普遍的な「愛」:『深い河』論

普遍的な「愛」:『深い河』論
氏
名:楊愛麗
学籍番号:0113100447
指導教官:高潔
謝辞
本論の完成に当たりまして、数多くの方々にいろいろとご支援をいただきました。
まず、テーマの選定、研究方法、論文の構成や言葉の表現などすべてにおいて、終始にわた
り暖かい激励とご指導、ご鞭撻をいただいた指導教官の高潔先生に心より厚く御礼申し上げま
す。
また、ご多忙の中、多くの貴重なご意見とご助言をいただいた譚晶華先生、陸晩霞先生、曾
峻梅先生、徐旻先生、および複旦大学の李征先生に、心より感謝いたします。
そして、活水女子大学に留学中、服部康喜先生には、文学研究の方法や基督教の知識などに
ついて熱心にご指導いただきました。そのほか、荒木龍太郎先生、渡辺誠治先生をはじめ、活
水女子大学の先生方にもいろいろとお世話になりまして、深く感謝いたします。
最後に、上海外国語大学に入学して以来、懇切なるご指導と暖かいご配慮を賜った先生方、
今まで一緒に頑張ってきた同級生の皆さん、またいつも支えてきてくれた家族に衷心より感謝
いたします。
1
摘要
远藤周作是日本战后基督教作家第一人。他的作品带有浓厚的宗教色彩,又时刻凝视着人类
内心世界的真实。这种视线超越了宗教的界限,对很多没有宗教信仰的现代读者也有所启发。
《深
河》是远藤周作最后的纯文学作品,作为他的集大成之作备受瞩目。因此,一直以来的研究大都
把作品与他的真实人生相关联进行分析,或者是论述他之前作品及散文中所叙述的宗教观、人生
观。而本论选择忠实于作品本身,让作品说话。即关注作者写了什么,是通过怎样的方法来表达
主题的,从内容和方法两个角度来考察《深河》的作品世界。本论由四章构成。
在序章中,首先论述远藤周作及《深河》的研究意义,并总结概括相关先行研究。在此基础
上,阐明本论的研究动机及目的。
第二章主要进行内容方面的考察。《深河》讲述了一个关于旅行的故事,五个主要登场人物
都有各自的故事,他们聚集到恒河之滨,在那里向过去的人生告别,重新出发。第二章先用五节
分别跟随这五个人物的脚步,梳理出每一个人物所寄托的主题,然后在第六节中对五个主题进行
总结。每个人的主题看上去各不相同,但从某种意义上来看都可以定义为使人生活下去的人生的
意义。它是爱,是人类存在的本源,是所有人类共有的一种普世作用。通过天主教神父大津和其
他四个不同年龄层、不同人生经历的人物,更加强调了超越宗教范畴的人类存在根源的普遍性。
反过来说,这种爱变换成各种具体的形态,来推动每一个人的人生。天主教作家远藤对他终其一
生追求的课题,交出了答卷:让人生之所以成其为人生的不是制度化了的宗教,而是超越宗教的
普世之爱。此外,把这个爱的故事的舞台设置在印度恒河之滨是颇具深意的。可以看出远藤周作
晚年的思想动向:从中心到边缘,从秩序到混沌,这是一种对东方式思维的回归。通过这部作品,
我们不仅可以看到作为天主教作家的远藤,更能看到他超越宗教的界限,不断努力挖掘人类本质
的一面。
第三章对《深河》中的小说技法进行考察。主要分析以下三个特征:平行的人物设置;客观
且均等地叙述登场人物,同时又强有力统括全局的叙事方法;双重意象的使用。正因为采用了平
行人物设定这种多层次的结构,才表现出了爱的普遍性。并且,如果不采用上述叙事方法,就无
法将五个登场人物分别代表的各个主题统一到“爱”这一大主题下。而双重意象则使普世之“爱”
这一意象具体化、形象化,强化了主题的表达。
终章总结以上三章的内容,得出结论。作品的主题是人类存在本源的“普世之爱”,而内容
和方法相辅相成,两者不可分割,相得益彰。内容和方法在一股巨大的向心力作用下构建出了一
个多层次的立体世界,将整部作品统一在“爱”这个大的主题下,建造了一个平衡独立的小宇宙。
关键词:远藤周作 深河 基督教 爱
2
要旨
遠藤周作は日本戦後の基督教作家の第一人者である。彼の作品は宗教的な関心を持ちながら
も、常に人間の内面の真実を直視していた。その視線は宗教の枠を超えて心の問題を様々に抱
える現代人にも大きな示唆を与えてきた。『深い河』は遠藤周作の最後の純文学作品で、その
集大成としても注目されている。それゆえ、従来の研究には、遠藤の実生活と関連したり、今
までの作品やエッセー等でも述べられてきた彼の宗教観や人生観を論じる傾向がある。本稿は、
作品を持って語らせることにする。つまり、作者は「何を」書いたのか、「どのような」小説
技法を用いてテーマを表出したのか、内容と方法の二つの角度から『深い河』の作品世界を考
察してみたいと考える。四章で構成されている。
序章ではまず遠藤周作と『深い河』の研究意義を述べ、先行研究をまとめる。先行研究を踏
まえて、本稿の研究動機と目的を説明する。
第二章では『深い河』の内容について考察したものである。『深い河』は五人の主要な登場
人物が、それぞれ過去の思いを胸に抱きながら、ガンジス河のほとりに集い、そこで今までの
人生に区切りをつけて、新たなスタートを得たという話である。五節に分けてそれぞれ五人の
歩みを辿りながら、託されたテーマを明らかにして、そして第六節で五つのテーマをまとめる。
それぞれのテーマは一見異なっているものの、ある意味で人生の次元で自分を生かしてくれる
ものだと定義づけることができる。この人生の次元で自分を生かしてくれるものが愛そのもの
であり、人間存在の根源であり、あらゆる人間の奥にある普遍的な働きである。異なる年齢層、
異なる人生経験の四人とカトリック神父である大津を並置することによって、宗教を超えた人
間存在の根源の普遍性がよりいっそう強調される。逆に言えば、その普遍的な愛は具体的な形
に変わって、彼らの人生を生かしてきたのである。基督教作家遠藤は人生をかけて追い求めた
