目 次 ★ 第 27 回海外都市行政視察調査団団員名簿 ……………………………………………………… 2 ★ 団長あいさつ 『第 27 回海外都市行政視察に参加して』 富良野市経済部長 秋田 行 … … 3 ★ 視察コース ………………………………………………………………………………………………… 8 ★ 行動日程表 ………………………………………………………………………………………………… 9 ★ 「Hokkaido」:視察調査団団員市の地図…………………………………………………… 14 ★ 公式訪問地視察記録 エスポー市(フィンランド) ………………………………………………………………………… 16 カルマル市(スウェーデン) ………………………………………………………………………… 22 カルンボー市(デンマーク) ………………………………………………………………………… 26 ルガノ市(スイス) ……………………………………………………………………………………… 34 ★ 団員見聞録 『ヨーロッパ4カ国を訪ねて』 深川市教育部長 伊東 幸次 … … 42 『北 欧 見 聞』 紋別市水道部長 鈴木富美夫 … … 46 『ヨーロッパ(フィンランド・スウェーデン・デンマーク・スイス)を訪れて』 登別市総務部次長 道林 博 … … 50 『北欧3カ国∼プラス・スイス見聞録』 ★ あとがき 北海道市長会事務局次長 今井 孝司 … … 54 北海道市長会事務局参事 小森 孝徳 … … 58 (表 紙) ユングフラウ鉄道 Jungfraubahnen クライネ・シャイデック∼ユングフラウヨッホ間を約 40 ∼ 60 分で結ぶ登山 鉄道。アプト式を使用しているが、アイガー、メンヒなどの山の中を掘り進 んだトンネルの中を走るため、路線はほとんどがトンネルとなっている。 第 27 回海外都市行政視察 調査団団員名簿 団 長 Leader of the Mission 秋 田 行 Susumu AKITA 富良野市・経済部長 Manager,Economy Devision Furano City. Mr. 道 林 博 Hiroshi MICHIBAYASHI Mr. 登別市・総務部次長 Vice-director,General Affairs Department Noboribetsu City. 田 中 靖 久 Yasuhisa TANAKA 日通旅行添乗員 Tour Escort, Nippon Express Co.,Ltd Sapporo Travel Branch. 2 Mr. 伊 東 幸 次 Koji ITO Mr. 深川市教育委員会・教育部長 Superintendent, Fukagawa City Board of Education. 鈴 木 富美夫 Fumio SUZUKI 紋別市・水道部長 Director,Waterworks Department Mombetsu City. 今 井 孝 司 Takashi IMAI 北海道市長会事務局次長 Deputy Secretary General, Hokkaido Association of City Mayors. 小 森 孝 徳 Takanori KOMORI 北海道市長会事務局参事 Assistant Director, Hokkaido Association of City Mayors. Mr. Mr. Mr. 団長あいさつ 第 27 回 海 外 都 市 行 政 視 察 に 参 加 し て 富良野市経済部長 秋 田 行 はじめに ∼カルンボー市(デンマーク) このたび、北海道市長会の海外都市行政視 ・観光振興とコンベンションについて 察にあたり、北欧を中心に 4 カ国、4 都市の視 ∼ルガノ市(スイス) 察調査に参加する機会を得ました。 各市、各関係団体を訪問し、調査を実施した 10 月 17 日より 29 日まで、13 日間にわたる ところであります。 半ば強行スケジュールと思われる日程でした 以下、各テーマや各国の実情については調 が参加4市、事務局2名、添乗員1名の小規 査団の報告に記述されているのでここでは全 模調査団ではありましたが充実した研修で 体的な印象の一端について報告します。 あったと皆さんに感謝いたしております。 今回の行政視察にあたっては、出発に際し 調査団として以下の点を確認したところであ ります。 その一つは、各自治体において大変厳しい 財政事情の中、それぞれ行財政改革に取り組 んでいる現状にあること。 また、今回の研修は各市とも幹部職員の参 加であり、13 日間という時間の共有ができた ことは地域情報交換など横の連携強化が図ら 出発を前に新千歳空港にて結団式 れたこと。 そして、視察テーマに加え見聞を広め、視察 ○エスポー市(フィンランド) 調査の成果を深めるということであります。 早朝のコペンハーゲン空港からヘルシンキ 地方分権への取り組みが進められる中、日本 へ向かう機上から見るフィンランドは、森と の総人口減少と合わせ、北海道においても都市 湖の国といわれるとおり、大小さまざまな湖 一極化が顕著であり、各自治体の共通の課題と と大地が広がり、一面の森林の中に個々の住 して、まちづくり、福祉、環境、自治体間の連 宅が点在する美しい国である。冬に入りかけ 携等々行政運営をはじめ、地方自治のあり方、 たこの時期であったが緑に覆われた夏を想像 適切な制度設計が求められています。 するとうらやましい限りの感がある。 そのような中、今回行政視察テーマとして、 最初の調査国、フィンランドのエスポー市で ・少子化対策と高齢者福祉施策について は、まず市庁舎を訪問。高齢者福祉、児童福祉 ∼エスポー市(フィンランド) ・産業クラスターについて ∼カルマル市(スウェーデン) ・環境保全対策について についてそれぞれ担当者から説明を受けた。 エスポー市の概要であるが、首都ヘルシンキ の衛星都市であることから、人口が増加し続け、 現在、約 222,000 人の都市とのことである。 (団長あいさつ) 3 大きな特徴としては、エスポー市を5つの行 〇カルマル市(スウェーデン) 政区に分け、各行政区ごとに行政機能、商業 スウェーデン・スモーランド地方の中心都 エリアに分かれている。この形態は各行政 市であるカルマル市は、人口約 60,000 人の中 サービスに反映されているが、財源の問題や 世からの商業都市である。 各行政区間格差の是正という観点から対応の 森と湖に囲まれたカルマル市は、バルト海 見直しを行っている。 交通の要所であり、デンマークとの領有権争 具体的にはテーマを4点掲げ各地域へ下す いが繰り返されたところ。一部には現在でも とともに予算分けを行うというものである。 その城壁の跡が残る美しい港町である。 テーマとしては、①家庭と福祉 ②保育 ③ 朝 9 時にカルマル市庁舎において、クエル・ 医療 ④高齢者 の4つの対策でこれまでの縦 ヘンリクソン市長を表敬訪問し、市の概要説 割りから横軸へ変更したいとのことであった。 明を受けた。 エスポー市の担当課長から説明を受ける カルマル市長を囲んで しかし、財源の問題については「コストが カルマル市は日本から多くの視察を受け入 どうなるのか実施してみなければわからない れており、今年も既に 600 人ほど来市している が、全体の平準化にはつながる」との判断が とのことである。 ある。 市長さん自身も本年 5 月から 6 月にかけ、 エスポー市の年齢別人口割合は全国平均よ 日本において6ヵ所の町を訪問し、環境につい りすべて若い街で、ヘルシンキの隣りという て講演を行ったということであり、来年も訪 ことから人口流入が多く、特に若い家庭が増 日の計画があるので、こんどは日本語の名刺 えている。 を作るとのことであった。 保育所の整備、さらには教育程度が高く、 日本とスウェーデン共通の課題としては、 生活水準も良いなどの理由から寿命が延びる 人口が減っていることだとの認識がある。 と判断し、高齢者対策が大きな課題となって 市長からは日本へ行く前の認識や日本での いる。 印象について熱っぽく話され、特に森林、木 エスポー市では、80%が共働きとのことで 材の活用について説明を受けた。 あり、説明していただいた高齢者対策計画課 日本へ行く前は、ほとんど森林資源のない 長さん及び家庭児童福祉課長さんも女性で 国と思っていたが、行ってみて森林の多さに あった。 驚くとともに環境問題、あるいは人の健康問 題を含め、大きなビジネスチャンスと考えて いるとのことである。 4 (団長あいさつ) 「 環境にやさしいということは、経済的に ての市町村に産業廃棄物の排出・収集・処理・ 損をしないということである」 との言葉が大 処分に至る全物流の管理に関する権限を与え 変印象的であった。 ている。 現在、カルマル市が力を入れているものの 一 つ に サ イ エ ン ス パ ー ク が あ る。「 人 口 ●産業シンバイオシス(共生) 60,000 人の市は大きな企業にとっては小さな カルンボー地区の産業シンバイオシスにつ 町であるが、しかし、カルマル市を含め 100km いてアスネス発電所を訪問し、産業シンバイ の範囲に3つの町があり、合わせると 250,000 オシスについて調査を行った。 人の都市になることを企業は見ている。ここ 説明について対応をしてくださったエアリ に産学官の取り組みに向けたシーズがある」 ング・ペーダーセン氏は、本年4月まで県の ということである。また、それぞれの町に大 産業開発の責任者であったが、退職し、現在 学が存在し、その人材育成も取り組みのシー シンバイオシスのコンサルタント(責任者) ズになるとのことである。 であり、日本での講演を行ったことがある。 大学と企業を結び付けるのは、行政の役割 シンバイオシスのネットワークに参加してい だと考えている。しかし、時間のかかる仕事 るのは、アスネス発電所をはじめ、ジプロッ であり、常に頭に入れておく必要がある。 ク社(石膏ボード製造)・ノボノルディスク社 また、これらのシーズを育てていく必要性 (製薬)など8社及びカルンボー市であり、 から市民の間に興味を持ってもらうことが大 カルンボー地区のシンバイオシスは、世界で 切である。 唯一のシステムで世界中の注目を集めている。 カルマル市はエネルギー省の株 50%を民間 に売却し、その財源で大学発展のための基金 を創設し、大学の研究費等に充当させている。 産業シンバイオシス主任者との懇談 カルマル市の担当者から説明を受ける シンバイオシスの利点として、副産物の再 利用、このことは一つの企業の副産物は別の 〇カルンボー市(デンマーク) 企業にとって貴重な原料となることであり、 調査3ヵ国目のカルンボー市は、デンマーク 具体例として、発電所から発生する蒸気(熱) 東部の西シェラン州北部の港町であり、コペ は、製薬会社のエネルギーとして利用してい ンハーゲンから車で 1 時間 30 分のところに位 る。 置し、積極的に企業誘致を行っている。 また、精油工場からの廃棄物は建材会社で デンマークは、国全体が環境保全システム 石膏板として利用され、さらに製薬会社から の取り組みに積極的であり、基礎自治体とし は酵素精製過程から出る残渣を P・N・K に精 (団長あいさつ) 5 製して近隣 600 戸の農家へ肥料として配布し 説明者のエアリング・ペーダーセン氏は、 ている。 「 システムはこのようなことを起こすが、実 質的に動かすのは人間である」 と結論付けた。 〇ルガノ市(スイス) チューリッヒ空港からベルン、グリンデルワ ルドを経由し、スイス南部のルガノ市までバス での移動であったが、通過する市街地を外れる とすべてが牧草地で時期的にも牧草が伸びな いことからか、芝生のような緑が続いていた。 それが急斜面で高い所まで続き、まさに想 アスネス発電所を視察 像を絶する景観である。 このようにカルンボー市で成功を収めた理 由としては、 ・ はじめから大きな計画を持たず進めら れてきたこと ・ 総合プロジェクトではなく、個々の企 業によるプロジェクトで進められてきた こと(2∼3の企業の中で協力、同意され たものが進められてきた) ・ 背景に学術理論的なものがあったわけ ルガノ市訪問を記念し全員が署名 ではなく利益を求め、実質的な投資が行 われてきたこと 国策として耕作不利益に対する所得保障制 が大きな理由である。 度があるが、さすがに酪農王国と思わせると 以上のことから、産業シンバイオシスを形 ころである。また、環境的な観点から一戸当 成する条件として、 たりの飼養頭数に制限があると聞いているが、 ① パートナー企業は別業種であること 北海道的にみて小規模農家がほとんどのよう ② 各工場の距離はあまり離れていないこ に思える。出来るものなら農家に飛び込んで と(カルンボー市では、各企業の最大距 話を聞いてみたいものだと感じた。 離は 1.6Km) 最後の訪問市であるルガノ市は、スイス南 ③ パートナーの協力・理解(コミュニケー 部のティチーノ州にあり、イタリア国境に近 ション)が不可欠で互いの企業の中身を く、ルガノ湖に位置し、ヨーロッパのリオデ 良く知っていること ジャネイロと呼ばれる美しい街である。 ④ ボランティア性が重要(率先して行う 姿勢) ⑤ 営業的・企業的に自発的な契約が必要 スイスは、ドイツ語圏、フランス語圏及びイ タリア語圏に分かれるが、ルガノ市は感覚的に ほとんどイタリアで人口 30,000 人の都市である。 明年 4 月に近郊の町を吸収し、人口 52,000 であり、カルンボー市としては、一つの構成 員とし参加しているだけである。 6 (団長あいさつ) 人まで増加するとのことである。 ルガノ市長を囲んで 近い将来、その外周の町(農村部)を含め、 おわりに 12 万人の町を目指しており、そこをルガノ市 このたびの調査にあたり、ヨーロッパ4カ国 のお庭にしたいとのこと(市長談)。 4都市の長い歴史を背景に先進的な取り組み、 ルガノ市はスイスで 3 番目の経済都市であり、 また、コミューンとしての課題等を調査見聞 銀行が 71 行ある。 さらにカジノを有するなど財 できたことは大いに意義があったものと感謝 政的にもかなり余裕があるように感じた。 するものであります。 また、観光入り込み数については、年間宿 特に、ものの豊かさから心の豊かさに転換 泊者 88 万人であるが、ツーリストの種類とし することが 21 世紀の時代であると期待するも て銀行の多いことから商用によるものが大半 のであり、地域で一役を果たせるよう努めて である。 参りたいと思います。 今回の視察にあたっても市長・副市長が あらためて各団員・市長会事務局・添乗員 揃って出席したことや市長自らの概要説明な の田中氏のご指導、ご協力により無事研修を ど熱心な説明を聞くと、今後、日本からの観 終えることが出来たことを心よりお礼申し上 光誘致に相当期待しているように感じたとこ げ報告とします。 ろである。 (団長あいさつ) 7 視 察 コ ー ス ▲ 新千歳発 → (成田経由) → コペンハーゲン → ヘルシンキ 10 / 17 10 / 18 10 / 19 → エスポー → (ヘルシンキ経由) → ストックホルム → カルマル 10 / 20 10 / 21 10 / 22 → (コペンハーゲン経由) → カルンボー → (コペンハーゲン・チューリッヒ経由 ) 10 / 24 → グリンデルワルド → ユングフラウヨッホ → ルガノ → ミラノ 10 / 25 10 / 26 10 / 27 10 / 27 → (コペンハーゲン・成田経由 ) → 新千歳着 8 (視察コース) 10 / 29 行 動 日 程 表 (敬称 略) 日次 月 日 現地時間 発着地・滞在地 平成 15 年 13:20 団 1 10 月 17 日 14:25 千 (金) 15:55 成 ∼晴∼ 2 員 集 歳 田 合 交通機関 訪 問 先 ・ 視 察 地 等 ・新千歳空港1階 JAL 団体カウンター前集合 特別待合室にて結団式を行う 発 JAL552 着 シャトルバス ・着後、シャトルバスにてホテルへ 16:30 ホ テ ル 到 着 ◎ホテル日航ウインズ成田 泊 10 月 18 日 9:05 ホ テ ル 出 発 シャトルバス ・成田空港へ (土) 11:45 成 田 発 S K 9 8 4 ・スカンジナビア航空にてコペンハーゲン(デ ンマーク)へ ∼曇∼ 16:15 コペンハーゲン着 専 用 バ ス ・コペンハーゲン空港に到着(所要時間 11 時間 30 分) (入国手続・両替など) (到着時ガイド:若林(男性)) 16:50 ホ テ ル 到 着 ◎コペンハーゲン ファーストホテル ベスタブロ 泊 10 月 19 日 (日) ∼晴∼ 3 6:00 ホ テ ル 出 発 車 ・コペンハーゲン空港へ 8:00 コペンハーゲン発 S K 1 7 1 8 ・空路:ヘルシンキ(フィンランド)へ 10:30 ヘ ル シ ン キ 着 ・バンター国際空港到着 (所要時間 1 時間 30 分) (入国手続・両替など) (到着時ガイド∼ミサコ・グスタフソン) 11:00 専 用 バ ス ○ヘルシンキ市内公共施設等視察 ・ウスペンスキー寺院 ・元老院広場 ・大聖堂 ・テンペリアウキオ教会 ・シベリウス公園 ・セウラサーリ野外博物館など (通訳、ガイド:ミサコ・グスタフソン) 16:30 ホ テ ル 到 着 ◎ヘルシンキ ホリデイ イン ヘルシンキ・コングレス センター 泊 4 10 月 20 日 (月) ∼曇時々 晴∼ 8:15 ホ テ ル 出 発 専 用 バ ス ■エスポー市視察調査 9:00 エスポー市庁舎到着 (通訳:ミサコ・グスタフソン) ①エスポー市長表敬訪問 ∼市長は公務のため不在 ②高齢者福祉施策概要説明 【説明者】 ・トゥーリキ・シルタリ(女性) (高齢者対策計画課長) (行動日程表) 9 日次 月 日 現地時間 発着地・滞在地 交通機関 13:30 16:30 ヘ ル シ ン キ 着 17:30 ヘ ル シ ン キ 発 船 訪 問 先 ・ 視 察 地 等 ③少子化対策の概要説明 【説明者】 ・マルヤトーナ・レメス(女性) (家庭児童福祉課長) ④スオメノヤ・ デイケアセンター視察 (児童福祉施設:2 4時間保育施設) 【説明者】 ・マリオネータ・オーガネン(女性) ○ヘルシンキ市内、市民広場、市場等視察 ◎バイキングラインにて海路ストックホルムへ マリエラ号(約4万トン・10 階構造) 船中 泊 10 月 21 日 9:30 ストックホルム着 (火) ∼晴 10:00 専用バス のち曇∼ 14:20 17:26 17:35 18:53 5 ・ストックホルム港に到着(所要時間 15 時間 00 分) (入国手続・両替など) ○ストックホルム市内公共施設等視察 ・ストックホルム市庁舎(ノーベル賞授賞の間) ・ガムラ・スタン旧市街、大聖堂、王宮等 (ガイド:石川裕子) ストックホルム発 列 車 ・列車にて(アルベスタ乗換え)カルマルへ ア ル ベ ス タ 着 (X 2537) ア ル ベ ス タ 発 列 車 カ ル マ ル 着 ( I C 3 1 1 ) ・カルマル駅に到着(所要時間 4 時間 33 分) 19:15 ホ テ ル 到 着 10 月 22 日 (水) ∼曇 のち雪∼ 車 ◎カルマル スカンデイックホテル カルマール 泊 8:50 ホ テ ル 出 発 (徒 歩) ■カルマル市視察調査 9:00 カルマル市庁舎到着 (通訳∼マスミ・フリスク) ①カルマル市長表敬訪問 ※カルマル市概要説明 ・歴 史 ・自治制度及び行政組織 ・産業クラスターなど 【説明者】 6 ・クエル・ヘンリクソン市長 ②カルマル市の都市計画等概要説明 ・都市計画 ・産業構造 【説明者】 ・スタルファン・リンドホルム(建築家) 13:00 10 (行動日程表) タクシー ③カルマル・サイエンスパーク視察 ・サイエンスパーク概要説明 日次 月 日 現地時間 発着地・滞在地 16:00 ホ テ ル 到 着 10 月 23 日 (木) ∼晴∼ 7 8 交通機関 訪 問 先 ・ 視 察 地 等 【説明者】 ・リサ・ヤーバード(女性) ○市内公共施設等視察 ・カルマル博物館(クローナン号)ほか (ガイド:マスミ・フリスク) ◎カルマル スカンデイックホテル カルマル 泊 8:20 ホ テ ル 出 発 車 (スウェーデン) からコペンハーゲンへ 9:03 カ ル マ ル 駅 出 発 列 車 ・カルマル (IC322) ・コペンハーゲン中央駅到着 (所要時間 3 時間 56 分) 12:59 コペンハーゲン着 (入国手続・両替など) (到着時ガイド:若林(男性)) 13:30 専用バス ○市内公共施設等視察 ・市庁舎前広場 ・ストロイエ(歩行者天国) ・人魚姫の像(修復中) ・アマリエンボー宮殿 ・クリスチャンボー城など (通訳、案内:マイヤー・和子) ◎コペンハーゲン 17:00 ホ テ ル 到 着 ファーストホテル ベスタブロ 泊 10 月 24 日 8:30 ホ テ ル 出 発 専用バス ・コペンハーゲンからカルンボー市へ (金) (所要時間1時間 30 分) ∼快晴∼ 10:00 カルンボー市到着 ■カルンボー市視察調査 (通訳∼マイヤー・和子) ①アスネス発電所視察 【説明者】 ・エアリング・ペーダーセン ②産業シンバイオシス等概要説明 【説明者】 ・エアリング・ペーダーセン ③カルンボー市長表敬訪問 ※カルンボー市概要説明 ・歴 史 ・市の特徴 【説明者】 ・トミー・ディネンセン市長 14:00 カ ル ン ボ ー 出 発 ・カルンボーからコペンハーゲンへ 15:30 ホ テ ル 到 着 ◎コペンハーゲン ファーストホテル ベスタブロ 泊 (行動日程表) 11 日次 月 日 現地時間 発着地・滞在地 交通機関 訪 問 先 ・ 視 察 地 等 10 月 25 日 (土) ∼快晴∼ 6:50 ホ テ ル 出 発 車 ・コペンハーゲン空港へ 9:20 コペンハーゲン発 S K 6 0 1 ・空路:スイス(チューリッヒ)ヘ (30 分遅れで出発) 11:05 チ ュ ー リ ッ ヒ 着 ・クローテン国際空港到着 (所要時間 1 時間45 分) (入国手続き・両替など) 11:20 チューリッヒ出発 専用バス ・チューリッヒからベルンを経由してグリンデル ワルドへ(ベルンにて昼食) 16:00 グリンデルワルド ◎グリンデルワルド アイガーブリックメインビルディングホテル泊 ホ テ ル 到 着 10 月 26 日 (日) ∼快晴∼ 8:30 ホ テ ル 出 発 ○スイス・アルプス ユングフラウヨッホ視察 9:19 グリンデルワルド出発 登山電車 ※登山電車で 山頂駅往復 ・2,865m アイガーヴァント 途中下車 ・3,160m アイスメーア 途中下車 11:55 ユングフラウヨッホ ・3,454m ユングフラウヨッホ山頂駅到着 ・クライネ シャイデック駅(2,061m)で昼食 山 頂 駅 到 着 14:45 グリンデルワルド着 15:00 グリンデルワルド発 専用バス ・グリンデルワルドからルガノへ 18:00 ル ガ ノ 着 ◎ルガノ ホテル ドゥラべック・ルガノ 泊 10 月 27 日 (月) ∼小雨 のち曇∼ 9:00 ホ テ ル 出 発 徒 歩 ■ルガノ市視察調査 (通訳∼木村 紀子) ①ルガノ旧市街地、観光施設及びコンベンショ ン等概要説明 ・旧市街の保存 ・市民公園 ・ルガノ市民広場 【説明者】 ・ルガノ市観光ガイド グリニョーリ・洋子 9 10 ・観光局職員サシャ・フォン・ビューレン ②ルガノ市長表敬訪問 11:00 ※ルガノ市概要説明 ・歴 史 11 ・自治制度及び行政組織 ・観光振興など 【説明者】 ・ジョルジオ・ジュディチ市長 ③コンベンションセンター見学 【説明者】 ・ルガノ市観光局 サシャ・フォン・ビューレン 14:40 ル 19:00 ミ ガ ラ ノ ノ 発 専 用 車 ・ルガノからミラノ(イタリア)へ 着 ◎ミラノ ホテル ミケランジェロ 泊 12 (行動日程表) 日次 12 13 月 日 現地時間 発着地・滞在地 交通機関 訪 問 先 ・ 視 察 地 等 10 月 28 日 8:40 (火) 11:40 ∼晴∼ 13:45 15:45 ホ テ ル 出 発 専用バス ミ ラ ノ 発 S K 2 6 8 2 ・空路:ミラノ・アルペンサー空港からコペン ハーゲン経由で帰国の途へ 10 月 29 日 10:10 (水) ∼晴∼ 11:30 14:30 16:00 成 田 羽 羽 千 田 田 歳 コペンハーゲン着 コペンハーゲン発 S K 9 8 3 ・コペンハーゲン空港から直行便で成田へ 着 リムジンバス ・成田空港から羽田空港へ (所要時間 10 時間 50 分の予定が 25 分早く到着) 着 ・羽田到着後、空港で解団式を行う。 発 J A L 5 2 5 ・羽田から千歳へ 着 ・新千歳空港にて自由解散 (行動日程表) 13 14 (視察調査団団員市の地図) 公式訪問地視察記録 エスポー市(Espoo) フィンランド p16 カルマル市(Kalmar) スウェーデン p22 カルンボー市(Kalundborg) デンマーク p26 ルガノ市(Lugano) スイス p34 エスポー市 (フィンランド) 深 川 市 伊 東 幸 次 登 別 市 道 林 博 1 0月 20 日(月) 曇時々晴 ◆主要研修課題∼少子化対策と高齢者 福祉施策について とりわけ氷河時に造られた湖は、約 18 万 8 千 (面積 500㎡ 以上)といわれている。 気候は、高緯度に位置するにもかかわらず、 1.はじめに スカンジナビア全体を暖めるメキシコ湾暖流 森と湖、サウナ、サンタクロース、ムーミ の影響で比較的温暖。夏は夜になっても太陽 ンなどで知られている北欧の小国フィンラン が沈まず、一日中明るい白夜が続き、冬は昼 ド。 が短く北極圏では太陽が昇らない日が続く。 フィンランドは、北ヨーロッパ・スカンジ 公用語はフィンランド語とスウェーデン語。 ナビア半島の根本、バルト海の一番奥に位置 道路名や駅名などが2言語で記されている。 する共和国。北緯 60 度から 70 度にわたり南 フィンランドはスウェーデンの支配下に 北に細長く、国土の3分の1が北極圏に位置 あったが、1917 年に帝政ロシアから独立、苦 し、アイスランドに次いで世界最北の国。東 難の道を歩んできただけに愛国心の強いのが にロシア、西にスウェーデン、北はノルウェ 特色である。 −と国境に接する。 面積はおよそ 338,000k㎡ で、日本の面積か ら九州を除いたほどの国土に約 520 万人の 人々が暮らしている。 高齢化率は 2002 年末で 15.3%とスウェーデ ンの 17.2%など他の北欧諸国や日本の現在の 高齢化率 18.8%と比べても低い。今後、急速 に高齢化が進み、2030 年には 26%になること が予測されている。 北欧型の医療・ 福祉システムを持つフィン ランドは、理念的にはそれを支える憲法と実 森と湖の国・フィンランド(ヘルシンキ) 質的にはそれを実現するための税制度によっ て支えられている。消費税率は最高で 22%、 2.フィンランドの高齢者福祉 所得の約 50%が国・地方の税で持っていかれ フィンランドでは、「ゆりかごから墓場ま る。これは夫婦共働きの標準的な世帯の生活 で」という言葉で表されるとおり、さまざま 水準が保たれるような税の仕組みとなってい な福祉サービスや生活補助が整えられている。 る。 特に失業、疾病、健康上の問題による就業 国土の 65%が森林、10%が湖沼と河川、8% 停止といった理由で生活弱者となる時期にも が耕地という自然の宝庫、山が少なく平坦で 国民が平等な生活水準を維持し、生活できる 広大な原野、点在する湖、無数の島々。 ような制度が確立している。 16 (エスポー) これら社会福祉の各種サービスに関しての ① 高齢者の経済的自立 決定は、国がガイドラインを示し、運営の詳 ② 生活を滞りなく行うためのサービスを 細は各自治体に任されている。実際は、フィ ンランドの自治体は人口的規模が小さいため、 選ぶ自己決定権 ③ 一般社会の生活から孤立しないこと 複数の自治体が協同でサービスを提供し、ま これらの目標を達成するために国が年金政 た、民間の力も積極的に受け入れている。 策と住宅政策を練り、その政策に基づいて自 治体が保健医療サービスの充実に取り組んで (1)フィンランドの社会保障 いる。 ① 予防目的の保健医療政策 ② 社会福祉サービス *年金政策 ③ 所得保障 年金には、基礎的年金である国民年金制度 の3つの柱で成り立っている。保健医療と社会 と労働所得に基づく労働年金制度(日本でい 福祉サービスは自治体、所得保障は国が担当 う厚生年金)の2つの制度がある。加えて高 し、国と自治体の役割分担は明確である。 齢者の場合は、必要に応じて国民年金の補足 として住宅給付と介護給付を受けることがで (2)自治体が提供するサービス きる。 社会福祉サービスや保健医療サービスは、 すべて自治体が提供している。そのサービス *保健サービス は、 「住民全員への基本サービス」と「特別法 病気、障害、高齢になったときに保険でケ に基づくサービス」の2種類に分かれている。 アを受けることができる社会保険制度があり、 「基本サービス」は、実施方法と規模を財源 財源は主に税金と社会保険料である。 に応じて自治体で決定する。 「特別法に基づく サービス」は、自治体の義務として定められ、 *高齢者に対するサービス 財源の多少にかかわらずサービスを提供しな 高齢者に対するケアは、在宅ケアと施設ケ ければならない。 アに大別されるが、国の高齢者政策では、で たとえば6歳以下の全児童への保育、知的障 きるだけ老人ホームや保健病院などへの入所 害者の教育、重度障害者への教育サービスな を遅らせ、在宅ケアが中心となるよう努力し どがある。 ている。その理由として ①住み慣れた地域で暮らすことが本人に (3)自治体によるサービスの提供方法 とって最もよいという考えが一般化した 自治体は社会福祉サービスの供給を、近隣 ②高齢者自身もそれを望んでいる 自治体と協力して実施している。また、複数 ③在宅ケアのほうが自治体にとってサー の自治体が自治体組合を結成し、民間サービ ビスにかかるコストが低い スを買い上げて提供しているところもある。 自治体が民間の非営利団体(NPO)に契約 3.エスポー市の概要 費用を支払い、サービスを外注委託している。 エスポー市は首都ヘルシンキの西隣に位置 し、首都圏を形成する 4 都市のひとつ。人口 (4)フィンランドの高齢者政策 約 22 万 2 千人。他の市から見ると若い人が多 高齢者政策は 1982 年の国連勧告に基づいて く、18 歳未満が 25.5%を占める。 おり、その政策の目標は次の3点 18 歳になると大人として選挙権を有し、親 (エスポー) 17 から独立する。また、フィンランドでは子ど けた人が多い。高齢者は健康で高収入である もが親の介護をする義務がない。その義務は といわれているが、 4分の1の高齢者が大学教 国にあり、実質的には各自治体が負うことに 育を受けているせいなのかも知れないとのこ なっている。 とであった。 エスポー市は戦後、都市計画によって開発 生活程度も良いし、住宅を持ち、そういう された都市で、5地区に分かれ、各地区の中心 意味では条件もよく長生きできるだろうとい 地にそれぞれの行政センターと商業エリアを われている。これがエスポー市の福祉医療 持ち、それを囲むように居住地域が広がって サービスに影響を与えているとのことである。 いる。 周辺には豊かな自然が残り、近代都市と自 いま、エスポー市では構造改革というか組 然が溶け合った街並み。首都ヘルシンキに近 織の改革が進められている。 いことから若い家族が流入し、首都近郊都市 首都ヘルシンキの近郊都市であることから として急速に発展している都市である。 流入人口が増加する中で、一部の地域に人口 が集中し、 5つの地域に人口の格差が出てきた ことから、住民が受けるサービスに地域間の 差が生じている。 将来、高齢化が進むことから格差解消とコ スト、財源などスリム化・合理化を図る目的 で福祉サービスの行政組織改革について議会 に提案し、議決された。 その内容は、現在の福祉サービスは5つの行 政区ごとにそれぞれが医療と福祉を一緒に実 施している。 これを4つのテーマにしぼり、①家庭と福祉、 ②保育、③医療、④高齢者サービスについて 専門にやっていこうというものである。 エスポー市庁舎前にて 今までは、これら4つのサービスが含まれた エスポー市とフィンランド全国平均の年齢 予算を5つの地域に配分し、それぞれの地域で 別の人口構成は、 事業を実施していた。しかし、この方法では (エスポー市) (全国平均) 地域間でサービスに格差が生じていることか 0 歳から 6 歳 9.9% 7.8% 7 歳から 15 歳 12.1% 11.2% 分け、それを5つの地域に配分することにより、 16 歳から 24 歳 12.0% 11.3% サービス内容に地域間の格差をなくすことが 25 歳から 64 歳 57.1% 54.4% でき、平等のサービスとなるよう改革しよう 8.9% 15.3% としたものである。 65 歳以上 ら、新しい組織では4つのテーマごとに予算を エスポー市の現在の高齢化率は 8.9%と全 4. エスポー市の高齢者福祉施策 国平均からみるとかなり低い。失業率は 6.5% エスポー市では高齢者サービスに3つの (全国平均は 10%前後)で、他の自治体から テーマをもって行っている。 みると低く、また、教育程度は高等教育を受 ①生活をクリアしていく 18 (エスポー) ②自立(自分の生活をする) ければならないとのことである。 ③生活の保障 各個人の状況に添った高齢者ケアの計画を (3)施設ケア つくり、適切なサービスの提供を行うことと 施設ケアの代表的なサービスは、自宅で暮 しており、高齢者に対するケアとして在宅ケ らすことができなくなった場合に、サービス アと施設ケアの2つがある。 付きの住宅に移ることで、老人ホームなどへ の入居は 24 時間のケアが必要となった場合に (1)在宅ケア 限られる。 在宅ケアの対象者は、高齢者に限らず、長 期間難しい病気になって療養している人や障 (4)サービスホーム 害者、子供のいる家庭となっている。各地域 食堂、マッサージルーム、美容室、図書室 には、この在宅ケアを行うため、看護師、介 に付属して建てられている賃貸住宅で、入居 護師、掃除はじめ諸々の面倒を見る人のチー 者は入居の際にホームサービスやリハビリ ムがあり、2002 年の統計では対象者は全体で サービスなど必要なサービスを個別に契約、 3,187 名、このうち 65 歳以上の人が 83%、チー 家賃のほかサービス料を支払うことになる。 ム従業員が 399 名で、訪問したケースが年間 グレードは、①軽いもの ②普通のもの ③ 393,264 件、全体のコストが 1,240 万ユーロ(約 24 時間ケアを必要とするものに分けられる。 16 億 1,200 万円)となっている。 エスポー市内の市立の住宅は 4 棟 88 戸で軽い サービス内容はホームヘルプサービス、ナ サービスを行っており、 民間の建物は 3 棟 166 戸、 イトパトロール、配食、除雪、掃除や買い物 現在は民間の建物に入る人が多くなっている。 などの補助サービスがある。 (5)グループホーム (2)親族介護手当 老人ホームや 24 時間ケア、スタッフがいる 親族介護手当は高齢者、障害者及び在宅で グループホームがある。老人ホームはショー 長期の療養を要する人たちの在宅での介護を トスティ用の設備も整えている。痴呆症や身 支援するもので、親族が必要に応じて申請で 体障害を持つ人は、グループホームに入居し きることになっている。高齢者等と介護者と ている。 自治体の三者が契約を結び、介護内容に従っ エスポー市では市で建物を建てず、民間か て月額 267 ユーロ(約 34,700 円)から最高 1,260 ら必要なサービスを買って委託しており、 ユーロ(約 163,800 円)が支払われる。最高の 470 ヵ所の住居及びサービスを提供している。 場合は 24 時間の介護となり、いわゆる施設に 民間のサービスにより入居する場合は、市の 入ってもいいような状態の人の介護となる。 決裁を得たうえで入居することにより、市か 親族介護手当を受けても、ケアされている らの補助も受けることができる。個人で民間 人は他のケアサービスも受けることができる。 に直接申請し、入居することも可能であるが、 2002 年には、 443 名がこの契約によってケアを その場合、月 3,000 ユーロ(約 390,000 円)く 受けており、このうち 65 歳以上の人は 44%と らい個人で負担しなければならなくなる。 