拡大EUの教訓と東アジア共同体― 欧州の経験からわれわれは何を学ぶ

拡大EUの教訓と東アジア共同体― 欧州の経験からわれわれは何を学ぶか?(1)
羽場久美子
はじめに
冷戦の終焉と平行して、
世界における地域協力関係の成長が、
アジアにも波及している。
EU,NAFTA,MERCOSUR に続き、APEC,AFTA, ARF, EAEC (ASEAN7+5) , CER お
よびこの間、ASEAN10+3、ASEAN+6、さらに上海協力機構(SCO)などが急速に伸張
してきている。こうした中で、EU と ASEAN+3 諸国による「アジア・ヨーロッパ対話
(ASEM)」が経済、実務、環境、文化などのレベルで東西の対話を積み重ね、これまで
地域協力に慎重であったアジアでも、日本を巻き込み地域統合の始動が始まっている。(表
1)
他方、こうした中で、グローバル化と地域化と並行するように、リベラル・ナショナリ
ズムの興隆が、各地で見られる。近年のネオ・ナショナリズムの新しい特徴は、グローバル
化に反対するのでなく、それをむしろ促進しながら、国益を守ろうとする動きが出てきて
いることである。
二〇〇七年五月七日、フランスの大統領選挙でニコラ・サルコジが勝利し、一六日の大
統領就任直後にドイツを訪問、「過去からの決別と強いフランス」、欧州憲法条約の建て
直しを独メルケル首相に誓った。これに象徴されるように、アメリカやアジアのナショナ
リズムの興隆にやや遅れる形で、社会と市民の重視を標榜するヨーロッパで、2004 年の
EU拡大前後から、保守および国権への回帰現象が続いている。サルコジは、エトニとし
ては、ハンガリー系小貴族の移民(Sarkozy de Nagy Bocsa)で母方はギリシャ・サロニ
カ系のユダヤ人であるが、移民出自故にか、これまでになく強いフランス・アイデンティ
ティとネオ・リベラルな政策を強調し、他を圧倒している。
冷戦終焉後、社会主義的パターナリズムの下にあった中・東欧の移行経済に導入された
のがリベラルな市場経済であった。グローバル化の進展の下で、EUはその後「リスボン戦
略」として競争、雇用・失業対策、市民参加をEU各国に適用、旧来の「社会福祉の欧州」
を越え、北欧、西欧でもナショナル、リベラル、親米の方向に向かいつつある。
21 世紀のアジアの地域協力・地域統合が本格始動し始めたとき、一歩先を進む欧州の
苦悩の現実から、われわれは何を教訓とすることができるだろうか。その際、重要なのは、
冷戦期に分断されていた、二つの欧州双方から、問題を考える必要がある。グローバリゼ
ーションの下でいやおうなく進む、地域統合、旧社会主義国と地域・市場経済の行方、政治
統合たる憲法条約や、移民・アイデンティティ問題、貧困と格差の問題など、21 世紀的な
深刻な課題は、すべて歴史的な、かつ国際関係的な、欧州東西の対立と相克の問題が絡ん
でいるからである。
一.なぜ東アジアでも共同体か?
なぜ今東アジアで地域統合なのか。そこには三つの側面がある。
一)第一は、グローバリゼーション下での世界的競争(Competitiveness)である。その
仕掛け人はアジアである。グローバル化の下で、地域レベルの経済圏が同時並行的に拡大
している。 米二億九千万人、EU四億六千万人が共に GDP 一二兆ドルの経済圏を形作
っており、そうした中で日本経済も一億三千万、四兆ドル、世界第二位の GDP の国家枠
1
組みを超え、現実には東アジアの経済圏という地域で展開している(表2)。ASEAN+3 で
は現在、七兆二千万、ASEAN+6 では、八兆五千万である。グローバル化と地域化の避け
がたい波の中で、それに乗りリードするのか、栄誉ある孤立を保つかの選択が迫られてい
る。右か左か、保守か革新かを問わず、グローバル化と地域主義化に対応せざるを得ない
状況が進行している。
二)東アジアの地域統合促進要因のもう一つの決定的な要因は、中国の急成長である。中
国は、二〇〇五年末の世界 GDP 総額で、ドイツに次いで第四位となった。二〇〇六年上
半期の統計分析でも、二〇〇六から一五年に三位のドイツを抜くか?と言われており(2)
(GDP 比較)米国のあるシンクタンクでは二〇二〇年の世界 GDP はトップは中国、二位
アメリカ、三位インド、日本は四位、という分析も現れたとされる。(3)
三)中国はそれ自体、一三億のメガリージョンであるが、それを凌ぐメガリージョンとし
て、上海協力機構(SCO: Shanghai Cooperation Organization )がある。
一九九六年に設立された上海ファイブ(中国、ロシア、カザフスタン、キルギスタン、
タジキスタン)は、 二〇〇一年に、これにウズベキスタンが加わり上海協力機構(SCO)
を確立し、それによって中ロ中央アジア六カ国による人口一五億人、オブザーバーのイン
ド・モンゴル、イラン他を加えると人口二八、五億、世界の半分近くを占めるメガリージョ
ンが成立した。(4)
SCO は同床異夢とも言われるが、果たしてそうだろうか。
① SCO の中核は、冷戦期の中ソ同盟+第三世界(中東、モンゴル、中央アジア)であり、
共通の安全保障、対テロ協力、独自のリーダーシップを持っている。
② また米の武力による「民主化」、ユニラテラリズム(Unilateralism)に不満を抱いてお
り、独自の主導権を確立しようとしている。
③ さらに、ともに軍事大国、核大国である。
以上の点から考えて、対立は孕むものの。かなり実質的な機構であると見做せる。ある
中国の研究者は、「上海協力機構」は実質的(substantial)である、東アジア共同体は
好ましい(preferable)であると述べていた。(5)
近年EUでも政治統合が難航していることを考えれば、ナショナリズムや、対立点があ
ることは地域統合の妨げにはならない。
ナショナリズムや歴史問題で逡巡しているうちに、
日本を除いた「実質的」協力が進展する可能性もありうる。グローバル化、地域化、さらに
ナショナル化の三つ巴の中で、アメリカのみとの関係を超えて、欧州との関係、アジアと
の関係、国益との関係をどうとっていくのか。東アジア共同体、上海協力機構(SCO)、
APEC/ARF の並立状況の下で、各々とどのようなスタンスを実現するのか。アジアはど
のような形で最も効果的に共同できるのか。
これはきわめて危急の課題となってきている。
以上を考える上での示唆として、東西欧州を踏まえた視点から、拡大EUの教訓を提示
しておきたい。
二.比較に際しての基本認識
1)欧州統合の理念と構想 欧州は、つかの間の統合と長期にわたる分裂の歴史とされる
(6)。数世紀にわたる抗争と殺戮、荒廃の歴史の海の上に、統一「帝国」と啓蒙・ルネッサン
ス、近代欧州の輝きがある。欧州にとってつかの間の統合の時代が、繁栄と安定の時代で
2
あった。だからこそ、欧州は抗争と後輩を避ける欧州統合の構想を二〇〇年余にわたって
夢見、数十年にわたる統合の試みと挫折の末、第二次世界大戦後、冷戦による欧州分断の
開始の足元で統合構想を確立し、ローマ条約締結後五〇年を経た現在、その機構的枠組み
をほぼヨーロッパ全土に完遂させることとなった。数百年の試行錯誤は、強靭な統合思想
を培うこととなった。欧州統合を見る際は、戦後六〇年、統合構想一〇〇年の思惑に加え、
数百年の抗争、殺戮、荒廃、挫折のプロセスを踏まえる必要があるのである。
2)地域統合とは何か?
