刑事訴訟の経済評価:量刑の不確実性を考慮した意思決定分析

刑事訴訟の経済評価:量刑の不確実性を考慮した意思決定分析
1X08C059-2
指導教員
1. はじめに
近年,司法の世界では裁判員制の導入など,改革の実
0
1
起訴判定 公判開始
施がめまぐるしく行なわれている.我が国の訴訟構造と
して,
「人権保障」と「真実発見」の観点から当事者主義
が採用されている.当事者主義の下では,訴訟進行は被
告人と検察官がその責務を負い,裁判所は当事者同士の
主張・立証活動をもとに被告に判決を下す.
裁判官は,過去の判例及び犯罪の性質(凶悪性,悪質
性,計画性,社会的影響等)を考慮して,犯した罪に対
2
3
下級裁判所
上訴
判決
4
5
棄却判定 公判開始
断念
坂口雄司
大野髙裕
6
上級裁判所
上級裁判所
7
判決
図 1. 状況設定
費用 A を負担することで,上訴が可能である.判決後は,
時刻 4 で上訴が認められ,上級裁判所で時刻 5–7 でにお
いて審議された後,時刻 7 で訴訟が終了するものとする.
被告の行動を定式化する.まず Mt を以下のように,
して適当である刑を課す.しかし,こういった量刑判断
Mt = Pt J
(1)
は定量的に定義されているわけではなく,実際は各裁判
官の心証や犯罪の種類により動的・確率的に変動し,不
と仮定する.ここで Pt は量刑の不確実性であり,
確実性を持っている.こういった状況下で,刑をできる
dPt = µPt dt + σPt dZt , P (0) = P0
(2)
だけ軽減するために,被告側は公判において立証活動を
行ない,公判外では被害者側との示談交渉を行なう.判
なる幾何ブラウン運動に従うとする.ここで µ はドリフ
決後,刑を不当と判断すれば,上級裁判所に上訴すると
ト,σ はボラティリティ,Zt は標準ブラウン運動である.
いう意思決定の機会を持つ.
次に被告の目的関数を,懲役の金銭換算と訴訟費用の
Rosenberg and Shavell [1] では,訴訟の経済的分析と
合計として期待損失を定義し,これらを最小化するよう
して被告人が裁判を行なうか否かの意思決定を静的に分
に意思決定するものとする.金銭換算の手法として,一ヶ
析している.また,酒井 [2] では我が国の民事訴訟を分析
月あたりの懲役の金銭的価値を K とおく.その他,時刻
し,裁判に伴う様々な不確実性をプロウバティブ・レベ
0–7 の間に発生するキャッシュフローとして,着手金 C0 ,
ルと定義し,原告・被告の立場から,実際の裁判の流れ
毎期発生する弁護士費用 C ,拘留期間に応じて差し引か
を動的に分析している.しかし従来研究では,当事者の
れる拘留保証金 L がある.以上より,被告の行動は期待
意思決定,特に示談・上訴のタイミング,費用,判断基準
損失最小化行動として以下の通り表わされる:
"
!
3
X
M3 K
C −L
V0 ≡ min E0 1{P3 <PA }
+
(1 + r)t
(1 + r)3
Ps ,PA
t=1
!#
7
X
M7 K
C −L
A
+
+ 1{P3 ≥PA }
+
(1 + r)t
(1 + r)7
(1 + r)3
を動的に分析していない.
本研究では,刑事訴訟を対象に,示談の選択,上訴の
選択をオプションと見立てる.その上で,示談選択及び
上訴選択をオプションと見立て,被告人の刑事訴訟中に
t=1
おける動的な意思決定問題として定式化し,量刑の不確
実性下での最適な意思決定を分析する.
2. 提案モデル
2.1. 状況設定と定式化
本研究では,被告の行動は図 1 の状況設定をもとに進
+C0 s.t. (1), (2).
(3)
2.2. 解法
式 (3) で定式化された問題を実際に解こう.示談の有
無及び上訴の有無の意思決定は,1 時点後の意思決定を考
められる.まず時刻 0 を訴訟開始時点とし,時刻 1–3 を下
慮したコンパウンド・オプションと捉えることができる.
級裁判所における各公判の回数と定め,時刻 3 の最終公
各時刻の期待損失値を計算するために,時刻 0 から時刻
判の直後に判決が決定するものとする.具体的には,時
7 まで前向きに Pt の計算を行なう.この時,確率過程を
刻 0 で検察側が裁判所に対して被告に対する求刑 J を訴
離散的に表現した三項ツリーを用いる.
え,1–3 回の公判をそれぞれ終了後,時刻 3 で求刑に対す
る懲役 M3 が決定される. また,時刻 0–2 の間に被告は
示談が可能である.示談では,被害者側に示談金 S を支
払い一定の割合 α で減刑することができる.また,判決
後時刻 3 において,被告にとって刑が不服ならば,上訴
次に,時刻 7 から時刻 4 まで,1 時点前から算出され
る期待損失値を導出する:
V7 =M7 K + C7 − L7 ,
Vt =
E(Vt+1 )
.
