「青き瞳」-with ほしのこえ-

「青き瞳」−with ほしのこえ−
嵐の後に吹く風がある。
厳しく荒々しい嵐にかわって吹く穏やかで優しい風。
今、そんな風を感じている。
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§1[2046/07-月に想う]
子供の時、車を運転している父に質問した。
「お月さんって、どうして、どこまで行ってもついて来るの?」
助手席の窓から見える月は、家族の乗った車をいつまでもいつまでも、追いか
けているように思えた。
看板や建物の影に遮られても、ついて来る。
雲に邪魔されても、ついて来る。
車が向きを変えても、気がつけばまた、ついて来ている。
「近くの建物や看板は、すぐ見えなくなっちゃうけど、遠くの鉄塔や山はなか
なか見えなくならないだろう」
父は丁寧にゆっくりと話してくれた。
まるで、何かのお話しを読んでもらっているような、そんな語り口。
「うん、わかるよ」
あたしは黙って熱心に、父の話に聞き入ったのを覚えている。
軽く頷き、少し間をおいてから父は言葉を続けた。
「遠くにある物は、なかなか見えなくならないんだ。
山は近くの建物よりも遠いから、なかなか見えなくならない。
お月さまはね、うーんとうーんと遠くにあるから、いつまでもいつまでも
見えるんだよ」
あたしはすぐに窓の外に浮かぶ月を見た。
月はまだそこにあり、あたしたちの車をじっと見つめている。
「ものすごく遠いの?
すごーくすごーく遠いの?」
月を見つめながら聞く。
月明かりに照らされた父の横顔が嬉しそうに見えたことを覚えている。
「すごーくすごーく遠いよ。
雲の浮かぶ空の上、そのもっと上にお月さまはあるんだ」
思い返すと、いつも父は幼かったあたしに本当のことを丁寧に教えてくれた。
いいかげんな誤魔化しや作り話であたしの質問をあしらったりはしなかった。
「空の上かぁ・・・遠いんだね」
毎日見ている月が遠くにあるんだって言う事を初めて知った。
遠くに見える山のてっぺんよりも遠い。
その山にだって行ったことはない。
あたしは一生、月なんて遠い世界へは行く事はないだろうな、そう思っていた。
そんなあたしが今、月にいる。
高校2年生でこう言うのも変だと思うが、人生はわからない、と思う。
中央コンコースにある大きな天窓の向こう、青い地球がまるで月のように見え
ている。
人工重力のおかげで、月面でも基地内はほぼ1Gに保たれている。
だからだろうか、頭上に見える地球が何かの冗談のように思えてしまう。
『選抜メンバー、No:SJ-12-171、北條里美、8番カウンターへ』
英語に続いて、聞こえて来た日本語での呼出し。
あたしは大きなバックを肩から下げ、8番カウンターへ向かった。
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「君たち選抜メンバーの主な任務は“タルシアン痕跡の探査”にあります。
探査にはトレーサーを使用してもらいます。
知っている諸君もいるかと思いますが、トレーサーは汎用人型宇宙兵器です。
兵器ではありますが、君たちに兵隊になれと言っている訳ではありません。
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「青き瞳」−with ほしのこえ−
キャンプやハイキングへ行った時、野犬や熊に襲われる危険があります。
このタルシアン探査にも、同じような危険が予想されています。
そう言う危険に出会った時、自分自身を、仲間を守る自衛のため。
トレーサーの力が必要になるのです。
もちろん、トレーサー全ての操作を習得してもらいますから、
兵器の取り扱いも訓練にあります。
しかし、あくまでも君たちは探査が任務なのです」
学校の体育館の数倍はありそうなメインホールで、全体講習は続いている。
遠くの壇上では幾度も人が変わり、この探査任務の意義とか使命を繰り返す。
イヤホンから聞こえて来る流暢な同時通訳も、どこか遠くで聞こえているよ
うな感じがしてしまう。
サトミは重くなるまぶたと懸命に戦いながら、耳元を流れ去る話を聞こうと、
努力だけは続けていた。
この退屈な全体講習を終えれば、月面基地での基礎講習と訓練の日々が始る。
しかし、まぶたの重さと戦う時間は、まだ続くようだった。
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講習のカリキュラムはまるで学校へ戻った気分にしてくれた。
午前中は一般教養で学校の延長として各学科の授業が行われ、午後は探査任務
に必要な講義や訓練がある。
サトミが驚いたのは、一般教養授業に中学生のカリキュラムがあった事。
高校生の自分でも、年少組ではないかと思っていた。
カリキュラムのクラス分けは共通した母国語を優先して編成されているおか
げで、言葉の不自由を感じる事はなかった。
その代わりだろうか、学年と言うか年齢の異なるメンバーでの訓練や講習は
多かった。
「あの娘の後だと、シミュレーターのシート位置が狭くって嫌だよね」
「お子様の上に背も低いからねぇ」
「なんで、中学生なんかが選抜メンバーにいるんだろうね」
サトミは聞こえて来てしまう声が心地よくは思えない。
なぜ、そんなどうでも良い事を悪く言えるのだろう。
どうして思いやれないのだろう。
どうしてどこへ行ってもこうなってしまうのだろう。
小さい頃から、父は物事を筋道を立てて丁寧に教えてくれた。
そのおかげで、サトミは仲良し組のさえずりが好きでは無かった。
頭の中から彼女達の会話を押し出そうと、サトミは今日のシミュレーション
授業の説明に目を落す。
“救命ポッドの探査と回収”か、大事なことだよね。
ただトレーサーを操縦出来るって言うだけじゃ駄目なんだよね。
サトミは黎明期の宇宙飛行士の訓練が、操縦以上にトラブル対応と緊急事態
の対応を行っていた事を知っていた。
まだ、心地よくないさえずりは続いている。
常用する母国語ごとのグループ分け、そのおかげで日本での学生生活と大差
を感じないのは確かに良い事だった。
でもそれは、良い部分だけではなく、悪い部分も持ち込んでいるようだ。
あれ? あの制服は・・・
シミュレーター訓練を終えて出て来たのは、初めての日、隣のカウンターで
見かけた剣道少女、長峰美加子だった。
カウンターに向かって立つミカコの足元に、大きなバッグともう一つの荷物。
竹刀と防具だった。
剣道やってる娘なんだ、背、あんまり高い方じゃなさそうだけど、剣道って
身長関係ないのかな?
そう思った事で彼女を覚えている。
背が低いから下級生かなと思ったけど、中学生だったのかあ。
そんな風に思った時、ミカコと何気に目が合い、軽く会釈をする。
「さ、シート合わせからやらなくっちゃ」
「シート合わせ、一番上手いんじゃないの、回数こなしているから」
ミカコの次にシミュレータへ入ろうとした娘と、その友人が大きな声で言う。
少し厳しい目つきで振り向いたミカコが口を開くよりサトミは素早かった。
「あんたたち!
彼女だって、いつか自分を助けてくれるかも知れない仲間でしょう!
そんなこと言うもんじゃ無いんじゃないの!」
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「青き瞳」−with ほしのこえ−
シミュレーターへ入ろうとしたまま、少し驚いた声が帰って来る。
「あたしは、そんなつもりで言ったんじゃ無いもの」
相槌を打っていた仲間はサトミの剣幕にただ黙っていた。
「あたりまえよ!
そんなつもりで言われてたまるもんですか!
遊びや遠足で来てるんじゃないんだから、もっと真剣にやってよね!」
そう言い残し、サトミはミカコの背中を押し、その場から連れ出す。
結局、ミカコは一度も口を開く事なく、その場から立ち去る事になった。
シミュレータ訓練1回サボっちゃおう。
サトミは、そう勝手に決めていた。
「驚いちゃいましたよ」
ミカコは自分より先に文句を言ってくれたサトミに笑顔で言う。
訓練棟の階段ホール横、小さな休憩席で2人はしゃべっていた。
「こっちこそ、ごめんね。
勝手にあんなこと言っちゃって。
もし、彼女らと気まずくなったら全部あたしに振って、あたしのせいだから」
そう言って、サトミはまだ自己紹介もしていない事に気が付いた。
「あたし、北條里美」
サトミは軽く首を傾げ、あなたは?と、表情で名前を聞いてくる。
「長峰美加子って言います」
「よろしくね。
ね、後で夕食、一緒にどう?」
少し戸惑った風を見せたものの、ミカコは夕食の約束を笑顔で受ける。
断る理由もなかったし、断りたくもなかった。
ここへ来て初めての誘い。
急に変わった生活環境、知り合いもいない中、とても嬉しいことだった。
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宿泊棟と異なり、食堂など共用施設のある棟は正に世界各国、様々な人種と
様々な言葉が入り乱れていた。
とは言え、各種サービスの利用に日本語で不自由する事はなかった。
メニューも言語指定で表示が変わる。
注文もメニュー番号を画面で押すだけだから特に困る事はない。
様々な技術や工夫が、それぞれの国の言語や文化を尊重するために活用され
ている。
サトミが選んだ食堂の席は、柱と観葉植物に挟まれて少し静かな場所だった。
「サトミさんは、一緒に食事する友達はいないんですか?」
食事の乗ったトレイを置きながらミカコは質問してみる。
「あー、あたしはさっきみたいな仲良し組って好きじゃないから」
どう言ったものか、困った様子のサトミはそう言ってから聞き返す。
「あなたは?」
「私は、みんなと年齢、離れてるから」
笑顔のままで答えるミカコ。
仕方がない、どうにもならない、そう言っているようにサトミには聞こえた。
実際、他の言語グループはともかく、日本語グループの中では最年少では無
いだろうか?
