建築理論の近現代建築史 2012.4.18 加藤耕一 近代建築理論研究会 Harry Francis Mallgrave, Modern Architectural Theory: A Historical Survey, 1673-1968, Cambridge Univ. Press, 2005 日時:隔週水曜日、18:00∼ 5/2(水)、5/16(水)、5/30(水)、6/13(水)、6/27(水)、7/11(水)、7/25(水) 場所:306(加藤研)、309(建築史作業室)、315(会議室)など ※ 随時確認のこと 発表:発表者は担当箇所のレジュメを作成し発表する、その後全体でディスカッション ※ レジュメには、内容の概略と、登場した建築家・作品・著作等の調査を含む ※参考文献などがあれば持参してください 各回のレジュメはデジタルデータも提出 ※加藤研ホームページからダウンロードできるようにします http://www.history.arch.t.u-tokyo.ac.jp/kato/theory.html 担当者の割り振り ※各回ごとに1章 or 2章ずつ読んでいくペースで進める(?) ※各章を何人で担当するかは相談 建築理論の近現代建築史 2012.4.18 加藤耕一 近代建築理論研究会 Harry Francis Mallgrave, Modern Architectural Theory: A Historical Survey, 1673-1968, Cambridge Univ. Press, 2005 Harry Francis Mallgraveについて born in 1947 1979-1983: University of Pennsylvania, Ph.D of Architecture(1983), dissertation on Gottfried Semper 1987-2001: Editor of Texts & Documents Series, Getty Research Institute Professor of IIT College of Architecture *Awards/Honors- Alice Davis Hitchcock Award (1997), Society of Architectural Historians, Gottfried Semper: Architect of the Nineteenth Century, Yale University Press, 1996 *Publications - An Introduction to Architectural Theory: 1968 to the Present; New York: Wiley-Blackwell, 2011 (with David Goodman) - The Architect's Brain: Neuroscience, Creativity, and Architecture; New York: Wiley-Blackwell, 2010 - Otto Wagner; Milano: Electa, 2010 - Architecture in Theory: 1871 to 2005 (vol. 2 of 2); Oxford: Blackwell Publishers, 2008 - Modern Architectural Theory 1673-1968; New York: Cambridge University Press, 2005 - Architecture in Theory: Vitruvius to 1870 (vol. 1 of 2); Oxford: Blackwell Publishers, 2005 - Gottfried Semper: Architect of the Nineteenth Century; New Haven: Yale University Press, 1996 trans. ed. - Gottfried Semper: Style in the Technical and Tectonic Arts; Los Angeles: Getty Publication Programs, 2004 - Empathy, Form, and Space: Problems in German Aesthetics 1873-1893; Santa Monica: Getty Publication Programs, 1994 - Otto Wagner: Reflections on the Raiment of Modernity;Santa Monica: Getty Publication Programs (Editor), 1993 - Gottfried Semper: The Four Elements of Architecture and Other Writings; New York: Cambridge University Press, 1989 - Otto Wagner: Modern Architecture; Santa Monica: Getty Publication Programs, 1988 2012.4.18 加藤耕一 建築理論の近現代建築史 はしがき 過去数世紀にわたる建築のイデアに立ち向かうことは、眠れるプロテウス──アザラシの世話をする神話 上の海神であり、『オデュッセイア』によれば、眠っているところを襲われたときにさまざまな姿をとって 逃げようとした──に向かって突進することに少し似ている。