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I.序 説

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;i/-トゲィヒ・アンツェングル-ノヾ-の笑い一に就て -
/)、 野 村 胤 久
I.序 説
オースト1)ヤの劇作家並に小説家ルー下ゲイヒ・アンツェングルーバー(Ludw主g Anzengruber)(1839-1889)はウィーンに生れ、ウィーンに死んだ郷土芸術(Heimatkunst)
の詩人であった。彼はEbner EschenbachやPeter Roseggerと共に、独文学史上白銀
吋lt:ヒ呼:xnろ:. iU':':I-J- }:jtt^>;111.潤-(へ・ノベ′LIやJL一日/イヒ・・vii.-j-ち)-・・')オースト1)
ヤにおける飴波の中に入れられるが、一面Weberが指摘する様に、多分に自然主義的傾向
督含んでいる。只アンツェyグルーバー按文学上でフランスのZolaの洗乱を受けたHolz程に
Cttl)
は「l *!-:Oを^*-;vuこすろr. hに打てWQ-'-T:らなかつ で ろ。純EJlキ言;:語間rijv^r。If.I
CDorfg五nge)の序文においてr人生の醇化に放置実が只一つの味方である。写実主墓の作
家姓展実にのみ奉仕する。」と述べてRomantikerの立場を撫香し、自分がRealistであるこ
とを宣言しているが、彼は芸術と科学との幣接な結合を斯待出来ず、 Holzの様に現実と詩
作との間の限界を廃止することが出来なかった。素材CStoff)の選択の問題に放てもアンツ
ェングルーパーとゾラとの間には測り知れぬ対立があり、芸術品は美感(Schonheitsgefuhl)
を害してはならないと言う理由から自然主義作家の一方的な素材選択を是認していないo彼
によると素材選択の食後の決定を下すものは倫理的社会的な目的である。之はアンツェング
ル-バーの詩人の使命に関する態度とも関連する。 「芸術は芸術の為に存するのでなく一一l'art pour l'artでなく-人類の発展経過に於て倫理的社会的任務を充足すべきであり、
此任務に関して詩人は生々しい素材を選択し、形成しなければならぬ。此高速な文学の目的
に,k.実でない素材は其形成(Formung)と矛盾するもので、美感を害する素材と同様に除
外すべきである。詩人が審美的任鴇を満足せしめた時文、彼は倫理的社会的作用を塀召出来
るのである。」という考えを彼は持っていたO
(註2)
かくて彼は人生閏猫として性道徳の問題と社会問題の二つを提出している。即ち性道徳や
結締生活の問題ではイプセンと接触点を持ち、 (DramaのElfriede, Brave Leut' vom
Grand,及Dorfgeschichteなどの短篇)更に自然主蓑の立場から国家及社会に関する啓蒙
的な蔑言集(Aphorismen)を鍔し、資本と労働の問題に裁ても下層特級の擁護の思想を各
作品に現わした(Dramaの"Das vierte Gebot",Dorfg丘ngeの中の"Ein Wilder von
Profession")従ってその芸術観に於てゾラと離れているアンツユングルーバーが芸衝創僅
37
が社会的傾向(Tendenz)を捧つべきであるという点でaゾラと一致しているo
要するにアンツェ'/グルーバーは写実主菜の詩人であるが、芸術が現実重体を寮出すべき
であるという観点では自燃貴轟亡、 Zolaと捺反対に芸術と科学との問に銃い一線を引いて、
文学は自然のKopieでなく、詩人の感覚及Ideeによって魂を吹きこまれた現実の模写と
考えt:-r>でわろ.,てI";i >倣い71合札汀キ」 t- rl.黙+.:.蝣」的た.I、生!."・了SATcJfrir.うJサV.には時代,),配士
として最前線に立ち、その作品は重体としておだやかな光を浴びている。之が彼のHumorに
よる笑の面影と見られるQ彼の画く現実像にはイプセンにおける様に人間の賓現が前面に立
ち、人物の特徴化(Charakterisierung)及び鵜舟の関連を明際にした。叉彼は自然毛養老
の棟に、自ら作った方言(Dialekt)の使用一之はHeimatkun叶の作家として当然であり、
自ら halber Dialektdichterと称しているが一により読者をして直接に人物の謬費に.馴染
ませた。此環境(Milieu)とは二つの環墳困(MHieukr℃is)即ち農夫の環境(Bauernkreis)
とウイ-ンの口語の用いられる環歩であって、各人肋間の直接の結合は正接話浜を度々用い
ることによって保証されている。彼は腫史的素材を用いることは少く、現轟の貸材を用いて
人類に新し・い日榎を与えることを文学の任韓と考えた。トルスTtイやゾラと共に彼は人生の
ノ竹iJミキIit一一二、.ヾ:、 、-;・r'lイプセン・H.'1.1!退p.T等碕:*-¥l-A V 、・y一三.*.周をttlt: ¥iil.いf∴
単なる夢想家とも貰える。又自然*盛者は何かの問題牢関係するたびに、 physischなものか
らpsychisch なものへ、超時間的、超感覚的なものへの椿かけをしようとする。之は現実
の事物を象徴として用いるからで、この点で象徴主菜と関連してくる。この様相はアンツェ
ングルーバ-の作品にも屡々現われ、彼の遵夫やウイ-1/人達は都会とか田舎とかの狭い範
nで く、目 せ・・'*・こ即V.-よ・-'・':-}-S 。之に.ト'/二?!v.駁':・倫理ft'Jr1:=^的iil":エI!''蝣・1"・i-r/
時間を捉** *-lて)こ* *.-.ど:-:裏*-*iつこ 、.'il-.-J億で.-.'・j;アンツェV-**;I -.く-・I- l∴:+:^l・IH:
J蛸ォ・'I-^^'-^^L ・二、押・:・柑lt.l')蝣<.-ト蝣a'-Tit.一蝣・:娘It 、 i'-!A 臥、耳・和製してLil.>:、.、 '蝣V.1・"> ,
(鉦3)
註1. Fritz Weber : Anzengrubers Naturalismus, 1929. Kよる。
敢 2. Anzengruber : Vorfg,ぎnge甘, Eine Plauderei a】s Vorredeに精しく述べられている。
社 8. FritzWeber; a, a. 0. S. 106-109.