「中学3年だっけ、15歳?」
「まだ14歳です」
サトミは2年前、14歳の自分を思ってしまう。
あの頃の自分がこうして一人で月面に来ていたら。
そして、年上の仲良し組に、さっきのようないわれの無い嫌味を言われたら。
自分の性格で泣くとは思えないまでも、やっぱり気落ちはするだろうな。
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「青き瞳」−with ほしのこえ−
「大変だね」
気の利いた言葉が出て来ない。
改まって何かを言う雰囲気でもない。
サトミは夕食時間の前に見かけた話を始める事で、間を作らないようにする
のが精一杯だった。
「さっきの剣道の練習、見てたんだけど」
「え、サトミさん見てたんですか?」
見られて恥ずかしい訳でもない。
知り会ったばかりのサトミが見ていてくれた事が、少し嬉しかった。
「あたし剣道の事は良くわからないんだけど・・・」
サトミは体格差、特に身長差によるミカコの不利を質問した。
つばぜり合いで押し負けないか。
相手に竹刀が届かななければ勝てないではないか。
防具が無い部分も打たれてた様子だけど、大丈夫か。
ミカコはたくさんの質問に、驚きながらも答えて行く。
押し合ってしまうと力負けするから、そうならないように立ち回りでかわし
ていること。
身長差はそのまま腕の長さの差で、普通に向かい合えば自分の間合は狭いこと。
防具が無い部分を打たれるのはお互いさま、だけど痛いのは嫌だと言うこと。
「そうかぁ、それでミカコの打ち込みって、早く小さく飛び込むんだ」
ミカコは少し驚いた。
剣道をわからないと言う割には、見るところ、見てるなあ。
サトミに関心してしまう。
「はたから見てて、なんか、あぶなっかしい娘だなぁ、って思っちゃった」
そう見えるのかな、少し面食らったような表情をしてしまうミカコ。
それを見たサトミは敏感に反応する。
「なに? あたしの言ったこと変だった?」
どこか真面目に聞いて来るサトミ。
この人は年下の自分を対等に見てくれているんだな。
中学や高校、上級生や下級生とか言う形にこだわっていないんだな。
ミカコはそう感じ、嬉しかった。
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§2[2047/04-共に彼方へ]
勢いとは言え、別れた彼氏の話をしてしまった。
でも、ミカコの好きな彼の話も聞き出せたから、よしとしよう。
昨晩、ミカコの部屋で話し込んだ。
お互いの話は盛り上がり、とても楽しかった。
その勢いで、国連選抜の少し前に別れた彼氏の話をしてしまったのだ。
引き換えだ、と無理矢理ミカコの想いの人を聞き出した。
月面基地で知り合ってから半年以上、そう言う話をするのは少し遅かったか
な、なんて思う。
膨大なカリキュラムと訓練に追われ、気が付けば時間が過ぎていた。
2人は得意な分野を教え合い、選抜メンバーの中でも良い成績を納めていた。
トレーサーの操縦訓練はミカコがサトミに。
カリキュラムの勉強の方はサトミがミカコに。
そうして教え合う事が楽しかった。
「やったね、ミカコ! 同じチームだよ」
リシテア艦隊出発を目前に控え、トレーサーのチーム編成が決定された。
チームも、常用する母国語ごとに編成されている。
集団行動時、意志の疎通をやり易くするためだと言う。
チーム以下の編成は今後の訓練によって決まる事になる。
ともあれ、サトミとミカコは同じチームとなった。
「日本語のチームもひとつじゃないから、
知らない人ばっかりだったらどうしようかと思った」
ミカコの言葉にサトミも答える。
- 4 -
「青き瞳」−with ほしのこえ−
「あたしも同じこと思った」
任務は中隊単位が多いはずだからと、2人はとにかく喜んだ。
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ミカコの訓練が終わると、次はサトミの順番だった。
火星の空に向け、標的機が舞い上がる。
サトミは、スイッチが切られて真っ暗なコックピットで待機していた。
しばらくして教官が、遠隔操作でサトミ機のモニタをオンにする。
瞬間、サトミのコックピットが火星の景色に包まれる。
「現在、標的機離陸30秒後。訓練開始」
高度を取るため、推力を上げる。
慣性制御のおかげで、加速Gに締め付けられる事なくサトミのトレーサーは
上昇して行く。
順番待ちの間、ミカコの訓練を見ていて思った。
あの娘、“ここ一髪って時”の無茶は、やっぱり剣道の癖かな。
自由落下に加速までして射撃位置取るなんて、腕が良くても無茶だと思うなぁ。
落っこちて行くだけでも不安なのに、わざわざ加速までするなんて、自分に
はマネ出来そうにない。
全方位スクリーン手前のモニタに警告表示が浮かぶ。
「どこ!」
ワンパターンじゃないの?ミカコの時と同じ位置からの模擬弾。
機体を半回転させ模擬弾を回避、標的機の射撃位置側から背後に回り込もう
とするサトミ。
背後に回り込まれないように、標的機はサトミの機体と高度を合わせながら
距離を取る。
それを阻止しようと、ビームライフルで牽制する。
標的機が航路を変えるタイミングに合わせ、3発のミサイルをタイミングを
ずらして発射する。
その間にサトミは高度を稼ぎ、次のミサイルを3発、発射した。
まるで空気の隙間を滑るように標的機はミサイルをかわす。
最初の3発が順番に標的機にかわされる。
それは標的機を次の3発の側へ誘い込む形となった。
「やった!」
5発目のミサイルが標的機を捉え、撃破に成功した。
「12号機!
ミサイル発射後、標的との距離をちゃんと詰めないか!
全弾外れたらどうするつもりなんだ!
最後まで気を抜くな!」
通信で怒鳴る教官の声を聞くふりをしながら、こういうのは向いて無いなぁ、
あぶなっかしく見えてもミカコの方が上手いなぁ、サトミは思う。
「それと、演習空域を当て込んだ回り込みをするんじゃない!
訓練の意味がわかってるのか!」
標的機が演習空域内しか飛行しないことを利用して位置予測を立てたのがバ
レていた。
モニタランプを消しながら下がって行くアームグリップとヘッドユニット。
それを見ながらサトミはどうしても考えてしまう事があった。
本当に、これは自己防衛のための訓練なの?
あたし達、まるで兵隊にされているみたい。
野犬や熊から身を守ると言うより、狩りに行こうとしている気がしてしまう。
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選抜メンバー内では“火星観光”と呼ばれている火星巡回探査も、各担当エリ
アを一巡してしまうと退屈が残るだけだった。
タルシス地方を中心に、オリンポス山、マリネリス峡谷、そしてタルシス遺跡。
解凍の進む極地の氷原も探査巡回で観光して回った。
軌道上リシテア艦隊からの降下は、地上を移動するより簡単に感じ、距離感
も薄れて行く。
シミュレーターの画像と実景との違いに違和感も無い。
「こう毎日同じ事の繰り返しじゃ飽きちゃうよね」
- 5 -
「青き瞳」−with ほしのこえ−
ミカコが食事のトレーを置くのに合わせてサトミが喋り出す。
火星での演習と探査は2ヶ月近くに及び、初めは新鮮だった火星の空や雲も
ただの日常となっていた。
「でも、もうすぐなんでしょ。
火星を出発して木星へ向かうって」
ミカコは制服のスカートがシワにならないように座る。
その様を見ながらサトミは学生時代の自分を思い起こす。
正確には今も高校生には違いないが、それは書類上の事に過ぎず、本人に実
感はない。
あたしは制服なんか行事で必要な時に引っ張り出して着るだけなのに。
サトミは少し間を置いて言う。
「ふーん。
ミカコって、この訓練を部活に見立ててるんだね」
自分は単調とも言える日々の繰り返しに飽き飽きしている。
なのに、ミカコは飽きた様子を感じさせない。
「え、部活?」
「そ、今でも学生生活そのまんまぁ、って感じじゃないの?
制服も普段着にしちゃってるし」
繰り返しの日々に飽きてしまっている。
訓練の先にある自分達の姿を考えてしまう。
サトミは勝手に抱え込んでしまった様々なものをもてあましていた。
だからだろうか、ミカコに変な事を言ってしまった。
ミカコは黙ったまま、食事も手をつけていない。
あれ、あたし何言っているんだろう?
「あ、ごめん。
悪い意味じゃなくって、
その方が、こう言う生活は上手くできるかなぁって・・・」
下手な言い訳を重ねてしまいそうだ。
サトミは一呼吸あけて言う。
「ごめんなさい。
あたし、悩んでる事があって、
それでつい、ミカコに変な事言っちゃった」
こんな些細な事でミカコとの仲を気まずくしたくは無かった。
この先どれだけの期間、同じ中隊でいるかも知れないのに、自分の迂闊さを
恥じた。
「うん・・・たぶん当たってる。
学校と部活みたいに思っているかも知れない、私」
サトミは、その言葉にどう言ってあげれば良いのかわからなかった。
あたしってば、こんなに人付き合い下手だった?
こんなに気が利かなかったかな?
どうしてだろう、ミカコと話をしていると時々こんな風に困ってしまう。
「ほんと、ごめんね・・・
ね、ノボルくんとはちゃんとメールしてる?
志望校は受かったって言ってたよね」
とにかく話題を変えてしまおう、それしか思いつけなかった。
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木星への出発をひかえ、火星訓練の締め括りとしてチーム編成の最終決定が
発表された。
「リシテアA中隊、第1小隊、第1編隊ウイングマン。
2号機、長峰美加子」
チームとかグループなんて呼び方も、正式に呼べば軍隊そのものだ。
サトミは自分達が国連軍と言う組織の中にいる事を思い知る。
「リシテアA中隊、第3小隊、第2編隊ウイングマン。
12号機、北條里美」
手渡された1枚の辞令。
それを見て思う。
今、ミカコは何を感じているのだろう。
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「青き瞳」−with ほしのこえ−
やっぱり私達はここで学校生活や部活をしてたんじゃないんだよ。
軍と言う組織の一部なんだよ。
戦う事が任務ではなく、本当に探査任務であって欲しい。
被災地への支援や災害出動のような、争うためではない任務であって欲しい。
そのために、軍と言う組織の形が必要なだけであって欲しい。
サトミは一人、そう願った。
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「すっごく奇麗!」
はしゃぐように声をあげるミカコ。
レンズ越しに肉眼で観る土星の環は、写真やモニタ画像には無いものであふ
れていた。
木星エウロパ基地、大気と言う障害物の無い場所。
サトミ達は観測実習用の光学望遠鏡で土星を観ていた。
「今の木星の位置だと、地球の方が土星に近いんだけどね。
でも、地上からじゃこんなに綺麗に見る事は難しいんだよ」
はしゃぐミカコの横でサトミは色々と説明を始めている。
「環はね、土星半径の8倍ぐらいまであるんだけど、
厚みは数百メートルしか無くて、すっごく薄いんだよ」
リシテア艦隊は惑星位置の関係から、今回の探査では土星は経由しない。
「もっと間近で見たかったなぁ」
ミカコは残念そうに漏らす。
「なに贅沢言ってるの、後ろ見てごらんよ。
視界全部が木星なんだよ。
いくら基地があるからって、誰もがこの景色を見られる訳じゃないんだから」
木星の雲は飽きないね、ってはしゃいでいたのは誰だっけ、と心で思う。
ふと見ると、ミカコの制服のポケットから携帯がのぞいていた。
確かにサトミも携帯は私物として持って来ている。
でも、地球と木星の距離では通信時差が大きくて通話は成り立たない。
「ミカコ、携帯持ち歩いてるの?」
「これ?