地域の共存や統合とは、国家間、地域間の「境界線」を開放
し共有する作業である。それは大陸においては、「分断し」「つなぎ」「超えるもの」として日
常的・一般的な作業でもある(7)。こうした営みに対して島国は、間接的とならざるを得な
い。海に向かう島嶼国家は、「近代帝国」の主導権を担い、領域は海洋を越えて拡大した。
イギリスの連邦制(Common Wealth)は近代帝国の産物であり、地域連合とは異なる。
島嶼国家は大陸のいわば「新しい中世」的な、国境を越えて交わる地域統合には第三者的な
立場とならざるを得ないのである。
3)統合の政治的リーダーシップは、誰がとるか?
第二次世界大戦後の統合の担い手
は、戦勝国、仏、ベネルックス三国であった。ドイツは、戦後経済復興を牽引する役割を
果たしたが、現実には統合の「柔らかい封じ込め」の下でのみ、堅実な発展を許されてき
た。戦後ドイツによる経済面でのリード、冷戦終焉後のドイツ統一、EU拡大による「ドイ
ツ圏」の拡大とマルクの底力は、統合の中でこそ許されてきた。ドイツ単独の影響圏の強化
は、今でさえヨーロッパ全土が警戒しているからである。ナチスドイツの「歴史の記憶」
は、ヨーロッパにおいても消えてはいない。
4)アジアのリーダーシップは、誰が取るのか?
以上の経緯から、アジアの地域協力を考えるならば、欧州と比較してみてさえ、日本が、
アジアの地域協力でリーダーシップをとることは、
かなり困難であることが理解できよう。
英独でさえ、欧州統合の主導権は取れていない。イギリスはEUではユーロ、欧州憲法条
約を見ても外部者であり、ドイツは欧州経済・欧州金融の中核を担いつつ、EC(EU)とい
う機構の中でのみ、しかるべき位置を確保しているのである。日本はアジア「大陸」の歴
史・文化の一歩外にある。日本が主導権をとるには、機構とそれを承認する共同国が必要
である。それは欧州でも同様なのである。
・また歴史的・政治的にも、戦勝国ではなく「敗戦国」が、ヘゲモニーをとることへの警戒
感は、ヨーロッパにおいてすら長期にわたり「歴史の記憶」として残った。今回統合された
東欧諸国はそうした「歴史の記憶」がことのほか強い。ナチスドイツ、ついでソ連に祖国
を蹂躙された現代史をまだ忘れるにはあまりにも生々しい。だからこそ彼らはプロアメリ
カなのである。
・ただし、民主主義、発展・繁栄、アメリカとの共同という三点において、日本の役割は
ある。
① 戦後ヨーロッパ統合型の、アメリカと結ぶ地域統合の模索。
② 民主化、経済発展、世界経済の中での安定と繁栄のモデルを提供。
③アメリカと対立しないアジアの地域統合。
以上は欧州統合の経験から見て認められうる。
5)問題は、地域統合において、体制や文化の異なる領域といかにに平和的に共存するか、
という「体制の多様性」の問題である。(対ロシア、中国、北朝鮮など)
3
これについては「六者協議」の枠組みがあり、この点ではアジアの方が先進的であると
もいえよう。(8) ヨーロッパでは、近隣諸国との協力関係について既定した「近隣諸国政
策(ワイダー・ヨーロッパ戦略)」があり、東のロシアや旧 CIS 諸国、南の中東・アフリカ
諸国との経済関係、人権・開発・発展面での援助政策、文化交流などが積極的にとられてい
る。(9)
6)小国、下位地域協力の重要性。
基本認識として、
地域協力における小国および下位地域の役割の重要性を指摘しておく。
地域統合とは、そもそも地域における特定の大国の対立関係を緩和することにより、共存
と安定、繁栄を導くもので、明確な目的を持った「国家同盟」ではない。その意味で地域統
合の本来的な主役は、地味ではあるが堅実に「つなぎ」「相互調整するもの」としての小国お
よび下位地域協力なのである(10)。欧州のベネルックス、アジアの ASEAN が重視される
ゆえんである。
三.欧州統合の四つの時期区分
欧州統合の実現に至る過程においては、19 世紀後半以降の四つの時期区分が祖jんざい
する。
1)(一九世紀)国民国家か、地域連合か?
①地域連合の試み 欧州統合の最初の現実的試みは、国民国家を超えた、広域の多民族帝
国再編における連邦、国家連合の構想として一九世紀にさまざまな形で現れた。(ハプスブ
ルク帝国やバルカンの多民族連合再編の試みなど)。(11)
帝国内の諸民族は、国民国家と異なる連邦制ないし地域連合の概念を導入し、統合する
ことによって、「超一流の国家」となることをめざした(12)。旧来の帝国の枠組みを利
用して地域連合を確立しようとしたのである。
②ロシア(のちソ連)への対抗概念。(統合には、「敵」がいた)
二つ目は、ロシアへの対抗である。欧州は、勢力均衡や戦略・安全保障上、同盟関係を変
化させて大国の成長に対して均衡を保っていく要素が強かった。それゆえそのつど同盟上
の相手が変化することになった。しかしドイツに対する東からの封殺としてロシアとの同
盟が利用される以外、むしろ東欧の諸民族との関係では、「ヨーロッパの東の境界線」たる
ロシアと差異化して扱われる場合が多く、「ヨーロッパの平和」は時にロシアへの対抗とし
て存在した。(クーデンホーフ・カレルギー『汎ヨーロッパ』など)。欧州のロシアへの対
抗は、歴史的に繰り返し現れる。(13)
以上の「地域連合により大国となる」、「ロシアへの対抗」という理念は、そもそも東
部の欧州統合の機軸にあったのである。
2)(戦後)戦争の反省・和解と、繁栄
①「不戦共同体」の誓い。 欧州統合は、戦後と言う時代の反映として、自地域内部では」
戦争を生み出さない、という大量殺戮の歴史への強い反省として創出された。フランス
は、首都をドイツに四度蹂躙された苦い教訓から、自国が二度とこのような運命に遭遇
しないように、石炭と鉄鋼を共同管理することに決めたのである。
②歴史的な「敵」との共存。「主権の治療」。こうして歴史的な敵と戦争の原因となる資
4
源を共有するという決断が欧州統合の基礎となった。真意は、欧州の繁栄の継続と、統
合による敵の柔らかな「封じ込め」であった。歴史的な敵を封じ込めることによる、安定
と発展であったが、さらに大きな新たな「敵」ソ連邦は、戦争でナチス・ドイツを駆逐
する中で二〇〇〇万人の犠牲を出しながら、戦後復興計画のマーシャル・プランに参与
することも許されなかった。なぜ戦後欧州は、戦勝国ソ連とではなくナチス・ドイツと結
んだか。それは社会主義というイデオロギーへの警戒以上に、二〇〇〇万の犠牲を出し
ながら、西欧が押さえきれなかったナチス・ドイツを駆逐し中・東欧全域をほぼ単独で解
放したソ連軍の底力に対する米欧の脅威でなかったか。ソ連は、独ソ戦によって双方を
疲弊崩壊させようとする試みに耐え、戦後復興の援助の手も切られてなお生き延びたの
である。歴史的な「敵」ドイツとの「和解」は、さらに大きな敵の封じ込めのために、な
されたのであるる。
③「エネルギーの共同管理」そうした中でなされたのが、戦争の原因たる「エネルギーの
共同管理」(石炭、鉄鋼、原子力)であった。現在の石油であろう。
④ただしこれは、冷戦期の「欧州の分断」の下で遂行された片肺的統合(分断と統合)だった。
3)(ポスト冷戦)「深化と拡大」
①なぜ、「深化」? 一九八九年、東欧では社会主義体制が次々と崩れ、ベルリンの壁が
崩壊してドイツが統一する中、EC では八五年末に単一欧州議定書が採択され、八八年に
EMU(経済通貨同盟)の計画準備が進み、九二年にはマーストリヒト条約が調印された。E
C, CFSP(共通外交安全保障)、CJHA(司法内務協力)の三つの柱からなるEUが創設さ
れた。また統一通貨ユーロが九九年に為替市場で、二〇〇二年から現実の欧州通貨として
導入され、熱狂を呼んだ。グローバル化と冷戦終焉という歴史の大転換の中、欧州統合は、