I.戯曲家としての本質。牡界観。
アンツェングル-バーは1839年に三月革命前のウイ-ンに生れた。この時Vr_は彼の楓国の
i-,二i':wx;1;Ti*. " **! ''.坤tl_Cが、 } ・ ヒが:㌻y-tt一蝣蝣蝣*-'.∴、1iりtL耳・文All' --、.?-.I
詩人の生涯重体が決して車両と按いわれないが、その少年時代にlすr国家を交配する人々」
が1848年の革命者への復等祭を就い、宗教条約闘争(Konkordatsk蕊mpfe)の短い審明の後
Tn:-'し∴.'、!一二 蝣r---:十 三・ ・日.・てIJtこI-.""""^ド.'.-'..'・-二、.;>:蝣:蝣c-ま *・';・-.!"十 ミ・
・'!*-い、斑" >:.?'二l-n・・一・;蝣ナ別: -.∴、 、∴、・ 蛸I、虫・jttj;・;.・tト二、 tト?.!・&・!モifrvV-JB-.〔iJ.U ' 、こ
38
が彼が生長し、詩作した精神的雰囲気に影響して屠り、 「彼の作品を一見して、生荷の国難
による耽課(Tribut)として弾翻されたものと、彼の芸術の自由な据物として与えられたも
のとに区別すれば、我々の眼は自由な芸術家アンツ声ングルーバーが我々に滑った美しい笑
いのiF:界に止まり得るだろう」と述べたBabの言葉は蓋し尤もである。
(註l)
アンツェングルーパ一一は其作品としては、 「キルヒフェルトの牧師」(Pfarrer von Kirchfeld) (1870)に始まって「名折れ」 (Der Fleck auf der Ehr') (1889)に終る丸20第の戯
曲と二つの長篇及び多数の物語を萄しているが、彼の本領は戯曲家であり、其物語や小説に
於ても寧ろ戯曲Bl.Eに戯曲的な要素を多分に含んでいるQ 之は彼がJulius Duboc に宛
てた手紙に述べている様に父Johann Anzengruber の精神的遺産の賜物で奉り、幼時ま
3違MX,
だ字の葺けない時分に、童話の本から即興の劇を作って下女と共に演じたことが伝えられて
いるので、充分の素質があったこと姓考えられる。而も彼の戯曲家としての本質は喜劇にあ
った様やある。郷土芸術の作家として彼は大衆的な劇である民衆則(Volksstuck)で成功
を収めているが、 1860年から1866年にわたる6年間に母と共に旅役者として各地を巡業し、田
一蝣?>'.-こ耐*-.o l T・:制 寂H./て・'二,-j-.v-tp蝣:・;:<丈し.,t二,,而寸tk-r. ;ト、たJ':・盲1;刷L'ま把し蝣・'n∴'Il湖上
見るべきもの姓少く、寧ろ虞面目とユーモアの混合せる劇や悲劇的でも将来の車間を予言せ
るものや、額の朗らかな人生観を表示せる喜劇が多い.,喜劇に裁て、 Hebbelはクライス下
の`'Der zerbrochene Krug '(敬れ東)の批評に於て、 KomodieとLustspielの区別が
MoliereとHolbergでは著しいことをのペ、その区別を詳細に展開すること無く、シラーの
草創諭を引いているが、 Julius Babの云う様にアンツェングルーバーの傑作喜劇(Meisterlustspiele)とKomodieとの間に.は此区別が治夫したものと考えてよい Bab按更にプラ
(証8)
!・ - ・・軍項.i"3 '.^後・イ;;." - r当別-∴ipe'!一・('!-、 絹.I.一 卜TjV.二 。1 、二、.I.-蝣一蝣蝣-T t-一
引いて攻の様に言っている。
「プラトーの様な芸術家において此言葉が対話の終りに偶然に出たとは考えられない。私
は此文において対話奄体の頂点を見るので、此Erosを吹きこまれた人には人間生活の悲劇
I -X-削)、工I"?t:苔二:i′1ト n Tー:i'"Jff _!l l.'∴二・一.IJZ'- '・・・'・ドニ十・二・-ip-.;:-.--^約たTJK-v
.JIIt-^チ き.*v-、.、ーモ・-.・V. '":下'Ijr.-y・*>・ド・ざ:!・、: ・'こ:.;・、 *."* t ;-占い)/〔 - 。 :日刊I:."-・{-白は
.二おいてて」茸.r-:V3 ":- * I 、・」・*!、・Vj蝣:.せ 、 与 し、甘!i-j│.:蝣-,・.∴\^r.-'rf::.-
て之を守っている。後者には命題CSatz)が発見され、前者では前按が示される。即ち方法、
道程の区別で、テ-マや目的は同じである。そこでプラt'-の命題は『悲劇叉は喜劇に形成
されることは同一素材が定めることである』と言換えられるO立派な様式の喜劇という兆標
は叉悲制的取扱が出来蝣5CとであるO区別は重く素材の取扱に始まるので、 -ツベルがr置
実にして深刻なユーモアは最高の人間的事物の不充分さをもて遊び、鷹のユーモアは個々の
iJlき・J.1>∴ .'.T.¥:<¥::_・ご-:.i'r′=L ∴ ':、、・. ∴・・・二:、ユ.蝣.一・j: '-'蝣,.-、 lJil. ・い!;'・:.・:蝣蝣ノ.*_-'.、fi7i'U'蝣・
夫配せる如き人抵3--モアを祷ち、自然界に於ける必然性・感覚.美になげられんとするす
39
ベての競講に笑いを持っている,oかかる人が純粋の喜郎詩人であ.り、アンツェングルーバー
もかかる詩人であった。」
(註4)
之はアンツェングルーパーの戯曲家とし7:の本質を浅く言い現わせるものと思う?
攻に彼のHumorの笑いが何から発しているかを見ると、之は硬の人生観や宗教観から出
ていることが分るのである。第一に彼は賛否家(Optimist)であったo彼は物質的に蔑まれ
す、自らI""I-51 J.ご;v削.//二役蝣y-*-1 け;.や ofc*H =:*i-'Ijた∫-y二二とも.い蝣-/:*:、 ;'蝣・.?t'/>
根本には掩えず楽天主義が動いていた。成程彼は二回許りJaggernaut (1880)、 Teufelstraurae (1873)という悲劇的な短篇を書いたことはあるが、決して悲観主義の詩人でなく、
「世界は出来たのでなく生成しつ1ある」 (Die Welt wurde nicht, die Welt wird.)と
い,/Cw 恥'?:膏b二あ・ツ二も('/'."">心の.ド,'ォT'∴ T^ii t-う.o*:., ).・'!-:;"&・い-':珂蝕こ鋤くも
のは有用なととや必要なととを飴りに多くしなければならぬので、 「東麿の夢」 (Teufelstraume)中に我を忘れることはない。愛と労働と配慮によるすべでの事物の括溌な交互作
用で、アyツェングルー'<-の括動的人間はすべての悩みに打堺つカを得た。彼のDrama
及M邑rchenに現われて、硬の化身といわれた「石切人夫-ンス」 CSteinklopferhans)の
言う-「どんな大きな拷問のような苦しみだつで、過ぎつちまえば物の数でもないさ! 」
(Selbst die grosste Marter z五hit nicht, wenn's vorbei is. )という言葉は凡ゆる生きと
し肘ナ:・lも 三..'" -i^.^-'j - 晶蝣:.-.*・,';*.:・こ・ノ\ 、∴、 [二:ftさi¥?.-.いl.'ll..i."A:l&>1】 *-,ill #蝣:の.こてi.'''-f。
之がアンツェングルーパーわ世界感情をつくり出し、彼が笑って人生を見、人生の矛盾や茸
て・?*、小さなつT:ちょいil'.さ.こ.SB*-" ',<恥.l一あ.T M;!K'-ffii.さと蝣一・ WiA.H!主 は+O.ニー,+二へ
之こそアンツユングルーバーを立渡な様式の喜劇詩人たらしめた梶本感情といえよう.
