救済史

Ⅰ
キーワードによるキリスト教概論
救
済
史
芦田
道夫
はじめに
ここで取り上げるのは「救済史」という言葉ですが、これは取りも直さず私た
ちは聖書を救済史として読むのだ、ということを示しています。しかしクリスチ
ャンすべてが、聖書を救済史として読んでいるわけではありません。ある人たち
は、あるいはある時代には聖書をまるで辞書や百科事典のように世界と人間のす
べてを説明するものとして、また道徳的規範を中心に読んできました。もちろん
そのような読み方が全く間違っているというわけではありません。聖書にはその
ような働きもあることは事実です。しかし、私たちはそれらのことは聖書の周辺
的なはたらきであると考えます。もっと聖書全体を貫く、独自の中心的テーマが
あると受け止めているのです。それが「救済史」と呼ばれているものです。
きゅうさいし
きゅうじょうし
1 .「 救 済 史 」 の 意 味 ( 昔 は 「 救 拯 史 」 と 言 わ れ て い ま し た )
「 救 済 史 」 = ド イ ツ 語 の Heilsgeshichte ( ハ イ ル ス ・ ゲ シ ヒ テ ) の 訳
英 語 訳 で は History of Redenption ( リ デ ン プ シ ョ ン = 救 い 、 贖 い )
前 半 の Heil ハ イ ル は 「 救 済 」「 幸 運 」 の 意 味 、 後 半 の Geshichte ゲ シ ヒ テ は 「 歴
史 」「 出 来 事 」 と い う 意 味 で す 。 つ ま り 、 聖 書 は そ の 全 体 が 「 神 の 人 類 救 済 の
歴史」である、という立場です。これは、聖書の中だけにとどまらず、人間には
単に人間の歴史としか見えない一般史(学校の歴史で教えられるような意味で)
も実は神の人類救済の意味をもつものとして歴史を見るという広い意味でも使わ
れます。さらに、これを救済史とは言いませんが、このような立場は個人の生涯
をも神の救済の歴史から観るようになります。人生の一コマ一コマに神が永遠の
御国に向かって導いて下さっているを見るのです。
【その他の受けとめ方】
・聖書は(宗教的目的で)集められた律法・歴史・文学の集積である
・聖書は宗教の進化論的発展の歴史(多神教→一神教→唯一神教)を示す
・ 聖 書 に 歴 史 性 を 求 め て は な ら な い 。( 宗 教 的 ・ 道 徳 的 真 理 の 書 )
2.救済史的解釈
「救済史」は多くの場合、聖書の解釈原理として使われます。その場合、特に
キ リ ス ト の 贖 罪 の 出 来 事 を 中 心 に し て 、旧 約 聖 書 を 解 釈 し て い く こ と を 指 し ま す 。
つまり旧約の歴史を、キリストによる贖罪の完成へと致る神の救いの歴史と解釈
するのです。
たとえば、旧約聖書にはイスラエルの敵を絶滅させよ、という言葉がたびた
び 出 て き ま す が 、そ れ は「 汝 の 敵 を 愛 せ よ 」と い う イ エ ス の 言 葉 と 矛 盾 し ま す 。
このような場合、救済史的解釈は旧約時代の段階では、神はイスラエルをとお
して救いの計画を行われていたのであるから、神がイスラエルの敵を滅ぼすと
いうのは、ある民族ではなく神の救いの計画に敵対する者を滅ぼすという意味
で あ る と 考 え ま す 。新 約 聖 書 に お い て も 神 に 敵 対 す る 勢 力 は 滅 ぼ さ れ る の で す 。
( マ タ イ 1 2 章 2 2 節 以 下 、使 徒 5 章 の ア ナ ニ ア と サ フ ィ ラ の 例 な ど )
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このように救済史的解釈は旧約聖書の解釈に重要なものですが、教会時代の解
釈や再臨の理解にも同じように適用されるものです。旧約聖書の全歴史も新約以
降の教会時代も一続きの、どれも欠いてはならない神の経綸と受けとめることに
よって、キリストの贖罪が完成した後もなぜ旧約聖書を正典として、神の言とし
ているのかという問いに答えることになるのです。
3.救済史的解釈としての予型論
救 済 史 的 解 釈 の 代 表 的 な も の は 、「 予 型 論 」( Typology ) と 言 わ れ る も の で す 。
新約聖書の例では、モーセが荒れ野で上げた青銅の蛇はキリストの十字架の予型
であり、三日三晩大魚の腹の中にいたヨナがはきだされたのはキリストの復活の
予 型 で あ る 、と い う も の で す 。 ど ち ら も イ エ ス 御 自 身 が 語 ら れ た も の で す の で 、
予型論はキリスト教的旧約解釈のもっとも基本と考えられます。
つまりキリストによって完成した救済の出来事から旧約聖書の出来事、人物な
どの霊的意味を解釈するのです。この場合、新約聖書において成就した救いの出
来 事 を 「 原 型 」、 そ れ に 対 応 す る 旧 約 聖 書 の 出 来 事 を 「 予 型 」、 対 照 的 な 出 来 事