機構、司法内務・外交、通貨、また域内の自由移動を保証するシェンゲン協定、さらに欧州
憲法条約草案準備と、矢継ぎ早に改革を進めていった。
②なぜ、「拡大」? 他方、冷戦の終焉と中・東欧諸国の「ヨーロッパ回帰(Return to
Europe)」の掛け声の中、当初拡大に消極的だったEUも、世界経済とりわけアジア NIES
諸国の成長の中で、中・東欧各国と欧州協定を締結し、九八年-九九年にかけ次々と加盟交
渉を開始し、二〇〇四-七年に一二カ国がEUに入り、いまや二七カ国、四億六〇〇〇万の
統合体へと成長した。多くの不安材料を抱えながらも、世界経済への競争と内部経済の拡
大と活性化という方向に歩を進めたのである。
③「基準」設定。EUは、旧社会主義国の加盟に際し、それまでなかった三一項目の基準
(コペンハーゲン・クライテリア)を設け、政治・経済・さらに八万頁のEU法に適応するよ
う求めた。結果EUは以後トルコ・クロアチアに対しても、「ヨーロッパ・スタンダード」
への加盟国の適合を求めていくこととなる。
4)(二〇〇〇~ )新たなセットバック。 ネオ・ナショナリズムの台頭
しかし 21 世紀にはいると、セット・バックが始まる。一つには、グローバル化の過程
での格差の拡大と、人の移動の増大の結果、新加盟国やイスラム系移民と各国市民との軋
轢が、社会に蔓延し始めたことである。安い労働力の流入は、失業や最低賃金の低下など
EU加盟国の底辺層と競合することとなった。治安の悪化も一般市民の脅威感を誘った。
5
今一つは、庶民の生活面での不満が、競争社会の進行の中で、社会のより弱い部分への攻
撃として、移民や、更なる拡大への 忌避感として現れてきたことである。それは世紀転
換期には、欧州各国での右翼勢力の成長(選挙のたびに 10%の得票)、さらに 2004 年拡大
前後からは、総選挙でのナショナリスト派政権の誕生が、欧州東西双方で見られるように
なったのである(14) 。
ナショナリズム、敵対、政治統合の困難さ。これは実はアジアだけの課題ではない。
冷戦終焉後 18 年の拡大欧州は、まさに同様の問題を抱え、苦悩している。にもかかわ
らず、機構的、社会的、市民的改革が、進展している背景には何があるのだろうか。
以下、欧州統合の現実的教訓について、考えてみたい。
教訓1. グローバリゼーション下での統合の重要性
教訓2.歴史の記憶と教訓 1)戦争の非制度化、不戦共同体、
2)三極構造の下での統合の深化と拡大。
教訓3.内部対立をどう克服するか。ナショナリズム、市民の不満への対応。
教訓4.ユーロの拡大
教訓5.アメリカとの関係―イラク問題
教訓6.対ロシア関係。エネルギー、経済協力と、人権問題での対立
教訓7.EUの「境界線」―フォルト・ラインから、コンタクト・ゾーンへ。
教訓8.拡大による、「民主化」とキャッチアップ
教訓9.上海協力機構(SCO)、メガリージョンへの対応
教訓1.グローバリゼーション下での統合の重要性
<ローマ条約・東西分断と欧州統合>
東側でスターリン批判と、ポーランド・ハンガリー五六年事件が起こり、ソ連の戦車が
ブダペシュトを制圧した翌年の五七年三月二五日、ローマで条約が結ばれ、西ヨーロッパ
では、六カ国による欧州統合(ECSC,EEC,ユーラトム)がスタートした。(図)
このような経済・安全保障、議会、閣僚機構すべてが実現できた背景には、戦争の経験と共
に、五六年の東欧における一連の蜂起とその鎮圧に対する強い脅威と警戒があったことは
否めない。
戦争と経済双方に結びつく経済統合(石炭・鉄鋼共同体、原子力共同体)、現在であれば
さしずめ石油や天然ガス、核の共同管理と、欧州議会、欧州審議会の存在、その機能の早
期の実践化は、ソ連の東欧支配の強化抜きに考えられない状況であった。ローマ条約に対
する、新加盟国の目が醒めているのはそうした点にもあろう。アジアにとっての一つの教
訓は、この最初の統合がかくも組織的・総合的な機構を持って実現された背景には、ソ連
と言う巨大な敵とヨーロッパの分断、ハンガリー動乱のソ連軍による鎮圧と多くの亡命者
という緊迫した情勢を踏まえて行われたと言うことである。(15)
ほぼ五〇年後、冷戦の終焉というまったく新しい状況の下で、ローマ条約時には壁の外
にあった中・東欧10カ国はヨーロッパに戻ってきた。これはグローバリゼーションの進
展と言う情勢の中で、より経済的要請に従って発展したものであった。
拡大は西欧側のモラル(東をソ連に追いやったと言う負い目)から始まったといわれる
6
が現実を見る限りはそうではない。八九-九〇年に社会主義体制を放棄し[欧州回帰]を掲
げてソ連の「くびき」から「革命」を遂行して戻ってきた東欧諸国に対し、アメリカと西欧
諸国が行った行為は、当面機構への編入は考えず、ソ連と共に CSCE や NACC など、共
通の安全保障の枠組みを欧州の西と東で共同で行うという、
ソ連・ロシアに配慮したもので
あった。旧東欧への拡大が九四年のエッセン・サミット以降、九〇年代半ばから急速に進展
していった背景には、国際経済におけるグローバリゼーションへの対応、ユーロペシミズ
ムからの脱却、アジア NIES 諸国の急成長への対抗など、主に経済的要因が契機となって
改革を促進したのである。
その後九七年のアジア経済危機、九八年のロシア経済危機、二〇〇一年九.一一からアフ
ガン戦争、イラク戦争の過程で、アメリカが長引く戦争のなかドルを下落させ、ユーロが
予想外の成長を見せ、世界経済で、再び欧米集中の時代へ移行して行ったのは、たとえ総
GDP では五%の増大のみとされながらも、中・東欧への拡大の影響による経済の活性化
の要素が大きい。EU内で投資が、南(ギリシャ、スペイン)から東へ移行し、東の周辺諸国との経
済圏も拡大し、一人当たり GDP も、新加盟一〇カ国は上位二八位から四九位と、既加盟
国一-三〇位に続いており、特に中・東欧はその後年々急速に格差を縮小させていった。(16)
中国、インド、ロシアが追い上げてきている以上、EUはもはやドイツ、フランス単独
では動けず、四億六千万市場と安く質のいい労働力、かつ[キリスト教文明]として独自
の文明圏に歴史的に存在してきた国々を手放して競争に勝つことはできない状況にあるの
である。
しかし今一つ重要なのは、二〇〇四年以降の東の諸国の取り込みによって、「ヨーロッ
パ」概念の多様化が始まっていることである。(表4多様なヨーロッパ)対立と求心力の弱
まりは、多様性の拡大の象徴でもある。
ヨーロッパの統合は、戦争と分断、ソ連の東欧に対する軍事制圧の脅威の中で形を整え
て五〇年前に開始され、そして冷戦の終焉とグローバリゼーションの中で、再び、「多様
なヨーロッパ」が開始されている。多様なヨーロッパをまとめたのは、政治的合意ではな
く、経済的要請である。内部の求心力はいまだ弱い。これが逆説的な、第一の教訓である。
「ヨーロッパは均質である、アジアは歴史的対立もあり、地域の統合はありえない」と言
う一般論を越えたところで、欧州統合は始まり、現在も苦悩の中、統合を模索している。
それはヨーロッパの東を排除して統合するか、
含みこんで統合するかの選択肢でもあった。
冷戦終焉後 90 年代は、グローバル化と経済的要請に基づいた、多様な社会を飲み込んで
いくような統合であった。その付けは、21 世紀初頭の現在、国益と市民の反逆として現
れ始めているのである。
教訓2、歴史の記憶と教訓.一)戦争の非制度化、不戦共同体
二)米欧亜 三極構造の下での統合の進化と拡大。
教訓の二つ目も、矛盾を含んだ、パラドキシカルなものである。
一)歴史の記憶と教訓。不戦共同体
戦後の欧州統合における[不戦共同体]と[主権の治療](チャーチル)は、数世紀に