アンツェン'′'i ^-n-5-.a*"川'∴&.千 ri":^!.t卑!.i L/一.'ま'ならばミ時に.'ま* v嘆'蝣'!.・・蝣-け]し
げたら幻.Iというし'・>* -づのけきた.1?,チ/. L-・。l'! 5、∴蝣¥i:.y--∴、た。しかし.'V/Hこ1U∴牡T.-.'i'・at
乱やIl!:兆・VIlとについ-' の札叶 -硬さこき・-一・一蝣・-I/: '-!・-ハ '・ATI一ト二°二H:那_・fciViミ'1こ血&-
iii-!:tnv> >、Jfc*匂1IK't>駄')蛸私でX " ,i :/U?、た人."Mi:,-:.:・A-nt.こせたらね::.* 1ォ:-.'-中は愉
快なものさ! 」 (Mit'ra Traurigsein richt'mer nix, die Welt is a hstige Welt! )と
言い、ゲ-テが其素晴らしい自然讃美中にのべた「自然は私を中-引き入れた。叉私を誘き
糾す/.:fSv 社は自照;こi?主尽し:二、・、>T e l一二、:、・- :汚・V-Xと巧H!K'-7MJ!リ-:-ンー'.-);:-ji!:.1'沖か
(許5)
ら隔絶した石切場で特別の啓示(extraige Offenbarung)として体験したのである。之は
「ぉ前はすべてのものだし、すべてはお前のものだ」と悟る一種の汎神希的な立場で、此為
に人間通(Menschenkenner)が博愛主義者(Menschenfreund)となり、最高のモラルは
同情であり、愛情となった。此人生-の深い愛こそアンツユングル-メ-のHumorの根源
であり、叉笑いの源泉であるといえよう。
攻に宗教観を見ると、彼は教会中心の信仰者でもなく、無神論の代弁者でもなかった。一種
持久「新しい神々で行商すること」 (Hausierhandel mit neuen Gottern)をも排撃した9
40
神があるとか、神がないとかいうのは同じ革で此陽極と陰感との間、即ち肯定と否定との
問に偶像がある。彼にとり宋教は Albert Kalthoff (1850-1906)が r人間の人格円で
(;註6)
の現実のものの神化(Vergottung)」と名づけたもので、アンツェングノL -バーは其暦話
(K去Iendergeschichte)の序文中で「人間を人間たらしめるものは其魂の奥底にある。..そ
^itf.1-lD!,-..h. i ;*y <:-3tt 、イ'."'fr.l"こ済むもので!-/,-*.I IIIl-l -い・'-J柵】1一二は-i-nが白苛「l
Jlのぶこ翔一.1._こしわ、 i:;;i;;/,-.."A偵・1・恥IV. :F.… -蝣1'il ∫- / ら、同i *>.・-.vi-:u''>v k-c放5.:し・J・
嵐の中に信仰を失った人が疎隔されるとすると、それは大きな不幸であるo」と述べてVrる
が、叉一方では「将来の宗教は人道Humanitat以外の もので按あり得ないし、・叉たいで
(St†)
も'*.."'"・ol 二./-こ∴:".<蝣蝣.<・'.^;.]- '│ir-: f.i蝣/: !"'!H¥'<・'<>: jい、 -H LIヅ'蝣^.^.ttTrfl-M
(a-只)
東と豊の束縛との脊計であって、精神的佃舷を簡りにも隷細に重んじていた彼にはその束縛
は堪えら咋単ものであOた。彼.は寧ろMoralistとして、叉博愛車乗薯とノして被の経国の・EI
IJ
nへと*・;・/'; <:;':こ..'./蝣二o I. l一二ifi'i・. !-;・!;] ixj-;バン.,、∴iW.i&fi'j-'''ニー1.J*岬沌し、柁・V::のi'i-悩モ
越えて将来-の微笑が望まれているc
Sfe 1. Julius Bab :- Ludwig Anzengruber 1904.、 S. 16、
註 2. Briefe von LubwigAnzengruber. Hrsg. von Anton Bettelheim. Bd. i. S. 287ff.
An Dr. Julius Duboc. 30. Okt. 1876.
鼓 3. Julius Bab : a. a. 0. S. 30ff去 -ツベルはクライストの Derzerbrochene Krugに関する
批評中でS・,ラーが「Komodieは衆高のGattung 劇詩文でなく Poesie一般の-・に入
るものである」といった㌻を引きヽ叉S/ラーの静DeutschesLustspiel (1796) ,をあげて・
KomddieとLustspie!の区別がある証拠としている。シ′ラーはUber naive und sentimenta-損sche Dichtungの中でTrAg∂dieとKomodieの区別をのべて「Kom加ieの労がより重
要な日舞に向って居U、もし其目的を淳成すればTrag∂die を不必要な又不可解なものにす
るだろう」といっているが、彼は何Dramatische Preisaufgabeの中でも、 Trauerspielよ
りもLustspiel K優位を興えることを述べて、 「reine KomodieはIustiges Lustspielで我
々ドイツ人では之が僚りにもsentimentalisches Lustspielによって排除さ′れている」こと
ノ
をあげて居り、こiにKomodie」-Lustspielの区別は見られるが、アンツJ=ソグルこ->-.-で
は問題にならないと思われる。
課 4. Julius Bab:L. A. S.30-33.
課 5. Goethe: Die Naturの終りにある。
証 6. Carl W. Neumann : Ludwig Anzengruber. 1920. S. 】18 ff.
