には必ず公助の救急車が助けに来てくれま
す。それは、待っていればいいんです。今回のよ
うな時には救急車は来てくれません。そういう時
に助けになるのは、ご近所であり、自分の家族で
す。この公助・共助・自助というのを、どういう
具合で自分の中でなしていくかということを意識
して持っているといいと思います。
大石 ありがとうございました。短い時間でしたが、
逆にこういう短い時間だからこそ考えるべき点は
たくさんあるということがお分かりいただけたと
井上 防災コンサルタントとして業務的に答えて
思います。この宿題は、またこれから後でもう一
いきます。平常時の考え方と緊急時、災害時の考
度考えていきたいと思います。どうも、ありがと
え方でシステムを変えるんです。今は緊急時、災
うございました。
害時です。災害時の時に平常時の考えを持ってく
ると失敗するんです。平常時に緊急時のことをや
ると「あいつ、なんや跳ねてるやないか」といわ
れるんです。この切り替えをしないといけないん
です。今回の東電の社長の記者会見を見ていると、
平常時の発想・考え方をこの緊急時のところに持
ってきているから、あんなトンチンカンな答弁を
やっているということになるんです。したがって、
考え方もそうですが、システムも平常時と緊急時
で切り替えないといけない。個人においても、そ
41
緊急集会レポート:講演「原発、今起こっていること」
講演「原発、今起こっていること」
スピーカー
山崎隆敏氏/山崎一之氏
山崎一之 山崎さんの、プロフィールを若干ですけ
ともかくそこの中に入り込んでいって、ほんとう
れども、紹介したいと思います。山崎さんとは、
に無駄な資料をたくさん持っていきながらも、そ
なぜか 30 年ほど付き合いがありまして。一番最初、
れをすべて福井の原発がどういう位置にあるのか
火力発電所というのが三国に出来た時にですね。
というのを証明するための話になっているという。
町内から火力発電所に反対するっていうんで、あ
読んでいてワクワクするような本で、こんなすご
まり表面に出ないんですけど、裏のほうでいろい
い本を書くんだと見直したんです。2 冊目はたいし
ろとサポートしてくれて、動いてくれた人がいた
た本じゃなかったんですけども。一冊目は本当に
なあと。あまり印象には深くなかったんですけど
素晴らしい本でした。
も。時々おけら牧場のほうに来ても、誰だったか
なと印象の低い方でした。そうだ、その時に、あ
そこで、牛乳屋さんのところで、いろいろな手伝
いをしてくれた人だなというような印象があった
んですが。それが、ある日、突然ですね、うちに
甘夏を持ってきて。「お土産だから食べて下さい」
といって持ってきたんです。水俣にずっと支援に
行っていて、その帰りに甘夏をお土産に持ってき
たんです。「お前、水俣に支援に行っていたんか」
今度また持ってきたのが、「福井の山と川と海と
と。私が学生の後期の頃にですね、いろいろ公害
原発」で、これは素晴らしい本です。「生き残れ
問題がありまして。公害やっていて、水俣問題と
ない原子力」これは、あまり面白い本ではなかっ
いうのがありまして。なかなか水俣に入っていく
た。こっちの方が面白い。2 冊同時に書いたという
のは困難だったんですけれども、山崎さんはそこ
本なんですけど。時々大ヒットする本と、これは
のところに入っていって、いろんなことをやりな
ついでに書いたなっていうところもあるような本
がら、それを蓄えながら、あまり激しい行動はし
とがあるんですけれども、文章の表現もすばらし
ないんですけども、胸の中に秘めてやってきたの
いものがあります。これだけ、防災のこと、原子
かなというのを強く感じました。
力のことをやってても、あまり福井のほうでは有
それからしばらくして、「本が出たんで、買って
名じゃなくて、「山崎さん読んだら、原発のこと
くれないか」と持ってきたのが、一番最初の本「福
で過激だからあんまりいわないほうがいいわよ」
井のツキノワグマと原発」で、とっても面白い本
とか。なんも過激じゃないんですけど、原発をや
です。これはですね、原発の話がおもしろいんで
っているというだけで過激と見られているような
はなくて、方法論が民俗学。私、民俗学というと
ふしがありました。やっと今回市民権を得たよう
柳田国男が好きなんですけど、それと全く同じよ
に、やっぱり原発がこういう事故を起こすと、こ
うな方法論で、数字だとか具体的な例を出す前に、
れだけの、日本の人口の一億数千万だけじゃなく
42
緊急集会レポート:講演「原発、今起こっていること」
て、世界の人たちが原発の行方を固唾を呑んで見
分話をしてくれっていうんで、ちょっと話をして
守っているというところまで、日本はきています。
きました。
東電の社長の説明していることや、防災安全委員
今度の地震の影響、石橋克彦さんが作った言葉で
会の人たちの説明していることで、なんかどっか
すけど、「原発震災」っていう言葉が阪神大震災
わからないな、どこまで隠してるんだろうという
以降使われています。こんなに深刻なものは、ま
のがよくわかりません。そこで、山崎さんに原発
だ安定したわけではありませんし、僕らはやっぱ
の話、今回のこの原発の本当の、俺はこう思って
り、もうちょっと最終的なというか、破滅的な事
いるんだという話を忌憚なく説明してもらって、
故になる可能性が非常に高いと思っています。こ
それを私たちがいっしょに勉強する。すると、こ
こんところずっと、テレビとかインターネットに
うかもしれない、いっている意味はこうだという
釘付けになっているのですが、私の会社でも甥っ
ことの、ひとつのバランスとして聞いていただけ
子がずっとインターネットのテレビをつけてるも
ると参考になるかと思います。山崎さんは話すと、
んですから、どうしても聞こえて、心臓があおら
2 時間でも 3 時間でもしゃべっているんですけど、
れて。昨日病院にいった時に、だいたい血圧は高
今回 30 分ほどにまとめてもらいました。みなさん
いんですけど、心臓がこんなんにおうたことない
ほんとうに原発のことわからないので、聞きたい
ので、今日はテレビ消してくれと。あっちで何が
ことがたくさんあると思います。話の後に質疑応
起きてもどうすることもできんのやから、テレビ
答を 2、30 分ほどさせてもらいます。足りないと
消して、9 時と 12 時と 3 時と、そういう形で見よ
ころは、また夜にでも。あるいは明日の朝いらっ
うと、そう言いました。
しゃれるのなら、山崎さんつかまえて話ができま
すので、聞きたいことを聞いてください。じゃ、
山崎さんお願いします。
山崎隆敏 ここは、あわらですが、福井県の真ん中
くらいに越前和紙の里がります。そこで、私は和
紙の販売業を営んでおります。昨日も、あと 2 週
間しかないのに統一地方選、県議選に出ろという
話で、井上さんにおだてられて、とうとう出る羽
目になってしまい、その準備であたふたとしてい
るんでいすが。今、インターネットで地方選が延
びそうだっていうんで、延びるんなら今日ゆっく
り泊まっていけるかなと。そういうことです。昨
日、選挙に出るってことで、同級生の会社へ行っ
たら、彼も従業員を集めてくれて、もう若い人は
状況を何もわかってない、さっぱり理解できてい
ないっていうか、みんなのんきに考えていると。
福井は別に右往左往する必要は無いんですけど、
どれほど深刻かというのが分かってないから、10
43
緊急集会レポート:講演「原発、今起こっていること」
私は 15 年前に町の議員になったんですけど、その
んなもの役に立つのか。結局、何の役にも立たな
時、ちょうど阪神地震の直後で、あの時は、もん
いわけですね。今回の事故を見ていただいても分
じゅの火災事故やら、阪神地震やら美浜 2 号炉の
かります。事故が起きてしまうと、昨日も福井県
細管破断事故、美浜 2 号の細管破断事故も今回の
の県議会で、知事も県議会も 10 キロ圏内の範囲を
ような余震で冷却ができなくなり、あわよくば、
もっと延ばさなあかん、20 キロにしようとか、防
スリーマイル島直前の事故だったんですが。立て
災計画も見直すと。なにをとぼけたことをいって
続けに 3 回続いたもんで。ずっと頑張ってやって
いるんかと。原発に向けた提案を国にきちっとし
きても、誰も評価してくれない、奇人変人の類で
ていかなあかん、そういう主張をせなあかんので
いわれたんでいすが、町を歩いてると止められて、
す。今まで誰一人もそういう県会議員がいなかっ
「あんたが言っていることがよーく分かった。本
た。ま、そういうことで井上さんは僕を推薦して
当に申し訳なかった」と謝ってくれる人がいたん
くれたわけですけど。
です。それからまた 15 年くらいしたら、また沈静
化して、見向きもしてくれない。
石橋克彦さんは、この 100 年日本は地震の活動期
にはいったと。いつ何時原発がやられてもおかし
くないといっています。石橋克彦さんは地震学者
で超第一級の、今神戸大学の名誉教授です。その
前、建設省にいったときにこの本を書いたんです。
「大地動乱の時代」でもこの中で、一行も原発の
ことに触れなかった。阪神地震が起きて、神戸大
学に行って、それから地震学者としてものすごく
山崎一之 井上さん大変やね。
反省していると。それで、どんどん毎日、朝夕い
ろんな新聞に書き始めたわけです。一刻も早く原
山崎隆敏 チェルノブイリから今、25 年目ですね。
発を止めなきゃいかんと。
私は、20 年前に、ベラルーシに行ってきました。
5 年前かな。耐震設計指針というやつかな、国の原
ウクライナと、ベラルーシとロシア共和国の 3 カ
発の耐震設計を改定するっていう話が出てきて、
国の中間ぐらいにある原発が爆発して。私の行っ
彼も委員の中に加わりました。反対派のひとりと
たベラルーシの小さな村々というのは、250 キロ離
して。反対派というか、批判派のひとりとして。
れたところです。そこが 30 キロ圏内と同じような
でも、彼の意見は一顧だにされないというか、そ
被災地になっている。強制移住させられている。
れでその委員をやめたわけです。彼は、こういう
そういうところへ、注射針とかビタミン剤とか赤
事故が起きて、やはり日本の原発、他のものも一
ちゃんの粉ミルクを持って行きました。私のつれ
刻も早く止めるべきだと、一旦止めるべきだと言
あいもロシア語で日本人の通訳ということで何回
っています。
も行ってるわけです。私は一回しか行ってないん
私は、そういう地震が、近々原発を襲う地震がく
ですが。今回も今度の事故をみていて、彼女はも
るんじゃないかということをずっと心配していま
う頭を抱えて、鬱みたいになっています。もう、
した。福井県の防災計画をじっくり読んで、それ
見たくないと。実は来月 4 月 23 日にベラルーシの、
を一つ一つ、現実の場面にあてはめて、本当にこ
当事被災したところの子供と女性 2 人を日本に迎
44
緊急集会レポート:講演「原発、今起こっていること」
えて交流する予定だったんですが、武生か鯖江で。
もうそんなこと、彼、彼女たちも気の毒なんで、
被災した地域から、こんな被災した国へ。私たち
もそれはやめたほうがいいかなと考えているとこ
ろです。
この本の中に、私がベラルーシに行って帰ってき
て、甥っ子と一緒に近所の山道を散歩したことを
書いているんですけど、ちょっと読んでみます。
『ベラルーシから帰国したその週の日曜日、甥と
みなさん、原発の話を聞かれる方は、こういう地
二人で、自転車で近在の森へ鳥を見に出かけまし
図は見られると思うんで、簡単にいきますけど、
た。ベラルーシのように広大な平原の森ではない
日本列島は本当に、列島そのものが、地震の巣と
けれど、ここには私を育んでくれた豊かな森があ
いうか。石橋さんなんかもいうように、どこの原
ります。はるかに繋がる峰々を眺めながら、私は
発も襲われても不思議じゃない。そういう状況で
いつの日か、ガイガカウンターを持った人々が、
す。阪神地震が起こってから、やっと地震学とい
外国から来訪し、この豊かな自然の全てが放射能
うのが、少し進歩してきたというか。地震学者に
で汚染されているなんて、と慨嘆する。そういう
とっても未知の部分が多かったわけですから、だ
日がいずれ来るのであろうかと想像しました。そ
いたい原発の集中しているところに、地震予知連
のように思うと、この森の中の命が無性にいとお
が測定観測地と許可地域が重なってしまっている。
しく感じられてなりませんでした』
そういうところに原発がある。特定観測地を決め
る以前は、歴史的地震があるから、もう地震は起
(声がつまり、途中から山崎一之さんが代読)
きないということを真に受けて、集中してしまっ
たわけです。とんでもない勘違いをしている。と
福井で起きたわけではないんですけど、ベラルー
はいっても、こういう場所だけじゃなくても、日
シの中に…(泣き入る)…もう、つらくて、つらくて。
本どこでも起こっているわけです。今回の宮城県
ま、そういうことです。
沖地震で長野の方が危ないって、ずっと考えてた
2、3 日前、核の汚染の写真家の人が双葉町行った
んですけれど、福島の方がやられてしまいました。
らしいんです。原発から 2、3 キロ、4 キロ離れた
福島がやられたのも、こういう単純な理由ですね。
ところへ。そうしたら、持っていった放射線計が
津波が堤防をいくつか乗り越えてきて、低いとこ
もう振れきれたというんです。町も県も避難はさ
ろにあった電源ケーブルがやられてしまった。ほ
せたけれど、そんなに漏れていないという話だか
んとにばかげたことをやっていたわけです。全然
ら、みんな物を取りに戻ってくるらしいんです。
想定してなかった、それを想定外というんでは、
その写真家が、こんなところにいたら被爆するか
話にならんと思う。
ら、早く帰りなさいっていって帰らせたというん
日大の地震学者が、阪神地震以降、敦賀の市民が
です。インターネットで知らせてくれました。本
あまりに騒ぐもんだから、僕もものすごく騒いだ
当に大変な状況だと思います。
んですけど。市民が動揺して困るというんで、市
がこの先生を招いて講義してもらったんです。反
対派でも推進派でもないんですが。ところが、敦
45
緊急集会レポート:講演「原発、今起こっていること」
賀は危険度 A だというんです。これで、さらに不
A 女 破滅的状態と言ったんですけど、山崎さん
安が増幅してしまったということが起きました。
が考えてる破滅的状況というのを説明してくださ
敦賀も若狭もひどい状態です。これみてください。
い。
これは関西電力が宣伝広報に書いているものです。
左が阪神地震後のパンフレット、右は最近のです。
山崎隆敏 破滅的っていうのは、つまり放射能が、
阪神のあとに出したパンフは、そんなに原発の周
チェルノブイリも全部出たわけじゃないけど、大
辺はないですよ、安全ですよといっていたのが、
部分が外の世界に出てね、大地を汚染するという
最近はもう、これは本当に住民の側に立つ地震学
か。
者と私たちの住民運動のおかげだと思うんですが。
こういうことがだんだんと分かってきたんです。
A 女 そうすると、日本でもし、今それに近いこと
国の中でも意見が分かれていて、科学技術省の中
が起きたら、どんな状態になりますか。
にある地震対策推進研究報道部、そこらへんは、
こういう断層があったら見直さなあかんといって
山崎隆敏 チェルノブイリ型は全部出たわけじゃ
いたわけですけれども。
ないから、おそらく広島型の原爆の放射能でいう
全国どこでも原発があるところは、同じような状
と 200 発分ぐらいじゃないかなと思うんだけどね。
態にあると思ってもらったらいいと思う。敦賀市
2、300 発。今度の場合は 1 号機で 50 万㌔ワットや
が、こういう予測を立てているのですが、全く原
から、大体 1000 発分あるでしょ? 2 号、3 号は、も
発事故なんか考えていない。あ、これ石橋さんで
う恐ろしくて見てないんだけれど、あと 1200 個分、
すね。まさに、今回いくつもの活断層が割れたわ
1300 個分くらいになってくるから、全部 1、2、3
けなんですね。連動して動く、そうするとマグニ
号、あと 4 号も危ないから。4 は別にプールですけ
チュードもものすごく大きくなる、という話です。
ど、それももう見せられないという話になってい
現在は、こんなような状況です。丸打ってあると
るんで。というか、原発の事故が起きると、みな
ころが原発のいっぱいあるところですね。これは、
さん勘違いするんやね、原爆と。爆発すると思う。
敦賀 1、2、これはもんじゅ。これは、美浜 1、2、
いっしょに連鎖して爆発するんでしょと。まぁ、
3…やったかな。数は、忘れました。あんまり多い
そんなことはありえませんと言ってきたんだけど。
ので。
いや、そうでもなかったなと。いくつかの心配さ
あ、これね。こんなばかげた説明してたんですよ。
れている原発の中で一つでも、職員が放棄すると
われわれ、直下型の活断層が見つかったじゃない
いうことが起こったら、他の面倒もみられんわけ
かと。そういっていたら、いや、直下というのは、
やし、全部見捨てることしか出来ないわけです。
地震が起きたら常識的に考えるのは、建物の下に
つい最近も、アメリカのニューヨークタイムズな
あるから直下であって、直下でないという。いや、
んかが、むしろ、ニューヨークタイムズなんかは
直下というのは、ここにくっついてこうなるのが
冷静なことを書いているんですが。今、作業して
直下だという。堂々とこういう説明をしてる。国
いる人たちが、相当被爆しながらやっている。日
から来ていて、今の保安院か、ああいうメンバー
本で寝ずの作業でしょ。だから、相当疲れている。
がこういう説明したんですよ。
もう、きちんきちんと交代させていけてるのか。
こないだみたいに、水を押し込むポンプの燃料が
足りなくなった、足りなくなった、とあんなこと
46
緊急集会レポート:講演「原発、今起こっていること」
いっている状況ですから、何が起きてるかさっぱ
ょっちゅう行っていたから。彼は、全国の原発の
りわからん。4 号機なんか近よれないっていってい
シュミレーションしています。事故が起きた場合、
ますし、そういうことになると、全部がイカれる
どういう影響があるか。これなんか見てると、ほ
という事態も考えられるということです。どれか
とんどやっぱ北西の風が吹くとみて、首都圏が一
ひとつイカれるということは。
番大きな被害を受けると出ていますね。地元より
むしろ。風の被害というのは、かなり怖い。チェ
山崎一之 全部イカれると、そこから放射能が大量
ルノブイリみたいに 250 キロ離れた町が汚染され
に漏れ出すということ?
るというのは、爆風に飛ばされて、それが雲にな
って、その雲が移動して雨でたたき落とされた、
山崎隆敏 スリーマイル島の時も、運よく溶けだし
その地域が汚染されたので。
た燃料が下に落ちて、もし、水たまりがあったら、
そこで水蒸気爆発を起こす可能性があった。格納
山崎一之 これは、雨宮先生、いってましたね。雲
容器そのものが、上空を飛行機が飛ぶっていうん
がずっと移動していって、それが 10 年後か何年後
で、軍用機が飛ぶっていうんで、かなり頑丈に出
かに分かったって。
来ていた。だから、幸い下で止まったんですけど。
今回の場合は 2 号炉、脇にプールがある、あそこ
雨宮 チェルノブイリの話は、フランスでも環境問
水たまりところとかもあるし、抜けてるから、蒸
題に詳しいグループでもそんなことがあると思わ
発したのが水になって落ちてくるかもしれない。
なくて、私は日本人ですから、そういうことに敏
そんなのと反応した場合に水蒸気爆発が起きる可
感だったので、チェルノブイリで爆発が起こった
能性がある。ニューヨークタイムズはこう書いて
ときに、すぐ聞きにいったんです。フランスの方
います。今まではその、水素爆発といっていたん
に影響がないかって、そしたら、今のところ何も
ですが、飛んだのは、一番外側の建物だと。そう
ないって。その時には何もないっていわれていた。
いうものが起きるってことは、原子炉格納容器内
それから 10 年ぐらいたった時点で、アルザスの辺
で、こういう爆発が起きる可能性があることを示
りから、西フランスの東側の地域にがんの発生が
している警告だと。僕らもそう考えていました。
非常に増えたんです。それで、絶対それはおかし
それが起きたらもう駄目ということですね。
いと調査が始まって、そしたらば、実際は私の住
んでいるブルターニュ地方あたりにまでずっと雲
AB 男 つまり駄目ってことは、福島県の大地だと、
が流れてきていて、それでかなり被爆はしている
たとえば、10 年後人は戻ってこられない。
ということが、ようやく公表されました。10 年く
らいかかりました。
山崎隆敏 10 年というか、500 年ぐらいは住めない
っていうか。
山崎隆敏 それはスエーデン辺りまで飛んでいっ
て、スエーデンのなんとか研究所で、最初に検知
B 女 それは、福島県だけの範囲なんですか。
したのはあそこやったでね。どこの国かわからん
けど、どっかの国の原発でやられてると、最初に
山崎隆敏 瀬尾さんという原子炉実験所の先生で
報告したのはスエーデン。飛んでったんです。あ
すけども、もう亡くなりました。チェルノブへし
そこトナカイを飼っているラクジーンなんかが、
47
緊急集会レポート:講演「原発、今起こっていること」
チーリ、苔を食べているので、あの肉はかなり汚
染されたっていうでね。民族滅びるんでないかと
いわれたみたいです。放射能って、体に入ったり
して、不思議な動きというか働きをするもんで、
意外と排泄が早かったりする場合もあるし。まっ
たく計算どおりっていうか、そういうことでもな
いので。
C 女 自動停止したから安全やっていう学者さん
もおられたんですけど、絶対そういうことはない
と。
山崎隆敏 これまで地震に耐えられるのかという
議論になると必ず、今言われたような説明をする
わけですね。制御棒が必ず落ちるから大丈夫です
って。今回はそれから先の話になっているんです。
制御棒が落ちてなるほど止まった。止まったけれ
ど冷やし続けなあかんから、1 ヶ月くらい冷やすん
かな。それを引き抜いてプールに入れて 1 年ほど
それで、核燃料の中では、自然崩壊が進んでいま
経ってから、六ヶ所村へ持っていったりするわけ
すので、その崩壊の時には必ず熱が出ます。です
ですから。かなり長期間しないとだめなんですね。
ので、プールに。一応、プールっていうのは、連
今、4 号炉、5 号炉で問題になっているのは、プー
鎖反応が起きないように、放散散水の中止を核燃
ルに入って、原子炉から引き抜いてプールに入っ
料の集合体を収めているわけなんですけど、それ
てたそいつが発熱してきて水が足りなくなってき
でも、自然崩壊してますから、温度がどんどんど
た、こういう話なんです。だから、運転が停止し
んどん上がっているわけなんですね。通常はその
たから大丈夫やってことにはならないんです、逆
ために冷却装置をまわして、冷やし続けてるんで
に。
す。それが、止まっちゃてるわけで、熱がどんど
ん上がってるというのが現状だと思うんです。そ
宇野 運転停止について。使用済核燃料が今 4 号炉
れで、4 号炉については、使用済みの核燃料とはい
プールに入っていますけれど、運転が停止したっ
え、原子炉内に、原子炉圧力容器の中に入ってい
ていうのは、連鎖反応が止まったということでい
る燃料より多量の燃料が保管されていたはずなん
いんじゃないかと思います。
です。だから、余計危ない可能性が高いと思いま
す。4 号炉で水素爆発が起こったと思うんですけど、
水素爆発が起きるってことは、燃料が水面より上
にあがっちゃっているというか、水面が下がっち
ゃっていると思うんです。というのは、水面が下
がることで、ジルコニウムの管が出ちゃってる。
48
緊急集会レポート:講演「原発、今起こっていること」
要するに廃熱が出来なくなって、そうとうな高い
ら守れるかも知れんけど、骨や筋肉なんかに付着
熱になって、そこで、水素が発生していると。ジ
する。
ルコニウムの表面で。その水素がたまって爆発し
ているわけなんです。だから極めて 4 号炉のほう
が危険な状態だというのは間違いないと思うんで
す。
あと、ひとつお聞きしたいんですが、チェルノブ
イリの場合には大陸の内側、内陸部に原発があっ
たわけです。今回、福島の場合には海岸に面して
原発が設置されているわけで、海洋汚染と言う問
題点があるかと思うんですけど、その辺について、
プルトニウムの粒子なんかは肺の中に入ると厄介
何かあるんでしょうか。
ですね。以前に推進派の学者たちが「プルトニウ
ムは飲んでも大丈夫」という漫画をパンフレット
山崎隆敏 よく質問があるんですけど、原発かって
でデルホシャが出して大問題になったことがあり
放射能を漏らしているんじゃないかと。今までか
ます。確かに、胃の中に入ったものは、排泄する
って、今回のことは別として。いや、そうでない
時間が早いので大丈夫ですけど、呼吸器、肺の中
ですよと。もう大量の、たとえばトリチウムなん
に付着したりすると、γ線が集中的にその周辺傷
かは人体に入っても問題ないってことで、大量の
つけるというので。
ものが日常的に放出されています。そのトリチウ
古川隆一という写真家が撮っていますけど、ぼく
ム汚染が最近問題になってきているんです。トリ
らもその写真を見せてもらいました。国立の病院
チウムというのは、体に付着すると金属も通過す
のお医者さんに見せてもらったんですが、ぽつぽ
るというふうにいわれているくらいで。弱い放射
つぽつと穴が空いて、結局肺がんになって。放射
線ですけど、体に入ったりすると、近くの細胞を
能がいろんなところで、いろんな悪さをするから、
傷つけたりするのでよけいに危ないというふうに
ひとつだけではないから。
言われています。カナダなんかでも、特にトリチ
ウムを放出する量が多い、リッカリウムという原
山崎一之 今回の海洋汚染は、かなりだね。
発の周辺でたくさん病気が出ているとかいうよう
な報告はいろいろあります。
山崎隆敏 それは出てるやろね、当然。もうひとつ
それに加えて、本来出ていないセシウムとかスト
ここで、見てもらいたいのは、ずっと今まで、原
ロンチウムは、500 種類以上と言われてます。中に
発の下の岩盤は、固くて、そこに直接据え付けて
は半減期が短いから、出た瞬間消えてしまうのも
あるから大丈夫です、というふうに説明してたん
ありますけど。そもそもヨウ素剤というのは。こ
ですが、ところが、ボーリングを何本か打った、
ないだも東京方面から電話がかかってきて、今子
どういう種類の型の岩盤があるかをみたものです
どもに、ヨウ素剤飲ませてそこにちんとしてして
ね。A、B、C、D、C-1、D-1 とかいうのがあるん
ればいいかって聞くので、逃げろとも言えないし、
ですが、実際にはこういうものです。本来ダムと
ヨウ素剤飲んだから安心かって。ここだけやった
か大型の構造物を建てる時は、A+B+じゃないと
だめなんですが、AB なんてほとんどなくて、全部
49
緊急集会レポート:講演「原発、今起こっていること」
C クラス以下、かなり弱いというかね。特にこの
D 女 これから東京電力がもし助かったとして、今
赤いところが、過去にマグマが熱水を吹きあげて、
の状態で閉塞したとして、電力はどれくらいの影
今はもうぼろぼろになって劣化しているところで
響を受けるのか聞きたいです。
す。こういうところが地震がきて、下に活断層あ
るところいっぱいありますから、どんな小さい短
山崎隆敏 2006 年やったかな。東電の確か福島やっ
い活断層でも動いた時にずれ込む可能性があるん
たと思うんですが、福島の原発で、東電の方で情
ですね。ずっと前に、新潟で地震があった時に、
報隠しをして大変問題になって、新潟の原発と福
病院が張り裂けていたことがあますけども。地盤
島の原発 17 基全部が止まったことがあります。6
といっしょに。
月前後だったと思うんですが。夏場に向かって首
これは日本原子力株式会社が建設している時に国
都圏が大停電になるということを、マスコミなん
に申請を出した資料です。こんなものみんな見せ
か特に大騒ぎしていました。ところがそのままい
られたら、認めないと思います。しかもだいたい、
っても、関電の融通も受けたと思うんですが、停
阪神地震クラスでも、この C クラスっていうター
電しなかった。今回は火力発電なども壊れている
ビン建屋ですけど、あんなものはみんな潰れます。
のがあるので、ちょっとそこらへんも検査しない
問題なのは、この配管が千切れる、そのことが心
と分かりませんけれど。原発は 54 基ぐらい日本に
配されてきたわけです。この事故の推移ってのは、
あるんかな。そのうちの 30 基くらい止めても、そ
この配管形態と同じような方向で進んでいったわ
んなに支障はないと思います。原発を動かすため
けです。
に、火力発電所の稼働率を 50%以下に下げてるん
もう一つ恐ろしいのは、これは、ここだけのこと
です。原発というのは出力調整が難しいから、夜
をいいますが、関西電力の大飯 1 号機、2 号機が写
間になると、需要が、がたーっと減るんです。冬
っているんですがね。福島のと型が違います。福
の場合は、最近はあまり減らなくなっているけど、
島は、沸騰水型。原子炉の中で、水を蒸気に変え
基本的に夜間になるとどっと下がると。土、日に
て、直接タービンに持ってて回してるんです。関
なるとどっと 3 分の 1 に落ちてまう、需要が。そ
西電力のは加圧水型といって、ここで二次系がも
の時、原発をそのまま動かしていると余ってしま
うひとつ間にあって、ここで熱のやりとりをする
うんですよ、電気が。だから、調節するために火
蒸気発生があります。こういうものを入れた原子
力発電所を休ませているんです。年間を通してず
力建屋。ここが今潰れるんではないかと心配して
っとそれをやってきていますから、火力発電所を
いるんですけど。この耐圧が、福島の原発ですと 4
早く立ち上げれば、原発がなくてもやっていける
気圧前後、ここの大飯 1 号機、2 号機は 0.8 気圧し
と思います。火力がいいかという話しになると、
かないんで、小さな爆発でも壊れてしまう可能性
それはまた別ですけど。
があるんです。ですから、福井では真っ先にこれ
結論にいきます。電気の話、それから、もう一つ。
を止めるように言っていきたいと思います。そん
なんで、日本はいつまでも原発に固執するのかと
なことは、前から言っているんですけどね。こん
いうと、いくつか問題がありますが、一番大きな
なのに耳を傾けないっていうか。
問題は、電気事業法。電力自由化とともに改正さ
れる動きもあったんですが。たとえば、電力会社
が持っている資産、まだ建設中でもその 2 分の 1
も入れる、ウランが海外の口座にある、そんなも
50
緊急集会レポート:講演「原発、今起こっていること」
のもみな含めて、資産に 4.4%掛けたもの、昔は 7%
ムはアメリカ自身も笑ってますよ。なんておかし
か 8%だった。今は 4.4%。それが電力会社の収益
なことやるのって。こういう諸々の問題があるた
になるんです。それだけ儲けてもいいですよと。
めに原発は、電力会社がやればやるほど儲かって
電力会社はチマチマした火力発電所なんか、水力、
いた。
そんなものを作るよりは大型のドーンとしたもの
を作るほうが儲かるんです。儲かるけど、そのお
金どうなるのっていうと、われわれが払っている
電力料金にみな転化されてるわけです。とどのつ
まり、日本の電気料金は、欧米の 2 倍ないし 2.5
倍。そういう電気をわれわれは、使わされている
んです。もっとこのことに怒らなあかんと思うん
です。そんなに高い電気料金払っているんだから。
それをもっと自然エネルギーのほうへ向けたらど
最近は建設費が高くなるのであんまりしたくない
うか。飯田哲也さんが、この世界 1 号で、民主党
んです。今回の事故で日本原電、敦賀の 3 号、4
がなかなか動かんといって怒っていますけど。こ
号機が、もう 10 何年前から増設が、向こう側の確
のタイトル、原子力復興というんですけど、1 月に
保があったんですが、とってもできない。彼らは
こういうこと書いてます。
本音としていえば、原発を作っていると会社がも
日本のエネルギー政策を決定するのは、国会では
たない、というのはわかっている。関電なんかで
ないんです。われわれは、国会で議員たちが丁々
も、アメリカでも、電力会社がもうやりたくない
発止の議論をして「日本をどういう方向にもって
んです。同じ事象で 30 年くらいアメリカは止まっ
いこうか」とかそういう話をしているんかなと思
てきてるわけですから、原発に注入したら会社が
えば、全くそうではない。
もたないと。アメリカは電力自由化のもとで 3500
これは、平成 21 年に催された「資源総合エネルギ
社ぐらいの電力会社が競い合っているわけですか
ー調査会」の原子力部会。ここで審議する委員会
ら。それが資本主義の本来の姿なんですけど、相
の顔ぶれをみると、ほとんど電気事業関係者。あ
当税金つぎ込んで、研究費やらなんやらに。そう
るいは原発を作っている三菱であるとか。一部そ
いった支援があるから原発はできてきている、維
ういうところにくっ付いている御用のアシや。そ
持されているわけです。その仕組みを早急に変え
れからテレビによく出てくる人たち。この人たち
ていくというか。僕は民主党になったら変わると
福井新聞の一面で登場してきてる。福井大学の学
思ったけど、あんまりわかってなかった。電力労
生といっしょに「もんじゅはあなたたちの未来を
連とか。批判はしたらあかんけど。そういう関係
つくる」とかいってやってます。こういう人たち
があって、紐付きの議員がいっぱいいるんではな
で、たいした議論もなく決定してしまうわけです。
いかなと。なかなかそういう方向に向かっていか
経済産業省が出してきた議案に対して。賛成。だ
ない。これは、世論をあげて、大変なことが起き
れも反対する人なんていない。その決定したもの
ましたけど、まだいくつも原発が危ないとこにあ
を上にあげるというか、閣議に持っていって、閣
るわけですから、一刻も早く止めてほしい。ドイ
議決定で、はいおわり。これで日本の将来が決ま
ツみたいに期限を切って、法律作って、何年度ま
る。国会って全く議論していない。こんなシステ
でに止めていく。そういう方針を立ててみんなに
51
緊急集会レポート:講演「原発、今起こっていること」
示して、そのために努力していく。そういうふう
山崎隆敏 今朝の朝日新聞にもそんなことが書い
にならなあかんと思います。そのためには世論が
てありましたね。東電と国は押し付けあっている
絶対必要なんです。
と。東電は責任逃れをしようとするし。
山崎一之 時間がないので、最後に一つだけ質問を
山崎一之 井上さん、何かありそうですね。
受けます。後、まだ質問がある方は、また山崎さ
ん、明日の朝までいるっていうので、いろんな話
井上 東電がいうには、首相から直接の指示は受け
を聞いていただければいいと思います。最後に質
てない。命令形態が彼らは保安院に報告すればい
問、ありませんか。
いんだと。なのに、首相が「あーだ、こーだ」い
ってきてなんやと。緊急時災害の危機管理ができ
E 女 日本に海外特派員クラブという、世界から日
てないんです。業務分析もできてないし、シュミ
本にきているジャーナリストたちと、日本のジャ
レーションもできてなくて、今まさに責任の押し
ーナリストで海外経験のある人たちが会員になる
付け合いをしている。菅さんと怒鳴りあいながら
特派員クラブというのがあるんですが。そこでや
やっている。菅さんの危機管理も非常に危ない、
っているのを見たんですが、その時会見していた
と思っています。
方が、元東芝で原子炉格納器の設計者で、用事を
しながら見てたので、肝心なことを聞きのがして
山崎隆敏 本社にいる人たちも、現場任せですし、
るかもしれないんですが。ひとつ気になっていた
普通の正常運転中でも、下請け任せにする仕事が
のは、その方が「原子炉格納器というのは安全の
多かったりね。こんな事態が、全然全く想定して
砦だと思っていました」と。で、ご自分がやって
いなかったわけやから、誰も。そうすると、政治
いたと。ところが、それがいともたやすくダメに
家も理解していないし、マスコミの人もほとんど
なったのは、柏崎刈羽海岸の時でした。それで今
理解できていない。何がどうなっているか、ほん
辞めたわけです。安全の砦であるはずの格納容器
とに相当混乱したと思います。毎日毎日勉強して
が、どういう基準を持っているかというと、ある
いるというのがよく分かるね。
一定の地震とか想定外のシビアな事故に対しては、
前に起こることだから基準に入っていないと。今
山崎一之 もっと聞きたいことがあると思うんで
度のような事故は、大きな地震とシビアな事故と
すけども、山崎さんを囲んでの原発の話は、ここ
ふたつ重なったと。基準の中に入っていないので
でおわりです。また、明日の午前中くらい、もし
民間の協力によってしのぐというふうなことにな
よろしかったら、お話してください。不確かな原
っているのだと。今度のような場合というのは、
発の情報を確かめるという意味で聞けば、山崎さ
そこを聞きたいのですが。国が責任を持たないと
んが知っている限りの知識を出してくれて話し合
いうことになるのでしょうか。発表も曖昧でした
いしてくれると思います。どうぞ、そういう時間
し。
をもってください。山崎さん、ありがとうござい
ました。
52
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?
