北方山草 15 (1998) 垣間見たアメリカの自然(I) 札幌市 福地郁子 持ち帰られた植物は、当時のノ¥ ノ 〈 なぜ、花を訊ねてアメリカへ ド 大学教校・ア」サ、グレイにより研究│司定 1 9 9 5年、函館において『黒船が採取 Lた 函館の梢物桜本里帰り炭』が行われた。 1 4 0 きれ多くの新種が見つかり、東アジアと北 年ぶりてい椋木の実物が里帰りしてきたので 米間の刷物が隔離分布をしめしている、と ある。 分かった事は多くの方の知るところであ 米関ペリー J 是骨が率いる「太平洋遠祁隊」 る 。 は 、 1 m国が目的だったが、ほかに、 F I米友 『里帰り民』記念シンポにおいて小山銭男 好条約締結、捕鯨船の基地確保及び日本の 先生の慕調講演をさき植物を通して黒船の 植物の採取であった。刷物学者、採集者が 果たした役害) 1を再認識した。先生は資源右I { i 訓告しており、 J j I i 球、小笠原、鹿児島、伊 物学、有別刷物学を専門とされ、/JJ:と 豆下回、横浜、 ~}i 館 ìlf ;Ìll などで多くの才的物 ニコーヨーク市立大学の教授、ニューヨー ョ カt f : U&き i lた 。 ク柏物│事l ぽ!日;研究官としてご活躍されてお エンレイソウ 8 0 北方山草 15 (1998) り、特にカヤツリクサ科スゲ属の分類にお の中、 リスが走り回っており、シノレバーベ いては刊界の第‘入者である。主な著書に レ /( H a l e s i at c t r a p t e r a ) といわれるの樹木 「資源 M物学」講談社、「資源植物学フィー が白いかわいい花をたくさん付けていた。 ノレドノート」朝日新聞社がある。 夕食に H~ たついでにエンパイヤーステ CH¥帰り展』での標本はニューヨ ビノレ(高き 4 2 3 1 1 1 )からニューヨークの夜景 ク植物 l 刻、ノトーバード大学植物標本館より、小山 先生とのご縁で特に貸し出されたとの を楽しむ。 mで 次の 1、プルックリン植物凶を訊ねる。 休日にもかかわらず、閑長、前凶長さんの ある。 『里帰り展』を機に、北海道の植物と類似 した I 直物(肯第 } ご案内で見守ーする。ここは多段の桜を植栽 J l J I 要素の植物)を北米に していることと盆栽で有名な所らしい。よ 訊ねるツアーをノト 1 1 1先当が企岡され、こ案 く手入れされた│納付で、特に薄緑色の 7 グ 内もされる事となった。そして先生と親し ノリアの花が印象深かった。ライラック、 いl 必館柄物研究会の宗像和彦さんより誘わ ハナミズ寺、ベニバナハナミズキが取りと れ、ツアーの 1人になったのである。 i 咲いており、 1 9 9 6年 5月、東海岸、ニューヨ』ク、ワ シントン DC 、シャーロッ│経由アッシュ ソウも花を付けていた。 ビ/レ(ノ」スカロライナ州,[)、 馳走になり、植物持│の方、イドブックやプラ 1本には無い数種のエンレイ 見学後ゲス↑ノレムでお茶とケ yゲ}リング ノぐーク(テネシー州)、アトランタ(ジョー ンツ アンド ガーデン ジア外 1)サンフランシスコ出干由の 1 1 1 1問の だいて J 出物園を後にした。 キをご ニュースをいた 午後は、ノミッテリーパークから自由の友 i ! I'iとなった。 5月の北米東側はハナミズキやユリノ 神をながめ、国連本音¥ 1 i i i j経 1 1 1で、ウォ、 lレ キ、キリの花感りと、梢物観察にはとても 街を散策。オフブロードウェイでコーヒー よい季節であった。 タイム後ワンントンへと移動した。 