課題に、人間を生かしてくれるのは制度化された宗教ではなく、宗教を超えたもっと普遍的な
愛そのものであるという答えを出したのである。更に、この愛のドラマの舞台を印度、ガンジ
ス河にしたのも意味深い。遠藤周作の晩年の中心から周縁へ、秩序から混沌へという東洋的な
考え方への回帰が見られる。この作品を通して、カトリック作家としての遠藤だけではなく、
宗教の枠組みを超えて人間を深く掘り下げるように努力し続ける遠藤の姿勢も窺える。
第三章では『深い河』における特徴的な小説技法を考察する。並置した人物設定、客観的か
つ対等的に作中人物を語りながら、力強く全局を統括する語り手、ダブルイメージの使用とい
う三つの特徴が挙げられる。並置の人物設定という重層的な構造だからこそ、普遍的な愛とい
うテーマが表出できる。そして、こういう語り手でないと、その五人それぞれのテーマを愛と
3
いうテーマに集約することもできないのである。ダブルイメージの使用もその普遍的な「愛」
というイメージを具象化して、主題を強化したのである。
終章では以上三章の内容をまとめて、結論を導く。作品のテーマとしては人間を生かしてく
れる「普遍的な愛」であるが、内容と方法とはあいまって、両者は分割できなく、お互いに補
強しあうのである。内容にも方法にも一種大きな向心力が見られ、その向心力によって重層的
立体的な世界が築き上げられ、作品全体を統一する大きな主題へ集約されていく。
『深い河』
という作品世界において、愛という大きなテーマによって、内容も構造もうまく収斂され、バ
ランスよく一つ完結した宇宙を築き上げたのである。
キーワード:遠藤周作
深い河
基督教
愛
4
目次
一.序章...................................................................................................................................................... 1
1.遠藤周作と『深い河』................................................................................................................1
2.
『深い河』に関する先行研究......................................................................................................2
2.1 中国における研究現状.....................................................................................................2
2.2 日本における先行研究.....................................................................................................3
3.研究動機と目的............................................................................................................................6
二.「深い河」への旅――それぞれの場合............................................................................................7
1.磯辺の場合――日常生活にありふれた夫婦の愛の発見....................................................... 8
2.沼田の場合――魂の次元で理解してくれる小動物の愛..................................................... 11
3.木口の場合――地獄のような戦場にも見つけられる愛..................................................... 13
4.美津子の場合――人間のすべてを包容してくれる「本当の愛」の発見.........................15
5.大津の場合――イエスの愛の実践..........................................................................................19
6.混沌にある愛への回帰..............................................................................................................24
三、『深い河』における特徴的な小説技法..........................................................................................28
1.人物設定...................................................................................................................................... 28
