2016 4 Journal of Industry-Academia-Government Collaboration Vol.12 No.4 2016 特集 https://sangakukan.jp/journal/ 宇宙航空技術を産学官連携で 身近なものにする ■ 探査機「はやぶさ」 の電力制御技術を 暮らしに役立てる 国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構 シニアフェロー、 川口淳一郎 宇宙科学研究所 宇宙飛翔工学研究系 教授 ■ 宇宙航空技術で挑んだキャパシタ蓄電装置の開発 ■ 酷暑下作業を支援する宇宙服技術を応用した冷却ベストの開発 ■ 宇宙食技術を備蓄用保存食に活かす ■ カーボンナノチューブ複合材料のスポーツ・レジャー分野への活用 メディカルキャピタル、テネシー州 ─ ナッシュビルとメンフィスの医療クラスター─ シリーズ 知的財産を活用する ─ 大学の研究成果を外国出願する際の留意点 ─ 巻 頭 言 産学連携による化学人材育成 西出徹雄… ……… 3 特 集 宇宙航空技術を産学官連携で身近なものにする CONTENTS 探査機「はやぶさ」の電力制御技術を暮らしに役立てる 宇宙航空技術で挑んだキャパシタ蓄電装置の開発 伊藤和重… ……… 9 酷暑下作業を支援する 宇宙服技術を応用した冷却ベストの開発 谷山洪栄… …… 12 宇宙食技術を備蓄用保存食に活かす 伊藤秀朗… …… 15 カーボンナノチューブ複合材料の スポーツ・レジャー分野への活用 江戸時代のイノベーター平賀源内に学ぶ オープン・イノベーションの秘訣 川口淳一郎… ……… 4 … …… 17 出川 通… …… 19 海外トレンド メディカルキャピタル、テネシー州 ─ ナッシュビルとメンフィスの医療クラスター ─ 研究者リレーエッセイ 神経変性疾患の克服をめざして シリーズ 知的財産を活用する 第 6 回 大学の研究成果を外国出願する際の留意点 視 点 研究者の社会リテラシーと文理融合/ 花は何処に行った 2 Vol.12 No.4 2016 松田一敬… …… 22 祖父江 元… …… 25 髙津一也… …… 27 … …… 31 巻 頭 言 ■産学連携による化学人材育成 西出 徹雄 にしで てつお 一般社団法人日本化学工業協会 専務理事 化学の分野では、従来、多様なテーマの研究開発が国家プロジェクトとして産学官連携により推 進されてきました。近年の日本人研究者の受賞したノーベル化学賞、物理学賞を見ると、産学官連 携がその基盤を支えており、社会への大きな貢献が評価されています。こうした高い研究レベルと それを基盤にした産業の競争力を将来とも維持、発展させていく原動力は、何といっても次世代の 人材です。このため日本化学工業協会では、2011 年から産学連携による化学人材育成プログラム をスタートさせました。発端は 2010 年に報告書をまとめた経済産業省の化学ビジョン研究会での 議論でした。そこでは化学産業の将来の方向軸として、国際展開、高付加価値化、サステイナビリ ティ、技術力の向上の 4 軸を掲げ、技術力の向上に関する課題の一つとして人材育成が提起され ました。また、それ以前にも政府と経済 3 団体、大学の関係団体が協力して、産業人材育成パー トナーシップの検討が 9 分野で行われました。それらを一歩進めて具体化したものです。 スタートした化学人材育成プログラムは、博士課程後期を修了して産業界で活躍する人材の育成 を目的として、化学企業 37 社から提供される毎年約 1 億円の資金で運用されています。国際機関 の管理職ポストが博士号を前提にしているように、国際社会では博士号が一定レベルの人材である 証となっています。しかし、日本では、博士課程の教育が必ずしも産業界の期待する人材ニーズと 適合していないこともあって、企業としても積極的な博士採用を思いとどまる傾向にありました。 そこで、研究分野についての深い専門性を有するとともに、国際性、コミュニケーション能力、 リーダーシップ力のある人材が増えることを期待して、そのためのカリキュラムが充実した大学院 の専攻を選定して支援しています。2011 年からの 5 年間で 15 大学院の 26 専攻を支援し、さら にその中でも特に優れた専攻に進学しようとしている大学院生(博士課程後期 3 年の各学年 12 人 ずつ)には、毎月 20 万円の奨学金を給付して経済的負担を軽減し、進学しやすくしています。 大学院で研究だけをしていると、研究が全てのように思いがちです。産業界では、研究は企業活 動の一部で、チャレンジングな場が他にも多く存在することを知ってもらうために、これまでも大 学院生と企業との間の就職を前提としない交流促進を図ってきました。今年からは産業の実態や将 来像などを出前授業の形で大学院に提供し、交流の機会を広げていこうと準備を進めています。ま た、国からの博士課程教育リーディングプログラムやスーパーグローバル大学創成支援などの支援 事業を活用して改革に熱心に取り組む専攻がある一方、そうしたプログラムに参加できずにいる専 攻もあり、その格差が広がる現実も見られます。このため、改革の遅れた専攻の支援を強化すると ともに、学部、修士課程まで広げた支援を化学産業としても積極的に推進しようとしています。 ビジネス界で国際競争が厳しくなる一方で、食料、水、資源、エネルギー、環境など、人類共通 の課題の解決が求められ、化学産業にはそれに応えることへの期待がかかっています。高い志と意 欲を持った若い人たちが高い能力を身に付けて化学産業に入ってきてくれることを願っています。 Vol.12 No.4 2016 3 特集 宇宙航空技術を産学官連携で身近なものにする シニアフェロー、 川口淳一郎 国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究所 宇宙飛翔工学研究系 教授 探査機「はやぶさ」 の電力制御技術を 暮らしに役立てる 川口 淳一郎(かわぐち・じゅんいちろう) 国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)シニアフェロー、 宇宙科学研究所宇宙飛翔工学研究系教授、工学博士。1978 年に京 都大学工学部を卒業し、1983 年に東京大学大学院工学系研究科航 空学専攻博士課程を修了。同年に旧文部省宇宙科学研究所に助手と して着任、2000 年に教授に就任、2011 年よりシニアフェローを 務める。宇宙科学研究所においてハレー彗星探査試験機「さきがけ」、 工学実験衛星 「ひてん」、火星探査機 「のぞみ」 などの計画に携わり、 工学実験探査機 「はやぶさ」 では、プロジェクトマネージャーを務 めた。著書に「はやぶさ、そうまでして君は〜生みの親がはじめて 明かすプロジェクト秘話」(宝島社)、「はやぶさ式思考法 : 創造的仕 事のための 24 章」(新潮文庫)、「閃く脳の作り方 飛躍を起こすの に必要な 11 のこと」(飛鳥新社)などがある。 2003年5月に打ち上げられた工学実験探査機「はやぶさ」は、小惑星イトカワに到達して観測と サンプル採取をした後、2010年6月に地球の大気圏に再突入し、サンプルを地球に届けた。そ の経緯は書籍だけでなく、映画やTVなどでも紹介されている。この計画のプロジェクトマネー ジャーを務めた川口淳一郎氏が、いま探査機の電力制御技術を応用した新しいシステムとそれを実 証する装置を考案し、ベンチャーを立ち上げて暮らしに役立てようとしている。 人工衛星は宇宙の 「ゼロエネルギーハウス」 ― 地上では、電力会社が最大使用電力(ピーク電力)に合わせて発電施設を作っていて、 施設はどんどん巨大化しています。一方、 「はやぶさ」に限りませんが、探査機や人工 衛星の電力は限られています。発電能力は太陽電池で決まっていますが、使う量はそ の都度変わります。 川口 そうですね。人工衛星は全部その中でマネジメントしているのです。最 近、外部からのエネルギー供給を必要としない住宅「ゼロエネルギーハウス (ZEH) 」を、政府も一所懸命うたっていますが *1 、それも同じです。ゼロエネ ルギーハウスが目指していることは、言ってみれば人工衛星になりなさいという ことです。一軒一軒が太陽電池を付け、電池を設けて、全部そこで賄える生活を 4 Vol.12 No.4 2016 * 1 経済産業省 ニュースリリー ス .“「ZEH ロードマップ」を とりまとめました” . http:// www.meti.go.jp/press/ 2015/12/20151217003/ 20151217003.html 特集 しようというわけです。 ― それは可能ですか。 川口 コストを考えなければ、答えはイエスです。必要量を賄う大きな太陽電池 を付ければできるに決まっていますよね。でもこれは現実的ではありません。問 題を解決するには人工衛星が参考になります。 人工衛星にはブレーカーがありません。ブレーカーが付いていたとして、そ れが落ちるとコンピューターも止まって人工衛星が死んでしまうからです(笑) 。 ですから、人工衛星にはブレーカーはないのですが、似たような仕組みはありま す。電源は落としませんが、アンダー・ボルテージ・コントロール(UVC)と 呼んでいる装置が付いています。電力をたくさん使うと電圧が下がります。電圧 が下がるのを検出すると、この装置はそのときに電気を一番使用している機器を 強制的に切るという制御をします。これは、デマンドコントロールと呼ばれま す。使用電力が発電能力を超えそうになったとき、全電力喪失を防ぐために何か を切ってピークカットするのです。このようなデマンドコントロールは、以前か ら事業所などで使われています。 現実のゼロエネルギーハウスではピークカット装置が必須です。ピークカット しないと、昼間でも太陽電池の発電能力以上になると突然ブレーカーが落ちます し、電池から不足分を供給しても、電池が空になると停電が起きます。 人工衛星の電力制御技術を地上で活かす ― 今年の 1 月に科学技術振興機構(JST)の新技術説明会で発表されたスマートブレー カー* 2 は、人工衛星の電力制御技術を具体化したものですね。 * 2 http://shingi.jst.go.jp/ abst/p/15/jaxa/jaxa01. pdf 川口 スマートブレーカーは、ある種、人工衛星の UVC と同じで、電力を使い 過ぎたときに作動する賢いブレーカーです。一番影響の大きいものをとにかく切 ります。それを自動でできるようにした装置です。ゼロエネルギーハウスを普及 させていくには必須の装置です。 これまでの電力制御システムは、 端末(監視装置)の情報を中央に集 センシングモジュール (右) 、メディアコンバー ター (中) 、アダプターブレーカー (左)の例 コンセント/機器単位のブレーカー めて演算処理し、そののち端末を制 御するという、クライアント-サー バー型でした。この方式の欠点は端 末の数が増えると情報通信量が増 え、制御速度が遅くなることです。 実は、ピークカットで制御しよう としているのは「総使用電力量」と いう一つの量だけです。たった一つ の量しか制御しないのであれば、全 写真 1 スマートブレーカーシステム Vol.12 No.4 2016 5 端末と通信する必要はなく、サーバーも必要ないのです。