第 8 回世界青年の船日記 私の

私の
第 8 回世界青年の船日記
1996.1.14〜1996.3.20 までの記録
1996年1月14日から3月19日まで約65日間の世界青年の船の様子を日記形式でまと
めたものです。
第 8 回世界青年の船は、日本青年 114 名と訪問国を含む世界 12 か国の青年 164 名が、約
70 日間船内で共同生活をしながら南西アジア・中近東・アフリカを訪問しています。船内に
おいては、日本と世界各国の青年が世界的視野に立って共通の課題の研究討論、各種の講義、
文化の紹介やスポーツレクレーション、各種のクラブ活動などを行います。
訪問国においては、その国の青年たちとの交流、各種施設の見学などを行います。
この事業は、明治百年記念事業のひとつとして昭和 42 年度に開始した「青年の船」事業を
改組し、昭和 63 年度から実施しているものです。
プログラム
AM7:30
起床(ウェイクアップコール)
AM7:45
朝食
AM8:45
国旗掲揚・モーニングアセンブリー
AM9:30 午前中のプログラム
PM12:30
昼食
PM2:15 午後のプログラム
PM5:15
自由時間(AGLミーティング)
PM5:45
グループミーティング
PM6:00 国旗降納
PM6:30
夕食
PM8:00 自由時間
PM1:00ナイトパトロール
* ただし、寄港地活動の時以外、日曜日は
午前・午後のプログラムはフリータイム。
日本丸でのPYの客室
バングラディシュ 12 名、ベルギー13 名、エジプト 11 名、日本 114
名、ケニア 13 名、ノルウェー13 名、ポーランド 12 名、カタール 9
名、南アフリカ 18 名、スリランカ 19 名、アラブ首長国連邦 12 名
タンザニア 20 名、イエメン 12 名、以上 13 か国 280 名
にっぽん丸
1
第 8 回【世界青年の船」日程表
派遣時期: 平成 8 年 1 月 14日〜3 月 19日
期間: 約60 日間
訪問国: スリランカ、南アフリカ共和国、タンザニア、UAE 、シンガポール
参加人数: 日本(114 名)を含む 13 ヵ国計 278 名
費用:約 25 万円
月日
曜日
9:30〜12:15
14:15〜17:00
1 月 14 日
日
出向前研修(オリンピックセンタ
ー)
出向前研修(オリンピックセン
ター)
1 月 15 日
月
1 月 16 日
火
1 月 17 日
備 考
オリエンテーション
午前:乗船
出航式
12:00 出航 団長講話・避難
訓練
午前:壮行会
午後:出航
水
オリエンテーション(セミナー)
グループ別活動
1 月 18 日
木
オリエンテーション(クラブ活
動)
自主活動
1 月 19 日
金
休日
休日
1 月 20 日
土
海事実習
自主活動
1 月 21 日
日
自主活動
スポーツレクリェーションデー
①
1 月 22 日
月
セミナー
グループ活動 クラブ活動
1 月 23 日
火
セミナー
自主活動
1 月 24 日
水
NPD(各国紹介)
NPD(各国紹介)
1 月 25 日
木
休日
休日
1 月 26 日
金
クラブ活動 訪問国活動説明
1 月 27 日
土
8:00 コロンボ到着
スリランカ
1 月 28 日
日
スリランカ
スリランカ
1 月 29 日
月
スリランカ
スリランカ
1 月 30 日
火
スリランカ
17:00 コロンボ出港
1 月 31日
水
スリランカ
スリランカ
2月1日
木
休日
2月2日
金
NPD(各国紹介)
NPD(各国紹介)
4 カ国
2月3日
土
NPD(各国紹介)
NPD(各国紹介)
4 カ国
2月4日
日
ディスカッション
集合写真 クラブ活動
2月5日
月
セミナー
自主活動
2月6日
火
ディスカッション
集合写真 クラブ活動
2月7日
水
セミナー
自主活動
5 か国
グループ活動
節分祭
2
8:00 コロンボ入
港
赤道祭
17:00 コロンボ出
港
赤道通過
9:30〜12:15
14:15〜17:00
月日
曜日
2月8日
木
セミナー
ディスカッション
2月9日
金
キャビンチェンジ
グループ活動 クラブ活動
2 月 10 日
土
休日
休日
2 月 11 日
日
訪問国活動説明
自主活動
2 月 12 日
月
下船準備
12:00 南アフリカ
タウン)到着
2 月 13 日
火
南アフリカ
南アフリカ
2 月 14 日
水
南アフリカ
南アフリカ
2 月 15 日
木
南アフリカ
17:00 ケープタウン出港
2 月 16 日
金
船長講話 クラブ活動
ディスカッション
2 月 17 日
土
セミナー
自主活動
2 月 18 日
日
休日
休日
2 月 19 日
月
セミナー
自主活動
2 月 20 日
火
ディスカッション
訪問国活動説明
2 月 21 日
水
ディスカッション
訪問国活動説明
2 月 22 日
木
8:00 タンザニア(ダルエスサ
タンザニア
ラーム)到着
2 月 23 日
金
タンザニア
タンザニア
2 月 24 日
土
タンザニア
17:00 ダルエスサラーム
出港
2 月 25 日
日
クラブ活動
エキシビジョンデー
2 月 26 日
月
休日
休日
2 月 27 日
火
ディスカッション
ディスカッション(発表会)
2 月 28 日
水
グループ活動
自主活動
2 月 29 日
木
訪問国活動説明
外国人青年終了式
動
3月1日
金
下船準備
14:00 UAE(ドバイ)到着
3月2日
土
UAE
UAE
3月3日
日
UAE
17:00 ドバイ出港
3月4日
月
休日
休日 ひな祭りパーティー
3月5日
火
自主活動
スポーツレクリェーションデー
②
3月6日
水
ディスカッション
クラブ活動 自主活動
3月7日
木
セミナー
ディスカッション
3月8日
金
セミナー
クラブ活動 自主活動
3月9日
土
グループ活動
自主活動
3
備 考
(ケープ
自主活
フェアウェルパー
ティー
ヨーロッパ・アラ
ブ青年下船
9:30〜12:15
14:15〜17:00
月日
曜日
3 月 10 日
日
下船説明 自主活動
終了式 自主活動
3 月 11 日
月
下船準備
12:00 シンガポール到着
3 月 12 日
火
シンガポール
17:00 シンガポール出港
3 月 13 日
水
グループ活動
通関等説明
3 月 14 日
木
セミナー総括
報告書編集
3 月 15 日
金
評価会
事後活動について
3 月 16 日
土
下船等説明 下船準備
自主活動
3 月 17 日
日
休日
終了式
3 月 18 日
月
10:00 東京(晴海)帰港
オリンピックセンター
3 月 19 日
火
解団式
解散
3 月 20 日
水
備 考
フェアウェルパー
ティー
アフリカ・南アジ
ア青年下船
卒業式
打ち上げ
船内の1日(プログラム)
起床(ウェーク・アップ・コール)
「ウェーク・アップ・コール」は、毎日担当グループが決まっていて、「朝の放送」を
します。好きな曲を流したり、当日の予定をアナウンスしたり、グループで趣向を凝らし
て考えます。グループは、A〜M に分かれていて、船内の中でも毎朝の点呼や夕方のミーテ
ィングなどで一番多くの時間を過ごす仲間なので、家族のような関係になり、特に大切な
存在になります。
07:45‑08:30 朝食
08:45‑09:20 モーニングアッセンブリー
ウェーク・アップ・コールと同じグループが担当し、ホールに全員集合。グループごとに
点呼をとり、みんなの体調を確認します。各国の国旗掲揚や国歌斉唱があり、また、管理部
からのアナウンスや、参加者からのお知らせなどもこの時間に行います。その後、担当グル
ープが司会をして、身体を動かしたり、ちょっとしたゲームをしたり、とアクティビティも。
09:30‑10:45
午前プログラム(1)
11:00‑12:15
午前プログラム(2)
主な活動としては、ディスカッションやナショナルプレゼンテーション、クラブ活動、グ
ループ活動、スポーツ&レクリエーションなどがあります。そのほか、公式写真撮影や半日
フリータイム、前半にはにっぽん丸ツアーなどがあり、毎日が時間割のようにスケジュール
されています。
12:30‑14:00 昼食
(13:30‑14:00 ナショナルリーダー会議)
14:15‑15:30
午後プログラム(1)
15:45‑17:00
午後プログラム(2)
4
午前プログラムと同様
17:10‑17:30 アシスタント・グループ・リーダーズ・ミーティング
各グループに、アシスタントグループリーダーがいて、毎日ミーティングを行い、管理部
からのお知らせを受け取ります。その後、グループでその情報を共有し、時間に余裕がある
ときは、グループ内の交流を深めます。
17:40‑18:00 グループミーティング
18:00‑19:30 夕食
21:00‑23:00 フリータイム
23:00‑ ナイトパトロール
形式的には、23 時就寝となっているため、当日の担当グループが管理部スタッフと一緒に
船内の見回りをします……が、20 代の若者が集まって夜 11 時に就寝するはずはなく、実際
には、フリータイムから引き続きラウンジで語り合ったり、パーティーがあったり、と夜は
果てしなく続きます。
イベント活動
【ディスカッション】
各班で決めたものややディスカッション委員会で指定したテーマに沿ってディスカッショ
ンを行います。国連や死刑制度、事後活動など賛成、反対に分かれ活発な議論が展開されま
した。平和セミナー(ピースウィーク)では、世界平和と核について厚い議論が交わされま
した。
【ナショナルプレゼンテーション】
40 分〜60 分の持ち時間で、国ごとに文化紹介を行うもの。事前に準備をして、船内でリハ
ーサルを行い、伝統的なダンスや音楽、ビデオ、スライドなどを使って華やかに演出します。
社会事情などを寸劇のように発表する国もありました。まるで各国の旅に行ったような気分
にさせられます。日本は 114 人全員で、四季に分け、よさこい踊りや沖縄のエイサー、和太
鼓など各地域の伝統的な祭りや現代の若者文化などを交えた発表を行いました。
【クラブ活動】
日本文化紹介クラブ(書道、日本の歌など)、合気道クラブ、ダンスクラブ、合唱クラブ
などがあり、お互いに教えたり習ったりする中で、新しい文化に触れたり、また自国の文化
での発見があったりすることも多くあります。また、最後に行われる発表会に向けて、チー
ムワークの大変さや楽しさを感じながら、クラブごとに練習を積み重ねていきます。
【グループ活動】
グループに分かれて、メンバーの交流を深めるための活動を行います。具体的には、グル
ープTシャツを作ったり、写真を見せ合いながら自己紹介をしたり、各国のダンスや歌を習
5
ったり、ゲームをしたり。各グループは、日本人が約9名、外国人が約 13 名。日本人を除い
て、同じ国の人は重ならないようになっています。つまり、日本人以外は、すべて違う国の
人が集まって1つのグループになります。
【スポーツ&レクリエーション】
スポーツ&レクリエーション時間は 2 回あり、委員を中心に、グループ対抗のゲームやク
イズなどを行いました。
それでは、前ふりが長くなりましたが、ここから私の旅の記録を日記形式で公開します。
1月14日(日)
今日から代々木のオリンピックセンターで就航前研修が始まった。
久しぶりの再会でとても懐かしい。
以前の研修時(8月末の5日間)よりも気合が入っていてとてもおしゃれ。
学生の人たちは卒論やらレポートの提出に追われ資料を持ち込んで、時間の隙間を利用し
て学習していた。
私にもこんなことがあったなーと今更ながらに懐かしい思いに浸った。
グループごとに分かれ、まずは外国人青年(OPY)が加わった後のグループ別行動、自
己紹介の方法などを話し合った。国際交流の経験豊かな人が多くいろいろなアイデアが出て
きた。
経験というのはとても効果を発揮することを実感した。
夜は、フリータイム。といっても明日からOPYが来るので、JPY(日本人参加青年)
同士の結束を固めるため、ミーティングをおこなった。
ためしに、皆の前で剣玉をグループ員の前で披露したが、いまいち受けが悪い。明日は、
積極的に自分をアピールしたい。
1月15日(月)
今日は待ちに待ったOPYとの対面の日。かなりの不安と少しの期待を抱いていた。
午前中、最後の日本人だけのミーティングが終わり、午後はいよいよ対面。
その前に、毎年恒例のラグビー早明戦の中継を見た。対抗戦では、劇的な逆転勝ちを収め
ていたので例年よりも期待が大きかった。しかし、必死の応援も実らず結果は惨敗。
外を見るといろいろな人種の人が集まってきた。
まずは荷物運びに徹した。中にはとても重たい荷物の人もいたが、英語で簡単なコミュニケ
ーションを図れたので英会話のいい予行練習になった。
運のいいことに私はルームメイト(オリンピックセンターでは4人一部屋)の荷物をすべ
て運びながら会話ができたので、つかみはOK。これからの生活をなんとかやっていけそう
だ。
1月16日(火)
今日は、OPYも加わったグループミーティングで自己紹介をした。
6
次に、アイスブレ―キングとして、考えていたゲームを3つおこなった。
我々JPYが段取りよく仕切れ、OPYはいい印象をもったと思う。
ゲームを通じて、名前(自分が呼んでもらいたい名前のニックネーム)をみんなしっかり覚
えた。
また、OPYにTシャツをプレゼントした。思いがけないプレゼントだったので皆喜んでく
れた。
Tシャツにペイント用マジックでニックネームを書いてもらった。これで名前を間違えて呼
ぶことはなくなり、コミュニケーションの第一歩はクリアー。
最後に、グループの役割を決めてミーティング終了。
夜は、ジョーク好きのエジプト人の話に付き合わされた。中にはいくつか面白いものもあ
ったかな。
オリンピックセンターの風呂場で、日本語の上手いノルウェー人と一緒になった。彼は外
交官になりたいと言っていた。
日本にとても興味を持っていて、高校1年時には留学経験もある。私も抱いた外交官への夢
を実現してほしいと思った。
1月17日(水)
今日は1日旅行の日。我々のグループは鎌倉へ行くことになった。ところが、他グループの
同国のOPYが来たりしていつのまにかJPY4人でOPY18人を引率することになって
しまった。
これが諸悪の根源。国籍も違えば時間感覚や個々の考え方も違い統率は不可能。
見学のペースの違いや食事処の選定(宗教によって食べられないものがある)などでトラ
ブルだらけ・・。
普段めったにできない体験をし、とても勉強になった。
この体験を今後の船上生活に生かしていきたい。ただでさえ集団行動になれていない方た
ちなので、JPY2人でOPY5人くらいがベストだと思う。
北欧の参加者は、拘束されるのが大嫌いなようだ。
不平不満を書いてしまったが、旅を終えてからこの日記を読んだら、こんなこともあった
なーと懐かしい思い出になるだろう。
夜、同じグループのJPY同士で今日の報告会を開いて情報交換した。お互いに不満を吐き
出し少しストレスが発散できたのでよかった。
1月18日(木)
オリンピックセンターでの生活も今日が最後。各国1人ずつの4人部屋は、体臭や生活習慣
が違うせいか、夜中になっても部屋の入れ替わり立ち替わりが激しく睡眠不足に陥った。
やっと、ホスト国としての仕事から解放される。プログラムのことや集合場所、昨日の引
率もいつのまにかOPYに頼られていた。(参加青年は一緒にプログラムを作り上げること
になっているのだが・・)
午後、ついにオリンピックセンターを出発して晴海埠頭に来た。事前に送っておいたトラ
ンクがついているか心配だったが、自分の荷物を見つけてホッとした。
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晴海埠頭の見送りの人との別れを惜しみつついざ出港。船の中は共同生活なのでホームで
もアウェーでもない対等の関係で付き合えるだろう・・。
これからは国際交流と船上生活を思い存分楽しみたい。夜はexPY(既参加青年)の主催
で船内ミステリツアーを楽しんだ。船内の構造がわかり勉強になった。
1月19日(金)
今日から船旅が始まった。ルームメイト2人(ベルギーとケニア)にも恵まれとても楽しい
旅になりそうだ。外国人には日本での感覚は通じない。自分の意思をはっきり伝えることが
大切だと再認識した。
今日はパーティーが多かった。食べてばかりでは今後体重が増えるのは時間の問題だ。
危機感を抱いたので早朝からデッキの周り(1周300M)を5周した。
また、船内のトレーニングジムにも足を運んだ。
10km自転車をこいだが、たった150cal ぐらいしか消化していなかったのにはショッ
クだった。ケーキを2つ食べるとすべてがペイされてしまう・・。
さすがに夜は疲れが出た。船内は免税でビールも150円(通常230円)と安い。アラブの
参加青年の目にとまらないよう、部屋でビールを堪能して、夢の中へといざなわれた。
1月20日(土)
航海が今のところ順調に進んでいる。
今日は朝からオリエンテーションやミーティングがひっきりなしに続いた。乗船したばかり
なので仕方ないが聞くだけでは退屈だ。
午後はグループ活動の時間でグループ内のコミュニケーションを図るためにレクリェーシ
ョンを実施した。
日本の遊びや体を動かしながらの遊びとしてスポーツデッキで大縄跳びをした。
体を動かすことで言葉もいらず、仲間意識が育ったようだ。
我がKグループのメンバーは日本人7人とノルウェー、ベルギー、ポーランド、エジプト、
ケニア、タンザニア2人、南アフリカ2人、スリランカ2人、バングラディシュ、UAEの
計23人。
OPYの第一印象はクールな人が多いと感じたが、一緒に生活していると思いやりのある
いいメンバーが多かった。
夜は、日本のプレゼンテーションデー(NPD)の出し物のよさこいをスポーツデッキで
練習した。日本人有志40人くらいで鳴子を両手に持ちなが
らダイナミックな踊りで、動きがかなりハード。とてもいい
運動になった。動きがばらばらだったが、これからNPDま
でには統制が取れていくだろう・・。
早朝ランニングも軌道に乗ってきた。朝からとても爽やか
な気分になり、
日の出も見られる。
今後も継続していきたい。
1月21日(日)
今日はスポーツに励んだ一日だった。
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早朝ランニングに始まり、午前中はよさこいの練習、ヨガ教室、午後はフリータイムだっ
たが、バスケットボールに誘われハッスルしてしまった。
乗船して4日たち、徐々にどこのグループも不平・不満がでてきた。我がグループも例外
なく数名勝手な行動に走るものが出てきた。
我々JPYがしっかりグループ活動をしているところを行動で示せば、彼らもついてく
るという印象をもった。私のポリシーである「初めが肝心」はOPYを相手にした場合、特
に当てはまることを実感した。
夜もよさこいの練習があった。自称タフマンだが、さすがに疲労は隠せず今日は見学する
ことにした。
一生懸命なにかに打ち込んでいる姿を見ると応援したくなる。自分もこの輪の中に加わりた
いと体がうずいた。
1月22日(月)
今日はフリー(休息)日。昨日は一日ハードに活動したので天の恵み。
精神的にも肉体的にも疲れが出ていたので毎朝の日課であるランニング以外は船の後部デ
ッキで寝ていた。
目が覚めると日焼けしていて肌が真っ赤になって肌がヒリヒリした。(私は色白なので・・)
気がつくと船はフィリピン沖を通過している。いつのまにか冬から夏に様変わり。地球は
広いなーと実感!!
