宇宙飛行士とアンパンマン

宇宙飛行士とアンパンマン
人は言葉とともにある。
山口 タオ
やまぐち・たお
童話作家。兵庫県生まれ。東京在住。星新一ショートショート
コ ン テ ス ト 最 優 秀 作 受 賞。 著 作 は、 童 話『 の ら ね こ ソ ク ラ テ
ス』シリーズ(岩崎書店)、講談社スローブックシリーズ、諺
学
< 校を楽し
を掲げて、出前授業を行う。出前募集中です。
>
遊び本『ことわざおじさん』(ポプラ社)など。
く
メージの集積といえば近いか。声や文字になる前の段階とも言
え て、 形 が 定 ま ら ず、 瞬 間 ご と に 浮 か ん で は 消 え て し ま う の
を行っている。その教室では、直接子どもたちと触れ合う楽し
とのない時間はたくさんある。だから言葉を使わないことも多
一日の中で、話したり聞いたりしない時間、読むこと書くこ
で、気づきにくい。
さだけでなく、いろいろと考えるきっかけをもらうのでありが
い、と思っている。しかし考える時にも言葉を使うとなると、
ぼくは童話作家なのだが、時々小学校から頼まれて出前授業
たい。
ことにならないか。いや、夢を見ている間も……。
これほど言葉は人間と密着しているものだったのか、と今さ
目が覚めた時から眠りにつく時までほとんどずっと使っている
言葉って何ものだろう? そんなことを考えてみたのも、言
葉 遊 び 授 業 を や る の に、 遊 ん で げ ら げ ら 笑 っ て い る だ け で は
ちょっと申し訳なくなって、少しは身になることを加えよう、
もに子どもたちに伝えることにしている。言葉がぐっと身近に
らながら気がついて、そのびっくりを、言葉遊びの楽しさとと
なって、本好き、国語好きになってくれれば、授業をやった甲
と思ったからだ。
考え出すと、分かることがあって面白い。
斐がある。
当たり前のように使っている言葉だが、それは何かと改めて
見つめると、まず口から出て、声になり、相手の耳に入る。ま
他 者 と の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン が で き な く な る。 だ が そ れ 以 前
人は言葉とともにある(存在する)。もし言葉がなかったら、
葉には、声と文字という二つの現れ方・使い方がある。
に、考えることができない、ということなのだ。それでは人間
た、手で書かれて、文字になり、読み手の目に入る。つまり言
「 で も 言 葉 に は も う 一 つ、 使 い 方 が あ る ん だ。 い つ ど こ で
と呼べないだろう。
先のソチ五輪では、フィギュア男子羽生結弦選手の金メダル
人は言葉によって造られる。
言葉を持った時に人間が誕生したのだ。
使っているか、分かるかな?」
と、見つけた答えを出前授業の教室で質問にしてみた。意外に
分からないものだ。
分かったあ、とあちこちで笑顔が出る。
「ようく考えてみて。ほら、か・ん・が・え・て」
―
というと、
言 葉 は 心 の 中 で、 考 え・ 思 い と な っ て 現 れ て い る の だ。 イ
2
教科研究国語 No.198
れた。けれど、いつまでも記憶に残っていくのは、フィギュア
ジャンプでの四十代メダリストが日本に興奮と歓喜を与えてく
獲得やスノーボードハーフパイプでの十代メダリスト、スキー
逆の恐さも実感できるし、知っておかなければならない。
を砕いて、生きる力を奪ってしまうことがある。そんな言葉の
人間の本来の姿だ。そう考えれば、心ない言葉や無視が人の心
世界が認める浅田選手だが、ショートプログラムで緊張のあ
んできて、長く居座っている二つの言葉について書こう。心の
ここまでを長い前置きとして、ぼくの心にずっと昔に飛び込
女子の浅田真央選手がくれたメダルにはない感動だろう。