K 7. Anzengruber : Kalendergeschichten. Eine kleine Plauderei als Vorredeにある。
証 8. Anton Bettelheimに・よると、之はベルV - sの Humanistische Gemeinde に1宛てたアニノ
ツェ=,グルー・ノミ-の手紙中にある (1889年12月)又-ユーヨークの Staatszeiti】ngのEr・
innerungen an Ludwig Anzengruber von R.. F. A.lbrechtの中に含まかている。
41
貰.戯 曲 家
アンツェソ〆.'t -バー!;!蝣」教的fti糾'3間'・fiSt一子!・<{'.市-o;l¥V:作rキJlヒー'j.ルトの牧師」
(輸血r von K血ぬfejd) (1870)なるR泉郷において示している。之は竜人見の故隙Hell
とそね撤痩Graf Finstarbergの名から分る様な人物間の闘争即ち展のキ.)スト教や寛容
な人間愛と、狂伝的不軍容(Unduldsamkeit)との間の闘いであり、肉と血にあふれた人
間に依る素朴な蹄も感動的行為で新しい人生観・世界観の療神を現わした Hellの分身と
いわれる人物Wure由epp五「民衆の餌みの穿」 (Leidensgestalten aus dem Volke)
で彼は一時はHellと純犀な娘Anna Birkmeierとの恋愛を村中に懸れ起ってHell'に静
対するが、恥11の人間翠に打たれで虞の帰伏者になる Annaは嘩登な感覚の賂主で、 Hell
-め感愛を諦め`、 Michelという男と結婚することになり、 He皿頃軍境を転換させて光明に
Wifeせ、虎の殉孜一軒つif-'!},-.:^tこせ**J。?」/:o"*.'*?,JこT∴二センチメンクJiで&く、斉郎芸た明
朗性を帯び、彼女は神聖な事柄についても粗imorと饗い心で話すので、その諦念柑微痩せ
る辞めであって、その恋愛は喝対の愛-と転換して行った0億倣晩恥Ilの姿はアンツゴン
グル-バーのDramaでは唯一の理想像で、シラーの優れた形姿を思わせるものである Bab
は此部にあるカト7)ックの瀬の若者と新教の娘との行夕柑王敬虔なAltottinの人々の遊乱の
符列とが出会った場面(帯一幕)を以て、写実的であると共にkomischな野があって、詩
人の再軌こ思姑に_芥Kするテー-?・;:;二ォnめて粁・j>されて1.、ちと述べた,こlでは-7-校のt-'t--.と
(註1)
花婿等との間に次の間答が交わされるo
学技の先生 罪なこった.T 始められもしないのに!よく考えりや家や子供のしまりはどうするん
だ。お前のお内儀さんはお前の信仰を何とも思いやしまい。お前の蔭で串前を噺笑うし、お前の信仰を
やめないで、どうしてお内儀きんの信仰を立てられるんだ?子供が利口になっておまへにこう尋ねた
ら、何て返事をするんだ。 「お父ちゃんとお母ちゃんとどっちの方が本当の信仰なの? 」てな。
dイスル (現を載く) そんなことを小ちやい餓鬼は尋ねやしめえ。
E3S5Eg3 日院Esa闇層^[email protected]田園
三ツヒェル (pイスルの肩をたたく) くよくよするない!′ 前におい等が尋ねた時に.おい等が
いわれた通り言ってやれ! 「だまれ!」とな。
此作は決して傑作ではないが、作者の鼻糞としての人間が現われ初め、又晴やかなHumor
がその人生を魅惑する創作力と共に出てくるので往昔すべき出世作である。
攻のDramaの「償誓農夫」 (Mdneidbauer) (1871)では主人公マチァス・フェルナ(Mathias Ferner)の心粗描等が主となっている。彼推HeUについで、当地の支配的な敬
・?-.蝣;.洋二・I:・熊%で、 -:{: -^.'tVSW^!,'"^^-ン.二・「き、 n '.・.Li'モT'-.**一.良
Vroniにやるのが堆さに、その遺言状をめぐって虚借から償誓-、償誓から殺人東進-と
堕して行く。彼が自分の子供Franzがその秘密を知る唯一の人間であるので彼に橋の上か
42
ら射撃されて死んだものと信じ、十字架に向って嘆く場面はShakespeareを思わせるもの
があり、達に雨を避けて括った所で聞いたお婆さんの請で心理的に転倒し、狂気して死ぬが、
此悩みは深刻である。しかし九死に一生を得たフライツがVroniの所で達に和解する場面
は美しく、未来の光明が見られるVroniがフランツの手を握っていう衆の雷菜は詩人の
Licht菰bereLand!という言葉と共に彼の人生観を示すものとしてよく引かれる。「串なた
i'.-^'A-/こi-た・蝣'?.らね、フランツさん、臥し.捕.-_lllへ行Ii:ませ5。*-I一二Iltの六m-i.ら間
中-喜びの芦をあげませうo何もかも済んだことで新しい人・新しい世界が埋まるんです!」
菅井の生活中にも詩人はOptimistだった。
次にアyツェ./グルーバー按「十字を驚く人々」(Kreuzelschreiber)(1872)において始
めて虞の農民喜劇をものしたのである。此作は農大Aristophan甲の責劉Lysistrataと比
較されるが、後者はBabの言う様に一つのSatireの劇でアテネ国家の政治的乱刺を軍と.し
たもので、アyツェ./グルーバーのは徹頭徹尾フモールによる喜劇である。此卿に出てくる
Grundldorf及Gelbhofの農夫連が保守的な教理を安持する文書に署名代りに三つの十字架
を記入して神-の閥と非乾され、ロー「への新しを強要されるo此鮒になものが老人の
Brenningerで、人間の騒音に対する自然の無関心を示す悲劇的な場面があって、之が却っ
て喜劇重体の効果を増すことになる。即ち教会的な信仰_yc初めから反対していた前述の石切
人夫-ンス(Steinklopferhans)が此噺Ic出てきて、此処で調停役を嘱するOそれは男女の
衝動・不安・反抗や愛と嫉妬をよく掴んだフモ-ルに満ちたやり方で奄る。p-マ-巡乱に
ゆく男達に女の優しい道連をつけることにして、女房たちは之に映妬心をおこし、男達を引
蝣iw*'・・:ここ"1'..-''J.、〒湖I.!l:-ンし湖上ft'二行・一・nVニーtyv-fi-.1上話キ・す・'->;ら:、Mi¥ n
の哲学乃至世界観が見られる。健の中の人に見離され、只・-人石切場に瀕死の靖で倒れてい
た時、彼は死ぬために青草の上まで飼って行き、身を構えている申、特別の啓示を受け、再
び酔..Jこと:^i'!;h:ift"中/.f二,')・蝣!ここ蝣1-..JMPi'こ」-->;・二。亡0秒・Tut
in;ミX-しい。
「日がお前の眼をつぶらせ、お前は眠り込んじまって、滅多に駅をきますことはねえo死ぬってことは只の
プレ-キき蝣&前に何のことがあるものかo俺は苦労して小臣から体をひきずって行った。あすこの下
ol方までなOあすこはとても静かで日向にねていると滅法啄たかかったぜ0-前には青々した草地や
青いin.下にや谷があって・「-T匿花按のベ-,ルに包まれたAたいに-一環の上には明るい勤3あったo
すると俺の喝の上がかどく、しんとしやがって、そいつが俺の心にピンと采やがった。-・・・それから俺
は死んだ様に横になっていたんだ。どの位か知らねえがoそオ1からまた俺が眼をさますと日がもう沈み
-.'蝣'・-'"-r-∴J';v:・'∴:..ト「′吋・**-坤*!!lI、-f:蝣蝣・ナ:.K"ftVR
が蛍みたいにピカピカ光らしやがった。俺の眼の前の牧場ぢや甲虫やバッタが骨折って鳴いておったQ
俺はそれに笑いかけたい位だった,-俺の頭の上ぢや木の歩に鳥がはためきLみんな0:)上に和やかな
風が吹いとった。帽はそれをヂイ-ツと見つめていた。⊥それでヨイシヨッと-それから苦もなく
起き上られたゥすると俺はひとりでに生れ出て来た様な気がし、又日光が前から俺のからT=lこあっ
一年3
たLLごI-:二i.I.':.-「∴L1;7丁・・II.4f,
:う'-"l.*こ・てこ:・ド∴そ∴!ミた.∴'liH.1-,'㌣fi'jr.'..ly.v.y上,ないA*-!