午後は体力も回復し、プールデッキ(15m×10m)で水泳をしたり、JPYの関西参
加青年主催の鏡開きパーティーのお手伝い、及びよさこいの練習をした。
待ちに待った夜の鏡開きパーティーでは、和太鼓や日本酒などOPYから好評だった。特
にハッピは欲しがる人が続出。
その後、6階のダンスフロアーでのパーティーに流れた。久しぶりに踊り楽しんだ。
しかし、明日の朝のモーニングアセンブリー(朝会)は、わがKグループのWAKE
UP
Callの当番のため、朝まで楽しんでいたかったが、おとなしくAM1時に就寝した。
1月23日(火)
今日からまたタイトスケジュールが始まった。
早朝のモーニングアセンブリーは、みんなの目覚ましにリズムのいいダンス(振り付けも
自分たちで考えた)をして大好評だった。
AGL(アシスタントグループリーダー)である私は、午前中の委員会活動は不参加でい
いのでフリータイム。
久しぶりにひとりになれる時間だったので、デッキに出て波の音を聞きながら手紙を書い
た。
毎日がとても刺激的かつ新鮮であり書くことがいっぱいありすぎて困った。(なんて贅沢
な悩みなんだろう・・)
午後は船内見学をした。船長室や機械室などめったに入ることのできない場所に立ち入る
ことができた。キャプテンと写真を撮ったことなどきっと一生の思い出になるだろう・・。
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船長室から見る海原の眺めはまた格別だった。とともに、我々の快適な船上生活は轟音の機
械室で縁の下となって働く外国人
に支えられていることを知った。感謝感謝である。 夜、またよさこいの練習をおこなった。
NPDも近づいてきたので、練習もますます熱が入ってきた。あまりオーバーワークになら
ない程度に頑張りたい。
1月24日(水)
昨日のよさこいの練習の疲れが心地よい睡眠をもたらしたのか、爽やかな朝を迎えること
ができた。
いつものように朝ランニングをしてから昨日の日記を書いた。
今日はスポーツレクレーションデー。我Kグループはスポーツになると異常に燃える。お
かげで団結力はいっそう高まった。スポーツはあまり言葉の壁もないので国際交流の第一歩
としては最適。
フラッグゲーム(ビーチフラッグの船バージョン)、潜水ピックアップリングは我がグル
ープのスリランカメンバーの意外な活躍もあって大盛り上がり!
彼はいちやく我がグループのヒーローになった。結果は、いまいちだったが最後にはグル
ープ全員笑顔で記念写真に収まり、結束力が強固になった。
大会後、バスケットボールにも興じ疲れ果てたのでPM9時に就寝。
OPY、JPYとも顔見知りが増え飲みに誘われたが体力の限界で遠慮してしまった。ご
めん。
明日からクラブ活動(私はダンスクラブ)やセミナーなどプログラムが本格的に開始する。
とても楽しみ・・。
1月25日(木)
今日から、セミナー開始。国際報道、国際結婚、ジャーナリズム、国際交流心理学、中東・
アフリカの文化歴史など10のテーマに分かれている。
私は、国際結婚の講座を受講した。講師の先生は大阪在住のポーランド人H氏。
1970 年代の日本のサラリーマンの日常生活の 1 日を描いたビデオを上映。日本人から見て
もかなり誇張され、飲み屋でセクハラをする者や酔っ払って道路で寝る姿、さらには奥さん
が三つ指ついてお帰りなさいと挨拶する場面が映し出された。
これにはOPY(特にヨーロッパの女性)が大激怒。この後のディスカッションは荒れに
荒れた。日本人男性を見る眼差しが妙に冷たく感じたのは私だけではないだろう・・。
ヨーロッパでは、皇室でも国際結婚しているケースがある。
日本でも、きっと近い将来国際結婚が違和感なく受け入れられていくだろう。そういう社
会になっていてほしい・・。
そういえば、最近ぽつぽつカップルができ始めている。この狭い空間の中だと、どうして
も目立ってしまう。中には国際カップルもちらほら見受けられる。
船の中は、宗教や生活習慣が異なる人種のるつぼなので、行動様式を研究(決して覗き趣
味ではない・・)するにはとてもいい環境だ。
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クラブ活動はエジプト人女性主催のダンスを受講した。デモンストレーションのベリーダ
ンスは見るものを圧倒した。
夜はもうすっかり定着したよさこいの練習。NPDが近づき、練習にもかなり熱が入ってき
た。練習後、久しぶりにバーではめをはずして飲み明かした。
1月26日(金)
昨日は浴びるほど飲んだにもかかわらず、体が生活に慣れてきたのか今日も早朝ランニン
グから1日が始まった。
日頃の疲れと、二日酔いからか体がだるく、少しのどが痛かった。
午前中のセミナーから体の調子が悪かったが、せっかくの機会なので無理して受講した。
午後はずっとテラスデッキ(船の後方部)で波の音を聞きながらうたた寝した。今までせわ
しなく活動していたのでとてもいい休息になった。
PM3:30 からNPDのリハーサルがあった。日本は、四季をカテゴリーに4つの部門に分
けて発表する。乗船前から有志で練習していた太鼓(助六など)や沖縄JPYによるエイサ
ー、青森PYによる日本舞踊、書道、琴など日本文化満載の内容。さすが乗船前から練習し
ているだけあって上手い。私も太鼓をやっておけばよかったと思った。
とりを飾るのが我々が乗船してから夜な夜な練習を重ねてきたよさこい踊り。高知県PY
指導のもと、なんとかお披露目できる状態になった。
体調不良のため、AGL(アシスタントグループリーダー)ミーティング、グループミー
ティングもすべてスキップ。まだ先は長いので無理をせず、早寝した。
1月27日(土)
今日からNPDが始まる。13 カ国、各々自国の威信をかけてこれまで陰(?)で練習して
きた成果を発表する。
今日はベルギー、ケニア、バングラディシュ、スリランカ。
ベルギーは、テレビショーを模したクイズ形式、スリランカはキャンディアンダンスと各
国の特徴を生かしたプレゼンテーションだった。ケニアのダンスや音楽は、独特の陽気なア
フリカのリズムに乗ってとても親しみやすかった。バングラディシュは、演劇仕立てで、迫
力があった。
テレビショー形式のクイズで回答者がコントをしながら面白おかしく、自国の紹介をする
「クイズ不思議発見」のような設定。なるほど、こういう方法で、聴者をひきつけ自国をア
ピールする方法もある。とても勉強になった。
夜は、6階のディスコで思い存分はめをはずして踊り明かした。明日はFree
day。
長い船上生活、たまには息を抜くことも必要・・。
1月28日(日)
今日はFree
Day。と思っていたが、NPDが近いので午前中はそのリハーサル。
二日酔いでしんどい一日となってしまった。
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それでも日課である早朝マラソンをし、朝食もとった。しかし体は正直で、やっぱりだるい。
NPDのリハーサルが終わり、デッキで寝られるかなと思っていたが、午前中の後半は、よ
さこいの練習をすることになった。
炎天下のもと(日本は真冬だというのに・・)、最後の大詰めで練習にも熱が入る。
扇子と鳴子を持って実践さながら踊りを繰り返し練習。メンバー皆、自信を深めた。
午後は、自由時間。デッキで昼寝した。PM3時、プレスクラブから今まで9日間の船内
活動の様子をまとめたビデオを1Fのシアターで見た。とても充実した日々を過ごしてきた
様子が皆の笑顔・真剣な表情から読み取ることができた。あっという間の9日間だったが、
映像で見るととても充実した9日間だったと再認識した。
夜、NL(ナショナルリーダー)のTさんのキャビン、通称K
Sバーで、船上生活のこ
とやお悩み相談などざっくばらんに語り合った。
さすが、NLだけあって、人の話を聴くのがうまく、回答も的確。船のリーダー兼、人生
の先輩として今後もアドバイス等をいただきたい。
1月29日(月)
今日は午前中クラブ活動、午後は上陸するスリランカについての説明会。
10日間海上生活だったが、いよいよ明日上陸。陸が恋しいのでとてもうれしい。
若い男女が密室の中にいると、自然発生的にカップルができる。彼らにとっても人の目を
盗んで(中には堂々と)、船内を移動するのはとても窮屈な思いだっただろう。もう少しの
辛抱・・。
スリランカは、私にとって未知の国で、「光輝く島」という意味のとおり、宝石が有名な
ことくらいしか知らない。
日本とはとても友好的な国らしいので、楽しい交流ができるかも・・と期待している。
プログラムの中に、スポーツ交流が予定されている。船上では、大好きなサッカーができな
かったので、やっと広いグランドで思いっきりボールを蹴ることができると思うとうれしく
てしかたがない。
今日はNPD本番前の最後の本格的な練習。乗船時は、どこまでできるか不安だったが、
人前で見せられるレベルになった。講師の高知県PYはじめ、今まで一緒にがんばったメン
バーに感謝、感謝。後は本番であがらないよう楽しんで踊れればと思う。
1月30日(火)
今朝のランニング時に島(スリランカ)の影が見えた。AM8時、コロンボ港に入港。
地元の人や政府関係者からミニ国旗で熱烈歓迎を受けた。皆、とても笑顔で親しみ易すそう
だ。
伝統の踊りキャンディアンダンスや歌もあり、異国に来たと実感した。その後の祝典には
在スリランカ大使夫妻やスリランカのスポーツ大臣など普段直接お会いすることのない方も
駆けつけていただいた。日本人特有(?)の記念撮影もあちこちで始まった。
ルームメイトのスリランカPYから、家族・親戚合わせて10人くらいを紹介してもらい
一緒に記念写真を撮った。
12
午後は、NYC(National
Youth Center)で、青少年団体との交流会。前日からの雨で、
地面がぬかるんでいたので今日は、センターのグランドは利用できないだろうと思っていた
が、日頃の行いがいいのか予想に反しグランドはいいコンディション。
歓迎式典で地元の青年たちとダンスを楽しんだ後、交流そっちのけですぐにグランドに出
てサッカーを楽しんだ。
ストレス発散にはなったが、気が付くと誰とも名刺交換をしていない。たまたまサッカー
の試合を見ていた女子高校生2人(1人は日本語が上手)とつかの間の交流と名刺交換をした。
時おり小雨の降る中、思いっきり運動したせいか、船に帰ると微熱(37.8℃)が出て、
夕食を食べた後、すぐに就寝。
スリランカ
(1) 国土の概要
インドの南わずか 29km の北緯 5.5 度〜9.5 度、東経 79.4 度〜81.5 度に位置し、「聖なる島」または
「美しい島」を意味するスリランカは、その形からインド洋の真珠ともいわれる。面積は約 6 万
5607km2 で九州よりやや大きく、北海道よりやや小さい。
地形は西洋梨形であり、島の北半分はほとんど平地であるのに対し、南半分は密林が続く山岳地
帯になっている。
(2) 気候
全島が高温多湿の熱帯性気候で、コロンボ首都圏の年間平均気温は 27℃である。コロンボは 4〜
5 月頃が最も暑く、11〜2 月頃が比較的しのぎやすい。
またスリランカには、モンスーン・シーズンが 2 回ある。島の南西部の平地と高地に多量の降雨をも
たらす南西モンスーン期(5〜9 月)、主として島の北東部に降雨をもたらす北東モンスーン期(12〜2
月)である。
(3) 人口
総人口は 1877 万 8000 人。主要都市人口は、スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ 10 万 9000 人、コロ
ンボ 61 万 5000 人、ジャフナ 12 万 9000 人、キャンディ 10 万 4000 人である。
(4) 略史
年
出来事
紀元前 483 年
ヴィジャヤ王子(シンハラ族の祖といわれる)スリランカ上陸。シンハラ王朝建設
紀元前 250 年
仏教伝来
1505 年
ポルトガル人来航
1658 年
オランダ人来航
1802 年
アミアン条約により英国植民地となる
1948 年
英国連邦内の自治領として独立
1972 年
国名をセイロンよりスリランカに改称、政体を共和制に変更
1977 年
第8回国会議員選挙。統一国民党(UNP)政権発足
1978 年
ジャヤワルダナ大統領就任
1983 年
大騒擾事件
1987 年 7 月
スリランカ・インド合意成立、インド平和維持軍(IPKF)がスリランカ進駐
13
1989 年 1 月
プレマダーサ大統領就任
1989 年 2 月
第9回国会議員総選挙
1990 年 3 月
IPKF 完全撤退
1993 年 5 月
プレマダーサ大統領暗殺、ウィジェートゥンガ大統領就任
1994 年 8 月
第 10 回国会議員総選挙で野党人民連合(PA)が政権獲得
1994 年 10 月
ガーミニー・ディサナヤケ UNP 大統領候補暗殺
1994 年 11 月
大統領選挙、クマーラトゥンガ大統領就任
1999 年 12 月
大統領選挙、クマーラトゥンガ大統領再選
2000 年 10 月
第 11 回国会議員総選挙で与党人民連合が政権維持
(5) 民族
民族構成は、人口の 7 割以上がシンハラ人で、そのほかタミル人、アラビア人の子孫といわれるスリラ
ンカ・ムーア人などが居住している。
(6) 言語
公用語はシンハラ語およびタミル語であるが、都市部では英語も使用されている。
(7) 宗教
全人口の約 7 割を占めるシンハラ人が仏教徒であり、タミル人はヒンズー教を、ムーア人などはイスラ
ム教を信奉している。キリスト教徒はアジア・ヨーロッパ系の人種にわたっており、ほとんどがカトリッ
クである。
(8) 文化
スリランカの文化は仏教を中心として栄え、ヒンズー教、イスラム教等の宗教色を加えて独特の発
展を遂げてきた。このなかで培われた古代からの伝統文化は滅びることなく、特に農村部などの生
活のなかで今も受け継がれている。またスリランカ中部、北部には数多くの有名な仏教遺跡、仏塔、
仏画、寺院、仏像が残存しており、同国はその保護、保存に努めている。
スリランカでは、都市部を中心に徐々に規制が緩んではきたものの、現在でもカースト制が存在す
る。地域、民族により多種多様なカースト制があるが、カースト位階別に伝統的職業に従事する点や、
厳しい異カースト婚忌避がある点では共通している。また、ヒンズー教徒であるタミル人のみならず、
シンハラ仏教徒社会にもカースト制がある。
スリランカのカースト制は、その起源がインドにあるとされるが、インドのカースト制が祭司階級至上
とするのに対し、必ずしも宗教的地位を優先しない点で異なる。また、カースト位階もインドにおいて
数千に及ぶのに対して、30 あまりに過ぎない。
(9) マスメディア
a) 新聞
「デーリー・ニューズ」「アイランド」「ディナミナ」「サンデー・オブザーバー」などがある。
b) 放送
テレビは、公共放送の SLRC(Sri Lanka Rupavahini Corporation)と ITN(Independent Television
Network)があり、これら以外に商業放送局がある。SLRC は全国放送を実施しているが、そのほか
のテレビ局は首都圏を中心に一部の地方都市だけで放送を実施している。
ラジオは、公共放送の SLBC(Sri Lanka Broadcasting Corporation)が独占的に放送している。
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c) 通信社
国営スリランカ通信(Lankapuvath)がある。
(10) 経済指標通貨
ルピー(Rupee)
(11) わが国との関係
日本は 1952 年に国交を樹立。特に大きな政治的懸案もなく、貿易、経済・技術協力を中心に良好
な関係が続いている。
1月31日(水)
昨日早く寝たので、今朝 AM5:00 起床。プログラムでは、コロンボ市内の自由行動となって
いたが、スリランカ政府の進言で、急遽、市内から遠く離れたシンハラ王朝の古都キャンデ
ィーへ行くことになった。ここは、日本の京都のようなところで昔、都が置かれた場所。
夏には、世界的に有名なペラヘラ祭り(象がブッダの歯を運ぶ)や、スリランカの仏教の
総本山である仏歯寺があり、仏教徒のメッカ。早速、仏歯寺の中を見学した。
しかしここでハプニング発生。仏様を前に決して後姿を見せてはいけないという仏教徒の
掟を知らず、お参りした後、仏に背を向けてしまい普段温厚なルームメイトに怒られた。
OPYの中には、日本でさんざんお寺に行かされているせいか、飽きている人もいたが、
我々日本人の多くは、小乗仏教と大乗仏教の違いはあるもののなんとなく興味をそそられる。
公園を歩いていると、小さな子どもたちが、あどけない笑顔で物乞のために近寄ってきた。
何かあげたい気持ちになったが、ぐっとこらえて拒否した。
帰路の途中、バスが前の車に衝突し、別のバスに乗り換えるというハプニングが発生。
さらに追い討ちをかけるように、船に帰ってくると、港から1kmしか離れていないところ
で、自爆テロ。朝、訪問先が変更になって命拾いした。とても怖い思いをした一日だった。