これはメールするのに使うから」
それだけ聞いて、サトミはそこから先は聞かなかった。
聞く必要もなかった。
「土星の環もさ、ノボルくんにメールしなよ。
地球で見るより綺麗だよ、って」
照れる表情、でもミカコの目は嬉しそうに、その提案を喜んだ。
それを見てサトミは思う。
あたし、こんなミカコみたいに思った事なかった気がするなぁ。
別れたんだ、振ったんだ、そう言っても、何か言い分けめいた気持ちが残る。
なんでそんな風に感じるのだろう。
あたし、彼のこと好きじゃなかったのかなぁ。
人気のある彼だった、ルックスもよかったしおしゃれだった。
そう言うのに憧れていただけなのかな。
好きとは違ったのかな。
ミカコを見ているとそう思う。
その片隅で、羨ましいな、とも思う。
自分には、そういったものが無いんだ、とわかってしまうから。
両親は、一人の人間として自分と接してくれた。
些細な事もちゃんと丁寧に教えてくれた。
だからだろうか、今更甘えるようでメールが出来ない。
いや、多分身内では意味がないのだろう。
やっぱり、ミカコが羨ましいと思った。
「ね、あの向こう」
サトミは土星からかなり左の位置を指差す。
散らかしたような星空に特に目立つものは見えない。
- 7 -
「青き瞳」−with ほしのこえ−
「冥王星。
肉眼じゃ見えないけれど、あたし達はあそこへ向かうんだよ」
文字通り人跡未踏のフロンティア。
生身の人間が初めて向かう最果ての地だ。
「これからもさ、一緒に頑張って行こう」
照れ臭くって、目を見ては言えなかった。
でも、サトミは初めて他人に自分の気持ちを素直に伝えている。
「うん」
耳に届くミカコの言葉が嬉しかった。
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§3[2047/08-最果てにて]
「G中隊、順次着艦せよ。
全機着艦確認完了後、B中隊の順次発艦を許可する」
トレーサー格納庫へ向かう通路から管制官の声が響く。
通路は居住ブロックのアイボリーとグリーンの配色から、隔壁を超えた所から
ホワイトブルーとグレーの配色へ変わる。
「遅れちゃう。
B中隊が発艦するまでに待機に入らなくっちゃ」
「サトミさんが、のんびりコーヒー飲んでるからですよぉ」
2人は早足で自分達のトレーサーへと急ぐ。
木星出発以降、艦隊位置を中心とした周辺宙域の巡回探査が繰り返されて来た。
それも明日からは、目の前に見える冥王星の探査に変わる。
「12号機、北條里美、待機位置につきました」
トレーサーのコックピットに身を沈めサトミは、間に合った、と息をつく。
このコックピットは、いつ見ても高級なゴーカートみたいだなぁ。
半身を覆うコックピットのフレームが、そう連想させる。
B中隊、最後尾の1機が発艦して行く。
それを見送り、待機と言う退屈な任務が始まる。
コックピット待機の間は、即応可能な体制でさえあれば自由ではあった。
とは言え、シートに座ったままである。
管制からの指示が入る可能性があるので音楽を聞いたりは出来ない。
する事も無いまま、ただ待たされる退屈な任務であった。
「ミカコ、何してるかな」
サトミは2号機の方を見ながら、通信設定をいじる。
呼出音を出さないで、ミカコのコックピットに通信接続して覗き見出来ない
か挑戦していた。
まぁ、これも慣熟訓練の一つって事だね、とサトミは幾度も接続を試みる。
「上手くいかないなぁ」
試す度に画面は接続拒否のメッセージを繰り返す。
「接触通信ならIDとか要らないんだけどなぁ。
いちいち通信用のチューブを繋ぐ訳にもいかないし・・・」
そう独り言を口にした時、モニタに警告が表示された。
「!?」
状況図に合わせてリシテアオペレータからの指示が入る。
「直線軌道上、距離2万にタルシアン確認、
待機中のA中隊、C中隊、順次発艦。
続いてE中隊、H中隊は発艦準備に入れ」
繋留アームが下ろされ、次々とトレーサーが射出カタパルトへ送られる。
サトミ達A中隊の機体もカタパルトへ運ばれて行く。
「本当にタルシアンなの?
戦闘になるの?」
- 8 -
「青き瞳」−with ほしのこえ−
サトミは編隊リーダー機の後衛位置についた。
訓練通り、自分はリーダー機の援護に徹すれば問題ないんだ。
まず落ち着こう、サトミはその事を優先した。
大きく深呼吸する。
先鋒を努めるリーダーではなく援護役のウングマンでよかった。
そう思い、ミカコも同じウイングマンで良かったな、とも思った。
モニタに小さな青い光球が幾つも映し出される。
少しして、1つ2つ、小さな赤い光球が光る。
青い光球は訓練で何度も見た。
トレーサーのバリア力場の反発反応だ。
でも、赤い光球は?
考えたくは無かった。
「戦闘が始まったよ。
援護しっかりたのむね」
リーダー機からの通信が入る。
ミカコのことも気になるけど、今は僚機の援護が先だ。
そう気持ちを切り替えた時、1体の高速物体が足元側からサトミの機体をか
すめて飛び去る。
タルシアンだ!
接触したバリアがその衝撃で歪み、揺れる。
慣性制御が効いているはずのコックピット内までその衝撃が伝わって来る。
心臓の鼓動が痛い。
目の奥が痛い、いや熱い。
耳に響く自分の鼓動が通信を聞くのに邪魔だった。
「サトミどうしたの?
そっちにタルシアンが行ったの?」
モニタに、また青い光球が幾つか光る。
訓練と全然違う。
リーダーだのウイングマンだの関係ないじゃない。
右の方で、また1つ赤い光球が光った。
サトミの機体をかすめたタルシアンは、そのまま他へ向かったようだ。
「あたし、は、大丈夫。
かすめた、だけ、みたい」
上手くしゃべれない、息を継ぎながらリーダー機に応答する。
その時、接近のアラームが鳴る。
「どこ!?」
リーダー機だ!
前方に青い光球が光る。
サトミはタルシアンの前方に向けミサイルを発射する。
ミサイルの後を追うように、リーダー機とタルシアンの間に入る。
リーダー機はタルシアンが反転して来る事を予測して新しい攻撃位置を取る。
また右の方で赤い光球が光った。
これで何機、落されたのだろう。
次は自分の番?消えない不安だった。
トレーサーの展開状況をコックピット横のモニタへ表示させる。
飛行機の空中戦と違い、無重力下、タルシアンの慣性制御による縦横無尽の
攻撃は、軍が考えた編成を無意味なものにしていた。
左の方で今までよりもっと赤い、真紅の光球と光の輪が広がった。
トレーサーじゃない!?
タルシアンを落したの?
リシテアオペレータからの指示が入る。
「距離12万にタルシアンの群体を確認」
モニタに表示された宙域図は衛星カロン近傍、リシテア艦隊前方に現れたタル
シアン群体を示し、望遠のライブ映像を映し出している。
「全艦、1光年のハイパードライブを行い撤退する」
宙域図にハイパードライブの予定航路が描かれていく。
ハイパードライブへのワープイン位置、伸びる予定航路、ワープアウト位置。
- 9 -
「青き瞳」−with ほしのこえ−
太陽圏を遥かに越え、オールトの雲までの1光年の距離。
冥王星よりも更に遠い彼方の場所。
「トレーサー全機、至急帰艦せよ」
助かった!撤退だ、早く戻らなくっちゃ。
そう思うと同時に気が付いた。
ミカコは無事なの!?
“Ly-A-02”、機体識別コードで探す。
「サトミ、戻るわよ」
リーダー機からの指示。
とりあえず、戻りながらもミカコの機体を検索する。
艦隊寄りに配置されていたトレーサーが次々と帰艦して行く航跡が見える。
後ろの方で青い光球がまた光る。
撤退時が一番恐い、教本で読んだ通りだ。
視界に大きくリシテアが見える。
こんな気持ちでリシテアを見るのは初めてだ。
検索結果がモニタに表示された。
ミカコだ!
無事でよかった、と思ったのもつかの間。
タルシアンに追尾されている。
なんて事なの!
ミカコの僚機は何をしてるのよ!
そう思いながら帰艦する他のトレーサーを見る。
ほとんどが編隊の体制を維持出来ていないものばかりだ。
「ごめん! 先、戻ってて」
「こら! サトミ、ダメよ!」
リーダー機からの通信を無視して、サトミは機体を反転させミカコの座標へ
向かう。
推力を上げ、急ぐ。
背後のリシテアが次第に小さくなって行く。
通信はリーダー機からの帰艦指示が繰り返されている。
「無事でいて!」
望遠モニタがミカコの機体を捉える。
こっちへ向かっている、早く!こっちだよ。
サトミは推力を上げ続ける。
あたしが援護してあげるから、後少しで間に合うから。
ミカコの機体が逆進をかける。
追っていたタルシアンと間が詰まる。
「何するの!!」
そう叫んだ時、前方で真紅の光球が広がった。
機体番号を表示させているモニタへ目を走らせる。
ミカコの機体は無事だ。
追尾していたタルシアンの反応は画面から消えている。
「12号機、至急帰艦せよ」
リーダー機ではなくリシテアからの通信だ。
ミカコの機体が接近して来るのをモニタで確認しながら、サトミは再びリシ
テアへと戻って行く。
「無茶、しないでよぉ」
誰に言うでもなく小声で呟き、サトミはパイロットシートで丸くなる。
コックピットには涙の滴が漂っている。
耳に響く自分の鼓動は、まだ高いままだった。
───────────────────────────────────
- 10 -
「青き瞳」−with ほしのこえ−
§4[2047/09-大犬の青き瞳]
サトミ達のA中隊はミカコを含め、全員無事だったが他の中隊や他の艦では数
名の未帰還者がいた。
僚機のパイロットや友達が泣いている。
あたしで無くて良かった。
ミカコで無くて良かった。
そう思う事にうしろめたさを感じてしまう。
でも、自分の、ミカコの、僚機の無事に安堵せずにはいられない。
やっぱりあたし達は兵隊なんだ。
そう思ってみても、今さら逃げ場はどこにも無かった。
帰るべき自分の街は、遥か彼方にある。
冥王星から1光年のワープが終わっても、ミカコはなかなかトレーサーから
降りては来なかった。
館内アナウンスが告げる。
「これより48時間後、
本艦隊はヘリオスフェア・ショートカット・アンカーを経由し、
シリウスα・β星系への長距離ワープを行う。
飛翔距離は8.6光年。
帰りのショートカット・アンカーはまだ発見されていない。
各員、地球への連絡をすませておくように」
ワープ中のコックピット待機は終わっていたが、サトミは降りて来ないミカ
コに声をかける事ができなかった。
あたし以上にショックだったんだな、サトミは実戦を体験してしまったミカ
コを心配する。
ようやくトレーサーから降りて来たミカコは見るからに元気がない。
サトミは何も言わず、ただ側にいてあげる事しかできなかった。
───────────────────────────────────
8.6光年を超えてシリウスまで来た。
生命あふれる星アガルタで探査を繰り返す。
しかし、幾度この星に接しても、親しみは湧かなかった。
空を流れる雲の姿も、草原で草を食む動物の姿も、舞い踊る小鳥の姿も。
モニタに映る映像でしか無い。
だからだろう、どうしても思ってしまう。
この緑の星がどれだけ綺麗でも、あたし達の帰る場所ではないんだ、と。
アガルタ地上探査の発進順を待つA中隊。
サトミはモニタに見えるミカコの機体を見つめていた。
ごめん、ミカコ。
心の中で何度も何度も謝る。
ヘリオスフェア・ショートカットアンカーから出た後の事。
ミカコは待機していたコックピットから降りて来なかった。
いくら呼んでも降りて来ないミカコ。
何かあったのか、居眠りでもしているのか、いろいろ心配した。
普段の心配もあって、サトミはトレーサーのハッチを開け、中のミカコを呼
びに行った。
ミカコは膝を抱えた格好で寝てしまっていた。
「しょうがない娘ねぇ」
そう言って、起そうとして肩を揺らす。
その時、ミカコの手から携帯が滑り落ちてしまった。
咄嗟に携帯を拾う。
待機モードに入っていた携帯をつかんだ時、キーを押してしまった。
最後に表示していた内容が表示される。
《ねえねえ、ノボルくん!
