伝統に基づく規制を守り続けている国、ドイツ!

熊本経済同友会 新しい観光・集客に関する部会『ドイツ視察』報告
伝統に基づく規制を守り続けている国、ドイツ!
九州新幹線全線開業を 3 年半後に控え、本県においては観光振興が喫緊の課題となっ
ている。そのような中、10 月 3 日から 10 日にかけて、熊本経済同友会の新しい観光・
集客に関する部会は『ドイツの城郭や大学を核とした街づくりに学ぶ旅(以下、ドイ
ツ視察)』を実施、ハイデルベルクやシュトゥットガルト、ミュンヘンなど 8 都市を
訪問し、街づくりや観光への取り組みなどについて視察を行った。
はじめに
それは偶然のできごとだった。視察最終
◆ メルケル首相
日の 10.月 8 日(月)、ベルリンのベルガモ
ン博物館視察を終えバスに乗り込んだとき、
前方に黒塗りの車が 2 台とSPと思しき人
が数人。もしかしたらと待っていると数分
後、SPに守られたメルケル首相 ※ がアパ
ートから姿を見せ、私たちに手を振りなが
ら車に乗り込んでいった。
ドイツは伝統と、伝統に基づく規制をか
たくなまでに守り続けている国であり、環
まだに守り続けていることや建物の高さ、
※ メルケル首相
2005年10月就任。ドイツ初の女性首相であ
り、初めての旧東ドイツ出身。首相公邸で
はなく、以前から居住していたベルガモン
博物館前のアパートに居住。
外壁及び屋根の色に規制があること、タク
◆ ドイツ視察スケジュール
境と景観には特に力を入れている国でもあ
る。16 世紀に制定されたビール純粋法をい
シーのボディはどこに行っても同じ色であ
ること、アウトバーンのトラック通行規制
10/3 水 移動日(福岡空港より中部国際空
港、フランクフルト空港経由でハイ
デルベルクへ)
などなど、今回のドイツ視察で発見したこ
10/4
10/5
とは、実に興味深いものばかりだった。
10/6
10/7
城郭と大学の町ハイデルベルク(10 月 4 日)
10/8
私たちのドイツ視察は 2 日目の 10 月 4
日、熊本市の友好都市であるハイデルベル
木
金
土
日
月
終日ハイデルベルク
シュトゥットガルト⇒ローテンブルク
ディンケルスビュール⇒フュッセン
ミュンヘン
ベルリン、ポツダム
10/9 火 移動日(ベルリン空港からフランク
フルト空港、中部国際空港経由で福
10/10 水 岡空港へ)
クでの、城郭を中心としたドイツ最古の学
園都市の街づくり視察から、実質的な幕が開いた。
ハイデルベルクは南西部に位置する、人口 143 千人(2005 年 12 月)の都市で、ドイツ
最古の大学を有し、学生数は全人口の約 5 分の 1(約 3 万人)を占めている。主な大学施
設は旧市街に集中しており、旧市街周辺は落書きが多い一方で活気に満ち溢れていた。
1
ハイデルベルク城から旧市街
◆ ハイデルベルク旧市街(ハイデルベルク城からの眺め)
を眺めると、どこまでも赤い屋
根が続き壮観である。当地では
建物の高さ(5~6 階程度)や屋
根の色(オレンジ色など 3 種類)、
屋根の勾配など省令で詳細に規
制されている。その一方で、建
築や維持などのコストが上昇す
る分、補助金制度が設けられて
いる。
ちなみに、ドイツに限らず欧
州諸国は、都市の保全、形成を
都市計画の中で規制している。
そして、1 つのルールや規制を、住民が遵守することが不文律となっており、例えば、町
のどこからでも教会の塔が見えるように、塔より高い建物は基本的に存在しない。なお、
ドイツでは自治体に対して「建設管理計画」の策定を求めている。この建設管理計画には、
市町村全域の土地利用を示す「土地利用計画(Fプラン)」、土地利用計画に基づき区画単
位の詳細な規制を示す「地区詳細計画(Bプラン)」の二種類がある。このうちBプランは、
※ Fプラン(土地利用計画)
概ね10~15年程度を将来目標とした、ある
築形成条例」と一体で定められる場合もあり、 べき土地利用の概要を示すマスタープラン
各州の建築法に基づいて市町村が定める「建
建築規制条例では壁の色や屋根の形・勾配及
び色、広告物等も規制の対象とすることがで
きる。
そのほか、印象に残ったこととしては、旧
※ Bプラン(地区詳細計画)
街区単位の地区毎(5~10ha)に、Fプラン
に基づき市町村の条例で定められた詳細計
画。土地利用の区分、道路・駐車場等の地
区内交通施設、その他の公共施設用地、建
築許容限度(建ぺい率、容積率など)など
市街の中心部にある市庁舎と市庁舎前広場に
広がるオープンカフェ(今回訪れた都市全てに共通しており、オープンカフェは街のあち
こちで見受けられた)、二両以上連結された路面電車(しかも電停は広くゆったりといてい
る)と網の目のように張り巡らされた路線網、そしてネッカー川氾濫に対する考え方があ