総使用電力量を測り、 上限値との差を各端末に一斉に知らせる(同報通信)と、その情報を受け取った 各端末が、それぞれ使用電力を調整するようにすればいいのです。これなら、端 末が 10 万個だろうが 100 万個だろうが、同報通信で瞬時に制御ができるはず です。 これを具体化したのがスマートブレーカーシステムです(写真 1) 。 ― 例えば、A さん宅には大きなエアコンと小さな冷蔵庫、B さん宅には大きな冷蔵庫と 小さなエアコンがある場合、スマートブレーカーはいずれも使用電力が大きい方から 切るのですか。 川口 スマートブレーカーは、何から順番に切るかという情報は何も入っていま せん。スマートブレーカーには、第一世代と、第二世代の高機能版があります。 第一世代のものは、使用電力が超過しそうになったときに、瞬時に一番電力を 使っているものから順番に自動的に切っていきます。どれが一番電気を使ってい るかというのは、調べる必要はないというのがスマートブレーカーの魔法です。 クライアント-サーバー型方式だと、どれが一番電力を使っているかをまず調 べますよね。結果を並べてみて、これが一番使っているから切るということを やっていたら、時間がかかってブレーカーが先に落ちてしまうのです。スマート ブレーカーは、そういうことをしていません。そろそろ危ないという情報を端末 が受け取ると、その下にある機器を独自に制御します。そこで、このシステムの 方式を独立分散並列処理と呼んでいます。 A さん宅と B さん宅は、同じものを設置しておくだけです。A さん宅のエアコ ンの使用電力がたまたま大きければ、エアコンが先に切れるということです。同 じように B さん宅が大型冷蔵庫なら、それが切れます。それが自動的にできるの です。情報を集めてくる監視装置が要らないのが特徴です。それが第一世代です。 第二世代の高機能版はもっと賢くなりました。例えば、家庭で 30 アンペアの 契約をしている場合、25 アンペアのエアコンを入れていてもブレーカーは落ち ませんが、そのときにたまたま 10 アンペアのヘアドライヤーを使い始めたら、 使用電力がオーバーしてブレーカーが落ちます。そのときにどれを切ったらいい かです。本当は超過する原因になったヘアドライヤーを切ればいいんですが、一 番電力を使用しているのはエアコンなので、第一世代のものは原因となったもの から切ります。でもエアコンを切っては不便ですよね。第二世代の高機能版は、 きっかけになったヘアドライヤーから切っていきます。これも中央制御装置が要 りません。 ― 家庭でブレーカーが落ちても上げればいいだけなのではないでしょうか。 川口 枝の方が切れる分にはそうです。例えば、1 階のリビングとか、寝室とい う部屋単位のブレーカーです。それが落ちる分には上げればいいですよね。と ころが、1 個 1 個は守備範囲でも、合計すると容量を超える場合は大もとが落ち ます。大もとが落ちるといろいろなものに影響して不便になります。例えば TV の時計などはリセットが必要になります。 6 Vol.12 No.4 2016 特集 ― スマートブレーカーを一般の家庭に導入するとどんなメリットがあ りますか。 川口 電気料金は契約アンペアによって異なります。一般の家庭 ではその家庭での最大使用アンペア、つまり全部を一緒に使って も大丈夫なような契約アンペアを決めています。でも全部を一緒 に使うことはまれです。60 アンペアで契約していてもたいてい は 40 アンペア以下の使用量です。それなら、最初から 40 アン ペアで契約すれば電気料金が安くなる可能性があります。毎月の 料金差は数百円程度ですが、年間ではその 12 倍になります。ス マートブレーカーを導入しても数年で元が取れます。 ― 家庭でも停電は不便ですが、停電で一番困るのは電力会社ではないでしょうか。電力 の使用量が過剰になってシステム障害が起き、2003 年にニューヨークなどで起こっ たような大停電になると大変です。 川口 電力会社の電気は巨大なタービンを回して発電しています。定常運転は容 易ですが、回転数を簡単に上げたり下げたりできないんです。例えば、負荷が大 きくなって回転数が落ちてくると、発電所は、燃やす燃料を増やして回転を維持 しようとしますが、限界があります。最後はシステムがダウンして停止するしか なくなってしまいます。ほんのわずかの変化にしか対応できないのです。 ― それなら、電力会社が各家庭にスマートブレーカーを設置すれば、電力の使用量が過 剰になりそうなときも制御できますね。最大使用電力を見込んだ設備も要らなくなり ます。 川口 そうなると思いますよ。電力を規制する基準があって、それを満たしてい れば制御できますと電気事業者は言います。その基準値は、電気事業者が任意に 決めていいんですね。逆に言うと、基準値を受け入れる家庭の電力料金を安くす るというようなサービスも可能なはずです。今年から電力自由化が始まります が、電力自由化で期待したいのは、そういうサービスが始まることです。 ― スマートブレーカーも、規格を統一して、電力会社が各家庭に設置するということに なれば、大量生産もでき、安くなりますね。 川口 何分の 1 かになると思います。また、そうやってフレキシブルに契約を 結んでくれる人の電気料金を安くすれば双方にとって Win-Win ですよね。 ベンチャーとしての壁 ― スマートブレーカーを事業化するために昨年ベンチャーを設立されました。 川口 スマートブレーカーの基となっている宇宙航空研究開発機構(JAXA)の 電力制御の特許の普及と促進を図るため、昨年 5 月に JAXA 内の支援制度の下、 Vol.12 No.4 2016 7 ベンチャー PCONIX 社を設立しました。しかし、Win-Win と いっても歩みはまだまだです。PCONIX は事業を開始していな い開店休業状態で、JAXA からの支援も受けていないのが実情 です。 JAXA ベンチャー支援制度は、JAXA 職員が JAXA 知財の活 用促進のため起業するのを支援する制度で、出資する仕組みがあ りません。そもそも JAXA は法律で、出資することが認められ ていないのです。起業にチャレンジしようという職員のメリット が見える制度にしていかないと、後に続く者が出てこないので、 いろいろと改善していく必要があると思います。 もう一つは、JAXA の知財の活用制度です。税金で作った知財 を誰でも使えるようにするため、ライセンスは、原則、非独占と なっています。そのため不平等はないですが、事業化において は、必ずしも正解とは言えません。今後は独占ライセンスを積極 的に行っていくことも考えていかないと、最初に取り組もうという人が出てきま せん。 ― 研究は論文を書くことが大事ですが、事業の場合はもうけることも大事ですね。 川口 そうですね。取り組まれる方にメリットがないとやらないですし、働きに 応じてもうかるスキームがないと意欲も出てきません。 実は、エアコンにスマートブレーカーを簡単に載せられるのです。コンセント 型のスマートブレーカーをつくるよりも、エアコンに載せるほうがはるかに簡単 にできますよと提案したのが 1 年前です。JAXA もホームページに載せていま す。しかし日本の会社は、売れるかどうか分からないものはつくらないのです。 売れたらつくる。だから、鶏と卵なんです。その繰り返しです。 スマートブレーカーは、技術的な課題はないのです。やろうと思えばすぐでき るので、ハードルは高くはないはずなんですけど、物事がうまく転がらないん だったらしようがないかなというような悩みがあります。そういう苦しみ方をし て 1 年がたちました(笑) 。 ― JAXA 以外の機関からの出資を募るのは可能なのですか。 川口 可能です。製品化するのに必要な資金はそれほど大きくなくてもよいと考 えています。 スマートブレーカーは大企業でなくともつくれます。あとは、ビジネスをする かどうかだけです。残念なのは、電力自由化までに事業化できればいいかなと 思っていましたが、そうなっていないことです。でも、電力自由化をきっかけ に、電力ピークをきちんと管理できて、ゼロエネルギーハウスにも通じる新しい 電力の供給方法が、契約の方法も含めて出来上がることが、ある種の夢でもあ り、あってほしい姿だと思っています。 (取材・構成:編集部 田井宏和) 8 Vol.12 No.4 2016 特集 宇宙航空技術を産学官連携で身近なものにする 特集 宇宙航空技術で挑んだ キャパシタ蓄電装置の開発 コンデンサー用電極箔(はく)の専業メーカーの技術と、国立研究開発法人宇宙 航空研究開発機構(JAXA)の蓄電デバイスの電圧均等化技術を融合させて生ま れたのが、キャパシタ蓄電装置である。 ■コンデンサー用電極箔の専業メーカーとして 日本蓄電器工業株式会社(以下「当社」 )は、1957 年 5 月の創業以来、アル ミニウム電解コンデンサー用電極箔の製造販売を専業としてきたメーカーであ る。当社の電極箔は、国内外のコンデンサーメーカーに使用され、あらゆる電気 機器に搭載されている。 伊藤 和重 いとう かずしげ 日本蓄電器工業株式会社 事業化推進部 電源グルー プ グループ長 アルミニウム電解コンデンサーの特性を左右する要素技術が電極箔である。こ の電極箔の技術開発は、大きく二つに分類される。一つは、単位面積当たりの 容量を大きくする拡面処理技術(エッチング) 、もう一つは、誘電体として機能 する皮膜処理技術(機能性皮膜形成)である(図 1) 。これらの技術の優位性は、 今日でも揺るぎないものであり、そこには社是である「独創的技術で社会に貢献 する」思想が脈々と受け継がれている。また、この技術を駆使した製品を世の中 に出すため、その製造装置を社内開発していることも当社の特徴である。 図 1 拡面処理技術(エッチング)と皮膜処理技術(機能性皮膜形成)概略(©日本蓄電器工業株式会社) Vol.12 No.4 2016 9 ■キャパシタ蓄電装置開発における産学官連携のきっかけ 経済環境のグローバル化に伴って電極箔市場の競争が激化していた最中の 2008 年当時、当社の一部門で自社の強みを生かすべく、電極箔事業の周辺領域 で新たな事業分野を模索していた。このようなとき、別件で東京工業大学発ベン チャーである有限会社新技術マネイジメントの研究内容に興味を持った当社の社 員が代表者に面会したところ、その方が宇宙航空研究開発機構(JAXA)の特許 コーディネーターも兼任されていることが分った。そこで紹介された技術の一つ が、蓄電デバイスの電圧均等化に関する技術である。 蓄電デバイス 1 個の電圧は、たかだか数 V 程度であるため、実用には複数の 蓄電デバイスを直並列に接続する必要がある。このとき、各蓄電デバイスの電圧 が不均一であれば利用可能なエネルギーが減少し、装置の短寿命化につながる。 これを防ぐために電圧均等化技術が必要とされる。当時もさまざまな電圧均等化 技術が考案されていたが、紹介された技術は、非常にシンプルで応用範囲が広い と確信した。また、この技術とキャパシタを利用した蓄電装置は、当社の電極箔 事業領域の川下に該当し、電極箔事業との相乗効果が期待された。 ■製品化したキャパシタ蓄電装置の概要 製品化したキャパシタ蓄電装置は、電気二重層キャパシタを搭載した無停電電 源装置の第一弾であり、「厳しい環境やメンテナンスの困難な場所に設置する、 小型の情報機器・計測機器・防災機器の停電対策」をターゲットとしている。