上亓島ネットワーク形成計画 報 告 書

亓島列島の文化的景観と住生活の調和・保全ネットワーク形成に関する研究
上亓島ネットワーク形成計画
報
平成22年 3 月
長崎国際大学人間社会学部
細田亜津子
NPO 法人
サンミック出島
告
書
はしがき
本報告書は、
平成 20 年度~22 年度の 3 年間の科研研究費助成研究の取りまとめの一つであり、
21 年度分の研究成果の一つである。
研究課題:
「世界遺産候補亓島列島の文化的景観と住生活の調和・保全ネットワーク形成に関する研究」
研究代表者は左海冬彦、国土交通省国土技術政策総合研究所、住宅研究部計画研究室であったが、
途中より左海冬彦が省内転属のため、研究分担者であった長崎国際大学細田亜津子が研究代表者と
して引き続き実施したものである。
平成 20 年度より NPO 法人サンミック出島(以下サンミック出島)には、「IT を用いた市民レ
ベルのネットワーク形成について」
(20 年度報告論集 36 頁)で協力してもらっている。
21 年度は、上亓島のネットワーク計画についてサンミック出島には引き続き協力依頼し、サンミ
ック出島が中心となり、本イベント(異分野交流イベント)を計画、実施および最期のとりまとめ
を行ったものである。
これまでの 2 年間のネットワークに関する研究と実施をもとに最終年度 22 年は異分野交流につ
いての亓島イベントを実施する予定である。これについての報告書と、航空写真の写真集を作成し、
さらに最終報告書を作成する予定である。
最後に本イベントの計画・実施、とりまとめを行った NPO 法人サンミック、青砂ヶ浦教会司祭、
教会関係者、政彦神社宮司、婦人会の人々、研究会とイベントに参加していただいた多くの亓島の
人々に心からの感謝の意を申し上げます。
平成 22 年 3 月 15 日
研究代表者
1
長崎国際大学
細田亜津子
目次
はしがき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・細田亜津子・・・1
第1章
基本方針と目的・・・・・・・・・・・・・・・・高橋彰夫・・・・3
1、基本方針 2、目的
第2章
研究の背景、目的及び研究体制と研究計画・・高橋彰夫・・・4~10
1.研究に至った背景・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4
2.青砂ケ浦教会について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5
3.研究体制・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6
4.研究計画・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7
5.イベント実績・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8
6.研究日程・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9~10
第3章
上亓島ネットワーク形成実証事業
1.異分野交流イベント
①講演会・講演会内容・・・・・・・・・・・デ・ルカ・レンゾ・11~15
②映画祭・・・・・・・・・・・・・・・・・・高橋彰夫・・・・16~18
③異分野会議「語る会」
・車座談義・・・小佐々研介、高橋彰夫・・19~20
第4章
1
子ども会・・・・・・・・・・・・・・・高橋彰夫・・・・21~25
紙芝居・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・21
2.アンケート・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・22~25
第5章 委員の感想
1.大山繁・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・26
2.左海 冬彦・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・27~29
3.細田亜津子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・30
4.小佐々研介・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・31
5.福島友子・高尾直子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・32
6.高橋彰夫・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・33
あとがき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・高橋彰夫・・・34
<巻末資料>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・35
Ⅰ.DVD による映像・・・・・・・・・・・・・・・・・・小山昭二郎
・イベントの記録
Ⅱ.チラシ、広報
・チラシ
・上亓島町、町誌
・百周年記念、オリジナル日本てぬぐい
2
第1章
基本方針と目的
1、研究基本方針
本研究の目的は「長崎の教会群が世界遺産登録」にむけてのキッカケで
「今後のまちづくり」を視点に、異分野ネットワーク形成を地元(上亓島町)の人達と協力して取
り組む。そして融合・寛容・平和をキーワードに異分野ネットワークを構築しながら、亓島列島
の文化的景観と住生活の保全がいかにして出来るかを研究する。
そのために、異分野の人達による実行委員会を立ち上げ、以下の取組みをする。
1、異分野交流イベントの実施
2、異分野の人達を集めて、異分野会議「語る会」を実施する。
3、車座談義をする。
2、研究の目的
①地元の異分野の人々が世界遺産という貴重な「宝物」を生かし、新しい「まちづくり」を
創造するという認識をする。
②異分野の人々が目的をもって交流する。
③異分野の人々がネットワーク形成に挑戦するきっかけをつくる。
3
第2章
研究の背景、目的及び推進体制
1.研究に至った背景
2007年に世界遺産暫定リストに掲載された「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」は日本の最西
端にある亓島列島の地が、古来、アジア・西洋などの文化と日本の文化が交流し、出会う地だったこと
など、普遍的価値を有する世界遺産にふさわしい文化遺産であると云えます。現在、2012~201
3年以降の世界遺産登録の実現を目指して、行政、学術、民間、教会の各セクターの協力のもとに、登
録にむけた調査・準備が進められています。新上亓島町は2001年、青砂ケ浦、頭ケ島教会が国指定の
重要文化財に指定され、地元の機運は高まっているとはいえ、尐子高齢化、産業衰退による雇用丌安、
という深刻な地域丌安を抱えています。そういう背景の中で世界遺産という貴重な「宝物」を生かし、
新しい「まちづくり」を創造する。という認識が大切ですが、長い歴史の中で宗教・地区などが大きな
壁となって充分とはいえない現状であると考えられます。今後、異分野のネットワークの形成し、情報
を共有して、それぞれに進化し、その中からまた新しいネットワークが生まれて課題解決の道を探ると
いうことが重要になってきています。