理論がさまざまに偽装しながらもついには真 のアイデンティティを顕わにせざるを得なくなるまで、じっと耐えるしかないのである。建築理論は17世紀 に整備され、その主たる思想はおおよそ一つか二つに限定されたアカデミーのなかで、 講義や論文を通じて 説き明かされた。啓蒙運動の時代になると、それは初めて公共の場へと飛び出し、非学術的視点が学術的教 義を受容する挑戦が始まる。19世紀の国家的アイデンティティの勃興と建築雑誌の普及は、建築理論の論説 を限りなく拡大し促進した。そしてもちろん20世紀のさまざまな宣言書はたいてい短いものであったが、ミ ニマリストたちが論争を巻き起こす声明書は、格言的なダイアグラムや簡略なスケッチにまで力強く削ぎ落 とされた。われわれは建築理論を最大限広義に捉え、堅苦しいものもそうでないものも含めた建築的思考の 歴史として単純に定義すべきであろう。さらにいえば、すでに存在しているものと関連づけて自己を定義づ けたいという要求をどの世代も処理してきたのであるから、建築理論はほとんどいつも過去に対する反動 だったのである。 本書は1673年から1968年というやっかいな年までの近代建築の思考の主要な流れを語ろうとするもので ある。これらの年代は恣意的に見えるかもしれないが、そこには根拠もある。まずはじめに、「理論」と 「近代」という言葉が重要性を帯びるようになったのは17世紀後半のことであった。ギリシア語あるいはラ テン語のtheoriaという言葉は──ギリシア語のtheros(見物人、目撃者)、theos(神)、そして theatron(劇場)と関連している──初期古代においてはいくつもの意味を有していた。それは宗教儀礼に 参加したり補助したりして神託を求める人物のことを示しており、あるいは(もっとも古い時代には)神を 目撃する体験を示していた。この事実を鑑みて、デイヴィッド・レザーバロウはtheoryの詩的な意味をめぐ る議論のなかで、宗教的な悟りや人の人生を変化させるような体験をしている人物に光を当てた1 。後期古 代においてはこの言葉は「見つめる、注意深く見る、凝視する」などを意味するようになった。アリストテ レスはたとえば、「熟慮の対象」に言及するのと同様に、theoriaという語を「凝視する、熟慮する」という 意味で用いている2 。キケロはアッティクスに宛てた手紙のなかでこのギリシア語を大雑把にこの意味で用 いているが、ラテン語においてこの解釈は、中世を通じてこの言葉が哲学的問題に適用されるようになるま で比較的まれであった3 。ローマの建築家ウィトルウィウスは、彼の有名な理論と制作の識別のために、た とえば前者のために「推論、予測、推理、立論の道筋」を意味する言葉であるratiocinatioを用いた4 。 1 David Leatherbarrow, The Roots of Architectural Invention: Site, Enclosure, Materials (New York: Cambridge University Press, 1993), 218-20. 2 Aristotle, Metaphysics 1003b 15, 1083b 18. 3 Cicero, Letters to Atticus, trans. E. O. Winstedt (London: William Heinemann, 1918), 7:6. 4 Vitruvius, On Architecture, trans. Frank Granger (Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1998), bk. 4 chap. 5, 103-7. 建築理論の近現代建築史 2012.4.18 加藤耕一 イタリア語のteoriaは、芸術に関する後期ルネサンスの著作のなかに時折現れた5 。ジョルジョ・ヴァザー リは『列伝』(Le vite)の1558年の版のなかで、芸術家は継続的に実践と融合すべきであるという理論的な 信念に言及するために、アルベルティに関する記述の冒頭でteoricaという語を用いた6 。その1年前にはダニ エル・バルバロがウィトルウィウスの『建築書』のイタリア語訳のなかでratiocinatioをdiscorsoと訳した7 。 