ひどい茸苦もすんしまえばものの数じゃない。お前はみ/1なのものだし、みんなお前のものだ。-・-俺は'i且陽気た.なりや、それからずつとそうなんだO他の者だって悲しんぢやいけないし、俺の陽気な′
世界をぶつこわしてほならねえ、さあ、陽索に、陽気に!」
との石切人夫ハンスの体験はアンツ声ングルーバーその人の思想である。
館かかる自然の錬笑の堺利を画いたものに「良心の苛資」(G'wissenswurm)(1岳74)があ
る。之は攻の「情死」(Doppelselbstmord)(1875)と共にアンツェングルーバーの三大喜
虞litBettelheim録言って1いる。叉AlfrredKlaarは此剣を「償誓農夫」の肘掛(Seiten-
stuck)で堂々たる性格喜劇であると述べた。アンツェン.グルーパーの長和の三つの劇の新鮮
コExI
なVj::デー寸′くいp_混+,I:FIIf,:r*l*-*・・'J;<^lli∴till-.I.キ・ 、r'-i'.Cたユーモア∫ノflさ・;:-?-.r.-Mi打よ
廠しく、うどめい.ていやo・兎廉は非常に人生を楽む性質の人物、老グリルホ「ファー(Grillhofer)が農夫のクルチュフともいうべき義兄弟でグリルホ-ファーの遺産横額をたくらむ
Dustererにより自チ藤の自分の若気の過ちを憩起させられて世の中が嫌になる。此轟夫の艮
・L-Oi"/源の:主ttm'*1:^二鴇り出されてい・".,!..:',.!.-ftcoliミCノJ-Cサrj;ワL・・-ー0-蝣サ.ilforiacherlies)という娘は睦めて願らかな愉快な姿で現れる.と、彼の人生への静静の萄韓は亡
くな-ン二!.:モv。f!ロもl蝣ikivff腿.;よ!):fl>-V*J二㌢'(I.、紙へ!.1.-L-、.、う'I蝣'
.ri:-7,I-,のすWh∴・
歌に和し、ホールラツ--リースの歓呼の歌が勝利を奏でるのである。幸鼠に溢れた老人比
喜びの茨で娘をかき抱くO
クtJル*-77・-∴、・T-:i"・ト、i・r(.二
お前がどんなに私に気に入るか云わしておくれ.Y
腰琴が音をたて私の娘が私をmく間に!
ホールラヴハ-IJ-ス神様は竜ぶた釧こ命を下さったo私達がどんなにをれを悪用しても神嫌
はちゃんとして下さるの,L。
此卿の壱人公及副人物の性格は生き生きと出ているのでRoseggerはアンツェング)iバーに「貴方は七年間もOberbayernのGrossknechtの所に居たのだろうJakobが
Labanrl-:∴ll'-'A湖.こ。」;‥い-Z-1二∴!'・蝣!町vtf;*;.-∴│T†.百!*.CT:∴・I.tこ:!・一一11'l:、<:y-I
」.wa';-?>:-ifc?:ねら''I川'rc:vてて・-刀.た*j.:!(''T.-fi'f-:.'lJ/トこEに蝣#".'とりTV-I∴∴-・.・・I.A蝣こ、1ニ
ラッハーi;-スは重くGrillparzerの``Wehdem,derliigt!"のJ-eonを想わせるO
此偉大なHumoristの同様の称呼の芦は又喜劇「情死」(Ddppelselbstmord)に現われ
るO之枚アンツユングルーバーの「村の.2メオとユ1)ア」で、ShakespeareやKellerで按
悲劇に終るが、此場会極めて陽気な結農に捗る訳で、若き二人AgerlとPoldlは人生を去
らずに人生に入って行くので、``G'wissenswurm'の様な心理的深さはないが、一方の親
のHaudererに.は彼が「それ乱馬鹿な尋だ」('sisDummheit)と口雛に言う橡に、すべて
arffjと耳こいK.C-'こt;u].サ\:三、-ン1∴ffj'l一品二・で'.-r-aらj!1-"CoHauderertトu:.の
44
Pessimistではある・が.Friadmannの言う様に石切人夫-ンスが暖かい日光の刊こあるとす
ると、Haudererは冷い月.光の下にあると考えられる。「人は万事虞中に机っている。春に
しASl
?-t、∴ど∴:.可I]i.--'蝣:・
.-.1'、-、u.'"*一、一:tこ'..V.'-I一甘し、こ!'・"蝣∴トi:1ニ1.I.真人だi:Ahf:I、】
る。両もそれがどういう訳か知らないんだO」というHaudererの言葉は「人々は日が登れ
、」-W、一二*,'∴!"-*,:*.,,丁.I:・ト・・.たが新王て;,r>,-_'.っ/一・w'こ、.、.l一二㌧、・-・印卦r・縫こ::.--i:吋
一致している。要するに此作には喜ばしい愛情と和解の教が根底にあるものといえる。
其他`‥sJungferngift"(1878)には茶番(Posse)として=単に笑を惹起するKomik
がある丈で、は単にSpitzbubenhumorというべきである。純粋のユーモアは深いSeele
から発するO叉``DerledgeHof"(1876)はイプセンの.「-ツダ・ガ「プラー」のモチ
ーフを取扱い、Friedmannは-ツベルの「ユーヂィッ日やクライストの「ペンチジレア」と
同L*7k準にあるといつでいるが、アンツェン/I--バーはフェミニズムの詩K.-I:云われ-L.い
る適-り、悲卿の高藤を調和的な響きを以て終らせて居り、女主人公が牧師の誤れる指導・人
&やi'lォwミ.-;)/Lt:W.-Jt的敬曝,r,1割'I;.二ン二もi-'r-'..-;こ!'l・蝣†寸に-r・斤∴'・蝣J潤めい.':い
る。虞面目夜中に幸福への笑いが、かすかに見られる。同様に婦人問題を取扱ったのに、
"一DieTrutz'ge"(1878)と,いう喜劇があるが、此女主公に爽やかな詩人の笑いが含患れ
ている。叉f`DieumkehrteFreit'"(1879)は画象EduardKurzbauerの未亡人や耕兄
Lrl)も-Ii・え<・-.':ふ:lf句:.、ヱ:-.'?'V'†:!M:二lサー--11二・・・蝣;"・・⊥I*'し、「¥%:一二・frifctJ!/;からi,:し
も性格や筋をゆがめる事なく、演出から自然に流出してくる。最後に"StahlundStein'
(1886)と"DerFleckaufderEhr'"(1889)は共にアンツェングル「パーが一度短篇
小説4)形で臥したものを戯曲化せるもので、前者は罪の子の(derEinsara')の蓮命が主窺
キ:」1.-、白lr二・的・-N=蝣蝣丁して∴蝣'蝣」・/.Tti-JWii'こ、、、J∴∴1::、f-fj-イトー_、よね良さ汀¥¥'l-.