―分かち合いの社会に向けて―」
パネリスト
榊田みどり/岩田康子/稲澤宗一郎/マルク・アンベール/アンベール雨宮裕子
コーディネーター
やまざきようこ
思います。最初にひとつだけ言っておきたいのが、
どうも、マスメディアでの TPP の取り上げ方が、
おかしいんじゃないかと。なぜみんな揃って推進
論なのか。TPP は農業問題だけでも、産業問題だ
けでもないということを話していきたいと思いま
す。
やまざきようこ それでは、マルク先生お願いしま
す。
やまざきようこ それでは、フォーラムを始めさせ
ていただきます。今一番問題になっております
マルク(日本語で) みなさん、こんにちは。アンベ
TPP の問題なんですが、今の原発の事故、震災の
ールです。フランス人。日本語は少ししかできま
ことでぶっ飛んでしまいそうな状況です。これが
せん。レンヌ大学で経済をしています。2 年前から
どういう状況を起こしていくのか、これから先の
日本に来ました。東京の日仏会館のフランス人代
問題として、原発の問題、突然襲ってくる自然災
表です。ここにフランス国立現代日本研究センタ
害、そして日常の危機管理の中でたくさんの人の
ーがあります。私はこのセンターの館長です。9
命が失われていく。それを、手をこまねいてこの
年前に NPO を作りました。国連に承認されている
ままずっと見過ごしてしまっていいのだろうか。
NPO を作りました。雨宮さんの主人です。
私たちに、何ができるのだろうか。どうすればい
いのだろうか。この国はどうなってほしいのか。
雨宮 (通訳:シンクタンクの説明)
それを見据えながらお話していっていただきたい
国連に承認され
ているその NPO というのは、略語を PEKEA とい
と思います。まずは、自己紹介からお願いします。
うんですけど、その PEKEA というのはどういう
意味かというと、経済活動に関する、政治的、倫
榊田 みなさん、こんにちは。農業ジャーナリスト
理的知識の構築のためのシンクタンクという意味
の榊田です。農政ジャーナリストの岸康彦さんが
です。仕事はフランス語と英語とスペイン語、そ
駆けつけられないということで、私がピンチヒッ
して日本語でやっています。世界 69 カ国の様々な
ターでしゃべらせていただきます。農政ジャーナ
知識人を集めて、私たちが持っている知識で、こ
リストの会の幹事のひとりで、TPP 関係に関して
れから世界をより住みやすくしていくにはどうし
も、基本的なことはある程度解説できると思いま
たらいいかというのを、それぞれの専門家が、専
す。基本をお話した上で、皆さんと議論したいと
門の分野から知識を出し合って、提言していくシ
53
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
ンクタンクです。知識集団です。経済学者もいれ
個人の消費者の方に配達するというスタイルをと
ば、地理学者もいれば、精神分析をしている人も
っています。農業に対するテーマは、生き物と人
いれば、本当に様々な分野からいろんな人たちが、
が集まる田んぼを目指しています。生き物が豊か
一市民としてあるいは知識人としてどういう提言
な田んぼを作って、そこでお米を作って、そこに
ができるか、問題があった時に、デモをして、旗
人がいっぱい集まれるような農場を作っていくこ
を振ってデモをして、そういう行動をすることも
とをコンセプトに農業をしています。消費者との
意味はあるけれど、私たちはそうではなくて、じ
つながりを求めて、徐々にそういうことも構築で
ゃあどうしたらいいかという提言をしていこうじ
きてきているという手ごたえを感じている段階で
ゃないか。そういうことを考えて、PEKEA とい
す。
うこのシンクタンクを作りました。その言い出し
人です。そして今、この活動の中から、考えてき
やまざきようこ ありがとうございました。それで
たことを今日は最後に話させていただきます。
は引き続き、滋賀県でブルーベリー栽培をやりな
がらレストランを経営されている岩田さんです。
やまざきようこ ありがとうございました。マルク
お願いします。
先生の奥さまの雨宮裕子さんとは、3 年前にフラン
スのレンヌでお会いしました。その前に福井にい
岩田 滋賀県でブルーベリー栽培を 27 年間やって
らっしゃった時にもご夫妻にお会いしています。
きました。1 度も除草剤、農薬はやったことがない、
マルク先生から PEKEA のことを聞いて、そうい
という JAS の認定もとっております。有機栽培と
うことをやっていかないと、この地球はもう限界
いうのを志してやってまいりました。35 歳からの
なんだ、これからどういうふうにしてやっていか
就農でしたので、初めての農業に取り組むという
なければならないのかということを皆で考えてい
のに非常な壁がありました。自分の農地に家建て
く。そうすると、ひとつの希望というか、道筋が
ちゃいかん、あれしちゃいかん、これしちゃいか
見えるんだなというのがレンヌへ行った時から頭
ん、お客様に来てもらってブルーベリーを摘んで
の中にありました。このフォーラムのために雨宮
もらうのに手洗いを建てるといったら、ほんとに
先生がパリから帰られ、リュックを担いでこっち
規制が厳しくて。農業はこれから自分の農地で経
に来るとおっしゃった時に、マルク先生も一緒だ
営を継続していくのに、何かしようとしたら、し
とお聞きし、「ラッキー!」と思いました。それで、
てはいけないという、このがんじがらめの行政の
マルク先生にもこの集会への参加をお願いしまし
態度はどうなっているんだろうと。相談する人も
た。これから大切なものが見えてくると思います。
なくて。田舎のヒロイン第 1 回の時に、最後に手
それでは、稲沢君お願いします。
を挙げて発言したことを覚えています。生産だけ
では食べていけない。それで、素晴らしい景色の
稲沢 稲沢といいます。よろしくお願いします。私
見晴らしのいい場所にレストランを経営して、今
は地元福井の坂井町というところで 1999 年に就農
日にきています。山に住んでまして、水道の通ら
しました。実家は農家でしたけれど、父親は県の
ない場所で、山水で生活しています。うちで働く
職員で、兼業農家でした。一からのスタートとい
スタッフも手伝いにきています。従業員は、まず、
うかたちで就農しました。現在、3ha の田んぼで、
水路の掃除からしなければならない。そんな仕事
お米・大豆・小麦を有機で生産しまして、ほぼ、
の仕方をしています。普通の仕事をしている人に
54
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
は、違和感を持つようなそんな職場です。でも、
思っているのは、2 点です。ひとつは、第 3 の開国
人が生きるという中で、水をいただけるというこ
といわれて、ここで TPP にのらないと日本は世界
と、その水の原点はどこなのか、なぜに濁った水
の孤児になるとか、のり遅れるという言い方があ
と澄んだ水があるのか、そんなことを体感しなが
りますが、実は TPP というのは、グローバル化の
ら生きていけるということこそが、本来豊かなこ
中のプロセス、選択肢のひとつでしかないんです。
となのではないか。それを伝えていきたいと、頑
TPP 以外にもグローバル化のプロセスはいくつか
張ってきました。その中で TPP という問題が起こ
あるというのを、ゆっくり話したいと思います。
りました。私はとても大きな問題だと思っていま
TPP にのらなければ、日本はグローバル化を拒否
す。
することになるとか、そういうことではないとい
うのが、まずひとつ。もうひとつは、某前原大臣
やまざきようこ どうもありがとうございました。
が GDP わずか 1.5%の産業に残りの 98.5%の犠牲に
それでは、榊田みどり先生に TPP というのは、ど
なっている、という発言をしていたり、マスメデ
ういうものなのか。私たちは新聞の TPP という英
ィアがよく TPP 問題というのは輸出産業を中心と
文字だけで振り回されている気がします。一体何
した日本の主要産業と国内農業の対立の問題なの
が起こっているのか、その背景にあるのは何なの
ではないか、農業が足を引っ張っているから TPP
か、TPP そのものはどういうことなのか。難しい
に参加できないんじゃないかという、そういう論
と思いますが、そのことに関して分かりやすく、
調が強く出るようになりました。TPP 問題は、単
どういうことなのかということをお話いただきた
に日本の主要産業と国内農業という対立関係で考
いと思います。それでは、よろしくお願いします。
えるのも、ちがうんじゃないか。最近は、ビジネ
ス誌なども、ちょっと論調が変わってきた印象も
あります。今まで財界は TPP 推進一色のような感
じだったのですが、だんだん TPP の方向性が分か
ってきて、少し意識が変わってきたかなという気
がしています。
TPP というのは、そもそも何なのかということを
お話します。突然ふって沸いて出てきた TPP とい
われますが、実は前段があります。前段はなにか。
やまざきようこ TPP そのものお話を…。
榊田 今日のお話のコンセプトとして、岸さんが作
成された A4 の 5 枚の資料がおいてあります。こ
榊田 はい、そうですね。私は、長い名前を覚える
れだけは伝えたいと思うことを、20 分という時間
ために英語で覚えないとなかなかわからないので
をいただきましたので、20 分で話したいと思いま
すが、T というのは Trans、P は Pacific、そのあ
す。TPP を巡る議論は、グローバル企業対農業と
との P は Partnership です。英語での正式な表現
いう経済だけの問題なのか、地域の問題なのか、
は、ここの間にもう二言細かい言葉がはいりまし
というのが私のいちばん大きな関心事で、ここの
て、ストラジックとエコノミック。戦略的経済で
ところ一生懸命調べていました。マスメディアで
すね。経済の連携協定。環太平洋の経済の戦略的
取り上げられる TPP 問題で、一番大きな誤解だと
55
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
な連携協定であるというのが、TPP です。TPP の
のはなかなかしんどいな、とみんなが思いはじめ
問題を取り上げていくと、FTA とか EPA とか、
たんです。その中で動きが活発化したのが、FTA
いっぱいローマ字がでてきます。このローマ字が
とか EPA とかいわれるものです。
一体どういう意味なのかをまず整理して、その中
FTA は何かというと、Free
の TPP って何なのかというのを、これから 10 分
要するに自由貿易の協定です。モノとかサービス
ぐらいですっきりと覚えていただきたいなと思い
を自由化していくという意味では、TPP と変わら
ます。
ないといえば変わらないのですが。お互いの国々
1995 年 GATT が、ウルグアイ・ラウンドの米の自
が、これはうちの国の大事なところだから、ここ
由化問題で非常に揺れました。これが WTO とい
だけは自由化したくないよというのをお互い認め
う組織として 1995 年に設立されました。WTO は
ながら話し合いをするというのが FTA や EPA で
みなさん、聞いたことあると思います。これは、
す。FTA や EPA というのは、利害が合致する国々
world
が抜け駆けして、
「みんなじゃまとまらないから、
trade
organization、世界貿易機構です。
trade
Agreement、
GATT というのは一般協定として関税について
うちらふたりだけで話し合いして、うちらふたり
様々なことを決めてきたのですが、より世界の自
で合意しよう」という 2 カ国間、あるいは複数国
由貿易を推進していく枠組みをつくろうというこ
でそれぞれ結んでいくものです。WTO に加盟して
とで WTO が設立さたんです。自由貿易体制がこ
いるけれども、2 カ国とか 3 カ国とかそれぞれ利害
の時にできたといわれたんですが、そう簡単にい
が一致するところで結んできたと。そういう流れ
かなかった。GATT がもめてた頃、新聞によく出
が出てきた中、再び、WTO の閣僚会議が決裂しま
ていた国というのはアメリカ、EU、ケアンズグル
す。今も WTO は止まったような状態で、ますま
ープといわれたオーストラリアとニュージーラン
す FTA、EPA を結ぶという動きが広まっていま
ド。あと、日本、韓国というアジアが少し出まし
す。今、何が起きているかというと、WTO じゃも
た。WTO が設立した 1995 年には参加国、77 カ国
うだめだ、FTA か EPA にしようと 2 国間か複数
しかなかったんです。基本的には先進国が非常に
国間でやっていたんですが、今度は複数国で結ん
多かった。ところが、設立した後、ここにいろん
でいた FTA や EPA からそれをもっと広い輪にし
な国が入ってきました。今 153 カ国あります。理
てブロックにして自由貿易のネットワークをもっ
想的といえば、理想的です。全世界の様々な国が、
と広げていこうよ、という動きが起こっているん
途上国も含めていろいろ国がいて、その中でいろ
です。
んな話し合いをして、それぞれの国が自立できる
ような貿易の枠組みを作っていきましょうという
話し合いができればいいんですが。153 カ国に増え
て、自分の国の事情をそれぞれが言いはじめて、
話がまとまらなくなりました。特に中国とインド
が加盟してアメリカに対立する。アフリカ諸国も
参加する。先進国と後進国が対立する。調整が困
難になって、2003 年、WTO の閣僚会議がメキシ
コで開かれたんですが、決裂しました。153 カ国が
FTAAP、またローマ字です。FTA と AP で区切
いっしょになって貿易の自由化について話し合う
ってみるとわかりやすいです。FTA は先ほどと同
56
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
じです。AP はアジアンパシフィックです。アジア
す。経済的にも非常に小さい国々ですが、ここで
太平洋自由貿易圏。2004 年に APEC の首脳会議で
結んでいる協定に 2008 年にはオーストラリアが参
出ています。2 カ国間とか 3 カ国間とか複数国では
加を表明。2009 年にはアメリカが参加を表明、2010
なくて、APEC に参加している 21 カ国みんなで自
年にはベトナムが 3 月までに参加を表明して、9
由貿易圏をつくりましょう、アジア太平洋の自由
カ国で新たに TPP の枠組みを話し合いましょうと。
貿易圏をつくりましょうよ、という構想です。ヨ
この年の明けにはマレーシアが参加を表明して、
ーロッパには EU があるじゃないか。北米にはナ
今 10 カ国が参加をする協定になっています。ここ
フタという自由貿易協定があるじゃないか。同じ
で話し合われている内容はまだわかりません。話
ようなアジアのブロック圏、アジア太平洋の経済
し合いに参加しなければ内容がわからないといわ
グループ圏をつくろうよ、という動きです。これ
れているので、どういうことが起こるかというの
にアメリカものってきて、2006 年にはブッシュも、
は、私の懸念でしかありません。今、分かってい
アジア太平洋全体で自由貿易をつくりましょうと
るのは、高いレベルの EPA、経済連携協定を。こ
言いだしています。ここから TPP につながる話が
の協定を結んだ時に、農産物に限らず全ての物の
でてくるわけですが、どうやってアジア太平洋全
貿易について関税は今までの 90%は撤廃する。残
体の自由貿易圏をつくっていくか。そのプロセス
り 10%は、残してもいいけど 10 年以内にはその関
の中でいろんな意見が出てきました。ひとつが、
税も全部撤廃する。10 年後には全く国境間の関税
アセアン+3。東南アジア 10 カ国に中国と韓国と日
がない自由貿易体制をつくろうというのが、この
本の 3 カ国を加えて、まず東アジア、東南アジア
TPP といわれています。
の国々が集まって、枠組みをつくって、そこから
日本が孤児になるかどうかなんですが、アジアの
アジア太平洋全体にそのルールを広げていきまし
中でもいろいろと態度が分かれています。ベトナ
ょうよ、というのがこの枠組み、案です。日本は
ム・マレーシアは、いま参加を決めて話し合いに
自民党時代に、このアセアン 10 カ国に韓国、日本、
参加しています。タイ・インドネシアは参加をし
中国だけではなくて、あとオーストラリア・ニュ
ないと表明しています。中国・韓国もいまのとこ
ージーランド・インドを加えた 6 カ国、アセアン
ろ参加を表明していません。中国は参加を表明し
+6 カ国で枠組みをつくりましようよと言ったん
ないか、参加しないというような非常に消極的な
です。これが、アセアン+6 の枠組みです。ここで
言い方をしています。先ほど「アセアン+6」では
非常に慌てたのがどこかというとアメリカなんで
なく TPP でいこうぜと、アメリカが言ったといい
す。これどっちもアメリカは入ってないんです。
ましたが、アメリカは中国が主導権をとって経済
要するに環太平洋の自由貿易圏をつくる、ルール
圏をつくっていくのを警戒しているといわれてい
をつくるという時に、はじめの主導権をアメリカ
ます。逆に中国は TPP にのるっていうことは、ア
が持てないというところでアメリカは焦ったとい
メリカ主導の経済圏構想にのせられるということ
うか、怒ったというか。それでアメリカが大逆転
なので、警戒してのらない。では、韓国はどうか
の発想として出してきたのが、TPP。アジア太平
というと、既に、TPP に参加している国と 2 国間
洋圏の自由貿易圏を TPP を核にして進めていこう
で、そういうかたちで協定を結んでいるんですね。
よというのが、今のアメリカの動きなわけです。
いまさら TPP に参加する必要はないと。いまのと
2006 年にシンガポール、ニュージーランド、チリ、
ころ参加する意向を示してはいません。日本はい
ブルネイという 4 カ国ですでに結んでいる協定で
ま非常に前のめり状態で、6 月までに参加・不参加
57
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
を決めるというふうな言い方をしているというわ
てもいいぐらいです。日本は輸出産業が日本を支
けです。
えているといわれますが、GDP でみるとわずか 2
今後、これがどういうことにつながるのか。24 分
割ほど。韓国は関税なしで輸出できるのに、日本
野について、今、話し合いが行われています。農
は関税かけられて輸出するからますます不利にな
業はその中の 24 分の 1 でしかありません。その他
るという問題があるわけです。これが財界の見方
になにがあるか。たとえば、食の安全に関わる分
です。
野。SPS、食品安全基準の問題ですね。食品安全基
農業関係団体以外で、今目立って反対を表明して
準に関しては、平準化。イーオンに関わる分野、
いる唯一の団体が、日本医師会と日本歯科医師会
ここは非常に大きいんじゃないかと思っています。
です。医療に市場原理を導入する、規制緩和する
労働の自由化、グローバル化の問題も出てきます。
というのは、どういうことになるのか。医師業界、
なぜか農業団体だけ反対署名やっていて、まるで
医療業界は非常に懸念しています。今までは誰で
農政運動になってしまったのが、非常に残念です。
も保険制度のもとで、誰でも平等に医療を受けら
一番影響を受けるのは都市住民ではないかと、私
れた。1 割負担とか 3 割負担とか差はありますが、
は思っています。
9 割、7 割は国が負担してくれる。国が診療報酬と
では、財界関係はどう言っているのか・医療関係
して払っていたわけです。これが国民保険制度で
ではどういうことがあるのか。財界に関しては、
すが、これを自由化しちゃえと。お金のある人は
テレビでも取り上げられていますので、大手マス
高い薬を使って、高い医療器材も使ってと。そう
コミが書いていることが財界の視点と考えていた
いうふうに医療自体を自由化していくという流れ
だければいいかと思います。今、みんながアジア
が、既に行政刷新会議の中でも出てるんです。TPP
マーケットがほしいと思っています。そこに出て
によって国民の保険制度が崩壊するというような
行きたいと。一番焦っているのが、韓国の脅威。
ことになるのではないか。医療業界は、懸念して
日本も FTA とか EPA とか、今世界の 12 カ国と
います。一番大きいのは、医薬品の自由化じゃな
結んでいる状態になっています。チリ、ブルネイ、
いかといわれています。所得の高い人と低い人で
シンガポール、タイ、メキシコ…。12 カ国あるわ
医療の格差が出るだけではなくて、マーケットと
りには案外地味な国とやっているんですね。経済
して魅力が薄いところ、人口が少ないところ、そ
が小さい国とやっている。一方韓国は 7 カ国とし
ういうところは医者が儲からないので医者がいな
か締結してないので、日本より数は少ないんです
くなる。少子化の中で、既に小児科、産婦人科は
が、話題になったのは、2007 年にアメリカと FTA
減っていますけれども、そういうところからは撤
を結んで署名をしている。まだ、まだ発行はして
退すると。儲からないところには人はやらないと。
いません。中国とも今、共同研究をはじめている
そういう流れが生まれる可能性があります。
ということで、インドも 2009 年、既に署名してい
食問題に関しては、食糧自給率が 40%から 14%に
ます。輸出をしようと思った時の大きな市場を狙
低下するのではないかと。強い農業をやれば残る
って交渉を進めている。日本は韓国と比べて非常
といわれるんですが、残るのは米で 1 割。小麦は
に遅れているというような言い方もされます。韓
99%ないです。脱脂粉乳全滅、バター全滅、豚肉
国と日本の大きな違いは、韓国は人口 4 千万人ぐ
は 3 割しか残らない。銘柄米、10%は生き残る。
らいですけども、韓国の GDP の 70%ぐらいは輸出
銘柄豚は生き残る。そういう状況になるわけです。
産業なんです。輸出産業が国を支えているといっ
確かに一部の農家は生き残る。それでいいのか、
58
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
どうか。農業経営者の中には「われわれはお荷物
く、資本が動いていくということなわけです。こ
じゃない、われわれもグローバル化の中に打って
こで暮らそうと思っている私たちはどうするのか
出る」とおっしゃって、TPP 賛成論の方にもお会
という問題と、違うんじゃないか。GDP は交渉す
いすることがあります。農業法人の方とか、プラ
れば日本はこれで経済成長を延ばしていくんだと
イド持ってる方が結構いらっしゃるんですが、医
いいますが、2002 年から GDP は上がっていたの
療業界と同じにおいを感じます。ちょっと腕に自
に、平均賃金は下がり続けているんですね。国と
信のあるお医者さんは賛成らしいんです。グロー
しての経済の上昇と暮らしている人たちの賃金、
バル化の中で生き残れると思っている人は賛成。
豊かさというのは、2000 年以降は必ずしも一致し
それじゃ、患者さんたちにとってどうなのかとい
なくなっているところがあります。逆に暮らしの
う視点ですね。農業も同じことがいえるんじゃな
ほうが細ってきている。国としては GDP は上がっ
いかと思います。
ている。それが、グローバル化がもたらしている
農業経営をグローバル化の中で成り立たせようと
問題なのだということに、私たちが暮らしの立場
思ったら、最終的にこういう方向にいくだろうと
から見ていったほうがいいんじゃないかなと。
いうことで 4 つあげさせていただきます。
TPP がもたらす懸念についてお話をしました。
1 つめ。国際競争力の弱い品目は捨てる。米、持た
ない。持たないからやめる。麦もやめると。1960
やまざきようこ ありがとうございます。今の榊田
年代に大豆が自由化された時に、みんな大豆作る
さんのお話の中で、どうしてもこれだけは聞きた
のをやめたんです。同じことが起こるだろうと。
いという質問はありますか。なければ、次の討論
学者の中には、オランダみたいに花とか室内農園
の中でお話いただければと思います。伺いながら
にシフトすべきだという方もいらっしゃいますが、
考えてください。じゃ、岩田さんお願いします。
実質的に農業経営で生き残ろうと思った時には、
それもありです。
2 つめ。成長著しいアジア市場に輸出する。国内で
売るよりも、中国のほうが高く売れるぞと。
3 つめ。グローバル化したら安価な労働力を輸入す
ることができるかもしれない。その労働力を導入
して農業をやっていくと。
4 つめ。一番手っ取り早いのが海外の条件のいいと
ころに、拠点を移しちゃう。そうすると、円高で
輸出が厳しいということもないし、関税のリスク
もないわけです。国内の農地は捨てるか、頬って
置くかということになるわけです。農地にもそう
いう流れがくるかもしれない。果たして、生き残
る農業経営者を作る方策ではあるかもしれません
が、日本で暮らす人々の「食」を支えるための方
策ではないと私は思っています。グローバル化と
いうのは、国家という枠を越えて企業が動いてい
59
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
うことを言っている。とても信じられないと思っ
て、TPP って一体なんだろうと考えました。農業
は関税撤廃されたら、安いお米が入ってくる。安
いお米はいいねって買う。外食産業も、もっと安
いものを提供する。そうなるとそれまでのお米農
家の人はやっていけないんじゃないかと。ただ反
対、反対というんじゃなくて、TPP の中身を勉強
しなければいけないと思いました。
12 月 3 日に「アグリモーニングセミナー」という
朝 2 時間ほど勉強する勉強会を立ち上げました。
12 月に 1 回目、2 月に 2 回目、3 月に 3 回目。その
都度いろんな講師の先生に来ていただいて、こっ
ちの角度から、あっちの角度から話していただけ
る人をパネラーとか講師にして、勉強してきまし
た。農業だけの問題ではなくて、先ほどのお話の
ように健康保険まで、アメリカのシステムが入り
はじめたら。いろんな大きな問題を含んだ条約な
のかと思っています。一番やらなければいけない
岩田 私は、去年の 12 月に COP10 という、生き物
のは、正確にできるだけこのことを学んでいくこ
の多様性というものの条約を愛知県で議長国とし
と。自分たちできっちり判断する材料を頭に入れ
て日本が締結したという時に、あ、そうか、日本
る。そして最後にどういう行動をとったらいいの
も自給率も 40%から 50%に高めて、有機や無農薬
か。確実に行動につなげていかないといけないと
で育てたら、その田んぼにいろんな生き物が育っ
思い、今はこんな活動をやり始めています。では、
てるということを確認するような、農業の現場を
稲沢さんにバトンタッチします。
守っていくという意味もふくめて、議長国として
COP10 というのを締結したんだなって。日本の方
稲沢 私、実際お米を作っている生産者という立場
向性は少しでもそっちのほうに向いていくのかな、
から、今はものをいうことができないんですけれ
と思っていました。月が変わって TPP という話を
ども、先ほどの榊田さんの資料で、農水省の試算
聞いた時に、「えっ」って。生き物の多様性を一
で 10%お米は残るという中に、有機米も残ると確
番守っている農村、農地、農場。そういうものが
か書いてありました。私は有機栽培なんですが、
今の話で、お米作っても、農業で食べていけない。
普通のお米より高い値段で販売させてもらってい
安いお米が入ってきたら、誰も買ってくれない。
ます。そういう意味では生き残る部類に入るのか
消費者の人が買ってくれなかったら、ほとんどの
なとは思っています。だた、周りの農家が、私の
農家の人が食べていけなくなったら、農地は荒れ
集落でいうと、ほとんど、私以外の農家が田んぼ
ていく。1 か月前に生き物の多様性を守っていきま
作り、米づくりをやめた中で、私 1 人が生き残る
しょう、といったその場所はどこで守っていくの
というのは実際は不可能だと思います。村の中で
か。同じ政府が 1 か月経ったら方向が右と左と違
は協同作業というのが多々あります。さっそく来
60
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
月排水の掃除とか泥上げの掃除とかの作業があり
アでは小麦がとれない。どんな自然災害が起こる
ます。7 月に入ると川の堤防の草刈とか、排水溝の
かわからないこの地球上で、日本の農村が駄目に
草を除去したりとか。こういう作業を、私ひとり
なっても、どこが、誰が、自分のところで災害が
が生き残っても、他の農家の人が手伝うというこ
あって、残ったお米なり小麦を必ず日本に届けま
とはないと思います。TPP がなくても、高齢化で
すか? 誰が、これを保障してくれるんでしょう。
将来の不安はありましたけども、村というものの
被爆してる、放射能汚染が出ている中に誰が届け
維持が不可能になるのではないかなと思います。
に行ってくれるんですか? 誰がそれを保障します
TPP に関して思うのは、安いお米を外国から輸入
か? 誰も保障は出来ないと思います。やっぱり農
して、国内で農業生産を切り捨てていくというの
村で、農業をきちっと営むっていうことを、食料
は違和感を感じます。作った農産物は海外に輸出
をどんな形で確保していくのかというのを、新た
する、日本人が食べる農産物は中国なりアメリカ
な形で今、ここに描いていかないと。大きな災害
なりオーストラリアなりから輸入して食べていけ
が起こったとこで食料がなくなっている、食料生
ばいい。そういうのはかなり乱暴なんじゃないか
産の場所が無くなってるということもイメージし
と、率直に思います。
て。より強く、私たちがどうして食べていくのか
というのを、今強くイメージしないといけないん
じゃないかと、考えます。ありがとうございまし
た。
やまざきようこ どうもありがとうございました。
日本に田畑がなくなる。農業がなくなる。食料生
産の場がなくなる。農家がいなくなる。そういう
状況が、今、目の前に起きているのが現実です。
そのことを考えられたこと、あるでしょうか。日
本から農業がなくなったら、農業やる人もいなく
なったら、みなさんはどうされますか?これから、
岩田 安いお米が入ってくるって言ってますけれ
マルク先生に、世界の食料の状況、現実というの
ど、ほんとうに安いお米が入ってくるという保障
を、10 分程お話いただきたいと思います。雨宮先
はどこがしてくれてるのでしょうか。オーストラ
生が通訳してくださいますので、よろしくお願い
リアでも干ばつ、洪水、お砂糖がとれない。ロシ
します。
61
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
もう一つの間違った考え方。これは、思想的な背
景にもとづいたものです。貿易だったら、マルシ
ェ市場経済が最上だと考えている、間違った信仰
を持っている人達がいるということです。その人
達が考えているのは、貿易の自由化というのが、
よりよい状況、発展を常に生んでいく、皆にとっ
て、発展をもたらすだろうという、間違った考え
方を持っているということです。そして、それを
グローバリゼーションの今の社会のあらゆるとこ
ろに適用しようと思っています。経済でいう、需
要と供給の関係を世界中のどんな国にも同じ形で
自由市場の開放というのを、あらゆる国に適用し
ようと考えている。どういうことになるかという
と、もし、この自由貿易、自由な取引というのを、
世界中の国々にあてはめるとしたら、人々、個人
と個人、そして世界と世界、そして全ての企業と
いうのが競争に追い込まれることになります。そ
して、経済学者たちは、この二つの場の発展に、
発展するだろうという自由貿易によって発展する
マルク&雨宮 これから分かち合い社会を作ると
だろうという仮説にもとづいて計算をするわけで
