北越製紙:敵対的買収からの独立防衛 - Institute for Public Relations

論文(依頼)
北越製紙:敵対的買収からの独立防衛
Don W. Stacks
山村 公一
(株式会社メディアゲイン)
(マイアミ大学教授)
(執筆当時はマイアミ大学コミュニケーション学部博士課程在籍)
掲載にあたって
本編は筆者がマイアミ大学博士課程在籍中、ドン・スタックス教授の指導の下共著として 2008 年に執筆
したケースを和訳したもので、The Institute for Public Relations(産学共同研究支援機関)がオンライン
出版するバージニア・コモンウェルス大学ジュディ・ターク教授とバージニア州立ノーフォーク大学リン
ダ・スキャンラン元教授の編集による The Evolution of Public Relations: Case Studies from Countries in
Transition, Third Edition (2008) に 収 録 さ れ て い る。http://www.instituteforpr.org/topics/evolution-of-prthird-edition/
書式は自由だが、要約、問題点、背景、タイムライン、ゴールと目標、対象とするパブリック、戦略、戦術、
結果について記述するよう、執筆に先立ち示唆された。これは他の著名な広報ケース集の内容とも概ね一致す
る。広報キャンペーンの対価も記述するよう要請があったが、日本では一般的に公表されておらず文化的にも
なじまない旨を伝え、本文中にそれに関する若干の記述を加え、編者の了承を得た。
このケースは米国を中心とする英語圏の広報研究者を対象に執筆したもので、日本人から見ると説明過多の
ところもあり、逆に省略したところもあることをご理解願いたい。また、翻訳にあたり字数制限のため、初出
時を除き王子(製紙)
、北越(製紙)と社名の一部を省略し、ティーチングノートは削除した。
なお、本ケースを翻訳し、広報研究に出稿することについて、スタックス教授、ターク教授、The Institute
for Public Relations の CEO、フランク・オヴァイト氏の了解を得ている。
要約
2006 年 7 月 23 日、日本最大かつ世界第 7 位の製紙会社である王子製紙は、新潟に主要施設を有する日本第
6 位の北越製紙に対し 50.1%の株式取得を目指す敵対的 TOB を行うと公表した。これは、歴史ある伝統的企
業が他の上場企業への敵対的 TOB を仕掛ける日本初のケースとして画期的な出来事であった。北越は弁護士
やフィナンシャル・アドバイザーに加え、コミュニケーション・アドバイザリー会社のメディアゲインに防衛
タスクフォースに加わるよう要請した。
歴史の検証、経営陣へのインタビュー、業界分析の結果、次のキー・メッセージが特定された。1)特化し
た技術的優位と経営基盤を保つには北越は独立を維持しなければならない、2)北越の独立維持と新潟におけ
る存在の継続は、地域コミュニティの繁栄に欠かせない、3)二大勢力が存在する製紙業界にあって、強力な
第三勢力の存在は業界の健全な発展のために欠かせない。
メディア・リレーションズ、エンプロイー・リレーションズ、そして経営陣による地域政財界とのコミュニ
ケーションにより、北越は新潟地方の株主、機関投資家、他地域の個人株主などの支持を取付けることに成功
した。
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問題点
王子が提示した株式買付け価格は、TOB 公表前の北越の株価よりおよそ 35%高かった。単純な「株主価値
モデル」に従えば、この買付け価格は無視できないものであり、もし王子が価格引き上げをおこなえば、価格
に対する反論も封じられる恐れがあった。野村証券を後ろ盾とした王子には、この戦いに勝利を収めるための
資金は十分にあった。独立精神と従業員ならびに地域社会との強い結びつきを基盤に事業を築きあげてきた北
越経営陣は、統合されればその強みは生かされないと考えていた。さらに、王子は国内各所に製造拠点を持っ
ているため、合併後に拠点が再編成されれば北越従業員の多くが職を失うことを危惧していた。北越にとり、
独立保持の重要性をわかりやすく株主に説明することは存続のための鍵であった。