を与えようとする人物との間の闘争が中断され、Tomer!という人物の挿話に依り、朗らか
な場面となる。Toraerlは快活な気軽な人間でEinsam'が憂彰で引込思案なのと対照をな
し∴二い・ノ-イふ.;)⊥c-;6!:---71い'*'.x-一・'JL-バーは1=73"チ-ーサV_・二.畔け悲愴f=
!&;-、:'-C.::JXIこI的、了:1,で、ILL-;-1もii;声止・二よ-'
蝣蝣>.∫:、二j.∴・OnA亨も拝・/*>HDer
Fleck琴ufderEhr'"牲督祭や寛罪者の挽音賠償に関する不備をのべた劇で、不幸な女主
人公Franzlの名誉快復を主題としている。寛罪老Franzlcc結末は悲郡的でなく、円満な解
決・(',一・':>I、上..'ナ・トir>ij二;IM寸'-"ォ.>*i.,Franzl,'ナX1-&.W-:.恥-)か・V.*"'t-ンft
llざ'5>'・きろ:1.三・蝣j-..い.::,(,-こ、呈・しト1F-.V,',.'・TrI?;-/';.1く、''i;!.熊かこ.'>-'I"-1トftS.'ri:;-.サi
-るHubmayerと・いう人物は清潔な枚智(Witz)を持ち、笑いと沈思とを銭制する様な性格
の持主であるO
L.・リ蝣':'','蝣S二・L潤,"-'j'.-'.アン"'-tン'・;'.-.ニーO'」、叩i^n-いて,).ft*:∼.-こ.千/-:*nt.ア.I,
ツェングルーバー白身自分の劇を年代暇に並べることは意味のない事で、寧ろ鼻民部・ウ
イー:・b'一果判iiViifJii:迫臥二ニー:"J-J-べき"it童.肘ノー二、、、fl。rこOJ!耳らかな'」.',・:駁;二1..li
45
・.*!一書、¥-¥w--13*.、.、*?蝣:・、fl:;.こ町二lllL-I,一蝣I-1..?;判丁│U、沖虹;史一軒C"i-l''ヂ・11..菅鬱.)こ.',∫
人の悲劇や展両目なTendenzに関するものが多い。勿論農民劇にも所々にTendenzが現
・・t
*ォ1こ一°∴、、---.'.v二.こして,.V!>廿象.ち-、削式.・'.-蝣)」ト*:<ト'∴、T、W'i-:>'iS->1蝣ns:/:oユーー│>7"
は展面目な人生観の嚢現法として用いられ、農民軌では三大喜郎(G'wissenswurm,Kreuzelschreiber,Doppelselbstmordに出ており、悲射性の中に織込まれるHumorはウィ
ーン民衆卿の「衛四或」(DasvierteGebot)(王877)にも表出されている。
此作はウィーン気質の悲劇といわれ、大都会の生活描写中に、農民劇に見られる現実への
忠実さがあ・る場面はゾラの方法を想わせるO教養翻(Bildungsdrama)と云われ去此作姓
Schon,Schaianter,Huttererなる三人の男の豪産を画き出し、彼等の子供達への教育の
結果を明瞭に,示しているo堕落した家慶のSchalanter夫娘の-母Herwigtこ対する態度は
重く喝笑的で、子供達も此組母の言を用いないが、最後に子供のMartinが死刑囚として
鋭母と別れる場面にあいて魂の救いが予感され、不幸と罪の悲劇に於てさへ、詩人の楽天車
重が出てくるHerwigの茨は虞の愛の浜であり、赦会意の改誉按個々の人々の好意に放る
ことを確倍せしめる.従ってHerwigの茨の中に虞の笑いがある。此Herwigにはアンツ
ェyグルー)く-の母の面影があるといわれる。彼は婦人の浮化を母に放て見、母としての女
性は大きな任務を果している。しかし、詩人は此任韓を母となることCMutterwerden)で
済むとは思わす、女性の自然的な美しい平面を寧ろ母たること(Muttersein)に認めてい
る。
El巨;s:
ウィーン民衆刺でも後にグ1)ルパルツア-賞を授けられた"Heimg'funden"(1885)に
は此母の愛の讃美があるO之はクt)スマス喜劇と名づけられ、堕落して自殺を図るDoktor
Hammerの弟ThomasHammerが劇の主役となって兄の命を助けるが、重く滑稽な陽克
な人物で、Hanswurstの役割をしているO彼は老母と共に生活し、此母が同様に極めて成
功した同情的人物として出てくる。
其他ウィーンの市民気質を--モラスに書いた"AlteWiener"(1878)は多数の滑稽
な挿話や人物によって括液な喜郎となっており、"BraveLeut'voraGrand"(1880)は
「女の学校」ともいうべき壷、ウィーンの稜々の社会層をよく描等し、詩人の楽天的人生観
Dl岩覇13:
がよく現わされ、Moli色reやGoldoniの作品と比較される。
攻`こ露地独退却くhochdeutschesSchai王spiel)では``Elfriede"(1872)がイプセンの
Nora鞄題を泉救い、其結末は和解に解っている。アlンツェングルーバーは此融に度分明朗
-!・*::.*J!' .I-y--¥>:ア二、ヤr*O、与こ/蝣-*」<ノ・蝣,・-.・・K-f-.'ll.1.、軒代-,tJiTTぐ・㌣i.'.1対(:二親叫た耶
をBlで意見を述べさせるが、卿的な価脆はなv>。見目BertavonFrankreich"(1874)と
いう一帯物は嘘史上の人物を取扱った唯一のものであるが、Kircheによる緒賭解滑を取扱
い、爵人の貧しきものへの同情を示している。
簸じてアンツェングA--バーの戯曲にあけるHumorはSittenbeiteerによると.前述の
46
