第18期 情報化推進懇話会 第6回例会:平成17年3月23日(水) 『ITの

第18期 情報化推進懇話会
第6回例会:平成17年3月23日(水)
『ITの環境問題に果たす役割
−京都議定書発行を契機に−』
講
社団法人
師
経済同友会副代表幹事・専務理事
渡邉
正太郎
氏
財団法人 社会経済生産性本部
情報化推進国民会議
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『ITの環境問題に果たす役割
−京都議定書発行を契機に−』
―
社団法人
◆ 略
プロフィール ―
経済同友会副代表幹事・専務理事
渡邉 正太郎 氏
歴 ◆
1960 年早稲田大学第一商学部卒。1960 年花王石鹸株式会社(現
花
王株式会社)入社。71 年管理部長、74 年取締役、76 年家庭品本部マー
ケティング企画部長を歴任。78 年常務、81 年専務を経て、88 年代表取
締役副社長。
2000 年退任後、経営諮問委員会特別顧問。02 年より現職。株式会社
伊勢丹社外取締役、株式会社りそなホールディングス・株式会社りそな
銀行社外取締役などを兼務。
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『ITの環境問題に果たす役割
−京都議定書発行を契機に−』
1.京都議定書に対するクリントン前大統領の考え
私は花王株式会社で若いころから工場の原価計算、予算・決算、マーケティング、
情報システムの整備等を手掛け、取締役も 26 年間やってきました。今で言うCIO
の役割を果たしてきたわけですが、当初はメインフレームのコンピュータをネットワ
ークするのが主たる役割でした。その後パソコンが出てきて、パーソン to パーソン
のネットワークの時代に入り、今は企業内外のネットワーク構築やそれを使った業務
革新は一段落して、企業価値の追求は、コンピュータリテラシーを使いこなす優れた
個人の能力の問題に移ってきていると思います。
現在は経済同友会幹事として、国の財政、三位一体の改革、年金改革等の問題に取
り組みながら、りそな銀行や伊勢丹の社外取締役を務めているところです。今回、こ
のお話を頂いて、京都議定書にどう取り組むかという問題とIT社会との因果関係に
ついて考えてみました。お手元にある「地球温暖化問題の克服に向けての8つの提言」
は、NECの佐々木会長が中心となり、経済同友会としての提言をまとめたものです。
実は先月、クリントン前大統領が訪日され、経済人 30 人ほどと交流する機会があ
りました。我々の質問に答えるという形で1時間半ばかりいろいろな話をしたわけで
す。北朝鮮問題、中東問題、彼が今、献身的な活動を続けているスマトラ沖地震の被
災国への支援問題、貧困問題、エイズ問題などいろいろな話題が出てきましたが、そ
の中で、「アメリカはなぜ京都議定書を批准しないのか」「アメリカの双子の赤字に
ついてどう思うか」という質問が出ました。前者に対する彼の回答は、「自分が政権
を取っていたら、京都議定書に対して積極的に取り組んでいたはずだ。ブッシュ政権
の背後にあるいろいろな勢力のせいで、アメリカはああいう態度をとった。非常に恥
ずかしいと思っている。しかし、ヨーロッパや日本がこれに取り組めば、いずれアメ
リカを引きずり込むことになるだろう」というものでした。また、双子の赤字といっ
ても、アメリカはGDPに対して 60%の累積しかないわけですから、500 兆円に対し
て 700 兆円(160%)の累積赤字がある日本の財政赤字のほうがはるかに深刻なのは
言うまでもありません。しかし、日本は幸いにして 1400 兆円の個人貯蓄があり、そ
れによって国の赤字を埋め合わせていることによって、円もこういう状態にあり、金
利も低金利でやっていけるのです。しかし、クリントンは「双子の赤字はやはり大き
な問題だ。それを埋め合わせるお金は中国などから来ている。いちばん所得水準が高
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いアメリカが貧しい国の貯蓄を使うということがいつまでも続くはずがない。経済は
均衡がとれないとどこかで破滅する。その意味で私は超保守主義だ」と答えたのです。
ちなみに、「あなたとヒラリーは、どちらが優秀か」という質問に対しては、「経験に
おいては私のほうがずっと優れているが、公に対する忠誠心や実行力においては彼女