2.語り方.......................................................................................................................................... 32
3.ダブルイメージ..........................................................................................................................33
四、終章.................................................................................................................................................... 36
参考文献:................................................................................................................................................ 38
5
一.序章
1.遠藤周作と『深い河』
遠藤周作(1923 年―1996 年)は日本近代文学史では特異な存在で、戦後文学の中で「第三
の新人」の一人として位置づけられているが、そのほか「基督教作家」、
「日本のグレアム・グ
リーン」など様々なレッテルが貼られている。最初の小説「アデンまで」から「白い人」「黄
色い人」を経て、「海と毒薬」「沈黙」「スキャンダル」など数々の名作を残して、独特の文学
世界を作ってきた。ノーベル文学賞候補に名が挙がった彼は日本という精神風土に移植された
基督教の受容と土着を問題視し、生涯をかけて自ら納得できるイエス像と基督教を求め続けな
がら、人間の無意識の下に潜む「悪」の問題も追究していたのである。彼の問題意識は鋭く基
督教思想の核心に刺さり、世界中多彩な議論を起こし、さらに日本の基督教徒から非難された
時期もあった1。宗教と信仰という重いテーマを追求する一方、ユーモア小説や狐狸庵ものと呼
ばれる軽妙なエッセーを数多く発表して、多くの読者に愛されている。
日本の近代文学において、<東方>と<西方>あるいは日本と西欧というテーマは重要な課
題である。この課題の中で夏目漱石―芥川龍之介―堀辰雄―遠藤周作という系譜は示唆深いも
ので、日本近代文学の流れでかけがえのない系列だと思われる2。漱石は自分の留学体験を通し
て、日本の「文明開化」とは何か、日本の精神風土とは何かを探究していた。この同じ眼差し
で芥川は<西方>の神よりの疎外感と挫折感を感じ、<東方>と<西方>に引き裂かれた。弟
子の堀辰雄はこの芥川の遺志を受け継いで、この<東方と西方>の狭間で揺れていることを日
本の文学をより豊かにする契機として捉えた。その師の堀辰雄に続く遠藤周作も漱石と同じよ
うに留学体験から文学の出発を遂げ、基督教と日本、<東方>と<西方>を切実な課題として
一生をかけて追い続けてきた。その意味で遠藤周作は日本文学の代表的な作家だと言えよう。
宗教と信仰の問題のみならず、宗教の枠を超えて心の問題を様々に抱える現代人にも大きな示
唆を与えることになり、遠藤文学を研究することは深い意味があると思う。
一方、『深い河』は遠藤周作の書き下ろし長篇として、1993 年 6 月 8 日に講談社から刊行さ
一九六六年に刊行された『沈黙』はイエズス会の宣教師の棄教という十七世紀初期の日本のキリスト弾圧時
代の史実に基づいて書かれた小説である。遠藤の作品を数多く英訳した V ・ C ・ゲッセルと遠藤との対談に
よると、この小説を発表して以来、鹿児島、長崎の一部の学校や教会には禁書扱いされ、カトリックの教会で
は神父さんが『沈黙』を読んではいけないとはっきり信者たちに命じたような時期があるという。 『「遠藤
周作」と Shusaku Endo――アメリカ「沈黙と声」遠藤文学研究学会報告』 春秋社 1994 年 98 頁
2
佐藤泰正 「遠藤周作の人と作品」 『「鑑賞日本現代文学」25 椎名麟三・遠藤周作』 角川書店 1983
年 297 頁-301 頁
1
1
れた3。遠藤の人生最後の純文学作品であり、今までの小説のキャラクターや主題を総動員して
集大成の作品だと多くの研究者、評論家に評価される。遠藤文学を貫いているキーワードが全
部含まれている作品である。
『「深い河」創作日記』の中の言葉から、遠藤周作が余命の短さを
意識しながら、自らの人生と文学のすべてをこの小説のなかに書き込めようとしている姿が窺
える:
この小説を読み返してみると、固い壁にぶつかる度、それを乗り越えるのは私の無意識から浮
び上がってくるストーリーであるが、そのストーリーには長い間の私の小説の型があるような気
がしてならない。その型がひょっとすると私の人生観、人間観なのかも知れぬ。 4
この小説が私の代表作になるかどうか、自信が薄くなってきた。しかし、この小説のなかには
私の大部分が挿入されていることは確かだ。 5
遠藤は自分の棺の中に『沈黙』と『深い河』の二冊を納めるように指示したという話がよく
伝えられている6。その二作は遠藤自身にとっていかに重要であったかを窺うことができよう。
『深い河』は発表されてからわずか二十年しか経っていないから、作品の真実はいまだに探る
余地がある。
『深い河』を研究することは遠藤文学を理解する上には重要な価値があると思う。
2.