背景
北越は 1907 年、東京から約 250 キロ北、日本海に面した新潟に板紙メーカーとして誕生した。1958 年に本
社機能を東京に移転したが、登記上の本社は新潟にとどめた。2006 年の時点で新潟に二工場、関東地方に二
工場を有していた。抄紙工程と塗工工程を一つにした製紙機械を初めて作ったのは同社である。北越の利益率
は業界でも最高水準にあり、製造設備の高効率でも知られていた。1964 年に死者 26 名倒壊家屋 8600 棟とい
う大地震が新潟を襲い、北越長岡工場も大きな被害を受けた。この被害からの回復過程で、北越の従業員、経
営陣、地域コミュニティの間に強い協力関係が育まれ、従業員のモラルも向上した。北越は王子に対抗しうる
規模ではなかったが、塗工紙に特化、東京に近い工場立地という優位性を持っていた。
王子は 1973 年、近代日本の最も偉大な企業家で銀行、鉄道、セメント、ビール、保険、製紙、さらには東
京証券取引所をも含む様々な企業を生み出した渋沢栄一によって創業された。彼はそれらの企業を私的な企
業グループとせず、日本経済の成長の基盤を構築した。王子を含むこれら企業の多くは、今日も日本経済の
重要な位置を占めている。度重なる企業買収の結果、王子は国内各所に 20 もの製紙工場を有しているが、中
には非常に古いものもあり、また木材供給地の近くに立地したため東名阪の消費地から遠く離れたものもあ
る。1990 年代には、王子は競争力維持のため製造施設の再編が必要と認識、今世紀に入り中国沿岸部の江蘇
省に工場建設を計画、2004 年に中国政府に申請を行ったが、認可は遅れ 2006 年となった。王子は競争力を維
持、向上するために早急に動く必要に迫られていた。
長い間、日本は財閥企業間の株式持合いと主要銀行による融資を通じた強いコントロールで知られていたが、
1990 年代のバブル経済崩壊以降、その姿を大きく変えてきた。BIS による自己資本規制と、不動産価格低下
に伴う不良債権の増加により、日本の主要銀行は財閥の要石としての役割を放棄、かつて主要銀行が財閥の枠
組みの中で果たした企業再建と救済という役割は、自由経済の手に委ねられることになった。
まず、カーギル、サーベラス、リップルウッド、ローンスター、W.L. ロス、カーライルなどの海外投資ファ
ンドが財閥の抜けた空白を埋め、破たんした銀行や企業を買収した。国内のプライベート・エクイティ・ファ
ンドも活動を始めた。2003 年には政府が 5 年間の時限組織として産業再生機構を立ち上げ、複雑にもつれた
再生案件を法的権限の裏付けを持ち処理を行った。同機構は株式や債権を株主や債権者から買い取り、不要な
資産や事業を売却し、必要に応じ経営陣を交代させ、再生企業をきれいな活力ある企業として市場売却した。
21 世紀に変わるころ、経済産業省出身の村上世彰が運営するいわゆる村上ファンド(MAC)が日本初の敵
対的 TOB を行った。その後 MAC は複数の敵対的 TOB を行うが、いずれも成功しなかった。2006 年に主要
幹部がインサイダー取引容疑で逮捕されるまでの間、対象企業の株式売却により高収益を上げた。村上ファン
ドは経済のパラダイムシフトに乗じたバブル崩壊の落とし子とみられているが、日本のビジネス文化の変容に
寄与したことも確かである。村上氏が元エリート官僚で、その投資活動が様々な議論を呼んだこともあり、主
要メディアは彼の活動を追った。村上氏に続き、スチールパートナーズ、ライブドア、ドンキホーテなどが敵
対的買収を試みた。これらはすべて失敗に終わったが、一連の報道の結果、企業価値や株式公開買い付けなど
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の言葉が市民権を得ることとなる。
日本は欧米から離れ、紙はその価格の割に輸送費がかかるため、日本の紙市場は長い間国内企業だけで成り
立っていた。しかし中国が市場としても生産者としてもその存在感を増し、製紙業界の世界地図は大きく変化
した。2003 年以降、欧州企業二社とシンガポール企業一社が中国沿岸部に大規模製紙工場を建設した。これ
らの工場が国内のみならず海外にも出荷を始めた結果、日本の紙市場は史上初めて国際競争にさらされること
になった。2000 年と比べ 2005 年の紙の輸入は倍増、国内消費の 8%を占めるに至った。王子とそのライバル