ひさしぶり!
ミカコだよ!
ねえ1年ぶりのノボルくん、元気?
私のこと忘れてない?
そこまで読んでしまった。
目に入った部分が読めてしまった。
あわてて、サトミは携帯の電源を切る。
- 11 -
「青き瞳」−with ほしのこえ−
「ミカコ、起きなさいよ」
何事も無かったように声をかけたつもりだった。
自分の声が涙声になっているのに驚いた。
逃げるようにハッチから身を乗り出す。
振り向かず、深く息を吸って、声が震えないように気をつけて言う。
「下で待ってるからね」
背後でミカコが起きたのがわかった。
サトミはやはり振り向かないまま、下へと降りて行く。
メールのメッセージは普段のミカコとは全然違った。
あのメッセージの中にだけ元気で陽気なミカコがいるんだ。
多分それは、ノボルくんへのメッセージだから。
あの娘、もしかしたら、膝を抱えて泣いていたのかも知れない。
ミカコの心に踏み込んでしまった気がする。
ごめん、ミカコ。
読むつもりじゃなかった。
見るつもりじゃなかった。
A中隊の機体は順次、降下カタパルトからアガルタの地表探査任務へと降り
て行った。
───────────────────────────────────
「雨だぁ」
地球を離れてから初めて見る雨。
アガルタの雲も森もモニタ越しに見るだけだった。
風も空気も直接感じることは許されなかった。
空の色も、雲の色も違う世界なのに、トレーサーに落ちる雨の音は同じ。
だからだろう、雨がこんなにも嬉しい。
傘をささなきゃいけない。
靴は濡れるし、水溜まりも煩わしい。
そんな雨だったのに、今はそれを見て、音を聞くだけで気持ちが安らいで行く。
「帰りたいな」
自分だけじゃない、ミカコも一緒に、みんなで一緒に帰りたい。
今だったら梅雨の雨も、台風の風も、冬の雪だって好きになれる。
街の雑踏も、車の渋滞も、電車の混雑だって好きになれる。
ミカコみたいにメールをする彼もいない。
ミカコの剣道みたいに熱中するものもない。
あたしには、何もないんだって思っていたのに。
だから、遠くまで来ても平気なんだって、思っていたのに。
何気なかったものが、こんなにも好きだったなんて。
膝を抱えて泣いているミカコを思い出す。
ああ、あたしにも大事な物があったんだ。
ミカコを地球へ帰してあげたい。
ノボルくんに会わせてあげたい。
あたし、ミカコと一緒に地球の空と風の中で一緒に歩いてみたいなぁ。
緑の空と雲じゃなく、あたし達の青い空と白い雲の下がいいんだ。
雨が上がった時、リシテアオペレータから報告が入る。
「アガルタ各地にタルシアン出現、交戦開始を確認!」
モニタにはアガルタ各地での交戦状況のデータが次々と表示されてゆく。
惑星中に交戦の表示があった。
警報信号に呼応して、トレーサーが探査主のオートモードから、操作主のト
レースモードへ移行する。
アームグリップ、ヘッドユニットがトレースモードを示すグリーンのモニタ
ランプを点灯させながら起き上がって来る。
交戦の表示が続く中、リシテアからのライブ映像が割り込んで来る。
「軌道上、タルシアン群体出現、艦隊に接近中!」
集結しつつあるリシテア艦隊の向こう正面、陣形を整えたタルシアン群体が
映っている。
- 12 -
「青き瞳」−with ほしのこえ−
今は地上探査中で、僚機の補佐も支援もない。
よりによってこんな時に!
サトミはミカコの識別コードを検索させながら攻撃準備にかかる。
警報音がコックピットに響く。
ほぼ真上の位置から二筋の光が落ちて来る。
2体のタルシアンだ。
緊張と恐怖で心臓が煽る。
だめだ!1対1にならなくっちゃ。
挟まれたり囲まれたら助からない!
ミカコの機体座標が表示されても、サトミは一瞥する余裕すらなかった。
近くの森へ飛び込むように回避する。
上を取られた状態で半端に高度を取るのは危険だ。
相手が距離を詰めて来るまで凌がなきゃいけない。
慣性制御が許す一杯まで、機体の位置を左右に散らしながら近傍の僚機の方
へ逃げ続ける。
くやしい、まるで弄ばれているみたいだ。
タルシアンの1体、モニタ上で“タルシアン−A”の表示になっている方は
高度を下げて来ない。
追跡して来るもう1体、“タルシアン−B”に追い込まれているような気が
する。
1回、2回、バリアがタルシアンのビームを受け、青い閃光を放つ。
焦ったら負ける、落ち着くんだ。
まだバリアは破られてはいない。
必死に自分で言い聞かせる。
濃緑の森が切れ、その先に続くなだらかな淡緑の丘陵に、大きく穴が開いた
ような場所が見えた。
「渓谷?」
モニタ上の地図に目を走らせると、そこは長く続く渓谷になっているようだ。
サトミは減速する事なく、その渓谷へ機体を降下させ、仰向けの体勢で渓谷
沿いに逃げ続ける。
自分が渓谷へ降下して来たあたりへ無照準でミサイルを発射。
高度を取っている“タルシアン−A”から狙われないように、ビームライフ
ルで渓谷の上空へ向け牽制を繰り返す。
ミサイルの着弾が大きな爆炎と土煙を巻き上げる。
それを目眩しに利用してサトミは渓谷の底から一気に高度を取る。
追跡していた“タルシアン−B”は、まだ渓谷の中にいる。
上空から再びミサイルを発射する、今度は自動追尾だ。
“タルシアン−A”は、サトミより低高度にいた。
渓谷の中のサトミを目視出来る位置へ寄っていたようだ。
助かった!上手く高度を取れた。
残弾を確認して3度目のミサイルを発射。
渓谷内の“タルシアンーB“の方へ“タルシアン−A”を回避させる。
その進行方向へ無照準でバルカンを撃ち込む。
2射目のミサイルが渓谷の底で爆発する。
1体のタルシアンを撃破した、モニタから“タルシアン−B”の表示が消える。
「落せた?」
爆煙から抜け出した“タルシアン−A”は渓谷の底を這うように逃げる。
このまま逃げてくれればいいのに。
何処かへ行ってくれればいいのに。
片隅でそう思いながら、牽制のバルカンを繰り返し、ビームライフルの照準
で追う。
渓谷から外へ出しちゃ駄目だ。
あたしはミカコみたいに上手くできない。
3射目のミサイルの爆発がタルシアンを包む。
高度を下げながら牽制を止めないサトミ。
爆煙の先、タルシアンはまだ逃げている。
ミサイルの残弾を確認する。
使い過ぎ?
そう思ったが、ここで生き残れなければ先はない事も理解していた。
「渓谷が終わる!」
タルシアンが逃げる数キロ先で渓谷は唐突に終わっていた。
4度目のミサイルをタルシアンと渓谷終点の間へ向けて無照準で発射する。
渓谷の縁ギリギリまで高度を下げ、ビームライフルの照準で追う。
- 13 -
「青き瞳」−with ほしのこえ−
照準の中、ミサイルがタルシアンを追い越す。
着弾寸前、サトミはビームライフルを数発連続で撃った。
渓谷の終点が大きな爆炎と土煙で見えなくなる。
モニタから“タルシアン−A”の表示が消えた。
サトミは自分が息を止め、呼吸をしていない事に気が付いた。
指先が小刻みに震えているのに気が付いた。
大きく息を吸うと胸が痛かった。
その痛みと引き換えに、呼吸が戻って来る。
指先の震えも少し小さくなった。
「ミカコは!?」
検索させていたモニタには、ミカコの機体が既に軌道上へ上り、リシテアへ
向かっている事が示されていた。
「よかった、とりあえず無事なのね」
サトミは高度を上げ、真紅の夕焼けの中、ミカコの後を追うように補給へ戻っ
ていった。
───────────────────────────────────
サトミは残弾の少なさを考え、リシテアの直下方向から軌道高度まで上がっ
て来た。
途中で余分な戦闘を避けるためだ。
いくつもの砲撃やバリア閃光のノイズのせいだろうか、モニタの表示はミカ
コの機体を見失っている。
「12号機、無事だった?」
中隊長機からの通信だった。
「はい、でも弾を使い過ぎたみたいで」
言いながら、再度ミカコの機体を検索させる。
「無事ならそれでいいわ。
弾を惜しんで帰って来られないより、生きて帰る方が大事よ。
早く着艦して補給しなさい」
ミカコの機体はまだ見つからない。
気を取られて返事がおろそかになる。
「どうしたの? 何かあるの?」
「ミカコ・・・2号機が気になって」
言ってしまってから、しまったと思う。
戦闘中に僚機ではない友達の心配をするなんて。
サトミ達選抜メンバーと違い、各中隊長は軍務経験者だったから、厳しい事
を言われる、と思った。
「なおさら、早く補給なさい。
弾切れじゃ助けには行けないわよ」
「はい!」
意外な言葉に聞こえた。
まだまだ、あたしは人を見る目がない。
自分の経験のなさを思い知った。
着艦して補給体制に入った時、中隊長機も着艦して来た。
「補給の間に、2号機の検索、しておきなさい。
時間を無駄にしない事が大事なのよ」
通信で言いながら、隊長機も補給にかかる。
作業員の怒号が聞こえて来る。
声が嗄れている、みんな大変なんだ。
「中隊長、犠牲、どれぐらい出ているんですか?」
検索待ちの間、つい聞いてみる。
「今はわからないわ」
- 14 -
「青き瞳」−with ほしのこえ−
考えるな、そう言われた気がした。
サトミの落ち着けない気持ちをわかっているようでもあった。
「こんな時に、小言になるけど聞いて。
昔のパイロットの言葉。
『戦闘機パイロットに天才はいない』って。
『自分で駄目だって諦めてしまうのが一番馬鹿だ』って。
わかる?」
サトミは生き残って、今ここに居る。
ミカコより戦闘は下手だったハズだ。
2体のタルシアンに追われても必死で生き残った、あきらめたりしなかった。
「はい」
生き残れるのには理由があるんだ。
「そして、忘れないで『帰還してはじめて一人前のパイロット』だって」
「はい!」
そうだ、ミカコと一緒に生き残るんだ。
検索画面にミカコの機体座標が表示される。
まだ無事だ、こっちへ向かっている。
「12号機、補給完了しました」
嗄れた声が教えてくれる。
「ありがとう」
みんな、一緒に生き残ろう。
みんなで帰ろう、終わりは必ずあるんだ。
サトミの機体がカタパルトへと降りて行く。
「北條さん! 2号機、長峰さんのこと、よろしくね」
「はいっ!!」
中隊長の言葉を聞いて、サトミはカタパルトから再出撃する。
いくつかの青い光球が見える。
完全に乱戦だった。
手当たり次第に戦っている。
ここには、さっきみたいに渓谷はない。
教本を思い出すんだ、一撃離脱が基本、格闘戦は避けなきゃだめだ。
よし、ミカコ、今行くよ。
その時いきなり、リシテアの背後で巨大な閃光が3回続いた。
「なに!?」
レダ、ヒマリア、エララの3艦が轟沈した爆発だった。
何があったの?