2月1日(木)
昨日のテロが港から半径1km 以内で起きたので、急遽、幹部ミーティングを召集して、プ
ログラムを変更し、希望者のみベンテゥータ(南西部のリゾート地)へ行くことになった。私
は、せっかくスリランカに来たのに1日船の中で過ごすのは退屈なので行くことにした。
ここはリゾート地として有名で、美しい海岸線が特徴。晴れていたら、ビーチで海水浴も
楽しめたかもしれないが、残念ながら今日は一日どんよりとした曇り空。
それでも、久しぶりに陸でゆったりした時間を過ごせた。
明日、1日早まって出航するので、観光地で物価が高いが、お土産を買うことにした。
1ルピー=2円、1ドル=100円、1ドル=50ルピーで計算。
現地のお店は、外国人にふっかけるとスリランカのルームメイトから聞いていたので電卓と
ペンを携帯して、値段交渉し紅茶を1箱120ルピーから90ルピーに、Tシャツは大量一
括購入することで、ディスカウントに成功した。
また、市内のスーパーで庶民が食べている食料品を購入。現地の人の生活を垣間見るには
いい方法だと思う。
15
次に家族と中国のペンフレンドそして自分宛てにポストカードを出した。家に帰ったら、
きっといい記念になるだろう・・。
交渉ごとがだんだん調子に乗ってきて買い物が楽しくなってきた。ところが帰りに寄ったコ
ロンボ市内の免税店で、ベンテウータで買った紅茶と同じものが70ルピーで売っていた。
ちょっとショックを受けたが(はじめからここで買うように言ってくれればいいのに・・)、
楽しく交渉できたのでよしとしたい。
帰りに、コロンボ市内のテロ現場を見たが、ホテルや銀行の窓ガラスが粉々に割れ、煙が
まだ出ていて、爆発の規模が大きかったことを物語っていた。残念ながらスリランカPYの
親戚が今回のテロで亡くなった。いつになったら争いごとがなくなるのだろうか・・。
2月2日(金)
予定より1日早く今日、午後出航。午前中は、よさこいのビデオを見た後に練習。
午後はAGLミーティング。その後出航式。テロがあった影響で、港には両国政府関係者
のみの送迎。少し寂しかったが、こんな大事件がおきたにもかかわらず、我々のために来て
いただき申し訳ない気持ちだった。
PM4 時にコロンボ港を出港。名残惜しいが仕方ない。
夕方、夕日がインド洋に沈む光景はなんともいえない美しさ。今、贅沢な時を過ごしてい
ることを実感した。
夕食時、ほとんどのJPY(日本参加青年)の女性メンバーは、スリランカで購入したサリ
ーを身にまとっていた。とても(本人同様)服が美しいので、一緒に写真を撮っていただいた。
きっと、いい思い出になるだろう・・。
夜は、よさこいの練習とJPYのミーティングがあった。少し風邪気味だったので、夜は
すべてキャンセルした。明日は、完全復帰して、またアグレッシブに活動したい。
2月3日(土)
体調も回復し、久しぶりに朝のランニングで今日1日が始まった。
やはり健康1番。今日はFree
Dayなので、朝の集いもなく食堂もすいていた。
明け方までディスコで盛り上がったからなのか、ガラガラの食堂で朝食を朝8時にとり、
午前中は、図書室で本を読んだ。よさこいの練習や各種イベントなどでなかなかじっくり
本に親しむ時間がなかったので活字が恋しかった。
そういえば、今までプログラムが充実しすぎていて気づかなかったが、外部の情報(ニュ
ース等)は、週1回配信されるロイター通信のFAXのみ。いつの間にか船ワールドにどっ
ぷりつかり、浦島太郎になっていた。世界や日本の情報に飢えていたので、小さな記事の内
容も頭の中にインプットされた。
午後は、私主催の日本代表を紹介したサッカービデオ(Road to America)を上映した。
アラブ諸国を中心に、男性陣が見に来てくれた。特にカタールPYはドーハの悲劇の試合の
ダイジェスト版を食い入るように見ていた。カズとラモスは彼らにとっても有名人。サッカ
ーには国境がないと再認識した。
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今日は節分でもある。赤道祭の前にスポーツデッキでJPY主催の節分を実演形式で紹介
した。鬼役は豆に当たりやすいように体の大きいJPYが担当。初めお手本役で私が、鬼め
がけて全力投球。
それをまねしてOPYが、思いっきり鬼めがけて投げ始めた。鬼役は悲鳴を上げ会場は大
混乱。夜、鬼役にこっぴどく怒られ、返り討ち(一気飲み)にあった・・。
PM3:00 頃、船が赤道を通過することになっていたので、有志主催による赤道祭をプール
広場で開催した。私にとって赤道を通過するのは人生で初めての体験なのでワクワクする。
トランペットや太鼓などの鳴り物とともにみんな思い思いに仮装して赤道通過を祝った。
ここまではよくある祝典だが、ここからシナリオのないドラマが始まった。
誰となく思い思いの言葉を発しプールに飛び込み始め、いつのまにかプールサイドに順番
待ちの行列ができた。ちゃっかり水着に着替えているものもいれば、なかには浴衣を着たま
ま飛び込む者も・・。ひとつの行事をみんなで楽しめ、JPY・OPYの壁を越え船の仲間
として一体感が高まった。
夜は、明日のNPD本番前の最後のよさこいの練習。息もぴったり合って手ごたえを感じ
た。明日は、今まで練習してきた成果を発揮したい。
2月4日(日)
今日は、日本のNPD本番の日。早朝に最後の悪あがきで、最後まで通しでよさこいを踊
った。食後、メイキャップしてもらい、本番に備えた。
日本のNPDは、四季(春、夏、秋、冬)に分け、それぞれの季節の美しい風景ビデオを
上映しながら日本文化を実演形式で紹介した。
春は、日本舞踊と琴、夏はエイサー、太鼓、秋は合唱と空手(瓦割り)、冬はとりを飾っ
て我らがよさこい踊り。
どれもダイナミックな演技で観衆をひきつけたが、特によさこい前の空手(瓦割り)は、
アラブ人を中心に賞賛の嵐の拍手と口笛が会場中に鳴り響いた。出番待ちの控えで、舞台裏
にいたので空手の実演を見ることができなかったのは残念。また、
その演技の直後の登場だったのでやりづらかったが、演技の途中
からどこからともなく拍手が沸き起こり、楽しみながらよさこい
を踊ることができた。細かいミスはあったが、持っている力を出
し切れたので演技終了後、充実感に満たされた。JPY同士の絆
がいっそう深まったことは間違いない。
日本の次に、エジプト、ポーランドの発表があった。特にエジプトのNPDは、あのアラ
ビアンナイトの世界をかもし出す魅惑の踊りベリーダンス。男性陣(女性陣も?)アラビア
ンナイトの世界へといざなわれた。
ポーランドのNPDは、リズムのいい男女ペアーの西洋のサルサと形容するにふさわしい
ダンス。見ていて一緒に踊りたくなった。ぜひ、機会を見つけて教わりたい。
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NPDは、各国の威信をかけたすばらしい発表だった。もてる力をいかんなく発揮できた
ので充実感にしばらく浸っていたが、明日からよさこいの練習しなくていいと思うとうれし
い(自由時間が増える)反面、大切なもの(恋人)を失ったようですこし寂しい。
夜は、練習から開放されたので、ディスコとバーで夜更けまで馬鹿騒ぎした。
2月5日(月)
今日はお酒の飲みすぎでまたまた二日酔い。早朝マラソンもパスした。朝食もお粥のみ。
NPDも今日が最終日で、残った国はUAE、カタール、イエメンとすべてアラブ諸国。
どんな発表なのか、日本の発表も終えプレッシャーがないのでゆったりした気持ちで見てい
たが、どの国も結婚式とダンスに終始して正直あまり代わり映えがしなかった。
また、アラブ諸国特有のお香はなれないとかなりきつい。
とはいえ、彼等の手拍子と口笛の独特の盛り上がり方は一致団結していてとてもすばらし
かった。早速、集団での拍手の仕方を教わって、締めの拍手に使わせてもらった。
夕食は、誰かの提案で、グループで取ることにした。ミーティングのときやイベント以外
であまり話をする機会のなかったメンバーともじっくり会話ができグループの結束力が高ま
った。
夜は、6階のフロア―でNPDでのよさこいのビデオを見た。あれこれメンバー同士で批評
しながら盛り上がった。顔中ペイントしていて誰だかわからない人がいたが、私だった・・。
2月6日(火)
今日は、早朝ランニングから1日が始まった。早起きしてライジングサンを見てからの朝
食はおいしい。午前中のプログラムは、グループごとでのディスカッション。テーマはMa
n&Woman。
我がグループは、ディスカッション係りがアンケートを作成し、その結果に対して討論し
た。
もし生まれ変わるとしたら、男と女どちらを選ぶかもし自分が親だったら男女どちらの子
どもを望むか、その理由はなど文化圏などで選択が分かれ、その理由もとても興味深かった。
アラブ諸国は皆同じ価値観との先入観があったが、実際は個々によっても考え方が違う。
あたりまえといえばあたりまえだが、実際に接したことのない国の人々の情報は、マスメデ
ィアの影響に流され固定い観念に縛られていたことに気付かされた。
午後はスポーツデッキでグループごとに写真撮影を行った。我がグループはみんな、海賊
のかっこうをしようということになったが、ここでまた顔にペイントするものが続出。NP
Dで失敗したことを繰り返してしまい、結局、写真の出来上がりを見て、普通のかっこうで
撮り直すことになった。
最近、グループミーティングでイス取りゲームや大縄跳びなどコミュニケーション深める
ゲームを取り入れメンバー同士、気軽に話せるようになってきた。
夜は、セミナーの先生主催の映画「カサブランカ」上映をおこなった。今回の裏目的はア
ラブの男性に男(ジェントルマン)の生き方や女性への接し方を参考にしてもらうことだと
主催のセミナーの先生は言っていた。何度見てもリック(ボガード)の生き様とイルザ(イ
ングリッドバーグマン)の美しさには惚れ惚れする!
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2月7日(水)
今朝 5:00、インド洋に浮かぶ楽園の島モルディブが見えることになっていたので、早起き
するつもりでいたが、昨夜よさこいメンバーとの打ち上げでずっと語り合っていたため
AM7:00 起床。それでも、島を見ることができ、早起き(?)したかいがあった。このあたりに
来ると海の色が青く透きとおっていて思わず飛び込んで泳ぎたくなる衝動に駆られる。
午前中はセミナーがあり、私は自分自身を知るために国際交流心理学を受講した。まず初
めに、心理テストをした。50項目ぐらいの質問に答え、その回答を分析表に基づいて性格
判断をした。その結果、会議で先頭を切ってアイデアを出す人との診断がくだされた。また、
論理的なタイプと感情的なタイプのちょうど中間で、バランスの取れたタイプと出た。ある
程度その人の性格を言い当てているなーと思った。
正午にはフランス領のレ・ユニオン島が現れた。初めて聴いた名前だった。世界は広い。
船から、軍事基地が見えた。ここはアメリカ空軍の拠点に
なっているようだ。
しばらくすると、家や車が見え人も住んでいることがわか
った。インド洋に浮かぶ神秘な島だった。
午後はフリータイムなので、今までの疲れを癒すために、
デッキのチェア―に揺られながら波の音を聞き、しばしシ
エスタ(昼寝)
。心地よい海風と船の揺れの相乗効果で快眠。
久しぶりのローマならぬ船上の休日を楽しんだ。
夜も無理せず、部屋でルームメイトと歓談しながら健全に過ごして早めに就寝した。
2月8日(木)
今日は、体調万全で朝のランニングから1日が始まった。海の色が青からエメラルドグリ
ーンに変わっていた。マダガスカル島の影が、船上からもはっきり見えた。もう次の寄港地
の南アフリカ共和国はすぐそこまできている。中学生の歴史で学んだあの喜望峰(Cape of
Good Hope)に立つことができる。もう地球を半周したのか・・と感慨に耽った。
午前中は、昨日のセミナーの続き(2回目)で、昨日行った性格判断テストの解説と同じ
カテゴリーに入ったもの同士でディスカッションをした。
判断結果が、ほぼ自分が思っている性格と一致していたので正直驚いた。私のカテゴリー
のメンバーは楽天家(optimist)でアイデアマン(ignition)、そして全員O型。講師は、
たまたまそういう結果になっただけといっていたが、なんとなく血液型との関係は気になる。
私が日本人だからだろうか・・。
午後のグループアクティビティーの時間は、次の訪問国である南アフリカ共和国の紹介ビ
デオを見た。ラグビーが強いこととアパルトヘイト(人種隔離政策)を行っていたこと以外
未知の国だったが、とてもよくまとまっているビデオで、国の概要がよくわかった。また、
南アフリカPYの熱心な解説(国に誇りを持っている)で理解はより深まった。
普段、おちゃらけていたPYだけにそのギャップにグループメンバー一同とても驚いた。
その後、クラブ活動の時間は、スリランカPY主催でキャンディアンダンスを習った。
講師は、ダンスのプロでキャンディアンダンスを世界中に広報する目的で世界船のメンバ
ーに選ばれたそうだ。やってみるとものすごく奥が深くて難しい・・。
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夜の自由時間にJPYで集まって、日本の番組(みのもんたの思いっきりテレビ)で放送
された世界青年の船の様子を紹介したビデオを見た。ほんの数分のコーナーだったが、これ
を見て来年、世界青年の船に参加する人がいたらいいなーと思った。
また、今日、ちょうどプログラムの半分の日程を消化したので、キャビンチェンジ(部屋
のメンバー交代)のメンバーが発表になった。3 人一部屋なのだが、日本の男性PYは、参
加者が 20 人弱と少ないため、必ずOPY2 人と一緒の部屋になる。私は同じグループのスリ
ランカとカタールのPYと一緒になった。2人ともきれい好きなので、とても快適に暮らせ
そうだ。
レ・ユニオン島
フランスが占有していたころはブルボン島と呼ばれていた。1663 年頃から本格的な入植が始まり、
1719 年、フランスインド会社によるコーヒーのプランテーションで発展した。ブルボン島と 呼ばれて
いたが、1793 年フランス革命でレユニオン島に改名された。 しかし 1806 年の第一帝政下でボナパル
ト島になったが、1810 年には短い期間であるがイギリスに占領され、もとのブルボン島に戻る。
1848 年の二月革命でレユニオン島に再び戻る。現在は観光が島の大事な産業になっている。
人口は 70 万人ほど、人種はマダガスカル、インド、中国からつれてこられた子孫である。現地語と
してクレオール語がある。フランス化されており、フランスからの観光者が多い。登山とダイビング
の両方が楽しめる島である。
モルディブ
モルディブはインドの南西約 600 キロに散らばる群島諸国。島々は二重鎖状になったサンゴ礁の還に
よってまとまりを見せている。総面積は佐渡島の約 0.35 倍の大きさ、島の数は約 1,200 で、人が住んで
いるのは約 200 島。その昔インド洋を東西に行き来していたアラブや中国、ヨーロッパの人々は、この
島々を「真珠の首飾り」と呼んだという。
ビヤドゥ島は南マーレ環礁の中央やや東寄りに位置し、空港のあるフルレからはスピードボートで約 1
時間の距離。島はゆっくり歩いても 20 分で一周できる程度の大きさ。ハウスリーフの美しさには定評が
あり、多くの日本人ダイバーに指示されている。
モルディブの正式国名はモルディブ共和国、イギリスの保護領を経て、1985 年、正式にイギリス連邦
に加盟した。国旗の三日月はイスラム教を、緑は自由と進歩を、赤は自由のために流れた血を表す。モ
ルディブの首都は人口密度が世界一高いと言われているマーレで、その人口は約 28 万人。通貨単位はモ
ルディブ・ルフィア(MVR)、但しリゾートや首都マーレの土産物店では米ドルが使用できる。パスポー
トの残存期間は帰国時まで有効なもの、30 日以内の滞在は現地到着時に無料のビザが発給される。電圧
は 220V、周波数は 50Hz。
マダガスカル島
アフリカ大陸の南東方約 400km、モザンビーク海峡を間に、インド洋上にある長さ約 1570km、最大幅約
580km に及ぶ、面積 58 万 7000km2 の島国で、国土の大部分を占めるマダガスカル島は世界で 4 番目に大き
い島である。この島は地質学的、生物学的に珍しい島で、日本を含め各国の学術調査団の研究対象となって
いる。対岸にはモザンビークがあり、周辺にはコモロ、セイシェル、モーリシァスなどの島国がある。
地形として、東側から直線的な海岸線と狭い海岸平野、階段上の急斜面、波状の中央高地、ケスタ地形を
示しながら緩く低下する斜面、比較的屈曲に富む(特に北部)海岸低地に大別される。中央高地の北端部に
あるツァラタナナ山地のマルムクトル山は、島の最高峰である。
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新生代に入って火山活動が起こり、中央部のアンカラトラ山地(最高峰はチアファジャブナ山)をはじめ、いく
つかの火山帯が形成された。ケスタ状の西斜面はカルー系で構成され、古生物研究の好適地が多い。東斜
面の河川は短く、急流であるが、西斜面には北から、ベツィボカ、ツィリビヒナ、マンゴキ、オニラヒなどの諸水
系が発達している。これらの河口部にはマングローブ林が見られ、海岸(特に北岸と南西岸)にはサンゴ礁が
形成されている。
(2) 気候
気候は熱帯性で、乾季(4〜10 月)と雨季(11〜3 月)に大別される。乾季は、概してインド洋南東の貿易風を
受けて比較的涼しく、雨季は北東の季節風が吹いて暑い。
内地の気候は温暖、首都のアンタナナリボは標高 1276m の高地のため、気温が 8℃から 27℃のあいだで推
移して過ごしやすく、特に 5 月から 8 月は涼しく乾燥している。一方、海岸地方は平均最高気温が 32℃と非常
に暑い。また島の北半部は夏にサイクロンに襲われる。
高地の雨季は 11 月から 4 月で、年間降雨量は 1000〜1500mm。海岸地帯の雨季はもう少し長く、年間降雨
量は 3500mm に達する。
(3) 人口
総人口は 1459 万 2380 人(1998 年)。主要都市人口は、アンタナナリポ 66 万 2585 人(1985 年現在)、トアマ
シナ 7 万 7395 人、マハジャンガ 6 万 5864 人、フィアナランツォア 6 万 8054 人(1975 年現在)である。
(1)正式名称
(和文)マダガスカル共和国
(英文)Republic of Madagascar
(2)政体
共和制
(3)首都
アンタナナリボ
(4)面積
58 万 7000 平方 km
(5)人口
1640 万人(2002 年)
(6)民族
マレー・インドネシア系(サカラバ族、メリナ族、ベッツィミサラカ族、ベツィレウ族
など)
(7)言語
公用語:フランス語、マダガスカル語
(8)宗教
キリスト教(58%)、伝統宗教(37%)、イスラム教(5%)
(9)略史
7、8 世紀ごろマレー人、インド人、アラブ人、アフリカ人が移住。17 世紀メリナ族
がアンドリアナ王国建設。1896 年フランス領となる。1960 年独立。同 75 年社会
主義政権誕生。国名を「マダガスカル民主共和国」に変更。1992 年新憲法採択、
国名を「マダガスカル共和国」に変更。
(10)在留日本人
約 120 人(2004 年 3 月)
(11)気候
熱帯性で、冬/乾季(6〜9 月)と夏/雨季(10〜5 月)に大別される。乾季は貿易
風の影響を受けて比較的涼しく、雨季は北東の風が吹いて暑くなる。首都のアン
タナナリボは標高 1250〜1400m の高地のため、年間の気温が摂氏 8〜27 度の
間で推移し、過ごしやすい。
2月9日(金)
今朝は、図書館のソファーで目が覚めた。昨日、今までのことを日記に書き綴っていてそ
のまま就寝してしまったようだ。なんとも恥ずかしい・・。周りを見ると、他にもソファー
で寝ているPYを発見。部屋と違い、体臭やいびき等に悩まされることなくかえって快適な
空間なのかもしれない。
彼らを横目で見ながら、今日も早朝ランニングから始まった。
21
今日は午前中キャビンチェンジ。さながら民族大移動。狭い廊下いっぱいにトランクなど荷
物が積みあがっていて、自分のお部屋に戻るのも一苦労。中には荷物が収まりきらずとトラ
ンクが半開きになっているものもあった。
部屋の掃除から、荷物の運び出し、そして新しい部屋への荷物の収納作業で半日近くかか
った。
午前の部後半は、まだ部屋が荷物でごった返しており入室禁止のため、映画館でキアヌリ
ーブス主演の「スピード」を見た。みんな行くところがなくて当然大入り満員。映画もなか
なか面白かった。
午後のプログラムは、ディスカッション。今日のお題は宗教と風俗・習慣そして死刑制度
について討論した。ある程度国により考え方が違う傾向が出るが、同じ国でも、個人によっ
て意見が分かれる。(当たり前といえば当たり前だが・・)
特にアラブ諸国のPYは「目には目を歯には歯を」のハムラビ法典の教えが染み付いてい
るのか、死刑制度についてはみんな賛成だった。
アラブ女性は、ビーチで水着(肌を見せること)になることは宗教上許されずダイビング
スーツで泳ぐそうだ。宗教が生活に密着している。所変われば品変わる。世界は広い・・。
2月10日(土)
今日は Free Day。久しぶりに朝のランニングも止めて、完全休業日にした。いつもより遅
い朝食をとって、同席したPYと朝の歓談を楽しんだ。
その後、図書館で、班のプロフィールと今までの出来事をまとめる作業をした。編集の過
程で、班のメンバーのプロフィールを見たが、意外な趣味や経歴の者もいてとても面白かっ
た。
次のディスカッションのテーマは Aginng Society(高齢社会)について勉強するために
一冊の本を読んだ。これがとてもよくまとまっていて、いつのまにか読み耽っていた。その
まま、ソファーでうたた寝してしまった。
昼食時、急に誰かが騒ぎはじめた。何が起こったのかと思っていたら、デッキに人がたく
さん集まっていた。イルカの家族が船の周りを楽しそうに泳いでいた。この旅はじめてイル
カを見た。愛嬌があって皆に好かれるのも納得。しばらく船に追走していたが、いつのまに
か視界から消えていった。
食後ロビーでしばらくイルカ談議をした後、いつのまにかJPY数人が剣玉をやり始めた。
楽しそうにやっていたので仲間に入れてもらった。
けんを少し引いてかまえ、前にふりだして引き上げ、半回転してきたけんを玉の穴にさす
飛行機という技や小皿〜大皿(又は大皿〜小皿)〜中皿〜けんとする連続技である世界一周
など一度練習し始めると病み付きになった。気がつくとまわりにいたアラブ男性も夢中にな
っていた。言葉の要らない国際交流の一つの手段になるようだ。とても充実した(?)休日
となった。
明日からアフリカ大陸上陸。そこで今夜はアフリカPY主催のアフリカンナイトをスポー
ツデッキで開催した。立食形式の夕食とその後のアフリカンファッションショーはとても盛
り上がった。
22
今日は我が班の南アフリカPYの誕生日だったので、特別にJPYの有志で作った吹奏楽
団に頼んで誕生日のケーキが運ばれた後、演奏をしてもらうことにしていた。ところが、皆
が騒ぎ始めたため演奏のタイミングを失ってキャンセルとなってしまった。結果的に彼女た
ちの面子をつぶしてしまった・・。しっかり段取りしておかないと、とんだハプニングに巻
き込まれてしまうことを学んだ。
さらに、ハプニングが続く時は続く。私のルームメイトのカタールPYが手すりの上に座
っていたが、ふとした隙にバランスを崩し転落して肩を脱臼してしまった。その後、ずっと
彼の看病でその後のパーティーには不参加。明後日、南アフリカ共和国のケープタウンに入
港するので病院にいけるのは不幸中の幸いだった。
2月11日(日)
今朝までルームメイトの肩の痛みに耐える唸り声が部屋中に聞こえた。卓球の代表選手だ
ったこともあり忍耐力はある人だが、それでもかなりの激痛が走ったようだ。なんとかして
やりたくてもどうにもできない歯がゆさが残った。
今朝、カタールのPYが入れ替わり立ち替わり見舞いに訪れた。まだ激痛と格闘している
にもかかわらず、時折ジョークを飛ばし周りを和ませていた。彼の人望の広さには驚いた。
午前中、私ともう一人のキャビンメイトであるスリランカPYは、キャビン内で彼の看病
をしていたので明日上陸する南アフリカ共和国の説明会はキャンセルした。
午後は、Free Activity だったが、キャビン内にとどまった。各国の料理を通じてお互い
の国を知ることを目的にJPYが主催して、夜、Food Festival が開催された。各国のブー
スでは文化紹介やお国自慢が繰り広げられ企画は大成功!
とてもおいしいベルギーのビールを飲みすぎ(飲まされ)て、撃沈・・。食を通じた交流
も言葉要らずでとても有効な国際交流だろう。
明日は、ついに南アフリカ共和国のケープタウン。テーブルマウンテンやバーソロミュー
ディアスが発見したインド洋と大西洋の境の喜望峰などとても楽しみ。
バーソロミュー・ディアズ(1450頃〜1500)
バーソロミュー・ディアズはポルトガル・リスボン出身で、ディアズ家は父祖以来エンリケ航海王子
に仕え、祖父 ジョアン はバハドール岬に到達、父 ディニス・ディアズ は1445年ベルデ岬に
到達した。
バーソロミューはポルトガル国王ジョアン2世の命により、エチオピア方面に有るという伝説の「プ
レスター・ジョンの国」と インディアス への航路を求めて、1487年8月3隻の小型船でアフリ
カ探検航海へ出帆した。これまで ディオゴ・カン が1485年に到達していた最南端の クロス岬
を越えて航海した。そしてセント・へレナ湾に到達し、暴風のため13日間漂流し、海岸を離れていた
ので、南東から東に転進したが陸地が見えず、さらに北に進路を変え、1488年2月3日にフレッ
シュ湾(アングラ・ドス・バケイロス)に到達した。知らぬまにアフリカ南端を東に回航していたわけ
です。その後、あまりの苦難の連続の航海に、乗組員が反乱を起こしたので、それ以上進む事が出来な
くなって帰途についた。途中でアフリカ南西端に立寄り、風と波が高いので「嵐の岬」カーボ・トル
メントソCaboTortmentosoと命名し、帰航の途につき、1488年12月リスボンに
帰港した。国王ジョアン2世に報告すると、この岬を「喜望峰」カーボ・ダ・ボア・エスペランサCab
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o da Boa Esperansa と変更・命名した。英語では
Cape of Good H
ope となる。
2月12日(月)
今日、憧れの南アフリカ共和国ケープタウンにAM10:30 到着。地球を約半周して、つい
にアフリカ大陸上陸。この地に足を踏み入れることができるなんて想像していなかった。大
航海時代にしばし思いを馳せた。港では、我々を日本政府関係者や地元の高校生、鼓笛隊な
どが熱烈歓迎してくれた。長靴に鈴をつけ統制のとれた踊りを披露してくれた一団もあった。
ルームメイトは一足早めに病院に直行しまずは一安心。
午後は、ケープタウン市内を見学した。アフリカのイメージを覆すヨーロッパ風の美しい町
並みに驚かされた。デパートも近代的で銀座にいるような錯覚になった。
ただ、ケープタウン湾の側の南アのお台場と呼ばれるウォーターフロントは白人の姿ばかり。
ここは、高級繁華街といったところだ。
市内に出ると、人種のるつぼ。白人だけでなくカラードや黒人もいる。ダウンタウンの街
角では、銃を持った白人の警官が立っていた。このあたりは治安がよくないのだろう。
フリーマーケットでカラードの男性と知り合いになった。先日行われたサッカーのアフリ
カ選手権やクリケット、ラグビー(代表チームをスプリングポックと呼ぶ)で優勝したこと
などを話してくれた。また黒人霊歌であるショショローザや国家を披露してくれた。199
2年にアパルトヘイトが廃止され、彼らは新生南アフリカ共和国に愛国心を持っているんだ
なーと実感した。
徐々にではあるが、人種差別のない世の中になりつつあるようだ。
夜は、買い物するためにウォーターフロントへ出掛けた。イルミネージョンに浮かぶ建物は
とてもきれいだった。ショッピングモール内をウィンドーショッピングしたが、食料品以外
(衣類や日用雑貨など)は日本より物価が高い。このあたりは高所得の白人しかいないから
だろうか・・。今日は時間もなかったので、市場視察にとどめた。
ケープタウン
1652 年にオランダの東インド会社が東南アジアへの航行船の補給基地としてアフリカ大陸南部に植
民を始めた「ケープ植民地」に由来する。1854 年にはケープ植民地議会が置かれ、1910 年には南アフ
リカ連邦議会が置かれる。その後、英領となり、現・南アフリカ共和国の港湾都市となる。ネルソン・
マンデラが幽閉されていた。
大陸の突端の半島に位置し大西洋に面しており、古くから国際的に発展してきた港町。国内有数の
大都市であり、発達した都市の街並と、テーブルマウンテンや喜望峰といった自然の美しい姿も望む
ことができ、観光客は多く訪れている。
テーブル湾に面する第 2 の都市。また国の立法首都、西ケープ州の州都でもある。
2月13日(火)
ケープタウン2日目の朝を迎えた。昨日は、見るもの聞くもの初めての経験だった。今日
はウォーターフロントから船で40分のところにあるマンデラ大統領が27年間、政治犯と
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して投獄されていたロベンアイランドを見学した。悪天候のせいか波が高く、船はかなり揺
れた。しかも運転手はポケット片手に突っ込み片手ハンドルで飛ばしたため、まるでジェッ
トコースターに乗っているような気分だった。ロベンアイランドにつく頃には船酔いで気分
が悪くなった人も続出。
まず初めにアフリカペンギンの大群が我々を出迎えてくれた。とっても愛嬌があってかわ
いい。ペンギンに癒されて船酔いが吹っ飛んだ。
今日の目的、マンデラ大統領が投獄されていた刑務所跡や強制労働場を見学した。
つい数年前まで、この地で過酷な労働現場で囚人たちが朝から晩まで働かされていたところ。
南アフリカのアパルトヘイト政策の現実を思い知った。
午後は、ケープタウンの象徴、テーブルマウンテンに行った。天が味方したのか、日頃の
行いがいいのか、いつの間にか天候が回復した。名前のとおり、市内から見ると山はテーブ
ルの形をしている。標高 1087mで、山頂はケープタウン
の町を一望できる絶好のロケーション。港に止まっているに
っぽん丸や先ほど行ったロベン島もはっきりと見えた。頂上
から市内を見渡すと自分がえらくなったような錯覚を起こす。
さらに頂上付近で、ここにしかいない珍しい動物や鳥にもお
目にかかれ大満足!
夜は、キャンプサイトで地元の青年との交流会に参加した。入港の時に見た長靴のダン
スチームの演技を再度堪能させてもらった。その後、歓談の席でカラードの女性2人と知り
合いになった。彼女たちとの会話でカラードは白人に比べて教育施設や居住などで差別され
ていると涙ながらに訴えていたことはとても印象に残った。黒人の住む部落の近くに高速道
路があり、隣の部落に行くには、その高速道路を渡らなければならなかったり、その道路を
渡ろうとして交通事故に遭い命をおとす黒人の数は減らないらしい。これが今の南アフリカ
の現実・・。今度訪れる頃には、黒人も白人もカラードも共存しているまちになっていて欲
しい。
最後に、こんなに濃厚な味のワインは生まれて初めての経験だった。
2月14日(水)
キャンプ場での一夜が明けた。昨日は、真夏の世の夢だった。南半球は夏とはいえ、南ア
フリカ共和国は緯度が高く朝夕は冷える。昨日ワインをたくさん飲んだにもかかわらず朝、
寒さで目が覚めた。
今日は、黒人居住区のカエリチャを見学した。ケープタウン市内でも今まで見てきたヨー
ロッパの町並みとは違うもう一つの現実をまざまざと見せられた。
昨日の話の通り、高速道路で隔てられ金網で覆われた一画に黒人居住区があり、雨をしの
ぐのも難しく今にも壊れそうな家が所狭しと乱立していた。今でもアパルトヘイト政策が残
した負の遺産がここかしこにある。満足な教育を受けられず家の手伝いを黙々とこなしてい
る子が多い。住居は家族全員で 1 人分のベッドに横たわるそうだ。しかし、そんな状況でも
私の心を救ったのは子どもたちの生き生きとした笑顔だった。早く、すべての人種が実生活
でも平等に暮らせる社会になって欲しいと願う。
午後は、中学生の時から憧れていたケープポイント(Cape of Good Hope)に行った。
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ここは、言わずと知れたアフリカ大陸最南端で大西洋とインド洋の境目にある岬。
大航海時代、数多くの冒険家がこの岬を通過している。
駐車場から、頂上の灯台まで歩いて 20 分ほどで到着した。ここから見る景色は筆舌に尽く
しがたい。はるばるアフリカ大陸までやってきたのだと実感した。
灯台の白い壁は、観光客のサインで埋め尽くされていた。一
生の記念になると思い、サインしたが、年(1996 を 1995)の間
違えを周りの観光客に指摘され笑いがおこった。一生忘れられな
い体験となった。
夜は、船内でオープンシップ(日本政府の関係者や企業に勤めている方たちを呼んでの
パーティー)が行われた。パーティーの時は、生鮮もの(寿司や刺身など)が出るので、つ
い話より食べ物に集中してしまう。
食べている時、現在ザンビアのルサカ在住の日本人exPY同士の新婚夫婦と知り合いに
なった。船でカップルになる秘訣やザンビアでの生活など話が盛り上がり楽しいひと時を過
ごせた。夜、JPYの女性陣有志主催でバレンタインデー企画を実施。すべての男性PYの
ボックスを作って、そのなかに日頃の感謝(?)の印としてチョコやプレゼントをしようと
いうもの。何人かの女性は、男性人全員に飴玉をプレゼントしてくれた。私も、久しぶりに
チョコを頂いて有頂天になった。プレゼントしてくれた女性ありがとう!
2月15日(木)
南アフリカ共和国の滞在最終日。今日の午前中はワイン工場見学。ここ南アフリカはワイ
ンの名産地。キャンプサイトで飲んだワインの味がまだ忘れられないので、またワインを味
わえるかもと思うととても楽しみ。
一歩庭園に入ると、どこかで見た景色。先日飲んだワインのラベル(1600 年代のワイナリ
ー)の絵にそっくり。それもそのはず、ワイナリーの方の説明で知ったが、ここブラハム・
ワイナリーは、300年前からほとんど原形をとどめた風景だそうだ。映画「秘密の花園」
に出てくる庭園にも似ているかな。ケープタウンのパール地区にあり、赤ワインの産地とし
て知られている。早速、赤ワインを試飲させてもらったが、いまいちコクがない。キャンプ
場のワインがおいしかっただけに・・。それに比べてグレープフルーツジュースはデリシャ
ス。
次に、実際にワインを作っている工場内とブドウ畑を見学した。ぶどうの香りがそこかし
こに充満していた。働いている人は全員黒人女性だった。ここでもまだ差別があるのかもし
れない。ブドウ畑の風景は、山梨の甲府盆地とそれほど変わらなかった。
船に戻って食事してから 1 時間、ウォーターフロントで最後のショッピングタイム。前
日までポストカードしか購入していなかった。物価が高かったが、ここでしか手に入らない
南アフリカのラグビー代表チーム(スプリングポック)のラガーシャツとワインを大量購入
した。最後に家族と中国のペンフレンドそして自分宛てにポストカードを出してショッピン
グタイム終了。
PM2 時、昨日お会いしたexPYはじめ、関係者の方々の見送りで、ケープタウンの港
を後にした。ケープタウンの思い出にテーブルマウンテンをバックに写真撮影した。天気に
恵まれ充実した旅だった。
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2月16日(金)
船は、次の目的地タンザニアのダルエスサラームへ向けて出航。南アフリカ近海は普段か
ら荒れているので、久しぶりの揺れに船酔いになるものが出た。
今日は、わが班がモーニングアセンブリーの当番。なぜか私が司会役で、今回は早口言葉
やカゴメカゴメゲームなど眠気を覚ます工夫を凝らした。
午前中は船長講話。長年、世界の海を航海しているだけあって、海賊やグリーンフラッシ
ュ、海や港の特徴など面白い経験談を聞かせてもらった。特に、マラッカ海峡の海賊の話は
今でも被害が発生している。
午前中後半はクラブ活動。前日の夜、司会のせりふとモーニングアセンブリーの内容を考
えて寝不足だったので、キャンセルして仮眠した。
午後はディスカッション。今日のお題は「コンフリクト(衝突)」。身近な船内生活から国
際的なことまで議論した。この分野は、乗船前から国際法などを勉強していたので積極的に
発言できた。
最後に、今船で大問題になっている「セクシャルハラスメント」について意見を言い合っ
た。国(宗教)によってかなり考え方が違うが、まさに今起こっていることだけに議論が白
熱した。
夜は、班の男性メンバーと船の生活や男同士の話で盛り上がった。
2月17日(土)
朝は久しぶりにランニングから始まった。最近、南アフリカの訪問活動からサボりがちだ
ったので、けじめをつけて生活習慣を建て直した。
午前中はセミナー。今回はスワヒリ文化の講義を受講した。次の寄港地がタンザニアでス
ワヒリ文化圏なのでとても参考になった。
東アフリカの沿岸地域は地理的にアラブやヨーロッパに近いために、それらの文化の影響
が色濃く残っている。昔は、アラブとの貿易が盛んだった。ダルエスサラームはじめザンジ
バル島やケニアのモンバサなどモスリム(イスラム教徒)が多い。
アフリカとひとくくりにしがちだが、東海岸地域はキリスト教、イスラム教など文化が
融合している。タンザニアの大学では母国語のスワヒリ語、英語、フランス語しか教えてい
ないそうだ。詳しいことは、木村
映子著書「おしゃべりなタンザニア」を読むとよくわか
る。
午後は、Free Activity。アフリカの風を感じつつ、デッキで昼寝したりプールで泳いで過
ごした。PM5:00 からAGLミーティング。夜はミスターにっぽん丸コンテストがあった。私
も出場者として誘われたが、風邪を引いてしまい残念ながら出場辞退。後で聞いた話だが、
コンテストの内容はカップラーメンの早食い競争など健康を害すようなものばかり。参加者
は英語ができる人たちだが、ビートルズのイエスタデーを最初のフレーズしか歌えないのに
は驚いた。
2月18日(日)
今日は Free Day。昨日、ミスターにっぽん丸コンテストで盛り上がったらしく、朝まで飲
んだ人が多かったのか、今朝の朝食はガラガラ。和やかなムードで優雅に朝食を楽しめた。
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午前中は、図書館で日記を読み返しながらいままでの出来事を振り返ったり、次の目的地
タンザニアについて調べた。
午後は平和学習のディスカッションをした。私は世界で唯一の被爆国の一員であるととも
に外交官試験の勉強をしていたので、興味を抱いて積極的に議論に参加した。
戦争のない世界にするために我々に何ができるのか、まずは身近かな船の中の世界から考
えることにした。
船の中はさながら世界を縮小した空間。お互いの多様性を認め尊重しつつ議論しながらル
ールを決めて守ることが船内生活を上手く過ごしていくコツだと思う。同じように国連も、
皆で決めた共通のルールを守り、お互いの多様性を認め尊重していくことが国際平和への近
道だと思う。
議論の中では、核の抑止力について意見が分かれた。アラブ諸国のPYは、ハムラビ法典
の「目には目を歯に歯を」の思想からなのか、敵国が持っているならば、自国が核を持つの
は当然の権利だと主張していた。
JPYでも意見が割れた。アメリカの傘下で守られていたから、戦後平和な日本になった
という核抑止論と、いつまでたっても核が世の中にある以上、悲惨な戦争がおこる可能性が
あるという核廃止論に分かれた。
夜は、6階のダンスフロアーでトランプ(大貧民)をしながら飲み明かした。我が班のカタ
ールPYは、貿易商として商売柄なのか駆け引きが上手く、強気に出るタイミングなどとて
も勉強になった。AM3:00 に就寝。
2月19日(月)
今朝まで夜更かししていたので、この旅初めてモーニングアセンブリーを途中から出席。
朝食はスキップしてしまった。
飲んだ次の日こそ、しっかりプログラムに出席すべきという信念を持っていたので自己嫌
悪に陥った。
午前中のセミナーは眠い目をこすりながらもしっかり出席した。今日の講義は前回の続き
でスワヒリ音楽とアフリカの言語圏。ほとんど知らないことだったのでとても勉強になった。
朝食をスキップしていたので、昼食が待ち遠しかった。ラマダン中のアラブPYの気持ちが
少しわかった。
午後は昼寝。午前中の無理がたたりクラブ活動をスキップしてしまい、午後 4 時に目が覚
めた。私は昨年、韓国、中国へ旅行したので自称アジア音楽ファン。カセットデッキを借り
てリドデッキで久しぶりに日本のPOPsやアジア音楽(韓国、中国)を聴いて自分の世界に
浸った。
夜、6階でメンバーの顔写真のついたプロフィールを見ながらPYについて情報交換を
した。どこの世界でも同じで、男性陣が集まると、女性の話になる。特にアラブPYは普段、
男社会で生活しているので、この話題には興味を持って加わってきた。高校時代のような(私
は男子校に近い環境だったので・・)男同士の連帯意識で大いに盛り上がった。
特に、国際カップルの現状など誰と誰が付き合っているとか別れたとかたわいもない話で
プロフィールが鉛筆の線でいっぱいになったのには一同大笑い。
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乗船して1ヶ月がたった。恥ずかしながら、はじめはアフリカの人の顔が同じに見えたが、
今では個々の性格までわかる。同じ釜の飯を食べていると、自然と仲良くなる。しかし、ヨ
ーロッパPYやアラブPYとは後10日程でお別れ。少しセンチメンタルな気持ちの今日こ
の頃だ。
ラマダン
イスラム暦第9月にあたり、イスラム教徒にとって巡礼に並ぶ最大のイベント。イスラム
教徒はラマダン期間中の約1ヶ月間は、日中は飲食などいっさいを口にすることを禁じられ
る。日没とともに、アザーンという祈りの呼びかけの声がモスクから流れ、人々はそれを聞
くとまず祈りを捧げる。そして、最初の朝食(BREAK FAST
断食を止める)を取ります。朝
食後は、人々は街に繰り出して深夜まで遊びに出かけ、深夜0時・3時ぐらいに軽い食事を
取り、眠りにつく。
2月20日(火)
今日は、早朝ランニングからスタート。朝早起きして朝日と海を眺めながら運動するのは
心身ともに爽やかな気分になる。なんて贅沢なんだろう・・。運動の後の朝食はとても美味
しい!!
午前中は、平和についてのディスカッション。今日は班ごとで討論をした。我が班は国連
の役割やグローバルガバメントについて話し合った。話が大きすぎて発言者が限られたので、
次に身近な話題「Nationality」について考えた。
オリンピックイヤーでもあり、国旗についての意見が分かれた。最後に民主主義(デモク
ラシー)について一人一人意見を聞いて終了。班員がどういう考えを持っているのかあまり
まじめに議論したことがなかったのでとても有意義な時間だった。
午後は明日上陸するタンザニアの説明とプログラムの確認が行われた。我が班のGL(グ
ループリーダー)はタンザニアPYなので、NL(ナショナルリーダー)として大忙しだっ
た。どの国のPYも愛国心が芽生え、自国の説明や質問に熱心に答えていた。そういえば、
日本のナショナルプレゼンテーションデーで、一生懸命日本のことを皆にアピールしたこと
を思い出した。
夜は、ピースウィークの締めくくりとして、「ピースコンサート」が行われた。それぞれ
の国から数名、自国の歌や誰もが知っている歌(ビートルズなど)を披露した。
私も個人参加で、ジョンレノンの「Happy Christmas」を歌う予定だったが、時間の関係で
却下。最後に船ではやったオリジナルの歌「We are Family」と「We are the world」を皆で
大合唱して締めくくった。とてもいい企画だったと思う。
歌好きの私としてはちょっとフラストレーションが溜まっていたので、海に向かって Happy
Christmas」を熱唱した。どこからともなく拍手が聞こえたのでとてもうれしかった。
明日は、ダルエスサラーム。どんなところなのかとても楽しみ。
2月21日(水)
今朝、目が覚めたらダルエスサラーム港に入港していた。ダルエスサラームを英語に訳す
と「平和の港」だそうだ。
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今までと同様、港では熱烈歓迎を受けた。その中に、見覚えのあるTシャツをきた人が手
を振っている。彼は、忘れもしない 1994 年鹿児島で行われたIYV(国際青年の村)でガー
ルフレンドを取り合った恋敵。彼も私のことを覚えていてくれてとてもうれしい。
我が班のタンザニアPYの奥さんと兄や妹など親戚一同が出迎えに来ていた。
最近、すこし元気がなかったが、生き生きとした笑顔がとても印象に残った。
母国に戻ってきて家族と対面してうれしかったようだ。こういうとき、自分のアイデンテ
ィティーを実感するのだろう。彼に家族を紹介してもらい一緒に記念写真におさまった。
午後はダルエスサラーム大学とマコンデ彫刻村へ行った。ラマダン明けで休みのため大学
生はほとんどいなかった。この大学は、1994 年のIYV鹿児島で同じグループだった旧友が
通っていたところなので、はじめてきた感じがしなかった。地元の大学生と大学生活につい
て語り合った。
それにしてもさすがアフリカの大学。敷地面積が広い。
次のマコンデ彫刻村は観光地化されていて商店がところ狭しと並んでいた。スリランカ同
様、外国人の客には、はじめ高い値段を吹っ掛けてくるが、スリランカで学習しているので、
うまくかけひきして買い物した。と思っていたが、後でタンザニアPYに聞いたら、まだボ
ラれていると言われた。日本人は特に金持ちとして認識されているようだ。これが現実・・。
移動中いたるところでトヨタの車や鴻池、鹿島が建設したビルをあちこちで見かけた。日
本の企業が世界に貢献している一端を垣間見た。
タンザニア
(1) 国土の概要
タンザニアはアフリカ大陸の東部、南緯 1〜11 度 45 分、東経 29 度 21 分〜40 度 25 分に位置して
おり、東はインド洋に面し、南はマラウイおよびモザンビークと国境を接し、西はタンガニーカ湖でザ
イール、ザンビア、ルワンダ、ブルンディと国境を接している。北はヴィクトリア湖でウガンダ、ケニアと
国境を接している。面積は 94 万 5000km2 で、わが国の約 2 倍半である。
地勢は海岸から内陸部にかけて 15〜60km は平原が続き、その背後はしだいに高地となっている。
ケニアとの国境近くにはアフリカ最高峰のキリマンジャロがそびえている。
(2) 気候
タンザニアは熱帯に位置し、気候は地方によって異なる。大別すると海岸地帯、中央高地、湖水地
帯、山岳地帯に分類できる。
海岸地帯(ダルエスサラーム、タンガなど)は、高温多湿で大雨期(3 月下旬〜5 月下旬)と小雨期
(11 月末〜12 月初旬)がある。6〜9 月は比較的涼しいが、12 月〜2 月はきわめて暑く、連日 30℃を
超える暑さが続く。
中央高地(ドドマ、イリンガなど)は温度、湿度とも海岸地域より低く、昼夜の気温の変化も激しい。
湖水地帯(ムワンザ、ムソマなど)は高地に位置するが、高温多湿である。
山岳地帯(モシ、アルーシャなど)は気候もよく、白菜などの温帯作物も栽培可能である。時期によ
っては暖房を必要とするところもある。
首都ダルエスサラームは、年間平均最高気温は 29.6℃、最低気温は 21.6℃であり、平均湿度は 70
〜80%くらいである。
(3) 人口
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総人口は 3212 万 8480 人(1998 年)。主要都市人口は、ダルエスサラーム 165 万 1534 人、ムワン
ザ 228 万 206 人、タボラ 125 万 7650 人、ムベヤ 179 万 1522 人、タンガ 159 万 381 人、ザンジバル
45 万 6934 人(1995 年現在)である。
(4) 略史
年
出来事
1884 年
大陸部はドイツ領となる。1905 年マジ・マジの反乱、1920 年に英国の委任統治領、
1947 年に信託統治領となる
1960 年
総選挙が実施され、タンガニーカ・アフリカ人国民同盟(TANU)が圧勝
1961 年
12 月9日、タンガニーカ国として独立
1962 年
共和制に移行、ジュリアス・ニエレレが初代大統領に就任
1963 年
ザンジバル島が英国より独立し、翌年に人民共和国となる
1964 年
4月、タンガニーカとザンジバルの連邦共和国が成立。10 月、国名をタンザニア連合
共和国に変更。初代大統領にニエレレが就任
1967 年
ケニア、ウガンダと東アフリカ共同体と結成したが、1977 年6月に解体
1977 年
2月、TANU 党とアフロ・ミラジ党がタンザニア革命党(CCM)を結成、一党独裁政治を
開始
1979 年
ウガンダと戦争
1985 年
ニエレレ大統領が辞任し、ムウィニ副大統領兼ザンジバル自治政府大統領が第2代
大統領に就任(1990 年に再選)
1992 年
5月、憲法を改正し、複数政党制を合法化
1993 年
8月、国民議会が大陸部のタンガニーカに独自の政府を作ることを許す法案を可決
する(1994 年8月に撤回)
1995 年
10 月複数政党による初の大統領・議会選挙が実施され、11 月のダルエスサラームで
のやり直し選挙を経て、CCM のムカパ元外相が大統領に就任
1998 年
9月ムカパ大統領が内閣改造を実施
(5) 民族
バンツー系を主とするアフリカ人が 97.6%を占め、ほかにインド・パキスタン系が 0.6%、アラブ人が
0.3%を占めている。
部族構成上の特徴は、数のうえで特に強大な部族がなく、130 前後の多数の群小部族からなって
いることである。そして各部族とも独自の部族語を持っている。しかし最近では、他部族との結婚や
都市生活などにより、部族語を知らない子供も育ってきているといわれている。
ザンジバル島では、アフリカ人およびシラジと呼ばれるザンジバル先住民が多数を占める。ほかに
アラブ系も比較的多く、また両者の混血も多く存在している。
(6) 言語
スワヒリ語が国語であるが、英語も公用語として政府、経済界などで使用されている。
(7) 宗教
本土では約半数がキリスト教、3 分の 1 がイスラム教、残りの大半が伝統宗教を信仰している。ザン
ジバルでは 98%がイスラム教徒である。
(8) 文化
31
各種族の持つ古来の伝統文化とイスラム文化の影響を受けている。130 に及ぶ部族がそれぞれ固
有の部族語を話すが、文字はなく、また各部族語内の共通性はない。
7世紀頃、沿岸部にアラブ人が定住し、イスラム文化圏が形成された。一方、内陸部では、西部か
ら東部へ移動してきたバンツー語族が8世紀には海岸地方に達し、イスラムとバンツー語族の文化
が混在し現在に至っている。
(9) マスメディア
a) 新聞
国営の「デイリー・ニューズ」、タンザニア革命党の機関紙「ウフル」などがある。
b) 放送
テレビは、国営の TVZ(Television Zanzibar)がザンジバル島で 1 チャンネルの放送を実施しており、
ザンジバル島とタンザニア本土の沿岸地域をカバーしている。このほか、首都ダルエスサラームには、
ITV、CTN、DTV の民放テレビ局が 3 局がある。
ラジオは、国営の RT(Radio Tanzania)が 3 チャンネルの放送を実施しているほか、民放局が3局あ
る。
c) 通信社
国営タンザニア通信がある。
(10) 経済指標通貨
タンザニア・シリング(Shilling)
(11) わが国との関係
日本は 1961 年の独立と同時に同国との国交を樹立。日本はタンザニアに自動車、機械製品、鉄製
品などを輸出し、コーヒー豆、白身魚、ゴマ、繊維製品、蜜ろうなどを輸入している。