まり失敗ジャンプの連続で、まさかの 位に沈む。だがそのわ
底の大事な一部になっていて、今も自分を動かしている。
中学生にもぜひ伝えたい。そしていっしょに深く考えてほし
い言葉だ。
〈地球は青かった〉
一つは、一九六一年四月十二日に生まれた言葉だ。
その日、ロシア(旧ソビエト連邦)の宇宙飛行士ユーリ・ガ
ガーリンがロケットに乗って、人類で初の宇宙飛行を成し遂げ
紀の名言となっている。なにげない素朴さと簡潔な響きで、半
「あとはもうほんとに死ぬ気で行け。もし何かあったら、私
世紀後の今も瑞々しい感動が伝わってくる。
た。その時、宇宙から地球を眺めて言った言葉として、二十世
る」
による人類初の月面着陸に繋がるのだが、日本では東京オリン
ここから宇宙一番乗り競争が始まり、一九六九年のアメリカ
人間は一人一人別々だが、言葉を共有することで心が繋がる
ちょうど自分の中学高校時代と重なっていて、そこに入って
ピックから大阪万国博覧会に続く経済成長真っ盛りの時代だっ
きた言葉だ。ちなみに初の月面着陸時にはアームストロング船
のかもしれない。そうやって個人では限界のある知識や経験や
あの時、浅田選手の心にコーチの信頼と自信が流れこみ、前
長(アメリカ)の「この一歩は私にとっては小さな一歩だが、
た。
日 の 孤 独 な 自 分 と は 違 う、 よ り 大 き な 強 い 心 の 自 分 に 変 わ っ
―
ち ょ っ と カ ッ コ 良 す ぎ る ん じ ゃ な い か、 と 当 時 月 を 見 上 げ て
人 類 に と っ て は 大 き な 一 歩 だ 」 の 名 言 が 生 ま れ た が、
人が言葉によって造られるのを見た瞬間だった。
思ったことを覚えている。なんだか事前に用意してあったハリ
思えた。
た。そして臆することなく滑走し始めた。ぼくにはそんな風に
思考力を加えながら、成長できるようになっているのだろう。
だ。
い つ に な く 強 い 口 調 で 言 っ て、 最 後 の リ ン ク に 送 り 出 し た の
が リ ン ク の 中 に 助 け に 行 け る か ら。 自 分 を 信 じ て。 絶 対 で き
に、
熱 に 襲 わ れ な が ら も 滑 り 切 っ た 話 を 語 っ た 後、 そ の 時 と 同 じ
翌日も放心状態にあった浅田選手に、コーチは昔、教え子が高
そのドラマの陰には佐藤信夫コーチがいた。落胆と失意で、
世界中を感動させたのだった。
やってのけた。終えたと同時にあふれた涙が、日本だけでなく
ぶ と い う 世 界 初 の 至 難 の プ ロ グ ラ ム に 果 敢 に 挑 ん で、 完 璧 に
ずか二十四時間後のフリーで、 種類のトリプルジャンプを跳
16
他者の言葉も自分の言葉として、心を繋ぎ合って生きるのが
宇宙飛行士とアンパンマン
3
6
ウッド映画のセリフみたいだったからだ。
すべての人間の心に届いた宝石のような言葉だった。なんと幸
運だろう。その前日まで地上の誰一人として知らなかった。歴
史上のどんな天才・英雄たちも地球が美しいことを知らずに生
涯 を 終 え て い っ た の だ。 ガ リ レ オ や ニ ュ ー ト ン は も ち ろ ん、
一九五五年に亡くなったアインシュタイン博士でさえも。
なのに、この二十世紀からの素晴らしい贈り物を現代の子ど
もたちは受け取っていない、というのだ。もらったのは「地球
は青く美しい星である」という写真付きのカタログのような知
4
教科研究国語 No.198
さ て、 そ れ よ り ず っ と 気 に 入 っ て い る 名 言〈 地 球 は 青 か っ
た〉なのだが、今の中学生が聞いて、どう思うだろう。
知っている生徒は多いと思う。が、正直、感動はしないだろ
う。写真や映像で地球の青く美しい姿をとっくに知っている。
何を今さら、ということだ。実際、出前授業で返ってきた反応