わたる殺戮の歴史を踏まえた、反省の上にあった。
クシシトフ・ポミアン『ヨーロッパとは何か』や山内進著『北の十字軍』に見られるよ
7
うに、ヨーロッパの境界線は常に書き換えられ、征服され統合され翻弄された。敵対、殺
戮はアジアに増して凄まじいものがあった。欧州は多くの時代において『正しい戦争』の
名の下に、強国は文明と正義の名の下に大量の殺戮を行い、欧州の「境界線」を拡大する
使命感を持って、対立が続いた。(17)
第二次大戦だけでも、ソ連二〇〇〇万人を超える犠牲者、ポーランドのアウシュヴィッ
ツでは六五〇万がなくなった。中国では千数百万人、日本は三一〇万人が死亡したとされ
る。(18)
二〇〇四年春、中国と日本の間にナショナリズムによる対立がかまびすしかった折、ソ
ルボンヌ大学国際関係史研究所所長 ロベール・フランク(ポーランド・ユダヤ系フラン
ス人)が、日中のナショナリズム対立に際して、「なぜ日中首脳は、南京で抱き合わない
のか。われわれはそれを毎年やってきている」「それは相手を完全に許すことではない」
(がそれによって何らかの進歩がある)と述べた(19)が、まさにEUはその象徴であった
と言えよう。歴史の記憶は費えていないし、相互に許してはいない。それでも結ぶことの
メリットが彼らを結び付けているのである。
戦後の仏独協力は、歴史的な敵との統合による、戦争の資源の共同だった。
彼らが戦後、プライオリティをおいたのは、①平和の希求、②経済的繁栄、③国際社会
における社会規範・秩序の担い手であった。執念としての、「世界政治経済の牽引車であり
続ける」姿勢が、統合を進展させたのである。統合は、殺戮と荒廃と相互不信の果てにおけ
る、不戦と資源確保、共存と繁栄の決意から作られたのである。
教訓3.内部対立をどう克服するか。ナショナリズム、市民の不満への対応。
二〇〇六年五-六月に欧州憲法条約がフランス・オランダにおいて国民投票で批准拒否さ
れて以来、欧州内部の深刻なアンタゴニズム(敵対)について、語られるようになった。
しかしヨーロッパの東西の対立関係を見る限り、実は東西欧州の間には、歴史的に常にす
れ違いと認識の格差があり、1989-90 年に見られたような、統合の熱狂、ユーフォリアの
時期の方が圧倒的に例外であったように思われる。
二〇〇四年五月に、EU拡大二五ヵ国への移行が祝われた一月後の、欧州議会選挙(.
六月.)において、投票率は史上最低、新加盟国は、平均三人に一人しか欧州議会の投票 b
に行かず、また軒並み政権政党は敗北し、EU批判派の野党が勝利し、反EU政党が議席
の上位を占めた。
欧州憲法条約草案のコンヴェンションにおいても草案をめぐって紛糾した。
EUが二五から二七カ国に拡大する中で、強く統合されたEUを望む独仏と、ニース条
約における議席配分や権限の縮小を危惧する中国・小国の不満、とりわけ議席を大幅に減
らされることになったポーランドやスペインの抵抗が見られた。
皮肉なことに拡大欧州の対立は、二〇〇四年の拡大後まず東側の市民から、ついで二〇
〇六年頃から既加盟国側の市民の不満へと広がっていった。これは「民主主義の赤字
(Deficit of Democracy)」と呼ばれ、エリートと市民の格差が指摘され、参加民主主義
が呼びかけられたが、むしろ状況は、市民参加によって、相互の国や階層の敵対関係が増
すポピュリズム的な結果となり、これらの帰結として、二〇〇四年の二五カ国拡大以降、
まず東の新加盟国の間で、政権党が次々と政権を失って下野し、保守政党あるいはEU批
8
判政党が政権に就いた。
こうした欧州市民相互の不満は、1)拡大EUの利益が市民に還元されず、むしろ雇用
機会の縮小や失業の拡大など、生活基盤の不安定を招いたこと、2)新加盟国においては、
西側との地域格差、雇用の困難性、社会保障の削減、加盟コストの増大、移民、農業問題
で加盟後も欧州の「二級国家」に留まるのではという危惧、3)さらに既加盟国民衆の間
に、拡大疲れ]、新加盟国に対する負担感、トルコやバルカンへの更なる拡大の危惧、政
府への不信として広がっていった。(20)
このように、現在のEU内部では、九.一一後のアメリカや、二〇〇四年頃の拉致問題や
日中対立に並ぶほどの、深刻なナショナリズムの対立関係に覆われている。そこには、一)
失業、移民問題、二)農業補助金問題、三)イスラム系マイノリティをめぐる問題、四)
更なる拡大への忌避、と言う、日常生活面での深刻な課題を秘めている。
しかしこうしたナショナリズムの高まりにもかかわらず、統合はさらに押し進められ、
ユーロ圏は拡大し、国際通貨ユーロの力は強まり、欧州憲法条約の実質部分は、独仏の主
導により、実行されようとしているのである。
経済の繁栄と発展は、人間の思惑を超えて進みつつあるということであろうか。
教訓4. ユーロ圏の拡大
現在の地域統合において、
ユーロ圏の拡大の問題を触れないわけには行かないであろう。
何よりアジアの統合自体が、金融経済圏の拡大として急速にクローズアップされているか
らである。
増田は「アメリカン・グローバリゼーションとユーロ」において一九八〇年代以降世界経
済のグローバル化が進展し、世界貿易の伸び、対外投資の伸び、国際分業関係の深化が拡
大し、中でも先進国より発展途上国のほうが伸びが高いこと、さらに世界貿易量の半分が
地域経済協定の下での貿易として、多角的グローバル化と、地域主義的な対応が同時に進
んでいることを示している。EUのみならず、NAFTA,MERCOSUR, 東アジアの FTA な
どが、アメリカン・グローバリゼーションと同時平衡で進行しているのである。(21)
そうした中で、これまで単独の国際基軸通貨として存在していたドルに対してユーロの
導入(九九.一一一カ国、二〇〇二.三.一二カ国)は、欧州圏の単一通貨の枠組みを越えて、
予想を超えた拡大をしアジアにも大きな影響を及ぼしている。特にイラク戦争以降、ドル
の通貨不安の中で、ユーロの保有が価値保全としての意味を持つことから、変動相場制や
デリバティブ取引の中でのユーロの位置が高まっている。(22)
グローバリゼーションと二極通貨体制の中では、まだ圧倒的にヨーロッパ・ロシア・アフ
リカの地域通貨であるユーロであるが、それでも地域主義に未来はある、と田中は指摘し
ている。ロシア・東欧の三億人以上を西欧生活圏に巻き込み、西欧なしではやっていけない
地域を作り、
「新結合」によりイノヴェーションによる発展の原動力を作り出した。生産、
輸送、市場、産業組織に垂直的に結合された「新統合」を作り出すことにより、西欧・東欧
共に産業の再編と活性化を引き起こし、さらなるユーロ経済圏の拡大と将来の発展を保障
しているのである。(23)現在起こっている「ひずみ」、格差も短期的なもので、長期的に
はキャッチアップの過程の中で解決されていくとみる。今はセットバックでも輝かしい未
来が待っていると言うことであろうか。確かに中東欧は、加盟後 3 年程度で、既に西欧の
9
六-七分の一の給与平均から、四分の一程度に縮小してきているとされる。金融統合の問題
は、アジアにとってもきわめて魅力的な視座を提供していると言えよう。
教訓5.アメリカとの関係―イラク問題
イラク問題については、この間、欧州とアメリカの関係は、多様で不安定なジグザグな
関係を示してきた。二〇〇三年二-三月、欧州 vs 米の対立軸と見えた対抗関係は、その後、
欧州内での仏独の孤立化により、EU 全体は、米国防長官ラムズフェルドの言う「新しい
ヨーロッパ」と「古いヨーロッパ」に分断されたかに見えた。しかし、大統領第二期に入
ったブッシュは、最初にブリュッセルと仏独首脳を訪問し、欧州との関係を修復した。戦