いうことについてお話したいんですけども、その
す。で、どういうことになったか。経済学的にい
前にまず、TPP について一言申し上げたいと思い
うと、あらゆる資源、そして金銭的な資本、そし
ます。GATT についての素晴らしい説明がありま
て、労働者というのが、一番効率が良い場で、一
した。それから、WTO について。そして WTO か
番有効な働き方が出来るところで使うというふう
ら今度は TPP に変わっていくのか。この 3 つ、
に、世界中で動くことになります。その発展のた
GATT に始まるその自由貿易に関する WTO、そ
めに、一番効率よく、経済的かつ効率よく資材も
して TPP と繋がっていく、この 3 つの貿易に関す
資本も人も使うという発想に至ったやり方になり
る、自由貿易に関するものには 2 つの大きな間違
ます。というと、競争経済に入るということは、
いがあります。これは、とても危険なことです。
どこの国が一番何に向いているか、一番効率よく
一つ目の大きな間違いというのは、倫理的な問題
生産力を挙げることが出来るのはどこかという計
です。先ほど国民国家という話がありましたけれ
算になって、全てが競争の中に追い込まれていく
ども、違いました。経済です。それは違うと思い
わけです。もし経済のことをご存知の方がいたら、
ます。国民国家ではなくて、国を動かしているの
これはリカルトの理論ということになります。日
は経済です。今、私たちの社会は経済です。社会
本の場合はたとえば、自動車工業に大きな力を注
を動かしているのは、人ではなくて経済です。そ
ぐということになります。タイは米を作ります。
う思いませんか?経済というのは非常に危険です。
そして、日本はタイから米を買って、タイに自動
車を売るという形になっていきます。そして、こ
62
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
ういう専業化によって、一専門家によって、一番
するということ。2008 年の経済ショックの時には、
効率よく、一番良く取れるところで、一番その国
そういう決まりを全部取りはらってしまおうとす
に向いた生産物が作られる。そして発展していく
るような傾向がありました。どういう規則を作ら
という幻想にもとづいた構図ができていきます。
なければいけないかというと、大きくなってしま
かつて、フランスのミッテラン大統領がいました
った銀行に対する統制。それから、巨大化した企
けど、ミッテランであろうが、現在の菅直人であ
業。そういう企業が世界市場を独占しているとい
ろうが、日本の政治家達は経済学者に、これが一
うこと。そういう独占というのは、自由競争では
番よい方法だというふうに洗脳されて、それに従
なくなっている。そして、いかにも競争経済の形
っていくことになります。そして、世界中でモノ
を借りて、実際は独占になっている。その結果、
の値段が統一、確率化されていって、世界中に同
どういうことが起こっているかというと、その巨
じものが同じ値段で売られていくということにな
大化した企業は広告を繰り返して、私たちに同じ
ります。お米はどこでも同じ値段、そして労働者
ものを、その企業が独占的に作っているものを買
の労働価値というのも、どこの国でも均一という
わせるように仕向けていきます。今、例えばコン
ことになります。コックであろうが、農民であろ
ピュータを考えて下さい。皆さんが変えるのは 2
うが、エンジニアであろうが、福井でもバンコク
種類じゃないですか。Microsoft か Apple。今まで
でも東京でも、皆同じ値段で仕事をすることにな
人間の、人類の歴史を考えて、これほど巨大化し
ります。実際のところ、1995 年の WTO が成立す
てしまった企業、独占が進んでしまったものが他
るまで、まだ GATT の自由貿易機構が機能してい
にはありません。
た頃です。WTO が成立する前に、それに対する各
これは自由というものではありません。先ほど言
国の抵抗がありました。各国が承認はしたんだけ
いましたように、需要と供給のバランスにのっと
れども、自国の貿易、自国を保護するための保護
った自由競争というのは、二つの条件、まず取引
政策を先に取りかかったということです。という
の規則があるということ。そして、もう一つは、
ことは、統一値段を適用しないということです。
どこか巨大化した企業が独占してしまうというこ
それで、そのためアメリカが乗り出して、WTO を
とにならない。この二つの条件において、物に関
成立させるために各国と協議に入りました。そし
しては可能だと思います。けれど、他の多くのモ
てその時に、農業が、その WTO の交渉内容の中
ノについては、この需要と供給の関係、経済のバ
に入っていくことになりました。それまでは、農
ランスの適用は不可能です。例えば、水の分配。
業は別に置かれていた。そして、交渉の中に無か
あるいは、何かを作った時に公害を引き起こすよ
った教育であるとか、医療の部分も取り入れられ
うな物を作るということ。そして、特に食料は不
てくることになりました。私たちは、社会として
可能です。こういう農産物など食べる物は、ある
あるんではなくて、経済のために人がある。個々
意味で戦略的な生産物であって、これは自由経済
人が経済的効果のために動くというふうに社会が
の市場に乗せるようなものではありません。例え
出来てくる。
ば、その食の確保というのは、たとえ戦争になっ
需要と供給の関係という経済の一番疑問的な考え
た時に自立をする、自活をしていく最低限の条件
方というのは、モノづくり、モノについて適用す
を作るためには、確保しておかなければいけない
ることは可能です。ただし、これにも二つの条件
物なので、そういうものを自由経済の市場の商品
があります。まず第一番は、一つの決まりを適用
として自由に取引するということは、本質的に考
63
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
えられないはずです。もし、日本が何とかしなけ
う貿易が、今、成り立っている状況はなぜなのか。
れば困難な状況になった時に、タイのお米に頼っ
単にそれを売って儲けるということだけ。私達が
て生きていかなければいけないという状況になっ
必要に応じた取引ではなくて、物を回してお金を
た時に、日本はどれだけこの状況を保って、自活
儲けるということだけではないでしょうか。社会
していけるのか。状況を保っていけるのでしょう
というのは、私達が必要なものを作るために、組
か。そして、農業というのは、安全な食を国民に
織されるものです。そして作った物を皆で分かち
供給するというだけではなくて、環境保全という
合って使うためにあるものです。もし、そういう
大きな役割を担っています。例えば、どういう環
ふうに出来ていたら、私たちの社会は、もっとよ
境かというと、牛であるとか豚であるとか鳥であ
りよく住みやすい形になっていたはずです。そし
るとか、そういう動物達、それから木々、そして
て、そういう形に皆が分かち合うことの大切さを
川、そういう農村を囲むあらゆる環境の保全に、
理解していたら、今のように、あの物の売り買い、
農業は大きな役割を果たしています。そして、特
自由貿易というのが、こんなに大きな位置を占め
に分からないことは、農産物という、ある意味で
ることはなかったはずです。商売、貿易、取引と
は、鮮度が重要なものについて、どうしてこれほ
いうのは、生産した場所から必要な場所に物を動
ど長距離の輸送をしなければならないのか。作っ
かすということです。生産されたものが、一番近
た所から、生産地から、消費地まで、どうしてこ
くの消費者に届けられるというのが、一番良い形
れほど長い距離をかけて輸送されてこなければい
ではないでしょうか。そして、その近くに無い物
けないのか。それを突き詰めていくと、80%の国
のみを遠くの生産地から届けるという形がごく当
際貿易というのは、意味がないということにたど
たり前だと思います。それが、もう一つの倫理観
り着きます。
であり、もう一つの私達が考えられる社会の在り
方です。
これが私の最後の言葉になりますけど、私達がこ
れから考えていかなければいけないもう一つの社
会の在り方っていうのは、イインチが 1973 年にい
った言葉に表れている。その文章を引用させてい
ただきます。
「分かち合える社会、分かち合いのある社会とい
うのは、そこの社会の成員たちが一つの同じ社会
のビジョンを持っていて、一人ひとりの成員が他
例えば、フランス人がドイツからメルセデスを買
の成員のことを常に考えて共に働くことが出来て、
って、ドイツ人にプジョーの車を売る。それが、
皆がより幸せであるようにということを前提にし
フランス人やドイツ人にとって、どれだけいい暮
たビジョンを、皆が分かち合って持っている社会。
らしに貢献しているでしょうか。単に自動車とい
そういう意識が成員の中に共通にあれば、私たち
うものがフランスとドイツの間で交換されただけ
はより住みよい、分かち合いの社会を作ることが
で、そのために、フランスの車をドイツに運ぶと
出来るんだ」とイインチは言いました。これを私
いうことで、たくさんの石油が消費される。それ
の最後の言葉にします。ありがとうございました。
がもっとひどいのは、フランス人が TOYOTA の
車を買って、日本人がルノーの車を買う。こうい
64
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
討論・質疑応答
ぶかというと、そこにある椅子、それから捨てら
れた紙くずも利用して丸め、ボールにして遊びを
やまざきようこ どうもありがとうございました。
考えだします。日本の子どもたちは道具がなけれ
それでは時間が迫っていますが、先生方のお一人
ば遊べない。両方の違いが面白いなって思いまし
お一人のお話をじっくり聞かせていただきたかっ
た。日本の学生たちがインドへ行く前に、インド
たために、このように短い時間ですが集中して伺
はこういう国だ、カーストがある、貧富の差が大
いました。それでは、これから討論、質疑応答に
きいって頭の中に学んだことを詰め込んで、何も
入りたいと思います。榊田さんが TPP の基本的な
知らなかった私にいろんなことを話してくれまし
ことをお話くださいましたが、マルク先生は TPP
た。だけど、実際インドに行って農村に、農家に
が出てくる背景にある今の経済を中心とした社会
滞在した後、彼らはすごいショックを受けて混乱
の中で、私たちは盲目的に動かされてしまってい
している様子でした。日本はずーっと豊かだと思
る構図とか、成り立ちとか、それらを分析してお
っていたのに、見た目には貧しいのだけれど、圧
話下さいました。当たり前のように働いてお金を
倒的なこの豊かさは一体なんなのか。溢れるよう
もうけて暮らしている。そのために、もっと多く、
な笑顔と信頼みたいなものに学生たちはショック
もっと豊かな生活を、もっと物を、という形でき
を受けて、驚いていました。トイレの無いお宅も
た私達ですが、本当にそれが豊かになったのかど
ありました。学生はこの家にトイレがあるのか、
うか。その背後に行き渡るものが、何となくわか
ないのか、本当なんだろうかって。男子学生がト
っているけれども、実際には分かっていない。一
イレに行きたいと言いましたら、一人の女性が、
番大切なことを忘れている。欠けている。その事
畑の前に連れて行きました。男性がペットボトル
に対して皆さんはどういうふうにお考えになられ
一本の水をくれて、学生をずーっと畑の奥へ連れ
ますか。感想や質問がありましたら、どうぞおっ
て行き、そこに彼を置いて戻ってきました。しば
しゃってください。では、梶谷さん。
らくして学生は、自然の中でトイレをしてきてさ
っぱりした感じで戻ってきました。「やっぱりト
梶谷 インドの映像を見たときに子どもたちの笑
イレが無かった」って笑いながら、もうスゴイ楽
顔がすごく良くて、「あれ?こんな笑顔が日本の子
しそうでした。その家の人たちも笑っていました。
どもたちに見られるかな」と疑問に思っていたん
でも、その裏には若い女性がレイプされる恐れも
ですけど。やはり今の話を、不良消化で、もうど
潜んでいるという現実が横たわっています。日本
うしようかという思いで聞きながらも、「あぁ、
のトイレが世界で一番美しいというか清潔だと言
分かち合える社会が、そう、インドにはあるんだ」
われていますが、トイレに入ると一人で蓋が開い
っていう思いがして、あの子どもたちの笑顔が納
て、座ると、温水が出てきてなんて、そういうこ
得できた思いがします。で、やはり子どもたちの
とはとても考えられません。トイレがあるかない
あの笑顔を戻すためにも、私たちは何かをしてい
か、そういう中で暮らしている人たちがまだ、ア
かなきゃいけないような気がします。
ジアにはいまだにあります。先ほど井上さんが話
された中に、インドの話が出てきましたが、日本
やまざきようこ ありがとうございます。インドの
がインドやアジアの国々の大切なものや、価値あ
子どもたちですが、インドの農村部とかは、日本
るものを搾取した結果、私たちの暮らしの豊かさ
のように、物は無いですね。子どもたちが何で遊
があるのではないかとおっしゃった時に、その事
65
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
を思ってもみなかったってご意見がありましたけ
ます。マリはやっぱりインドのように物がない、
れども、実際にインドへ行ったり、インドネシア
子どもたちも同じでほとんど何もない所で、もう
へ行くと、そういう状況がいくつもみえてくるん
遊ぶ物も何もない。そういうような村に行くこと
です。ヨーロッパの豊かさはアジアやアフリカか
になって、その時にレンヌ市にいって、何か向こ
ら奪ったものの上に成り立つ豊かさであり、日本
うの方に持っていったり、交流姉妹都市がありま
もアジアから搾取したものが大きいと思います。
したので、持っていける物があったら、持ってい
インドネシアの島・ビンタン島へ行った時のこと
きたいんだけどって言ったんです。そしたら、そ
ですが驚きました。そこはテラロッサという赤土
の交流委員の人が向こうの人達はボールが好きで、
がむきだしになっている島でした。ボーキサイト
ボールが欲しいって言ってたからっていって、こ
を採掘し、最終的に日本でアルミニウムに加工す
れを持って行ってくれって。それが、フランスで
るんですね。で、島の土が掘り起こされ、赤い土
はペタンクといって、鉄のボールをこうやって投
がむき出しになって、川の水も紅色をしていても
げて遊ぶのがあるんです。そのセットを 2 セット、
のすごい環境破壊でした。その中で人々は暮らし
すごく重いのを抱えて持って行きました。現地に
ている。こんなところで暮らせるのかとびっくり
着いて、向こうの交流委員の人にあげたら、あり
しました。そういうことをなにも知らないで、私
がとうとはいってくれたけど、あんまり嬉しそう
たちはこの豊かさの中で暮らしています。豊かさ
な顔じゃなかったんですね。それで、翌日、すぐ
と便利な暮らしの背景にはこういう問題も横たわ
気がついたんです。ペタンクって、こういう鉄の
っています。皆さん、どういう風にお考えなのか、
ボールを投げて遊ぶには、ボールがコロコロと転
どんどん聞いていきたいと思います。質問なり
がんなきゃいけない。そんな道路じゃないんです
TPP に関するご意見なり、これから 30 分間、1 分
よ。水溜りだらけのガタガタの道路で。そんなも
ずつ、お話いただきたいと思います。
のをやって遊べない。フランス人はボールという
と皆がやっているペタンクを考えちゃったんだけ
雨宮 梶谷さんがおっしゃったことに関連あるん
ど、向こうは子どもたちが遊ぶサッカー、ちっち
ですけど、私がちょっと今聞いていて付け加えた
ゃいゴムまりとか、そうものが欲しかった。マリ
いと思ったのは、いろいろな文化があって、それ
というのを同じボールという言葉でいってしまっ
ぞれの国には、農業でも、それから生活の仕方も
て。それが、欲しかったんです。私たちは、二人
そうなんだけれど、いろんな暮らし方があって、
で 10 ㎏以上のボールを持っていけたら、どんなに
いろんな問題があって、だから私達が今暮らして
子どもたちを喜ばせることが出来たか。その時、
いる日本の暮らしの意識とか、私達が見たあの人
知らない相手の国のことを交流委員でさえも知ら
たちにとって、これが必要だろうと思うものを持
ないということを、私たちも知らなかったけれど、
っていくとか、私達が見ていいと思う暮らし方を
そういう状況がやっぱり問題だなと。だから皆が
向こうの人達に提案するっていうのは、ちょっと
もっといろんな国のことに興味を持って知っても
違うと思うんですね。それが違うということを気
らいたいなとその時、思いました。今ちょっと付
づくためにもやっぱり、いろんな国にいってみた
け加えたのは、さっきの言葉の中にある、他の人
り、興味をもってみたり、もっと自分を開いて交
達のことを考えて、社会の構成員のいろんな人た
流し合うことが大切だと思うんです。私たちにも
ちのことを思って、皆で働きながら、皆の幸福を
経験があるんですけど、マリに行ったことがあり
実現していく、分かち合い社会だっていう。違い
66
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
は、分かち合い社会と、例えば、ただ物を寄付す
ろんそこになんの問題も無いわけではないという
る、あげるっていうのとの違いは、何かをあげる
ことは、皆さん、きっとわかってくださっている
という行為は上から下に行くという形になりがち
と思います。
です。ものをあげるということで。それでもらっ
た人はそれに対する義務というか危険ができてし
やまざきようこ ありがとうございます。インドの
まう。そうではなくて、分かち合い社会というの
社会は分かち合う社会を、世界のいろんな国には
は、それぞれの人にそれぞれの場所があって、お
分かち合う社会がまだまだあると思うんです。じ
互いができることをやりながら、皆がいいように
ゃあ、日本の社会の中に分かち合う社会というの
というふうな意味だと思って下さい。
は無いんでしょうか。自分たちの住んでる地域に
は。どうですか。
やまざきようこ ありがとうございました。インド
へ行ったときに秋吉先生も、その事を学生たちに
越後 自分の仲間っていうか、そういう人には、分
も、私たちにも、何度も何度もおっしゃっていら
かち合う社会でないですけど、仲間がいると思い
っしゃいました。秋吉先生いらっしゃいますか?
ます。
秋吉 たくさんインドの話をさせていただいたの
やまざきようこ 私たちいま住んでる所は、たぶん
で、私は是非ここにいる皆さんの意見を聞いてみ
あると思うんです。例えば、ここにいらっしゃる
たいと思うんですが。インドは確かに分かち合う
越後さんだったら柿畑があって、今手入れが出来
社会だと思います。その分かち合う社会には彼ら
ないから、学生たちに提供するから、学生たちに
なりの文化があって、そこに日本の文化を持って
教えて思うように剪定してやってもらう。越後さ
いくとか、そういうことは、日本の学生もやりま
んとこ行って剪定の仕方を教わって、柿の実がな
したね。福笑いを持っていくとか。ほとんど笑っ
るようにっていうのを実際にやってみて学生たち
てもらえなかったって経験しましたけども。相手
がたくさんのことを学ぶことがことが出来たり。
の社会を尊重するということについて、学ばなけ
私たちの社会っていうのには、田舎にはまだまだ
ればならないかなと。そういう意味で、若い人た
いっぱい分かち合う社会が残っていると思うんで
ちがそういうことをしてもいいんじゃないかなと
す。そういうのをもう一度見直していくというか。
思っています。ですが、行っている間中、口を酸
そういうこともすごい大切なことじゃないかと思
っぱくして言ったのは、彼らが何を見て、何を考
うんですけど。そういう所に TPP が入って来たと
えて何を大切にしているのかを、あなた達の考え
きに、じゃあどうなのか。そういう問題があるん
で判断しないで、一緒に彼らの考えていることを
ですけど、いかがですか。
学びましょうと。どうしてもインドへ行くといえ
ば、私はそういう教え方はしてないつもりなんで
後藤 私たちの国にそういうことが有ったか無か
すけども、ネガティブな所だけ学んで、自分たち
ったかというので、私が最近とても思うことで、
の方が上だと思っていって、突き落とされたこと
ちょっと話が変わるんですけども、トルコの話を
はとても良かったと思います。ただ、インドの子
します。和歌山県の串本町で 100 年くらいに沈ん
どもの笑顔について語っていただいて、分かち合
だトルコの船の話があるんです。トルコの乗組員
う社会があるからこそ、そうであるけれど、もち
の方々が台風にのまれて、船が沈んでいく中、必
67
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
死で泳いで来た時に、和歌山県の田舎の串本町で、
自分たちの食べる物も無い、家畜も飼ってはいる
A 男 ちょっと違うような気がしたんですけど、分
けど、ハエがひどいって時に、その串本町ってい
かち合うって中で、自分が感じるのは、うち、こ
う小さい村の人達は、自分の命も顧みず、助けに
の辺の農家なんですけど、こういう田舎で育って
行ったり、自分の食べる家畜もつぶして食べさせ
きて、お互いに共同作業をやって、分かち合う面
たり。それが今、トルコの国の教科書に載ってい
もありましたし、それがこんな近代的になっても、
て、日本人はこれだけのことを出来るんだ、自分
非常に封建的な家だとか。災害の最中に災害起こ
らの国にはそういう考え方は無いと。だから、そ
ったから、土木作業で特需だろうと。そうだそう
れに学ぼうっていうふうに国は道徳としてそれを
だ戦争でも起こった方が日本はいいんだみたいな、
学んだそうで。たとえばフセインが、「48 時間以
ある意味そういう村社会もあるわけですよね。も
内にイランから出て行かなかったら、それ以降に
ちろん戦争が起きたとか、そんな意味で分かち合
来た飛行機を撃ち落とすぞ」といったとき、日本
えるとは思わないですけど、やっぱり、そういう
の飛行機は撃ち落とされるのが怖くって飛ばなか
ことも我々の中にあったわけで。例えば日本的な
ったんですよね。国も自衛隊を派遣しなかった。
企業が持ってきた終身雇用なんてぶっ壊して、こ
その時に、トルコが飛行機を飛ばして日本人を助
こ 10 年くらいで、それこそ、今おっしゃっている
けに来てくれた。それは、100 年前の恩を返すって
ような非常に人間が競争社会になってしまったと
ことと、自分たちもトルコの国の人達も取り残さ
いう中で、もし分かち合いっていうんなら、我々
れてるけど、それも顧みずに助けるっていうこと。
また、先祖が残してきたいい意味での分かち合い
でも、その話聞いた時、「あれ、今の日本は自国
の精神を持って、また新しいもの作っていかなあ
の人間が 200 人ぐらい取り残されても見捨てるん
かんのじゃないかなって思います。
だ」って思って、ハッとしたんです。今の TPP 問
題も、昔の日本の心に返れば、となりの誰々さん
やまざきようこ ありがとうございます。いい意味
が作ってる物を守って食べなあかんがの∼とか。
での分かち合いの社会をどう作っていくのか、た
これ高いから安いから選ぶんじゃなくて、こんだ
ぶんこれからの課題になると思うんですね。
け大事に作られてるんやで、これを食べようさっ
ていう話になると思うんだけども。私たちの心の
C 女 ちょっと分かち合いという話からそれるか
中にあった、当たり前の道徳心とか、日本人が長
も分かりませんけども、やっぱり 6 月に TPP の交
い長い時間かけて作ってきた何を大切にするかっ
渉を通して結論が求められてる状況の中で、私た
ていう、その心が戦後壊れてきてしまった結果、
ちは今、このようにして、いろんな方達のお話を
TPP 一つのことで、こんなにオロオロしなきゃい
聞いて、なんか経済効率一辺倒の部分で、私なん
けない。そこが残念と思ってる。何かが違ってて、
かも、今のマスコミが言う話を鵜呑みにしてとい
大切にするものがちゃんと残っている日本人であ
うわけではありませんが、これ大事なのかなと思
れば、TPP が起こってもオロオロしなくて済むの
ってたこともありました。そういう中で日本の農
ではないかと思いながら聞いてました。
業ってのは、一体どうなるの、みたいな不安もい
っぱいありました。でも、今、それをどうして日
やまざきようこ ありがとうございます。どんどん
本の皆さんに分かってもらうっていうか、すごい
聞いていきます。
手立てってどうしたらいいんだろうって。ずーと
68
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
皆さんのお話を聞きながら考えてました。こうい
う情報をどのようにして、発信をしていったらい
いのかなぁって。先ほど世界だとか、東洋経済だ
とかいうものも、ちょっと今までの考え方と違う
ぞ、みたいな方向性の記事が出てると言うことも
ありましたけれども、大きな地震とかで、そうい
うことなら、どっか飛んでいってしまってるよう
な状況なので、もう、対外的な国際的な問題はす
ぐ目の前に来てるということなので、どの辺だろ
それこそ稲澤さんの米とかはたぶん地域の人達が
うという、そういう面での不安もあります。だか
食べている。で、そういう人たちと繋がれば、潰
ら、どういう方策をとって、そういうのを伝えて
れないわけですよね。だから、結局、一番潰れや
いったらいいのかなって言うのはあまりに大きい
すいのが。JA さんがいないと思うから言うんです
ので、ちょっとよく分からないのですが、考えて
けど、とりあえず JA さんに出して、全く個性の無
いかなければいけない重要な問題だなということ
い状態で、大きい市場に流れて行くっていうのが、
をすごく考えています。
もろにグローバル化の中でぶつかるわけで、作り
手の顔が見えて、消費者と繋がってる人っていう
やまざきようこ ありがとうございます。では、今
のは、たぶん、あまり潰れないでいられるんじゃ
の問題に関して榊田さん、お願いします。
ないかなって思うんです。どうやって伝えていく
かっていうのは、全体に伝えようと思わないで、
榊田 そうなんだよなぁと思いながら聞いていま
地域の中で、消費者とか、商工会とか、そういう
した。どうやって伝えていくのかっていうのは、
人たちとどういうネットワークを作っていくかっ
本当、難しいなと思ってて、私が記者の立場で、
ていうことに尽きるんじゃないかなと思います。
記者として出来ることと思っていうんですが。さ
知り合いの農家でも、さっき稲澤さんが人も生き
っきお話いただいたように、今は国を動かしてい
物も集まる田んぼって言っていましたが、議論は
るのは、国家じゃなくて、もう経済になってしま
議論で皆でやってもらって、僕は地域で、地域を
って、あのグローバル気運が国家を脅すんですね。
作る農業をやっていきたと言っている 30 代の若者
法人税下げなきゃ、海外に拠点移しちゃうぞとか、
もいたりするんですが。農業とか食を通じて地域
TPP 参加しないなら、もう国内の生産拠点を海外
の人達と繋がって、どうしていくかを考えるみた
に移しちゃうから、国内雇用無くなるぞ、とか脅
いなことが一番対抗できるんじゃないかなと。少
すわけですよね。で、国はそっちに言いなりにな
なくとも都会の消費者よりも、TPP で食料問題が
っているわけで。もう国に頼っても仕方ない時代
起きても、食べるということに関しては、農家さ
になって来たんだなぁっていう感じが、本当にし
んがいる限り、繋がっている限りは、一番リアル
ていて。地域が今、この分かち合いの社会をどう
に自分たちの食、自分も何とかなるって思い、そ
やって作っていくのが、一番大事なんだろうと思
ういう関係を作っていく、足元から作っていくっ
うんですが。例えば TPP。農業どうなるかってい
ていうことしかないと私は思っているんですけど、
うのがあるんですが、食べ手がいれば潰れないん
どうでしょうか。
ですよ。安い米が入ってきても食べ手がいれば。
69
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
やまざきようこ ありがとうございます。榊田さん
って、山崎さんみたいに原発反対やから俺立つわ
の考え方に対していかがですか?では、井上さんお
って言って立つ人もいないと、なかなか事は進ま
願いします。
ない。このままスケジュールどおりにいってしま
うんじゃないか。だから、いろんな役割をしてく
井上 先ほど、岩田さんがおっしゃったのは、感覚
れる人がいてくれるといいなと思いますね。
的にたぶん当たってるような、そういう感じだっ
たけども。あ、ちょっと説明が足りないな、それ
やまざきようこ ありがとうございます。それぞれ
では人が説得できないなと思ってたら、今度マル
が、それぞれの立場の中で、行動を起こしていく、
クさんですか、やっぱりその辺をきちっと説明し
それって、すごい大事なことで、今回の、一番の
てくださって、重厚にきちんと説明してくださっ
目的はそれなんです。日本の中で農業ももちろん
て、理論構成をしてくださいました。なるほどと
そうなんですけども、一番、見えなくて、水も空
感じました。その中で、榊田さんが先ほど説明し
気も全てを作りながら、今まで無視されてきた山
てくださった TPP の中に出てくるですね、農業者
の問題があります。ちょうど、森林組合で山の仕
と歯医者と医者っていうのが、昔、僕らに言わせ
事をしてらっしゃる稲葉さんがいらっしゃるので、
れば、3 つとも圧力団体でした。今まで経済界がコ
皆に伝えていただきたい。TPP がこのまま進んで
ンチキショーと思ってた、無理・無駄・不合理が、
しまったら、日本の一番大事なものが失われてし
今そこで出てきた。今までの日本の農業者っての
まうのではないかと危惧しているのですが。山で
は、実はその後ろに隠れていたと。農協なんかが、
働いてる稲葉さん、どうぞお願いします。
ガンガンあの自民党のごり押し云々やっている中
に、隠れてやってきた。そういう農業保護政策の
中で。我々聞いても、「全然合理性が無いなぁ、
農協の言っていることは」って思いながら、それ
はごり押しで通ってしまう。それが今潰れたと。
その時に、やっぱり、今もう、そこに TPP が迫っ
ている時に、なかなかね、急にね、いま私たちは、
マルクさんがおっしゃったとこでやっているんだ
ということを言っても、もう時間が無い気がする
んですね。でも、その事を本当に、実現しようと
稲葉 自分は山の仕事してますけども、木を育てて
思ったら、やっぱり、今おっしゃったようなこと
おけば、いつかは役に立つだろうという。そのた
をきちんと皆に言って、それだけじゃ足りなくっ
めに国から補助金が使われて、それで僕の仕事は
て、さっき山崎さんがあえて、負けても立つと、
成り立っています。自分の役目と言うのは、そこ
原発の中で立つといった。それは、一つには政治
に関してはちょっと難しいんですけども、僕も一
の動きとして、選挙とかに向かうんじゃなくて、
人の消費者として、やはり有機米を買いたいと。
一人でも立って、そのことを世の中にアピールし
稲澤さんのお米買いたいって言うと、もう売れち
ていかないと、ガットンゴットンと動かないと思
ゃって、僕に回ってこないんですね。自分がそう
いますね。したがって、いろんな役割の人がいる
いうふうに買うって形で世の中に貢献したいと思
と思いますけれども、「よし、俺、立つわ」と言
います。木に関しては、大きすぎて、自分の力不
70
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
足というか、自分のやってることが小さすぎて、
やまざきようこ ありがとうございます。一つだけ
ちょっとなかなか言えないんですけど。
聞いてもいいですか?木なんか登ったことないの
に、あんな高い 10 何 m とか 20 何 m の木のてっぺ
やまざきようこ 山の仕事はあまりにも大きく奥
んに登って仕事をする感覚はどうですか?