何が起きたの?
サトミは状況が全くわからなかった。
さっきまで、あそこには他の艦がいたはずなのに。
混乱した頭でかろうじて理解しているのは、まだリシテアは無事だと言うこと。
それから、それから何があるのだろう。
サトミはコックピットの中を見回した。
何を見ればいいの、何を確認すればいいの。
見回して、検索画面に気が付いた。
機体の位置座標を表示している。
「ミカコだ!」
そうだ、ミカコはどこにいるのだろう。
他はわからないけれど、今はとにかくミカコだ。
かろうじて判断した事をとにかくこなす。
ミカコの機体座標はリシテアの正面。
トレーサーをその方向へ向け、望遠モードで確認する。
最後の大タルシアンがリシテアの正面、衝突コースで向かって来る。
ミカコは、そこにいた。
「あの娘! 何するつもり!」
- 15 -
「青き瞳」−with ほしのこえ−
サトミが通信しようとパネルに手を伸ばした時、ミカコの機体はミサイルを
一斉射した。
それにタイミングを合わせたようにリシテアの主砲群も幾本もの青い光軸を
帯のように走らせる。
これは最後の砲撃戦!?
共倒れになって終わるつもりなの?
生きて帰れなきゃ何の意味もないじゃない!
ミカコへの通信は繋がらなかった。
「もうっ! あの娘っ!」
サトミはとにかく追いかけた。
追いつけるかどうかなんて考えていない。
とにかく推力全開で追いかける。
通信しようとしていた分、出遅れている。
ミカコを心配した時間分、出遅れている。
くやしいけど、祈ったってこの距離は縮まりそうにない。
全力で加速しながらサトミは何が出来るのか、判断を急いだ。
サトミはミカコの後方から同じ進路を取る。
そして、トレーサーの各設定を変更して行く。
ビームライフルの精度設定を短距離のガン・モードから、長距離のライフル・
モードへ。
慣性制御は、機体や四肢を振り回す動作補助優先から、機体全体の振動を押
さえる制振優先へ。
射撃精度を上げるため、目一杯の設定だ。
「ミカコ! あきらめないからね!」
ミサイル、そしてリシテアのレーザー砲撃は、飛翔している小タルシアンを
粉砕してゆく。
それでもなお、砲撃をくぐり抜け、ミカコへ向かう小タルシアンが数体。
落せなくてもミカコへ向かわせないように牽制が出来ればそれで良い。
サトミはビームライフルの照準を自動に任せ、余力でミサイルの管制をする。
ビームライフルを撃ち、小タルシアンをミカコから遠ざける。
ミサイルを撃ち、ミカコの周りに弾幕を作ってやる。
サトミのミサイルはミカコを中心に螺旋形に、花が開いて行くような航跡を
描きながら飛んで行く。
タルシアン側は何体もの小タルシアンで砲撃を防ぎ、ミカコの周囲にあった
弾幕を剥いで行く。
ミカコはタルシアンの攻撃を避けるため右に左に大きく動いている。
後方に離れて行くリシテアは同士討ちを避けるため、支援のレーザー砲撃が
出来ない。
「ミカコの邪魔しないで!」
リシテアの代わりにビームライフルを、ミサイルを撃った。
ミカコの長距離支援を繰り返すサトミにも小タルシアンは向かって来る。
コックピットに響く警報を聞いてからのワンテンポ遅い回避。
自動に任せているとは言え、ビームとミサイルの同時管制をしているサトミ
には、それが精一杯だった。
制震優先の管制制御のため、回避する度に体が大きく振られてしまう。
コックピットシートの内側に膝を押し付け体を支える。
グリップを強く握り、腕力で上体を引き寄せる。
首が振られる頭を支えきれず、どうにか肩で押し上げて前を睨む。
幾度もバリアが青い閃光を放ちサトミの命を救う。
後、何発耐えられるの?
振り回されたせいか、視界がぼやけはじめる。
これじゃ、ミカコを守ってあげられない!
ミカコ機の背面に小タルシアンが1体取り付いてまった。
あきらめるな、そう言われた事が悲しく思えた。
取り付いたタルシアンと共にミサイルポッドを切り離し、ミカコは更に進ん
で行く。
サトミはミサイルの残弾を一斉射する。
ぼやける視界を取り戻そうと目を擦り、トリガに指を掛け直す。
これで、ビームライフルの射撃に専念出来る。
そう思った時、サトミの機体が激しく揺れ、ひときわ眩しくバリアの閃光が
覆った。
警報が鳴り響き、バリアの力場が崩壊寸前であることを教える。
- 16 -
「青き瞳」−with ほしのこえ−
どうせ使っても下手なんだから、とビームサーベルの回路を閉鎖してパワー
をバリアへ回す。
これでまだ数回分は持つはずだ。
ミカコは大タルシアンの目の前で、それまで見た事もない長大なビームサー
ベルを振りかざす。
何が起きているのか、サトミは理解する間を惜しんでビームライフルを撃ち
続けた。
まだミカコはあきらめていない!
あたしだって!
そう思った瞬間、大タルシアンは轟沈し、閃光が周囲を包んだ。
───────────────────────────────────
戦闘終結から数時間が経過していた。
残ったリシテアを中心に、生存者の探査と救助が行われている。
行動不能になったトレーサー内のパイロットはもとより、レダ、ヒマリア、
エララの乗員でも幾らかの生存者はいた。
宇宙服を着ていて、轟沈時に運良く外へ投げ出され、偶然にも艦体の破片に
やられなかった者。
自壊して行く艦体内で脱出ポッドに飛び込めた者。
艦体が崩壊した時、隔壁ブロックがそのまま残り、偶然その中にいた者。
艦体の残骸と稼働不能なトレーサーの回収は急務だった。
軌道外へ飛ばされている場合は、回収が遅れるとそのまま宇宙の塵になって
しまう。
軌道内、引力圏につかまった場合は落下して隕石のように燃え尽きてしまう。
「12号機、1号機と一緒に2号機の探査に出て」
サトミの僚機は半壊しながらも自力で帰還して来ていた。
中隊長の気配りで、サトミはミカコの僚機と一緒にミカコを探しに出る事に
なった。
「うるさいかも知れないけど、いい?
『駄目だって諦めてしまうのが一番馬鹿』よ。
忘れないでね」
中隊長からの通信でサトミ達はミカコ機の捜索へ出かけて行く。
軌道外側はリシテアのレーダー探査に任せ、障害物の多い軌道内側の探査へ
向かう。
「12号機、東半球側をお願い。
あたしは西半球側を探すわ」
リシテア発艦後、2機は左右に別れミカコの機体を探しにかかる。
サトミは赤道に沿ってゆっくりと高度を下げて行く。
“Ly-A-02”、検索画面はまだ結果を表示出来ないでいた。
モニタに映る視界の至る所に、艦体やトレーサーの破片が浮遊している。
トレーサーのコックピットブロック以上の大きさの浮遊物は、順次自動で探
査して行ってくれる。
探査機でもあるトレーサーの本領発揮と言う所だ。
木星で、エウロパ基地で『一緒に頑張って行こう』って約束したのに。
あんたが居てくれなきゃ、あたしノボルくんに何て言えばいいの。
メールの文面見ちゃった事、あんたに謝ってないんだよ。
ケガしてても構わないから、とにかく無事でいてよ。
あんたが居てくれなきゃ、あたしどうすればいいの。
あたしが守ってあげようって、そう思っていたのに。
そう思っていたから、2体のタルシアンからも生き残れたのに。
そう思った時、サトミは自嘲するように小さく笑った。
今、気が付いた。
あたし、ミカコを守ってあげるつもりでいたけど、そう思う事であたしは無
事でいられたんだ。
ミカコがあたしの支えになっていてくれたんだ。
守ってあげる、なんて・・・
検索画面にミカコの機体番号が表示された。
「ミカコ! どこ!」
前方、サトミの位置より低高度の場所にミカコの機体が浮かんでいる。
- 17 -
「青き瞳」−with ほしのこえ−
通信を幾度も試みるが反応は全くない。
無事でいるのか?機械の故障なのか?
それから先は考えない事にした。
ともかく、救難信号は発信され続けている。
接近すると、両腕、ミサイルポッドを失っている機体の損傷が見えて来た。
胴体部分、コックピットブロックは亀裂も無く、無事のように見える。
ゆっくりと回転しているミカコの機体に合わせ、サトミも機体を回転させる。
低重力下とは言え、アガルタの引力の影響を受け初めていた。
慣性制御が効いているはずなのに、軽く目が回る感覚がする。
急がないと自分も、ミカコも影響を受けてしまう。
ミカコの機体を脇下から抱えるようにして、ゆっくりと高度を上げて行く。
焦る気持ちをなだめながら、サトミは慎重に操縦した。
破損したトレーサーの慣性制御が機能していない場合、急激な動作は下手を
すればミカコを傷付けてしまうかも知れない。
サトミは充分な高度を確保出来た事を確認してから、胴体脇にある接触通信
用のコネクタ部に高振動伝達チューブを繋ぐ。
ミカコを呼んでも応答はない。
落ち着いて、自分にそう言い聞かせながら、何度もミカコを呼んでみる。
トレーサーのコックピットは機体にかかる衝撃を直接受けないようにするた
め、何段階もの緩衝が施されている。
だから接触通信は、コネクタからの振動をわざわざ電気的に増幅してやらな
ければならない。
もし、トレーサーの内部電源が停止していたら、接触通信も役に立たない。
それどころか、生命維持が停止しているかも知れない。
体から力が抜けてしまいそうになる。
考えたくない悪い想像が押さえられない。
サトミは不安の中、中隊長の言葉を思い出した。
『駄目だって諦めてしまうのが一番馬鹿』
電源が死んでいたって、接触通信用のコネクタには繋がっているんだ。
電気がなければ振動を押さえる機構も動かないはずだ。
音量の出力を最大にしてサトミは声の限りを張り上げてミカコの名を呼ぶ。
これだけ怒鳴れば聞こえるかも知れない。
まだ応答はない。
少しで良い、響いて欲しい、あたしの声が届いて欲しい。
幾度も大声を出して呼び続ける。
何回か怒鳴った所で通信回線が開いた。
近距離通信だ!
パネルで接続先を確認するなりサトミは怒鳴った。
「ミカコ! なにあんな無茶してんのよ!
大丈夫だった?
心配したんだからね!
ケガして無い?
もうっ! こんな心配かけないでよね!
本っ当に、あぶなっかしい娘なんだからぁ!