争での対立も、安全保障政策を含めて、長期的には対米関係を悪化させなかった。さらに、
その後ポーランドのカチンスキ、ドイツのメルケル、フランスのサルコジがいずれも、国
益重視など、それぞれ農業問題、移民問題、失業・雇用対策に強い姿勢を示しながら(ナシ
ョナル)、グローバリゼーションと市場化を促進しアメリカと結ぶリベラルな政策を取っ
ていることもあり、イラク戦争後四年を経た安全保障と国際政治において、アメリカとの
関係は際修復されたと考えることができよう。
ここではポスト冷戦後の欧米関係のジグザグと、とりわけ旧社会主義国のアメリカへの
スタンスについて、指摘しておこう。
EUとNATOの戦略は、ポスト冷戦後九九-二〇〇一頃までは平行して進んでいた。
一九九九年のコソヴォ空爆、二〇〇一年のアフガン空爆以降、国際政治・安保において、
欧米の間に齟齬が現れた。なかでもイラク戦争介入をめぐって、欧州では、アメリカとは
安全保障観を異にする独自の安全保障観を公共圏や規範と結び付け、国際的影響力を推進
するばねとして利用し、それはアメリカの政策関与者(たとえばカプチャンやアイケンベ
リー)などの政策修正提案をも生みださせた。(24)
<欧州内部の反乱:中東欧のアメリカ支持>
イラク戦争は、欧州内部を二つに分けた。二〇〇三年一月三〇日:欧州八カ国首脳(イ
ギリス、スペイン、ポーランドなど)、二月四日:ヴィリニュス一〇(中・東欧 NATO 加
盟国及び加盟候補国)が、アメリカ支持声明をし、軍をイラクに派兵した。結果的には一
五か国中、フランス、ドイツの側についたのは、議長国ギリシャとベルギーの二カ国だけ
であり、この点では、仏独はモラル的な支持を勝ち得たものの、CFSP(共通外交安保政策)
では、完全な敗退を喫したのである。
中でも中・東欧諸国が、経済的にはEUに全面的に依拠しながら、安全保障面でEU(特
に独仏軍)を信頼する歴史的現実的基盤を書いていたことが明らかとなる。中・東欧は、
安全保障においては、「反ロシアおよびドイツの軍事力に懐疑的」という二点から、戦略
的には親米的であることを明示した。 このことは、中・東欧諸国が一時的には拡大EU
域内に潜伏する新米の
「トロイの木馬」
として相互の信頼性に傷をつけることとなったが、
交渉材料としての経済と安全保障を使い分け、
長期的には独自の発言権の拡大に寄与した。
それは西欧各国の間にもグローバリゼーションの下でのネオ・リベラリズムの必要性、現
実主義としての欧州独自の安全保障のコストとパーフォーマンス双方の限界認識という根
本的変化をもたらし、結果的に欧州内の親米派拡大に役割を果たしたように思える(25)。
このことは、また、戦略的な対立関係は必ずしも欧米対立を固定化させない、あるいは、
10
地域統合と国益の重視が、アメリカとの関係を悪化させるわけではない、という日本にと
っては死活問題に属する日米関係に、一つの回答を与えているように思える。
イラク戦争をめぐるヨーロッパとアメリカの、安全保障戦略や社会規範にも及ぶ鋭い対
立とアメリカの「ソフト・パワーの低下」は、結局その後ブッシュのヨーロッパ訪問により、
「和解」にいたった(26)。このことが長期的には、ドイツのメルケル、フランスのサルコ
ジ、ポーランドのカチンスキなどナショナリスト政権が、親米であり、なおかつ、欧州憲
法条約もまとめようとする、本来ありえない、グローバルと、ナショナルと、親米の三つ
のベクトルを結びつけることとなった。
その真意はグローバリゼーションの下での指導力、
生き残り、統合の継続と繁栄、であろう。
教訓6.ロシアとEU。エネルギー、経済協力の強化と、人権問題での対立
ロシアとEU、アメリカとの関係も、冷戦の終焉後、激しい政策変容が続いているが、
その本質的なところは、ロシアは異質であり、協力するが、取り込まない、と言うことで
あろう。このことは、ロシアと上海協力機構を組む中国でさえ、ロシアに対して共通する
スタンスである。すなわち、旧社会主義というイデオロギーは同じでも、よりプラグマテ
ィックな東欧・中国と、ロシアとの間に差が存在すると言うことである。
①統合の「敵」
欧州統合が、基本的には常に潜在的なロシアの脅威に対抗し、また内在
的にはドイツ単独の拡大を抑えるために形成されたという、内外の歴史的な「敵」に対す
る統合の側面が存在することは既に述べた。
②欧米との蜜月
れに対して冷戦の終焉後短期間は、例外的にロシアと欧米の蜜月が続
いた。ペレストロイカから冷戦終焉にいたるゴルバチョフ個人の資質と、「新思考外交」
と「欧州共通の家」の提唱が、ロシアを取り込んだ緩やかな安全保障 CSCE、NACC を実
現させた側面が大きい。
③孤立
しかしこれは逆に、ロシアの脅威から完全に切り離されない東欧諸国の間に
不満を呼んだ。その結果、オルブライト国務長官と共に親中欧外交を繰り広げたクリント
ンの下で、政策転換としてNATOの中・東欧への拡大が決定され、一九九九年の中欧三
カ国へのNATO拡大とと共にコソヴォ空爆が断行された。ロシアは孤立化し、エリツィ
ン政権は崩壊、「強いロシア」を掲げるプーチン政権の登場となる。
④対テロ協力網
その後、九.一一を経てプーチンは対テロ国際協力を提唱してアメリ
カとの蜜月に入る。その結果、〇二年五月には「NATO・ロシア理事会」が設立されて念
願のNATOとの協力関係に入ることとなった。また二〇〇三年からプーチン大統領二期
にはいると、全方位外交を提唱しながらも「欧州」へ大きく政策転換をおこない、「ワイダ
ー・ヨーロッパ戦略」をとるEUの近隣諸国政策と結び、経済関係(エネルギー:石油、天
然ガス)をめぐる関係を強化することとなった。(27)
⑤人権問題
しかし、モスクワの劇場占拠や北オセチアの学校占拠に対する対テロ行動
や、チェチェン問題、ジャーナリストの言論封殺などを始めとする人権問題については常
に欧州との間に摩擦があり、今年〇七年五月一九日のEUロシア首脳会談では、エネルギ
ー問題では合意に達したものの、ロシアの WTO 加盟や反対派の言論封殺問題、ポーラン
ドとの食肉輸入禁止問題やコソヴォ独立問題については、いずれも平行線をたどり、対立
11
の深さを浮き彫りにした。
ロシアとの関係については、エネルギー面では、EUは七割近い石油と天然ガスをロシ
アに依存しているものの、EUがとりわけ重視する人権・言論の自由、民主主義、環境、
社会規範など問題については、ロシアとの共同はいまだに難しいといえよう。
教訓7.EUの「境界線」―フォルト・ラインから、コンタクト・ゾーンへ。
欧州の「境界線」の問題は、そもそも「ヨーロッパとは何か」「誰がヨーロッパ人か」「ど
こまでがヨーロッパか」をめぐるやっかいかつ壮大なテーマである(28)。
欧州は、
歴史的にもヨーロッパの境界線に対する地域補助政策や、
緩やかな民主化支援、
援助、
移動の保障と治安の保持を行ってきた。
近年そうした欧州委員会からの政策以外に、
文化人類学者(アンソロポロジスト)の間で、多民族が交わる境界線地域を、ネガティヴ
な対立地域と捉えるのではなく、コンタクト・ゾーン(混合宗教、異民族結婚、多価値共存
の共有領域)として捕らえる動きが広がってきた(29)。これは、そもそもヨーロッパが、地
域からなる共同体の集合体であり、紛争地域は、実は長期的には、多民族共存地域である
ことが、文化、宗教、慣習などの共存として丁寧に分析されるようになったのである。
こうした事実は、アジアの大陸でも経験しうる事実ではないだろうか。
ヨーロッパには、こうした歴史的な境界線を跨ぐ地域関係が各地で豊かに深く根付いて
おり、そうした作業の掘り起こしと新しいEU内関係としての相互発展が望まれる。
新加盟国を巡る境界の問題としては、1)地域協力としてのカルパチア・ユーロリージョ