新上亓島町文化交流と長崎の教会群再発見の歴史
年
702
(郷土史より抜粋)
新上亓島歴史的事頄
長崎の教会群
再発見の歴史
第七次遣唐使、南島路を使用する。これ以後9回ほど立ち寄る。
1448
朝鮮との通商貿易を行う。
1565
亓島にキリスト教が伝わる。
1598
有川・魚目
1797
大村藩から亓島藩へ 108 人移住(これより、キリシタン人口増加)
1862
聖ヨハネ亓島、26聖人の1人に列される。
1866
坂本龍馬ゆかりのワイルウエフ号、江之浜の潮合崎に漂着した。
1868
明治と年号が改まり、キリシタンの迫害が始まる。
鯨突組組織
26人の殉教者は聖人に列される。
1933
大浦天主堂、国宝に指定
1968
ドロ神父来日から100年
1972
ユネスコの世界遺産条約発効
1973
禁制高札撤廃から100年
1981
ヨハネ・パウロⅡ世長崎訪問
1992
世界遺産条約に日本参加
1998
黒島教会を重要文化財指定
1999
旧亓輪教会、重要文化財指定
2001
青砂ケ浦・頭ケ島教会国指定重要文化財
2003
2007
田平教会、重要文化財指定
「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を世界遺産暫定リストに追加
2008
大野教会、江上天主堂重文指定
福者列福式長崎で開催
4
第2章
研究の背景、目的及び推進体制
2、上亓島
青砂ケ教会について
青砂ケ浦教会
教会の保護者:大天使ミカエル
・国指定重要文化財
建物
煉瓦造
竣工
1910 年
設計
鉄川不助
施工
鉄川不助
●住所
〒857-4402
南松浦郡新上亓島町奈摩郷1241
●案内
奈摩湾を見下ろす赤レンガ造りの
国指定重要文化財
青砂ケ浦教会
教会。
明治12年(1879)に小さな集会
所として出発し、3代目となる現在の
教会堂は明治43年(1910)に完
成した。
当時の神父が西洋から原書をとりよ
せて、設計・施工を指導したことから、
様式や意匠が正統的で優れ、鉄川不助
のレンガ造り教会堂の完成形とも言
われています。
入口の円柱とアーチには石材も使わ
れており、ステンドグラスや入口上部
の円形のバラ窓は幻想的な美しさを
見せます。
今年、2010年10月17日、
献堂100周年を迎えます。
●アクセス
青方港から車で10分
教会から奈摩湾を望む
5
3.研究体制
実行委員会、研究会委員
実行委員会
役職
委員長
氏名
大山
繁
上亓島町
切江
みゆき
青砂ケ浦教会婦人部
尾上
としえ
青砂ケ浦教会婦人部
舛田
安男
ますだ製麺会長
菊池
公子
菊池商店
林
委員
所属団体
満子
林
青砂ケ浦教会主任司祭
商店
逸子
元有川病院婦長
福島
友子
元虹ヶ丘病院部長
高尾
直子
高尾歯科医院理事
喜佐子
小佐々
研介
秋山
賢一郎
高橋
彰夫
青砂ケ浦教会
新上亓島商工会
川端
小佐々
区分
新上亓島町民代表
長崎市民代表
元長崎成人病センター婦長
NPO 法人
サンミック出島
NPO 法人
研究会委員
デ・ルカ・レンゾ
日本26聖人記念館館長
左海
冬彦
財団法人
細田
亜津子
長崎国際大学
建築行政情報センター
委員
研究会
小山
小佐々
高橋
昭二郎
研介
NPO 法人
彰夫
6
サンミック出島
4.研究計画
テーマ:亓島列島の文化的景観と住生活の調和・保全ネットワーク形成に関する研究
■ コンセプト
■問題点
■あるべき姿
世界遺産登録にむけてのキッ
1、尐子高齢化人口減尐
カッケで、
・まちに活気がない
今後の「まちづくり」を視点に
2、宗教、地域等異分野
地元の融合・寛容・平和をキー
で見えない壁がある。
ワードにネットワークを形成
・ネットワークが未熟
して亓島列島の文化的景観と
3、経済的丌振
住生活の調和と保全をする。
・財政力指数の低下
現状
実証の役割
少子高齢化
経済的劣化
1、問題点認識
2、魅力再発見
3、ネットワーク形成
4、解決のため
の行動
過疎化
・公的支援減尐
知恵を絞って行
動
・企業の地域貢献減尐
・有効求人倍率低下
世界遺産という
「宝物」を生かし
た新しい「まちづ
くり」
活性化
(働く場所が尐ない)
■問題解決のための事業計画
■目標とする成果
■ネットワーク形成実証事業
1、
1、問題点認識
異分野交流イベント
青砂ケ浦教会
献堂100周年記念プレイベント
2、魅力再発見
①講演会
・ 文化交流とキリシタン・
3、ネットワーク形成
日本26聖人記念館館長 デ・ルカ・レンゾ神父
②映画祭
4、解決のための行動
・無声映画「日本26聖人」
③子供会
・紙芝居とアンケート
2、異分野会議「語る会」
・異分野の人々の上亓島を語る会
3、車座談義
・食事をしながら車座談義
■スケジュール
月
6
7
8
9
10
11
12
1
2
事業計画
事業実施
実施
分析・考察
7
3
4
5.イベント実績
○時
平成 22 年
○場 所
○内
2 月 14 日(日) 13:00~24:00
新上亓島町
容
青砂ケ浦教会
青砂ケ浦教会
信徒会館、やがための宿
献堂100周年プレイベント
時間
頄目
担当
13:00~14:30
子供会「紙芝居」とアンケート
高橋 彰夫
18:00~18:30
文化交流とキリシタン
26聖人記念館館長
デ・ルカ
レンゾ神父
無声映画
18:00~19:50
日本26聖人「我、世に勝てり」
20:00~21:00
「車座」茶話会
異分野代表、町民
21:10~24:00
「車座」談義
異分野代表
○目的と目標
上亓島ネットワーク形成の目的で異分野交流を図るために国指定重要文化財である、
「青砂ケ浦教会」において、100周年献堂式典のプレイベントとして、子供会、講演会、
映画祭、茶話会、車座談義を実施する。
交流後、現状認識、問題点を洗い出し、共通の目標を設定し出来ることから行動をおこす。
○実績
動員(人数)
頄目
子供会
19名(こども)、5名父兄
内容
26聖人の紙芝居他、
講演会
140名
文化交流とキリシタン
映画
140名
無声映画
日本26聖人「我、世に勝てり」
「車座」茶話会
40名(内10名実行委員)
現状を語ってもらう。
「車座」談義
17名
交流と談義
8
6.研究日程
○第1回研究会
日
時
平成21年10月24日
場
所
長崎国際大学
メンバー(敬称略)
内
容
(土)
14:00~16:00
細田研究室
長崎国際大学
細田、岡
NPO 法人
サンミック出島
秋山、高橋
①会計について
②事業内容について(研究課題)
・コンセプト、研究対象、フォーラム、開場予定、実施時期
○第 2 回研究会
日
時
平成21年11月10日
場
所
新上亓島町・青砂ケ浦教会、正彦神社、ますだ製麺、曽根、青方等
メンバー(敬称略)
青砂ケ浦教会
NPO 法人
内
容
(火)
10:00~16:00
大山神父
サンミック出島
正彦神社、吉村宮司他史談会
商工会、舛田
小佐々研介、喜佐子、秋山、高橋
①研究提案について
・コンセプト、研究対象、フォーラム、開場予定、実施時期
○第3回研究会
日
時
平成21年11月14日
場
所
長崎国際大学
メンバー(敬称略)
内
容
(土)
10:00~12:00
細田研究室
長崎国際大学
細田
NPO 法人
サンミック出島
小佐々、高橋
①上亓島出張報告(研究内容の検討)
・研究提案の反応(キーマン等)
・実地調査報告
・問題点
○第4回研究会
日
時
平成21年12月
場
所
新上亓島町
メンバー(敬称略)
容
(日)
10:00~15:00