が多〈北海道とよく似て 森や林は広葉桔J いたがト市がササではなく、ピンカが紫の 花を咲かせて地耐を覆っていた。特にアパ ラチア地方は北海道と類似した柄物が多 く、エンレイソウ、キンギンポク、ハンショ ウ、ゾノレ、吋ノレトリイノ〈ラ、スミレなどのや' l 附を多く観察する事ができた。 ニューヨーク・ブルックリン植物園 かわいい花 カーネギーホーノレ近くのホテルから、傍 のセントラノレパ』クに出かけてみた。新緑 8 1 シ/レハーベノレ 北方山草 15 (1998) ロングウッド・ガーデン ワシントンから車で約 31時間のペンシノレ パニア川│ブィラデルブィア市にあるロング ウッドガーデン ( 4 2 5h a )を訪れた o 有名な 化学会主!のデコポン H J :I J jが所有する i 荒i 芸柄 物!封である。噴水のある大庭問、中世風の 大温室(16 棟)や研究施設があり、付属の 章 │l 芸学校には海外から多くの留学生が来て いる。この広大な園内の案内には日本から 庭師の勉強にきている荒川陽了さんが短時 間で要領よくこなしてくれた。これから行 くアパラチア地方の柄物コーナーも見たが 後でとても 1~に立った。 一年生前花、ラン、球線、アザレア類、 熱帯の納物、ツバキ、ノミラ、北米東側の自 生杭物を集めたコ」ナーなど、!主l ユミ植物の 種類と最の多さに圧倒l された。 本内庭凶 常時、庭師が 1 5 0人ほどと学生のボラン テアとで、心憎いほど整然と素 H 古らしいセ ンスで手入れがされていた。 ワシントン・米国国立樹木国 米 : 昆J Ifl守:樹木閑 ( 1, 8 0 0h a )では関長のレ クチャーを受けたあと、ここの口慢なので 噴水のある 1 息園 あろう u本の盆栽コもナ』に案内された。 昭和天皇が訪れた手土産の主主栽などを見せ られたが".".その後白 1 1 1に各ゾーンを卓で 移動しながら見て歩いた。北米東側特有の 倒木が多〈、モミ、トウヒまn iなど針葉樹ゾー i 也のある庭園 後の高木はヌ 7 スギのiI主木 ン、広葉樹ソーン(ブナ、ハナミズキ、サ 8 2 北方山草 15 (1998) クラ、レモンノキ、ハンカチノキなど花盛 ボランテアは 3 1 時間のトレーニングを受 り)、治水、/-ーンではアザレアが咲き乱れて けた後ボランテア・コーデネーターにより いた。絶滅が危 l 具される航物ゾ ンやそこ スケジコ』ノレが決められる。多くはコン の円然納生ゾーンがあり、始めてみるエン ヒ。ューターに乗せる作業、種のリスト、積 レイソウやメギ科の花、アツモリソウなと の交換リス↑作りが主な仕事らしい。ボラ がみられた。広大な面積の│圭I 1 人 ] は 1I Jでl i i J ンテアの多くは退職者や才7 い家族くるみてい れるものではなかった。 1 '1には、プロブェショナノレな人も含まれて いる。 その他には、ホワイトハウス、国会議事 見学後、樹木鼠の 1室で小山先生のセミ ~:J~1j立を散策、ワシントンモニコメン|、 スミソニアン持物群の歴史博物館などを見 ナーを受ける。内容は、「東アジアと北アメ て歩いた。 リカの問の植物の隔離分布について J で 、 明日行〈アパラチア山地についても詳しい 説明があった。 ノースカロライナ州立大学樹木関 ワシントン 内存については、『米国北太平洋探検隊採 ナショナノレ空港からシャー スカロラ 集の日木植物の図録』日本大学獣医学部資 イナ)へ才i いた。小山先生の友人のドクター 第 4ザ)別刷りに掲載されている o 料館者!( ロット経由でア y シュビノレ(ノ と合流して樹木[草l に向かった。 