ンの活動が、2)カリーニングラード問題、3)トランシルヴァニアのマイノリティ、4)
バルトのロシア人マイノリティ、5)ヴォイヴォディナのマイノリティ、などが挙げられ、
これらについてそれぞれの地域に調査に入った後、は別のところで検討している。(30)
これらの地域の最大の問題は、それぞれの「境界線」地域の財政問題である。経済的に
比較的誘引要因がある工業地帯などであればよいが、境界線地域は、通常資源もなく貧し
く多数のマイノリティが混住し、企業の誘致や投資の拡大など経済発展を推進することが
困難な地域である。その結果、EUの地域政策、国家機関、地域機関、企業、マイノリテ
ィの連携が必要であるが、なかなか思惑通りには動かない、むしろ賃金格差価格差による
シャトルトレーダーや出稼ぎ労働者に対して、如何にそれを制度的にも社会的にも保証し
ていくかと言うきめ細かいフォローアップの作業が必要であると言えよう。
また、文化人類学の成果による境界線地域のコンタクト・ゾーンとしての役割など、旧
来の紛争地域としての境界線の視点を覆す重要な成果を、長期的・継続的な対応として構
築していく視点が不可欠であろう。
他方で、近年、境界線地域に住む知識人などから、マイノリティの言語や文化を細々と
引き継いでいくことは、若年労働者は、頭脳労働者の流出の問題とも絡んで、実際にそこ
に住む人たちの生活の安定化とは必ずしも繋がっていない。むしろIT化やFDIの導入
を如何に図っていくべきかが先決課題である、と言う批判なども出ており、過疎化するマ
イノリティ地域の貧困と格差をどう解決していくか、という民族としての立場と個人とし
ての生き方のギャップも存在し、難しい課題となっている。
教訓 8.拡大による、「民主化」とキャッチアップ
12
地域統合により、民主化が遅れている地域、あるいはもと共産主義の機構の下にあった
地域をどの余に「民主化」し持続的発展につなげていくかは、EU、および各国政権の最
大の課題の一つである。
全体として、一九八九から〇七年まで一八年間の「民主化」の変遷と経済転換について
は、さまざまの形での分析がなされてきた。
中・東欧については、グローバル・デモクラシーとラディカル・デモクラシーの相克(川
原)、社会主義体制からの経路依存性(岩崎、羽場)、移行経済を巡るキャッチ・アップ
とその問題点(小山、堀林)などの分析があるが、最近の状況について、経済社会学者の
チャバ・マコーが、経路依存性と「新経路の創造」について詳細に論じている(31)。彼は、
冷戦の終焉とEUの拡大による、中・東欧諸国のグローバル経済への参与と、労働のデ・
ローカリゼーション、イノベーションの急速な進展の中で、旧来の領域別先進地域の枠組
みが次々に崩れ、イノヴェーションや改革にうまく乗れた国や地域が、小国であれ、また
もともとの発展の度合いとは異なって、上位に食い込み、発展していくこと、格差の是正
や改革においては、教育が発展への重要な役割を果たしていることを明らかにしている。
こうした堪えざるイノヴェーションの促進要因として、マコーは、世界経済の枠組みの中
で、中・東欧の「相対的に安い労働力と生産物」はすでに中国、インドからの挑戦を受け
ており、それにいかに対応していくかが求められている、と語っている。
問題はむしろ、「民主化」の進展の中で、自由化や市場化がますます進んでいくだけで
なく、教訓3でも述べたように、各国におけるゆり戻しが、「参加民主主義の欠如」や政
府・あるいはマイノリティ、移民への不満、ないしはその結果としての保守派への回帰と
なってむしろこの間、経済発展と共にナショナリズムが平行して拡大していることであろ
う。
西欧でも、当初EUの東の境界線で反移民ナショナリズムが成長し、その後中心部でも
右翼政党の伸長を生んだ。また中・東欧では、冷戦終焉直後に広がったユーフォリアの後、
九〇年代には左右の民族主義・農民政党が成長し、
加盟への危惧とあきらめが西欧の保護主
義、ダブルスタンダードへの反発、雇用と社会保障重視。バルカンでは、コソヴォ以降、
民主化の機運が高まり、二〇〇〇年の一二月にミロシェヴィッチ体制の崩壊があったが、
制度の転換と政権の転覆が、参加民主主義を誘い、またその中で、自民族の利益だけでな
く、少数者の保護を保証するメカニズムの構築にはなかなか至らないものの、旧ユーゴス
ラヴィアでも徐々に、ツジマン体制の崩壊、南東欧安定化協定の整備、バルカンの安定と
自由貿易地域にEUが積極的に関与するなどの改革が進みつつある。
しかしそうした拡大の中で、
逆に欧州憲法条約の仏・蘭国民投票での頓挫、
改革と調整が、
西欧では、 経済ナショナリズムの伸長、拡大へのコストへの警戒、被害者意識の成長を
生み、中・東欧では、経済の不安定、物価高への市民の反発、競争と社会保障削減への不
満、失業、年金改革の困難性、バルカンにおける、NATO・国連軍の撤退と、欧州軍への
移管、コソヴォの安定化。南東欧安定化協定の進行と安定・発展の兆しなどの傾向が現れ
ている。
二〇〇七年にスロヴェニアがユーロに加盟し、二〇一〇年前後に中・東欧諸国はシェン
ゲン協定の枠組みに組み込まれていく中、
ヨーロッパの格差が水平・垂直の双方で拡大する
のでなく、雇用、教育、マイノリティ、市民権の拡大などから対立を是正していく、さま
13
ざまな層における対応が必要とされている。
教訓9.上海協力機構(SCO)、メガリージョンへの対応
冒頭に述べたように、SCO は一五億人の構成メンバーを持つメガリージョンである。
ここにおける中国の主導権の実質的な枠組みは、特に中ロの戦略的パートナーシップと、
権威主義・強権政治に反対することによる、対米牽制、対台湾牽制の基盤ともなっている。
中国・ロシア・中央アジアの国々は、グローバリゼーションの中にありつつ、軍事面、エネ
ルギー面、安全保障面で、独自の立場を保持しておきたいと言う思惑がある。とりわけオ
ブザーバーとしてインド、
イランなど中東が入ったことで、
中ロ印の安全保障上の同盟は、
アメリカや国際社会の懸念を呼ぶものであり、これらに対する慎重な対応と、中国の役割
分析(上海協力機構、東アジア共同体、双方への思惑分析)がきわめて重要となっている。
(32)
EUはこの間、周辺国との近隣諸国政策、欧州安全保障戦略(ソラナ・ペーパー)にも力
を注ぎとりわけ中国との経済関係を発展させてきており、お互いに脅威感を与える地域ブ
ロックの対立枠組みではなく、周辺国との共存関係の安定と強化、持続的発展や人間の安
全訴訟など、市民社会にも配慮した戦略の具体化が望まれる。
おわりに:EUと東アジアの、地域共存と相互の発展のために。
以上を見てきたときの解決すべき課題をまとめて終わりとしたい。
一つは、地域統合の究極の課題が、グローバリゼーションの広がりの中で、地域として
の国際競争力(competitiveness)を如何につけつつ、格差のひずみを最小限に抑えるか
であろう。
リスボン戦略の柱であり、またフランスの大統領選挙で、サルコジ・ロワイヤル共に語っ
ていたように、一)競争、二)雇用と社会保障、三)市民参加の三つの柱は、格差の創出
を最小限に抑え是正を保証する基本であろうし、
それをバランスよく実行するものとして、
教育とイノベーションに対応する技術、さらに社会的ケアは不可欠である。ヨーロッパ社
会にとって、アメリカ型競争と社会的弱者の創出は、欧亜ともなじまない。グローバリゼ
ーションに対応しながらも、失業者への雇用、年金生活者、弱者への負担を教育と参加に
より最小限に抑えていくこと、
セイフティネットをととのえていくことを如何にロー・コス
トで行うかが鍵であろう。