電 気二重層キャパシタ単体の優位な特徴である「サイクル寿命の長さ、使用温度範 囲の広さ、パワー密度の大きさ」を生かし、JAXA の電圧均等化技術により蓄電 装置としての「長寿命化、省エネ化、高信頼化」を成し得たものである。本装置 は、使用温度領域が広く、かつ長寿命・メンテナンスフリーな製品であることを 長所としている。 これら装置は、全て DC(直流)対応であり、最大出力 28W で出力容量 20Wh(48V、24V) 、10Wh(48V、24V) 、5Wh(48V、24V、12V)をラ インアップしている(写真 1) 。使用環境温度は−20 〜 60℃、期待寿命は 10 年 以上(35℃以下) 、ノイズ規制対応は EN55022 クラス A に準拠している。48V タイプは、CE マーキング* 1 適合品でもある。また、バイパス運転機能(入力を そのまま出力する機能)や装置異常時のアラーム出力機能などを搭載している。 20Wh Type 10Wh Type * 1 製品を欧州(EU)に輸出す る際、必要になるマーク。製 品が適用を受けるすべての 欧州規則や法律などを満た している証として、製品に貼 付することが義務付けられ ている。 5Wh Type 写真 1 電気二重層キャパシタ搭載 無停電電源装置 Capacitor UPS-J シリーズ(©日本蓄電器工業株式会社) 10 Vol.12 No.4 2016 特集 ■共同研究を進める上で力を注いだこと 研究対象とした技術は、電圧均等化の基本技術(原理)の応用である。この基 本技術の有用性を認識した当社にとって、この技術を利用した製品の方向性をい かに早く見いだすことができるかが重要であった。そのため、既存の開発案件と の掛け持ちは無理であると判断し、当初、2 人が専任でこの研究に当たった。ま た、その期間を 1 年とした。 共同研究に際しては、将来の大まかな製品像を描きつつ、実回路における試作 実験を当社が担当し、JAXA に回路動作解析をサポートしていただくことで進め てきた。つまり、実験と理論の両方から攻め、製品化の方向性を見いだすことに 専念した。 この結果、共同研究開始後の早い段階で、DC 装置のみならず、AC(交流) 装置への技術展開も見据えた製品化の方向性を見いだすことができた。さらに、 この基本技術の特徴を応用展開した 2 件の技術を特許出願(共同出願)に結び 付けることができた。 ■苦労した CEマークへの適合 電気二重層キャパシタを搭載した蓄電装置の開発過程において、JAXA の電圧 均等化技術を利用した試作機の製作は、比較的スムーズに進めることができた。 しかし、製品としての信頼性の確保に、相当の労力と時間を費やした。 その一つが海外展開を想定した CE マークへの適合であり、当社にとって初め ての対応であった。特に、CE マークに要求されている電磁環境適合性は、設計 段階で想定して対応したつもりが、実際の試験で否となることが多々あった。こ れを見込んで中途採用していた経験のある人と共同作業をしながら、試作機の改 良と試験場に通う日々が続いた。経験が重要視される試行錯誤の地道な作業では あったが、貴重な時間でもあった。 ■通信機能を守るバックアップ電源として 震災に起因した大規模停電により、多くの通信機能が奪われた事実は、記憶に 新しい。今日の高度に発達した情報化社会において、通信機能の消失は、人々の パニックや二次災害を誘発する要因となる。この通信機能を守る一助として、本 製品が役割を果たすことが重要である。そのための主要市場は、国内外を問わ ず、屋外に設置される電力監視機器、防災機器、通信機器、計測機器の電源バッ クアップを目的とした社会インフラ分野である。国内実績の一例としては、鉄道 事業者向けに、長寿命を求められる電力系通信システムのバックアップ電源に採 用されている。また、海外は、ドイツやチェコの通信、鉄道関連会社に提案して おり、そこで本製品を評価している段階である。 今後は、電気二重層キャパシタを搭載した蓄電装置のラインアップの拡充を図るこ とで、幅広い顧客要望に応えていく予定であり、第二弾の製品投入を準備している。 Vol.12 No.4 2016 11 特集 宇宙航空技術を産学官連携で身近なものにする 酷暑下作業を支援する 宇宙服技術を応用した冷却ベストの開発 酷暑下の作業は熱中症などの危険を伴う。これを防ぐために開発されたのが、宇 宙服技術を応用した冷却ベストである。 ■世界で唯一のユニフォームの研究開発団体 公益財団法人日本ユニフォームセンター(略称 NUC(ナック) 、以下「当法人」 ) は、衣料の ESH(Environment, Safety, Health:環境、安全、健康)に関する 谷山 洪栄 課題を解決し、ユニフォームの普及と勤労者の福祉向上に寄与することを使命と たにやま こうえい して、高機能衣料の改善・改良 ・ 開発に取り組んでいる。ユニフォームのコンサ 公益財団法人日本ユニ フォームセンター 公益部 門 業務部 部長代理 ルティングを通して、官公庁、鉄道、銀行などの接客性の高いサービス業から、 高機能性や安全性が要求される電力・ガス、製造業などの ユニフォーム、世界イベントにおいて日本を代表する方々 が着用する制服まで、幅広く開発している。 2008 年度より、国立研究開発法人宇宙航空研究開発機 構(JAXA)次世代先端宇宙服の研究に参画し、長年にわ たるユニフォーム研究で培ったパターン設計や縫製技術で 次世代先端宇宙服用冷却下着の研究をサポートした (図 1) 。 ■ JAXAオープンラボ公募制度で共同開発 図 1 JAXA 連携のきっかけとなった開発 地球温暖化が進む中、国内の熱中症による救急搬送人員は全国で 4 万人以上 (2012 年夏季/消防庁発表)に上り、職場での熱中症による死傷災害も後を絶 たない。国内でのユニフォームのクールビズ期間は 6 カ月にもなり、職種に限 らず暑さ対策に関するニーズが年々増加している。 一般の衣料は、デザインや高機能素材の活用と、通気性や吸湿性、速乾性を高 めたり、生地を薄くして軽量化することなどによって、ある程度、暑さに対応で きる。しかし酷暑下の暑さ対策としては限界がある。冷却ベストはその解決策の 一つになるものである。 従来の冷却ベストは、保冷材使用タイプと冷却水循環タイプの 2 種類に分か れるが、どちらも重量がある上に身体への密着性が低かった。また冷却箇所にム ラがあったり、冷却効率が低く、着用感が良くないという問題があった。 一方、JAXA 次世代先端宇宙服用冷却下着は、身体を効率良く冷却するように チューブの長さ、本数、冷却部位が設計されている。冷却下着と肌とを密着させ る手法を採用し、汗を短時間で吸収、蒸発させて残存汗によるべたつきをなくし 快適性を確保した仕様となっている。この宇宙服技術を民生転用したいと考えた。 12 Vol.12 No.4 2016 特集 ■民生化への研究開発のユニットリーダーとして JAXA との共同開発ができる JAXA オープンラボ公募制 度に、「宇宙用冷却下着の民生化に向けた検討及び改良の実 施」という当法人のビジネス提案が選定された。チューブを 張り巡らせたベストに氷で冷却した水を循環させて身体を冷 却し、暑熱下における熱中症対策に効果を発揮する冷却ベス トの提案である。当法人がユニットリーダーとなり、帝国繊 維株式会社と株式会社エイ・イー・エスをパートナーに迎え て、消防分野に適した仕様への研究開発からスタートした。 普段、消防士は活動服(作業服)の上下を着用しているが、 図 2 ターゲット(消防)の選定結果 出動内容に合わせて 3 種の服を使い分けている。調査を繰 り返し、三つの中から冷却下着の効果を最大限に発揮できる化学防護服に絞り込 み、確実に成果を挙げることにした(図 2)。 研究期間は実質約 3 カ月。実施計画は、①冷却下着試作品の設計・製作、② 第一次性能評価、③調整、④第二次性能評価、⑤成果まとめ、とした。 ■高機能衣料の3 要素+経済性 共同研究に当たっては三つの目標を掲げた(図 3) 。緻密で繊細に作られてい る宇宙服用冷却下着は性能も外観も優れているが、当然高価になる。これを民生 化するために、高機能衣料開発で重要な 3 要素+経済性を当てはめた。すなわ ち、高い冷却力と着用感に優れた「機能性」を発揮するとと もに、宇宙技術転用の魅力を充分に伝える上で「審美性」と 「象徴性」を表現する外観デザインにし、普通に作ると軽く 10 万円以上になる販売価格を、その半分以下になるようコ ストダウンを図った。 研究段階でまず始めたことは、冷却ベストのチューブ配管の 設置方法の検討である。7 通りの部分縫い見本を作って検証し た。冷却ベスト着衣部のパターンメーキング(型紙設計)につ いては、宇宙服で 17 パーツになる体幹部を 4 パーツに収めた。 パタンナースタッフには大胆な変更や、考え方を伝えるため、 図 3 共同研究の目標と JAXA の役割 既成概念を取り払うところから始めてもらった。3 種類のプロ トタイプを作製し、評価後、2 種類まで絞り込んだ(図 4)。 ポンプと水冷タンクは冷却時間と重量のトレードオフに悩 みながら、消防士の動作の妨げにならない大きさや装着配置 に工夫を凝らした。 完成した試作品の評価試験は暑熱環境を模した試験空間 で実施した。環境設定を日本の猛暑日の平均最高温度 35 〜 36℃、平均湿度 70%(太陽放射を模擬)とし、高気密性の 化学防護服を着用して、冷却下着ベストの着用と未着用、保 図 4 冷却下着(着衣部) の改良過程 Vol.12 No.4 2016 13 冷材を使った一般市販品の着用の 3 通りを評価した。試作品着 用時と未着用時での衣服内温度は 6.7℃もの差異を確認すること ができた(図 5) 。ワイシャツのボタンを一つ外すことで衣服内 温度が 1 〜 2℃低下するのを考えると、この大きな温度差の魅力 をお分かりいただけると思う。被験者の疲労度合いにも大差が あった。一方、市販のベストは冷却時間も短く、硬い保冷材が身 体に当たって着用感が悪く、局所的にしか冷やさないことから肌 を傷めることが懸念された。 同一の冷却構造設計の試作品を、デザインなどを変えて 2 種 類作製した。外観デザインとソフトな着用感、製造効率などを含 めた総合的な評価から、株式会社島精機製作所のホールガーメン トⓇ(無縫製ニット)を使用した冷却ユニットを本研究の成果品 として終了した。 共同研究では初体験で分からないことも多かった。しかし、科 学的な検証方法など、われわれの弱点は全て JAXA の素晴らし い研究者の方々とユニットメンバーに助けていただき、情熱と感 図 5 冷却ベストの効果 動が強く記憶に残る経験をさせていただいた。 ■製品化された冷却下着ベストと用途 共同研究の終了後、製造販売パートナーの帝国繊維と 1 年かけて試作品を ブラッシュアップし、製品として発売した(図 6) 。この製品は国内の多くの メディアのほか、BBC(英国放送協会)の情報番組などで大きく取り上げら れた。昨年はタイの国営放送 Modernine TV の番組「ANOVATION(アノ ベーション) 」、ドイツのデュッセルドルフで開催された「A + A2015(国際 労働安全機材・技術展) 」で紹介したところ、各国から高い関心が寄せられた。 