死んじゃったらどうするつもりだったのよ!」
心配の言葉と文句が一緒にあふれ出す。
安心したからだ、嬉しいからだ。
ミカコが何か返信しているようだったが、サトミの耳には聞こえていなかった。
いや、ミカコの無事だけは聞こえていたのだろう。
サトミの声は涙声へ変わっていた。
「あんた! ノボルくんに会わなきゃならないんでしょう!」
人前で泣くなんて、涙声になるなんて。
ミカコの前で無けりゃ、かっこ悪いって思っただろうな。
遠慮なくサトミは泣きながら怒鳴り続ける。
サトミの周りには涙の滴が幾つも浮かんでいる。
通信機の向こうでミカコも泣いているようだった。
サトミが息継ぎする間にミカコがやっと言う。
「サトミさぁん、泣きながら怒んないでよぉ」
「あんただって、泣いてるじゃない」
涙を顔の回りに浮かべたまま、2人は笑い合う。
無事だった、生きているんだ。
笑える事がこんなに嬉しいのは初めてだった。
- 18 -
「青き瞳」−with ほしのこえ−
自動操縦で帰還するサトミとミカコのトレーサー。
それを1号機とリシテアが迎えてくれていた。
───────────────────────────────────
リシテアはハイパードライブ機関に深刻な損傷があり、亜光速での帰還を余
儀なくされていた。
この事は様々な問題を含んでいた。
亜光速航法は時間のズレを発生させてしまう。
そのため、帰還時間の短縮だけを優先させると、地球到着時には現在よりも
千年以上経過してしまう事になる。
それは生存者の誰もが望まない選択肢であった。
このままリシテアで8年後の救助を待つことも検討されたが、再びタルシア
ンとの戦闘になる危険は犯せなかった。
同時に、定員の1.5倍を超える生存者の8年間分の食料はどこにも無かった。
その件に関しては、アガルタでの食料調達も検討されたが、未知ウイルスの
可能性を考えると選択可能な話では無かった。
最終的に決定された帰還計画は地球側の救助艦に、復路のアンカー・ポイン
トであるシリウスラインαまで出迎えてもらい、そこから救助艦でショート
カット・アンカーを使用して帰還する、と言う物だった。
主観時間で約4年、地球時間で8年7ヶ月。
艦内の生鮮物栽培プラントを増設し、食料を節約しながらであれば、時間遅
延問題を含め、なんとか現実的な帰還計画であった。
こうして、リシテアは救助艦との合流地点シリウスラインαへ向け、亜光速
での長い帰路へと加速していった。
───────────────────────────────────
§5[2051/12-春を待つ頃]
2人は会議室へ行くために通路を歩いている。
「ねぇ、ミカコ。
難民キャンプってこんな感じなんだろうな、って思わない?」
部屋に入り切らない荷物やゴミが通路を占有している。
居住ブロックの通路はアイボリーとグリーンの配色だった筈だが、今は荷物
の隙間にすこし見えるだけだ。
ミカコは、また始まったかな、と言った風で答える。
「それって、私達が難民だって事?」
定員の1.5倍を超える生存者を乗せ、リシテアは救助艦との合流地点、シリウ
スラインαへ向かっていた。
「確かに、そうなんだけどさ。
この状況を見ると、国連宇宙軍最新鋭艦って感じはしないよね」
居住ブロックから共用ブロックまで歩いても、通路の雑然さは変わらない。
荷物の隙間、足場を探すようにしか歩けない通路。
所々、通路に渡したロープに洗濯物が干してある。
洗濯物を避けながら、サトミは文句を続けた。
「まだ、残り2年もあるんだよ。
2年後には通れなくなってるんじゃないの、この通路」
その文句を聞きながら、サトミ自身はこの状況を楽しんでいるのではないか、
そんな感じがミカコにはあった。
「大丈夫よサトミさん、どうせ最後は救援艦に乗り移るんだから。
救援艦は綺麗なんでしょ」
ミカコは、そう言いながら会議室の扉を開けた。
自主的に繰り返している勉強会。
元社会人や大学生の年長のメンバーが、サトミやミカコのような年下のメン
バーの先生となって、帰還中も勉強を続けている。
「あ、来たね。時間までもう少し待ってて」
先生役のメンバー、彩子が机から顔を上げて言う。
まだ数人、生徒のメンバーが来ていなかった。
はーい、と言いながら部屋の隅を見ると、また荷物が増えていた。
「ミカコ、2年後まで、この会議室使えると思う?」
- 19 -
「青き瞳」−with ほしのこえ−
「サトミさぁん。
来月からは、いよいよ減速期間に入るんですよ。
残りも半分なんだから、もう少し明るいこと考えません?」
2人の会話を聞いていたアヤコが言う。
「大丈夫なんじゃない?
リシテアの中で食料以外の物資が増えている訳じゃないんだから。
みんな単に片づけないで、押し付けあってるだけよ」
もともと一人用の個室を何人かで共有し、雑魚寝状態に近い使用をしている
のだから、邪魔な物は部屋の外に追い出すしかなった。
「それに亜光速航行中は、トレーサーも発艦出来ないし、
戦闘自体あり得ないのよ。
格納庫へでも、戦闘指揮所へでも、詰め込んじゃえば平気よ」
アヤコの過激な発言に2人は驚いた。
確かに亜光速航行中のリシテアからトレーサーを発艦させる事は出来ない。
リシテア表面に張りついているならともかく、リシテアの慣性系を離れたら
2度と艦へ戻る事など出来はしない。
戦闘だって同じだ。
タルシアンがリシテアを発見しても、亜光速まで加速するのに相当の時間が
かかる。
その間にリシテアは遥か彼方と言う訳だ。
その上、加速出来たとしても亜光速領域ではコース変更もままならない。
真後ろからの接近以外に、戦闘のためにコースを変更して横から接近する事
はタルシアンと言えども不可能だった。
ドアが開いて残りの生徒メンバー達が飛び込んで来た。
「アヤコ先生、遅くなりました!」
教師志望の大学生だったアヤコは、勉強会の声が上がった時、先生役を買っ
て出た。
初めは、先生って呼び方はやめて、と言っていたアヤコも2年も経った今で
はあきらめたのか、その呼び名を受け入れている。
アヤコは時計を見ながら言う。
「ギリギリセーフね。
じゃ勉強会、始めましょう」
───────────────────────────────────
「今日はここまで。
来週の勉強会の予定、みんなの端末へ転送しておいたからね。
他の予定とぶつかる人は事前に調整しておいて。
欠席予定は早目に連絡ちょうだい」
席を立とうとするミカコにアヤコが声をかける。
「長峰さん、衛生科のお手伝いの予定とぶつからないようにね」
「はい、大丈夫です。
勉強会を優先させてくれる事になっていますから」
そう答えるミカコの横からサトミが言う。
「来月の減速記念会、この勉強会では何か出し物しないんですか?」
減速記念会は帰還行程の半分、前半の加速2年が終わり、後半の減速2年が
始まる記念として全艦でお祭り騒ぎをする事になっていた。
「英語圏グループの方では何か劇をやるって言ってましたよ」
サトミに続いてミカコも言う。
「私は補給科で『ケーキの作り方教室』やるって聞きました」
リシテアの食糧事情は、艦内で栽培されている生鮮物以外の食材に関しては
制限が厳しかった。
減速記念会だからと言う事で、特別にデザート関係の食材を放出するらしい。
「ホント? ミカコ!」
帰り支度をしていた、他の生徒メンバーが集まって来る。
しゃべったのは失敗だったかな、ミカコは包囲されたままそう思った。
───────────────────────────────────
- 20 -
「青き瞳」−with ほしのこえ−
自分達2人の部屋へ戻って来たサトミとミカコは、端末で来週の勉強会予定
を確認した。
先にミカコが衛生科を手伝う時間とダブっていないか確認する。
ピッ、ピッ
大丈夫だ、来週はダブって無かった。
「サトミさん、端末空いたよー」
ベッドに寝転がっていたサトミは起き上がりミカコと席を変わる。
とりあえず端末へ向かい確認をする。
しかし、ミカコと違い勉強会以外の優先予定がある訳ではなかった。
リシテア艦内には幾つもの自主学習会があった。
最初は有志から始まった元中高生向けの勉強会や趣味のサークル。
それを受け、艦内各科が専門を活かし講習や実習をはじめたり、手伝いの希
望を受け入れた。
そして、選抜メンバーの半数以上が、なにかしらの勉強会に参加していた。
船務科は通信、電気でしょ。
航海科は気象予報士。
機関科は機械の整備や修理だし。
補給科は料理や事務全般。
衛生科はミカコのやっている医療助手、か。
音楽や絵のサークルもなぁ・・・
サトミは2年経った今でも、何かやりたいことを見つけなければ、と悩んで
いる。
「見つけなくっちゃ、って思うんだけど、
見つからないんだよなぁ、やりたいこと」
「どうしたんです、急に?」
ベッドにうつ伏せでノートを開いていたミカコが顔も上げずに言う。
狭い個室は、部屋幅一杯に元のベッドと簡易ベッドが隙間なく並べられている。
2人で使用していても元は個室。
机も椅子も端末前の1つしかない。
その机の隅は、充電器に立てられたミカコの携帯の指定場所だ。
サトミは、その携帯をなんとなく眺めながら聞いてみる。
「んー、ミカコはさあ、
なんで、今の医療助手とか剣道を始めたの?」
うつ伏せになったままの姿勢、今度は顔だけ上げてミカコは答える。
「やってみたいな、面白そうだな、って思った事をやってみて、
楽しいな、って思った事を続けているだけですよ」
その簡単な返答を少しの間、考えてみる。
「そうかぁ、それでいいのかぁ」
サトミはなんとなく分かったような気がした。
そして、中隊長が言っていたことを思い出す。
『昔のパイロットの言葉。
“生きる楽しみを追求する事、それが目的だ”って』
楽しみか、あたしにも見つけられるかな?
そう考えながら、サトミは端末の席から立ち上がった。
もしかしたら、見つけようとするだけでも、いいのかな。
自分には何もないって、焦って無理やり何か始めるよりも、いろいろ挑戦す
る方が楽しそうだ。
サトミは寝転がっているミカコを跨ぎ、自分のベッド部分で横になる。
見上げると、部屋の対角線に張られたロープに洗い物が吊るされていた。
───────────────────────────────────
§6[2056/04-届く想い]
「しかし片付くもんだねー。
通路なんか真っ直ぐ歩けるんだよ」
サトミは洗いあがりの髪をタオルで包んだまま、一足先にくつろいでいるミ
カコに言う。
- 21 -
「青き瞳」−with ほしのこえ−
明日の救援艦への移乗を前に、数日前から艦内は大掃除の様相を呈していた。
驚く事に、あれほど荷物が散乱していた通路や艦内の各所が綺麗に片付いて
いる。
あの荷物は一体どこへ消えたのだろう?
