- 11 - 日航本社は承知し派遣を決めたが、 社内労働組合が派遣を拒否

日航本社は承知し派遣を決めたが、
社内労働組合が派遣を拒否、航空自衛隊出
身 の パ イ ロ ッ ト が 乗 機 ス タ ン バ イ し た が 地 上 勤 務 の 労 組 が 職 場 放 棄 し た た め 、飛 ぶ
こ と が 出 来 ず 、 48 時 間 が 経 過 し て し ま っ た 。
その 当時 航空 自衛 隊 が保有 して い た輸 送機 C-1 は 極 端に 飛行 距離 が短 い よう に設
計されており、これは野党、左派、革新勢力に対して配慮したもので、国内間しか
飛 べな かっ た。
( 現 在はア メリ カ 製の C-130 が 導入 され たし 、政 府専 用 機が世 界
中何処へでも飛べるようになった。この事件が切っ掛けだった)
在 イ ラ ン 日 本 大 使 館 も JAL が 派 遣 出 来 な い と 通 告 を 受 け て か ら 必 死 に な っ て 外
国航空会社に依頼したが、自国民を運ぶだけで手一杯と断られ、土壇場に追い詰め
られた野村豊特命全権大使が個人的に親交のあった在イラン全権大使であるイスメ
ット・ビルセル・トルコ大使に救援を依頼したところ、トルコ政府に連絡してくれ
て、さらに野村大使からこの知らせを聞いた中曽根総理も直接トルコ政府に懇願し
た 。こ れに 対し トル コ 政府は 自国 民 のト ルコ 人 500 人 を救 助に 向か わせ る 為に 準備
を して いた 旅客 機 DC-10 機 長 オズ デ ルミ ル操 縦士 を日 本 人救出 に切 り換 え 、イ ラン
の テヘ ラン 空港 に着 陸 し無事 215 名 の 日 本人を 救 出し トル コの 空港 に帰 っ てき た。
無差別攻撃刻限ぎりぎりでの救出に成功した。
トル コの 人達 約 500 人 は 陸 路車 で 脱出 した。 こ れは トル コと イラ ンは 隣 接し てお
り平時は車で行き来しているから馴れているとはいえ、戦時に日本人を優先して救
出し、自国民を陸路で還ってこいといったトルコ政府の厚情に感謝しなければなら
ない。
もし日本政府がこのような措置を執ったら日本国民はどう反応するだろうか。お
そらく非難の渦が巻き起こるだろう。またこのような友情溢れる行為があったこと
を日本人はこの事実を全く知らないし、無関心そのものだった。
また 、邦 人救出 の救 援 機派 遣を 拒否 した 日航 の労 組に たい し ても 非難は 全 くな し 、
かえって戦場への派遣を拒否するのが当然と支持したようだ。
トルコの人達は猛烈な日本ファンが多いのは事実で、これはトルコのボスポラス
海峡が黒海と地中海を結ぶ唯一の水路で帝政ロシアとトルコ政府の対立の原点でも
あ り 、ト ラ ブ ル の 連 続 で も あ っ た 。
それを遠く離れた日本が日露戦争で宿敵帝政ロシアを撃破してくれたのだからト
ルコ国民は狂喜した。しかも同じ有色人種が白人をやっつけるという史上最初の快
挙 をや り遂 げた のだ か ら、歓 びは 極 点に 達し たよ うだ 。
トルコの小学校では長い間、修身の教科書に東郷元帥と乃木大将の逸話が記載さ
れていたから全トルコ国民が知っている英雄であり、街の通りの名も、トウゴウ通
り、ノギ通りが実在する。
そ れ と 1890 年 、 和 歌 山 沖 で 遭 難 し た ト ル コ 海 軍
フリゲ-ト・エルトゥ-ルル
号 の 乗 組 員 救 出 に 尽 力 し た 地 元 民 の 献 身 的 な 働 き が 、矢 張 り 修 身 の 教 科 書 に の っ て
おり、全トルコ国民はその恩義を感じている。ところが日本人は誰も知らないし、
これまた全くの無関心。
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