上亓島町関係者(青砂ケ浦教会、正彦神社、ますだ製麺、町民多数
NPO 法人
内
6日
サンミック出島
小佐々、高橋
①事業内容の提案・検討、先方の意見
②実行委員会メンバーの依頼
9
○第5回研究会
日
時
平成22年1月11日~12日
(月・火)
9:00~21:00
・1月11日 実行委員会実施
・1月12日 新上五島町
場
所
行政新上亓島町舎・青砂ケ浦教会信徒会館・議長事務所他
メンバー(敬称略)
上亓島町関係者(青砂ケ浦教会、正彦神社、ますだ製麺、町民多数
NPO 法人
内
容
サンミック出島
小佐々、秋山、高橋
①イベント内容と役割分担
②後援依頼③映画実演等イベント内容検討
○第6回研究会
日
時
平成16年2月6日
場
所
青砂ケ浦教会、舛田うどん、菊池商店、榎津神社、専念寺、正彦神社
メンバー(敬称略)
容
8:00~18:00
上亓島町関係者(青砂ケ浦教会、正彦神社、ますだ製麺、町民多数
NPO 法人
内
(土)
サンミック出島
小佐々、高橋
①イベントの最終打ち合わせ
②その他
○第7回研究会
日
時
平成21年
場
所
青砂ケ浦教会
メンバー(敬称略)
2月
NPO 法人
容
(土・日)
(財)建築行政情報センター
長崎実行委員
内
13・14日
10:00~12:30
左海、上亓島町関係者多数
福島、高尾等関係者
サンミック出島
小山、小佐々、秋山、高橋
①準備
②イベント実施
10
第2章
上亓島ネットワーク形成実証事業
青砂ケ浦教会
献堂100周年記念プレイベント
1.異分野交流イベント
① 講演会
青砂ケ浦教会 講演会
○日時 平成22年2月14日
○場所
上亓島町
○内容
講師
18:00~18:30
青砂ケ浦教会
日本26聖人記念館館長
デ・ルカ・レンゾ神父
文化交流とキリシタン(講演内容抜粋)
・亓島は海外から一番近い島、玄関口であった。したがって亓島の人々は宣教師が来る以前に、
異文化との交流があった。
・亓島に住む人々の資質の高さを、キリシタン時代の宣教師も認めている。
・手造りの教会群。それらを手掛けた祖先の信仰心の継続と感謝を忘れないように。
・亓島内でも異宗教どうしの交流を活発に行う必要がある。教会でも外部との更なる交流を。
・色々な人々が集まっての具体的な活性化の話し合いは、ぜひ継続してやってもらいたい。
・当時の宣教師の書簡によると「日本のキリシタンは信心と苦行においてヨーロッパ信者よりはる
かに優れている」とある。中でも聖ヨハネ亓島は二十六聖人の一人として殉教し、世界中の信者
の尊敬を集めている。
11
青砂ケ浦教会
献堂100周年記念プレイベント
異分野交流イベント
講演会参考資料(原稿)
レンゾ、五島の話し、2 月 14 日
五島日本の入り口、道案内役。
京都、江戸から遠い。
外国との交流になれて、受けいれる態勢が出来ていた。
Roteiro de Chincheo para lequio, BNP Fonds Port. 58, ff. 86-86v: 五島という大きな、とげとげしい形の
島が見えたら、その東を通って出来るだけ島に近づいて、五島の東に二島が見えるまで。細い崎が終わ
るまで続いたら五島島に着く。
①イルマン・ジュアン・フェルナンデス、中国のイエズス会員宛書簡。1565 年 2 月 10 日平戸発
Jap. Sin. 5 207, No en Ajuda no Alcalá 75 ni Évora 98.
16. 中国への海路に一番目の港、平戸から 30 レグア前後の距離にある五島から数人のポルトガル人が
彼とその息子がキリシタンになり、当地に教会を建てたいと伝えた。コスタ神父は口之津滞在のトーレス
神父にその旨を伝い、また通達があればその返事を出すと返事した。
• 多くの場合「ザビエルの宣教」を受けた日本人は彼と一緒に宣教した日本人の口から聞い
たことになる。
ファン・フエルナンデスは修道士で、日本語が非常に上手です。コスメ・デ・トーレス神父が彼に言うことを
すべて日本語で話します。現在、彼はキリストのご生涯のすべての奥義を引き続き説教しています。
(1552 年 1 月 29 日、イグナチオ宛ザビエル書簡、『全書簡』、555 頁)
• ザビエルが自分の同僚の能力と活躍を高く評価している。
• ザビエルは最後まで他人に委ね、依存する「共同宣教」方法を採った。
• ザビエルは子供たちを通して宣教していた。子供と婦人達の間で歌を流行させ、
新しい宣教方法を見出した。
• 様々な「ザビエル伝」に彼が一人で宣教を行ったかのように書かれた。
イルマンは子供たちに異教徒の間の幾つかの場所に散らばって教理を教えるように命じた。教理を知っ
ていた多くの子供たちとそれを学んでいる子供たちがいた。(私たちが)その前の日洗礼を授けたトメと
いう貴人は、まだ教理を知らない人々に配るために、急いで、主の祈りとマリアへの祈りを熱心に紙に
書いた。(島原より 1564 年 11 月 15 日付、ルイス・フロイス書簡。Jap.Sin 5, 137-137v より試訳)
子供達皆はキリシタンの祈りを知り、彼らの多くは教理全体を知るほど信仰教育を学んでいた。
一人に異教徒、もう一人にキリスト教徒の演技をさせ、神の法と異教徒の法について議論させていた。
これほど多くの人々がバアルの前に跪かない〔偶像礼拝しないこと〕彼らの信仰は、今までの苦労を忘れ
るほど神父〔トーレス〕に慰めを与えた。
(豊後より会員宛、1564 年 10 月 14 日付、ルイス・デ・アルメイダ書簡、ACL Azul 13, 111v より試訳)
「多数の者は適切な準備を受けて洗礼を授かっています。彼らは受洗前に出来得る限り最善の方法に
よつて要理教育を受けております。〔〕凡ての者に極めて明確且つ極めて明晰な説教を行えば、彼らは
ことごとく信ずベき内容を理解すると私は申上げる次第であります。
それは彼らが自発的に洗礼を授かりたいと思っているからであります。」
(1582 年、ヴァリニャーノ総会長宛、『十六世紀キリシタン史上の洗礼志願期』p.63)
12
• ザビエル滞在 10 年後にも一般的な宣教方法になっていた。
• 子供達はこれほど宣教協力者になっていたことはその親たちの積極的な関わりを示し、
当時の文化になじみのあるやり方である。
• 政治的な圧迫があったとしても相手の理解と同意を得て改宗が行われていた。
• 当時、キリスト教は異質なものとされなかった。
• 互いの受入によって初めて可能になる対話が成立した。
• 当時のどの国の宣教と異なった新しい宣教は日本で始まり、やがて中国(リッチ)
インド(デ・ノビリ)にも広がる土着化の先駆けとなった。
• ザビエルは宣教の歴史に現代でいう「信徒中心・対話的」な宣教形式をもたらし、
大きく貢献した。
• 宣教師がいなくなった時代を支える基盤を築き上げた。
• 人間・民同士の対話が疎かにされがちな現代において、そのような対話を発展して
いきたい。
②メルキオール・デ・フィゲイレド神父書簡、堺と豊後の会員宛、1566 年 5 月 25 日付、
口之津発 ms 1:ACL Azul 13 319-320 Évora 98, 204v-205
2. こちらの通達として、イルマン・ルイス(アルメイダ)が五島殿の息子をキリシタンにしようとして多くの
恵みを得た。これに時間をかけているのはキリシタンたちに支えとなる頭を与えたいからである。
豊後から呼ばれなかったとすれば、既にそれを成し遂げただろう。一ヶ月半が経っているがまだ情報が
届いていない。良い知らせを待ちかねている。 [319v].