『深い河』に関する先行研究
2.1 中国における研究現状
中国においては遠藤周作に対する研究は十分に行われているとは言えない。台湾では遠藤研
究が盛んに行われているが、林水福が代表の一人である7。台湾の輔仁大学は 1986 年 11 月に「文
学と宗教」をテーマとして国際シンポジュウムを開催した。遠藤周作はその会議で講演をし、
1992 年台湾に渡り、輔仁大学から名誉博士号を受けた。中国大陸では「第三の新人」の中の一
人としてよく言及されているが、深く研究したものが少ないようで、系統的な作家論としては、
史軍の博士論文「衝突、和解、融合――遠藤周作的文学与宗教」8、路邈の『遠藤周作――日本
本稿のテキスト本文引用はこの講談社 1993 年版に基づくものである。
遠藤周作 『「深い河」創作日記』 講談社文庫 2000 年 110 頁
5
遠藤周作 『「深い河」創作日記』 講談社文庫 2000 年 115 頁
6
遠藤周作 『「深い河」をさぐる』 文春文庫 1997 年 235 頁
7
遠藤文学の研究者であり、遠藤作品の中国語訳者としても活躍している。氏の訳した『沈黙』『深い河』は
2009 年に中国大陸で出版された。
8
上海外国語大学 2009 年博士論文である。
2
3
4
基督宗教文学的先駆』9があげられる。史軍の論文は遠藤周作の作品と宗教信仰との結びつきを
考察して、時間順で遠藤の実生活と作品を研究しながら、遠藤の基督教に対する理解について
論じている。衝突、和解、融合という三つの段階を通じて、イエス像の探求と人間の無意識の
追及という二つの主題を生涯にわたり取り組んだと指摘している。路邈は遠藤周作の基督教思
想に重点を置いて、作品別で主に『沈黙』や『深い河』について考察し、遠藤の「母なる神」
や晩年の宗教多元主義思想を論じた。『深い河』について、高謹は『深い河』における遠藤の
宗教観を考察し、遠藤の神は普遍性と包容性があると指摘している10。陳雲輝は『沈黙』と『深
い河』の二作を取り上げ、遠藤の宗教観の変化を指摘し、宗教多元主義に至ったと論じている
11
。宗教の観点以外に、許静華はバフチンのポリフォニー小説理論を用いて、人物造型の自立
性と未完結性、語りの構造という二つの角度から『深い河』にポリフォニー小説が見られると
論じている12。王君、王吉祥はフェミニズムの視点から美津子を考察して、自我の目覚めと母
性の獲得という成長過程を分析した13。高玉霞はサイードのオリエンタリズムの理論から『深
い河』における東方と西方の宗教においての不平等現象を分析し、遠藤周作の感じた西方の宗
教への違和感は東方と西方の歴史問題によって生まれたものだと指摘している14。
2.2 日本における先行研究
日本では遠藤文学の研究はすでに相当数の著書や論文がものされている。そのほか、長崎県
に遠藤周作文学館が設立されており、学者や読者が集まった周作クラブと遠藤周作学会も作ら
れており、シンポジュウムや講演会などがよく行われて、論文集も定期的に出されている。
その中にあって、『深い河』の研究に関して代表的なものとして、佐藤泰正と遠藤周作との
対談集『人生の同伴者』と山根道公の『遠藤周作の「深い河」を読む―マザー・テレサ、宮沢
賢治と響きあう世界』をあげることができる。『人生の同伴者』は「遠藤周作の本質と背景を
語りつくしたもの」で、
「遠藤文学への最高の入門書のひとつ」15といわれている。元版の対談
は『スキャンダル』で終わっているが、『深い河』をめぐる議論を加え、2006 年に増補版が出
版された。佐藤泰正と山根道公の対談によると、『深い河』は「魂の問題」を取り上げ、遠藤
路邈 『遠藤周作――日本基督宗教文学的先駆』 宗教文化出版社 2007 年
高謹 「浅析遠藤周作『深河』中的神学宗教思想」 『教育教学論壇』 2012 年 3 月 15 日 245 頁-247
頁
11
陳雲輝 「从『沈黙』到『深河』――遠藤周作多元化宗教思想探索」 『西華大学学報(哲学社会科学版)』
2013 年 3 月 5 日 38 頁-42 頁
12
許静華 「試析遠藤周作『深河』的複調特徴」 『文学界(理論版)』 2012 年 12 月 25 日 48 頁-49 頁
13
王君・王吉祥 「从女性主義視角探尋『深河』中美津子成長歴程」 『浙江万里学院学報』 2013 年 5 月
15 日 70 頁-74 頁
14
高玉霞 「探討『深河』中的東方主義思想」 『文学教育』 2013 年 2 月 5 日 31 頁-34 頁
15
遠藤周作・佐藤泰正 『人生の同伴者』 講談社文芸文庫 2006 年 236 頁
3
9
10
が自分の心情と信仰を誠実に生き抜こうとしながら、「制度化される宗教」と闘っているとい
う16。山根道公の『遠藤周作の「深い河」を読む――マザー・テレサ、宮沢賢治と響きあう世界』
は、細かくそれぞれの人物の物語を追って作品を考察したもので、またマザー・テレサの愛の
実践と宮沢賢治と比較し、遠藤にとっての本来の宗教者のあるべき姿は、宗教や民族、身分の
違いによる対立や垣根を越えていく、自由で寛容な象徴であると論じている。