なっている。 グループホームは、年間約 40 戸ずつ増加し 親族介護手当は全体で 200 万ユーロ(約 2 ており、2002 年には 850 万ユーロ(約 11 億 億 6,000 万円)弱となっているが、今後、研究 500 万円)のお金が使われている。 の余地もあり、新しいサービスも考え直さな なお、フィンランドの高齢者サービスは施 (エスポー) 19 設ケアから住宅ケアへと転換しているため、 5.エスポー市の少子化対策 老人ホームへの入居者は減少している。 フィンランドには「ネウヴォラ」という国 民すべての健康管理と医療行為に携わる保健 (6)病院(施設サービス) 相談所がある。 社会福祉サービスで提供しているサービス ネウヴォラで妊娠が確認されると「父親手 では、ケアが不可能になったときに保健医療 帳」と「母親手帳」の交付を受け、出産まで センター管轄の病院に入院する。そのため病 の両親教育や妊婦検診などが受けられる。 院は、保健医療サービスの施設サービスとな また、子どもが生まれると「子ども手帳」 る。ただし、医療によるケアの必要がなくな も発行され、以後の受診記録が就学までネウ ると老人ホームやグループホーム、ホームケ ヴォラで記入される。 アを利用しながら在宅ケアへと移行する。 児童福祉政策で、国内でも先進的な政策を 2002 年において、75 歳以上の市民を対象に とっているエスポー市では、この記録が学校 調査したところ、サービスを受けていない人が へと引き継がれ、一人ひとりの学習指導に役 多く、実際に定期的なケアサービスを受けてい 立てられている。 る人は 22%で他の自治体と比較すると低い数 字である。これを維持していくことが、これか (1)育児保障 らの大きな課題であるとのことであった。 妊娠した女性は 158 日間の産休が取れる。出 エスポー市の 2003 年高齢者福祉費は 7,000 産すれば子どもが 10 カ月になったとき産休は 万ユーロ(約 91 億円)、2004 年は更に増える 終わるが、その間は収入の 70%近くを保障す とのことである。7,000 万ユーロの内訳は、 る育児手当を受け取れる。子どもが3歳になる ・在宅ケア 1,800 万ユーロ ・住居(サービスホーム) 1,500 万ユーロ ・施設 2,100 万ユーロ ・病院 1,500 万ユーロ までの間、希望すれば育児休暇を取ることが でき、父親も同様である。 (2)保育サービス 100 万ユーロ 各自治体は、デイケアセンター(子どもの 今後の指針として 24 時間ケアをなるべく在 託児・保育施設)を整備することが義務付け 宅ケアにしてもらうことで住み慣れたところ られている。 で暮らすことができるし、高齢者自身も望ん フィンランドでは、生後 10 カ月から保育所 でいる。自治体にとってもサービスにかかる で子どもを預かる。保育所へ預けて仕事に復 コストが低いことから指標としている。 帰することもできるが、育児手当を受け取り ・その他 自分で子育てすることもできる。 エスポー市民は、0 ∼ 6 歳までの 70%は市 で用意した保育所に入っている。また、 3歳以 下はなるべく家庭において、母又は父親が育 児休暇(育児手当を受け)を利用して子育て するとの考えもある。 エスポー市では、保育サービスを民間から 買い取っており、全体の 80%がエスポー市の 施設で、20%が民間施設である。 エスポー市の担当課長を囲んで 20 (エスポー) 6.施設見学 るが、普通は預からないとのこと。 施設名:スオメノヤ・ デイケアセンター 保育費用の経費は親から徴収するが、額は (児童福祉施設:24 時間保育の保育所) 家族の収入と家族構成により無料から月 200 ユーロ(約 2 万 6,000 円)までとなっており、 不足する分は自治体が負担している。 7.おわりに 今回、 4都市の公式訪問で唯一エスポーの市 長さんの日程調整がつかず、お会いすること ができなかったことは大変残念であった。 いま、世界は少子化と高齢化が急速に進ん でいる中にあって、エスポー市の高齢化率は スオメノヤ・デイケアセンター(児童福祉施設)の子どもたち 8.9%とかなり低いものであるが、担当者の説 明では 2030 年頃には一番ケアの必要となる 夫婦の共働きが当たり前となっているエス 85 歳以上の高齢者が急激に増えてくることを ポー市では、保健施設の果たす役割は非常に 懸念していた。 大きい。この施設は、エスポー市最大の 24 時 フィンランド視察を行う中で、高福祉・高 間デイケアセンターで建物は市の施設、面積 負担を掲げて世界の福祉をリードしてきた欧 は 700㎡。 州諸国の仕組みも、エスポー市に見られるよ 親がシフトで働いている人たちの子どもを うに、改革と「自分の人生を自分で決める」 預かっており、現在、入所している子どもの ためにも、本当に必要とする人に与えるサー 数は 78 名。スタッフは園長のほか保育士、掃 ビスの正確な判断が求められていると感じた。 除婦、特別保育児のためのアシスタントなど そして、日本における高齢化率も、低い合 32 名。この中には保育士と幼児教育の資格を 計特殊出生率(一人の女性が一生に産む子ど 持つ男性スタッフもおり、フィンランドでも もの数)や平均寿命の伸長を反映して今後も 珍しい保育所。コアタイムには、①3歳以下 上昇を続け、2015 年には 65 歳以上の人が 26% ②3歳から5歳 ③6歳就学前児童 ④2歳 に達するものと見込まれている。 から5歳までの兄弟 の4つのグループに分 高齢化をキーワードとして、年金・ 医療・ 福 かれ保育が行われている。 祉のあり方、国・ 地方・ 民間の担うべき役割分 保育所はクリスマスだけが休みで、 1年中開 担、費用のあり方、NPO活動のあり方など大 所しており、給食も作っている。食事として きな広がりを持った諸課題が自分達の生活に は朝、昼、夕の3食のほか、おやつとして軽 難題として横たわっている。望ましい高齢化社 いもの2回、合計1日5回出している。 会がどうあるべきか身近な問題として、関心を エスポー市は、首都ヘルシンキに近いこと 持ちつづけていく必要があると思う。 から両親が海外出張などに出かける家庭も多 今回の視察に際し、担当者からスライドを用 く、保育所に数泊することもある。 いて説明を受けたが、資料が現地語であること、 就学児童の保育は、学校での授業終了後、 図式のメモをとる時間的余裕がなく、更にわず 教会や団体が行っており、ここでは特殊な問 かにいただいた資料も現地語のため和訳でき 題を持っている子どもがいるので預かってい ないことに困惑した。 (エスポー) 21 カルマル市 (スウェーデン) 富良野市 秋 田 行 紋 別 市 鈴木富美夫 1 0月22日(水)曇のち雪 ◆主要研究課題∼産業クラスターにつ いて ていない国である。 ユーロ参加への是非を問う国民投票におい て主権喪失への抵抗感、独自の経済政策への 1.はじめに 危機感と共に福祉水準低下への懸念や好調な スウェーデンは、スカンジナビア半島の東 スウェーデン経済と対象的なユーロ圏経済の 側を占める北欧最大の国である。 低迷などの理由から、反対 55.9%、賛成 42.0% 東はフィンランド、西はノルウェーに接し、 によりユーロへの参加が否決されている。 南はオアスン海峡を挟んでデンマークと向か 注目すべき大きな特徴として、2000 年 7 月 い合っている。国土は 2,700km もの海岸線が続 にデンマークのコペンハーゲンとスウェーデ き、 およそ半分が森林に覆われ 9 万以上の湖が ンのマルメを結ぶオアスン橋が開通し、両国 点在している。 が鉄路で結ばれたことによりスウェーデン・ 鉄鋼、森林、水資源の活用により過去には デンマーク 2 国にまたがる地域における発展 一人当たりの国民所得が世界第 2 位を維持し 政策として中小都市連携による 250 万人から た時期もあった。 350 万人圏の地域クラスター形成が取られて 現在も高度な生活水準を保つ有数の福祉国 いるとのことである。 (いずれ研修の機会が持 家である。また、中立と人道主義を掲げ、国 たれることを期待したい) 際外交上も特異の立場を取るとともにノーベ ルをはじめ多くの科学者を世に送る文化国家 でもある。 国土面積約 45 万(日本の約 1.2 倍)に対 し人口約 894 万人で、EU 政策の積極的参加、軍 事非同盟政策、国連との協力重視、さらには 国連の活動を通じた国際平和維持協力などを 外交の基本方針としている。 経済概況としては、2001 年末以降、個人消 費や設備投資の堅調な伸びから成長率は 2002 年度 1.9%と安定した推移を見せている。 また、雇用情勢については一時の高失業率 (9.9%)から大きく改善され、2001 年以降 4 カルマル市の分庁舎前にて 2.カルマル市の概況 バルト海に面するスウェーデン南東部に位 ∼ 5%台で安定した状態が保たれている。 置し、スモーランド地方の中心地であるカル スウェーデンは、外交基本方針として EU 政 マル市は中世からの商業都市である。 策に積極的な参加を行っているが、ユーロに 「カルマルを支配するものは、海峡の交通を ついてはイギリス、デンマークと共に参加し 支配する」と言われ、デンマークとの間で領 22 (カルマル) 有権争いが繰り返された市である。 ワーク構築を目指したものであり、1999 年に 森と湖に囲まれ、デンマークの攻撃からま 企業 20 社とともに設立されたものである。 ちを守るための城壁を一部残す美しい港町で 注目の一つとして目的にある企業誘致にあ あり、スウェーデンで最初に ISO14001 の認証 たって人口 6 万人のカルマル市だけでは企業 を取得した環境都市である。 にとっては小さな町であるが、100km 圏内に 市域面積 956k㎡、人口約6万人で主な産業 ある 3 つの町を合わせると 25 万人の町となる。 としては農業、食品加工業、製造業である。 このことは企業にとって選択の大きな要素と 特に、中小企業の数は 4,000 社を超え、かつ、 なり、かつ、それぞれの町として大学を抱え これらの企業についてはいずれも急成長して る条件があることから広域的な視点での取り いるとのことである。中でも成長の著しい企 組みとなっていることである。 業は IT 関連産業であり、理由の一つとして産 一方、市としては人材育成を進めるべくカル 学連携を積極的に推進してきたことによるも マル大学との支援に力を入れており、その成果 のである。 が現在あらわれてきているところである。 この取り組みにあたって最も重要なことは、 市民の理解が不可欠なことである。 一つは、人材を育てていくことに興味を 持ってもらうこと。もう一つは、大学と企業 を結び付けることは行政の役割であり、しか も時間のかかることをしっかり頭に入れてお くべきであるとの示唆を受けたところである。 具体的には産業クラスターについてカルマ ルサイエンスパーク(ソフトセンター)の取 り組みについて報告をする。 カルマル市庁舎にて 今回の調査にあたって産業クラスターとい 4.カルマルサイエンスパーク (ソフトセンター) う言葉が全く出てこなかったことが大変印象 カルマルサイエンスパークについては、 に残っているが、カルマル市におけるクラス 1999 年に 20 の TIME(Telecom,Informatiom, ター(サイエンスパーク)の取り組みについ Media,Entertainment)企業とカルマル大学、 て報告する。 カルマル市のネットワーク構築を目指し設立 サイエンスパークの取り組みについては、 されたものである。 1987 年スウェーデンのロネビューにソフトセ センターとしての役割は、一つには企業に ンターが設立され、その目的として「研究開 対し TIME 市場で有利に活用できる競争力の 発は大学と民間企業の協力が有効である」と あるサービスの提供。 の産学連携の考え方に基づき、多くの成功を 二つには、新しい情報の提供、企業・大学・ 収めていることから各地域においてもソフト 行政間の協力体制の構築。さらにビジネス センターの設立が見られるようになってきた チャンスにつながるようなネットワークづく ところである。 りなどが挙げられる。 カルマルサイエンスパークについても民間 具体的な活動として、パートナー企業、大 企業とカルマル大学、カルマル市のネット 学、周辺地域のマーケティング、国内だけで 3.産業クラスター (カルマル) 23 はなく外国のソフトセンターとのネットワー サイエンスパークエリアは、企業・住宅の ク構築、会員企業の誘致、人材募集及び地域 混在する地域であり、参加企業に対し事前調 や国籍を超えた産学連携プロジェクトの施行 査を行う中で住居の必要性を確認し、住宅建 が挙げられる。 設についても配慮しているところである。 組織形態は株式会社で大手民間企業 2 社と 現在、90 戸が確保され、賃貸 61 戸分、売却 市が株主となっている。そのほか大手 2 社を除 (売買価格例 177㎡ 約 29 戸分となっている。 く 22 社が参加企業となり1株保有をしている 4,500 万円) とのことである。 サイエンスパーク内にある企業は 40 社であ り、そのうちメンバー企業については 24 社で、 建物に入らなくてもメンバーになることは可 能である。 ソフトセンターの役割として前段で報告し たとおりであるが、再度強調すべきことは多 くの企業に集まってもらえるよう、また、仕 事がしやすい環境を作ることであり、企業と 大学の出会いの橋渡し、新しい企業には基本 から助ける体制、企業間の連携とともにそれ サイエンスパーク会議室にて ぞれの持てる機能が十分発揮できる環境の整 備である。 人員の配置として社長 1 名、インフォメー センターのメンバーになる基本条件として ション 1 名、バイオ技術者1名、警備員 1 名 何らかの形で大学と連携のあること。又は結 などであり基本的には総合的にまとめる会社 びついていける企業、さらに学生が就職可能 であることから組織として大きくては駄目と なものであることとなっている。しかし、こ のことである。企画、あるいは専門的対応が れについては絶対的条件ではないとのことで 必要となればそれぞれ対応可能な企業とコン あった。 タクトを取ることになっており、運営、企画 現在パートナー企業のもとに 1,500 人の雇 等については株主による委員会をはじめ企業、 用が存在し、カルマル大学には約 500 人 TIME 大学で構成する別組織で検討が行われる。 セクターを専攻する学生が在籍している。そ サイエンスパークは、1980 年代の造船所跡 の結果、卒業後もカルマルでの雇用拡大が図 を活用し建設整備は現在も進められているが られる効果を生み出している。 古いものも残しながらの整備である。 最後に財源については回答をもらえなかった。 新しいメインの建物には、目的からして交 しかし、企業進出や雇用の拡大状況からクラ 流しやすく、かつ閉鎖的にならないようレス スターというフレーム形成は当初目的に近い トラン、会議室などを一般に開放し、メンバー ものがあると感じたところである。 企業間だけでなく対外的にも一層の交流が促 進されるよう理念設計がなされている。 5.おわりに また、2003 年春より、新しくスタートした 今般、産業クラスターについての調査研究 企業に対し 2 年間を限度に入居可能とするイ にあたり、これまでのシーズに対する考え方 ンキュベーター制度を設け企業育成にも努め から見て比較にならない規模での取り組みに ている。 驚きを感じたところである。 24 (カルマル) 世界的に見ると、シリコンバレー、フィン の中で、行政としての総合的な支援策はどこ ランド・オウル市など一つの事例として聞い にあるのか、課題は大きいものがある。 ているところではあるが、カルマル市におけ カルマル市長表敬訪問に際し、ヘンリクソ るシーズについても、大規模な企業誘致であ ン市長は、本年春に日本で環境についての講 り、また、人材育成であるが地域の環境や諸 演を行っているが、日本は、森林が豊富にも 条件を十二分に活用した取り組みであった点 かかわらずせっかくの資源が活用されていな に着目すべきである。 いとの印象を持っている。 中小企業を主体に企業、大学などが集積し、 特に「宿泊したホテルなど、すべてが西洋 人材技術、ノウハウが結合することで互いに 化され、木材の使用がほとんどなされていな 利用しやすい状況になっている。 いなど環境に配慮すべきところがまだまだあ また、地域外への強力なネットワークが築 るのではないか。」との指摘を受けたところで かれており、企業があらゆる機能を丸抱えし ある。 なくても外部経済効果が期待できる特徴ある また、2004 年も来日の計画があり、日本語 地域社会を形成している。 の名刺を創るのだという親しみを持って歓迎 地方産業が厳しい局面を迎えている中で各 いただいたことに感激をした。 地域において、ベンチャー企業の育成など産 特に「環境に優しいことは経済的に損をしな 業起こしのさまざまな試みがなされている中、 い」という言葉が非常に印象的であり、吟味す よくよく我が地域を見渡し厳しい自治体環境 べき示唆であることを申し上げ報告とする。 バルト海に面するエコタウン、カルマル (カルマル) 25 カルンボー市 (デンマーク) 登 別 市 道 林 博 深 川 市 伊 東 幸 次 10 月 24 日(金) 快晴 ◆主要研修課題∼環境保全対策について 金属加工、機械などの工業が発達している。 帰国した翌日の 10 月 30 日の新聞に目を通す 1.はじめに と、スイスのジュネーブで開かれた世界の指 デンマークは、ヨーロッパ大陸と陸続きで 導者が参加するダボス会議の主催する“世界 ドイツと国境を接している。 面積は 43,000 k㎡ 経済フォーラム”で発表した今年の競争力報 (グリーンランド・フェロ諸島を除く。)で日 告によると、対象 102 カ国中、今回、訪問し 本の約8分の1、北海道よりも小さく九州より た国の順位は、フィンランドが1位、スウェー やや広いぐらいである。本土は、北緯 57 度 45 デン3位、デンマーク4位、スイス7位となっ 分から 54 度 33 分にあり、サハリンより北に ており、ちなみに日本は 11 位、米国は2位と 位置している。 