6. ドン・バルトロメは立ち上がった者どもを抑えるために新たな城を取り戻した上、最近五島殿によって
奪われた城を取り戻した。神様がいつも彼(純忠)を守って勝利を与えていることが示される。
③アルメイダ、ポルトガルのイエズス会員宛書簡、1566 年 10 月 20 日付、志岐より
④コスメ・デ・トーレス神父書簡、ディエゴ・ライネス神父宛、1566 年 10 月 24 日付、口之津発
8. 今年 1566 年、イルマン・ルイス・デ・アルメイダを二つの国に派遣したら多くのキリシタンをつくりました。
その一つである五島に日本人一人(ロレンソ)を残した。この日本人は 16 年前にイエズス会に入り、雄弁
家かつ徳の高い人であり神のことを深く理解しました。
もう一つの国(志岐)にイルマン・アイレス・サンチェスを残しました。この国々はそれぞれ離れていてそれ
ぞれ離れていてそれぞれの修道院で多大な金額が費やされている。それは神の法を宣教する人の
生活費だけではなく、修道院に来る貧困や病人の面倒をみるためが含まれるからでもあります。
⑤JUAN B. DE MONTE A LOS JESUITAS DE ROMA Ochika, Gotô 26 de octubre de 1567
ms 1:
Jap. Sin. 6 252-253v, final de la carta en f 205-206v. 2:
Jap. Sin. 6 207-210. 3: ACL Azul 13 406v-408v.Ev 248v-249v,
⑥マヌエル・テイゼイラ神父書簡、イルマン・セバスチアン・アルバレス宛、コチン発、1568 年 1 月 30 日付
ACL Azul 13 316 (406)
2. イエズス会員は神に大きな奉仕をしています。昨年日本から手紙を書いてくれた神父によれば、
10000・12000 キリシタンがいるだろうとのことです。今年はドン・バルトロメのような領主が回心しました。
また、新たに五島列島に福音宣教が行われ、キリシタンが増えました。手紙で伝えるほどその地方の
キリシタンが素晴らしいものです。もし現代に初代教会に比較に値する場所があるとすれば日本である
と思います。
13
⑦ALEJANDRO VALLA A LOS JESUITAS DE INDIA
Ochika, Gotô 4 de setiembre 1568. Évora 98 254-256,
⑧ ジュアン・デ・リベラ神父書簡、フランシスコ・デ・ボルハ神父宛、1568 年 11 月 5 日付、マカオ発
Jap. Sin. 6 245. no editada en Cartas Alcalá 75 ni en Cartas Évora 98.
2. 日本からキリシタンのことは継続し多少の発展を示しているとの通達が来ました。五島と呼ばれる
島の殿の一人子はその父の意に反してキリシタンになりましたが、それを知った父がそれほど反発を
示しませんでした。若殿が熱心なキリシタンです。
⑨ヨハネ・バウチスタ・モンテ神父よりミゲル・デ・トーレス宛て書簡。口之津 1569 年 11 月 5 日発
ms 1: Jap. Sin. 6 259-260v, Alcalá 75 280-280v vºbº
2. 昨年、私が滞在した五島という国について書きました。トーレス神父によって派遣されたアレッサンドロ
(ヴァラレッジオ)神父が中国船で到着しそちらのキリシタンたちと共に残り、私は有馬に来て豊後に行く
機会をうかがいながらこちらのキリシタンに赦しの秘跡と霊的な支えを務めています。
3.五島に多くの実りが得られている。その中、殿の息子で二十歳の若者であり、我が真理を知って、
その父の反対にもかかわらずキリシタンになった。私はある夜密かに洗礼を授けたが彼は公に教会に
通ったり他のキリシタンと共に苦行したりして、結果として皆に(受洗したこと)知らせることになった。
それ以来いつも熱心なキリシタンとして振る舞い、神の恵みによって五島全体がキリシタンになる期待を
持っている。
[259v]. これだけ書いておきましょう。私も反省させられるが、日本のキリシタンは信心と苦行において、
、ヨーロッパのキリシタンよりはるかに優れている。
Guerreiro,1607 pp. 157-158 (fol. 147v-148)
翌る年〔1607〕、神父は司教の五島訪問を準備し、多くの恵みを受けた。新たに教会二軒が建てられ、
キリシタンの子供 120 人ほどの先生以外、殿の側近である 90 歳を越える貴人二人洗礼を受けた。
準備が終わってから司教は五島に渡り、五島殿のもてなしに驚きを覚えた。というのは、
他のキリシタン殿に劣らないほどであったからである。ご馳走の他は公な行事を行い、そのうち、多くの
馬乗りと徒歩の人々が参加した鹿狩りが行われた。司教と関係者は殿と共にそれを見て、司教訪問を
日本の偉大な殿に値する名誉に思うことを示していた。司教はキリシタンの司牧のために来ていたので、
これほどのもてなしを断ろうとしたが、殿に尊重を表すと同時にこれによってキリシタンが慰められると
思ってそれを受けいれた。
皆の頭である殿の歓迎を見た多くの人々がキリシタンに対する不審をなくした結果をもたらした。
らした。
この受入は多くの恵みをもたらした。というのは、殿の司教歓迎はキリシタン以外の人々がキリシタンの
儀式と祭服の荘厳さを見て感激した。特に、賢信の秘跡を見て、今だ見たことがない、僧侶たちの儀式と
と相違を見て感激した。
この訪問で司教は 3000 人ほどに賢信の秘跡を授けた。
彼等は皆信仰の事柄に関して強められ慰められた。それは牧者である司教は不自由と苦労をかけて
キリシタン達の訪問をしたからでもある。司教をもてなす余裕がない場所が多かったため、司教は船に
泊まり、海岸地方にある村々を訪ねていた。司教は困難を感じただろうがキリシタン達は自分たちの村で
子供たちの詩編と祈りの歌で大歓迎と喜びをもって迎えられたのでその苦労が耐えやすくなっていた。
帰るときも同じ歌で見送られていた。司教は帰る前に、殿から小値鹿(この列島の主な場所で、殿が城
で住む場所である)で神父が滞在する許可を受け、キリシタンの大きな助けとなった。
14
GOTO 1588 年、mes y día desconocidos
0017 五島出身のマルタ、老女、斬首による殉教
フオルナレッティ神父の証言、Fróis V 81. Omiten Morejón, Cardim y ANSK.
0034 Goto Juan S.J. [19] - de Goto - alanceado en la cruz.
聖ヨハネ五島
0793 1624 年 4 月 19 日、小値鹿出身の堀ミゲル。72 歳、斬首による殉教。
OCHIKA 1624 día y mes desconocidos
0794 Kenzaemon Pedro - de Ochika - degollado. «Qenzayemon Pedro, vecino
de la misma ciudad
Machado Juan Bautista S. J. Beato mártir.
Entró en 1597. En 1609 se quedó en Japón.
El 22 de abril del 1617 fue cogido prisionero en Gotô.
Y murió el 22 de mayo
del 1617 decapitado cerca de Omura.
