連載企画 日本の「知財」行方 (高野誠司氏 NRIサイバーパテント社長・弁理士) 第 60 回 現代版秘密特許制度 ~エンターテインメントに関する知財の保護~ (2009/07/27) 「キング・オブ・ポップ」と呼ばれたマイケル・ジャクソンさんが6月 25 日に死亡した。大 ヒットとなった遺作スリラーなどは、音楽の枠を超え視覚を通してもファンを魅了した。 マイケルさんのステージパフォーマンスはムーンウオークが有名であるが、反重力イリュージ ョン(体を床に対して斜めにするパフォーマンス)をご存知の方も多いと思う。 テレビ番組で、このパフォーマンスに関するアイデアが特許になっていることを耳にし、調べ てみたところ、確かに米国で特許になっていた(Patent Number 5255452)。しかも発明者はマ イケルさん本人だ。 基本原理は単純だが、ステージを意識し細部に工夫が凝らされている点は特許に値する。ただ、 原理を特許公報によって知ってしまうと少し寂しい気がする。 この様なエンターテインメントに関する発明の典型例は手品のタネである。手品のタネは人間 による創作であり、知的財産としての価値は高いが、「タネあかし」をすれば、その価値は無に 等しい。 今回のコラムでは、公開と引き換えに発明の保護を図る特許制度の大原則の中で、秘密と保護 のバランスについて考察し、エンターテインメントに関する知財の保護のあり方について言及し たい。 知財の保護は公開が大原則 新しいアイデアである発明の保護を受けるには、特許出願および審査請求を行う。特許庁によ る審査の結果、特許要件を満たせば独占排他権たる特許権が付与される。 特許出願に際しては、明細書において発明の内容を実施できる程度に詳しく説明しなくてはな らない。そしてその内容は、原則として出願から1年6カ月後に公開特許公報を通じて一般公衆 に開示される。 したがって、発明の内容を秘密にしたまま特許を受けることはできない。換言すれば、発明の 公開の代償として特許を受けることができるのだ。これは特許制度が国策であり、技術の累積進 歩による産業の発達を目的としているからである(特許法1条)。 実用新案・意匠・商標についても権利内容は公報によって公開される。これら産業財産権と呼 ばれるものは、保護と引き換えに一般公開されることが大原則なのである。 公開されない特殊な知財 秘密にしたい技術的ノウハウなどは、不正競争防止法によって保護される。産業財産権のよう に独占排他権は付与されないが、秘密として管理されている生産方法などの技術や営業情報は同 法によって保護される(不正競争防止法2条)。 また、意匠法には秘密意匠制度が設けられている(意匠法 14 条)。3年を上限として権利の 内容を非公開にできるのだ。デザイン業界における流行性やストックデザインを考慮し、公表時 期と販売など実施時期とのバランス調整によって認められた制度である。 特殊な例として、日米政府間協定に基づく特許・実用新案登録出願については一定条件の下で 非公開である(特許法 26 条)。なお、この協定に基づく出願は秘密保持が終了するまでの間、 公開されない代わりに特許査定もされないので、保護と引き換えに一般公開される大原則は貫い ているといえよう(特許第 3302370 号、特許第 3367080 号等)。 そして、公序良俗に反する出願内容は公開されない(特許法 64 条)。例えば交通違反を回避 する方法など違法行為の幇助(ほうじょ)に関する内容、卑猥(ひわい)な図面、広告宣伝や不 適切な表現に関する内容などだ。もちろん、発明自体が公序良俗に反する場合には特許要件を満 たさない(特許法 32 条)。 なお、公序良俗に反する出願であっても形式上は公開特許公報が発行される。当該部分は部分 削除や明細書全体削除によって不掲載となる。公報全部を検索可能な特許情報検索サービス (例:http://www.patent.ne.jp)を使って、「特許法第 64 条第2項ただし書」で検索すれば、 どの様な出願のどの部分が不掲載になっているか確認できる。 エンターテインメントに関する知財 人間による知的創作物で、秘密にしたまま保護したいものの1つに手品のタネがある。手品の タネは業界内で秘密を守ることが暗黙のルールになっている。大学などの奇術部では部員の一部 にしか知らされない特殊なタネもある。 