る。ネッカー川は旧市街のすぐ横を流れておりライン川へと繋がっている。氾濫すること
も多く、一部の店では水に浸かることも多いようだが、堤防のような景観上無粋なものは
ない。氾濫するというリスクを承知した上での出店であり、仮に店が浸水したとしても、
それは自己責任であり仕方がないとのことである。もちろん、各店には土嚢が用意されて
いるのだが・・・。
ネッカー川河畔の公園では、犬を遊ばせている姿(鎖をはずして)も見受けられる。ド
イツにはペットショップなるものは存在せず、ブリーダーから購入するそうである。従っ
て、十分に躾けられており、それらを受け入れてくれる人にしか売らないとのことである。
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◆ ハイデルベルク市庁舎と市庁舎前広場
◆ ハイデルベルクの路面電車と広い電停
ポルシェとベンツの街シュトゥットガルト(10 月 5 日)
ハイデルベルクから車で、南に 1 時間半ほど行くとシュトゥットガルトである。ドイツ
といえば自動車であり、ここシュトゥットガルトには、ポルシェとメルセデスベンツの本
社がある。ちなみに、フォルクスワーゲンの本社はヴェルツブルク、アウディはネッカー
スリム、BMWはミュンヘンと、ドイツ国内に分散している。
当地では、両社の博物館と街中にある市場を訪れた。
先に訪れたポルシェ博物館は、本社工場入り口にあるこぢんまりとしたものだったが、
第 1 号車を始め約 20 台のスポーツカーが展示してあり、夢中でシャッターを押し続けて
しまった。同社では世界最大規模の自動車博物館を建設中であり、来年後半にも完成する
予定である。
昨年のドイツW杯直前に、2 年半の歳月をかけ完成させたメルセデスベンツ博物館は、
凄まじいの一言である。建物全体に直角の部分がなく、1800 枚の曲線的な窓ガラスは、1
枚として同じ形はないとのことである。そして、地上 8 階までエレベーターで一気に上り、
そこから螺旋状に各フロアを下っていくわけだが、一つひとつ見ていくと最低でも半日は
かかりそうである。
◆ ポルシェ博物館より
◆ メルセデスベンツ博物館
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ポルシェとメルセデスベンツの博物館といったら、カーマニアにかかわらず一度は訪れ
たいところだろう。
「熊本だったら二輪車の博物館でもあれば、もしかしたら世界中から観
光客を呼び込むことができるも知れない・・・」、などと思いを馳せながら市中心部へと向
かった。
市中心部へは昼食のために向かったのだが、その途中に市場があった。まさに街の台所
であり、あちこちで売り手と買い手との掛け合いが聞こえてきた。量り売りがほとんどで、
もちろん環境の国ドイツらしく、ゴミに繋がるようなトレイやパックはない。ドイツ人は、
お店の人と会話しながら、世間話をしながら買うことが好きだとのこと(大型スーパーが
ドイツに根付かない要因でもあるそうだが・・・)だが、そういえば、訪問地での街の広
場では毎日朝市が開かれており、売り手、買い手とも楽しそうに会話が弾んでいたことが
思い出される。
◆ シュトゥットガルト中心部の市場
◆ ローテンブルグにて(10 月 5 日)
◆ ティンケルスビュールにて(10 月 6 日)
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ロマンチック街道を行く(10 月 5 日~6 日)
シュトゥットガルトを後にし、町全体が城
◆ ローテンブルクの全景
壁に囲まれたローテンブルクへと向かう。
ローテンブルクは第二次大戦で街のほとん
どが破壊されたそうだが、その面影はない。
破壊前の姿に忠実に再現されており、今では
一大観光地となっている。窓やバルコニーか
ら改築の方法、建築様式など、さらには広告
看板デザインに至るまで細かい規制があり、
各商店の広告物については、事前にスケッチ
を描き市へ申請、市建設局がデザインや色彩
等を審査した上で許可している。改築に伴う
◆ ティンケルスビュールの街並み
建築物については、1 階は店舗、2 階は事務
所、3 階以上は居宅が基本となっており、高
さも市庁舎や教会のある中心部は 4~5 階程
度、その周辺部は 1~3 階程度と規制されて
いる。
ローテンブルクで一泊した後、ロマンチッ
ク街道を南下、中世の建築物がそのまま残っ
ているディンケルスビュールに立ち寄り、ロ
マンチック街道の終点であるフュッセンへと
向かった。新白鳥城として有名なノイシュヴ
ァンシュタイン城はフュッセンから 10 分く
◆ ドナウベルトの風景
(ロマンチック街道から)
らいのところにある。
ロマンチック街道では、教会とそれを取り