深くて、語るには時間がなさすぎる。残念ですが、
そろそろお時間なので、どうぞ、これだけは話し
佐藤 とりあえず、仕事しないとお金入らない。で
たいって方いらっしゃいますか。
も、現場にいて思ったのは、現場の仕事は日当的
な感じなんですね。早く仕事をしないといけない。
加藤 分かち合いとか、助け合いとか、絆とかいう
雨の日は仕事、危ないんですけど、出ないと稼げ
ことが、最近、確かに希薄になってきていること
ないので。今まで、いろんなサービス業しかやっ
は事実なのです。私も京都から来ましたがかなり
たこと無かったんですけど、そういう現場にいて
田舎におりますので。例えば、隣の家が竹藪が無
思ったのは、現場の人達は、お金稼ぐのに必死な
ければ、筍の出る時分に、そこに筍を届けられる
んですね。それはすごく思って。長期的に考えて、
か。作物作ったら分けてあげる。お祭りとかなん
周りの人とか、周りの木のこと考えて、どうする
かの時に、お寿司、お餅をおすそ分けっていう形
のがいいとか、そういうのを考えられないくらい、
で分けてあげる。昔はしてたんです。今は、私も
かなり切羽詰まった現場となっているのは感じま
親がおりますので、昔よりは頻度は少なくなりま
した。それはやはり、林業だけじゃなくて、農業
したけど、やはりそういう形もやっていますけど
とかでも、そうなんじゃないかなぁって。遠巻き
も、親が亡くなったりした時に、それから持続で
に見てなんですけど、思っております。やっぱ現
きるかなというようなことを思ってます。希薄に
場の人の話を聞いて、自分でもいろんな本とか勧
なったのも事実ですが、やはり、そういうことを
められた本とか読んで、いろいろ知識、哲学も含
また、小さいとこから大きく広げていくのも一つ
めて身につけていかないと。ネットで調べて満足
の方法やとは思ってます。
してしまって、日々食って、出して寝るだけの無
意味な日々を送ってしまいそうになるんで、そん
やまざきようこ ここに、山の仕事をあえて選ぼう
なこと思ってます。
とした若者が一人来ていたと思います。佐藤君。
やまざきようこ ありがとうございました。他に?
佐藤 こういう場所で参加さしていただいて、本当
勉強になります。いつもネットとかで、いろんな
渡辺 こんにちは!香川県にある、広野牧場から来ま
情報調べるんですけど、話を直接聞くってことは
した、渡辺といいます。長野出身で、今、長野は
なかなかなくて。ネットとかで検索して調べたり
ガソリンがちゃんと買えないような状況の中、香
して現場の話を聞いたつもり、現場のことを知っ
川から来ることに、ちょっと罪悪感を感じてたん
たつもりで、ついつい日々すごしてしまうんで、
ですけど、うちの社長から行ってみないと分から
これからも、こういう場に積極的に顔を出して、
ないということを言われてきました。なので、ガ
話を聞かせていただいて、これからも自分のこと、
ソリン代分くらいは働けるように、一言この場を
もっと高めていけたらなと思っています。
借りてお話できたらなと思って。ほんと今、すご
くいろんなことが起きていて、こんな状況で、こ
71
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
の会を運営して開いていただけたことが、すごく
とかポルトガル、スペインとか輸入物が結構あり
ありがたく思います。福祉の仕事をこれまでして
ました。そういうものに対して、フランスの方々
きて、今農業という分野にやってきたんですけど、
は、どういう風に考えてらっしゃるのか。例えば、
福祉の仕事だけでは人が豊かになるとか幸せにな
4 月 5 月になってくると、地場産のいろんなものが
ることが支えきれないと思って、生き物が育つ畑
出てきたかと思いますが、冬場などは、ほとんど
で人が育てるんじゃないか。その可能性を信じて、
輸入品で、その辺、いかがかということ。もう一
今、自分で出来ることがないか、探してます。今
つ、日本を見てて、アイデンティティというもの
日、たくさんの話を伺って、まだ消化できてない
が失われているというか。もう一つ言えば、自分
んですけど、自分に出来ることを探していきたい
で価値判断をすることが失われている民族が日本
と思います。
人じゃないかなと思っております。例えばだれか
一人が、何々がいいよって言ったら、そっちに流
宇野 宇野と申します。先ほどから聞いてて、ちょ
れて行く、というような民族になったと思うので
っと感じましたのが、日本の中で分かち合いとか、
すが。一回フランス人に聞いたことあって「フラ
その助け合いというのは、失われるようなマイナ
ンス人って、どういう定義ですか?」って。そうし
ーな意見が数多くありました。今、大きな震災が
たら、フランス人って名乗ればフランス人だと。
起きまして、援助の手が届かない、三陸の方だと
その辺のアイデンティティのところをお話いただ
か、灯油が無いよっていうことが報道されてます。
けないでしょうか。
僕一人かもしれないですけど、感じるのは東北の
おばちゃん達とか、人々がほんとに助け合ってる
雨宮 10 年ほど前はたしか、野菜や何か地場産で有
と思うんですよ。自分の家にこんなのあるから食
機野菜っていうのはあまり入っていなかった。私
べようよとか。今日出てくる前に従業員が言って
たちが支えたセバスチャンという若者は有機で就
たんですけど、コメリとかの地下タンクにいっぱ
農したんですけど、最初の時には、彼が私たちに
い灯油があるけど、電気が通らないから、何も出
30 人で作ったグループ、消費者のグループに十分
来ない。それを小型の発電機を持ってきてやろう
に供給出来るだけの野菜ができないので、できな
とするんだけど、ガソリンがない。そこへ、通勤
い間は彼が作った野菜に足す形で、すでに長くや
している従業員が、
「私の車からガソリン抜いて、
ってくれるベテランの生産者達が彼の分を足して
それで発電機動かして灯油を出して、みんなに分
補充してくれるかたちで、週の定期的なバスケッ
けてあげて下さい」と。そういう申し出のなかで
トをしてました。それで、1 年間、先ほど、1 年は
やっている。停電間際の原子炉を運転してきた
52 週で 40 週分の定期購買をやっているとお話し
方々が名乗りを挙げて、決死の覚悟で東電に助け
ましたけれども、それこそ、4 月、5 月、3∼5 月く
を差し伸べてる。私が言いたいのは、今回のこの
らいは、端境期で、葉物がちょっとあるくらいで、
震災で、日本人って忘れられた何かを、もう一度
日本でもそうだと思うんですけど、新鮮野菜が無
学び直す機会を与えて頂いたという風に思えば、
いです。じゃあどうするか。それで、2 つばかり問
この震災も活かしていけるんじゃないかなと、思
題が出たことがありました。4 月 5 月に、例えばア
います。
マップという農民農業を支える会の場合は、野菜
雨宮先生にお聞きしたいんですけど。レンヌのマ
がある時だけの契約が可能です。1 人の生産者と消
ルシェって、冬から春にかけて、対岸のアフリカ
費者のグループでやる契約を交わしての取引なの
72
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
で、その生産者が自分は、例えば 6 月∼10 月の間
だからといって、彼らはなんでもかんでも私たち
に、これとこれと、この野菜を皆さんにお配りす
に助けてくれということは言ってこない。そこが
ることが出来るっていうふうに言って、その時期
さっき言ったような、分かち合いのある意味で大
だけの契約を交わすことが可能です。それで気に
切なことで、相互依存ではないということはちゃ
入ればまた更新するし、その人の野菜が無い時は、
んと分っておいた方がいいと思うんです。だから、
その期間はお休みすることが可能です。私たちが
その彼が必要とする部分では、私たちは支えたい。
やった、「ひろこのパニエ」というのは、1 年間や
だけど、私たちはそういう転売の野菜をずっと認
ることにしました。じゃあ、野菜が無い時にどう
めることは出来ないということを彼にわかっても
したのかというと、その時には、他のものでカバ
らって。しばらく 1 カ月、少なくても彼の野菜が
ーしてくれればいい、私たちはどうせ 1 年中食べ
少しは入れられないんだったら、条件を付けて、
るんです。だから例えば、夏にたくさんとれた物
他の生産者から地元の野菜をとるか、あるいはそ
は、瓶詰にしておいてくれたり、ジャムにしてお
の彼にはしばらくやめてもらうか。いろんなこと
いてくれたり、そういうもので、1 年間ずっと私た
を話し合って、私たちが納得する形でパニエを続
ちのパニエを毎週分ちゃんと届けてくれればいい
けました。だから、いつでも安定供給が出来ない
からと。そういう形で、十分なものがそこから来
状態にあって、それで、フランスは今でも有機野
ないことを承知でずっと私たちは 1 年間若い新規
菜はイタリアとかスペインとか他の所からも入っ
就農者を支えました。私たちがその彼を支えると
てきています。120%の農業国だといいながら、実
いうことがもとになって、その人は、銀行から融
際はかなりの野菜を輸入している輸入国でもある
資を受けることが出来ました。そういう風な形で、
わけです。そういう事情というのは知っておく必
私たちはグループをつくるというのは、そういう
要があると思います。
意図も持ってやっていることです。それでもう一
それからもう一つ。アイデンティティのことです
つ、野菜が無い時に、もう 1 人生産者が私たちの
けれども、アイデンティティというのは、それぞ
パニエの中にいました。その彼はどうしてたかと
れの人がいかに生きるかをちゃんと自覚していな
いうと、実はイタリアとかアフリカから来ている
かったら、先ほどの農協がこういう指導をしてき
有機野菜が卸しに入る所から買ってきて、それを
たらそれに乗ってっていうふうに。長いことそれ
私達に転売してました。そのことに関して、私達
で売れていれば良かったってわけで、農協がちゃ
グループの中でも問題になりました。彼を支える
んと売るところまで指導してくれていた。だから、
ために、彼の農産物を支えるために、私たちがグ
ある意味では、そこにずっと乗ってしまっていた
ループを作ったのに、ただの売り屋さんから野菜
から、なかなか今の生産者の人達、農家の人達は、
を買っているんだったら、いくら有機でもやって
TPP も、私の仲間があの事を知った時に、ほんと
ることと違うのではないかということになって、
に怖いことになったと思って、ビックリしたのに、
皆で大議論になりました。でも、私たちはその生
生産者の方から、すぐに声が上がらなかったとい
産者が住む家もなくて、キャンプ暮らしをしなが
うのは、声が上がらないほど、自分で考える習慣
らやっていることがわかっているので、そうでな
がなくなってしまってたということなんじゃない
かったら、自分はもう農業をやめて、工事現場に
かなと思いました。こういうことはっきり言うの
働きに行かなきゃならない。実際そういう状態で
は私がフランス暮らしをしてきたからで、日本で
す。フランスの貧しい農民はほんとに貧しいです。
だったら、こんなことでズバズバと言っちゃいけ
73
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
ないんだろうなと気を使ってます。フランスは気
越後 私も 3、4 年前から、果汁と惣菜、地元の地
を使いません。というのは、皆でもう少し良くし
産地消ということで、地元の野菜をつかったお惣
ていくのはどうしたらいいか、ということを考え
菜ということで、二人でやっているんですけど。
て言っているということをそれぞれが承知してい
どうも私は分け合い精神というのは、一人よがり
るからで、私は生産している人を傷つけるつもり
やったかなってみんなの話を聞いて、思います。
もないし、一緒に何とかしなきゃいけないと思っ
農協にも出さず、個人でいちいち説明しながら、
ているから、こういう発言になります。これが民
自分の品物を買ってもらうっていうことも、ずっ
主主義です。民主主義っていうのは、それぞれが
とやって来たんですけど、60 歳近くになるとだい
思っていることを徹底的に言い合ってどうすれば
ぶ疲れてきて、最近ではちょっと手抜きになって、
いいかを常に皆が、考えて行く社会です。そうい
お客様にも説明もせず、分けて下さいってきたら、
うことは、そういう訓練を受けてこなかったから、
ハイハイって感じで、分けてしまってました。ゴ
日本の場合は、何かどこかで上手く収めてしまう。
メンナサイ。そういうことも、疲れてたなってい
根回しをするとか、それから、何がどういう状況
うところで、この会に入らせてもらって、今まで
で、できるだけ相手を傷つけないようにと思って
は何もしゃべらないというか、黙るということが、
発言しちゃう。そうじゃなくて、発言するのは、
美徳みたいにしてたんですけれど、これじゃだめ
みんなが住みよい社会にするために発言するんで、
だな、やっぱり自分で考えて、物を考えて、しっ
誰かを傷つけたり、誰かの嫌味をいったりとかじ
かり自分の意見を言うことが大事なんやと。最近
ゃなくて、建設的なことをしようと思って言う。
忘れてたことを思い出させてもらって、ありがと
そういうことの前提がそれぞれの中にあれば、皆
うございます。
がもっと言いやすいだろうと思うし、今日のこの
場所だって、ちょっと固い雰囲気になってますけ
武貞 神奈川県から来ました、武貞といいます。秋
ども、皆さんが発言しやすい感じでできたんじゃ
吉の連れです。先ほどの稲澤さんの話で、有機米
ないかなと。こんな舞台なんかなくて、皆で輪に
を作って生き残るっていわれる農水省がいってい
なってもっと自由に話してたら、もっといろんな
る試算の生き残りの部類に自分は入っているけれ
意見が聞けたんじゃないかな、とちょっと思いま
ども、それで生き残ったとしても、その集落の中
した。大事なことは、いろんな人に、隣の人に興
で農業を続けていけるとは思うないという発言に、
味を持つことから始めてもいいと思うし、自分が
すごく目を開かされた思いがします。というのは、
食べているもの、どこでどう買っているか、この
今日、みなさん、ずっと今までの話に共通すると
野菜じゃなくて、もっと安全な野菜が欲しい、も
思うんですが、今の社会っていうのは、人々がみ
っと安全なお米が欲しいと思ったら、どうしたら
んな無名と言うか、他人のことを知らない、人の
いいか。お米が買えないんだったら、新規就農者
顔が見えない。分かち合う社会を作りたいと思っ
の人が来られるような状況を作るにはどうしたら
ても、その繋がり自体っていうのが、具体的な人
いいか。そうやって一つ一つ考えていったら、自
と人との繋がりとして、自分にこう実感出来てな
分がやることはいっぱい見えてくるはずだと思い
いっていうところがあると思うんですね。社会っ
ます。
ていうのは、自分たちが生活をしていくために便
利な仕組みをどんどん使っていくわけですけども、
そうすると、例えば、市場経済っていう制度、そ
74
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
ういう仕組みが作られていきます。そういう仕組
ということが、絵本で書いてあります。私は農業
みを作るっていうのは、そこに参加してくる人が
はあまりやってないんですけど、今日のヒロイン
誰であっても同じようなルールを適用して、同じ
の仲間の話に混じっていけるかなと思って持参し
ようなことが安心して出来るから、そういう制度、
ました。
仕組みっていうのを作るわけですけど、それはど
興味のある方は読んでみてください。こんな詩で
んどん、どんどん大きくなっていくと、結局、全
す。
然知らない人達と繋がる便利さは出来るんだけれ
ど、一方で、繋がっているはずなのに、相手の顔
が見えないっていうことがやはりいっぱい起きて
くると思うんですね。そういう意味で分かち合う
社会を作るっていった時に、自分はその生き残る
一割に入るっていう、その一割の中身が見えてこ
ないとか、GDP で換算すれば、農業ではこんだけ
損するけれども、TPP に参加したら、国全体では
これだけ GDP がプラスになるからいいじゃない
かと。その GDP の後にいる人たちの顔が見えてこ
ないっていう、そこの部分が難しい所だと思うん
です。でも、一つ言っておきたいことは、制度っ
ていうのは、人間が自分たちが自分たちの暮らし
を良くするために、社会を良くするために作って
きたものなで、市場経済っていうものに動かされ
てしまっていて、それが世界中に広がっている中
で、どうしようもないっていう風に感じられるか
もしれないけれども。一方で、自分たちが作って
来たものなので、それを変えることも自分たちで
「いただきます
出来るはずと。その事は忘れてはいけないんだろ
僕はパクパクなんでも食べる
うなと、今日、皆さまの話を聞きながら感じまし
今日の給食カレーライス
た。
ニンジン、玉ねぎ、ジャガイモさん
皮をむいて切られて煮られて
E 女 本日参加させていただいて、目から鱗でした。
痛かったでしょう
ありがとうございました。
熱かったでしょう
にわとりさんもありがとう
武井 初めて参加したんです。1 週間ほど前に出会
カレー粉入れられ辛かった
った本なんですけど、「いただきます」っていう
漬物さんは塩で揉まれて
詩集、詩があります。70 歳ぐらいの方の書かれた
大きな石を載せられ重いよね
詩なんですけど、それを読んで、山崎さんがいつ
みんなみんな
もの言ってらっしゃる「命をもらって生きている」
ありがとう
75
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
大切な命をありがとう
ほとんど売り切れていて、プロのレストランの人
いただきます
とか、八百屋さんとかもそこに買いに来ている。
みんなの命をいただきます
じゃあ、どういう生産者が、どういう風に作って
パクパク食べて
いるかは何にも説明なくて、安いから売れてます。
僕は元気な体」
私はそれはおかしいなと思って、そこにいるおば
こういう詩です。ありがとうございました。
あちゃんと話をして、私はそういうのが大切だと
思うんだけど、そのおばあちゃんにこれを作った
柳井 こんばんは。佐賀から来ました柳井といいま
人の所の畑を見に行きたいんだけど、どうしたら
す。私もタイの農村に行ったことがあって、だい
いいか、この間聞いたばかりで、そしたら、そこ
ぶ前ですけど、それこそ目から鱗で、いろんなこ
から会話が始まって、地図をかいてもくれて、こ
とを吸収して帰ってきました。インドの農村に学
ういう風に行けば、この畑に行き着けて、ここの
生さんがいかれたという話を聞いたときに、やは
人はこういう農業をしてるといろいろ説明をくれ
り、私と同じように、いろんなことを吸収して帰
ました。私が実際その畑まで行って、畑を見なが
ってこられたんだろうなと思います。田舎の自分
ら、話をして、どうしてこういう売り方をしてい
の世界の中だけで、農業やっていると回りが全く
るのかとか、どういう風に作っているのかとか、
見えなくなってきます。やっぱり価値観というか、
もうちょっと、消費者が興味を持って、その作っ
判断力というものが鈍ってくるのかな、情報がや
ている人の所に行って、作る現場を見て、どんな
はり足りないのかなと。その外の世界に出かける
農業をやっているか、もっとこう、私たちの方か
のが、私にはそれが自分の肥やしだと思ってここ
らも積極的に生産者と関わることをしていったら、
まで出てきているのですけど、そこで海外のいろ
農業のやり方もかわるだろうし、100 円で売ったり
んな農村で働いている女性と繋がるというのは、
することもなくなるだろうし、関係が変わると思
自分に一番プラスになることだと思います。そし
います。でも、確かにおっしゃっているように、
て、日本の中でも女性のネットワークで繋がるっ
そういう直売所があるのは、事実で、そういうこ
ていうのは、自分にもプラスだと思います。いろ
とになってしまってきているのに、問題があると
んな人と知り合いになるぞってことで、いろんな
いうのに、みなさん、気づいてもらいたいから、
所へ出掛けてますけど、外から自分を見つめるの
安全なものを良く作っている、一生懸命やってい
はとても大切なことだと思います。
る方が来て売れるような農民マルシェを開いても
あと、直売所ということについてちょっとお聞き
らいたいと思います。
したいんですが。私は、消費者のわがままに付き
合うのはちょっと嫌なんですが、皆さん考どう考
岩田 私は自分のブルーベリーをこの値段で買っ
えているのでしょうか。
てもらいたいというところで、売りに行ったとき
に、自分の思ってた値段よりも安く言われた時に、
雨宮 直売所の問題は、私自身が、大磯という町に
それなら結構ですと言って、引き取ってきました。
引っ越してきて、体験中です。大磯という町は農
自分が働いた価値っていうものが、自分が生きて
産物の直売所があって、ほんとに安い、一袋 100
いくっていうものに繋がって行かなかったら、そ
円のみかんとか大根とか、ニンジンとかいっぱい
れは生業として成り立っていないっていう、基本
でていて、朝早くから始まって、10 時くらいには
的な考えだからです。反対に、じゃあ自分の提示
76
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
する金額に見合って、向こうの人が、それだけの
て聞かせようか」「絵本でも読んであげようか」
お金を出してもいいと言うものであれば、自分の
「元気な人は、その辺まで散歩にいこうというよ」
生産物がそれだけの価値があるかどうか、そうい
というような本当にケアをしながら、子どもたち
うのを、自分で追及してきました。最終的には今、
を育てながら、そして、自分たちが食べて行くっ
先生がおっしゃったみたいに、ある大きなホテル
ていう、そういうコミュニティが日本の中にきっ
のシェフと出会うんですけれども、最終的にその
ちり出来て行くことを、その中で、一旦限界集落
方がおっしゃったのは、あなたがどんな場所で、
になったっていうようなところも、いろんな人の
それを栽培しているのかを見に行きたい。だた、
手が入って、少しずつ何に繋がっていくかわかり
値段とここにあるものじゃなくて、どんな場所で
ませんけども、農っていうものに復活していく。
やっているんですかって来ていただいて、この農
日本程農業にふさわしい、水があり、四季があり、
場も含めてみていいただいたときに、普通よりも
美味しいものが今だったら作れる。もっときちん
高く㎏ 1000 円も高い 2500 円でもいいです、それ
とした農を核したコミュニティ、それを作ってい
を買いましょうという話が出来上がったっていう
くことは、一番大切なことだと思います。あと、
ことは、その人の中に、信頼が作られたっていう
減反政策なんか取っ払ってみんなお米つくったら
ように思っています。それ以来、私が自分の作っ
いいんじゃないかと。
たものについて、自分で値段を決めて、そして、
その値段に見合った価値を提供しつづけないと、
池田 お米つくったことないんやけど、減反制度、
ただ、情けとか、知り合いになったから一回は買
35 年かかって、出来上がったものをいっぺん取り
ってもらっても、ずっと買い続けるというのは、
払うというのは、無理やろうと思います。もっと
それだけお金を出してもいいっている価値を提供
別の方法があるやろうと思います。たぶん、無理。
し続けるっていうふうにしないと成り立たないっ
減反を全部取っ払ったら、大変なことが起こると
ていうように、ずっと思って、生産をしてきまし
思います。
た。本当に、これからどうしていったらいいのか、
だけども、いまこそ減反の枠を取り払って皆、自
この農業を。それでなくても、限界集落が多くて、
由にお米作ることができたら農家はどんなに楽し
高齢化がきていて、この日本の農業をただ、TPP
いんではないかと。みんなも安心して暮らせるん
が賛成、反対じゃなくて、もし、これが、反対さ
でないかと思いまして。
れて通らなくても、日本の農業を私たちは新たに
作り直すっていう機会にしないといけないなとい
児玉 今、震災が起こって、減反どうなるんだろう
うふうに思います。
というのはあちこちで聞かれていることです。今
農地の農は地域のコミュニティであり、ここだっ
回の震災で被害に遭われてたところは、ほとんど
たら、ここにふさわしいコミュニケーションの場、
が、海岸沿いで、元々山だったりして、実際に水
そして、おばあちゃんもいれば、子どもたちが来
田で被害に遭っているっていうのは、みなさんが、
て、おばあちゃんたちの面倒を見て、農作業で汗
想像されてるよりも、はるかに少ないというのが
かいたら、そこで採れたものを誰か得意な人が作
実際です。福井県でも何年か前に足羽川の水が付
って、子どもたちも含めて食べるし、今日来たお
いてすごい被害があったことがあるんですけども、
ばあちゃんの顔色も見て、「大丈夫」「誰かマッ
その時の減反も、実は、福井県の中の調整で済ん
サージしようか」「だれかピアノ弾けるし、弾い
でしまったというような状況です。それぞれの県
77
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
の中での調整の枠の中で済んでしまうのではない
た大豆なりお米から味噌を作ったりと、あと、最
かということで、結局はそれぞれの県の減反は実
近、去年出来たのが、石窯を造りました。これは、
施されるというような方向ではないかというよう
自分で作った小麦粉が 100%ではないですけど、小
なことを今聞いています。
麦粉を原料にして、うちにあるブドウから酵母を
とって、天然酵母をつくってパンを焼いて。そう
やまざきようこ この減反の枠を取り払ってしま
いうことを自給的農業っていうのは、そういうス
うということは、今の状況では児玉さんのおっし
タイルを自分は目指してきました。自分がそうい
ゃる通りだと思います。基本的にこの枠を取り払
うものを目指してる基本というか、手づくりをす
って、本当にお米をきちんと作りたい人が作って、
る過程というか、そういう所に経済的には豊かに
この国の田んぼを支えて行きたいという思いが、
はならないかもしれないけれども、やっぱ豊かは
今の池田さんの発言だった気がします。
あるんじゃないかなということを考えてやってい
ることなんですけども。こういうスタイルの私が
考える農業の豊かさというか、農的暮らしの楽し
みというか、そういうことをなるべくたくさんの
人に知ってもらいたいなと言う思いから、最近、
うちの農場を解放して、アイガモの解体をしたり
だとか、料理をしたりだとか、味噌づくりの教室
をやったりだとか、春は田植えをやったり、夏、7
月ですね、田んぼの生物調査をしたり、収穫祭や
ったり、パン焼いたり、そういうことをやってま
す。そういうことをやりながら、なるべくうちの
お米を買ってもらってる消費者の方たちと深い有
機的な人間関係を築いていきたいなと思っており
ます。それは、私が、お米が売れている原動力と
いうか、そういうものじゃないかなと考えていま
す。
榊田 直売所の件ですが、日本の直売所は安いです
ね。直売所=安いっていうイメージをつくってしま
ったというのは、マイナスイメージだと思います。
稲澤 私が 1999 年に就農した当時、というか、最
今、だんだん生産のコスト割れ状態で、隣が 99 円
初の頃に持ってた考えというのは、2 つ有ります。
つけたから、私、じゃあ 98 円にしようみたいな、
一つは自給的農業をする、二つ目は消費者との有
これはいずれは駄目になるというのが分かってき
機的人間関係を築きたい。この 2 つの考えを基本
てる。JA さんの直売所でも、直売所の中でも、2
に持ちながら、ずっとやってきました。自給的農
種類になってきて、1 種類はその生産価格をきっち
業っていうのは、農家なんで、当然野菜作ったり、
り取る。その品質にこだわる、市場が低迷してき
お米作ったりということも当然ありますし、採れ
た中で、戦略としては前向きに直売所を自分で価
78
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
格を付けられる直売所というのを流通の場として、
とらえられる戦略も出てきたので、そっちもこれ
から増えてきてるんじゃないかなと思っています。
TPP 参加しようがしまいが、グローバル化の流れ
というのは、しばらく止まらないだろうというの
が、現実だろうと思うんです。その流れの中で地
域がどういう形で打ち返していくか、やはりその
衣食住とは良く言ったもので、命にかかわる、生
存権にかかわる、寒さをしのぐ服とか、食べ物、
水、生きるために最低限必要なものってあると思
うんですよね。それを、いかに守っていくかって
いうことを、地域で連携と組み立てをしていくっ
てことを考えていかなきゃいけない時代になって
きたんだなと、そういう気がしています。
マルク この 3 月に起こったことについて、最後に
ひとこと言いたいと思います。この 3 月 11 日とい
うのは、日本にとっても、世界にとっても、2 つの
警告を含んでいた事件だったと思います。その 2
もう一つの赤い警告。生産者にとって、豊作とい
つの警告というのは、1 つは緑の警告、もう 1 つは
うのは喜ばしいことではない。豊作の時は、物の
赤い警告っていう風に言ってみましょう。緑の警
値段が下がってしまう。本来は、豊作は皆で祝っ
告というのは、自然というのは時には非常に猛威
て楽しむはずだったものなのに、豊作が生産者に
を奮うもので、人間の力が及ばない所にあるとい
とって、喜ばしいことではなくなった。それが、
うこと。自然というのは、私たちの命の過程の基
これから皆さんが話し合っていく TPP の根源にあ
盤にあるわけですから、常に保護をするとか、い
るんじゃないでしょうか。生産者と消費者という
ろんなことで、気を使っていかなければならない。
のが今、それぞれ分断されてしまっている形にな
だけれども、私たちが自然を淘汰出来る、私たち
っています。消費者はスーパーに行って安いもの
が望むような形で管理出来ると思ってはいけない
があれば、安いものがいい。凶作の時には物の値
と思います。もし人間が自然をひたすら、自分た
段は上がります。虫の被害がなかったり、台風に
ちの必要のために、自然の資源を使い続けていく
やられたりしなかった生産者はその時は、自分は
としたら、自然は枯渇して人間は滅びます。
良かったなと思います。他の仲間でその被害を受
けた人は悲しがっているし、それから消費者も物
の値段が上がってしまってつらい思いをすること
になります。TPP はそういう農業に繋がるものだ
と思います。自然の脅威から逃れることはできな
い。自然の脅威ではなくて、TPP というのは、人
間が作り出す脅威です。自然はその時々によって、
79
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
豊作をもたらしたり、凶作をもたらしたり、いろ
ころでの、ただ生産性のみを持ってきた社会に対
いろなわけで、私達人間はそれに合わせて生きて
する警告。赤い警告という風にいうことが出来る
いくしかないわけです。赤い警告というのは、人
でしょう。私達人間が使う道具というのは、大き
間が作り出した警告で、何かというと、今ある、
さを巨大にするためには、どこかで制限をしなけ
巨大な企業が作り出した、人間にとって、役に立
ればならないと思います。その道具が皆のために
つだろうと思われる道具が、かえって人間達を苦
なる道具として、私たちの中にあるためには、巨
しめることにもなっています。2008 年の経済危機
大化することに、やはり、どこかで歯止めをかけ