そのほか、
『「深い河」創作日記』という本には遠藤死後発見された彼の日記、遠藤周作の宗
教観が凝縮されたエッセー「宗教の根本にあるもの」、加藤宗哉による後記、三浦朱門と河合
隼雄による対談、木崎さと子による解説が収録されている。『深い河』の研究にとっては鍵に
なる一冊だと思われる。また、『
「深い河」をさぐる』は『深い河』に含まれている生と死、奇
蹟、宗教と科学などのテーマを巡り、遠藤周作が各分野の達人との対談集である。この二冊は
遠藤自身が語った『深い河』に対する注釈で、重要な参考価値があると思われる。
『深い河』は発表当初から注目され、「集大成」、「総決算」など肯定的な意見が多いようで
あるが、
「『沈黙』
『侍』の緊縮した文章はここにはなく、行間に埋め込んだイメージも希薄で、
やや語りすぎといった印象も拭えない」17という声もある。優れた名論が群立しているが、ま
とめてみると、以下の特徴がある。
(1)
『深い河』を「集大成」とし、遠藤の実生活と今までの作品のテーマや登場人物などを
関連して論じる。
大江健三郎は刊行直後の書評で「久しぶりの書き下ろし長編で、遠藤氏は懐かしい主題とエ
ピソードと性格とを総動員する」と述べた18。安岡正太郎は『深い河』には今までの「諸作を
超えて一つの記念碑的ともいうべき重量と感動を覚えさせるものがある」と高く評価した 19。
佐藤泰正は『深い河』が「遠藤文学の精髄とも言うべきものが、そのすべての流れが、今この
『深い河』に注がれる」
、「いわば遠藤文学の総決算ともいうべきもの」である20と指摘してい
る。新潮社『遠藤周作文学全集』には「小説の作中人物の一人一人の担う主題やエピソードや
性格など、これまでの様々な作品で描かれた人物たちとつながり、それと同時に著者のこれま
での人生を織り成した真実が作中人物たち一人一人に投影されるといった凝った構成からな
る、著者の文学と人生の総決算の作品となっている」21という山根道公の『深い河』の解題が
ある。
遠藤周作・佐藤泰正 『人生の同伴者』 講談社文芸文庫 2006 年 271 頁-274 頁
加藤宗哉 『遠藤周作』 慶応義塾大学出版会株式会社 2006 年 236 頁
18
大江健三郎 「文芸時評」 「朝日新聞」 1993 年 6 月 24 日
19
安岡正太郎 「
『深い河』について――「復活」と「転生」」 『国文学 解釈と教材の研究』 学燈社
年 9 月号 22 頁
20
遠藤周作・佐藤泰正 『人生の同伴者』 講談社文芸文庫 2006 年 235 頁
21
山根道公 「『深い河』解題」 『遠藤周作文学全集第 4 巻』 新潮社 1999 年 352 頁
16
17
1993
4
そのほか、具体的にいうと、登場人物の「成瀬美津子」は『スキャンダル』の中の成瀬夫人
の発展だという指摘があり、また美津子は遠藤が深く心服するフランスのカトリック作家モー
リアックの『テレーズ・デスケルー』の主人公と比較考察するものもある。遠藤は自分の満州
大連の少年時代と病床経験を「沼田」という人物に投影して創作したとか、親友の井上洋治神
父を原型として「大津」という人物を造型したというような実生活との影響関係を論じること
もよく見られる。
(2)宗教を視座として、基督教作家の遠藤の宗教思想を分析する。
「大津」という人物に託して、遠藤独自の基督教観と「人生の同伴者」のイエスのイメージ
が見られるという観点が一般である。
『
「深い河」創作日記』にはイギリスの基督教神学者ジョ
ン・ヒックの「宗教多元主義」を言及したから、「宗教多元主義」との関連および遠藤の独創
性を探るものも多い。
『深い河』において、
「諸宗教間の相互理解と諸宗教の共存共栄の可能性・
重要性を訴えかけている」とは研究者武田秀美の発言である22。そのほか、仏教の「輪廻転生」
と基督教の「復活」もよく論じられるテーマである。
(3)小説方法に対する考察もある。
上総英郎は遠藤の作品が日本文学には珍しい「破天荒な構成」があると評価して、遠藤の文
学技巧を「旅――世界文学の志向」
「視点の推移」
「方法的実験」
「魔的空間」
「〈聖〉なるもの」
という五つの特徴にまとめたが、文学の「方法的実験」に対する考察が少ないとも指摘してい
る23。『深い河』について、英訳者 V ・ C ・ゲッセルは象徴とメタファーの視点から考察して、
基督教では「水」は「永遠の生命の水」という意味であるから、作品中では「永遠の生命」を
求めてやまない人達には「水」に関係のある名前が与えられているのであると指摘している24。
兼子盾夫はこのような宗教的なメタファーとシンボルをさらに工夫して、宗教学的に作品に使
われた象徴と暗喩を分析し、登場人物の名前の意味と運命のかかわりを解明しようとした 25。
作品のなかに出ている「犬」、
「九官鳥」、印度の女神のカーリーとチャームンダ、
「玉ねぎ」な
どの意味もよく論じられる。それ以外、作品の構造について、
「重層的な構造性」26という特徴
はすでに指摘され、その指摘も前文に触れた許静華が指摘しているポリフォニー小説の特徴が