如く大体三つの様式で現われるO第-は展面目な人生観の表現形式で、彼のHumorは如何
く証7)
に放逸でも、ある虞面目さ凌持っているO此点では貴慮動G'wisseiJSwurmが貴も優れてい
るO此作は悲劇"Stahl und Stein"と対比されるが、井arJ軽とする点は同一であるO 前
I/.:一寸一・/lミkTu なる・-.ii・'.・、 f三蝣>:.'-.T-Jf-軌1㌻ニー が、 X<::.! L-.!iL'・蔽;、蝣KMヱ・t・捜すモ1-ソは:し*&で、ニ」にKiitM:t'.t>-t。 -- -モ FcN'i!「」'-(!こし-I:v->二ナ・T.も・r・*l*""たく、ユ
ーモTは虞面目の別な表現形式といえる。アンツェングルーパーR.近代詩人によく見受ける
駄酒蕗に賂らす、ユ-モアにu和解調停的なカがあり、彼は人間を大人が子供を見ると同じ
%':て【rいて、.1た,・'15二:こnn一-・- -モア*:.!'.:!!iiri-*v;.-r,.i.'土む- ¥ *,蛇i K,詩こ:lま止二つが
``Meineidbauer"や``Stahl und Stein"の場合の如く、平行することもあるが、二つ
按分酵出来ない結合をなしている。 HPfarrer von Kirchfeld"早"Das vierte Gebot
では陰欝な豪産生宙のEに明るいユーモアの光が動いている。再三に捻Humorが悲劇的
状況が転換する場合に出てこくる。例-ば``Alte Wiener"なる'ウイ-ン虎東漸の貴人公
Kernhoferが友人の娘Sophieが愛人に稔られて自殺せんとするのを救う Donau川の場
面で、こ」にHumorがうこいて、悲劇的葛藤は好転するC,
駐1. Bab:a.a.O.S.18-19.
穀 2. Alfred Klaar: Modernes Drama. 5. 289.
社 3, Sigi3mund Friedmann : Ludwig Anzengruber. S. 53-54.
註 4. Anton Bettelheim : Ludwig Anzengruber 1898. S. 175ff.
註 5. Hans Sittenberger ; Studien zur mamaturgie der Gegenwart. Erste Reihe : Das
dramatische Scha王fen in Osterreich. 1898. S. 373-374.
鼓 6. Friedmann : a. a. 0. S. 116-117.
鼓 7. Sittenberger: a. a. 0. S. 359-361.
F.物 醇 作 家
前述の如くアンツェングル-ノ,」は本質的-に戯曲豪であったが、彼の劇が劇場より閉出さ
れた時、小説や物語の創作に従事した(1880-1884),物語に於では最初の簡単なDorfgeschichte (田園小説)から長篇小説Sternsteinhofに至るまで絶えず向EL、其敢曲的性格
や技術芯蝣'}',ふ恥的よ;、 Y,虫r; < WFii;-Hi- ∴、 ¥j.,之はftulii'fe∴恥)・':・??',ll.:三た・or: 物tu作
家には何の事にもならなかったからである。一般に芸術家では内容の深さは技術的能力と共
に発展するが、この二つは楓化された直観(versch云rftes Schauen)即ち詩人の探乳化し
た 杜光軸r二.!!三く ^:.:‥し-′i':-'i.': 泌ぜら4u - Ji-Jゝ一瓢..:ぜ∴、・-)べき杓.漕・.ニJ肘-jf¥.z><r>は芹:
づ第一に宗教的なもの(das Religiose)に対する搾刻な関係である。之は層話(Kalendeト
geschichte)中の「石動人夫-ンスの童話」 (M五rchen des Steinklopferhanis) (1875)
i'iiる如:最I"九一ノ4U神やなi蝣:;・: 、トJ;・*--?'<;-!tn.?r. toiTlitf的なTl臥*;及I、il!3i:肖*tiii
liftJ
m
・軌こ純・ l"・: 、 Is*ニ蝣!'".' :ト.':.'.甘・i.-j;-.、こ::-f二 '蝣k.-.'y*.:I 、:・、 ご.油¥・!>- JI'.,・JI-.
処に彼の笑が生する。此作㌢こ於ては軌に放けると同様に虞面目と,Humorが巧みVこ混合し
ている。その他ツルゲネフが激賞したといわれる``Der got蛸berlegene Jakob " (1877),
" Wle der Huber ungl云utrig wird " (1畠77) "Gott verloren "(1884)等宗教に関連した
作が多いO、アンツェングルT,i-は自由思想の持主ではあるが、上の二つの作の様に決して
JfcM仰x.iHj'∴一・蝣I 、う..'.'"."'-'・/蝣-I.、.、点fiii-て ← ンゴ: ツ ∴法.一・蝣・」ォ!l'.¥4:JP.われ、
Humorの笑はなくなるC.彼の信条である汎神諭が愛の感情・世界愛(WeJtHebe)に放ぎ
す限り・・人間的なものと-ドグマ的なものとの衝突は屡々 erotischな額域に見出され、葛藤
において内的な宗教的破局を解くものは大抵の物語ではerotischな体険で、アンツェング
ルーバーJ・ Erotik !t.i.-義-ffr.-"-tf'A-せ.・ン'∴、== '-てj.蝣".., v.-.:!lJS ¥ V:こ.二L'.・'>ニー-l>アォー;yL.