巻く赤い屋根が連なる風景が、規模の違いは
あれ数多く点在している。そして、街道に面
した家々の窓はきれいで、洗濯物も干されて
ない。ドイツには「窓ガラスが汚いと悪魔が
住みつく」という言い伝えがあるからだが、
洗濯物を外に干してはいけないという条例が
あり、広告看板の類も全く見られない。それ
だけ景観に配慮してあるのだろうし、観光に対する力の入れ方に日本とは大きな差がある
ことを、改めて感じさせられた。ハイデルベルグから付き合っていただいた現地ガイド(ド
イツ人と結婚した日本女性)が、
「3 日間家を空けるから、帰ったらすぐに窓拭きをしなく
っちゃ」の言葉がいまだに耳に残っている。
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オクトーバーフェストに沸くミュンヘン(10 月 7 日)
フュッセンで 1 泊したあと、今回のドイツ視察の目玉でもあるオクトーバーフェストが
開催されているミュンヘンへと向かった。
ミュンヘンへはアウトバーンを利用したが、日曜日ということもあって、大型トラック
の姿は全くといっていいほど見受けられなかった。ドイツでは土日に車で遠出するケース
が多く、車の渋滞を防ぐため、土曜の午後から日曜日は一日中、大型トラックのアウトバ
ーン乗り入れは、生鮮品などを扱う許可車以外は禁止されている。EU圏各国からの行き
来が自由になり、各国からの要請は多いにもかかわらず、この規制は未だにかたくなまで
に守り続けている。従って、金曜日の午後からはアウトバーン内のサービスエリアでは、
大型トラックの場所取り競争が始まるのである。
オクトーバーフェストとは、毎年 10 月の最初の日曜日を最終日として 16 日間にわたり
開催される世界最大のビール祭りである。もともと、新しいビールの醸造が始まるためそ
れまでのビールを飲み干そうということから始められたとのことであり、新らしいビール
醸造シーズンの幕開けを祝う祭りである。200 年近い歴史(第 1 回目は 1810 年)を持ち、
今年で 174 回目。42ha(東京ドーム約 9 個分:市所有)の敷地にビール会社の仮設テント
(14 棟)や移動式遊園地を設け、日本で言う屋台も数多く出店している。
700 万人を超える人が集まり、期間中に消費されるビールは 700 万リットル近く、食べ
られた名物料理の鳥の丸焼きは約 50 万羽、ゴミの量も 700 トンを超えるなど想像を絶す
るものがある。また、ビール会社の仮設テントには 1 万席を擁するものさえある。会場を
準備するのに 2 ヶ月以上、取り壊すのに 1 ヶ月を要するそうだが、42ha もの土地をオク
トーバーフェストだけのために 200 年近く手をつけていないということにも、ただ驚くだ
けである。
さすがビール大国ドイツといったところだが、ビールに関してはもっと驚くことがある。
ドイツでは 1516 年(一説には 1508 年)に制定された「ビール純粋法」(ビールは麦芽と
ホップ、水、ビール酵母のみから作られる)というのがあり、いまだに守り続けられてい
る。
◆ オクトーバーフェストの会場にて
◆ 仮設テント内の風景
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熊本にはビールだけでなく、ワイン、清酒、そして焼酎もある。オクトーバーフェスト
とまではいかなくても、これらが一堂に会することで少しは対抗できるのではなどと考え
ながら、会場を後にした。
夕刻、ミュンヘン一の繁華街を歩いた。日曜日でパン屋以外の小売店※は開いていない
にもかかわらず人通りは多く、ウィンドウショッピングを楽しんでいる人やオープンカフ
ェで飲食をしている人も多い。ミュンヘンに限らずドイツでは、繁華街の建物は 5~6 階
で統一されており、中心部には、必ず市庁舎と教会がある。そして、その前の広場や繁華
街の路上にはオープンカフェがある。宗教の影響が強いせいだろうが、日本では考えられ
ないことばかりだ。
※ 閉店法
・ 小売店は平日(月曜~土曜)は20時から翌朝6時まで、日曜・祝日は終日営業できない
という規制。一部、パン屋や花屋など許可を受けた店は営業可能。
・ しかし昨今では徐々に規制が緩和されており、昨年11月にベルリン州とノルトライン・
ヴェストファーレン州で24時間営業と日曜日営業が可能に。他の州でも追随された模様
(未確認)だが、バイエルン州やザールランド州では、この緩和を拒否している。
・ もともと、キリスト教の「日曜日は安息日」という考え方に基づいた規制であり、営業
時間拡大には賛否両論がある。なお、ベルリンでは24時間営業を開始したものの思うよ
うに売上げが上がらず、もとの営業時間に戻した店もあるという。
◆ ミュンヘンの繁華街