武田秀美 「遠藤周作の宗教意識とその独自性――キリスト教の信仰と「多元的宗教観」――」 『星美学
園短期大学研究論叢』 2012 年 3 月 19 頁
23
上総英郎 (「遠藤周作へのワールド・トリップ」 『国文学 解釈と教材の研究』 学燈社 1993 年 9 月
号 120 頁-129 頁
24
V ・ C ・ゲッセル 「集いの地に行きたい――『深い河』考」 『「遠藤周作」と Shusaku Endo――アメ
リカ「沈黙と声」遠藤文学研究学会報告』 春秋社 1994 年 203 頁
25
兼子盾夫 「
『深い河』のシンボルとメタファー――「永遠の生命の水」と「人間の深い河」」 『横浜女子
短期大学研究紀要 12』 1997 年 55 頁-67 頁
26
玉置邦雄(「『深い河』論――<彷徨える人間>の形象化を巡って」 『作品論遠藤周作』 双文社 2000
年 269 頁-287 頁)、虎岩正純(
「重層性の寓話――『スキャンダル』
『深い河』論」 『国文学 解釈と教材
の研究』 学燈社 1993 年 9 月号 56 頁-63 頁)などがあげられる。
5
22
見られるという結論と一致している。多くは論じられてこなかった語り手の特徴については、
小嶋洋輔は遠藤作品を「純文学」と「大衆文学」を区分して特に『沈黙』と『深い河』につい
て考察した。
「純文学」を担う「評論家」的で、一人の人物の傍に寄り添う語り手と、
「大衆文
学」の人物それぞれに寄り添っていく多元的な語り手という二種の語り手があるという結論に
至り、『深い河』には多元的な語り手だと指摘している27。
3.研究動機と目的
本稿は「何を」「どのように」という素朴な問いかけを持って『深い河』の作品世界を考察
するものである。
従来の研究は主に遠藤周作を基督教作家として宗教思想について論じてきたが、『深い河』
の英訳者 V ・ C ・ゲッセルが指摘したように、「
「基督教作家」という角度だけから論じる」こ
とには「不適当性」がある、
「この作家がクリスチャンであるという事実を無視するわけには
いかないが、その宗教性ばかりを凝視すれば、結局遠藤文学のヴァラエティに背を向けること
「遠藤文学は作家遠藤周作の明確な作品主題を担って書
になってしまう恐れがある」28という。
き続けられた文学世界である」29という遠藤文学研究者槌賀七代の指摘のように、遠藤周作は
明確な主題を作品に持たせることを重視して小説を書いていたのである。作品だけではなく、
遠藤は自分の主張や思想を打ち明けるエッセーや日記などを夥しく書いてきて、『深い河』の
主題についても対談や日記の中で繰り返して述べて、
「失われた時を求めて」
「失われた愛を求
めて」30という遠藤自身の発言が残されているが、このような作家の所信表明を無視するわけ
にはいかないが、そればかりをあてはめると、文学の多義性を見失ってしまう恐れがある。遠
藤本人は作品以外にいくら注釈をつけたにしても、作品世界を探るには、やはり作品をもって
語らせることが最も正当なやり方であろう。
また、遠藤はインタビューの中で「文章はわかりやすく、構成は非常に凝る。が私の流儀で
す」31と『深い河』の小説技法について自慢していたが、残念ながら、山根道公の指摘のよう
に、遠藤の小説方法についての考察はまだ充分とはいえない。
本稿では、先行研究を踏まえた上で、作品の背後にいる遠藤周作という基督教作家のことを
小嶋洋輔 「遠藤周作作品における語り手――同伴者としての語り手、『沈黙』、『深い河』」 『キリスト教
研究』(21) 2004 年 130 頁-141 頁
28
V ・ C ・ゲッセル 前掲書 199 頁
29
槌賀七代 「『女の一生』論――「現代日本」への挑戦」 『作品論遠藤周作』 双文社 2000 年 241 頁
30
遠藤周作・加賀乙彦 「対談 最新作『深い河』――魂の問題」 『国文学 解釈と教材の研究』 学燈社
1993 年 9 月号 7 頁-12 頁
31
遠藤周作 『読売新聞(夕刊)』 1993 年 7 月 16 日
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念頭に置きながら、
『深い河』の作品世界に目を向けて、作者は「何を」書いたのか、
「どのよ
うな」作品構成や表現技法を用いて、テーマを表出しているのか、明らかにしたいと考える。
内容と方法という二つの角度から、作品解釈に多面的に光を当て、より明晰な作品世界を提示
したい。
二.「深い河」への旅――それぞれの場合
遠藤周作には旅の物語が多くあり、
『アデンまで』
『沈黙』
『死海のほとり』
『侍』などの注目
作いずれも旅を描いていた。遠藤自身も東京で生まれ、満州大連で幼年時代を過ごし、神戸で
暮らし、フランスへ留学するという旅の人生で、作家になった後もよく旅に出るのである。
この最後の小説『深い河』も旅の形を取らせたのである。
「旅」という装置の機能について、
「「ツアー旅行」という形態が、表層においては日常における人間の関係を遮断し、また異化