市販した冷却下着ベスト SCB-14001 は、氷で冷却された水をベスト内に張 (JAXA 新事業促進部ホームページより http://aerospacebiz.jaxa.jp/jp/ case/offer/interview/17/p2.html) 図 6 開発した冷却ベスト りめぐらせたチューブに循環させて身体を冷却し、暑熱下における熱中症対 策に効果を発揮する* 1。特徴は以下の通りである。 ・1 リットルの冷却タンクの使用で約 30 分間持続(環境により異なる) ・着衣部はストレッチ性があり、ソフトな風合い ・汗を短時間で吸収、蒸発させ、べたつきを抑え、快適性を確保 ・制菌作用および防汚機能付で、家庭洗濯可能 この製品のターゲットは、戸外の暑い場所での作業(消防士、建設現場、ビ ニールハウスでの作業) 、施設内の熱い場所や特殊作業(鉄鋼(溶鉱炉) 、石油化 学、自動車関連(溶接現場)など) 、医療現場、スポーツなどのクールダウン用 などである。 現在の販売は、当初よりターゲットとした消防、警備、鉄鋼などの製造業に向 けた SCB-14001 だが、ニーズ別のアプローチとしてカスタマイズ版の研究開発 を行っている。今後は従来のベスト型だけにとどまらず、各部位単位で冷却でき るパーツを開発し、医療分野などへの貢献を目指したいと考えている。 14 Vol.12 No.4 2016 * 1 特許出願中(公開番号:特 開 2015-224411) 特集 宇宙航空技術を産学官連携で身近なものにする 特集 宇宙食技術を備蓄用保存食に活かす 宇宙という「非日常」の世界で、 日常食である「ご飯」を日本人宇宙飛行士に楽 しんでもらおうと新規「アルファ米」が開発された。この技術は地上用の保存食 にも活かされている。 ■長期保存食「アルファ米」の歴史 尾西食品株式会社(以下「当社」)の主な事業は、長期保存食「アルファ米」 の製造と販売である。当社の前身は、昭和 10(1935)年に設立された尾西食品 研究所である。創業者の尾西敏保(はるやす)は、乾燥食品であるせんべいやビ スケットがおいしく、消化もよく、しかも保存ができることに着目し、研究を重 伊藤 秀朗 いとう ひであき 尾西食品株式会社 経営企 画部/営業企画部 担当 部長 ね、水を注ぐだけで食べられる「くず練の素」や「もちの素」を開発した。これ を陸軍や海軍の軍用食糧として納入していたが、さらに軍より「炊かずに食べら れるご飯」の開発を要請され、研究の後に生まれたのが「アルファ米」だった。 アルファ米の「アルファ」は米に含まれるデンプンの状態を示す言葉である。 生米のときの消化しにくい状態を「ベータデンプン」 、炊いて消化しやすくなっ た状態を「アルファデンプン」という。もちを例にとると、つきたてはデンプン がアルファ化しているので食べられるが、冷えて時間がたつと硬くなってベータ 化し、消化しにくくなる。硬くなったもちは、煮たり、焼いたりすると再びアル ファ化して食べられるようになる。 アルファ米は蒸した米を熱風乾燥させて、デンプンのアルファ化状態を保つよ うにしたものである。お湯はもちろん、水を加えても食べられるようになる。第 二次世界大戦時には、6,200 トンのアルファ米が陸軍や海軍に納入された。 戦後、当社のアルファ米は登山用や海外旅行用の携行食、非常用保存食として 生産されていたが、阪神・淡路大震災以降、水を加えるだけで食べられるという 特長が評価され、自治体などを中心に需要が急速に伸びた。 ■宇宙日本食としての新規アルファ米の開発 2005 年に国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)の宇宙日本食プ ロジェクトに参画したのが、JAXA との連携の始まりだった。 宇宙日本食の要件は、①長期保存が可能なこと、②軽量であること、③簡便な 調理で食べられること、④おいしいこと、などだった。①から③は従来のアル ファ米の特長そのものだが、問題は④のおいしいこと、だった。そこで宇宙食と してのアルファ米を JAXA と共同で開発するに当たり、まず、原料米の選定か Vol.12 No.4 2016 15 ら始めた。 宇宙空間では、気圧の関係で味覚鈍化が起こるといわれている。そ のため、普通の米を宇宙食化しても、ご飯の風味を弱く感じてしまう 可能性がある。ご飯の食味、食感を損なわない米を求めて、さまざま な米でアルファ米を製造し、官能テストを繰り返した。その結果、低 アミロース米がよいことが分かった。 低アミロース米はうるち米ともち米の中間的な品種で、粘りが強く、 冷めても固くなりにくいという特性がある。地上でも食味向上を目的 に、ブレンド米として使われている。しかし、低アミロース米はもち 米に近いため、柔らかすぎで、低アミロース米だけでアルファ米を製 造するとおいしくないという欠点もある。米のブレンドをいろいろと 右側のものが左側のパッケージの中に入っている。 写真 1 宇宙日本食「赤飯」 試し、普通のうるち米「あきたこまち」と、宮城県古川農業試験場で 開発されて 2004 年に品種登録された低アミロース米「たきたて」を 組み合わせると、風味豊かで食感のよいアルファ米になることが分 かった。 ■宇宙食の「制限」の克服 宇宙飛行士においしいご飯を食べてもらうために、具材とアルファ 米との配合も考えた。宇宙では味覚鈍化が起こることを考慮し、具材 の量と味を変えて試食テストを繰り返した。最終的に具を少し多めに し、味を若干濃いめにしたものを最適配合とした。 宇宙食でもう一つ苦労したのは酸化の問題である。普通の米もそう だが、アルファ米も少量の脂肪分を含んでいる。時間がたつと空気中 の酸素によって脂肪が酸化し、 風味を損なう原因となる。そこで地上 用は脱酸素剤を同封して酸化を防いでいるが、宇宙用は安全性の観点 から脱酸素剤が使えない。最終的にガスバリアー性の高いフィルムを 用いた真空パックにしてこの問題を解決した。 こうして 2007 年に「白飯」「赤飯」「山菜おこわ」 「おにぎり鮭」 の 4 種のアルファ米製品が宇宙日本食として JAXA に認証された (写真 1) 。 写真 2 アルファ米 炊き出しセット (五目ごはん) ■アルファ米をよりおいしく アルファ米は災害時のための備蓄用保存食(写真 2)となっているだけでなく、 海外旅行者や登山者の携行食として日常的に食されている。宇宙という究極の 「非日常」の世界にいる宇宙飛行士に地上と同様のおいしさを提供できたことは、 当社にとっても、アルファ米にとっても最高の喜びであった。さらに、JAXA と 共同開発したアルファ米製品が宇宙日本食に承認されたことによって、当社アル ファ米の安全性も示すことができた。 今後も、よりおいしいアルファ米を目指して研究開発に取り組んでいきたい。 16 Vol.12 No.4 2016 特集 宇宙航空技術を産学官連携で身近なものにする 特集 カーボンナノチューブ複合材料の スポーツ・レジャー分野への活用 株式会社 GSI クレオスと JAXA との連携で生まれたのがカーボンナノチューブ充 填(じゅうてん)プリプレグである。この画期的な素材のスポーツ・レジャー分 野での採用が進んでいる。開発の経緯などを、柳澤隆氏(株式会社 GSI クレオス ナノテクノロジー開発室長・工学博士)に伺った。 株式会社 GSI クレオスは、1931 年に米国への生糸・絹撚糸(きぬねんし)の 輸出をなりわいとしてスタートし、繊維分野を軸として発展を遂げた商社だ。イ ンナーウエア関連を中心に売り上げの約 8 割を繊維事業が占める。2001 年にグ ンゼ産業株式会社から今の社名に変更した。1950 年代に、靴下編機や繊維関係 の染料・助剤といった非繊維分野の製品を取り扱ったことをきっかけに、工業製 品事業を拡大し、現在では、化学品や機械装置など、幅広い商品を扱っている。 プラモデル用の塗料や工具などのホビー商品も扱っており、プラモデル用塗料で は、業界トップシェアを誇る。 近年は、ハイテク分野への取り組みに注力しており、1990 年代後半からは最 先端炭素材料であるカーボンナノチューブ(CNT)の応用開発を推進してきた。 それをさらに加速させるための研究開発拠点としてナノカーボン開発センターを 設立、産学連携による研究開発を促進し、複合材料および新規塗料分野で CNT の実用化に成功している。塗料分野では、防さび性、耐衝撃性、耐磨耗性などの 点で、従来の塗料では得られなかった各種性能を兼ね備えた世界最強の塗料の開 発に成功した。すでに過酷な腐食環境にある中東地域の石油 ・ ガスなど化学プラ ントでのフィールドテストが進み、今後は発電インフラ、船舶、海洋観測機器、 超長寿命構造物へと用途が広がる見通しである。 ■連携のきっかけとCNT 実用化開発 国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)との連携は、今から 12 年 ほど前、独立行政法人航空宇宙技術研究所(NAL、現 JAXA)から、 「炭素繊維 強化プラスチック(CFRP)の弱点である圧縮強度を、炭素繊維(CF)間の樹 脂内に CNT を分散させることで、改善できるのではないか」という相談を受け たことに始まる。 理論的には可能であるものの、それを製品として実現させるための技術開発に 大変な期間と労力を要した。製造方法の確立に 4 年の歳月を費やし、製品化に こぎ着けたのが、CNT 充填プリプレグ* 1 だ。 CFRP は、引っ張りや曲げには強いが、圧縮には比較的弱い。引っ張りや曲 げでは CF と樹脂の両方の強度が合わさったものになるが、 圧縮では樹脂の強度 * 1 炭素繊維のような繊維材に、 熱硬化性樹脂、硬化剤など を混合して均等に含浸させ て半硬化状態にした強化プ ラスチック材料。 このプリ プレグを積層するなどして目 的の形状をつくる。 Vol.12 No.4 2016 17 だけになってしまうからだ。さらに、CFRP 内の CF 同士を 支えている樹脂部分は、CF の強度に比べてはるかに弱いた め、何らかの衝撃なり力が加わると樹脂内に極めて小さな亀 裂が生じる。問題は、この状態の CFRP が時を経る、あるい は何らかの力が加わり続けることによって、内部の微小亀裂 が進展し、強度が低下することであった。また CF と樹脂の 強度の違いなどにより、樹脂が CF から剥がれてしまい、亀 裂につながるという問題もあった。これらを解決できれば、 CFRP を使用する航空機や自動車などの用途をさらに拡大で きる。 一方、CNT は極小の長い繊維状物質で、樹脂内に分散し づらいという課題があったが、それを任意の長さに調製する ことによって樹脂の中に分散させやすくする加工法を開発し た(写真 1)。これが同社の最大のノウハウで、 その技術を 使って開発されたのが CNT 充填プリプレグである。 ■カーボンナノチューブ「プリプレグ」と製品 写真 1 炭素繊維 (大きな半円) の間に充填した CNT含有樹脂の電子顕微鏡像 JAXA と の 共 同 開 発 の 成 果 で 特 許を取得し、製品化された同社の CNT 充填プリプレグは、すでに自 転車、ゴルフクラブ、テニスラケッ ト、スノーボード、釣りざおなど、 スポーツ・レジャー分野を中心に採 用が進んでいる(写真 2) 。特に自 転車フレームは、世界的な自転車 ブームを背景に市場規模が拡大して いる。これはスポーツ ・ レジャー分 野においても、軽量、高強度・高弾 性の部材が絶えず必要とされている ためである。 