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第3回「神戸いかなごくぎ煮学」
認定試験 テキスト
(平成 23 年版)
明石海峡フォトコンテスト
神戸みのりの公社賞受賞作品
垂水漁港のイカナゴ漁は、環境省の「残したい日本の音風景 100 選」
(1996 年)にも選ばれ
ています。日の出とともに垂水漁港を出港した数十隻の漁船のエンジン音、船上の漁師の威勢の
いい掛け声、網の中で無数のイカナゴが元気にはねる音、さらに上空をのびやかに乱舞するカモ
メの大群の鳴き声が春の訪れを垂水のまち全体に知らせてくれます。
また、写真の奥に見える橋は、明石海峡に架かる明石海峡大橋(神戸市垂水区と淡路市岩屋間)
です。この明石海峡大橋は全長 3,911mの世界最長のつり橋で、愛称は「パールブリッジ」と名
付けられています。
ま
え が
き
毎年 2 月下旬から漁獲されるイカナゴは、神戸に春を告げる魚と言われています。暑
い夏を砂に潜って過ごしたイカナゴは 12 月中旬頃から泳ぎだし、12 月下旬から翌年の
しぎょ
ちぎょ
1 月にかけて産卵します。その後、ふ化し、仔魚、稚魚を経て、3 月頃に幼魚となり、
約 1 年で成魚となります。ふ化後2∼4ヶ月たったイカナゴの稚魚∼幼魚をシンコと呼
あみぶね
て ぶね
び、主に船曳網漁(網船2 隻と手船1 隻の 3 隻が1チーム)により漁獲されます。
このシンコが佃煮に調理されて「くぎ煮」となります。毎年春になるとこのくぎ煮調
理時の甘辛い匂いが神戸の町に漂い「神戸の春の風物詩」となっています。
このようなイカナゴをもっと多くの市民の皆様に知っていただくために、神戸市水産
会では、第 3 回目となる「いかなごくぎ煮学」の認定試験を行うことになりました。イ
カナゴについての一般的な知識、生態、漁、くぎ煮の調理法などの知識を身につけてい
ただき、今後もイカナゴを沢山食べていただきたいと考えています。
皆さん!
さあ、挑戦してみてください。
神戸市水産会
シンコ
(写真提供:兵庫県立水産技術センター)
フルセ
(写真提供:兵庫県立水産技術
センター)
1
「神戸いかなごくぎ煮学」認定試験 テキスト
1.一般
(1)イカナゴの名前の由来
イカナゴの名前の由来は、「いかなる魚の子なりや」何の魚の子か判らなかったこと
から「イカナゴ」と呼ばれるようになったと言われています。また、「糸のように細い
魚」と言うことで「イ」は接頭語、
「カナ」は糸の意味で、「ゴ」は魚を意味する接尾語
で、イカナゴと呼ばれるようになったとも言われています。
イカナゴを漢字で「玉筋魚」と書くのは、イカナゴが潮目に集まってくるプランクト
ンを食べるために、水面を長い群(玉)になって泳ぐからだと言われています。
イカナゴは、成長に伴っていろいろな名前をもっています。その年に生まれた小さな
イカナゴは「シンコ」や「コウナゴ」、大きくなって親魚になると「オオナゴ」、神戸で
は「フルセ」と呼ばれています。ちなみに、「コウナゴ」は漢字で「小女子」「オオナ
ゴ」は「大女子」と書きます。他にも、カマスに似ているところから「カマスの幼魚」
と勘違いして「カマスゴ」と呼ぶところもあります。
また、イカナゴは英語では「Japanese sand eel」または「Japanese sand lance」と
言われています。「sand」は砂、「eel」はウナギ、「lance」は槍なので、直訳すると
「砂に潜るウナギ」や「砂に潜る細長い魚」と言ったところでしょう。イカナゴの学名
(生物に付けられた世界共通の名称)は「Ammodytes personatus」です。また、イカ
こうこつ
もく
ナゴは分類学的には、硬骨魚類・スズキ目・イカナゴ科に分類される魚です。
(2)くぎ煮の由来
イカナゴの「くