殺さないグローバル政治学 - Center for Global Nonkilling

殺さないグローバル政治学
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本作に示される構想は以下の下で発表されています。
Copyright Glenn D. Paige 2014
Copyright Center for Global Nonkilling, 2014 (for this edition)
前書き: 武者小路公秀 (Foreword by Mushakoji Kinhide)
訳:岡本三夫 (Translator: Mitsuo Okamoto)
校正:大屋 モナ (Editor: Mona Ohya)
List of available translations at http://www.nonkilling.org
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リチャード C. シュナイダー
1916 ‐ 1997
H. ヒュバート ウイルソン
1909 - 1977
政治学者、教師、友
「創立者を忘れることをためらう
科学は自らを失います。
」
アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド
目次
まえがき‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ iii
謝辞‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥v
はじめに‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ix
序章‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ xiii
第一章
[殺さない]社会は可能だろうか ? ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
第二章
[殺さない]社会のための諸能力 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 19
第三章
政治学にとっての意義‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 51
第四章
問題解決的意味合い‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 73
第五章
制度的意味合い‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 93
第六章
付録 A‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 121
付録 B‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 123
付録 C‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 125
付録 D ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 129
注意書き‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 135
参考文献‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 139
著者・訳者‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 157
まえがき
本書は、主として政治学を初めて学ぶ学生から円熟した老教授にいたるまで、世界中の
政治学徒の熟慮と批判的考察を促すために書かれた研究書である。政治学的理論と実践の
大前提には、殺人は不可避的な人間本性の一部として認められなければならないという仮
説があり、この仮説は年齢や学識とは関係なく広く流布しているように思われる。本書を
通して、読者諸賢がこの仮説への疑問を共有し、[(人を)殺さない]地球の未来に向けて
のさらなる思考と行動への架け橋となってくれることを願っている。
本書は、政治学の分野では、おそらく[殺さない(QRQNLOOLQJ)]という言葉を題名に含
む英語で書かれた最初の本のはずである。この用語は通常の使い方と異なり、
「平和」や「非
暴力」さえも越え、その先にある人間の生命を奪うということに対し直接的な焦点を絞る
ことに読者の注意を喚起しようとしている。多くの人びとの最初の反応は、[殺さない]こ
とに焦点を絞ることは余りにもネガティヴで狭隘な視点であり、他の重要なことを無視し
ているというものかも知れない。そういう人たちはヒンドゥ―語の「アヒムサ」(非暴力、
思考・言葉・行動において害を加えないこと)を[殺さない]と定義してしまうことは暴
力全般への対案としては限られた効果しかもたらさない、というガンディの警告に共鳴す
るのかも知れない。
しかしながら、ガンディでさえも、もし本書の読者となってくれていたならば、すべて
の諸暴力の源であり継続させている力は「殺す」ことであり、「殺人」からの解放に集中す
ることこそ、非暴力的政治学の重要な一歩になるのだ、という考えに対して賛同してくれ
るのではないか。そしてそれが、生命否定の政治から生命肯定の政治転換をもたらすことを。
本書の主題は、[殺さない]地球(グローバル)社会は実現可能であり、純理論的な政治
学とその社会的役割がもたらす変化はそのようなグローバル社会の実現に役立つ、という
ものである。政治学の研究と実践において、殺人が人間の本性と社会生活の不可避的要素
だという大前提が容認されなければならないという仮説には以下のような疑問がある。
第一に、人間は、先天的にも後天的にも、殺人を犯す可能性と殺人を犯さない可能性の
両方をもっているということ。
第二に、大部分の人間は、殺人の可能性をもちながら、殺人を犯さないし、殺人の経験
も持っていないということ。
第三に、人間が殺人を犯さない可能性はすでに広範な社会制度の中で証明済みであり、
これらの可能性を創造的に組み合わせるなら、[殺さない]社会の実現・構築要素として役
立つであろうということ。
第四に、殺人の(殺す)動機、非殺人の([殺さない])理由、殺人と非殺人の(殺すと[殺
iii
LY 殺さないグローバル政治学
さない])間の揺れについての更なる理解と、現時点で、将来に期待される科学的進歩を考
慮するなら、殺人にいたる心理学的要因・生物学的要因・社会的要因も[殺さない]方向
へ変化させるような介入が可能になるであろうということ。
第五に、以上の諸点を踏まえるならば、政治学と政治における暴力容認の大前提とされる、
殺人をおかす人間本性の役割は、この専門分野の土台となすには少なからず疑問があると
いうこと。
第六に、ロ―カルおよびグロ―バルな生活から殺人を撲滅させたいという普遍的な要求
を満たすためには、[殺さない]社会変革を実現し得る人間の能力について、その可能性を
演繹的・帰納的な要素を合わせた純粋理論において仮説的に調査することが必要であり、
このプロジェクトには現在まだ懐疑的な政治学者たちも招かれなくてはならないこと。
懐疑論者たちと、
[殺さない]変革の可能性を容認する人たちによる仮説的分析とロ―ル・
プレイ法は、問題の専門的進捗にとって顕しい助けとなるであろう。[殺さない]派の政治
学者と暴力容認派両者の政治学者が参画することで、グローバルに生命を[殺さない]諸
条件を実現するための、前提条件・プロセス・帰結、につき建設的かつ批判的な視点も交
えた意義ある探求ができうるであろう。
本書はおもに政治学を研究・実践している人びとを対象にしているが、言うまでもなく
[殺さない]社会の実現はあらゆる学問分野・職域における知見と協力なしには不可能であ
る。代表的な例はハ―ヴァ―ド大学の社会学者ピトリム・A・ソロ―キン著『愛の方法と
力』(3LWULP$6RURNLQ7KH:D\VDQG3RZHURI/RYH)に示された利他主義的な愛に
向けての先駆的な応用科学である。必要なのは、
[殺さない]自然科学と生物学、
[殺さない]
社会科学、
[殺さない]人文科学、
[殺さない]専門職、そして日常生活において[殺さない]人々
である。さらに、過去と現在の人間能力の全体を理解するためにはロ―カルな枠組みやロ
―カルな文化の限界を超えた知識と経験も必要となる。規範的には敏感、認識論的には正確、
実践では有意義であるためには、非殺人の政治学はその概念と参加において地球規模(グ
ロ―バル)でなくてはならない。
年の初版出版以来、本書に寄せられた読者の反応と ヶ国語以上に本書が翻訳さ
れている事実は、本書の主題である、非殺人=[殺さない]ことがグロ―バルな課題とし
て焦眉の急となりつつあることを示唆している。
謝辞
本書の作成にあたって、過去に現在に、知りながらあるいはご存知ないところで、ご協
力を賜った数々の方々、参考文献でその一端だけをご紹介させていただいた方々、本書が
今ここにあるのは皆様のお陰です。いかなる謝辞も皆様方の広く深いご支援に報いる言葉
とはなり得ませんがこの場を借りて御礼申しあげます。また、ハワイで惜しみなく労力を
費やしご助力くださった方々、すべての皆様へ深い謝意を捧げさせていただきます。ハワ
イ大学の「政治的非暴力のオルターナティブ」学部教科、 年の大学院生ゼミ、ま
た博士課程で非暴力へと学術的に進んでゆかれたフランシーン・ブルーム、チャイワット・
サタ−アナンドとマカパド・$・ムスリム、皆様にも深く敬意を表したいと思います。
本書を発表するにあたっては、特に、偉大なプリンストン大学の政治学教授である二
人の学者からの影響が大きかったことを申し述べます。ひとりは、リチャード・&・シュナ
イダー氏、もうおひとかたは、+・ハバート・ウイルソン氏です。シュナイダー氏からは、
科学に向けられるべき尊重、学際的応用、政治の本質はオルターナティブな選択に内在す
ること、そして教育はあらゆるレベルにおいての生涯学習に価値があり、価値観の理解に
よって「見えないもの」の価値が照らされることであることを学びました。ウイルソン氏
からは、後述のガンディとともに、
「自由と正義」にみちた社会を望むならだれもが「真実」
を恐れず声に出すこと、例えそれが独りであっても孤高の選択をなさればならぬことを学
びました。
多くの学者と同様、私も学界内外の多種多様な分野の方々からインスピレーションやご
指導を得ることができました。特に多大な恩恵を賜った方々(以下)にはこの場を借り改
めて深謝申しあげます。
精神・宗教界リーダー:アチャリャス・ツルシ、マハプラギャ、ラビ・フィリップ・-・
ベントリー、シドニーヒンクス牧師、池田大作、シスターアンナマクアナニー、ラマドブー
ムトゥルク、ジョージ・ザベルカ神父とアブドゥラハム・ワヒード。自然科学、生物学、
社会学:アン・チュンーシ、ジェームス・$・デートール、ヨハン・ガルトゥング、ピエ
ロ・ジオルジ、ホング・サング−チック、リー・ジェイーボング、ブライアン・マーティン、
ロナルド・0・マッカシー、ブルース・(・モートン、武者小路公秀、エレミー・パルノブ、
イリヤ・プリゴジン、/・トーマス・ラムジー、リー・ヨングーピル、関寛治、ウイリアム・
シュミルノヴ、レスリー・(・スポンセル、ジーン・シャープとラルフ・スミー。人類学から:
$/ ハーマン、リーチャード・/・ジョンソン、マイケル・1・ナグラー、チャーマン・ナ
ハール、ジョージ・シムソン、タチアナ・ヤクシキナとマイケル・トルー。図書室での貴
重なお仕事をして下さった方々:ルース・ビンズとブルース・'・ボンタ。政治または社
v
YL 殺さないグローバル政治学
会的リーダー:ジェームズ・9・アルベルティニ、0・アラム、$7 アリヤラテネ、ダニロ・
ドルチ、グインフォール・エヴァンズ、ホワング・ジャング−ヨップ、ぺトラ・.・ケリー、
ジーン・サダコ・キング、マイリード・コリガン・マグアイヤ、アブドゥール・サラーム・
アルーマジリ、ロナルド・マローン、ウルスラ・マローン、アンドレ・ペストラーナ、エヴァ・
クイストルプ、シー・グー、イクラム・ラバニ・ラナ、スラク・シバラクサと 7.1 ユニ
タン。教育者:ホセ・9・アブエヴァ、1・ラダクリシュナン、*・ラマチャンドラン、ホ
アキン・ユレアとリイタ・ワールストローム。非暴力訓練士:ダールマナンダ、チャールス・/・
アルフィン・シニア、バーナード・ラファエット。体と心の治療に携わる医師:ティオング・+・
キャム、ジャン・5・レドゥック、ラモン・ロペズーレイイェズ、リー・ドングシック、ロー・ジュ
ンーウーとウェスリー・ウオング。すばらしい革新者:ヴィジェイ・.・バルドワジ、カレン・
クロス、ラリー・5・クロス、ヴァンス・エンゲルマン、6/ ガンジー、サラ・ギリアット、
ルアン・ハアへオ・グアンソン、マンフレッド・へニングセン、テオドル・/・ヘルマン、シ・
ヒアン・レオン、アンソニー・-・マルセラ、リチャード・モルス、ロモーラ・モルス、スコッ
ト・マックヴェイ、ヘラ・マックヴェイ、ゲドング・バゴス・オカ、バートン・0・サピン、
スタンレー・シャブ、ウイリアム・3・ショー、ジョアン・タチバナ、ヴォルデマー・トム
スク、ジョン・(・トレンタンド、アルヴァロ・ヴァルガス。
未完成段階から寛容にも原稿をお読みいただき、様々な視点でコメントを寄せていただ
いた方々、特に:アン・チュング−シ、$7 アリヤラトネ、ジェームス・マクグレガー・
バーンズ、チャイワット・サターアナンド、ヴァンス・エンゲルマン、ヨハン・ガルトゥ
ング、ルイス・ハビエル・ボテロ、アメデオ・コティノ、エリザベッタ・フォルニ、ルアン・
ハアへオ・グアンソン、カイ・へベルト、テオドル・/・ヘルマン、ホング・サングーチッ
ク、エドワード・$・コロジエジ、ラモン・ロペズーレイズ、カイシャ・ル、マイリード・
コリガン・マグアイア、ブライアン・マーチン、メリッサ・マッシュバーン、ジョン・'・
モンゴメリー、ブルース・(・モートン、ムニ・マヘンドラ・クマール、ビンセント・.・
ポラード、イリヤ・プリゴジン、1 ラダクリシュナン、フレッド・:・リグス、ジェームズ・
$・ロビンソン、バートン・0・サピン、ナムラッタ・シャルマ、ジョージ・シムソン、- デ
ビッド・シンガー、チャンズー・ソング、ラルフ・スミー、コンスタンチン・チオウソヴ、ヴォ
ルデマル・トムスク、マイケル・トルー、63 ウダヤクマール、7.1 ウにサン、アルバロ・
ヴァルガスとバオクシュ・ジャオ。彼ら彼女らの貴重な意見により不可双方の論旨に豊さ
を加えることができました。いまだ彼ら彼女らの賢察に応えきれない部分があるとすれば
それはひとえに私の不徳の致すところであります。
さらには、 年 月に最も初期段階の原稿を快く読んで下さった最初の読者でもある、
ジェームズ・$・ロビンソン氏が、同僚でもあったリチャード・&・シュナイダー氏の意を
謝辞 殺さないグローバル政治学 YLL
汲んだ序文を寄せていただきました。心から感謝申し上げます。
また、こと細かく繊細私の原稿をひとつひとつタイプし全てを管理しサポートしてくれ
た、長年連れ添いあらゆる非暴力の発見と旅 ― バリ、バンコック、北京、ベルリン、ブ
リスベン、広島、ロンドン、モスクワ、ニューデリー、ニューヨーク(国連)パリ、プロ
ビンスタウン、ピヨンヤン、ソウル、東京、ウランバトール― に同行し、本人自身のキャ
リアもある中で大変な努力と誠意を費やしてくれた、私の妻グレンダ・ハツコ・ナイトウ・
ページにも私の心からの感謝を申し述べたいと思います。
本書の日本語版の翻訳、校正、デザインなどに携わった岡本三夫、岡本珠代、大屋晃一郎、
モナ・マイヤー・オオヤ、逢坂亜紀、ハンク・フクイにもこの場を借りて感謝申しあげます。
最 後 に、 コ ロ ン ビ ア・ 大 学 出 版 へ ジ ョ ン・:・ バ ー ジ ェ ス の 5HPLQLVFHQFHVRIDQ
$PHULFDQ6FKRODU(FRS\ULJKW‹E\&ROXPELD8QLYHUVLW\3UHVV)から引用を許可して
くださり、深く感謝いたします。
はじめに
「殺さないグローバル政治学」をしらずに適用してきた日本
―印象的な「前置き」に代えて―
武者小路公秀
「殺さない」グロ−バル政治学が、今日の日本で訳出されることになった。大変時宜にかなった
本書の日本における登場である。今日の日本では、
「殺さない」政治学を知らないままで、その適
用の可能性を打ち消そうというとき、日本市民がこの政治学を学ぶことがたやすくできるように
なったのである。今まで日本は「殺さない」憲法を守り続けてきた。その日本が、「殺すことがで
きる」方向で憲法を改悪しようとしているのである。それも安倍晋三首相が「積極的な平和」と
称して、「殺すことも辞さない」グロ−バル政治の方針をうちだしてのことである。日本がクニと
して「殺されない」ためには「殺すクニ」に衣替えする必要がある、という主張のもとでの。
「殺
さない」グローバル政治{学}の全面否定の政策転換である、第二次大戦後の日本の「殺さない」
憲法を支持してきた日本市民にとって、「殺さない」国際政治を、「殺さない」日本憲法のもとで
進める、日本の世界に誇ることのできる道が閉ざされてしまうことについて、ちゃんと学問的な
前提を理解して、この愚かな選択を否定するべき時である。その意味で、本書は現在の日本でもっ
とも大事な本である。このことについて、本書の「前置き」に代えて、説明したい。厳密な「科
学的」な論文を「前置き」とするのは、本書に蛇足をくわえることになるので、あくまでも印象
的な形で、「殺す」「殺さなない」ことを巡る日本政治の選択について、個人的な見解を書き記す
ことにする。
まず、私の個人的な意見を学問的にダメ押しすると、つぎのような、「仮説」を読者のみなさま
に提供して、皆様のご判断の材料にしていただきたいのである。
「今、日本で起こっている憲法解
釈の強引な変更、そして憲法そのものの改悪の問題は、まったく意識されてはいないけれども、
日本国そして日本人が「殺さない」か「殺す」かについての決断の問題である。そして、この決
断は論理的に、日本国と日本人が「殺される」ことを覚悟するか、
「殺されない」ことをえらぶか、
という問題と同じだということがいえる。もちろん、
「殺さない」という原則には、いろいろ違っ
た意見を持つ政治家のあいだでも、
「殺されそうになったら殺す」という日本国家の「自衛権」を
みとめている。
「殺さ裂創になっても殺さない」という絶対非暴力の立場は、日本の政治家のあい
だでははやっていないのである。しかし、集団自衛権とか集団安全保障で、アメリカ人などが「殺
されそうになったら、殺しそうになっているヒト科クニを殺す」、アメリカなどが、「殺されそう
だといって、殺す」ときに、きょうりょくして「殺す」ということについては、与党の公明党の
ix
[ 殺さないグローバル政治学
なかでも、反対意見が多数をしめている。
「「殺す」「殺さない」ことの判断は、すでに自衛隊員
のなかで退職希望者がでているように、「殺される」「ころされない」ことに通じている。たと
えば、憲法改悪の問題は、国民皆兵という明治憲法の大原則にもどるかどうか、という形で、
坤為地の日本の若者が「殺される」か、
「殺されないか」の大問題につうじている。そのことが
わかっていないために、安倍晋三のファンの若者がツイッターなどをつかって、「ネット右翼」
になっている。憲法お改悪すれば、
兵隊になることで日本青年が「殺される」ことになる。そのことについて心配しているのは、
若者の当事者ではなくて、老人層である。大学生に召集令が下った「学徒出陣」で兄を戦病死
で失った、この「前置き」の筆者など、老人た
ちの心配をよそに、若者が「殺す」ことのできる敗戦と占領の前の明治憲法下の「日本」に
憧れる若者が増えている。ネット右翼の若者たちに、本書を読んでもらって、
「殺す」「殺される」
ことについて、もっと慎重になってもらえるとよいとおもっている。しかし、彼ら、彼女たちは、
おそらくマンガしか読まないので、本書のマンガ化が必要だということを指摘したい。しかし、
世代間の「殺す」
「殺される」問題の中心にあるのは、あくまえも「殺さない」憲法なので、こ
の憲法について、「殺さない」グローバル政治学を応用して、三点に触れたい。第一には、「殺
さない」人間像、第二には、「殺さない」歴史的な文脈、第三には政策決定の重点の置き方につ
いて述べたいと思う。
安倍晋三首相は、「殺さない」憲法を「殺す」あるいは少なくとも「殺せる」憲法に代えよ
うとしている。そこで、「殺せる」ことを大事にしている安倍晋三に対して、「殺さない」立場
を切り開いた人間像について、安倍との比較において考えてみたい。憲法の中に 条とくにそ
の 項がはいったのは、幣原喜重郎という占領時代の首相のおかげであった。憲法の議論が起
ころうとしているころ、肺炎にかかった幣原はマッカーサー占領軍司令官から、当時日本では
入手できなかったペニシリンを送られて快癒し、そのお礼の訪問の際に、マッカーサーに「殺
してきた」日本を「殺さない」日本に変える憲法の大原則を提案した。詳細ははぶうが、この
提案をマッカーサーが歓迎して、それが憲法前文の「平和に生存する権利」という「殺さない」
大原則と、憲法 条の「殺す」軍隊を持たないという原則の適用に結実した。幣原は、中国の
思想、とくに老子から、
「殺さない」もの(人も国も)は「殺されない」ということを学んでい
た。そして、日本の中国侵略の際に、「殺さない」ことができなくても、「殺す」範囲をなるべ
くひろげない「不拡大」方針を主張したけれども、日本軍部とくに関東軍の「拡大」方針を止
めることができなかったという苦い経験をもっていた。「殺す」ことの専門家集団である軍隊は、
植民地侵略という形での「殺す」国家の手先として働く。つまり西欧ウェストファリア体制の、
領域国家の防衛としての軍隊の機能のほかに、植民地競争で非西欧地域での植民地侵略という
まえがき [L
「殺す」政策を推進することを、だれよりも知っていた幣原は「殺す」軍隊を廃止するという 条 項を提案した。その前提は「平和にいきる権利」つまり、平和に生存している人々の権利
を侵害して「殺す」植民地侵略への反省、当時でいえば「懺悔」の気持ちを持っていた。
そういう人物像を大事に保存することは、
「殺さない」グローバル政治(学)の大前提である。
この「殺さない」日本のリーダーの「懺悔」の実践の成果を打ち消すために、平和憲法がマッカー
サーにyって落ち着けられたというマッカなウソが王くしているので、
「殺さない」立場で幣原
の発想を思い起こす必要がある。
第二に、「平和に生存する権利」、正確には、(占領軍側の補足で含まれた)「恐怖とけつぼう
をまぬかれて、平和に生存する」権利は、要するに外部からの植民地侵略によって、「ころされ
る」ことがない「権利」である。日本の植民地侵略の歴史的な経験は、安倍晋三首相がひてい
しようとしても、被害を受けた国々の市民にはわすれられない「殺された」経験である。「殺した」
日本は、このことを反省、懺悔して、植民地侵略による「殺し」を否定したのである。そうす
ることで、日本国憲法は、明白に「殺さない」憲法となった。植民地侵略によって非西欧諸国
での「殺し」を実施してきた米欧諸国は、いまだに、植民地主義が「殺す」支配体制として人
権侵害であったことを認めていない。そういう反植民地主義条項を憲法前文に含めている日本
は、今日もグローバル化して、国内植民地主義でマイノリティを「殺し」ているポスト植民地
主義を否定する最初の非西欧の国家として、そのことを誇りにおもうことができる。これからは、
決して植民地侵略によって「殺さない」ことを約束している「殺さない」グローバル政治(学)
を世界の中で主張すれば、日本の植民地侵略の被害者・被害国も「殺さない」立場で連携でき
るようになる。そういう「殺さない」グローバル政治の最前線に立てるのに、今更、
「殺される」
前に「殺す」
、あるいは新植民地侵略や「人道介入」という「殺す」ことで「殺させない」国際
政治勢力に加担しようとすることは、大変愚かなことである。「殺さない」グローバル政治学を
まなべば、そのことが明白になる。本書が今日の日本で読まれるべきなのは、そういう歴史的
な文脈があるからである、グローバル植民地主義がはびこる歴史的な段階で、
「殺さない」グロー
バル政治(学)は大変重要な役割を持っているのである。
三に、 年以来つづいてきた「殺さない」憲法を奉じながら、「殺す」グローバル政治に
参加してきた日本の「殺さない」憲法と「殺す」政治の折り合いをうまく生かしてきた「殺せる」
けれども「殺さない」 年体制について考えてみたい。特に2014年の時点で、安倍政権の
「殺す」いわゆる「積極平和」によって、なぜ否定されようとしているのか、
「殺さない」グロー
バル政治学の立場でかんがえたうえで、これに代わる新しい 年体制を作る必要性を強調
したい。
年体制は、自民党と社会党とが国会で「殺す」「殺さない」両者の立場を主張しあって、
[LL 殺さないグローバル政治学
討論を繰り返すことで、
「殺す」範囲を野放図に拡大しないようにする。さらに日本がアメリカ
のフローバル植民地主義的な紛争、人道介入などの名目を掲げながら、米国や欧州の利権を守り、
拡大する軍事行動には付き合わないという「殺す」政策を一定範囲内に限定する体制をつくっ
ていた。そのおかげで、日本は朝鮮戦争にもヴェトナム戦争にも参加しないことができた。また、
年体制が 年代に崩壊したあとでも、この「殺さない」憲法と「殺す」国際政治の折り
合いをつけて、第一次イラク戦争にもアフガニズタン戦争や第二次イラク戦争にも、資金提供
や後方支援で、「殺さない」(?!)条件のもとで戦争参加をするという憲法の枠内での不拡大
方針をまもることができた。しかし、
「殺す」「積極平和」外交を採用した安倍内閣は、この 年体制に成立した、
「殺す」与党と「殺さない」野党とのバランスを保つ二大政党の掛け合い議
会政治を否定する安倍内閣の強引な憲法解釈をしたあとで、憲法事態も改悪するというロード
マップができあがってしまったのである。
「殺さない」憲法を守ろうとする勢力は、戦争反対の運動を展開して、 年体制以来の「殺
さない」勢力の挽回をはかろうとしている。しかし、かつてのように労働組合を動員する憲法
擁護も不可能になっているし、戦争を知らない若者も「殺さない」ことで「殺されない」こと
より、
「殺す」ことができるかつての日本への回帰を願う層が、ネット右翼やヘート・スピーチ
のデモに参加するような時代になっている。そこで、
「殺さない」憲法はもはや「殺す」国際政治」
の不拡大の枠として役立つ時代がおわっていることをみとめる必要がある。日本国憲法は、一
切の植民地侵略が恐怖と欠乏をもたらすことに反対する人類の「殺さない」グローバル政治の
大原則である。「殺す」立場との折り合いをつける形ではなく、もっと徹底的な「殺さない」立場
で主張しないかぎり、
「殺す」「積極平和」というまやかしの平和に代わる、「殺さない」本当の積極平和
外交を推進することができない。
「殺さない」ことは、死刑廃止という形でもすすめるべきだし、
若者の自殺の数が増えている原因になっている新自由主義経済は、「殺す」経済なので、これに
代わる「殺さない」グローバル経済を打ち立てる必要もある。また、生命の一体性と多様性を
大切にした、人間と自然とを「殺さない」不殺生の文化を再発見する必要もある。そんな意味
で、
「殺さない」グローバル政治(学)は、積極的に日本国憲法を守るためのてがかりとして、
日本国家と日本社会の持続可能性の基礎理論となる。特に 年体制の中で慢性化した「殺す」
立場とバランスをとる戦争反対に代わる新しい「殺さない」日本の構想をうちだすための手が
かりとして、今改悪されそうになっている憲法を守るためにも、植民地侵略に日本が協力する
ことに抵抗するためにも、大変重要な役割を果たす時代が到来したということができる。
以上三点、今日の日本で「殺さない」グローバル政治(学)の出番がきていることを強調して、
読者の皆様のご参考に供する印象的な「前置き」とするものである。
序章
[殺さない]政策科学
ジェ―ムズ・ロビンソン
読者への警告
あなたが手にしている本書は、くまなく真剣に読まれたならば、世界で支配的なある価
値観とそれら価値観が具体化された制度を破壊してしまうことになるだろう。それら価値
観、目的・特恵・求める結果・事象・行動、に個々対応した制度には、権力の獲得と行使
に関連するものが含まれている。 権力 とは人々が自らや他の人々のために、人々が従
うべく拘束を受け、必要があれば強制的に拘束する決議に参加するプロセスと定義される
(/DVVZHOODQG.DSODQ)。権力の価値とそれに付随する制度に関わるものとは、政
府と戦争の遂行、公共の決定に従わないものに対し死を含む苛烈な制裁を加える決定権を
保有する者たち、だけに限らない。権力の制度と相互作用を持つものとは:武器を発明し、
製造し、販売し、これらの武器を使用すると脅迫して富を蓄える一部の組織化された企業
家たちの経済システム:権力と 高圧的な外交政策 の戦略を研究・考案する、教授と創造
的なスタッフ陣を抱える大学:暴力的なゲームと娯楽を専門とする、技能の高いスポーツ
マンとアーティストたちの企業:堕胎をおこない、安楽死を助ける医療と保健に従事する
人々の病院:公共的な政府からの無視もしくは、暗黙の協力のもと、構成員が殺傷兵器を
製造し使用する、半ば公の秘密結社や 私兵 :家庭内暴力が大目に見られ、また、ある種
の文化では、過ちを犯した配偶者、子供、親さえ殺す家族制度:公認の原理、公式、そし
て権利によって逸脱者を殺そうとする、信心深い信者を支持する宗教団体...が含まれる。
社会の主要な部門すべてにおいて社会の権力プロセスが巻き込み・巻き込まれる時、そ
れぞれの部門では時に、正・負いずれかの動機で・企業で・大学構内で・エンターティナー
達が・病院またはクリニックで・時に家族や教会と親密な役割を演じる警護人のように、
殺人に訴えてでもその構成員を監督・規制・雇用・矯正しようとする。有能な観察者や制
度にたずさわりながら目覚めた人々によって既に言及されてはいるが、権力制度内および
制度間の相互作用およびその他の社会制度は、殺人もしくは殺人による脅迫を制度内に含
有する、という点において近代およびポスト近代社会の問題を形成している。
グレン' ページ教授は、個人、コミュニティー、そしてグローバルなスケールでの人間
の営みにおける殺人および殺人の脅威がもたらす問題に系統的に対峙する。彼は、ー方では、
広く共有された人類の主張・欲求・選択・最低限の公共および市民の秩序の尊厳の権利と、
xiii
[LY殺さないグローバル政治学
他方では、ほとんどすべての社会組織のレベル*1と種々の制度*2における、矛盾する
エピソードと根源的なゴールと目標の否定、という両者の間の経験的および論理的不整合
を論証することによって問題の根幹を規定する。
*1著者は例として、 小さなグループ、地方組織、国家、そして世界 をあげる。
*2著者は例として、 政府、経済、教育、能力、医学、社会、家族、そして、宗教 を
あげる。
この本が今般出版されたことは、この殺人の問題の起源が比較的最近であり、それが突
然認識されたという意味ではない。また、この本の出現が著者の学者・科学者としてのイ
マジネーションと技能の幸運な適用のみによっているという意味でもない。出版が今であっ
てもっと早い時期でなかったのは、人間の組織およびコミュニティーにおける長期にわた
る殺人の役割がしばしば認識されていたにもかかわらず、世界中の人々が効果的な問題解
決アプローチ・レパートリー(方法群)と、すべての分野における価値観と関係者間の相
互作用である「殺さない」様式の可能性を高め、殺人が起こる確率をより効率的に減少さ
せるかもしれない問題に対する分析・予測・種々の政策方針を選択する方途を欠いていた
ことを意味する。
これらのレパートリー(方法群)には、研究者達と彼らの所属する機関の周辺で殺人が
発生していたにもかかわらず、否、発生していたからこそ、多くのアカデミアの科学的研
究と彼らが保有する知識・技能を受け入れる余地がある。哲学者は、失敗した実践例から
目的価値と選択を仮定と解明の方法を使い問題の明確化をはかろうとする。歴史家、人口
学者、経済学者、その他関連分野に携わる人々は、おのおのの分野で「殺人」と「非殺人」
の歴史的展開と傾向性、目的と制度選択における思考変遷の記録をする。人類学者・生物
学者・心理学者・社会学者たちは、野蛮で異常な性向を廃する場・機会を見出し、より高
い頻度で生を肯定する場・機会を増やそうと、基本的な人類の性向・状態を見極めんとする。
他の専門家たちは、何の介入もない場合の傾向・方向を予測し、あるいは投影技術を応用し、
好ましくない傾向出現の頻度を好ましいものの出現のそれに転じようとするかもしれない。
問題に目覚めた公共事業に携わる経験豊かな人々の間では、適応と実行が可能な種々の選
択コ―スを採択できる有能な政策デザイナーとして中堅幹部層においてその数と洗練度を
増してゆく。これらの人々は、主としてエリートの地位よりは、「殺さない」状況への有効
な改革を行い得る中堅幹部としてのポジションに留まろとする。いづれにしても、人間の
傾向、状態、そして可能性に目覚めた専門家として、彼らは自らが権力獲得するまでその
侮ることのできない提案、すなわち、人間の尊厳に配慮された、異なった性質の選択肢と
序章 [殺さない]政策科学 [Y
展望を、前世紀を人類史上最も流血の多い時代のひとつとした暴力信奉の専門家達に対し
て提出し続ける。流血の20世紀が「殺さない」政治学の出現と制度化と時を同じくした
ことは、最高の、歓迎すべき皮肉である。
グレン・ページは、朝鮮戦争従軍時の戦闘と殺人のための訓練によって、彼の時代の殺
人のための装備と能力に精通することになった。学問の道に戻ったときに彼は外交関係、
特に首脳達による外交政策決定とその評価について専攻し、教師・研究者になるための系
統的な準備を始める(6Q\GHU%UXFNDQG6DSLQ)。数ヶ国語に堪能であり、広範囲の
社会科学教育を受けた彼は、政治学の分野で数々の重要な貢献をしている(例えば、3DLJH
)。50年にわたる彼の学研生活の半ばにおいて、個人的目標分析の結果、グレン・ペー
ジは殺人と殺人を減少させるための教育と公共における実践にかかわる、問題・目標・傾
向・状態・可能性に関して異なった展望を持つに至った。彼の根本的な前提は、反対意見
に用いられる、国家の科学的研究が「殺人」を「非殺人」以上に強調した前提に深く根ざ
していたものであったにもかかわらず、今や広く流布する国家の概念となっている。本書は、
著者の長い研究生活における後半部成果の集大成であり、「殺人」の前提に対する攻撃であ
り、また異なった可能性を提示することで読者に向け「殺さない」地球規模政治学を説く
ための発言となっている。
私は、著者と40年以上の期間にわたっての知己である。私たちは、この問題に目覚め
る人々が増加していることに感謝し、殺人と殺人の脅威の深刻化・範囲・領域の拡大を嘆
くものである。友情が、また著者に対する尊敬さえも...私は深い双方の感情を著者に対
して抱いているが.
..私があらゆるコミュニティー・分野で「殺さない」地球の行動を推
進している世界市民∼民主主義者の仲間たちにこの本を推薦する動機ではない。私の動機
は、境域的で暴力的にすべての価値を形成・共有する作業に参加することなく成し遂げら
れた人類の平和的関心領域への広範囲・多数の科学的・学問的成果に基づくものである。
本書は、政治学の長所と短所に関する一政治学者の著作である。
「政治学」とは、科学と
いう言葉の現代的概念に則った最後の社会科学である。政治学の「分科」、そのような表現
に価値があると仮定すれば、その弱点は、広範な他分野との共同作業によって補われる。
この点から、多元的価値・多元的方法・社会現象に対するプロブレム・アプローチを同時
に取り組んだ新しい分野もしくは方向性としての「政策科学」が生まれている(/DVVZHOO
DQG0F'RXJDO。グレン・ページの研究は、政策学的傾向を持つ人間尊厳の社会科学
と多くの相似点を示し、また、その進歩に創造的に寄与している(5RELQVRQ)。
合衆国の様々な地方・州・国家レベルのコミュニティー、他国での種々のレベル・分野
の権力プロセスの観察を専門とし、半世紀にわたり数々のアメリカの大学に席をおき、学び、
教え、運営管理に参加した経験から、啓発と権力制度を比較的よく知るものとして以下の
[YL殺さないグローバル政治学
考察を記す。我々の大多数は、殺人のための装置と人員が大学のキャンパスの回廊内にま
で存在することを見落としている。それは過去、大学の管理に携わったー人としての経験
から私が学んだことのひとつである。ひとたびその存在が認識されるならば、そのような
殺人と殺人の脅威は大学経営のためのコストであると分類され合理的に解釈される。まっ
たくわれわれの大学は、適応・競争の両面から見ればー般のビジネスと相似している。そ
してまた、行政・管理・組織・技術を「教える」学部を通じたビジネス、商業・財務分野
における基調を作り出す組織としてビジネスと相似している。
政治的な人生における「パワー」が果たす中心的役割は、他の社会分野に比べていっそ
う明白である。国家の定義において自明の理とされるばかりでなく、国家・公共の秩序、
国内治安、外交・国防政策のための予算の基礎をなし、政治家が政治結社コントロールの
拠り所として現われ、そして、
「パワー」に連なった産業の政治献金として現れ、家庭・学校・
病院・そして祈りをささげる場所の近くに存在し、地域の警察官が提供する安心と安全の
拠り所となる。
権力制度とその制度に参画する人々の研究を専門とする学者として、政治学は、権力の
現象の役割と機能のより深い理解に貢献することを期待するかもしれない。しかし、アメ
リカの政治、国家レベルの政府比較、国際関係科目の概論教科書を一瞥すると、権力は、
政府内の取引に関連するトピックとして扱われ、暴力は中心的な題材ではなく、ままに「文
化的奇行」として扱われるにすぎない。この現代政治学の状況こそが、グレン・ページに
よって鋭く提唱された概念が歓迎されるべき理由である。読者は本書の中に、目的を明確し、
傾向性を調査し、そして、抑制されなければ殺人の軽減ではなく継続を引き起こしてしま
う陰の要因を理解する上で、重要な知性鍛錬の機会を見出すことであろう。
異なったトレンドがあるにせよ、今ここに、殺人に対立し得る地球規模政策への転換が
始まる。本書は、更なる「殺さない」選択肢の進化を奨励努力する基盤となる。そのよう
な努力は「遺伝進化」の過程と区別するために「メーミィク進化」と呼ばれている文化進
化学に通ずる概念と同じであり、ポジティブな行動とともに今後とも生き残ってゆくであ
ろう。文化の進化もしくは、共同進化の理論は、学術書や雑誌でますます顕著となっている。
これらの理論は、いまだ一般に受け入れられる枠組みに凝結させられるに至らないが、もっ
とも初期の理論のひとつは同時にもっとも簡潔で取り組みやすいものである。われわれは
これらの理論によって「殺さない」思想・制度・実践のさらなる進化を方向付ける可能性
の現出を示唆できるのである('DZNLQVDQG)。
ミーム(PHPH リチャード・ドーキンスの造語で、人類の社会文化的進化における自己
複製遺伝子を意味する―訳者注)であるとしての「殺さない」― テーマ・シンボル・思想・
実践 ―は、ある種の理論家が予期するように、他のすべてのミ―ムや遺伝子と同様、生
序章 [殺さない]政策科学 [YLL
き残るか消え去る。生きるか死ぬかは、模倣か競争かの選択にかかっている。そして、ミー
ムの反復もしくは再生は概念自体の寿命によって大きく左右される。このことは「殺さない」
ミームの発達の利点となる。この利点は、人間の記憶と、祈り・信念・歌・詩・その他の
平和的展望と行動ライブラリーの中に存在する。文化的記憶の中に保存されていることに
加え、「殺さない」実践は、多くの国々で軍隊を否認したように・死刑を廃した多くの共同
体のように・多くの平和研究機関のように・紛争調停や紛争解決に向けた多くの事業のよ
うに...簡単に再生され得る。
「殺さない」実践の再生力を暗示するのは、これらの実践がいかに簡単にコピーされ得る
かということ、そしてコピーされてきたかということである。ここで、コピーの忠実・正
確度は「殺さない」思想と制度を生かし続けるために不可欠のものではない。実際には、
文化から文化へ、階級から階級へ、利害関係から利害関係へ、状況から状況への間の変化
は「殺さない」政策の選択肢の有効性試験となる。
ミーム革新の成功と継続再生にもっとも関係すると思われる状況とは、ミームがおかれ
た環境毎におけるミ―ム培養または非培養要素の組み合わせにある。世界中の異なった価
値セクター状況の変化を見るとき、
「殺さない」思想・実践が好意をもって再注目されるのに、
現在ほど幸運な時期はないであろう。なぜなら今般、20世紀において初めて真正民主主
義国家が誕生し、強化され、 年未満のまたたくうちに民主主義は世界中に浸透した実
績があるからである(.DUDWQ\FN\)。民主主義拡大の速度が保たれるであろうことは、
それが遅延するケースを考慮しても、あるいは民主主義化が継続・拡大する可能性に言及
しなかったとしても、その見通しは明るいといえる。そして、民主主義的体制における統
治者は、他の民主主義国家と戦争を行う可能性が、非民主主義体制の国家とのそれに比べ
て低いということも実証されており(2QHDODQG5XVVHWW制限条件に関しては、*RZD
を参照)、同様に民主主義的統治者は飢饉を回避する政策を遂行する可能性が非民主
主義的統治者より高い事実も指摘されよう
(6HQ;)。
民主主義的時代の到来に沿って、権力と富ばかりではなく、すべての価値形成とその共
有によって、より広範な人々が参加すべき脱近代的な関心事が現実のものとなった。世界
的規模における尊敬 ―自己に対する尊敬、そして他に対する尊敬― への心地良さ・愛
着は、「殺さない」に向けたこれからの革新を支える。同じようなミームは、警察が暴動と
デモへの危機をもっと上手くコントロールすることを学ぶように、プロの軍隊が地球規模
で軍事力行使基準範囲を超えた軍隊間基準を受け入れるように、殺人のための機関におい
てさえも形成される。そして、)DYRU+RXVHV・非暴力の課程・良心的徴兵拒否概念拡大の
ように、その他の社会のセクターにおいても虐待と殺人に対する異なった選択肢が現れは
[YLLL殺さないグローバル政治学
じめる。
「殺さない」状況が進化上は支配的であるという概念を広めるために、最終的には、人々
の意思・献身・好意・世論等の要素以上に、異なった実践選択肢をデザイン・導入・評価
するための知識基盤が確保されていることが必要となる。
それゆえ尊敬する読者諸氏には、ここに科学と政策の研究成果を提示する。あなたには、
「殺さない」グローバル政治学の事例を見るまで、評価を下さないでいる権利がある、否、
そうすることが求められている。もし著者の議論に納得できないときは、殺人および殺人
の脅威が、合法的であると明確にもしくは暗黙のうちに認める事実上多数派の沈黙の中に
安楽な居場所を求めることができるだろう。もし納得した読者であれば、本書で提案され
る内容に同意する、あらゆる文化・階級・興味、パーソナリティータイプの中にも見いだ
せる、いかなる危機・ストレス下でも人間の潜在的な自他への尊厳を失わない・地球的共
和体の価値観に共感する・強圧よりは説得戦略を選択する・男女間で開かれた精神とエネ
ルギ―を共有している.
..そんな多種多様・複合的機会の中にもあなたに適した居心地の
よい場所を発見することだろう。
ジェームズ$ロビンソン
年のクリスマスの日、ペンサコ―ラにて。
年の正月、北京にて。
参考文献
'$:.,165LFKDUG7KH6HOILVK*HQH2[IRUG2[IRUG8QLYHUVLW\3UHVV
*2:$-RDQQH%DOORWVDQG%XOOHWV7KH(OXVLYH'HPRFUDWLF3HDFH3ULQFHWRQ
3ULQFHWRQ8QLYHUVLW\3UHVV
.$5$71<&.<$GULDQ7KH)UHHGRP+RXVHVXUYH\DFHQWXU\RISURJUHVV
-RXUQDORI'HPRFUDF\
/$66:(//+DUROG'DQG.$3/$1$EUDKDP3RZHUDQG6RFLHW\$ )UDPHZRUNEIRU3ROLWLFDO,QTXLU\1HZ+DYHQ&RQQ<DOH8QLYHVLW\3UHVV
/$66:(//+DUROG'DQG0F'28*$/0\UHV6-XULVSUXGHQFHIRUD)UHH
6RFLHW\6WXGLHVLQ/DZ6FLHQFHDQG3ROLF\1HZ+DYHQ&RQQ1HZ+DYHQ
3UHVVDQG'RUGUHFKW0DUWLQXV1LMKRII3XEOLVKHUVYROV
21($/-RKQ5DQG5866(77%UXFH7KH.DQWLDQSHDFHWKHSDFLILFEHQHIL
RIGHPRFUDF\LQWHUGHSHQGHQFHDQGLQWHUQDWLRQDORUJDQL]DWLRQV:RUOG3ROLWLFV
序章 [殺さない]政策科学 [L[
3$,*(*OHQQ'7KH6FLHQWLILF6WXG\RI3ROLWLFDO/HDGHUVKLS1HZ <RUN7KH
)UHH3UHVV
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DQGWHPSODWHIRULQWHJUDWLQJDOWHUQDWLYHIUDPHVRIUHIHUHQFH*OHQQ'3DLJH
7KH.RUHDQ'HFLVLRQ3ROLF\6FLHQFHV
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61<'(55LFKDUG&%58&.+HQU\:DQG6$3,1%XUWRQHGV)RUHLJQ
3ROLF\'HFLVLRQ0DNLQJ$Q$SSURDFKWRWKH6WXG\RI,QWHUQDWLRQDO3ROLWLFV
1HZ<RUN7KH)UHH3UHVVRI*OHQFRH0DFPLOODQ
第一章
[殺さない]社会は可能だろうか ?
哲学は、誰かが一般的な問いを発するときに始まるが、科学におい
てもまたしかり。
バートランド・ラッセル
国の発する問いはその国の政治的発達度の尺度である。多くの場合、
国家の失敗は正しい問いを自己に問わなかったことによる。
ジャワハーラル・ネル -
[殺さない]社会は可能だろうか ? もし「可能」ならば、なぜ可能か ? もし「不
可能」ならば。なぜ不可能か ?
いったい[殺さない]社会とはどのような社会だろうか " それは人間を殺したり、「殺す
ぞ」と脅したりせず、殺すために作った武器がなく、武器の使用を正当化せず、社会を支え、
あるいは変えるために殺したり、「殺すぞ」と脅したりすることに頼らない、大小さまざま
の、ローカルあるいはグローバルな、人間社会である。
殺人もなく、「殺すぞ」という脅しもない社会。これを動物やその他の生物に広げてもい
いが、まずは人間を殺さない社会である。「殺すぞ」という脅しのない社会、[殺さない]
社会は恐怖からは生まれない。
殺すための武器もなく(人間の流血史を記録した博物館以外には)、命を奪うことを正当
化することもしない社会。もちろん、殺すのに武器はいらない。殴打や蹴倒しでも十分だ。
しかし、「殺人」の能力を採用したり、「殺人」の技術的能力向上を企てたりしない社会。
宗教は「殺人」を奨励しないし、
「殺人」を勧める戒律もない。政府は「殺人」を正当化せ
ず、愛国心は「殺人」を必要としない。革命家も「殺人」を指図しない。知識人が「殺人」
を弁明せず、芸術家が「殺人」を祝福しない社会。伝統的な知恵が「殺人」を永続化させず、
常識が「殺人」を賞賛しない社会。現代のコンピュータ用語を借用すれば、殺人のためのハー
ドウエアもソフトウエアも提供しない社会 こういう社会構造であるならば、その社会が「殺人」に依存するということはない。
「殺
人」の実行または「殺すぞ」という脅しによって維持され変革される社会関係が一切存在
しない社会。支配と排除の諸関係 ―境界、政府の形態、財産・性別・人種・エスニシティ・
階級、宗教的・世俗的信念形態― がそれら関係の維持もしくは挑戦目的のために「殺人」
を要請しない。このことは、このような社会が無秩序、未分化、無紛争であることを意味
1
2 殺さないグローバル政治学
しているのではなく、ただ社会構造および社会化の過程が「殺人」から生まれたり「殺人」
に依存したりしないだけである。そこには、合法的な「殺人」
、あるいは非合法的な「殺人」
を目的とする職業はいっさい存在しない。
かくして、
[殺さない]社会における生とは、
「殺人」がなく、
「殺すぞ」という脅しもなく、
「殺人」のための技術も正当化もない社会であり、社会の諸条件は「殺すぞ」という脅しに
も「殺人」の実施にも依存しないことによって特徴づけられる。
[殺さない]社会は可能だろうか ?
この問いに対する私たちの回答は、個人的な経験、専門的な教育、文化、私たちの背景 ―政治学者が人びとの行動を説明するときに採用するすべての要素― と、私たち自身が
免れ得ない種々の影響によって条件付けられるだろう。
[殺さない]社会は考えることすらできない !