するものとして有効に機能している。それはまた、断片的で閉鎖的な状況、あるいは偶然性に
支配された刹那的な現代の状況を象徴的に反映しているものであろう。その意味では、最も現
代的でありきたりな旅行として、読者を作品世界に導き入れるための装置(通路)として、あ
るいはその日常性を異化するための装置として有効に機能している」という川島秀一の行き届
いた指摘がある32。言い換えれば、主人公たちは旅によって日常から異化された時空に導かれ
ていくのである。日常的な世界から非日常的な世界へ参入するという意味で、旅ということも
一種の通過儀礼といえよう。通過儀礼とは文化人類学の概念であり、簡単に言えば、もとの世
界から、ある境を踏み越えて、別の世界へと向かうということである 33。人間が成長するにつ
れて、一つの状態から別の状態に移り行く。それをうまくやり過ごすようにするのは通過儀礼
の役割である。例えば現代の成人式、卒業旅行、結婚式、葬式などは通過儀礼に属されている。
『深い河』は主要な登場人物が五人で、それぞれ人生経験の違った五人は自分の心の重荷を
背負いながら、ガンジス河のほとりに集い、そこで自分の過去に区切りをつけて、新たなスタ
ートを得たという旅物語である。この意味で主人公たちの旅も通過儀礼のようなもので、辛い
過去から新たな世界へと向かうのである。そのため、この五人の主人公それぞれの場合を別々
に追って読みすすめる必要があるだろう。本章では五人の主人公それぞれの旅に注目して、旅
の意味を解明して、それぞれに託されたテーマを明らかにした上で、全体的に作品を把握して
みたい。
32
川島秀一 「<愛>の言説――『深い河』の実験」 『遠藤周作 〈和解〉の物語』 和泉書院
2000 年
184
頁
33
大熊昭信
『文学人類学への招待――生の構造を求めて』
日本放送出版教会
1997 年
31 頁
7
1.磯辺の場合――日常生活にありふれた夫婦の愛の発見
磯辺は無宗教の現代日本人の代表であり、長年連れ添ってきた妻を癌で失った中年男性であ
る。作品の冒頭は妻の癌の宣告から彼の物語が始まる。それを機に生活の次元しか頭になかっ
た彼は人生の次元に導かれていくのである。ここの「生活の次元」と「人生の次元」という二
つの言葉に注目したい。遠藤は晩年のエッセー「人生の意味」で人間を三種類に分け、生活の
次元の利益や損得が自分の人生のすべてであると考える人間、生活の次元をこえた人生こそ本
当のものだと思い、苦しみや病気にも価値を発見しようとする人間、そしてこの二つの間を揺
れ動き、生活次元がすべてではないと思うが、徹底的に人生次元に突入できぬ人間という三種
類であるという34。磯辺の物語は生活の次元に生きる人間がその二つの間を揺れ動くようにな
り、「深い河」への旅を通して、生活の次元で忘れられた愛を自覚し、人生の次元を生きる人
間になるという過程を描いたものである。
妻は臨終の時に「わたくし……必ず……生まれかわるから、この世界のどこかに。探して……
わたくしを見つけて……約束よ、約束よ」という最後の声を残してこの世をさった。「ほとん
ど多くの日本人と同じように無宗教の彼には、死とはすべてが消滅することだった」から、
「来
世とか転生とかを肯定する気持ちは」なかったが、妻の最後の声を忘れられず、「眼にみえぬ
何かの力の働き」によってアメリカの大学の転生に関する研究を知り、そこから情報を得て印
度へ転生した妻を探しに行くことになった。そこで磯辺の旅の幕開けになるのである。妻の最
後の声が注目に値しよう。妻が死んだ後磯辺はこの最後の声が聞こえ続けている描写は小説の
中には合計 8 回あり、その中に、一回だけは聞こえなかった描写である(表1を参照)。初め
て響いたのは妻の葬式で住職が仏教の転生について語る場面である。転生の話を「誰一人とし
て本気で信じているわけでもなかった」が、その時、「磯辺の耳にあの妻の譫言が聞えた」
。理
性的に信じていない転生の話を聞いた時に妻の声を聞こえたのは、今まで生活の次元で持って
いた肉体の死はすべての死であるという合理的な考えが徐々に揺らぎ始めることが暗示され
ていると考えられる。妻の声は彼を生活の次元から人生の次元へ導いていくのである。
表1
頁数
1. 27 頁
34
遠藤周作
場面
本文引用
妻の葬式で住職から転生の
話を聞いた時
「彼等は心のなかで、どうせ寺の金儲けの手段だと考
えていた。
その時、「必ず……生れからるから」磯辺の耳にあの
妻の譫言が聞えた。」
「人生の意味」
『最後の花時計』
文藝春秋
1999 年
84 頁
8
2. 31 頁
真夜中暗闇の中で妻を偲ぶ
時
「彼は闇のなかで眼をつむり、まぶたの裏に妻の顔を
思い浮かべる。(中略)
探して……わたくしを見つけて、という妻の最後の譫
言はなまなましい残像のように耳の奥に残ってい
る。」
3. 34 頁
アメリカで姪からヴァージ
ニア大学の前世の記憶に関
する研究を聞いた時
「コップを片手でまわし磯辺はまたこの時、妻の最後
の声を耳の奥で聞いた。」
4. 171 頁
旅行団一行はバスでヴァー