なっていた。 しかし、冬の寒さは思ったほど厳しくなく、 この順位は、持続的な成長を可能にする中 年間の平均気温は 7.7℃、冬の最低気温は 0.5℃ 長期的競争力を技術力の強さ(特に技術革新 と暖かい。その理由はメキシコ暖流がノル が寄与)、マクロ経済、公的機関部門の効率、 ウェーの西海岸まで流れているからだそうで 質を指標化して比較したものであり、環境政 ある。雨は年間を通して降るが、降水量は年 策に力を入れている北欧三国が上位を占めた 間 712mm と少なく、雪も 25 日ぐらいしか降 のも至極当然の気がした。 らない。 造船業もバイキング時代からの技術の積み 人口は、約 514 万人。子供を非常に大切に 重ねで今なお盛んである。また、製品として馴 し、アジア系の養子を貰っている人もいるよ 染み深い物は、玩具のレゴや木工家具、陶器の うである。国土は平坦で最高峰は 173 m。 ロイヤルコペンハーゲンがあり、カルスバーク 大半はかつて氷河に覆われており、氷河が などのビールが最も有名。年間1人当たりの 運んできた氷堆積が表土に残っているため、 ビールの消費量は、日本の4∼5倍にもなる。 耕作の障害になっているとのことであった。 (1)デンマークの農業 デンマークは、酪農のイメージが強く国土 の3分の1は農用地。酪農が盛んであり、バ ター、チーズ、鶏卵は世界有数の輸出国であ る。また、デンマークはEU内でも対日貿易 は唯一の黒字国である。 (2)デンマークの産業 農業以外の産業では食品工業を中心に化学、 26 (カルンボー) コペンハーゲン市庁舎 (3)デンマークの生活 が多く、それだけ被害者が多くなるためオゾ デンマークはヨーロッパ最古の立憲君主国 ン層の破壊は、北欧の人たちにとっては深刻 であり、現在は「マルグレーテ2世」が女王で な健康問題なのである。 ある。日本人が知っているデンマーク人という 私はかねてよりデンマークでは、どうして と、まず童話作家のアンデルセンが挙げられる 環境問題に逃げることなく真っ向から立ち向 が、彼はフュン島のオーデンセの出身でその足 かい、しかも数学の公理のように道理にか 跡はコペンハーゲンを始めとするまちに溢れ なった政策を推進することが何故できるのだ ており、コペンハーゲンにある「人魚姫の像」を ろうかと疑問を持っていた。上述した内容も 訪れる人は、後を立たないという。 その一つの要因に挙げられるが、どうやら教 デンマークは福祉国家としても有名で税金 育システムにその根幹的要因があるのではな は 50%を上回るが、医療費、教育費はただで いかと思っている。 あり、学生には奨学金が与えられている。 家庭には、 セントラルヒーティングの配管が行 き渡りどこでもお湯が出る。また、早く退職して も年金が給付される。 (大変うらやましい !!) 2.デンマークの環境政策 人類が快適・便利さと物質的豊かさを追求 した大量生産社会システムは、地球規模のさ まざまな資源の枯渇をもたらすと同時に地球 温暖化問題や酸性雨、オゾン層破壊、森林資 源の減少、海洋汚染をもたらした。 アスネス発電所屋上から 環境ホルモンを通じて人間の存在そのものが (2)積極的な行動を促す人間形成を図 る国民高等学校 危ぶまれてきている。 デンマークの環境対策が前進をみたのは、 私達が 21 世紀のライフスタイルや消費生活 社会連帯と民主主義によるものといわれるが、 を考えるとき、その基本にこうした環境問題 その源となっているのが、フォルケホイス やそれをめぐる社会システムの展開を図るこ コーレ(国民高等学校と訳されている)の存 とは喫緊の課題である。環境問題の先進国で 在である。この国民高等学校は、デンマーク あるデンマークの取り組みについてその一端 で 150 年ほど前から始まった自由な学校で、そ をご紹介する。 の言葉は「民衆(国民の大学)」を意味し、現 また、身近なゴミ問題は、ダイオキシン、 在、全国で約 100 校を数え世界にも広がってい (1)環境問題を重視する背景 るとのことである。 デンマークを始めとする北欧諸国の環境意識 17 歳半以上なら誰でも学ぶことができ試験 が高いのは、北欧がオゾン層破壊や酸性雨の被 も無く、資格も与えず、全寮制で教師と学生 害を一番受けやすいことにあるからで、フロン が共同生活をして学び、カリキュラムは自由 によるオゾン層破壊で紫外線が地上に照射する で国から助成金を受けても国の干渉のない私 度合いが増えるとメラニン色素の少ない北欧の 立の学校である。 人たちは皮膚がんや白内障にかかりやすい。 この学校は、近代デンマーク精神の父と言 特に、北極に近い地域では紫外線の照射量 われている、NFSグルントヴィによって構 (カルンボー) 27 想された。その自由と人間解放を目指す精神 いく姿勢を持たせるための刺激を与えること。 ゆえに「生のための学校」とも言われ、今日 これらの考えがデンマーク社会に根付いて のデンマークを築く原動力になったと称され いることは、何とも羨ましい限りである。 ている。自由に何事にもチャレンジするデン マーク人の行動力は、こうした背景や教育な (3)環境政策に対する基本的な姿勢 どから育まれているようである。 デンマークの環境に対する基本的な姿勢が 国民学校の教師であったポール・ラ・クー あらゆる状況に精通し、貫かれているという ルは、1891 年から風力発電の開発に取り組み、 ことである。 デンマーク風力発電研究の元祖といわれてい すなわち、デンマークの環境政策は、部分的 る。また、学校の電力供給用として、教師と 政策でなく福祉国家全体の諸政策を貫く包括 生徒が一緒になって小型風車を製造した国民 的、総合的なものであり、そこでは自然保護や 高等学校がたくさんあるとのことである。大 ゴミ問題を考える場合にそれだけで仕事する 事なことは、 「どんなふうに受け取り、消化し のではなく、経済活動や社会活動の総体を環境 たか」ということで、「他との比較ではない」 の視点から取り組むことが企図されている。 ということ。更に大事なのは、人と人との会 こうした環境政策は、理念を意味するので 話であり、生徒各自の体験をお互いに自分の はなく、問題の生じる原因を根本から除去す 経験のプラスにしようということ。ここで学 る予防的対策を実際に、しかも本気で目指し、 ぶことは、それぞれの人たちが自分の状況に 道理を総体として現実化している。以下、取 あって、勇気を持ち、新しい課題に向かって り組みを紹介する。 ◎ コペンハーゲンでは、大量の車で渋滞する公共交通の問題に関して都市の利便さを景観や 住環境と合わせて考え、自家用車を必要としないまちづくりがなされている。 自転車道を整備して自転車の利用を促進し、駐車に高額な料金を課すなど改善を図ってき た。 ◎ エネルギー効率の高度化と化石燃料に代わる開発に取り組み、危険な原子力発電所は造ら れていない。 ◎ エネルギー開発は、技術レベルだけでなく、産業組織の社会化に取り組んでおり、あとで 紹介するシェラン島北西部のカルンボー市では産業の共生が行われている。 地域の民間及び公共セクターなどのさまざまな企業や個人が水や熱、産業廃棄物などを資 源エネルギーとして循環させて、相互に利用しあうという画期的産業共生システムが作られ、 世界から注目されている。 ◎ デンマークには、自動販売機が少ないだけでなく、缶入りの飲料が全く無く、ボトル入り 飲料が多く使われている。 メーカーにはボトル管理が義務付けられ、100%近いリサイクル率となっている。 (4)エネルギー政策 ①取り組みの経緯 90%以上は中近東からの輸入であった。この デンマークのエネルギー政策は、1973 年の た。 第1次石油ショック当時、全エネルギー供給量 1976 年にデンマーク政府は、伸び続ける石 に占める輸入石油の割合は 89%、そのうち 油 輸 入 に 対 し、15 基 の 原 子 力 代 替 プ ラ ン 28 (カルンボー) 頃は我が国も同様のエネルギーの状況であっ 「EP76」を公表した。しかし、OOA(環境 かれた 2005 年までに 150 万 kw 風力発電とい NGO の原子力発電情報組織)は、既に政府の う目標は 1999 年に達成し、現在、2003 年まで 原子力発電推進準備と並行して原子力の必要 に 550 万 kw の風力発電を目標とし、中心に洋 性及び代替案調査研究を行い、政府が公表し 上風力発電を掲げている。 た半年後に原発のないエネルギーシナリオ 2002 年の風力発電量を国別に見ると、ドイ 「AE76」を提示し、国民の大きな支持を得た。 ツ 1,200 万 kw、スペイン 483 万 kw、米国 469 その内容は、政府が 20 年間に5割近いエネ 万 kw、デンマーク 288 万 kw、インド 170 万 ルギー需要増大を見込んだのに対し、石油削 kw 順になっている。ちなみに日本は 42 万 kw 減量見直しを政府と同程度に見積もりつつも と非常に少ない状況で中国 47 万 kw を下回っ “原子力の代替案”として、すべての石油火 ている。 力発電等を石炭火力に変えるなどエネルギー また、デンマークは世界の風力発電機市場 の効率化と天然ガスなどのエネルギー資源の の5割を占め、現在、世界最大(2,000kw× 80 多様化を図った。 基)の洋上風力発電所の建設を進め、既に設 それに加えエネルギー利用効率の高いコー 置工事を終え、発電調整が行われている。 ジエネレーション(熱と電気の併給)の普及 参考までに、風力発電だけで既に二酸化炭 に取り組み地域暖房には、コージエネレー 素削減目標値の約 40% を削減している。 ションの促進など(1972 年の 29% から 88 年 には 55% まで向上)小規模分散型のエネル ギー技術の導入拡大を示唆する内容であった。 1985 年、デンマーク議会は、正式に原子力 計画を放棄することを決議し、ここに原子力 なきエネルギー政策が確立した。 参考までに、1976 年にデンマーク政府が省 エネを目的とするエネルギー供給の安全確保 のための取り組みとして発表した「デンマーク 遠くに見える風車 エネルギー」の主な内容は、次のとおりである。 ・ 輸入依存を減らすため、北海で自国の油・ 天然ガスの探査を開始 ③エネルギー自給率の推移 デンマークのエネルギー自給率は、1996 年 ・ 発電余熱と天然ガスを利用した給湯計画の に 88%、1997 年には 100%に達し、1998 年か 実施。エネルギー効率の高いコージェネ らはエネルギーの輸出国となっている。その レーションの普及 量は年々伸びている。電力の輸出先は、主に ・ 補助金制度を導入した省エネの奨励 ドイツ、ノルウェーで、特にノルウェーの電 ・ エネルギー税の導入 力供給は水力に頼っているので、降水量が少 なく電力が不足する時期は、不足分をデン ②風力発電 マークが供給している。 1980 年にはゼロだった風力発電機の数は、 自給率の推移(単位:%) 91 年末には、3,200 基、42 万 kw と急増した。 さらに、1996 年に発表されたデンマークのエ ネルギー政策「エネルギー 21」では、大胆な 96 年 97 年 98 年 99 年 00 年 88 100 102 118 138 自然エネルギーの導入を目指した。そこに描 (カルンボー) 29 デンマークのエネルギー自給率の上昇は、 4.産業シンバイオシス 北海油田からの石油と天然ガスの供給と再生 シンバイオシスという言葉は、生物学から エネルギーの開発、導入に力を入れてきたこ きた言葉で、異種の生物がさまざまな相互利 とによるものである。 益関係をもって共に生きていくことを言うが、 カルンボー市の産業シンバイオシスは約 30 年 3.カルンボー市の概要 以上前の 1970 年代から取り組んでいる。 カルンボー市は、デンマークの東部西シェ 産業シンバイオシスとは、企業活動から排 ラ・べスツーランド州北部の港町で人口約 出される副産物を「廃棄物」として処理する 20,000 人。シェラン島北西部、カルンボーフィ のではなく、副産物を相互に交換しあってい ヨルドの湾奥に位置し、コペンハーゲンから る企業ネットワークの名称で、一つの企業の 車で1時間半のところにある。街の中心部には、 副産物は別の企業にとっては貴重な原料とな 12 世紀に建設の5つの塔を持つ教会がそびえ、 るため、このような企業ネットワークを結ん 16 ∼ 17 世紀の木造の民家が多くある。 でいるのである。 カルンボー市は、30 年前から積極的に企業 30 ∼ 40 年前から産業共生による副産物の 誘致を行ってきており、進出した企業が利益 資源循環型のプロジェクトについて、企業は を出すためには、どのような企業活動を行っ 積極的に参加した。このシンバイオシスが成 たらよいかなど、企業間の積極的な話し合い 功を収めたのは、各企業間の協力によるもの が持たれている。 であり、成功を収めた理由の一つとして、は 環境問題にとって最大の問題は、経済成長 じめから大きな計画を持たないで個々の企業 との関係であるが、この問題解決を図るため 関係を基に開発がなされたこと。二つ目とし に企業活動から生じる「廃棄物」を単に処理 て学術的な理論的なものとしてあったわけで するのではなく、それを必要としているとこ なく簡単に利益を求めることから始まったこ ろに流れていく構造ができれば、資源の活用 とが挙げられる。 度は高まり、再利用へと向かう。 この産業シンバイオシスには、色々な企業 即ち、資源循環型のシステムにすることで が共同の経済的利益を求めて、 4社から出発し あり、これにより使用資源の総量削減や環境 たが、現在、カルンボー市の産業シンバイオ 負荷低減にもつながることにもなることから、 シスのネットワークに参加している企業は カルンボー市では、既に産業シンバイオシス ① アスネス石炭火力発電所 の考えのもとに、エミッション・バリュー ② ジプロック社(石膏ボード製造) チェーンが構築されている。 ③ ノボノルディスク社(製薬会社) ④ A・Sバイオテクニスクヨードレンス(土 壌改善) ⑤ スタットオイル精油所 ⑥ カルンボー市役所 これら企業等の供給、受給の関係は次ペー ジのとおりである。 カルンボー市長を表敬訪問 30 (カルンボー) 企 業 等 A アスネス石炭火力発電所 B スタットオイル精油所 供 給 蒸気 製薬工場・精油所 石膏 石膏ボード工場 石炭灰 セメント会社(外部) 温水 魚の養殖場、カルンボー市 排水 再利用貯水池を経由して発電所に循環 硫黄 化学肥料産業(外部) ガス 火力発電所、石膏ボード工場 冷却水 再利用貯水池を経由して火力発電所 処理済み排水 火力発電所 イースト菌飼料 農業 C ノボノルディスク社 (製薬) バイオマス 排水 D ジプロック社 (石膏ボード) 農業 カルンボー市役所 火力発電所の石膏と製油所のガス E A・Sバイオテクニスク カルンボー市の汚泥 ヨードレンス (土壌改善) F カルンボー市 受 給 先 温水 地域暖房に利用 汚泥 土壌改良会社 ※ 産業シンバイオシスを内部シンバイオシス(5つの企業とカルンボー市)と外部シンバイオシ ス(化学肥料産業)に分類している。 これらの関係を分かりやすく図で示すと次のとおりである。 (カルンボー) 31 <主な特徴と成果> 水の状況 魚の養殖 地下水を利用しているが、水量が十分でないことから、近くの湖 からパイプラインを自前で引いて取水し利用している。 マスは水温が高いと繁殖しやすいことから、温水を再利用してマ スを年間 250 トンほど養殖し、日本に輸出している。 カルンボー市が火力発電所から出る温水の供給を受け、市が設置 カルンボー市の地域暖房 したパイプラインを通して、地域の 5,000 世帯に暖房として供給し、 使用料を徴収している。 製薬工場から出るスラグは、バイオマスの技術を使って家畜の飼 飼料、肥料 料を製造し、豚 80 万頭を飼育している。なお、肥料は無料で農業者 に提供されている。 ゴミのリサイクル インシュリンの生産 コペンハーゲン市等から出る家庭ゴミや産業廃棄物は、約 88%リ サイクルしている。 ノボノルディスク社は、日本にもあるが、近郊の養豚農家と連携 して、世界のインシュリンの 50%を生産している。 貯水池は 20 万トンの容量があり、ここでの水は何回も利用してい 再利用貯水池と水の節約 るので、これにより年間 210 万トンの節約となっている。また、工 場の廃水を利用することにより 120 万トンの節約となっている。 オイルの節約 蒸気の利用によりオイル2万 kl が節約になっている。 収益 このプロジェクトによる収益は、これまで 9,000 万ドルに上っている。 以上、産業シンバイオシスには、多くの利点があるが、要約すると次のことが言えると思う。 1.副産物の再利用∼企業の副産物は、他の企業にとっては有効な資源(原料)になる。 2.再利用による一次資源の節減∼水、石炭、石油。 3.環境負荷の軽減∼二酸化炭素、二酸化窒素、工業廃水の排出量を減らす。 4.エネルギーの有効利用∼排出ガスはエネルギー生産のために活用される。 カルンボー市の産業シンバイオシスは、世界唯一のシステムで世界の注目を集めており、日本 の国連大学でも過去に二度ほどプレゼンテーションが行われている。 <産業シンバイオシスの成功への条件> ・パートナーは目的が違う企業であること。 ・各工場は、パイプラインなど等の費用負担の観点から、その地域からあまり離れていないこと。 ・パートナーの理念や事業の知識を理解し、副産物について互いに良く認識されていること。 ・協力してやるというボランティア精神があること。 ・副産物を利活用するための研究施設も必要であること。 ・やり方についての特別規定を設けないで、あくまでも自発的な契約によること。 ・パートナーを増やすことが産業の共生に繋がること。 ・この産業シンバイオシスのやり方として、 ① スタートの時点から加わること。 ② 他の国の確立したシステムを利用すること。 32 (カルンボー) Asns Power Station 5.おわりに 今回の視察の目的であるデンマークの環境 産、大量消費、大量廃棄型の事業活動やライ 保全対策については、私にとって頭を鋼鉄で フスタイルがある。 殴られたようなショックを受けた。 