◆ ミュンヘン繁華街(日曜のため店は閉店) ◆ ミュンヘンの路面電車の電停にて
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雰囲気の異なるベルリン(10 月 8 日)
視察最終日は、早朝 7 時のベルリン行きに搭乗するため、ホテルを 5 時に発つことにな
った。
残念ながら写真に収めること
はできなかったが、ベルリンに
◆ 太陽光発電設備容量
国 名
◆ 風力発電設備容量
(万kw)
国 名
(万kw)
向かう機内から数十基の風力発
1 ドイツ
142.9
1 ドイツ
1,842.7
電を見ることができた。ドイツ
2 日本
142.2
2 スペイン
1,002.8
3 アメリカ
914.2
4 オーストラリア
6.1
4 インド
443.4
的に進められており、太陽光や
5 スペイン
5.7
5 デンマーク
312.7
風力発電の設備容量はいずれも
6 オランダ
5.1
6 イタリア
171.7
世界一を誇っているが、その一
7 イタリア
3.8
7 イギリス
134.2
端を垣間見ることができた。
8 フランス
3.3
8 中国
126.0
9 スイス
2.7
9 オランダ
121.9
では、新エネルギー導入が積極
ベルリン空港からポツダムへ
と向かう。ポツダムでは 2 つの
3 アメリカ
47.9
10 オーストリア
2.4
370.0
10 日本
世界遺産を視察した。ポツダム
世界合計
いずれも2005年末
世界合計
会談が開催された「ツェツィリ
資料:資源エネルギー庁ホームページ
115.0
5,920.6
エンホーフ宮殿」とフリードリッヒ大王の夏の離宮「サン・スーシ宮殿庭園」を訪れた。
ちなみに、ツェツィリエンホーフ宮殿は宿泊所としても利用されている。その後、再びベ
ルリンへと向かい、ベルガモン博物館近くでメルケル首相と遭遇することになる。
◆ ツェツィリエンホーフ宮殿
◆ ベルガモン博物館前のオープンカフェ
ベルリンは緑が多く、街並みもきれいで落ち着いた雰囲気の街だった。ただ、落ち着い
たというよりも、これまでに訪れたシュトゥットガルトやミュンヘンのような、開放的な
イメージとは程遠いという印象の方がなんとなく強い。現地ガイドが、ベルリンの治安の
悪さを繰り返していたことが影響したのかもしれない。
ベルリンは意外と高層ビルが多い。高層ビルは旧西ベルリン地区に集中しているが、こ
れは、東側へ力と豊かさを誇示するためだったということである。一方で、旧東地区には
手が入っておらず今にも壊れそうなアパートも散見された。
8
また、ミュンヘンの頃から気にはなっていたが、ここベルリンでもタクシーのボディは
クリーム色をしている。ドイツではタクシーの色を条例で定めている(州によっては変わ
りつつあるとのこと)そうで、こんなところにも、決められたことを守り続けるというド
イツらしさを垣間見ることができた。
◆ ベルリン市内風景
◆ ベルリンのタクシー
終わりに
ドイツでは自動販売機を見かけることはまずない。その分、街中や道路はすっきりして
いる。また、市内中心部に向かうほど緑が多くなる。中心部の道路には並木があり、中央
分離帯には樹木が茂りベンチも置かれ、喧騒さを感じさせない。そして、歩道の一部は自
転車専用道(赤くなっているだけ)で自転車が猛スピードで駆け抜けている。専用道だか
ら、仮に歩行者とぶつかっても歩行者側に責任があるという。どこまでもドイツらしい。
ガソリンは日本よりはるかに高い。リッター1.33~1.35 ユーロ(約 220 円)で、そのお
よそ半分(リッター0.6545 ユーロ:約 108 円)は石油税と環境税である。また、所得から
は所得税や保険料だけでなく教会税や旧東独支援金も控除され、手取りは半分程度、しか
も消費税は 16.8~19.5%と貯蓄に回す余裕は少ない。年金支給は手厚く、お金を残す必要
はないといわれているが、日本同様ドイツでも少子高齢化が進展しており、年金問題は今
後の大きな課題となりそうである。
ドイツの伝統や街並み、景観、それらを守るための様々な規制と、観光振興において本
県が学ぶべきことは数多い。数百年の歴史に育まれたものであり、宗教的要素もあるだけ
に、そのまま取り入れることは難しいが、自動車博物館やビール祭り、繁華街などでのオ
ープンカフェは、本県でも活かすことができるかもしれない。
本県においても今後、歴史や伝統、自然環境などを中心に観光振興に取り組まなければ
ならないが、その際には、ある程度の規制もやむをえないだろう。規制をしてまでなぜ、
本県にとって観光振興が必要なのか、県民にもっともっとPRする必要があるのかもしれ
ない。
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