露木美奈子高等部長 卒業式式辞全文

2016 年 3 月 17 日高等部卒業式
高等部長
露木
美奈子
聖書箇所
コリントの信徒への手紙二
4 章 18 節
わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは
過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。
式辞
卒業生の皆さま、ご卒業おめでとうございます。皆さんは今日、この学び舎に別れを告
げて、これから新しい道に歩み出そうとしていらっしゃいます。みなさんを、心からの祝
福をもってお送りしたいと思います。
お嬢様がたの 6 年間、またはそれより長きにわたる東洋英和女学院での生活を、お支え
くださいました保護者の皆さま、今日晴れてこの卒業の日をお迎えになられましたことを
心よりお喜び申し上げます。合わせて、この長い年月の間、東洋英和の教育方針をご理解
くださり、多大なるご協力を頂きましたことに対し、改めて心より御礼申し上げます。あ
りがとうございました。
皆さんは、この 130 余の歴史をもつ学院の伝統の中で育まれていらっしゃいましたが、
これからは、新しい時代を生きていらっしゃいます。今日はその門出の日です。皆さんが
生きていく将来の世界がどのような姿になるか、誰も正確にはわかりません。グローバル
社会、高度情報化社会、高齢化社会、格差社会、多文化共生社会などいろいろな特徴づけ
はありますが、ますます複雑で不確実性の高い時代ということは確かです。そのような社
会に出て行く前の準備のときをこれからしばらくみなさんはもたれるわけですが、東洋英
和で中高 6 年間、長い方は幼稚園から 14 年間過ごしていらした皆さんは、そのような社
会に尻込みせずに、果敢に積極的に踏み出していらっしゃることと期待しております。皆
さんには、異なる文化的、歴史的バックグラウンドをもつ世界中の人達と、その違いを尊
重し面白がりながら共に働くことができる資質が備わっていると思います。地球のどの場
所で生きていくとしても、それぞれの場所で、世の中をより良い方向へ、より平和な方向
へと進める存在になってほしいと思います。
二日前に高三修養会委員の皆さんが苦労して作って下さった文集が手元に届き、全員の
感想文を読ませていただきました。5 月に天城山荘で行われた修養会のテーマは「原点―
たちかえる場所」で、その時の講師の藤本満先生には、昨日の卒業礼拝でもお話しを伺う
ことができました。多くの方たちが、
「私の立ち返る場所、原点は何だろうか」と考えをめ
ぐらし、多くの人がその答えとして東洋英和中高部での学校生活で得たことを挙げていら
っしゃいました。クラブ活動の中で、辛くて苦しい日々を乗り越えて最高の満足感を手に
して何かをやり遂げることの素晴らしさを実感した体験。毎朝の礼拝、聖書のみことば、
スクールモットーの「敬神奉仕」、教会での礼拝や交わりを挙げている人もいました。自分
を愛し、悩んだときには相談に乗って下さり、応援してくださるご家族への感謝の気持ち
とともに「家族が安心して立ち返ることのできる私の原点だ」という答えを出している方
もいました。また、冗談を言い合ったり、思いっきり喧嘩をしたり、仲直りをしたり、言
いたいことを素直に言える部活の仲間やクラスや学年の友達、勉強を教えて下さり相談に
乗って下さった先生も含めて東洋英和での生活全般を原点とした人達もいました。ある方
は学校生活について、次のように述べていました。
「良い思い出も苦い思い出も両方がある
からこそ、私はこの学校という場で周りにいる仲間と共に一緒に成長することができた。
その過程で、
『私と意見が違う人や見方が違う人達の考え方も大事にしなくてはいけないこ
と』を少しずつ学んだように思う」と書いていました。また、ある人は、学校は「仮面の
ようなものをかぶらなくてもいい場所で」
「悲しいことがあっても友達といればすぐに気持
ちが軽くなる場所であった」と振り返っています。
クラスや学年での友人との付き合いだけではなく、クラブや委員会での先輩、後輩との
関わり、夏の修養会や野尻キャンプでの学年の違いを超えた交わり、そのような複雑な人
と人との関わりの中から人間関係のありかたについて多くのことを学ばれたことと思いま
す。これらは、これから皆さんがさらに学びを深め、社会に巣立っていくときに大きな力
となるでしょう。
皆さんの文集を読んで私が一番感銘を受けたのは、この 6 年間の学校生活の中で皆さん
の心が常に見えないものに目を注ぎながら育っているのを感じたことです。多くの人が、
見えるものに心を奪われ易いこの時代に、みなさんは見えないものを大切にし、心を磨き、
心を育てていらしたことに、東洋英和のキリスト教を土台とした人間教育の証を見る思い
がします。
ある方はこのように述べています。毎日聖書の御言葉に触れたことで、私の心の奥底に
「たいせつなこと」たちが確実に刻まれた気がします。英和で得た『信仰、希望、愛』と
いう根底で支えるものが私の原点となりました。