平成 12 年度の我が国の物質収支は、社会経 その最も大きな理由としては、 済活動に 18 億トンに及ぶ自然界からの資源採 ○ これ程までに環境に対して徹底した考え 取を含め、約 21.3 億トン(総物質投入量)の の下に対策を講じていること。 ○ 環境に対する哲学が諸政策を貫いている こと。 ○ 人間を大事にした思想が全体に溢れてい ること。 資源が国内外から投入され、廃棄物として処 分されるもののうち資源として再利用されて いるのは約 2.2 億トンで、総物質投入量の約1 割程度にしか過ぎない。 国土の狭い我が国において腰を据えた資源 ○ 企業が非常に協力的であること。 循環社会の構築は、焦眉の急である。 等々であるが、何よりもデンマークには「環 「21世紀は環境の時代」であり、地域社会か 境文化」が根付いていることであった。 ら始まる持続可能な社会への変革が求められ 現在の我が国は大量の物質に支えられ成り ている。 立っており、廃棄物問題の根本には、大量生 (カルンボー) 33 ル ガ ノ 市 紋 別 市 鈴木富美夫 (スイス) 富良野市 秋 田 行 1 0月27日(月)小雨のち曇 ◆主要研修課題 ∼観光振興とコンベンションについて 北海道の観光は、雄大な景観と四季折々の 新鮮な食材など、多くの特色のある観光資源 に恵まれ、今後さらに進展する要素を多分に 1.はじめに 内包しているが、このためには解決すべき課 グローバル化の波は物、金、情報などとと 題も挙げられている。こうした中、先進諸国 もに、世界的な規模で人々が行き交う大交流 の方策に習うことも解決の糸口を探る一策に 時代をもたらしてきており、各国では、世界 当たらないだろうか、と思いつつペンを手に の国々、世界の人々と観光を通じた交流拡大 した次第である。 を図ろうとして、国際観光に新たな価値と将 来性を見出していこうとしている。 2.スイスの地方制度 日本においても今、観光立国を目指して、 スイスは 23 の州があり、連邦民主制の政治 地方公共団体などとも連携した諸対策を進め 形態をとっている。州には一院制の州議会が るため、 「観光立国行動計画」を立てようとし 置かれ、州議会の議員は、住民の直接選挙に ており、また、北海道観光においても、国内 よって選出され、原則として他の職を兼ねる 観光が低迷する中、東アジア地域を中心とす こともできる。選挙の方法は比例代表制か又 る国際観光客は増加の傾向にあることから、 は多数代表制、定数は 52 人から 200 人、任期 今後の観光振興策には国際的な視野に立った は 1 年から 5 年となっており、それぞれの州 取組みが求められているところでもある。 の定めによってさまざまである。 このことは北海道への流動人口が増加し、 州政府は州の行政を執行し、その構成・権 道内経済に大きな波及効果をもたらす重要な 限は、各州の法令の規定によりそれぞれ異 課題であるとして、北海道経済連合会の平成 なっているが、5 人∼ 9 人の参事で構成される 15 年度重点課題の一つにも掲げられている。 合議体で意志決定がなされている。 参事の任期は 4 年としている州が多く、州民 の直接選挙で選ばれ、州により比例代表制か 多数代表制の選挙方法を採っている。 州政府は議会に対して責任を負わない制度 となっているため、州議会は州政府を解散さ せたり、参事を解任するといった権限は持っ ていない。州知事は一般的には任期は1年で、 参事が輪番で務め、一部の州を除き再選する ことはできない。また、連邦レベルでの大統 領と同様に他の参事に対して支配的な権限を クライネ・シャイデック駅とアイガー北壁 34 (ルガノ) 持たず、参事の中の単なる首席に過ぎない。 州政府の事務は、部、課に分掌されていて、 人口は約 732 万人、このうち三分の二は都市部 参事がそれぞれの部を担任し統括しているが、 に住み、その約半分は、チューリッヒ、バー 大きな州を除き、部局の数や職員数は日本の ゼル、ジュネーブ、ベルン、ローザンヌの五 自治体のように多くはないようである。 大都市に集中しているという。また、この中 市町村の行政機関は、選挙人団(市民権を には観光、ビジネス等で長期滞在する人や外 行使できる者の集団)により選出される数名 国人の数も含まれ、約 20%にもなるという。 の市町村参事による合議制で運営されており、 スイスは賃金水準が非常に高く、世界の都 小さな市町村の参事は、パートタイムで職務 市の中でもチューリッヒが一番高いというこ を行っていることもある。 とである。また、生活費は物価が高いために 市町村長は、一般的には選挙人団が選出す 世界の都市 15 位以内にスイスの4都市が入り、 ることになっているが、一部の州では参事が オスロ、香港、東京に続き、チューリッヒ 5 輪番で務めるところもある。 位、バーゼル 8 位、ジュネーブ 10 位、ルガノ 大都市には州と同じように、専門の公務員 11 位となっているとのことである。 が多数いて市町村の業務に当たっているが、 スイスは観光立国の国であるが、2002 年の 小さな町村の中には、公務員は名誉職として スイスへの観光客の入り込み数は、前年と比 事務長と収入役だけがパートタイムで従事し 較して減少しており、アメリカ人が 17%の減、 ているようなところもある。 日本人が 15%の減で、この理由としてスイス スイスの市町村の公務員の数は概して少な 観光局の関係者は、スイスの物価高と賃金の いようである。人口千人から1万人ぐらいまで 高さを挙げている。 の市町村の公務員は、ゼロから 400 人で、平 また、首都ベルンでの今年前半期の観光客 均しても 40 人くらいの職員数にしかならない。 の入り込み数も昨年同期に比べ減少してきて 職員が少ないのは、行政の業務であっても民 おり、これはイラク戦争の影響でアメリカ人 間人が従事しているケースや、行政ボラン が 16%の減、SARS の影響で日本人が 30%も ティアという制度も国内で広く存在している 減少したことによるものであるという。 ことが原因しているようである。 スイスには、3,020 の市町村があり、規模は 人口 20 人の村から 35 万人のチューリッヒ市 まで、大小さまざまである。市町村の人口を 平均すると約 2,200 人。人口の少ない数千人規 模の市町村が大半を占めている。スイスと同 程度の 3,000 余りの市町村も存在している。 人口 1 億 2 千万人、面積 37 万の日本では、 いま、これを合併により三分の一程度にしよ うとしているが、民主主義の歴史の違いなの アルプスをバックに か、国情の違いなのか、住民自治のあり方、 住民の政治への関わり方に日本と大きな差違 スイスは世界を代表する山岳観光地でアル があるのを強く感じた。 プスの山脈に囲まれた非常に自然の美しい国 である。誰もがその壮大で美しい山岳と牧場 3.観光立国であるスイス (まきば)の緑、丘に建つチャペル、こうし スイスは九州とほぼ同じくらいの面積で、 た特有の情景に憧れをもってスイスを訪れる。 (ルガノ) 35 家々のベランダに置かれたプランターには には、サン・サルバトーレ、モンテ・ブレ、 花々が咲き、庭の垣根や芝生は綺麗に刈り込 モンテ・ジェネローゾなどの眺望の良い山々 まれている。だが、スイスは観光立国という があり、山頂へはフニクラ(登山電車)も走っ だけにこうした景観、風景を「きれい」に保っ ている。 ていくために、並々ならぬ努力が払われてい るようである。 景観を保持するための「きまり」があり、 建物のデザインや色、庭の木々や花々の手入 れが義務付けられていたり、嘘のような話で あるが、夜間や休日に大きな音を出す作業が 禁止されていたり、農家の人が鍬を持って道 路を渡る時の姿勢に至るまで細かに規制され ルガノの位置図 ているところもあるというのである。 思い当たるふしもある。高速道路では土日 都市近郊には、イタリアからの密輸の没収 の大型車の走行は禁止されていたし、酪農家 品を集めた「密輸博物館」、スイスのものが全 の畜舎の付近には、日本のように家畜の糞尿 てミニチュア展示されているという「スイス が野ざらしになっているようなところはな ミニチュア」、ドイツの鉄鋼王バロン・テッセ かった。道路脇や空き地に雑草が生い茂って ンの近代絵画のコレクションを公開している いたり、廃車や廃棄物、廃屋が野山にさらさ 「ピナコテーク」等があり、スイスでは数少 れていることもなかった。 ないゴルフ場まである。 ここまで何ごとにも気を配り徹底している また、イタリア国境近く、ルガノ市郊外の のを目の当たりにすると、不思議なことに牧 フォックスタウンでは、120 店余りのブランド 場で草をはむ牛馬、山々の木々まで自然のす 品の店舗が並び南ヨーロッパ最大のアウト べてのものまでもが、こうした「きまり」に レットモールが国内外からの観光客が立ち寄 従っていて、スイスの景観が形づくられてい りブランドショッピングで賑わっている。 るように思えてくる。 ルガノツーリズム(ルガノ市観光局)では、 観光立国ゆえにスイスの国民は、国を挙げ 「ルガノは、知的なバカンスを過ごすのには て大切な観光資源である景観を守り育て、保 理想的な場所であり、歴史的な中心街、多く つことにお金をかけ、労力をかけ、気を遣っ の催し物、多様な選択肢のあるエクスカー ているのであろう。 ション、たくさんの文化的事業が国際的な規 模で行われている」と観光案内「LUGANO」 4.南国風の観光リゾート地、ルガノ市 で紹介している。 コンベンション、観光振興策をテーマに訪問 したルガノ市は、スイスの 23 の州の一つ南部 5.ルガノ市の旧市街地 のティチーノ州にあり、イタリア北部のロンバ ルガノツーリズムのサシャ・フォン・ビュー ルジア地方と国境を接し、ルガノ湖北岸に位置 レン氏、ミセス・グリニョーリ・洋子氏の案内 する。スイスで一般的な山岳観光地とは一風異 でルガノ市の旧市街地を視察することができた。 なった南国風の観光リゾート地でもある。 はじめに訪れたのは、ルガノ湖の畔にある 旧市街地は、イタリアルネッサンスの影響 3 万 7 千 ㎡ の面積を持つチャーニ公園。この を受けた石造りの建物が建ち並び、街の周辺 公園は、ミラノの銀行家が所有していたもの 36 (ルガノ) を 1912 年にルガノ市が 18 万スイスフランで リオデジャネイロに良く似ていることからリ 買収したもので、市街地にあることから市民 トル・リオデジャネイロと呼ばれているとい の格好の散策の場となっている。 う。この山の左側の湖岸にはカンピョーネと この公園に隣接するバロック風の建物は、 いう街がある。ここはスイス国土の中にある 1866 年に貴族の邸宅として建てられ、今は自 イタリアの飛び領地でヨーロッパで有数のカ 然史博物館となっている。隣り合わせには、 ジノの街となっているとのことである。 近代的なコンベンションセンターがある。公 ルガノ湖は、面積 48k㎡ でスイスでは、7番 園から湖畔沿いに旧市街地に連なる道筋の両 目に大きな湖。湖上にイタリアとの国境線が 側にはマロニエの並木が続いていた。 あって、湖の約 30%がイタリアの側にあり、 湖上で遊ぶ観光客が知らずに越境し罰金を支 払うこともしばしばあるという。 ルガノ市の市街にはピアッサと呼ばれるた くさんの広場あり、このうちの一つ、リフォ ルマ広場(別名:ルガノ湖の庭)に行く。中 世の時代には家畜市場が開かれ、近世に入っ てからは、火曜、金曜に朝市が開かれ賑わっ ていたという。いまは、大道芸人のショウが 催されたり、ジャズフェスティバルのような 何万人も集まるような大きな催し物の会場と ルガノ市の旧市街にて しても利用されているとのことである。 湖上で取り壊し作業をしている風変わりな建 この広場に面して、石造りの新古典主義様 築物があり、訊ねてみると、サンカルリーロと 式のルガノ市庁舎がある。1844 年にティチー いう建造物で、ローマにあるサンカルロ教会を ノ州の州都の建物として建てられたものだが、 真ん中から真っ二つに割った状態を原寸で模造 当時の州都はティチーノ州に所在する3都市 再現したもので、木片を積み上げて築造され、 (ルガノ市、ロカルノ市、ベリンツォーナ市) 高さが 33 m、400 の木片が使われたとのこと が2年ごとに持ち回りで受け持っていたため、 である。一風変わったこの建物は、サンカルロ 州都の庁舎として使用されない期間は、ホテ 教会を建造したティチーノ州出身の建築家フラ ルとして利用されていたとのことである。 ンチェスコ・ボルニーニ(スイスの 100 フラン 広場の周りには、レストラン、カフェテリ 札の肖像画)の生誕 400 年を記念して世界的に アなどがあり、店の前のあちこちにはテーブ 著名なルガノ市の大学の建築家マリオ・ボッタ ルと椅子が置かれてオープンカフェになって 等が中心となり 1999 年に建設したとのことで いた。この広場から石畳の敷かれた道路を進 ある。 5 年間の約束で建てられたことから今年中 んでいくと、馬車が往来できるほどの道路の には全部取り壊されるとのことであった。 両側に、いかにも古い歴史と由緒の有りそう ルガノ湖を介した対岸にはサン・サルバ な、美しい飾り窓のあるバロック建築の建物 トーレ山(912 m)があり、山頂からの眺望が が並ぶ。一階の道路側の部分はアーケードの 良く、110 年も前から山頂に向かうケーブル ようになっていて歩行者が通り、道路は馬車 カーが敷かれている。山の麓はパラディール が走りやすいようにと車輪が通る部分は大き と呼ばれる地区にホテル街があり、この周辺 めの平らな石が敷かれている。 には高級住宅が建ち並ぶ。この一帯の光景が (ルガノ) 37 市長は 4 年の任期で評議員の中から選ばれ る。現在の市長の任期は、2000 年から 2004 年 までとなっている。ジョルジオ・ジュディチ市 長の本業は建築家で、 1984 年から市長を務めて いる。市の経営全般と外国人の措置を担当し、 副市長と他の評議員は、水道・電気などの公共 施設関係、金融・交通機関のサービス関係、文 化機関の関係などを分担し、それぞれのスペ シャリティとして動いているとのこと。 ルガノ市庁舎 また、ツーリスト関係についても評議員の 一人が責任者となって業務がなされていると 建物は資産家が代々にわたって所有し、今 のことである。 は銀行等のオフィスや店舗、レストラン等の 市長からはルガノ市の概要と現在、市が進 営業のために賃貸されているとのことで、お めている施策について説明を受けた。ルガノ そらく何十億円もするであろうこうした資産 市では 40 のビルディングがあり、大きなダム であるが、スイスでは日本のように相続税が もあって水力発電も行われている。 高くないために相続して代々引き継いでいく また、スイスの中で3番目の経済都市で7 1 ことができるのだそうである。 の銀行があり、これに関わる公証人や不動産等 視察の最後に、15 世紀に建てられたデリ・ の機関もたくさんあるとのことである。ホテル アンジョリ教会を視察した。この教会には、 も 54 あり、年間 88 万人の宿泊客が訪れる。 レオナルド・ダ・ヴィンチと共に学んだとい 産業関係では、薬品、食品の研究機関、エレ われるベルナルディーノ・ルイーテがフレス クトロニクスの研究センターがあって、欧州で コ画で描いた、スイスルネッサンス最大の宗 は重要な存在となっているとのことである。 教画、 「最後の晩餐」と「受難」の壁画がある。 いま、ルガノ市で進められている新プロ 旧市街地は、ルガノ駅からも近く、隣接する ジェクトとして、周辺8地区との合併があり、 リフォルマ広場を抜けるとルガノ湖畔にも出 2004 年の合併後には「新しいルガノ」と呼ば られ、旧市街地を取り巻くように、コンベン れるようになるとのこと。 ションセンター、カジノ、チャーニ公園などが 合併が実施されることにより、面積約 49k㎡、 所在し、徒歩圏内に中世期からの歴史的遺産、 人口 5 万 2 千人となり、スイス国内で人口が ショッピング、自然景観からカジノに至るまで、 21 番から 9 番目に、面積は 61 番から 8 番目に、 数多くの観光施設が凝縮されている。 産業では 23 番が 10 番目になるなど、この効 果は非常に大きい。 6.ルガノ市の施策と観光政策 さらに将来的には残りの周辺地区も合併して ルガノ市を公式訪問し、ジョルジオ・ジュ いきたい考えを持っているとのことであった。 ディチ市長からルガノ市の施策について説明 また、レークサイド新計画として、ルガノ を受けた。ルガノ市は人口約 3 万人、周辺後 湖を中心とした開発事業が進められていると 背地域を含めると約 12 万人ということである。 のことで、ミュージアムの建設をはじめとし 市の重要事項の決定は、5 名の評議員で構成さ て、高級マンションのほか色々な要素を持つ れる評議委員会で決定され、評議員は4年ごと 多目的な複合的建築物の建設や船着き場、湖 に選挙で選出される。 水浴場の整備、ルガノ駅の改修などが計画さ 38 (ルガノ) れている。 の観光客は次第に減少していくことになった スイスでは、ドイツ語圏、フランス語圏が が、ルガノ市にとって良かった点は、他の観 リードする傾向にあったが、これらの計画を 光地のように「観て回るツーリスト」だけで 積極的に進めることにより、今まで後発地域 はなく、銀行が数多くあるために、商業活動 であったイタリア語圏のティチーノ州やルガ のためのビジネスを目的とした動きがあり、 ノ市の立場も変わってくるとのことで、この また、折良くコンベンションセンターが完成 計画には相当大きな期待がかけられているよ したこともあって、これを活用しツーリスト うに感じた。 の減少をイベントの誘致により補うことがで ルガノ市では3年前に、旧病院の建物を利用 きたということである。 して経済、建築、コミュニケーションの3学 現在はドイツ、イタリア、フランス、イギ 部からなる大学「ユニバーシティ・イタリア・ リス、アメリカなど欧米からの入り込み客が スイツァランド(UIS)」が開設されたとい 多くを占めているが、東南アジアにも市場拡 う説明があったが、この大学は前述の著名な 大を図っており、日本にも近々進出の予定が 建築家マリオ・ボッタの尽力により開学が進 あるとのこと。既に日本語版の観光案内も作 められたとのことであり、彼の師事を求めて 成されており、日本向けのホームページの開 日本から入学する者もいるようである。 設も準備しているとのことであった。 