イタリア語ではこの世紀の早い時期にはratiocinatioの訳としてcalculationeやratiocinationeの方が好まれてい たので、バルバロはもしかすると、1547年にこの語をフランス語のdiscoursと訳したジャン・マルタンの先 例に従ったのかもしれない8 。いずれにせよ、théorieという語がフランス語に、そしてtheoryが英語に広く受 容されるようになるには次の世紀を待たなければならず、しかもそれは、はじめは科学の分野においてで あった。1656年、ブレーズ・パスカルは『プロヴァンシアル書簡』の7通目において、実践(実際)の対義 語に言及するに当たってthéorieという語を完全に近代的な意味で用いている 9。より重要なのはクロード・ ペローであり、彼は1673年のウィトルウィウスの翻訳のなかで、ラテン語のratiocinatioに対してthéorieを選 んだ。この語とその類義語は瞬く間にヨーロッパ中に広まり、建築の議論におけるスタンダードになった。 ペローのテキストの簡約版を底本として1692年に出版された英語版は、この言葉を建築的な用例として最初 に定着させたものである 10。theoryという語は、建築的思考の主要な部分にあまりにもうまく適応したの で、11年後にこの本が再版されたとき、そのタイトルはThe Theory and Practice of Architecture; or Vitruvius 5 Luigi Grassi and Mario Pepe, Dizionario della critica d'arte (Turin: Utet, 1978), 2:599 を参照。この文章のなかで、 teoriaを用いた例として、ロレンツォ・ギベルティ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ヴィンツェンツォ・ダンティ、ジョル ジョ・ヴァザーリ、ジョヴァンニ・ロマッツォが挙げられている。 6 Georgio Vasari, Le vite de' più eccellenti pittori scultori e architettori (Novara, Italy: Instituto Geografico de Agostini, 1967), 2:411. イタリア語では次のように書かれている:「また、いかなることを実行しようとするにせよ、実践が伴わ なければ往々にして役に立たない他人の理論の恩恵をあてにせず、自らの熟慮にもとづき、独力でそれらを活用しうる か否かを判断できねばならないことを、知らない人がいるだろうか。」(ヴァザーリ『ルネサンス彫刻家建築家列伝』 森田義之監訳、白水社、1989年、p.209) 7 Vitruvius, I dieci libri dell’architettura, tr. et commentati da monsignor Barbaro (Vinegia, Italy: Marcolini, 1556). 8 Jean Martin, Architecture, ou, Art de bien bastir de Marc Vitruve Pollion (Paris: Gazeau, 1547). 9 Blaise Pascal, Les Provinciales, ou lettres écrit par Louis de Montalte, ed. Charles Louandre (Paris: Charpentier, 1873), 135.「悪口をいわれたなら人を殺してよいという意見は、理論上必ずしも蓋然的でないわけではないが、実際面ではこ の意見をとらない方がよい。」(『パスカル著作集』第三巻、田辺保訳、教分館、1980年、p.156) 10 An Abridgment of the Architecture of Vitruvius, Containing a System of the Whole Works of that Author (London: Unicorn, 1692). Art. 2 (pp. 23-4) には次のように書かれている。 「建築は他の多くの偉大なる芸術と科学の学識に裏打ちされるべ き科学であり、したがって、それに属するすべての芸術作品に関する正しい判断の手本となるということを意味してい る。この科学とは理論と実践によって獲得されるものである。」本書は1674年と1681年に出版されたフランス語の簡約 版Architecture generale de Vitruve reduite en abreg’, par Mr. Perrault, からの英訳である。 建築理論の近現代建築史 2012.4.18 加藤耕一 and Vignola Abridg’d(『建築の理論と実践:あるいはウィトルウィウスとヴィニョーラ簡約版)に変更され たのだった11 。 好都合なことに、modernという語もこの頃から用いられるようになった。同様の概念を表すために初期 古代の他のいくつかの言葉も用いられていたが、modernのラテン語の起源であるmoderunusは紀元後5世紀 末になって初めて登場した12 。