夕方帰ったアッシュビノレのホテル n I j 庭でい グレイト・スモーキ-j f ; J: l i公凶の端にあ はアメリカカケスがジェイ、ジェイと H 烏き、 るこの樹木闘は、構想から 1 0年とまだ 3分 アメリカクロウタドリもよい声でさえ の lしか出米あがっていないが、北米東地 ていた。 j 或の特2微を強〈出した最期I の桔J オ 、i 京!とい ハナダイコンが紫に咲いていた。 Fっ 1 0をとおる同道の分離慌には一面1 フ 。 グリーンハウスで教育部長のホスターさ アパラチア山脈 んよりオリエンテーションを受ける。 グレイト・スモーキ一国立公園 樹木 l 圭l の目的は①白然保護②教育③研修 グレイト・スモーキ一国立公閑はアメリ ④展示⑤観光の 5つで、 J fI:いうちにグレイ 力て最も入園者(年間 1 , 0 0 0万人)の多い ト・スモー寺 院l 立公園 ( 1, 0 0 0万人入 i 主 J ) 公園でノースカロライナ州の西端、テネ につながるブルーリッジハイウェイと樹木 ンー州の東端にまたがっている。アパラチ │車]が直結し観光客も引き込むらしい。また、 ア山脈は北方要素と南 )j安:主主が入り交じる ノースカロライナ州立樹木!剰の会という団 所で、樹木が 1 0 0 1 4 0種、申:本類も 1, 3 0 0 体が別途資金緩助などもしているのと合わ 稀と多く生育する o せて、 3 3人のJ 紘良・研究者とそれを援助す ブルーリ y ジ、ハイウェイからインデア る1 3 5人のボランテアの組* ' ¥ tがあると説明 ンの部落チョロキーをへて同立公園に入 を受けた。 る。メインの道から公園北のコリンズ7 ン 8 3 北方山草 15 (1998) i 咲いている。チコ リップと問i 主うように 黄色い大きな花を付けたエンレイソウ ( T r i l l i ul 1 1l e n t e ul11)、ピンクのエンレイソ ウ 、 b t色いカタクリなどを見つけ満喫して テネンー州方トリングパ クのホテルへ反 る 。 次の 1はま「、シコカーーランドビジター センタ」で情報を聞いてll¥かける。そこで ) 11や沌のあるトレイノレに入ることになりさ 立ち枯れた針葉樹 らに多くの納物と出会う。 ローラノレの i 屯のトレイルではキンパイザ ズ・ドーム主主 L J l1 1よりアパラチアの雄大な サ、ピンクのカノレミア、ペンシ/レハニヤカ 山々を展望する。 だが残念なことに途中の孤高 1 1 1性の針葉 エデ、エダウチチゴユリ、アメリカウツボ? 樹林が所々無残に立ち枯れしているのは、 ( C o n o p h o l i sal 1 1e r i c a n a )、オレンジのアサ 北米東部地域の産業公害の酸 F J雨、酸性霧 レア、オオアマドコロ、キスミレ、ユキザ でやられたのであろうか。 サ、新緑のプナ林、 J最笠かなローラノレの , 途中 3カ所のネイチャートレイノレに入 る。スミレ、カモメランに 1 1;(たショウ 滝、殺かな自然に時間が経つのも忘れそう。 オー 公凶 I 有にあるケインズ・ドームは申:原地 G a l e a r i s( O r c h i s )s p e c t a b i l i s )、 キット ( 帯でシカが遠くに群れており、ワンも上空 クサキョウチクトウ、ハノレジオン、ツノくメ を舞っていた。市地の端の森ではニレやカ オモトなどが吹き、北海道とよく似た柄物 シワとー "k,~ にイースタンホワイトパイン、 カ古多くあった。ニレ、アメリカ ; " 7 -、カノレ メキシコスギなどが見られた。 