ラーナスィに向かう途中
「磯辺はさっきの話から、いよいよ転生の国に自分が
入ったのを感じた。転生など本気で信じてはいない。
しかし、彼の耳の奥には妻の最後の譫言が聞えてい
た。」
5. 173 頁
樹のトンネルを通って、ヴ
ァーラーナスィの灯が見え
はじめた時
「人々は窓に顔を押しあてた。(中略)磯辺は妻のあ
の声を耳の奥で聞いた。」
6. 226 頁
ガンジス河に向かうバスの
中から人渦の中に何人か印
度の少女を見た時
「人渦のなかに磯辺は何人かの裸足の少女を見た。
(中略)
「探して」
妻の必死な譫言がまた聞える。
「約束よ、約束よ」」
7. 255 頁
ヴァージニア大学に教えら
れた生まれかわりの少女の
村が目の前になる時
「眼をつむり妻の声を聞こうとした。なぜか、今朝ま
では耳の奥できこえた妻の最後の声は蘇ってこなか
った。」
8. 280 頁
インディラ・ガンジー首相
暗殺事件ガ起きた日、ホテ
ルの部屋で酒を飲みながら
妻を思う時
「部屋の中は彼の心のように空虚だった。
(中略)
磯辺は妻の声を聞くまいとして、暑い酒精を咽喉に流
し込んだ。」
話を磯辺の旅に戻そう。ついに旅行団一行はガンジス河のほとりの町ヴァーラーナスィに着
いた。そこで磯辺は「日本にいるときよりもっと」妻との過ごした「二人の日常生活の何でも
ない光景」を思い出すようになった。生活の次元で生きていた彼は、「妻は夫にとって空気の
ようなものになればいい」「結婚による結びつきは一度や二度の浮気とはまったく関係のない
ものだ」と主張していたが、印度で妻の生まれかわりを探すにつれて、「信じられるのは心の
中にかくれていた妻への愛着だった」ということを意識し始めた。ようやくヴァージニア大学
に教えられた妻の生まれかわりの少女のいる村が目の前になったが、なぜか今朝まで耳の奥で
聞えた妻の最後の声は蘇ってこなかった。妻の声が聞こえなくなったことは、この現実世界で
転生した妻を探すのが間違っているのではないかと暗に示されていると見られよう。磯辺は今
まで「男としての仕事や業績がすべてだと思って生きてきた」が、今「この世の中で妻への思
い出だけが最も価値あるものに思えた」。旅につれて、磯辺は人生の次元の中で新しい発見が
でき、価値観にも変化が生じたのである。妻の生まれかわりが見つからなかった磯辺は実際に
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インディラガンジー首相の暗殺事件の後の民衆たちの争いを見て、「宗教でさえ憎みあい、対
立して人を殺しあうのだ」と思った。遂にガンジス河にたどり着き、次の場面である:
一人ぽっちになった今、磯辺は生活と人生とが根本的に違うことがやっとわかってきた。そし
て自分には生活のために交わった他人は多かったが、人生のなかで本当にふれあった人間はたっ
た二人、母親と妻しかいなかったことを認めざるをえなかった。
「お前」
と彼はふたたび呼びかけた。
「どこに行った」
河は彼の叫びを受け止めたまま黙々流れていく。だがその銀色の沈黙には、ある力があった。
河は今日まであまたの人間の死を包みながら、それを次の世に運んだように、川原の岩に腰かけ
た男の人生の声も運んでいった。
(304 頁)
世の中には宗教の争いが起きようが、首相が暗殺されようが、自分がいくら苦しもうが、ガ
ンジス河はすべてを受け止めて黙々と流れ続けているのである。その沈黙の力を感じ、磯辺は
生活と人生が根本的に違い、人生の中で本当に触れ合った人間は母親と妻しかいなかったとよ
うやくわかってきた。磯辺の旅は美津子の「少なくとも奥様は磯辺さんのなかに」「確かに転
生していらっしゃいます」という言葉で幕が閉じられた。現実世界あるいは生活の次元で転生
した妻を探す旅は失敗したが、魂の世界あるいは人生の次元で収穫豊かな旅になったのである。
仕事人間だった磯辺は人生の意味が仕事や業績の中にはあらず、日常生活の中にありふれた妻
との夫婦の愛にあると見出した。この愛の力は死別を通して磯辺に働きかけてきた。妻の死は
すべての終わりではなく、心の中に潜む忘れられた「夫婦の愛」の記憶によって自分の魂の中
に甦ってきたのである。これこそ妻の「生まれかわり」という言葉の真義で、この深い河への
旅を通して、磯辺は「死」と向き合い、生活の次元を生きた人間から人生の次元に入って、自
分を生かしてくれるのは夫婦の愛であるとわかるようになった。
『「深い河」創作日記』による
と、遠藤周作は身近に差し迫る死に向き合いながら、晩年の老いや病の苦しみのなかでこの小
説を作った。磯辺の旅に託して、遠藤自身の死の受け止め方も窺えよう。なくなった母や兄も
「愛の記憶」によって遠藤の中に生き続けていて、また遠藤自身の死に対する恐怖も「愛の絆」
によって乗り越えられたのであろう。遠藤は磯辺夫婦のような「愛の絆による生まれかわり」
こそ死の恐怖を乗り越えられると伝えたいのではなかろうか。
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