これがアメリカ人の政治学者 人に質問したときのほぼ一致した返答だった。それは
年に「人文科学国民基金」が主催した大学で使われる西洋政治思想の古典の再検討の
ために開かれた夏季セミナーでのことで、質問は「非暴力の政治と非暴力の政治学は可能
か "」だった。アメリカ政治学の四つの主要な分野、「政治理論」・「アメリカ政府論」
・「比
較政治学」
・「国際関係論」の代表者が同じようにこのセミナーに参加していた。また、一
人の女性を除き、他のすべての学者は男性だった。
セミナー終了前の短いディスカッションで性急にもたらされた三つの結論がこの問いへ
の答えをもたらした。第一の結論は、人間は本能的に「殺人者」
(NLOOHU)であり、恒常的に「殺
人」の傾向をもった危険な社会的動物である。第二は、乏しい資源は常に競争・紛争・
「殺
人」の原因となる。第三は、常にレイプの可能性が存在するので、男性は同民族の女性を
守るために「殺人」を犯す覚悟が期待されている。
(アメリカ人女性の「もし、私の子供の
命を狙う者がいるならば、私はその人を殺す」という類似した議論は聞かれずに終わった)。
また、もう一つ聞かれずに終ったのは、[殺さない]政治の可能性についてのより立ち入っ
た議論をストップするのに極めて有効な例の反問のせいだったのだが それは「ヒットラー
とホロコーストを非暴力的に阻止できるだろうか "」という反問である。こうして、人間の
本能・経済的欠乏・性的な攻撃という入り口での議論が[殺さない]政治の実践と学問を
深く考えることをできなくしてしまった。
再検討されたばかりの西洋古典政治思想を引き合いに出すまでもなかった。彼らの造詣
は ―中国の過酷な法家の伝統や、インドの巧妙なカーテリアンの伝統と同様に― 結論
第 1 章[殺さない]社会は可能だろうか? 3
を同じ方向へと導く。そこにあったのは、良い社会の創出と防衛のためには殺人の許容は
不可欠だという明白な、あるいは暗黙の了解であった。
プラトン(%&)のいう理想の『国家』においては、武士階級(外人部隊)がリクルー
トした哲人王(保護者)は生産者と奴隷を強制・説得によって統治する。さらに、レオン・
ヘラルド・クレイグが言っているように、「偏見のない観察者は、(プラトンの『国家』に
おいては)政治的な生、否すべての生において、戦争は根本的な所与とみなされ、あらゆ
る重要なことは戦争を念頭において決定されると結論づけざるをえない」
(&UDLJ FI6DJDQ)のである。アリストテレス(%&)は、
『政治』において、望ましい
政体は ―独裁制・寡頭制・民主制のいかんを問わず― 財産のある者は武器を所持し、
奴隷を服従させ、敵によって奴隷化されないために軍隊は必要不可欠であると述べている。
プラトンもアリストテレスも軍事的殺人の恒久的な存在を信じて疑わない。
『君主論』で有名なマキャベリ()の貢献は、君主が権力を維持し、徳と名声
と国の栄誉を推進するために、殺すことを堂々と正当化したことだった。「狐」の狡猾さに
よって統治するのがベタ だが、必要な場合は「ライオン」の強引な殺傷力をためらって
はならない。彼は共和国の権力を強化するのに民兵制を規定した。
トーマス・ホッブズ()が『リバイアサン』で論るのは、社会秩序と戦争での
勝利を確保するために政府が執行する殺人のさらなる正当化である。彼によれば人間は「殺
人者」
(NLOOHU)であるから、未組織の自然状態は殺し合いの混沌状態である。しかし、人
間はまた生きつづけること(「サバイバル」)を求めるから、自衛のために奪うことのでき
ない殺す権利は留保しながら、人々の安全を保障するために殺人を託された中央の権力に
服従することに合意しなければならない、という主張である。ホッブズは武装した反逆を
正当化するにはいたっていない。
反逆の正当化はジョン・ロック()の『統治二論』によってなされる。ロックは、
政治的統治は制度的殺人を必要とするという点ではプラトン、アリストテレス、マキャベリ、
ホッブスに同調する。しかし彼はそれを一歩進め、革命による殺人を合理化する。主権者
が暴君化して財産・自由・生存という市民の自然権を侵害するときには、抑圧された市民
は政府を転覆する権利と義務を持つ。ちょうど自然状態において殺人者を殺すことが許さ
れるように、市民社会で市民は専制的な統治者を殺害することが許されるというのである。
ホッブスとロックの、統治者による「殺人」と被治者による「殺人」という二重の正当
化はカ ル・マルクス()とフリードリヒ・エンゲルス()の『共産
党宣言』によって経済的階級闘争に拡大される。有産階級は彼らの財産を制度的「殺人」に
よって守り拡大することが予測される。しかし、物質的および社会的諸関係が臨界的な段階
に達したとき、被搾取階級は社会の経済的政治的構造を変革するために暴力的反逆に立ち上
4 殺さないグローバル政治学
がることが予測される。近代の選挙制民主主義の数少ない特別のケースでは、平和的変革
が可能かも知れない。将来、経済的搾取が終了した時点で、階級に基づいた制度的な「殺人」
を持つ国家は消え去るだろう。しかし、過渡期においては経済的諸要因が殺人を許容する
だろう。
ロックとマルクスとの中間的なスタンスで執筆された『社会契約論』で、ジャン・ジャッ
ク・ルソーは()は、ホッブスに共鳴しつつ、「社会契約」理論を国家の政治組
織の土台として展開する。そこでは市民とは、主権者の権威と被治者の双方を集合的に構
成する存在である。市民は「全体意思」に由来する法律を立法し執行する統治権に服従す
ることを誓う。契約のもと、国家は戦争と征服の権利をもつと主張し、反逆者を極刑に処し、
犯罪者を死刑に処することができる。政府は国家のために市民が命を犠牲にすることを命
令することができる。
統治権力が市民にたいして、君が死ぬことが国
家のために好都合であると言ったならば、君は
死ぬべきである。君の命は、単に自然からの恩
恵であるばかりでなく、国家から条件つきで与
えられたものだからだ。
社会契約論、第 巻、第 章
ルソーの民主的社会契約論は、結局のところ「殺人」との契約である。
世紀になって、政治経済学と社会学の権威マックス・ヴェバー()は、
年のミュンヘン大学での講演『職業としての政治』で、政治が「殺さない」職業であ
るという考えを断固として退ける。ヴェバーにとって「政治の決定的な方法は暴力である」。
歴史的にあらゆる支配的な政治制度は暴力的な権力闘争から生まれたとされる。したがっ
て、ヴェバーは近代的な国家を「所与の領土内における物理的暴力の合法的な独占を主張
する(ことに成功した)人間の共同体」であると定義する。それゆえ「自分と他の人びと
の魂の救済を求める者は政治に関連した職業に携わることを求めるべきではない。なぜな
ら、大いに違っているのは、政治の仕事は暴力によってのみ解決できるからである(下線
は著者)(:HEHU)。
以上のように、ヴェバーの伝統と彼以前の思想家たちに詳しい教授たちが「殺人」のない
政治および「殺人」のない政治学を「考えることすらできない」と結論づけることは理解で
きる。 年代にある若い研究者が米国人の政治学の大家に生涯の研究課題だった「政治」
の定義を聞いたことがあったが、その答えにも基礎となる方向性は的確に表現されている。
彼はパイプをくゆらしながら答えた。
「私は死を取り扱う国家権力を研究している」、と。
第 1 章[殺さない]社会は可能だろうか? 5
さらに、暴力を受けいれる宗教によって祝福された「殺人」の哲学的伝統への共鳴はア
メリカ合衆国の政治史と政治文化を貫いて響きわたり、「殺人のない社会は不可能である」
という市民・学者共通の信念を決定的に強化している。この信念はアメリカ独立戦争の発
火点となったレキシントンのマスケット銃の発射音にも、独立宣言に表明されたジョン・
ロックに由来する反逆の正当化にも、「自由か、しからずんば死を 」というニューハンプ
シャー州の挑戦的な叫びの中にも滲み込んでいる。この信念はまた南部の反逆にたいする
北軍の勝利を奮起させた「共和国軍賛歌」にも、同じように南軍の軍歌 「ディキシー」 の
反抗のリフレインにも、遠く離れた地での陸戦や海戦を祝福する「海兵隊賛歌」の中にも
滲み込んでいる。最高軍司令官である大統領の就任式における 発の祝砲も合衆国の暴力
的な過去と現在の軍事力を知らせるものとして鳴り響く。この信念は国旗掲揚、国歌斉唱、
軍事パレードのたびに生涯にわたって繰り返され、「神よ、米国に祝福を 」という大統領
の祝祷によって神聖化され、犠牲と虐殺の感情を喚起する(7ZDLQ)。
「殺人」はアメリカ合衆国の建国・領土拡大・国家統一・グローバルな国力の拡充に貢献
した。国内外における軍人と市民の死傷者の数は集計されたことがなく、計算不可能だろ
うが、米国を特徴づける国家的「殺人」の現実は否定することができない。他国の政治学
者たちも、彼ら彼女らの国における濃淡さまざまな「殺人」の役割について自らの政治的
アイデンティティとして反省することが求められる。
新生国家である米国は、王政の植民地支配に対する武装した共和派の反逆で始まったが、
奴隷制による支配は維持したままだった。自由の旗の下、合衆国は大陸におけるその領土
を拡大したが、それは流血による先住民の征服か、南と北に位置した隣国の武力制圧か、
戦闘よりも交易を優先させる土地所有主からの割譲と購入かのいずれかによった。米国は
南北戦争によって国家的統一を強引に達成したが、 万 人の南軍の戦死者と 万
人の北軍の戦死者が発生した。
合衆国は勢力を海外に伸ばし、ハワイを 年に、プエルトリコ、グアム、フィリピ
ンを 年に、東部サモアを 年に、太平洋諸島領域を 年に領有した。フィリ
ピンでは反植民地運動を制圧し()、同化を拒否した回教徒のモロ族を虐殺した
()。鎖国をしていた日本には軍艦による脅しで交易のために開国させた 。
戦争と干渉によって新興国アメリカは領土を拡大し、国益を防衛した。合衆国が戦った
戦争は以下の通りである。
対英戦争()、対メキシコ戦争()、対スペイン戦争()、対ドイツ・
オーストリア ハンガリー・トルコ・ブルガリア戦争()、対日・ドイツ・イタリ
ア戦争()
、対北朝鮮・中国戦争()、対北ベトナム戦争 、対ア
6 殺さないグローバル政治学
フガニスタン戦争()、対イラク戦争()。
軍事的干渉のケースは以下の通りである。 対中国( 年)、対パナマ( 年)、対ロシア( 年)、対ニカラグア(
年)、対ハイチ( 年)、対レバノン( 年)、対ドミニカ共和国( 年)、
対ソマリア( 年)。 侵略または攻撃によって合衆国は、 年にはカンボジアからの、 年にはラオス
からの補給路遮断を試み、 年にはリビアに、 年にはアフガニスタンに、 に
はス ダンに報復攻撃し、 年にはイラクで、 年にはボスニアで、 年にはユー
ゴスラビアで戦略的な権益拡大の意思を剥き出しにした。
第二次世界大戦後における反資本主義国家や革命集団その他の敵との世界大の抗争の期
間、米国は「殺人」の力量をグローバルに拡大した。米国の軍隊は独立戦争時にはわずか
千人に満たない軍隊だったが、 年代には 万人の戦力に増大し、国防省に所属する
万 千人の斬新なエリートの科学者集団と世界で最も進歩した軍事産業によって支えら
れていた。これらすべてを可能にしたのは毎年最低でも 千 億ドルに達する税金であ
り、支出は議会と大統領が承認したものだった。米国の核兵器開発では、控え目な見積も
りでも 年から 年の間に 兆 億ドルが費やされた(6FKZDUW]。米国
はどの国よりも数多くの海外軍事基地、海外に駐留する兵力、軍事同盟国を持ち(米国の
敵と味方と時には自国民の「殺し屋」でさえある)、外国人兵士を訓練・武装させている。
これと並行して、競争が激しいドル箱の兵器市場でも米国は世界最大の供給国となってい
る。科学技術においても、米国は人類の天才的「殺人」の才覚によって発明された未曾有
の破壊力を持つ最強の兵器によって、陸・海・空・宇宙の隅々にまで「殺人」の力量を拡
大することに成功している。
年の独立宣言に端を発する戦闘の申し子である米国は 年代には「世界唯一の
軍事的スーパーパワーかつ世界最強の経済力」へと上り詰めるにいたった(ウイリアム・-・
クリントン大統領、年頭教書演説、 年 月 日)。
統合幕僚会議議長ジョン・シャリカシュビリ陸軍大将によれば、米国は「グロ バルな
権益を持つ」「グローバルな国家」になったのである。 年、原爆投下による対日戦勝
利 周年を祝うハワイでの式典で、クリントン大統領は全軍を代表する集合部隊に向かっ
て「諸君らは世界中で常にもっとも訓練され、もっとも優れた装備を持つ戦闘部隊であり
続ける」と誓約し、「われわれの時代の暗黒の勢力を打ち破るため、米国は地球上で最強の
国家であらねばならない」と宣言した。この大統領の決意をうけて、 年、空軍の戦略
計画の説明の中で、幕僚長のロナルド・フォーゲルマン将軍は「われわれの目標は、地球
上を移動するあらゆるものを発見し、位置を決定し、追跡し、標的とすることができるこ
第 1 章[殺さない]社会は可能だろうか? 7
とである」と述べ、さらに「それを行うことは、リアルタイムでという意味ではないが、
現在でも可能である」と説明した(ワシントン '& のヘリテッジ財団における演説、
年 月 日)
。
世紀が終わろうとしていた前世紀末、アメリカの指導者たちは 世紀を「アメリカ
の世紀」だったと自己主張し、第 年紀の最初の世紀である 世紀を「第二のアメリ
カの世紀」とする決意を繰り返し表明していた。このような暴力という徳目の勝利の伝統
の真只中では「殺人」のないアメリカ合衆国を考えることなど想像すらできない。「殺人」
と「殺すぞ」という脅しが、米国の独立を達成し、奴隷制を廃止し、ナチズムとファシズ
ム打ち破り、ホロコーストを終わらせ、日本では原爆投下で無数の命を救い、共産主義のグ
ローバル化を防ぎ、ソビエト帝国の崩壊を促したのであり、今や民主主義的自由と資本主義
経済を 世紀の世界に拡大するチャンピオンの権利を確固たるものにしようとしている。
しかし、政治学専攻の米国人にとっては ―大御所の教授から新入生にいたるまで― [殺さない]社会は不可能だと確信するのに、哲学も政治的伝統もまったく必要ない。毎日
の「殺人」がそれを証明しているからである。
毎年、 万 人以上の米国人が他の米国人によって殺されている( 年には 万 、
人が殺され、 年には人口 万人当たり 人だった殺人が、 人に上昇)。こ
の統計には警官や市民による「正当化しうる殺人」( 年には各 人と 人)は含
まれていない。第二次世界大戦以降の殺人の合計は米国が参戦した主な戦争での戦死者の
合計( 万 人)を上回る(推定では最低 万人)
。殺人の統計には「加重暴行」
(
年では 万 人で、人口 万人当たり 人)、および殺人もしくは致命的な重傷
を負わせることが可能な武器使用による暴行の被害者を追加することができる(連邦検察
局 年 、、)。自殺は殺人よりも多くの米国市民の命を奪っている( 年で
は 万 人で、人口 万人当たり 人)。自殺未遂は自殺者数の 倍に達し、堕
胎数は年間 万人以上と推定されている。
米国人の殺人方法は、殴打・断頭・爆殺・放火・水死・首吊り・突き落とし・毒殺・刺
殺・窒息死・絞殺などであり、射殺が最も多い( 年には、)。殺人は、計画的・
発作的・偶発的・殺し屋によるもの、と多様だ。殺人は、家庭内暴力・児童虐待・老人虐
待・口論・泥酔者同士の喧嘩・ギャング抗争・麻薬取引・賭博・嫉妬・誘拐・売春・レイ
プ・窃盗・証拠隠滅・「神の命令」
・「悪魔の命令」、によって惹き起こされている。本当に
安全な場所はなく、殺人は住宅・学校・街路・高速道路・仕事場・教会・寺院・監獄・公園・
町なか・都市・未開地など、あらゆる場所で発生し、国会議事堂内でさえ起きている。犠
牲者は、単独で・連続的に・集団で・無差別に、殺される。被害者の大多数は男性である(
年には )。しかし、配偶者の殺人では被害者は夫である場合( 人)よりも妻であ
8 殺さないグローバル政治学
る場合( 人)が多い(0HUF\DQG6DOW]PDQ)。殺人犯は、単独・夫婦・ギャン
グ・オカルト集団・暴力団・テロリストたちであり、治安維持の場合では国家公務員である。
殺人犯の大多数は男性であり( 年では 人、女性は 人)
、年齢低下の傾向
がある。 年、人の一生で「殺人」の犠牲となる確率は白人で 人中 人、黒人とそ
の他のマイノリティ集団では 人中 人と推定された(5RVHQEHUJDQG0HUF\)。
上院多数党院内総務トレット・ロット共和党議員がテレビの全国放送でクリントン大統領
が 年 月 日におこなった年頭教書の演説に対して述べたように「暴力的犯罪は 自由人の国 ! である米国を 怯える人びとの国 ! に変えようとしている」のである。
毎日のニュースが米国の「殺人」の証人である。娘が母親の頭を切り落としたうえ、警
察署の横を車で走り抜け歩道に投棄する。母親が二人の子供を水死させる。二人の息子が
両親を殺害する。連続殺人魔が売春婦を餌食にする。同性愛者が若い犠牲者を誘惑し、死
体をばらし、冷蔵庫に保存し、その肉を食べる。狙撃者が大学構内で 人を射殺する。ラ
イフルを持った二人の男子生徒が田舎の中学で 人のクラスメートの女子生徒と先生を射
殺する。コロラド州リトルトン市のコロンバイン高校では重装備した二人の生徒が 人の
生徒を射殺人、 人に重傷を負わせ自殺した。 年∼ 年、 歳から 歳までの生
徒が 人の生徒、 人の先生、 人の保護者を殺人、 人を負傷させた。一人の男が自動
小銃で都市部の学校の子供たちを校庭で撃ち殺した。ベトナム戦争の帰還兵が機関銃でファ
スト・フ ドのファミリーレストランの客 人を射殺し、 人を負傷させた。戦闘服を
着た男が教会で礼拝中の人々を「俺は 千人を殺した、そして、もう 千人を殺すのだ 」
と叫びながら虐殺した。
同じ市民による(ホッブズ的)恐怖の強奪・殺戮と、ヴェバ−の言う(ロック的)国家
不信の前にずらりと武装、勢ぞろいした人びとが控えており、彼らは 億丁近い銃砲 −
少なくても 万丁のライフル銃、 万丁の拳銃、 万丁の散弾銃、 万丁
のその他の大型銃− を所持している &RRNDQG/XGZLJ。銃砲の商取引 −製造・
売買・輸出入− は巨大ビジネスであり、合法的なものもあれば不法なものもある。
万人の成人が所有する銃砲が少なくとも三分の一の米国人の家庭に存在する。ほとんどの
子どもは、両親は気づいていないが、家の中のどこ銃砲があるかを知っている。ヒラリー・
クリントン前大統領夫人は児童防衛基金の報告に基づいて十三万五千 万 千ドルの子ど
もたちが銃砲その他の武器を毎日学校へ持って行くと言っている(ニューハンプシャー州
ナシュア市での演説。 年 月 日)。
市民の銃砲所持は自衛・狩猟・娯楽、および政府の独裁にたいする抵抗として米国憲法
の 年修正条項によって保障された不可侵の権利であるとされている。いわく、「市民
のよく管理された武装組織は自由な国家の安全保障には必要であり、国民が銃砲を保持す
第 1 章[殺さない]社会は可能だろうか? 9
る権利は侵害されてはならない」のである。
国内の殺人の危険に対しては米合衆国の武装警察が控えている。これには法律執行連邦
職員および州警察と地方都市警察が含まれる( 年の場合、 万 人で、これは
万人に 人の割合である)。その 人が 年には殺害されている()%,)。
これらの組織は必要に応じて州兵および連邦軍によって補強される。刑務所の監視官はさ
まざまな犯罪ゆえに有罪とされた 人の死刑囚を含む 万人の囚人を監視している
(司法省 ED)。死刑は連邦レベルの犯罪には適用可能であり、 州中 州で遵守
されている。 ∼ 年における死刑執行は 件だった。 世紀の終焉を迎えた現在、
増大する犯罪と暴力の凶悪化に直面して、死刑の強化、警官の増員、懲役期間延長、刑務
所増築の切実な要望が高まっている。
米国における暴力は社会的に学習され、文化的に強化されている。公式か非公式か、合
法か不法かを問わず人びとは殺し方を教えられる。 万人の退役軍人は専門の殺人訓練
を修了している( 年は 万人)。男性の四分の一は退役軍人である。中学・高校・
大学の多くで予備的な軍事訓練が実施されている。企業では自己防衛のための殺し方が教
えられる。私的な自警団は戦闘の訓練をし、殺人の機会を伺うギャングが社会に混入して
いる。刑務所は残虐性教育の機関化している。傭兵のための雑誌が出回り、戦闘手法を伝
授し、銃砲を売りさばき、殺し屋募集の広告を掲載している。ビデオとコンピュータ専用
「ゲーム」は年少の「競技者」を殺しの模擬実験に参加させ、路上での争いから陸・海・空・
宇宙での戦闘で広い範囲の殺傷技術取得機会を提供している。「バーチャル・リアリティ」
と称するビジネスでは「アドレナリンポンプ」で殺し・殺される気晴らし行為を煽ってい
る。一時期、大学のキャンパスでは「学友暗殺ゲーム」が流行した。現実的な、コンピュー
タ上の殺しは子ども時代の玩具兵器を使った遊びの自然な延長上にあるように思われる。
生命価値の軽視と殺しの代償的学習はマスコミによってももたらされる。教師たちは漫
画・映画・テレビ・ラジオ・歌唱・書物・雑誌・コマーシャルと同様、代償学習カリキュ
ラムの作成・実践者である。子どもから大人になるまでの間、何千もの暴力的な映像が心
に焼き付けられ、英雄や悪漢によって、人びと・財産・動物・自然が破壊される劇的シ ンを体験する。流血と残虐性のイメージがセックスと結び付けて提供され、暴力的な映画
の予告編では特に、潜在意識下、ギリギリの線まで殺しへの誘惑が行われる。
歴史上、現代人ほど、これほどまで多くの殺人像を脳髄に焼き付けられた人間はいなかっ
たであろう。特殊部隊や暗殺隊での訓練で行われる、殺しへの躊躇を克服するための実証
テクニックに、頭を押さえつけ目を閉じさせないようにして残忍な映画を無理矢理に観さ
せるというものがあるが、ここではまるで国民全体の人命尊重への感覚を麻痺させ、あた
かも殺しへの抵抗に無神経であるべく仕向けているわけである。
10 殺さないグローバル政治学
裁判官たちの報告によると、未成年の殺人犯にはますます人命尊重の感覚がなくなって
いるという。しかし、どれほど市民社会に有害であろうとも、暴力的メディアの社会浸透
はプロの愛国的キラーを必要とする国家には有益なのである。これはアメフト試合「スー
パーボール」テレビ放映の際流された百万ドル徴兵コマーシャルで見事に示された。何
百万もの視聴者は、刀剣を振り回す中世の騎士がビデオ戦闘の「ゲーム」から「捧げ銃」
をする今日の米国海兵隊へと変身するのを観るのである。
言語は殺しを反映・強化し、殺しが自然で不可避なものであるとの感覚醸成に寄与する。
米国経済は自由企業資本主義に根ざしている。米国人は「株式市場で殺す(やる)」などと
いい、ウォールストリート用語では「街が流血なら 買い ! だ」というのがある。ビジネ
スは価格「戦争」で争う。米国の政治は自由な選挙制民主主義に立脚するが、選挙活動に
従事するもの「戦力」とか「歩兵」と呼ばれる。立法に際して、法案は「殺され」、国民は
貧困・犯罪・麻薬・その他の問題との「戦争を戦う」。国民的スポーツはベースボールだが、
不満が高じると観衆は「審判員を殺せ 」と叫ぶ。スポ−ツ評論家は強いアメフト・チーム
を「キラー」と呼び、選手たちを「兵器」と呼ぶ。パス・ボールは「長い爆弾」と呼ばれ、
負けたチームは「殺しの本能に欠けている」と評される。宗教的自由を謳歌し、教会で「平
和の君」を礼拝する一方で、米国人は「万軍の主」なる神を讃めたたえ、
「立てよ、いざ立て、
主の兵(つわもの)」と讃美歌を歌う。また、中世の十字軍や宗教改革での闘争を積極的に
評価する。暇な時間をつぶすことを「キル・タイム」とも言う。人種的・性的差別語の有
害性については次第に敏感になってきているが、米国人は殺しを匂わせる言葉を平気で使っ
ており、枚挙に暇がない。中でも「賃借りした鉄砲」
( KLUHGJXQV )が弁護士を指し、「ブ
ロンドの爆弾」( EORQGHERPEVKHOO )が美人の映画スターを指すなどは、その典型である。
他方、婉曲話法が現実の殺しを覆い隠してもいる。広島に落とされた史上最初の原爆は「リ
トルボーイ」と綽名され、それを落とした % 爆撃機は機長の母親の名をとって「エノラ・
ゲイ」と命名された。長崎にはプルトニウム爆弾が落とされたが、爆撃機は「ボックスカ 」、
原爆は「ファットマン(太っちょ)
」と名づけられた。大量の市民殺戮が可能な大陸間弾道
核ミサイルには「ピースメーカー」という名称が付けられた。スポーツに転用された戦争
用語を逆用して、殺人準備の軍事訓練は「ゲーム」と呼ばれる。市民殺害と戦闘での味方
兵殺害は「付随的損害」と呼ばれる。ロナルド・レーガン元大統領によれば、
「現代史にお
いて米国ほど戦争を嫌い、平和を愛した国はない」のだそうだ 3%6。
ときには、米国における殺人の要素は市民自身の間における集団的暴力と結びついたり、
市民と公務員との間に起きたりしている。 年、ロサンゼルス市で起きた事件では、
人が落命、 人が負傷、 人が逮捕された。アフリカ系市民への警察の残酷な仕打
ちにたいする裁判所の不当な判決が原因で、怒った民衆による撃ち合い、略奪、放火が起
第 1 章[殺さない]社会は可能だろうか? 11
きた。恐怖を抱いた周辺市民によって二ヵ月間に 万丁の銃砲が購入される結果となった。
この流血騒ぎと暴動は類似の殺戮事件を思い起こさせる。例えば「ワッツ事件」
( 年、
人の殺害)、ニューアーク事件( 年、 人の殺害)、デトロイト事件( 年、
人の殺害)などであり、 世紀と 世紀に起きた奴隷反乱での殺戮である。 年のデ
トロイト事件では治安を回復するために 人の保安官、 人の連邦軍、 人のミ
シガン州兵が動員された /RFNH。ホッブズとウェバーおよびロックの第二修正条項
が混合した事件は 年のテキサス州ウエイコー事件、 年のオクラホマ州オクラホ
マ事件である。ウエイコー事件では武装宗教集団を法律で取り締まろうとした州の官憲四
人が死亡し、 数人が負傷し、女性と子どもを含む 人の宗教集団員が大火災の中で落
命した。この事件の二回目の追悼集会の際には、明らかな復讐目的で、オクラホマ市の連
邦事務所ビルにトラック爆弾がしかけられ、女性と子どもを含む 人が死亡した。
米国人は、自国の国境を越えた地域にでさえ、殺しのない社会は不可能だと確信させる
豊富な事例を見い出させる。 世紀は人類史上最も殺戮に満ちた世紀だったが、膨大なス
ケールの殺戮という人類の恐るべきパワーを証明したルドルフ・-・ランメルの研究は、殺
戮を歴史的かつグローバルな視点で位置づける。ランメルは「デモサイド」(国家による国
民のジェノサイド・死刑執行・大量殺害・人工的飢餓を指す)と戦争(世界戦争・地域戦争・
内乱・革命戦争・ゲリラ戦など)における戦死を区別しながら、歴史上、記録に残る範囲
で殺人が行われた規模を図 のように計算しているが、これは「控えめな数字で」である。
デモサイド
戦争
総計
表 1 1987 年までの「デモサイド」と戦争による死者数
1900 年以前
1900 ∼ 1987 年
133,147,000
169,198,000
40,457,000
34,021,000
173,604,000
203,219,000
総計
302,345,000
74,478,000
376,823,000
出典 :Rummel 1994: Table 1.6; 66-71
このように、恐らく 億の人びとが歴史的政治的殺害の犠牲になっているものと考えら
れる。ランメルは「デモサイド」の最たるものは共産主義政権、次は全体主義政権と独裁
政権だとし、最も少ないのは民主主義政権だとしている。米国人の記憶に新しいのはヒッ
トラ 政権のホロコースト、スターリン体制の粛清、日本の侵略戦争、毛沢東の革命時の
殺害である。
ウィリアム・-・エッカードと後継者たちは 年∼ 年の間に 世紀の殺人は少
なくとも一 億 万 千人に達したと計算しており、その内訳は 万 千人の民間
人の犠牲者、 万人の軍人の犠牲者である 6LYDUG。 年∼ 年の「冷
12 殺さないグローバル政治学
戦時代」という「平和な」時期における殺害は の戦争における少なくとも 万 千人であり、内訳は 万 千人の民間人と 万 千人の戦闘員である 6LYDUG
。 年には少なくとも の戦争が発生している。
テレビはしばしば世界の流血事件を報道するが、大昔からの敵対関係に根ざすもの、物
質的ニーズを満たすことに失敗して悪化した最近の残虐行為などさまざまである。恐ろし
い危機が次々と発生し、テレビは少しばかり報道するだけで次の危機に移ってゆく。流血
にはさまざまな形があるが、すべて「殺しても構わないという態度」から来ている。国際
戦争・内戦・革命戦争・分離主義戦争・テロ戦争・領土紛争・軍事クーデター・ジェノサ
イド、民族・宗教・部族にからむ殺戮・暗殺・外国軍の介入・人権侵害等々、殺害の機会
は数多くある。
時には米国嫌いの外国人によって米国人が殺される。例えば、 年の世界貿易センター
ビル爆破事件(
「・」とは別の事件 訳者注)は米国のイスラエル政策に敵意を抱く外
国人によって惹き起こされ、 人の米国人が殺され、 千人が負傷した。あるいは、
年にナイロビとダ−エスサラームで同時的に起きた米国大使館爆破事件では 人の米国人
と 人のアフリカ人が死に、 千人が負傷した。残り僅かになった 世紀世界を見つめ
ながら、米国の政治指導者は、ホッブズに共鳴して「世界は野獣ばかりの密林だ 」と考え
勝ちで、古ぼけたローマ時代の格言「平和を望むなら、戦争に備えよ」VLYLVSDFHPSDUD
EHOOXP を持ち出して論評する。
以上のような根本的信念・思想的伝統・愛国的刷り込み・マスコミによる洗脳・文化的
条件付け・グロ バルな流血環境の中では、米国のほとんどの政治学者と学生たちが「殺人」
のない社会の可能性を断固として否定するのは驚くに値しない。
大学の授業でこの問題に触れると、政治学入門のクラスから大学院にいたるまで、根本
的な反対を表明されるのがオチで、反対の根拠には、人間の本性・経済的な資源不足・女
性への性的暴力とその他の暴力にたいする防衛の必要性、などがあげられる。これらの反
応はパターン化されているが、反応の色合いと議論の発展にはきりがない。この問題を話
題にするたびに、何か新しい反対の根拠付けが返ってくる。いわく、人間は権力欲の固ま
りである・利己的である・嫉妬深い・惨たらしい・狂っている 「殺人」は生物学的本能
であり奪い得ない人権である 人間は経済的に欲深く、競争心が強く、社会的階層の相違
と利権の衝突は「殺人」を不可避的にする 「殺人」より悪質なものもある −心理的虐
待や経済的収奪がそれだ− 「殺人」のない社会は全体主義的であり自由が失われる。
そんな社会は外国に攻撃され、侵略者の支配下におかれるだろう 政治原理としての「殺人」
の否定は反倫理的だ 侵略の被害者を救うための「殺人」は常に正義でなければならない。
第 1 章[殺さない]社会は可能だろうか? 13
刑罰と抑止力としての「殺人」は社会の利益となる 発明された兵器を発明以前に戻すこ
とは出来ない。「殺人」の科学技術は常に存在する 「殺人」のない社会の例を歴史は知ら
ない そんなことは考えることすら出来ない といった具合である。
これらの否定的意見が答えのすべてだといっているのではない。人間は創造性と慈悲の
能力をもっているのだから、
[殺さない]社会は教育を通じて実現される可能性があると思っ
ている米国人学生もいる。[殺さない]社会状態は小さな単位の社会では達成可能だろうが、
大きな単位の社会やグローバルには無理だと考えている学生もいる。このことは他の国の
政治学の教授や学生の見解よりも米国人の見解のほうが優れているあるいは、より暴力的
だということを意味するものではない。組織的な比較研究が必要となるゆえんである。し
かし、世界中の政治学にたずさわる専門家の大勢は悲観主義であることも事実である。
しかし、この考えることすら出来ない問い − 「[殺さない]社会は可能か "」 − を他の
政治的文化の中で投げかけれると、驚くような違った答えが返ってくることも事実である。
「今まではこの問いについて考えたことはなかったが・・・」
あるスエーデン人の同僚の答えの冒頭の言葉である。 年、ストックホルムで開かれ
た非暴力の政治学思想を主題にしたスエーデンの未来学研究者会議でのことである。「この
問いを考えたことはなかったけれど、時間をかけて考える必要がある」。機械的な拒否でも
機械的な賛成でもないのは驚きだった。この質問には熟慮とさらなる思考が必要だと受け
止められたのである。同じように、 年にソウルのシステム科学の国際会議で、あるノー
ベル化学賞受賞者は「私にはわからない」と答えた。これは質問に答えるとき充分な科学
的根拠がないときにする彼の答えの特徴である。そして彼は会議の出席者にこの問いを真
摯に受け止めるよう呼びかけたのである。「科学と文明は、一見答えるのが不可能な問いを
発することによって発展するのだから」、と。
「考えることは可能だけれども ...」
年に第 回国際政治学会(,36$)がモスクワで開催されたとき、
「非暴力の政治学」
と題したペーパーに反応して二人のロシア人学者が、控えめながらこの問いを真摯に考え
ていることを表明した。二人とも政治と政治学の目的は非暴力の社会を実現することにあ
ると考えていたのは驚きだった。「しかし」と一人が言った。「非暴力政治と政治学を支え
る経済的基盤は何だろうか "」。他の一人も「しかし」と言って質問した。
「チリ(軍部によ
るクーデター民主的に選ばれた社会主義政権を打倒した)、ニカラグア(暴力的な抑圧と革
命の現場となっている)
、カンボジア(革命的な都市市民階級の抹殺政策によって 万人
14 殺さないグローバル政治学
以上の人間が殺された)等の悲劇にはどのように対処するのか "」、と。
なるほど、「殺人」に依存せず、「殺人」を支持しない経済システムはどのようなものだ
ろうか −現形態の「資本主義」も「社会主義」も「殺人」に依存しそれを支持している
のだ− 。[殺さない]政治はいったいどのようにして残虐な殺人の余波を防ぎ、ストップ・
除去することができるのだろう。非暴力の可能性の仮説のもとで、真摯な科学的探究を必
要とする疑問が起こったのである。
「人間の本性が暴力的でないとは分かっているが ...」
年に、アンマンのヨルダン大学のアラブ人政治学者と行政学者のグループにこの問
いを投げかけたとき、一人の教授がグループを代表して「人間の本性が暴力的でないこと
はわかっている」と発言した。が、「しかし」と言って彼も「われわれは自衛のためには戦
わなければならない」
、と付け加えたのである。もし、「人間は本能的に避けがたく暴力的
である」という根本的な前提が疑問視されるならば、「殺人」のない状態を発見する可能性
が立ち現われてくる。
不可能だが、しかし ...
年に開かれた広島大学平和科学研究センター開設十周年記念シンポジアムで、参加
者の大多数は日本人だったのだが、賛否両論がほぼ拮抗する中で教育学教授の一人が「こ
れは、不可能だが可能になることはあり得る」と答えた。[殺さない]社会を今すぐ実現す
ることはできないと認識しつつ、未来における実現の可能性は否定されなかった。そして
「どのような教育が非暴力的な社会を実現するのに必要だろうか」と彼は問い掛けた。創造
的な問題解決への建設的な招きだった。
完全に可能だ ...
驚いたのは、 年 月、平壌で、朝鮮社会科学協会会長でもあり、政界の指導的地
位にもある哲学教授が、ためらうことなく「完全に可能だ」と答えたことだった。その理
由はこうだ。まず第一に、人間は「殺人」を本能的に強いられているわけではない。人間
には「殺人」を拒否することを可能にする「意識」・「理性」
・「創造性」が賦与されている。
第二に、経済的欠乏が「殺人」の正当化に使われるべきではない −人間は物質の奴隷で
はないからだ− 。「欠乏」は「創造性」
・「生産性」、さらに最も重要なことだが、「平等な
分配」によって克服することができる。第三に、レイプは[殺さない]ことの不可能性の
根拠に使われるべきではない。レイプは「教育」と「適正な社会状況を作り出す」ことによっ
第 1 章[殺さない]社会は可能だろうか? 15
て根絶することができるからだ。
もう一つの驚きは 年 月に、コロンビアのマニサレス市で起きた。そこのコミュニ
ティ・リーダーたちが 人ほど集まった集会で、「殺人のない社会は可能か」という問い
に対して、誰一人として「ノー」とは答えず、参加者全員が「イエス」と答えたのだった。
朝鮮とコロンビアにおけるポジティブな反応は、彼ら彼女らが置かれている暴力的な社
会状況を考えるならば、注目に値する。朝鮮民主主義人民共和国における暴力的な政治的
伝統は、武装した反植民地革命・統一のための内戦・内外の敵にたいする正義の防衛と攻
撃などの点で部分的にはアメリカ合州国の伝統との共通性をもっている。コロンビア社会
のほうは、過去数十年間、軍・警察・武装集団・ゲリラ・殺し屋などによる収拾不能と思
われる「殺人」が蔓延している状況にある。
多種多様な社会的反応
様々なグループ・国々・文化の中で、事前学習なしに[殺さない]社会の可能性に関す
る問いを投げかけてみると、集団内部でも集団間でも多種多様な賛否両論が顕在化してく
る。このようにして体系的な地球規模の研究の展望が開けてきたのである。
年 月、リトアニアのビリニュス市で自由社会研究所が主催した旧ソ連衛星国の政
治学者が参加した「新政治学」の同僚による批評のためのセミナーでは、 人が「ノー」、
人が「イエス」だった。ソウル国立大学の大学院生を対象とした政治学序説のセミナーでは、
人が「ノー」、 人が「イエス」、 人が留保だった。 年に日本に拠点を置く国連支
援基金が主催のハワイ州ホノルル市で開かれた太平洋国会議員フォーラムでは、 人が「イ
エス」、 人が「ノー」、 人が留保だった。この会議にオブザーバーとして日本から参加し
た女性グループでは、 人が「ノー」、 人が「イエス」、 人が留保だった。
年 月にコロンビアのメデリン市で開かれた「教育の未来」に関する教育者の全
国会議では、 人が「イエス」、 人が「ノー」だった。メデリン市の家族社会福祉士の
グル プでは、
人が「イエス」、 人が「ノー」だった。「殺し屋」を含む「シカリオ」
(「小
さなナイフ」の意)という名の若者のギャング集団では、 人が「ノー」、 人が「イエス」
だった。答えの理由を聞かれたとき、
「殺し屋」の一人は「二人の娘を育てるために『殺し』
の仕事をしている。他に仕事がないんだ」と答えた。「イエス」と答えたうちの一人は「貧
富の差が縮まれば、俺達は殺さなくてすむだろうよ」と説明した。
年の 月にカナダのエドモントン市で「カナダ・マハトマ・ガンディ世界平和基金」
の主催で開かれた「諸価値と 世紀」というセミナーに参加した高校生のグループでは、
人が「ノー」、 人が「イエス」だった。 年 月にジョ ジア州アトランタ市の「0・/・
16 殺さないグローバル政治学
キング非暴力社会改革センタ 」主催で開かれた「国際非暴力会議」の高校生による同時平
行集会では、 人が「イエス」
、 人が「ノー」だった。 年 月にロシアのオムスク
大学文学部の 歳から 歳の学生のグル−プでは、 人が「ノー」、 人が「イエス」、
人が留保だった。
[殺さない]社会は可能だろうか。地球規模の「殺人」と「殺人の脅威」下の暴力的 世紀の暴力的終末 −その真っ只中で政治学者と彼ら彼女らの学生たちが「殺人のない社
会はまったく考えられない」と結論づけるのにたる充分な条件は間違いなく存在する。し
かし、同時に、この問いを真摯に考えてみよう− 。「考えることは可能であり、可能かも
しれない」とする兆しもあるのだ。さらに、人類存続を脅かす未曾有の脅威にもかかわらず、
脅威に立ち向かう精神・科学・研究機関・経験のグローバルな源泉は存在し、それは究極
的には「殺人のない社会は完全に可能である」という確信をより強固なものにしてくれる。
第二章
[殺さない]社会のための諸能力
もし私たちが異なる選択肢の追求を決意するならば、人類は暴力の
時代を閉じるに十分な知識をすでに持っているのかもしれない。
ディヴィッド・N・ダニエル / マーシャル・F・ビルーラ(スタンフォード大学精
神医学部 1970 年)
殺しのない社会は可能であると想定する根拠は何か?また、人間が生への普遍的な畏敬
を抱く能力を持っていると想定する妥当性はどこにあるのか?
殺さないのが人間の本性
宗教的基盤から議論を始めてもいいが、まず、ほとんどの人間は殺さないという、%
世俗的な事実から始めよう。すなわち、現在生きているすべての人間の場合も、かつて生
きていたすべての人間の場合も、殺人の経験のある人間はほんの一握りだということであ
る。どんな社会の殺人に関する統計にもこれは当てはまる。
戦争での殺しも考えてみるがいい。世界中の戦争博物館や民族博物館をみても、人類の
半分を占める女性が戦闘における主要な殺人者だったという記録はない。なるほど、女性
も人を殺す、戦争と革命で戦った女性もいる。ある社会では、女性や子供までが、敗北し
た敵に対する儀式的な拷問や殺人に参加する。殺人が不可避的である軍隊に女性を採用し
ている国もある。しかし、昔も今も、女性の大多数が戦闘員や戦場でのキラーだったため
しはない。加えて、殺し合いの戦闘における男性の役割も小さいということがあげられる。
実際に殺し合いの戦闘に参加するのは小数の男性である。その中で直接殺人を行う兵士は
さらに少ない。これらの殺人者の大多数が殺人をためらい、また後になって後悔する。良
心の呵責をおぼえずに殺人を繰り返すことができるのはおそらく %程度だろう。デイヴ・
グロスマン少佐が戦時における殺人にたいするためらいに関する主要な評論の中で述べて
いるように、「戦争は、参加する人々の %を精神的に麻痺させる環境である。そして、
戦争で精神異常にならない残りの %は、戦場に来る前からの精神異常者 ―攻撃的精神
病患者― だった」
(*URVVPDQ:)。だから、「人間は生まれつきの殺人者である」
という通常の政治学の前提とは対照的に、軍事教練の主要な任務は、「平均的個人に深く根
ざす殺人に対する抵抗感、をなくすことにある」(同書、)。
殺さない能力の更なる証拠は家族である。もし人類が生まれつきの殺人者であったなら
ば、いや、たとえ人類の半分が必然的に殺人者であったならば、さまざまな形態の家族は
19
20 殺さないグローバル政治学
存在できなかっただろう。父親が母親を殺したり、母親が父親を殺したり、両親が子供を
殺したり、子供が両親を殺したりすることは確かにある。しかし、これらの殺人は人類の
運命を左右するほど、「殺し」の自然法則に組み込まれるほどの要素にはなっていない。も
しそうであったならば、世界人口は螺旋状的に下降し、はるか昔に絶滅していたであろう。
反対に、家族は、物質的貧窮と逸脱にもかかわらず未曾有の規模で新たな生命を生み出し、
維持し続けてきたのである。
[殺さない]謎をグローバル規模の数値的証拠を交えて解かんとするなら、ひとつには、
かつてどのくらいの数の人間が生き、どのくらいの数の人間が殺人者であり、また殺人者
でなかったかを計算してみることである。研究のひとつでは、紀元前 万年から紀元 年の間に生きた人間の総数を約 億人と推定している(.H\ILW] と :HHNV
の研究を総合した 5DPVH\ の再計算による)。もし、ランメルの戦争と大量殺人による
死者の総数を 億人であったと水増し仮定し、さらに各死者は、 人の殺人者によって殺
されたという誤った仮定をし、殺人による死者の総数を推定するために上記の数を任意に
倍すると、紀元前 年からの殺人者の総数は最大 億人と推定しうる(紀元前 万年からはデータがない)。しかし、この粗雑で水増しされた殺人者推定総数をもってして
も、%の人間は殺人を犯してはいない。もし、合衆国の殺人被害者比率が人口 万人に
対して 人であるとするならば、%の人口が毎年殺人を犯すことになる。さらに加
重暴行による被害者の比率を人口 万人に対して 人、%として、上記の推定総数
に加えると %の合衆国の人口が実際に殺人者であるか殺人未遂者と推定される。多分人
類の %いや %未満が殺人者である。特定の社会における殺人者比率は、もちろん文化や
時代によってかなりの差がある(.HHOH\)。それにもかかわらず、人類が存続し増加
したことは人間の本性においては「生きること」が「殺すこと」に対して優位性をもって
いることの証明である。
宗教的ルーツ
殺人のない社会を実現できるという確信の基盤は、人類の宗教的伝統にも現れている。
なるほど、人身御供から、民族抹殺、原爆による皆殺しにいたる恐ろしい虐殺を正当化す
るために宗教が拠り所にされたことも否定できない(7KRPSVRQ)。しかし、神・創造主・
大御霊、等々 ―どのような名で呼ばれようと― の第一義的な使信は、「おお人よ、わが
声を聞け!汝ら行って他の人を見つけ、彼を、彼女を殺せ!」ではなかった。それとはまっ
たく反対で、「いのちを尊べ!殺すなかれ!」だった。
「殺さない」戒律は世界のすべての宗教に見出すことができる。マックス・ヴェバーが宗
第二章 [殺さない]社会のための諸能力 21
教的帰依と殺すという政治的至上命令とは相容れないとみなす所以である。ジャイナ教と
ヒンズー教は「非暴力はいのちの最高法である」(DKLPVDSDUDPRGKDUPD)という戒律を
共有している。仏教の第一番目の誓いは「いのちを奪うことの忌避」である。ユダヤ教、
キリスト教、イスラム教は、
「汝殺すなかれ」
(出エジプト記 章 節)という神の命令
を共有している。ユダヤ教のもっとも古い教えのひとつは、「誰であれ、一人の人間の命を
守るものは、無数の人間を救う者であり、一人の人間の命を奪う者は世界を破壊する者で
ある」
((LVHQGUDWK:)と教える。この教えの核心はやや加減されてイスラム教に受け
継がれている。「誰であれ、人を殺す者は(殺人罪もしくは、腐敗を国土に広めた罪の罰則
のための処刑を除いて)、すべての人類を殺す者であり、誰であれ、一人の生命を救うものは、
人類全体を救う」(コーラン 章 節)。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を折衷したバ
ハイ教は「人々よ、神を恐れ、流血を慎め!」(◆ %DKD X OODK)と命じている。
ヒューマニストの伝統もまた殺しのない社会の利点と可能性を示している。儒教では支
配者の徳が優勢であるときには死刑は必要でないとされる()XQJ)。道教では人間
が簡素で自発的に自然と調和して生きるならば、「武器は存在するかもしれないが、誰もこ
れらの武器で訓練はしない」とされる()XQJ)。現代の社会主義思想においては、
労働者が互いに殺しあうことを拒否するならば戦争はなくなるとされる。第一次世界大戦
での反戦宣言は次のように主張する。
階級に目覚めた世界の産業労働者はクエカー教徒のように宗教的理由からではなく、
労働者階級の利益と福祉は同一であると言う理由に基づき人類の流血に良心的に反対
する。われわれはドイツの帝国主義的資本主義政府に断固反対するものであるが、わ
れわれはいずれの国の労働者をも虐殺したり不具にしたりすることに反対する。殺人
を認めている社会はない。ヒューマニストのいのちへの畏敬は宗教者のいのちへの畏
敬と同等である。
世界の宗教的伝統やヒューマニストの伝統に内在する[殺さない]倫理は、
「殺しのない」
社会の実現の可能性にどのような意味をもっているだろうか?一方で、それはいのちへの
深遠な畏敬を人類の良心に植え付けようとしている神の意図を啓示している。他方で、そ
れはそのような原理を受容し、それに応答し、そのような原理を創造する資質が人間には
あることを証明する。もし人間が治療不可能な生まれつきの殺人者であるならば、このよ
うな原理の受容も、継承も、創造も不可能だろう。それはまた、たとえ革命を断念させる
ために「殺さない」宗教的倫理をエリートが発明し、抑圧者を弱体化するために被抑圧者
が発明し、報復から逃れるために殺人者がそれを発明したとしても、人間にはそれを肯定
的に受け止める資質があることを意味している。
「殺さない」精神は、歴史上最も悲惨な流血の惨事が起こる以前にも、起こっている最中
22 殺さないグローバル政治学
にも、起こった後にも姿を現わしている。この発現は殺人者たちによって慈悲深くも賦与
された贅沢、であるだけではない。この精神は抑圧しきれずに現代に生き残り、十字軍派
遣以後のキリスト教、アラブ世界制覇以後のイスラム教、ホロコースト以後のユダヤ教、
武闘主義以後の仏教、先住民社会の植民地化以後の伝統における「殺し」からの解放を鼓
吹しつづけている。殺戮に満ちた 世紀において、「殺さない」精神は、キリスト教徒の
トルストイとマーティン・ルーサー・キング牧師、ヒンズー教徒のガンジィ、回教徒のア
ブドゥル・ガーファー・カーン、ユダヤ教徒のジョゼフ・アビリー、仏教徒のダライ・ラマ、
緑の党のぺトラ・ケリー、そして数え切れない有名・無名の人々の勇気ある非暴力による
地球の変革取り組みの中に見出される。
各宗教に内在する「殺さない」精神とそれへの冷静なコミットメントの実例は、無数の人々
の覚醒と確認への道を備える。[殺さない]至上命題と「殺す」責任の肯定およびその退廃
的な帰結の間の緊張関係は「殺さない」個人と「殺しのない」社会への変革の動機を創り出す。
[殺さない]ルーツは個々の伝統の中に見出されるが、人類全体の精神的遺産はヒンズー教
の聖樹の命を支える多様なルーツ組織のようなものである。インスピレーションと持続は
ルーツ組織全体からでもまたどの部分からでも抽出することができる。すべてがいのちに
触れるからである。宗教的かつ人文主義的信念における生への畏敬の現実は「殺しのない」
地球社会が可能であることの確信の強固な精神的基盤を提供している。
科学的ルーツ
「宗教のみでは決して非暴力に到達することはできない」
。これはアチャリャ・マハプラ
ギャの助言だが、彼はインドの代表的宗教的指導者の一人であり、古代ジャイナ教のアヒ
ムサ(非暴力)という伝統の創造的な継承者である。ジャイナ教の思想では、「アヒムサ
はすべての人生の段階での中心であり、すべての聖典の核心であり、すべての誓いと徳の
総体かつ実体である」
(-DLQDQG9DUQL)。アチャリャ・マハプラギャにとって、非
暴力社会を実現する方途は個々の人間をエンパワーして非暴力を自らの内に発見させ、現
代の神経科学と宗教的真理を結合することによってそれを社会的に表現することである。
彼の分析では、暴力は内分泌腺が交感・副交感神経系に影響して作られた感情が原因であ
り、われわれが食べる物と関係している。さらに、神経系についての科学的知識に基づい
て脳のエネルギーを利用し、われわれは純粋な瞑想の実践によって内なる非暴力を育み、
非暴力的社会生活を営むことに没頭することができるのである 0DKDSUDMQD
=DYHUL.XPDU。
人間の 「殺さない能力」 に対する確信の科学的根拠はどのようなものだろうか? 科学は、
第二章 [殺さない]社会のための諸能力 23
広い意味で、問いと実験によって得られる知識のあらゆる形態 ―信憑性と信頼性を決定
するための事実・理論・方法論― である。科学革命の始まりは哲学者たちが「常識」を
疑問視したことだった。
非暴力の研究では $・リチャード・コンラッド()によって同じことがなされた。
彼はレイプから大量殺戮にいたる暴力に有効に対処する唯一の方法は「殺しが準備されて
いること」だという慣習的な想定を疑問視した。暴力による問題解決という選択肢の理論
は つの前提によって成立していると彼は考える。)非暴力による問題解決の選択肢はす
べて確認されていること。)それらの問題解決の選択肢はすべて検証済みであること。)
それらの問題解決の選択肢はすべて失敗したこと。以上である。しかし、これらの諸前提
は擁護できない。非暴力による問題解決の選択肢は理屈の上では無限であり、時間、資料、
その他の要素の実際上の制約のために確認済みの選択肢の検証すらできない。それゆえ、
暴力的選択肢が成功に導く唯一の選択肢であるということは確認できない。かくて、コン
ラッドは、暴力を容認する哲学的姿勢から非暴力的選択肢を創り出し、検証することを追
求する哲学的姿勢への変換の必要性を論じている。このようなアプローチは人類の殺人性
の不可避性に疑問を投げかける科学的な発見へと導くに違いない(<RGHU 参照)。
人間が動物的な本性からして不可避的に殺人者(キラー)であるという想定は疑問視さ
れている。トゥレイン大学の心理学者、ロー・ツェン・ツァイ()はネズミを捕食す
る猫とネズミが同じ皿から仲良く餌を食べるように教えることができることを証明した。
その方法は「オペラント条件づけ」(自発的行動を報酬や罰によって強化する条件づけ)と
社会的学習の結合だった。最初にガラスの仕切りで分けられた猫とネズミは並列している
レバーを同時に押さなければ共同の皿に餌のペレットが出てこないことを学ぶ。 回の
訓練のあと流血を見ることなく仕切りを取り除くことができた。
ツァイの結論である。
天敵といわれている猫とネズミが協調することをわれわれは極めて重要な実験によっ
て科学史上初めて証明した。この発見は動物の本性には闘争と戦争を不可避にする
根絶できない闘争性の本能があるという心理学における伝統的な教義を放棄させる
()。
「多くの人々がわれわれの研究が世界平和の理論的可能性の生物学的基礎を築いたと考え
ている」ことを受けて、ツァイは競争的殺人という推定不可避性の継続ではなく「協調に
よるサバイバル」という科学に基づく哲学の必要性を訴えている。まったく別の分野にお
いてだが、物理学者で科学史家のアントニオ・ドレイゴーは紛争解決過程に関するカーノッ
トとニュートンの考えを対照させながら、超越的な協調を選択する科学に基づく類似の提
24 殺さないグローバル政治学
案に到達している('UDJR)。また、心理療養家のジェローム・'・フランクは、致命
的な敵対関係を克服するのに相互に有利な共通のゴールへの協調を提言している()UDQN
∼ ∼ )。
人間の間の殺しは「キラー・エイプ」(殺しをするサル)という種として進化してきた
結果だといわれるが、こうした想定への反論としては遺伝的にほとんど同ーの類人猿の種 ―中央アフリカの「殺さない」ボノボ― の新しい研究がある(.DQR )。 ボ ノ ボ と
熱帯雨林を共用するコンゴのマンガンドゥの人々は、かつて彼らの祖先がボノボと親族と
して共に暮らしたという伝説に基づいて、ボノボを殺すことを厳禁している(.DQR
)。ゴリラ、チンパンジー、その他の類人猿とは対照的に、ボノボが殺しあうことは観察
されていない(:UDQJKDPDQG3HWHUVRQ :DDO)。さらに、殺しもする類人猿種
における「仲直り」と「互恵的利他主義」に関する最近の研究も同じく進化における人間
の本性について、殺しのみを主張し、「殺さない」潜在的可能性を無視している傾向を疑問
視している。動物の性格には平和的な側面もあるのであり、クロポトキン、ソロー
キン、アルフィー・コーン が証明しているように、人間の本性に関しても、
協調性・利他的・「よりましな側面」、も存在するのである。
動物の攻撃性とヒトの攻撃性の比較研究によって、動物行動学者であり人類学者である
,・エイブル・エイベスフェルド( ∼ )は殺すことを禁じる宗教的戒律には生物
学的根拠があることを発見した。「多くの動物種の同種間攻撃は高度に儀式化されているた
め個体が実際に傷つくことはない」という観察から、彼は流血を回避する同様のそしてよ
り精巧なヒトの技術を発見した。彼は「生物的規範フィルターが <殺してはならない> という戒律をある程度まで規定している」と結論づける。しかし、「文化的な擬似的種形成
(他を完全に人間ではないと定義することによって餌食の対象にする)の過程において、人
間は殺すことを禁じる文化的規範フィルターに、殺しを促す生物的フィルターの覆いをか
けてしまった」。戦争において「このことは敵を拘束し人間として対面するや否や兵士が良
心の痛みを通して感じている規範の葛藤へと導く」。これは殺しを経験した兵士が無垢化と
社会的受け容れを必要としていることにおいて明白である。
エイブル・エイベスフェルドの命題をグロスマンの発見が保障している。いわく、
「歴史
を通じて、自分の命や戦友の命を救うためにさえ大多数の人間は戦場において敵を殺そう
とはしなかった」*URVVPDQ 。殺しを直接経験した兵士のほうが殺しを経験して
ない兵士よりも精神障害者となる確率が高いことを発見している。兵士専門の心理学者と
行動学・人類学者の違いは二人の発見の政策的影響だけである。前者の役割は殺しへの抵
抗を緩和するための専門的訓練を提供することであり、後者の問題は「殺さない」人間の
生物学を文化の一部にすることである。エイブル・エイベスフェルトの結論はこうだ。
第二章 [殺さない]社会のための諸能力 25
平和への普遍的欲求の根源は生物学的規範と文化的規範の葛藤にあり、この葛藤が彼
らの生物学的規範と文化的規範のフィルターを一致させようと人間に要求させるので
ある。われわれの良心はわれわれの希望であり、それを基礎として、理性に方向付け
られた進化は平和へと導くことができる。これは戦争が果たす役割は流血を伴わない
別の仕方で果されなければならないことを前提とする(1979:241)。
脳科学は「殺さない」人間の潜在的可能性に対する確信への更なる根拠を提供する。神
経科学の先駆者ブルース・(・モートン()は彼のアプローチを「神経リアリズム」
と名づける。彼は「行動の側面性における四つの脳の二重構造」において、「殺さない」行
動と「殺す」行動の神経生物学的基盤を描写する。「四つの構造からなるシステムの二つの
機能仕様」モデルは、脳の脳幹システム(本能)・大脳辺縁系(感情)・右と左の半球シス
テム(想像と知性)・大脳新皮質システム(直感)、から構成される。モートンは、高度な
精神性と社会意識の基盤を大脳新皮質の直感に置いている。高度な{精神性}の 根源 は、
「誠実・創造性・自己統制・利他性・共同性・同情・非暴力」であり、集団の長期にわたる
生存を促進し、「すべての人々に開かれた、厳密に頭脳による現象である」とする。 根源
は三つの方法、臨死体験によって・ある種の幻覚剤の使用によって・そして、最も重要な
方法である瞑想によって、意識上において認識することができる。日々の社会生活において、
根源 は直観的に「非暴力の共同体に向けて」の共同作業の利益の現出を促進する。それは、
生存のための殺人による威嚇をなくすことに寄与し人類に利益をあたえる。
こうして、神経リアリスト脳科学は「殺さない」宗教的精神性と生物学的な殺人へのた
めらいと完全に一致する自主的な非暴力への献身と社会変革への基盤を提供する。また、
それはヒンズー教ヴィヴェカナンダの偉大な宗教の指導者達の役割は神を外部から導入す
るのではなく、一人一人のうちにすでに内在する神性を呼び起こすことにあるという洞察
とも一致する。また、それはキリスト教徒のトルストイの確信「神の国は、あなたがたの
うちにある」(7ROVWR\)と共鳴する。 世紀のインドの神秘主義者カビアーの洞察と
比べてみるとよい。
目と目の間に神の使徒なる主在 いま し、
汝自身の身体に主在す。
なにゆえ外に目を向け主を探すや?
6HWKL ∼ しかし、生物学的原因に基く脳障害によってある種の人々には衝動的殺人者(キラー)
となる傾向性が与えられていると仮定してみよう。このような殺人傾向は条件付けや文化
が原因ではなく、生物学的原因に基くものだとしても、科学的創見は病的な殺人者たちを
エンパワーし、殺人への衝動から解放することを約束している。他の人間的属性に害を与
26 殺さないグローバル政治学
えることなしに、である。現代の神経科学、遺伝学、その他の生物科学の発達で、「人間の
本性」の不可避的殺人傾向はーそれが非典型的な生物学的障害と関係付けられたとしてもー
もはや前提することができなくなっている。
先駆的な例としては発育神経心理学のジェームズ・:・プレスコットと精神医学のロバー
ト・*・ ヒースの基礎的な応用研究がある(5HVWDN ー )。彼らはある種の人々
の殺人への衝動は感情を司る脳のエリア(大脳辺縁系)と体の動き(小脳)を繋ぐ電気配線(快
楽回路)の障害にあると理論づける。さらに彼らはこれらの回路の発達と障害は幼少期の
体の回転運動の度合いと関係していると推論する。このことを検証するために頭部を動か
ないように万力で固定した状態と回転いすにのせてくるくる回す状態でチンパンジーを育
てた。その結果、体の動きを制限されたチンパンジーのほうがより攻撃的であり、動きの
自由なチンパンジーのほうがより社会的だった。次に、収監されている殺人犯にこの理論
を応用する実験を行った。衝動的殺人者の肩に埋め込まれたポケット制御装置によって自
身で制御できる小さな電極を脳の後方に埋め込んだ(「大脳シミュレーター」もしくは「大
脳ペースメーカー」
)。不快感と殺人への衝動が高じたときに、被験者は快楽回路を刺激す
ることによってこの衝動から解放され得る。「犯罪的精神異常者」と診断された被験者のう
ちには長年にわたる独房ないし拘束からただちに解放される体験をした者もいる。他の被
験者は殺人と自殺の衝動が徐々に消えてゆく体験をしている。失敗の事例もあった。その
一つは小脳に埋め込まれていた電極への電線が切れてしまって、患者が直ちにハサミで看
護師を殺した例である。それにもかかわらず、この先駆的な方法の成功は殺人的傾向につ
いての生物学的悲観主義から人類を解放する理論的および科学技術的革新への挑戦となっ
ている。
[殺さない]ことに関する政治学の悲観主義と極めて対照的な楽観主義のさらなる根拠が
ある。マーティン・ルーサー・キング牧師とロバート・)・ケネディー上院議員の暗殺後
に米国で作成された報告書で、「暴力の危機」を研究するために集められた 人のスタン
フォード大学の心理学者委員会が作った('DQLHOV*LOXODDQG2FKEHUJ)。生物学、神
経ダイナミックス、環境、怒り、集団間紛争、マスメディア、銃、精神病、麻薬使用、そ
の他の要素等々における暴力と攻撃性の問題を再検討したダニエルズとギルーラは以下の
ような結論に達している。「もしわれわれが異なった選択肢を追求する決意をしたならば、
人類の暴力の時代を終焉させるのに十分な知識をすでに持っているかもしれない」(傍点は
ページ)()。
心理学者のジョージ・)・ソロモンによる殺人の事例研究()は、
殺人を救いがたい「人
間の本性」とする意見とは対照的に、殺人は理解もできるし予防もできると結論づけている。
ある事例は、一見無感動で無差別な女性狙撃犯の社会適応化の体験で、この事例には賭博
第二章 [殺さない]社会のための諸能力 27
常習者の父親による放置・アルコール中毒で乱雑な性関係を持つ母親の誘惑・銃への誘惑・
近親相姦のやましさと「恐ろしいイメージ」を遮断するための麻薬使用、等が含まれていた。
もう一つの事例は、離婚した妻の新しい夫を殺害した犯人の背後関係で、これには、貧窮・
母親に暴力をふるう父親への憎悪・父親に頭を強打されたのが原因の痙攣・母親の嘲笑・
姉妹たちによる殴打・海兵隊における軍曹への任官・売春宿で知り合った売春婦との結婚・
彼女との間に生まれた二人の子どもの世話・海外任務中の妻の浮気を知って奮った妻への
暴行と自らの手首切傷・ 口径の拳銃を持った妻の脅迫・軍から支給された拳銃の保管 ―それで妻と妻の新しい夫と三人での居間での子供の養育費と訪問の権利に関する言い争
いの最中に妻ではなく妻の新しい夫を殺害したのだが― 、が含まれていた。
ソロモンは次のように結論する。
精神病医として私は人間の行動は改変できるという考えに強い確信を持っている。予
防と治療における失敗は無知によるが、それらの失敗は、すでに受け入れられた原理
の適用の欠如・改良への抵抗・暴力への傾向性を持つ人間の本質的な「治療不能性」
よりもっと大きな社会的逸脱に対する嫌悪、などのさらなる研究によって改良されう
る。人間の成長と治癒の能力は偉大であり、暴力の性癖にブレーキがかかることが期
待される。
人類学においては、暴力と攻撃性に関する通例の強調とは対照的に、非暴力と平和への
人間の諸能力の理解における新たな関心が「殺しのない」社会は不可能であるという想定
を疑問視する知識を生み出している(6SRQVHODQG*UHJRUE6SRQVHO)。レスリー・
(・スポンセルは説明している。「非暴力的および平和的な社会は稀有であるかのように思
われるが ―そういう社会が実際に稀有だからではなく― 、非暴力や平和は、研究・マ
スコミ・その他の領域において滅多に取り上げられることがないからである」。さらに彼は
付け加える。「暴力と戦争の特徴・条件・原因・機能・過程・結果を理解することが重要で
あるように、非暴力と平和の特徴・条件・原因・機能・過程・結果を理解することが重要
である」...と(6SRQVHOD ∼ )。
原始社会の、人類における普遍的な殺しというホッブスの想定に対しては、ピエロ・ジ
オルジ(*LRUJL)と -0* ヴァン・デル・デネン(YDQGHU'HQQHQ;)に
よって学問的な疑問が提出されている。 過去 世紀にわたる民族誌学的文献に記録された
万に及ぶ「未開」の人々の戦争と小競り合いの証拠の再検討で、ヴァン・デル・デネン
が戦争と小競り合いの明白な確証を見つけたのは僅か 千のグループに過ぎない。残りの
グループの「好戦性」に関する情報の欠如は必ずしもそれらのグループの平和性を証明す
るものではないことを認めながら、ヴァン・デル・デネンは普遍的な人類の好戦性の想定
を独断的に受容することに対して警告をしている( ∼ )。彼はアボリジ
28 殺さないグローバル政治学
ニーからズーニーにいたる の「高度に非好戦的」な部族の民族誌学的証拠を引用して
いる(: ∼ )。
民族学的文献を再検討したブルース・'・ボンタは、「平和の充足」
(SHDFHIXOQHVV)のた
めの人間の諸能力を証明する四七の社会を確認している(%RQWD)。
平和の充足は以下のように定義される。それは「人々が比較的高度な個人間の調和の
うちに生き、成人の間・成人と未成年の間・男性と女性の間で物理的暴力を体験する
ことがほとんどなく、紛争を解決し暴力を避ける実際的な戦略をもっており、他の部
族との暴力(戦争のような)を回避することに留意し、子供たちを平和的な方法を受
け継ぐように育て、彼ら自身が平和的であるという強い自覚を持っている」状態だ。
ボンタは、以下のグループの人々に平和の充足の証拠を発見している。アーミッシュ、
アナバプティスト、バリニーズ、バーテック、ビルホール、ブレズレン、ブーイッド、チュー
ウォング、ドゥークホーボルス、フィーパ・フォーレ、ジーウィ、フッテライト、イファルー
ク、イヌイット、ジャイナ、カダール、クング、ラダキス、レプチャス、マラパンダラム、
ムブティ、メノナイト、モンタニェーナスカピ、モラビアン、ナヤカ、ヌビアン、オンゲ、
オラング、アスリ、パリアン、ピアロア、クエカー、農村部北アイリッシュ、農村部タイ、
サン、サンポイル、サルトー、セマイ、タヒチアン、タンカ、テミアール、トラジャ、ト
リスタン島民、ワウラ、ヤナディ、サポテック、ズニ。
これらのグループのうち グループの紛争解決方法に関する研究において、ボンタは以
下の結論を得ている(%RQWD)。
平和のうちに紛争を解決しているこれら社会の成功例にから、西欧の学者によって主
張されている紛争と紛争解決に関する共通した数々の考えに疑問を提出することがで
きる。いわく、暴力的紛争はすべての社会において不可避的だ、いわく、懲罰と軍事
力が内外の暴力を阻止する、いわく、紛争を阻止するためには政治的構造が必要だ、
いわく、紛争はポジティブかつ必要であるとみなされなければならない。反対の証拠
は半数以上の平和的状況にある社会において、記録に残る暴力が存在しないことであ
る。彼らは成人を懲罰することがほとんどない(追放への脅威を除いて)。彼らは他
の社会との紛争も自社会内の紛争と同じ平和的方法で処理する。彼らは自社会内の紛
争解決のために外部政府の助けを求めない。紛争については非常にネガティブな考え
を持っている。
人類学的研究がたびたび発見する事実に、社会における暴力の高低仕分け時の諸要因の
中で、子供の社会化と共同体の自己アイデンティティーの重要性、がある()DEEUR)。
これら諸要因の重要性は、メキシコのサポテック地方の社会経済的特徴に類似がみられる
が、暴力発生率が顕著に異なる村々についてのダグラス・3・フライの比較研究()に
も示されている。殺人が稀でピースフルなラパスでは、市民は自分たちを「尊敬に値し・ピー
第二章 [殺さない]社会のための諸能力 29
スフルで・嫉妬せず・協調的である」と見ている()。隣接する暴力的なサンアンドレ
スでは、「暴力を容認する、広く信奉されている対抗的な信念ないし価値観がある」()。
それらは、女性への尊敬の欠如・妻への暴行・子供への体罰・反抗的な子供・悪口雑・酔っ
払いの口論・恋仇の殺傷・宿怨・復讐などと重なる。物質的・構造的条件がほぼ同じであ
るにもかかわらず、殺人発生率はサンアンドレスでは人口 万人あたり 人であるの
に対し、ラパスでは 人である。この比較は人間の本性に対する悲観主義と暴力を容認
する共同体の規範は殺人と相関しており、非暴力の信念と諸価値は「殺しのない」社会素
地をつくるということを教えてくれる。
「殺さない」人間の能力への確信への主要な科学的確証は、 年 月 日に動物行動
学・行動遺伝学・生物人類学・人性学・神経生理学・人類学・政治心理学・精神病理学・
精神生物学・心理学・社会心理学・社会学、などの諸分野にわたる国際的な専門家集団によっ
て発表された歴史的な「暴力に関するセヴィリア声明」によって提供された。声明は以下
のように宣言する。
― 私たちが戦争をする傾向性を動物的祖先から受け継いたと述べることは科学的に
不正確である。― 戦争あるいは他のいかなる暴力的行動であっても、それが人間の
本性に遺伝的にプログラムされていると述べることは科学的に不正確である。― 人
間の進化過程において攻撃的行動への選択がその他の種類の行動への選択よりもより
多くあったと述べることは科学的に不正確である。― 人類が「暴力的な脳」を持っ
ていると述べることは科学的に不正確である。― 戦争が「本能」あるいは何か単一
の動機づけによって起こると述べることは科学的に不正確である。
先に引用したスタンフォード大学の精神病学者達が主張する[殺さない]のオプティミ
ズムに平行して、セヴィリアに集った科学者達は以下のように宣言する。
私たちの結論は以下の通りである。すなわち、生物学では戦争は人類の運命だとは言っ
ていないということ、そして、人類は生物学的悲観主義の桎梏から解放され、国際平
和年である今年と今後の歳月において必要とされる社会変革の任務に確信をもって当
たることができる、ということである。これらの任務は、制度的かつ集団的であると
はいえ、同時に、楽観主義と悲観主義を決定的要素とする個々参加者の意識に左右さ
れる。戦争が人の心の内から始まるように、平和もまた人の心の内から始まる。戦争
を発明した人類は平和も発明できるのである。責任は私たち一人一人にかかっている
($GDPV±。
アルバート・アインシュタインは、フランクリン・ローズヴェルト大統領に 年 月 日付の手紙で「原子物理学の進歩により <途方もなく強力な新型爆弾> の製造が <想定可能> になった 1DWKDQDQG1RUGHQ」と伝えた。その結果、原爆製造
のための諮問委員会が作られ、 千ドルの当初予算が計上されたが、やがて数 億ドルの
30 殺さないグローバル政治学
マンハッタン計画となり、 年後、世界初のウラン爆弾とプルトニウム爆弾の完成・使用
になった。 年後、十分な科学的根拠に基づく人間の非暴力的能力、が認識され、もしそ
れが組織的に統合され研究されるならば、殺しを不可能にする人間の自己改造に結びつく
可能性が出てきたのである。そのことを示す指標の中には、米国の大学だけでも、 年
以来「非暴力」の研究が増加し、すでに 以上の博士論文が発表されており、分野は人
類学・教育学・歴史学・言語学・文学・哲学・心理学・政治学・宗教学・社会学・弁論学・
神学にまたがっている 'LVVHUWDWLRQ$EVWUDFWV,QWHUQDWLRQDO
∼ 。
非暴力の研究は、インドのような他の国々・英語以外の言語・各種学会での発表・書
籍 と シ ン ポ ジ ア ム .RRO・ 先 駆 的 綜 合 分 析 *UHJJ・ 新 刊 定 期 刊 行 物
(,QWHUQDWLRQDO-RXUQDORI1RQYLROHQFH±)・非暴力行動の主要な注釈付書誌学の調査
0F&DUWK\DQG6KDUS・その他...さまざまな領域で行われ、完成の域に達したもの
もあり「平和」や「紛争解決」の文献に加え、充実した非暴力知識体系が増大しているこ
とは明白である。現在、非暴力知識の潜在的可能性は機能的には 年における原子物理
学の状態に匹敵するものである。
[殺さない]能力の突出
現代社会学の創始者エミール・デュルケム ± は、理論的関心についての問い
に関連した社会生活の突出に注意を向けるよう強く主張した。この考えは米国の社会心理
学者ドナルド・7・キャンベルによって継承され、彼はノースウェスタン大学で政治学研究
する大学院生があたかも実験室で捏造したのを見逃さないがごとく、「自然発生する社会的
実験」について注意深く観察するよう促している。政治学は実践を観察することから理論
形成するのが常であるため ―冷血な君主チェーザレ・ボルジアの政治手法をマキャベリ
が『君主論』で詳細に理論化したように― 歴史からも現代の経験からも「自然に」発生
した殺さない行動実例をみることは、非暴力的社会に向けた変革の可能性を認識する上で
特に貴重である。殺さない諸能力の顕著な実例は、公共政策、諸制度、文化的表現、非暴
力的政治闘争、歴史的事件、捨て身の人物...などにみられる。
公共政策
ー殺しのない社会の実現に向けた分かりやすい政治的決断の事例は、死刑を廃止した
国々・軍隊のない国々・軍務での殺しを嫌う良心的兵役拒否の権利を認めている国々...
に見られる。
アムネスティ・インターナショナルによれば、 年 月までに世界の ヵ国中、以
第二章 [殺さない]社会のための諸能力 31
下の の国・地域がすべての犯罪について死刑を廃止している。
アンドラ
アンゴラ
オーストラリア
オーストリア
アゼルバイジャン
ベルギー
ブルガリア
カンボジア
カナダ
ケープ・ヴェルデ
コロンビア
コスタリカ
クロアチア
チェコ
デンマーク
ジブチ
ドミニカ
東チモール
エクアドル
エストニア
フィンランド
フランス
グルジア
ドイツ
表2 死刑を廃止した 73 の国・地域(93)
ギリシャ
ノルウエー
ギニアビサウ
パラオ
ハイチ
パナマ
ホンジュラス
パラグワイ
ハンガリー
ポーランド
アイスランド
ポルトガル
アイルランド
ルーマニア
イタリア
サンマリノ
キリバス
サントメプリンシペ
リヒテェンシュタイン
セイシェル
リトアニア
スロバキア
ルクセンベルグ
スロベニア
マケドニア
ソロモン諸島
マーシャル
南アフリカ
モーリシャス
スペイン
ミクロネシア
スウェーデン
モルドバ
スイス
モナコ
トルクメニスタン
モザンビーク
ツバル
ナミビア
ウクライナ
ネパール
イギリス
オランダ
ウルグアイ
ニュージーランド
バヌアツ
ニカラグア
バチカン
ベネズエラ
出典 ―$PQHVW\,QWHUQDWLRQDO$SULO
完全な死刑廃止は、一つ一つのケースが極めて興味深く、科学的・公共政策的関心を喚
起する。各政府は、なにゆえ・どのようにして・いつの時点で殺さない決断をしたのだろ
うか。なにゆえある国々・文化・地域は上掲リストに載るのに、リストに載らない国々・
文化・地域があるのだろうか。どのような改革・制度伝播の歴史的な過程がグローバルな
死刑廃止状況をもたらしたのだろうか。そして、このような非暴力的変革の実例は「殺し
のない」未来社会の普遍的実現にとってどのような意味を持っているのだろうか。
完全な死刑廃止国に加え、通常の犯罪については死刑を廃止したが軍法会議ないし戦争
の特例については死刑を存続させている国が カ国ある(例を挙げれば、アルゼンチン、
ボスニア ヘルツェゴビナ、ブラジル、イスラエル、メキシコ、南ア、英国などである)
。
の国では死刑制度はあるが、過去 年あるいはそれ以上にわたって死刑を執行してい
32 殺さないグローバル政治学
ない(例えば、アルバニア、ブルネイ、ダーエスサラム、コンゴ、パプアニューギニー、
セネガル、スリランカ、トルコ、西サモアがそうである)。死刑制度があり、「殺し」を継
続している国は カ国ある(その中には、中国、エジプト、インド、インドネシア、日
本、ナイジュリア、パキスタン、ロシア、米国が含まれる)
。米国は連邦犯罪の死刑は維持
しているが、全米 州と首府ワシントンのうちの 州で死刑を廃止している。アラスカ
州、ハワイ州、アイオア州、メイン州、マサチューセッツ州、ミシガン州、ミネソタ州、ノー
スダコタ州、ロードアイランド州、バーモント州、ウェストバージニア州、ウィスコンシ
ン州の 州である。
賛否両論の揺れはあるものの、政府による死刑廃止というグローバルな趨勢は暴力のし
きたりからの決別であり、殺しのない社会の達成の可能性への確信を強める。市民を殺す
ことはルソーの「社会契約」に含まれる必要はなく、マックス・ウェーバーの言う政治の
譲渡すべからざる属性でもない。
年現在、 カ国ある軍隊のない国について考えてみよう。それらの国々は、クッ
ク諸島・ニウエ・バチカン市国以外はすべて国連加盟国である。
コスタリカ
ドミニカ
グレナダ
ハイチ
キリバス
リヒテンシュタイン
モルディヴ
表3 軍隊のない国(27 カ国)
軍隊のない国(19 ヵ国)
モーリシャス
ナウル
パナマ
セントクリストファー・ネビス
セントルシア
セントビンセント・グレナディンズ
サモア
サンマリノ
ソロモン諸島
トゥヴァル
ヴァヌアツ
バチカン
軍隊はないが防衛条約のある国(8 ヵ国)
アンドラ公国(スペイン・フランス)
クック諸島(ニュージーランド)
アイスランド(NATO・合衆国)
マーシャル諸島(合衆国)
ミクロネシア(合衆国)
モナコ(フランス)
ニウエ(ニュージーランド)
パラオ(合衆国)
出典 ―%DUEH\
上記に加え、主権を主張する国の保護領または地域が主権国との協定によって非武装地
帯になっているところが少なくとも カ所はある。フィンランドのアランド諸島がそうで
あり、南極大陸と月は国際条約によって非武装地帯となっている。軍隊がないことは、軍
隊が国家のアイデンティティ・社会的コントロール・国防と攻撃には不可欠、だと思われ
ている国々にとっては驚きかもしれない。
第二章 [殺さない]社会のための諸能力 33
軍隊のない国々は小国であり、軍事同盟や非軍事的武装集団をもっているという側面は
あるものの、これらの国々は非武装国家の可能性を示唆している。殺しのない国家は想定
不可能ではないのだ。
軍隊はあるが、良心的兵役拒否を国家として承認していることは、殺さない政治的な潜
在的可能性についてさらなる証拠を提供している。 年現在、軍務において殺さないこ
とを市民に法律で保障している国は カ国にのぼる。
表4 良心的兵役拒否を認めている国および地域(47 カ国)
オーストラリア
マルタ
ベルギー
ノルウエー
ブルガリア
ポルトガル
ギリシャ領
チェコ
スロベニア
フィンランド
スリナメ
ギリシャ
ウクライナ
イスラエル
ウルグアイ
ラトビア
リトアニア
アゼルバイジャン
オランダ
ブラジル
ポーランド
クロアチア
キプロス
スロバキア
エストニア
スペイン
ドイツ
スイス
ハンガリー
米国
キルギスタン
ユーゴスラビア
オーストリア
モルドバ
バーミューダ
パラグアイ
カナダ
ルーマニア
ロシア
デンマーク
南アフリカ
フランス
スウエーデン
ガイアナ
英国
イタリア
ウズベキスタン
ジンバブエ
出典 ―+RUHPDQDQG6WROZLMN
良心的兵役拒否についての容認可能な法的根拠は、殺しを拒否する厳格な宗教的要請か
ら、心情的・哲学的・倫理的・人道的・政治的理由にいたるまで実にさまざまである。同様に、
兵役に替わる代替義務・軍務に服している兵士が良心的拒否をする場合の兵士の取得技能・
法務執行信頼性の程度、もまた実にさまざまである 0RVNRVDQG&KDPEHUV。現状、
最もリベラルな殺さない権利は 年制定のドイツ基本法第 条に謳われている。そこ
には「何人も良心に反して軍務に服することを強制されることはない」とある .XKOPDQQ
DQG/LSSHUW。死刑廃止や軍隊のない国の登場の場合もそうだが、軍事的殺人者と
して服役することに対する拒否の起源・過程・グローバルなパターン化・政治的容認の展望、
は驚嘆に値する学問的関心事である。
34 殺さないグローバル政治学
社会的諸機構
殺しのない未来社会に近づきつつある、あるいは過渡的なものとしてすでに機能してい
る集団機構は世界各地に生まれている。これらの機構の存在は殺人をしないことに向けた
態度決定能力が人間にはあることのさらなる証拠である。もし、ばらばらに存在するこれ
らの機構が創造的に結合され、一つの社会のニーズに合わせて適合されるならば、これは
もはや仮説的想定の産物ではなく、人間の、検証済み・経験に基づいた、殺しのない社会
として、その存在を脳裏に描くことはもうすでに可能なのである。個々の例はすべて詳細
に紹介されるべきではあるが、ここではその多くの中から数例について短く述べることに
する。
宗教的諸機構 ー
殺さない信仰に基く宗教は世界中にある。東洋ではジャイナ教、西洋ではクエーカー教、
日本の基督教兄弟団、フランスの― プラム仏教村、アフリカの― サイモン・キムバン
グ教会、ロシアとカナダの― ドゥホボール(霊的力士)平和会、米国のユダヤ協会など
である。グローバルには 年設立の― 国際友和会(,)25)があるが、,)25 はあら
ゆる宗教の人々を結集して、「愛と真理に基いて、正義を創り・共同体を回復し・個人的・
社会的・経済的・政治的変革の手段として・生活スタイルとして、積極的な非暴力にコミッ
トしている」。
政治的諸機構 ー
厳格な非暴力を信条とする政党としては英国の友和党(5HFRQFLOLDWLRQ3DUW\)がある。
この政党は、ロナルド・マローン、ジョン・ラバーシードほかのキリスト教平和主義者や
第二次世界大戦の退役軍人によって 年に創設された。この党はすべての戦争準備に反
対し、経済的社会的正義を促進する一方、芸術とスポーツを奨励する。(注 )ドイツには、
ペトラ・ケリーと 人の同志によって 年に創設された、エコロジーにおける諸価値
を重視する「みどりの党」'LH*UQHQ があり、
「非暴力」を主張する。ガンジィ、マーティ
ン・ルーサー・キング牧師の非暴力運動が同党の精神的源泉である .HOO\
。
「みどりの党」ほど政策において顕著ではないにせよ、世界中で斬新な社会運動政党が設立
され、それに伴った非暴力運動が広がっていることは政治的前例として注目に値する。米
国の「平和党」(3DFLILVW3DUW )は宗教的・科学的・人道的諸原則、に即してブラッドフォー
ド・ライトルが 年に設立した。彼は 年と 年に同党の候補者として大統領
選にのぞんだ人物である。彼とその党は米国が自国の社会と世界における米国の役割とし
第二章 [殺さない]社会のための諸能力 35
て非暴力的転換を遂げるよう追求している。インドでは 7.1 ウンニタンらによって創
設された「サルヴォダヤ党」
(6DUYRGD\D3DUW\)があり、すべての人の福利のための社会発展、
というガンジィのモデル実現に向けた政治的舞台を形成しようとする。政治から距離を置
くというガンジィ主義の伝統から決別を同等は、「権力は中立的特徴をもっているが、腐敗
した人々の手にかかると腐敗する」と説明する。グローバルな規模では、 年に創設さ
れたイタリアの「急進党」から派生したガンジィの流れを汲む「国際急進党」
(7UDQVQDWLRQDO
5DGLFDO3DUW\)がある。この党の目的は唯一国際的なレベルで国連に非暴力主義の影響を
及ぼすことにある。例えば、全世界的な死刑廃止・良心的兵役拒否の承認・戦争犯罪人の
起訴、などがその目標となる。この党は国政選挙には候補者を立てない。党員は複数政党
への所属が可能であり、党会費はメンバー国の 人当たり国民総生産の パーセントが比
例配分される。ガンジィのモデルを範とし、「国境を超越した法と非暴力主義はよりよい世
界を創るための最も効果的かつ根本的な方法である」ことを標榜している。
経済諸機構 ー [殺さない]原理を表明している顕著な経済関連諸機構では、戦争関連産業に投資しない
相互株式パクス・ワールド・ファンド(3D[:RUOG)XQG)がある。ガンジィとキングの影
響を受けた労働組合(シーザー・チャベス、ドローリス・ハータなどによって設立された
米国連合農業労働者)もある。そして、スリランカには非暴力的仏教原理に基礎を置いた
包括的共同体ディヴェロプメント($7 アリヤラトネに率いられたサルヴォダヤ・シュラ
マダナ・サンガマヤ)がある。限定的な成功ではあるが、インドの土地を持たない人々に
土地を譲渡する「ブフーダン(土地贈与)」運動はガンジィの「受託農業理論」にヒントを得、
ヴィノーバ・ブハーヴェ( 年)によって率いられたものであり、限られた資源を非暴
力的に分け合うことの可能性を証明した。ガンジィ協会(ロンドン)、サヴォダーヤ国際基
金(バンガローア)、$- マスティ研究所などの慈善団体も社会への非暴力的サービスを支
援している。
教育的諸機構 ー
大学全体を人類的ニーズを満たすための多宗教的非暴力精神に基づいたものにする可能
性は、ガンジィ主義の教育学者で、インドのタミール・ナドゥにあるガンジィ村農業研究
所(ディームド大学)の *・ラマチャンドラン博士( ∼ 年)の残した遺産によっ
て現実化した。この大学は周辺の にのぼる村落への奉仕活動を行っているが、その設立・
活動趣旨の要点は以下の通りである。()専門研究と共同体での適用∼結合、政治学と村
36 殺さないグローバル政治学
落での決定過程、物理学とラジオ修理、生物学と井戸掃除、芸術と創造的子どもの育成...
それらの相互乗り入れ・観察・活用・活動。
()問題解決の論文を卒業生すべてに課す。
()ロー
カル・ニーズのためにタミール語・国民的統合のためのヒンズー語・世界への窓としての
英語と、 カ国語の能力を養う。
()キャンパスのニーズのために全員がメンテナンスと
奉仕作業に従事し、例えば、清掃人・庭師・調理師は置かない.
..等々。ラマチャンドラ
ンの際立った貢献はこの高等教育機関内に軍事教練に替わる選択肢としての「シャンティ・
セーナ」(平和隊)を設立したことであり、それをダイナミックに組織したのは、1・ラダ
クリシュナン教授( および 年)だった。 年から 年にかけて「シャンティ・
セーナ」は、自主的に訓練を受けた 千人の若き制服の男女を輩出したが、彼ら彼女らは
「平和のために活動し、必要とあれば平和のために命を捧げる」ことを誓約した。精神性と
肉体的・知的・組織運営上の訓練とを結合した「シャンティ・セーナ」
(平和部隊)は紛争
解決・治安維持・災害救助・共同体サービスへの協力などにおいて地域のニーズに対応した。
そのアプローチは常に村民と一緒に活動することによって子どもの面倒・衛生・住居・地
域の民芸伝統の維持、などにおける改善にあった。インドでは 年半ばに都市部では大
学は抑圧の手先だとして爆破されたところもあったが、ガンジィ村周辺の村落では農業研
究所をディームド大学のステータスに格上げされたことを祝賀するお祭が催された。「シャ
ンティ・セーナ」(平和部隊)はキャンパスの治安の責任を担った。武装警官の大学校内へ
の立ち入りは一切許されず、ネルー首相やインディラ・ガンジィ首相その他の要人の訪問
の際でさえそれは許されなかった。
訓練機関 ー
社会変革・紛争地帯での介入・社会的防衛・その他の目的のための訓練機関、が急速に
登場している。経験豊かなトレーナーは国内的にも国際的にも引っ張りだこで、彼ら彼女
らは暴力的手段による紛争解決ではなく、非暴力的方法による紛争解決能力が人間にはあ
るのだという確信を深めることに貢献している。次のような組織と著名なトレーナーがそ
の例として挙げられる %HHU 。ラマチャンドラン非暴力学校(N・ラダクリシュナ
ン)、国際平和旅団(ナラヤン・デァサイ)、マーティン・ルーサー・キング非暴力研究所
フロリダセンター(バーナード・ラファイエット二世、チャールズ・L・アルフィン、デ
イヴィッド・ジェンセン)、国際友和会(ヒルデガード・グロスメイアー、リチャード・ディー
ツ)、訓練センター・ワークショップ(ジョージ・レイキー)、国際反戦同盟(ハワード・クラー
ク)、パレスティナ非暴力研究センター(ムバラク・アワド)、国際非暴力(マイケル・ビーア)、
平和と正義サービス(アドルフォ・ペレス・エスキヴェル)、国際仏教者ネットワーク(イェ
第二章 [殺さない]社会のための諸能力 37
シュア・モーザー・プアングスワン)、トランセンド(ヨハン・ガルトゥング)。
非暴力に基く戦略的社会変革研究にとって深遠な意味を持っている非暴力的護身術と精
神修養の重要な訓練は創造的[殺さない]の武道「合気道」で、日本生まれである。創始
者の植芝盛平は「粉砕したり、傷つけたり、破壊することは人間が犯しうる最悪の罪であ
る」と教える。合気道の目的は宇宙の生命力との調和である。「合気道は愛の顕現である」
6WHYHQV<RGHU 。
治安機関 ー
世界には[殺さない]方法による共同体の治安を追求する可能性を示すいくつもの組
織がある。市民が非武装の国(日本)・警官が武器を所持してない国(英国)・武装護衛
のない国(フィンランド)・非武装平和地帯(フィリピンのシティオ・カントマンヨグ)
・
市民防衛の非武装協会(ドイツのミンデン)・紛争地帯で平和維持の介入をする非暴力組
織 0RVHU ー 3XDQJVXZDQDQG:HEHU0DKRQ\DQG(JXUHQ、などがそうであ
る。武器のない世界に向けた政府組織と民間組織の多様な運動もある。核兵器・生物兵
器・化学兵器廃絶運動、拳銃・対人殺傷用銃器・地雷廃絶運動、などだ。その中には、コ
スタリカの前大統領で 年に非軍事化と紛争解決の功によりノーベル平和賞に輝いた
オスカー・アリエス・サンチェスが創始した「平和友好センター」
、奴隷貿易反対に匹敵す
る兵器貿易反対運動、「絶滅危険種」としての人類救済を使命とするフィリピンのレナル
ド・パチェコとヘイディ・Y・ヤラクが創始した「銃のない社会・自然」運動などがある
9LOODYLQFHQVLR―3DXURP。
研究機関 ー
西洋ではジーン・シャープが創始したアルベルト・アインシュタイン研究所(米マサチュー
セッツ州ケンブリッジ市)が世界の民主主義・安全保障・公正のための非暴力的戦いの研
究をしている。東洋ではJ・P・ナラヤンが創始した「ガンジィ研究所」(インド、ヴァラ
ナシ市)が非暴力的社会変革を支援する社会科学的研究をおこなっている。国際的なレベ
ルではシオドア・L・ハーマンが創始した国際平和研究学会(,35$)の非暴力コミッショ
ンが非暴力の研究・教育・行動における諸発見を世界的に共有する運動を推進している。
問題解決研究機関 ー
[殺さない]原理による問題解決を使命とする研究機関としてはアムネスティ・インター
ナショナル(人権擁護と死刑廃止)、国際グリーンピース(環境保護と核兵器廃絶)、国際
38 殺さないグローバル政治学
反戦同盟(良心的兵役拒否擁護とすべての戦争準備反対)
、「国境なき医師団」(暴力による
犠牲者への人道的医療援助)などがある。
マスコミ ー
[殺さない]展望からローカルな状況とグローバルな状況を報道しているマスコミの先駆
けはジャーナリストのコルマン・マッカーシー( 年)と世界中にあるいくつかの出版
物である。その中には次のようなものがある。『一日一日』
('D\E\'D\)、英国平和主義
者協会 )HOORZVKLS3DUW\ が発行する月刊の新聞・アート・スポーツ評論誌、バンコックの
仏教系『平和の種』6HHGVRI3HDFH、非暴力革命を伝える国際的な『ピース・ニュース』
3HDFH1HZV、フランスの月刊誌『現代の非暴力』(1RQYLROHQFH$FWXDOLWp0RQWDUJLV、
イタリアの『非暴力行動』($]LRQH1RQYLROHQWD ヴェロナ市)、ドイツの『草の根革命』
(*UDVZU]HOUHYROXWLRQ オルデンブルク市)、米国の『)HOORZVKLS フェローシップ』誌(ナ
イヤック市)と『非暴力活動者』誌(1RQYLROHQW$FWLYLVWニューヨーク)、その他多数。『社
会的選択』(6RFLDO$OWHUQDWLYHV オーストラリア、ブリスベーン市)
、『ガンジィ・マルグ』
(*DQGKL0DUJ インド、ニューデリー市)、『国際非暴力ジャーナル』(,QWHUQDWLRQDO-RXUQDO
RI1RQYLROHQFH ワシントン市)などもさまざまな社会問題に関する知見を惹起し、伝達し
ている機関誌である。また、ナヴァジバン社(インド、アフメダバード)、ニュー・ソサエ
ティ出版(ワシントン州ブレイン市)、現代の非暴力社(フランス、モンタルジ市)、オー
ビス出版(ニューヨーク、メリノール)などは非暴力的社会変革の出版に特化している。
文化的教材 ー
非暴力の文化的教材としては[殺さない]の社会実現に向けての精神を涵養し、そこへ
の進捗を鼓舞する芸術的・知的創作がある。『ウィ・シャル・オヴァーカム』という歌、フィ
リップ・グラスのオペラ『サチャグラハ』、ベルタ・フォン・ズットナーの小説『武器を捨
てよ』、スティーヴ・メイソンの詩『ジョニーの歌』、キャシー・コルヴィッツのアート『種
を蒔く所は土地とは限らない』、リチャード・アッテンボローの映画『ガンジィ』などがそ
うである。マリカ・サラブハイがインドのアフメダバードで 年に設立した「非暴力セ
ンター」は社会変革のために視覚芸術、舞台芸術、文芸を[殺さない]の創造性と相互媒
介させる試みをしている。
第二章 [殺さない]社会のための諸能力 39
非暴力的な政治闘争 ー
歴史的に新しいことではないが、 世紀後半において非暴力的な政治闘争は[殺さない]
という人間の潜在的可能性をますます可視的にしている。ジーン・シャープは言う。「非暴
力的闘争 ―あるいはピープルズ・パワー― が 年以内に世界中で政治の方向を形成す
る主要なパワーとして認められるだろうということが、近くは 年ころまで、大多数の
人々には想定不可能だった」6KDUS、と。シャープは少なくとも以下のようなと
ころにおける顕著な非暴力的闘争に注目している。アフリカ(アルジェリア・モロッコ・
南ア・スーダン)、アジア(ビルマ・中国・インド・日本・韓国・パキスタン・フィリピン・
チベット)、米州(アルゼンティン・ボリビア・ブラジル・チリ・ハイチ・メキシコ・ニカ
ラグア・パナマ・米国)、ヨーロッパ(エストニア・フランス・東西ドイツ・ハンガリー・
アイルランド・ラトビア・ユーゴスラビア)、中東(イスラエル占領下のパレスティナ)
、
大洋州(オーストラリア・ニューカレドニア)。 年以来、非暴力的な「ピープルズ・
パワー」が共産主義政党の単独支配の劇的終焉に貢献し、それはソ連邦・東欧・バルト海
諸国・モンゴルに及び、ドイツ統一を実現させ、南アのアパルトヘイトを終らせている。
なるほど、すべての非暴力的闘争が完全に非暴力的だったわけでもないし、 年のビ
ルマや 年の中国のときのように容赦なく弾圧されたこともあったし、非暴力的変革の
成功例は「死の脅迫」があったからだと論評する人もいるが、それらの変革はフランス革
命・ロシア革命・中国革命、その他の国々の暴力革命における流血の伝統とは明白に異なる。
世界の植民地制度崩壊に寄与したガンジィのインド独立運動、米国におけるキング牧師の
人種差別撤廃運動、フィリピンにおける非暴力的「ピープルズ・パワー」運動、核戦争反
対運動、環境保護運動、その他の諸経験から学びかつ実践する中から、次第にハイテク技
術の使用を含む強力な非暴力的戦略と戦術の蓄積がなされているのである。他方、政府の
中には平和・自由・公正にたいする市民の非暴力的要求への対応策として[殺さない]抑
制を示し始めているものも出てきている。
政治体制の変化や政治構造の変化をもたらす変革能力を示唆する広範な闘争に加え、多
くの社会運動は[殺さない]社会の特徴を形成する変化の数々を追求してきた。その中に
は以下のようなものがある。死刑廃止運動、堕胎に替わる選択肢の追求、良心的兵役拒否
運動、軍隊廃止運動、非暴力的市民防衛の確立、都市・農村地域における非暴力的治安維
持の確立、戦争に支出される税の廃止運動、核兵器・生物化学兵器の廃絶運動、地雷・自
動小銃・拳銃の廃絶運動、殺人への経済支援の廃止運動、個人・マイノリティ・先住民の
人権擁護運動、環境破壊防止運動、その他の政治的・軍事的・経済的・社会的・文化的変
革の実現運動など。
40 殺さないグローバル政治学
歴史的な自然発生現象を超えて進んでいるのは、より自覚的に抑制され、より創造的で、
グローバルな情報伝達のお蔭でより広範に拡がった 世紀末における非暴力的闘争だが、
これはジーン・シャープ( 年)、ヨハン・ガルトゥング( 年、 年)、ジャッ
ク・セムラン( 年)、マイケル・ランドゥル( 年)ほかの先駆的研究によって
助けられている。グローバリゼーション時代においてなお続く流血の中、非暴力運動は国
家と社会による暴力と不公正に挑戦する改良と競争のプロセスを経ながら世界中でますま
る発生し拡大している(3RZHUVDQG9RJHOH=XQHV.XUW]DQG$VKHU$FNHUPDQ
DQG'X9DOO)。
歴史的ルーツ
歴史には[殺さない]能力を示す顕著な例があり、それはしばしば暴力の全盛時期に観
察される。グローバルに[殺さない]事例を収集するならば、人類の[殺さない]史を描
くこともできよう。そのような歴史を構成している要素を一瞥してみることにする。
[殺さない]信念と[殺さない]への決断を圧殺することはできない。 年を超える
ユダヤ・キリスト教史において、「殺してはならない」というモーセの十戒の第六戒(出エ
ジプト記 章 節)、イエスの山上の垂訓(マタイによる福音書 章 節)、ならびに十
字架のキリストの垂範は伝承と記録の中に生き続けている。[殺さない]至上命題は無学な
農民から特権的エリートに及ぶ人々が経験した迫害と殉教にもかかわらず殺人への強靭な
抵抗によって炬火を灯され続けている(%URFNDE)。
年 月 日にロシアの三カ所で起きた平和主義を掲げる「霊の戦士」集団(ドゥホ
ボール) 人による大量「武器焼却」と彼らへの迫害、およびトルストイに助けられた
彼らのカナダ集団移住は 人に達した(7DUDVRII)。[殺さない]能力の歴史
的ルーツは他の文化的伝統にも見出すことができる。例えば、仏教(+RULJDQ3DLJH
DQG*LOOLDWW)、イスラーム(%DQHUMHH&URZ(DVZDUDQ.LVKWDLQ\
3DLJH6DWKD ―$QDQGDQG*LOOLDWWD6DWKD― $QDQG7D\\HEXOOD)、ユダ
ヤ教(6FKZDU]VFKLOGQG3ROQHUDQG*RRGPDQ:LOFRFN)においても見られる。
さらに、モスコスとチェインバーズ( 年)が証拠を挙げているように現代の民主主
義国における良心的兵役拒否の比較史的研究によれば、戦争での殺人拒否は宗教的理由よ
りも、むしろ非宗教的・人道的・政治的理由が支配的になりつつある。
[殺さない]ことの
世俗化が始まったのだ。宗教的関心と世俗的関心、原理主義と現実主義が殺人拒否におい
て融合しつつある。歴史的に観察できるもう一つのことは一般的には暴力に手ぬるい政治
指導者たちのしたたかな感受性で、彼らは真剣かつ頻繁に[殺さない]信念を表明し、戦
第二章 [殺さない]社会のための諸能力 41
場での死や刑死を拒否していることだ。例としては 年にプロイセン王フリードリッヒ
一世が平和主義のメノナイト教徒に与えた兵役免除の恩赦がある。類似の兵役免除の恩赦
はロシアのカテリーナ二世によっても( 年)
、アレキサンドル二世によっても(
年 ) 与 え ら れ て い る(%URFN)。 年、 ト ル ス ト イ の 同 志 V・ G・
チェルトコフの嘆願とボルシェビキのV・C・ボンチ・ブリービッチの助言によりレーニ
ンは赤軍への徴兵義務からトルストイ主義者とほかの宗教集団のメンバーを免除している
(-RVHSKVRQ&RSSLHWHUVDQG=YHUHY)。
ボルシェビキが最初に決定したことの一つは軍隊における死刑廃止だった。この決定が
短命だったからといって意義深い[殺さない]可能性の現実から目を逸らさせてはならない。
というのは、ジェローム・D・フランクが述べているように、市民が権威に弱い傾向を考
えるならば、政治指導者の態度を変えることは平和に対してなされうる最も効果的な貢献
の一つかも知れないからである。とはいえ、指導者が先導しても大衆が従わない場合もある。
ジムリングとホーキンスは西洋の民主主義諸国における死刑廃止の研究に関して次のよう
な指摘をしている。
民主主義国での死刑廃止はほとんどいつでも大多数の民衆の反対を
押し切ってなされている。米国を除くすべての西洋の民主主義諸国
では死刑執行は停止されたが、死刑執行が停止されたとき死刑廃止
を支持する民主主義的合意があった国は一つとしてなかったことを
私たちは知っている。しかし、死刑廃止の流れは変わらないだろう、
大衆の怒りが末長く続くとしても。
しかし、[殺さない]社会変化における政治的指導の重要性(3DLJH%XUQV)
に注目するあまり、ますます増大している大衆の非暴力的「ピープルズ・パワー」の力を
見落とすことがあってはならない。
第三の歴史的観察によれば、[殺さない]ことへのコミットメントは他の形態の苦難を緩
和し、社会における「生への畏敬」を促進しているということがある。[殺さない]は無関
心や無活動を意味しない。例えば、ジャイナ教の「アヒムサ」([殺さない])は動物や鳥や
その他のいのちあるものの救済にまで及んでいる(7RELDV)。重要な社会的変革をも
たらす努力における[殺さない]態度はインドにおけるガンジィ主義運動に見ることがで
きる。この運動は政治的独立だけを追求したのではなく、重要な経済的変革ならびにマイ
ノリティやカースト制や共同体内の関係の変革を追求したのだった。同様に、米国におけ
る 0/ キング牧師の運動も自由と人種的平等の追求をしながら、貧困から戦争にいたるま
での米国社会の構造と機能において見られる公正への障害物を除去することに努力を傾注
したのだった。
42 殺さないグローバル政治学
[殺さない]能力の証拠は暴力的近代国家の歴史においてさえ観察することができる。ア
メリカ合衆国がその例である。その支配的な暴力的伝統との比較でなお不完全にしか明示
されていないために、米国の歴史における[殺さない]ことのルーツがいまなお政治学徒
に知られていないのは当然だが、[殺さない]ことの紛れもない事実が先駆的研究によっ
て明らかにされている(%URFN&RRQH\DQG0LFKDORZVNL+DZNOH\DQG-XKQNH
.DSXU.RKQ/\QGDQG/\QG$VVRFLDWLRQRI$PHULFDQ+LVWRULDQV
6FKOLVVHO7UXH=LQQ)。
米国における[殺さない]状況
[殺さない]考え方自体はアメリカ合衆国建国の当初からあった。それは先住民と平和主
義的移民との関係の中で始まった。 年から 年までの 年間の大部分の間、軍隊
不在のペンシルベニア植民地の平和主義的クウェーカー教徒はデラウェア・インディアン
と平和的に共存し、条約の宣誓にしたがって親睦的訪問にはドアを開けたままにしておき、
敵意ある意図に関する風評については合議することにしていた(%URFN)。宗教
的な良心的兵役拒否のための規定は米国独立戦争以前の 州のうちの 州の法律に明記
されていた。最もリベラルなロードアイランド植民地では( 年)「戦闘と殺人のため
に訓練し、武器を取る」ことを良心が許さない若者は兵役を免除され、良心的兵役拒否者
が「処罰、罰金、財産差し押さえ、不利益、投獄」などの対象になってはならないという
規定が設けられた .RKQ。
[殺さない]考え方はこの新生国家の立法措置の中に厳然として存在した。 年の「大
陸会議」(英本国に対抗して組織された 植民地の合議体)で可決された最初の法律の一
つには「殺せない」という宗教的良心に対して「暴力を加えてはならない」という誓約が
盛り込まれた(.RKQ)。 年の合衆国憲法の権利法典に付加された立法措置
でジェームズ・マディソン下院議員は第 条への追加項目を提案し、市民はすべて殺すこ
とを拒否する権利があることを認めさせ、「武器を取ることに宗教的理由から疑問を持つ者
は何人も兵役を強制されることはない」とされた(.RKQ)。マディソンの提案は
下院では議決されたが、州の権限防衛に敏感で、連邦が州兵をコントロールすることに反
対だった上院では否決された。
米国独立戦争( 年∼ 年)では多様な民族的背景と宗教的信条を持つ入植者たち
はどちら側に立っても殺すことを拒否した。聖書を愛読していた英国兵のトーマス・ワト
ソンは「殺し」を拒否し、彼は後にマサチューセッツ植民地のクウェーカーの長老になっ
た(%URFN)。英国の封鎖とそれに続いた米国によるボストン占領の期間(
第二章 [殺さない]社会のための諸能力 43
年∼ 年)、平和主義者のクウェーカー教徒たちは対峙するワシントン将軍とハウ将軍を
説得して許され、市民と避難民たちに人道的援助をおこなった(%URFN ∼ )。
さまざまな苦難を乗り越え、
「殺しをしない良心」は支持を集め、尊重されるようになった。
非暴力的闘争で独立が達成された可能性も十分にあった(&RQVHUHWDO)。チャール
ズ・K・ウィップルはその著『独立戦争の諸悪』
( 年)で「もし軍事力に頼らなかっ
たとしても、効果的かつ迅速に、しかも名誉と遥かによい条件のもとで、独立は達成でき
ただろう」と言っている。 その方法は、
「第一に不公正な要求への迅速で冷静な拒否。第
二に自分たちの窮状の公表と補償要求。第三は彼らに降伏を強いるのに用いられた暴力の
いかんにかかわらず忍耐すること」などだっただろう。非暴力的闘争のダイナミックスに
関するウィップルの分析は後のガンジィとジーン・シャープ( 年)の思想における重
要要素を実質的にはことごとく先取りしていた。非暴力的独立運動の優越点を挙げながら
ウィップルは指摘している。死亡者ははるかに少なかっただろうし(死亡者はおそらく 人のリーダーたちと 万人の男女と子どもだけで済んだだろう。実際には 年間の武力闘
争で 万人が死んでいるが)、戦争の経済的なコスト( 億 万ドル)とその結果と
しての軍事化( 億ドル)は避けられたであろうし、さらに新生国家の宗教的倫理的基盤は、
はるかに高いレベルにおいて構築されたであろう。さらに、非暴力的なアメリカの革命家
たちは奴隷制を存続させなかっただろうし、「この国の先住民から詐取したり、彼らを腐敗
させたり、抹殺したりしなかっただろう」し、死刑を含む「暴力と復讐の制度を彼らの政
府の構成要素としては認めなかっただろう」。(この個所は本書 英語版 ページ)
[殺さない]考え方は独立戦争以前にもある。苦難と犠牲を受忍した愛国主義者たちは
英国との戦争( 年)とメキシコとの戦争( 年)において平和のため、女性の権
利のため、特に奴隷制度廃止のために尽力した。男女たちが、黒人と白人が、宗教的な
人々と世俗的な人々が、みな協力した(&RRQH\DQG0LFKDORZVNL/\QGDQG
/\QG ∼ )。非暴力的な奴隷制度廃止運動は北部の立法における解放令の採択に
成功した。南北の境界にある諸州と南部諸州では宗教的経済的根拠に基く説得が奴隷所有
者たちに対しておこなわれ、クウェーカー教徒のジョン・ウールマン( 年∼ 年)
の預言者的解放運動が続けられた。戦争による殺し合いを伴わない奴隷解放は決して考え
られないことではなかった。英本国では 年に奴隷制度が、 年には奴隷貿易が、
年には大英帝国内全域における奴隷保有が廃止されていたのだから、カナダのように
英本国との良好な関係があったならば、米国においても奴隷制度は平和的に廃止されてい
たはずなのである。
独立戦争の間( 年∼ 年)、拷問・投獄・処刑・暗殺を含む戦争反対者への理不
尽な扱いを経て、良心的兵役拒否の規定が北部諸州( 年)と南部同盟( 年)の
44 殺さないグローバル政治学
諸法律に組み込まれた。これらの法律はときには弁明的な低いレベルのもので、無定見に
適用されたこともあったが、個人的な兵役免除の嘆願はエブラハム・リンカーン連邦大統
領、エドゥイン・スタントン陸軍長官、ジョン・A・キャンベル南部連盟陸軍次官らによっ
て好意的に受理された(0RVNRVDQG&KDPEHUV)。戦争の変転する潮流の中で殺
人を拒否するテネシー・ディサイプル教会会員はジェファーソン・デイヴィス南部連盟大
統領と当時のアンドゥルー・ジョンソン占領軍北部諸州総督に訴え、兵役義務からの免除
を獲得することに成功した(%URFN)。独立戦争における同胞殺戮の最中で[殺
さない]の良心が主張され、程度の差こそあれ、南軍と北軍の双方によって受け入れられ
たのである。[殺さない]考え方は産業化と帝国主義的展開の時代において存続し、 世
紀における(冷戦を含む)三つの世界大戦を経て今日に到っている。雇用主・警察・国家、
ときには労働者の暴力によって妨害されてはいるが、米国における労働の組織化と労働条
件の改善のための権利闘争は基本的には非暴力的だった。この闘争は武装した労働者階級
の革命ではなかった。
非暴力的だったのは女性の平等権獲得運動においても同様で、モンタナ州の共和党員ジャ
ネット・ランキン下院議員は 年の選挙で当選し、女性議員第 号となった(-RVHSKVRQ
)。 年、彼女は 人の男性下院議員および 人の上院議員と共に米国の第一次
世界大戦参戦に反対票を投じた。 年に彼女は再選されるが、 年に今度は単独で
米国の第二次世界大戦参戦に反対票を投じた。後年、 歳になった彼女は「ジャネット・
ランキン平和隊」に所属する 人の女性を率いてワシントン市でのデモを仕切り、ベ
トナムにおける米国の殺戮に終止符を打とうと努力した。
第一次世界大戦では徴兵された米兵のうちの約 人が殺人を拒否した。 人が
非戦闘的義務、主として医務、を受け入れた。他の 人は農業労働に従事し、 人
は隔離された軍事教練所に留め置かれた。そして殺人へのいかなる協力も拒否した 人
の「絶対兵役拒否者」は軍法会議にかけられ、軍の留置所に監禁された。そのうちの 人
が過酷な扱いと病気のために死亡した(0RVNRVDQG&KDPEHUV ∼ .RKQ
/\QGDQG/\QG ∼ 6FKOLVVHO ∼ )。
第二次世界大戦時の徴兵義務時代( 年∼ 年)においては、 人が良心的
兵役拒否者となった。 人は非戦闘員としての役割を担った。 に及ぶ宗派出身の
人は の民間奉仕団での仕事をすることに同意した($SSHQGL[')。戦争に協力
するあらゆる形態の協力を拒否した 人は投獄された。その四分の三は「エホバの証人」
だった($QGHUVRQ0RVNRVDQG&KDPEHUV&RRQH\DQG0LFKDORZVNL
*DUDDQG*DUD)。米ソとその同盟諸国間の冷戦においては世界中で少なく
とも 万人が革命と反革命と地政学的な国家による殺人の犠牲になった。朝鮮戦争で
第二章 [殺さない]社会のための諸能力 45
は徴兵された 人の米兵が殺人を拒否した。ベトナム戦争反対の大衆運動では未曾
有の数の青年が殺人を拒否し、その半数以上は非宗教的な根拠に基く良心的兵役拒否者で、
兵役拒否の非宗教的傾向が強まった(0RVNRVDQG&KDPEHUV)。 年には兵
役登録者中で兵役についた者よりも良心的兵役拒否者として分類された者の数のほうが多
かった。ベトナム戦争反対者の中には兵役登録を免れようとした者は収監されるか国外へ
亡命するしかなかったが、これは母国での徴兵を逃れて米国に移住してくる平和主義者の
歴史的な流れを逆流させることになった。ベトナムでの大量殺戮の真只中、最前線での衛
生兵などの役割を担うことに同意した非武装の良心的兵役拒否者たちは戦争拒否の確信を
持つに到った(*LRJOLR)。
冷戦終結期には対イラク・ペルシャ湾岸戦争( 年)でもう一度[殺さない]確信が
脚光を浴びた。このときは戦争への誘導に対する市民の反対ではなかった。というのは、
この当時は徴兵義務がなかったからである。反対は現職の兵士たちと予備役からのもので、
彼ら彼女らは殺人に反対だった。海兵隊員 人が軍法会議にかけられ、投獄された(0RVNRV
DQG&KDPEHUV)。
米国史における[殺さない]潜在的可能性は死刑廃止の努力においても明白である。そ
れは植民地時代に死刑に値する犯罪の種類を減らすことから始まった。ミシガン準州では
年に国家反逆罪以外の死刑が廃止され、ロードアイランド州では 年死刑が全廃
された。現在では 州のうちで 州およびワシントン特別市が死刑を廃止しており、こ
のことは、米国人が、市民生活においては集団的に、個人的には戦争において、殺人を拒
否できることを証明するものである。しかし、連邦レベルでは最高裁はいまなお市民の処
刑が米国憲法に違反するということを決定するには到っていない(=LPULQJDQG+DZNLQV
)。
米国におけるその他の[殺さない]潜在的可能性のルーツには反核兵器運動(「剣を鋤に」
運動)・貧困に対する軍隊暴力のない社会運動(カトリック労働者運動)・女性に対する男
性中心の暴力文化を終らせる運動(女性解放運動)・アフリカ系米国人をはじめすべての
人種のための自由と公正と平等を求める運動、などに現れている(.LQJLDQPRYHPHQWIRU
QRQYLROHQWVRFLDOFKDQJH)。 年にアフリカ系米国人の指導者たちと会ったガンジィは
彼の非暴力メッセージが「黒人霊歌」と合致しており、アフリカ系米国人がガンジィのメッ
セージを歓迎していると伝えられると、「非暴力の純粋なメッセージはおそらく黒人を媒介
にして世界に伝えられるでしょう」と返答している(.DSXU)。以上のごとく、
ガンジィ・キング牧師・世界のその他の非暴力運動の相互浸透は ―先住民と移民の平和
主義的ルーツ同様ー 米国における非暴力の考えは世界の[殺さない]歴史と切り離すこと
ができない。
46 殺さないグローバル政治学
米国の暴力礼賛的な政治的伝統にもかかわらず、[殺さない]ことへの米国のルーツは開
拓時代から今日にいたるまで、命を大切にする倫理の否定し得ない主張、の反復に見るこ
とができる。戦争における殺人の拒否・死刑反対・堕胎反対・軍縮要求・軍事化とグロー
バルなパワーの拡大への抵抗、経済・人種関係・女性の権利・文化的アイデンティティの
構造的改革を求める非暴力的行動、宗教的・芸術的・文学的表現など、これらすべてが非
暴力的ルーツを示唆している(7UXH)。その歴史的な要素はウェールズの平和主義政
党「ウェールズ党」
(3ODLG&\PUX)の創始者たるグウィンフォー・エヴァンズが雄弁にウェー
ルズについて開陳しているのと同様に、米国における非暴力的愛国主義ないし「非暴力的
ナショナリズム」についても観察することができる((YDQV)。国歌は「アメリカ・ザ・
ビューティフル」であり、行進曲は「ウィ・シャル・オヴァーカム」であり、祈りは「神よ、
非暴力的米国を!世界の非暴力を祝し給え!」だろう。
[殺さない]人物像 ー
[殺さない]社会のルーツは究極的には人類の履歴にある。個人でも集団でも男たちと女
たちは、賞賛されようと気付かれまいと、過去にも現在にも、[殺さない]ことへの積極的
関与と社会変革追求を結合する潜在的可能性を証明している。
パリの現代美術館の入り口にはラウル・デュフィの大きな円形壁画があり、そこには電
気の発見と利用の歴史に貢献した古代の哲学者たちから近代の科学者・発明家たちまでが
描かれている。同様に、人は非暴力の精神と理論と実践に貢献した人々と[殺さない]政
治学の研究に着手する人々の巨大なパノラマを心に描くことができる。『現代平和指導者人
物事典』
(%LRJUDSKLFDO'LFWLRQDU\RI0RGHUQ3HDFH/HDGHUV、
-RVHSKVRQ)を一瞥すると、
年∼ 年に生きた か国の 人が収録されている。この事典の ペイジ
を始めから終わりまで読むならば、非暴力追求の職業と方法のためのリベラル・アーツ教
育が提供されていることがわかる。価値観は暴力の限定的受容から[殺さない]原理への
全面的傾倒までさまざまである。このような研究を歴史的・地理的・文化的に広げ、現存
する人々に及ぼすならば、それは[殺さない]勇気と積極的関与の地球的遺産を明らかにし、
勇気づけてくれるのである。[殺さない]人物像の全世界的な発見と共有が必要なゆえんで
ある。
[殺さない]人物像は時間と空間と文化を超えて相互に作用し、共鳴し合う。古代の支配
者たちがその例である。エジプトではヌビア生まれのファラオ、シャバカ 紀元前 ∼
年頃 が死刑を廃止している(%HQQHWW)。インドでは仏教徒のアショカ王が、
万人が死に、 万人が亡命し、無数の無辜の民が苦難に陥ったカリンガ征服(紀元前
第二章 [殺さない]社会のための諸能力 47
年頃)の後に戦争を廃止し、命あるものの殺害を禁じている(&KRZGKXU\)。
宗教的指導者たちの[殺さない]模範も世代を超えて創造的な競い合いを惹き起こしてい
る。仏陀、マハヴィラ、イエス、ムハンマド、ジョージ・フォックス、グールー・ナナーク、
バハオラ等々がそうである。個人が殺人から[殺さない]立場に変わると、世俗的であろ
うが宗教的であろうが、劇的な変化が起きる。兵士たちが絶対平和主義者に変わる(&UR]LHU
7HQGXONDU.KDQ%RXEDOW*DXFKDUGDQG0XOOHU5RXVVHO)。
革命家たちが殺人を拒否する(1DUD\DQ%HQGDQD)。良心的兵役拒否者たちが徴
兵に反対する(0RVNRVDQG&KDPEHUV)、などがそうである。ヒューマニストたちの
場合はニュージーランドのアーチバルド・バクスターが信じがたい[殺さない]勇気をもっ
て拷問と第一次世界大戦での徴兵に反対した(%D[WHU)。聖書に忠実なオーストリア
の農民フランツ・イェーガーシュテッターはヒトラーに賛同して戦うことを拒否して断首
された(=DKQ)。非暴力的救援者たちは生命の危険をものともせずヒトラーのホロコー
ストからユダヤ人を救済している()RJHOPDQ+DOOLH)。戦争をこととする現代
の軍産複合国家への道義的協力とそこでの労働を拒否した人々もいる((YHUHWW)。大
量破壊兵器を直接使用不能にした人々もいる(1RUPDQ3ROQHUDQG2 *UDG\)。
無名の幾 万人が メートル センチの小さなインド人モハンダス・.・ガンジィの
非暴力的指導に応じている。文化的には暴力的なパータンスがムスリム教徒アブドゥル・*・
カーンの非暴力的指導に応じている(%DQHUMHH(DVZDUDQ)。偉大なガンジィ主
義の教育者 *・ラマチャンドラン博士は以下のように観察している。
「有名な英雄たちより
も無名の非暴力的ヒーローやヒロインたちのほうが遥かに重要である」、と(5DPDFKDQGUDQ
)。米国ではガンジィ主義の方法で訓練された小グループのアフリカ系米国人大学
生が公民権運動を開始し、これがマーティン・ルーサー・キング牧師の指導に繋がった
(+DOEHUVWDP)
。アーディン・バラウやヘンリー・ソローといった非暴力的米国人はト
ルストイを奮起させている(&KULVWLDQ)。トルストイはガンジィを奮起させ、ガ
ンジィはキング牧師を奮起させ、これらすべてがドイツ「緑の党」の創設者ペトラ・ケリー
を奮起させ(.HOO\)、競い合いと刷新のグローバルな拡散プロセスの中で他の多くの
グループと個人を奮起させたのである。 年と 年にヨルダンのアンマンで開かれた
国連大学国際指導会議の最初の二つのプログラムで、
カ国を超える 人以上の若い
指導者たちはガンジィを「最も賞賛すべき世界的指導者」に選んだ。彼ら彼女らの賞賛は世
界の植民地制度が崩壊した 年以後の多くの独立運動の指導者たちの賞賛と共鳴する。
非暴力的指導者は世界中で台頭しつづけている。例えば次のような人たちである。カン
ボジアのマーハ・ゴーサナンダ、韓国の咸 ハム 錫 ソク 憲 ホン 、ナイジュリアのケン・
サロウィワ、スリランカの $・7・アリヤラントネ、タイのスラク・シヴァラクサ、フラン
48 殺さないグローバル政治学
スのランゾー・デル・ヴァトトとジャック・ボラルディエール将軍、英国のローナルド・マロー
ン、イタリアのアルドー・カピティーニ、インドの 1・ラダクリシュナン、ブラジルのドン・
ヘルダー・カマラ、米国の $・-・マスティ。ガンジィを無視した歴史を反省して、ノーベ
ル平和賞が非暴力への顕著な貢献をした指導者たちに授与されるようになった。南アのア
ウバート・-・ルトゥーリとデズモンド・ツツ司教、北アイルランドのマイレッド・コリガン・
マグアイアー、アルジェンティンのアドルフォ・ペレス・エスクィヴェル、ビルマのアウ
ンサン・スーチー、チベットのダライ・ラマなどが受賞者である。
女性たち ―その経験はさまざまだが― は勇気をもって全面に躍り出て、社会のあら
ゆる暴力状況に対して非暴力的に挑戦している。オーストリアのベルタ・フォン・ズット
ナー、バリのゲドング・バゴエス・オーカ、インドのメドハ・パトカール、米国のドローシー・
デイ、バーバラ・デミング、ジーン・トゥーマーがそうである(6WDQILHOG )。
第二次世界大戦の英国では 人の女性が良心的兵役拒否を申したて、非戦闘的ある
いは民生的役務さえ拒否した 人は投獄された(+DUULHV―-HQNLQV)。女性たち
は集合的に強力な運動を展開し、軍による人権侵害(ブエノスアイレスの 月広場の母親
たち)・民族殺戮(セルビアの「黒の女性」
)・核戦争準備(英国のグリーナム・コモン女性
平和キャンプ)・環境破壊(インドのチプコ「樹木抱擁」運動)、その他多くの不正義を糾
弾している(0F$OOLVWHU0RUJDQ)RVWHU)。ジョウン・ボンドゥラン
ト()、エリーズ ・ ボールディング()、ベレニス・キャロル()らの
女性学者たちは非暴力的社会変革の知識を平和研究で展開させている。
男女のペア ―結婚しているかどうかにかかわらず― も相互的協力のもと非暴力的変
革の戦いに参加している。カストゥールバ・ガンジィとモハンダス・ガンジィ、コレッタ・
スコットとマーティン・ルーサー・キング牧師、ドローレス・フエルタとチェザール・チャヴェ
ス、ドロシー・デイとピーター・モーリン、フランシス・ウィザースプーンとチャールズ・
レクト、エリザベス・マカリスターとフィリップ・ベリガンなどがそうである。 年のフィ
リピンにおけるピープル・パワーの非暴力的介入は特記に値する。修道女・神父・教会奉
仕の女性と男性たちが一致協力して独裁と反革命的軍事的流血の脅威に対抗して成功した
のである(6DQWLDJR$6)。グローバルな視点にたつならば、人類の非暴力的履歴は
男性も女性もすべての人々のニーズを尊重する殺人のない公平な社会を建設することがで
きるという不動の確信を与えてくれるのである。
第二章 [殺さない]社会のための諸能力 49
[殺さない]社会のための諸能力
[殺さない]社会の可能性は人類の経験と創造的諸能力に根差している。人類の大部分は
殺人の経験がなく、殺人をすることもない。私たちは殺人をすることができるが、本能的
に殺人をせざるをえないように生まれてきたのではない。不完全とはいえ、「生への畏敬」
「殺してはならない」という偉大な宗教的伝統の主要な教えは生きている。人類は最も暴力
的な状況においてさえよく考え、完璧な信念をもってこの教えを守る能力があることを証
明してきた。殺人が発生すると、科学的にその原因を理解し、どのようにしたらそれらの
原因が取り除かれ、どのようにしたら殺人から自己と社会が解放されるかを究明する未曾
有の能力が約束されている。
[殺さない]社会の原型は過去と現在のグローバルな経験のなかに存在している。それら
は決して仮説的想像の産物ではない。
[殺さない]原理に基く宗教的・政治的・経済的・社
会的・文化的な諸制度と実践は人類の経験のうちに見出すことができる。軍隊のない社会
があり、死刑のない社会があり、現実に兵器のない社会がある。人類の存続と福利への脅
威である諸問題を解決するために全力を傾けている[殺さない]ことを標榜する諸団体や
運動がある。[殺さない]ことについてのこれまでの歴史的経験は現在と将来の社会変革行
動を導く知識を提供している。過去と現在にまたがり[殺さない]ことを貫いた人々の勇
気と偉業は感動と教訓に富んだ偉大な遺産となっている。
もし人々がグローバルな人類の経験にすでに存在している諸要素を結合し・採用し・こ
れを創造的に展開するならば、合理的に想定可能な[殺さない]社会は現在すでに手の届
くところまで来ている。その可能性を主張することは、もちろん、その確実性を保障する
ものではないが、従来は「考えられないこと」だとされてきた常識に疑問符を付し、私た
ち人類は[殺さない]グローバルな社会変革を実現する能力があるのだという確信を強め
てくれることになる。
第三章
政治学にとっての意義
非暴力は宗教問題に限定することができない。
非暴力は社会問題に限定することができない。
非暴力はパワーの科学である。
G・ラマチャンドゥラン
政治学という専門の学問にとって[殺さない]社会を実現するための、これまで述べて
きたような諸能力はどのような意味をもっているだろうか。[殺さない]潜在的可能性とい
う前提が殺人の不可避性という推定に取って代わるならば、政治学者たちはどのような学
問の創造を追求することになるだろうか。私たちの研究に情熱を与え、研究を導くのはど
のような諸価値なのだろうか。どのような事実の究明をすることになるのだろうか。どの
ような委曲を尽くした予測理論を探求することになるのだろうか。知識の利用はどのよう
に活用されることになるのだろうか。政治学の教育とトレーニングはどのようになるのだ
ろうか。どのような研究施設を創ることになるのだろうか。[殺さない]世界のための[殺
さない]社会を実現する知識の発見・創造・共有・利用のプロセスにおいて私たちはどの
ようにして他の人びとと協力することになるのだろうか。
[殺さない]社会は達成可能だという想定は[殺さない]創造性へ専門を転換することを
意味している。この想定はマックス・ヴェバーのドグマ、すなわち「暴力(殺人)の容認
が政治の実践と政治学には不可避的である」というドグマに疑問を付し、殺人の倫理の矛
盾を明らかにする。少なくともこの想定は従来では「考えられない」としてきたことを問
題視することになる。
[殺さない]政治的分析論理
[殺さない]政治学のパラダイム転換は四部にわたる[殺さない]政治的分析論理の必要
性を意味する。私たちは殺人の諸原因、
[殺さない]諸原因、殺人から[殺さない]への移行、
殺人がまったくない社会について知る必要がある。逆説的だが、殺人を理解する必要性は、
暴力を前提とする伝統的な政治学にとってよりも[殺さない]の政治学にとってより重要
なのである。これは殺人とその副産物が存在しない状態に向けた[殺さない]手段による
貢献、という目標から派生する特徴である。殺人が個人的・集団的に不可避的であり、か
51
52 殺さないグローバル政治学
つ受け入れられると想定されている場合、殺人 ―自分と他人と、その相互の関係において
― を理解し、諸原因を除去しようとすることに緊急性はあまりない。最終的な手段として
「私あるいは私たちはあなたを殺す」ということが前提とされているとすれば、それは問題
ではあるにせよ安定感がある。この前提がない場合には、殺人の諸原因を理解し除去する
ことは人類の存続と福利にとって絶対必要である。
因果関係は[殺さない]分析の中心的な概念である。殺人が発生する時 ―人殺し、ジェ
ノサイドから原爆による皆殺しにいたるまで― どれほど複雑にその要因が絡み合っている
場合でも、原因と結果のプロセスを理解する必要がある。どんな場合でも殺人には因果関
係の説明が要求される。誰が誰を・どのようにして・どこで・いつ・なにゆえ・どのよう
なことに続いて・どのような状況下で、殺すのか、その個人的・社会的意味と帰結を知る
必要がある。そして、もちろん、集中的・限定的・類型学的説明のために、殺人原因の相
関パターンを発見する必要がある。
また同様に、[殺さない]諸原因も理解する必要がある。人間はなぜ殺人をしないのか。
人間の世界でなぜ[殺さない]思想が生まれたのか。なぜ人類は[殺さない]原理を受け
入れてきたのか。ある人びとは歴史 ―嘲笑・追放・亡命・権利剥奪・投獄・拷問・身体
への危害・死の脅迫・暗殺等の歴史― を通して死ではなくいのちの原理に固執したのだ
ろうか。なぜ彼ら彼女らは[殺さない]手段によって[殺さない]目的を実現するための
政策・実践・機関を創設したのだろうか。
さらに、個々においても集団においても、殺人から[殺さない]へ、そして[殺さない]
から殺人へ転換する原因は何なのか。なぜある殺し屋たちは殺人の当然視から殺人拒否に
変わったのか。兵士が平和主義者になり、革命家が殺人を放棄し、殺人犯が[殺さない]
者に生まれ変わるのはなぜか。さまざまな、思想・諸個人・指導者たち・組織・機関・政
策が、非暴力に変わったのはなぜか。これまで[殺さない]に賭けてきた人びとの中にも ―死刑を廃止した国・州が死刑を復活させたり、ある種の戦争を平和主義者が一時的に支
持したりするように― 流血の支持者に変節する人がいるのはなぜか。[殺さない]分析で
は逆行することのない直線的な進展を想定しない。
[殺さない]への転換における事件・規模・
振幅の原因等を理解することは[殺さない]への変化を容易にするためには極めて重要で
ある。注意は、諸個人から始まり、構造的な諸要素を媒介にして社会全体へと向けられる。
[殺さない]政治的分析に必要な第四の要請は、仮定的に無限バリエーションの想定下に
含まれる、完全に殺人のない諸社会の特徴を理解することである。人間には創造性がある
から必然的同質性を仮定する必要はない。この第四の要請は、すべてに最高の創造性を求
めるがほぼ間違いなく最も創造的な任務が要求される。最初の三つの要請は、歴史的ある
いは同時代的文脈から得られる諸発見の検証を要求する。第四の要請は、それらの知識から、
第三章 政治学にとっての意義 個人的・社会的・グローバルな生の倫理に合致し、潜在的に達成可能であり、ときには仮
定された進歩的状態において合致する。これは私たちへの挑戦である。詩人のウォールト・
ホィットマンが、
「彼方へ跳躍する。が、こちらへも接近する」と詠んだように >:KLWPDQ
()@。
(戦争や死刑制度に見られるように)殺人への傾斜を特徴とする社会であるのに、これま
で社会が人間の可能性である<[殺さない]本性>を全面的に開花させた例はない。しかし、
グローバルな規模での歴史的かつ現代の経験に照らし合わせてみることによって ―また
証明済みの諸能力を一時的に組み合わせることによって― 全面的に[殺さない]ことは
どのような社会にあっても可能だということは理解できるのである。さらに、そのような
経験に基く洞察は「純粋理論」の探求へと拡張される必要がある。殺人ゼロの社会にふさ
わしい特徴と、殺人ゼロの社会を実現する具体的道程を、(殺人容認的な)現状から切り離
して、確認するためである。
従来、政治学は、純粋理論の展開を実践的適用への貢献として奨励してきた諸科学(数学・
物理学・経済学等におけるように)と異なり、仮定的理論的イマジネーションは受け入れ
ない傾向があった。このことは暴力との関係では特にそうである。暴力の前提が政治学の
本質であるため、政治学は非暴力的創造性に水をさす傾向がある。非暴力的創造性を的外
れの「空想的」
・「観念的」・「非現実的」と決め付けることによって政治学的知性は未来永
劫の殺人性という牢獄に収監されているのだ。[殺さない]という創造的な発想は解放を約
束しその機会を提供する。
[殺さない]ことの分析から得られる基礎的知識は、五つの地帯 ゾーン における選択
肢創造のための変革的行動に適用される必要がある。これらの地帯は殺人の通風筒として
描くことができる。
図1殺人の通風筒
神経・生化学的
能力ゾ―ン)
構造的補強
ゾ―ン
文化的条件付
ゾ―ン
社会化ゾ―ン
殺人ゾ―ン
「殺人ゾーン」は単純な殺人から大量殺戮におよぶ流血の場である。「社会化ゾーン」は
人びとが殺しを学習する場であり、それは直接的訓練の場合もあれば殺人の範例観察とい
う間接的な疑似体験による場合もある。「文化的条件付ゾーン」では殺人が不可避的かつ正
当性をもっていると私たちは教化される。「条件付け」の典拠には、宗教・政治的な「イズム」
・
勝利や大虐殺の祝賀・家訓・法律・マスコミ・芸術などがある。「構造的補強ゾーン」では
54 殺さないグローバル政治学
殺人を前提とし支持する社会的・経済的諸関係、諸制度・手段等が提供される。「神経・生
化学的能力ゾーン」は身体的・神経的・脳機能の要因とプロセスから構成されるが、これ
らは人間の侵略的・生き残り追求的殺人性ならびに[殺さない]的行動に貢献する(/RSH]
5H\HV0RUWRQ)。
[殺さない]への転換の任務は殺人の通風筒を[殺さない]という選択肢の抜け道へ変え
ることとしてイメージされ得るが、これは各ゾーン内部と各ゾーンを貫く意図的努力によ
る(図 )。このような変化は殺人ゾーンにおける宗教的影響、[殺さない]ハイテク技術
による介入から、[殺さない]的な社会化と文化的条件付けを経て社会的・経済的諸条件の
構造変革にまたがるが、それらは維持ないし変革のために殺人を生むことも要請すること
もない。また、任務は臨床的・薬理的・身体的・自己変革的な思索的で生体自己制御的介入、
におよび、それらが殺人への生体傾向からの解放に繋がるのである。
図 2[殺さない]オールタナティヴを開く解放ファン 神経・生化学的
能力ゾ―ン)
構造的補強
ゾ―ン
文化的条件付
ゾ―ン
社会化ゾ―ン
殺人ゾ―ン
[殺さない]行動の原理
殺人へ合流するゾーンにおける非暴力的オールタナティヴの創造に繋がる非暴力的な政
治分析ロジックに求められる知識に加え、[殺さない]ことのパラダイム転換は日常生活か
らグロ―バルな政治にわたる個人・社会的決定を担う諸原理が完成していることを求める。
これらは実際の経験と説明的・模擬的実験を結びつける実験・確認アプローチによって進
展させることができる。この点で、軍事的な「人間コンピュータ」と「バーチャル・リア
リティ」の戦闘模擬実験はすでに相当先を行っている。 世紀の突出した行動に現れた非
暴力原理の中には(ガンディとキング牧師の運動においてそうであるように)検討に値す
るものがある。
・生を畏敬するインスピレーションから力を得なさい。
・宗教的であろうと人間主義的であろうと。
・あなた自身と他人の生を畏敬しなさい。
第三章 政治学にとっての意義 ・すべての人の安寧を求めなさい。
・暴力は分断し 非暴力は結合します。
・争いでは 屈辱 蔑視 略奪 抹殺ではなく、
・徹頭徹尾 和解を求めなさい。
・窮状にある人びとの苦難の原因をなくすために
建設的なボランティアに参加しなさい。
・創造的でありなさい。
・現状と科学技術的・構造的暴力には
大きな創造性が必要だった。 ・[殺さない]変革にはそれを上回る大きな創造性を必要とする。
・変化には実験的方法を採用しなさい。
・[殺さない]社会への無限の接近を試みなさい。
・成功と失敗から学びながら。
・個人的行為も大規模の社会的行為も重んじなさい。
・道義的模範の影響も非暴力的大衆のパワーも。
・建設的に勇気を奮いなさい。
・暴力支持をやめ非暴力的選択肢に没頭しなさい。
・地を軽やかに歩きなさい。
・自然であれ 仲間の人間であれ
・殺人に繋がる要求を減らしなさい。
非暴力の発見と行動プロセスに参加する人は誰でも、特定の状況とコンテキストに相応
しいグローバルに生を[殺さない]確認のため、さらに強力な諸原則とスキルを進歩させ
完成させることに貢献出来る。
現代政治学のコンテキストにおいては[殺さない]社会を実現する可能性を認めることは、
政治学のあらゆる局面で疑問を生じさせる。暴力の不可避性と正当性への一般的なオリエ
ンテーションでは、政治学者たちは、社会の他の成員たちと同様、様々な形で以下のよう
な見解に傾斜する。
56 殺さないグローバル政治学
・暴力肯定派(SURYLROHQW) ―殺人を自己または文明にとって有益であると
肯定的に考える。
・暴力許容派(YLROHQFH―SURQH) ―有利ならば殺し、殺人を支持するほうに傾く。
・両義派(DPELYLROHQW) ―殺人・
[殺さない]、殺人支持・反対のどちらにも平等に傾く。
・暴力回避派(YLROHQFH―DYRLGLQJ) ―殺人ないし、殺人不支持傾向だが支持の
用意はある。
・非暴力派(QRQYLROHQW) ―[殺さない]および殺人へ導く条件変化の否認に身体を張る。
総じて最初の四派は暴力前提派ないし暴力容認派の政治と政治学を特徴付けていると言
うことができる。最後の非暴力派は[殺さない]政治学の創造を要請するものであり、そ
の課題は学問と社会における非暴力的パラダイム転換に貢献するものである。
現代政治学は顕在的・潜在的に「暴力容認的」だと特徴付けるからといって、すべての
政治学者が軍事教練における教官のように殺人を奨励していると主張しているわけではな
い。また、政治学者が内乱や国際紛争の代わりに民主主義的諸制度(政党間の競争、選挙、
議会制、法制度等)を奨励していることを無視するものでもない。しかし、現代政治学の
暴力容認的特徴と[殺さない]的オールタナティヴの可能性を認めることは倫理的・経験
的・倫理的進歩を約束する。それは、自由・平等・正義・民主主義などの問題と平行して[殺
さない]ことを政治学の規範的・経験的、経験的・規範的中心に据える必要性を意味する。
非暴力的科学革命
[殺さない]社会実現の可能性の承認は政治学における非暴力的科学革命を意味する。そ
のためには以下の つの補足的革命が必要である。
①
殺人の容認から否認への規範的革命
②
[殺さない]社会変革のために有利な諸要因を特定する事実的革命
③
[殺さない]的変化の諸原因とプロセスを理解する理論的革命
④
[殺さない]的変革のための知識とスキルを提供する教育上・訓練上の革命
⑤
[殺さない]的知識を実践に移す実践的革命
⑥
[殺さない]を容易にする諸機関を改変し創意する制度的革命
⑦
[殺さない]の変革という課題に最適な研究・分析・行動を、創造・採用する方
法論的革命...である。
第三章 政治学にとっての意義 規範的革命
ここで意味する規範的転換とは、殺人への定言命法から[殺さない]定言命法への転換
である。このことが起こりえる場合、一つは、倫理的・経験的発見が相互作用の累積的・
価値付与的プロセスを辿ることによって起こる。倫理的に意味を持ち得る進行プロセスは、
「殺人は倫理的に定言命法的である」∼「殺人が定言命法的であるというのは問題である」
∼「[殺さない]ことは仮説的に探求可能である」∼「[殺さない]規範的コミットメント」へ、
である。これと平行する経験的進行プロセスは、
「[殺さない]社会は不可能である」∼「[殺
さない]社会は問題である」∼「[殺さない]社会の特徴の現実的・仮説的探求」∼「[殺
さない]世界の[殺さない]社会を創造し、維持する知識を求める科学的コミットメント」
へ、である。
以上のような倫理的挑戦と経験的応答 ―および経験的挑戦と倫理的応答― の相互浸
透プロセスを介して非暴力的諸原則と暴力的政治の間にヴェバーによって措定された浸透
不可能な障碍が乗り越えられるのである。このようにして、生への非妥協的畏敬が、現代
の純理論的な政治学の共通の倫理的基礎として「証拠と推論の諸規則への非妥協的コミッ
トメント」($OPRQG)へ追加され得るのである。
【図3】 規範的・経験的[殺さない]パラダイム転換のプロセス
規範的転換
相互浸透プロセス 経験的転換 殺人は拘束的である ⇐―――――⇒ [殺さない]は不可能である ↓
↓
殺人は疑問である ⇐―――――⇒ [殺さない]には問題がある
↓ ↓
殺人は受け入れられない ⇐―――――⇒[殺さない]は探求可能である
↓
↓ [殺さない]は可能である
[殺さない]は拘束的である ⇐―――――⇒
事実的革命 ―
[殺さない]への転換は、暴力を容認する前提で、看過・過小評価傾向のある[殺さない]
人間能力の目的に即した回復・発見を意味するという事実がある。そのような事実は、神
58 殺さないグローバル政治学
経科学から[殺さない]高度科学技術にまで及んでいる。興味深いのは暴力的な歴史的・
文化的状況でありそうな状況で、非暴力的な現象が起こりえることである。
例えば、紀元前 年のギリシャで 人のアテネ上院議員の推定 人がソクラテ
スを死刑に処さないよう投票したこと(6WRQH)。日本では、仏教的な平安時代
( ∼ 年)に「およそ 年間、死刑が実施されなかった」こと(1DNDPXUD
)。米国では 年 月 日と 日に、 人の上院議員(注 )と 人の下院議員が
ドイツへの宣戦布告に反対の投票をしたこと(注 )。ロシアでは 年 月 日、中
央委員会の公式では 人だが、おそらく ∼ 人のボルシェビキ党員がレーニンの武力革
命政策を採用することに反対したこと(6KXE)。 年 月末、米国では、広島・
長崎への原爆投下の直前、マンハッタン・プロジェクトに参加した科学者 人の内の 人が自分たちがその製作に参加した兵器のいかなる軍事的使用にも反対する決議をしたこ
と(*LRYDQQLWWL)UHHG$OSHURYLW])。 年には米国海兵隊は国防総省
および他の政府関係機関の[殺さない]兵器の研究・開発・取得行為をすべて調整する「執
行機関」になったこと(/HZHU6FKRILHOG )...である。最後の例は、現在、その
ような兵器は殺人技術の補助手段として採用されており、依然として殺傷はしているもの
の、[殺さない]的安全保障思想の先駆けだった。
[殺さない]事実的転換はあらゆる社会の過去と現在における[殺さない]傾向の指標発
見に努めている。
理論的革命 ー
ここで言う理論的革命とは[殺さない]分析の論理によって要請される知識の開発を促
進し、個人的決断、市民社会の行動、公共政策に貢献する規範的・経験的理論を創造する
ことである。例えば、理論的洞察に関する三つの先駆的典拠 ―「原理づけられており」
・
「実用的であり」・「手続きを踏んでいる」― は[殺さない]政治的パワーの変革的潜在能
力に向けた並外れた洞察を導く。
その第一は、通常看過されているものだが、ガンディの、例えば『サチャグラハの科
学(6FLHQFHRI6DW\DJUDKD)で示されたような真理を追求する(正義を追求する)個
人的・集団的行動における生畏敬の精神的な力の重要性を強調するものである。ガンディ
にとって、神への生ける信仰は真理・愛・非暴力 ―すべての宗教を包摂する― は非暴
力的なパワーの不屈の源である。非暴力の精神と現実は人間生活の基本的法則であり、暴
力(YLROHQFH)は侵害(YLRODWLRQ)である。
第 二 は、 ジ ー ン・ シ ャ ー プ の『 非 暴 力 行 動 の 政 治 学 』
(7KH3ROLWLFVRI1RQYLROHQW
第三章 政治学にとっての意義 $FWLRQ)で提示された非暴力的パワーの理論である。服従依拠する政治の本質を鋭い
分析で依拠しつつ、シャープは歴史的に証明された非暴力的闘争の広範な技術の実例を提
示し、かつ非暴力的な政治変革のダイナミズムの戦略的分析を提供する。シャープの見解
は非暴力的政治行動は、単純かつ実際に強力だということである。すなわち、精神的・宗
教的・平和主義的諸原則をアプリオリに必要とすることはない、というものである。
第三の、[殺さない]の理論的想像に挑戦する洞察の典拠は、ジョン・バートンのいう非
暴力的変革参加のための暴力の起源と必要充足プロセスの指示のニーズ収奪の分析である。
バートンの理論は『逸脱・テロ・戦争 ―未解決の社会的・政治的諸問題を解決するプロ
セス』('HYLDQFH7HUURULVP:DU7KH3URFHVVRI6ROYLQJ8QVROYHG6RFLDODQG3ROLWLFDO
3UREOHPV)、その他の著書()で展開されている。バートンの主張は
殺人行為から戦争にいたるすべての殺人の形態は人間的なニーズの侵害に由来するもので
あり、ニーズの第一はアイデンティティと尊厳の承認である。侵害者と被侵害者には同一
のニーズがある。侵害の条件下では諸価値へのアピールも強制的コントロールも殺人を抑
制することはできない。しかし、問題解決のプロセスが提供され、ニ―ズが侵害されたす
べての者がその充足の追求に参加できるならば、それは非暴力的世界における非暴力的社
会の実現・確約を提供するのである。
スピリチュアルな力・実際的効力・参加型問題解決...に対するこれらの洞察は非暴力
理論の諸要素を提示するが、それは歴史・国家・階級・経済・諸制度・ジェンダー・人種・
エスニシティ・宗教・文化・環境・未来予測・その他のローカルな、そしてグローバルな
状況の中に位置づけられる。非暴力理論において創造性を用いて展開している重要な業績
としては以下の著作が挙げられる。5REHUW-%XUURZHV
()
%HUHQLFH$&DUUROO()
-RKDQ*DOWXQJ()%ULDQ0DUWLQ().DWH0F*XLQQHVV()
応用された革命 ―
規範的・事実的・理論的な転換の結合は[殺さない]政治学への新しい実用的なコミッ
トメントを意味する。規範的な転換は[殺さない]思想・個人・組織・運動・政策・諸制
度への新たな関心と建設的な(しかし無批判的ではない)支援を意味する。シャープの理
論は暴力的な抑圧的政権の非暴力的変化を助ける明白なコミットメントを示唆するもので
あり、不活発な民主的システムに影響を及ぼしたり、変化を起こさせたりするまで拡げら
れるかも知れない。バートンの理論は政治学の中心的応用問題は、ヒューマン・ニーズに
対して敏感な社会的・政治的問題解決への参加プロセスを助けることである。ニーズの収
奪にたいするガンディ主義の理論・融合的倫理・方法論、そして感受性が明白に示唆して
60 殺さないグローバル政治学
いるのは、殺人と殺人の脅迫の結果でもあり原因でもある政治的・経済的・社会的・文化的・
構造的暴力の状況変革を助けるコミットメントである。[殺さない]スピリチュアルな諸原
則から深い感動を体験したガンディやキングのような指導者たちは心底から非暴力的構造
的変革に全身全霊を捧げていたことが喚起されるべきである。
[殺さない]分析の論理から求められ、殺人の通風筒を非暴力的オールタナティヴの拡大
する解放ファン方向への変革をもたらす、課題毎に情報提供される知識が、応用政治学の
ローカルのグローバル両方の変革への挑戦を支援するのである。
「民主的政治」と「自由市場」
の現状における個人的・集団的殺人性の執拗さは、現状のままでは、人間的な福利厚生に
対しては問題を含んだ保証要因であることを示している。これらの状況は「非民主的政治」
および「不自由な市場」とあいまって応用的な[殺さない]政治学の創造性にたいする挑
戦となっている。
教育上の革命 ―
[殺さない]政治学への進歩は政治学徒の専門教育や社会のその他の成員教育における転
換を意味する。殺人の伝統や状況を振り返ることより、明白にあるいは暗黙裡に政治学教
育は[殺さない]へのグローバルな変化に対して顕著に貢献しなくてはならない。明白な
目標は[殺さない]社会のための指導と市民性の育成である。挑戦すべきは[殺さない]
知識の、発見・再生・共有を媒介にした研究および教育・コンサルタント・指導・市民活動・
批判的反省、である。
[殺さない]政治学におけるトレーニングは受講生に特段の自覚を要請する ―それは精
神科医やスピリチュアルなカウンセラーのトレーニングに匹敵するものである。私たちは
暴力と非暴力にたいする私たち自身の、信念・態度・感情の源泉と意味づけを理解する必
要がある。自己理解は非暴力的な社会変革の大前提である。多面的な宗教的アプローチに
開かれた科学的方法による瞑想トレーニングは適切である。お互いの利益とサポートのた
めに、個人的・専門的成長経験を共有する機会は提供される必要がある。[殺さない]派の
政治学者は、他の問題ではどれほど多種多様であろうと、生命への心底からの畏敬に関し
ては、個人的にも同輩意識からも、相互に協力し合う人生を通して前進を求めるべきである。
これらのニーズは社会の他の成員ニーズと異なるものではない。
コンサルタントと役割の応用の準備において、
[殺さない]派の政治学者は、医学者・医
師・医師の教師 ―そして他の生死に関わる専門職― と同等の能力を獲得する必要があ
る。
[殺さない]社会に対する政治学者の貢献は個人と社会の健康維持に必要な医師たちの
重要性に匹敵する。両者とも生死の問題においては、最高の・新らしい知識に依拠した診断・
第三章 政治学にとっての意義 処方箋・治療などとその重要性を共有するのである。
同時に、社会の成員一人一人は[殺さない]派のグロ―バルな変革への貢献者となるこ
とができる。貢献者とは、
[殺さない]派の教育的課題をあらゆるレベルにおいて、受講生・
同輩一人一人に、生涯にわたって、非暴力的指導と市民としての人格的成長と知識・技術
の修得機会をより多く提供してゆくべきものだ。
誰もが教え、誰もが学ぶのだ。
教育においては、カリキュラム計画は[殺さない]的分析、殺人への傾向を[殺さない]
オールタナティヴへの傾向へと変革するための応用技術の必要性、そして個人的・社会的
行動を導く諸原則を確立・完成するための知識が満たさることが必要となる。
入門コースや中核セミナーでは、極度な、恐るべき人間の殺人能力について、歴史的・
現代的実例を可能な限り生々しく受講生に突きつけなければならない。この工程を経て私
たちは生涯にわたる学修課題、すなわち政治学の課題である殺人の絶滅に寄与貢献するこ
とをめざすのである。
次の段階では[殺さない]人間の潜在的能力、そのグローバルな証拠・実例を先と同様
にいきいきと・生々しく紹介する。第三段階では個人的・社会的変革とその振幅を紹介す
る。第四段階では理想的な社会のための社会制度を生み出す人間の創造的能力に焦点を当
て、殺人のない社会の特徴をイメージさせる創造性と、そこに寄与貢献する政治学のある
べき姿を提示する。ローカルとグローバルな知識とニーズ、ならびにグローバル・ローカ
ルな相互浸透は各段階にておのおの紹介される。
以上のような土台の上に[殺さない]教育的刷新は構築できるのである。意味深い取り
組みと、創造性を共有しながら発現させた非暴力的政治のオールタナティヴに関するコー
ス毎取り組みを通して一人一人の聴講生は、個人的に関心の深い暴力局面を選び、暴力の
本質と諸原因にせまる入手可能文献を探し、暴力に直面して生み出された事件とその傾向・
原因・オールタナティヴについてのアイディアを検証し、直接取り組んでいる地域の人び
ととの接触を通して、彼ら彼女ら自身がオールタナティヴについて創造的に考え・分析・
問題解決・提案を相互に分かち合い、集団的プロセスにおける社会的態度決定と提案のコ
ンセンサスを求めるよう導かれてゆく。
方法論的革命 ―
方法論的には[殺さない]への転換は研究・教育・応用政治学・制度構築のための方法論と、
そこでの新思考への挑戦となる。求められることは、[殺さない]ことの発見と適用可能な
既存の方法論を採用し、あるいは必要に応じて新しい方法論を考え出し、神経科学のよう
62 殺さないグローバル政治学
な他の専門分野で彼らの方法論を[殺さない]への変革と問題解決に向けて活用すること
を奨励することである。特に、殺人ゾーンにおける研究と介入。その方法論。ならびに殺
人の集中ゾーン内とゾーン間相互における分析・方法論の適用が求められる。
[殺さない]政治学は以下のような膨大なレパトリーの研究領域を包含出来る。哲学的分
析・歴史的分析・制度論的分析・法律論的分析・インタヴュー・参加者の観察・ケースス
タディ・比較論的分析・内容分析・文献解釈・ゲ―ム理論・公共政策選択分析・統計的推論・
世論調査研究・実験室およびフィールドでの実験・模擬実験、ならびに目的に応じこれら様々
な方法を結合することである。
教育の方法論も、伝統的な講義・読書指導・研究上の師弟関係・インターンシップから
自主的なコンピュータ操作による専門分野の検索まで多岐にわたる。政治的な応用では憲
法草案・紛争解決・組織コンサルタント・選挙対策・メディア論評・警備体制助言・社会
的意思決定プロセスへの直接参加、などを含む。これらの広範な知的・技術的教育の方法
論的問いとは「新旧さまざまな方法はいかにして人間のおかれている状況から殺人を除去
することにベストを尽くすことができるか」である。
制度的革命 ―
制度的には、[殺さない]へのパラダイム転換は政治学の専門教科目がどのように体系化
されるべきか、補助科目は何であるべきか、他の専門分野および社会の諸制度との関係は
いかにあるべきかなどを意味する。それはグロ―バルなレベル、ナショナルなレベル、ロー
カルなレベルで、現存の専門構造範囲内で[殺さない]展望から生じる問いを意味する。
それはまた新たな[殺さない]政治学部の設置あるいは新たな学際的ないし複合職種の創
出によって非暴力的な社会的ニーズに対応することをさえ意味する。
現 行 で は 政 治 学 は 国 際 的 に は 国 際 政 治 学 会(,36$,QWHUQDWLRQDO3ROLWLFDO6FLHQFH
$VVRFLDWLRQ)( 年設立)によって代表される。そこには の国別政治学会と 人の会員が所属し、理事会によって運営されている(付録 $ 参照)。会員の関心は の部会、
の研究委員会、 の研究グループに向けられ満たされている(付録 % 参照)。国別学会
の会員ではない政治学者や学生たちがこれらに加わっている。
グッドゥイン クリンジマン共編『新・政治学ハンドブック』($1HZ+DQGERRNRI
3ROLWLFDO6FLHQFHE\*RRGLQ.OLQJHPDQQHGV)は政治学の現状を網羅したもので、
,36$ の調査プロジェクトに参加した 人の研究者が執筆している。 年以上の政治学の
展開に即した つの主専攻分野が列挙され、論評されている。 つの主専攻分野とは、政
治制度(合理的選択・法的展望)
、政治的行為(思慮深い選挙民と多党システム・制度的実
第三章 政治学にとっての意義 験的アプローチ)、比較政治学(マクロ行為的展望・民主化研究)、国際関係(ネオリアリ
ズム、ネオリベラリズム・ポスト実証主義的・およびフェミニスト的展望)
、政治理論(哲
学的伝統・経験的理論)、公共政策および行政(比較政策アナリシス・理念・利害関心・諸
制度)、政治経済学(社会学的・ダウンズ主義的展望)、および政治学方法論(定性的方法・
研究構想・実験的方法)である。,36$ 会長が紹介しているごとく、「新世紀へ向けた政治
学の出版でこれ以上のものはない」という。
にもかかわらず、その業績はさておいて、この『新・政治学ハンドブック』は[殺さない]
に向けた政治学変革の意図がなく、逆に変革の必要性を証明する見本となっている。例え
ば、件名索引には「戦争」は 項目、「平和」は 項目あるが、「暴力」も「非暴力」もな
い。「殺人」もなければ「ジェノサイド」もない。「死刑」も「軍隊」も「テロリズム」も「警
察」もない。人名索引では「ヒットラー」と「レーニン」はあるが、
「ガンディ」も「キング」
もない。民主主義のための非暴力的闘いのための理論と実践に関する世界的な政治学者と
その主著 ―ジーン・シャープと彼の『非暴力行動の政治学』(7KH3ROLWLFVRI1RQYLROHQW
$FWLRQ)への言及もない。さらに、非暴力的紛争解決の独創的理論家ジョン・バート
ン()も挙げられてない。平和学の傑出した世界的なパイオニアであるヨハン・
ガルトゥングの著作()への言及さえない。
,36$ 最大の構成員は 年設立の米国政治学会($36$$PHULFDQ3ROLWLFDO6FLHQFH
$VVRFLDWLRQ)で、 万 人の大所帯である。構成員たちの関心は つの主要分野、
の副次的分野、 の特別分野に分かれている(付録 & 参照)
。$36$ と ,36$ の体質はお
おむね類似している。米国政治学会の主要分野は「米国政府と政治」・「比較政治学」・「国
際政治学」・「方法論」・「政治哲学・理論」
・「公法と裁判所」
・「公共政策」、および「行政」
である。「紛争プロセス」と「国際安全保障と軍備管理」という特別分野はあるが、[殺さ
ない]の論理の分析と行動の知識に明白に焦点を当てた部門はない。例えば、
「暴力」と「非
暴力」のセクションはなく、「平和」でさえ取り上げられていない(これこそ国際平和研究
学会 ,35$,QWHUQDWLRQDO3HDFH5HVHDUFK$VVRFLDWLRQ が組織された一つの理由だろう)。殺
人によって根拠付けられ、防衛される民主主義こそ文明の最善の希望であるという文化的
前提が[殺さない]文明史的選択肢の探求にズバリ焦点を合わせることを妨害しているよ
うに思われる。
[殺さない]への転換は、米国の政治学会と国際的な政治学会のテーマに現れた、専門分
野における現在主要な専門と副次的な専門の内外において発生する問いかけを意味する。
すなわち、
「[殺さない]社会とそのような社会を実現する[殺さない]手段の可能性につ
いて、私たちにどのように説明してくれるだろうか」という問いにどう答えるかである。
これは現在の到達点を示すことおよび新要素を導入することの両方を意味する。例えば、
64 殺さないグローバル政治学
これは現代の分散的多様性の根底にある、米国の四つの 伝統的 政治学分野、すなわち、
政治哲学・理論、米国政府と政治、比較政治学、国際関係論の内側で問いを発することによっ
て例証されるのである。
政治哲学・理論
政治哲学・理論においては、[殺さない]への転換は個々の文化の政治思想の遺産を再検
討し、その中の非暴力的洞察を回復・復元し、新たな[殺さない]創造性を導入すること
を意味する。例えば、プラトンの『国家』にデニス・ダルトンは哲学者や政治的指導者が
熱望すべき「無傷害」の倫理的理想を見ている。プラトンが戦争・死刑・戦争文化の受容
をしているにもかかわらず、である。この理想はプルタルクの観察に反映されている。い
わく、
「というのはメスを使うのは名医や政治家の印ではなく、両者とも技術の欠如を示す。
特に政治家の場合は不正と残酷さが加わる」(3OXWDUFK)。中国の伝統では、孟子(紀
元前 ∼ 年)の観察を参照するがいい。いわく、「武力を使いながら徳を装うのは
暴君である。徳を用いながら仁を行うものは君子である」()XQJ)。また中国の
伝統では、戦争と抑圧の批判者で「普遍愛」の哲学者の墨子(紀元前約 ∼ 年)の
思想はグロ―バルな再発見を督促している()XQJ)。
暴力を支持する古典も殺人を減じ、[殺さない]ことを推し進めるものとして再解釈
することができる。その例はチャイワット・サタ・アナンドの『非暴力の君主』(7KH
1RQYLROHQW3ULQFH)というマキャベリの再解釈であり、また、非暴力的防衛戦略の
原則を導来したバローズによるクラウゼヴィッツの『戦争論』の再解釈である。この二つ
はヒンズ―教の経典『バガバドギータ』のガンディによる再解釈を想起させる。すなわち、
ガンディはクリシナ王の勇者アルジュナにたいする助言から非暴力行動の原理を導来した
のである(*DQGKL)。
暴力を容認する過去の古典は現在と未来の非暴力的創造性への挑戦である。プラトンが
軍事的徳目を表明する君主によって統治される国家を提案できたのであれば、現在におい
て、
[殺さない]原理にコミットする勇敢な指導者と、市民と共にある非暴力的国家のヴィ
ジョンが示されること、の実現も可能なはずである。アリストテレスが戦争国家の憲法を
起草することができたのであれば、現在では、私たちは[殺さない]社会へと導く憲法を
考えることができるはずである。マキャベリが暴力を容認する支配のスキルを書くことが
できたのであれば、現在では、非暴力的な政治権力の戦略と手法を創案することができる
はずである。ホッブズが暴力の独占による社会的平和を強要する怪物国家・リビヤタンを
提示できたのであれば、現在では、殺人を必要としない、ヒューマンニーズに敏感な新し
第三章 政治学にとっての意義 い支配のモードが探求できるはずである。ロックが独裁者を解任する暴力革命を構想でき
たのであれば、現在では、非暴力的民主的解放の戦略と手法を構想できるはずである。
マルクスとエンゲルスが究極的調停者としての暴力による階級闘争を構想できたのであ
れば、現在では、私たちは経済正義への長い歴史を持つ希求を実現する非暴力的闘争のプ
ロセスを構想できるはずである。ルソーが違反者にたいする死を基礎にした社会契約を構
想し、現在の指導者たちがなお暴力に基づく「契約」と「誓約」について語り続けるので
あれば、現在では、私たちは[殺さない]社会における福利厚生への相互的コミットメン
トを探求し始めることができるはずである。カントが「不戦」という定言命法から「永遠
平和」を構想できたのであれば、今や私たちは[殺さない]定言命法をグローバルなリア
リティへと転換するのに必要な要件を導来できるはずである。米国の政治的伝統が暴力的
独立による古典的声明と暴力を肯定する憲法を後世に伝えているならば、現在では、米国
の社会的暴力からの独立の非暴力的宣言と[殺さない]新憲法を構想することができるは
ずである。マックス・ヴェバーが職業としての政治が暴力の不可避性を容認しなければな
らないものとして構想したのであれば、現在では、職業としての政治と政治学を暴力から
の解放の可能性を持ちうるものだとして構想できるはずである($UHQGW0XOOHUDQG
6HPHOLQ6WHJHUDQG/LQG)。
[殺さない]への転換は哲学と思想の分野へガンディ主義の政治思想を真剣かつ批判的に
導入することを意味する。ガンディ主義の欠如は暴力肯定的世界でガンディにノーベル平
和賞を授与しようとしなかった過去の失敗に似ている。この課題を取り上げた資料は豊富
にあり、主としてイデオロギー的かつ専門的に多様な展望に至ったインドの解説者、およ
び先駆的な非インド人研究者たちの以下のような文献がある('KDZDQ'DQJHHWDO
,\HU3DUHNKDE%RQGXUDQW'DOWRQ*DOWXQJ6KDUS
6WHJHU)。
[殺さない]理論の創造的展開機会は、すべて過去と現在の世界文化における非暴力的選
択肢提唱者の思想によって提示される。紀元前 年以来の調査は、アーサー・ワインバー
グとリラ・ワインバーグ()によって提供されている。その多宗教的起源は 7.1 ウ
ニタンとヨゲンドラ・シン()によって提供されている。ギリシャ・ロ―マと欧米の
伝統においてはウィル・モリセイ()が古代以来の平和主義に関する傑出した学識を
示す批判を展開している。
非暴力的政治思想へのグロ―バルな探求が進むに連れて、予期しなかった発見も起きて
いる。朝鮮の政治哲学者・黄長燁 ファン ジャン ヨップ の 年 月 日の平壌(ピョ
ンヤン)市でのインタヴューで示された「政治」の非暴力的定義がそれである。「政治は愛
と平等に基づくすべての社会成員の利害関心の調和を意味する」と彼は語った。当時、彼
66 殺さないグローバル政治学
もインタヴューをした者も社会学者ソローキンの驚くべき研究については知らなかったが、
それは「愛」と「創造的利他主義」に基づくもので、アレントの強調する会話・決断・共
同行動()およびバートンの強調するヒューマンニーズへの敏感な応答のプロセスと
結合しえるものだった。
すべては新たな[殺さない]政治理論の萌芽でありえるのだ。
政体研究
政治的に組織された社会とその構成要素の包括的 ホリスティック な研究においては、
村落から国民国家と国家を超えた政体 ―米国政府と政治の分野におけるように― での
[殺さない]分析の論理は未来学者ハロルド・リンストンが慣習の「推論抑制」(DVVXPSWLRQ
GUDJ)と呼んだものの克服のために必要な問いを勇敢にも発することになる。政治的殺人
は愛国心という隠れ蓑のもとで不問に付されたままであることを好む。政体の内側で発せ
られない問いは政体の外側の政治学者から発せられなくてはならない。
[殺さない]へのアプローチではいくつかの問いに答えてゆく必要がある。
まず第一に、殺人は個々の政治社会の形成と維持に何の貢献をしてきたか。政体が抱く
自画像は賞賛殺人の歴史にどの程度依存しているか。政府によるあるいは非政府によるど
のような種類の殺人が持続し、その将来的展望はいかなるものか。法的あるいは法律外の、
政府寄りのあるいは反政府の、国内あるいは国外の殺人に、市民はどのようにして参加し
支持するように社会化されているか。政治的・経済的・文化的な考え・実践・構造はどの
ように殺人に貢献するか。物質的あるいは自由や平等のような、政体外諸価値を追求する
能力に殺人はどのような影響を及ぼすのか。
第二に、その社会における殺人についての認識・殺人の実施・政策・制度はどのような
歴史的ルーツをもっているか。それらの現在における評価と将来的展望はどうか。暴力的
な政治権力に対する非暴力的抵抗の記録はどのようなものか。[殺さない]社会の実現に向
けての創造性や建設的行動の記録はどのようなものか。
第三に、政体研究の要請として、殺人と[殺さない]間の推移と反転の記録を問うこと
である。どのような意味のある人物・グループ・集団がどのような推移に関与したか。兵
士は平和主義者になったか。殺人者は生への畏敬へと回心したか。暴力的な革命家たちは
非暴力的社会変革にコミットしたか。宗教的指導者は殺人への祝祷を拒否したか。文化的
指導者は暴力の容認と否認の間で揺れ動いたか。
死刑が執行され、廃止され、あるいは再導入された刑罰の範囲内でどのような変化が生
じたか。軍隊は解体され、そして復活したか。軍隊は廃止されたか。警察と市民は武装解
第三章 政治学にとっての意義 除と再武装を経験したか。殺人再発の中でかつての仇敵の間でひょっとして純粋平和的な
和解事例があったか。暴力に協力的な経済が全体的にあるいは部分的に非暴力的個人や社
会のニーズへの対応に変化したことがあるか。
第四に、もし非暴力に移行する過渡期のプロセスに統合・表現されるならば、望まれる
生の[殺さない]状態の社会の実現・確約を示す歴史的・今日的政体内要素 ―政治的・
社会的・経済的・文化的な要素― は何だろうか。宗教・イデオロギー・法律・諸制度・
政策・社会経済的構造・教育・情報・芸術・政体内関係、においてどのような種類の変化
がどのような脈絡の中で[殺さない]社会の実現に貢献するだろうか。どのような条件が、
殺人や殺人の脅迫に反転することなく、自由・平等・物質的福利・安全性などの諸価値の
展開をもっとも容易にするだろうか...
比較政治学
[殺さない]社会への転換は非暴力的人間能力への問いを比較政治学探求の中心に据える
ことを意味する。政府による(死刑という)殺人力や社会内的・諸社会横断的な殺傷力の
脅迫や殺傷力の行使の除去に関係する知見・諸制度・構造・プロセス・政策のグローバル
な比較からはどのような洞察が得られるだろうか。[殺さない]分析論理と効果的な変革的
実践の探求によって、比較論的研究は単独政体の限界を超えた選択肢と知識を求めてゆく。
諸社会は(死刑制度のある)殺人する傾向と(死刑制度のない)殺人しない傾向によっ
て比較でき、ランク付けることができる。それは、民主的諸制度・人権・女性の地位・児
童福祉・経済の発展段階、によって社会を比較・ランクづけるのと同じである。殺人を計
測するものとしては、官憲によるもの・外敵によるもの・犯罪的な強奪によるもの・市民
の殺人や自殺によるもの・他の社会の成員による国際的な殺人によるもの・殺人の専門的
なトレーニング・科学技術的な可能性・殺人の政治経済学の実質的な指標など、様々なも
のが挙げられる。
類似したランキングは単独の政体分析から得られる[殺さない]ことの特徴についても
得ることができる。殺人国と[殺さない]国の定期的な比較とランク付けはグローバルな
政治学の公的サービスとしてなされるべきであり、日々の株式市況やスポーツ報道と同じ
ように、殺人レベルの上昇・下降についての報道と非暴力的変革能力の成長・抑圧の報道
もなされるべきである。
類似する、あるいは全く類似していない状態の社会的構成要素の政体横断的比較、なら
びに政体内比較は原因・結果がハッキリしている変革理解には必要である。宗教、イデオ
ロギー、芸術、政党、ジェンダー、年齢層、教育レベル、階級、エスニック集団、企業、
68 殺さないグローバル政治学
大学、専門職における殺人と非暴力傾向比較もこれに含まれる。
[殺さない]ことの比較研究は、民主主義国が権威主義的国家に比べ相互に戦争をせず、
その成員を殺害することも比較的少ないという現代政治学理論の命題を主張するのにも必
要である。リベラルな民主主義国における殺人慣習の持続は、大統領制か議会制かのいか
んを問わず、明白な暴力の文化に伴うものであり、[殺さない]への構造的・文化的選択肢
への洞察の比較研究の重要性を浮き彫りにしている。
例えば、第二章で見られたごとく、メキシコの類似した二つの村の比較研究では、暴力
の程度の高低を除けば似たような社会経済的状態にあり、文化的自画像が村人たちの性格
を異ったものしていた要因であることが分かった。暴力的な村人たちは自分たちが暴力的
であることを知っており、それを承認していた。非暴力的な村人たちは自分たちを平和的
であると知り、それを誇りにしていた()U\)。
インドネシアの二つの村での子どもたちの遊びの比較研究では、一つの村で暴力の程度
が高く、他方の村では低いのだが、より暴力的な文化は人間同士と動物間での闘争のゲ―
ムをより好むことが分かった。より非暴力的な文化では子どもたちはツタを揺れ動かした
り成人や動物の平和的な行動を真似たりすることで満足していることが観察されている
(5R\FH)。このような発見はボクシング、ホッケー、レスリング、アメリカンフットボー
ルのような競争的な身体接触の競技における暴力的文化の相関性への洞察を助けてくれる。
国際政治
[殺さない]社会への転換は、国際政治・国際関係論・世界政治など、さまざま分野で、
全体および個人に対して同時にある種の懸念を抱かせることだろう。転換には身近な中間
組織機構や制度に対して巨視的・微視的双方の変化を要求される。一方、グローバルな政
体(国家と非国家)の中でも、関係構造・問題解決プロセスのあり方に変化が要求される。
このこと自体は歴史の流れから逸脱して、あるいは脈略無く起こるものではない。歴史は
紛れもなく人類の歴史であり、この脈略とはグローバルおよびローカルにおける相互依存・
交流の転換・変化のパタ―ンをなす。
他方、いわゆる[殺さない]地球社会の実現では、個人一人一人の福利厚生に着目する
ことが要求される。なぜなら個人は、誕生から死に至るまでの生を共有し、世代交代・混流・
継続してゆくからである。[殺さない]政治的分析の基本的ユニットは個人である。集団・
構造・プロセスは個人の集合がおこなう行為の産物である。世界政治は世界中の個人から
なる政治である。[殺さない]グローバル社会は殺人をしない個人たちに依拠する。もし誰
も殺したり、殺されたりしないのであれば、すべての人びとの利益が考慮されるに違いない。
第三章 政治学にとっての意義 このことは[殺さない]分析と論理がグローバルに、人類全体に適用されるべきである
ことを意味している。暴力に関しては、国家暴力・反国家暴力、あらゆる殺人形態を含ん
だ社会内・社会間の戦争を研究する政治学的伝統を拡大してゆくこと ―そしてそれらを
グローバルなパターンで集約し原因・結果をわかりやすく説明すること― を意味する。
非暴力に関しては、グローバルなスケールで、政体内・政体横断的な[殺さない]諸力を
特定することを意味する。非暴力的変革にとって、それはグローバルに一般的システム下で、
社会内・社会横断的な殺人と[殺さない]間の相互的影響プロセスを理解することを意味
する。
グローバルな[殺さない]社会の、実践的で実現可能な望ましい方向を理解するためには、
理論的には無限の多様性を想定しつつも、[殺さない]全体内における過去・現在の社会的
現象・願望の探求が必要である。個人的なレベルではそれは、個人の暴力・非暴力的性向、
彼ら彼女らの非暴力的変革のダイナミズム、創造的個人の潜在的非暴力の可能性と生涯を
通じた表現・支持の社会的脈絡と特徴を意味する。
殺人の通風筒を[殺さない]選択肢の送風ファンに変える応用方向付けでは、グローバ
ルな展望は抑圧的な殺人の慣習に勝る包括的な殺人ゾーンへの介入、を意味する。それは[殺
さない]問題解決のための指導と市民性のグローバルな社会化・トレーニング貢献を意味
する。それは[殺さない]への変化のグローバルな文化的貢献であり、勇気付けを意味する。
それはまた殺人を支持している政治・軍事・経済・社会・文化的構造におけるグロ―バル
な非暴力的変化を理解し助けることを意味する。
[殺さない]政治学
人類は殺人のない社会を創造することができる能力を保有するという前提から出発する
と、あらゆる分野・サブ分野・局面から、今日の政治学からの疑問が噴出することになる
だろう。政治学では価値自由はありえないと前提しつつ、[殺さない]は受容できる専門分
野の価値だろうか。[殺さない]政治権力理論と実践は、暴力的コンセプトや現象と闘い、
それらを変革することに成功できるだろうか。ローカルからグローバルへと繋がる[殺さ
ない]民主的諸機関は実現可能だろうか。暴力的な国家安全保障から非暴力的な国家安全
保障へ、グローバルな安全保障への変革はできるだろうか。暴力的な政治経済から非暴力
的なグローバル政治経済への移行は可能だろうか。
[殺さない]理論と実践は、フェミニズム・
人種・階級・エスニシティ・言語・宗教などから可能な展望がみられるのだろうか。どの
ような方法論が社会的暴力・非暴力への潜在的可能性・変革のプロセス・安定的だが創造
的に多様な[殺さない]結果をプロジェクトしモニターする方法の包括的理解、にもっと
70 殺さないグローバル政治学
もよく合致するのだろうか。
これはこれら問いに関係するすべての分野で政治学的貢献が皆無であることを意味るも
のではない。しかし、これは政治学がもし[殺さない]世界における[殺さない]社会の
実現の可能性を真摯に受け止めるならば政治学はどのような変容を遂げるであろうか、と
の考えを導くものである。
第四章
問題解決的意味合い
[ 栄養失調と経済的窮乏による数千万人の死 ] というこの大虐殺を非難し、
それと闘っている者はすべてこの悲劇が政治的な
ものであるという点で意見が一致している。
ノーベル賞受賞者 50 人の声明、1981 年
[殺さない]政治学で問題解決を志向する意味とはどのようなものか。
全般的なゴールは地球上の殺人に終止符を打つことである。それは同時に人間が、潜在
的殺人者であるか潜在的犠牲者であるかだが、そうした人間一人一人の生涯に平安と幸福
の特別な配慮することを意味する。個人個人への関心と創造的合目的性への関心を政治学
の中心に据えることでもある。他方では、宗教・ジェンダー・年齢・エスニシティ・階級・
専門的・民族的・政治的アイデンティティを認めると同時にそれらを超越する問題解決に
携わることを意味する。それは非暴力的「多重ロイヤルティ」
(*XHW]NRZ)を含意し、
殺人力の脅威なしに、あるいは殺人力の行使なしに、すべてのニーズに対応する問題解決
プロセスを容易にする超越的コミットメントと結びついていることである。
[殺さない]政治学は殺人へ向かう要因を減らし、非暴力へ向かう要因を強化することを
意図している。通風筒(図)の五つすべての集中的殺人、非殺人オールタナティヴの解
放ファン(図)の内部問題・横断的問題を解決することを目指し、また、問題解決への
責任と、多方面への努力と直接的サポートを受容することで、政治学全体に専門的・直接
的に関わることを意味している。さらには公的・私的に問題解決行動の助けとなる研究と
トレーニングを促進する、ということでもある。
[殺さない]政治学のために問題解決の役割を受容することがすべて正しいということで
はない。しかしそれは宗教的・物理的・実質的・文化的な社会生活すべての領域における
健全性を保つための潜在的妥当性を確保するという意味では正しい。全体主義的介入では
なく、サポート側の政治家・政治制度・政府・国民が成すことあるいは失敗することを受
容し、物理的サバイバルから経済的福利厚生、さらに人間の願望の最頂点たる広範な社会
的結果を保持するのである。政治学は非殺人社会への協力を追求する中で、その対象と潜
在的領域の広さにおいて、医学や公衆衛生以上にその専門性が限定的である必要はない。
問題は望ましいことと現実的なこととの間の不協和音として定義されるかも知れない。
一つ一つの問題は不確定性の複雑な下位問題 ―すなわち、規範的(あるべきこと)・経験
73
74
殺さないグローバル政治学
的(あること)
・潜在的(ありうべきこと)という下位問題― を抱えている。個々の問題
はさらに体系的な複雑性、すなわち相互依存的フィードバック・プロセス、過去―現在―
未来という時間要素を体現している。しかし、どれほど困難で複雑な問題であろうと ―
倫理的・哲学的・経験的に― [殺さない]政治学は人類のサバイバルと安寧を脅かすもの
を解決する努力への明白な関与を否認することはない。[殺さない]政治学は行動的な暴力
を終わらせ、構造的暴力の条件を変更し、相互関係にある両者の問題を解決する努力に関
与するものである。それは殺人のサポート要素を除去し、非殺人を推進する現存の諸制度
を助け、新しい[殺さない]政策と諸制度を創造することを目指す。
応用科学、政治学のために応用的人文学の問題解決機能を受けいれる際、解決法を事前
に知らされることを求めるのは非科学的態度である。病気は治療不可能であるとか、治療
法は予診・検診・治療に先立って知られていなければならないなどとする前提が基礎医学
や応用医学の進歩を阻害するのと同様である。基本的には生死の問題に携わる政治学もそ
れと異なるわけではない。
暴力を容認する政治や、政治学が長い間解決できないできた諸問題を、即座に解決する
よう[殺さない]政治学に期待するのは妥当ではない。科学的・人文的・物質的資源を投
入し、信じがたいほどの流血を伴う暴力的手法で暴力を抑制しようとする膨大な努力がな
されてきた。しかし、核兵器国の首都における、戦争・ジェノサイド・殺人の可能性に終
止符を打つことはできなかった。多大な創意工夫は殺人方法の開発に傾注された。有効な
非殺人オールタナティヴの証明にはそれに劣らぬ創意工夫と創造性が絶対に必要とされる。
殺人の可能性の時代に終止符を打つことは、もちろん、政治学だけの課題ではない。
それは自然科学・人文科学・専門職など、すべての学問と人間によって担われなければな
らない課題である。しかし、政治学にはそのためのイニシャティヴをとり、かつ他の人々
のイニシャティヴをサポートしてゆく責任がある。最優先的課題は、非殺人世界に奉仕する・
[殺さない]政治学を創造するいかなる可能性も否定する強力な勢力を破れるかどうかとい
う問題である。汎用性が高い一般的なテーマは三つある。
「ヒットラーとホロコースト」
・
「革
命的構造的変革」・「個人から国民国家にいたる安全保障」、である。
非殺人、ヒットラー、ホロコースト
政治的指導と殺人の問題 ―ヒットラーとホロコーストに代表されるがそれに限定され
るものではない― とは正面から向き合う必要があり、持続的・根本的・応用科学的な、
問題解決の努力を必要とする。ジェノサイド的攻撃・ある階級所属者の絶滅・市民大虐殺
などの恐るべき事例があるからといって、[殺さない]科学的創造性が麻痺させられてし
第四章 問題解決的意味合 75
まってよいというものではない。さもなくば、政治学は顕在・潜在的に永遠に無意味であり、
虐殺やいかなる殺人狂的独裁者・階級絶滅を狙う革命集団・正義、の名において市町村を
破壊する者たち以上の暴力にも対抗することはできない。
着手すべき具体的な方法は、いまなお未開発である政治的リーダーシップ研究の分野で
の学際的業績・取り組みの強化である。これは殺人に傾きがちな行動変数とシステム変数
を特定し、[殺さない]指導とその随伴現象の出現に繋がる変化をつきとめることを意味す
る。目的に即した[殺さない]変革的介入が可能なものとしてすでに特定されている変数は、
暴力に傾くリーダーシップの概念・パーソナリティの前提条件・役割のパワー・集団的サポー
ト・課題に伴う期待・顕著な価値・科学技術的能力・殺人のための経済的・社会的・文化
的強化策、などである(3DLJH)。
世紀の経験はある立脚点ないし論拠を示唆する。殺人傾向の強い追随者たちによって
支持された殺人傾向が顕著な指導者たちのそれぞれの台頭を歴史のある段階で阻止するた
めには、人々は殺すことを単純に拒否するか、あるいは殺人をするシステムへの協力を拒
否しなければならないということだった。さもないと、復讐心に燃えた敗者とトラウマを
抱え込んだ勝者間の殺人のサイクルは継続してゆく。これはあまりにも単純化された見方
のように見える。しかし、振り返ってみると、 世紀に起きたいくつもの残虐行為は戦争
の廃絶を主張した 世紀末の平和主義者は完全に正しかったことを示している。第一次世
界大戦から第二次世界大戦を経て冷戦と冷戦以後にいたる残虐行為には明らかな連続性が
ある。最近のものであれ昔のものであれ、予防を重視する政治学の役割は、復讐に燃える
敵意が再燃する前に、それを見破り、和解することを助けることにある。
敵の絶滅に執念を燃やす指導者やその信奉者たちの勢力の拡大を阻止するために、政治
学がしなければならないことは、殺人阻止への明白な態度表明であり、復讐心に燃える人々
を宥和することであり、殺人のない世界を創出することにある。潜在的に、ヒトラー型の
指導者・スターリン型の指導者・毛沢東型の指導者・アミン型の指導者・ポルポト型の指
導者・原爆投下の責任者トルーマン、のような指導者の出現を阻止するためには、政治的
指導の概念を、殺人の指令者から非殺人を原則とする社会問題解決の指導者に再定義する
必要がある。攻撃的で、暴力的な傾向の性格をもった指導者であるかどうかを早い段階で
確認、手を引かせる必要がある。殺人意欲と他人に殺人を命じる権力への期待をリーダー
シップの役割・責任から除外する必要がある。指導者たちを、服従を誓い・ますます機能
強化した殺人兵器で武装したプロの殺人集団から遠ざける必要がある。殺人をサポートす
る、宗教集団・ビジネス集団・労働団体・科学者集団・芸術家集団から手を引かせ、[殺さ
ない]オールタナティヴへ方針転換させる必要がある。必要に応じ、場面に最適な紛争解
決法の採択を政治的指導者と市民の第一義的な課題・責任に高める必要がある。国民的な
76
殺さないグローバル政治学
誇りとアイデンティティの中核として[殺さない]価値支持への明白な態度表明を誓約す
る必要がある。いかなる集団であれ、特定の人々を、人間以下として軽蔑したり、絶滅が
正当化されるほど邪悪であると断定したりすることを拒否する必要がある。相互の幸福の
ための集団間対話を設ける必要がある。個人と集団を、直接あるいは間接的に暴力によっ
て満足させるように仕向ける社会経済的な、あるいはその他の構造的条件を変更させる必
要がある。殺人の経済学を生命肯定的なヒューマンニーズへと転換させる必要がある。芸
術と科学を媒介にした非殺人文化の創出をサポートしてゆく必要がある。
もちろん、ヒトラー型の残虐行為を阻止する殺人ゾーンへの介入は、[殺さない]応用科
学的創造性へのさらなる挑戦となる。しかしそれは想定不可能ではなく、特に科学技術刷
新のために驚異的能力が費やされる時代においてはそうであると言える。問題解決のシミュ
レーションで想定されテストされるに至った方針とは、リーダーと支持者・宗教と心理学・
[殺さない]能力と抑制の微視的喚起と大衆的喚起・殺人のグローバルな断罪・殺人サポー
トからの撤退・殺人への抵抗(犠牲者の自己責任だけでなく)
・対応策の提供と早期の撤退、
および宇宙・空中・海上・地上からの武装介入、であり、殺人をする個人・集団・科学技
術を無能力化する最新技術を備えたものである。防御のために特定された殺人の源泉への、
直接的な・多岐関連事象への・消極的あるいは積極的な緊急の圧力介入、に包括的焦点を
合わせる必要がある。
ヒットラー型トラウマ化の後には、生残者(殺人者・犠牲者・親族)間の非殺人能力の
変化についての証言を求めることが必要である。政治学は、残虐性・回復・和解・非殺人
世界と非殺人社会の実現に寄与する、予防的・構造的変化の実現に取り組まねばならない。
精神・科学・伝統のあらゆる局面を引き込みながら、非殺人は未来の文化的アイデンティティ
の心臓部であり、国民の誇りであるとして祝賀されて然るべきである。これまでのような
残虐行為が金輪際起こらないことを確認するための実際的なコミットメントがなされなけ
ればならない。
ジェノサイドから戦争にいたる大量虐殺の時代に別れを告げるために、政治学は予防・
介入・トラウマ後の非殺人への転換、という三つの応用化された科学的課題に取り組まな
ければならない。これまでのような残虐行為は非殺人原則によっても廃絶できないという
従来からの想定によって押し付けられた創造的精神への圧力から政治学は解放されなけれ
ばならない。
第四章 問題解決的意味合 77
殺人のない革命と暴力革命
問題解決の努力が必要となる、第二の大きな問題は暴力革命と反革命の問題である。関
連する諸問題は、軍事クーデター・反クーデター・テロリズム・反テロリズム・ゲリラ戦・
大規模市民戦争、などである。このような革命と革命の鎮圧に対し、伝統的な政治学は暴
力容認的な曖昧さで見る傾向がある。悪質な政権 ―良質な政権ではなく― に対する暴
力は賞賛される。劣悪な革命家 ―立派な革命家ではなく― に対する対抗暴力は容認す
る。政治的変革を達成する、あるいはそれに抵抗する暴力はどちらの場合も扱いにくいら
しく、しばしば政治の世界で賞賛されて決着をみる、という事実である。例えば、米国の
学者間でよくある議論で、経済エリートたちが彼らの財産や権力を平和的に放棄すること
はないのだから革命的暴力は正当化される、というものがある。しかし、他の論者たちは
私的財産搾取システムの変革を迫る反乱者たちに対する対抗暴力をサポートしている。常
に革命的な殺人に備えていなければならないという考えは、米国の選挙制度による民主主
義の条件下でさえ、国家に対する市民的自由防衛のために市民による銃保有は正当である
との主張で繰り返し示されている。
しかし、抑圧的な政権を転覆するためや、経済的社会的な我慢の限界を超える構造的暴
力の状態を変えるというニーズを前提とするならば、[殺さない]政治学は非暴力的革命の
オールタナティヴを特定し支持する。このことで、[殺さない]政治学には、革命が暴力的
でなければならないという前提に論争を挑み、原理・戦略・工夫・組織的方法・実現のス
キルなどにおいて有効な非暴力的オールタナティヴの知識を提供することが求められてい
る。
冷戦時代後半に非暴力的革命の可能性に関する政治理論家の注目すべき三様の証言が、
世界で最も暴力的・革命的伝統をもつ国々、すなわち米国・ソ連・中国から現れた。米国
ではジーン・シャープ(*HQH6KDUS)の議論があるが、彼は政治権力の黙従的基礎お
よび有効な非暴力的抵抗を、例の鋭い分析に根ざした古典的生命、非暴力的な革命理論と
実践、において提示した。シャープは抗議と説得、社会的・経済的・政治的非協力、非暴
力による直接介入など、少なくても の非暴力的行動方法を確認している。こうして彼
はそれらすべてを「転換・順応・強要」
(後に彼は「崩壊」を付け足した)のプロセスを含
む非暴力的変革のダイナミックな理論に統合している。
ソ連では (* プリマークと <) カリャーキン((*3OLPDNDQG<).DU\DNLQ)
が革命を「大衆の生活に急激な変化」をもたらす一つの階級から別の階級への権力転換で
あると定義した。ついで二人はマルクス=レーニン主義理論と第二次世界大戦終了後の非
植民地化と民主化の経験を土台にして「平和的社会革命は可能である」という議論を展開
78
殺さないグローバル政治学
している。二人は平和的な社会主義革命を「軍事的衝突のない・内乱のない・反革命的軍
事介入のない」革命と定義した。過去の失敗が新時代における平和的革命の追求を鈍らせ
るべきではないと主張しながら、二人は「平和的な革命的発展はあらゆる点において綿密
かつ客観的に研究されるべきである」と提言している。
中国では =KDQJ<LSLQJ(ザン・イ―ピン )がマルクス主義理論とアジア・ラテ
ンアメリカにおける非暴力的独立の成功、特にガンディのインド独立運動の非暴力的大衆
動員を根拠にして「時間と場所と状況を考慮せずに一方的に暴力的革命を主張し、非暴力
的革命を非難する考えは理論と実践において間違っている」と主張する。
このように、錯綜したグローバルな革命と反革命の流血の時代において、三様の暴力的
歴史から発言する政治的分析 ―相互に関係もなければ、知り合いでもない― 非暴力的
革命の理論と実践を前進させる科学的課題が提示されているのである。三者に共通する顕
著な特徴はインドにおけるガンディの非暴力的独立運動への言及だが、ちなみにガンディ
は政治的独立に留まらず、社会経済的・文化的変革まで追求している。
これまで非暴力的革命理論は、「資本主義的」立場・「社会主義的」立場のいかんにかか
わらず、概して被抑圧者の立場から構想されたものだった。それに見合った非暴力的エリー
トの反応による理論は展開されず、非暴力的革命行動の暴力的抑圧にたいする代替理論は
提供されなかった。ここにシャープの分析による逆転の意味がある。裕福な財産家・支配
的なエスニック集団・政治のリーダーたち・警察・軍隊などは、非暴力的にかつ非武装で
人権と経済的正義を主張する貧乏人・小作人・被抑圧者・マイノリティと面と向き合う理
論武装をしているだろうか。優越的立場にある人々は、流血無しの転換・順応・強要を追
求する行動に対して尊厳と承認を得るために彼らに対立的要求を主張できるだろうか。
かつての抑圧層・優越層と被抑圧層・被差別層間で、相互に満足できる状態を創造し、
明白な社会変革を達成する「非暴力闘争」あるいは「非暴力的階級闘争」の応用理論には
妥当性がある。これは人間の本性から引き出すことのできる[殺さない]要素、および暴
力肯定的なエリート層と暴力肯定的な対立者による平和的変化、を主張する者たちへの敵
意が抑圧的に表現されることからも推定ができる。
個々の闘士は非暴力的行動の擁護者を、そのような考えは彼ら自身の支持基盤である殺
人の軍事的準備を弱めるという理由から押さえつけがちである。例えば、冷戦時代には米
国とソ連のエリートたちとマスコミは、平和主義者の声をはねつけ沈黙させることに懸命
だったが、それは[殺さない]考えが相手側の類似の反応を呼び起こし、彼ら自身の戦闘
意欲への支持基盤を弱めるからというもので、相手を弱めるという理由からではなかった。
同様に、武力抵抗運動の純理論的な擁護者と活動家たちは非暴力的革命の代替理論研究
をすぐさま非難するが、それは被抑圧者間の非殺人に関する代替理論の影響を恐れている
第四章 問題解決的意味合 79
からであることを意味する。かくして、もし[殺さない]原理と実践への感受性が抑圧者
と被抑圧者の両方にあるならば、非殺人的階級闘争は想定可能なのである。これは[殺さ
ない]革命的問題解決プロセスを可能にせしめる政治学的役割と応用力を含意している。
社会変革のために、非暴力闘争のあらゆる段階で敵と「和解する」という究極的ゴール
が強調され実現に至る効果は、ガンディとキング両者の方法論的特徴であり、それは実践
的示唆に富む論拠を提供してくれる。マキャベリでさえ「暴政から自由」への政権におけ
る深遠な変化は、その反対の場合も含め、
「国家を偉大なものにした市民たちの一般的同意」
によって実現する場合には「流血無しに」達成できると主張したのである(『君主論』第 部・
第 章)。
[殺さない]安全保障
[殺さない]政治学は、個人・地域・国家・国際各々のレベルで、殺人を伴う侵略に対し
信頼に足る安全保障の代替理論を示すという課題を解決しなければならない。伝統的な安
全保障理論と実践では、究極的に「私(私たち)はあなたを殺すだろうということを疑問
の余地なくあなたに信じさせる」という殺人の脅迫を起点とする。しかし、[殺さない]安
全保障は「私(私たち)はあなたを殺さないだろうということを疑問の余地なくあなたに
信じさせる」という反対の原理に基づく。すなわち、「私たちは殺さないだろうということ
を疑問の余地なくお互いに信じさせる」のだ。殺人を決意している者がいる間は、何人も
安心することはできない。殺人で示される創意工夫は、鎧・兜・壕・城壁・城・原爆避難
壕など、あらゆる障碍を突破する。攻撃はあらゆる防護を上回る。槍に対しては弓矢、マ
スケット銃に対しては機関銃、歩兵に対しては大砲、騎兵に対しては戦車、戦車に対して
はロケット砲、戦艦にたいしては潜水艦、他のほとんどに対しては航空機とミサイル、そ
して、核兵器、生物兵器、化学兵器とくる。防護壁に囲まれ、あふれる銃砲で装備された
住居に住んでいても安心はできない。侵略者は防護壁を貫通するミサイル、強化された大
砲、改良された戦闘技術を持っているかもしれないし、空気・食糧・水道に毒をまけばさ
らに簡単に征服できるのである。唯一の確実な安全保障とは相手に殺人する意思がないこ
と、これに尽きる。
[殺さない]安全保障への転換に際し、政治学の役割は、殺傷力による脅迫とその行使に
対する信頼にたる代替案を示す理論・実践・展開への貢献であり、これは潜在的な敵の殺
人意思を予防的に非殺人へと転換させることを含む。従来の政治学においてはさほど目立っ
てはいなかったが、この方面の文献と経験は蓄積されつつあり、そこを出発点とすること
が出来よう。
80
殺さないグローバル政治学
それらの試作的取り組みには、ナチのジェノサイドに対する市民的抵抗の検討(+DOOLH
)RJHOPDQ6HPHOLQ)、マフィアの犯罪にたいするダニロ・ドルチの非暴力
的な地域住民抵抗($PDWR&KDXGKXUL)、人権擁護団体のための非武装ボディガー
ド(0DKRQ\DQG(JXUHQ)、軍事クーデターにたいする非暴力的抵抗(5REHUWV
6KDUS)、非暴力的な国家的・市民的・社会的防衛(%RVHUXSDQG0DFN
6KDUS0DUWLQHWDO5DQGOH%XUURZHV)、通常の軍事力の非殺人的
運用(.H\HV)、代替理論による非暴力的武力(%DQHUMHH:HEHU0RVHU― 3XDQJVXZDQDQG:HEHU)、非殺人兵器の開発(/HZHUDQG6FKRILHOG )、などがある。
いくつかの国々の政府では、通常の軍事的防衛の補完としてではあるが、非暴力的市民
防衛の実施可能性の研究がすでに始まっている。それらの国々とは、スウェーデン・ノル
ウェー・デンマーク・オランダ・フランス・ラトヴィア・リトアニア・エストニア・オー
ストリア・スイス・フィンランドなどである(6FKPLG6KDUS5DQGOH
±)。タイでは将来の軍事クーデターにたいする非暴力的抵抗を正当化するユニーク
な先行的条文が 年の新タイ憲法第 条に盛り込まれた。いわく、
「国民は憲法によっ
て定められていない方法によって行政権力を追求するいかなる試みにたいしても平和的に
反対する権利を持つ」、と。
警察と軍隊による非殺人兵器の研究が、米国では少なくても 年以来続けられてき
ており、研究は 年代になってから加速している。広範囲に及ぶ科学技術が投入され
ておりそれには、レーザー光線、視覚・聴覚上の技術革新、電磁波パルス、化学・生物兵
器、その他、多岐にわたるものが含まれている。なかにはすでに警察や海外での活動に使
用されているものもある(/HZHUDQG6FKRILHOG )。社会防衛にたいする政府の関心と
同様、非殺人兵器への関心は、現状では通常の殺人兵器への補完物とみなされている。し
かし、非殺人兵器という代替理論が専門家によって真剣に取り上げられている事実は政治
学がさらに進歩した包括的努力を傾注することへの大きな励みとなっている。中心的課題
となるのは、完全に、[殺さない]安全保障状態へ移行する際の問題を解決することであ
る。
[殺さない]安全保障への動きのさらなる兆候は「生死に関わる紛争についてのカー
ネギー委員会報告」( 年)である。そこでは「構造的予防・生死に関わる紛争の根本
的原因に向けた戦略」ならびに「予防の文化」の創造が必要だとされているが、殺人をし
ない個人とグロ―バルな安全保障へのさらなる進化の可能性が含意されている。グローバ
ルな非暴力平和隊(*OREDO1RQYLROHQW3HDFHIRUFH)の組織化提言はその例である(ZZZ
QRQYLROHQWSHDFHIRUFHRUJ)。
[殺さない]政治学では非暴力的社会の実現のために、従来、克服できない障碍がある
と考えられてきた諸問題の解決に挑まなければならない。超攻撃的な物理的暴力による直
第四章 問題解決的意味合 81
接的な絶滅の脅威を克服することは最大の課題でなければならない。第一に、人類の生き
残りなしに他の問題が解決されることはありえないからであり、第二に、継続する殺人へ
の道程は個人と社会と宇宙の存在を脅かす構造的かつ環境学的な暴力状態を助長すること
になるからである。
社会的問題解決へのアプローチとしての非殺人への積極的関与は以下のような問いに直
面することを意味する。心理的虐待・拷問・人種差別・女性差別・経済的搾取・独裁、な
どが物理的殺人以上に苦難と死を生じさせているときに、なにゆえ非殺人にそれほどに焦
点を当てるのか。これらの問には、私たちが殺人の選択肢を維持しているからこそ問題解
決が可能であることを示唆する意図が含まれている。それに対する一つの答は、殺人の意思・
能力・文化こそが殺人をする社会経済的な構造的不公平の根本的原因であり、殺人寸前の
心理的肉体的虐待の原因であるということである。もし、恐怖と死の脅威がなかったならば、
なぜゆえに人は、虐待・拷問・人種差別・女性差別・経済的搾取・独裁などに堪えている
必要があるのか。単なる殺しから戦争まで、殺人一般を人間世界から除去することは人類
を脅かす他の諸問題を、実質的・精神的・心理的・物質的・民主的・環境的に解決するこ
とに寄与するだろう。
非殺人への誓約とは、人類の生き残りと安寧を脅かす各時代の特徴的諸問題解決に寄与
する政治学の主体的関与を伴ったものだ。村々へ呼びかけながら、ガンディは主要な問題
解決のための課題を左手の指を折って数え上げた。不可蝕賎民たちの自由平等・経済的解
放のための自助的な綿製品織産・麻薬やアルコールの忌避・ヒンズーとムズリムの友好・
女性の解放など、それらを確認した上で「手首は非暴力である」と付け加えるのが常だっ
た($VKH)。模倣的に言うならば、持続する殺人と軍縮の必要性・貧困のホロコー
ストと経済的平等の必要性・人間の尊厳の侵害と人権の相互的尊重・生環境の破壊と宇宙
的生命維持の必要性・問題解決のための協力とそれを無効にする排他的分裂、など五つの
問題を挙げられよう。
これら五つの問題は、個人・家族・共同体・国家・人類全体に共通している。殺人・経
済的困窮・人間的尊厳の否定・環境汚染、などの解決、また、これらおよびこれら以外の
諸問題を解決するのに、現在欠けているすべての分野・集団・個人の「協力」を私たちは
必要としている。これら諸問題は相互に錯綜しており、究極の問題解決を殺人に頼ること
によって自体はさらに悪化してゆくのである。
私たちは殺人と殺人の意図によって安全保障を求め、結果、報復的な殺人を招いている。
殺人の意図は経済的困窮を増大し、構造的な不正を強化している。人権の主張と否定の狭
間で長引く報復的な憎悪が増大している。戦争と軍需産業が環境破壊を促進している。そ
して、敵対する民族集団との分離が、すべての人の利益となる問題解決のための「協力」
82
殺さないグローバル政治学
展開を阻んでいる。
[殺さない]問題解決は殺人の否定のみでなく、ニーズを充足する変革のための建設的で
主体的な参加を意味する。これは、戦争と軍備の撤廃・貧困の撲滅・人権と責任の非暴力
的な発現・環境保全への努力の傾注、を意味し、ヒューマンニーズに対応した、個人と人
類全体の無限で創造的な潜在的可能性を覚醒させ、問題解決プロセスへの貢献へと繋がっ
てゆくのである。
[殺さない]事と武装解除
このようなアジェンダは単なる理想と思われるかもしれない。しかし、それはこの時代
における最も経験豊な指導的政治家・軍人・経済人・科学者・文化人・市民活動家たちによっ
てすでに開陳されてきたことであり、古代から人間が抱いている関心事に呼応する新たな
グロ―バルな時代の要請事項なのである。
政治学者にとって極めて重要なのは、特に次の事実に注目することである。すなわち、
国連あるいは他団体が主催した、実質的に主要なすべての会議において、上述の必要変革
実現のために「協力」が呼びかけられたのは「政治的意思」創造の必要性だということで
ある。
この呼びかけは各国政府に向けられただけではなく、政党・非政府組織(1*2)・企業・
組合・大学・マスコミ・宗教団体・芸術家団体など、問題解決行動のために協力が期待で
きるあらゆる方面に向けられている。
そこに含まれるテーマは、兵器の拡散、急速に増大する世界人口、生命を脅かしている
工業と農業における自然の無節操な破壊、女性・先住民・その他の抑圧された少数者集団、
その他もろもろの人権を無視された人々の平等で適正な質の生活実現要求を無視した自滅
的失敗などである。ユネスコのフェデリコ・マヨール事務局長のように、グローバルな現
状について最もよく理解している人々にとっては ―それは国家単位の世界観と対立する
のだが― 世界状況は異常な緊急事態に陥っている、のである(0D\RU±)。こ
れは、政治学にとっての緊急事態ではないと言えるのだろうか。
解決されるべき諸問題もそれらに取り組むためにたち現れた非暴力運動も純理論的な政
治学が発明したものではない。それらは今日的なグロ―バルな政治世界によって生み出さ
れたものである。しかしながら政治学はそこでの問題解決を迫られている。問題解決へ向
けての明白な挑戦行動は、国連の第一回軍縮特別総会( 年の国連総会)の『最終報告』
に収録されているが、
「効果的国際管理下における総括的完全な軍縮」を呼びかけたものだ。
第四章 問題解決的意味合 83
唯一の留保(アルバニア)以外の カ国のコンセンサスによって次のような決議が採択
された。あらゆる核兵器の廃絶、すべての生化学兵器その他の大量破壊兵器の廃絶、すべ
ての外国軍基地の撤去、軍事力の限定的な領土防衛目的への削減、通常兵器の削減、グロー
バルな「途方もない浪費」である軍事支出に終止符を打ち、物的人的資源を経済的発展途
上国の経済的・社会的ニーズに役立てること、および多くの関連した提言である。著しく
暴力的な諸国家による非暴力的な社会変革への古典的な呼びかけを、不幸にもほとんどの
政治学者が知らないのである。
[殺さない]政治学は兵器のない社会の実現への進化を約束する政府や市民社会のイニ
シャティヴの支援努力に対して冷淡ではいられない。そうした運動の中には銃砲禁止運動、
対人地雷禁止運動、武器取引禁止運動、市町村に武器のないゾーンを作る運動、非核兵器
地帯運動などがある。
[殺さない]:経済的困窮について
ところで、問題解決行動のためのもう一つのアピ―ルは 人の化学・物理学のノーベル
賞受賞者による「マニフェスト」で、可避的な経済的困窮によるグローバルな死、
「ホロコー
スト」と彼らが呼んでいることをストップすることである(1REHO3UL]H:LQQHUV
±)。その中で彼らは「このホロコーストを断罪し、それと戦う総ての者はこの悲劇の原
因は政治的であるという点で意見が一致している」、として次のように述べている。
市民や政治家が総選挙や議会内での選挙、政府内、国際的な集いなどさまざまなレベ
ルで新しい法律、新しい予算、新しいプロジェクト、新しい計画を作り、何十億もの
人々を栄養失調と低開発から救い、何世代にもおよぶ餓死から何億もの人々を救う緊
急の措置をとることが絶対に必要である()。
「生ける者たちを救い、殺さず、滅ぼさず、惰性、怠慢、無関心によってもそうはしない
必要」を表明し、彼らは変革へと導く非暴力的経済革命を勧告している。
最大の責任は世の権力者たちにあるが、彼らだけの責任ではない。もし、無力な人々
が運命を自分たちの手に取り戻し、もし無数の人々が基本的人権以外の法律に従うこ
とを拒否し、もし弱者が自分たちを組織し、利用可能な僅かのしかし強力な武器を使
用するならば、ガンディが示した非暴力的行動によって、限定的かつ適切な目標を採
用し、決定し、これらのことが起こるならば、私たちの時代の大災難に終止符を打つ
ことができるのである()。
そして結論は「今こそ行動の時であり、今こそ創造の時であり、今こそ他の人々に命を
与えるように生きる時である」としている。
84
殺さないグローバル政治学
不平等、人口増加、軍事化などはあいまって経済的殺人、暴力、環境破壊を悪化させる。
年、世界銀行はおそらく 億人が一日 ドル以下で生活する「絶対貧困」の状態で
生きており、 億人が一日 ドル以下で生活しているとみなした。インドだけでも、絶
対貧困層は 年後半以来 万人から 万人に増大したと推定している(:RUOG
%DQN)。同時に起きているのが所得の不公平だ。世銀のタリク・フサインは 年
月に国連大学国際指導者会議第一回総会で 人の若い指導者たちに以下のごとく簡潔
に報告している。
年の世界は 年の世界よりも貧富の差が増大した。世界の最貧困層は過去
年の間に自分たちの *'3 が パーセントから パーセントに減少した。その間、
世界の最富裕層の所得は パーセントから パーセントに増大した。つまり、最富
裕層対最貧困層の差は 対 から 対 と 倍になったのである。世界の 人
の億万長者の資産総額は四五 パーセントの世界人口の総所得を超えているのであ
る(+XVDLQ)。
世銀総裁のジェームズ・'・ウォルフェンソーンとマハトマ・ガンディは不平等が暴力
を生むという点で意見が一致するだろう。総裁は「不平等は不安定を生み、貧困は戦争に
繋がる」(+XVDLQ)と言う。ガンディは「非暴力の政府存続は、著しい貧富の差が
存続する限りまったく不可能である。豊な人々が自発的に彼らの富と権力を一般の人々と
分かち合わない限り、暴力的な流血革命はある日必ずやってくる」と警告している(&ROOHFWHG
:RUNV())。世銀総裁とガンディの洞察に学びながら、若い米国人ピースワー
カー、ベッツィ・デューレンは世襲資産のほとんどを投げ出し、「持続的な平和を得る唯一
の方法は富の再分配である。貧困と戦争と苦難は必要以上の富にしがみつく人々によって
引き起こされている」、と宣言している(0RJLODQG6OHSLDQ)。世銀総裁・ガンディ・
若い米国人の見解はアリストテレスが 年前に不平等と殺人の関係について分析した
ことと一致する。
記憶しておくべき重要なことは権力の行使に責任のある人々は、個人であろうと政府
機関であろうと部族であろうと、また規模の大小を問わず、革命に至る社会不安の原
因は彼らだということである。彼らの権力を妬む人々が革命を起こすならば、彼らは
間接的にそうするだろうが、彼らの権力が余りにも突出したために、もはや自余の人々
と平等であることに不満を持ったときには直接にそうするであろう($ULVWRWOH
)。
世界人口は 年の 億から 年の 億、 年の推定 億へと急速に増大す
るが、これは非暴力的問題解決への課題にとっては深刻な問題である。 年の最大人口
国群は 億 万人のインド、 億 万人の中国、 億 万人の米国、 億 第四章 問題解決的意味合 85
万人のインドネシア、 億 万人のパキスタンと推定されている。ワールド・ウォッ
チ研究所のレスター・ブラウンと彼の同僚たちによって分析されているように、少なくと
も毎年 万人の人口増では地球の許容人口の限界を超える潜在的危険水域に達するこ
とになる。
地球の脅威となっている深刻な問題としては、水の供給・穀物生産・エネルギー・耕地・
森林、生物多様性・気候変動・疾病・都市化・住居・教育・仕事・国内外の紛争、に関連
するものが挙げられている(%URZQ*DUGQHUDQG+DOZHLO)。従来、人口減少の原因
としては望ましくない種々の状況、戦争・大量虐殺・嬰児殺害・堕胎・飢餓・伝染病など
があったが、[殺さない]政治学への挑戦はこれら状況に対する非暴力的代替案の発見と実
施にある。これは経済的な問題解決の政治学理論と実践を核に、人間生命の質と維持環境
を尊重することを意味する。殺人のプロでもあり世界の最高栄誉を受けた指導的軍人の中
には「経済的非軍事化」の必要性を洞察、表明している者もいる。その一人は第二次世界
大戦の将軍で米国大統領になったドワイト・'・アイゼンハワー(±)である。殺
人と経済的構造的暴力の関係に関する彼の単純明快かつパワフルな洞察を凌駕する洞察は
他には見いだされない。
製造されるすべての銃、進水するすべての船舶、発射されるすべてのロケットは、結
局、飢えているのに食物がない人々、寒さで凍えているのに衣服がない人々からの盗
みを意味する。軍備で満腹のこの世界は財を消耗しているだけではない。この世界は
労働者の汗と科学者の才能と子どもたちの希望を消耗しているのだ・・・これは、真
の意味で、人間のあるべき道ではない。戦争の脅威の雲の下の鉄の十字架からぶら下っ
。
ているのは人間性である(米国新聞編集者協会での演説、 年 月 日)
人間性が「鉄の十字架からぶら下っている」理由の一つは 年から 年にいた
る米国の核兵器開発コストによる「窃盗」にあり、実に 兆億ドルと算出されている
(6FKZDUW])。これはグローバルな軍事支出の「膨大な浪費」を象徴するもので、
年代には平均「ゆうに年 千億ドルを超える」額に達した(6LYDUG)。殺人ゼロの
政治学はグロ―バルな軍事化による経済的貧窮の継続を拒否する。殺人ゼロの政治学は「鉄
の十字架」から貧困の「ホロコースト」を終わらせるよう人類を解放することに建設的に
努力を傾注することを担っている。
[殺さない]:人権と責任
問題解決の責任への待ったなしの取り組みは世界人権宣言( 年)とそのあとに続い
た市民社会的・政治的・経済的契約の実施に表明されている。その基本文書は政治学者と
世界市民のすべてにとっては周知のことと思われる。しかし、人権については、普遍性と
86
殺さないグローバル政治学
文化的特殊性に関する論争の狭間で定義され、殺人ゼロの政治学はそれら主張と非暴力的
手段による防衛施策間での調整に委ねられている。その上で、殺されないことの普遍的承
認と他人を殺さない責任の獲得と、実施時のゴ―ル設定が唱えられている。一つの道は、
世界人権宣言および以下条文が世界的に遵守されることに見いだせる。
第 条第 項 およそすべての者は殺されない権利ならびに他人を殺さない責任を有
する。
[殺さない]政治学では、研究・トレーニング、ならびにあらゆるレベルにおける、人
権の擁護・発展追求する個人および団体を支援する専門的協議と行動への取り組み、が求
められる。例えば、 年の北京女性会議において採択された女性と少女に対するあら
ゆる形の暴力をなくすプログラムは実施要綱の不退転の取り組みアジェンダとなっている
(8QLWHG1DWLRQV)。
全般的政治学の責任に対するもう一つの呼び掛けは 年設立のアムネスティ・イン
ターナショナルによる人権の非暴力的な防衛である。アムネスティ・インターナショナル
の行動計画には以下のような世界人権宣言の原理原則が含まれている。「何人も、拷問又は
残虐な、非人道的若しくは屈辱的な取扱い、若しくは刑罰を受けることはない」(第 条)。
「何人も、欲するままに逮捕・拘禁、又は追放されることはない」(第 条)。「すべての人は、
思想、良心及び宗教の自由に対する権利を有する。この権利は、宗教又は信念を変更する
自由並びにあらゆる手段により、これには、国境を越えるや否にかかわりなく、情報及び
思想を求め・受け・伝える自由が含まれる」
( 条)。アムネスティ・インターナショナル
は全世界的なレベルで死刑廃止・拷問の禁止・すべての人の公平な裁判・暴力を奨励した
り実行したりしないすべての良心の囚人のすみやかな保釈、を要請している。方法論的に
はあらゆる非暴力的政治行動の形を含んでいる。
[殺さない]政治学にたいする援護に関わる他の人権作業のなかには 年制定の「代
表なき国家民族機構」(8132)がある。8132 は五大陸における 以上の先住民の集団
的人権の承認を求めている。メンバーは「非暴力の推進と政策手段としてのテロの拒否」
を約束した 8132 憲章への支持を文書によって表明する。8132 は「暴力の使用を減らす
明白で原則に徹した政策の採用を政府、国際機関、1*2 および彼らのリーダーたち」に呼
びかける。これには以下のことが含まれなければならない。
すべての人々の平等な権利は、その大小・文化・宗教にかかわらず承認し尊重される
こと。すべての民族・代表なき民族・少数者集団のニ―ズや思想は真摯に受けとめら
れ、代表なき民族・少数者集団たちへのいわれなき暴力行為や著しい人権侵害は公表
され断罪されること。彼ら彼女らの目的を達成するための平和的・民主主義的手法を
用いた運動ないしは政府の正当性は承認され、そのような運動ないしすべての政府と
はオープンで真摯な対話を実施し、彼ら彼女らの非暴力堅持の努力が報われるよう務
めること。(および)マイノリティーたる人々・民族が対立する権威・組織・政府・
その他の主権者との間で、平和的紛争解決を図ることを激励し積極的な支援を行って
ゆくものである。(8132)
さらに、8132 は「諸企業や金融機関には、民族の生存がかかっている資源の暴力的な
搾取を終わらせること、無責任な武器取引、マスコミと報道における暴力の商品化を介し
た暴力の促進をストップすること」()を呼びかけている。ジェノサイド・民族浄化・環
境破壊に苦しんだ民族によるこのような非暴力的政治への態度表明は[殺さない]政治学
支持への明白な宣言である。世界の大多数の先住民族と少数民族がアイデンティティ確立
のニーズを持つなら、8132 のメンバーの数は最終的には国連加盟国数を上回ることにな
るやもしれない。
[殺さない]:環境学的な実現可能性
[殺さない]政治学は環境学的な殺人から人類を解放することにも寄与する。私たちが環
境を殺すならば、環境は私たちを殺す。[殺さない]社会は[殺さない]環境学(HFRORJ\)
の整備も必要とする。 世紀の終わりは生環境の生命維持能力が人間によって破壊される
ことへの警鐘が増大した特徴を持つ。軍事工業が活発化し、戦争による地球に対する攻撃
が増せば、それは地球の破局へと繋がる。「世界自然憲章」は 年 月 日の国連総
会で ヵ国によって採択され、次のように宣言された。「自然は戦争による破壊とその他
の破壊的行為から護られなければならない」(第 条、第 項)。悲劇的な環境破壊には、
ベトナム戦争中の米軍による森林の化学的枯葉剤作戦・湾岸戦争における油性火災、など
があった。[殺さない]政治学はバリー・コモナーの「地球と和解するためには我々地球に
住む者同士の和解がなければならない」という提言への答えに直面している(&RPPRQHU
)。
また、 年にリオ・デ・ジャネイロで開催された国連地球環境会議のモーリス・)・
ストロング事務局長は「世界がより安全で持続可能なバランスのとれた未来へ向かうため、
新しい道程へ転換するために必要なエコ革命」
(8QLWHG1DWLRQV)を提唱した。会議
の行動指針のアピール「アジェンダ 」は「戦争は持続可能な発展に関してはことのほか
破壊的である」(3ULQFLSOH)とされ、「平和と開発と環境保全は相互依存的かつ分離不可
能である」
(3ULQFLSOH)と述べている。問題解決的行動指針のアピールが向けられたのは、
国家・政府・市民・女性・若者・先住民族である。このリストにはさらに、軍隊・軍需産業・
企業・労働組合・政治学者も追加することができる。
生き残りと生存への他の脅威と同じように環境学的な問題は錯綜しており、学際的であ
り、グローバルである。公共政策の形成と実施を助ける政治学的知識は非殺人的な展望の
中から適時用いられる必要がある。科学的課題は、充分に理解がされ、かつ緊急な行動が
必要なものはどの環境破壊的な脅威なのか、どの問題が緊急の調査・優先順位を必要とし
ているのか・いかにしてニーズに合致した社会的意思決定プロセス探求に科学的知識をもっ
とも効果的に投入するか、を特定することにある。そのためのモデルとなるアプローチは
スウェーデン王立科学アカデミーによって提供されている(6HEHN)。
[殺さない]政治学は非暴力的な問題解決行動に従事している個人・団体・社会運動には
特段の注目を払い、サポートする必要がある。特に目立った今日の非暴力的エコロジー運
動はインドのチプコ村落女性の「樹木を守ろう」運動・グリーンピースの公共政策に変化
を与える直接行動の活動・ドイツの環境運動と「みどりの党」の政治活動、などである。
「みどりの党」の創立に関わったベトラ・ケリー( ∼ 年)の遺産は[殺さない]
政治学と 世紀のための問題解決のアジェンダの結びつきを示したことである。行動を促
す彼女のアピ―ルは地球を救うための軍縮・適正な経済・人権・世界的な協力、を含む広
範なものに及んでいる。彼女は「エコロジー的責任の地球的文化」を指摘し、
「すべての国々
のエコロジー的関係を支配する拘束的原則」の確立を訴えている(.HOO\)。トル
ストイ、ガンディ、アブドゥル・ガファール・カーン、マーティン・ルーサー・キングな
どと共に、ペトラ・ケリ―は 世紀とそれを超える時代における非暴力的な世界変革への
主要な貢献者として評価され続けられるだろう(.HOO\3DUNLQ)。
非殺人と問題解決のための協力
掛け値なしに、課題は個人からグローバルな共同体へ向けての平和的問題解決のプロセ
スを助けることである。安全保障・経済繁栄・人権尊重・生態学的実現可能性・その他の
望ましい世界状態も、援助を必要とするすべての人々の間で、生への畏敬に基づいた協力
関係があることを抜きには実現不可能である。これは政治学があらゆる問題の解決をすべ
きであるという意味ではなく、むしろ政治学は問題解決を促進する協力のプロセスを助け
る責任を負うことを意味している。全体主義とは違うものである。無政府主義者でさえ彼
ら彼女らの自由のためには他の無政府主義者の協力を必要とする。[殺さない]アプローチ
は、究極的な・仲裁者としての・顕在的あるいは潜在的暴力を伴う・支配のための紛争や
競争に基づく政治...からの方向転換を意味する。[殺さない]政治は生命を讃歌する相互
尊重によって特徴付けられる、協力的問題解決の常に拡がる円である。暴力は支配し分割
するが非暴力は協力し結合する。それゆえ、[殺さない]政治学は男性と女性間の・宗教間
第四章 問題解決的意味合 89
の・文明間の・人種間の・民族間の・階級間・共同体間の・国家間の・国家と国際組織間の・
グローバルな運動間の、共同行動(FRDFWLRQ)を求める。ゴールはすべての者の福利厚生の
ために殺人も殺人の脅迫もせず問題を解決することである。対話による「ウィン・ウィン」
の紛争解決を追求する紛争解決理論・実践への学際的かつ専門的な関心を増してゆくこと
は、ゴールへの到達を容易なものにし得る主要な方策である()LVKHUDQG8U\%XUWRQ
)。
研究の進展を基盤にして、[殺さない]政治学は、暴力によって特徴づけられてしまって
いる国家や市民社会が、非殺人社会へ移行するための支援に注力する。[殺さない]政治学
は、現代の政治体制で表現される民主的発展の歴史的展開を認めつつ、また、自由政治や
自由市場が自ら単体では解決ができなかった、直接的・構造的暴力、その他諸問題の解決
にも全力で手助けをする。[殺さない]政治学は、恣意的権力を制約する市民主導の憲法、
市民の自由を保障する権利章典、司法権・立法権・行政権のチェック・アンド・バランス
制度の有効性保持、内乱に代わる政党政治、専門職官僚による官公庁業務、宗教の自由、
出版と表現の自由、普遍的参政権への投票権の拡大...等々の価値を認める()LQHU
*ROGPDQ)。さらにいえば、[殺さない]政治学は、それらシステムを強固に支えて
きた暴力的な軍隊や警察権力の存在と、その存在に貢献している慣習的な支持についても、
オールタナティヴを認め、その在り方追求してゆく。
[殺さない]アプローチは、最も「進んだ」民主主義国家においてさえ、物理的・構造的
に暴力をもたらしてしまういわば、ニーズ対応への失敗・体制的機能不全の兆候にも注目
する。今日的な問題例としては、例えば米国では家庭内暴力と校内暴力、ギャング・麻薬・
自殺等に反映される若者の絶望感や、浸透する政治的疎外・低い投票率に見られる政治と
政府への不信感・非生産的軍事支出へ投じられる巨大な浪費、栄養・健康・住居(ホーム
レスを含む)
・教育等の悲惨な状況に加え、家庭崩壊・強盗・凶悪犯罪がある。恒常的最下
層市民の少なくとも パーセントが性的または人種的差別の被害者である一方、別の パーセントの超富裕層が益々その富を増やし、中間層と結託して警察・刑務所・極刑・軍
隊によって自分たちの安心・安全を追求している。それらはすべて暴力的文化の反映である。
民主主義国家と市民社会の性格特性の低い国々では状況はさらに深刻で、そこでは独裁
政権と経済的搾取が言語に絶する物理的・構造的残虐性を発揮している。それを示す指標
としては、即決死刑・拷問・政治的暗殺・ジェノサイド・民族浄化・武装強盗・テロ・暴
力革命・経済的国策失敗による大量死、などの存在が挙げられる。
[殺さない]政治学の問題解決における課題は、方法と目的から暴力容認的前提を排除す
ることを自らに課し、多かれ少なかれ民主的な社会内・社会間ニーズへの対応に改善され
たプロセスが用いられるように貢献すること、である。科学的でヒューマニズムに基づく
90
殺さないグローバル政治学
創造性を発揮することは多大な挑戦となる。現在においてでさえ、建設的なプロセス変化
を実現するには、非殺人という価値観を明白な形での導入し・人間の非殺人能力に関する
新たな情報を提供し・民主的指導と市民性と取り入れたより新しい非殺人スキルを開発導
入し・政策形成への参加推進・新しい[殺さない]問題解決のための研究・教育施設を新
設すること、などが必要となる。このような変化を助けるために、政治学自体は社会貢献
の起点として、非殺人への態度・賛意を明確に表明しなければならない。[殺さない]政治
学は個人・家族・世界のありかたに対し、未だ解決していないニーズに制度的に対応でき
るようにならなければならない。
第五章 制度的意味合い 第五章
制度的意味合い
あるのが当然だと思っている諸制度はしばしばただ私たちがそれら
に慣れ親しんでいるからにすぎない。そして、社会構造の問題では
可能性の広がりはいろいろな社会に住んでいる人びとが好んで創り
出すよりも遥かに広範囲に及ぶ。
―アレックス・トックヴィル
地球上の生命を脅かす諸問題は集合的に生じたものであり、それら
は私たちに集合的に影響する、そして私たちはそれらの諸問題を変
えるために集合的に行動しなければならない
―ペトラ・K・ケリー
政治学における非殺人の倫理的・経験的転換の制度的意味合いは何か。それは政治学を
実践する人びとにとってどのような意味合いがあるのか。政治学の専門組織にとっての意
味合いはどうか。学問の他の分野との関係における意味合いはどうか。ローカルな共同体
から人類全体へと及ぶ非殺人社会を実現するのに必要なさまざまな組織にとっての意味合
いはどうか。組織は人びとのニーズと願望への応答として生まれた合目的な社会関係の混
成物として理解される。文明の歴史はその大枠において組織的刷新の歴史である。宗教的
信仰から寺院、シナゴグ、教会、モスクのある共同体が生まれる。政治的参加へのニーズ
からは政党、選挙、議会などが生まれる。社会的規制の必要からは警察、裁判所、刑務所
などが生まれる。戦争遂行の目的からは陸海空での戦闘に要する科学技術的な兵器が生ま
れる。軍隊と国家の目的を支える課税からは官僚が生まれる )LQHU − ±。
未知の世界の探検には信念、知識、技術、熟練、資材の動員が必要であり、それによって
十五世紀の航海王ヘンリー王子の大航海が生まれ、二〇世紀の人間を月面に到着させるア
ポロ計画が生まれた。
政治学が非殺人の地球社会への移行に貢献することはどのような制度的・組織的な変化
を意味するだろうか。地球上の生命を非殺の状態、つまり「殺されない状態」に保つとい
う合目的探求は今日のグローバルな通信・情報技術の普及の規模に見られるような科学技
術の変化を予想させる。非殺への展望は政治学の専門分野である参加民主主義、ジェンダー、
94 殺さないグローバル政治学
人種、階級、環境への配慮を糾合する試みのような古い構造に吸収あるいは統合されるか
もしれない。あるいは、それは古い組織の改変、並行する移行期の組織の設置、または完
全に新しいかハイブリッドの組織の創設へと導き、非殺人的変革の全面的追求のパワーの
源泉へと繋がる。
非殺人社会の達成可能性を真剣に考えることは、非殺人の科学的分析、非暴力の教育と
トレーニング、生命肯定的問題解決、非殺人に基づく安全保障、社会のあらゆる分野にお
ける非暴力的福利厚生サービスの創設などに優先順位を置く研究機関が必要であることを
意味する。民主主義が達成され、成長するのは、民主主義の何たるかを理解し、それがど
のように機能するかを知っており、それを育てることに情熱をもっている民主主義者によ
るように、非殺人の社会と組織も非殺人の人びと個人によって作られる。非殺人の政治学
も同様である。非殺人の覚醒への道は多くあり、そのどれ一つも全体を代表することはで
きない。誕生、信仰、知性、トラウマ、同情、費用便益分析、模擬実験、瞑想はすべて非
殺人の方法の発見と行動への道である。非殺人的態度決定をする人間の能力の膨大な歴史
的・今日的証拠は私たち一人ひとりが私たち自身の変革的能力に励ましを与えて然るべき
である。
非殺人を特徴とする政治学部
現存する個々の政治学会、大学の政治学部・学科・専攻に非殺人の精神を吹き込む必要
がある一方で、現存のものをリストラし、これから設置する世界の諸大学における新しい
学部のための原型として新しい非殺人を特徴とする政治学部(1RQNLOOLQJ'HSDUWPHQWRI
3ROLWLFDO6FLHQFH)を構想することができる。非殺人を特徴とする政治学部は殺人、殺人の
脅迫、殺人の相関関係を根絶するという共通目標の感覚から出発する。この特徴はそれを
暴力に根拠を置くリベラルな民主主義、暴力に根拠を置く科学的社会主義、あるいは暴力
に根拠を置く全体主義的秩序から峻別される。非殺人を特徴とする政治学部は特殊な価値
志向性を持っているわけではなく、〈もう一つの価値〉をもっているに過ぎない。カリキュ
ラムは入門講座から博士課程へと進んでゆくのが普通の前提だが、非殺人を特徴とする政
治学部は非殺人の社会を実現し、維持するために必要とされる特徴と技能を訓練すること
を断固として追求する。四つの技能が基本となる。〈研究〉
、〈教育・訓練〉、
〈行動〉、それ
にコミュニケーションの方法を媒介とし、日々の生活において表明される〈批判的反省〉
、
この四つである。
新入生は人類史における生々しい殺人の記録を追体験し、政治学専攻の研究者、リーダー、
市民として世界から殺人を消滅させる責任へと誘導される。ついで彼らは、人間の創造
第五章 制度的意味合い 性における能力の理解について %RRUVWLQ、政治的刷新について )LQHU
、社会生活のあらゆる分野における人間の尊厳を強化する平和的奉仕の生活について
-RVHSKVRQ、権限を与えられる。次のステップは、問題解決への関わり(暴力、経済、
人権、環境、協力)、今日の政治的諸制度と問題解決のプロセス(ローカル、ナショナル、
インターナショナル、グローバルな)および非殺人の未来を実現する現在の意思決定に貢
献できる非殺人の論理の分析と行動の諸原理に関連した最新の知識についての主要な今日
的挑戦の再検討である。
もう一段上のステップは関心とタレントのテストと結合を可能にする一連の選択肢だが
問題解決的かかわりと関連するコミュニティへの奉仕の様式を調べる機会を学生たちに提
供することである。これは研究技術への導入、教育と訓練、市民リーダ一活動、批判的な
政治的評価を必要とする。これは多様な関心と能力の可能性を否定するものではない。し
かし、それは非暴力的な社会変革を円滑にするためには四つの基本的関わりの様式が最高
レベルで追求されなければならいことを認めるものである。村の熟練工やスポーツ選手権
チームによくある相互補完的な能力の承認と協力が必要である。
このような準備の後の次のステップは、適正な研究の技能、教育、行動、批判的反省に
向けた個人的・集団的プロジェクトの追求で、ここでは物理的暴力・構造的暴力、人権侵害、
環境破壊、問題解決を目指す協力を妨げる暴力傾向のある敵対心への選択肢を作り出すこ
とである。これらのプロジェクトはローカル、ナショナル、インターナショナル、あるい
はグローバルな状況に向けられるだろう。これらのプロジェクトの結果は卒業論文として
提出され、学部のメモリー・バンクに提供されて、個人的・社会的意思決定を助ける全世
界的なウェブサイト上で公開される。
卒業生は公共事業や市民社会の最新のキャリアへと進む(下掲の関連する組織を参照)
。
彼ら・彼女らは関連する分野で非殺人の政治学における修士課程や博士課程のプログラム
でさらなる研究に取り組んだり、現存するその分野に就職したり、政治学の新分野を開拓
したりすることができるし、あるいは他の分野や職業へ関心を広げることもできるだろう
(付録の % と & 参照)。
非殺人を特徴とする政治学部は明らかに奉仕と職業指向の学部である。その強みは学部
から博士課程までの知識と技能の累積的前進にある。教授と博士候補生は共通の関心領域
における研究集団を形成し、特定の問題解決のニーズに向けて成果を適用する。非殺人を
特徴とする政治学部は新しい知識の発見、教育と訓練におけるその使用、社会的問題解決
におけるその適用の間の相互補完的関係を容易にすることを追求する。紛争解決の言説と
進捗において非殺人を特徴とする政治学部は非殺人社会の特徴を前向きに例示する。非殺
人社会の中心である平等性に基づく男性と女性の共生文化が重視され、尊重される。卒業
96 殺さないグローバル政治学
生による長いキャリアを通じての定期的なフィードバックによって新しい視点が提供され、
不可視的未来へ向かう学生に適切な助言を与える。経験をつんだコミュニティリーダーた
ちと他の分野の研究者たちは共同研究によって学際的な創造性に貢献する。非殺人の知識
と技能はグローバルであることに基づき、非殺人を特徴とする政治学部は直接的参加なら
びにコンピュータや他の手段を用いて有能な人材を探し出す。ローカルな共同体はグロー
バルな安全・安心の脅威となっている諸問題が機能的に共通であることを確認する。
大学の「シャンティ・セーナ」
(平和隊 ( ピースコーア ))
非殺人社会への移行は、世界中の多くの大学でしばしば提供され、要請されている軍事
教練にたいする新たな選択肢(オールタナティヴ)として非暴力の学生奉仕部隊を創設す
ることを意味する。その責任主体は非暴力専攻の政治学部とし、メンバーは各学部・学科
から集めたらいい。
「シャンティ・セーナ」
(平和隊 ピースコーア )は ―名称は自由で
いいが― 訓練を受けた、厳密に他と区別される実力集団であって、そのメンバーは非暴
力的紛争解決と和解、共同体の安全・安心、市民的防衛、医師の補佐役的な人命救助・災
害救助、共同体のニーズに沿った建設奉仕などの指令を受けた人たちでなければならない。
これへの参加は指導の素養と技能を培う純理論的な訓練と平行し、補完的に行われるだろ
う。それはすべての宗教的信仰の生命礼讃的なインスピレーション、音楽と芸術による精
神の高揚、スポーツのバイタリティ、他者への純粋な奉仕の満足感を醸し出すだろう。
「シャンティ・セーナ」(平和隊 ピースコーア )は大学のキャンパス内外における緊急
事態に出動を要請され、他の社会的組織のために指導を有する人びとの「プール」として
活用されるだろう。それは軍事訓練のためになされるのと同様な予算措置とサポートがあっ
てしかるべきである。それはまた大学教育以前のカリキュラムとして採用されるべきであ
る。教育機関に「シャンティ・セーナ」を導入する具体的経験の価値ある例はインドのガ
ンディ農業大学の1ラダクリシュナン教授の場合である5DGKDNULVKQDQDE。さ
らに、
「神の使徒」
(.KXGDL.KLGPDWJDUV)のトレーニング原則と実践があり、
年∼年の
期間のインドにおける八万人からなる非暴力ムズリム解放軍の例があり%DQHUMHH
―また非暴力的社会変革の0/キング牧師による運動/D)D\HWWHDQG-HKQVHQ
、その他の非暴力のトレーニングの例がある:DU5HVLVWHUV/HDJXH。
非殺人を特徴とする大学
非殺人社会への移行はさらにいかなる単一の学部や大学の能力をも超越する知識と技能
の要請を意味する。こうして、政治学の非殺人への変革はあらゆる社会科学、自然科学、
第五章 制度的意味合い 人文学、専門の潜在的な責任と貢献を要請することになる。それはまたすべての大学が非
殺人の理論と実践をローカル、ナショナル、インターナショナル、グローバルなレベルで
実践することを意味する。
例えば、第二次世界大戦中、大学はその知的・人的資源を総動員して戦争遂行のために
尽力することができた。ハーバード大学のジェームズ・&・コナント学長が言ったごとく「勝
利のためには米国最古の大学の全力を傾注する必要があった」のである。彼らは強力な新
兵器の開発と生産のために動員され、年齢、学位、業績の相違を考えることなく自由に協
力したのだった」+DUYDUG0DJD]LQH6HSWHPEHU±2FWREHUFRYHU。
同様に、諸大学は、古い歴史をもつ大学も新しい大学も、人類の存続と安全を脅かして
いる戦争とあらゆる種類の殺人を廃絶する責任を精力的に担うべきではなかろうか。「平和
学専攻」や「平和学部」を設置すること ―あるいは数百万ドルの資金提供を受けている「倫
理学」「価値論」などのカリキュラムの中心を「非暴力」にすること― を躊躇している事
実は、残念ながら、高等教育における将来の非殺人教育の展開に暗い影を落としている。
非殺人を特徴とする政党
非殺人の応用政治学はすべての人の安全・安心のための社会的問題解決のニーズに合わ
せたプロセスに参加する複数の非殺人を特徴とする政党の事業支援を意味する。そのよう
な諸政党に相応しい名前は「非殺人政党」とかいろいろと考えられるはずだ。それは特定
の政治文化的状況におけるコンセプト、名称、組織、活動において創造的に生まれるだろう。
非殺人を特徴とする諸政党の目標はローカルにもグローバルにも非殺人社会の実現に貢献
することにある。これらの諸政党は、特定の社会層に基礎を置かず、すべての国民の利害
関心を統合し、追求する。誰もが殺人の不在、自由、公正、物質的繁栄などの相互関係か
らの利益に浴するわけだからである。そのような政党が複数あって、非殺人の諸原則につ
いて、競争しあうことが期待されるのである。
選挙での競争、公共政策、その他の活動などにおける非殺人を特徴とする政党の積極的
貢献が期待されるが、それは政治への直接的参加を禁じたガンディの教えとは矛盾する。
年 月の非暴力的労働者に対するガンディの最後の忠告は政治への不関与であり、
その理由は政治の腐敗は不可避的だからというものだった &ROOHFWHG:RUNV±。
替わりに、非暴力的社会をめざす労働者は市民社会でニーズが最大である人びとのために
活動すべきであり、政治家と政策に外部から影響を与えるというものだった。
これは、論理的には、他の人びとを腐敗させることであり、巨額の税金徴収、無数の人びと、
あらゆる社会の局面―戦争、安全保障、衣食住、健康、教育、経済、文化、環境を含む―
98 殺さないグローバル政治学
に影響を与えることを意味するが、他方では非暴力的活動家とその支持者たちが腐敗した
人びととその仲間たちが善をなすよう彼らに影響することを求めることになる。
だが、ガンディはその政治的不関与の助言と共に政治への参加に期待を寄せている。「し
かし、人民自身が私たちを必要とすると言い出し、他には誰も力になれない時が必ずやっ
てくる。政治参加の問題はそのときに再検討されたらいい」、と。
非殺人を特徴とする諸政党は非殺人の社会変革の実現を助けるための論理的帰結として
の組織である。もちろん、それらの諸政党が生まれるのに好都合な状況は大きく異なる。
どこでも、たとえ政党、選挙、代表組織が社会的に承認されているところにおいてさえ、
容易ではないだろう。非殺人を特徴とする諸政党はすべての人のニーズを満たすプロセス
と政策に貢献しようと遅まきながら犠牲的闘争に参加することができる。問題になってい
るいくつかの今日的課題に言及することは、効果的な問題解決行動における新しい知識、
新しい技能、新しい組織形態、新しい政策を結合するという挑戦的な課題を例示すること
になる。その中には堕胎、死刑、徴兵、戦争、武力革命、テロ、ジェノサイド、犯罪、社
会的暴力、文化的暴力、軍縮、経済的非軍事化がある。それにもかかわらず、創造性、勇気、
グローバルな連帯、社会的学習のプロセスを媒介にして進歩は可能なのである。
非暴力の公共サ―ビス部門
統治機構のあらゆるレベルで必要なのは内閣の権限下に置かれた非暴力の公共サービス
部門である。その仕事は非殺人の政治的分析の論理に関連した共同体の状態をモニターす
ること、予防と殺人後の変化に応じたリハビリのための専門的訓練、非殺人の共同体の安
定を容易にする公共政策に助言することである。暴力状態は共同体の生命の質にくまなく
影響するから、それにたいして公共サービス部門が注目することはゴミ処理や清潔な給水
設備への注目と同じように重要なのである。
ある非暴力部門は暴力撲滅のためにすべての公共的および私的な供給源からの暴力統計
と提言を収集することになる。それは行政の意思決定機関と市民社会の成員にたいして独
立の審査機関の役割をもって非殺人の勧告を付した定期的統計報告を提出することになる。
総括的な監視が必要な分野としては殺人、自殺、家庭内暴力(子ども、女性、配偶者、老
人への暴力)、校内暴力、職場内暴力、犯罪的暴力、暴力団の暴力、警察暴力、刑務所での
暴力、マスコミの暴力、スポ―ツ関連の暴力、経済的暴力、軍事的暴力、準軍事的暴力、
ゲリラ暴力、殺人犯、その親族、被害者の親族、および一般的な社会意識にたいする殺人
後トラウマのストレスなどを挙げることができる。報告は非暴力への変化能力の長所と短
所を強調し、さらに効果的な問題解決への行動の提言をするべきである。進捗状況の報告
第五章 制度的意味合い は株式市場の取引、スポーツ情報、天気予報と同等に重要である。
非殺人の共通安全保障組織
非殺人社会への移行は非殺人の共通安全保障部隊を必要とするが、これは軍隊や警察に
匹敵するものであり、陸海空での予防的かつ人道的な奉仕活動のためである。このような
部隊は予防行動、危機管理行動、原状回復的行動―および行動後の効果評価のために訓練
されなければならない。その指導は現在の軍幹部・警察幹部の教育機関の改変あるいは統
合トレーニングが誰にでも開かれ、特定の任務のための特訓のある新たな非暴力教育機関
から得られるであろう。諸大学における「シャンティ・セーナ」(平和隊 ( ピースコーア ))
もそうした指導の供給源となり得るだろう。
非暴力の共通安全保障部隊を育成する展望は、暴力予防、軽装備の 3.2 や人道支援活動、
非殺人兵器の有効性の研究、紛争解決の非暴力的方法における訓練への関心などを考慮す
るならば、軽々しく却下されるべきではない。
非暴力の共通安全保障はローカル、ナショナル、インターナショナルのレベルにおける
あらゆる人びとの関与を意味する。これは住居、学校、礼拝の場所、職場、非殺人のイン
ターネットで結合された共通安全共同体に集結した非暴力研究サ―クルや市民による「シャ
ンティ・セーナ」(平和隊 ピースコーア )等々の組織によって促進され得るだろう。ロー
カルな市民組織のための利用可能なモデルは多くの分野ですでに存在する。
非暴力の安全保障はまたナショナルなレベルとトランス・ナショナルなレベルでの非暴
力共通安全保障会議と非暴力諜報活動ならびに外交レベルでの非暴力的文化アタッシェの
設置を意味する。非暴力共通安全保障会議は暴力使用に傾く国民国家とその同盟国のため
に政策上の代案を提供する必要がある。例えば、国連レベルでのグローバルな共通安全保
障理事会は、核兵器も軍隊も持たず、死刑もなく、殺人率が低く、武器貿易をせず、など
殺人指標が最も低い国々を理事国とするのである。非暴力の諜報活動は、調査報道機関お
よび監視の目を見張る市民組織と共に必要であり、どんな形のものであれ、あらゆる殺人
の脅威に反撃する公共および私的変革行動のための能力が必要である。外交の専門職では
専門の非暴力要員を必要とするが、これは従来からある外交を特技とする武官や経済関係
のための専門家が必要だったのと同じである。非暴力的文化アタッシェは国の内外におけ
るあらゆる非暴力的勢力の間の橋を発見し、相互学習の機会を設け、協力体制を作る必要
がある。グローバルなインターネット利用は政府や大企業の通常活動に依存することなく
必要な非暴力行動を生み出す共通安全保障の情報と潜在的可能性を地球市民の共有財とし
て提供することを約束することができる。政府機関および私的な機関における非殺人の公
共サービスのための技能の向上は非暴力トレーニングのために適した教育機関を必要とす
100 殺さないグローバル政治学
る。おそらく手始めに補助的制度として、そして後には正規の制度として、非暴力トレー
ニングの教育機関が必要となるだろう。これは陸軍大学、海軍大学など戦争のための大学、
防衛大学、警察学校、行政のための専門学校など、暴力を容認する市民社会の教育機関に取っ
て代わるものとなるだろう。
非殺人の市民社会組織
非殺人社会の誕生、維持、利用への貢献における市民社会の機会は潜在的に無限である。
多くの非殺人指向の諸機関はすでに誕生しており、特別な意味を持った他の諸機関も構想
することができる。
非殺人の宗教的・精神的な審議会
社会関係の個々のレベルと結びつきにおいて人生の誕生から墓場までのあらゆる事柄へ
の単純明快な肯定を確認する非殺人の宗教的・精神的な審議会(VSLULWXDOFRXQFLO)が必要
である。それはあらゆる種類の信仰に共通的な審議会として各宗教団体の歴史における非
殺人という真理の伝統を統合し、宗教性とヒューマニズムを併せ持つものとして構想され
るだろう。このような審議会は、暴力を容認してきた従来の宗教組織や非宗教組織に対す
る代案として世界から殺人を撲滅する公私のあらゆる努力を、ローカル、ナショナル、グロー
バルなレベルにおいて、援助するべきである。あらゆるインスピレーションの源泉を総動
員して非殺人の宗教的・精神的な審議会はすべての個人と社会組織に内在する可能性を喚
起することによって人類の非殺人的な良心を強化することに重要な貢献をすることができ
るのである。
非殺人の助言者グループ
グローバルな人的知的資源を動員することによって、非殺人の助言者グループは社会の
問題解決的選択肢を特定することを援助する必要がある。特化した宗教的精神性、科学、
技能、組織、その他の人的知的資源を結合することによって、そのようなグループは、直
接的・間接的に流血と大量殺人を阻止し、安定的な和解と再建を創造することを求めてい
るすべての人びとを援助する用意があることを示す。このような非殺人の助言者チームの
活動は殺人力や経済制裁をちらつかせる従来の「交渉」 ―または道義的な勧告― とは違
第五章 制度的意味合い う。単純明快な非殺人方針、能力の多様性、暴力的な国家による制約から独立した施策の
結合によって責任を遂行する。このような助言サ―ビス、経験の統合、その効力の改善を
提供することのできる民間資金による組織が必要である。良心的兵役拒否で有名なクウェー
カー奉仕団の紛争解決や人道支援および類似の宗教的・人道的救援組織の活動はここで必
要とされていることを部分的に提供している原型となっている。
トランスナショナルな問題解決連合体
「トップダウン」の非殺人政治組織(例えば政党、公共政策部門、共通安全保障組織など)
を補完するものとして、強力な非殺人変革パワ―の「ボトムアップ」連合体が必要である。
一つの例は「代表なき国家民族機構」8132 で、非暴力に徹した明確なアイデンティティ
をもつ人びとの連合であり、国連、各国政府、その他の機構に働きかけて彼らの集団的人
権を認めさせる運動をしている。アムネスティ・インターナショナル、グリーンピース、
国際友和会(,)25)なども類似の運動を展開している。非殺人連合体への参加団体は世界
から殺人を撲滅するという一致点以外には他の団体との合意を必要としない。このような
連合体は殺人の通風筒の中とゾーンにまたがって、また暴力、経済、人権、環境、協力な
どの主な問題解決的分野において展開される必要がある。最終的には、非殺人世界のため
の男女が共同で参加した強力なグローバル市民連合体が普遍的な人類の福祉推進のパワー
として生まれるべきである。
非殺人トレーニングの施設
暴力の脅威が浸透することへの知覚と建設的な非暴力の選択肢の必要が強まるに連れて、
紛争解決と非暴力的社会変革のための非暴力指導の技能を磨くことへの需要がますます高
まっている。そのような技能を体得したトレーナーは引っ張りだこで、キング、ガンディ、
仏教、キリスト教などに関係した非暴力組織、また世俗の非暴力組織が彼らを求めている。
彼らへの要請はさまざまな社会正義問題に取り組む市民運動から学校、職場、警察、刑務
所などから来ている。非暴力的な市民の訓練は他の技能と同様に求められており、専門的
なトレーナーを要請することが市民社会組織に求められている。
非殺人指導教育と再教育センター
非暴力組織・運動の指導者たちが一定期間やってきて再教育、反省、執筆、経験の共有
のために過ごすことのできる施設が必要である。皮肉なことに、非暴力の社会変革を実現
するために生命を賭け、ストレスの多い仕事に没頭している指導者たちに与えられている
102 殺さないグローバル政治学
のは投獄や入院の期間だけである。指導者が拷問されてきたところでは拷問の犠牲者のリ
ハビリ施設は不可欠である。世界中のここかしこにある非暴力的指導のための施設は精神
的・肉体的リハビリ、自伝執筆の準備、同じように非殺人の原則を堅持する世界各国から
来ている経験豊な同志との交流、次のステップへの確実な見通しに基づいた思索の機会を
提供する。このような施設は民間の拠金による独立の施設でも、非殺人の社会変革を推進
する大きな機関の一部としても存在する。
芸術における非殺人的創造性のための施設
芸術における非殺人的創造性の奨励をする施設が必要である。スイスの作家ロマン・ロー
ランがトルストイを引用して言っているように、「芸術は暴力を抑えなければならないし、
それができるのは芸術だけなのである」5ROODQG。シェリーの詩の中の非暴力
の研究で、アート・ヤングは「非暴力は政治思想のシステム以上のものである。非暴力は
詩と人間性の真髄である」 と言っている。軍のモラルのための軍歌の重要性を
指摘しつつ、キング牧師の格言として伝えられるのは、「音楽がなければ運動もない」であ
る <RXQJ±。
組織モデルの一つは一画家、詩人、作家の間の創造的共同体を支援する民間の施設に倣っ
て―創造性の豊かな芸術家に機会を提供し、殺人への反応としての変革を促進する非殺人
的創造性を祝うために集まってもらうことである。非殺人的創造性への挑戦が向けられる
芸術の中には文学、詩、絵画、彫刻、音楽、舞踊、演劇、映画、テレビ、写真撮影、建築、
服飾デザイン、マスコミの商業広告などがある。暴力から手を引く道の発見はすべての芸
術への挑戦である。例えば、よくある殺人ミステリーへの代案は非暴力的探偵の物語とし、
彼は殺人や自殺が発生する以前に巧みにその発生を食い止めるというものである。芸術相
互間の非殺人的想像性の相乗効果は前方にある決定的に変革的な仕事のための決意と想像
力を高揚することができる。彼らのグローバルな顕彰のために、後援者たちはノーベル賞
の顕彰による奨励に匹敵するような非殺人の思想を推進する芸術にたいする賞金の授与を
制度化すべきである。
非殺人の研究機関と政策分析研究機関
民間の研究機関が政府と一般社会のために設立され、国際的な安全保障政策から政治、
経済、社会問題、文化などについての諸問題に助言を提供しているように、非殺人の政策
研究機関は社会的な意思決定を助ける情報と分析を提供する必要がある。そうした研究機
関は非殺人の政治学の問題解決的関与を暴力、経済、人権、環境、協力などの領域へと拡
大することができる。それらの研究機関は非殺人の精神的・宗教的な審議会、政党、共通
安全保障施設、非殺人の助言者グループ、その他の市民社会組織を援助し、また市民が必
要とする情報を提供することができる。
非殺人のマスコミ情報
非殺人のマスコミ情報は市民個人および公共の意思決定を助ける情報、ニュース、解説
を提供する必要がある。これはマスコミが殺人を軽視しているという意味ではなく、殺人
が不可避的であり、しばしば賞賛されるものであり、痛快であるという通例の見方を超越
することを意味する。移行期における非殺人のメディアの編集部は非殺人の政治的分析の
論理を反映することができる。すなわち、メッセージは暴力の現実の深部を徹底的に探り、
それに反撃する非暴力の現実を対置し、変革的プロセス、成功と失敗について報告し、す
べての芸術、自然科学、人文科学、すべての職種・職業についての意識を高めるのである。
このアプローチは永続的殺人の前提に挑戦することができず、暴力的な悲観主義に人びと
を留まらせておくことに公然あるいは隠然に貢献しているメディア以上に価値付与的では
ない。新聞、雑誌、ラジオ、テレビ、映画、インターネットにおいて、従来のメディアに替
わる代案が必要である。非殺人の政治学者は開設と分析の一翼を担うことができるだろう。
非殺人の記念碑
文明の非殺人的遺産、個人、グループ、組織、無名のヒーローやヒロインたちのための
記念碑、出来事を復元し、敬意をもって祝うことはどのような社会にあっても重要である。
奉祝されるべきは殺人を拒否し、非殺人の地球的文明への長い道程に貢献したすべての人
びとである。これは世界中にある勝者の肖像や記念碑は、歴史上の殺人を想起させるから、
撤去すべきだということを意味するものではない。しかし、非殺人の記念碑は必要なので
ある。それは常に非暴力的選択肢の主唱者がいたことと非暴力が人類の存続にとって益々
重要になってきたことを想起するために必要なのである。懸賞の対象者には宗教者、暴力
的な権力に抵抗して真理を語った殉教者、戦争に反対した人びと、良心的兵役拒否者、死
刑反対論者、平和の詩人、投獄と拷問と死を覚悟して非暴力で不義不正に抵抗した人びと
が含まれなければならない。
非殺人の平和地帯
次に、考えられるのは非殺人の平和地帯だが、これは農村の組織・都会の組織からナショ
ナルな組織、インターナショナルな組織を含む。先駆けとしては宗教的修養所、革命時に敵・
104 殺さないグローバル政治学
味方の狭間で犠牲になった村人たちが宣言した平和地帯、軍が放棄した地域、非武装の社
会運動地域、犯罪・暴力団追放地域、非核兵器地帯などがある。このような相互の支援と
拡散を意図した多様な平和地帯の特定とネットワーキングおよびそれに協力する非殺人組
織の導入は非殺人の制度的展開にとっては主要な挑戦となる。
非殺人の商業活動
もし、暴力文化と戦争に手を貸す企業が、大多数の人にとっては耐え難いほど高くつく
ものではあっても、一部の人には利益となるのであれば、非殺人の社会のための企業はす
べての人にとってさらなる利益となるはずである。非殺人の展望と非暴力のグッズ、非暴
力文化のグッズ、非暴力のサービス、非暴力の娯楽、非暴力のレクリエーションなどから
見るならば、非殺人専門起業の潜在的可能性は無限である。選択肢を特定する一つの方法
は暴力促進的事業の内容を腑分けして精査し、それと対立する非殺人事業と比較検討して
みることである。戦争玩具に対しては平和玩具、殺人するビデオゲームに対しては非暴力
の奇抜なビデオゲーム、軍拡産業に対しては軍縮産業、暴力的なテレビ娯楽に対しては非
殺人のドラマチックな芸能、代替業務を破壊する労働に対しては生活の質を改善する労働、
といった具合である。非軍事化の期間に伴う非暴力的経済への転換の例による経験はいろ
いろある。しかし、単純な経済的逆転を超えると、グローバルな脈絡で非殺人社会への転
換における人びとの純粋なニーズの特定を求めることになり、それらに対応することので
きるサ―ビスを創造することになる。 グロ―バルな非暴力のための施設
非殺人世界のビジョンには完全に全体論的 ホリスティック な視点から転換を容易にす
ることのできる施設・制度が含まれる。そのような施設・制度は世界の精神的・文化的伝
統の非殺人の共通性にしっかりと根を下ろしていなければならず、人類が殺人とその結末
からの非暴力的解放の道程を知覚することを助け、グローバルな科学、技能、芸術、組織的・
制度的資源の創造的誘引になることができるのでなければならない。そのような施設・制
度は政府や市民社会の諸制度というコンピュータ用語でいう「ハードウェア」サービスに
よって人類のニーズを満たすことのできる非暴力的な「ソフトウェア」の創造的誘引でな
ければならない。効果的であるためにこれらの施設は暴力を要求する政府および排他的に
私的利害関心のコントロールからは最大限に独立していなければならない。それらの施設・
制度はビジョンをもった後援者たちの多額の出資金、潤沢な不動産寄付を受けとっている
必要がある。
第五章 制度的意味合い グローバルな非暴力センターは目標として以下のような分野における人間の究極的創造
性の発見と誘導をめざす。非暴力の宗教的哲学的伝統、非暴力の神経生理学、非暴力の男
女関係、非暴力的経済、非暴力的コミュニケーション、非暴力的な科学および科学技術、
環境における非暴力、職業における非暴力、教育における非暴力、芸術における非暴力、
スポーツにおける非暴力、軍隊と警察の役割における非暴力的変化、非暴力的指導、非暴
力的人間の将来、などである。
主な脈絡上のかつ歴史的な課題はあらゆる国と地域における地方中心の調査に基づく非
暴力のグローバルな文化的資源の目録作成である。この作業は非殺人の歴史的伝統、その
今日的現象、および将来の展望の調査を要請する。グローバルな規模で集積されるため、
このような発見の数々は人類にそこから将来の進歩が計測できる非殺人を核とする人間の
能力に関して最初の包括的理解を提供することになるだろう。
グローバルな規模の非暴力研究センターには、殺人の現状、殺人の脅迫、および殺人に
関連した現実が生々しく、それに対抗する非殺人の変革的資源と並列的に描写され、視覚
的な理解を前提にしたグローバルな状況室が準備される。これらのセンターは、殺人の脅
威に持続的に直面するなかで、上述したような知識の創造的展開を引き寄せ、人類の存続
と福利厚生を追求するすべての人びとによる変革的な公共政策、研究、教育、訓練を助け
る精神的、科学的、技能的、芸術的、制度的資源の結合を示唆することができるのである。
必要とされる非殺人の研究教育施設
非殺人社会の実現の課題に真剣に向き合う政治学は適切な研究教育施設を使って、その
実現のために教育し、状況を刷新することになる。これらの研究教育施設を支えるのは生
命を尊重する宗教的精神的肯定である。発見と統合と知識の共有のため、公共政策の意思
決定のため、非暴力的共通安全保障のため、経済的な福利厚生のため、そして、あらゆる
芸術と転職において生を謳歌するために。転換の課題はグローバルな非暴力のための ―
すべての人の非殺人というニーズにたいする理解とそれを容易にする応答の順応性に向き
合った― 創造的・統合的なセンターである。非殺人の研究教育施設のパワーは相互補完
的な諸個人から生まれてくる。政治学者とすべての人は、その一人ひとりが、非殺人世界
への転換を容易にするグローバルな非暴力の「センター」になることができるのである。
第六章
非殺人のグローバル政治学
間違いなくすべての歴史的経験は確認している―不可能に向かって繰り返し繰り返し背筋
を伸ばし切らない限り、人類は可能なことにさえ到達しなかったということを。
マックス・ヴェバー
日々われわれが経験しているのは、昨日まで不可能だった現象が
今日は可能になったということである。
モハンダス・ガンディ
殺人からの解放に向けて
(国際紛争解決のための戦争、独立戦争、対テロ戦争、死刑制度など、社会には殺人が前
提されている事柄が少なくないのだが、殺人の前提は絶対的なものなのだろうか。むしろ、
このような)殺人への隷属は人間の運命であるから未来永劫にわたって忍従すべきだとい
う考えを拒否し、殺人の問題からきっぱりと解放されるべき時がきた。一対一の殺人、大
衆対大衆の殺人、兵器による多数の殺人など、故意の殺人は病理学的自己破滅の段階に達
した。解放・防御・蓄財のための殺人は、今や、不安定・窮貧化・人類と地球存続への脅
威の源泉となった。「護ろうと意図したこと自体が自己破滅の原因になる」としてクレイグ・
カムストックが「防衛の病理学」と名づけた現象によって人類は苦悩している &RPVWRFN
。
家庭内に備えた防御用の銃で家族を殺し、要人警護官が国家元首を殺し、軍隊が自国民
を侵害・窮貧化し、核兵器が拡散してその発明国とその他の核兵器保有国を脅かしている。
われわれ自身と社会からの「非殺人への独立解放宣言」が今ほど必要なときはない。
近代における人間の野心の追求は暴力によるものだったが、それは膨大な流血、物量の
損失、幾世代にもわたる心理的トラウマの反響に結果した。過去二世紀の人類の希望はフ
ランス革命の遺産である三色旗に「自由」「平等」「博愛」として刻印された。自由のため
の殺人は米国革命の遺産であり、平等のための殺人はロシア革命と中国革命の遺産であり、
平和のための殺人は二世紀にわたる戦争と革命と反革命の遺産である。学ぶべき教訓は真
の自由、平等、平和は殺人の遺産の根絶なしには実現できないのだろうかということであ
る。善と悪のために虐殺された死者たちの山は、われわれがこの教訓を学ぶよう張り叫んで
いる。
これは殺人は不可避であり、人類の福利厚生に役立つという世界の純理論的な専門的政
107
108 殺さないグローバル政治学
治学の前提に挑戦し、それを変えることを意味する。それは、殺人に関する古代の知恵で
あり、現代の政治的信念の最強の教義の一つを疑問視し、転覆することを意味する。これ
に相当する先例は医学の歴史における「有益な膿 うみ 」だろう。およそ 年の間、
強大な権威のあったギリシャ医学の医師ガレノス( ∼ )の「傷の周辺のウミは
健康回復のための一種の自然療法である」という教えが罷り通っていた。-リスター ∼ は、 年、不朽のランセット論文「手術における感染防止の原理について」で
この教説に挑戦し、論争なしにというわけにはいかなかったが、感染防止法の発明と採用
への道を開いたのだった $FNHUNQHFKW*DUULVRQ±。殺人は自然
なことであり、政治にとっては機能的に有益であるという信念は政治学における「〈有益な
膿〉理論」だと言っていい。
もし政治権力の研究に一生を捧げる政治学者・研究者たちが、家庭生活から世界戦争に
まで拡がる権力の多元的現象の研究において殺人という前提に真剣に挑戦しないならば、
世界の政治家や市民にどうして同じことが期待できるだろうか。しかし、歴史上も今日で
も、指導者や市民たちは政治学の助けも借りずに、規律ある非殺人手段による自由・平等・
平和の状態を実現することを追求している。一例は平和主義のドゥホボル派農民 人
による「銃の焼却」で、彼らは 年、ロシアでの兵役拒否を実践した 7DUDVRII
±。殺人を容認する政治学と殺人を拒否する政治の先駆的開拓者の間には明白なギャッ
プがある。 世紀にはトルストイ、ガンディ、アブドゥル・ガファール・カーン、マーティ
ン・ルーサー・キング、ペトラ・ケリーらの遺業はダライ・ラマ、アウンサン・スーチー、
デズモンド・ツツといった指導者たちによって継承されている。彼ら・彼女らは非暴力的
指導を可能にした無名のヒーローやヒロインによって勇気を吹き込まれ、支持されて、未
来の強力な非殺人政治の先駆けとなったのである。
政治学者たちは暴力を容認する現状維持に共鳴した後に、遅まきながら個人や集団によ
る非殺人の犠牲的成功に従うのだろうか ―全体主義政権の慎重な受益者たちが激しいデモ
が彼らを押し退けてしまうまで政権にしがみつくのと同じように。一体、政治学者は非殺
人の民主主義的祝賀に参加するのだろうか。あるいは、医学の手法と同じように、世界か
ら殺人を撲滅することを追求するすべての人たちと共有し得る、殺人の病理学の診断と治
療の発見のために全力を尽くすのだろうか。
非殺人能力の目録
ここに提示する目録は非殺人の地球社会は可能であり、純理論的な政治学とその社会的
役割が非殺人を実現することに役立つというものである。非殺人社会の実現可能性のケー
第六章 非殺人のグローバル政治学 スは少なくとも八つの根拠に基づく。
①
大抵の人間は人を殺さないという事実。
②
人間の強力な非殺人の潜在的能力は人類の精神的な遺産にある。
③
人間の非殺人能力は科学がそれを証明している。
④
死刑廃止や良心的兵役拒否の制度化など過渡期の公共政策は暴力を推進してきた
国民国家によって採用されている。
⑤
以上の要素を組み合わせるならば非殺人社会の機能的な同等社会を構成する非殺
人原理に基づくさまざまな社会的制度がすでに存在する。
⑥
政治的、社会経済的変革のための非暴力的な国民的闘争が革命における殺人に
とって替わる強力な代案としてますます力を増している。
⑦
非殺人の着想と経験のル―ツが世界中の歴史的伝統の中で発見されている。
⑧
最終的には、非殺人的変革の約束は、男であれ女であれ、非殺人の個人にその根
拠をもつ。有名無名の彼ら・彼女らの勇気ある人生はその達成可能性を証明して
いる。
政治学への影響
生物学的に、また、条件づけによって、人間には殺人能力も非殺人能力もあるという主
張は受け入れることができる。しかし、大部分の人間は殺人の経験を持たず、非殺人原理
に基づく広範な社会組織・制度がすでに創られており、それらが非殺人社会の原型の構成
要素として役立つということが観察されている。さらに、現時点および将来における科学
的進歩は殺人の原因を除去し、非殺人の原因を強化し、非殺人社会の条件を生み出す知識
を約束している。これらの観察の結果言えることは、純理論的な政治学とその社会的役割
を不可避的殺人の容認という前提に基づかせることは、極めて控えめに言っても、「問題が
ある」ということである。それゆえ、政治学に関して、さまざまな特徴づけの一つとして
政治学を「死の専門学」と呼ぶような慣行を疑問視することは妥当だと思われる。政治学
は、他の専門や職業と並んで、過去の非暴力的経験を回復し、現在の非暴力的能力を承認し、
将来に向けての非暴力的潜在能力を開発しなければならず、この知識を非殺人の社会変革
のための研究、教育、公共サービスを進展させることにおいて協力しなければならない。
非殺人への変革のために結合されなければならない主要要素は明白である。
第一は「スピリット」6 である。すべての信仰(宗教)と哲学から導来される「殺さない」
ことへの深遠な態度表明である。
110 殺さないグローバル政治学
第二は「科学」6 で、殺人と非殺人への変革の諸原因と関係するすべての芸術、科学、
専門の知識である。
第三は「技能」6 で、変革行動において「スピリット」と「科学」を表現するための個人的・
集団的方法である。
第四は歌唱 6 で、音楽や他の芸術のインスピレーションによって非殺人の政治学と実
践が陰鬱でも死に関するものでもなく生の強力な祝賀・賞賛である。
これらの四要素を効果的に展開し、拡大するためには民主的な指導(/) 市民の実力(&)
実行する機関(,) 支持する資源(5)が必要である。これらの要素の結合は以下のように
要約される。
6[/&,5 非殺人のグローバルな変革
スピリット、科学、技能、歌唱は、民主的指導の必要に敏感なプロセスによって創造的
に結合され、組織・制度的表現と資源供給によって拡大されるならば、それは非殺人世界
の実現に貢献することができる。
理論と研究
殺人への恐怖は政治学的問いとなって、政治的分析の四部のロジックに表わされ、殺人、
ジェノサイド、核兵器による都市の抹殺、地上の生命の絶滅にいたる暴力の集中を阻止す
るのに必要な知識を提供する。政治学的意識において、殺人は暴力容認的かつ周辺的な問
題という位置づけから分析的・問題解決的関心の中心的な問題として位置づけられなけれ
ばならない。これは殺人の諸原因、非殺人の諸原因、殺人から非殺人への移行の諸原因と
その逆方向の諸原因、ならびに完全に殺人のない社会の特徴を理解する集中的努力を意味
する。このような知識は非殺人の代案と殺人の送風筒の内側と集中するゾーン ―神経生
物学的、構造的、文化的、社会化、殺人のゾーン ―を横断する変革への行動の特定を助
けるために必要である
教育とトレーニング 以上のような知識の探求と変革の課題をこなすことは、政治学者の教育とトレーニング、
カリキュラムの構造、大学の政治学部の組織、他の専門学科との関係、社会における政治
学の研究・教育・行動の役割における前提条件となる。政治学の教育とトレーニングの総
合的目標は非殺人の問題解決のための創造性を育成し、問題解決における技能を磨き上げ
ることとなる。ガイドとなる原則の中には、創造的な人物や組織・制度の遺産を再検討し、
第六章 非殺人のグローバル政治学 個人的な関心と技能の追求を助け、累積的な知識と技能開発を求め、恣意的に選択した問
題解決のためのプロジェクトに関与し、パラレルな建設的地域サービスを提供し、非殺人
の政治学の職業に向け、これを支援することなどがある。
恐ろしい殺人の歴史と非殺人の創造性に関する感動的な遺産への生き生きとした導入の
後にカリキュラムでは非殺人の政治的分析の論理が提示され、効果的な問題解決行動のた
めの原則とプロセスの発見への関与が喚起される。
参加者は殺人、非殺人、移行、非殺人社会の特徴についての前提の諸原因を再検討する。
この視点からローカルとグローバルな政治的組織・制度とプロセスの歴史的展開が調査さ
れる。問題解決への挑戦がなされる― 例えば、殺人、虐殺、ジェノサイド、軍縮、経済
的殺人、人権侵害、環境破壊、破壊的差異性 YV 差異を超えた協力などである。問題解決へ
の関与のモードにおける技巧を磨く機会が提供される。研究、講義、下からの指導、批判
的コミュニケーションなどがそれである。これらの土台の上に問題を解決し、技能を磨く
個人的・集団的プロジェクトが追求され、提示される。これと平行して、大学間に広がる「シャ
ンティ・セーナ」(平和部隊)が規律ある共同体サ―ビスのための補完的指導・トレーニン
グを提供する。
卒業者は移行途上の公共および民間の組織・制度の研究者、教育者、リーダーたち、通
信員たちのニーズを満たす方向へと進む。彼ら・彼女らは創造的な問題解決サービスの社
会的ニーズに応えるのである。卒業後のトレーニングでは暴力予防と非暴力的社会変革の
技能への増大する今日的ニーズを満たす政治のサービス、政府、市民社会のための上級の
準備が提供される。問題解決への関与は学部レベルの教育における関心と平行的である。
学習班が研究、教育、アクション、暴力問題の解決への反省、経済、人権、環境、協力そ
の他の問題における技能を高めるために形成される。修士レベルと博士レベルの大学院生
は教授たちと一緒に学部レベルの学生のためのガイド、助言者、共同学習者として奉仕する。
非殺人の政治学は、自らが創造者であり、他の人の創造性発揮を助けることに習熟して
いる専門家を育成する博士課程のトレーニングにおける高度な抱負を意味する。全員が必
要な技能をすべてマスターできるとは期待されていないが、要求されている仕事を理解し、
能力の限界まで創造的な貢献を求め、大学内外の他の人たちの問題解決への貢献をサポー
トする方法を学ぶことは、全員にできることである。
博士課程レベルのトレーニングでは非殺人の政治学の基礎の徹底的な研究が要求される
だろう。ローカルとグローバルな問題解決のニーズの理解、非殺人の学問的指導の技能の
訓練、質的かつ量的な研究スタイルの理解(外国語修得を含む)、手元の課題に必要な研究
方法の習熟、レベルの高いプロジェクトへの関与などが、それである。レベルの高いプロジェ
クトには新知識の発見、教育とトレーニング、組織・制度の展開、問題解決のプロセスを
112 殺さないグローバル政治学
改善する現存する知識の適用が含まれる。
非殺人の学問的指導には、必要とされる社会的役割の多面的パフォーマンスのための準
備が要求される。根本は殺人と非殺人にたいする通念の起源と態度についての自伝的反省
である。学生の独創力を促進することを教えるための準備が必要である。学部の指導のた
めには同僚間の独創性を促進すること、学際的協力、国家と市民社会における非殺人への
変化を促進する助言、批判的に建設的なマスコミとの連絡、下からの直接的指導などが必
要である *UHHQOHDI。
非殺人教育を特色とする政治学部はその社会関係において、試行錯誤的に、非殺人社会
の望ましい特徴を示唆するよう努めなければならない。これは生命の尊厳への超党派的な、
しかし多面的宗教性とヒューマニズムを肯定することを意味する。それに、すべての人の
福利厚生のために責任を取ること。意思決定へのニーズに敏感な参加型のプロセスを改善
すること。すべての人の多様性と尊厳を言祝 ことほ ぐこと。男女共同の分散型指導機能
の実験をすること。一見、手に負えない紛争のときの非暴力的問題解決を要請することに
馴れること。他の学科や専門からの貢献にたいしてオープンであること。科学的諸問題を
解決する代案を激励すること。非殺人のグローバルな社会は個人とローカルな共同体に根
拠をもっていることを認識することなどである。
長期にわたる相互の意見交換関係は、研究、教育、指導、情報、その他の社会生活の分
野で活躍している卒業生との間で構築すべきである。彼ら・彼女らの経験は研究のニーズ
を特定し、必要な技能の準備を改善し、非殺人への変革の妨害を克服する独創力を喚起す
るために大いに役立つのである。他の点ではどれほど意見が異なろうと、非殺人政治学の
挑戦を受けとめる者はすべて持続的な相互の協力関係に参加することができるのである。
問題解決
非殺人を特色とする政治学には明白な問題解決への関与における基礎科学と応用科学の
結合が含まれる。問題は複雑な社会変化の文脈において定義されるように複雑多岐にわた
る。特に重要な地球的な問題は五つである。暴力と軍縮、経済的ホロコースト、人権侵害、
環境破壊、問題解決のための協力の挫折、この五つである。これらはすべて直接的・間接
的に殺人の準備と関係しており、そのために悪化している。最近のスローガンでは「正義
なしに平和なし」であり、それは不正な状況に抗議し、状況を変えるためには暴力と戦争
は存続するという意味である。しかし、非殺人の視点からは「非殺人なしの正義なし」で
あろう。殺人と殺人の脅迫が不正を生み出し、その持続をサポートしてきたからである。
女性蔑視の場合は、ペトラ・ケリー言っているように、「男女間にある権力、資源、責任の
第六章 非殺人のグローバル政治学 不公平な分配は古代からの伝統によって正当化され、法律によって規定され、必要な場合
には男性暴力によって強制されている」.HOO\ のである。問題解決への関与は非
殺人を特色とする政治学が万能であり、すべての解決の源であることを意味しないが、そ
れは次のことを意味する。すなわち、非殺人を特色とする政治学的分析と非暴力の原理と
実践から生まれた知識の適用はすべての人のニーズに敏感な社会的意思決定のプロセスを
改善することができるということ、である。その意味でそれは暴力に基礎を置く民主的伝
統を超えた展開への非暴力的貢献を約束する *ROGPDQ。
組織・制度
非殺人に関して、知識を追求し、教育をほどこし、問題を解決するその目標設定は実現
可能な組織・制度の必要性を意味する。これらの組織・制度は政治学部の新設ないし再編、
さらには大学自体の新設ないし再編(現にある組織・制度の中か外に吸収されている様々
なタレントを結合するグローバルな情報の対等物を含む)から非軍事的「シャンティ・セー
ナ」(平和部隊)のトレーニング・ユニット、非殺人を特色とする公共政策研究所、非殺人
を特色とする共通安全保障部隊、非殺人を特色とする政党、社会のあらゆる分野における
非殺人を特色とする組織・制度の改変におよぶ。以上のような組織・制度の創設とそこに
おけるサービスは、ローカルとグローバルな生から殺人を除去する現存の組織・制度の変
革は非殺人を特色とする政治学を研究し、実践するすべての人のために最高の創造性の職
業を提供する。
障害物とインスピレ―ション
世紀の幕開けに政治学は非殺人の地球社会実現に貢献する課題を取り上げるよう強く
要請された。非殺人を特色とする地球社会は望ましいだけでなく、絶対に必要なのである。
政治学者は価値偏向への反対を唱え、実際には殺人のたやすさに豹変する「リアリスティッ
ク」な科学的中立性へこだわることによってこの責任から逃げることはできない。そのよ
うな中立性がこれまで真実だったことはない。もし中立であるならば、政治学者は彼ら・
彼女らの住む社会なり世界なりが自由であるか不自由であるか、公平であるか不公平であ
るか、豊かであるか貧しいか、平和か戦争か、勝利か敗北かを気にすることはなかっただ
ろう。彼ら・彼女らは学生に政治学者は価値の優先順位を持たず、それゆえ彼ら・彼女ら
の研究、教育、公共サービスのプロジェクトであることを他のことに優先されることを喜
んで学生に教えたことであろう。彼ら・彼女らにとってはヒトラーのホロコーストとガン
ディの「サティアグラハ」(真理の把握)の間に選択の余地はなかったであろう。
114 殺さないグローバル政治学
また、政治学者は、自由、平等、安全保障などの他の価値が非殺人よりも単にもっと重
要であるからという理由で、非殺人を特色とする政治学の創出を避けることはできない。
非殺人は少なくとも他の諸価値と等価である。なぜなら、政治学における非殺人の倫理と
政治的生活への強力なコミットメントなしに人類はこれらの諸価値がすべて脅かされてい
る状態に到達してしまったからである。
物質主義と倫理性は同一の結論に達した。もし、伝統が、われわれは自由、平等、安全
であるためには殺人をしなければならないと教えてきたとするならば― 現在は、もし、
われわれが殺人をやめないならば自由や平等だけが危機にさらされるだけでなく、われわ
れの存在そのもの一個人的、社会的、生態学的 ―が危機にさらされるということを教え
ている。われわれは科学と政治の実践が社会と自然の生命維持システムと提携しなければ
ならない所に逢着したのである。それは良い倫理性でも良い実践性でもなく、良い政治学
のためのこの時代の至上命令なのである。
もちろん、移行期には殺人の継続にアイデンティティを感じ、利益を得ている人びとから、
このような思想と行動への反対が予想される。その中には国家の暴力装置、国家の敵対者、
殺人の文化からの政治的、経済的、心理的受益者たちなどの存在がある。また、全部では
ないにしても退役軍人、反体制派の人びと、彼らの子孫、社会的に承認された「正当な殺人」
にアイデンティティと誇りを感じることを代弁する人たちがいる。戦没兵の墓に敬意を払
うとき、われわれは敵軍の死者への同情には反対するよう条件づけられており、両者とも
政治的失敗の犠牲者だったということを忘れ、似たような殺人が決して再び起こらないよ
うにと決意するよりも、むしろ、同じような犠牲を払うだろうという健気 けなげ な覚悟
をもって墓から立ち去るのである。
しかし、非殺人を特色とする政治学への移行をサポートしてくれる感動的な事例の中に
は世界の有名な軍人の体験的訓戒もある。例えば、ダグラス・マッカーサー元帥が 年
の米国退役軍人協会総会で行った講演では戦争の廃絶は絶対に必要な「科学的リアリズム」
であるとしてアピ―ルされたのである。
皆さんは直ちに言うかも知れません、戦争の廃絶は幾世紀もの間人類の夢だったが、
そのような提案は不可能であり、空想的であるとして、ことごとく放棄されたではな
いか、と。世界中の冷笑家、悲観主義者、冒険家、法螺吹き連中はその実現可能性を
つねに疑ってきました。しかし、それは最近の科学が膨大な破壊を現実のものとした
以前のことでした。当時の議論は宗教的、道徳的なものであり、消滅してしまいまし
た・・・
しかし、現在では、核兵器その他の兵器の驚嘆すべき進歩の結果、問題は突然、宗教
的・道徳的な問題から科学的リアリズムの問題として浮上してきたのです。それはも
第六章 非殺人のグローバル政治学 はや学のある哲学者や宗教的指導者によってのみ考えられるべきことではなく、その
生存がかかっている大衆の決断が直面している大問題なのであります。
指導者たちの決断は鈍く、彼らは次の偉大な文明の進歩は戦争の廃絶なしには生まれ
ないとは決して言いません。いつになったら、時の偉大な権力者が充分な想像力をもっ
てこの普遍的な願望― それは加速的に普遍的な必然性となりつつある ―を現実に
転換するでしょうか。
私たちは新しい時代にいるのです。古い方法と解決法はもはや役立ちません。私たち
には新しい思想、新しいアイディア、新しい発想が必要です。・・・私たちは古びた
考えの囚人服を脱ぎ捨てなければならないのです。&RXVLQV―
フランス革命のスローガン「自由・平等・博愛」の非暴力的新バージョンは後に大統領
になったドワイト・'・アイゼンハワー元帥の、自由・平等・博愛への継続的軍事化の悪
影響にたいする警告において聞くことができる。「自由」については、「政府の審議会にお
いてわれわれは、意図的かどうかは別として、軍産複合体による過度の影響の獲得を警戒
せねばならぬ。われわれはこの複合体のウェイトがわれわれの自由あるいは民主的手続き
を危機に陥れるようなことを許してはならない。われわれは何事も当然のことと考えては
ならない」(大統領退任演説、 年 月 日)。「経済的平等」については、「製造され
る銃砲、進水する軍艦、発射されるロケットは、最終的な意味では、飢えているが食物の
ない人びと、寒くても衣服のない人びとからの盗みである」(米国新聞編集者協会での演説、
年 月 日)。「博愛」については、「実際、民衆は非常に平和を渇望しているのだか
ら、近い将来、政府はその座を民衆に明け渡したほうがいいのではないか」(%%& テレビ・
インタービュー、 年 月 日)。
年 月 日、ワシントン府のナショナル・プレス・クラブで行った演説で、退役
した米核戦略最高司令官ジョージ・リー・バトラー将軍は核兵器の完全な廃絶 ―単なる
削減ではなく ―について演説し、核兵器を発明し、最初に使用した国として、米国が核
兵器廃絶の先頭に立つべきことを提言した。もしそうしないならば、米国は他の国々が核
兵器を保有することを阻止する道義的説得力を持たないだろうと警告した。彼が挙げた理
由は、「核兵器は本質的に危険であり、途方もなく高価であり、軍事的に非能率的であり、
道義的に弁護不可能である」というものだった。こうして、バトラー将軍は「剣を鋤に」
運動のメンバーたちのような宗教的信念を持った米国人が長年主張してきた結論に達した
のである。ちなみに、この核兵器反対運動は連邦刑務所への収監を惹き起こす可能性を孕
んでいる。核兵器廃絶論者たちの運動の論理は他の殺人器具にも当てはまる。
もし殺人のプロであるこれらの最高司令官たちが彼らの職業の前提とその社会との関係
について以上のような重要な問いかけをしているのであれば、政治学者は彼ら自身の職業
116 殺さないグローバル政治学
の暴力容認的前提とその社会的役割に関して問いかけ、非殺人社会のグローバルな実現に
努力することができないはずはないだろう。
大抵の米国の政治学者と米国の当代の政治学の構成要素を導入している彼らの国際的な
仲間たちは米国における専門としての政治学の誕生に貢献した非殺人のモチベーションに
ついてはひょっとしたら気づいてないかも知れない。その起源の一つは若い連邦軍兵士ジョ
ン・:・バージェスが 年に戦場で誓った宣誓だった。彼は西部テネシー州での南部連
