インタビュー メリチ大使 へのインタビュー 駐日トルコ共和国 ∼ 映画「海難 1890」の封切りに向けて ∼ 映画「海難 1890」が 12 月の封切りに向けて順調に制作が進んでいる。 この映画化を機に、トルコ共和国における日本、特に串本町への思いを汲 み取るべくメリチ大使にインタビューをさせていただいた。 平成 26 年 12 月初旬、明治神宮前にあるトルコ共和国大使館を訪ねた。 メリチ大使には柔和な笑顔でインタビューに接していただき、その素晴ら しい人柄が現れていた。駐日大使に着任される前に、串本町のトルコ軍艦 エルトゥールル号遭難慰霊碑前で行われた追悼式典に出席されるなど、日 本との友好関係を一層発展させたいという“熱い思い”と“まごころ”が 伝わってきた。 ① 日本及び日本人の印象は、どうでしょうか? の手厚い手当をはじめ、僅かしかなかった食料 私は、日本に縁のない大使ではございません。 や衣服を提供して、献身的に救出を行いました。 28 年前に若い外交官として赴任しました。そ この事実が心をまず動かし、さらに殉難将兵へ の時、日本人の女性に出会い結婚しました。そ の思いを大切にしてくれました。亡くなった兵 のため、第二の故郷と思っています。つまり日 士に対して慰霊碑を建て、慰霊祭を行うなど、 本社会の一員であると考えています。私は日本 これらの二つの事がトルコ人の心を大きく動か 人のことをよく理解しているつもりです。日本 したのです。そして今なお、トルコ人の脳にも 人は、勤勉で親切です。そして人道的にやさし 心にも強く刻まれているということです。 い、素直でまごころの人という印象を持ってい ます。 ③ トルコではどのように伝えられてきたので しょうか? ② 何故、エルトゥールル号はトルコ国民の方 この物語は、世代から世代に語り継がれてい 々の心を動かしたのでしょうか? ます。私は、祖父から物語として聞きました。 小松宮殿下のご訪問に対する答礼として、使 祖父は、当時の様子を詳細に語ってくれました。 節を派遣することになりました。両国の国交の そして、我々も子供に語り継いできた。日本と 樹立の前に、友情のきずなを結びました。普通 いうだけでエルトゥールル号を思い出す。学校 とは逆です。日本とトルコの両国民にまず友好 の教科書にも取り上げられており、125 周年 があって、国交は無かったのです。エルトゥー を機により詳細に伝えていくこととなるでしょ ルル号は災難です。トルコ人にとっては災いで う。 した。しかしエルトゥールル号では、生存者へ 2 21 世紀 WAKAYAMA ④ 将来への友好関係の継続のために、どのよ うなことを考えられていますか? トルコ共和国と日本の友好関係は国民同士の 友情の上に立っています。すべてはその礎で支 えられています。トルコ人は日本という国名を 口にするだけで、親近感が湧いてきます。それ はトルコ共和国大使も同じです。そして歴史を 振り返ってみると、類似点が多くあることに気 づきます。両国とも、それぞれ文明の拠点になっ ており、それを維持しつつも、西洋化に取り組 んできました。しかし西洋の文明を取り入れて も、自らの文明はしっかりと保持してきました。 そこが良く似た文明であると思われるのです。 従って、次世代にそれぞれの国のことを紹介し ていくことが大事だと思います。 ⑤ 映画に対するコメントをお願いします。 この映画は非常に重要であると認識しており ます。映画化のプロジェクトが立ち上がり、そ のことを両国政府が支持してきました。この映 画化へのサポートは、両国の首脳同士の会談か なければと思っています。 (メリチ大使には、快くインタビューに対応して いただき、心より厚く御礼申し上げます。また、 このインタビューが実現するに際して、串本町の 格別の御尽力に対して深い謝意を表します。聞き 手は、一般財団法人 和歌山社会経済研究所 堀 切副理事長、髙田元研究部長。インタビュー内容 は、髙田元研究部長がとりまとめました。) ら生まれたものです。若い世代からお年寄りま での心に届く映画を期待しております。特にイ ンパクトのあるものにし、語り継がれていくも のにしたい。私はこれを目指して努力していか オスマン帝国海軍 エルトゥールル号 21 世紀 WAKAYAMA 3
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