それがようやく普及するのは8世紀か9世紀になってからのことであり、 modernitas(今日的な)やmoderni(最近の人々)などのかたちで用いられた。しかしながら芸術の用語と してmodernが一般的になるのは、17世紀末の「古代 - 近代論争」においてであった。この「口論 (quarrel)」は1670年代から1680年代にかけて行われた芸術と文学の分野における論争であり、近代理論 の形成において決定的なものだった。これは、古代ギリシア・ローマ時代の芸術面における優位性を擁護し ようとする人々と、「理性的な」基準と洗練された趣味ゆえに近代的な芸術家の優位性を支持しようとする 人々とを、互いに反発させたものである13 。「古代」派は概して、近代に新しく考案された「装飾」よりも 古典時代に考案されたものを好んだ。「近代」派は、過去の研究から得られる恩恵を認めながらも、その 「不完全さ」ゆえに敢えて古代を批判しそれを乗り越えようと努めた。そして多くの研究はこの論争を1680 年代末に追いやろうとするが、建築系の人々のあいだでこの論争が実際にはじまったのは、あるひとつの脚 注がきっかけとなったためであり、それは、またもや1673年のペローによるウィトルウィウスの翻訳中のも のだったのである。 本書を終わらせる年代として1968年を選択したことにも、少し説明が必要だろう。まずはじめにこの年 は、モダニティの終わりを示すものとして、あるいは建築の死を意味するものとして選ばれたわけではない し、世界的な思想のコンセプチュアルな発展のなかで、より大きなパラダイムシフトを示すものとして選ば れたわけでもない。本書は、文化産業との関連性を論じるものではないし、「損害と断絶の傷跡」に基づい たアヴァンギャルドの概念について論じるものでもなく、ましてやベンヤミン的なアウラ無き世界で一時停 止した芸術の生命をモンタージュにして論じるわけでもない14 。フランチェスコ・ダル・コは近年、 今日の 11 The Theory and Practice of Architecture; or Vitruvius and Vignola Abrig’d (London: R. Wellington, 1703). 12 たとえば、後期古代の文法家たちのグループは当節の著述家たちに言及するために、Neotericusという言葉を使って Neotericiと呼んだ。Ernst Curtius, European Literature and the Latin Middle Ages, trans. Willard R. Trask (New York: Pantheon Books, 1953), 251. 13 この論争とモダニティとの関連については次を参照。Matei Calinescu, Five Faces of Modernity: Modernism, Avant- Garde, Decadence, Kitsch, Postmodernism (Durham: Duke University Press, 1987), 26-35. 芸術に関連するこの出来事につ いては次の2つの古典的著作がある。Ange-Hippolyte Rigault, Histoire de la querelle des anciens et des modernes (Paris: Hachette et cie: 1856)、Huber Gillot, La querelle des anciens et des modernes en France (Paris, 1914). 14 引用はテオドール・アドルノ『美の理論』より。全文は以下の通り。「近代の芸術作品の真性の質を保証するものは なんだろうか。変わらないものの滑らかな表面で、それらによって押しつけられる損害と断絶の傷跡である。」この文 はもちろん、マックス・ホルクハイマー、ヴァルター・ベンヤミン、そしてアドルノ自身のよく知られたモデルや言葉遣 いをほのめかしている。 建築理論の近現代建築史 2012.4.18 加藤耕一 教育の場における理論の成功と「実践的建築家の側における理論的作品の減少と、歴史研究によって要求さ れるますます強調される自立性」のあいだの奇妙な符合を指摘した15 。この指摘──実践における理論が弱 まったときに理論は栄え、またその逆も然りである──は、過度に概念化されてしまったモデリングに対す る理論の抵抗に光を当てるものであり、たしかに大変興味をそそられるものである。建築理論とはおそら く、適度に完結した本体として、あるいは何世紀もかけて形成された思想の文化、絶えず変化しつづける文 脈に向き合ってもまったく変わらず安定したままの思想として見ると、より理解しやすい。そしてこの意味 において建築の議論は、1960年代末から1970年代初頭にかけて、いかなる断絶の兆候も思考の決裂もなく きわめてシームレスに変化したのである。 しかしながら、1968年は単なる好都合な休息場所ではない。