である日本製紙グループは企業統合や買収により世界 7 位と 9 位に成長。北越は国内で第 6 位、売上高はこれ
ら大手に比べ八分の一程度であった。燃料費の高騰と輸入品との競争で、さらなる統合についての議論が活発
になっていた。
日本の上場企業のほとんどは本社を東京に置き、業界団体や経済団体の活動を通じ社長同士が知り合いであ
ることが多く、北越の三輪正明社長と王子の鈴木正一郎会長も長年の知己であった。2006 年 2 月、当時王子
の社長であった鈴木氏と北越の三輪社長は両社の提携について協議を開始することに合意していた。幹部によ
る提携協議は同年 3 月から 5 月まで続いたが、王子は合併を主張し北越は独立の維持を表明したため合意に達
することができなかった。ほぼ同じころ、北越と三菱商事との間で資本参加も視野に入れた提携協議が始まっ
ていた。近年三菱商事は、国内取引や貿易から国内外の様々な産業への投資にその事業を拡大していた。
タイムライン
−7月 3 日:王子鈴木会長と篠田社長が北越を訪問し再度合併提案を行ったが、北越三輪社長は即座に拒否。
−7月19日:北越が買収防衛策(
「ポイズンピル戦略」)の導入発表。
−7月21日:北越が製造設備導入資金調達の為、三菱商事への 8 月 7 日までの払い込みを条件とする株式第
三者割当を発表。北越の議決権 24.44%に相当。
−7月23日:王子が次の事項を公表。
(1)7 月 3 日、王子経営陣が北越に対し合併を提案、
(2)王子取締
役会が北越との合併提案を承認、
(3)北越が三菱商事への株式第三者割当を中止することを
条件に、王子は北越との合併を推進する。
−7月24日:北越は記者会見を行い、次の事項を公表。
(1)王子がいうところの 7 月 3 日の合併提案は、
非公式の打診に過ぎない、
(2)北越は三菱商事への株式第三者割当を中止しない。
−8月 1 日:王子は北越株式の 50.1%を一株当たり 800 円で株式公開買い付けすることを発表した。付帯条
件として、北越による三菱商事への株式第三者割当が中止されるなら買い付け価格を 860 円と
する。公開買い付け期間は 8 月 2 日から 9 月 4 日まで。
−8月 3 日:日本製紙グループが、王子の行動は製紙業界を混乱させるものであり同社は北越の株式 10%
を上限として株式市場で買い付けると公表。
−8月 7 日:三菱商事が北越株式の代金を払い込み、第三者割当が完了。
−8月 8 日:日本製紙グループが北越の株式 8.85%を買い付けたと公表。
−8月 8 日:北越の「独立委員会」が取締役会に対し、王子に対する買収防衛策の発動を勧告。
−8月10日:北越三輪社長、新潟訪問。
−8月17日:王子篠田社長、新潟訪問。
−8月29日:王子は株式公開買い付けの不成立を実質的に認める。
−9月 5 日:王子は株式公開買い付けの不成立を公表。
コミュニケーション・アドバイザリー
7 月中旬の買収防衛策導入に先立ち、本件に関し北越にアドバイスを行っていた牛島法律事務所から経営陣
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に対し、メディアゲインを採用し、コミュニケーション戦略のアドバイスを受けるよう提案があった。メディ
アゲインは外国企業の日本市場参入へのアドバイスに加え、国外投資ファンドによる国内金融機関の買収や産
業再生機構の関与する企業再生など、多数の企業買収や事業再生案件に関わった実績があった。牛島法律事務
所の代表、牛島信氏はこの戦いにおいて強力なコミュニケーションが必須であると確信していた。
リサーチ
時間が限られているからといってリサーチを怠るわけにはいかず、むしろ戦いの厳しさ故、リサーチは一層
重要となった。コミュニケーションチームは、弁護士やファイナンス専門家の用いる用語を理解し、北越と王
子の長所・短所を把握する必要があった。マネジメント、法律、財務、など多方面にわたる潜在的な危険を予
知する必要があり、試行錯誤の余地はなく、フィードバック・サイクルは微調整と新しい事態への対応だけの
ためにあった。戦いの初日に強力かつ適正なメッセージを用意することができなければ、この戦いはそこまで
だった。
北越と王子がメディアにどう描写されているか、過去にどのような問題が存在したかを知るため、新聞雑誌