の時には、大きな銀行とかでも、危機に直面して、
なければならないと思います。そして、それが皆
政府がそれを救うために援助せざるを得ない状況
のためになる道具で有るために。
でした。銀行が大きく巨大化すると言うことは、
日本が開く開国というのは、世界に開くというこ
それだけ、大きな経済危機に繋がる危険性をはら
とは、いいことではあるはずです。そして、全て
んでいるということになります。
の国が他の国に対して開くというのもいいことで
電気の発電所が大きくなりすぎてしまったならば、
ある。けれども、その開くということには、一種
それだけ事故があった時、大きな事故に繋がるわ
の倫理観と、それから皆で分かち合って生きてい
けです。例えば、ニューヨークで、巨大な停電が
くというところなんだという、そういう一つのビ
あった時には、大変なことになりました。大きな
ジョンを皆が分かち合った上で開国というのはい
原子力発電所というのは、あってはいけないもの
いことだと思います。今、私たちが問題にしてい
じゃないでしょうか。
る TPP の論理はそうではありません。ですから、
福島で起きたこの事故については、例えば巨大な
ただ開いていくということに対しては、やはりあ
銀行の危機であったならば、政府が介入して助け
る意味ではみんなで抵抗する。もし日本が交渉に
ることが出来るけれども、原子力発電所の場合に
はいったとしても。日本がそれに調印したとして
は、なすすべがないわけです。こういう巨大化し
も。GATT が通った時、WTO に移移行する時に、
てしまった、原子力発電所は、皆のためになる機
たくさんの国がそれに抵抗したので、アメリカが
関ではなくなっていて、いかに効率良く生産する
それぞれに交渉に入った。WTO では、不十分にな
か、生産性のみを追いかけたテロリズムに繋がっ
ったから、アメリカが今度は TPP で日本に圧力を
てもいる。そういう表現が出来てしまうような道
かけてきている。もし WTO が機能していたとし
具になってしまっているんではないでしょうか。
たら、新しくこんな TPP なんてことをいう必要は
原子力発電を選ぶということは、フランスにおい
なかったんじゃないでしょうか。だから抵抗はし
ても、日本においても、国民が皆で討議して選ん
続けて行く方がいいのではないでしょうか。
だ選択ではありません。こういうことがあったの
で、フランスではイデオロギーを超えた段階で政
やまざきようこ 大変たいせつなことを、言いたく
治家達がやはり、原子力発電所を増やしていくと
ても言えないことをきちんと言っていただきまし
いうことについては、考え直した方がいいんでは
て、ありがとうございました。これからも、自分
ないかという議論が始まっています。これを 3 月
の意思で考え、提言していきたいと思います。
11 日の事故はあるい意味では赤い警告、つまり、
思想を乗り越えたところで自由主義、あるいは社
会主義、資本主義、そういう思想を乗り越えたと
80
緊急集会レポート:フォーラムⅡ「経済成長のない豊かさってあるの?̶分かち合いの社会に向けて̶」
81
緊急集会レポート:緊急集会「今、私たちにできること、ヒロインでできること」
緊急集会「今、私たちにできること、ヒロインでできること
スピーカー
井上和治/山崎一之
井上 我々は災害を考える時、本当なら常日頃から
く。その時に間違いない判断を下していくのが、
危機管理、リスク管理をしていただいた方がいい
緊急時のリーダーの役目です。
んです。資金をどうやってプランニングするかと
ものの考え方として、よく病院でも同じですが、3
いうこと、保険などはちょっと横に置いておきま
日、3 週間、3 ヶ月、3 年といった単位で考えます。
して。今ここで挙がっているのは、事件・事故・
災害が起こった時ですが、3 日というのが非常に大
災害に対してどう対応するか。それは国レベル、
切です。たとえば、地震が起こった時、倒れた建
県レベル、市町村レベルというのがあって、本当
物の中で 3 日、72 時間というのは生きている可能
は個人レベルでもなされたらいいと思います。昨
性が高い。そうすると 72 時間の間に何とかして生
日もちょっと言いましたが、平常時と緊急時とを
存している人を探そうというのが、どこでも重要
パッと分けて考えます。平常時というのは、なる
です。しかし、72 時間を過ぎると生き残る可能性
べくみんなの意見を聞きながら「どう思いますか」
は少ない。今回のように雪が降って寒いところで
と聞いてやっていくのがいいと思います。緊急時
雨でも降れば、72 時間を過ぎるとなかなか生き残
というのは、軍隊方式・警察方式・消防署方式で、
るのは難しいです。したがって我々が考えるのは、
リーダーがいまして、指揮系統を置いてやってい
3 日の間に何をしないといけないかということ。そ
きます。そのトップに立つ方が、今までの経験と、
れから 3 週間以内、3 ヶ月以内に何をしないといけ
現状の情報を集めて、左、あるいは右と決めてい
ないかということ。今回の災害では、すでに 3 日
82
緊急集会レポート:緊急集会「今、私たちにできること、ヒロインでできること」
を過ぎました。そうすると次は 3 週間以内に何を
大石 ありがとうございます。僕の理解なんですけ
しないといけないかということになります。
ど、たいがいの災害はバッと起こってそれで収ま
今現場で問題になっているのは、避難所での問題。
るというのが災害なんです。こういう場合には、
生き残った人がどういう生活をするかということ
平常時と緊急時という区別でいけば徐々に収まり、
が問題になっています。それから 3 ヶ月になると
緊急時の 3 日間をおさえていけば徐々に平常時に
次の問題があります。避難所から出てどうやって
戻っていくということができるんですが。今回の
元の生活をするか。3 年になるといわゆる復旧や復
原発の場合、このまま収まれば平常時にいけるん
興が問題になってきます。今のステージで言うと、
ですが、これがもしさらに非常に事態が深刻なも
避難所での人たちがギリギリの中でどうやって生
のになっていけば、東京の人がわっと地方に押し
活していくかということ。ニュースで見ますと、
寄せてくる。そうするとこの辺も準緊急時になる
食べるものがない、お湯が沸かせないと言う事に
かもしれない。非常にたくさんの人たちが押し寄
なっています。それは物流がうまくいっていない
せてくるという状況で準緊急時になるという意味
みたいで。政府としては道路を確保して、空港を
では、選択肢がいくつかあると思うんです。非常
確保してということになっています。
に考えにくいことですが、準緊急時になった場合
ここにいるみなさんは平常時であって、緊急時に
でも、とりあえずここには放射能は飛んでこない
なっていない。ところが、日本全体とするとかな
だろうと。食べ物も多少手に入るだろうというこ
りの緊急時だと思います。かなりの緊急時で、そ
とでは、避難民になるということは考えなくてよ
の中で一体自分が何をできるかということをお考
いだろうと。平常時の受け入れ態勢を今話し合っ
えになるといいと思います。それは、先ほどの時
ておけば、東京からわっとたくさんの人たちが押
間軸で言いますと、3 日・3 週間・3 ヶ月・3 年と
し寄せても、それを拡張する形でものを考えられ
いうのを横軸に置いて、あとは自分と被災地との
るだろうと思うんです。とりあえずは、ここは一
距離の問題だと思います。今、福島から新潟へず
応平常時だと。それで緊急時の人たちをいかに受
いぶんたくさんの方が逃げておられまして受け入
け入れるかということを中心に、議論を進めた方
れを考えていますが、これが遠く九州、沖縄にな
がいいのではないかと、とりあえずは思います。
ればずいぶん状況が変わってきます。地理関係の
いくつか提案も出ていると聞いていますので、ま
中で自分が対応できることやできないことが区別
ずはそこから「受け入れ」ということを一番の議
されてきます。国全体で言えば緊急時ですから。
題としていきたい。二番目の議題として何か提案
あとは自分が何をしたらいいかを考えていただく
はありますか。
といいと思います。
私個人のことで言いますと、原発反対を言ってき
A 女 みなさん何か支援とかしたい。支援の形を整
ましたから。福井県の中ではやっぱり原発はよく
理して欲しい。街角でも義援金を募っているし、
ないと言いたいと思っています。地元で一つの糧
まだこっちでもやっている、というんじゃなくて。
というか、教訓として考えていくというのも一つ
食料の確保をやるなどまとめて準備をしておくの
の機会かと思います。そういうことで話し合って
か。そういう形ができていれば、帰ってからでも
いただいて、また何かあればお答えします。
できること、お金をまとめてこういう形にしまし
ょうというのがあれば、街角で義援金を渡すのを
83
緊急集会レポート:緊急集会「今、私たちにできること、ヒロインでできること」
やめて一つの形でやれればいいかな。先が見える
ないとか、何かのルールを決めないと「あそこが
ような話ができればいい。支援策など。
空いてるから」とバーッと来られると、うちは田
舎のヒロインの方を最優先にしていますという何
大石 受け入れ以外の支援策ということですね。二
かを作っていただいておいたら。やたらめったら
番目に考えたいと思います。他にありますか。な
というのはちょっと。どこでも一緒だと思うんで
ければ早速「受け入れ」ということで。もちろん
すけど。
肉親縁者ということではどんどん受け入れは発生
していますので当然としまして。議題になるのは、
池田(夫) 阪神大震災の時に一家族受け入れました。
肉親縁者でない方がこられる、そういった方がわ
その時とは違うと思うんですけど。その時は年寄
っときた場合に受け入れた方がいいという意見が
りがいらっしゃったので、その方が寝泊りできる
出ているので考えていきたいと思います。池田さ
ところを探して、ということだったんですけど。
ん、少しご提案やご自身のプランを持ってきてい
実際、「あそこに泊まれる」という情報が事前に
らっしゃっているということなので、お願いしま
洩れてしまうと、どうしようもないかなと思いま
す。
す。
池田 私のところはキャンプ場やバンガローを持
B 女 そこまで来て、「あんたはダメ」と断るのも
っていますので、研修などもあって、どなたでも
な。罪を作っているみたい。
受け入れることはありますが、プライバシーどう
のこうのというのがあれば、何組かに限るんです
池田 そう。それができひんからルールを作ってお
けど。テレビに映っているように、プライバシー
いて、ようこさんや田舎のヒロイン関係で。よう
関係なくということであれば、かなりの数を受け
こさんがお薦めの方を入れるとか。
入れることはできるんですけど。さっきから考え
ていたんですけど、どなたを受け入れるというこ
B 女 いいことしているんだけど、反対にね。今の
とはどうやって決めていくんだろうか、とか。も
話やったらなあ。
し受け入れるなら、この田舎のヒロインでよく知
っている方で「あの方も受け入れてあげたい」と
池田 どこのお家でも、もう一家族くらいやったら
なると「はい」と言えるのか。私より小さい子ど
受け入れられると思うんだけど、ある程度、受け
もがいる人を受け入れるようにするのか。こう言
入れるルールというのを作っておかんと。阪神の
っては何ですが、これから世の中でいていただい
時はいい方やったで。お預かりしても。大変なこ
た方がいい賢い方を受け入れるのか。どの方から、
とですよ。全然暮らしの違う方をお預かりすると
誰がそういうことを決めるのか。わりと真剣に一
いうのは。偶然にもいい方だったから今もずっと
人で考えていました。井上先生のお話を聞きなが
つき合わせてもらっているんだけど。その場に浮
ら、予約さえ断ったらどんどん人を受け入れるこ
かれて「はいはい」と言っていたら大変なことに
とができるんだけど。じゃあ、誰を受け入れる選
なるから。ある程度気持ちの中でルールがあると
別を誰がするんだろうか、先着順かなと一人で思
受け入れやすいかなと思います。今度は指定管理
っていました。私のところは血縁関係以外を受け
で扱った場所があるから、たくさんの方の受け入
入れる時は、田舎のヒロイン経由でしか受け入れ
れが可能なんだけど。ルールを自分で決めるのか、
84
緊急集会レポート:緊急集会「今、私たちにできること、ヒロインでできること」
ここで決めるのか、市単位で決めるのかというの
るとかという人を受け入れて、半年や 3 ヶ月など
を今のうちにきちっと決めておかないといけない
期間を決めないと難しいな、ということ。
な、と思っていました。長期戦になるならめちゃ
もう一つは、受け入れられないけれども援助した
くちゃ考えていかんと。やたらめったらはできな
いという人は、毎月 3 千円くらい集めて引き受け
い。
てくれている人のところへ資金援助をしないと。
一人引き受けると、1 食 500 円だとしても月に 5
C 女 私も受け入れるんだったら、個人個人が判断
万円かかります。1 食千円だと 10 万円かかります。
して。うちができることでしたらヒロインのこと
だから、一人に対してそれくらいのお金がかかる
もその人たちに考えてもらって、個々それぞれが
ということを覚悟しないといけないので。ただ引
考えて対処していこうという方針を出すことが大
き受けるにしても金銭的にもヒロインの人に呼び
事だと思う。何でも団体でという大きいくくりの
かけて、今までは年間 3 千円だったのを緊急時に
中で規則を決めて動いていくということが、今は
毎月 3 千円納められる人は納めて、ヒロインの人
難しい状態にあるというのを考えなくちゃいけな
が引き受けている人にそういう資金援助をしてい
い。個々が考えて動いていくということを表明す
けるかどうかということぐらいしか。あとは自分
ることが大切だと思う。そういう方式で受け入れ
のことでめいっぱいで。農家というのは田舎で生
られる人が、できればヒロインを受け入れて欲し
活するという、最高にぜいたくなことをやってい
いという思いがあります、ということで個々が判
るわけです。それにはやはり私たちが働くという
断していくということだと思います。
のが基本なわけですから、人が来て手間を取られ
ると働いている時間が取られるわけですからそれ
A 男 いいですか。受け入れる、受け入れないかと
は出来ないと思います。行政ができないことをこ
いうことですか。
こで考えてもまず無理なことで。坂井市やあわら
市とかに働きかけて、ボランティアでうちらも参
C 女 いいえ、そういう可能性があるということで
加するというのが最高の手伝いだと思います。そ
す。
れぐらいで考えないと、2 年も 3 年も引き受けてく
れって言われるとどうにもなんない。ようこなん
山崎 昨日も橋本市長が言われたたように、行政が
か 3 ヶ月いるともうパニックになりますから。他
基本的な対応をするということ。それ以外にヒロ
人が入って「ここが違う、あそこが違う」など暮
インの仲間の人たちで避難場所を見つけていると
らし方も違ってきますし。箸のあげおろしなんか
いう人がいれば、うちらは考えるが、限界がある
も言うようになりますから。気持ちとして「うち
んじゃないかなということ。あと、期間がどこま
は君らに提供しているんだ」というのがどっかに
で引き受けるかということが問題で、1 週間や 10
あると思うので。その辺のところが、ただ困って
日といえばうちらも研修生を受け入れるけども、
いるから引き受けて「3 日とか 1 週間泊まればいい
研修生を 3 ヶ月も受け入れると両方とも疲れてく
よ」という事ではなくなる可能性が、今回は非常
ると思うんです。しかも全然知らない人を受け入
に大きいので。被災地の人も放射能で汚染された
れるというのは多分不可能なんじゃないかと思い
ところも、1 週間や 10 日で解決する問題ではない
ます。なんらかの形で、ヒロインで多少知ってい
と思う。このところも被災する可能性が高い。今
回は放射能もどこに来るか分からないということ
85
緊急集会レポート:緊急集会「今、私たちにできること、ヒロインでできること」
で。被災する可能性があるので。自分たちのとこ
あると思います。洩れた人たちが個人で「入れて
ろが安全というわけではないと覚悟しなければい
ください」とみなさんの所に来られた場合は、個
けない。ただ、飯食ったり、水飲んだり、風呂入
人で判断してもらうしかないかもしれないが。こ
ったりするところは提供できるよ、と。ただ、雲
こでルールを決めるのは、補助的に個人でも判断
がこっち方面に来て関西方面に大量に放射能が降
せざるを得なくなった時に使うというつもりで、
った時に、自分たちの問題でまずどうするんだと
それ以前に行政にどうやってどういう情報を集約
いうことになりますから。できるという人意外は、
して、そういう時に行政にどうやって働いてもら
そう簡単に知らない人を受け入れるということは
うかということをここで相談して、行政に申し入
できない。できるという人はできる範囲ですれば
れるという形がいいのかな、と思います。
いいけれども。あとは基本的には、個人ができる
のは家族と親戚までと、あとはヒロインでやって
大石 ありがとうございます。はい、どうぞ。
いた人が困っていると聞けば、うちらは何とかし
たいなということで。できる空間があれば空間を、
D 女 私はあわら市の富津地区というところに住
資金援助ができる人には資金を援助してもらって。
んでいて、そこは、祖父の代に第二次世界大戦の
これは期間を区切ってやらないと疲れるし、精神
福井で焼け野原になった後に、国の開拓事業の募
的にもお互いにつらいので。3 ヶ月や 1 ヶ月ごとと
集があって、それでこの土地に来て開拓してやっ
いうふうに区切らないと難しいと思います。
ています。私も確かに行政の力をお借りしてみた
いと思うんですが、先日あわら市長もそういう事
B 男 東京都や横浜から来て参加させてもらって
に関して積極的に意欲を持っておられたので。ヒ
います。こういった形で受け入れの議論をしてい
ロインだからただ誰でも受け入れるというのでは
ただけるのはありがたいと思っています。まずは
なく、ヒロインだからできるということを考えて
そのことを感謝したいと思います。ありがとうご
いきたい。福島の方で自分たちの土地を手放さな
ざいます。それで、今のお話にあったように都会
いといけないという人も、もしかしたら農業を続
から人が出てきた場合に問題になるのは、どこに
けていきたいという人もいるかもしれない。落ち
行けば「誰のところに行けばいいか教えてもらえ
着いてきたときに、今後自分たちがどうやって人
るんだろう」というのが問題になると思います。
生設計をしていくかという時に農業を選択する方
おそらく、みなさんのところで個々の受け入れが
もいらっしゃると思うんです。そういう時にヒロ
可能だよという判断があると思うんですが、まず
インが一時的に研修生として受け入れてお手伝い
は行政なりどこかに情報を一つに集約して「この
をするという形も、自分の祖父の事を考えると、
地域ではこれだけ受け入れられます」というのを
あるんじゃないかなと思います。
行政がまず中心になって把握をしたうえで。例え
ば市役所に行けば、「どこどこに行けば何日くら
E 女 私の方は限界集落じゃないですけど、空き家
いは滞在できますよ」という情報を与えられるよ
とかそういう事も聞かれるので、そういう所を、
うなシステムを作るのが大切だと思うんです。最
町は受け入れの方向で動いているんだったら、も
初は色んなところに個別に被災者がまわってこら
しかしたらそういう形で対応できるんじゃないか
れるのも大変だと思うので、まずはどこに行けば
な、と思いました。
いいかの判断を。情報の集約はしてもらう必要が
86
緊急集会レポート:緊急集会「今、私たちにできること、ヒロインでできること」
大石 僕も同じ意見なんですが、今回の中間プラン
あると思うんです。ただ、この話はもう少し後で
では、ジェフリーさんという鹿児島に住んでいら
もできるかな、と思うので。
っしゃった、アメリカの有名な大学を出られてか
ら沖縄の島で漁師を 3 年間やっていたり。また大
岩田 でも、先のビジョンがあって今があるので。
学に戻って、また鹿児島の山村集落で高齢者の方
先を見ないで今とりあえずというのは。「あの人
に囲まれながら村の組合の集落長を任されるよう
を受け入れるのか、いや断るのか」ということも、
な方がいらっしゃって、その方を講師に招こうと
先のことがこういう風に、これだけの限界集落に
思っていたんですが。そのジェフリーさんと僕が
もう一回手を入れればそこから食べ物が再生でき
電話で話をしていて、僕と同じ意見が出たんです
るという土地がみなさんの周りにもたくさんある
が、緊急時の話とは違うかもしれませんが、田舎
し。今、仮設住宅をああいう所に建てるんだった
にはたくさんの空いた家があるんですよね。しか
ら、そういう所に仮設でもプライバシーの面でも
もその持ち主が手放さないような状況で、誰も住
提供するのは限りがある。災害の復興の後に色ん
めないような。一般論だけれども。今回こういっ
な支援物資が入るということよりも、反対にそう
た、家が無くなってきているわけで。三陸の津波
いう所に仮設住宅を建てるところに、そういう人
の影響で。そういった方々を短期間であれ長期間
たちがまずは自分たちが食べる物を耕す場所がで
であれ受け入れるたびに、限界集落や過疎地の空
き、今生きているという苦労に繋がる。そういう
いている家を利用できないか、という話がでまし
のが、さっき言っていたみたいに「やるか、やら
た。私も大賛成ですし。そういう方々が、集落に
ないか」。色んなことがあるんですけれども、そ
入っていけば集落の方も事情が事情なだけに、そ
れは今すぐ始めることは、国は 3 ヶ月、3 年先、将
ういった方を助けようという気持ちが集落の中に
来は、小さいお子さんも含めて今生きている人た
できると思うんですよ。そうすると、ある家族は
ちがこれからもちゃんと生きていけるのを見なが
その後出て行くかもしれないが、ある家族はこの
ら進んでいく。その第一歩になるということを踏
人が気に入ったから、と住みやすい人が出てくる
まえて、希望的になるということを。荒れていた
んじゃないかと思うんですよ。そうすると国土の
ものがこのことによって復興されて、青い食べ物
中での移動ということがでてくるんじゃないか。
が育って、みんなが貧しいけれどみんなが分かち
歴史的に見て、多分古い話になるんですが、源氏
合いながら。私たちは戦後何も無かったけれど、
と平氏の戦いによって平氏が負けて、平氏が山奥
生きるということに希望を覚えた、あのところか
に入っていったことがあるんです。ヒロインのメ
らもう一回やれるということを踏まえること。ビ
ンバーである関さんという一族なんかもそうです。
ジョンをみんなで語れること。そういう風にして
山の深い天竜峡の中におられるんですけど。そう
行けるのね、ということを意識として分かち合い、
いった形で、歴史的にも人口が大移動していって
そこに希望を見出せるというようなところに繋い
新たな形になった時代があると思うんです。今回、
でいけるという事が、今回の会であって、その第
もしそういう形で不幸な事故ではあるんですが、
一歩として自分だけが受け入れるということじゃ
そういう人口が少ない場所に向かう可能性も、僕
なくて、田舎のヒロインとしてそれまでの行政に
は秘めていると思うんです。これなんかは、3 ヶ月、
こういう形でこういう提言をします、ということ
3 年という時間の中で考えて決めていかなければ
の方が繋がって行くのかもしないし、それがとる
いけませんし、その中で農業をしたいという人も
べき行動じゃないか。行政の人がどういう風に考
87
緊急集会レポート:緊急集会「今、私たちにできること、ヒロインでできること」
えているのか、ということを考えれば、見えてく
ん、緊急物資も要るしお金も要るし、それができ
ることもあるんじゃないでしょうか。
る人を集めてリストを作って、それぞれの人がそ
れぞれの人と繋がりながら、足りないものを応援
やまざきようこ 例えば阪神大震災の時に、跡地に
していくような体制を作っていくことを、この 1
大きな仮設住宅が建ちましたが、それは神戸、大
週間以内にやってできないことはないと思います。
阪という場所だったからああいう仮設住宅だった
ただ、あのマッチ箱のような仮設住宅で、洗濯物
けれど、今の場合は同じ仮設住宅を作るんだった
が落ちたから火事になって亡くなったとか、あれ
らクラインガルデン付きの仮設住宅で、そこで自
はちょっと悲惨です。おんなじ仮設住宅を作るん
分で耕していくという。そうすれば周りに空いて
なら、限られているけれども周りに田畑があって
いる畑があるわけで、人のお金ばっかりあてにし
耕しながら生活する。そうすると家族の中に話題
ないで自立して暮らしていける方法ができる、と
があって繋がりができ、精神的な欠乏というのか、
いう提案もできるし。私が生まれた家は、そうや
ギスギスしたものがある意味解消されるのではな
って疎開してきた人が何人も暮らしていた。幼稚
いか。突飛なことかもしれませんが、同じ助成金
園や小学校へ行けばそういう人が一緒になり、大
のお金を使ってやるのならそういうシステムを作
変な暮らしだということが分かった。でも、家族
る提言をしながら行うことが大切なことだと思う
も大勢で、そうやって暮らしていくのも面白いと
んです。この国の人々それぞれ、足もとの暮らし
いう。面白さや大変さも分かっているので、あん
に自分で田畑を持って耕して食べ物を作るという
まり長すぎると正直すぎて。本当に大変なことで
農的な暮らし方を、生活に取り入れていくという
す。子どもは、色々ある中から学んでいく。それ
暮らしのスタイルを持った国に移行していかない
を避難する人にただ、空いている家を貸すという
と。どこかからお金を払ってもらってきて、どこ
だけではなくて、この国の一つの方針として、み
かの国のものを搾取して生きていくということを
んなが新しい暮らしを見つけられるような提言で
もう止めないと。あと、危険な原発エネルギーを
の仮設住宅とか避難場所ということを考えた方が
むやみに使って、電力を使って一つの会社をお金
実りあると思う。だから、きくこさんがそう言っ
儲けさせるようなことをもうやめて自然のエネル
てくださったたように、滞在可能な場所がどのく
ギーに変えていきましょう、という発想のもとに、
らいあるかを調べてみる。行政も含めて調べる必
いまできることをやりましょうね、ということで
要があるだろうし、また、ヒロインのメンバーは
す。
東北や関東の人たちがどのように困っているかを
調べて、困った時に「ここにこんな場所があるよ」
C 男 本題に移るんですけど、先におっしゃられた
「ここは行政でやっているよ」と伝え、あとは義
東京、関東の話。今メインにされているのが西日
援金やカンパなど頂いたら、そこへ移動できるよ
本の仮設住宅の話で別です。どっちをメインに聞
うな交通費にあてたり、そういう方針を作って事
いていいか判断が分からなくなってしまうので。
務局を作って動けるようにしていったら、将来何
こちらから提案できるものも行政としてやりたい
かできるようなことが見えてくるんじゃないので
と思うんですが、こういうのもありますよ、とい
しょうか。だから、今できることと、何ヶ月か先
うのを一つの提案として行政に提案していきたい
を見越して今の機会を次に展開できるような支援
と思うんですが。
の仕方を考えていけたらいいと思います。もちろ
88
緊急集会レポート:緊急集会「今、私たちにできること、ヒロインでできること」
F 女 私は、今すぐは建てられないから、今すぐだ
かっていう、すごい大きい問題があるんです。こ
ったらこういうところがありますよというのを。
こは不便だけどここじゃないと生きられないとい
今の話では行政を窓口としてやるのかやらないの
う、これを辛抱してもらえるような人を受け入れ
か。それは行政との話し合いも必要になってくる
ていかなかったら。次の行くところはないんです
と思うんです。今すぐの話ですが、仮設住宅の話
よ。3 ヶ月だったら双方辛抱していけるけども、帰
に移行していますが山を削って仮設住宅を建てる
るところがない人を受け入れるのは相当の覚悟が
んだったら、それを早くに地方に仮設住宅を建て
いるということを、ある程度は思っておかんと。
ると。限界集落、耕作放棄地と言われているのに
すごくいい家族だったけど、大変だったね。
近いところに仮設住宅を建てて。ようこさんのお
っしゃるようにポツポツというものは建てられな
大石 行政ルートの話と個人ルートの話と両方が
いから、この面積に対してこの家というものを建
入ってきているんだと思います。行政ルートの話
てて自分たちの場所を持ち、耕すことができるよ
だったら、誰でも来て下さいということで広がっ
うな場所を。地方に分散すれば、畑の作り方など
ていきますよね。そうではなくてヒロインが考え
も教えて行きますよ、というプランニングをして
ていった方がいいと思われるのは、将来の農業や
今また山を削って仮設住宅を建てるということは、
農村に対して非常に深い理解を示してくれそうな
またこれを上塗りするようなことになるから。地
人、場合によっては農村に住んでくれそうな人、
方で建てるということで移るんだということで。
やっぱり命の根源は農業だということに気が付い
まだ畑が耕せない、そこに仮設住宅が建てられて
ていってくれそうな人にターゲットをあてて、話
も次に生きる場所という風に考えられないんじゃ
を進めていくということが考えられますよね。
ないか。そこに日本のひところにそういうものが
できますよ、ということが、そういう人が新しい
池田 さっきの話で誰が選別するのかという話で
生き方をしていくんだという決意をして、そこに
…。
身をはよせられるんじゃないかということを提供
できることはすごく大きなことなんじゃないかと
やまざきようこ それは各自自分が判断するんだ
思います。
ろうね。
池田 また阪神の話になるんですが、お預かりさせ
大石 もう一つ、受け入れをしてくださった方に対
ていただきましたが、私のところもある程度復興
して、受け入れをできないヒロインのメンバーが
したら帰ってもらえるという期限があったから預
どういった支援をできるかということ。先ほどお
かれる。向こうの人も、こんな田舎に来ているけ
金の支援の話が出ましたが、受け入れるメンバー
ども、ライフラインが整ったら帰れるという辛抱
に対してヒロインのメンバーからカンパを集めて、
があったから耐えられるというのがあった。今、
一月 3 万でも 5 万でも受け入れてくださった方に
震災の方へ行くか東京の街か、どっちにしても帰
資金援助をするということは十分可能だと思いま
れるという見通しがつかない時に受け入れるとい
す。そうするとヒロイン全体での支援というのが
うのは、ものすごい覚悟がいる。お世話するって
実現できますよね。やっぱり、都会の方は虫がだ
言っても、街中で豊かな暮らしをしてきた方が猪、
め、キャベツとハクサイの区別もできないという
猿、鹿がいるところでどれだけの人が辛抱できる
若い方が増えてきていらっしゃるということです
89
緊急集会レポート:緊急集会「今、私たちにできること、ヒロインでできること」
が、そういう人を無制限に受け入れても、ヒロイ
んですが。それから生活基盤を地震で失った人が
ンとしては違うのかな。
自分の基盤を移そうとやって来られる方。これも
分けて考えた方がいいと思います。この二つを分
G 女 今って、何をどうしていいか見えにくいじゃ
けて考えないと。ごちゃ混ぜになってますから。
ないですか。時が経つとともに、ヒロインが相当
今すぐやることと、こっちと。