観光政策については、ルガノツーリズムの 担当から説明を受けたが、ルガノ市の観光は、 1800 年代に始まり、観光地としての歴史はか なり古くからのことで、北のハンブルグ、南 のシチリアの丁度結節点にあり中間点でもあ る地理的条件の良さから観光地として栄えて きたとのことである。当時のルガノを訪れる ツーリストは裕福な階層が多く、ゆっくりと 時間を過ごす滞在型で、ホテルも高級志向の ものが多かったという。その後の 1970 年代に は北部からの交通路に道路トンネル(ゴート コンベンションセンターでの説明 ハルトトンネル長さ 17㎞)が完成したことに ルガノツーリズムが誕生して 5 年目になり、 より車での往来が一段と便利になり、国内か 広報宣伝、観光案内の業務も、ルガノ市内は らの一般観光客の来訪や新たな観光ルートの もとより、市外にある 52 の観光オフィスとも 開設で、観光客は益々増加することになった。 連携をとりながら、広域的な取り組みも進め しかし、そう何時までも良いことばかりは られており、特に日本からの観光客には大き 続かず、旅行エージェントがチャーター便を な期待を持っており、専任の日本人スタッフ 繰り出して、ギリシャ、エジプトへの観光売 を配置して、スイス観光に訪れる日本人観光 り込みをはじめたことが契機となって観光客 客の誘引や日本市場への新たな取組みが進め の志向も地中海へと変化しはじめ、スイスへ られていた。 (ルガノ) 39 ツーリスト関連に次ぐ状況にあるが、今もなお、 コンベンションの誘致活動について、ツーリス トと併せて、各種イベント誘致のプレゼンテー ションを積極的に展開している。 また、狭隘となってきた施設、設備の改修 が進められており、現在、約 280 台収容の地 下駐車場を建設中である。今後は、展示スペー スの不足から 800㎡くらいの増築を予定して いるとのことである。 8.おわりに 北海道観光は、 観光客の総消費額が 1 兆 2000 億円にも上るといわれ、これは北海道の基幹産 業である農業粗生産額にも匹敵するもので、道 コンベンションホールの平面図 内経済に大きく貢献する重要な産業である。 しかし、少子高齢化、グローバル、ボーダー 7.コンベンションセンター レス化、高度情報化等、経済社会情勢は大き コンベンションセンターは、ルガノ市が所 く変化してきており、観光産業がより進展、 有し、運営は市観光局が担当している。 発展していくためには、こうした時代背景に センターは通常時 9 名のスタッフで運営 (技術 即応した方策の転換も求められてきている。 者 3 名、運営担当 3 名、清掃担当 3 名)されてお このたびの行政視察調査では、豊富な観光 り、イベント開催時には別途人員配置されている。 資源にも恵まれ、観光地としての長い歴史が センターの運営費が、使用料収入を上回り ある観光都市・ルガノ市にあっても、世界情 赤字ではあるが経費の節減等により赤字額を 勢の変化やツーリストのニーズの変化等には 減らす努力をしてきているとのことであった。 十分な対応ができず、この結果、観光客の入 大きな国際会議であれば 2,000 人から 3,000 込み数に大きな変動を生むこととなった。こ 人の参加者があり、 6 日間の期間に一人 1,000 フ の対応のために、観光振興施策として、観光 ラン(約 8 万円)の消費支出があったとしても への波及効果の高いコンベンション誘致に取 相当の金額がルガノ市に落ち、税収増にもなっ り組み、施設の整備、プレゼンテーション等 てくるとのことで、ツーリストとコンベンショ の啓発活動を積極的に展開し、成果を得た実 ンとを併せた見方をすれば最終的には市の利 態を窺い知ることができた。 益につながってくるとの説明であった。 いま、北海道の観光も取り巻く環境の変化 長年のイベント誘致活動と開催実績から、毎 から、多くの課題を抱えている状況にあるが、 年あるいは隔年で開催される会議、イベント、 観光政策に先駆的な経験と歴史を重ねている 催し物も年々定着してきており、今では市の経 先進観光都市の施策を学びながら、さらなる 済に与える影響も非常に大きく、金融関連、 発展を遂げてほしい。 40 (ルガノ) 団 員 見 聞 録 「ヨーロッパ 4 ヵ国を訪ねて」 深川市教育部長 伊東 幸次 p42 「北 欧 見 聞」 紋別市水道部長 鈴木 富美夫 p46 「ヨーロッパ(フィンランド・スウェーデン・デンマーク・スイス)を訪れて」 登別市総務部次長 「北欧3カ国∼プラス・スイス見聞録」 北海道市長会事務局次長 道林 博 p50 今井 孝司 p54 ヨーロッパ4ヵ国を訪ねて 深川市教育部長 伊東 幸次 はじめに 冬はスパイクタイヤの装備が義務付けられて 道内において、景気の回復が目に見えて進 おり、路面に雪が積もることは少ないが、常 まず、地方公共団体を取りまく環境は一層厳 にアイスバーンのような状態なので、舗装面 しさを増している中、このたび、北海道市長 が剥がされ粉塵が舞うことも少なく、車も人 会主催の 「第 27 回海外都市行政視察調査団」の も少ないので環境問題には余り影響がないと 一員として、 ヨーロッパ 4 カ国を訪問する機会 のこと。 をいただき、貴重な体験をすることができま 生活水準はそれほど低いとは思われないが、 したことに、理事者をはじめ関係者の皆様に 勤労者の平均所得がおよそ月 27 万円で、ここ 心から感謝とお礼を申し上げます。 から所得税が約 30%、消費税が 22%かかる。 税 当初予定されていた方が怪我のため、私が 金が高く標準的な生活水準を保つため、また ピンチヒッターとして参加させていただくこ 女性の社会進出もあることから、夫婦共働き とになりましたが、海外は 3 度目となります。 が多くなっているようである。 成田空港からデンマーク・コペンハーゲン フィンランドでは、休暇は日光浴を兼ねて 空港まで、 週1便のスカンジナビア航空を利用 の散歩や森まで遠出の散策をされる人が多い。 して約 11 時間半のフライト。国内線の機体よ 私たちの訪れた日も日曜日であったので、 り座席間は狭く窮屈。おまけに機内は満席で 街の中の公園や郊外の至るところで散歩や 体のくつろげる空間がない。時間が経つと余 ウォーキングをされている中年・老年者の姿 計に狭く感じ体が痛くなる。そこは何度も出 を見かけた。 てくる食事とビール・ワイン・ウイスキーの 飲み放題でカバー(?)。やっとのおもいでコ ペンハーゲンに着いた。 《フィンランド》 10 月 19 日の早朝、空路コペンハーゲンから ヘルシンキに向かう。ヘルシンキの今朝の気 温は− 6℃ とか。車窓から見えた温度計は午前 11 時で− 1℃。気候的には北海道の初冬であり、 樹木も白樺や松林など北海道とよく似ている。 建物はロシア風様式が多いのは歴史的にロ シアとの関係が深い由縁であるとのこと。こ この地質は花崗岩がほとんどであり、地震が 全くないということで、建物の多くは石造り かレンガ造りで倒壊の心配はないようである。 フィンランドはスパイクタイヤの発祥の地。 42 (伊東 幸次) シベリウス公園にて(ヘルシンキ) 北緯 60 度になると太陽の位置は日中でも 餐会が開催される市庁舎。ここは市庁舎とい ビックリするほど低く、車に乗って太陽を正 うよりも宮殿か古城を想わせるたたずまいだ。 面にすると陽光が眼に入りまぶしい。 晩餐会場となる「青の間」。昨年度受賞され 今回最初に公式訪問したエスポー市では、 た小柴さんの夫人を王様がエスコートして降 訪問した 4 都市の中で唯一市長さんの日程調 りてきた大理石の階段。その途中に小柴さん 整がつかず、お会いすることができず残念で と田中さんがスピーチした演台。パーティー あった。 の舞踏会場となる「黄金の間」の壁面は、1,900 万枚を超える金箔モザイクで飾られ豪華絢爛 ◎公式訪問・エスポー市 そのものである。 首都ヘルシンキの近郊都市として人口急増 の都市。戦後、都市計画によって開発された 街で、エスポー市は 5 つの地区に分けられ、 各地区にはそれぞれ行政センターと商業エリ アを持ち、それを囲むように居住地域が広 がっている。 《スウェーデン》 フィンランドでの視察を終え、ヘルシンキ 港からバイキングラインを豪華客船マリエラ フィアールガータン展望台からのストックホルム市街を背景に 号でスウェーデン・ストックホルムに向かう。 17 時 30 分出港。アーキペルコと呼ばれる数 スウェーデンは住民登録制度がなく、税務 万もの群島の間を縫うように航行し、翌朝 9 時 署の登録番号制がそれにあたり、転入・転居 30 分(時差 1 時間)に到着。15 時間の船旅と 等をしたときは税務署が窓口となる。 なるが余りの乗客の多さに驚く。夕食は本場 市庁舎は窓口業務がないためか物静かで のバイキング料理で、肉・ 魚料理や乳製品、 あった。 野菜・ 果物など 60 種類以上も並び壮観。ビー ル・ワインも飲み放題。食後は少し狭い船室 ◎公式訪問・カルマル市 に全員が集まり日本から持参した乾物と缶詰、 昨夜からの降雪で一面が真っ白。ホテルの 貴重な日本酒で盛りあがった。 すぐ傍にある市庁舎でクエル・ヘンリクソン 日本を出発して以来ビールとワイン漬けで 市長を表敬訪問。日本からの訪問客を迎える あったので、久しぶりの廉価な日本酒も格別 機会も多く、今年になっておよそ 600 人が来市 な味であった。また、船内には、免税店もあ されているとのこと。 り大勢の客がビールやウイスキーなどを大量 カルマル市は、ローカルアジェンダ 21 に積 に買い込んでいた。 極的に取り組むことで環境保全と経済発展が ストックホルム市は大小 14 の美しい島から 両立。企業と大学、カルマル市のネットワー なっており、フィアールガータン展望台から クで、いまスウェーデンで一番成長している の景観は抜群。市内視察では、まるで中世そ 都市である。 のままの狭い路地や石畳のある旧市街ガム ラ・スタンを散策。衛兵の交代式が見られた 《デンマーク》 ストックホルム王宮。ノーベル賞授賞祝賀晩 スウェーデン・カルマル市の視察を終え、 (伊東 幸次) 43 コペンハーゲンまでオアスン橋(全長 16㎞) るそうである。 を利用して 4 時間の列車の旅。このオアスン橋 道路は車道・自転車道・歩道に区分され、 はスウェーデン南部のマルメとバルト海を越 自転車マーク入りの自転車優先ラインがある。 えてコペンハーゲンを結び、2000 年に開通。 この自転車道を横切るときは十分注意が必要。 上は自動車、下は列車が走る二重構造になっ 自転車は猛スピードで走るので非常に危険。 ており、日本の瀬戸大橋(12.3㎞)のようなも バスから降りホテルに入るのに自転車道を横 のである。 切るため注意するよう促された。 今回の視察団は過去最小の 6 人と添乗員合 高速道路は無料。このため自動車は一般道 わせて 7 人のため、これまでなかった列車での の多くの場所から進入できる。 移動が 2 回。異国の列車の旅は現地の人と触れ 自動車の免許は、一度取得すると 70 歳まで 合える機会でもあった。 更新しなくても良い。 70 歳前にボケて来た人な コペンハーゲンは中世の町並みがそのまま どが高速道路を誤って逆走するゴーストドラ 残っており、建物はレンガ造りで重量感のあ イバーが、年に何件か発生するそうです。普通 る町並み。町の景観を保つため、路面区間に は 70 歳になると家庭医の診察を受け免許更新 電柱がなく信号機も低い。街灯の配線は両側 のOKをもらうが、この検査で病気が発見され、 の建物からアンカーをとって配線し、架線よ 治療を受けるケースも多いそうである。 り吊るす方式である。 アンデルセンの童話でおなじみ人魚姫の像。 1913 年からランゲリニエ桟橋の袂に座り今年 90 歳。これまで 3 回も首や腕を切り取られる 事件があり、その都度復元されていたが、つ い最近、またも何者かによって爆破された。 海中から像を発見、現在その修復にかかって おり、私たちが訪れたときは台座しかなかっ た。 ◎公式訪問・カルンボー市 トミー・ディネンセン市長表敬訪問。何と 市長さんはジーパン姿である。現地通訳の話 では、左派のため少しズレタ考えからこのス タイルとか・・・。 コペンハーゲン市庁舎にて 市の人口は約 20,000 人。予算は 7 億 7,000 また、都心から自動車を締め出すため駐車 万クローネ(約 154 億円)。ほとんどを高齢者 場は造らない。あっても高い料金を課す。そ 福祉対策に使用。市職員は 1,800 人(介護職員 のため自転車が主流。列車にも車椅子やベ を含む市職員 1,500 人。教員 300 人)で、人口 ビーカー、ペットのほか自転車までも乗れる の 9%にもなる。 車両が連結されている。 カルンボー市の地方税は 20.2%で、デンマー 自動車は国産車がなく全て輸入車。自動車 クの中では低い方。これは企業のノボノルディ 税がなんと 200%、バスの前を走っていたコロ スク社等の企業職員や市民の所得が多いので ナは 24 万クローネ(約 480 万円)もするとか。 税率を上げなくても良いとのことである。 ですから市民は移動に便利な自転車を利用す 44 (伊東 幸次) 《スイス》 ◎公式訪問・ルガノ市 最後の視察地スイスに向け、空路チュー ルガノ市は、スイスの南部ティチーノ州に リッヒへ。昼食をとるため町全体がユネスコ あり、イタリア国境に近い観光・保養地。 の世界文化遺産に登録されている首都ベルン スイスのイタリア語圏の中心地。地理的にも に寄った後、夕焼けに輝くアイガー北壁の町、 イタリアのミラノ市に近いため、ファッショ グリンデルワルドに到着。山小屋風のホテル ンセンスも定評とか。観光を売り物にしてい から見るアルプスの峰々は時刻によって色・ るだけに、これまで訪問した市の中で一番の 形を変え、その雄大な自然と麓に点在する 歓迎を受けた。 家々の灯、何とも表現できない感動を覚える。 日本人に余りなじみのない市であるが、ス 翌日も絶好の天気に恵まれ、登山列車を乗り イス人はもちろん北ヨーロッパの人には昔か 継ぎユングフラウヨッホへ。 ら人気のあるリゾート地。一年中温暖な気候 である。 スイスの名物料理・ミートフォンデュー スイスの人々はすごいことを考える。1895 クライネ・シャイデック駅にてアイガーを背景に 年アルプスの岩壁に穴を空けて、ヨーロッパ の屋根の上までトンネルを掘り、線路の間に おわりに 歯車を噛ませ、16 年の歳月をかけ 1912 年に鉄 公式訪問外でも自由時間を利用して町並み 道開通。全長 7.1km のトンネルを抜けて 3,454 散策。訪問国に共通して「建物・町並み景観・ mの世界一高い駅に着く。 文化」などを資産・遺産として大切に保存し 空気も薄くなることから多少息苦しさを感 ながら、実際に活用している姿に感心した。 じる。駅に続くスフィンクス展望台からアイ 公式訪問で私たちのためにレクチュアして ガー、メンヒ、ユングフラウの山々やアレッ いただいた皆さん、各国の地方行政の仕組み チ氷河。雲一つない澄みきった空のもとアル や生活習慣、社会保障制度のあらましまで説 プスの大パノラマを全望。絶景の一言である。 明していただいた現地の通訳さん、2 週間にわ 展望台の中に郵便ポスト。日本の古い時代 たってお世話いただいた添乗員の田中さん、 の赤いポストである。日本人観光客が多いた そして秋田団長さんはじめ団員の皆さん、市 めのサービスか。 長会の方々に厚くお礼申し上げます。 (伊東 幸次) 45 北 欧 見 聞 紋別市水道部長 鈴木 富美夫 はじめに さな島に白く長い橋が続いていた。 北海道市長会第 27 回海外都市行政視察調査 ほどなく空港に到着し、入国の手続きを済 団の一員として、フィンランド、スウェーデ ませて手荷物を受け取り、市街地にあるホテ ン、デンマーク、スイスの 4 カ国を訪問する ルに向かう。 ことになり、初めて海外に出る私にとっては、 高速道路を走るバスからの風景は、見るもの 些かの不安を感じながらの旅立ちでもあった 見るものが真新しく、脳裏に焼き付いていく。 が、本やテレビの画像を通して間接的にしか 車窓を過ぎるもの言わぬ風景に見入ってい 知り得なかったヨーロッパ諸国の歴史、文化、 ると、ふぅっと現実から離れ、成田からの 11 時 風土などに直接触れることができ、貴重な体 間余りの時空を隔てて、いつか見た記憶のあ 験をさせていただきました。このような機会 るテレビの画面の一コマに引き込まれたよう をいただいた上司、同僚諸兄に深く感謝申し な錯覚に陥っていく。 上げ、北欧見聞の始終を記すこととしたい。 現実と夢幻とが錯綜し、戸惑いのうちにデ 10 月 18 日午前 11 時 45 分、スカンジナビア ンマークの首都コペンハーゲンで異国の地の 航空 984 便で成田空港からコペンハーゲン空 第一歩を踏み、北欧見聞の序章は開けていく。 港へと向かう。ヨーロッパ訪問の途の始まり である。離陸後はあいにくの曇り空で上空か らは、雲間から僅かに陸地らしきものが見え る程度。所要時間 11 時間 30 分の大半をイヤ ホーンから流れる心地よい音にうとうととし、 これから訪れようとする国々、町々の情景を あれこれと思い描き、視察の行程などを頭に 巡らせながら過ごしていく。急に機内が明る くなり着陸態勢に入るアナウンスに促されて 窓のブラインドを上げると、眩しい日差しの 彼方に北欧航空路の要衝なのかこの辺りには ヘルシンキ大聖堂と元老院広場 幾条もの飛行機雲が交差している。 地上の ≪森と湖沼の国フィンランド≫ 方に目を落としてみると湖沼が散在し、川が 19 日早朝 6 時にホテルを出発し、空路ヘル これを縫うようにゆったりとうねり、キラキ シンキに向かう。1 時間余りの飛行で点在する ラと輝いて見えていた。機がフラップを広げ、 島々に続き、一面に広がる森林に覆われた大 大きく旋回しながら下降を始めると、バルト 地が見えてきた。その森林のところどころに 海に点在する島々の一つ、うす褐色に色を落 ポッカリと穴があいたように切れ間があって、 とした草地の中、コペンハーゲンの空港が見 そこには工場があり、住居があり、道路があっ え て き た。海 を 隔 て 国 境 を 接 し て い る ス た。飛行機は、ヘルシンキの上空に差し掛かっ ウェーデンの側から、この空港の沖にある小 ていた。