記事の内容分析が行われ、さらに王子経営陣との会談内容、同業他社との関係、北越の歴史、従業員、将来計
画、企業防衛に向けた覚悟など、報道された事実を超えた内容を聴取するため経営陣のインタビューが行われ
た。コミュニケーション戦略を定め、経営陣の役割分担を決定する際に考慮すべく、各経営幹部の性格や人柄
の観察も行われた。北越と王子の持つすべての選択肢を把握するため、弁護士ならびにフィナンシャル・アド
バイザーとの協議が何度も行われ、北越と王子のアクションに加え、東京証券取引所、証券取引等監視委員会、
公正取引委員会、経済産業省、金融機関などの動きについても検討が加えられた。これら関係者の動きについ
ての情報も様々なソースから集められた。インサイダー取引につながる危険があるため、これらの情報収集活
動を行うに当たってはクライアントが特定されることの無いよう、特に注意が払われた。
ゴールと目標
北越のコミュニケーション・キャンペーンのゴールは次の通りであった。
−買収防衛活動期間を通し、経営トップに適切なコミュニケーション戦略を用意すること
−株主や他のステークホルダーに対し十分な情報を提供すること
−ジャーナリストに北越および王子のアクションの意味を十分理解させること
メディアゲインは次の通りのコミュニケーション目標を設定した。
−北越および王子がとるアクションの構造および法的な意味合いをジャーナリストに周知する
−北越の強みと、どうすればさらに強化できるかを株主に周知する
−北越の地域における積極的な取り組みと独立維持への強い意志を新潟の地域コミュニティに周知し続け
る
パブリック
本案件により様々なパブリックが影響を受けることになるが、北越とメディアゲインは次のパブリックを主
要なコミュニケーションの対象として設定した。
−株主
−新潟の地方自治体および財界
−主要メディアの経済部記者
−(従業員も主要な対象として設定されたが、人事部門の調整の下、北越の管理職が行うことに決定され
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た)
メッセージ戦略
初期のリサーチおよび主要メンバーとの協議を受け、キー・メッセージが決定された。メッセージの選択に
当たっては次の点に留意した。
−新潟のコミュニティが受け入れられるものであるか
−業界他社にとって理にかなうものであるか
−想定される王子のアクションに対応しストーリーの修正が可能なものであるか
決定されたメッセージは次の通り。
−北越の独立を維持することが、技術経営の両面において同社独自の強みを保つ最善の方法である
−北越の独立維持と新潟における存続が、新潟地域コミュニティの繁栄のために欠かせない
−二大企業が力を持つ製紙業界において、強力な第三勢力の存在が業界の健全な発展には欠かせない
キー・メッセージの決定を受け、メディア、株主、従業員、仕入れ先、顧客、地域コミュニティに対するコ
ミュニケーションが統一されたメッセージを伝達することとされた。
意思決定への関与
法律事務所で毎日開かれるミーティングの出席メンバーは、弁護士、フィナンシャル・アドバイザー、そし
て北越の経営幹部、合わせて 20 名以上であったが、コミュニケーションアドバイザリーのメンバーもその一
員であった。このミーティングは日に一、二回開かれ、動きのないときには電話会議が行われた。買収防衛
チーム内のミスコミュニケーションを極小化するため、これらの会議は基本としてすべての関係者が同席し行
われた。
メディア・リレーションズ
日本は国土が狭く人口密度が高いこともあり、全国的な出来事やトレンドに対する関心は比較的高い。各都
道府県には一、二の地方新聞があるものの、一般紙四紙と経済紙一紙の五つの全国紙が新聞市場を支配してお
り、全国ニュースに関し地方新聞は、二つの通信社による記事配信に強く依存している。テレビにおいても全
国ネットワークが市場を支配し、地方局制作の番組は僅かである。よって本キャンペーンの主要対象メディア
は次の通り定められた。
−一般紙:読売新聞、朝日新聞、毎日新聞
−経済紙:日本経済新聞
−地方紙:新潟日報(北越主要工場所在地)、北海道新聞(王子主要工場所在地)、東京新聞
−経済誌:日経ビジネス
−テレビ:NHK、テレビ東京
−通信社:共同通信、時事通信