被災地にいるわけですから。そういう人が何をど
うして欲しいという情報を入れてくると思うんで
大石 司会者の司会をしていただいた、という感じ
すよ。今日に至るまでも、あそこはこういう状況
で。非常に重要な判断を逆に迫られたようですね。
です。テレビではこう報道されていますがこうい
3 日・3 週間の対応をヒロインとしてした方がいい
う状態です。山形でもこちらへ来たいけれでも、
のか、3 年・30 年先のことを見据えてそこにター
途中でガソリンを入れられない可能性が出てくる
ゲットを当てて考えた方がいいのか。これはちょ
から途中から帰りました。家中の燃料を夫が支度
っと決めた方がいいかもしれないですね。
して、「これならあそこまでなら着くぞ」って言
って行こうと思っているんですが。という電話が
H 女 私は事務局をやっていた関係もあって、何が
入ってくるとか。もうちょっとしたらそういうの
足りないのか、元気で生きていますなどの連絡が
が見えてくる。その時にどういう風にでも私たち
入っています。ですから、災害にあった人たちの
が動けるように、カンパのお金プラス、ヒロイン
それぞれの人の話を聞いてあげて欲しい。新しい
のフリーマーケットの資金というのが出てきてい
土地を提供をしても、現場にいることによって心
ますから。そういうものを臨機応変に使って動い
が癒されることもあるんです。それが収まってか
てもらえる状態でスタンバイするっていうのは可
らじゃないと、いきなり 3 年後の事を言ってもな
能ですよね。今何をするっていっても、仮設住宅
かなか受け入れられないんではないか。今はヒロ
の問題にしても行政が動いてるんでしょうが、私
インだった人が、今ヒロインである人たちに連絡
たち個々それぞれが精一杯やっていく、というの
が出来れば。「どうしてる?何してる?」って。み
が精一杯なんですが。もうちょっとしたら見えて
んなは話を聞いてくれるだけでいいって言うんで
くるものとかがあるんじゃないでしょうか。
すよ。誰か話し相手になる人が欲しいんですよ。
こんなのんきなことを言っては向こうに悪いんじ
井上 話を聞いていると 3 週間・3 ヶ月の話と、3
ゃないかと思いますが、「昔ヒロインの集会で一
年・30 年の話が行ったり戻ったりしているんです
緒の部屋に泊まったよね」という人に連絡をとっ
よ。今おっしゃったのは 3 週間・3 ヶ月の話。みな
て、やって欲しい事を聞くということで。この 3
さんがおっしゃるのは 3 年・30 年の話。先ほどう
週間はそんなことをやって、10 年後 30 年後にはこ
まくまとめていただいたんですが、ヒロインとし
んな苦難があるということも踏まえてやっていく
ては 3 年・30 年のことをメインとしながら、今も
ということも可能だと思うんです。新聞に出てい
できることをやろうと。ここ 3 週間の話と 3 年・
る情報だけでは、例えば福島県の飯館村がどうな
30 年の話ということを意識された方がいいと思う
っているかなどは、ある一部は分かっているけれ
んですよね。
どあの仲間、あの 3 人はどうなっているんだろう
もう一つ混乱しているのは、放射能が来たときに
というと、全然分かっていないし。対極は分かっ
東京から逃げてこられるかた、僕は来ないと思う
ているがヒロインたちが本当に何を困っているか、
90
緊急集会レポート:緊急集会「今、私たちにできること、ヒロインでできること」
ガソリンがないのか、お米をあげてもお米が炊け
カンパにまわしてください、という話はいただい
ないのかということ。お米を炊いて、発砲スチロ
ています。それをやりながら、仙台の一番危険な
ールで送るということをしているところもあるの
場所に住んでいらっしゃった吉田佐柄子さんとい
で。個人でできることをやってから 3 年後、30 年
う方が連絡が取れなくて、消息不明で、3 日目にメ
後にこういう風になったらいいなっていうことを
ールを入れ連絡が取れました、で、集会に出たい
話し合ったらいいんじゃないかな。
が交通手段がないのでどうしたらいいか分からな
いとおっしゃっていました。山形の理事さんは、
I 女 今回の集会をどうしようといった時に、一番
お父さんが「こんな時だからこそ、みんなでどう
最初にしたことは、今回まずは参加してくださる
するかという事を話し合うことはすごく大切なこ
方の被災状況を知ろうということでようこさんを
とだから、今、手に入るガソリンは全部積んだか
中心にみんなで手分けして、電話しました。その
ら、車で参加して来い」ということで連絡をいた
結果、今回参加する方で直接大きな被害を受けて、
だきましたが、梶谷さんは「今、道中は危険だか
命に関わるということになっている方はいらっし
ら止めたほうがいい」ということで、来るのをと
ゃらないということでした。
りやめたんです。彼女は大丈夫だが、こういう緊
急事態でで家族がバラバラになったら取り返しが
やまざきようこ 今のところはいらっしゃらない
つかない。だったら一緒に生活した方がいいので、
ですよね。
という判断で来ないことにしたとおっしゃってい
ました。そういう電話をいただいたり、調べたり
I 女 ようこさん、すみませんがそういうことをこ
していたんですが。実際のところ、みんなは電話
のチームでしてきた、ということの結果をお願い
が通じません。今のところ向こうから電話がくる
します。
方は「今のところは元気で、何とかやっているよ」
ということで。茨城の方もみんな元気でやってい
やまざきようこ 全国集会のチラシを作って 600 人
るから、心配しないでくださいという電話をいた
ぐらいの方たちに配り、参加しませんか、ってい
だきました。千葉も足がなくて来られないって。
う電話を全部かけたんです。200 人ぐらいの参加申
その人たちも東北に電話をしますが連絡がつかな
し込みがありました。それで 11 日の段階で地震が
い状況で。それが落ち着いてきたら、多分連絡が
起きて津波が起きてという問題が起きて急きょ申
つくんじゃないか。それで連絡をして、何が必要
し込みをいただいた方に、電話をかけたんですが、
かを聞く。それを一番最初に聞くことをやりたい
関東・東北地方は電話はほとんど通じませんでし
と思います。それぞれの携帯やメールの中に、そ
た。仙台の吉田先生や山形の方、福島の方に 2、3
れぞれのお友達の連絡先は入っていると思うんで
日後電話はダメでしたが、メールは通じたんです。
すが、それを照らし合わせてもう一度始めるとい
それで状況が分かってきたんです。埼玉の方は 10
うのが大切だと思います。それから次はどうすれ
人近くいらっしゃって、みんな出席すると言って
ばいいか考えていく、今はこんな状況です。
くださったんですが、交通手段がなくどうにもな
らないということで、会費をみんな義援金にして
D 男 みなさん、これで再臨海にならないですか。
使ってくださいという方が何人もいらっしゃいま
した。広島の方も身体の調子が悪いので、会費を
91
緊急集会レポート:緊急集会「今、私たちにできること、ヒロインでできること」
井上 多分ならないと思いますけど。状況で言うと、
政府が発表するのはずっと大丈夫、それは大丈夫
D 男 みなさん、そう言うと安心して。
じゃない。こう来てという感じ。たぶんこういう
状況になると思いますけど。今の状況で言えば、
榊田 再臨海にならないと、安心したわけではない
東京の人が逃げ出すことには多分ならないんじゃ
んですが。今、短期的にどうするかと長期的にど
ないかと私は思いますけど、分かりません。
うするかを分けて考えたいということですが、私
は秋田県出身で東北の友達が多いので、ここ 3、4
D 男 この状態だとね。
日は太平洋側の人への連絡が大変だったんですが。
連絡が取れた知り合いだけかもしれませんが、な
井上 4、5、6 号の方がかえって危なくなってきて
んとか命は助かっている状態で。福島の友達は原
いる。核納器に入ってない分だけ危なくなってき
発の非難対象地区になったので、秋田に子どもを
ている。ただ、どこまでそうなるか。ただ、東京
連れて非難をしていますが。精神的なパニックと
の人が今すぐに逃げ出す状況になるとは、私は思
いうのは東京の人たちの方が大きいくらいで。現
いません。
地の人たちは落ち着いているという言い方は変で
すが。根拠の無い不安というのは今のところない。
J 女 すみません、さっき井上さん、福井にまで放
とにかく落ち着くまでは少し時間がかかると思う
射能が飛んでくることはないっておっしゃってい
ので。短期的に、最初に友達の立場に立って考え
ましたが、一之さんの見解は違っていましたよね。
たときに、ヒロインという組織のことをまったく
知らない人もいるわけです。その人たちがホーム
山崎 臨海に、もしなればどうなるか分からない。
ステイで受け入れします、と言った時に来る人も
4 号基や 5 号基、6 号基の使用済み核燃料を保管し
抵抗があると思うんです。来る方も難しいと思い
ているところの水がどんどん減っていっていると
ますし。行政も空いている温泉施設とか貸してく
いうことと、それが臨海と言って、今度は限界ま
れる空き家を含めて、避難者の受け入れをしてい
で行くようになるとどうなるか分かんない。そう
るので、まずは様子を見るのが大事かなという気
なると東京を通り越して世界にまで行くことにな
がします。さっき、埼玉から来られなかった人か
るので。そうすると確実に安全であるということ
ら義援金に回して欲しいと言う申し出もあったと
は誰も言えなくなる。
いうことですが、友人のメールを見たら今日もそ
ういうメールが 1 通入っていて。話を聞いて「じ
井上 スリーマイルで終わるか、チェルノブイリか
ゃあ何ができるか」を考える時に、義援金をどう
ということなんですけれど。今のところはスリー
生かすかを考えた方がいいんじゃないかな、と思
マイル並みである。今の時点で東京には色んなも
います。義援金を渡す時に、どの窓口にその義援
のが飛んできている。ただし、人体に影響を与え
金を納めるかっていうのは大変なんです。私も口
るものではないということ。基本的には風という
蹄疫の時の支援活動で、色んな窓口ができて、そ
のは西風。というか、西から東に吹くというもの。
れぞれみなさん立場がある窓口なので。どの窓口
だから、今の風関係でいうと福井と福島の関係で
に入れるかというのは迷うと思うんです。政府の
言うと、影響がない。だから、まずそういうこと
立ち上げた窓口に入れるのか、NHK なのか。色ん
にならないと思う。
な口があると思うんですが。そいう窓口に入れる
92
緊急集会レポート:緊急集会「今、私たちにできること、ヒロインでできること」
のか、それともヒロインの中で独自に使い道を考
K 女 義援金の話なんですけど、ヒロインのネット
えるのかということで、NPO の窓口でそのお金を
ワークさんが、助けたい対象というのが不明瞭な
ストックしてそれを信用してくれる人にのみ義援
気がする。ヒロインの仲間さんを助けたいのか、
金の窓口を限っていくのか、ということを考えた
もしくは不特定多数の方を助けたいのか。それに
方がいいのではないか。それが短期的な話で、み
よって、義援金の使い方も変わってくる。もし、
なさんと確認した方がいいのではないかというの
ヒロインの仲間さんを助けたいのなら、この輪を
が、はたから見ていて思いました。
使って連絡を取り合って、困っている人には「こ
それから、中期的に見てということですが、クラ
れだけの間、うちを貸すよ」と言えるんだけど。
インガルデン的な仮設住宅の話がありましたが。
もし、不特定多数の方を助けたいのなら空いてい
取材をしていて空き家をたくさん目にするんです
るところに入れるっていうのなら、行政の窓口を
が、なぜ空き家が取り壊されていくのかというの
使ってこれだけの人をこれだけの人を入れるとい
はみなさんもよくご存知だと思いますが。空き家
う、提案をする形が取れると思うんです。だから、
は、今はいない不在の地権者というのが非常にい
助ける対象というのをはっきりさせる方がいいの
っぱいいらっしゃって。非常に立派な古民家とい
かな、と思いました。
うのがいっぱいあって、それを地域資源に生かし
ていきたいと思うんですが。地権者の方がなかな
大石 雨宮さん、今の点に関してですか。それとも
か帰ってこない、滅多に帰ってこないというのが
新しい点ですか。
あって、それを不特定多数の方に貸すというのに
なかなか「うん」と言わなくて。空き家なんだけ
雨宮 今の点に関してです。放射能の話ですが、私
ど貸せない。で、壊されていくという現状が多く
は父が支援兵として広島に行って。それから被災
あります。ある程度落ち着いてから移住してきて、
された方の援助に行って。今 85 歳ですが元気です。
実験的に住みながら永住も考えていきたいという
色々身体に問題が出ていますが、同じ教員仲間よ
ような人たちを、研修として受け入れていずれそ
りも元気です。人間はそんなに簡単に死にません。
の地域で住むための、空き家を探してあげるとい
情報を外国の方からどのように流れているかを夫
うような支援をヒロインでやっていくということ
を通して調べてもらっています。フランスの方は
が、一つあるのかな。
核兵器(原子力発電所)に対して、日本と同じように
もう一つ、無駄に空いている家を、分かち合いの
推進派です。ですけど、今のこの状態はかなり政
精神で。地権者の方もそれは地域の資源で生かし
府はパニくっていて、軍の飛行機を用意して、日
てもらおうという呼びかけ、意識の呼びかけをや
本にいるフランス人を帰国させると言っています。
っていくことも必要かなと思います。「空いてい
今日成田に着くか、明日大阪か、とにかく国の飛
るから貸そう」という分かち合いの精神があれば、
行機に乗って帰って来いという帰国命令が出てい
こんなに空き家は増えていないだろう。今、分か
ます。それをどうするかは私たち個人の判断だと
ち合いの精神が都会だけじゃなく、田舎でもあま
思っています。イギリスの状況はもっと冷静で、
りないんではないかなと思っているので。短期的
イギリスの核研究のグループは福島に行って、現
に空き家の話と、中長期的に空き家の話と、受け
状を分析しています。彼らの話ではそこまで危険
入れ方の話という 3 点の話です。
なことはないだろう。たとえ、5 号基 6 号基がやら
れてもチェルノブイリのようなことまで心配する
93
緊急集会レポート:緊急集会「今、私たちにできること、ヒロインでできること」
必要はないだろう、という彼らの分析です。イギ
うこと。みなさんがお金が必要だというんなら「じ
リスの国民に関しては「帰って来い」とか、イギ
ゃあ、お金を集めます」と。物資が必要、子ども
リスの飛行機を用意するという話にはなっていま
を受け入れるところが必要というんなら、そうい
せん。色んな情報が流れていますが、各国の今の
う必要なものに対していつでも準備ができていま
判断がまちまちだという状況も知っている方がい
すという体制や流れを作って、田舎のヒロインの
い。チェルノブイリの状態は私自身も経験してい
ネットワークのメンバーに流して体制を整えるこ
て、雲が流れてきていたわけですが、その後ガン
とが一番なんじゃないかと思います。
になる危険率が高かったりしたわけですが。問題
になったのは、放射能が地面に落ちてキノコなど
大石 まず、対象を考えるということがありまして、
の食べ物に残り、そういうものを食べた人たちが
それでみなさんの意見をお聞きしていたわけなん
色々健康の被害を受けています。雲が来たから悪
ですが。対象を決めるという方向と、雨宮さんの
かったというよりも、それによって汚染された食
誰でも受け入れるという方向がまた重ならないこ
べ物を口に入れることが危険なんです。だから、
ともありまして。難しいところがあるわけですが、
食べないようにするとか、洗って食べるとか。そ
最終的に判断するのは個人なんですよね。最終的
ういう先のことを考えた動向をみなさんに促す必
にどういう判断を下すかというのはみなさん個人
要はあると思います。雲が流れただけで、私たち
の判断にゆだねられますが、ヒロイン全体の方向
が何か身体に害を及ぼすことはない。主人に至っ
を考えないといけない。また、お金にも限りがあ
ても、現場にいて色々救助活動をして救助を終え
るし、我々の労働力などの支援活動にかける力に
て帰ってきて、まだ 85 で元気に生きています。そ
も限度があるというのも事実。その中で効率的と
のことは分かっていただきたい。
いう言い方をすると、昨日のシンポジウムの話と
受け入れですが、田舎のヒロインが農業を主体に
重なるかもしれませんが、受け入れるということ
考えていますから、農業に興味のある人やヒロイ
は責任や苦労を伴う。ただ、やり方によっては我々
ンの仲間のことを言っていますが、そういうこと
の力を一番に発揮できる救援活動があるし、同時
ではなくて、市民として何ができるかということ
に救援活動に最もフィットする人々もいるんでは
で、何ができるかということをみんなの心の中で
ないかと思う。僕個人としてはヒロインらしさを
作って、ヒロインはその中で何ができるかを考え
出せることをやりたいというのは、この 15 年思っ
るのがいいのではないでしょうか。それで現地の
てきたことでして。ほかの行政などができるよう
人に誰が必要かということを聞いて。例えば、私
な支援は、そちらの方にまかせてヒロインの特色
は千葉県の松戸市に「なんでもやる課」というの
が一番打ち出せるような活動に特化してやってい
を作ってとてもいいことだなと思っていたんです
きたい。もちろん、色んなご意見があると思うん
が、田舎のヒロインもできることは何でもやる、
ですけれども。その辺でまず、ご意見いかがでし
そしてできることは何かということを一所懸命考
ょうか。
えてという方向で。短期のホームステイならでき
昨日、おとついから色んな話があるんですが、義
る、空き家を探すなどできることをやるというの
援金につきましても NHK、ボランティアセンター、
ではなくて、「こうしてください」と言われたも
赤十字などといったところに渡すことは私たちの
のはとにかく受け入れて、何ができるかというこ
ところではとりあえず考えないで、ヒロインが今
とを私たちが考えるという流れを作ってやるとい
後関係を築いていけるような団体、顔が見えるよ
94
緊急集会レポート:緊急集会「今、私たちにできること、ヒロインでできること」
うな団体、もしくは我々自身がやっていく、とい
く方が動きやすいんじゃないか。また、阪神大震
うのがメインになっていくのではないかと思って
災の時は、実際に本部へ行って出合った人たちと、
います。これに関しても、賛成、反対もしくは何
灘地区のお年寄りの過疎地域へ 2 年間、お米のあ
かご意見があればお願いします。
る人が連絡をとって、ひと月に 30 キロ、2 年間送
り続けた。また、集まった義援金は淡路へ行き、
K 女 そろそろ、整理して考えないといけないと思
淡路の人たちと話してその人たちに渡して、淡路
うので。今すぐやれる、さっき提案があったよう
の人たちのために使った。今いただいたお金やこ
な知り合いの安否、そして何が必要かを聞いてや
れからいただくお金も、行けるところまで行って。
れる範囲の中でのやりとり、個人の活動としての
これから連絡を取ってこの人たちとこういう使い
やりとりなんかを。個人的な情報のやりとりの中
方をするということを連絡してやっていく。そこ
での、できるだけのケアについては何かやり取り
までやりながらの方針というのを、できるなら動
をする。その中で物資の必要性が個人の限界を超
きやすいチームを作ってやっていく。全国集会を
えた場合は、ヒロインへそれを提案して。たとえ
やっているヒロイン本体の事務局が、そうやって
ばお米が必要とされているが、個人で送れる範囲
動いてやっていくというのは、集会の後片付けの
じゃないという場合には、ヒロインがそれに対し
仕事もあって、とてもやっていけないので、震災
て事務局を作る。できるかどうか分かりませんが。
に対するプロジェクトを立ち上げて、そこへ連絡
今のままで自分たちの負担が厳しいということが
をとりながらやっていく形がいいんじゃないかと
ありますから。そういう事務局が作れるのか、作
思います。そういう人たちが、今来てくださった
ったら個人でできる範囲を超えたらもちこんで、
人に「カンパをこういう形がいいんじゃないか」
対処ができる方向性を考える。今できることと、
などと連絡をとりながら、今できることを見なが
今の 3 週間、3 ヶ月という風に分けて考える。そし
らやっていくというのがいいんじゃないかと思い
て義援金は田舎のヒロインとしてストックして、
ますが。井上さんどう思われますか。
明確に使い方が分かったら使うということで保持
続けましょう。たとえば今日は 3 千円という形で
井上 提案ですが、少し情報インフラを整えたらい
個人でプールして持ってこれる時にそうしましょ
いんじゃないかと思います。というのは、田舎の
う。決められることは決めて将来に繋げるという
ヒロインは一人ひとりは非常にパワーのある方が
ようにした方がいいのかな、と思いますけど。
多くおられます。そういった方々が、インターネ
ットを中心とした日常の情報インフラを整えると、
やまざきようこ ヒロインの事務局は、今までの事
こういった緊急時においても事務局も、非常に効
務局が事務局としてやっていくにはたくさんのこ
果的な話し合いが出来ると思います。委員を決め
とを背負いすぎなので、今の震災と原発に対する
て、指導をして誰でも参加しやすいようにすると
ことの支援体制を整えるための事務局を作る。そ
いい。ここで話されたようなことは、我々の仲間
れに適切に動ける人たちがプロジェクトチームを
ではパパッと半日以内に話されているわけです。
作って発信して、動いていく。そこへ情報を入れ
それで沖縄などからいらっしゃるような人もいて、
て、集まったお金の検討をしてみんなに伝える。
それを仕切るひとが自然にできて、その中で「お
そういう常時動けるような体制を作って、別枠で
前はこれやれ」っていうことは自然にできている。
一つのプロジェクトを立ち上げてそこを中心に動
今、物理的に会っているのはいいことなんですが、
95
緊急集会レポート:緊急集会「今、私たちにできること、ヒロインでできること」
さらに情報インフラを整備すると、より効果的で
先にこんな話をして申し訳ありませんが、メーリ
す。ようこさんがおっしゃったことを、より効果
ングリストに加入していただくことはできますの
的にするには、特別な情報インフラの委員会を作
で、後でお申し付けください。
って、この機会にみなさんにご指導するといいと
思うんです。
L 女 話がそれて申し訳ないですが、そのメーリン
グリストを立ち上げるんだったら、どこまでが入
L 女 私も、前にようこさんに「会を立ち上げてく
れるのか。マスコミの人も入れるのか、そういう
ださい」と言った時になかなかお忙しいみたいで
ところをはっきりした方がいいのでは。
かないませんでした。私も別の活動をやっていて、
メーリングリストだと、携帯の人もパソコンがな
M 女 私もほかのところのメーリングリストにも
くても大丈夫だし。これを文字おこしして流され
色々加入しているんですが、色々あって。来たも
たら、来なかった人もだいたい理解できますし。
のだけに返しているのか、個人個人のメールアド
メーリングリストなんか送ったらどうかな。
レスを伏せておいて、直接の話をできないように
私がここへ来たのは、宮城の石川さんなんかどう
するなどあるんですが。先ほど私がとりあえずと
なっているかなと思って。自分から電話する立場
言ったのは、取り急ぎというか、そういうことで。
じゃないし。ここだったら教えてもらえるんじゃ
先のことはきちんとゆっくりしないといけない。
ないかな、と思って。分かるんなら先々情報を流
事務局はそういうことはきちんとしないといけな
してもらいたい。私みたいな人もたくさんいるん
いんですが、今はとりあえずの話です。
じゃないかな。
N 女 メーリングリストですが、100 人まで大丈夫
M 女 今回、これをやっていくにあたり、福井チー
ということで。私は福井チームで実際にこの会が
ムの実行委員会でメーリングリストを作りました。
始まるまでメーリングリストでやりとりしていた
福井チームのメーリングリストはもうできあがっ
んですが、十何人かのメーリングリストでもやり
ています。緊急事態で何人かの人が席をはずして
とりするのは結構大変で。全部を毎日チェックす
います。今、担当者の方が席をはずしていますの
るのは大変で、安易に書いてしまったんですが、
で、説明できませんが。先ほど何人までメーリン
携帯とパソコンと両方を書いてしまい両方に入っ
グリストができるか、という話をしたら、一応 100
てくるんですが。携帯だけを見ていてパソコンを
人までということ。ただ、1 月に東京の恵比寿で実
見ないと 2∼3 日でずらっとなってしまいますし、
行委員会を開いたときに書いてもらったんですが、
それが 100 人になると思うとちょっとぞっとする
それを書き写す間に間違いがあってそれを送り返
んです。今回の震災があって、私が所属している
してもらおうと思ったら、それも間違っていたり
ほかのグループで行っていることで、ブログを立
で。色んなことで立ち上げられないでいて、ここ
ち上げてそこにコメントを書いていく。それだと
まできました。その手間を省くためにも自分の方
そのブログを開いてコメントを呼んだり、伝えた
からアクセスをかけて、登録しますという風の作
いことを書いたりすることができるというのがあ
業にしてとりあえず 100 人まで。この先長い目で
るんですが。私はコンピューターに詳しくないの
みてどのようにするかはまた、みなさんが帰られ
で、詳しい方がいればそういうことはできないの
た後やりとりするところの受け皿はありますので。
かということ。メーリングリストに 100 人がバー
96
緊急集会レポート:緊急集会「今、私たちにできること、ヒロインでできること」
ッと入るというのは、慣れていない方にとっては
だ、集まってきたお金がありますから、それを顔
どうなのかなというのがあって。
の見えない機関に託すのではなくてヒロイン独自
メーリングリストにも発信者の名前を書かないと
で、顔の見える関係の所に使うということにした
いうのがあって。そこで 100 人だと混乱すると思
い。
う。思いだけ伝えて名前を書き忘れたら、発信者
3 点目ですが、榊田さんの方からご意見があって、
が誰か分からないし。それをブログに書き込むと
僕も賛成しましたが、同じことでも表現によって
いうのはいいと思うんですが。ベストな形という
受け止め方の心象がずいぶん違う。榊田さんがお
のは、方法は変わって行きます。だから、今はこ
っしゃったのは、空き家の利用にしても避難民の
の話じゃなくて違う話に時間を割いた方がいいと
受け入れという形でやるんじゃなくて、研修生受
思うんです。「こういうことをしたくなりました」
け入れという形ですれば、目的としては農業に取
というのがあれば、ようこちゃんなり私なりに伝
り組みたいという意思を持った方を対象にすると
えて、提案はできると思うので。
いうことになります。同じ受け入れにしても、今
だからこそ農業の研修生という表現を使うという
M 女 通信のことに関しては、今こちらでやった、
手はあると思います。これによって我々の対象と
やりかけていることがあるので。ネットでみんな
するターゲットの範囲も決まってくると思います。
と繋がりたい、繋がることが可能だという方がい
我々としては手助けもしながらヒロインらしさを
れば、会の方に申し出てくれれば登録するという
打ち出せるような言葉を作りながら、ポジティブ
ことを理解いただいて。そこで本編の話に戻って
に考えながら活動を続けていきたい。今、僕で整
いただければいいので。
理できる点は、この 3 点です。ほかにこれだけは
抜かせないという点があれば、お願いします。
大石 本編をまとめる時間にしていきたいと思い
ます。これは僕の独断の方向性かもしれませんが、
L 女 確認なんですが、事務局に情報を寄せてくだ
ある程度まとめていきたいと思います。一つは、
さいとおっしゃるのは、今の事務局なのか、それ
まだ事態が 3 日から 5 日の間はまだ変わりそうと
ともこのことに対して開設する新しい事務局なの
いうこと。今すぐに短期的な方向性を決めるのは
かということ。それは誰が運営するのかというこ
難しいだろうということ。なので、ヒロインとし
とを明確にしてください。
ては個人の責任の下でやっていただくということ。
ただ、個人の取り組みを考えてやり、今、こうい
大石 情報を集める窓口ということであれば、よう
うことをやろうとしているということを事務局に
こさんでもいいし僕でもいい。そこでまた判断を
集めて欲しい。それを集めることで、おそらく方
して報告を作っていくということであれば、単な
向性が見えてくるんじゃないかと思います。とに
る窓口ではなくなります。ようこさん、判断いた
かく、「私たちはどういうグループで、どういう
だけますか。
ことを考えています」ということを、情報にして
お寄せください。それをもとにヒロインの事務局
やまざきようこ 緊急事務局を作ろう。メンバーは
で対応を考えていきたいです。
この後に話合っていけばいいことで。
義援金については、とりあえず集めるという活動
ではなく、具体的活動に力を注いでいきたい。た
97
緊急集会レポート:緊急集会「今、私たちにできること、ヒロインでできること」
大石 とりあえず、メールアドレスだけお伝えして
おきます。僕のアドレスをお伝えしておきますの
で、メーリングリストを作るかということは後日
お伝えするということで。この話を聞かれた方は、
とりあえず僕のアドレスまでください。紙に書い
て後で貼ってきます。携帯とパソコンとどちらへ
の連絡が希望かということと、どういうことがで
きるかという希望することを書いていただいても
結構です。では、1 時間半の会を終わります。あと、
これだけは言っておきたいということはあります
か。ひとまず、方向性を 3 つ提示しました。今後
も状況が変わっていくと思いますので、今後も参
加したいという方はぜひ連絡をください。まれに
見る緊急事態ですが、力を合わせて取り組んでい
きたいと思います。ありがとうございました。
98
寄稿集Ⅱ
自然を感じる一番近いしごと
福井県
鶴さかえ
久々に中身の濃いお話を聞くことが出来、グローバルな世界を認識させられました。
毎日今のところ作付けの事、お天気の事ばかりが気掛かりで本質を忘れてしまいそうな農作業です。
今思っている事
TPP・反対、自然環境崩壊、とスローガンに掲げながら、ここ坂井北部丘陵地の山々は土砂採集で
崩壊。
2001 年就農の頃は緑多き山々で、狐の家族も見られ絶壁に建っているハウスの北風よけにもなって
いたのに、今は、地域からは、疑問の声すら聞かれない。野鳥の飛来地で知られる北潟湖の水質も、
もはや気にならないのか、聞かれない。
除草剤で叩いているので畑には雑草が生えていない。これを人は美しい畑と言う。
露地西瓜等が終わった後、我が家は緑肥を蒔き、翌年五月頃すきこみますが、初期の頃には緑肥を
雑草と間違えられた。
みどり、みどり、している畑が、美しいと思わないのか。おけら牧場へ行くとほっとする。
草むらには農作物に害を及ぼす物がひそんでいるから、除草剤で叩くという、農家の当たり前になっ
ているこの考えが怖い。
有機野菜のこと
我が家は肥料はすべて自前のぼかしを使っている初冬から翌 3 月中まで仕込みにかかる。
9 年前は匂いが今一。そのうち匂いが判るようになった。麹を入れて味噌の匂い、酵母、乳酸で仕上が
り。
毎年、切り返しなど重労働であるが、その感覚が年々とぎすまされてゆくのが判る。
人間の感覚って、自分でアンテナはって磨こう!