は大変優れた政治家だ。彼女がその気になれば、私は応援する」と答えていました。
2.「アメリカ:株主資本主義」対「ヨーロッパ:CSR」
京都議定書はさまざまな思いを込めてスタートしたわけですが、経済界の中でも、
「なぜあんなヨーロッパの戦略に引っ掛かったのだ」と言う人もいます。しかし、地
球にとってCO2 は大きな負担になっていることから、アメリカが離脱したり中国が
加わらないことはともかく、地球市民として当然取り組まなければならない問題です。
一方、日本では最近、フジテレビとライブドアの話で持ちきりです。私も2年間、
朝日新聞の紙面審議会に経済界代表として加わってきましたが、最近のはやり言葉に
コーポレート・ガバナンスという言葉があります。会社はだれのものかということか
らこの議論が始まるのですが、アメリカ的考え方からいえば、当然株主のものだとな
ります。しかし、日本では今までそう思う人は少なく、働いている我々のものだとい
う考え方が主流でした。すなわち、ステークスホルダーの問題をめぐって、地域によ
っていろいろな格差があるのが現実です。
昨日も早稲田大学でCSR(Corporate Social Responsibility)の話をしてきま
した。日本の企業はCSRにどう取り組むべきかという話です。つまり今、何のため
に会社はその企業価値を増大させるのかということに関して、EUはCSRという概
念を新しく発生させ、アメリカ式株主資本主義に対抗しているわけです。ですから、
CSRもISOもヨーロッパから出た言葉です。日経新聞でも今、ISO14000 の取
得で企業を格付けしたのと同じく、この企業のCSRはAかBかCなのかとやってい
ます。
EUの成立は 1900 年代にたびたび起こった戦乱をいかに避けるかという知恵から
生まれたものでした。つまり、経済的基盤がばらばらな弱さが戦争を引き起こす、そ
の最大の要因はインフレと失業だ、これをいかになくすかという壮大な理念がEUを
生むわけです。そこにアメリカの企業が出てきて勝手なことをやられたのでは困る、
郷に入れば郷に従えというのがヨーロッパの言い分です。つまり、資本論理だけでリ
ストラをやるとか、利益だけで社会を混乱させるのは、ヨーロッパにおいては許され
ないという考えを、EUはCSR概念として作り上げたのです。そういう意味では、
ヨーロッパのイマジネーションはすごいと思います。京都議定書はヨーロッパ最大の
クリエーションであり、排出権取引などというのは天才的発想です。
一方、きちんとした哲学を生むのではなく、市場の中での最合理性を探していく、
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しかし、市場の中で横暴が起きれば、それを抑えるためのルールを作るというのが、
アメリカ式市場主義だと思います。その両者の狭間で日本は翻弄されているわけです。
ですから、日本の京都で会議をやって、京都議定書で 90 年代に対して6%のCO2 を
削減することを担保無しに受け入れ、それをどう達成するかというシステムやメカニ
ズムに対する合意が政界にも経済界にも全くないままにスタートしてしまったので
す。その結果、今日では6%削減どころか、その時代より7%以上CO2 の発生が増
えているということになってしまいました。
ですから、どう自立性の高い社会を作るかというのが日本最大の課題です。年金問
題が全くまとまらないのは、日本の社会に本来の民主主義がまだ根づいていないこと
を意味します。ですから、しかたなく、アメリカやヨーロッパの概念を見習っている
のですが、これを反対にいえば、日本は、国民の勤勉性ゆえに、まだそれに適応する
能力があるということだと思います。
3.コーポレート・ガバナンスと企業価値の創造
ライブドアが今、天下の世論を二分していますが、これには幾つか要因があります。
一つは、対象会社が放送会社だったことです。同業のコンピュータの上場会社を買う
買わないということなら、これほどの問題にはならなかったでしょう。今回、マスメ
ディアでこれほど取り上げられているのは、マスコミ当事者としての関心と同時に、
NHKと朝日新聞をめぐる問題のリベンジになっている面があります。
産業界では、マスメディアの業界がいちばんコーポレート・ガバナンスができてい
ないといわれています。ここにいらっしゃる皆様の会社では、取締役会はどうあるべ