を 「 対 型 」( 1 コ リ ン ト 1 0 : 5 な ど ) と 言 い ま す 。 か な ら ず し も 新 約 聖 書 に あ
る も の に だ け に は 限 ら れ ま せ ん が 、 そ の 場 合 は 注 意 が 必 要 で す 。。
予型論は歴史的解釈から離れた寓意的解釈にならないようにすることが実際上
む ず か し い と い う 問 題 が あ り ま す 。た と え ば 、創 世 記 3 : 2 1 の「 皮 の 衣 」か ら 、
これはキリストの犠牲のことを語っている、というのは寓意的であって予型論と
は言えません。なぜなら、ここで聖書は動物の犠牲について、あるいはアダムと
エバを覆うために命の代価が必要であったということを言おうとしているわけで
はないからです。ただ、神はエデンから追放される二人にも配慮してくださった
ということは、言うことができるでしょうが。ラハブの赤いひもなども同じこと
で す 。・ ・ ・ ・ こ の よ う な 解 釈 を し て は い け な い 、 と い う こ と で は あ り ま せ ん 。
ただ、救済史的解釈(予型論)ではないということです。
予 型 論 的 解 釈 で は な い 救 済 史 的 旧 約 解 釈 と し て は 、契 約 と そ の 更 新 、
「神の国」
の約束と成就、キリスト証言などによって旧約聖書から新約聖書への歴史的つな
がりを考えるものなどがあります。
4.聖書の救済史的構図
①世界の創造
②イスラエルの選び・・・・アブラハム(父祖時代)
③律法の附与・・・・・・・モーセ
④預言者時代・・・・・・・王国
⑤イエスの時・・・・・・・時の中心としての十字架と復活
⑥教会時代(聖霊の時)
⑦再臨(終末)
◎創造から再臨に向かって神の計画が進む
◎イエスの「十字架と復活」を「時の中心」として過去と未来を解釈する。
◎聖書全体を救済史という枠組でとらえますが、つねにキリストの贖罪におい
て 決 定 的 に 解 決 さ れ た と 見 ま す 。 O. ク ル マ ン は こ れ を 第 二 次 大 戦 中 の 戦 い
に な ぞ ら え て D ( Decided )- D a y と V ( Victory )- D a y と 呼 ん で い ま す 。
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5.救済史的解釈の問題点
救済史的解釈の問題点は、聖書の歴史的記述と史実との関係をどう見るか、と
いうことに集中しています。聖書に記されているさまざまな奇跡的な出来事を、
私たちが今経験して「事実」としているような意味で、史実とするのかどうかと
いう問題です。その代表的な考え方をあげておきます。
①聖書の記述は人間の知識・知恵が及ばないために解明できないだけであって
すべて書かれているままに事実である。
(根本主義ファンダメンタリズム)
・・・・聖書の細部にいたるまでこのように考えると、現代までの人間経
験や科学、歴史学、文学などほとんどの文化と対決することにな
る。救済史は現代にまで延びているが、現代との落差を埋めるた
めに、独自の神学的理由を考え出さなくてはならない。
②聖書が記す歴史は、人間の「自然的」歴史ではなく、人間の「救いの」歴史
である。したがって少なくとも救いの使信に関する範囲では確かな史実性
を も っ て い る 。( J.C.K. ホ フ マ ン )
・・・・逆に言えばそれ以外の箇所は、歴史的事実である必要はないこと
に な り 、ま た 史 実 性 と い う 問 題 を 神 学 的 前 提 で ふ る い 分 け す る こ と に な る 。
③救済史とは歴史学的な意味での歴史ではなく、著者や編集者が描いている歴
史に関するものであって、事実的出来事をどの程度正確に伝えているかは
問題ではない。重要なのは神の救済史を信じた信仰、信仰告白である。
(フォン・ラート)
(渡辺善太氏は「聖書自身の救済史」として、歴史学を問題にしない)
・・・・歴史の事実に基づく歴史と、信仰に基づく歴史の二本の線を考え
て、使い分けることになる。信仰に事実性、歴史(学)性は必要
ないことになる。
④奇跡的出来事の物語をそのまま歴史学的な意味での事実と考える必要はない
が、その時代の表現(神話的、奇跡物語、詩など)をとおして語り継がれ
るようになった、その種となった事実はあるはずである。
・・・・どの記述がどの部分でどの程度史実性があるのか、ということを
決められなければ、抽象論であって現実に意味を持たない。
6 .「 救 済 史 ( 的 解 釈 )」 の 歴 史
通 常 「 救 済 史 」 的 な 聖 書 解 釈 は ド イ ツ の 敬 虔 派 神 学 者 ベ ン ゲ ル ( 1687-1752 )
か ら 始 ま る と さ れ て い ま す 。( も ち ろ ん 聖 書 の 中 に す で に あ り ま す が )