合軍との終日におよぶ終日の血まみれの戦闘の後の夜間歩哨の任務についていた。
いつまでも土砂降りだった。電光がその邪悪な舌のような光を暗黒の空高く斜めに走
らせ、天空にとどろく大砲の一斉射撃のように、雷鳴は怒号し、こだました。自然の
この轟音と雄叫びに傷を負い死んでゆく動物たちの悲鳴、負傷して死んでゆく兵士た
ちの叫びと苦悩する声が混じった。それは大ベテランの兵士にとっても恐怖の夜だっ
た。私のような若い兵士にとっては筆舌に尽くし難い恐怖であり、今でも唾棄したい
悪夢である。しかし、この恐怖の体験の最中に私のライフワークとなる最初の啓示が
訪れた。目をこすって闇の中を見つめ、耳をそばだてて接近する敵の音を聞いたとき
に、私は独りつぶやいていた。「神の似姿に創造された理性の持ち主である人間に諸
問題を理性の力によって、また物理的な暴力に訴えることなしに解決することは不可
能だろうか」
、と。そして私は次に天に向かって誓いを立てたのである。
「もし、摂理
によってこの戦争の危険から生きて解放されたならば、私は流血と破壊の代わりに理
性と妥協によって生きるために私の人生を捧げます」、と %XUJHVV。
この誓いを抱いてバージェスはドイツの大学院に進み、帰国すると、 年にニューヨー
ク市でコロンビア・カレッジ政治学部を創設したのである。バージェス教授のその後の経
験は非殺人の政治学者が遭遇するだろう妨害を浮き彫りにしている。これらの妨害は些細
なものから深刻なものまで多岐にわたり、その克服には勇気とグローバルな協力が必要だっ
た。共に生きる人類としてドイツ人を理解していたバージェスは第一次大戦に米国が参戦
することに反対した。参戦の日、 年 月 日は、彼にとっては「悲痛な一撃で私のラ
イフワークは身の回りで修復不能な廃墟となった」。愛国的な反ドイツ戦争の最中、彼は「こ
んにち、平和と理性の人であることは世界の人びとによって裏切り者であり臆病者である
とみなされている」 と言って嘆き悲しんだ。このようにバージェス教授は敵の長所と
短所を知っていたために、両方から断罪され、何世代にもわたる平和活動家たちの命に関
わる苦悩を味わったこともある。
非殺人を特色とする政治学は非殺人を特色とする政治に劣らず深い宗教的でヒューマニ
スティックな生への畏敬に感動して「真実で、柔和で、大胆である」ようにというガンディ
の招きに導かれる必要がある。それは勇気を必要とする。グローバルな流血の最中で政治
学者は 年にメキシコのチアパスで設立された小作農による「アベヤス市民社会」(蜂
の市民社会)に劣らず生の尊厳を貫く原理に忠実であることが必要なのである。「蜂たち」
は武装したサパティスタ反乱軍と抑圧的な支配者の残虐行為の中にあって非暴力的に正義
第六章 非殺人のグローバル政治学 を希求している。彼らはサパティスタの抗議行動に同調するが、しかし宣誓する。「私たち
の方法は異なる。私たちは神の言葉を信じている。私たちはどのように聖書を読むべきか
をわきまえている。私たちは敵を愛さなければならない。私たちに殺人はできない。何よ
りも私たちは貧しい小作農、兄弟姉妹である・・・・私たちは死を恐れない。私たちはい
つでも死ねるが、殺しはしない」3HDFH1HZV-XO\。 なぜわれわれは非殺人への原理的コミットメントがいつも「ボトムアップ」に― つまり、
英国の帝国主義的支配下の植民地化されたインディアンから、白人の人種主義者による抑
圧下のアフリカ系米国人から、貧しいメキシコの小作農からのように ―やってくること
を期待するべきなのだろうか。なぜ、同じように、ローカルでナショナルでインターナショ
ナルでグローバルなエリート層― 純理論的な政治学者も含めて ―から「トップダウン」
にはやってこないのだろうか。非殺人の潜在的能力の探究が明らかにしているように、人
類が非殺人の地球的変革を実現するという信念には根拠がある。事実、非殺人社会に必要
なすべての構成要素は人類の経験の中ですでにどこかで提示されているのである。それら
の構成要素をローカルとグローバルな状況に合わせて特定し、補強し、独創的に取り入れ
ることが残されているだけである。過去と現在の恐怖に満ちた流血の意識は強力な非殺人
へのモティベーションと社会化の源泉として役立てることができる。われわれは人類の残
忍な過ちを繰り返してはならない。それゆえ、われわれは殺人の継続ないし殺人への留保
を不可能にするよう行動しなければならない。
人類学者のクレイトンとキャロル・ロバーチェック によって報告されているよう
に、エクアドルのワオラニ人による殺人は 年以来の 年間という短期間に パー
セントも激減したということは人間が非殺人へと急速に変化できることを証明する。前世
紀には争いで パーセントが死んだという記録はワオラニ人が「人類学に知られる最も暴
力的な社会」だったことを示している。殺人率は十万人にたいして千人だが、米国では 万人にたいして 人かそれ以下である。
変化への主な貢献者は二人の勇気ある女性のキリスト教宣教師― 年にワオラニ人と
の接触に失敗して犠牲になった人の寡婦とその人の妹― のイニシャティヴ、数人のワオ
ラニ人女性の助力、オールタナティヴな非殺人の価値体系の導入、新しい認識に基づく情
報の導入、外部世界を体験したワオラニ人女性によってもたらされた外部の人たちは人食
い人種ではないという情報、家族全員が犠牲になる恐怖の復讐習慣に終止符を打とうとい
うワオラニ人自身の願望などだった。教会が集会を催し、殺人を終わらせるための祈祷会
が執り行われた。殺人率の減少は実現したが、それは警察その他の強制によるものでもそ
れに先立つ社会的・経済的な構造変化によるものでもなかった。
反対に、構造的変化は新しい宗教的信念と新情報の到来の組み合わせで始った。非キリ
118 殺さないグローバル政治学
スト教徒のワオラニ集団でさえも変化し始めた。ロバーチェック夫妻にとって、価値観と
構造におけるこの注目すべき変化は、なお不完全とはいえ、人間行動に関する重要な理論
的前提を確認するものである。
人びとは受動的な機械で、生態学的、生物学的、あるいは社会・文化的な決定因子に
よって行動へ押しやられるとは考えられず、むしろ能動的な意思決定者であって、選
択肢や抑制の場を媒介して彼らのやり方を選択している。それは彼らが継続的に形成
し、再形成する文化的に規定された現実における個人的・文化的に規定されたゴール
の追求なのである。
非殺人政治学の視点からするならば、ワオラニ人の体験は変革に向けての創造的指導に
内在する変革の潜在的可能性の証拠を提供している。ワオラニ人にできることならば、政
治学にも職業的にかつ社会へのサービスとしてできるはずである。もちろん、ワオラニ人
も世界も殺人と無縁ではないから、なすべきことは膨大である。エネルギー操作に習熟し
たアウトサイダーの流入とワオラニ人の近隣にいるまだ非殺人の精神的・認識的影響を受
けてない人たちの暴発による侵入は流血の再発を惹き起こした。非殺人の飛び地は可能で、
本質的で、グロ―バルな変化だが、非暴力の精神と実践は普遍的でなければならない。
グローバルなコミットメント
非殺人を特色とする政治学はグローバルでなければならない。グローバルでなければな
らないのは、発見、創造性、多様性、効果においてであり、精神、科学、技能、歌唱、組
織的・制度的表出、資源の約束においてであり、創造的指導の育成と生を謳歌するイニシャ
ティヴを取り、支援するすべての人びとを「エンパワー」することにおいてであり、ヒュー
マン・ニーズを満たすための諸問題を解決する思いやりのある態度表明においてであり、
あらゆるところにおける殺人を終わらせなければ、どこの誰も安全ではないという決断に
おいてであり、参加 ―専門も職業も社会も必要とされる知恵、技能、資源のすべてはもっ
ていないから― においてであり、ローカルな福利厚生一普遍的なものの解放的な種子は
特殊にあるから ―においてであり、多様性に関してと自分自身と他の人たちの社会にお
ける人びとの非殺人の福利厚生への多元的忠誠においてであり、自由・平等・繁栄・平和
の充分な実現を妨害する殺人の時代について研究し、教育し、行動し、終わらせるすべて
の人びとの間における相互扶助においてであり、われわれの惑星という故郷 ホーム を月
から眺め、自分たち一人ひとりを数十億の中の瞬間的いのちの閃光であること ―しかし
非殺人世界への潜在的貢献者としてはその一人でさえないということ ―を自覚すること
においてである。グローバルな世界における殺人を終わらせるというゴールは、暴力を容
認する政治学から、愛と幸福と創造的潜在的可能性というヒューマン・ニーズへの非殺人
第六章 非殺人のグローバル政治学 的応答性の科学への転換を意味する。非殺人社会は可能だろうか。非殺人のグローバルな
政治学を創ることはできるだろうか。
もちろん!(<HV)
である
付録 A
国際政治学
1999 年ナショナル学会
1DPH<HDU)RXQGHG0HPEHUVKLS
SUHGHFHVVRU
$IULFDQ$VVRFLDWLRQRI3ROLWLFDO6FLHQFH
$UJHQWLQH$VVRFLDWLRQRI3ROLWLFDO$QDO\VLV
$XVWUDODVLDQ3ROLWLFDO6WXGLHV$VVRFLDWLRQ
$XVWULDQ3ROLWLFDO6FLHQFH$VVRFLDWLRQ
)OHPLVK3ROLWLFDO6FLHQFH$VVRFLDWLRQ
$VVRFLDWLRQ%HOJHGH6FLHQFH3ROLWLTXH
&RPPXQDXWp)UDQoDLVHGH%HOJLTXH
%UD]LOLDQ3ROLWLFDO6FLHQFH$VVRFLDWLRQ
%XOJDULDQ3ROLWLFDO6FLHQFH$VVRFLDWLRQ
&DQDGLDQ3ROLWLFDO6FLHQFH$VVRFLDWLRQ
&KLOHDQ3ROLWLFDO6FLHQFH$VVRFLDWLRQ
&KLQHVH$VVRFLDWLRQRI3ROLWLFDO6FLHQFH
&URDWLDQ3ROLWLFDO6FLHQFH$VVRFLDWLRQ
&]HFK3ROLWLFDO6FLHQFH$VVRFLDWLRQ
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+XQJDULDQ3ROLWLFDO6FLHQFH$VVRFLDWLRQ
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1LJHULDQ3ROLWLFDO6FLHQFH$VVRFLDWLRQ
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3DNLVWDQ3ROLWLFDO6FLHQFH$VVRFLDWLRQ
3KLOLSSLQH3ROLWLFDO6FLHQFH$VVRFLDWLRQ
121
122 殺さないグローバル政治学
3ROLVK$VVRFLDWLRQRI3ROLWLFDO6FLHQFH
5RPDQLDQ$VVRFLDWLRQRI3ROLWLFDO6FLHQFH
5XVVLDQ3ROLWLFDO6FLHQFH$VVRFLDWLRQ
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6ORYHQLDQ3ROLWLFDO6FLHQFH$VVRFLDWLRQ
6RXWK$IULFDQ3ROLWLFDO6WXGLHV$VVRFLDWLRQ
6SDQLVK$VVRFLDWLRQRI3ROLWLFDO
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6ZLVV3ROLWLFDO6FLHQFH$VVRFLDWLRQ
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$PHULFDQ3ROLWLFDO6FLHQFH$VVRFLDWLRQ
$VVRFLDWLRQRI3ROLWLFDO6FLHQFHRI8]EHNLVWDQ
9HQH]XHODQ3ROLWLFDO6FLHQFH$VVRFLDWLRQ
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Total:
35,689 +
'DWDQRWSURYLGHG
6RXUFH3DUWLFLSDWLRQ±%XOOHWLQRIWKH,QWHUQDWLRQDO 3ROLWLFDO6FLHQFH$VVRFLDWLRQ
%XOOHWLQGHO¶DVVRFLDWLRQLQWHUQDWLRQDOHGHVFLHQFHSROLWLTXH
付録 B
国際政治学会組織
1997 年:分野について
主要分野
Area Studies
Central Government
Comparative Politics
Developmental Politics
Elections and Voting Behaviour
International Law
International Relations
Judicial Systems and Behaviour
Legislatures
Local and Urban Politics
Political Executives
Political Parties
Political Science Methods
Political Theory and Philosophy
Pressure Groups
Public Administration
Public Policy
Women and Politics
研究コミティー
RC01 - Concepts and Methods
RC02 - Political Elites
RC03 - European Unification
RC04 - Public Bureaucracies in Developing Societies
RC05 - Comparative Studies on Local Government and Politics
RC06 - Political Sociology
RC07 - Women, Politics and Developing Nations
RC08 - Legislative Specialists
RC09 - Comparative Judicial Systems
RC10 - Electronic Democracy
RC11 - Science and Politics
RC12 - Biology and Politics
RC13 - Democratization in Comparative Perspective
RC14 - Politics and Ethnicity
RC15 - Political and Cultural Geography
RC16 - Socio-Political Pluralism
123
124 殺さないグローバル政治学
RC17 - Globalization and Governance
RC18 - Asian and Pacific Studies
RC19 - Gender Politics and Policy
RC20 - Political Finance and Political Corruption
RC21 - Political Socialization and Education
RC22 - Political Communication
RC24 - Armed Forces and Society
RC25 - Comparative Health Policy
RC26 - Human Rights
RC27 - Structure and Organization of Government
RC28 - Comparative Federalism and Federation
RC29 - Psycho-Politics
RC31 - Political Philosophy
RC32 - Public Policy and Administration
RC33 - The Study of Political Science as a Discipline
RC34 - Comparative Representation and Electoral Systems
RC35 - Technology and Development
RC36 - Political Power
RC37 - Rethinking Political Development
RC38 - Politics and Business
RC39 - Welfare States and Developing Societies
RC40 - New World Orders?
RC41 - Geopolitics
RC42 - System Integration of Divided Nations
RC43 - Religion and Politics
RC44 - Military s Role in Democratization
RC45 - Quantitative International Politics
RC46 - Global Environmental Change
RC47 - Local-Global Relations
RC48 - Administrative Culture
RC49 - Socialism, Capitalism and Democracy
RC50 - Language and Politics
RC51 - Political Studies on Contemporary North Africa
RC52 - Gender, Globalization and Democracy
Source: International Political Science Association, http://www.ipsa.org (2009).
付録 C
アメリカ政治学会
1998 年:分野について
*HQHUDOILHOGV0HPEHUVRQ $36$PDLOLQJOLVW
$PHULFDQ*RYHUQPHQW
&RPSDUDWLYH3ROLWLFV
,QWHUQDWLRQDO5HODWLRQV
0HWKRGRORJ\
3ROLWLFDO3KLORVSK\DQG7KHRU\
3XEOLF$GPLQLVWUDWLRQ
3XEOLF/DZDQG&RXUWV
3XEOLF3ROLF\
6XEILHOGV0HPEHUVRQPDLOLQJOLVW
$GYDQFHG,QGXVWULDO6RFLHWLHV
$IULFD
$IULFDQ$PHULFDQ3ROLWLFV
$VLDQ$PHULFDQ3ROLWLFV
$XVWUDOLD
%XUHDXFUDF\DQG2UJDQ]DWLRQDO%HKDYLRU
&DULEEHDQ
&HQWUDO$PHULFD
&HQWUDO$VLD
&LYLO5LJKWVDQG/LEHUWLHV
&RQÀLFW3URFHVVHV
&RQJUHVV
&RQVWLWXWLRQDO/DZDQG7KHRU\
&ULPLQDO-XVWLFH
'HFOLQHVWR6WDWH
'HIHQVH
'HYHORSLQJ1DWLRQV
(DVWDQG&HQWUDO(XURSH
(FRQRPLF3ROLF\
1RQNLOOLQJ*OREDO3ROLWLFDO6FLHQFH
(GXFDWLRQ3ROLF\
(OHFWRUDO%HKDYLRU
(OHFWRUDO6\VWHPV
(QHUJ\3ROLF\
(QYLURQPHQWDO3ROLF\
125
126 殺さないグローバル政治学
(WKQLFDQG5DFLDO3ROLWLFV
(YDOXDWLRQ5HVHDUFK
([HFXWLYH3ROLWLFV
)HGHUDOLVPDQG,QWHUJRYHUPHQWDO5HODWLRQV
)HPLQLVW7KHRU\
)RUHLJQ3ROLF\
*HQGHU3ROLWLFVDQG3ROLF\
+HDOWK&DUH3ROLF\
+LVWRULFDO3ROLWLFDO7KRXJKW
+LVWRU\DQG3ROLWLFV
+RXVLQJ3ROLF\
,PPLJUDWLRQ3ROLF\
,QWHUQDWLRQDO/DZDQG2UJDQL]DWLRQV
,QWHUQDWLRQDO3ROLWLFDO(FRQRP\
,QWHUQDWLRQDO6HFXULW\
-XGLFLDOSROLWLFV
/DERU3ROLF\
/DWLQRD3ROLWLFV
/HDGHUVKLS6WXGLHV
/HJLVODWLYH6WXGLHV
/HVELDQ*D\DQG%LVH[XDO3ROLWLFV
/LIH6FLHQFHVDQG3ROLWLFV
/LWHUDWXUHDQG3ROLWLFV
0LGGOH(DVW
1DWLYH$PHULFDQ3ROLWLFV
1($VLD
1RUPDWLYH3ROLWLFDO7KHRU\
1RUWK$PHULFD
3ROLWLFDO%HKDYLRU
3ROLWLFDO&RPPXQLFDWLRQ
3ROLWLFDO'HYHORSPHQW
3ROLWLFDO(FRQRP\
3ROLWLFDO3DUWLHVDQG2UJDQL]DWLRQV
3ROLWLFDO3V\FKRORJ\
3RVLWLYH3ROLWLFDO7KHRU\
3RVW6RYLHW5HJLRQ
$SSHQGL[&
3UHVLGHQF\
3XEOLF)LQDQFHDQG%XGJHW
3XEOLF2SLQLRQ
5HJXODWRU\3ROLF\
5HOLJLRQDQG3ROLWLFV
5HVHDUFK0HWKRGV
付録 &
6FLHQFHDQG7HFKQRORJ\
6($VLD
6RFLDO0RYHPHQWV
6RFLDO:HOIDUH3ROLF\
6RXWK$PHULFD
6RXWK$VLD
6WDWH3ROLWLFV
7UDGH3ROLF\
8UEDQ3ROLWLFV
:HVWHUQ(XURSH
:RPHQDQG3ROLWLFV
6HFWLRQV0HPEHUVRQPDLOLQJOLVW
&RPSDUDWLYH'HPRFUDWL]DWLRQ
&RPSDUDWLYH3ROLWLFV
&RQÀLFW3URFHVVHV
(OHFWLRQV3XEOLF2SLQLRQDQG9RWLQJ%HKDYLRU
(XURSHDQ3ROLWLFVDQG6RFLHW\
)HGHUDOLVPDQG,QWHUJRYHUQPHQWDO5HODWLRQV
)RUHLJQ3ROLF\
)RXQGDWLRQVRI3ROLWLFDO7KHRU\
+XPDQ5LJKWV
,QIRUPDWLRQ7HFKQRORJ\DQG3ROLWLFV
,QWHUQDWLRQDO+LVWRU\DQG3ROLWLFV
,QWHUQDWLRQDO6HFXULW\DQG$UPV&RQWURO
/DZDQG&RXUWV
/HJLVODWLYH6WXGLHV
1HZ3ROLWLFDO6FLHQFH
3ROLWLFDO&RPPXQLFDWLRQ
3ROLWLFDO(FRQRP\
3ROLWLFDO0HWKRGRORJ\
3ROLWLFDO2UJDQL]DWLRQVDQG3DUWLHV
3ROLWLFDO3V\FKRORJ\
3ROLWLFVDQG+LVWRU\
1RQNLOOLQJ*OREDO3ROLWLFDO6FLHQFH
3ROLWLFVDQG/LWHUDWXUHDQG)LOP
3UHVLGHQF\5HVHDUFK
3XEOLF$GPLQLVWUDWLRQ
3XEOLF3ROLF\
4XDOLWDWLYH0HWKRGV
5DFH(WKQLFLW\DQG3ROLWLFV
5HOLJLRQDQG3ROLWLFV
5HSUHVHQWDWLRQDQG(OHFWRUDO6\VWHPV
128 殺さないグローバル政治学
6FLHQFH7HFKQRORJ\DQG(QYLURQPHQWDO3ROLWLFV
6WDWH3ROLWLFVDQG3ROLF\
8QGHUJUDGXDWH(GXFDWLRQ
8UEDQ3ROLWLFV
:RPHQDQG3ROLWLFV5HVHDUFK
6RXUFH$PHULFDQ3ROLWLFDO6FLHQFH$VVRFLDWLRQ0DLOLQJ/LVWVWR5HDFK3ROLWLFDO
6FLHQWLVWV
付録 D
第二次大戦米国内「良心的兵役拒否宗派」
市民公益活動部隊= CPS 部隊(CPS メンバー数)
$GYHQW&KULVWLDQ
$IULFDQ0HWKRGLVW(SLVFRSDO
$PEDVVDGRUVRI&KULVW
$QWLQVN\&KXUFK
$SRVWROLF
$SRVWROLF&KULVWLDQ&KXUFK
$SRVWROLF)DLWK0RYHPHQW
$VVHPEOLHVRI*RG
$VVHPEO\RI&KULVWLDQV
$VVHPEO\RI-HVXV&KULVW
$VVRFLDWHG%LEOH6WXGHQWV
%DSWLVW1RUWKHUQ
%DSWLVW6RXWKHUQ
%HUHDQ&KXUFK
%LEOH6WXGHQWV6FKRRO
%RG\RI&KULVW
%UHWKUHQ$VVHPEO\
%URDGZD\7DEHUQDFOH
%XGGKLVW
&DOYDU\*RVSHO7DEHUQDFOH
&DWKROLF5RPDQ
&KULVWDGHOSKLDQV
&KULVWLDQ%UHWKUHQ
&KULVWLDQ&DWKROLF$SRVWROLF
&KULVWLDQ&RQYHQWLRQ
&KULVWLDQ-HZ
&KULVWLDQ0LVVLRQDU\$OOLDQFH
&KULVWLDQ0LVVLRQDU\6RFLHW\
&KULVWLDQ6FLHQWLVW
&KULVW V&KXUFK
&KULVW V&KXUFKRIWKH*ROGHQ5XOH
&KULVW V)ROORZHUV
&KULVW V6DQFWLILHG+RO\&KXUFK
&KXUFK7KH
&KXUFKRIWKH%UHWKUHQ
&KXUFKRI&KULVW
&KXUFKRI&KULVW+ROLQHVV
&KXUFKRI&KULVWLDQ)HOORZVKLS
129
130 殺さないグローバル政治学
&KXUFKRI(QJODQG
&KXUFKRIWKH)LUVW%RUQ
&KXUFKRIWKH)RXU/HDI&ORYHU
&KXUFKRIWKH)XOO*RVSHO,QF
&KXUFKRI*RGRI$EUDKDPLF)DLWK
&KXUFKRI*RGRI$SRVWROLF)DLWK
&KXUFKRI*RG$VVHPEO\
&KXUFKRI*RGLQ&KULVW
&KXUFKRI*RG*XWKULH2NOD
&KXUFKRI*RG+ROLQHVV
&KXUFKRI*RG,QGLDQD
&KXUFKRI*RG6DLQWVRI&KULVW
&KXUFKRI*RG6DUGLV
&KXUFKRI*RG6HYHQWK'D\
&KXUFKRI*RG7HQQHVVHHWZRERGLHV
&KXUFKRI*RGVHYHUDOERGLHV
&KXUFKRIWKH*RVSHO
&KXUFKRI-HVXV&KULVW
&KXUFKRI-HVXV&KULVW6XOOLYDQ,QGLDQD
&KXUFKRI/LJKW
&KXUFKRIWKH/LYLQJ*RG
&KXUFKRIWKH/RUG-HVXV&KULVW
&KXUFKRIWKH2SHQ'RRU
&KXUFKRIWKH3HRSOH
&KXUFKRI5DGLDQW/LIH
&KXUFKRI7UXWK1HZ7KRXJKW
&LUFOH0LVVLRQ)DWKHU'LYLQH
&RPPXQLW\&KXUFKHV
&RQJUHJDWLRQDO&KULVWLDQ
'HIHQGHUV
'LVFLSOHV$VVHPEO\RI&KULVWLDQV
'LVFLSOHVRI&KULVW
'XQNDUG%UHWKUHQ
'RXNKRERU3HDFH3URJUHVVLYH6RFLHW\
(OLP&RYHQDQW&KXUFK
(PLVVDULHVRI'LYLQH/LJKW
(SLVFRSDO
(VVHQHV
(WKLFDO&XOWXUH6RFLHW\RI
(YDQJHOLFDO
(YDQJHOLFDO&RQJUHJDWLRQDO
(YDQJHOLFDO0LVVLRQ&RQYHQW6ZHGLVK
(YDQJHOLFDO5HIRUPHG
付録 '
(YDQJHOLVWLF0LVVLRQ
)DLWK7DEHUQDFOH
)HGHUDWHG&KXUFK
)LOLSLQR)XOO*RVSHO
)LUH%DSWL]HG+ROLQHVV
)LUVW$SRVWROLF
)LUVW&HQWXU\*RVSHO
)LUVW'LYLQH$VVRFLDWLRQLQ$PHULFD,QF
)LUVW0LVVLRQDU\&KXUFK
)ROORZHUVRI-HVXV&KULVW
)RXU6TXDUH*RVSHO
)UHH+ROLQHVV
)UHH0HWKRGLVW
)UHH3HQWHFRVWDO&KXUFKRI*RG
)UHH:LOO%DSWLVW
)ULHQGV6RFLHW\RI4XDNHUV
)XOO*RVSHO&RQIHUHQFHRIWKH:RUOG,QF
)XOO*RVSHO0LVVLRQ
)XOO6DOYDWLRQ8QLRQ
*DOLOHDQ0LVVLRQ
*HUPDQ%DSWLVW%UHWKUHQ
*HUPDQ%DSWLVW&RQYHQWLRQRI1RUWK$PHULFD
*ORU\7DEHUQDFOH
*RG V%LEOH6FKRRO
*RVSHO&HQWXU\
*RVSHO&KDSHO
*RVSHO+DOO
*RVSHO0HHWLQJ$VVHPEO\
*RVSHO0LVVLRQ
*RVSHO7DEHUQDFOH
*RVSHO7HPSOH
*UDFH&KDSHO
*UDFH7UXWK$VVHPEO\
*UDFHODZQ$VVHPEO\
*UHHN$SRVWROLF
*UHHN&DWKROLF
*UHHN2UWKRGR[
+HS]LEDK)DLWK
+LQGX8QLYHUVDO
+ROLQHVV%DSWLVW
+ROLQHVV*HQHUDO$VVHPEO\
+RXVHRI'DYLG
+RXVHRI3UD\HU
132 殺さないグローバル政治学
+XPDQLVW6RFLHW\RI)ULHQGV
,PPDQXHO0LVVLRQDU\$VVRFLDWLRQ
,QGHSHQGHQW$VVHPEO\RI*RG
,QGHSHQGHQW&KXUFK
,QVWLWXWHRI5HOLJLRXV6RFLHW\3KLORVRSK\
,QWHUGHQRPLQDWLRQDO
,QWHUQDWLRQDO0LVVLRQDU\6RFLHW\
-HKRYDK V:LWQHVVHV
-HQQLQJV&KDSHO
-HZLVK
.LQJGRPRI*RG
.LQJGRP0LVVLRQDULHV
/DWLQ$PHULFDQ&RXQFLORI&KULVWLDQ&KXUFKHV
/HPXULDQ)HOORZVKLS
/RUGRXU5LJKWHRXVQHVV
/XWKHUDQQLQHV\QRGV
/XWKHUDQ%UHWKUHQ
0D]GD]QDP
0HJLGGR0LVVLRQ
0HQQRQLWHV
0HWKRGLVW
0LVVLRQDU\&KXUFK$VVRFLDWLRQ
0RRG\%LEOH,QVWLWXWH
0RUPRQV&KXUFKRI-HVXV&KULVWRI/DWWHU'D\6DLQWV
0RUDYLDQ
0RVOHP
0XOWQRPDK6FKRRORIWKH%LEOH
1DWLRQDO%DSWLVW&RQYHQWLRQ86$,QF
1DWLRQDO&KXUFKRI3RVLWLYH&KULVWLDQLW\
1D]DUHQH&KXUFKRIWKH
1HZ$JH&KXUFK
1RUZHJLDQ(YDQJHOLFDO)UHH&KXUFK
2OG*HUPDQ%DSWLVW
2SHQ%LEOH6WDQGDUG
2UWKRGR[3DUVHH=
121.,//,1**/2%$/32/,7,&$/6&,(1&(
2YHUFRPLQJ)DLWK7DEHUQDFOH
2[IRUG0RYHPHQW
3HQWHFRVWDO$VVHPEOLHVRI-HVXV&KULVW
3HQWHFRVWDO$VVHPEOLHVRIWKH:RUOG
3HQWHFRVWDO$VVHPEO\
3HQWHFRVWDO&KXUFK,QF
3HQWHFRVWDO(YDQJHOLFDO
付録 '
3HQWHFRVWDO+ROLQHVV
3HRSOH V&KULVWLDQ&KXUFK
3HRSOH V&KXUFK
3LOJULP+ROLQHVV
3LOODURI)LUH
3LOODUDQG*URXQGRIWKH7UXWK
3ODFDEHO&RXQFLORI/DWLQ$P&KXUFKHV
3O\PRXWK%UHWKUHQ
3O\PRXWK&KULVWLDQ
3UHVE\WHULDQ86
3UHVE\WHULDQ86$
3ULPLWLYH$GYHQW
3URJUHVVLYH%UHWKUHQ
4XDNHUWRZQ&KXUFK
5HDGLQJ5RDG7HPSOH
5HIRUPHG&KXUFKRI$PHULFD'XWFK
5HIRUPHG0LVVLRQRIWKH5HGHHPHU
5RJHULQH4XDNHUV3HQWHFRVWDO)ULHQGV
5RVLFUXVLDQ
5XVVLDQ0RORNDQ&KULVWLDQ6SLULWXDO-XPSHUV
5XVVLDQ2OG7HVWDPHQW&KXUFK
6DLQW V0LVVLRQ
6DOYDWLRQ$UP\
6DQFWLILHG&KXUFKRI&KULVW
6FDQGLQDYLDQ(YDQJHOLFDO
6FKZHQNIHOGHUV$SRVWROLF&KULVWLDQ&KXUFK,QF
6FKRRORIWKH%LEOH
6HUELDQ2UWKRGR[
6HYHQWK'D\$GYHQWLVW
6HYHQWK'D\$GYHQWLVW5HIRUPHG
6HYHQWK'D\%DSWLVW
6KLORK7DEHUQDFOH
6SDQLVK&KXUFKRI-HVXV&KULVW
6SLULWXDO0LVVLRQ
6SLULWXDOLVW
6ZHGHQERUJ
7DRLVW
7KHRVRSKLVWV
7ULQLW\7DEHUQDFOH
7ULXPSKWKH&KXUFK.LQJGRPRI*RGLQ&KULVW
7ULXPSK&KXUFKRIWKH1HZ$JH
7UXH)ROORZHUVRI&KULVW
7UXHOLJKW&KXUFKRI&KULVW
134 殺さないグローバル政治学
7ZHQWLHWK&HQWXU\%LEOH6FKRRO
8QLWDULDQV
8QLRQ&KXUFK%HUHD.\
8QLRQ0LVVLRQ
8QLWHG%DSWLVW
8QLWHG%UHWKUHQ
8QLWHG&KULVWLDQ&KXUFK
8QLWHG+ROLQHVV&KXUFK,QF
8QLWHG+RO\&KULVWLDQ&KXUFKRI$PHULFD
8QLWHG,QWHUQDWLRQDO<RXQJ3HRSOH V$VVHPEO\
8QLWHG/RGJHRI7KHRVRSKLVWV
8QLWHG3HQWHFRVWDO&RXQFLORIWKH$VVHPEOLHVRI*RGLQ$PHULFD
8QLWHG3UHVE\WHULDQ
8QLW\
8QLYHUVDO%URWKHUKRRG
8QLYHUVDOLVW
:DU5HVLVWHU V/HDJXH
:HVOH\DQ0HWKRGLVW
:RUOG6WXGHQW)HGHUDWLRQ
<RXQJ0HQ V&KULVWLDQ$VVRFLDWLRQ<0&$
=RURDVWULDQ
7RWDODIILOLDWHGZLWKGHQRPLQDWLRQV
1RQDIILOLDWHG
'HQRPLQDWLRQVXQLGHQWLILHG
7RWDO
6RXUFH$QGHUVRQ
&I6HOHFWLYH6HUYLFH6\VWHP
計
注意書き
1RWHV
(SLJUDSKV$OIUHG 1RUWK :KLWHKHDG LQ$ODQ / 0DFND\ FRPS$ 'LFWLRQDU\ RI 6FLHQWLILF
4XRWDWLRQV%ULVWRO8.,QVWLWXWHRI3K\VLFV3XEOLVKLQJ&KDSWHU%HUWUDQG5XVVHOO
:LVGRPRIWKH:HVW1HZ<RUN&UHVFHQW%RRNV-DZDKDUODO1HKUX$Q$XWRELRJUDSK\
1HZ'HOKL2[IRUG8QLYHUVLW\3UHVV&KDSWHU'DQLHOVDQG*LOXOD&KDSWHU
*5DPDFKDQGUDQUHPDUNVDWWKH&RQIHUHQFHRQ<RXWKIRU3HDFH8QLYHUVLW\RI.HUDOD7ULYDQGUXP
,QGLD )HEUXDU\ &KDSWHU 1REHO 3UL]H :LQQHUV &KDSWHU $OH[LV GH
7RFTXHYLOOHTXRWHGLQ:LOVRQ3HWUD..HOO\7KLQNLQJ*UHHQ%HUNHOH\&DOLI3DUDOOD[
3UHVV&KDSWHU*HQHUDO'RXJODV0DF$UWKXULQ&RXVLQV0DUWLQ/XWKHU.LQJ
-U³7KH)XWXUHRI,QWHJUDWLRQ´SDPSKOHWRIVSHHFKDWD0DQFKHVWHU&ROOHJHFRQYRFDWLRQ1RUWK
0DQFKHVWHU,QGLDQD)HEUXDU\0D[:HEHULQ:HEHU*DQGKL9RO
;;9,
/HVWWKLVEHUHJDUGHGDVWRRKDUVKDSRUWUDLWRISDWULRWLF8QLWHG6WDWHVOHWKDOLW\FRQVLGHUWKH
EDWWOHFU\LQWURGXFHGLQWRWKH&RQJUHVVLRQDO5HFRUGRQ$SULO E\6HQDWRU5REHUW/2ZHQ
'HPRFUDWRI2NODKRPDLQVXSSRUWRI$PHULFDQHQWU\LQWR:RUOG:DU,
0U3UHVLGHQW,IRXQGLQDZHVWHUQSDSHUDIHZGD\VDJRDQHGLWRULDOLQWKH0XVNRJHH3KRHQL[
0XVNRJHH2NODZULWWHQE\7DPV%L[E\(VTIRUPHUFKDLUPDQRIWKH'DZHV&RPPLVVLRQ,W
EUHDWKHVDKLJKSXUHQRWHRI&KULVWLDQSDWULRWLVPZKLFK,WKLQNGHVHUYHVDSODFHLQRXUDQQDOV
DWWKLVWLPH,ZLVKWRUHDGLW,WLVYHU\VKRUW,WLVHQWLWOHG
21:$5'&+5,67,$162/',(56
7KH8QLWHG6WDWHVRI$PHULFDJLYHQWRWKHZRUOGE\WKH3LOJULP)DWKHUVWKURXJKWKHLUORYHDQG
GHYRWLRQWRWKH2PQLSRWHQWUXOHURIWKHGHVWLQLHVRIPHQKDVGHFODUHGZDURQWKHDQQLYHUVDU\
RIRXU6DYLRU¶VFUXFLIL[LRQ,W LVDOWRJHWKHUILWWLQJ DQGSURSHUWKDWLWVKRXOGEHDVLWLV/R\DO
$PHULFDQVZLOOJRIRUWKWRZDUQRWRQO\DVWKHFKDPSLRQVRIOLEHUW\DQGIUHHGRPDQGKXPDQLW\
EXWDVVROGLHUVRIWKHFURVV$V+HGLHGXSRQWKHFURVVQHDUO\\HDUVDJRIRUWKHVDOYDWLRQ
RIPDQNLQG$PHULFDQVZLOOGLHXSRQWKHILHOGRIEDWWOHWRPDNHWKLVDEHWW UZRUOG
7KURXJK$PHULFD¶VEORRGWKHZRUOGLVWREHSXUJHGRIDEDUEDULFKHDWKHQLVKG\QDVW\WKDWLQLWV
OXVWKDVIRUJRWWHQWKHWHDFKLQJVRIRXU6DYLRU,WLVDQREOHWKLQJWRGLHDQGWRVXIIHUWKDWPHQ
PD\EHEURXJKWQHDUHUWR*RG
$PHULFDXQDIUDLGJLUGHGZLWKWKHDUPRURIULJKWHRXVQHVVVWULGHVIRUWKWREDWWOH7KHUHLVQR
KDWUHGLQRXUKHDUWVZHEHDUQRPDOLFHWRZDUGRXUHQHPLHVZHDVNQRFRQTXHVWQRUPDWHULDO
UHZDUG$PHULFDWUXHWRWKHWUDGLWLRQVWKDWJDYHKHUELUWKLVWRZDJHDQREOH&KULVWLDQZDU:H
DUHZLOOLQJWRGLHLIQHHGEHWREULQJWRDOOPHQRQFHPRUHWKHPHVVDJHRISHDFHRQHDUWKJRRG
ZLOO$QGLQWKLVVDFUHGKRXU$PHULFDRIIHUVIRUKHUHQHPLHVWKHSUD\HURIWKHFURVV³)DWKHU
IRUJLYHWKHPWKH\NQRZQRWZKDWWKH\GR´
7KHFDOOWRDUPVKDVEHHQVRXQGHG$PHULFDFKDPSLRQRIULJKWHRXVQHVVRIFLYLOL]DWLRQDQGRI
&KULVWLDQLW\ZLWKDFOHDUKHDUWDQGZLOOLQJKDQGPDUFKHVIRUWK$PLGWKHFODPRUDQGWKHFULHV
RIEDWWOHFRPHWKHVWUDLQVRIWKHK\PQRIWKHXQLWHGDOOLHVRIPDQNLQG
135
136 殺さないグローバル政治学
³2QZDUG&KULVWLDQVROGLHU´
Congressional Record,WK&RQJVWVHVV9RO3W
7KH6HYLOOH6WDWHPHQWVLJQHUVZHUH'DYLG$GDPVSV\FKRORJ\86$6$%DUQHWWHWKRORJ\
$XVWUDOLD13%HFKWHUHYDQHXURSK\VLRORJ\8665%RQQLH)UDQN&DUWHUSV\FKRORJ\86$
-RVp05RGUtJXH]'HOJDGRQHXURSK\VLRORJ\6SDLQ-RVp/XLV'tDVHWKRORJ\0H[LFR$QGU]HM
(OLDV] LQGLYLGXDO GLIIHUHQFHV SV\FKRORJ\ 3RODQG 6DQWLDJR *HQRYpV ELRORJLFDO DQWKURSRORJ\
0H[LFR%HQVRQ(*LQVEXUJEHKDYLRUJHQHWLFV86$-R*URHEHOVRFLDOSV\FKRORJ\)HGHUDO
5HSXEOLFRI*HUPDQ\6DPLU.XPDU*KRVKVRFLRORJ\,QGLD5REHUW+LQGHDQLPDOEHKDYLRXU
8.5LFKDUG(/HDNH\SK\VLFDODQWKURSRORJ\.HQ\D7DKD+0DODVLSV\FKLDWU\.XZDLW
-0DUWtQ5DPtUH]SV\FKRELRORJ\6SDLQ)HGHULFR0D\RU=DUDJR]DELRFKHPLVWU\6SDLQ'LDQD
/0HQGR]DHWKRORJ\6SDLQ$VKLV1DQG\SROLWLFDOSV\FKRORJ\,QGLD-RKQ3DXO6FRWWDQLPDO
EHKDYLRU86$DQG5LLWWD:DKOVWU|P)LQODQG
7KH)HOORZVKLS3DUW\:RRODFRPEH5RDG%ODFNKHDWK/RQGRQ6(438.
%QGQLV'LH*UQHQ%XQGHVKDXV%RQQ*HUPDQ\
7KH8QLWHG6WDWHV3DFLILV 3DUW\6'RUFKHVWHU$YHQXH&KLFDJR,OOLQRLV86$
,QWHUQHWKWWSZZZXVSDFLILVWSDUW RUJ
7KH 6DUYRGD\D 3DUW\ 8QQLWKDQ )DUP -DJDWSXUD 0DODYL\D 1DJDU 32 -DLSXU 5DMDVWKDQ,QGLD,QWHUQHWKWWSZZZVDUYRGD\RUJIURQWSDJHKWPO
7UDQVQDWLRQDO5DGLFDO3DUW\813OD]D6XLWH1HZ<RUN1<86$,QWHUQHW
KWWSZZZUDGLFDOSDUW\RUJ
7KH+RXVHRI5HSUHVHQWDWLYHVYRWHZDV\HDVQD\VDQGQRWYRWLQJ5HSUHVHQWDWLYHV
YRWLQJ DJDLQVW ZDU (GZDUG %$OPRQ 'HPRFUDW RI$ODEDPD 0DUN 5 %DFRQ 5HSXEOLFDQ RI
0LFKLJDQ)UHGHULFN$%ULWWHQ5HSXEOLFDQRI,OOLQRLV(GZDUG(%URZQH5HSXEOLFDQRI:LVFRQVLQ
-RKQ/%XUQHWW'HPRFUDWRI$ODEDPD:LOOLDP-&DU\5HSXEOLFDQRI:LVFRQVLQ'HQYHU6&KXUFK
'HPRFUDWRI&DOLIRUQLD-RKQ5&RQQHOO\'HPRFUDWRI.DQVDV+HQU\$&RRSHU5HSXEOLFDQRI
:LVFRQVLQ-DPHV+'DYLGVRQ5HSXEOLFDQRI:LVFRQVLQ3HUO''HFNHU'HPRFUDWRI0LVVRXUL
&ODUHQFH('LOO'HPRFUDWRI:DVKLQJWRQ&KDUOHV+'LOORQ5HSXEOLFDQRI6RXWK'DNRWD)UHGHULFN
+'RPLQLFN'HPRFUDWRI6RXWK&DUROLQD-RKQ-(VFK5HSXEOLFDQRI:LVFRQVLQ-DPHV$)UHDU
5HSXEOLFDQRI:LVFRQVLQ&KDUOHV()XOOHU5HSXEOLFDQRI,OOLQRLV*LOEHUW1+DXJH5HSXEOLFDQRI
,RZD(YHULV$+D\HV5HSXEOLFDQ&DOLIRUQLD:DOWHU/+HQVOH\'HPRFUDWRI0LVVRXUL%HQMDPLQ
&+LOOLDUG'HPRFUDWRI&RORUDGR+DUU\(+XOO5HSXEOLFDQRI,RZD:LOOLDP/,JRH'HPRFUDWRI
0LVVRXUL5R\DO&-RKQVRQ5HSXEOLFDQRI6RXWK'DNRWD(GZDUG.HDWLQJ'HPRFUDWRI&RORUDGR
(GZDUG-.LQJ5HSXEOLFDQRI,OOLQRLV0RVHV3.LQNDLG5HSXEOLFDQRI1HEUDVND&ODXGH.LWFKLQ
'HPRFUDWRI1RUWK&DUROLQD+DUROG.QXWVRQ5HSXEOLFDQRI0LQQHVRWD:LOOLDP//D)ROOHWWH
5HSXEOLFDQRI:DVKLQJWRQ(GZDUG(/LWWOH5HSXEOLFDQRI.DQVDV0H\HU/RQGRQ6RFLDOLVWRI1HZ
<RUN(UQHVW/XQGHHQ5HSXEOLFDQRI0LQQHVRWD$WNLQV-0F/HPRUH'HPRFUDWRI7H[DV:LOOLDP
(0DVRQ5HSXEOLFDQRI,OOLQRLV$GROSKXV31HOVRQ5HSXEOLFDQRI:LVFRQVLQ&KDUOHV+5DQGDOO
3URKLELWLRQLVWRI&DOLIRUQLD-HDQQHWWH5DQNLQ5HSXEOLFDQRI0RQWDQD&KDUOHV)5HDYLV5HSXEOLFDQ
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,OOLQRLV'RUVH\:6KDFNOHIRUG'HPRFUDWRI0LVVRXUL,VDDF56KHUZRRG5HSXEOLFDQRI2KLR
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著者
グレン・デューランド・ペイジ( 年 月 日∼):米国政治学者。ハワイ大学政治
学名誉教授。&*1.(&HQWHUIRU*OREDO1RQNLOOLQJ)評議委員会議長。
[殺さない(1RQNLOOLQJ)]
概念の開発、政治的リーダーシップ研究、国際政治研究「意思決定視点からの合衆国大統
領ハリー・6・トルーマンの朝鮮戦争参戦決断のケーススタディー」、などで知られる。
訳者
岡本三夫( 年∼)
:広島修道大学平和学名誉教授。元日本学術会議会員()。
岡本非暴力平和研究所主宰。元日本平和学会会長。第九条の会ヒロシマ名誉代表。
平和学関連著作多数。
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