サトミは、それを思うとおかしくて仕方がなかった。
4年分の大掃除で埃にまみれた体をシャワーでさっぱりさせ、大掃除も完了。
後は、持って行く私物をまとめるだけだった。
「立つ鳥跡を濁さず、って言うじゃないですか」
ミカコがベッド脇の床に座り込んでサトミの言葉に答える。
「ま、精一杯のマナーってところかもね」
素直な言い方じゃないなぁ、ミカコはそう思ったものの、これもいつもの事
だと分かっていた。
「救援艦、パシファエへ移れば個室になるって言うし、
残りの行程はあんなに散らからないでしょ。
サトミさんも心配しないですみますよ」
ミカコはバッグを前に置き、私物を詰めながら答えた。
詰め込もうとする私物は、バッグとミカコをぐるりと囲むように並んでいる。
「今は、ここの床が心配だわ」
サトミは、床一面に広がったミカコの私物を避けながらベッドの上に座り込
み、シーツの波を蹴るように足を伸ばして言う。
「個室って言っても、月面基地までの間だけどね」
「サトミさん、もっと長いこと乗っていたいんですか?」
何気なく意地悪なことを言うミカコに、そんなわけないじゃない、とサトミ
は表情で言い返す。
言葉にしなかったのはミカコが手にした物に気が付いたからだ。
丁寧に畳んでバッグの底へ入れる中学の制服。
「ね、長かったけど、あたし達やっと卒業だね」
その言葉にいろいろな事を思い出し、いろいろな事を考える。
ミカコは制服の表面をそっと撫で、サトミを見上げて言う。
「私、小学校以来ですよ、“卒業”なんて」
書類の上ではサトミは高校を、ミカコは中学を卒業している。
でも、そんな形式的な事よりも、選抜メンバーとしての任務が、もうすぐ終
わるんだと言う実感の方が2人にとっては本物の卒業に思えた。
「そっかあ、そうなるんだね」
サトミはミカコの手を取り立ち上がらせる。
「会った時はあたしより背、低かったのにね。
今は目の高さ、同じぐらいだものね」
ミカコの頭に撫でるようにして手を置く。
本当だ、初めての頃はサトミの顔を少し見上げていたのを覚えている。
いつの間にか同じ高さで物を見ていた。
2人は昔の事から思い出してゆく。
月面基地でのこと、火星でのこと、エウロパ基地で土星を見た時のこと。
冥王星でのこと、アガルタでのこと。
こんなにも思い出は積み重なっているんだ。
知り合いになれたメンバー、一緒に帰って来られなかったメンバー。
彼女達がやりたかったこと、出来なかったこと。
一緒に帰って来たメンバーのこと。
私達は生き残る事ができて、今ここにいるんだ。
そう思った時、携帯のメール着信音が鳴った。
「何? 何の音?」
サトミは周りを見回す。
ミカコは飛びつくように机の端にある携帯を手に取った。
「ノボルくんからだ!」
- 22 -
「青き瞳」−with ほしのこえ−
ピッ
《19歳のミカコへ、元気だった?
24歳のノボルだよ。
ミカコは声も無く、一心にメールを読んだ。
読み終わっても、また頭から読み直した。
サトミはただ黙ってそれを見守っている。
「来てくれた、迎えに来てくれた。
ノボルくん、パシファエに乗ってるって」
こらえ切れずミカコは泣き出した。
子供みたいに涙をぬぐいながら泣き出した。
泣いているミカコを見るのは4年ぶり。
アガルタ軌道上、トレーサーを回収したあの時以来。
あの時も、嬉しくて泣いたんだったよね、サトミは思い出す。
よかったね、よかったね、サトミも泣いてしまう。
ノボルくん、あんた凄いよ。
ミカコ頑張ったんだよ、ほめてあげなきゃだめだよ。
サトミは泣きながら祈った。
夜が更けるまで、2人は嬉しい涙で泣き続けた。
───────────────────────────────────
リシテアからの移乗は、大掃除以上の混乱だった。
積み替える貨物コンテナがミスで漂流しはじめ、トレーサーで回収と積み替
えの支援する事態になった。
「サトミさん、久しぶりだけど大丈夫?」
シミュレーター以外の操縦は4年ぶりだ。
ミカコが心配して管制から通信で声をかける。
「戦闘する訳じゃないから大丈夫でしょ、多分。
あんたも、衛生科の引越の手伝い、頑張りなさいよ」
そう言って降下カタパルトへサトミのトレーサーは降りて行く。
それを見送り、ミカコは衛生科の手伝いへと走る。
衛生科は他の科より正規科員が少ないから、手伝いは大変だろうな、ミカコ
は覚悟を決めていた。
リシテアの影から見上げるといくつかのコンテナらしき浮遊物が見える。
A中隊残存機は、それぞれパシファエの管制を受けながらコンテナを追いか
けて行く。
「12号機、転送した座標のコンテナ回収をしてくれ」
せっかく久しぶりに聞く同世代男性の声なのに、妙に疲れてつらそうだな。
サトミは艦内の混乱を思い出し、仕方ないか、と座標を確認する。
「コンテナをつかむって言うモードは、無いのよねぇ」
サトミは文句を言いながら、何個目かのコンテナへ接近する。
トレーサーの専用装備と違い、手でつかまれる事を想定していないコンテナ
の取り扱いは予想以上に慎重さを要求された。
コンテナの面側をつかむとひしゃげてしまうのだ。
上手くコンテナの辺側をつかむ必要があった。
ゆっくりとトレーサーの両手を添えコンテナをつかむ。
その時、アラーム音が響き出す。
「!」
ニアミスだった。
中隊長機と数メートルの距離まで接近していたのだ。
「12号機、大丈夫?」
中隊長の声が緊張している。
「大丈夫です、接触しませんでした」
大変なのはわかるけど、管制にはしっかりしてもらわないと。
そう思いながらも、サトミは誰かに責任を押し付ける気にはならなかった。
そう言ったことは仲良し組のさえずり同様、今も好きじゃない。
- 23 -
「青き瞳」−with ほしのこえ−
「コンテナ、上手につかむわね」
やはり、みんなコンテナの扱いには苦労しているようだ。
中隊長までこんな事を言うとは思わなかった。
「ありがとうございます。
中隊長も苦手なんですか? こう言うの」
「得意ではないわね。
どうしてもトレーサーは兵器だ、って感じが抜けなくって」
はじめから兵器としてトレーサーを扱って来た人の感覚とはそう言う物なの
だろうか。
サトミも兵器であることは自覚して来たつもりだったが、やはり違うのだな
と思った。
「あたしは、ビームライフル持ってるより、
コンテナ持ってた方が気が楽です」
まだ艦隊勤務についている身なのに不謹慎な発言かな、と思ったが帰還も大
詰めを迎え、口が軽くなっていたのかついしゃべってしまった。
「その気持ちわかるわ。
でも、今も他の中隊が周辺の哨戒任務に付いているのは忘れちゃ駄目よ。
月基地に帰り着くまでは緊張する事を覚えていてね。
『帰還してはじめて一人前のパイロット』だからね」
ここまで来て、また中隊長にいつもの小言を聞かされてしまった。
中隊長機と別れ、サトミは呼吸を整えてから、慎重にコンテナを運んで行く。
「管制、こちらトレーサー12号機、漂流コンテナ回収完了。
何番ハッチへ搬入すればいいの?」
注意や文句を言うより励ました方がいいかな、サトミは元気な声を出し、確
認を求める。
少しして、管制から疲れた声で指示が来る。
「12号機、Gデッキ3番へ搬入してくれ」
なんか、声を出すのも面倒くさそうだなぁ、しっかりしてよぉ。
サトミは少し、管制が可哀想に思えて来た。
「了解。疲れた声してるわね、
大変だろうけどしっかりしてよ、管制が頼りなんだからね」
少し元気に声を作り過ぎてるかな?
それでも、ここで気を抜かないでね、頑張ってね、と気持ちを込めていた。
「12号機、こちら管制、了解した」
少し元気に聞こえる管制の返事。
「管制さん、頑張ってね。
以上、12号機北條サトミでしたっ!」
やり過ぎたかな、同世代男性を意識しちゃったかな、そう思いながらサトミ
はコンテナを搬入口へと運んで行った。
───────────────────────────────────
リシテア艦隊の解散式が終わり、月面基地メインホールのあちこちに大小様々
な人の輪が出来た。
勉強会やサークルのメンバー達が集まっている。
別れのあいさつをする者、地球での再開を約束する者、その場で最後の演奏
会を開く者たちもいる。
「本物の卒業式みたいだね」
サトミは喧騒に負けまいと声も大きくミカコに言う。
ミカコは、どう言う意味? と首を傾げてみせる。
「形だけの式よりも、こうして仲間が集まるところが、よ」
小学校の卒業式はどうだったかな?