2月22日(木)
今日は、タンザニアの端にあるミクニ国立公園へ行くので朝がとても早かった。ダルエス
サラーム港からバスで約5時間の旅。バスといっても、数十年前に日本で走っていた10人
乗りくらいのバン。先日の説明会で、湿地帯へ近づくとマラリアにやられるとのこと。長袖・
長ズボンで行くようにといわれていたので、炎天下ではあったが完全武装。
バスは、想像していたよりも狭く、冷房もなし。生暖かい風は入ってくるものの、完全武
装したことをちょっと後悔した。
バスの運転が荒いのか道が悪いのか、バスは上下左右に揺れジェットコースターに乗って
いる気分だった。だんだんと草原と山に囲まれた風景へと変わっていった。
目的地までは遠く、途中3回、トイレ休憩をはさんだ。トイレといっても数が少なく、女
性トイレは大行列。男性陣は、各々広い大草原のかなたへ消えていった。こちらの状況を知
ってか休憩所にここぞとばかし物売りがきて、ジュースが飛ぶように売れた。
キリマンジャロ山が見えてきて、ミクニ国立公園が近づいてきたことを実感した。先日の
タンザニア紹介ビデオでは、ライオンやシマウマなどが移動する姿が映っていたので、かな
り期待していたが・・。
公園の道にサルが時おり出てくるくらいで、日中かなり暑かったからなのか、公園内でも
キリンと象の親子を見たくらいで、ライオンやヒョウなどは皆無・・。それでも野生の動物
をじかに見ることができたのでよしとしたい。
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帰りも、5時間かけてダルエスサラームへ
戻った。疲れが出たのかバスの中は無言。か
えって揺れが心地よい睡眠を誘ったようだ。
夜は、タンザニアのダンスサークルを呼ん
でパーティーが開催された。来日してコンサ
ートを催したことがあるらしく、さくらや昴など熱唱してくれた。ふと日本が恋しくなった
のは私だけではないだろう・・。
2月23日(金)
今日は、タンザニア滞在最終日。IYV94の友人とも今日でお別れ。鹿児島で別れたと
き、まさか彼の母国で再会するとは夢にも思わなかった。縁とは不思議なものだ。
午前中は市内見学およびショッピング、*ティンガティンガ(油絵のように見えるが、ペ
ンキで書かれたアート。ティンガティンガ氏が最初に描きはじめたため、絵の総称をティン
ガティンガと呼ぶ。)村、博物館(北朝鮮展を開催していた)巡りを
した。
ここでも、我が家、ペンパルと自分に絵葉書を出した。きっといい
記念になると思う。北朝鮮展は、例のごとく金正日氏の肖像画をはじ
め骨董品やら貴重な文書が展示してあった。日本では絶対お目にかかれ
ティンガティンガ
ない在北朝鮮大使館の人と話をした。
タンザニアの通貨シリングはほとんど使っていなかったので、使い果たすべく(日本に帰
っても換金できない)ティンガティンガや動物の彫刻を購入した。これらの作品はタンザニ
アが誇るすばらしい芸術だ。
しかし、ここでも相手が外国人と見るやかなり吹っ掛けてくる。帰るそぶりをしたり、ま
とめて購入すると交渉を持ちかけて大体最初の値段の半分にはなる。それでも高いらしいが、
交渉を楽しめたのでよしとしたい。シリングも全部使い果たした。
どうやら知らないうちに交渉術とコミュニケーション力が養われてきたようだ。次の訪問国
UAEはショッピング天国なのでこれまで養ってきた力をいかんなく発揮したい。
午後は、フェアウェル式(出港式)があり、テープを対岸の友人めがけて投げた。これが
今生の別れになるかもしれないと思うと寂しい気持ちにもなるが、再開できたのが奇跡に近
いのでタンザニアでのいい思い出になった。
銅鑼が鳴り、船は次の目的地UAEのドバイに向けて出港。
夜は、班のJPYメンバーの恋愛相談にのり、朝まで話し込んでしまった。私の恋人は・・
と考えさせられた。
2月24日(土)
今朝まで話し込んでいたが、根性でモーニングアセンブリーに出席した。朝食も取った。
(早朝ランニングはパスしたが・・)
午前中はクラブ活動。このところ体調不良で欠席していたので、今日は睡魔と格闘しつ
つも出席した。午後にクラブ活動の発表会があり、我々ダンスクラブは、スリランカのキャ
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ンディアンダンスを男女ペアーで踊ることになった。さらにアフリカのダンスのルンバとエ
ジプトPYによるベリーダンス、JPYの代表によるジャズダンスというプログラムに決定
した。
今までの分を取り返すべく必死で、スリランカPYとマンツーマンでダンスを覚えた。
眠気もいつのまにか吹っ飛んでしまった。型を覚えたところで実際に男女ペアーで踊った。
船上生活を 1 ヶ月以上続けてきたが、JPYの美女と面と向かって踊るのは正直はじめ緊張
した。踊っているうちにステップと息を合わせるのに必死でそんな感情もどこかへ行ってし
まった。
午後は、クラブ発表とエキシビジョン。ダンス以外に以前はまった剣玉にエントリーして
おいた。ここぞとばかりに、キャビンの中でコツコツ練習していた技を披露した。他にも、
みんな隠れた才能を存分に見せてくれた。お花、合気道、合唱、日本語でのスピーチなど・・。
その人の意外な個性を垣間見ることができた。
夜は、OPY主催のミスコンテスト。ミスターコンテストの時は、風邪で参加することが
できなかったが、今回は思う存分楽しませていただいた。(目の保養になった。)
優勝は、我がJPYの通訳「Sさん」。彼女はブラジル育ちで、笑顔がとてもキュート。
とっても人気のある女性だったので、見物人一同納得。準ミスにはエジプトとポーランドの
PYが選出された。これにも一同納得。
楽しい夜のひと時はあっという間に過ぎていった・・。その後6階で、なぜかトランプ大
会を開催した。今回は班員対抗での大貧民(関西では大富豪というらしいが・・)。負けず
嫌いが多く、気が付くと朝の3時になっていた。またも夜更かし・・。
2月25日(日)
今朝は、ランニング、朝食は予想どおりスキップとなってしまった。それどころか、起き
たのはお昼。今日が休日(Free Day)なので誰にも迷惑をかけなかったが、半日損した気分
だ。
午後は、体調が回復し、久しぶりに屋上プール(10M×15M)を何度もターンしながら
泳いだ。水泳は全身運動で負荷をかけずに心身を鍛えるのにとてもいい。
久しぶりのスポーツを楽しみ清々しい気分になった。
しばらく、屋上のデッキで日光浴をした後、図書館で高齢化についての本を読んだ。船の
中は密閉された空間なので、なかなか一人になる時間がない。ましてや毎日密度の濃いプロ
グラムをこなしているので、じっくり本を読むことはなかなか難しい。たまには、自分と向
き合うのもいいものだ。最後に、これからプログラムも密になってきて時間もないので、も
う何日かでお別れ(下船)するメンバーへメッセージを送るために今までの出来事を思い起
こしながら手紙を書いた。
船内では、UAEが近づくにつれて別れが近づいていることを、皆、感じはじめていた。
船のあちこちで、OPYと会話しているJPYの姿を見かけた。私も、ルームメイトのカタ
ールPYとパーソナルな会話で盛り上がった。せっかく仲良くなれたのにもう少しで別れな
ければならないのは寂しいが、これからスケジュールがタイトになるので、今のうちにでき
ることをやっておきたい。
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夜は、また図書館でしばらく一人になって個々のPYとの交流を思い返していた。その後、
6階で、皆と語り合って、気が付くと午前様だった。
2月26日(月)
今日は朝食を時間ぎりぎりに駆け込んだ。モーニングアセンブリーも途中から参加した。
午前中はディスカッション。今回のお題は、「下船後の活動ネットワークについて」だった。
国によっては電子メールがまだ普及していないので、今後の連絡方法がいちばんの課題。
ホームページを立ち上げ情報を公開することや、メーリングリストの輪を広げていこうと
いう意見が出た。
会いたい時にすぐに会える距離ではないので、すべての人とコンタクトするのは不可能に
近いが、なにかあったら各国のキーパーソン(ナショナルリーダー)に連絡することにした。
最後に班で写真撮影。いろいろ小さなトラブルもあったが、皆の力で一つ一つ解決してい
き、チームワークのいい班になった。全員が笑顔だったのはAGL(アシスタントグループ
リーダー)としてとてもうれしい。
午後はフリーアクティビティー。しばらくデッキで波の音を聞きながら寝ていた。その後、
有志の世界船ネットワーク作りに参加した。音楽、文化、経済、政治など関心のあるグルー
プに参加してメンバーと名刺交換しながら共通の趣味の話題で話が盛り上がった。
夕食前のグループミーティングで、班のメンバーの印象を語り合った。中には、勝手な行
動をするものもいたが、最後は全員、この班でよかったという感想が聞けた。明日でお別れ
だと思うと本当に寂しい。しかし、出会いがあれば別れもある。こんなにすばらしいメンバ
ーに出会えたことに感謝したい。
夜は、我がKグループの送別会を6階で行った。残留メンバーが、折り紙で輪の飾りやレ
イを作って下船するメンバーにプレゼントした。班員同士、今までの思い出などざっくばら
んに語り合い、とても盛り上がった。そして班のJPYメンバーと日の出までトランプをし
ていた。朝日を見てモーニングアセンブリーに出た後、就寝・・。
2月27日(火)
我が班のJPYメンバーは午前中全滅。よってグループミーティングは中止になってしま
った。(班のOPYメンバーに大迷惑をかけてしまった。反省・・)
とはいえ、昨夜のパーティーで班のメンバーの結束が高まったので、誰からも文句が出な
かった。日に日に別れが近づいており、普段陽気なPYも心なしか元気がないようだ。
午後は、昨日の続きで手紙を書いた。じっくり落ち着いてあれもこれも思い出していると
いろいろなシーンが思い浮かんでくる。この旅がそれだけ充実していたということだろう。
手紙を書き終えた後、部屋でルームメイトのカタールPYとお互いの国のこと、彼の仕事
のこと、家族のこと、イギリス留学の話、恋愛事情や文化の違いなど広範囲にわたって語り
合った。
日が落ちかけてきて昨夜の徹夜もあってか眠気が襲ってきたので、夕食まで仮眠した。
夜、せっかく日本から準備してきて今まで教える機会がなかったので、私主催でわが班の
OPY対象に「ユニット折り紙」教室を開催した。まず、持参したビデオを見てもらい、そ
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の後、完成品を展示。みんなこんな薄っぺらい紙から、美しい立体ができることに驚いてい
た。ここまでは私の想定どおり。
最後に、ビデオをゆっくり回しながら、実際の折り方とユニットの仕方をレクチャーした。
教えながら、改めて日本の文化である折り紙の美しさに気づいた。
最後に今わが班でブームになっている大貧民をした。昨夜やりすぎたので今日はおとなし
く午前様にならない時間で終了。
2月28日(水)
昨日早寝したので、今朝は久々に早起きした。外は赤道直下でとても暑かったが、いい風
も吹いていたのでランニングしていてとても気持ちよかった。
今日のモーニングアセンブリーは、アラブ、ヨーロッパPYにとっては最後になるので、
にっぽん丸で流行った南アフリカのショショローザ、ケニアのジャンボ、スリランカの We are
Family、Our Land をみんなで合唱した。中には涙ぐむ人も・・。
午前中は、UAEのドバイの日程と観光用のビデオそしてUAEメンバーからのインフォ
メーションを行った。
ドバイは、中東の香港といわれ Duty Free の買い物天国。昔から貿易港として発展してい
る港町。うわさどおり物価も安い。特にゴールド(金)は、ヨーロッパからも多くの観光客が
訪れ購入しに来るそうだ。
オイルマネーで、町並みは近代的な建物が林立し、車も高級外車ばかり。郊外に行くと、
砂漠の広がるところとリゾート開発された海岸がある。リゾート地には大富豪の別荘や世界
でも5本の指に入るという豪華なホテルがある。この辺りは、マリンスポーツに興じる欧米
や地元の富豪だらけ。オイルマネー恐るべし・・。魅惑の国でとても興味がそそられた。
午後は、終了式をドロフィンホールで行った。ドバイで降りるUAE、カタール、ポーラ
ンド、ベルギー、ノルウェー、ベルギー、ポーランド、イエメンのメンバーへ事務局長から
一人ひとり修了書を授与した。
まだ数日、一緒に行動できる日はあるが、いよいよ別れがもう目と鼻の先となった。フォ
ーマルウェアのOPYと最後にいっぱい記念撮影をした。きっといい思い出の写真になるだ
ろう。
夕食は、プールデッキで立食形式のディナーパーティー。ここでもたくさん記念写真を撮
った。その後のフェアウェルパーティーは、キャビンで寝てしまい参加できなかったが、そ
の後のディスコパーティーでは、各々仮装して(私は女装して)大変盛り上がった。こんな
に皆に受けるとは思わなかった。一度、仮装してみたいと思っていたのでとてもいい(?)
機会だった。朝まで、6階のダンスフロアーで踊り明かしたことはいうまでもない・・。
2月29日(木)
今日は、ドバイ港に入港する日。朝は予想通り起きれず、AM10:00 起床。
その後、トランクの荷物整理をした。まだ、ルームメイトのカタールPYは寝ていたが、
時間が時間なので、音をなるべく立てないようにしながら作業した。
ところが彼にとっては、うるさかったらしく、安眠を邪魔されたようでかなりご立腹。
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自分の考えだけで行動するのではなく、常に相手の立場にとって行動しなければいけないと
いうことを学んだ。
PM2:00、4 番目の訪問国UAEのドバイ港に入港。
ここでも、熱烈歓迎を受けた。
港に来ている方は皆民族衣装をまとい異国情緒が漂っていた。ただ、外車(ベンツなど)で
携帯電話片手に港に乗りつけ、なかにはラクダを持ってきた方までいたのにはびっくり。
この国の富裕層は桁外れ!最も驚いたのは今まで、さんざん騒いで、服装も私服だった PY
が、皆民族衣装に着替えて、紳士(?)になってしまったこと。
UAEのPYの家族もお出迎え。なんといままで独身といっていたPYが実は結婚してい
たが判明。それにしても子どもがかわいいこと。とても人懐っこくて、彼に紹介してもらい
子どもと一緒に写真を撮った。
その後、フリータイムで、まちへ繰り出したら、男性にしか会わない。女性はたまに何人
かで歩いていたが、チャドルを身にまとい全身を覆い隠している。
今、ラマダン明けで商店が夜遅くまで賑わっている。お祭りなので賞品もディスカウント
されていて、我々旅行者にとっては、うれしい限り。今日のところはウインドーショッピン
グに徹し、まちを観察した。
夜は、首長国のひとつシャルジャの大臣主催のパーティーに出席。ここでは、まさにアラ
ビアンナイトの世界が繰り広げられていた。豚の頭をくり抜いたなかにご飯が入っていて、
手づかみで食べた。これがなかなかの美味。郷に入っては郷に従えとはよく言ったものだ。
exPYなど久しぶりに懐かしい顔にも会えた。ドバイで明日、同窓会を開くそうだ。野
外(大庭園)でのパーティーで、疲れたので船に帰ってきてすぐに就寝。
3月1日(金)
昨日、早寝したので、朝久しぶりにランニングをして清々しい朝を迎えた。このところ運
動不足で少し太りぎみだったのでちょうど良かった。
午前中は、ヘリテッジヴィレッジ(遺跡村)の見学とドバイ市内観光。市内は船の停泊し
ている港からも近く、物価の安いお店が多い。さすが自由貿易港!店員も、現地の人よりも、
インドやパキスタンなどからきた商人に多くお目にかかった。1ヶ月以上履きつづけ、靴が
ボロボロになったので、まずは靴屋を物色。香港、台湾、シンガポールからの輸入品が大半
だが、最近人気のエアジョーダンなどスポーツ靴が日本の半額ぐらいの値段で購入できる。
品質もそんなに変わらない。さすが自由貿易港。
次に、私が必ず海外で購入しているのが現地のCD。CD屋を探したが、残念ながら今日
は金曜日で午前中のみの営業の店が多かった。(イスラムの国では金曜日が休日。)
今日のところは、購入を断念。
午後は、ラクダレースを見に郊外へバスで出掛けた。近代的なドバイのまち並みから砂漠
の世界へと風景はガラッと変わった。今まで見たことがないレースなのでどんなものなのか
とても興味深かったが、いざレース場へ行ってみると、広すぎてラクダが豆粒ほどにしか見
えなかった。レースが始まると20分ぐらい戻ってこないので、飽きてしまった。それでも
じかにラクダとご対面できたのでよしとしたい。
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夜は、歓迎レセプションが開催され、昨日港にきていたexPYとご対面。船上生活のこ
とや下船後のOPYとのコンタクトなどについてアドバイスを頂いた。また、今とても贅沢
な旅をしていることを再認識した。
3月2日(土)
今日はヨーロッパ、アラブPYとのお別れの日。45日間、船内活動を通じて親しくなっ
たので、同じ釜の飯を食べてきた仲間との別れはつらい。
しかし、まだ半日、UAEでの自由活動がある。せっかくの自由時間なので、まちにくり
だしてアラブのクラシックCD、船内で流行したエジプトミュージック、絵葉書、そしてU
AEのサッカー代表のユニフォームを購入した。
残念ながら値段交渉する時間がなかったので、ユニフォームはほぼ言い値で買ってしまっ
たが、サッカー小僧の私は大満足。
大都市ドバイでも、ゴールドスークの一歩路地裏へ入ると生活感のある風景。好奇心から、
どんどん路地を奥へ進むと、インドやパキスタンの商人が商売人用に物を売っていた。
ここぞとばかり、私も電卓片手に日本政府の調査官と偽って、高級そうに見える腕時計を
2個(800円也)購入した。
午後は、ついにヨーロッパ、アラブPYとのお別れ。特に船内で長い時間行動をともにし
た我が班のメンバーとの別れはつらい。
しばらく感傷に浸っていると、下船する同じ班のヨーロッパとアラブのメンバーが私を
探しに来てくれた。船のあちらこちらで最後の別れを惜しむメンバーを見かけた。
涙しながら話しているものも・・。それだけこの旅で、お互いに仲良くなれた人が多かっ