1+r
(4)
(5)
1
A0.8
表 1. 説明変数
項目
項目
項目
項目
x1 余罪数 x3 被害額 x5 殺人 x7 放火
x2
σ
µ
α
前科
0.31
0.05
0.57
J
A
S
x4 計画性 x6 強盗 x8 強姦
表 2.
51.4
7.5
25.0
パラメータ値
[月]
C 3.0
[十万円] L 1.5
[十万円]
[十万円]
[十万円]
その後,時刻 3 で終了する場合と,上訴し時刻 4 に進む
場合を比較し,期待損失値が最小となる方を選択する:
–
»
E(V4 )
+ A + C3 − L3 .
(6)
V3 = min M3 K,
1+r
Pe
ul 0.6
aV
la 0.4
ep
p0.2
A
0
0
えたものとを比較し,期待損失値の小さい方を選択する:
»
–
E(Vt+1 )
α
Vt = min
,
E(Vt+1 ) + S + Ct − Lt . (7)
1+r 1+r
0.2
0.3
0.4
Volatility σ (A)
S 0.5
Pe 0.4
lua
Vt 0.3
ne 0.2
m
elt 0.1
te
S 0
t
0.5
=2
=1
t
0
次に時刻 0–2 において,1 時点前から算出される期待損失
値と,それらに示談に伴う減刑率 α を掛け示談金 S を加
0.1
0.1
0.2
0.3
0.4
Volatility σ (B)
0.5
図 3. ボラティリティと各閾値の関係 (A) 上訴 (B) 示談
が選択される.図 3 は,ボラティリティの変化に伴う各
閾値の変化を表している.図 3(A) より上訴閾値に関して
は,ボラティリティの増大に伴い増大し,0.35 の前後で
ほぼ 1 になる.量刑の不確実性が増大すると,訴訟進行
最後に時刻 0 において,刑事訴訟の評価値が算出される.
2.3. パラメータ推定
の行方が被告にとって予測困難になる.これにより,ボ
ラティリティが小さい場合と比較して懲役が求刑にほぼ
ボラティリティσ の推定に関しては,裁判所ホームペー
等しくなり,被告が上訴を選択することはなくなる.ま
ジ上のデータを用いる.懲役 y を目的変数,表 1 の要因
た,図 3(B) より,示談閾値についても同様に, ボラティ
x1 –x8 を説明変数としてべき乗回帰分析を行ない,導出
リティの増大に伴い増加する.また,時刻 1 と時刻 2 を
された標準誤差を平均公判回数の平方根で除したものを
比較すると,時刻 1 の値が,ボラティリティの全ての値
ボラティリティとして用いる.また,懲役月数の金銭価
において時刻 2 を上回っている.これにより,時間の経
値 K を拘留に伴う補償額 L と同額と仮定し,その他のパ
過に伴い,同じボラティリティの下では,被告が示談を
ラメータも含め,表 2 のように設定する.
選択する量刑の基準は減少すると考えられる.
3. 結果
各時刻における意思決定の結果を図 2 に示す.上訴閾
値 PA は 0.58 となり,懲役が求刑の 0.58 倍を上回ると
被告は上訴を選択する.また時刻 1,2 の示談閾値 PS は
0.19,0.15 となり,この値を上回ると被告は示談を選択す
る.共に,被告の刑がより重くなる状況で,示談・上訴
184.03
158.62
期待損害値(十万円)
最適意思決定
139.51
137.73
53.57
示談
示談 示談
35.48
41.78
示談 示談
32.98
37.26
示談無 示談
33.51
示談無
38.45
35.43
示談
47.12
------85.45
105.08
上訴 ------71.40
120.59
上訴 ------59.79
89.82
上訴断念 ------50.19
上訴断念
41.97
上訴断念
35.22
上訴断念
29.69
上訴断念
------135.26
------102.33
------117.25
------82.42
------68.85
-------
------134.39
------127.61
------97.81
------106.38
------72.83
------63.45
------55.52
-------
図 2. 意志決定結果と刑事訴訟の評価値
終了
終了
129.02
終了
108.45
終了
91.45
終了
77.40
終了
65.79
終了
56.19
終了
47.97
終了
41.22
終了
153.91
4. おわりに
本研究では量刑の不確実性を考慮することによって,オ
プション価値を含めた被告の意思決定分析を行ない,上
訴・示談の基準となる値を導出できた.これにより,被
告人がどのような量刑の下で,示談・上訴を選択するか
が分析できた.
今後の課題としては,原告の立場から,訴え取り下げ
をオプションと捉えた分析などが考えられる.
参考文献
[1] Rosenberg, D. and Shavell, S.: “A Solution to the
Problem of Nuisance Suits: The Option to Have the
Court Bar Settlement,” International Review of Law
and Economics, Vol. 49, pp. 135–144 (2004)
「複数の不確実性を考慮した民事訴訟の
[2] 酒井雅弘,
価値評価」,法と経済学会,第 4 回全国大会研究発表
論文梗概集,pp. 51–86 (2006)