先程ご一緒に読んだ「私たちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。
見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」という聖句はコ
リントの信徒へのパウロの書簡の中の言葉です。貿易都市として繁栄していたコリント地
方の諸教会の人々は次第次第に「目に見えないもの」よりも「目に見えるもの」に目を留
めるようになっていきました。そのような人々に「目に見えるもの」に支配される人生か
ら「目にみえないもの」に目を注ぎ歩むようにパウロは勧めています。これより少し前の
箇所で、パウロは、
「私たちはイエス・キリストという宝を納めている土の器だ」と言って
います。私たち人間は、もろく、こわれやすく、最終的にはいつか壊れてしまう土の器で
す。しかし、この土の器の中にはイエス・キリストという光の主が宝物として納められて
いるとパウロは言います。東洋英和中高部での 6 年間で、みなさんお一人おひとりにも光
の主が宝物として納められています。
昨日の卒業礼拝の藤本先生のお話しを思い出してみましょう。藤本先生は「ニルスの不
思議な旅」の作者ラーゲルレーヴの「ともしび」という物語を語られました。乱暴者とし
て名を馳せ今は十字軍の勇者となったラニエロがエルサレムからフィレンツェへ聖なる火
を持ち帰る旅をする中で、そのいつ消えてしまうかわからない弱々しい火を守るために立
派な軍馬や衣服など「目に見えるもの」は失いながら、人間的な優しさという「目に見え
ないもの」に目覚めていくという物語でした。藤本先生は、東洋英和女学院を卒業なさっ
た後、6 年間で得た灯は簡単に消されてしまうかもしれない。しかし、もし、その灯を守
ろうとするならば、灯を持ちつづけようとする皆さん自身が変えられていくだろうとおっ
しゃいました。それは、戦いより平和を、荒々しいものよりも穏やかなものを、苦しんで
いる人、弱いものを慈しむ人へと変えられていくことになると結ばれました。
敬神・奉仕の精神を心に刻んで、皆さんは明日からはそれぞれの道に歩みだされます。
期待も不安もあることでしょう。これまで以上に大きな試練に直面したり、困難にぶつか
ることもきっとあるでしょう。そんな時には、毎日親しんだ聖書のみことばを思い出して
ください。
「草は枯れ、花はしぼんでも、とこしえに立ち続けるたしかなもの」の上に皆さ
んの人生が築かれていることを覚えていてください。神様はみなさんの一人ひとりを覚え、
(イザヤ書 43 章 4 節)で「私の目にあなたは値高く、貴い」と言ってくださったように
かけがえのないものとして愛してくださり、いつもみなさんと共に居まし給う方です。
約 100 年前の卒業式においてブラックモア校長は、19 世紀のイギリスの詩人 Robert
Browning の「ラビ・ベン・エズラ」という詩の一部を引用なさいました。ブラウニング
という詩人は 12 歳で詩集をつくり 14 歳でギリシア語とラテン語を修得し、古典を読み漁
った言わば天才です。そのブラウニングがベン・エズラという 12 世紀にスペインで活躍し
たユダヤ思想家が後輩に人生を語っているという設定で書いた詩が「ラビ・ベン・エズラ」
です。
Grow old along with me! (我と共に老いよ。)
The best is yet to be. (最上のものはなお後に来たる)
The last of life, for which the first was made. (人生の最後、そのために最初も造られた)
Our times are in His hand (我らの時は神の御手の中にあり)
Who saith ”A whole I planned, (神言い給う、「すべては私の計画の内にある。」)
“Youth shows but half; trust God: see all nor be afraid!”
(若者はただ、その半ばを示すのみ。神に委ねよ。すべてを観よ、しかして恐れるな!)
賢人ベン・エズラが若き後輩に向かって、
「最も良きものは将来にあるのだ。だからすべて
を主の御手に委ねて、私と共に年を重ねていこうではないか。」と語る人生への励ましの詩
です。
この詩を引用しながらブラックモア校長は卒業生に向かって、次のようにおっしゃいまし
た。そこには 20 歳で卒業の時を迎えた村岡花子さんもいらっしゃいました。「今から何十
年後かに、あなたがこの学校生活を思い出して、あの時代が一番幸せだった、楽しかった
と心の底から感じるのなら、私はこの学校の教育が失敗だったと言わなければなりません。
人生は進歩です。若い時代は準備の時であり、最上のものは過去にあるのではなく、将来
にあります。旅路の最後まで、希望と理想を持ち続け、進んで行くものでありますように」
今、同じ言葉をみなさんに贈りたいと思います。
皆さんが、隣り人を愛し、隣り人に仕え、あなたのいる場所で主イエス・キリストの光
を放つ存在でありますようにと願い、またお一人おひとりの前途に神様の祝福とお導きが
豊かにありますようにお祈りして、部長の式辞と致します。