きかということや、企業価値と株主への利益還元、取締役社長の選任方法など、コー
ポレート・ガバナンスについてはここ数年語られてきたと思います。しかし、放送業
界は、これまでコーポレート・ガバナンスに無縁で来たのです。ですから、読売には
渡辺さんというジャイアントがおられますし、メディアの業界では常にお家騒動が絶
えません。
新聞には再販契約があり、テレビ・ラジオには放送法があります。つまり、本来な
らば規制で守られているところであればあるほど、コーポレート・ガバナンスの透明
性が求められるはずですが、実際は各新聞社には皆オーナーがいて、その下にあるテ
レビ会社がお金を調達するために上場したわけです。これは西武鉄道とコクドのねじ
れ現象と同じです。日立も昔、子会社を全部上場しました。昔はそれが当たり前だっ
たのですが、コーポレート・ガバナンスの視点からいくと、それが本当に企業価値の
維持につながっているのかということが議論されるようになってきています。
ともかく、ライブドアの買収劇がお茶の間の関心事になることにより、ポイズン・
ピルやLBOという防衛策についてもみんな知るようになりました。しかし、考えて
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みると、今の日本でお金持ちになるチャンスは、新しい会社を創り成長させる、ある
いは会社を上場することから生まれます。また、そこに日本経済の活性化のかぎがあ
ります。私のいた花王の資産は今1兆 3000∼1兆 4000 億円です。トヨタは 14 兆円だ
と先日奥田さんが言っていました。花王が対抗しているP&Gも 14 兆円です。あそ
こがグローバル戦略で花王を買収しようとすれば、資本論理からいえばかないません。
資本主義では上場した企業の価値を株式市場が決めるわけです。
私は 1993 年にメリルリンチに行って以来、約 10 年ほど花王のIRを何度かやって
きました。社長が自分の会社の株価を見るということは、市場が幾らで自分の会社を
評価しているかを見ることです。ところが、日本の社長さんで自分の会社の時価総額
を知らない人がついこの間までいっぱいいました。株価を1日3回見るのが今の社長
の在り方であり、翌日の新聞で見るのでは社長は務まりません。我々の業界で時価総
額がいちばん高いのはP&Gの 14 兆円で、以下、ユニレバー9兆円、ロレアル6兆
円、コルゲート5兆円、花王1兆 3000 億円、ヘンケル1兆円。我々がIRに行くと
きには、オリンピックでいえば予選を通過した6社の数字を持っていって、花王はこ
れに対してどういう会社にするのかというのが、外国の投資家に対する説明です。
企業間競争とは、その経営者同士が競争しているということです。相手の会社の社
長がへぼであれば、恵まれた戦いができます。すでにロンドンではウィンブルドン現
象が起こり、会社は英国人が所有しなくとも、英国の中でプレイしてくれて、英国か
ら仕事が逃げていかなければいいとなっています。日本もそういう時代になったほう
がいいのでしょうか。私の息子が、「アメリカではトヨタは日本の会社だと思われて
いるが、ソニーはそうではない。だから、外国人が社長になっても不思議ではない」
と言っていました。
4.日本企業の新旧交代
この 10 年間、日本でだれが大金持ちになったのでしょうか。堤さんも中内さんも
没落しました。変なコーポレート・ガバナンスをやってきた会社は時代の試練を受け
ざるをえません。私は最近の一連の不祥事は出るべくして出たもので、すべてこの 50
年間の棚卸しをしているのだと見ています。一方でこの 10 年間に大きく成長したの
は、ライブドアも含め、孫さん、三木谷さんなど、ITに関連する仕事をしている人
たちです。ほかには松井証券の松井さんなどで、堀江さん以外はみんな同友会に入っ
ています。村上さんも昨年同友会に入りたいという申し込みがあって、了承しました。
つまり、この 10 年間に巨大な富を得たのは、ITとファイナンシャルの二つで、物
づくりで大金持ちになった人はほとんどいません。ですから、今後の日本経済の富の
創生はそういう人たちが担うわけで、彼らがどういう考え方でこれからの日本の経済
界のリーダーシップとしての役割を果たすかが、今、問われ出したということです。