三菱商事が株式第三者割当への払い込みを行う 8 月 7 日までは、メディア・リレーションズはローキーで進
め、メディアブリーフィングやインタビューも積極的には行わないことが決定された。ただ一つの例外は日経
ビジネスとのインタビューで、見開き 2 ページの質疑応答形式で 7 月 31 日号に掲載された。このメディアが
選ばれたのは二つの理由による。まず、当該セクションは質疑応答のみであるため、あらかじめ作られたス
トーリーに沿ってコメントの一部を引用される懸念がなかった。次に、このセクションは 2 ページあり、北越
の行動の背後にある信念と根拠を詳しく説明することが可能であると思われたからである。
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買収防衛策の導入と三菱商事に対する株式第三者割当の取締役会決議についてのプレスリリースは行われた。
これは適時開示として公表することが規則により定められているからである。王子が株式公開買い付けを公表
した翌日、7 月 24 日に北越は記者会見を行った。北越はメディアからの問い合わせにも対応したが、プレス
リリース記載事項と記者会見での発表事項以上の情報は発信しなかった。これは、株式第三者割当が無事終了
するまでは雑音を極力抑えるためであった。
ジャーナリストへのブリーフィングは 8 月 7 日夕刻に始まり、9 月 12 日まで続いた。メディアゲインのス
タッフが 13 のメディアに対し 28 回のブリーフィングを行った。主要対象メディアとして定めた 12 のメディ
アはすべてカバーされている。対象外のロイター通信には、情報提供の要請に答える形でブリーフィングが行
われた。初期の段階では、ブリーフィングは株式第三者割当の法的ならびにファイナンスの側面から見た構造、
買収防衛策、そして北越のコア・コンピテンシーに焦点が置かれた。
8 月 9 日に北越三輪社長は記者会見を行い、成長戦略を発表。翌日北越はメディア向け新潟工場見学会を
開催した(参加のための交通費は各自自己負担)
。工場では三輪社長自ら記者を案内し、工場設備の競争力と
2008 年末までに新鋭設備を導入しさらに生産性向上を図ることなどを説明した。このイベントには全ての全
国紙、全てのテレビネットワーク、通信社四社、地元メディアの記者が参加した。
コミュニティ・リレーションズ
8 月 10 日の工場見学会に先立ち、三輪社長は新潟市長、新潟商工会議所会頭、新潟の地方銀行のひとつで
ある第四銀行頭取を訪問し、北越への支持を訴えた。第四銀行は北越の株式2%を持つ株主で、小島頭取は、
三輪社長に対し北越をサポートする旨伝えた。翌日三輪社長は北越の株式2%を持つもう一つの地方銀行、北
越銀行を訪問。同行もまた北越支持の意向を表明した。
シャッターチャンス
北越の中間管理職のメンバーはどのようにして会社をサポートできるか議論を重ね、現経営陣への支持と王
子製紙の提案する合併への反対を表明する書面を王子経営陣に送ることにした。当初書面を郵送する予定で
あったが、王子の社長が地元自治体、地方銀行、地元財界の支持を得るため新潟訪問を計画しているという報
道を受け、メディアゲインは北越中間管理職グループに対し、王子への書面は郵送ではなく社長が新潟を訪問
した際に直接手渡しするようアドバイスした。8 月 17 日、王子篠田社長は新潟を訪問。篠田社長が新潟県庁
からまさに出ようとするその時、北越管理職代表 5 名が近づいた。彼らは「北越従業員の熱い思いです。どう
か受け取ってください。
」といい書面を手渡そうとしたが、篠田社長は受け取りを拒否し車で立ち去った。王
子による株式公開買付けの成否は地元の反応が鍵を握ると見られていたため、数多くの記者やテレビカメラが
篠田社長の新潟における行動を追いかけており、すべてのテレビネットワークは篠田社長が書面の受け取りを
拒否するシーンを繰り返し放送した。
結果
株式公開買い付け期限 6 日前の 8 月 29 日、王子篠田社長は十分な株数の応募を得ることは難しいだろうと
いう見解を公表。6 日後王子は十分な株数の応募がなかったことを公式に発表した。最終的に株式公開買い付
けに応募した株数は、目標とする 50.1%をはるかに下回る 5.33%であった。