でもある。
それはとてももったいないことだ。……そう感じたのは十年
識だけだった。
「知っているつもりじゃだめだ。綺麗な景色や花の写真と本
以上前、二十世紀が終わる頃で、童話作家として、二十一世紀
に生きる子どもたちに何を伝え残そうか、と探している時だっ
ぼくは二十一世紀の初めに寓話絵本『このすばらしい世界―
地球の美しさを」
物がどれくらい違うか、考えてみて。そして想像してごらん、
とはなん
た。ずっと心の隅にあった〈地球は青かった〉がふと甦り、ぼ
くはそれを伝えることに決めた。
―
ロバが語った宇宙飛行士の話』を書いた。嬉しいことに小学校
自分が住んでいる星がたとえようもなく美しい
と幸福なことではないか。人類史上、ついに地球から宇宙に飛
六年の国語教科書(学校図書発行)に採用されて、その縁で頼
街の小さな音楽祭で、遠い被災地を想って、みん
なで歌­を歌いました。
「TOHOKU の空へ」(CD)
び出して、それを知ったとはなんと誇らしいことではないか。
大きな数を実感する秘伝米つぶ換算術「もしも日
本人がみんな米つぶだったら」(B5 変型,39p)
ま れ る 出 前 授 業 で 本 を 朗 読 す る。 そ の 最 後 に み ん な に 目 を つ
笑いと悲哀のことわざパロディ傑作選「ことわざ
おじさん」
(B6,128p)
〈地球は青かった〉はその日、分け隔てなく平等に、地上の
寓話絵本「このすばらしい世界―ロバが語った
宇宙飛行士の話」
(A5,47p)
ちながら、巨大な球体が静かに浮かんでいる。ここに人類のす
「宇宙はほんとうに真っ暗闇だ。そこに青く瑞々しい光を放
た〉は世界の外側に出て、初めて世界を見渡した言葉だ。それ
じつはそれもこの名言に示唆があったのだ。〈地球は青かっ
どうしたら守護の役割に目覚めるのか。
れないでいる。
べてがいる。すべての生命がこの中にある。青い光は生命を宿
までは地表面にへばりついた二次元的な見方しかできなかった
ぶってもらい、こう話す。
した輝きなんだ。その中で君たちもいっしょに光りながら、今
人類に、宇宙からの三次元の視点が加わったことになる。世界
そんな
を故郷として愛する、ほんとうの意味での〈地球人〉になるの
目を備えれば、意識が大きく広がる。そして国家を超えた地球
の外側に立って、世界全体と自分を同時に見つめる
―
も宇宙を旅しているんだ」
子どもたちの心の中で〈地球は青かった〉という言葉が輝き
始めるのを知るのは嬉しい。
昨年夏に大人相手に朗読した時は、さらに探究できて、楽し
ガ ガ ー リ ン の 素 朴 な 言 葉 は、 地 球 人 へ の 進 化 を 示 唆 し て い
ではないか。
そう思ったら、イマイチだったアームストロング船長
る。
―
はロバに教えられて、
の「大きな一歩(飛躍)」もちゃんと繋がって、好きになって
人間だから地球の美しさを知ること
が で き た、 と 気 づ く。 も し 人 間 が 地 球 か ら 飛 び 出 せ な か っ た
きた。
寓話の中で、地上に降り立ったガガーリンらしき宇宙飛行士
かった。
―
ら、この究極の美が無駄になったのだろうか……。人間と地球
生物の進化は時間がかかるものだ。ならまだたったの五十年
〈地球は青かった〉はずっと昔、自分の中高生時代に入って
じゃないか。そう考えて、希望を持ち続けることにした。
きた言葉だが、それ以来心の隅に住み着いて、宇宙に興味を持
という話だ。
の 間 に は 根 源 的 な 繋 が り が あ る に ち が い な い。 そ う 思 い 至 っ
―
生命を育む地球という星の価値が分かる人間。ならばそれを
て、男は遠くを見はるかす
守護する役割を与えられたのではないか。それが人類の存在意
書かせたりして、ぼくを動かしている。きっと同様の人々が世