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フジテレビの日枝さんは、花王の広告を通じて彼が編成部長の時から知っています。
番組づくりでは名人です。鹿内春雄さんの時代に「面白くなければテレビじゃない」
というコンセプトを打ち出して、フジテレビがああいう路線になっていきます。一方
で公共放送とは何か、エンターテインメントか、という問題がありますが、今回、上
場してはじめてこういう問題に立ち向かうのです。その相手となる堀江さんは、企業
を創って価値創造をしたにわか成金です。しかし、このにわか成金が時代を変えると
いう説もあります。
昨日のテレビ朝日の放送によると、前回は団塊の世代を中心に圧倒的に堀江支持が
多かったのが、今回の調査ではフジ側に大きく支持が移ったということですが、IT
で急にお金を持った人が相手だというのは、既存勢力としては作戦を立てづらいので
す。先週の金曜日に田原総一朗が同友会に来て、マスメディアについて語っていった
のですが、彼は「朝日対NHKは古い革新と体制、ライブドア対フジは新しい勢力と
古い勢力の戦いだ」と定義していました。三木谷さんや堀江さんを有名にしたのはテ
レビです。三木谷さんは社会に適応するためにネクタイをして、ヒゲを剃りました。
また、田原さんは「映像の重要性はノイズだ。それは本人が語っている周りの情景や
着ているものだ」とも言っていましたが、日枝さんはあんな大きい家に住んでいると
いうだけで庶民から反感を買いますね。あんな所でマスコミに会うということ自体、
作戦が間違っています。
5.企業価値を高める方法
花王はロジスティクスや小売店との決済における手形、小切手、そして給料袋も 20
年前に全部やめています。つまり、企業の中に現金、小切手、手形、在庫、敷地、工
場などの現物があるということ自身が非合理なのです。物があれば数えなければなら
ないし、その価値を維持しなければなりません。そんなものは必要ないから、企業に
と っ て 必 要 な も の だ け に し な さ い と い う の が 、 最 終 的 な E V A ( Economic Value
Added)のものの考え方です。今、村上ファンドが「現金がある会社が買収対象だ」
と言っていますが、今は現金を持っていること自身がナンセンスなのです。昔は現金
がなければ銀行は金を貸しませんでした。今は、企業が優れていれば金の貸し手は幾
らでもいます。借りたいときに借りればいいのです。
私も工場にはよく足を運びました。無駄なものがないかどうか、八つの工場全部を
見て歩いたのです。仕事の合理化でも何でも、すべての源泉は現場にあります。一方、
郵政公社の生田総裁は同友会におられた人ですが、同友会では「ミイラ取りがミイラ
になった」という批判があります。私がパーティで立ち話をしたところ、「同友会の
論理は現場を知らない論理だよ」と言っておられましたが、私は生田さんは現場を知
りすぎたのではないかと思います。知りすぎるということは現場に呑まれることです。
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生田さんは現場に行って、官僚や特定郵便局長、労働組合の話を聞きすぎたのではな
いかと思います。経営者が現場を知るということは、自分の問題意識に間違いがない
かどうかを確認しに行くことです。そして、そこからまた自分なりの新しい問題意識
をくみ取って、それを経営に反映させることです。
セールスになぜ目標を達成できないのかと聞いて、ライバルが安売りをするからだ
という答えを受け取っていたのでは、花王製品の値段はどんどん下がります。トップ
は企業価値を高めるために、製品の値段を下げるのではなく品質をよくすればいいの
です。これが花王が追い求めた道です。一方、アメリカは 1980 年代にある程度独占
が行き届いていたため安易に値段を上げすぎました。90 年代の経済の復活は、インフ
レを抑えて企業価値を上げる企業戦略を見いだしたということです。
ですから、日本はもっとM&Aをやらなければならないのです。日本の電機メーカ
ーについて、私は 10 年前から、自動車業界に比べ、何でこんなひ弱い収益性なのか
ということを言ってきています。韓国のサムスンの話を聞いてみると、震えるように
すごいものです。それに比べ日本は、松下、シャープ、三洋など、創業家があること
からM&Aもせず、みんなが過当競争をして値段を削りあっています。ですから、デ