ÔTA, Agustín. Beato. Mártir. N.
c. 1572, Ojika (Nagasaki), Japón
15
②映画祭1
青砂ケ浦教会
新春映画祭
当日はあいにくの雤、2月の新上亓島町まだまだ厳しい寒さがつづく。
開演前1時間、駐車場はほぼ満杯。小中学生が連れだってきてくれた。
■ 手縫いのスクリーン
製作は実行委員の菊池公子さ
ん
■ スクリーンの取り付け
実行委員の舛田安男さんとス
タッフの方々が祭壇前に工夫
して制作、りっぱなのが出来
た。
■ イベントはすべて VTR で記録
された。撮影は研究委員の小山
昭二郎さん。
16
②映画祭2
青砂ケ浦教会
時代劇
16ミリ白黒・無声映画
新春映画祭
「日本二十六聖人」
開演の挨拶
大山神父
観客は140名、信者や異分野の人達
NPO 法人
17
サンミック出島
挨拶
②映画祭3
青砂ケ浦教会
新春映画祭
当時のプログラムと写真
無声映画
日本26聖人「我、世に勝てり」
昭和 6 年、長崎の信徒が私財を投じて(30万円、現在の 6 億円)制作された。
当時の教皇ピオ 11 世の後援や日本国総理大臣
若槻礼次郎、犬飼毅政友会総裁など政財界の賛助を受ける
など話題をまいた名作である。出演者は後に大スターとなる片岡千恵蔵、山田亓十鈴などが脇役として出演
しており、多くの話題をまいた映画であった。また、当時の俳優は皆、日本人であり、主演のペトロ・バプ
チスタ神父は見事な演技をしておりますが、彼も当時有名な日本人俳優でした。
脚色
ホイベルス神父
監督
池田冨保
(東京イグナチオ教会司祭)
(この映画を制作のあとカトリックに改宗した)
18
③異分野会議「語る会」
・会議風景
青砂ケ浦教会
語る会
・異分野の人々が上亓島を語る会
現状
実証の役割
尐子高齢、経済劣化
過疎化
1、問題点認識
2、魅力再発見
3、ネットワーク形成
どうしたら、いいか?
知恵を絞って行動する
4、解決のための行動
世界遺産という
「宝物」を生かした
新しい「まちづくり」
活性化にトライす
る。
19
③異分野会議「語る会」
出席者の意見
・経済的側面を含め厳しい社会環境、心の領域である宗教を考える事は重要ではないか。
・今回の試みは、今後の島になにを残すか、何かをつないでいくことができないかという
視点で「おそらく、初めての試みではないか」こういう押しかけ仕掛けも時には必要である。
・教会群を世界遺産へ。島民一体となって取り組むことが必要。
・島内での情報交換や交流の場がない。このイベントを機に自分も何か行動をおこしたい。
・子供たちの夢を育む為には、大人たちの前向きな生活と意識が必要。
・信仰にもっと真剣に向き合いたい。
・亓島列島以外の地域からみると亓島の素晴らしさがわかる。この感動を皆に知らせたい。
・亓島でもプールでは泳げるが波のある海では泳げない子供がいる。子供たちに自然との付き合い
方を教え、さらに島外の子供たちを招いてみてはどうか。
・亓島は敀郷。教会のクリスマス会、神社のお祭り、思い出がいっぱい。敀郷のために何かお手伝
いしたい。敀郷に感謝。
・今日の映画を見て、寛容な精神での文化交流が、なぜ対立に向かってしまったのか知っておく必
要がある。
・島に対する意識の低下。自分達にも責任がある。
・交流会に出席して話を聞くだけで楽しい。このような会を是非続けてほしい。
・亓島では,産官学の三位一体ではなく、産官学宗の四位一体で考えたほうがいいのではないか。
・受付の机の上に亓島を代表する花椿が飾られていて、おもてなしの気持ちが嬉しかった。
異分野の出席者は40名
・神道、仏教、キリスト教など異宗教、医師、看護師、地元の観光、製造、商業、公務員、
教育関係、マスコミ、地元出身者など異分野の代表者多数。
・短時間であったが、現在の問題点、島の良さ、今後の取組みなど活発な意見が出た。
20
第4章
子ども会
1.紙芝居
青砂ケ浦教会
紙芝居
日本26聖人(作:永五
子供会
隆)
上亓島の低学年の子供たちに「日本26聖人」の紙芝居を見てもらい。
その感想を書いてもらった。歴史上の事実を考え、現在の島のことを考えてもらう。
当日はバレンタインデー、小さなチョコレート包みをもらって「38の瞳」は輝いていた。
日本二十六聖人殉教
四百年記念
路上の人
永五隆
長崎出身のアントニオ
尐年は修道会の志願者
で京都にいました。
「御用だ!御
参加者19名,子供達は昔のはなしを真剣に聞いた。
用だ!
キリ
シタン、御用だ」
父兄も参加して・・
歴史を考え、今の島のことを絵や文に
教皇さまは1862年6
月8日に聖人の位に
あげられました。
21
2.アンケート
青砂ケ浦教会
子供会
アンケート(1)
<アンケート内容>
・400年前に実際に起こった、日本26聖人殉教の紙芝居をみて、思ったこと感じたことを
文や絵で書いてもらった。
・上亓島の今のことを考えて、すきなところ、きらいなところを書いてもらう。
<アンケート、質問事頄>:学年、名前記載
○紙芝居の感想(思ったこと、感じたことを書いてください)
○上亓島町の好きなところ、きらいなところを書いてください(・すき
<回答者>
16名(出席:19名)
内訳数
男 5名
女 11名
<内訳>
学年
女
男
計
保育園
1
小 1
2
小 2
2
小 3
1
小 4
1
小 5
2
2
小 6
2
2
計
11
22
1
2
2
1
3
1
3
5
4
16
・きらい)
計 16名
青砂ケ浦教会
子供会
アンケート(2)
・紙芝居の内容は感受性豊かに受け止めている。
・上亓島の豊かな自然を好きだと明確に答えている。
・「島には優しく親切な人が多い。声をかけてくれる」と昔からのよい習慣が残
っていることを書いている。
・「ぶきみ」というのは人が尐ないという意味であると考えられる。
・きらいなところは「ない」と強くいっている。(島を愛している)
23
青砂ケ浦教会
子供会
アンケート(3)
・紙芝居の内容は感受性豊かに受け止めている。
・上亓島の豊かな自然を「海、山などが好きだ」と明確に答えている。
・人口が尐なくなっているのを認識している。
・きらいなところはないと強くいっている。(自分の住んでいる島を愛している)
24
献堂100周年
記念プレイベント
青砂ケ浦教会
子供会
アンケート(4)
・ 紙芝居の内容は感受性豊かに受け止めている。
・上亓島の豊かな自然を「海が好きだ」と明確に答えている。
・人口が尐なくなっているのを認識している。
25
第5章
課題と計画(委員の考察)
1、大山 繁
NPO 法人サンミック出島の活動についての感想
2009年11月10日午前10時から12時まで、NPO 法人の活動をしている高橋彰夫、
小佐々研介、秋山賢一郎、そして元有川病院婦長の川端逸子さんの4名が新上亓島町にある青砂ケ
浦教会にお見えになった。以前面識のあった小佐々研介さん以外は初対面でありました。
新上亓島町の著しい人口減や急速な高齢化、過疎化の現状から話は始まりました。私も新上亓島
町に来てから5年目であり、島が急速に人口減になっている状況を肌で感じていましたので、4人
の方のお話を興味深く伺いました。
お話の要点は、新上亓島町のまちづくりを視点に融合、寛容、平和のキーワードで異分野ネットワ
ークの形成を目的として活動したいというものでした。