それらの自分で作ったぼかしの肥料をメロンや、西瓜に、ブルーベリーに、葉面散布を。植物の持
っている、抵抗力や、免疫力、光合成、それらがいかんなく発揮出来る様に育てる。
有機だから甘いよ!は二の次。甘くなくて上手く出来ると、発酵の旨味ではないかな。
だから口にしたとき、直ぐに砂糖の様に甘くないと思う。有機だから値段を高くすると言うのは別の
話でないかなと思う。
この集会で改めて、農業には自然体で在る様に生きる事を発信する「業」であり、携わる者は驕る
ことなく、謙虚で、疑問に思う事は声を出さねば!と感じた。
それは自然を感じる一番近い仕事だから。
99
寄稿集Ⅱ
暮らしを守るつながり̶日印の震災危機が教えてくれること̶
東京都
秋吉恵(早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター)
インド農村女性とつながって!なんて話をしてもいいんだろうか。3 月 11 日の震災とその後の原発
爆発を受けて、田舎のヒロイン全国集会が緊急集会に変わると聞いた時、そう思った。震災後、陣頭
に立つことを求められるボランティアセンターの教員という仕事、そして 4 歳児の母親という責任、
これらを担う私が福井に行ける立場とは言い難い。それでも芦原に行くと決めたのは、今こそ田舎の
ヒロインたちと一緒にできることがあるはずだ、と思ったからだ。この震災から農漁村が復旧、復興
していく、それを何年でも支援し続ける力を、集会に集まる皆さんのエネルギーから蓄えたかった。
でも、震災を乗り越えてでも集まるヒロインたちに、全国集会のプログラム通り、インド農村の話を
するのは場違いではないか。この気持ちは、パネルディスカッションが始まる直前まで、いや終わっ
た今でも、私の中でくすぶり続けている。
私個人にとって、途上国の農村で貧しいながらも強く生きている人々に学び、時には支援すること
はライフワークだ。だから、震災、津波、原発爆発に見舞われた日本の人々のために、考え行動を起
こすことと、インド農村の支援は私の中では同時に存在できる。でも、震災後の緊急集会に集まる方々
には、インド農村や農村女性たちとつながる意味は見いだせないのではないか。実際、インド農村の
貧困女性たちとのつながりを提案した前半の発表が、どこまで聴衆に届いたか、あの場に適切だった
のか、今でも心もとない。だが、後半のインド農村に残るつながりを明示した学生たちの映像は、少
なからぬ反応をいただいたように思う。そういえば、2001 年 1 月 26 日に、死者 2 万人を出したインド
西部大地震の際、支援の不足する被災地で、人々を支えたのは、農村の、集落の、人々のつながりだ
った。
日本とは比べ物にならない支援体制の中、自宅も壊れ、雨露をやっとしのぐかどうかの状況でも、
集落で固まって暮らしていた農村の人々。15 家族 100 名ほどが集まる避難場所に、4 張、60 名ほどし
か入れないテントが届いても、全員で分け合えないならと受け取りを拒否したという話も聞いた。過
酷な乾燥地での農業や牧畜、それを乗り越えようと発展した伝統工芸、そうした生業の基盤すら失っ
ても、彼らは自分を支える人々のつながりだけは失わなかった。10 年後の今、村々はまだ復興の途上
にある。それでも、多くの人々は生まれた土地で、家族で守ってきた生業を営み、静かに粘り強く暮
らし続けている。
東日本大震災は、地震、津波、原発爆発で、状況が様々に異なる被災地と被災者を生んだ。大学ボ
ランティアセンターの一員として、被災地や避難所に手を差し伸べたいと奮闘を続けている。また、
教員として、学生たちにこの大震災から農漁村、農業、漁業がどうやって立ち直って行くのか、考え
続ける力を育てたいと願う。さらに、生活人として、余震や停電におびえる子どもに寄り添いつつ、
物資の送付や近隣の避難所への支援を始めた。そして、こうしたすべての活動に、田舎のヒロイン緊
急集会で得たエネルギーや情報が生きている。ネットワークで出会った人材が生きている。
支援をしようといろいろ試みて、わかったことがひとつある。それは、支援をする側にも、支援を
受け取る側にも、人々のつながりがなければ、一歩も踏み出せないことだ。被災地に入ってボランテ
ィアをしたいと思う。でも、被災地のニーズを見出し、それをボランティアに提示し、実際に活動す
る、そこには被災地の、ボランティア側の、人々のつながりが必要だ。物資を送りたいと思う。ニー
ズに沿ったものを集める、受け取った先で配布する、そこにも集める側の、配布する側の人々のつな
がりが必須になる。
インド農村の人たちがこだわる目に見えるつながり、それは厳しい生活を乗り越えるために長年に
わたって培われてきた知恵だった。目に見えるつながりよりも、国や企業が作り上げたシステムを信
じてきた日本。震災は大きな痛みを伴って、その見直しを迫っている。集会の中で、日本の良かった
100
寄稿集Ⅱ
点、失った点、そしてこれから作って行きたい点としてあげた、人々が暮らしの中で培っていくつな
がり。その重要性を、いま改めて噛みしめている。
101
寄稿集Ⅱ
卒業式からの卒業
長野県
田中泉
球太朗が、体育の評定と出席状況を確認するための書類を持ってきた。そう、世間ではそれを、通
知票という。体育 5、欠席 0〈ノロウィルスは、出席停止〉、早退 0、遅刻 0。以上確認終了。印鑑を
押した。ちなみに、ほかの教科も、そこそこに評定してあるが、細かいことにはこだわらないことに
している。ただ昨日の通り一遍の卒業式には、こだわっている。いや、はらわたが煮えくりかえり、
爆発しそうだ。
昨日実澄穂の卒業式が、予定どおり挙行された。被災地はもちろんのこと、長野県内でも、12 日早
朝の大地震に見舞われた栄村では、卒業式が延期されている。師匠のご亭主は、電気の普及に出向い
ている。こんな社会状況の中、学校長始め、来賓・保護者代表の方々の祝辞やお礼のあいさつの中に、
誰ひとり今回の大震災に触れた人がいなかった。前夜夫が、たぶん卒業式の祝辞と思われるものを書
いていた。おおよそ決まった形があり、フリートークの部分は少ないだろうし、そう出しゃばっても
いけないと思って、気づかぬふりをした。卒業式で、初めて PTA 会長としての夫を見た。それなりに
うまくしゃべっていた。でも、今卒業生だけでなく、子どもたちみんなに伝えることがあるのに、そ
のチャンスがあったのに、メッセージ性の薄い内容に思えた。家に帰ってきてから、夫に文句を言っ
た。「明るい展望がしにくい世の中ではあるが、君たちの頑張りによって、きっと未来は拓ける。こ
の小学校での学びがあって、そしてこれからの中学での勉強、部活などあらゆることを本気で取り組
むことによって、想像もつかないような困難を、乗り越えていく力が育まれる。自分を信じて、今の
当たり前の幸せに感謝して、できることをひとつひとつやろう。卒業式はお祝いの場かもしれないが、
教育の一環である。今なら心に響くことを、どうして自分の言葉で伝えなかったのか!」とたたみか
けた。
夫:「俺もそう思ったんだけど、学校側からストップがかかった。」
私:「なんで食いさがって、どうしても言いたいと言わなかったの?」
夫:「そうだったな。」
珍しく私の言葉に、素直に反省の弁を述べた。
教科書に書いてあることを教えるのだけが、教育ではない。君たちは、どこでどう学び、いろいろ
な経験を通して、今のような人格を持ちえたのだろうか。起きてしまったことを嘆いても始まらない。
ここから何を学び、どう這い上がるか、この試練を子供たちの糧にする、大人の力量が問われている。
テレビで震災の報道を見ていると、民間の広告ネットワークの CM が頻繁に流れる。そのひとつに、
確かこんなようなものがある。
「心は誰にも見えないけど、心遣いは見える。思いは見えないけど、思いやりは誰にでも見える。」
もっともらしいことを言っているようだが、どうも気に入らない。思いやりの気持ちを行動に表そ
うとのメッセージだろうが、見えることがすべてであるかのように聞こえる。確かに百聞は一見に如
かずということわざがあるように、見ることは大切だ。でも、五感をフルに発揮して生きるべきなの
に、近代化と共に、目からの情報に偏った生き方をするようになってきていることを危惧している。
一緒にCMを見ながら、それをみずほに話したら、「言いたいことはよくわかるけど、お母さんて面
倒くさいって言うか、生きるのが大変だね。」
これこそ、最上の褒め言葉。見えない恐怖と闘っている原発周辺住民、先の見えない毎日を送る私
たち。自然とつがっていることが実感できる、五感を大切にした暮らしを見直すことで、光が見えて
くる。いや感じられると思う。
102
寄稿集Ⅱ
2011 田舎のヒロイン全国集会
福井県
奥村智代(芦原温泉べにや旅館女将)
3 月 16 日(木)緊急での田舎のヒロイン集会が開催されました。
今思うと、全国集会を福井で!開催日を 3 月 16 日!と決めた瞬間から、私達がこうなる事が決まっ
ていた様にさえ思う。
3 月 11 日の地震、津波、原発。
世の中もヒロイン達も、緊迫した状況が続いた。
開催日ぎりぎり迄、崖っぷちに立たされ、開催の是非の厳しい討論が毎日続いた。
15 日、ヒロイン集会は中止。しかし内容を全て変更して、緊急集会としての開催を決め「何かあれ
ば、その場で即、解散よ」の洋子さんの言葉で益々私達を命がけ、本気にさせてくれた。「真正面を
向きましょう!」「今しかないの本気になれるの!」「しっかりしなさい!」と洋子さんが言い続け
てくれた気がします。そのお陰で、この最高のチャンスの中で、「考える事向き合う事」が出来まし
た。
与えられた、命がけの感触を忘れずに「今、何をすべきか?」「これから先、何が出来るか?」を
わたしはしっかり考えたい。勉強して考える力を養いたい。
TPP について
私は農業者ではありません。旅館を営み、TPP により自由に安い品が手に入り、経済が豊かになる?!
グローバルな社会が生まれる?!落とし穴はありそうだけど、悪くはないと考えていました。しかし、
TPP のお話を聞き、自由貿易で日本の中の需要と供給のバランスが崩れる。独占企業巨大企業だけが
生き残ると感じた。これは平等ではない!
物を流して儲けるのではなく、同じビジョンの中での「分かち合い」を∼とアンベール氏が教えて
下さった。
そして、何より岩田さんの、世界中で今災害が起きています。いつまでも、どうして、ほかの国が、
日本に商品を入れてくれますか?手に入らない時代が必ず来ます。その時自分たちの経済はめちゃめ
ちゃ…。私たちはどうして暮すのですか?人を頼りすぎです。と話された。
一時的に「開かれた門」を選び、またいつか右往左往を繰返す。そんな日本が見えました。
いま、自分達の力で生きること、切り開く事を工夫し、やらなければ必ず行き止まりがいつかまたや
って来る。
べにやでは、これからも安全な品、安心な品、本物、語れる品を、お客様へ提供して行きたい。そ
れには自分の中で生産出来ることが望ましい。べにやが提供するものとお客様の求める物が一致して
信頼が生まれる。そのような信頼を深めこれからの「べにや」創りをしたい。
アスパラを提供して下さった梁井さんの「勝手に価格が決められ、伝えたい事も伝えられず消費者
に気を遣っての売り方は嫌だ」という同じ気持ちがべにやにもありました。
原発について
福井へ嫁ぎ 17 年、敦賀の原発が 11 基、もんじゅがあり、危険であろうけど難し過ぎてもうここま
で来れば反対も出来ない、と思いながら来ました。しかし、今回の地震、福島の原発。今も続くこの
被害に、一体日本と言う国はどうなってるの?こんなものなの?
103
寄稿集Ⅱ
想定外が簡単に現実におこる毎日、何も知らなかった自分を国の責任にして、あきらめるしかない
自分がここにある。
嘘ではないが正確ではない情報を信じている自分。
放射能汚染の恐ろしさそして、何十年も続ける核反応。生き返らない大地。
そして、ナトリウムを使う「もんじゅ」。そのナトリウムは水に反応し爆発すると…。
知らないことの多い事にようやく気づく。敦賀の原発に何か異常が生じれば、たちまち福井はパニッ
ク。芦原温泉は壊滅となるでしょう。
原発。反対か賛成か?
そんな危険な恐ろしい原発は反対!原発から脱して、エネルギーの見方をもう一度見直して、これ
から先、子供達が安心して暮らせる世の中の為にも脱原発!
しかし、お商売をしていて大きく原発反対に旗を挙げるのは相当の勇気がいる。知識も必要だ。子
供達の未来、本当の意味での芦原温泉の未来、福井に生かされている今、真剣に考えなければいけな
い。
ヒロインの皆で集まった時、「世の中は家畜化されている。」という話しが出た。
TPP にしても、原発にしても与えられた環境の中を生きるだけで、考える事を忘れ、疑問を持たず
溢れる情報の中におぼれている。考える事・学ぶこと・行動する事日常の中でもそうして行く事を大
切にして生きたいです。それには、良い話が出来る仲間、情報交換できる仲間、いろいろな経験をお
持ちの先生、いろいろな職種から本音を話せる仲間が益々必要になってくる。それが、ヒロイン!ヒ
ロインの仲間であと思います。
ヒロイン集会を終えて
お客様と正面から話せるようになりました。恵まれた福井にいて災害の経験のない私が(平成 9 年、
ナホトカの時は出産でした)何を話しても真実味がないないと自信を持てませんでした。お見舞いの
電話すら出来ませんでした。
しかし、集会が終わり、東京や災害に遭われたろうお客様に電話をすることが出来き、緑のお野菜
と新鮮玉子の宅配荷物を送らせて頂く勇気を持てました。
ご来館のお客様にも、地震の話をする事ができました。話さない方が∼と迷った時期もありました
が、正直に思いのまま「ゆっくりした時間を、少し無になる時間をべにやでお持ち下さい」と心から
そう言えた。
地元のご来館のお客様には、ご親戚の方で災害に遭われ福井にお越しになる方がいらっしゃいまし
たら、ぜひお電話下さい。べにやの温泉提供させて頂きます。と伝えた。芦原温泉も昭和 23 年福井地
震、昭和 31 年芦原大火でべにや全焼。そんな歴史の中、今日ある事に改めて感謝でき、今度は少しで
も応援したいからです。
全盲のマッサージ師の方に携帯は離さないように、何かあれば、べにやへ連絡するように、そして
日頃連絡できる方をもう 2 人いる方が良いね。と災害の時の話が出来ました。
当たり前の事ばかりなのですが、その当たり前の事をする勇気が私にはなかったのです。
そして、もう一つ家族と従業員との絆が深まりました。べにやでの開催を無事終えることが出来、家
族、従業員との信頼関係が築けた事も報告申し上げます。どんな状況が押し迫っても、しっかりと意
見を持ちきちんと伝えれば、皆が協力してくれるべにやである事に自信と信頼を持てました。本当に
ありがとうございました。
やまざきようこさんと
104
寄稿集Ⅱ
開催まで洋子さんの近くで、勉強出来ました。
「本当は 99%は開催するかどうか、揺れ動いてたの。でもね、1%の気持ちだけで立っていたのよ。ぶ
れない!って・・・」
命がけにならなくては本気になれない、それは、今!地球が怒っているのよ!しっかり前を向いて!
そう叫び続けてくれたのが洋子さんでした。
あの日、開催当日の 16 日準備が整ったべにやへ洋子さんが見えた時はチャンピョンベルトを締めた「や
まざきようこ登場!」そんな雰囲気を感じました。2011 ヒロイン集会。ありがとうございました。
3 月 18 日ラーバンの森へお忘れ物を届けに行くと、ログハウスに洋子さんが一人、書き物をしてい
らっしゃった。昨日までの出来事は映画だったのかしら∼と思うくらいゆっくり時間が流れていまし
た。帰り道「洋子さん。あれ、白山∼?」と電話で聞くとラーバンの森を電話を持ちながら走って来
る洋子さん。ブルーベリー畑から見える控えめな白山が最高に美しく見え生きる事の素晴らしさが感
じられ、(神様からのご褒美かな∼)
少し成長した自分に自身を持ち、また元の位置にも返らせてくれました。
考えること・学ぶこと・行動すること・勇気もいりますね。ヒロインの仲間とこれからも正面向い
て頑張りたいです。本当にありがとうございました。
105
寄稿集Ⅱ
緊急討論会を終えて
福井県
吉村みゆき
今回福井の準備委員会として参加させていただきました。3 月 11 日に東日本大震災が起き、さらに
福島での原発事故。
こんな非常事態に全国集会を開くのか、皆で話し合い集会前日まで議論してきました。
そしてこんな時だからこそ、今起きている問題にしっかりと目を向け話し合うべきだと多数の御意
見も頂き、急遽「緊急討論会」という形で開催することになりました。
当日は会場に行くまでプログラムも分からない、という状況の中で始まった討論会でしたが、交通
手段も混乱した中でパネラーの方や、県外から決死の覚悟で参加された方など、予想を遥かに超える
多数の参加者の方々のおかげで、とても内容の濃い討論会を行う事ができました。
あまりに内容が深く、しばらくは頭の中を整理出来ないまま数日が過ぎ、しかし確実に自分の中で
「今こそ行動を起こす時だ!!」という確信が沸々と湧いてきていました。
こうして今、報告書と言う形で今回の討論会で感じた事を整理してまとめたいと思います。
雨宮先生のお話の中で、有機農業の新規就農者を支えるプロジェクトとして、「ひろこのパニエ」
という活動をされているという事でした。
日本でもわずかですが有機農産物が増え、健康志向の高い人は自分や家族の健康を考え購入する消
費者もわずかながら増えてきていると思います。また、有機農産物ではなくても、私たち消費者は物
を買う時、値段や品質などを考慮して買いますが、フランスの消費者のようにその背景にある生産者
を支援する、と言う事に目を向けている消費者は少ないのではないかと思います。
私たち農家は食料に関しては生産者であり、その他の物に関しては消費者でもあります。日本には
農作物だけではなく、日本の伝統的な技術で培ってきた職人さんの素晴らしい品々がたくさんありま
すが、日常的な消費活動の中でつい、安い輸入品に手が伸びてしまいます。もし、私達消費者一人一
人が品質だけではなく、日本の伝統や技術を守ると言う意識を持って買い物をすれば、そういった産
業を守っていくことが出来るのではないでしょうか?
また農作物に置いては、自分や家族の健康を守るだけではなく、そういった農作物を買う事で、地
球環境も守っていくことが出来るといと言う視点を持てばどうでしょう?私達消費者が一人一人、本
当に必要な量だけ、自分の利益だけではなく、自分の地域を、国を、そして環境を守るためにお金を
使う、そんな経済活動が循環したら持続可能な社会を築いていくヒントになるのではないかと感じて
います。
また、ここ近年の地球温暖化と言われる環境問題の中で、表向きには、生物多様性、CO2 削減を唱
っていますが、TPP への参加や原発事故による生態系への問題を考えると、これらを並行して行う事
は不可能ではないかと思います。
TPP に参加することで益々経済優先の社会になり、日本の農山村や文化を次世代に残す事が出来な
くなってしまいます。
海外から輸入した農作物で、日本の食卓は本当に豊かになるでしょうか?
市場経済の中で常に競争を強いられ、効率の悪い無駄な物はどんどん排除されていくでしょう。そ
んな社会の中で人々の心が豊かになるでしょうか?
世界の人口は増え続けています。今まで私たち農家は中国産の安い農作物に脅かされてきましたが、
106
寄稿集Ⅱ
人口が増え続け、砂漠化が進み経済成長著しい中国は、自国の食糧確保が最優先になり輸出国から輸
入国へと転じてきています。さらに世界各地で起きている自然災害で、作物の価格は高騰。それでも
日本は本当に世界から食量を確保し続けられるでしょうか?
私たち日本人は目先の利益に翻弄され、便利、快適を求め続けてきました。その背景でアジア、ア
フリカなどの途上国から低価格で物を買い、貧困へと追い込んでいるという事実を私たちは知る必要
があるのではないでしょうか?先進国の豊かさは途上国の貧しさの上で成り立っているのです。それ
でも尚、物にあふれた日本人が経済成長を望むのか?それが本当に幸せな世界の在り方でしょうか?
経済成長と並行して進んできた環境破壊、経済成長の先にあるものを私たちは今真剣に見つめなおす
時だと思います。
そして便利で快適な生活を求め続け、人間自ら作った原発と言う脅威に、自らの生活を脅かされる
時がきました。
原発の事故は企業だけのせいでしょうか?社会で問題となって起きている事は、私達が望んできた
結果なのではないでしょうか?
だからこそ、今私達一人一人が、この事故から学び、本当に安心して心豊かに暮らせる社会を未来
に残せるよう、選択し、実行していかなければならないのだと思います。
マルク・アンベール氏の言葉の中で素敵なヒントをいただきました。
それは「分かち合う心」。経済学者のアンベール氏からこの言葉を聞けた事が、私達に託された大
きな課題だと思います。世界中の人たちと、そして地球で生きる全ての動植物と分かち合っていく事。
その先に、本当に心豊かな生活が見えてくるのではないでしょうか?
未来に何を残していくのか?今まさにその判断を迫られている時だと思います。
そして最後に、今回の会の準備から通して一番学んだ事、それは一人一人がしっかりと自分の目で
世界を見て、意見を持ち、そして行動していくという事。
私はこのような非常事態が起き、集会前日まで開催する事の意義を見つけられませんでした。「何
か行動を起こす時は、いつも命がけなんよ!そうじゃないと世の中は変わらん!」と言った洋子さん
の言葉を、今こうして振り返ってみて真に理解する事が出来たと思います。生きると言う事は常に命
がけ。このような便利、快適な社会の中で私たちが忘れてしまった事だと思います。
巨大化した企業、膨らみすぎた経済活動と言う計り知れない大きな渦の中で私達一人一人が蠢いて
いるのかもしれません。その脅威にただ吞まれているだけでは世界を変えることは出来ません。一人
一人が主体的に選択し、日本人の分かち合う心、「和」の思想に誇りを持ち、持続可能な社会を、心
豊かに暮らせる地域社会を築いていきたいです。
107
寄稿集Ⅱ
東日本大震災により被災された皆様に謹んでお見舞い申しあげます
3 月 11 日・14 時 46 分
山形県
倉田泰子
見えないものへの恐怖は、膨らんで膨らんでいつか破裂するものと、穏やかになるものとがいるの
かもしれませんが、私は今、恐ろしさでどうしたらいいのかわからずに、居直っています。放射能汚
染で外に出るときはメガネをしてマスク、帽子、手袋をするように。着ている服は家には入れない。
これらは簡単なようですが毎日のこととなると、まして、子供たちには暖かくなって外に飛び出して
遊びに行きたがるときに、マスク、帽子、手袋はつけてくれません。家の中での遊びも限界です。西
風の強い日に外遊びをさせていますが、時々脱走されてしまいます。
3 月 11 日、14 時 46 分、この日もリンゴの剪定仕事をしていました。霙になってきたので、家に帰
った直後、今にも家がバラバラになりそうなほどきしみ、立っていられないほどの大きく長い揺れで、
やっとの思いで外に出ました。いつの間にか降ってきた大きなぼた雪の中、ふらふらになりながら、
足を踏ん張って、道路のポールにつかまり、体がふり回されるのを必死でこらえ、やっと立っていま
した。目の前の見えているすべてのものがゆがんで時空の境目ってこんなのかな…と頭に浮かんで来
て…。うわーっと思っても、怖さは感じられず、あまりにびっくりすると人はこんな風になるのかも
しれません。
13 日に宮城の知人がガソリンを求めてやってきました。自宅の一階部分は津波でやられたが、家族
はみんな無事だったとのこと。まるで、地獄のようだと・・・。久しぶりで見たテレビで、被害の大
きさを見て驚き愕然としながら、自宅の 2 階部分だけでも残ったのがありがたいと言っていました。
必要としていたガソリンは品切れて、食料品もスーパーでは、保存食やパンからなくなって、次に飲
料水、調理を必要とするもの、野菜や魚や肉などはずーっと棚に残っていました。この災害で一番助
かったのは昔ながらのもの。反射式ストーブ、豆炭炬燵、豆炭あんか、湯たんぽ、手回しラジオ、ガ
スボンベ、ろうそく、そして地元のお店。寒空の中、ありがたさが身に染みました。特に地元の店は、
皆が大型スーパーに押しかける中、意外な穴場となりました。
牛乳がすべて県内産しか並びません。うれしかったです。これが一番良いかたちですもの。すべて
の交通機関がとまり、おまけにガソリンまでなくて、福井まで行けません。
荷造りも心配で、送るばかりにしているのに、余震も気になるし、原発はもっと心配。こんな時に
家を空けられないし、頻繁に入ってくるメールで、地元の人たちの慌ただしさ、緊張感が伝わり、行
かなくっちゃ!でも…。ためらっていると、主人が言ってくれた。
「車で行って来い!」農機用に取り置きしておいたガソリンを入れ、新潟まで持てば何とかなる!と
出発。行ける。走れば、走るほどすれ違う車は緊急車両や救援物資を積んだ車。行ける。行くんだ!
の気持ちがだんだん萎えてきて、逆方向に向かう自分が恥ずかしい。
後ろめたい…どんな言葉で言い表したらいいかわかりませんが、とうとう途中で帰ってきてしまい
ました。息子のお嫁さんの実家と連絡が取れ、水とガスが止まり、灯油もないというので準備をし、
新鮮な野菜や食料品を買うのに入った店では、18 日からのお彼岸入りのための買い物をする人たちで
108
寄稿集Ⅱ
混雑していて、原発の不安は買い物かごからは少しも感じられませんでした。
地震と津波と停電の話は出ても、原発の不安は隣の県の話で、県境には山があるから大丈夫と全く
気にしていません。「中国の人は、本当のことを言われても信じなく、日本人は嘘を言われても信じ
る」全くその通りの国民かも・・・。
被災地に手を差し伸べる義捐金を送るといわれているが、もう一か所、原発の中で頑張ってくれて
いる下請けの方々と、家族の皆さんに最大級の感謝を送りたいです。できるなら、給料をいっぱいも
らっているお偉いさん方「あんたたちがやれよ!」といいたい。還暦を迎えたものがいう言葉ではな
いのですが、この方々は被爆の恐怖と闘いながら仕事にあたってくださっています。待っているご家
族のことを考えるととてもつらいのですが、この方たちのおかげで、今もこの地で生活できています。
ありがたいことです。
出荷制限が出ている茨城の野菜農家の友人の話です。12 年前の JCO 臨界事故のとき、被害補償をも
らえたのは、農協出荷の人達だけだったとのこと。その経験、教訓から早めの準備をよびかけている
そうです。具体的な記録を残す。日付の入った写真、面積、平均市場価格と実際の販売価格などです。
経験した人たちでないとわからないことですね。心しておこうと思います。
先日、宮城県の亘理に行ってきました。友人のお見舞いです。海に近いこの町も被害を受けました。
中のものは壊れたりしたそうですが、家は何ともなく、その地区は津波には会いませんでした。が、
隣の地区に足をのばすと、田んぼには風に飛ばされてきたようなごみが少し多いかなと思っていると、
やがて大量のごみ。木、草、ビニール、プラスチックや車まで。川の中にもごみと泥と砂。そして、
車や小型の船、枯れ木。住宅地には飴のように曲がった鉄骨。基礎だけになった家々。鉄骨 3 階建て
の家は 3 階がかろうじて残り、川の側の道路は波打って崩れかけ、堤防の川側は何ともないのに、住
宅側はところどころえぐり取られ、ほんの 30 メートルほど離れただけで、かろうじて家は流されずに
済んだ人たちが片付けをしているのを見たら、津波の後をみにきている自分が恥ずかしくなって、急
いで帰ってきました。
109
寄稿集Ⅱ
報告書
広島県
梶谷きよみ
東日本大震災に原発と胸が潰れる思いがします。なくなられた方々のご冥福と被災された方々が一
日も早く日常を取り戻され事とを心よりお祈り申し上げます。
わが息子も中古のスクーターやバイクを集め被災地まで運んで行くと出て行きましたが、帰えって
来ません。それぞれに出来る事を精一杯やっています。
全国集会は毎回東京で開催されていましたが、今回、「もう地方の時代」と言う事で、福井で開催
しようと決めました。福井のおけら宿には田んぼと山と自然があります、そして生きることを学び行
動する事、女性の価値観を作り上げていく場である事、だから福井で開催することにしました。
しかし 3 月 11 日の東日本大震災で開催するかどうかを毎晩話し合いました。
「こんな時だから開催しよう」
「こんな状態で開くことは出来ない」
もめにもめ何日も話し合い緊急討論会という形になりました。計画時は 100 人の規模の予定が申し
込みは 200 人近くになり、形を変えての開催で約 100 人の参加者となりました。準備に関わった人達
の努力は書きつくせません。ご協力ありがとうございました。
「こんな時だからこそ」の討論会は素晴らしい会になりました。
大会ではこんな発言もありました
「なぜ原発を黙ってみているのか、日本人はへんだと思う事に行動する力が欠けている」
「国が守ってくれるなんて思っていない、私の責任の下にコミュニケーションを作り、私は今どうし
て生きてゆくか、私は何を出来るかを考える」
政治家や官僚達に先を見据えて欲しい。経済一辺倒でやってきて、多くの人が反対を表明した原発
が最悪のシナリオをたどっています。農産物の輸入自由化などとんでもない事です。
私が嫁に来た 37 年前は冬に山仕事があり、山の掃除と薪作りがありました。薪で風呂を沸かしてい
ました。それが今ではスイッチ一つ。振り返ってみれば、私の世代のしてしまった事の大きさに驚き
ます。
各国を回って歩いた井上和治さんが「自転車で歩ける範囲で衣食住がしたい、風土にあった食事を
し、風土にあった生き方がしたい」と言っていました。今の生活の中で見直すことがいっぱいです。
この災害は、日本人として忘れかけていたものを教えてくれるでしょう。人と人の和、力を合わせ
ること、分かち合う事、経済一辺倒で着たことの先はこういうことだったこと。
何処でもいい、誰にでもいい、自分達の社会で自分達の声を上げましょう。
TPP 反対!原発反対!