ミカコは今ひとつ実感が伴わなかったが、サトミの言う通り、こんな感じな
のだろうと思うことにした。
なによりも、この方が楽しかった。
- 24 -
「青き瞳」−with ほしのこえ−
2人は自分達が参加していた勉強会の輪を探してホールを歩いている。
「ミカコ、衛生科の方は顔出さなくていいの?」
顔をきょろきょろと左右にふりながら2人は会話する。
「衛生科は兼務者が多いから、解散式前にあいさつはすませちゃった。
また、みんなで時間作って会おうって事になったから、大丈夫」
幾人もが2人と同じように輪の間をきょろきょろしながら歩いている。
「会う、って言えば、ノボルくんは?」
サトミは、ここへ帰り着くまでの間、ミカコに幾度もノボルを誘わせた。
土星の環を見て来たら、とか。
フラックスチューブが見られるかもよ、とか。
いつしかサトミのおせっかいは必要なくなっていた。
「このまま艦隊の地上研修になるんだって。
次に休暇が取れるまで、またお別れなんですよぉ」
そう言うミカコの言葉はとても明るい。
5年、いや10年前の別れとは全く違う。
いまなら、じゃあまた今度ね、そう笑って言える。
「あ、いたいた、アヤコ先生!」
サトミが声を張り上げながら走り出す。
ミカコも遅れて走り出す。
「来たね、2人とも。
珍しく遅刻だね」
2人が最後だったようだ。
改めて全員が揃ったのを確認して、アヤコは手にしたカバンから何かを取り
出した。
「パシファエの補給科に無理言って上質紙、分けてもらったの。
手書きで申し訳ないんだけど」
勉強会の卒業証書だった。
「長峰美加子さん」
呼ばれてミカコはアヤコの正面で直立する。
緊張した表情に頬の赤さが喜びを添えている。
「卒業証書、長峰美香子殿。
右の者は勉強会のカリキュラムを全て終了した事をここに証します」
アヤコが差し出した卒業証書を、真っ直ぐに腕を伸ばしてミカコが受け取る。
自然に拍手がおこる。
騒然たる喧騒の中のはずなのに、アヤコの声と拍手は皆の耳に届く。
「卒業証書、北條里美殿。
右の者は勉強会のカリキュラムを全て終了した事をここに証します」
一人一人、丁寧に読み上げて手渡しして行く。
白い紙にサインペンで書いただけの卒業証書。
同じものなんて1枚も無い、文面の行間すら少しづつ違っている。
それが嬉しかった。
誰もが涙をこらえ切れない。
拍手も涙も、生徒全員がアヤコ先生から証書を受け取るまで続いた。
「こら、あんた達、泣くんじゃないわよ」
言いながらアヤコの声も涙声になっている。
「また地球で同窓会やればいいんだから。
みんな離れてるって言っても同じ日本の中じゃない。
何光年もの彼方じゃないんだからぁ。
泣かないでよぉ」
「アヤコ先生も泣いてるんじゃ、説得力無いですよ」
サトミの台詞で、みんなが笑う。
- 25 -
「青き瞳」−with ほしのこえ−
涙は別れることの悲しさではなく、手書きの卒業証書の嬉しさだった。
そして、急遽サトミが切り離したノートの裏表紙に生徒みんなの寄せ書きを
してアヤコへ贈る。
“アヤコ先生へ、初めての教え子達より”
寄せ書きの中央に描かれた言葉、嬉しくてまた涙がこぼれる。
こうしてサトミやミカコ、選抜メンバーのリシテア艦隊の任務は終了した。
───────────────────────────────────
§7[2057/05-琥珀風]
「あれから1年かぁ」
サトミは3度目の月面基地に立っている。
はじめての時、人生はわからないなぁ、そう思っていたあの場所だ。
中央コンコース、カウンター待ちのシート席が並び、真上に天窓がある。
モノトーンの月面の景色と塗りつぶしたような黒い星空に、青い地球だけが
色を輝かせる、あの景色だ。
足元に少し大きな旅行バッグを置き、サトミは待ち合いシートに腰を下ろす。
やっぱり、これがあたしにとっての月なんだなぁ。
コンコースを見渡してそう思う。
子供の頃、遠いと思っていた山のてっぺんは未だに行った事がない。
それなのに、もっと遠かった月は見知った世界になっている。
あ、懐かしいな。
天窓にはゆっくりと姿を見せはじめた青い地球がある。
サトミはこの1年、やりたい事を探し続けている。
いまだに答えは見つかっていない。
その事で焦ったり、悔やんだりはしなかった。
もしかしたら答えなんてどこにも無いかも知れない。
探し続けること自体に意味があるかも知れない。
なにもせず、ただ流されているのでなければいい。
サトミはそう思っている。
解散式の後、軍への入隊を選ばなかったサトミは、今回は連休に合わせての
1週間の旅行客としてここにいた。
サトミ達の勉強会、はじめての同窓会が月基地で開かれる事になったからだ。
卒業生はみんな同じ日本出身だったので、同窓会は地上で開く予定だった。
それが、いつの間にか月基地での開催となってしまった。
みんなが、はじめての同窓会だけは絶対ここで、と望んだ結果サトミは3度
目の月に来ている。
もちろん、サトミだけではない、明日になればアヤコを含め、勉強会の生徒
メンバーは全員揃う予定だ。
携帯を手にし、勉強会のメンバーみんなからのメールを読み返す。
艦隊へ残って今も宇宙にいる人。
ミカコのように目的を持って勉強を続けている人。
アガルタから帰って来られなかった友人の夢を代わりに追う人。
何もしないで無為に時間を過ごす人。
これだけ近況知らせ合ってて、同窓会での話題、残ってるかな。
サトミは笑顔で心配する。
アヤコ先生は大学へ復帰していた。
サトミ達を教えた実績が効いたのか、飛び級でこの春、本物の教師になった
そうだ。
はじめての教え子としても、嬉しい限りだ。
そうして、幾ページもメールを読み返す。
「サトミさん、待たせちゃいました?」
ミカコが後ろから覗き込むように声をかけて来る。
振り向きながらサトミは手にした携帯をボケットヘ戻す。
「だいじょうぶ、メール読んでたから平気」
「サトミさん、お久しぶりです」
ミカコの隣、いとこのカナミが挨拶する。
- 26 -
「青き瞳」−with ほしのこえ−
いとことは言え、ミカコとは元3歳年下、今2歳年上でサトミと同い年と言
う複雑な関係だ。
もちろん、カナミのせいではない。
「久しぶり。
って、先月も会ってるでしょ。
あれ? カナミちゃんミカコに背、追いつかれた?」
サトミはカナミ自身の希望でミカコと同じように『カナミちゃん』と呼ぶ。
カナミにすればミカコ姉ちゃんの先輩だから、それが自然な事だった。
「当然よ、私の方が若いんだから」
ミカコが少し力を込めて言う。
どうやら帰還後、カナミに身長を追い越されていたのが少し口惜しかったら
しい。
普段はカナミの方がヒールの高い靴を履いているから気がつかなかったが、
月面基地では指定された低底の靴しか履けない決まりだった。
そのおかげでサトミは気が付く事が出来た。
言われて口惜しがるカナミを、気にするような差じゃないでしょ、とサトミ
がなぐさめる。
本当は身長の事よりも、若い、と言う言葉が口惜しいのかも知れない。
今回、同窓会前日に早々と月に来ていたのには訳がある。
サトミとミカコは、どうせ出かけるのなら、と余分に滞在を計画していた。
いまさら観光するような場所でもなかったが、目的は同窓会の参加だけでは
ない。
月面未経験のカナミに色々と観光させてあげようと言うのだ。
もちろん、それは建前。
本当の所は、同窓会“ついで”のミカコとノボルのデートだ。
サトミは2人のデート中、カナミの観光案内役のようなものだった。
とりあえず座ったら、とサトミに促されミカコとカナミもシートに腰を下ろ
す。
「そうだ、ミカコ。
今度、民間用のトレーサー免許が出来るでしょ。
それでね、中隊長が教習所はじめるんだって」
これはミカコの知らない最新情報だった。
「本当?!
どこからそんな話を聞きつけたの?」
ミカコは身を乗り出して来る。
「中隊長から連絡あってね、あたしに教官やらないかって」
一瞬、驚いた表情が笑みを含みはじめる。
「無謀ねぇ、サトミさんを教官にしようだなんて」
言いながら笑い声になる。
サトミは、どう言う意味よ、と軽く怒って握り拳を作ってみせる。
ミカコは、冗談ですよ、と手を軽く上げ首をすくめる。
「でも、教官になったら毎日、中隊長の小言を聞かされそう。
『昔のパイロットの言葉』って」
ミカコの言葉に笑い出すサトミ。
言っておきながら、つられてミカコも笑い出す。
隣では訳がわからず唖然とするカナミがいる。
「あたしは、教室の正面に額に入れて飾ると思うな」
サトミの言葉で更に2人は笑い続ける。
話が分からないカナミは、仕方なくその成り行きを見守った。
「それは言い過ぎですよ、サトミさん」
そのミカコの言葉に、少し真面目に答える。
「でも、あの小言のおかげだよね。
あたし達がここで、こうして話していられるのは」
ミカコは、うん、と強く頷く。
何か大切な事なんだ、とカナミも少し理解する。
- 27 -
「青き瞳」−with ほしのこえ−
サトミは続けて話す。
「本当だよ、アガルタであんたを回収しに行った時だって・・・」
あ、これ以上しゃべると涙声になりそうだ。
サトミは咄嗟に話題を変え、それを切り抜ける。
「あ、ねぇ、ノボルくんは?
夕食は一緒出来るんでしょう?」
「うん、交代の引き継ぎが手間取らなければ、
もう来る時間だと思うんだけど」
ミカコは時間を確認し、コンコース奥の軍施設ブロック側を眺め見る。
「どうする?
荷物もあるし、先にホテル、チェックインしちゃおうか?
それとも、ノボルくんが来るまで待つ?」
サトミの問いに答えないミカコを見て、聞こえて無いみたい、とカナミが仕
草で言って来る。
ミカコは立ち上がり、小さく手を振る。
サトミはその方向を見る。
艦隊の制服を着た男性2人が何か挨拶を交わしている。
1人は上司か先輩なのだろう、もう1人が軽く会釈をした後、肩を軽く叩い
て励ましているようだ。
肩を叩かれていたのはノボルだった。
ノボルは小さく手を振り続けているミカコに気付き、こっちへ向かって来る。
もう一人の先輩らしい男性は、ミカコとサトミ達に気が付き、軽く一礼の挨
拶をした。
サトミは急いで立ち上がり一礼する。
先輩らしい人は軽く手をあげ、そのまま軍施設ブロック側へ戻って行った。
シートに腰を降ろす時、サトミはミカコの左手に気が付いた。
今頃気付くなんて、あたしは鈍いのかなぁ。
サトミは口惜しい反省をしながらミカコの薬指を眺める。
そこには銀の指輪。
ミカコはサトミの視線に気が付く。
おめでとう良かったね、その思いを乗せ、サトミは笑顔でミカコを見上げて
いる。
頬を紅色に染め、ミカコは何も言えなくなってしまった。
言葉がなくともサトミの祝福は伝わっているようだ。
夕日も夕焼けもなかったが、時間はもう夕刻になっている。
コンコース隅のピアノでは生演奏が始まった。
演目は少し切ない曲調が心地よい10年も昔の曲。
やって来たノボルをサトミとカナミが、おめでとう、と冷やかしている。
頬を染めながら、ありがとう、と2人は答えている。
サトミ達にとって、ここがまた忘れられない大切な場所になった。
ミカコ良かったね、おめでとう。
あたしも頑張らなきゃいけないね。
サトミは照れる2人を前に強くそう思った。
天窓に見える地球は、あの時焦がれた青色で光っている。
子供の頃、見上げるだけだった場所から、今あたしは見上げていた場所を眺
めている。
やっぱり、人生はわからないなぁ、そう思う。
コンコースにはピアノの演奏が流れている。
サトミは、その優しく流れる音色がとても嬉しかった。
- 28 -
「青き瞳」−with ほしのこえ−
[2002/12/10-はじめに]
この「青き瞳」は「遥かなる ほしのこえ」「スタートライン」「ぱすぽーと」
に続く4つめのお話しです。
今までのお話しとは大分“違った”形になったと思っています。
そして、1本目の「遥かなる ほしのこえ」を別として、自分が今まで書いて
来た「スタートライン」「ぱすぽーと」の流れにあるお話しとしては、この
「青き瞳」で一区切りとなります。
1本目の[はじめに]で「自分にとって『ほしのこえ』ってこう言う話だった
んだよ」と書きました。
それは、この4本目まで来ても変わっていないつもりです。
変わっていないのに“違った”形になりました。
このお話しが楽しんでいただけたら、いいなと思います。
もし読んで頂けたなら、感想の一つでお聞かせ願えれば幸いです。
───────────────────────────────────
[2002/12/10-おわりに]
このお話しは、小説版に登場した北條サトミのお話しです。
サトミは小説版とは全く異なる性格になりました。
同じようにミカコもオリジナル版とはイメージが違っているかと思います。
この4本目では、オリジナルへの忠実さを少し壊して書きました。
その結果はどうなっているでしょうか。
思い入れを持って書いた私自身では答えが出せません。
読む人のイメージを壊さない形であって欲しい、と願うばかりです。
1本目の[はじめに]で「自分にとって『ほしのこえ』ってこう言う話だった
んだよ」と書きました。
振り返ってみると、この「青き瞳」までの全4本で、“こう言う話”を形作っ
ているようです。
すこしでも、その“話の形”を伝える事ができたでしょうか。
1本目の[おわりに]で「オリジナル版『ほしのこえ』は極めて純度の高いお
話です」と書きました。
2本目、3本目はその純度を強く意識して書きました。
この4本目は、不純物やノイズが混じる事を避けないで書きました。
美しい姿の幹だけの木に、似合う枝や葉や花を付けられたでしょうか。
うまく書けているでしょうか。
どのように見えるでしょうか。
語る人の数だけ「ほしのこえ」は存在すると思います。
いまは、強くそう感じています。
今一度、私達に「ほしのこえ」を届けてくださった皆さんに感謝致します。
素人の文章を最後まで読んでくださってありがとうございました。
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