ところが、手品のタネのなかには特許出願や実用新案登録出願によって公開されるものが多数 ある。手品で使用するタネ(商品)の製造元にとっては独占的に商売をしたい事情がある。一般 の者が余興でするたぐいのタネであれば差し支えないが、プロの手品師(マジシャン)にとって タネあかしは死活問題である。 手品・奇術・ステージパフォーマンスなどのタネや仕掛けに関する知財については、同業者間 での先後関係に基づく権利関係が明確になれば、一般公開は必ずしも必要ではない気がする。夢 を与えることを考慮した上で、秘密と権利のバランスがうまく取れるとよい。マイケルさんのス テージパフォーマンスの仕掛けについても、本来であれば秘密にしたまま保護を受けたかったに 違いない。 エンターテインメントの世界では、裏の仕掛けはもちろん、実演などで表に公開される内容も 当然保護を受けたい。2008 年 10 月の新聞記事よれば、1980 年代の人気バラエティー番組「風雲! たけし城」を真似したとして、TBS が米国の大手メディア ABC や番組制作会社を相手取り著作権 侵害で提訴した。 日本の著作権法では、テレビ放送の内容や実演などについても保護対象になっているが、いわ ゆるデッドコピー(複製や無断録画)を想定しており、「真似」についての保護は困難である。 現在カリフォルニア連邦地裁で争われているが、米国の裁判所がどこまで認めるか今後の経過を 見守りたい。ちなみに、単なる人のモノ真似は肖像権の範疇(はんちゅう)である。 人間の感じる豊かさは物からサービスに重点が移ってきており、近年の日本国民は教養や経験 などに対価を支払うことを惜しまない。エンターテインメントは時に大きな感動や夢を与え、国 民の心の豊かさを増進させる。人間の豊かさを通じて公共の利益に資するエンターテインメント について、関連する知財は適切に保護されるべきである。 平和利用を目的とした現代版秘密特許制度の提案 一般公衆には知られたくない業界秘密である手品のタネやステージ裏の仕掛けなどは、公開と 引き換えに発明保護を図る特許制度の大原則の中で、どのように保護されるべきか。 秘密情報という観点から考えれば、不正競争防止法による保護も考えられなくないが、アイデ アを先に出した者を適切に保護するには特許法での保護が望ましい。特定分野だけ先願主義の例 外として先発明主義(第 12 回参照)を適用することも考えられるが、先発明主義を混在させる 課題の方が明らかに難度は高い。 かつて日本には秘密特許制度が存在した(1948 年法改正で廃止)。軍事上の秘密を要する発 明は、秘密特許として一般には公開されなかった。ただし、特許権が付与されるためには審査を 受ける必要があり、他の出願と同様に政府に対しては発明の内容を開示しなくてはならなかった。 また、権利の内容を業界に知らしめるために一定の開示は必要である。例えば発明の効果など 外見的な内容だけを一般に開示して、明細書全部の内容については利害関係人(係争関係にない 同業者を含む)に対して、所定の申請によってのみ開示してはどうか。 マイケルさんの反重力イリュージョンを例に挙げれば、「あたかも重力に反するように、床に 対して体を極端に斜めに倒すことができる」とし、図面でその状態を表現(下図参照)すれば発 明の効果は特定できる。 米国特許公報(Patent Number 5255452)の図6 一般公衆は、上から吊っているのではないか、床から棒が出てきてズボンの中に入っているの ではないか、靴に仕掛けがあるのではないか、そもそもマイケルは重力を操れるのではないかな ど、想像を巡らした方が楽しいに違いない。 発明の公開の代償として保護される大前提は崩さずに、公開の内容や条件を、審査官・業界内・ 一般公衆とで段階的に分けることにより、適正な審査と業界内の秘密保持と一般公衆の夢を担保 しつつ、権利保護とのバランスをとってはどうか。戦争に利用された昔の秘密特許制度ではなく、 平和利用を目的としたいわば現代版秘密特許制度の新設である。 いずれにしても、知財立国をめざす日本にとって、産業の発展を図るための施策は重要だが、 産業の発達は手段であって究極の目的は国民の幸せだと考えると、国民の心の琴線(きんせん) に触れる知財は適切な状態で保護されるべきである。
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