上空から見るヘルシンキの市街地は、 46 (鈴木 富美夫) 街全体が豊富な緑の樹木に囲まれ、森の中に とから平均寿命も長くなり、2030 年には高齢 街が造られているような感じを受けた。 化率は全国平均を大きく上回ってくるとのこ フィンランドは国土の 65%が森林、10%が とで、高齢者福祉制度の見直しを行ったとの 湖沼で約 19 万もあることから、 「森と湖の国」 ことであった。 といわれている。森の樹木も松(ドイツトウ ヒ・樅)と白樺が多く、どこか北海道の風景 ≪スウェーデン≫ に似かよっている。 ヘルシンキから船でスウェーデンの首都ス 冬期であっても雪は余り積もることはない トックホルム市へ。船中で一泊し、翌 21 日朝 というが、気温が低く、道路がアイスバーン 9 時 30 分にストックホルム市に到着。ストッ 状態になるためスパイクタイヤが開発され、 クホルム市は、大小 14 の島からなり、旧市街 スパイクタイヤ発祥の地となっている。高速 地は 13 世紀から 750 年もの大変長い歴史のあ 道路もスパイクタイヤによって削られるため、 る街。この一画にあるストックホルム市庁舎 大型車の走行レーンには特殊な舗装工事がな は、ノーベル賞の授賞者の晩餐会が開催され されていた。 る「青の間」がある。また、2 階には舞踏会が ヘルシンキ市内の視察では、1952 年にオリ 開催されるという「黄金の間」があり、1,900 ンピックが開催され、フジヤマのトビウオと言 万枚を超える金箔を張ったモザイクタイルが われた古橋選手や人間機関車ザトペック選手 壁一面に貼られ絢爛と輝いていた。 らが活躍したという「オリンピック記念公園」 このほか、スウェーデン国王が住む宮殿、 やフィンランドが生んだ世界的な作曲家ジャ 国会議事堂等を視察し、ストックホルム駅か ン・シベリウスを記念して建設され、パイプオ ら列車で産業クラスターをテーマに訪問する ルガンをモチーフにしたステンレス製のモ カルマル市へと移動する。 ニュメントがある「シベリウス公園」 、花崗岩 の岩盤をくりぬいて 1969 年に建築され、音響 効果も良いためにコンサートにもよく利用さ れるという、テンペリアウキオ教会を訪れた。 翌 20 日 9 時からはヘルシンキから車で 1 時 間程のエスボー市を訪問、市の担当者から少 子化対策、高齢者福祉施策の取り組みについ ての説明を受ける。 エスポー市は、首都ヘルシンキに隣接する 首都圏4都市のうちの一つで、人口約 22 万 2 千 人。第二次大戦後に都市計画によって開発さ れた都市で5地区に分かれ、それぞれの中心地 カルマル市のホテル前通りにて に行政と商業エリアをもっている。 22 日 9 時、事業家でもあるカルマル市長を これらの中心地を取り囲むように住宅地が 表敬訪問し、1 時間ほどカルマル市の施策につ 広がり、周辺には豊かな自然が残されていて、 いて説明を受け、この後、市の都市計画担当 近代的な都市と自然とが融け合い、緑豊かな 者からカルマル市で進めている再開発事業の 街並みを形成している。 説明を受ける。 エスポー市では若年層、老年層の人口流入 人口約6万人の都市で、1999 年にカルマル が多く、また、教育水準、生活程度も高いこ ソフトセンターが設立され、民間企業、カル (鈴木 富美夫) 47 マル大学、カルマル市の産学官のネットワー ものもあるとのことである。 クにより、互いに協力体制を作り、国内外か らの進出企業に対して「出会いと橋渡し」の 場を提供し、企業誘致の促進を図っていると のことであった。 また、カルマル市では現在、北欧では一番 のルネッサンスの様式、形式を残していると いわれるカルマル城を中心とした旧市街地と 調和のとれた新たなまちづくり事業を推進し ており、この一環として、旧造船所跡地の再 開発事業が進められている。 カルマルソフトセンターは、この中核施設 として建設されたとのことである。 フレデリック教会を背景に カルンボー市では、デンマークで一番大き な電力会社である「エネルギーⅡ」のアスネ ≪デンマーク≫ ス発電所で産業シンバイオシス(共生)につ 23 日 9 時カルマル駅から列車で再びデン いて説明を受ける。 このアスネス発電所は マークの首都コペンハーゲン市へと向かう。 デンマークで一番の発電所で年間 1,307mw の 途中、スウェーデンのマルメ駅を過ぎたあ 出力を持つ石炭火力発電所。この発電所が核 たり、コペンハーゲン空港の上空から見えた、 となり石膏ボードの製造会社、土壌改良の会 海上に架かるオアスン橋(全長 16km)を渡る。 社、石油精製会社、製薬会社、廃棄物処理会 上に自動車、下に鉄道が走り、国境の架け橋 社らが互いに各工場から排出される廃棄物や となっている。 熱エネルギー、排水などを再利用し、最終処 小さな島は人工島でスウェーデン側からこの 分される廃棄物を最小限に抑制するとともに、 島までは橋で、島からは海底トンネルでコペン 一方ではコストを縮減していくという産業共 ハーゲン空港駅に繋がっている。午後 1 時頃コ 生が実践されていた。 ペンハーゲン駅に到着し、早速、市庁舎、国会 午後からはカルンボー市長を表敬訪問し、 議事堂、宮殿等市内視察する。 市の概況を聞く。市には、1,800 人の職員(こ 宮殿の前方には港を挟んで近代的なオペラ のうち 300 人は教員)がおり、市の予算の 8 ハウスが建築中であり、コペンハーゲンの象徴 割が人件費関係とのことである。また、贅沢 である人魚姫の像は何者かによって爆破され、 な悩みと前置きして、工場の進出が急速に進 修復のため台座の石だけが寂しく残っていた。 み、人口が増え税収も上がる反面、新たなイ 港の沖の方に風力発電の白い風車がいくつ ンフラ整備や住宅の建設、学校等の公共施設 も並んでいるのが見えていた。 の整備に頭を悩ましているとのことであった。 24 日 8 時半ホテルを出発し、コペンハーゲン から西に車で 1 時間 30 分。 環境保全対策をテー ≪スイス≫ マにカルンボー市(人口約 2 万人)を訪問した。 25 日 8 時 50 分、コペンハーゲン空港から航 車で移動中、高速道路沿いの農地には風力 空機でスイス、チューリッヒへ移動する。 発電の風車が数基ずつ何カ所も設置されてい チューリッヒ空港からはバスに乗り換え、 た。この風力発電は、多くは電力会社が建設 スイスの首都ベルンを経由して北アルプス、 したものであるが、農家が出資して建設した アイガー山の麓、グリンデルワルドへ。 48 (鈴木 富美夫) 高速道路をしばらく走るうちに白い頂の 金融の国でもある。ルガノ市でも 4 人に 1 人が 山々が見えはじめてきた。バスはやがて、高 金融関係に携わっているといわれ、71 の銀行が い山々に囲まれた狭い谷間を縫うように走り、 ありスイスで 3 番目の経済の中心地となってい 傾斜のある山裾にかけては牧場や草地があり、 る。イタリアと国境を接していることから、イ ログハウス風の家々が散在するスイス特有の タリアから多額の資金の流入があるとのこと。 牧歌的な風景が続く。こうした景観を保持す 翌 27 日ルガノ市の旧市街地を視察したあと、 るために建物の建築も規制されているのか、 ルガノ市庁舎を訪れ、市長はじめ市の幹部と懇談、 住居も、工場も、店舗も、ホテルも、畜舎ま 午後には、コンベンション施設の視察をする。 でもが外壁が角材を積み上げて造られたよう 市長からは、ルガノ市の概要と現在進めてい なログハウス風の建物に統一されている。 る施策の説明を受けたが、ルガノ市の経済は、 グリンデルワルドは、狭間を登りつめた北 第一に銀行をはじめとする金融関連、次にツー アルプスの山々の山懐にあり、眼前にはアイ リスト関連であり、商工業がこれに続いている ガー山が大きく立ちはだかっている。初冬の とのことであった。特に観光に関しては、5 人 清新な空気、真っ青な天空に白い稜線が鮮や の評議員のうちの 1 人が責任者として、ツーリ かに浮き出て見える。喧噪と雑踏から離れ、 スト関係の業務を担当しており、市の施策とし 壮大な風景に心も和んでくる。 て力点を置いているように感じられた。 ルガ 翌 26 日は、 登山電車で標高 3,454 mのユングフ ノ市は、スイスでは特異な温暖な気候であり、 ラウヨッホに登る。ここは日本からの観光客も多 また、山があり、湖がある風光明媚な景観と古 く、あちらこちらで日本語が聞かれ、駅のそばの い歴史、由緒のある建物で形成された街並みな 土産物屋では流ちょうに日本語を話す店員もいた。 ど、観光資源には非常に恵まれた地域で、他の 観光地と比較しても優位に立つものと感じら れたが、市では、今後とも国内外からのツーリ スト誘致ために、観光施設の整備、コンベン ションセンターの増改築などを積極的に進め ていきたいとのことであった。 おわりに 10 月 17 日からのヨーロッパ 4 カ国の行政視察 調査もルガノ市の視察を最後に、翌日ミラノ空港 ユングフラウヨッホ・スフィンクス展望台にて からコペンハーゲン空港を経由して、一路成田空 港まで飛び、無事に日本の地を踏み終了した。 日が下がり始めたころ、バスで最後の訪問地 このたびの視察研修では、我が国とは異 ルガノ市へと向かう。 4時間あまりの行程である。 なった、それぞれの国の歴史、文化、風土に ルガノ市は、ルガノ湖の湖畔にあり、イタリ 直接触れ、私にとって大きな財産を得ること アに近く言語はイタリア語。サン・サルバトー ができた。同行された団長はじめ各位に厚く ル山など眺望の良い山があり登山電車も走る。 お礼申し上げる次第です。今後は、この貴重 13 世紀に建てられた古い教会もあり、石造りの な体験を活かし、微力ながら、市政の一端に 建物が続く旧市街地は、市庁舎、銀行などのオ 少しでも貢献できるよう、なお一層の努力を フィス、商店、レストランなどが入居している。 していきたいと考えておりますので宜しくお スイスは世界の金融市場に大きな影響を持つ 願いいたします。 (鈴木 富美夫) 49 ヨーロッパ(フィンランド・スウェーデン・デンマーク・スイス) を訪れて 登別市総務部次長 道林 博 はじめに 《フィンランド・ヘルシンキ》 このたび、北海道市長会第27回海外都市行 コペンハーゲンの空港から約 1 時間半後、 政視察調査団の一員として、海外研修の機会 フィンランドの首都ヘルシンキの空港に到着 を与えていただき“ヨーロッパのまちづくり” し、市内の公共施設等を視察した。 について、その一端について理解を深めるこ フィンランドは、10 世紀頃からスウェーデ とができましたことに対し、改めて理事者及 ンとロシアの政治的、宗教的争いに巻き込ま び職場の同僚に心からお礼申し上げたいと思 れ 12 世紀以降、600 年間はスウェーデンに、 います。 1809 年には、ロシアの支配下にあり、1917 年 行政視察する北欧三国(フィンランド・ス のレーニンのロシア革命により、ようやく独 ウェーデン・デンマーク)の環境・福祉政策 立したが、長く外国の支配下にあったため、 は世界の道標として、また、環境保全の思想 王室がない。 に貫かれた“まち並み”は、世界のあこがれ の的として注目されており、それに対する期 待が日々深まっていく中、10 月 17 日(金)新 千歳空港での秋田団長の力強い挨拶に始まる 結団式を終え、私たち7名の旅がスタートした。 10 月 18 日(土)11 時 54 分ほぼ定刻時に成 田を離陸。シベリア上空では、大川やバイカ ル湖らしい湖が眼下に現れ、ウラル山脈を越 えコペンハーゲンに11時間半後に到着した。 空港に出迎えてくださったガイドさんの案 内のもと、一同ホテルへ向かう車中でのガイ コペンハーゲン空港にて ドさんの説明に“セブンイレブン”が進出し 今回の訪問地北欧三国は、どこも「森と湖 ていることを聞いて、この美しいまち並みの の国」に相応しい装いを凝らしており、私が 景観にその建物がマッチするのだろうかと、 初めて目にしたヘルシンキのまちはヨーロッ 訝しく思った。 パの“まち”の景観と違って、いわゆる“ヨー ホテルに到着後、早速その近くを散策した ロッパらしくない”景観であった。これにつ 際に、セブンイレブンを目の前にしたとき案 いて、ガイドさんは、「ヘルシンキの“まち” の定と思った。 は北欧のどの首都とも雰囲気が違う、これは その日は、早朝の飛行機でフィンランドに 建物の感じや“まち”全体の雰囲気にロシア 出発するので5時に起床するため、早々に床に の面影があるからで、国立博物館を訪れると 入った。 ロシア支配下時代の財産が一杯、 “まち”に出 れば、ロシア皇帝の銅像やロシア支配下時代 の建物がある。一方、まちの中心部から少し 50 (道林 博) 離れるとヨットハーバーや海水浴場があり、 ある。 とても明るくて、素敵な雰囲気を醸し出して 御影石が敷き詰められ、中央にロシア皇帝 おり、このところが他の北欧の国とは違って アレクサンドル2世の像が立っているのが元 いる。 」と説明された。 老院広場。この広場の周囲には、1820 ∼ 40 年 に建てられたヘルシンキ大学、大学図書館、 聖三位一体教会などがある。 広場から数十段の階段を上ると、フィンラ ンドにおけるルター派の大本山の大聖堂が あった。 最後に、セウラサーリ野外博物館を訪れた。 島全体が国立公園になっていて、北部の博物 館地区には、フィンランド各地から運び込ま れた 18 ∼ 19 世紀と古い家屋や教会が展示さ テンペリアウキオ教会(ヘルシンキ)を視察 ヘルシンキは、 「バルト海の乙女」と言われ、 れていた。 ヘルシンキは、非常に寒く、暖ったかい飲 み物が欲しかった。 人口 50 万人のまちである。 最初に訪れた施設は、1952 年にオリンピッ 《スウェーデン・ストックホルム》 クが開催されたオリンピック競技場。このオ ヘルシンキからスウェーデン・ストックホ リンピックは、第2次世界大戦後、初めて日 ルムには、約 4 万トンの豪華客船による 15 時 本が参加したオリンピックである。あの水泳 間の船旅であった。 の古橋広之進さんが活躍したオリンピック競 スウェーデンは、スカンジナビア半島の東 技場の水泳プールは、今も残っており、市民 側を占める立憲君主国で、人口約 880 万人を抱 に開放されている。 える北欧最大の国である。 「シベリウス公園」は、緑豊かな公園で、公 ストックホルムのまちは、北欧最大の国の 園内には世界的作曲家ジャン・シベリウスを 首都にふさわしく、 “北欧のベニス”とも呼ば 記念して、女流の彫刻家が女性とは思えない れ、高台から一望できる眺めは、余りにも美 大胆な作品のステンレスパイプのモニュメン しく生涯忘れることのできないほどの感動を トとその側に彼の巨大なデスマスクが同じ銀 覚えた。 色に輝いていた。 また、ストックホルムは、メーラレン湖がバ シベリウスは、ロシアの支配下にあった危 ルト海の入り江に流れ込むところにあり、 14 の 機の時代に音楽で愛国心を盛り上げ、その代 島を 40 数個の橋でつなぐ森と湖のまちである。 表作として「フィンランディア」が知られて ストックホルム市の庁舎は、メーラレン湖 いる。 に面している赤レンガの建物で、その建築様 岩のドーム、テンペリアウキオ教会は、今 式は一見トルコ風であり、スウェーデン王室 までの教会のイメージを覆すような外観を呈 の三つの王冠(スウェーデン・デンマーク・ し、内部も実にシンプルで音響効果もバツグ ノルウェーの立憲君主国を表わしている)を ンとのこと。この教会は岩盤を切り抜いて造 乗せた 106 mの塔は、ストックホルム市のシン られており、岩肌の壁を見ると46億年前に誕 ボルとなっている。 生した地球そのものの姿を現しているようで (道林 博) 51 《デンマーク・コペンハーゲン》 ストックホルムからコペンハーゲンには、 2000 年 7 月に完成したオアスン橋(全長 16km) を通って列車で向かった。デンマークの首都 コペンハーゲンとスウェーデン第3の都市マ ルメの都市を陸路、鉄路で結ばれていた。 オアスン橋建設の両国のねらいは、経済効 果を目指したものであり、総工事は約 220 億デ ストックホルム市庁舎「青の間」 ンマーククローネ(1 クローネは約 20 円)を 投じ、全長 16km を完成させた。デンマーク 市庁舎の「青の間」では、ノーベル賞受賞 には、高い山がないことから国内で一番高い 者の晩餐会の会場、また、2階にある「黄金の 建造物となっている。 間」は舞踏会の会場になっている。 この橋をみて北海道においても、北海道新幹 ストックホルム市の議員は、各種委員会の 線の実現だけではなく、北海道と結ぶ「津軽海 委員長は月額報酬で、それ以外の一般議員報 峡大橋」が実現すると、新たな産業基盤の形成 酬は、出席日数に応じて決められている。ち ができるのではないかと、ふと頭をよぎった。 なみに女性議員は全議員の4割を占めている。 ドロットニングホルム宮殿は、ベルサイユ 宮殿を参考に造られ、北のベルサイユ宮殿と も言われている。その部屋数は 600 室以上もあ り、ヨーロッパ最大の王宮である。その広場 では、英国式の衛兵の交替式も行われており、 タイミングよく見学することができた。 また、この広場はストックホルム発祥の地 としても知られ、中央にある大きな古井戸は 「血の風呂」の別名を持っていて、血生臭い 歴史の証で、16 世紀、王は自分の支配に反対 クリスチャンボー城 して独立を図った貴族達 80 人を宴会に招き、 デンマークは、 人口 530 万人で首都コペンハー そこで全員の首を切り、ここに投げ込んだと ゲンには、約 63 万人が住んでいるとのこと。見 言われている。 学した施設としては、市庁舎と同広場、デンマー ストックホルムは、これまで旅行した都市 ク王室の居場である宮殿、国会議事堂、人魚姫の の中で最も美しい魅力のあるまちであった。 像(何者かに爆破され現在、修復中であるとのこ 最後に、ストックホルム市の悩みとしては、環 と)アンデルセンの住んでいた家等である。 境先進国として「豪華客船」の寄港が増え、これ デンマークの政治、経済、教育についての によりお客さんがたくさん来てくれることは嬉 話は非常に興味深く、女性は社会的に活躍し しいけれど、空気が汚れるのはイヤだとのこと。 ていて国会議員の半数を女性が占めている。 その理由として、燃料には、3.5%の硫黄を 服装は自由な軽装で議会に出席することもあ 含んでいるものもあり、これが汚染の原因に る。