それはドラマチックな社会的対決と、戦争 や厳しい経済的停滞によってもたらされる結末にも比すべき戦略と感受性の転移によって特徴付けられる大 変動の年であった。この年とそこで起こった出来事は、現代建築理論の主要部分と、その過程において議論 に注ぎ込まれた若干の知的労力、かけひき、冷笑的態度とのあいだの関連性を疑った──たとえこれらの特 徴が北アメリカよりもヨーロッパやアジアにおけるまったく異なった政治的な含意と共鳴していたとして も。我々はまた、怒りやくだらなさ、世界を変えたいと欲しつづける建築家の広範囲に及ぶ信用の失墜 と いった感覚を大目に見るべきではない。もし1970年代の理論的な熟考が、一方では形態を再意味化するよ うになり、他方ではかつての内容を非意味化するようになるとしたら、双方の努力はまったく同じ衝動の誕 生とみることができるだろう。理論は1968年には変化しなかったが、その文脈はしだいに方向を変えたの である。 私はまた、理論の歴史は建築の歴史とは異なるということを強調したい。前者において重要なのはイデア であり、主要な建築家たちの何人かは理論の推移にはごくわずかな影響しか与えなかったが、その一方であ まり重要ではない建築家たちが大きな衝撃を与えることもあった。したがって理論の傾向は、歴史のそれと は異なっているのである。同様に、もし私がある特定のムーブメントや組織──1920年代のデ・ステイルや バウハウスなど──を特権的に扱ったしたとしたら、それは歴史記述としてその年代の文脈において卓越し ていると認めざるを得なかったからではなく(明らかに過去の歴史家たちはそうしてきたのだが)、むしろ それは同時代の他の出来事と比べて理論分野に対して彼らがより大きくより直接的な影響を与えたからであ る。さらにいえば、本書はまったくすべてを包括するものではないが、西洋の理論の発展として、ヨーロッ パと(少し遅れるが)北アメリカから発信されたものの双方のバランスがとられるように配慮した。 すべての本はそれ自身、生命を帯びている。本書に取り組むことになったきっかけはクラーク・アート・ インスティテュート研究センターに招かれたことであり、私はそこで マイケル・コンフォーティ、マイケ ル・ホーリー、そして美しい景色に囲まれたウィリアムスタウンの牧歌的な図書館のスタッフに大変お世話 になった。本書の最終章はモントリオールのカナダ建築センターで書き上げられたもので、ここに招待して くれたフィリス・ランバートの寛大さに感謝すると同時に、そこで何度も議論の相手をしてくれたルイス・ 15 Francesco Dal Co, review of Architecture Theory Since 1968, edited by K. Michael Hays, Journal of the Society of Archi- tectural Historians 59 (June 2000): 271. 建築理論の近現代建築史 2012.4.18 加藤耕一 マーティン、マーティン・ブレサニ、マリオ・カルポ、ダーク・デ・マイヤー、スパイロ・パパペトロスに も謝意を表したい。本書は、ジェラルド・ビーズリー、ピエール・ボワヴェール、レナタ・グットマン、 スージー・キンタル、ポール・シュニエ、フランソワーズ・ルーによって監理されているこの著名な研究機 関の文献資料に多くを負っている。図版についてはクリスティーナ・コンタンドリオプロスに格別の感謝の 気持ちを抱いている。同じくカナダ建築センターではナタリー・セネカルとアリキ・エコノメデスに貴重な 助けをいただいた。また私の地元の図書館では、ペグ・ウィルソンに図書館間相互貸借で協力していただい た。きわめて重要なグラハム財団美術研究基金を交付していただいたおかげで、ある時期私はフルタイムで この仕事に没頭することができた。また、J. ダンカン・ベリー、マルコ・フラスカリ、バリー・ベルグドー ル、ヘンリク・カルゲ、ジョーン・オックマンなど、何年にもわたって本研究に関わる多くの議論に参加し てくれた人々にも多くの謝意を表したい。ことによると、この作業の最も強力なサポーターはケンブリッジ 大学出版の編集者ベアトリス・レールだったかもしれない。 最後に編集に関わることを一言。引用では、近年の用例と異なっていたとしても原語のスペルとアクセン ト記号を用いた。また、本書のような歴史的な視野を持つ本は、他の多数の歴史的な調査がなければ成し遂 げることはできなかった。用いた資料については、すべての場合において判別できるようにすることを努め たが、この企画の大きすぎる視野ゆえに、何年にもわたる私自身の仕事の局面を形成する業績のすべてにつ いてそれを判別できるようにすることはできなかったし、またすべてを網羅する参考文献目録を作成するこ ともできなかった。したがって、注記できなかった資料を執筆したすべての歴史家たちに、ここでお詫び申 し上げるしだいである。
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