ジタルカメラという素晴らしい商品もあっという間に値段が下がってしまいました。
アメリカは電機は大して強くないからいいのですが、普通ならこんないい競争相手は
ないということになるでしょう。つまり、我々はM&Aは大いに促進すべきだという
考えです。問題は、ヨーロッパ的なCSR、日本的な企業社会の在り方から考えて、
敵対的買収をどう考えるかということになっていくと思います。
6.ITを使った京都議定書への対応
さて本題の京都議定書ですが、りそな銀行に社外取締役として入ってIT化を見る
と、花王と共通している部分と違う部分があります。花王が今コンピュータにかけて
いるコストは、売り上げ 8000∼9000 億円のうちの 100 億円以下です。それに比べ銀
行のコンピュータシステムは巨大です。10 年前、私は銀行の第4次や第5次のシステ
ムを見て、銀行もようやく装置産業になったと感じました。つまり、コンピュータネ
ットワークを張り巡らすことによって、従来のビル借り業と人材業から脱皮したと考
えたのです。しかし日本のメーカーは、長年装置産業としての生産性を競ってきまし
た。つまり、IT化によってどれだけコストを下げられるかという野暮なことではな
く、IT化によって顧客情報を時々刻々と得ることによって、自分たちの商品の品質
にどう反映させるかということをやってきたわけです。実際、これはトヨタを変貌さ
せました。
しかし、金融業は長年、窓口業務に多くの人を配置してきました。りそなの標準的
な支店だと、1日に約 1200 人のお客さんが訪れ、そのうちの 85%にあたる 1000 人は、
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自分でATMを使っていかれるそうです。しかも日本はこの手数料が無料ですから、
あれだけ巨大な装置に対する対価がないわけです。ですから、銀行のオペレーション
の部分はほとんど収益にならず、銀行は企業に貸すか、住宅ローンで収益を上げてい
るわけです。昔、金利の高い時代は預金をしてくれる人が最大のお客さんでしたが、
今は小さな預金などしてくれなくともいいという時代になってしまいました。借りて
くれる人がお客さん。しかも、ATMを使わない 200 人のうち 150 人はカードが嫌い
か年を取ってATMが使えない人です。ですから、銀行を訪れる 1200 人のうち、投
資信託を買いたいとか事業に使いたいという人は、ほんの 20∼30 人なのです。それ
なら、なぜ東京駅の一等地にある必要があるのでしょうか。
日本の間接金融の改革はまだこれから大波をくぐると思いますが、企業の効率化は
例外が多ければ多いほど貫徹しないのです。税金を払うのになぜ領収書やハンコが要
るのでしょうか。また、その領収書が地方団体ごとに違うのです。ですから、銀行の
効率化は、わずか5%のお客さんのために貫徹することができないでいるのです。
京都議定書の約束を守るためには1億 2600tのCO2 を削減しなければならないと
いいます。そのうち2∼3割はIT社会の完遂によって可能となります。同友会の提
言には、原子力発電や電気機器、ビルの照明、ガラスに何を入れるかについていろい
ろ書いてありますが、IT社会は紙をなくすだけでなく、人の動きを変えるのです。
つまり、今、インターネットバンキングとかいいながら、なぜ銀行の窓口へ人が来な
ければいけないのかということです。これは自動車産業にとっては影響があるかもし
れませんが、銀行にいかに人が来なくなるかがCO2 削減を測るバロメーターになり
ます。
7.IT社会のリーダーへの期待
昨日、各企業から同友会に出向している 30 代の若手と食事をしたのですが、東京
電力からの出向者が過疎とIT化の問題をどう考えるかについて話していました。こ
れがユニバーサルサービスと大変関連しているわけです。今、自民党では、過疎地で
郵便局がなくなれば、預金できなくなったり郵便が配達されなくなるということを問
題にしています。裁判所の通知を届けるのは公務員でなければいけないというのです
が、それはヤマト運輸を信用できないと言っているのと同じです。私は、今は民間の
ほうが官より信頼できる時代だと信じているのです。
過疎とは、戦前、コメのない時代に、山の上に田んぼを作ったことに由来します。
しかし、その息子たちは都会に出て、おじいちゃんやおばあちゃんが残って細々と生