圧縮強度や耐衝撃性のような CFRP の弱点の克服は、航空機な 写真 2 スポーツ・レジャー分野で CNT充填プリプレグが使用されている商品群 どの設計自由度を向上させることになる。自動車や航空機のボディーの軽量化を 達成できれば、燃料の節約となり、経費削減や環境負荷軽減を実現できる。 一方で、自動車・航空分野は、ひとたび事故が起これば人命に関わる分野であ り、さらなる性能向上と超長期の性能安定性が求められている。 GSI クレオスは、さらに過酷な宇宙環境でも利用できるレベルへ性能を引き上 げるべく、現在も産学官連携による研究開発に注力している。CNT という先端 材料によって CFRP の機能向上に取り組む GSI クレオスへの期待度は高い。 (取材・構成/本誌編集長 山口泰博) 18 Vol.12 No.4 2016 江戸時代のイノベーター平賀源内に学ぶ オープン・イノベーションの秘訣 平賀源内は発明家としてだけでなく、日本初の物産博覧会を開いて大成功させた ことでも知られる。発想を事業化まで推し進めるその姿勢から学ぶことは多い。 江戸時代に活躍した平賀源内(1728 〜 80)は、エレキテル(摩擦起電器) などを作製した科学者、技術者、発明家としてだけでなく、文学など、多方面で 才能を示した。その驚くべき発想法とマルチな仕事ぶりは、単なるテクノロジス 出川 通 トの枠を超えている。それ故にさまざまな評価をされているが、結果として各種 でがわ とおる 事象を事業化に結び付けていく源内の姿勢は、まさに「イノベーター」と呼ぶに 株式会社テクノ・インテ グレーション 代表取締役 ふさわしい先駆的なものだった。 筆者は、8 年前から源内の生誕地(香川県)で、 「源内ものづくり塾(香川大学) 」 での実践 MOT(技術経営)講師を務める中で、源内の業績に関する知識を深め た。その中で源内を見直してみると、さまざまなことに気付いた。ここでは、江 戸時代の理系イノベーターの原点と、オープン・イノベーション、アライアンス (提携や協力)に絞って、源内を紹介する。 ■イノベーションの土壌と江戸時代のイノベーター 米国では、イノベーションの現場は、大企業でなく、家族的ともいえる小さな 組織のベンチャーであることはよく知られている。それはなぜか? 米国では新 しい価値を生むイノベーションを行うには、ベンチャーという過去にとらわれな い組織をつくって、一つの目標に向かって互いが助け合っていく必要があるから である。 考えてみると、日本の社会には昔から互いに助け合う考え方(互助)が存在し ていた。人々は自分のことばかり考えるのではなく、みんなで助け合うのが当た り前というオープンな精神があったからだろう。これは島国という狭い場所で多 研究 開発 事業化 産業化 科学者 (研究)技術者 (開発)技術者 イノベーター 起業家・アントレプレナー 事業家的経営者 一般経営者 図 1 実践 MOT のステージにおけるイノベーターの位置付け ** 1 ** 1 出川通 . 平賀源内に学ぶイ ノベーターになる方法 . 言視 舎 , 2012, 206p. Vol.12 No.4 2016 19 様な人間たちがうまく混ざり合って生きていくための工夫であり、これはオープ ンなイノベーションを生むベースとなる。 実際に江戸時代を見ていくと、源内の実績がその時代のイノベーションとぴっ たりと重なるというのが、まずは筆者の驚きだった。科学者でも、発明家でも、 事業家でもない中途半端な人物とも評価されていた源内だが、彼を「イノベー ター」と定義するとぴったりくる。源内は、実は現代でもなかなか探せない人材 だったのである(図 1 に実践 MOT で使うイノベーターの位置付けを示す) 。 ■平賀源内のイノベーターの原点とイノベーションの実績 源内は 1728(享保 13)年、讃岐国寒川郡志度浦(現在の香川県さぬき市) で下級武士の三男として生まれた。幼少のころからその才能を高く評価され、 21 歳で家督を継ぐと、24 歳のときに長崎遊学を許される。長崎の地で源内はオ ランダ語や本草学、医学、油絵などを学ぶと同時に、海外から入ってくる物品を 買うために、日本の金銀が大量に流出している様子を目の当たりにする。危機感 を募らせた源内は、それらの物品を見て、 「これなら日本でもつくれるのではな いか」と考え、日本を救うために各種の試行錯誤を開始する。それが彼のイノ ベーターとしてのモチベーションの原点になっている。 江戸に出た源内は、学問とともに日本初の物産博覧会を開いて大成功を収め る。イノベーションという世の中に役立つ新結合のためのプロデューサー役であ り、失敗を恐れない「起業家精神」の発揮でもあった。西洋のものをベースに部 品から自分で工夫して組み立て、その性能を出現させた事例としては量程器(万 歩計)、磁針計、寒暖計などが代表的である。さらに彼のイノベーターたるゆえ んは、それらを「商品」にまですることにある。具体的な例としては、秩父をは じめ全国各地での金・銀・銅・鉄などの鉱山開発事業、炭開発流通事業、源内焼 や大型風船(熱気球) 、金唐革紙、源内櫛(ぐし)の開発と事業化、毛織物製造、 エレキテルの改良とそれを使った興行などがある。いずれも発想を顧客価値の出 現にまで、すなわち社会にまでつないでいる。 ■オープン・イノベーションとアライアンス構成者としての源内 これらの源内の仕事は開発と事業化をまたがるイノベーションのステージと いってもよい。今でも残っているそれらの記録を見ていくと、途中で挫折したも のも含めて、多くの知恵と実践が詰まっており、いろいろな人とのオープンなア ライアンスによってなされている例がほとんどといってよいようだ。 源内は、もともと本草学者として高松藩にいるころから優れたネットワークを 持っていたという記録が残っている。また江戸に出てからも、それを発展しつつ 薬品会を開催、さらにそのネットワークを利用して次々と新たなアライアンスに 展開することが多かったようである。この時代に、実際に長崎に行って世の中の 動き、オランダの各種物品や図書とじかに触れ合った体験を基にして、そこから 発想を実証的に発展させたのである。この時代の知識人、財界人、幕府関係者に 20 Vol.12 No.4 2016 とっても、彼はいわゆるオープン・イノベーションにおけるリソースとして貴重 な人材だったといえる。 さらにいうと、源内ははたから見ているだけで楽しくなるキャラクターを持っ ているが、原点は、いろいろな人との楽しい、うれしいつながりにある。世の中 は、昔も今も、競争と協調の社会でもありうるが、各組織、個人とも、手を替え 品を替え、競争の方に走る傾向が強いのは否めない。しかし、源内の場合は将来 の価値と協調(=アライアンス、連携)の方に配慮がいき、仲間ができていくよ うである。源内にとってオープン・イノベーションは目的ではなくて、手段であ る。他人が喜ぶというのは目的になる。源内の活躍をトレースすると、そのため の気付きが幾つも見いだされる。 ■新商品と自立に役立つイノベーター平賀源内の知恵 イノベーターの極意を持っていた源内を知ることだけでもイノベーション実現 のためのヒントが得られる。言葉を換えると、源内の発想や知恵を現在に持ち帰 ると、その方法や考え方がマネジメントに役立つ。ここではその中で、連携やア ライアンスのための源内の知恵を三つまとめてみた。 1. ビジョン、シナリオをつくり皆を集める能力 ここでいうシナリオとは、いわゆる大義名分、現代の企業などではビジョンと も呼ばれるものである。源内は、日本という国(当時は幕府、朝廷)の財宝であ る金銀資源が西洋の物品代で流出していることを、長崎で目の当たりにした。そ んなことをしなくても日本国内で工夫すればほとんどそろうはずだということ が、「同感できる」シナリオになっていると推測できる。このビジョン、シナリ オのもとで、未来を共有し、皆が集まってくるわけである。 2. 共創の考えと一緒に場を醸成する能力 源内が手掛けた多くの発明品、西洋の改良品、修理品、工夫した模造品などで は、そのすべてともいってよいほどに仲間が存在する。これはいろいろな人から の協力を積極的に仰いだことを示しているし、他者とコンテクスト(文脈)を共 有する場の形成能力が抜群だったのだろう。本来は独創であるべき、陶器、絵 画、戯文などについても、共同作業的になっているのは、まさにこの共創能力が 十分であった証しといえる。 3. コミュニケーション、共有化、説得力 ここでいうコミュニケーションは身近の人だけでなく、殿様とか上位者の考え 方をうまく解釈して説得、納得させて物事を実現する力として捉えてみよう。ま さに、高松藩の藩主松平頼義や幕府老中の田沼意次の意向をうまく解釈する(コ ミュニケーションを行って伝え、育成していく)ことが、源内が重宝され、自己 実現もある程度はできた理由でもあると思う。 平賀源内の行動を貫いているのはイノベーター活動であるが、その中にオープ ン・イノベーション、アライアンス、連携といった方法論へのヒントが満載され ている。一度、視点を江戸時代に戻して、先駆者源内の実践から学ぶべきこと が、まだまだ沢山あると思う** 2。 ** 2 出 川 通 . MANGA 源 内:イ ノベーター平賀源内の肖像 . 言視舎 , 2015, 96p. Vol.12 No.4 2016 21 海外トレンド メディカルキャピタル、テネシー州 ─ナッシュビルとメンフィスの医療クラスター─ 米国テネシー州は医療分野で全米の中心、いわばメディカルキャピタル(医療産 業の首都)である。全米の医療機関のうち、営利企業が運営する病院は全体の 2 割といわれているが、そのうちの 9 割がテネシー州ナッシュビルに本拠地を置く。 ■音楽だけではないナッシュビルとメンフィス 「テネシー」と聞くと読者の皆さんは何を思い浮かべるだろうか? テネシー 松田 一敬 ワルツ。米国カントリーミュージックの中心地ナッシュビル。ソニーミュージッ まつだ いっけい クの本社もナッシュビルにあり、ブロードウェイを歩けば至る所でライブ演奏を 合同会社 SARR 代表執 行社員 聴くことができる。プレスリーや、B. B. キングで有名なブルース発祥の地メン フィス。ここも音楽の街だ。 一方、テネシー州は医療分野で全米の中心、いわばメディカルキャピタル(医 療産業の首都)である。全米の医療機関のうち、営利企業、いわゆる株式会社 が運営する病院は全体の 20% といわれているが、そのうち 90%の本拠がナッ シュビルにある。また、メンフィスはフェデラルエクスプレスの本社があるこ ともあり、全米で最も配送網が発達している都市である。Smith & Nephew、 Medtronic、Wright Med Tec などの医療機器メーカーが軒を並べ、全米でも 屈指の医療機器産業の街となっている。ヘルスケア関係の研究所数は 1,500 を 超え、企業数も約 1,500 社、医療関係機器の輸出額全米第 2 位である。また 11 人に 1 人がヘルスケア産業で雇用され、新規雇 用の 4 分の 1 がこの分野から生み出されている。 ナッシュビルは人口約 66 万人、メンフィスは 人口約 65 万人(テネシー州全体で 655 万人)で ある。今後、ヘルスケア分野の成長が期待される 中、非常に注目を集めている州である。 ■全米最大の病院企業 HCAの拠点 ナッシュビル ナッシュビルを中心とするテネシー州の医療産 業は 2015 年現在、上場している病院企業 15 社 を中心に全世界で 50 万人を雇用、8 兆円の売り 上げを挙げ、地域においても 25 万人の雇用、約 4 兆円の経済効果、税収 2,000 億円を上げてい る一大産業である(表 1)。 この源流は 1968 年、米国で最初の民間営利病 院 Hospital Corporation of America (HCA) が、 続いて General Care Corp. 、Hospital Affiliates 22 Vol.12 No.4 2016 表 1 ナッシュビル拠点のヘルスケア上場企業一覧 企業名 施設数 病床数 総売り上げ 従業員数 証券コード Acadia Healthcare 32 2,100 $375,000,000 6,000 ACHC (NASDAQ) Ardent Health Services 11 1,757 $1,973,635,000 9,031 Behavioral Centers of America 5 339 Capella Healthcare 13 1,617 $691,382,435 6,000 Community Health Systems 134 20,000 $13,600,000,000 88,000 YH (NYSE) HCA Inc. 163 41,594 $30,000,000,000 199,000 HCA (NYSE) Iasis Healthcare 19 44,365 $2,600,000,000 15,000 LifePoint Health 55 6,048 $3,544,600,000 24,000 RegionalCare Hospital Partners 7 1,437 $1,784,073,797 4,818 Saint Thomas Health 4 1,535 $3,434,745,468 6,000 Vanderbilt University Medical Center 4 916 $2,900,000,000 15,873 計 475 88,722 $60,903,436,700 104,497 775 LPNT (NASDAQ) International, Inc.(HAI)が相次いで設立され、また 1970 年には中西部のハー バードといわれる名門ヴァンダービルト大学にメディカルセンターが開設された ことにさかのぼる。この 3 社は後に上場、合併し、HCA の現在の売り上げは 3 兆円と世界最大の病院企業となっている。これ以外にも次々に病院企業が設立さ れるとともに、HCA や大学からスピンアウトが生まれ、いまやナッシュビルの ヘルスケア企業数は 500 社に上る。そのため、ヘルスケア周辺のサービス企業、 弁護士、弁理士、会計士などの専門家、ベンチャーキャピタルなど投資家、金 融機関、そしてヘルスケアマネジメントを教えるヴァンダービルト大学 MBA な ど、医療産業を中心としたエコシステムが形成されてきた(ナッシュビルの医療 産業については Nashville Health Care Council のホームページにあるファミ リーツリー* 1 参照)。ちなみにナッシュビルの病院経営手法は日本における病院 経営の模範となっている。 * 1 http://healthcarecouncil. com/news-publications/ family-tree/ ■起業家を支えるヴァンダービルト大学とアクセラレーター 起業家を支える組織はテネシー州に 数多くある。その中でも最近注目され るのが起業家支援コミュニティーとア クセラレーターの存在である(表 2)。 ヴァンダービルト大学ビジネスス 表 2 テネシー州のアクセラレーター Nashville Entrepreneur Center(EC) ナッシュビル ナッシュビルの中心地に拠点を有するアクセラレーターで、企業 のステージによって、コワーキングスペースから個別オフィスス ペースまでを持っている。また、Google for Entrepreneurs のメン バーになっており、ECに入居する企業は、Googleが提供するソ フトウェアの利用のほかGoogle for Entrepreneursに加盟する15 以上のアクセラレーターを無料で利用することができる。テネシー 州のアクセラレーター支援プログラムからの助成を受けているが、 民間の営利事業として運営されている。 Jumpstart Foundry ナッシュビル EC内に拠点をもつヘルスケア専門のアクセラレーターである。年 間に20社程度を選抜するバッチ形式で、全米、世界から起業家 を集めている。ナッシュビルには世界最大の病院事業者である Hospital Corporation of America (HCA)の本社があり、医療機 器ニーズを得やすいという事が、アドバンテージになっている。 Memphis Bioworks メンフィス 非営利の事業支援組織であり、メンフィスの中心的なインキュ ベーターである。メンフィスに本社を有する FedEx がスポンサー になるロジスティクスアクセラレーター、テネシー州がスポンサー になっている農業アクセラレーター、独自に運営する医療機器ア クセラレーターの三つのプログラムを有する。また、政府のマッチ ングファンド制度を利用した投資ファンドも持っている。原資は寄 付や投資収益で、NPOである。 Tennessee Northwest Entrepreneurship Center マーティン 農業に特化したアクセラレーターである。テネシー州が主導する アクセレーションプログラムに採択されており、運営費の半分程 度が助成であるが、残りは自前の財源を用いている。 自らは資金拠出をしないが、地域のエンジェルとネットワークを構 築し、ファイナンスに結び付く支援をしている。 クール Germain Boer 教授の教え子 を 中 心 に EC( ナ ッ シ ュ ビ ル 起 業 家 セ ン タ ー)、Jumpstart Foundry な ど の ア ク セ ラ レ ー タ ー、Nashville 特徴 名称/所在地 Capital Network( エ ン ジ ェ ル 投 資 家とスタートアップをつなぐ投資会 社) 、Tristar( ヘ ル ス ケ ア 専 門 ベ ン チャーキャピタル)などの支援組織、 投資会社が生まれてきた。また、ヴァ ンダービルト大学 Paul Jacobson 副 学長は医学部教授時代に全米第 4 位 となる透析サービス企業 U. S. Renal Care を設立、NASDAQ に上場させ る一方、副学長を続け、同大学にファ ンドや技術移転会社を設立するなど、 起業や産学連携の見識が高い。Boer 教授と Jacobson 副学長の 2 人が、大学と 起業家支援コミュニティー、産業界との橋渡しという点で非常に大きな役割を果 たしている。 一方、州政府の役割も大きく、Launch Tennessee * 2 というプログラムがア クセラレーターに対する補助、投資ファンドに対する税制優遇などを提供し、こ れが地域における起業を促進している。 * 2 Launch Tennessee http://launchtn.org/ Vol.12 No.4 2016 23 ■医療機器スタートアップの支援施設 Memphis Bioworks 一方、Medtronic を始めとする世界的な医療機器メーカーが軒を連ねるメン フィスには、医療機器スタートアップの支援組織 Memphis Bioworks * 3 があ る(図 1、2) 。2001 年に誕生した非営利組織であるが、メンフィス・メディカ ルセンター地区開発計画として総工費 2,100 億円をかけて建設中のテネシー大 * 3 Memphis Bioworks http://www.memphisbio works.org/ 学バプティスト病院リサーチパークに拠点を構え、インキュベーター、オフィ ス、動物実験施設を備えた前臨床試験施設、医療機器試作品製作工場、医療機器 に特化したアクセラレーター「ZeroTo510(米国ではクラス 1 の医療機器申請 を 510k と呼ぶ)」 、医療機器専門のベンチャーファンド、Innova を持ち、教育 プログラムを提供している。 これらの建物はバプティスト病院の古い建物が Memphis Bioworks に寄付さ れたものである。動物実験施設は機器・医薬品の前臨床試験を行うことができる し、試作機工場は必要な工作機械が一通りそろっており、かなり大きなスペース である。さらにバプティスト病院は全米最大の病床数を誇る病院であり、またテ ネシー大学メディカルセンターも隣接している。加えて P2、P3 レベルのバイ オハザード実験が可能なウエットラボもある。そして周辺には世界的な医療機器 メーカーやバプティスト病院以外の有名病院も拠点を構えているため、常時、臨 床医や医療機器メーカーの意見を聞きながら機器開発ができるようになってい る。日本の医療機器開発と比べると、はるかに恵まれた環境が提供されている。 このリサーチパークには州政府の助成金も使われ ているが、アクセラレーターの運営費も一部州から 助成されている。それ以外は寄付ならびに企業のス ポンサーシップで賄われている。フェデラルエクス プレスの本拠地という地の利の良さから、オリンパ ス株式会社、ブラザー工業株式会社などの日本の メーカーも近隣に拠点を構えていることも特徴であ る。Memphis Bioworks としては今後日本の医療 機器スタートアップと連携を深め、メンフィスの有 利な環境で事業化を進めてもらいたいという考えを 持っている。また近年、食と健康の一環として農業 図 1 Memphis Bioworks の外観と参画組織 ビジネスのアクセラレーターならびにファンドも設 立している。 このようにテネシー州は、病院産業、医療機器産 業などのメディカル・ヘルスケア産業が非常に活発 であり、大学、起業家コミュニティー、支援組織、 州政府等の連携がうまく機能し、エコシステムを形 成している。日本にはあまりなじみがないテネシー 州であるが、医療ビジネスをこれからの成長戦略に おける重要分野と置くわが国にとって参考にすべき モデルであると考える。 24 Vol.12 No.4 2016 図 2 Memphis Bioworks の提供サービス 研究者リレーエッセイ 神経変性疾患の克服をめざして ■ 神経変性疾患、球脊髄性筋萎縮症との出会い ■ 私は大学院時代(1977 〜 81 年)に神経変性疾患の一つである筋萎縮性側索 硬化症(ALS)の病理学的研究を行っていた。これは下位運動ニューロンの病変 の進行と選択性を病理形態的に検討しようとするものであった。当時、神経変性 疾患は、そのメカニズムについてはほとんど手掛かりがなく、治療法もなくて、 なんとかならないかという思いがあったことは確かである。 祖父江 元 そんな時に私の上司と共に受け持って診ていた球脊髄性筋萎縮症(SBMA)の 患者さんが亡くなられて病理解剖となった。当時、SBMA は、病因はもちろん 運動ニューロン疾患としての位置付けもはっきりしなかったが、一方の ALS は 運動ニューロン疾患の代表と考えられていたので、ALS との対比をしてみよう そぶえ げん 名古屋大学大学院医学 系 研 究 科 特 任教授 ということになった。