NPO 法人の方々は何回も新上亓島町を訪れ、かなりの下ごしらえ(産業、教育、医療・・にか
かわっている人のネットワークづくり)をしてこられたようです。
私の所に来られたのは、11回目の島の訪問からです。話の流れに乗って、その日の午後4時に
教会から車で5分ほどの距離にある政彦神社の宮司さん NPO 法人の方々と一緒に初めて会うこと
ができました。
宮司さんの島に対する現状認識と危機意識は共通するものでした。ただ、NPO 法人サンミック
出島の活動については初めての説明でしたので、どのようにかかわっていくかということで、そこ
に居合わせた史談会の方々と共に熱心に討議して下さいました。
2月14日午後6時から、青砂ケ浦教会で NPO 法人サンミック出島の企画実行で70年前に制
作された映画の鑑賞とその後の「産業・教育・宗教・医療など異分野の交流、対話」に出席下さい
ました。町の教育長を歴任された方でもあるので、考えも広いと思いますが、教会でのイベントに
参加して下さったことはうれしいことでした。
カトリック教会は1962-1965年に開かれた第二ヴァチカン公会議で教会の態度につい
ての宣言」を発布し、対話の基本原則を定め、宣言しました。その原則の
①他の宗教の中にある「真実で尊いもの」について積極的に認め、それを保存し推進するようカト
リック信者に勧める
②他の宗教には教会の教えと異なる行動と、生活様式、戒律と教えがあることを認識している
③教会と異なる教えがあるにもかかわらず、対立的ではなく、対話的であることを望んでいる。
④教会はイエスの弟子達から伝えられている、イエスによる救いの歴史の完成を信じて、他の宗教
との対話を大切にする。
(カトリック教会の諸宗教対話の手引き 実践 Q&A P16.17 参照 カト
リック中央評議会発行 2009 年11月9日)
NPO 法人サンミック出島の活動は新上亓島町での異分野の対話と相互理解を島全体の活力を生
まれさせる基礎であると考えていることに意味があると思います。島にいる私たちが一人ひとりを
大切にし、尊敬し合うときに多くのことを互いに学べます。人の心の温かさを伝え合い確かめ合う
ことによって、魅力ある島、活力ある島、訪れる人に安らぎを感じてもらえる島になりたいです。
NPO 法人サンミック出島のメンバーの方々のねばりづよい活動に力を頂いています。
青砂ケ浦教会主任司祭
26
大山繁
第5章 課題と計画(委員の考察)
2、左海 冬彦
上亓島・青砂ヶ浦教会 献堂100周年 記念プレイベントに参加して
現代の大多数の日本人にとって、政治や経済などの分野と比較すると、いまや宗教は、決して身
近な存在や日常的なテーマとは言えないかもしれません。
しかし、日本人の生活がお葬式、法事、結婚式、初詣で、クリスマス等々、今でもさまざまな宗
教的・神話的な起源を持つ行事に彩られていることをみると、意識的か、無意識かどうかはともか
く、人々は皆、宗教的行事との密接な関係は維持し続けています。
2000年夏に「長崎の教会群を世界遺産に」という運動・活動がはじまって約10年が経過し
た2010年冬、
「青砂ヶ浦教会献堂100周年記念プレイベント」に今回参加して、上亓島の人々
とともに古い教会堂のなかで400年以上の前の二十六聖人の「殉教」という宗教的な悲劇を描い
た映画を鑑賞するという貴重な体験をすることができました。
映画のなかの安土桃山時代に殉教していった人々の姿と、その宗教への全面的な献身の情景と、映
画に感動してすすり泣きすら聞こえてくる厳粛な教会堂の空間のなかで、いわば擬似的にタイムス
リップするという貴重な体験をすることが出来ました。これにより、日本人(現代人)と宗教との
関係について、あらためて考え直す稀有なきっかけを得たと感じています。
現代は、政治、経済の優れた仕組みや科学技術の進歩によって、病気、貣困、戦争といった悲劇
は、安土桃山時代と比べると、かなりのところ制圧されており、絶望から直ちに宗教へ向かう人は
尐ないかもしれません。
しかし、いくら社会的な制度や科学が進歩しても、未来を完全に予測することは丌可能であり、
いろいろな丌確定要素を排除することはできません。コンピューターの計算速度等の性能が格段に
進歩しても、明日の雲の動きを正確に予想することも困難です。
また、「なぜ、人は生きて死ぬのか」
、
「自分とは何か」、「病気、貣困、戦争といった理丌尽な丌
幸は、なぜ根絶できないのか」等といった人々が生きるうえでの根源的な問いには、当然のことな
がら、優れた制度や科学でも、人々の腑に落ちる答えを直ちに出すことができません。
人間は、限られた空間、時間のなかへ限られた才能、資源とともに、自分の意志にかかわらず送
り込まれ、いずれ必然的に退場をせまられます。つまり、自分たちの根源的な起点(過去)を知ら
ず、どこに行くのか行先(未来)を知りません。それでも、人々は、今も昔も試行錯誤を繰り返し
ながら、その生と死のドラマを繰り広げつつ、希望を持ちながら、懸命に、より良き社会や歴史の
形成を目指してがんばっています。
それに対して、宗教では、人間自身が仕切る世界の外側に、無限なる絶対他者を置いています。
無限なる絶対他者の代わりを、人間自身が作り出した政治・経済の制度や科学の知見がつとめる
ことはできません。なぜなら、政治・経済の制度や科学の知見は、それらの生みの親である人間自
身の理性の限界を決して超えられないからです。
しかし、信教の自由があっても、政教分離が合意されたルールとなっている現代では、無限なる
絶対他者というような超越的な存在を、理性的な現代人が信じたり、理解したり、また論じたりす
ることは難しくなっています。もちろん、信教の自由があれば、一方で、無宗教の自由もあるわけ
で、こうした事態やトレンドを変えることはもはや丌可能でしょうし、「人間自体が、理性の力で
27
限りなく超越的な存在に近づいていく以上、神や仏の出番はもはやない」等と考える人は、どんど
ん増えてくるでしょう。
しかし、個人の生と死の意義、人類の起源や行き先の謎、自分や時間・宇宙の存在の丌思議とい
った前述したような根源的な問いは、無限なる絶対者からの視点を否定したときには、有限な存在
である人間に、永久に解決の糸口さえ見出せないまま残されることになるのではないでしょうか。
このように考えていくと、世界の外側にある無限なる絶対他者を感じさせ、自らを謙虚に振り返
り、考えなおす機会を不える空間として、教会や寺院、神社が意識され、地域の住民に守られてき
た歴史的意義なり思いに、我々、現代人もあらためて気がつくことができると思います。
以上のような文脈から、長崎の教会群の世界遺産登録と、それを契機としたまちづくりは、人間
の精神文化の歴史を学ぶとともに、自ら(自分、家族、地域、日本、現代)を原点から振り返る絶
好の機会として位置づけることができると考えます。世界遺産とまちづくりの関係について、20
08年12月6日に長崎で開催された「世界遺産フォーラム in 長崎」で発表した資料を、以下に
参考に掲げていますが、ここでも、世界遺産のまちづくりが、自ら自身を虚心にもどって振り返り、
新しい価値を創造する機会として捉えることの重要性を強調しています。
(参考1) 目に見えない価値と世界遺産
「目にみえない価値」を、「世界の頭」の言葉で、どう表現するか?