第二は、近年欧州憲法条約と移民問題をめぐって現れてきた、地域益、国益、市民益の
トリレンマをどう調整するか、と言う問題である。国権の復権ともいえるネオ・ナショナ
リズムの波が、ポピュリズムとしてより社会的な敗者(Social Looser)を巻き込み成長す
るのを阻止するためには、「プラン D」のような、市民重視の(多様性、対話、議論:
Diversity, Dialogue, Debate) に加え、東西市民間の利害の対立と双方の被害者意識の
ズレの是正(西の市民の過剰負担感、東の市民の西の保護主義への怒りや懐疑)が不可欠
である。
未だ相互に偏見と誤解を内包している東西欧州であるが二七カ国の実質的統合が拡大E
Uを西側も含めて活性化させているという根幹を東西欧州が認識することにより、アメリ
カ・アジアに並び立つ経済圏と市民にとっての持続的発展と市民参加の装置を実現してい
14
くことが必要となろう。
第三に、対外関係、とりわけアメリカ、中国、ロシアとの関係である。
アメリカとの共存に問題はない。
戦後欧州の地域統合、
あるいはASEAN の地域統合は、
常にアメリカとの共同歩調で行われてきた。むしろEUとしては、独自の社会規範や公共
圏の正当性を掲げ、アメリカから自立的枠組みを明示することによって、いかにアメリカ
を引き込むかという姿勢こそ重要ではないか。
長期的に見た場合、中国・インドあわせて二八億人を超える市場を上海協力機構が組織
するか、東アジア共同体我組織するかで、国際情勢は大きく変化しよう。
中国、ロシアとの経済共存、「民主化」の側面補助、エネルギー共存は不可避である。二
〇〇七年 5 月の時点で、EU・ロシア首脳会議は合意形成に苦慮しているものの、今後の
地域統合は、潜在的「敵」を容認するものではなく、いかに近隣諸国と共同し、かつ国益、
市民益を満たすものとしていくかが問われることとなろう。
<注>
(1)本論文の原稿は、2006 年 4 月3日にブリュッセルの日EUプレ・サミットで行った英
文報告”The Lesson of the Enlarged EU and the East Asian Community”および2007
年 3 月25日にボストンの AAS(Association for Asian Studies)国際会議での報告を
基礎としたものである。
(2) 「 2006-2007 年 中 国 経 済 見 通 し 分 析 編 」 三 菱 総 合 研 究 所 、 5 頁 、
http://www.mri.co.jp/REPORT/ECONOMY/2006/er060606.pdf
(3)天児慧 「アジアの知的リーダーたれ」『朝日新聞』2007.2.21.
(4)上海協力機構については、
「存在感増す上海協力機構―中露間に思惑の違いがあるかー」
『選択』2006 年 5 月。、玉木一徳「中央アジア諸国の体制移行と上海協力機構」「上海
協 力 機 構 と 中 央 ア ジ ア ・ 新 疆 ウ イ グ ル 自 治 区 」
http://www.h3.dion.ne.jp/~asiaway/special/sp-news/nwh01-6a.htm
(5) Win Thye Woo, “The Asian Regional Integration and the Role of the US and
China”, Senior Fellow, John L. Thornton Center, The Brooking Institution,
Keidanren International Meeting, 16 March, 2007.
(6) - Laurens Annie-France et Pomian Krzysztof、 L'Europe et ses nations. Paris : Gallimard,
1990. クシシトフ・ポミアン著、松村, 剛訳『ヨーロッパとは何か : 分裂と統合の一五年』 平
凡社、2002 年。
(7) 「境界線」については、分断線・紛争線としての、ハンチントンのフォルトライン(要塞)認
識
SamuelP.Huntington,"The Clash Of Civilizations And The Remaking Of
World Order (鈴木主税訳『文明の衝突』集英社、1998.)、出会いの場・コンタクト・ゾーンと
しての、文化人類学的観点からの報告集 Kisebbség és kultúra, Antropológiai Tanulmányok, (少
数民族と文化、アンソロポロジー研究)、Szerkesztette; A Gergely András Papp Richard, MTA
Etnikai-nemzeti Kisebbségkutató Intézet(ハンガリー科学アカデミー少数民族研究所、Budapest,
2004.
(8) 六者協議については、姜 尚中、日朝関係の克服―最後の冷戦地帯と六者協議、集英社、
2007. 日朝国交促進国民協会 (編集) 日朝関係と六者協議―東アジア共同体をめざす日
15
本外交とは 、彩流社、2005.、東アジア共同体との関係については、小原 雅博、東アジア
共同体―強大化する中国と日本の戦略 、日本経済新聞社、2005.などを参照。
(9) Wider Europeの原文については、COMMUNICATION FROM THE COMMISSION TO
THE COUNCIL AND THE EUROPEAN PARLIAMENT, Wider Europe— Neighbourhood: A
New Framework for Relations with our Eastern and Southern Neighbours, COMMISSION OF
THE EUROPEAN COMMUNITIES, Brussels, 11.3.2003.
(10) 小国、下位地域協力の重要性については、百瀬宏『小国―歴史に見る理念と現実』岩
波書店、1988 年、百瀬宏編『下位地域協力と転換期の国際関係』、有信堂高文社、1996
年、百瀬 宏、大島 美穂、志摩 園子、『環バルト海―地域協力のゆくえ』、岩波新書 1995
年などを参照。
(11) L.S. Stavrianos, Balkan Federation, New York, 1942. Mérei Gyula, Federációs
tervek Délkelet Európában és a Habsburg Monarchia, 1848-1918, Budapest, 1965..
(12) Kossuth Lajos, Dunai Konfőderáció terve, 1905.
(13) 歴史的なロシア・ヨーロッパ関係は、経済、安全保障、文化、外交・社会関係、など
において、たぶんにアンヴィヴァレントな関係であり続けた。それは冷戦後のEUロシア
関係においても、そうした相互依存と不信の不安定な関係は、国境周辺の地域と民族関係
に未だに投影されている Россия и Европа. Наука. Москва. 2004., The Two-Level
Game: Russia's Britain, Finland and the European Union, Aleksanteri Series 2/2006,
Grummer Kirjapaino, 2006. EU Expansion to the East, Prospects and Problems, Ed. by
Hilary Ingham and Mike Ingham, Edward Elgar, Cheltenham, UK, 2002.