離婚率は 50%、義務教育は 10 年。けれど なっているということである。 更に勉強したい人は、卒業しないで1年間勉強 するとのこと。日本の留年と違い、本人の意 52 (道林 博) 思を尊重するようである。 午後 2 時頃、グリンデルワルドを後にして、 福祉国家なので税は高く、デンマークの税金 バスでルガノに向かい、午後6時頃到着。アル は約 50%とか。ちなみに自動車には、価格の 2 プスの南に位置する小さな都市ルガノは、冬も 倍の税金がかかるらしい。税金が高くてもゆり 比較的温暖で、ルガノ湖の対岸は、イタリアの かごから墓場まで国が面倒を見てくれることか ミラノ市であるため、交流が盛んとのこと。 ら、デンマークの人は納得しているのだと思う。 ルガノ市は、歴史的建造物も多く、これま ちなみに、10 年間の義務教育費は無料である。 で数多くの作家、文化人を惹きつけてきた。 コペンハーゲンで私が一番興味深かったの 湖畔沿いの美しい並木道や観光地にふさわ は、何よりもまちの中に電柱はなく、やたら しいゴミ箱やゴミ収集の仕方については、カ に電灯の照明も無く、店のウィンドウの照明 ルチャーショックを覚えた程である。 が電灯の役割を担っていたこと。 スイスは、 “水辺の美学”の国であるといっ また、信号機が少ないこと。横断歩道にも、 ても言い過ぎでない都市、景観美を備えており、 信号機が無く人が渡ると自動車が渡るまで まちづくりとは何か、その一端を教えられた。 待っていること。 市では、車を市街地から締め出すために、 自転車道を歩行道と並行して設置している。 しかし、自転車を乗る人のマナーが悪く、年 間4人くらいが亡くなっているとのこと。 何よりも電柱の地中化で、 より一層街並みに美 しさを引き出していることには、今後の日本の 「まちづくり」に大いに参考にしたいと思った。 《スイス・グリンデルワルド・ルガノ》 最後の訪問国スイスには、コペンハーゲン グリンデルワルドにて登山電車を背景に から飛行機でドイツ上空を通過してチュー おわりに リッヒに到着した。チューリッヒからグリン 今回の訪問のテーマは、私にとって非常に興 デルワルドには、バスで移動し、途中世界遺 味のあるテーマであったので本当に勉強に 産のまち、首都ベルンに立ち寄った。 なった。北欧三国の環境と福祉に重点を置いた アルプスの湖畔にひらけたスイスのまちに 政策については、ヒューマニティに満ち溢れた は、どこも共通のムードと風景を持っている。 哲学のもとに実施されており、環境問題の深刻 このベルンには湖がないことと旧市街が中世 さは日本にもデンマークにも共通なのに、受け の趣をそっくり残していることで、しっとり 止め方に大きな違いがあるように思われた。 した落ち着きが感じられた。 このことは、ハード面のまちづくりにおいて グリンデルワルドは、ベルナー・オーバラント も現れており、人間優先の基盤整備が随所に見 地方の山村で、日本では最も知名度が高く、不思 られ、学ぶべきものが沢山あるように思われた。 議に観光客が集まるとのこと。道理でスイス政府 最後に、秋田団長はじめ各市から参加され 公認の「日本語観光案内所」が設置されていた。 た皆さん、市長会事務局の今井次長、小森参 翌日の 10 月 26 日(日)、私にとって2回目 事、田中添乗員、各国の通訳の方々13日間に のユングフラウヨッホを目指して登山電車に わたる交流をさせていただき、本当に心から 乗り、心行くまで景色を楽しむことができた。 お礼申し上げます。 (道林 博) 53 北欧3カ国∼プラス・スイス見聞録 北海道市長会事務局次長 今井 孝司 はじめに このことは、コペンハーゲンからヘルシン 2003 年 10 月 17 日から 29 日まで、延べ 13 キへの機中から、そしてヘルシンキからヴァ 日間にわたりデンマーク、フィンランド、ス イキングラインでストックホルムに向かう船 ウェーデンの北欧 3 カ国並びにスイスの都市 上からも感ぜられたが、一方で、氷河に削ら 行政に関わる視察調査団に参加する機会をい れた岩盤の上にわずかな表土が存在する極め ただいた。 てやせた土地であることが推測された。 4つの調査都市及びそれぞれの国の首都等 エスポー市において少子化対策及び高齢者 を訪問視察したが、いずれの都市も自然が豊 福祉施策について視察調査をしたが、一言で かで歴史と伝統に培われた重厚さを感ずると 表現すれば、フィンランドに限らず北欧諸国 ともに、その中にあって時代に対応するため の歴史に培われた福祉に対する先進性と、そ の新しい道を切り開く努力が続けられている れを支える高額の税負担(所得税 30%、消費 ことが感じられたところである。 税 22%)に対する国民合意の賜であると感じ 以下、訪問国で特に感じた点などについて、 られた。 独断と偏見がない交ぜになった見聞の一端を また、エスポー市は、首都ヘルシンキから 記述したい。 22㎞ ほど離れたいわゆるベットタウンとして 発展してきた比較的若い街であるが、近年に ≪フィンランド≫ いたり人口流入に伴って、地域間でサービス 往路成田からコペンハーゲンに至る機中か に格差が顕著となってきたため、将来を見す ら眼下に見下ろすスカンジナビアの大地は、数 えた介護・医療にかかわる新たな体制の構築 多の湖沼、フィヨルド、多島海など氷河期の が必要となり、現在、組織改革を推進中との 荒々しい爪痕を今に残す(自然の造形の妙を感 ことであった。 じさせる)壮大な景観にまず圧倒された。 ひるがえって我が国の福祉施策も、近年急 速に整備がはかられ、ほぼ欧米と肩を並べる 水準に到達しつつあると考えられるが、国、 地方の極めて厳しい財政状況の下で今後一層 の福祉推進をはかる場合、国民合意を得つつ 財源対策を並行して検討する必要性を感じた ところである。 ≪スウェーデン≫ 首都ストックホルムは、スウェーデンでの 調査地カルマル市への経由地として短時間の 視察であったが、バルト海とメーラレン湖に ヘルシンキ市街(フィンランド) 54 (今井 孝司) 囲まれた島々の上に造られた極めて美しく見 事な街であった。 車窓からの風景は、徐々に南に下がりつつ なかでも、小高い丘(フィアール・ガータ あることから林層も変化し、心地よい気候に ン)からメーラレン湖を挟んで、尖塔をもっ 感じられた。 た建築物を俯瞰するロケーションは圧巻であ コペンハーゲンに到着し遅めの昼食後、市 り、また、ノーベル賞授賞祝賀会場となる市 内視察(クリスチャンボー宮殿、アマリエン 庁舎、王宮や城塞、さらには数多くの教会な ボー宮殿など)を行ったが、人気の名所の一 ど、それぞれの建物が時代時代の様々な様式 つ「人魚姫の像」が心ない輩に破壊され影も を取り入れながらも、違和感なく歴史と伝統 形もなくなっていたこと(現在、海中から引 の重みや落ち着いた雰囲気、はたまた華麗さ き上げ修復中との説明があった。)、またすぐ と優雅さを感じさせるものであった。 目の前に位置する「ゲフィオンの噴水」が改 ストックホルムから列車で約 400㎞ 南に位 修整備中であったことは、些かがっかりと言 置するカルマル市に向かう途中、左右の車窓 うよりはびっくりであった。 に大小の湖沼が次々に現れ目を楽しませてく れたが、一方でフィンランドと同様に岩だら けの大地であり立木も細く、厳しく苛酷な自 然環境にあることを実感した。 カルマル市を訪問し市長から話しをお聞き ありし日の 「人魚姫の像」 したが、 今年に入って日本から既に 600 人を超 える調査団が訪れ、環境問題や高齢者対策等 について調査視察を行っている旨話があった。 また、市長は非常に日本びいきの方であり 今年6月に日本の6都市を訪れ、カルマルの 環境対策について講演を行ったとのことであ り、来年(2004 年)も訪日する予定とのこと であった。 カルマル市は、湖と森に囲まれたスウェー デンの南東部に位置し、古くから要塞都市、 貿易都市として発展し、街並みのそこここに 現在の姿 (台座だけが残っている) 歴史的建造物が林立し中世の面影を残してい もう一つ最大のがっかり・がっくりは、こ る街であるが、 現在の市長のもとで約6万人の の周辺が堀と石垣に囲まれた古い城塞である 街を活性化すべく環境保全と調和した持続可 ことには気がついていたが、この後、スイス 能な経済開発を目指し、産学官協働によるサ に向かう機内で広げたコペンハーゲンの地図 イエンスパーク構想の推進に意欲的に取り組 を見て、きれいに保存されている星形城郭、 んでいることが印象に残った。 つまり函館の五稜郭そっくりそのままの絵を 発見したことである。 ≪デンマーク≫ 星形城郭は、オランダもしくはフランスに 今回の視察調査もここで中日となり、カル ルーツがあり、ヨーロッパ諸国はもとよりア マル市から三番目の調査地デンマークのカル フリカや南北アメリカ、そして日本など世界 ンボー市に向け、再び列車による国境越えの 各国へと伝播したものであり、特に近世、砲 約 250㎞、コペンハーゲンへの旅程となった。 術が発達した時期において、ヨーロッパの戦 (今井 孝司) 55 略的要衝としての歴史を有する都市には五稜 に限らず六稜、八稜形など多様な星形城郭が 存在しており、あたらその原型に近い城郭を 目前にしながら勉強する機会を逃したことは、 本籍地函館人としてまことに残念至極であっ た。 翌日、調査地カルンボー市に向けシェラン 島の東端から西端に約 100㎞ をバスで横断し た。 どこまでもなだらかな起伏の少ない大地の ユングフラウヨッホにて 途中は、田園の中に家屋が点在するたんたん 翌 26 日、またとない快晴、絶好の日和の中 とした風景が続いていた。 登山列車でユングフラウヨッホへと向かった カルンボー市での視察調査の結果は別に詳 が、高みに行くほどに頭や身体が大地に押し 述されているが、地球環境の保全と廃棄物の つけられるように重く感じられ、息切れがひ 処理を複合的・重層的に考えた産業シンバイ どくなったのには些かならず戸惑ったが、間 オシスと称する一連の取り組み(なぜか火力 もなく慣れて足手まといにならずに済みほっ 発電に石炭を使用していること以外は)は、 と一安心。何はともあれ、頂上からのアイガー 我が国においても大いに参考とすべき先進的 や ユ ン グ フ ラ ウ な ど 4,000 m 級 の 山 々 や ア 事例であると感じたところである。 レッチ氷河の絶景、展望施設のすばらしさを 堪能、ワインで乾杯し、しばし至福の時を体 ≪スイス≫ 験させて貰った。 10 月 25 日、最後の調査地ルガノ市に向かう 27 日は、いよいよ最後の調査地ルガノ市を ため早朝 5 時起床で、コペンハーゲンから空路 訪問し、市長、副市長ほか市の幹部の歓迎を スイスへと向かった。 受けた。 眼下にドイツ平原、そして純白に輝くアル 市長から人口 3 万人を擁するルガノ市は、71 プスの山並みを見下ろしながらチューリッヒ もの銀行とこれに関連する公証人事務や不動 空港に降り立ち、直ちにグリンデルワルドに 産業の機関、54 か所のホテルなどがあり、ス 向け 6 時間のバスの旅に出発。途中、昼食休 イス第3の経済都市であるが、現在ルガノを中 憩のため首都ベルンに立ち寄ったが、この街 心に周辺9町村を 2004 年に合併し、人口 5 万 は、900 年以上の歴史を有し、随所に中世の面 2 千人のスイス国内9番目の都市を目指して 影を残すヨーロッパでも古い都市の一つで街 いる旨、説明があった。 全体がユネスコの世界遺産に指定されており、 また、ルガノ市は、スイス連邦の最南端、イ 三角屋根の建物が軒を連ねる趣のある街並み タリアと国境を接するティチーノ州にあり、ス が印象的であった。 イス国内で 7%を占めるイタリア語圏の中心地 再びバスでアルプスの懐めがけて、純白の として、スイスの中でも全ての面でイタリアの 雪をいただいた山また山の風景や、時折真っ 色彩が濃く、街も人々も陽気なラテン的雰囲気 青に澄んだ湖が現れる中を無事アイガーの麓 に包まれている。地勢としては、静かな湖面が グリンデルワルドに到着した。 印象的な美しいルガノ湖に面し、坂が多く、ま た、地中海性の温暖な気候に恵まれ「スイスの リオデジャネイロ」と形容される風光明媚な街 56 (今井 孝司) であり、スイス国内及びイタリアの観光リゾー U(欧州連合)域内のシェンゲン協定による ト地として発展してきている。 効果が顕著に表れてきたことが考えられる。 市の計画としてコンベンションホールを中 このことは、国境間で税率の低い国への買 核にカジノや充実したホテル群を活かし国際 い物や国境を越えての通勤等を可能とするな 的な観光コンベンション都市を目指した街づ ど、人・物・金の流動・流通の一大革命をも くりを推進中であるなど、懇切丁寧な説明が たらしつつあることが伺われる。 あった。 なお、EUに未加盟のスイスからバスでイタ リアの国境を越える際の検問所でもパスポー おわりに トチェックはなく、ヨーロッパでは我々が想像 このたびの視察調査団は、添乗の田中氏を している以上にグローバル化やボーダーレス 含め7名と小編成であったため、チームワーク 化が進んできているのではと思われる。 もよく、また全員が元気に予定されたスケ ただし、イタリアのミラノからコペンハー ジュールを消化でき、充実した時間を共有す ゲンに向け出発する際の空港でのチェックだ ることができたことに感謝したい。 けは、テロ防止対策のためと思われるがこと のほか厳しく、自動小銃を携帯した警官と警 察犬(麻薬犬?)には驚かされたところであ る。あまりの厳しさにビビッタ訳ではないが、 金属探知器を通る際、小銭入、ライターはも とよりベルト、眼鏡、あげくに腕時計までは ずすはめになりウッカリ床に落とし、文字盤 のガラスにひびが入ってしまうという失態を 演じてしまった。 おわりに、本会の海外都市行政視察事業も 7 人の侍がそろって 今回で 27 回の歴史を重ね、これまで全道各市 の市長、助役あるいは部長級の参加の下、そ また、今回の旅行で気がついたことは、以 の時代時代の重要課題等について先進都市を 前の訪欧時などと比べて総体的に国境という 訪問調査し、一定の成果を挙げてきたところ 感覚が薄くなってきていることである。 であり、今後も本事業が回を重ね各市発展の 特に今回の訪問国が、北欧という歴史的、 ため寄与していくことを期待し、締めくくり 地理的に連帯感が強い地域であり、かつ、E としたい。 (今井 孝司) 57 あ と が き 初めて経験する北欧行政視察に緊張と不安、希望を抱いて10月17日新千歳空港を出発しまし た。思いがけなく第27回海外都市行政視察調査の機会を与えていただき、少子化対策及び高齢 者福祉施策、産業クラスター、環境保全対策及び観光振興とコンベンションなどヨーロッパにお ける取組みについて、多くのことを学ぶことができた。 秋田富良野市経済部長を団長とする総勢6名の少ない視察調査団のため、だれかが一声かける と直ぐ集まるという非常に和やかな雰囲気の中で、行政視察の責任を感じながら効率よく無事目 的を果たすことができたものと考えている。 視察した都市はいずれも道内の都市が抱える課題についての先進都市であり、じかに見聞でき たことは民族性、文化の違いを超え、今後のまちづくりに生かされるものと思う。 訪問都市における調査の詳細については、団員の皆さんで分担し本文で掲載しているところで あるが、特に印象が強かった事項について記述する。 最初に降りたデンマークのコペンハーゲンでは、石造りの重厚な建物、歩道、自転車道、車道 と完全に分離された街並みに歴史と伝統、民族性、文化の違い、宗教がいかに市民生活に密着し ているかを強く感じた。次に訪れたフィンランドでは、森と湖の国と言われるとおり、国土の 80%が森林と湖沼に覆われた自然豊かな国で森に囲まれた静かな住宅と緑豊かな公園、派手な看 板や電柱をほとんど見かけないすっきりとした街路、少ない日ざしを浴び、のんびりと散歩を楽 しむ市民の姿は高福祉国家であることをあらためて印象づけられた。 翌日から視察調査の公式訪問がはじまり、エスポー市では市長さんには面会できなかったもの の「ゆりかごから墓場まで」という言葉で表されるとおり、子どもを国の宝物として大切に育て ようという先駆的な政策を取っており同時に高齢者の経済的自立、一般社会から孤立させない政 策を実践している。しかし、ここにも実施段階で組織の改革を必要とし、現在、検討されている ことに戸惑いを感じた。続いてスウェーデンのカルマル市、デンマークのカルンボー市及びスイ スのルガノ市と、いずれも市長さん自らの暖かい歓待を受け、団員の真摯な質問によって、国際 交流の場にもふさわしい視察調査ができ、市長さん方に深い感銘を与えたのではないかと思う。 スウェーデンでは、我々が訪問したストックホルム市内でその1ヵ月前にリンド外相(当時)が 買い物中に男に刺され死亡する事件が発生、また、その数日後には、欧州統一通貨ユーロの導入 の是否を問う国民投票が行われ、結局ユーロ導入が実現しなかったばかりで、将来的な経済政策 が注目されるところである。 さて、スイスで観光都市ルガノ市長に、観光の振興について尋ねたところ「日本人は仕事が忙 しいし、古いものを直ぐ壊してしまう。痛ましいことだ」とポツリ。石造り文化の歴史と伝統を 誇るヨーロッパ人の目にはそのように映っているのかも知れない。しかし、日本には日本の文化 があり、世界に誇れるものが数多くある。日本の国家戦略である観光立国日本にふさわしい国づ くりと情報の提供が望まれる。 この報告書は、団員から寄せられた原稿、資料をもとに 作成したもので、現在、道内の各都市が直面している諸問 題への対策に役立つことがあれば光栄です。 最後に、全員無事目的を達成し帰国できたことは、秋田 団長をはじめ団員各位と添乗してくれた田中氏の協力の 結果であることに深く感謝申し上げ、編集後記といたしま す。 テンペリアウキオ教会にて 平成16年2月 北海道市長会事務局参事 小森 孝徳 58 第 27 回海外都市行政視察調査報告書 平成 16 年2月 ▼編集・発行 北海道市長会 〒 060-0004 札幌市中央区北4条西6丁目自治会館 tel(011)241-2803 fax(011)241-2805 e-mail:[email protected] ▼印刷 株式会社 武田プリント tel(011)666-1118
© Copyright 2024 Paperzz