数世紀にわたるキリスト教布教と迫害の歴史をこえて、
アジア温帯モンスーンに属する日本列島西端において、
常緑広葉樹でおおわれた島々や半島の豊かな自然と調和して
形成された美しい木造のキリスト教会と遺産群
(参考2) 世界遺産のまちづくりマンダラ図
新しく創造する価値
世界遺産のまちづくり
マンダラ図
目に見えない価値
地場
産業
デザイン
観光
目に見える価値
教育
目
国際
交流
自然
生活
信仰
歴史
28
(参考3)
「世界遺産フォーラム
in 長崎」からのメッセージ
2007年に世界遺産暫定リストに掲載された「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」は、日
本の西端にある「ながさき」の地が、長く西洋の文化と日本の文化が交流し、出会う地だったこと
をうけ、次の点で普遍的で顕著な価値を有する世界遺産にふさわしい大いなる文化遺産である。
・温帯モンスーンの常緑広葉樹林の豊かな自然を背景に、フランス人宣教師たちと、信者、職人た
ちの情熱と技術が融合・結実した独特の和洋折衷様式のすぐれた建築物であること。
・16世紀からの5世紀にわたる日本と西洋の交流と葛藤の歴史の痕跡であること。
・ さらには、迫害の歴史を乗り越えて、長い潜伏の時期を超えて奇跡の復活をとげて、わが国の
明治の近代の幕開けにふさわしい庶民の自発的な「精神の自由」獲得の成果であること。
現在、早ければ2011年の世界遺産登録の実現を目指して、行政・学術・民間・教会の各セク
ターの密接な協力のもと、急ピッチに登録に向けた調査・準備が進められている。
もちろん、奇跡の復活を遂げ花開いた長崎の教会群という貴重な宝物を守りつつ、持続的なまち
づくり、地域づくりと連携を実現していくためには、多くの地域住民や信者の力を、今後一層結集
し、登録の機運を盛り上げていくことが丌可欠である。このことは、過疎化や産業の衰退という深
刻な地域の課題の解決への重要な一助になるとかんがえられる。
こうした状況をうけて、今後の日本全体の世界遺産の登録の推進、世界遺産のまちづくりを一層
推進していく観点から以下を決議する。
1
ユネスコの「文化の力で平和で砦を築く」という精神にたって、日本からひとつでも多くの世
界遺産を世界に送り出して、世界の多くの人々と交流しつつ、各地のまちづくり、さらには、
人づくり、ものづくりを活性化していくことが必要である。
2
世界遺産への注目がたかまり、各地から行政や草の根から名乗りを上げる動きも活性化してい
る。しかし、世界遺産の登録基準の運用は年々厳格化しつつあり、今後も我が国から世界遺産
の登録を円滑に進めていくためには、わが国の固有の価値、メッセージを世界に積極的・継続
的に、かつ、わかりやすく発信していくことが必要である。
3
特に、近年の石見銀山や平泉の世界遺産登録プロセスにおいては、イコモスの専門的な審査の
厳格化を受けて、登録に向けて関係者が多くの貴重な教訓やレッスンを受けたことを得て、日
本の固有な歴史と文化の有する「顕著で普遍的な価値」を、学術的専門的な見地から論理的に
証明するとともに、如何に平易なわかりやすい言葉で世界の人の心に語っていくことに努力し
なければならない。
4
暫定リストの候補地や、世界遺産登録へ名乗りをあげている日本各地の市民、企業、行政、専
門家等が力をあわせて、ネットワークを形成し、知恵を集め、世界と共有できる価値を目指し、
相互の文化に尊敬を持ち学びあいながら、世界の平和と心豊かな生活の実現につとめていくこ
とが必要である。
2008年12月6日
世界遺産フォーラム in 長崎 参加者一同
(財)建築行政情報センター
左海 冬彦
29
第5章
課題と計画(委員の考察)
3、細田亜津子
上亓島ネットワーク形成計画について
科学研究費助成研究「世界遺産候補亓島列島の文化的景観と住生活の調和・保全ネットワーク形
成に関する研究」
(平成 20-22 年度)は二年目研究計画が実施できた。20 年度の経過報告の中で
継続して実施したい計画は 2 点あった。
1、20 年度実施できた上亓島教会群の航空写真に続く下亓島教会群の航空写真を撮影し後世に残
すこと、またこれを一般公開し、広く活用してもらうこと。
2、亓島列島でのネットワークをより具体的な活動の形をつくる初期事業を行うこと。
1の航空写真については、別途長崎国際大学図書館データーベース上で一般公開するはこびとな
っている。2についての具体的な実施が本「上亓島ネットワーク計画報告」である。
20 年度活動報告論集「亓島列島
美しい島 美しい教会
美しい人々 -世界遺産候補亓島列
島の文化的景観と住生活の調和・保全ネットワーク形成に関する研究」の中で、特に「美しい人々」
を結びつけるネットワーク作りを始めたいと考えていた。ネットワークとは、小さい単位である地
域の人々、尐し大きい地域の人々、大きい島の人々、島と島のネットワークと考えられ、お互いが
お互いの歴史と社会性を認め将来にむかって協力し、確たる人々のアイデンティティと島の自主性
を創りあげる方法の一つであると考えている。このようなネットワーク創りで重視したいと思った
のが、島の婦人会や敬老会、子どもたちと保護者、学校の先生と子どもたち、島の産業を支えてい
る漁師の人々、地元食文化を支えている職人、商店や食堂の人々で広くは島の人々である。
しかしこれまで具体的にどうするかで問題が生じていた。それは、島の人々と言いつつ実際は外
部の人間が「何かを言っている」「言うことは簡単」と見られていたことが大きい。このような傾
向は亓島列島だけではなく多くの島々で言われることである。それでも島の過疎化と高齢化は進行
しており、このままでは深刻な状況になることは想像に難くない。過疎化・高齢化の解決方法は、
行政にまかせるというのも一つの選択肢ではある。しかし、亓島列島の歴史性を考えれば島の人々
が中心に将来の島像をつくっていくというのが最も重要で、これを行う限り行政主導の選択肢で消
失するリスクが回避できる。
このような意味から今回の上亓島ネットワーク形成計画で行った異分野交流イベントは貴重な
第一歩となった。準備段階から実施まで参加してもらった人々は、青砂ヶ浦教会司祭、教会婦人部、
政彦神社宮司、製麺会長、商店主、元病院婦長、そして多くの町民と子どもたちであった。ここに
関係者に心から謝意を表したい。
ネットワークは何か、ネットワークをどう作るのかから始まった座談会や討議、これが将来の上
亓島を考える最初の一歩であり、「自分たちで考える」最初の一歩を大事にそだてるよう今後も継
続していきたいと考えている。世界遺産化の話しがより具体的に進んでいる中で「世界遺産とは何
か」から世界遺産化を島の人々のネットワークのために利用すれば、日本中からうらやましがられ
る強固な島の魅力を発信できると考えている。
長崎国際大学
細田亜津子
30
第5章
課題と計画(委員の考察)
4、小佐々 研介
時代を先取りしていた中通島(上亓島)
古来、中国・朝鮮を含め南の島々との関係が深い亓島列島。江戸時代に入っても多くの人々
が亓島をめざしている。和泉佐野の海民達は 15 世紀中頃にはすでに亓島に進出して航海術と