(14) 近年の西欧諸国の移民とマイノリティのシチズンシップを巡る対応の危機について
は、
宮島喬「西欧における移民受け入れ・統合政策の三つのパターンおよび収斂?-統合型、
多文化型、コーポラティズム型―」法政大学大学大学院ヨーロッパ研究所研究報告
2006.4.23. 宮島喬「シティズンシップの確立を求めて」羽場久美子・小森田秋夫・田中素
香『ヨーロッパの東方拡大』岩波書店、2006. 宮島喬『移民社会フランスの危機』岩波
書店、2006 年。
(15) EU の起源を、統合と分裂、ヨーロッパの分断と冷戦の開始、ドイツ問題から自由化
の過程の中で論じているものに、Origins and Evolution of the European Union, ed. by
Desmond Dinan, Oxford University Press, 2006.を参照。
(16) 1995-6 年、EUが中・東欧に対する姿勢を加盟を前提とした交渉へと転換させてい
く契機の一つとなった、世界の GDP(アジア諸国を含む) および一人当たり GDP の比較
については、羽場久美子『拡大するヨーロッパ 中欧の模索』岩波書店、1998 年、35、
64 頁。および、羽場久美子『拡大ヨーロッパの挑戦 アメリカに並ぶ多元的パワーとなる
か』中央公論新社、2004.
(17)チャーチルの「主権の治療」については、井野瀬久美恵「『イギリス』を作り変えるー
ブリテン、帝国、ヨーロッパ」京都大学 COE 研究会報告、鴨武彦『ヨーロッパ統合』に本
放送出版協会、1992 年。W.ウォーレス、鴨武彦・中村英俊訳『西ヨーロッパの変容』岩波
書店、1993 年。歴史的境界線を巡るヨーロッパの分断と統合を、文化、宗教、価値、使命
観などから分析したものに、クシシトフ・ポミアン、松村剛訳『ヨーロッパとは何かー分裂
と統合の 1500 年』平凡社、2002 年、山内進『北の十字軍―ヨーロッパの北方拡大』講談
16
社、1997 年。
(18) 第二次世界大戦死者数、概算 The Times Atlas of the Second World War, ed. by
John Keegan, Times Books, London。1989.
(19) Robert Frank, Director of the Institute of History of International Relations, Discussion,
March 2004.
(20)EU拡大の経緯と、拡大後 2 年たった各国に見られる、拡大疲れや移民の忌避など社
会における不満の蔓延とネオ・ナショナリズムについては、羽場久美子「EU統合とナショ
ナリズムーグローバル化と「民主化」の帰結」田中俊郎・庄司克宏『EU統合の軌跡とベクト
ルートランスナショナルな政治社会秩序形成への模索』慶応大学出版会、2006 年。
(21) 増田正人「アメリカン・グローバリゼーションとユーロ」『ヨーロッパの東方拡大』
岩波書店、2006 年、97-98 頁。
(22) 増田正人、同、106-108 頁。
(23) 田中素香『拡大するユーロ経済圏―その強さとひずみを検証する』日本経済新聞出
版社、2007 年、318-319 頁。
(24) この時期アメリカの政策決定に関与する知識人が次々に欧州を引いてその国際規範
と公共圏の重視を訴えたことが特徴的である。The End of the American era: U.S. foreign
policy and the geopolitics of the twenty-first century, Charles A. Kupchan, Knopf. New York,
2002,(チャールズ・カプチャン坪内淳訳『アメリカ時代の終わり』に本放送出版協会、2003
年。G. John Ikenberry. After victory : institutions, strategic restraint, and the
rebuilding of order after major wars , Princeton University Press, 2001. G・ジョ
ン・アイケンベリー著 ; 鈴木康雄訳.『アフター・ヴィクトリー : 戦後構築の論理と行動 』
NTT出版, 2004.8 (叢書「世界認識の最前線」).
(25) アウエルは、ポーランド、チェコなど中欧は、ドイツとソ連の狭間で翻弄された歴
史的経緯とプラグマティックな現状打開の政策から、この地域がリベラルとナショナリズ
ムが結びついた独特の領域となっていることを論じている。Stefan Auer, Liberal
Nationalism in Central Europe, Routledge Curzon, London and New York, 2004.
(26)ソフト・パワーを巡るアメリカの世界的影響力の低下とソフト・パワーの重要性につい
ては、Joseph S. Nye, Jr. Soft Power, The Means to Success in World Politics, The
Sagalyn Literary Agency, Bethesda, 2004.(ジョセフ・ナイ、山岡洋一訳『ソフト・パワ
ーー21 世紀国際政治を制する見えざる力』日本経済新聞社、2004 年。ブッシュ第二期政
権の行動分析については、「ブッシュ第二期政権の安全保障と世界」『防衛研究所所報』
2005 年 2 月。http://www.nids.go.jp/dissemination/nids_news/2005/pdf/200502sp.pdf
(27)ロシアとEU、ロシアとNATOの関係については、St. Petersburg の国際間研究所で
恒常的に国際会議とその成果の出版が積み重ねられてきている。たとえば、Россиия и
Европейский Союз в болышой Европе. Новые Возможности и старые баръеры.
Санкт Петербургского Университета. 2003. Россия и НАТО . Новые Сферы
партнерства. Санкт Петербургского Университета. 2004.等を参照。
(28)一橋 EUIJ 羽場久美子「ヨーロッパの境界線と秩序の再編」山内進編『ヨーロッパのフロ
ンティア』2007 年(予定)参照。
(29)先にも触れたような、出会いの場・コンタクト・ゾーンとしての、文化人類学的観点からの
17
報告集 Kisebbség és kultúra, Antropológiai Tanulmányok, (少数民族と文化、アンソロポロジー
研究)、Szerkesztette; A Gergely András Papp Richard, MTA Etnikai-nemzeti Kisebbségkutató
Intézet(ハンガリー科学アカデミー少数民族研究所)、Budapest, 2004.
(30) 羽場久美子「ヨーロッパの新たな境界線と民族」『拡大ヨーロッパの挑戦』中央公論新社、
2004.
(31) 川原彰「重層化する民主主義の問題領域」内山秀夫・薬師寺泰蔵編『グローバル・デモクラ
シーの政治世界―変貌する民主主義の形』有信堂、1997 年。岩崎一郎「体制移行期における
ロシア・中央アジア諸国間分業関係の経路依存性:試論」2005 年、羽場久美子
「拡大EUの波及
効果と中・東欧の「民主化」比較政治学会大会: 分科会「中東欧の民主化・市場化と経路
依存性」2005 年、小山洋司『EUの東方拡大と南東欧』ミネルヴァ書房、2003 年。Csaba
Makó-Miklós Illéssy, “Economic Modernisation in Hungary: The Role of Path Dependency and
Path Creation”, Institute of Sociology Hungarian Academy of Sciences, Research Group of
Sociology of Organisation and Work, Budapest, March 2007.、一橋大学経済研究所での講演、
2007.5.11.
(32)きわめて重要な潜在的パワーを秘めているにもかかわらず、その相互信頼性の弱さからか、
分析の難しさからか、これを詳細に分析した著書はまだ見出せていない。当面、東アジア共同
体との関係で、ユスフ・ワナンディ「東アジア共同体への米国の関与」『外交フォーラム』2005.10
石井明「中露戦略パートナーシップと上海協力機構」木村汎・石井明編『中央アジアの行方』
勉誠出版、2003.岩下明弘「中央アジアを巡る中ロ関係」「中央アジアを巡る新たな国際情勢の展
開研究会、政策提言・報告書」『日本国際問題研究所』2003.沼尻勉「中国北西部の安定に寄与す
る『上海協力機構』を創設―ロシア、中央アジア諸国ら 6 カ国が参加」『軍務問題資料』2001.9.
凌星光「中国『国際協調主導型市場経済』構築の試みー『上海協力機構』メカニズムの始動」
『世界経済評論』2001、8 月号など。
18