たということだろう。このたびで築いた友情は間違いなく、これからの人生においてかけが
えのない財産になると思う。出会いがあれば別れもある。別れは新たな出会いの始まりでも
ある。帰国してからも無理せず末永くお付き合いしていきたい。
UAEの概要
アラブ首長国連邦(UAE; United Arab Emirates)は、アラビア半島の北東部に位置する比較的
小さな国で、サウジアラビア(Saudi Arabia)およびオマーン(Oman)と国境を接し、1971 年
に独立したばかりの新しい国家。アブダビ(AbuDhabi)、ドバイ(Dubai)、シャルジャ(Sharjah)、
アジマン(Ajman)、フジェイラ(Fujairah)、ラス・アル・ハイマ(RasAl Khaimah)、ウム・
アル・カイワイン(Umm Al Quaiwain)の 7 首長国で構成されている。中東で最も注目される
都市のひとつであるドバイは、北東部にあるドバイ首長国の主都で、UAE の首都アブダビと並ん
で重要な存在となっている。
国土面積はおよそ 83,600 平方 km、その大部分はアブダビ首長国に属する土地。UAE の海岸
線の長さは約 700km、そのうちオマーン湾に面する部分は 100km 程度になる。アラビア湾の沖
合には数多くの島や珊瑚礁がある。陸地では、Sabkha とよばれるソールトフラット(海水等が
蒸発してできた塩分の沈積した平地)、砂地、砂漠等が多くみられるのもこの地域の特徴。
UAE における最も重要な港であり、かつ商業の中心地であるドバイは、ドバイ・クリーク
(Dubai Creek)というアラビア湾の入江の両岸にある。ドバイの街はこのクリークを挟んで、
北側のデイラ(Deira)地区と南側のバードバイ(Bur Dubai)地区に分かれている。ドバイ周辺
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には砂漠が広がっているが、東の方には国のバックボーンともいえるハジャール山地(Hajar
Mountains)が横たわっている。一方、西側にあるアブダビ首長国の大半は乾燥した砂漠地帯で、
ところどころに砂丘やオアシスもみられる。
【基本情報】
面積
83,600 平方 km
時差
対日本:マイナス 5 時間 対 GMT:プラス 4 時間
首都
アブダビ
政治体制 7 首長国による連邦制
元首
シェイク・ザイード・ビン・スルタン・アル・ナヒヤーン大統領
(HH.Sheikh Zayed bin Sultan al-Nahayan)
人口
約 344 万人(2003 年 7 月推計)
平均寿命 74.75 歳 (男性:72.28 歳、女性:77.35 歳) (2003 年推計)
民族
アラブ人、南アジア人、その他(欧米人、東アジア人)
言語
アラビア語(公用語)、ペルシア語、英語、ヒンディー語、ウルドゥ語
宗教
イスラム教(96%、スンナ派が主流)、キリスト教、ヒンドゥ教
識字率
77.9% (15 歳以上)
主要産業 石油(年間生産量 260 万 B/D;2001 年)、漁業、石油化学
GDP
530 億ドル 実質成長率:2.4%(2002 年)
輸出
449 億ドル(2002 年)/原油、天然ガス等
主要輸出国:日本、韓国、インド、オマーン、イラン
輸入
308 億ドル(2002 年)/機械、輸送機械、化学品
主要輸入国:アメリカ、ドイツ、日本、フランス、中国、イギリス、韓国
通貨
AED(ディルハム Dh)
1Dh=100fils
3月3日(日)
OPYが半数以上下船したため、朝から船内はガラ―ンとしたもの悲しい雰囲気だった。
朝食も、いつものような活気がなく、まだ別れを引きずっている人が多いのだろう。
人間である以上、感情があるので落ち込むことはあるが、これからもまだ旅は続くので、は
やく気持ちを切り替えて船内プログラムに集中したい。悲しみが深いということはそれだけ
船内活動が充実していて深い付き合いをしてきたということだろう。そういう友人に出会え
た世界青年の船事業に感謝したい。
今日は、日曜日で Free Day。午前中はまだ寝ている人が多かった。私は、図書館で日記を
つけた後、「在日外国人」という本を読んだ。世の中にはいろいろな立場の人がいる。私の
周りにも、国籍は日本ではないが、日本で生まれ育った人がいて、いろいろな差別に苦しん
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でいる。我が国、日本の外国人への歴史や対応について勉強になった。そしてそのままソフ
ァーの上で就寝・・。
午後は、キャビンの中で、UAEで購入したCDを聴いていた。半分くらいのメンバーが
抜けて気落ちしたのか積極的に何かをやろうという気が起きず、ボーとしていたかった。
exPYが、「OPYが下船してからしばらくはやる気が起きない状態になるよ」と言っ
ていた意味がよくわかった。
午後、数名のJPY有志が、ひな祭りパーティーを企画した。OPYの有志をお雛様、お
内裏様に仮装させてひな壇の上に立ってもらって、はいポーズ。人間ひな壇の完成。会場に
笑いが起こって明るい雰囲気になった。OPYに日本の文化を実体験してもらい、大成功の
企画だった。
はやく沈んだ状態から脱却したかったので、夕方、ランニングとプールで泳いで気分転
換した。
夜、私のキャビンで班のJPYメンバーを集めて、OPYのこと、これからのグループ活
動や船内の様子などについて語り合った。
3月4日(月)
今日は、久しぶりにモーニングアセンブリーに出席。早起きすると1日が長く有効に過ご
せるのでいいことばかり。そろそろ生活習慣を朝方に変えていきたい。
午前中は、Free Activity だったので、気分転換も含めヨガ教室を受講した。
今まで、傍から見ていてなんとなく怪しい宗教のようで足が向かなかったが、実際体験して
みると心身が軽く新陳代謝がよくなり健康にいい運動。1度体験すると病み付きになる人が
多いそうだ。
午後のプログラムは2回目のスポーツレクレーションデー。その前にアフリカPY有志の
企画による「ハットパーティー」が開催された。
各班で帽子を作り、当日仮装して会場の採点で順位を決めようという企画。班の結束力が
試されるコンテストだった。我が班は日本の兜を作ったが、残念ながら入選からもれた。し
かし久しぶりに皆で盛り上がって、沈んだ雰囲気が一気に吹っ飛んだ。
その後のスポーツレクレーションは陽気なムードで楽しめた。ちょうどいいタイミングで
体を動かすプログラム。さすが、ベテランの管理部の方たちだ。プログラム構成力には頭が
下がる。
夕方、*グリーンフラッシュが見えるかもしれないとうわさが巻き起こったが、残念なが
ら今回も空振り。それでも、船内の雰囲気が明るくなったのでとてもうれしかった。
夜は、明日のディスカッションのお題(国際連合)に備えて、日本のNL主催で、勉強会
を開いた。国連の用語を英語で何というか、あるいは国際連盟から今までの日本および世界
の歩みについて講義を受けた。とても参考になり、明日は積極的に発言したいと密かに闘志
を燃やした。
その後、トランプクラブが復活。結局、朝の3時くらいまで大貧民で盛り上がった。今朝
の決意が1日にして挫折。情けない・・。
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*グリーンフラッシュ
太陽が水平線や地平線に沈む直前緑色の輝きに変化することがあり、これをグリーンフラッシュ(緑
閃光)と呼んでいる。肉眼ではっきり分かるグリーンフラッシュは大気の透明度・温度・湿度・逆転
層の有無などいろいろな条件が重なったときだけ見られる。
3月5日(火)
今日は、モーニングアセンブリー及び朝食をパス。ここまでは仕方ないが、せっかく昨日、
国連について理論武装して今日のディスカッションに挑む予定だったのに、残念ながら、最
後の30分のみの参加となってしまった。昨日のNLによる講義以外にも、昨年、外交官試
験のために外交史や国際法などを勉強して、OPYと議論するのを楽しみにしていたので悔
いが残る。自業自得といえばそれまでだが・・。
午後は、クラブ活動。しかし、寝不足がたたって、きょうも Sleeping
Activity となって
しまった。
1日にして挫折ではあまりにも情けないので、夕方ランニングをした。まだ赤道に近いの
で、夕方とはいえまだまだ暑い。かえっていいダイエット効果があるのかもしれない。おか
げで、夕食をとても美味しくいただけた。
夜は、我が班のJPY(男性)とルームメイトのスリランカPYそして私の男性陣3人で
AM4:00 くらいまで、船の中の出来事や恋愛、訪問国活動などじっくり語り合った。
明日はセミナーのアシスタントなのだが起きられるか不安・・。
3月6日(水)
今朝はセミナーの当番なのでルームメイトにAM8:00 に起こしてもらった。腹が減っては
戦はできないので、朝食をしっかり取ったが、まだ頭が働かない・・。
朝食後、先生の指示に従い、会場と備品の準備におおわらわ。いつの間にか眠気もすっか
り覚めた。
アシスタントなので、いちばん前の席で聴講。睡魔との戦いだったが、寝るわけにもいか
ずなんとか耐えた。今回は、東アフリカ、アラビア半島沿岸、スリランカの三角地帯は貿易
で人と物、宗教が行き来していたことを文献で紹介。
今まで船で訪問してきた地域にかかわることなのでとても興味深かった。
午後は、Free
Activity。私は、昨日から折り紙の講師を頼まれていたので、前回同様、
ビデオと見本を持参して講義した。今回、ポーランド出身のセミナー
の先生が参加してくれた。先生は、ポーランドのテレビで子どもたち
に折り紙を教える番組に出演していたそうだ。うれしいことに、私が
教えたユニット折り紙にはかなり関心を示してくれた。講師としては
とても光栄なこと。他のJPY、OPYの女性は、折り紙でこんな美
しい立体ができるのかと驚いていた。この企画は大成功!折り紙は、
国際交流活動においてとても有効な方法だと思う。
夜、スリランカ、バングラディシュPYによるパーティーが開催された。スリランカPY
は今夜スリランカ側を通過するとあって、うれしがっていた。きっと故郷が懐かしいのだろ
う・・。私も日本が愛しい今日この頃だ。
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だんだん、OPYとの別れも近くなってきたので、今夜はパーティー後、AM4:00 までこの
旅について語り合った。
3月7日(木)
今日も、セミナーのアシスタント。馴れというものは恐ろしいもので、体が反射的に起き
た。準備も 2 日目なので段取りよく終了。
セミナーは昨日同様、三角地帯の話と 16 世紀のポルトガルが世界にもたらした影響につい
ての講義だった。日本にはパンやカステラなど商品と言葉が輸出されたが、世界ではマカオ
を本拠地に香辛料など世界史に君臨する貿易国となった。スリランカには、バイラというポ
ルトガルの音楽が今でも残っている。
最後に、先生の専門の一つである南アフリカの歴史の講義で締めくくった。今でも国内で
11 ヶ国語が話されていることや 16 世紀のオランダ支配の時から今でも変わらないところの
例として、南アフリカ滞在時に訪問したブラハム・ワイナリーの「ワイン工場の地主の家」
の写真を見せてもらった。確かに今と同じ風景・・。これには受講者一同驚いた。
午後は、Sleeping Activity。PM4:00 から、プールで泳いだ。ヨーロッパのメンバーがい
ないので、ほぼJPYの独占状態。そこが5Mと深いので、日本ではなかなかできない飛び
込みも楽しんだ。よく寝て、よく遊べとはよく言ったもので、とても気分爽快。
その後、ピアノラウンジでポピュラーミュージックをひいている人がいたので、伴奏に合
わせて歌わせてもらった。歌は国境を越えて楽しめる。ストレス発散にもなるしいいことば
かり。音楽好きの私は、きっと一生歌と付き合っていくだろう。
夜は合気道クラブの打ち上げに参加させてもらった。さすが、がたいの大きいメンバーの
集まりだけあって、飲っぷりも豪快!ほどなく撃沈した・・。目が覚めると、AM4:00。数
名が泥酔していた。泥酔者を部屋まで送ってから、就寝。
3月8日(金)
今朝は、モーニングアセンブリー終了後に目覚めた。
今日は、最後のグループアクティビティー。先日のユニット折り紙教室が好評だったので、
私の提案でグループで「ユニット折り紙教室」を開催した。OPYは、薄い紙を組み合わせ
て美しい立体ができることが信じられないようだ。驚きの程度が大きいほど、講師としては
うれしい。自国に帰って紹介したいから資料をくれという注文が殺到。図書室のコピー機が
大活躍。参加者が喜んでくれたのでよかった。
午後は、デッキで音楽を聞きながら昼寝した後、また PM4:00 くらいからプールに行って泳
いだ。気温が高く、日差しも強かったので絶好のプール日和。昨日と違ってすいていたので
思う存分泳げた。ただ、プールの水は海水を使用している。水中眼鏡を無くしてしまったの
で少々つらかった。
今日は、シンガポールに入港する前の最後の夜なので、グループメンバー全員でお別れパ
ーティーを開いた。我がグループで流行った「大貧民」に熱中した後、服や帽子など持ち物
にサインの交換をし合った。
明日はフェアウエルパーティーがあるが、公式的な集まりでなかなか話す機会もないので、
今日が、実質最後の集い。最後に全員で集合写真を撮ってお開きとなった。
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3月9日(土)
今日は Wake Up Call の担当。残念ながら、今朝 AM3:00 ころまで盛り上がっていたので、
グループリーダー(タンザニア)を除き、誰も AM6:00 に起きられなかった。リーダーに合わ
す顔がない。リーダーの Wake Up Call で起床した。情けない・・。
今日が OPY にとっては最後のモーニングアセンブリーなので出席率が高かった。
モーニングアセンブリーは、船内で流行った音楽(ジャンボ、ショショローザ、エジプシ
ャンソング、This Land など)にあわせて、皆で輪になって踊った。参加したメンバーにと
っては忘れることのできない思い出となるだろう。
午前中は、最後の訪問国シンガポールの説明会。今回は地元PYがいないので、事務的な
説明と政府公認のビデオ鑑賞のみだった。情報を補うため、持参した資料や図書館で他のP
Yと情報交換した。
その後、下船したOPYへの手紙を一人ひとりの顔を思い浮かべながら書いた。残念なが
ら、我が班で一番のやんちゃ者だった南アフリカPYが、UAEでチキンポック(水疱瘡)
にかかってしまい隔離された部屋で過ごしていた。私が、水疱瘡を経験して言うかどうかわ
からなかったので、彼のいる部屋にはいけず電話で励ましていた。
午後は、昼寝して夜のフェアウエルパーティーに備えた。パーティーのウエアーは、おそ
ろいの服を着てくることというお達しが出たので、私はスリランカのルームメイトと家から
持参してきた日本の法被と中国で買ったTシャツを着て参加した。だんだんと別れの時が近
づいてきたのを皆、心の奥で感じているようだ。
3月10日(日)
今日は、最後の訪問国シンガポールに到着。昨日のパーティーでまた夜更かししたので、
AM11:00 に起床。デッキに出るともう人だかりができていて、シンガポールの美しい町並み
が目に飛び込んできた。つい先日のロイターのニュース(FAX)で、東京で大雪が降った
ことを知った。それにしても地球は広い。ここシンガポールでは、30℃を越す猛暑が続いて
いる。
昨日、図書館で綿密に練った計画で、同じ班の男性陣 3 人でまち中を観光した。はじめに、
マーライオンがあるところまで、公共バスで行こうとしたが、シンガポールのバスはおつり
が出ない。
困っていると、地元の高校生らしい女の子が寄ってきて、英語で話し掛けてきた。
窮状を伝えると、心よく両替に応じてくれた。親切にしていただき、シンガポールに好印
象を抱いた。
また、日本と違って公共の交通機関での車内案内がなくどこが降りると
ころかわからない。
すると、またさっきの子たちが、地図を見ながら親切に教えてくれた。
もし、日本で外国人が困っていたのを見かけたときは、親切に応対しよう
と思った。
逆に、シンガポールの地下鉄(MRT)は日本より進んでいて、プラットフォームに転落
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防止の扉があり、安全性が確保されている。さらに、自動改札用の切符がテレフォンカード
の大きさで、広告が刷り込まれている。また、自動改札機の切符の入り口付近にも広告があ
り、嫌でも目に付く。さすが、商人の国だけあって宣伝が上手い。日本も見習うべきだろう。
今まで日本の公共サービスは当たり前のものだと思っていたが、外国に来て日本のいいと
ころ、改善すべきところが見え、とてもいい社会勉強になった。その他、風俗・習慣など違
いをじかに認識できるいい機会となった。
今回のまちめぐりは、タクシーを一切使わず、すべて公共機関(バス、MRT地下鉄)と
歩いた。おかげで、苦労もしたが、新たな出会いがあり地理にも詳しくなった。今度来た時
は道に迷わず観光できるだろう。マーライオンにはがっかりしたが(実物はあまりにも小さ
くて貧弱だった・・)、市庁舎やオーチャードロードの繁華街など近代化した町並みを見ら
れお約束のCD屋で中国のCDも購入できたので大満足。一日、とても楽しい観光だった。
シンガポール
日本で言えば淡路島くらいの小さな島国。ここに駐在員等含め、約400万人在住。国の広さ、近
代的なところ、人口を考えるに横浜に似ている。
位置はマレーシア半島の南端にあり、北緯1度のためほとんど赤道直下。成田からは5、500km、
飛行機で約6時間半のフライト。
気温は一年中高く、通常の最高気温は32〜33℃くらい。
雨季と乾季があり、5〜8月が乾季の夏で最も暑くいかにも赤道直下の国という感じを受ける。とに
かくこの時期は暑い! しかし雨季になる11〜2月は夕方のスコール等の雨が多くなり、気温は2
7〜28℃と過ごしやすい。
しかし年間を通して湿度は異常に高く、慣れないと非常に蒸し暑い感じがする。平均湿度は調べた
ら83〜87%!