ホ ー リ ネ ス の 信 仰 的 始 祖 ジ ョ ン ・ ウ ェ ス レ ー ( 1703-1791 ) は 新 約 聖 書 注 解 を 書
き、それをメソジストの聖書解釈の基礎としていますが、その新約聖書注解はベ
ン ゲ ル の 「 Gnomon Novi Testamenti」( 通 称 「 グ ノ モ ン 」; 英 訳 あ り ) に し た が っ た
ものです。その序文で次のように述べています。
;「 わ た し は 一 時 、 霊 感 を う け た 著 者 の も の 以 外 は な に も 参 考 に し な い で 、
わたし自身の心に浮かんだものだけを書き記そうと計画した。しかしキリ
スト教界の偉大な光であるベンゲルを知るに及んで、ただちにわたしは全
然自分の計画を変えてしまった。それは、彼の「新約聖書指針」を単に翻
訳するだけでも、新約聖書について多くの書物を書くよりも、信仰に資す
るところが多いと堅く信じたからである。それ故、わたしは、彼のすぐれ
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た注を数多く翻訳した。それよりも多くの注を単に批判的研究に関する部
分 は 省 き 、 残 り の 部 分 の 実 質 を と っ て 簡 略 に し て 記 し た 。」
19世紀中頃近代的自由主義神学に反対する保守的な人たちに引き継がれまし
たが、19世紀後半から20世紀初期には宗教史学派(聖書を宗教の発展過程と
見る)の台頭で無視されてしまいました。19世紀中頃に代表的人物であるドイ
ツのホフマンが高等批評にさらされた旧約聖書のキリスト教的意味づけのために
「救済史的解釈」を提唱しましたが、当時の主流からは無視されました。しかし
アメリカではメソジストを中心とするリバイバル運動に引き継がれていました。
しかし、20世紀になって次第に新約聖書の終末論的性格が注目されるように
なり、旧新約聖書を始源から終末に至る一貫した歴史と見る救済史的解釈が再認
識 さ れ る よ う に な り ま し た 。( バ ル ト な ど に よ る 聖 書 を 啓 示 と 見 る 見 方 な ど )
聖書は古文書の集積ではなく、全体が「救済史」という枠組をもつ神の啓示であ
るとの理解です。聖書以前の資料を仮定して、聖書をバラバラの目的をもつもの
として解体し、無意味化する動きにストップがかかったのです。また一方で、歴
史性を無視する実存主義的解釈に対抗するのも救済史的解釈です。
※参考資料として日本ホーリネス教団総理であった、車田秋次師のまとめられた
「 旧 新 約 聖 書 預 言 的 図 解 」(「 御 霊 の 法 則 」 付 録 ) を 添 付 し ま す 。
これは車田師がアメリカのスコフィールドに依りながら独自の解釈を入れたも
ので、救済史的解釈の一つの例となります。スコフィールドは歴史を救済史の
観点から明確に区分して、図式的に説明する代表的(究極的?)人物で、この
ような考え方を「ディスペンセイショナリズム」と言います。
Dispensation = ( 神 の ) 計 画 、 意 図
車 田 師 の 説 は : ① 無 罪 時 代 ( ア ダ ム か ら そ の 堕 落 ま で ): エ デ ン 期
② 良 心 時 代 ( エ デ ン 追 放 か ら ノ ア の 洪 水 ま で ): 洪 水 前 期
③ 人 政 時 代 ( 洪 水 後 か ら 世 界 の 諸 民 族 の 組 織 ま で ): 洪 水 後 期
④ 約 束 時 代 ( ア ブ ラ ハ ム の 召 命 か ら モ ー セ ま で ): 父 祖 期
⑤律法時代(律法授与からキリスト初降臨まで)
⑥恩恵時代(聖霊降臨から空中再臨まで)
⑦患難時代(空中再臨から地上再臨まで)
⑧千年期時代(地上再臨から)
【課
題】
「聖書中の救済史的記述」を複数箇所。
・・・・分量は自由・提出は次回まで。郵送・ファックス・メール可。
将来このプログラムが単位制になった時には、課題提出をもって単位認定に
な り ま す 。( そ れ 以 前 の も の も 遡 っ て 認 定 さ れ ま す )
【 参 考 と な る 本 】・ ・ ・ 救 済 史 に 関 す る 参 考 書 は ほ と ん ど あ り ま せ ん
「 よ く わ か る キ リ ス ト 教 」 土 井 か お る 、 PHP 研 究 所 ¥1,350
一 部 問 題 も あ り ま す が ( P39 な ど )、 簡 潔 に 諸 問 題 を ま と め て い ま す 。
「 キ リ ス ト 教 信 仰 の 基 礎 」 フ ロ イ ド ・ ハ ミ ル ト ン 、 い の ち の こ と ば 社 、 ¥4,725
「キリストと時」O.クルマン、岩波書店・・・多分、今は手に入りません
手 に 入 り ま せ ん が 「 聖 書 講 座 2 」「 教 義 学 講 座 2 」 日 本 基 督 教 団 出 版 局 な ど
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