ミア刻、カエデ類、カシワ類、アメリカサ さらにリトルリバー沿いにゆっくり車を イブリボク、ツツジの付I問シャシャンボも f :il!iめ主要なところで卒を止めて、法而の f ショウ 黄色いエンレイソウ オーキッ│ 8 4 北方山草 15 (1998) WhiteF r i n g c c lP h a c e l i a ( P h a c e l i af i m b r i a t a ) 新緑のブナ林を行くトレイ lレ i r ePink 真っ赤な F ( S i l e n ev i r g i n i c a ) ンヤクナゲに固まれた川 u本のものに たタイヤと共に、円動車にぶつかった小動 近いものが多く見られた。エダウナチコユ 物(オポッサム、アライグマ、リスなど) リ、まさしくギョウジャニンニク、クジャ や野品の死体が累々とあったのには驚い クシダ、ハナシノブ、チャノレメノレソウ、イ た。アメリカの自然の県かさを別な面で感 ワカガミ、モミジノくガマズミ、ケマンソウ、 じた次第である。 についた柄物を見て歩いた。 エンヒセンノウのような真っ亦な花の 旅行中、同道沿いの木が立ち枯れていた S i l e n ev i r g i n i c a、花はこれからのオオウメ り、草地がつるのようなものて 覆われてい ガ吋ソウ、ミヤマウズラなど、興味のある たりして疑問に思っていたが、チャーター ものばかりであった。 した車の運転 a 帰りのシヤーロットまでの i 玉l 道4 0号は 教えてくれた。なるほどすっかり忘れてい たカゼアメリカ l 二子市イじしたクズであった。 ビジョンリバー沿いにアメリカキリフ二プ 1 )ンセスツリ r さんが、「あれはカズ」だと 浅井康広「緑の侵入たち (Paulowniat o m e n t o s a ) 帰化刷物のは がなんキロにも渡り紫の花を付けていたの なし は壮観であった。また、同道の消には裂け のt i ' u: f ' 1 用、グランドカパ』プランツに日本 8 5 」朝日選書にあるように、午や山羊 北方山草 15 (1998) から大最輸出きれ続繁殖したのであった。 地下鉄のピーチツリーセンター駅で下車 旅行してきたところはクズの猿繁殖地帯 し、旅の最後を「紅 1 t Jの鉄板焼きとビー で、森林や畑の被害が年間数十万ドノレにも ノレで乾杯し、絡めくくった。 及ぶらしい。ちなみに日本からアメリカに 帰化した 3大インベーダーはイタドリ、ク おわりに こんなにお花に忠、まれた時期に旅行でき ズ、スイカズラだと小山先生に伺った。 たことをラ アトランタ(ジョージア州)の 1日 y キーに思ったと同時に、ノj 、 山 先生の素晴らしい植物の解説とご案内に深 〈感謝をした次第である。植物達の長い分 シャーロットからオリンピック前のアト ランタに向かい 1日遊ぶことになった。 化の廃史をわずかだが感じられたこともう チャターしたタクシーでオリンピックスタ れしいことであった。 ジアム、コカコーラ館、テレビの CNN本 世界中を飛び歩かれている小山先生は、 材、ノレーサー・キング牧師のお墓などを訪 お忙しいにもかかわらず、花、i 圭の花に接す ね、サイクロラ?に入りジオグラフによる る喜びょうをごらんになり、これからも、 南北戦争の体験をしたりした。「風と共に去 年 1度、花の旅を企画してくださることと りぬ」のスカーレットの館もあるが、彼女 なった。次凶はアメリカ西海岸(4つの国 が出てきそうな白い柱の邸宅が並ぶベノレ・ 立公園巡り)へと決まった。 ボトノレ、今は高級住宅街となっている。 8 6
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