活するようになっています。今でも長野県に姨捨山というのがありますが、過疎の多
くは悪く言うと子供たちに捨てられた姨捨なのです。そこへ電気や電話線、道路をつ
なげていくとコストが高くなるのは当たり前です。それをみんなが負担しているわけ
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です。つまり、山古志村の再建を考えるよりは、住み易い里へ下りてきて生活しても
らえば、介護、医療などのサービスもやりやすくなるということです。確かに雪の山
を命懸けで登って郵便配達員が子供さんの手紙を届けるというのは、美しい郵便局物
語です。しかし、なぜ携帯電話で通話しないのか。そうなると、ユニバーサルサービ
スというのは通話の遠近料金の問題だということになります。
そういう問題は、IT社会のリーダーたちがこの社会を変えるためにどれだけの挑
戦をしているかという問題に帰結します。資本主義ではある意味、無駄があったほう
がGDPが上がります。例えば我々が疲れたからと 10 分のクイックマッサージを頼
むと雇用につながりGDPに加算されます。しかし、夫婦で肩をもみあえばGDPに
は貢献しないのです。
今日は期待に反した話になったかもしれませんが、CO2 削減にいちばんいいのは、
省力化できる電気機器を出す、ビルに断熱性の二重のガラス窓を入れるなどの形で投
資することです。最低でもそういうことをしなければ、京都議定書の削減目標の達成
はありえません。そして、最大の問題は、人間の在り方と勤め方を変えることです。
私がいちばん願っているのは、IT社会が何を変えるかというソーシャルイメージを
若い世代が出してくれることです。イノベーションしか社会を変える手段はないので
す。それに付随して人間の行動様式や価値観が変わっていくことを期待します。
8.ITと企業と社会変革
堀江さんが今、テレビとラジオ、新聞、ITネットの融合を語っていますが、10 年
前にデジカメができたとき、私は素晴らしいと思いました。これを企業に使えばイメ
ージを交換できる。つまり、北海道の販売の人が北海道の店頭で今こういうイベント
をやっている、このイベントは非常に効果があるからほかでもやるべきだという情報
を、全国のセールスが一瞬にして共有できるわけです。しかし、それをやっても、花
王は私がいた時代から見て大して変わっていません。つまり、IT化に託した社会変
革の夢は、ある意味では幻想に終わり、ある意味では達成されたのです。
ですから、パソコンこそテレビに替わるメディアだという時代は、どうも来そうに
はありません。テレビはやはり最大のマスメディアです。堀江さんが出ていれば視聴
率 15%で、約 600 万世帯がそれを見ています。幾ら発達してもインターネットはパー
ソナル to パーソナルで細分化されるので、テレビにかなうわけはありません。
ここに来てテレビは大画面になりました。我々はあれを「深夜プロジェクト」と呼
んでいます。シニア商品なのです。インターネットは日本の「縮みの文化」です。奥
へ奥へとパーソナル化していく。しかし、新聞と雑誌がなくなって、テレビとインタ
ーネットだけで文化が維持できるのかというと、必ずしもそうではありません。IT
化によってメディアの世界でそれぞれの特徴が出だしたというのが私の認識です。
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今朝、団塊の世代に属するうちの女房に、「団塊の世代が会社を卒業したら何が楽
しみになるか」という問いをしたところ、「自然を見に行く」「京都など歴史をたど
る」という答えでした。「俺はインターネットをあやつる」というかたもおられるで
しょう。今、日本の社会ではそういうことが問われ出しているのです。IT化で、銀
行、官庁、オフィス、ロジスティクス、すべてで人が要らなくなっています。しかし、
花王は依然として残業をしているのです。こういうところが日本社会らしいところで
すが、少子化の日本で若い人に子供を産んでもらうためには、若い人を仕事場にそん
なに拘束することはできません。そういういろいろな変革を、各企業でITを担当さ
れている責任のあるかたがたに考えてもらえば、もう一つ日本の社会を変革できる余
地があるのではないでしょうか。
以
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上