三菱商事への株式第三者割当は 8 月 7 日、予定通り完了した。その結果三菱商事は北越議決権の 24.44%を
持つこととなった。地元新潟のコミュニティは北越の独立性の継続を支持。新潟の地方銀行二行は王子篠田社
長の訪問を受けた際、北越株買付けへの応募を拒否。新潟県知事は県内の就業機会減少への懸念を篠田社長に
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表明した。国内第二位の製紙会社である日本製紙は公開買付け期間中に北越株式 6.3%を取得し、従来からの
持ち株と合わせ 8.85%を保有するに至った。これは王子による北越の吸収を防ぐという自身の経営判断による
ものだが、北越の独立性維持を助けたことになる。
結果的に北越は株主と地域コミュニティの支持を得て敵対的買収からの防衛に成功した。9 月 12 日、北越
と日本製紙グループの両社が 2006 年 11 月末までに戦略的提携を行うための協議を開始することで合意に達し
たと、共同発表を行った。10 月 27 日、北越と日本第三位の製紙会社である大王製紙は技術提携契約を結んだ。
一方王子は 9 月 19 日、富岡工場のスクラップ & ビルド計画を発表、500 億円を投資し生産ラインを更新する
こととした。
日本の会計基準ではプロフェッショナル・サービスへの支払額の公表は義務付けられていないが、特別損失
を計上するにあたって適切な説明を加えなければならない。2006 年上半期の報告書において、北越は買収防
衛費用として 6 億 2200 万円を計上した。記者会見でこの費用について問われた北越幹部は、費用の半分以上
はフィナンシャル・アドバイザーに対する費用だと答えている。法律事務所や広報キャンペーンの費用もこの
中に含まれるが、その内訳は公になっていない。
文化的コンテクスト
8 月 29 日に開かれた記者会見の席上、王子篠田社長は「これは東洋と西洋の妥協と呼ぶべきだろうか。我々
は日本的なやり方ではじめ、最終的には西洋スタイルでいった。ここに矛盾があった。
」と述べた。篠田社長
が示唆するところは、株式公開買い付け開始前に北越が王子の合併提案への対応策を練る時間を与えないとい
う西洋スタイルをとっていれば結果は異なったものになったかもしれない、とも考えられる。王子の鈴木会長
と篠田社長は北越の三輪社長との会談の席上、合併の意向を伝えた。
「和を乱す」という非難を恐れ、王子は
北越に三週間の猶予を与えた。この通知が取締役会決議を経た正式のものではなかったため、北越は買収防衛
策の導入や三菱商事への株式第三者割当を含む様々な対抗策をとることができた。北越の株式3%以上を持つ
株主として、王子は株式第三者割当の差し止め請求をすることができたにも関わらず、行わなかった。一方従
業員並びに地域コミュニティとの対応において、王子は「日本的」に振る舞うことはなかった。篠田社長が
新潟を訪れたのは、三輪社長に後れをとること一週間の 8 月 17 日であった。8 月 21 日、王子は新潟の地方紙、
新潟日報に全段広告を出稿し、北越従業員の雇用は守られる旨を訴えた。この広告は、篠田社長が北越管理職
からの手紙の受け取りを拒否するシーンを北越従業員がテレビで目撃した 4 日後のことである。和を尊重する
姿勢を示すならば、これらのアクションは遅すぎたといわざるを得ない。
まとめ
北越は自身の独立がコミュニティと業界の繁栄のために極めて重要である、というメッセージを明快に株主
とステークホルダーに伝えることにより、王子による敵対的買収からの防衛に成功した。株式公開買付けには
ファイナンスや法的な要素が大きく影響するため、コミュニケーション活動が最終的な結果にどの程度のイン
パクトを与えたかを測ることは難しい。しかしながら、この案件には終始、コミュニケーション戦略は有効で
あったと思われる。その過程において、北越と王子の双方で、文化的コンテクスト、
「和」の概念、が大きな
役割を果たした。多くの経営活動が世界基準の下で行われる今日、これらの活動の意味するところを多様な対
象に伝えるために文化的コンテクストを考慮する必要が増している。このケースは文化的配慮と法的・フィナ
ンシャルな判断を調和させることの重要性を示すものである。
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