,Tt放晩的な関係を避けでいないという非華は免れない」と言っているo 此梶本的なモチー
フのEに立っているのが、彼の最初の長篇「汚点」 (Schandfleck) (1884)で、此作では轟
一的な要素が、エt2ティック、なものに瀞利をうる事が画かれている。即ち罪の子Magdalene
Remdorferが汚唐といわれ、父のRemdorfer株自分の薬の罪を問わずに此娘を養育し、
実子のFlonanが此娘と恋に穐るため、アンツェレグA- -ノーは近親相姦の限泉まで来てい
ると非難されたが、 Florianは之を悟って離別し、老Reindorferは後に村のKing Lear
の墳遇におち入り、長後は此娘加Lagdaleneの愛によづて救われるO此食後は美しく、アン
ツェングルーパーの芸術的調和が深刻に現われ,円満な微笑の姦気が漂うているC,
叉彼のDorfg加geという説話集中の'"Das Sundkind " (1878)や後に戯曲化された
" Wissen macht-Herzweh' (1886)等も「石動人夫-ンス」と同様に作者の非凡な才能を
-,T::‥ T二 蝣 n:下目、葺T-:ユーモア'JJJI-.I㍉_・∴'・・'蝣・・た蝣.M!,'J、!W;'.''こW.'.''. -joけ- .::・hオー.!・、
叉深切な包解をつけ加えた。作者がAllerhand払imoreと名けた多数の物語兵は農民や都
会..'/Sサ蝣蝣LJtろ:・i'f軌-.・J_号*?-.*蝣.*>・":-:・' '> r・、.、と深トせ . 、. '"J【 ・ 、・・'>蝣ト..軽・)!'H臼とい.わか
るのは第二の長席「シュテルンシュタイン屋敷」 (Sternstemhof)(1885)で、此作には女主人
-公Helene Zinsdorferが丘の上にある此田合での-一番官費なシ-テルシ-クイン屋教の女
主人として軍定した生清をするまでの心理的経過がよく画かれ、 R. M. Meyerは「女主人
公r・i'.'','.'-'亡一:I.∼こ蝣':-こTI+ツ 、.こ て:Iミ> u * ,:蝣'- ""vじ・丁:∴・: ff一二こ・・Lサー.蝣f: Z. 充,:jて:.
ら.ラ:」と-Sjiぺているが、刑勘こ注目すべき婦人の性格研究と言われようo鮎ちHeleneには
Egoistinと云われる位に女性的な感情が欠けであり、二人の若者MuckerlとToniの間
tc併して一方への愛着の中に他を捨てることもなく結局Muckerlと緒熔するが、彼の死後
-軍隊から帰ったToniと結ばれ、この屋教の生活は安定する。 Heleneの性格に対立させる
ためア.ンツェ¥グn--メ-はSepherlという女性を出し、素朴な優しい性格を画いているa
Bab :,.u '<槌-_、 - '、-l`・∴- ':汁.:'束"/¥油L∴寛一l-.11¥!/.'..*.:.蒲 二al;一 丈でト 王・.;&・:!-t二
_咋i二ふ、、一°二も.:い∴-* '1 *- 、 Wil.t, .こ 上:∴-it;.主・。'"--)こ'I*''*て 二1。 -i-ご"i-'-Jォ.--一二は---- T-(.fiご)
48
流の人生観が書かれているといえるD衝動と意志が一致するとき津然たる入組となり、之に
横目がない時には良心の葛藤は問題ではなくなる。 「石勿人夫-ンス」も Heleneもこの状
態である。彼女は良心から抜けている(gewissenslos)c 即ち全く良心を持たない女で、抜
・:、-坤.--.-r!!て∴・::二一: ∴ ・ ・i'!.:∴・:二:l・? j"s. ∴ 蝣 ∴、、 ∴:'JT.・達 、 ¥r.iき
去の影も雲も、未来への不安な予想も心をくもらさない。此作重体に作者の深い自然への倍
・二:r-U ㍗ ;.こ.E irfi・:・:.'..--...'、、二いL・∴, '>': 、・、 圭'.:,;・$1三に・J'';.'". x二:if-! -ーV. '-:
信仰という二つの大きな要点があり、此二つは生と死という二つの人生の大問題に相応する
ものである.,
V.結 いHi!
.,,,・.--....,->蝣、ソ-:-ニ ー1こ-.・-:
'.*∴、・。ゴ'iUミ-"i,'・*-.*':I: ,:"r. Huinorよ'< 'it-rt-z、,iiい
を示したO此Humorは彼の人生に怠ける深い苦しみの体験と之より発する人生への深い
'蝣Vミ 、 て ÷こ蝣一蝣-rw.i・jユ',1: ; ′!:i一・:. , ,,!;i蠎ト∴.・ニ
ーI?!1.、1.-1・, !・'∴ ・ :・・-蝣.・;v;∴・五r y-"蝣蝣-':・'∴蝣**-" *** ∴ ・∴;蝣_:蝣;'i.- ; ;ib'.∴・"'ir汁蝣V&'-こも*・- / 、
教師Hellの様に展の意味のキ1)スト教を信じ、この道は汎神論に通じ、之が叉彼の人間愛
につながっているO彼は上層階級よりも寧ろ下層傍観の悩みの姿に眼を向け、之に限りない
同l!", ノ、・.I:、 ; ・・'.--Il"1."・"蝣'.i"ri">:' "i∴汗・- I: ーこト衆*s.、訂しよう:二' /-。
Ebner Eschenbach女史が1915年彼の25年祭に.当り、 r7ンツェングルーバーに戻ること
は進歩ということである」 (Zuriick zu Anzengruber heisst vorw互rts ! )と言ったことは
此間の滑息を物語るものである。 (級)
討三1. Bab:a.a.0. S.49ff.
註 2. Bab:a.a.0. S.57ff.
附・ 参 考 頚二 献
Werke:
Anzengrubers gesammelte Werke. 7 Bde. Hi-sg. von A. Bettelheim. 1918.
Bnefe von Ludwig Anzengruber. 2 Bde. 1902.
BiC'graphic :
Anton Eettelhim : Anzengruber, der Mann, sein Werk, seine Weltanschauung. 1898.
W. Neumann : Ludwig Anzengruber. 1920.
J. Bab : Ludwig Anzengruber. 1904.
Sigismund Friedmann : Ludvvig Anzengruber 1902.
49
其
他:
H. Sittenberger : Studien zur Dramaturgic der Gegenwart. Erste Reihe
Das dramatische Schaffen in Osterreich. 1898.
A. Bette王heim : Neue G云nge mit Ludwig Anzengruber. 1019.
A. Bettelheim : Biographenwege. 1913.
A. Sauer-. Gesarame王te Keden und Aufsatze zur Geschichte der Literatur in Osterreich
und Deutschland. 1903.
F. weber : Anzengrubers Natura工ismus. 1929.
K. Vansca : Ludwig Anzengruber. in : Jahrbuch d. Vereins der Geschichte der Stadt
Wien. 1940.
L. Rosner : Schatten aus dem alten Wien. 1910.
郡苦:金田鬼一喝軍 アンツェンゲル 作「キルヒフェルトの牧師JI (世界戯曲全集藤
二十巻、独喚寓、昭和三年刊)
50
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