それでもシンガポーリアンは産まれた時から慣れているせいか、蒸し暑い中でもケロリとしている。
シンガポールは1819年にイギリス東インド会社のラッフルズ卿が上陸し発見された。
それ以来、イギリスの植民地として自由貿易港として発展。
しかし第二次世界大戦以降は独立気運が高まり1955年に部分自治政府が誕生した。
その後、後世に名を残すことになるリー・クアン・ユー率いる人民行動党(PAP)が1959年に政権
を取り、1963年にはマレーシアの一州に加わり植民地支配より完全に脱却した。
しかしマレー人と中国人の感情面での対立により、1965年に分離独立し「シンガポール共和国」
を名乗ることになった。しかしその時点では単なる貧しいアジアの小国に過ぎなかった。イギリスや
マレーシアの後ろ盾が全くなくなり資源も何もない国。このまま放置しておいては近々国がつぶれる
のも間近という状況。
そこで当時の指導者のリー・クアン・ユーは、まさしく背水の陣を敷き、先進国企業の誘致、輸出
入の自由の保障等、大胆な政策を取り続けることにより、現在に至る奇跡的な発展を実現した。
シンガポールは今でこそアジアにおいて日本に次ぐ近代国家となっているが、わずか40年もしない
短期間でここまで進歩してきた。
シンガポールは東南アジアの貿易・経済の要ということもあり、外国人が多く住んでいる。日本人も
多く家族を含めて3万人くらい。
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人種は中国系が全体の8割と圧倒的に多く、他はマレー系、インド系等。よって街中を歩いた感じは
日本とほとんど変わらず、違和感はあまりない。
食べ物も中華料理、フランス料理、イタリア料理、日本料理と世界中の料理が楽しめるレストラン
が揃っており、グルメの方にはこたえられないと思う。気になる料金はほぼ日本の7割といったとこ
ろ。特にシーフードなどは安くてお勧め。しかし日本料理はやはり高く、高級店的なところが多く見
られる。
もともとイギリスの植民地でもあったので言葉は基本的に英語。
しかし面白いことに中国語なまりがあり、慣れないうちは聞いていると英語か中国語か分からない時
がある。しかも実際にも英語と中国語をチャンポンで話す人も多いので、余計に分からない。更には
末尾に「ヤ〜」とかつけることも多く、これはマレー語。例えば「すみません」は「ソ〜リ〜ヤ〜」
などと言う。
この独特の英語はシングリッシュと呼ばれており、日本人はもちろん、アメリカ人でさえ最初は聞き
取れないらしい。
3月11日(月)
今日はシンガポール 2 日目であるとともに、OPYとのお別れの日でもある。
昨夜、ルームメイトのスリランカPYの荷物のパッキングを手伝いながら、もう別れが近
づいていると実感した。
AM7:00 起床。OPYと最後の朝食を取った。この機会に、日本から持ってきたお土産を渡
した。
まだ午前中、自由時間があるので、船にいて寂しい思いでいるのもなんなので、3 人でま
ちの郊外にあるセントーサ島へ行った。まずは、ケーブルカーの起点駅であるワールドトレ
ードセンターまでバスで移動。昨日学習したので、スムーズに乗り降りできた。
エレベーターで16階約70mまで上がったが、15、6人乗ったエレベーターは足元ま
でシースルーなので、思わず後ずさりした。頂上につくと、ケーブルカーで対岸のセントー
サ島まで 5 分ほどの空中遊泳の旅。
この島は、今でこそ南海の楽園の雰囲気に包まれているが、戦前は山下中将のもと日本軍
による虐殺をおこなった指令本部があったところでもあった。少々複雑な思いだった。
セントーサ島にある『ろう人形資料館』には、1942 年のイギリス軍の無条件降伏と、1945
年の日本軍の降伏の調印式の様子が、歴史的な資料として、ろう人形でリアルに克明に再現
されている。
日本からきた団体ツアーの人に多く出会った。久しぶりに日本語が飛び交う状況を目の当
たりにして親近感を覚えた。島をトロッコ列車に乗って 1 周し、ろう人形資料館を見学した
後、残念ながら時間切れで、この島の巨大マーライオン(口のところからシンガポール市内
が見渡せる展望台になっているらしい)に登ることなく帰船した。
午後は、ついに別れの時を迎かえた。いつかは必ず別れが訪れるものなので仕方ない。最
後のお別れで、ルームメイトが涙を流して挨拶しているのを見た。彼にとって充実した旅と
なったことだろう。私にとっても行動をともにした時間が長かったのでその存在感は大きか
った。船から見送って、姿が見えなくなると急に寂しさが込み上げてきた。
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船内はJPYとOPY1人(水疱瘡の南アフリカPY)のみが残り、急に人が減ってさら
に寂しさが増した。今日は、何もする気が起こらず、一人になったキャビンで音楽をかけな
がら今までの思い出に浸っていた。
3月12日(火)
今朝 PM12:00 起床。部屋に自分ひとりだけだったので違和感を覚えた。話し相手がいない
のは寂しい。恋愛話や生活習慣、文化など日本語で語り合えた貴重なOPYだった。
早く気持ちを切り替えて、残りの限られた時間ではあるが旅を楽しみたいと心では思って
いるのだが、体に力が入らない。
午後の班内ミーティングや船内アナウンスが今日から日本語に切り替わった。その後、ル
ームチェンジをおこない、各部屋2人ずつに振り分けられた。私の新しいルームメイトは、
音楽好きの青年。JPYの中でいちばん若い 20 歳での参加。その割にはしっかりしていて、
音楽の話題で話も合う。ちょっとづつ明るさを取り戻してきた。
体に力が入らなかったので、気分転換にプールで泳いだ。船が揺れてプールの状態も良く
なかったが、かえって体にはいい刺激になった。
夜は、有志でセミナーの先生によるコンパクトカメラ講座とNLによる国際教養講座を聴
講した。とても役立つ話で勉強になった。その後、船員の方によるテーブルマナーの講義。
頭の刺激になった。
夜中は、30 歳の会に仲間入りしカラオケをずっと歌って気分転換した。
3月13日(水)
朝起きたら、喉がいがらい。どうやら昨日はめをはずして歌い過ぎたようだ。今日1日で
喉あめを何個なめただろうか・・。
今日も、モーニングアセンブリーと朝食はスキップ。
午前中は、セミナーの講師 10 人から総括があった。すべての先生の講義を聴きたかったが、
セミナーの時間は限られていて 4 人の講師の講義しか聴けなかったのは残念だった。
それでも、選択した国際結婚、ジャーナリズム、国際交流心理学、中東・アフリカの文化
歴史はどれも興味深くとても貴重な機会だった。
特に、スワヒリ、中東、南アジアの三角地帯の話は、当時のことに思いを馳せながら、実
際に同じ航路を旅したので実感が涌いた。このたびに参加しなかったら、一生この地域のこ
とを知らないで終わったかもしれない。
有志がJPYのみの記念誌をつくることを企画したので、午後は、各々が自分のページ作
りのために創作活動。
私は、船の思い出の詰まった場所へ1つひとつ足を運び、いろいろ
な出来事を思い浮かべながら川柳にした。
PM5:00 からは船長主催によるワイン講座。ワイングラスの器に部分に手が触れると、ワイ
ンの温度が変わるのでやってはいけないことやワインを注がれたらすぐに飲むのではなく、
香りを楽しむこと、赤と白、ロゼと料理の組み合わせなど大人のマナーを学んだ。
今までの人生の中で、銀座の高級西洋料理店に行ったことがないが、今後、誰かと行く機
会がないともいえないのでこの知識が役立つ時はいつか来るだろう。
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夜は、NLの国際交流養成講座の 2 回目。今日のお題はリーダーについて。小グループか
ら組織を背負う立場までリーダーといっても所変われば品変わるが、リーダーの資格などに
ついて事例を挙げながら説明してもらい、とてもわかりやすい講義だった。
さすが、日本のNL(リーダー)だ。人をひきつける魅力があると思った。私も将来、リ
ーダーとして慕われていればいいなーと思った。
3月14日(金)
今日は、早朝ランニングから 1 日が始まった。朝早くから、起きるのは久しぶりだ。だん
だんと慣れてはきたが、食堂は人が少ないの(朝食をスキップする人も多いので)で寂しい。
午前中は、下船後の船のネットワーク作りと事後活動について話し合った。
抽象論ではなく、各自が具体的に行動に移せることを出し合いながら、議論を深めていっ
た。
まずは、SWY8の連絡網とメーリングリストを作ろうということになった。
その後のNLの講義は、国際交流の総括。ただ話すだけでなく、体験型のゲームを通じて我々
を飽きさせず、頭と体を使って、実際に起きる摩擦などを経験させる手法は事後活動にも使
える内容だった。大いに参考になった。
特に印象に残ったのは、何か共通する5人組を作れというお題。通常は、周りの人に例え
ば映画が好きな人とか呼びかけて集まってもらう行動に出る方が多い。
しかし、いちばん簡単な方法はとにかく 5 人組を作りその中で共通のものを見つけること。
つまり、必ず誰にも共通点があるということ。これには一同納得。国際交流も硬く考えるの
ではなく、お互い知り合ってそこから共通点を見出して(違いも認めて)、友だちになって
いくことだと気付いた。
午後は、下船後の世界青年の船報告会についての話し合い。6 月の最終日曜日に、プレス
クラブが作成したビデオでの船内活動の紹介や民族衣装でのロールプレイなどを企画するこ
とになった。
夜、管理官のスイートルームで、今までの旅のこと、これから残りわずかな時間をいかに
JPY同士、交流していくかなどお酒を入れてざっくばらんに話し合った。
特に印象に残っていることは、スリランカでのテロの次の日のプログラムについての裏話
や後 5 日ほどでも 120 人近くの全国から集まった日本人青年同士の交流の機会は人生におい
てもめったにない貴重な機会なのだから、精一杯与えられた時間を楽しもうということ。
今とても貴重な時間を過ごしていることを痛感した。
最後に、どんなに遅くまで起きていても、残りの数日のうちで一回は、全員モーニングア
センブリーに参加しようという提案(命令)が出された。
我が班のメンバーには、リーダーとしてこの命令を徹底させた。はたして明日は全員参加
するだろうか・・。AM4:00 就寝。
3月15日(土)
今朝は、徹夜して、日の出を見てからモーニングアセンブリーに参加した。昨夜の命令が
徹底したのか我が班は全員参加。明日は、全 JPY がモーニングアセンブリーで顔を合わせた
い。
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朝食を取った後、睡魔が襲い部屋で寝そうになっていたところで、今日は、船内生活の
evaluation(事後評価)なので全員参加するようにと呼び出しがかかった。
まずアンケートを行い、各自が事後評価をした。結果として、今までの船内生活を振り返
れたのでよかった。次に、各自の意見を発表し、共有化を図った。最後にNLからまとめが
あり午前中終了。
午後は、もう体力の限界で、昼寝。その後、夜のJPYによるJPYのためのエキシビジ
ョン(一芸披露)の練習のため、ひそかに練習していたデュエット曲(エンドレスラブと A
whole new world)を相棒の女性と練習した。即席なのでなかなかハーモニーを奏でるのは難
しい。
夜、本番。苦肉の策(?)で、歌より演出に凝った。女性はアラブの衣装、男性(私)は、
チャイナドレス姿で舞台の両脇から登場。笑いを取ってつかみはOK。
その後も愛を奏でる演出に会場は笑いが絶えなかった。メインの歌声は・・と聞かれると
即席だったので致し方ないところか。
次に、ソロで衣装に合った選曲で、サザンの真夏の果実を中国語バージョンで披露した。
これには驚いていた人も多かった。隠れた一面をやっと披露できたかな。
明日も、モーニングアセンブリーに出席するため今夜は早寝した。
3月16日(日)
今朝は、予定通り早く起きた。管理官が一昨日決意表明したモーニングアセンブリーに全
員参加しようという目標は、JPY、管理部一丸となって、乗船以来はじめて達成!
まわりを見渡すと、沖縄半島がすぐ側に見えた。もう日本に戻ってきたことを実感。約 2
ヶ月船上生活で地球を半周してきて、どこも見るもの聴くもの初めてでとても勉強になった
が、やっぱり我が祖国が 1 番いいというのが正直な感想。
午前、午後、間近に迫った下船準備のため荷物の整理をした。各国で買ったお土産やOP
Y、JPYからもらったものなど、乗船時より荷物が確実に増えていた。整理に時間がかか
ったが、今日中にはめどがつきそうだ。一つ一つの品を見ると、そのときの情景が目に浮か
ぶ。特に、2 月 14 日のバレンタインデーでもらったチョコやプレゼント、ルームメイト、同
じ班のOPYや親友になったノルウェーPYからもらった帽子などどれも思い出深いもの。
大切にしていきたい。
夕方、船長講話と Farewell Ceremony があった。こんなに楽しい船上生活も縁の下の力持
ちで働いてくれている日本人、外国籍従業員の気配りで支えられていることを痛感した。さ
らに、海賊に出会った話や嵐のなかの航行や世界の美しい風景など貴重な体験談も聞かせて
いただいた。
Farewell Ceremony では、管理官が、一人一人の名前を読み上げ、表彰を授与した。数人
のJPYが、壇上のマイクで感謝の言葉やメッセージを発し拍手喝采だった。
次に、予定にはなかったが我々JPY主催で、アドミ(事務局のスタッフ)、セミナーの
先生方、NLの方々の Farewell Ceremony をおこなった。予想外の出来事に皆、驚いていた。
最後に、この船の旅に参加していて卒業式に出席できなかったJPYのために、船内卒業
式を敢行した。小学生の時にやった卒業生へ送る言葉を船上生活におきかえて、社会人JP
Yからこれからの社会人生活の先輩としての温かい(厳しい)言葉が送られた。特に、「遅
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刻、欠勤、早退は 10 年早い!」のセリフで会場は大爆笑の渦となった。このサプライズ企画
に、卒業生は涙を流しながら喜んでくれた。
夜、ユースリーダー主催でキャンプファイアーをおこなった。久しぶりに童心に帰ってと
ても楽しかった。その後、私の部屋で南アフリカ産のワインを飲みながら日本vsUAEの
オリンピック予選の試合を観戦した。日本代表のサッカーの試合となると人が変わったよう
に応援してしまい周りに迷惑をかけてしまった。反省・・。今まではあまり気にならなかっ
たが、UAEの選手は、ハッサンとかアリなどUAEのPYと同じような名前が多くとても
親近感を持った。観戦後、JPYで一緒にいる時間を惜しむように、各部屋回りをして朝ま
で語り合った。
3月17日(月)
今日は、お昼に起床。昨日までにほとんど荷物の整理を終えたので、ルームメイトの荷造
りを手伝った。
昨夜から、天候不順により波が荒れていて、にっぽん丸もこの旅はじまって以来、はじめ
て時おり大きく揺れた。船内では船酔いするものが続出。私もすこし気持ち悪くなったが、
なんとか乗り切った。デッキに出ると、外はかなり肌寒く、3 月の日本に帰ってきたのだな
ーと実感した。今日は、部屋のテレビを付けたら、日本のコマーシャルが映った。すごく懐
かしい。しばらくTVを見ていた。
午後は、荷造りも終わり暇だったので、ドルフィンホールで野球をした。船が揺れの中、
童心に帰って楽しんだ。体を動かしていたので船酔いしなかった。
夜食は、出血大サービスで日本食フェアー。なんと、船の中にもかかわらず、寿司やそば
などが出された。南アフリカ以来の大とろやウニに終始頬が緩みっぱなし。
日本にいると気が付かないが、寿司やそばは日本の誇る味だと実感。自分が日本人である
ことを再認識した。
残念なことに、船酔いで半数以上の人が、寿司にありつけなかった。おかげで、我々はた
らふくいただけたのだが・・。ちょっと複雑な心境。
今日が、船内での最後の夜。揺れが激しいので、部屋のベッドで寝転がりながら、今まで
の出来事を思い返した。本当にいろいろなことがあった。この 2 ヶ月で、お金では買えない
貴重な経験をさせてもらった。また、いい仲間に恵まれたから楽しい航海になったと思う。
皆、本当にありがとう。非常感謝!これからの人生も紆余曲折があると思うが、この船で培
った経験と仲間の存在を忘れず、荒波を乗り越えていきたい。
PS:水疱瘡だった我が班のOPYも完治し、成田から飛行機に乗って無事帰路についた。
3月18日(火)
今日は、ついににっぽん丸との別れの朝。2ヶ月間、寝食をともにした仲間と過ごした船
なので名残惜しい。昨日の揺れはすっかり収まった。最後は、平穏な海で旅が終われてよか
った。
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朝食後、デッキに出るともうすでに東京湾に入って横浜を通過。しばらく対岸を眺めてい
るとレインボーブリッジが見えてきた。ここで、東京に戻ってきたことを実感。まだ肌寒く
コートが必要だが、周りは見慣れた景色でうれしさのあまり寒さも感じなかった。
AM10:00 晴海埠頭に到着。2ヶ月前、不安と期待を胸に抱いて出発した時のことを思い出
した。今日は平日で、時間も早いので熱烈歓迎とは行かなかったが、我が班のメンバーのお
兄さんが車でお出迎えに来てくれたので、集合時間の 12:00 まで束の間の時間、2ヶ月ぶり
の東京ドライブを楽しんだ。やっぱり日本は落ち着く。Identity と外国へ行って日本のよさ
を痛感した。途中ファーストフード店に寄って、オーダーを思わず英語で言ってしまったの
には一同爆笑。
午後は、バスでオリンピックセンターに戻り歓迎会に参加した。埼玉でお世話になったO
Bの方も来ていて、労ってくれた。1 月の中旬、この地でOPYと対面し世界青年の船事業
が始まった場所。いろいろなことが脳裏に浮かび、懐かしさで頭の中がいっぱいになった。
夜、有志(JPY全員)で渋谷に繰り出し、日本の居酒屋で、お互い無事に帰国できたこ
とを祝った。船内や訪問国での出来事などで話が盛り上がった。特に、シンガポールからJ
PYのみになって、今まであまり話せなかったJPYと親しくなれたという感想が多かった。
美女に囲まれ、久しぶりの美酒に酔いしれた。
3月19日(水)
南アフリカのキャンプサイト以来の陸地で向かえた久しぶりの朝だった。外はまだ肌寒い
が、部屋の外から新宿の高層ビル群が目に入った。ここは東京だと再認識した。
午前中はIYEO(総務庁主催の青年の国際交流事業に参加したOB・OGの組織)から
の組織運営や事後活動についての説明があった。
その後NL、管理官、セミナーの先生方からのスピーチがあり、最後にJPYの中で浸透
したアラブ式拍手で締めた。
そして、刻一刻と一緒に旅してきた仲間との別れの時間が近づいてきた。昼食を、立食形
式で取って、最後の歓談。私はお世話になったセミナー先生やアドミを中心にあいさつ回り
をした。
食後、全員で記念撮影とインタビューに答えて解散。きっと将来、若き日のよき思い出
として自分の財産として残るだろう。
ここオリンピックセンターで、6 月の最終週の日曜日、SWY8の発表会での再会を誓
った。また 5 年後にSWY8のリユニオンをすることを決めた。その頃、社会人として立派
にやっているだろうか・・。
一緒に旅した皆に感謝してもし過ぎることはないくらい貴重な経験をさせてもらった。
3月20日(木)
約2ヶ月ぶりに家のベッドで目覚めた。やっぱり我が家はいい。早速、日本に無事ついた
ことと我が班のOPYも無事帰路についたことなどを手紙に書いた。
家の周りを見渡すと見慣れた景色でとても落ち着く。とともに現実の世界に戻ってきたこ
とを実感した。
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緊張感から開放されたのか、規制のない自由な世界に戻ってきたからなのか、気が抜けて
しまい、一日何もする気が起きなかった。
とはいえ、午前中に、家へ送った荷物が届いたので、旅の出来事を思い出しながら荷物を
整理した。
各訪問国でいろいろなものを購入してきたものだ。Tシャツ、CD、マコンデ(彫刻)を
はじめ、OPYからもらったプレゼントやバレンタインの時にもらった贈り物、手紙など・・。
どれも、一瞬にしてその時の場面が思い浮かぶ。
写真をまだ現像していないので頭の中の記憶が頼りだが、もし現像し終わったらもっとビ
ジュアルで鮮明に思い浮かぶだろう。
まだ興奮が冷めやらないが、社会人生活も近いので徐々に現実の生活に戻していきたい。
そして、お世話になった人に手紙も書かないと・・。
編集後記
「私の世界青年の船旅行日記」をお読みいただきありがとうございました。当
時のことを振り返り、人生における貴重な体験だったと再認識しました。
仕事中心の生活をしていると視野が狭くなりがちですが、世の中は広く、視点
を変えればいろいろな考え方があり、常識が非常識になることも、その逆もあり
える。自分と異なるからといって排除するのではなく、多様性を認め、共存を探
ることが大切であることを学びました。
世界平和へのキーワードは「共存」だと思います。民族、宗教、領土、飢餓な
ど紛争の原因とされる要素は、共存が図れていないからではないかと自問自答し
ています。
このたびで学んだことを自分のまわりの人に伝えるための手段の一つとして
、この「私の世界青年の船旅行日記」を作成しました。
最後に、一緒に旅をした第8回世界青年の船のみんなに出会えたことが、私に
とって一生の宝となりました。
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