東京電力も政府も経済一辺倒で走り続けた半世紀を検挙に反省し、私達農民そして女性達が農業にほ
こりを持って、農作物を作って行ける世を作りましょう。
110
提案
フランス財団への
東北関東大震災による被災農家支援プロジェクト
2011-04-13
HUMBERT -雨宮裕子
(アンベール‐あめみや
ひろこ)
日仏会館、フランス在外現代日本研究センター研究員
フランス、レンヌ第 2 大学、准教授
〒255-0003
神奈川県大磯町大磯 1102
tel/fax : 0463-71-6596
エールルージュ大磯 306
[email protected]
1)被災農家受け入れ先探しの応援
2)交流村の開設
2011 年 3 月 11 日の東北関東大震災で日本は戦後最大の危機的状況にあります。殊に、地震による家
屋の倒壊、津波による塩害、それに追い打ちをかける原発事故で、復興への展望が描けない被災農家
が大勢います。援助物資を持って訪れた福島では、農家の方々が、「危険と頭で解っていても、心が
それについていかない。家に戻りたい。畑仕事がしたい。」と話してくれました。被災農家にとって
必要なのは、金銭的援助だけではなく、長期的展望に立った生活再建への、力強い励ましでしょう。
震災の教訓を生かし、それを土台に、新たな目標へステップするような計画こそ必要です。「まず生
活の場を確保し、それからより大きなヴィジョンに向かって再出発」という未来のある支援プロジェ
クトを考えてみました。段階を踏んで、支援を続けて行けるよう、プロジェクトは今すぐ実現したい
企画 1)と、長期的展望に立った企画 2)の二つに分かれています。
1)被災農家受け入れ先探しの応援
避難所で暮らす被災農家は、一日でも早く、農作業にとりかかりたいと望んでいます。その一方で、
援助の手を差し伸べたいと考えている農家があります。両者の橋渡しをするのが、即応型の支援です。
NPO「田舎のヒロインネットワーク」内に、対応係りを設置し、被災農家の希望に出来るだけ沿える
よう、受け入れ農家を探します。条件の交渉や、援助の手配など、人と人をつなぐ役割を対応係りが
引き受けます。
震災の影響を受けなかった地区の農家から、受け入れの申し出が、出てきています。地方の自治体
が、過疎の村を活性化する方策として受け入れたり、空いている町営住宅を提供したりしています。
放棄地の耕作依頼という案も出ています。そのような情報を被災農家に伝え、受け入れ期間や条件を
合わせるお手伝いを、対応係りがします。「田舎のヒロインネットワーク」は農家の主婦を主体とす
る NPO で、農村部に広く人の輪が広がっています。メンバーが足で情報を集め、きめ細やかな支援を
みんなでしていきます。
受け入れ申し出は、日本だけでなく、フランスからも来ています。被災農家支援を私がフランスの
ブルターニュ地方を中心に流したからです。レンヌ市近郊の有機農家や、サンマロの野菜生産組合が、
受け入れを申し出てくれました。中には日本人の奥さんがいる農家もあります。ヴィザの問題さえ解
決できれば、進展地で働いてみるのもいいのではないでしょうか。期間は 3 カ月から、半年、1 年の単
111
提案
位で考えます。滞在のあいだ、日本人同士の交流、日仏間の交流を定期的に行えるようにします。こ
れも、当座の対策です。
2)交流村の開設
交流村の開設は、農民交流・市民交流を目指す、より大きな、長期的支援プロジェクトです。被災
農家を受け入れる新しいコミュニティを作ります。「田舎のヒロインネットワーク」のメンバーがす
でに 2 か所候補地を申し出てくれました。福井県の三国町と滋賀県の大津市がそれです。さらに、九
州にも交流コミュニティの開設を構想中です。
交流村は、被災農家が新しい土地の農業を学びながら、生活再建への知恵と英気を養う場所です。
広い農地に生産拠点だけでなく、カフェ、レストラン、子供広場などを作り、開かれたみんなのコミ
ュニティにします。農家だけでなく近くの町の住民もやってきて、楽しみ、交流する広場です。被災
農家の痛みを農家だけのものにせず、環境に優しい農業のあり方を市民全体で考える拠点として、ま
ず国内に数か所開設します。
交流村を将来はブルターニュにもつなげます。ブルターニュなら酪農が学べます。酪農は、日本に
はまだなじみの薄い生産活動で、被災農家には、とても有意義な経験になるでしょう。りんごの木の
下で牛が草を食む牧場は、日本の農民にとって、自然の豊かさ、平和を示す、あこがれの牧歌的世界
です。ブルターニュで有畜多品目栽培の農業を学んだり、パン作りやチーズ作りを学ぶというのは、
日本の農家に夢を与える支援プロジェクトです。全てを失い、故郷に二度と帰れない被災者には夢が
必要です。フランスに交流牧場を開設する夢は、被災農家の心のケアになるでしょう。夢があれば、
生活再建への力が湧き、立ち上がることが出来るはずです。
フランスでは、NPO「国境なき農業」、NPO「BIO カルチャー」が協力を申し出てくれました。フ
ランスの農業も工業化、集約化が進み、家族農業がどんどん減っています。この試練を契機に、日本
からフランスへ、農民交流を発展させるのは、意味のあることではないでしょうか。このプロジェク
トは、人の輪を世界に繋げる試みの第一歩です。
《フランス財団被災農家支援プロジェクトが出来上がるまで》
ヒロインのみなさん
雨宮です。
ちょっと長くなりますが、フランス財団向け被災農家支援プロジェクトが、どうやって出来て来たの
かをお話します。
芦原温泉での緊急集会は、TPP 問題から福島の原発事故へ、テーマが大きく変わってしまいました。
原発が一基吹っ飛ぶと、有機農業も産直運動も、一瞬にして終わりです。原発の前にはまったく無力
です。私は、足元をすくわれた思いで帰りました。
東京では、日仏会館のフランス在外研究センターは、すでに活動休止状態でした。フランスから、と
っくに帰国指示が出ていて、みんなフランスへ帰ってしまっています。夫も、パリの研究センターへ
行くことになり、18 日に日本を発ちました。フランスでは、新聞もラジオも日本のニュースで持ち切
りです。上空を福島の放射雲がいつ通過するのかという話も出ています。フランスの友人、知人たち
から、安否を気遣うメールがどんどん届きますが、答える気にもなりませんでした。
「どうしたら日本の被災農家を救えるか、どうしたら日本の農業を救えるか」そればかり考えて、ま
ずレンヌへ行くことにしました。レンヌ市は仙台市と 40 年来の姉妹都市です。行政や友人が手を貸し
112
提案
てくれるだろうと思いました。「ひろこのパニエ」の産直仲間や、友達の農家が近くに散らばってい
ます。
でも、レンヌに来て、すぐにプロジェクトを立ち上げた訳ではありません。
最初は農場探しから始めました。貯金で買える農場があったら、そこに被災農家を受け入れられると
思ったのです。ブルターニュは農業圏で、田舎の中古民家なら、結構広い土地付きがあります。ただ
し、フランスでも農業者でないと農地は買えません。だから、新規就農の長男を巻き込んで、お兄ち
ゃんの家族用と言う名目で田舎の不動産屋で物件探しをしました。
すごいのがありましたよ。7ha の馬の放牧場とプール付きの 17 世紀の家とか、夫婦が離婚するから一
部譲るという 60ha の農場とか、慈善団体が所有するお城とか。
でも、田舎回りは二日で止めました。ほんの数日で見つかる物ではありません。もっと、現実的な方
法を考えなければと思い直し、作ったのが被災農家支援プロジェクトです。それをもって、市長に会
ったり、NPO の責任者に会ったり、農業組合へ行ったり、ネットや雑誌でも支援を広く呼びかけまし
た。
そうしたら、どんどん反応がありました。「家で受け入れるよ」と申し出てくれる農家がメールをく
れます。中には、ブルターニュの農家に嫁いで、自然農法をやっているという長野のリンゴ農家出身
の日本女性もいました。農業見本市の手伝いをしているれい子さんからもメールがとどきました。ブ
ルターニュにも、ヒロイン予備軍が結構いるのです。3 つ星シェフのロランジェさんも海の見える畑
を3ha 貸してくれるというし、米作りに協力してくれるという農業大学の先生も連絡をくれました。
そして、私のプロジェクトはいつのまにか、フランス財団の緊急支援対策係にも届いていました。そ
こに転送して繋げてくれた仲間がいたのです。財団のスピッツ氏から、説明に来てくれと声がかかり
ました。
スピッツ氏は日本を知りません。いつも、ハイチだ、ソマリアだと発展途上国への援助に奔走してい
て、日本が対象になることはなかったからです。自身は AMAP(農民農業を支える会)のメンバーで、
私がようこさんにも協力してもらって出版したばかりの『Teikei から AMAP へ』(和訳)を、読み
たいと思っていたところだと言います。幸運な出会いでした。
日本への緊急援助は農業、高齢者、子供の 3 本柱でやるが、できれば地元で動いている NPO に援助金
を降ろしたいと言います。そのほうが、うまく、速やかに支援が届くからとのこと。私の最初のプラ
ンは日仏交流牧場を目指しています。スピッツ氏は、被災農家をフランスへというのは、篤志家の目
にはよく映らない恐れがあるので、まず国内で支援体制を整えるプロジェクトに修正してみてはと言
います。援助申請には、財政計画、実行プランなど、いろいろ書類をそろえなければなりません。そ
れを 4 月末までに届けるよう言われました。そして、日本有機農業研究会からも提案が出ているので、
会って話し合ったほうがいいとのこと。
それで、帰るそうそう山崎夫妻に相談。フランス財団用にプロジェクトを修正し、日本にいくつか交
流村を作るプランを立てて、一之さんと「ヒロインネットワーク」の協力をお願いすることにしたと
言う訳です。
ところで、日本有機農業研究会の理事である久保田裕子さんも、実はヒロインの会員なのです。私が
ずっと以前、久保田さんを誘って、山崎家に逗留したことがあり、一緒に会員になりました。久保田
さんは、被災農家を受け入れて新しいコミュニティーこと「交流村」を作るというアイデアに賛成し
てくれました。日本有機農業研究会にも、いくつか候補地があるそうです。それで、プロジェクトは
一本化し、久保田さんたちは有機農研のネットを基盤に交流村をいくつか実現してくれることになり
ました。
現在、私のところには、原発 20 キロ以内の区域から避難して来ている人の情報が少しずつ入って来て
113
提案
います。放射能汚染を測定している市民グループとも連絡がとれました。ヒロインネットと市民ボラ
ティアの手を借りて情報を集め、フランス財団の支援を得て、被災農家を支えていけたらと思います。
人と自然の息の根を止める原発は NO です。それがなくても暮らせる社会を目指しましょう。被災農
家に少しでも早く元気を取り戻してもらいたいです。彼らが怒りをこめて原発は NO と言える日が来
るまで、私はヒロインのみなさんと、この支援プロジェクトにじっくり取り組んで行くつもりです。
114
提案
田舎のラピュタ
滋賀県
グリーン作戦
趣意書(声明文)案
岩田康子
3 月 11 日に起こりました、東日本大地震による多くの犠牲者・被災者の方々に心よりお悔やみとお
見舞いを申し上げます。日々伝えられる災事の大きさに正に言葉もありません。しかし混乱のなかに
も強く生き抜く人達の姿や声を聞くたびに、今、生命を与えられている奇跡を信じようと思います。
そして「私達に何ができるのか」慎重かつ迅速に考え行動する必要があると思います。このたびの
津波と放射性物質汚染により失われた農地は、6 県で 2 万 4000ha といわれています。一方で、私達が
暮らす農村にはかねてより限界集落と言われる地域や耕作放棄地と呼ばれる土地があります。現在の
農業就農平均年齢は 65 歳と言われ 70 歳以上の人たちの農作業によって成り立っており、今後の日本
の農業は崩壊寸前の状況です。しかし今回被災された人々の中に、農業に携わりそして農地を失った
方も多くおられると考えています。このことを鑑みて、残されている日本の農地を復興させ、荒れ果
てた農地に新たな人たちに加わってもらい、緑萌える豊かな農村を誕生させる災害復興のヴィジョン
を提案します。
今回の災害で家屋を失った方々が数家族で移住し、現在の地域の人達と共にコミュニティを作って
いき、私達が見失ってしまった「3 世代家族チーム」がもたらす「家族力」と「コミュニティ力」によ
って、学力・体力だけでなく社会性のある子供を育てる。奇しくも上杉鷹山が農業と教育で藩の立て
直しを果たしたように、私達は今こそ経済効率性という名の大きなクレーンで高きに登ることを目指
していた現実を反省し、先人に学ぶ時が来たと思います。日本のこの豊かな大地にしっかりと足をつ
け、私達の手で私達の食料を青々と育て、子供達を育くみ、汗し生産することを喜び、老人たちを看
れる社会を今こそ作りましょう。
このことを実現するにあたり次の通り要項を作成いたしました。
115
提案
要
一
項
耕作放棄地と化している農地(5 年以上耕作せずに放置している農地)の地権者は被災者
の家族支援のため、3 年間農地を無料で貸し出す。
一
2 年後には移住後 3 年経過した後も継続して営農したいか移住者に意向を聞き、希望者に
は農地の売買等の相談に応じる。
一
受け入れる地域の空き家や使用頻度の少ない施設(廃校等)の有効利用を考える。
(仮設住宅を建てる費用を農業支援にまわす)。
一
地域の学生達を中心にした応援ボランティアをつのる。
団塊世代リタイア組、田舎のヒロインネットワークに参加を呼びかける。
一
小さな雇用を進めて、その総力をもって地域活性化を図り地域コミュニティーを作る。
一
このプランは国の政策として位置づけ、各県、市町村など行政の関与する中で、地域中心
に行う。
116
提案
農林漁業を存続させる、バランスのとれた日本の国づくりの提案
福井県
やまざきようこ
国土を守り、安心して暮らせる国民の生活を熱望する国民のために、経済最優先の突出した国家計画
だけでなく、地域においては農林漁業を存続させるバランスのとれた日本の国づくりをするための提
案
激変する社会の情勢の中で何を目指したらいいのか?
いつかはと予期していたこととはいえ、突然起きた地震・津波による東日本大震災と、それによる
福島第一原発の 1 号機から 4 号機までの事故と放射能漏れ。先の見えない状況の中、あまりにもめま
ぐるしい政策転換で、あきらめ、悲観しがちな状況が現場に漂っています。
しかしながら、日本全土には桜が咲き、李がレンギョウが雪柳が美しく咲き、雀やカラスが鳴き、鶯
が鳴き、雲雀がさえずり、日一日と暖かな陽射しの春がやってきました。
今年一年の私たちが安心して暮らすことのできる食べ物を作るために種を播き苗を植える作付けの
季節です。
大地を耕し、食べ物を作り、自然とともに生きる農林漁業の暮らしは、経済性を越えたこれからの
時代に大切なことを教えてくれます。
土地を耕し守り維持する力、農業の持つ環境力、人の心を育てる教育力、健康な身体を作る人間力、
農林漁業は国を支え、国土を守り、人が生きていくためにはなくてはならない職業です。これらはそ
こに住む人がいなければ何にもなりません。
TPP により関税が取り払われ、農林業が今まで以上に自由化になって、農産物も、労働力も限りな
く 100%に近い自由化になったら、世界各地の安い農産物が押し寄せ、国内農産物との価格競争になり、
消費者の国内農業や農産物に対する理解と応援が無い限り、日本の農林業は成り立たなくなってしま
います。田畑は今以上に放棄され、野山は荒れ放題。海外から安い労働力が入ってくれば、日本の若
者たちの働き口は今以上に少なくなり、大勢の人たちが地域で生活することが成り立たなくなってき
ます。
いずれ将来的に、世界の動きが TPP のような連携を必要とし、高レベルの経済連携を強化し、国を
解放するという流れを日本が受け入れざる得ないときがくるにしても、現在においては即急すぎです。
今大切なことは、人々の暮らしに必要な食べ物を作る生産基盤と、そこで働く人々の受け入れと、
それを作る農林漁業者の生活を維持すること。山や海や野の環境を守り、国民の安全安心な食と暮ら
しが成り立つシステムを整えることです。そのためには、農林水産業が、食料を生産し国民の生活を
支え、山や川や海の環境を守る大きな役割を果たし、安心して飲める水や、空気、魚介類の泳ぐ海や
川を大切に維持することを理解し、そこに税金が使われることをよしとする国民的な合意と世論形成、
意識向上の教育をする必要があります。
今回の大災害で、物資の不足、食料の不足などを理由に、国民の十分な話し合いをなくして TPP の
話し合いを一気に進め導入しようとする経済界をはじめとする政治や社会の動きを危惧します。
この大震災と原発事故を機に、日本の人々の食の在り方、暮らしの在り方、エネルギーの在り方、
使い方を見直し、国民のライフスタイルの変更と原子力発電から自然エネルギーへと国のエネルギー
政策の転換が必要です。
田舎は自然エネルギーの宝庫です。あふれる太陽と、みどりと大地があります。自然からいただく
力をエネルギーに変えて発電し、自立することができます。太陽光発電、バイオマス発電、風力発電、
地熱発電、など自然エネルギーの開発研究を進め、実現し、各地域で暮らしの在り方を見直し、今ま
117
提案
での電力のシステムと法律の在り方を変えていくことが必要です。
私たち農林業に関わる NPO 田舎のヒロインは都市や町に暮らす皆様に対して、遊休地を活用して生
活の中に農的な暮らしを取り入れたライフスタイルへの変換、政府に対しては地球の自然環境、生活
環境を破壊し、人知の手に負えない原子力発電から持続的な環境を維持できるような自然エネルギー
への即急な政策転換を要望します。そのための社会システム、政治システムの変換と再構築を求め、
可能なことを提案いたします。
農業者はいまや日本の全人口の 2.5%。環境を維持し、食べ物を生産し、国土を守るための技術者集
団ともいえます。そのための専門的な勉強が大切なことは言うまでもありませんが、地域のお年寄り
の知恵を生かす工夫を取り入れ、人が住んで経済がまわり暮らしが成り立つための地域システムを作
り、自立できるようにならないと田舎は存続してはいけません。
単に存続させるだけでなく美しい日本の農村風景や環境を維持し、都会の人々に誇れる心のふるさ
とにするために、人が住んで都会と田舎の人々が交流し、学生や子どもたちが訪ねたくなるような田
舎を作ることが必要です。
ヨーロッパ先進国が GDP1%とか 2%という水準なのになぜ農業が大切にされているのか、今度の震
災を機に、日本ではお金に換算できないものの大きな価値について大切な問題をもっともっと国民的
に議論する必要があると思います。美しい田舎を作ることによって地方の農林業の再生を目指すこと
ができます。
そのための提言をいたします。
(1) ‒A 農山漁村は自然エネルギーの宝庫です。地域での自然エネルギーの研究開発を促進する。太陽
光発電、風力発電、地熱発電などのほか、農業における畜産廃棄物や植物残さを利用したバイオ発
電や温泉地帯の温泉熱の利用。田んぼの用水は日本の農村を網の目のように張り巡らされています。
小さな力かもしれませんが勢いよく流れる用水の流れを利用した水力発電が可能になれば、村むら
の中での電力自給が可能になります。電力を地域で自給し利用できるようになれば、電力の使い方
や暮らしの在り方がおのずから変わり、法律を改正することによって余った電力を市販の電力料金
以上の価格で電力会社が買い取ることにより維持できるようになります。
(1) ‒B 菜種やトウモロコシなど、油をとることのできる作物をを遊休地に作付けることにより、バイオ
エネルギーに変え、石油など農機具や自動車のガソリンに代わるエネルギーの研究・開発・促進を
する。遊んでいる遊休地が利用され、畑が維持され、地域の景観を守ります。
(2) 地産地食・地域流通を基本とする家庭はもとより、地域の学校や病院、施設など地域の農林漁業と
食の流通の在り方の提言
(3) 学校給食における子供たちの食材は、基本的には地元の食材を中心に使い、地元の商店や、農業者、
業者のものを使う。そのことによって、地元の農家、商店に支払われ地域の経済が潤う。食材は出
所が確かなものとなり、子供たちはより安全安心な給食を食べることができる。給食を通して地域
の農業や商業をより身近に学ぶことができる。また、病院や各施設の食事も地元の食材使用を中心
にすることを進める。
(4) 公共の職業に就く公務員や JA、学校、幼稚園、保育所など各自治体の教職員は基本的には地元の商
店で日常の買い物をすることを基本とする。そのことによって地域の小さな経済と人の輪が動く。
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提案
(5) 「農山村で休暇を!」グリーンツーリズムを農山村の空気環境をや水や緑の資源を維持し、守る国
防と位置づけ、中山間地の日本型グリーンツーリズムの徹底とシステム化。
中山間地に人が住んで生活できるように合併浄化槽や上下水道の整備をし、農家民宿や農家レスト
ラン、体験農園などの取り組みを応援し、都会から人が来てゆっくり滞在でき、お互いに交流し、
助け合えるようなシステムを村や地域で取り組む。企業や学校、公務員に呼びかけ、1 週間から 10
日間のゆったりした休日の過ごし方を提案し農山村で休暇を過ごしてもらう。企業は社員の、教育
委員会および、学校は教職員のそういう休暇の取り方を応援する。そのことによって企業で働く人
達の心身のストレスを取り除き、子どもたちや夫婦や家族の関係を見直し家族のリフレッシュをす
る。滞在中の買い物や食事は村の中の商店やレストランを利用する。都会の人と村の人との交流を
通してより深く、農業や食べ物、中山間地の環境を知ることができる。
(6) 農家がグリーンツーリズムで農家民宿や体験農場を運営・経営する技術や能力を身につけるための
勉強をし、調理師や経営簿記パソコンなどの技術を身に着け、資格を取る。県の生活改良普及員な
どのアドバイザーになれる指導者の人材を養成する。
(7) 企業は農山村で休暇を過ごす社員の家族に滞在費の応援を。社員のストレス、心身症からの開放と
心身のリフレッシュを。自治体は子どものいる家族に子供たちの滞在費の応援を。
(8) 中山間地のお年寄りの家族にも農業が続けられるような若者の農業ヘルパーの要請と育成。一般の
大学に広く若者を募集し、草刈機、チェンソー、トラクター、コンバインなど農業機械の資格がと
れるようにし、全国の農村に派遣。農業ヘルパーで生活できるようにする。若者の希望者が 5 年な
ど年数を区切って農業への自立支援ができるようなシステムを作る。
(9) 国民に田畑や中山間地の農林業を維持することによって国の基本の環境が維持され守られていると
いうことを理解してもらうよう発信し続ける。新規参入者の窓口をもっと広げ、地域ぐるみで応援
できる体制をとる。
(10) 生産者と消費者が顔を合わせ農産物を通して語り合い、売り買いし、農産物の背景や作り方を知り
お互いに理解しあえるような出会いの場、例えばフランスのレンヌのようなマルシェを都会や地方
都市に仕掛ける。
(11) 都市近郊の遊休地を活用し、都市の人たちが自分の家族の畑を持って野菜や果物や花などを休日を
利用して作り、たとえば、ドイツのクラインガルデンのように、家族で楽しむことのできる小庭畑
を持ち、生活の中に農のある暮らしを可能にし、ライフスタイルに農的な部分を持たせることがで
きるようにする。指導は県の普及員 OB や JA の OB、OG であったり、農家のお父さんお母さんで
あったり、町の人と農山村の人たちの交流の場となるようなシステムを作る。
(12) 大学生が農家林家を手伝い、自然の生活を体験し、共同生活を共にすることによって、生きる力や
知恵を学ぶことができる。農水省と文科省が連携しあい、そのために農山村体験実習をカリキュラ
ムの中に組み込み、授業の一環として単位を取得することができるようなシステムを作る。
(13) 小学校の子供たちには生きる力を身に着けるように生活科の授業の充実。そのための先生方の指導
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提案
養成。
(14) 先生方は大学を卒業し、そのまま教職員となるため、生活経験が少ない。そのため、夏休み、春休
み、冬休みなど学校を離れて、一週間以上の様々な職業の生活体験や社会体験を義務付ける。教師
自身の生きる力をはぐくむことを必要とする。そのための社会体験をシステム化する。
今後の国の在り方として、経済の強いものが一方的に空気や水や自然の資源を使って儲け、環境汚染
を広げていくのではなく、空気も水もあらゆる自然のものは生きとし生けるものが分かち合い、維持
し守る仕組みを考える必要があります。平和な安定した美しい国に起きた災害・原発事故は人の手に
負えない天災と人災ではあるが、これに、黙することなく、経済一辺倒からの政治システムから脱皮
し、都市と農山漁村に住む人々が分かち合いながらより安心して暮らしていくことのできる社会へ変
えていくことが大切です。
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失われる故郷
ヒロイン緊急集会に寄せて
やまざき ようこ
おわりに
3 月 16 日、 ヒロイン緊急集会開催の日、3 月も半ばというのに、
外には雪がちらついて、会場の福井県あわら温泉の老舗・べにや旅
館の日本庭園は真っ白な雪化粧。懐かしい兼六園の冬の雪つり風景
に勝るとも劣らないうつくしい雪景色でした。
あれから今日でちょうど一か月。
李の白い花が風に舞い、枝いっぱい淡いピンクの山桜が開き、雪
柳の小さな白い花がしだれ、レンギョウの黄色がまばゆい美しさを
放って、足元の山道には紫のたちつぼ菫がかわいらしげに首をかた
げています。雲雀がさえずり、雀が鳴き、カラスが仲間を呼び、鳶
が舞う、まるで桃源郷のような日々。我が家を含め、日本の農山漁
村の美しい風景はおとぎの国のような美しさ。
この美しい農山漁村の多くが東北地方から関東にかけての太平
洋岸を中心に、3 月 11 日、14 時 46 分、多くの人々の命とともに一
瞬にして失われてしまいました。震災後 1 か月を前にした 4 月 10
日の福井新聞では、行方不明/死者の数 27,836 人を伝えています。
その日、私たちは平和な暖かい時間を過ごしていました。
べにや旅館でのヒロイン集会の食材や夕食のメニューの打ち合わ
せを終えてほっと一息。申込み参加者も 3 月 10 日 187 名。そのう
ちの宿泊希望者が 120 名、夕食参加者は 135 名。これ以上申し込み
があった場合はお断りしなければという状況にもかかわらず、事務
局の申し込み電話は鳴りっぱなしでした。
この日の午後、お客様を牧場にご案内する約束になっていました。
おけら牧場の朝食の卵や、お風呂上がりの牛乳を召し上がったべに
や旅館のお客様が、牧場を訪ねてみたいと興味を持たれたとのこと。
おそい昼食を兼ねて、お客様を案内して、おかみさんと私たち夫婦
は三国名物のおろしそばを食べに行きました。
五日後のヒロイン集会に来られる参加者の街中散策のシュミレ
ーションをかねて、町おこしのきたまえ通りを案内し、東尋坊、安
島、雄島の風光明媚な海岸沿いに車を走らせたときのことです。
急に夫が車を止め、路肩に寄せて言いました。
「おい、地震警報だ」。後ろの車も道路わきに車を寄せました。
「本当かしら?」皆は半信半疑でした。
カーテレビでは地震警報を伝え、そのあと、大津波警報が。皆はか
たずをのんで小さな画面を見つめました。それからわずかの間に画
面が大揺れになって、地震がやってきました。マグネチュード 8.8。
この数字はなぜか後日 9.0 に引き上げられ訂正されます。
信じられないくらいの大きな地震と大津波。思わず眼前の海を見
つめました。いま、海が口をあけて家を、建物を、人を、車を、
飲み込んでゆく様子が目に見えるようでした。今あるすべてを波の
中に奪い去っていく自然のものすごさ。ここにいる私たちにもいつ
起こりうるかもしれない現実に、急いで家に戻り、ラジオに耳を傾
け、事の大きさに言葉もありませんでした。明日からすべてが震災
の中での人命救助と、生活支援と片付けと、災害復興とに向けて日
本の社会が動きだす。なおも揺れ動く大地の上に立って、自然の災
害と現実とのそれぞれの戦いが始まりました。
あくる日、追い打ちをかけるように福島第一原発の 1 号機が水素
爆発による原子炉建屋が吹き飛んで、放射性物質が放出したことが
報じられ、まるでモグラ叩きのように 2 号機、3 号機、4号機、次々
と人知を超えてむき出しになる原発事故と放射能汚染のマスコミ
報道が続きます。いつかはこんな日が来るとわかっていても、そん
なことはありえないと、目をつむり耳を閉ざし、電力会社の言うが
ままエネルギーをふんだんに使い、原発は安全だという言葉を信じ、
欲望の赴くままに便利で快適な生活を求め、暮らしの在り方の軌道
修正をできずに、この日がやってきました。
自然はなんという手痛い報復をもたらし、人の技術の限界とおご
りを見せしめにしたのでしょうか。原発から漏れ出した放射能は、
空気を汚し、水を汚し、大地を汚し、もはやそこには人の住むこと
のできない土地に・・・。
パンドラの箱を開けてしまった日本人はそれでもなお経済とい
う名の魔物に引きずられ、止める手立ての見いだされない原子力発
電を続けて、これからも振り回されていくのでしょうか?それとも
事故の反省に立ち、世界に向けて呼びかけ、循環する自然のエネル
ギーの開発へ早急に方向転換できるのでしょうか?一瞬に失われ
る日常の語らいや、幸せな暖かな日々。家族が安心して暮らすこと
ができる日常を守るために地域があり、社会があり、政治があり、
経済があるのです。
これだけは開けてはならないと神が人類に与えたパンドラの箱。箱
の中に詰まった、人知を超えて独り歩きしていく欲望と技術。原子
力や遺伝子組み換え・・・。パンドラの箱の中に最後に残された希
望。その希望は、私たちの手で探り取り出さなければ。後に続く子
供たちや若者たちのために、それが今生きている私たちに托された
ことなのだから。
今、ここでできることを、できる人たちと大切なことをやり続け
る、その中からそれぞれが小さな希望の光を見出すことができるか
もしれません。それを伝え行動に移すこと。ここに集まった一人一
人の小さな力の積み重ねが、やがては社会を変える大きな力になる
ことを願って、ヒロイン集会を緊急集会に変えて開催することに開
催することになったのです。亡くなられた方々のご冥福を祈っ
て・・・。
田舎のヒロインわくわくネットワーク全国集会(緊急集会)2011
実行委員会メンバー(福井チーム)
(順不同)
やまざきようこ(おけら牧場)/相模桂子/奥村智代(べにや旅館)/梶谷き
よみ(梶谷農園)/近藤英子/稲澤エリナ(なばたけ農場)/吉村みゆき(吉
村農園)/長田奈津子(長田農園)/鶴さかえ(鶴農園)/朝倉雪(朝倉梨栗
園)/小林幹子/後藤ひろみ(たねと、はっぱ)/田中千賀子/林敬子(きっ
ちょんどん)/橋本一恵/松村かなこ(おんまえプロジェクト)/源藤一代(ptp
inc.)/吉村恵理子(ptp inc.)
田舎のヒロインわくわくネットワーク緊急集会 2011 報告書 発行 2011 年 4 月 発行者 NPO 法人田舎のヒロインわくわくネットワーク (田舎のヒロインわくわくネットワーク全国集会 2011 実行委員会) 〒913-0062 福井県坂井市三国町陣ヶ岡 26-10-15 [email protected] www.inakano-heroine.jp