下位運動ニューロンの病変の選択性など、運動ニューロン 変性の特徴は ALS と類似性が高く、明らかに運動ニューロン疾患としての特徴 を備えていた。これは結局私の学位になった。 その後さらに病態や病因に迫る研究を行いたいということで、米国を中心に神 経変性疾患の研究を行っている留学先の研究室を探したが、当時は米国でさえ、 このような研究室はなかった。神経変性疾患研究は、当時は未開拓分野で、グラ ントが取れない時代であった。結局、米国では、シュワン細胞の分化と増殖の調 節機構の研究にしばらく携わることになった。 ■ 球脊髄性筋萎縮症の治療研究の開始 ■ 私は 1995 年に名古屋大学医学部神経内科の教授に就任し、神経変性疾患の治 療に向けた研究を本格化させた。分子生物学、遺伝学などの周辺の環境が研究へ の大きな追い風になっていたことと、何よりも以前から神経変性疾患治療研究へ の思いが再び高まってきたことがあったと思う。 まずは SBMA に焦点を絞り、動物モデルの開発を行った。SBMA はアンドロ ゲン受容体(AR)のポリグルタミン病であることがすでに明らかにされており、 AR 遺伝子に CAG リピート* 1 を伸長させた変異 AR 遺伝子を種々の条件でマウ スに発現させ、その臨床病理を観察した。その中でヒト全長 AR 遺伝子に 97 回 の CAG リピートを挿入し、βアクチンプロモーターのもとに発現させたマウス モデルは、ヒト SBMA の病理を極めてよく反映し、かつ 2 〜 3 カ月以内で変性 * 1 遺 伝 子 内 の シ ト シ ン(C)、 アデニン(A)、グアニン(G) 3 塩基の繰り返し配列(例: ・CAGCAGCAG・)のこと。 の全経過が見られるという絶好のモデルであった。このモデルは、その後世界中 の研究室で使われるようになり、SBMA 研究にはなくてはならないものになっ ている。またわれわれは SBMA 患者の剖検例で残存する運動ニューロンの核内 に変異 AR の凝集体の存在を見いだしていたが、これを除去する、あるいは形成 Vol.12 No.4 2016 25 を抑えることが、神経変性を回避させる重要な標的ではないかと考えていた。わ れわれの動物モデルではこの凝集体が見事に再現されていた。この凝集体を消失 させる方策はその後の研究で幾つか見いだしたが、最も効果が高かったのは、抗 アンドロゲン薬のリュープロレリンを投与したときであった。核内へのテストス テロン(アンドロゲン)依存性の移行が阻止され、見事に核内凝集が消失し、臨 床病理所見の改善が得られた。 ■ 医師主導治験の開始とその成果 ■ 以上の動物実験の結果を基に、われわれは 2004 年からリュープロレリンの SBMA に対する医師主導治験の準備を開始した。医師主導治験は当時まだほと んど行われておらず、手探りの状態が長く続いた。まず 50 例の SBMA を 2 群 に分け、一方にリュープロレリン、一方にプラセボ(偽薬)を投与したところ、 リュープロレリン群で明らかな臨床症状(嚥下(えんげ)を含めた運動機能)の 改善が認められた。一方、リュープロレリン投与群の一例が偶発的な不整脈で死 亡されたが、剖検の機会を得て検索してみると、残存運動ニューロン核内の異 常 AR 凝集がこの例では見事に消えていた。まさに動物モデルと同じことがヒ ト SBMA 患者でも起こっていることが示されていたのである。これは明らかな proof of concept(概念実証)と考えられる。 これを受けてわれわれはさらに全国 14 施設による医師主導治験の第三相に進 んだ。発症からの経過の短い初期例について嚥下障害が改善され、有意な結果が 得られた。さらに長期(6 年以上)のリュープロレリン投与の検討では、誤嚥性 肺炎の頻度を下げ、さらに死亡率も低下し、明らかな効果が見られた。この結果 を受けて、現在、独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)の承認申請 に向けてコモン・テクニカル・ドキュメント(CTD)*2 の作成に入っていると ころである。 ■ 一連の SBMA 治療開発の意義と今後の展開 ■ 動物モデルの開発から標的分子、標的メカニズムの確立、リュープロレリンに よる変異 AR の核内への移行の抑制による動物モデルにおける症状改善、さら にヒト SBMA 患者における治療の成功は、いわゆる変性そのものを担う分子を ターゲットにした disease-modifying therapy(根治療法)開発の成功例とし て先駆的なものであり、変異タンパク質の凝集を抑制する神経変性疾患の治療パ ラダイムを示すものである。変異タンパク質の凝集はパーキンソン病(α - シヌ クレイン)やアルツハイマー病(アミロイドβ、タウ)などの他の神経変性疾患 にも共通して認められるものである。これを治療のターゲットにすることによ り、広く神経変性疾患の治療の展開が可能であることを示したものである。今後 の神経変性疾患の治療開発に向け、大きなインパクトを与えるものであり、今後 治療法がさらに開発されていくことを期待したい。 (次回の執筆者は、慶應義塾大学医学部 教授 岡野栄之氏です。) 26 Vol.12 No.4 2016 * 2 医薬品の承認申請のための 国際共通化資料。 シリーズ 連載 知的財産を活用する 第 6 回 大学の研究成果を外国出願する際の留意点 ■大学の研究成果の国際的保護の必要性 大学には、わが国の研究者の 40% 弱が在籍しており** 1、大学における研究 開発のポテンシャルは非常に高い。また、大学では、企業で通常行うことが難し い基礎研究が行われている。 従って、これら大学の貴重な研究成果を知的財産権(特許権)として保護する ことは重要であり、日本国内での知的財産権の確保にとどまらず、海外での活用 を視野に入れ、海外において知的財産権を確保することも重要である。特に環太 平洋パートナーシップ(TPP)協定の発効により、グローバル化が進み、ボー ダーレスの時代になれば、この海外での知的財産権確保の必要性は、今以上に高 まるものと考えられる。 髙津 一也 たかつ かずや 髙津国際特許事務所 代表弁理士 ** 1 ■大学の研究成果の国際的保護の手段 「国際特許」といった言葉が用いられることがあるが、一般的には、特許協力 条約(PCT:Patent Cooperation Treaty)に基づく国際出願(PCT 出願)を 総務省. “ 平成27年科学技術 研究調査結果の概要” .総務 省 統 計 局.http://www. stat.go.jp/data/kagaku/ kekka/kekkagai/pdf/27ke _gai.pdf,(accessed201603-04). 指すことが多いと思われる。一部では、 「国際特許」という全世界に有効な統一 特許のようなものをイメージする人もいるが、実際はそのような統一特許はな く、各国でそれぞれ特許権を取得しなければならない。すなわち、特許権は、領 土主権の下、各国で成立し、当該国内のみでその効力が及ぶことから、特許権に よる保護を求めるすべての国でそれぞれ権利取得する必要がある。 外国での権利取得の方法としては、主として、上述の PCT 出願を利用する方 法と、パリ条約に基づくパリ優先権を利用してその国へ直接出願するパリルート 出願を行う方法がある。大学の研究成果については、特定の国のみで活用される ということはあまり想定されないことから、ほとんどのケースで、PCT 出願を 用いることになると思われる。 この PCT 出願とは、一つの出願で各国国内出願の束としての効果を有するも のであり、通常、日本の国内出願(基礎出願)から 1 年以内に受理官庁たる日 本国特許庁へ日本語で出願を行う。PCT 出願は、出願時に外国語へ翻訳する必 要はなく、基礎出願から 30 カ月以内に実際にどの国に移行するかを決定し、実 際に移行する国についてのみ、その国の言語へ翻訳して移行すればよい(国内 移行) 。従って、PCT 出願は、各国出願の手続きの煩雑さを軽減できるだけでな く、費用を抑えつつ、外国での権利取得の必要性を見極める期間を確保すること ができるというメリットがある。 Vol.12 No.4 2016 27 ■大学の外国出願の障壁 上記のように、外国で特許権を取得するに当たっては PCT 出願という便利な 制度があるものの、特許取得のためには、PCT 出願後に、各国に国内移行し、 各国でそれぞれの手続きが必要となるため、多大な費用を要する。大学関係者に 聞くと、外国での権利取得には、費用の点が大きな障壁となるという(これは、 大学に限らず、中小企業にも当てはまる) 。国内出願では、代理人に任せて手続 きを行うにしても、国内代理人費用のみを考えればよいが、外国に出願するとな ると、外国代理人の費用や、翻訳費用も追加して必要となる。代理人費用は、特 に欧米においては高額になることが多く、外国での権利取得の際の一つの障壁と なっている。 ■外国出願の見極め このように外国での権利取得には多大の費用を要するため、外国での権利取得 を目指すに当たっては、外国出願を行うべき出願(発明)を慎重に見極め、選別 する必要がある。その選別の観点としては、一つは、特許される可能性が高いか といった特許性からの観点があり、もう一つは、企業とのライセンスの可能性が あるかといった特許活用の観点がある。 ■特許性に関する留意点 特許性の観点から言えば、まず、先行技術をより正確に把握し、特許性を見極 めることが重要となる。先行技術調査は、学内で行う場合と、外部調査機関に依 頼する場合があると思われるが、いずれにしても、発明者がその研究内容につい ては詳しいので、キーワードとなる用語(英語表現を含む)について、発明者に 確認し、少しでも漏れのない検索を行うことが重要となる。具体的には、省略し た用語がないか、同様の意味で使う異なる用語がないかなどを確認することが有 用である。 また、実務経験上から言えば、大学の研究者の発明は、特許庁の審査におい て、発明者自身の論文が引用される(審査官から特許性否定のために挙げられる 文献を引用文献という)ことが非常に多いので、発明者に、関連する自己の論文 を事前に提示してもらうことが重要である。発明者自らが執筆した論文は、発明 者自らが一番よく把握していることから、発明者の協力が重要となる。 今でこそ特許に慣れた大学の研究者も増えてきてほとんどなくなったが、一昔 前までは、特許庁審査官により、特許出願に係る発明の特許性が、発明者自身の 論文が引用されて否定されると、これは自分の論文なので引用文献になるのはお かしい、といったことを言われる大学の研究者もいた。 これと同じように、あまり特許に慣れていない大学の研究者の中には、新規性 (発明が新しいこと)があれば特許になると考える研究者もおり、その結果、実 際は進歩性(発明が容易に思い付かないこと)の観点から引用文献となり得る文 28 Vol.12 No.4 2016 献があっても、事前に大学の知財関係者やわれわれ代理人に伝えられていないこ ともある。この場合、引用文献となり得る文献を把握しないまま出願書類の作成 を進めて出願することとなり、審査段階で不測の事態を招くことにもなる。従っ て、特許経験の浅い研究者に対しては、特許取得のためには、新規性のほかに、 進歩性の要件も必要となることをよく説明し、関連する文献の提示をお願いする ことが重要となる。 