鰯網による漁法を伝え又倭寇として亓島を前進基地として東アジアで活躍していたし、熊野か
らは捕鯨法を、安芸倉橋や備後鞆の船大工や鍛冶屋は造船技術を、紀州から亓島に来て定住し
た者も多かった。彼らのエネルギーは国の中央からすれば未開の地であったがアジア大陸への
波頭でもあった。そして彼らは海を越えていく手段を知っていたのである。
西彼杵郡外海地方からは時の権力者に NO と言って自ら苦難の道を選び亓島の浦々に新しい生
活の場を求めて移住してきた人々がいる。
この人々が信仰の自由が保障されて共同体の精神的支えとして造られた多くの教会群が重要
文化財指定になりさらに世界遺産候補になっている。まさに亓島の人々の誇りであり宝もので
はないだろうか。民族学者である宮本常一氏は亓島の人々に驚きをもってこう表している。
「特に我々を驚かしたのは亓島の人たちであった。
宮本常一「海の道」より。
亓島の人達は江戸までマグロを生のままで運んでいる。西日本では普通、三寒四温と言って寒
い日が三日続くと温かい日が四日つづくといわれている。その三寒の日はたいていに西風か西
北風が吹く。一般の帄船も航海をやめている時期にその西風を利用してマグロを生船に積み亓
島を立つ。亓島から瀬戸内海を通って熊野の潮岬まで三日、潮岬から江戸まで二日。亓日あれ
ば江戸へ着いた。大きな賭けであったが年々何十艘という船が江戸まで来た。途中で風が変わ
るとマグロに塩をした。すると値はずっと安くなる。江戸で亓島マグロ亓島レシビとして賞味
され江戸の人々は亓島の船を首を長くして待っていたのである」
現在築地で大間のマグロがマスコミに取り上げられているがすでに亓島は人々の勇気と決断
によって時代を先取りしていたのである。
このような先取気質の人たちの住む中通島(上亓島)は宗教や地域性の障害を取り除き一致団
結すれ当 NPO サンミック出島も、住民の人達と協力して各浦々との融和を計るお手伝いが出
来れば幸いだと考えて次の計画を練っているところです。
NPO 法人
サンミック出島
小佐々 研介
31
第5章
課題と計画(委員の考察)
5、福島友子・高尾直子
島のリーダーを発掘するのが近道
今回のイベントを通して、「何を目指していくのか」具体的な方向づけをしないと意味が
ない。今後の島の将来は非常に厳しいという認識は「語る会」でもかなりの方が発言されて
いた。民間レベルでの島のリーダーを発掘して島をリードするようにすることが近道と考える。
幼い時を過ごした自分としては応援できることはできるだけ努力したい。
元虹ヶ丘病院部長
福島 友子
外海地区との交流や IT による情報の共有化が大切
最初は教会でコーラスをという相談があって自分なりにアドバイスをしてきた。
「語る会」に参加して感じたことは新上亓島町のそれぞれの分野の方は問題点をキチンと把握
されていると思った。
問題は誰かが中心となり何かに挑戦していく事だと思う。
このような厳しい時代には女性の力は大切なものであり、外海地区ではカトリック信者のある
女性が分かりやすい形で活躍されている。歴史的に外海のキリシタンが亓島に移住したとも聞
いている。新上亓島町と外海地区の交流を企画して、ノウハウをお互いに学ぶということは実
現可能と思う。
もう1つ、「長崎の教会群を世界遺産にする会」ではパソコンメールに世界遺産に関する情
報が流れてくる。新上亓島町と長崎にそういうことをする方をお願いして情報を共有化する
ことが大切である。
高尾歯科医院理事
高尾直子
32
第5章
課題と計画(委員の考察)
6、高橋彰夫
次へのスッテプへ「継続は力なり」
上亓島ネットワーク形成のために異分野のキーマンを訪問し、目的と内容を理解して
いただいて、協力をお願いして廻った。
今まで「まちづくり」については行政や企業など大きな組織が具体的に計画し費用を
かけて離島振興策として対応してきたが、尐子高齢化、経済問題の深刻化、漁業、商業
低下による雇用丌安など大きな問題を抱える中で事態はますます深刻化しているように
感じられた。
そういう背景の中で、今回の主旨に賛同していただくためには現地にはとまどいもあ
り、イベント実施の道のりは厳しかった。
今回の研究内容は長い歴史の中でどちらかというと、今までタブーの課題であり、な
により、地元が主役で推進しなければ課題解決の糸口は掴めない。
ネットワーク形成のためには今後も継続して、このような実証計画を実施する必要が
あると思う。現地の実行委員の方は(60代)「生まれて、初めて教会に行く(世界遺
産のまちづくり)協力する」と二つ返事で協力していただいたが、宗教、地域などで見
えない大きな壁があり、「まったく初めての試み」という言葉は語る会でのご意見であ
った。
語る会、車座談義の中で、全体には大人から子供まで、厳しい現実に「問題である」
と思っているが、具体的にどうしたら良いか分からないということである。
今回のイベントを通して、今を考えるキッカケになり、次への行動のスッテプにして、
このような垣根のない事業が継続されれば、よいがと願う。
NOP 法人
サンミック出島
高橋 彰夫
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あとがき
イベント終了後、翌日の昼食の時、芽生えたことを紹介したい。
カトリック信者の方が自分の思いを語ってくれた。
「奈摩地区(新上亓島町)に青砂ケ浦教会地区めぐり歌というのがある。地名を盛り込んで9番ま
であり、曲もついていて皆で歌っている。私はこれに踊りがあれば、みんなが楽しいと思う。勿論
信者ばかりでなくみんなでさー」 今回、実行委員としてさまざまな協力をしていただいた元有川
病院婦長の川端さんが答えてくれた。彼女は先祖伝来の仏教徒である。「私が知り合いの踊りの先
生に振り付けをたのみ、自宅を練習場に開放すると」
場は盛り上がった。100周年の記念「日本てぬぐい」をほっかぶりして町民の誰もが重要文化
財の教会前で、「ご当地おどり」を全国に発信できれば・・
宗教の壁を越えて、地域のかべをのりこえて 踊りの輪が尐しづつ大きくなれば 何かが出来る
のではないかと心から思う。
企画して約1年、青砂ケ浦教会の大山神父、政彦神社吉村宮司、有川病院の元婦長の川端逸子さ
ん、舛田製麺会長の舛田安男さん、婦人会の人々、語る会とイベントに参加していただいた多くの
亓島の人々に心からの感謝の意を申し上げます。
やっとスタートラインに立つことができました。これからホップ、ステップ、ジャンプできるこ
とを祈ります。
NOP 法人
サンミック出島
高橋 彰夫
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巻末添付資料
1、 DVDによる映像
撮影・編集・・・・・・・・・NOP 法人
・イベントの記録
2、
サンミック出島
小山昭二郎
チラシ 広報
・ チラシ
・ 新上亓島町誌「かみごとう」
・ 記念「日本てぬぐい」
青砂ケ浦教会
献堂100周年記念プレイベント
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記念「日本てぬぐい」