たせたり、本を書かせたり、出前授業をさせたり、今この文を
二十世紀半ばのあの日、人類は誕生以来初めて、地球という
界中にいて、中にはとうとう宇宙飛行士になるところまで動か
義なのかもしれない。
星の姿を知った。
〈地球は青かった〉は地球発見の言葉だ。そ
された人がいるかもしれない。
人類の心
言葉というものを人間は持っているのだから。
国際宇宙ステーションに初の日本人船長が誕生する。宇宙か
とのできる
―
それは可能だ。どんなに離れていてもたくさんの心を繋ぐこ
を一つにすることだ。そうぼくは思い込んでいる。
ることだ。だが、宇宙飛行士のいちばんの役割は
―
宇宙でのミッションは、そこでしかできない実験や観測をす
して同時に、自分たちへの手がかりになる人間発見の言葉だ。
……ぼくはそう受け取っている。
言葉は人を繋ぎ、世界を変える。
素晴らしい美しさを知ってから半世紀が経つ。なのにまだ人
間は戦争を続け、資源をむさぼり、地球を傷つけるのを止めら
宇宙飛行士とアンパンマン
5
ら の 美 し い 映 像 と と も に、 多 く の 人 を 繋 ぐ 言 葉 を 期 待 し て い
〈生きる喜び〉。
る。ジョン・レノンの〈イマジン〉のような……。
―
う。惜しくもやなせさんは昨年末に亡くなったが、たくさんの
人に生きる力をくれたのだ。いや、今もアンパンマンが力を与
え続けている。
〈地球は青かった〉は、自分のいる世界と人間のことに目を
開 か せ、 想 像 力 を 解 き 放 っ て、 ぼ く の 心 を ぐ ん と 広 げ て く れ
伝えたいもう一つの言葉
これは二〇一一年三月十一日の後、心に入ってきた。漫画家
日を歩む力を与えてくれた。今も二つの言葉が自分を支えてく
た。〈生きる喜び〉は自分の内側の深いところを照らして、今
る。だから言葉が生まれたのはずっと以前だが、東北大震災直
れているのを感じる。
や な せ た か し さ ん 作 詞 の「 ア ン パ ン マ ン の マ ー チ 」 に 出 て く
後の被災地で、避難所や仮設住宅の人々をこの歌が勇気づけて
ウジアラビアの宇宙飛行士の言葉を紹介しよう。空の彼方から
そう願いながら最後に、出前授業の締めくくりに朗読するサ
中学生のみなさんが良い言葉と出会えますように。
大 人 気 の ア ニ メ だ か ら 歌 は 耳 に し て い る。 だ が 改 め て 聞 い
いる、とニュースで知って、ぼくは出会ったのだ。
て、 そ の 歌 詞 に 驚 い た。 幼 稚 園 児 た ち が こ れ を 歌 っ て い る の
響く美しい詩のようだ。
(スルタン・ビン・サルマン・アル=サウド)
中学生たちにもぜひ読んであげてください。
だった。
五日目、私たちの目に映っているのは、たった一つの地球
三日目、四日目は、それぞれが自分の大陸を指さした。
最初の一日か二日は、みんなが自分の国を指さした。
か、と思うと。
そうだ うれしいんだ
生きる 喜び
…………
なにもかも奪われた被災者の心に、この歌詞がどう響いて、
生きる気力を奮い立たせたかは、遠くにいる自分にはほんとう
は分からない。けれど〈生きる喜び〉という普段聞けばなにげ
追記:東日本大震災の時、アンパンマンに歌の力を教えられ、
ない言葉がだんだんと深く心にしみこんできた。
人間は誰でも自分が生きる意味に悩む。だが頭で考えても分
OHOKUの空へ」検索ください。
いための歌なので聴いてみてください。 YouTube
にて題名「T
ぼくは被災地を想う歌を作って、みんなで歌いました。忘れな
そう教えてくれている気がした。
かりっこない。生きて、喜びを感じることだ。生きていること
―
自分は生きている……。そう思うだけで、力が湧いてくるで
が喜びなんだ。
はないか。
だからこれは人間の深いところをとらえた真実の言葉だと思
6
教科研究国語 No.198