さらに、上記、進歩性の要件と関連して、発明者自身の論文や研究報告書など が問題となる場面として、論文や研究報告書の終わりに記載された、次の研究に 向けた取り組みなどの記載が問題となる場合がある。例えば、論文や研究報告書 における「○○(用途)への応用が期待できる」といった記載や、 「今後、△△(物 質名)の効果も確認したい」といった記載が、後の出願の権利取得の障害になる ことがある。進歩性の判断には、その発明をするための動機づけ(発明を完成す るヒント)があるか否かということが一つの判断基準となるので、上記のような 「○○(用途)への応用が期待できる」といった記載や、 「今後、△△(物質名) の効果も確認したい」といった記載は、発明をするための動機づけとなる記載と 判断され、進歩性を否定される要因となることがある。実際、大学の研究者に、 ここまで考慮して論文や研究報告書を執筆することを要求することは酷だとは思 うが、現実としてはこのようなことがあることをご留意いただきたい。 ■新規性喪失の例外の適用(グレースピリオド)の制度 論文などで発明を公表してしまった場合でも、日本や外国では、新規性喪失の 例外の適用の制度を持っていることがあるので、この制度を利用することが可能 な場合もある。しかし、外国出願を考慮する場合には、新規性喪失の例外の適用 は極力避けなければならない。それは、各国において細かな点で制度が異なるか らである(表 1 参照)。特に欧州や中国ではその例外の適用範囲が非常に狭いた め、論文などで発明を公表した場合には実質的に認められない。従って、論文な どで発明を公表してしまうと、権利取得の観点から、発明の価値が低下し、外国 表 1 各国(地域)の新規性喪失の例外の適用 新規性喪失の例外適用 の対象となる公開手段 新規性喪失から出願 までの猶予期間 申請手続き 日本 制限なし 6月 ・ 出願時に申請 ・ 出願後 30 日以内に証明書 米国 制限なし 12 月 欧州 限定された国際博覧会など 6月 ・ 出願時に申請 ・ 出願後 4 月以内に証明書 中国 限定された国際博覧会など 6月 ・ 出願時に申請 ・ 出願後 2 月以内に証明書 韓国 制限なし 12 月 不要 ・ 出願時に申請 ・ 出願後 30 日以内に証明書 Vol.12 No.4 2016 29 出願自体を断念せざるを得ないということにもなる。実際、科学技術振興機構 (JST)でも、外国出願支援が行われているが、新規性喪失の例外の適用を受け る出願は、その支援を受けることが難しいと聞いている。 従って、外国出願を念頭に置く場合には、特許出願前に、発明を公表しないこ とを肝に銘じておく必要がある。 なお、学会発表においては、「発表の予稿集」や「発表タイトル(発明を特定 できる内容)」が発表の 1 〜 2 カ月前に学会ホームページに出る場合があるので、 その点にも留意する必要がある。 ■特許活用に関する留意点 特許権は、その国で発明が実際に実施され、有効に活用されるものでなければ 取得する意義はないが、大学は自らが実施しないという企業とは異なる事情を有 するため、どの国で権利取得するかという悩ましい問題がある。すなわち、実際 に海外で事業を行っており、事業展開計画もしっかりとした企業であれば、この ような悩みは比較的少ないが、大学が、企業と連携していない段階で移行国を決 定するのは比較的難しい場合がある。従って、できる限り早い段階で、連携でき る国内企業や外国企業を探すことが望まれる。PCT 出願を行った場合、どの国 に実際に移行するかを決定するまでに、基礎出願から 30 カ月の猶予があるので、 この猶予期間内に、提携先企業を見つけることが重要であり、企業との関わりの 強い大学の研究者や、TLO 関係者の活躍が期待される。また、この企業との連 携が実現できれば、企業に費用負担をしてもらうことにより、上述の費用の問題 も解消される可能性が高い。 ここで、企業との連携を図るためには、企業にとって魅力的な権利を取得でき ているかという点が重要である。すなわち、企業にとっては、事業を行う際に、 他社の参入障壁を形成できるような充実した権利でなければライセンスを受ける 意義がない。従って、ライセンスを成功させるためには、より広く強い充実した 権利の取得が必要となる。そのための手段の一つとして、実施例の充実を図るこ とが考えられる。例えば、PCT 出願をする際には、実施例を追加することがで きるので、基礎出願から PCT 出願までのスケジュールも考慮し、PCT 出願時 までに、追加の実験データを取得しておくことが考えられる。 また、市場として大きい米国での権利化が、企業とのライセンス交渉において 大きな影響を与える場合があるので、この点にも留意しておきたい。 ■発明者の協力の重要性 最後になるが、上記の内容からも分かるように、海外を含め、充実した権利を 確保するに当たっては、発明者の協力が不可欠である。発明者、大学の知財関係 者、外部専門家等が連携をとることにより、より充実した権利が生まれ、これが 企業とのライセンスへと結び付き、大学、企業の双方にメリットが生まれてくる ものと考える。 30 Vol.12 No.4 2016 視 点 研究者の社会リテラシーと文理融合 市井の人の「科学リテラシー」が、メディアに取り上げられるようになって久しい。文部科 学省は、科学リテラシーを「自然界及び人間の活動によって起こる自然界の変化について理解し、 意思決定するために、科学的知識を使用し、課題を明確にし、証拠に基づく結論を導き出す能力」 としている。例えば、食の安全を考える際など、疑似科学にだまされることなく、消費者自らが 適正な判断を下すためには、この能力を身に着けることが望ましいということだ。 翻って、理系研究者の「社会リテラシー」はどうだろうか。大企業と連携し、省庁から研究 費を得、産学官連携研究さえ進められれば、素晴らしい研究シーズは、即、社会実装されると思 い込んでいないだろうか。規制緩和や市民への地道な呼び掛けは、必要ないだろうか。また、い わゆる「デュアルユース」の可能性はないだろうか。研究者自身が、これらの課題に気付いてい ないことが少なくない。そのため、コーディネーターやリサーチアドミニストレーター(URA) が注意を払う必要があるが、それでもまだ十分とはいえない。このような課題の早期発見と解決 のためには、専門家である人文社会系研究者との連携が必要不可欠である。社会リテラシーを乗 り越えるための文理融合こそ、今後ますます求められるだろう。 天野 麻穂 北海道大学 大学力強化推進本部 研究推進ハブ URA ステーション URA 花は何処に行った “Where have all the flowers gone?…”. 60 代、70 代 の方々には甘酸っぱい青春の記憶 が詰まったピート・シーガーによるフォークソングの名曲の出だしである。歌詞はどこかで参照 していただくとして、その心は、「人はいつまで愚かなことを繰り返すのか!」という反戦メッ セージソングである。 他人事ではない。大学で産学連携に携わるわれわれも、知らず知らず愚かなことを繰り返し てはいないだろうか? イノベーションという魔法の言葉を唱えれば何か高尚な議論をしている 気分になり、特許を出願し、マッチング会にパネルを出して産学連携(技術移転)をやった達成 感に浸ったりしていないだろうか? ドラッカーが言う「利潤動機の弊害」を忘れ去り、産学連 携の商業化という名の下に外部資金獲得だけのために血眼になってはいないだろうか? われわ れの活動は大学の知を世に出し、社会に新しい価値を創造することによって初めて意義を持ち得 るということを今こそ肝に銘じるべきではないか。 “Where have all the universities gone?…” という詞が口ずさまれることがないように祈っ ているのは私だけだろうか。 土居 修身 愛媛大学 社会推進機構 知的財産センター長、教授 産学官連携ジャーナル(月刊) 2016 年 4 月号 2016 年 4 月 15 日発行 PRINT ISSN 2186 - 2621 ONLINE ISSN 1880 - 4128 Copyright ©2016 JST. All Rights Reserved. 編集・発行 国立研究開発法人 科学技術振興機構(JST) 産学連携展開部 産学連携プロモーショングループ 編集責任者 野長瀬 裕二 摂南大学 経済学部 教授 問い合わせ先 「産学官連携ジャーナル」編集部 編集長 山口泰博、萱野かおり 〒 102-0076 東京都千代田区五番町 7 K’s 五番町 TEL: (03)5214-7993 FAX: (03)5214-8399 Vol.12 No.4 2016 31 産学官連携ポータルサイト 産学官の道しるべ https://sangakukan.jp 産学官 検索 「産学官の道しるべ」 は、産学官連携活動に関わる多くの方々が ワンストップで必要な情報を入手できるよう、産学官連携に関連する情報を網羅的に収集し、 インターネット上で広く一般に公開しているポータルサイトです。 産学官連携に関する情報提供 https://sangakukan.jp/event/ ◆ イベント情報 全国で開催されている産学官連携に関するシンポジウム、セミナー等の イベント情報をタイムリーに掲載 HP上でイベント情報の外部投稿を随時受付中 ◆ 産学官連携データ集 産学官連携の実績を分かりやすく図表などで示すデータ集 知的財産(国内、国際)、共同研究・受託研究、大学発ベンチャー、 TLO、基本統計データ、学術論文の被引用動向データ、ほか掲載 産学官連携ジャーナル https://sangakukan.jp/journal/ 産学官連携に関係する幅広い分野の記事を提供している オンラインジャーナル。毎月15日に発行! ◆ 掲載分野 産学官連携、起業、知的財産、人材育成、金融機関との連携、 MOT・教育、地域クラスター、国の予算・政策、国際連携、 海外動向、共同研究開発、事業化など 産学官連携支援データベース https://sangakukan.jp/shiendb/ 産学官連携活動を支援するために有用な情報をデータベース化し、ネット上で公開 【約3,000件】◆ 事業・制度DB … 産学官連携に利用できる国・地方自治体の支援制度や 財団法人等の助成制度や公募情報のほか、ベンチャーを 支援するベンチャーキャピタルや金融機関の支援制度情報 【約2,100件】◆ 産学官連携従事者DB… 公的機関に所属するコーディネーター等の情報 問い合わせ先 産学連携展開部 産学連携プロモーショングループ E-mail : [email protected] Tel : 03-5214-7993 「産学官連携ジャーナル」は国立研究開発法人 科学技術振興機構(JST)が発行する 月刊のオンライン雑誌です。 URL: https://sangakukan.jp/journal/ ●最新号とバックナンバーに、登録なしで自由にアクセスし、無料でご覧になれます。 ●個別記事や各号の一括ダウンロードができます。 ●フリーワード、著者別、県別などからの検索が可能です。 問い合わせ先 : 産学連携展開部 産学連携プロモーショングループ TEL: 03(5214) 7993 FAX:03 (5214) 8399 E-mail:[email protected]
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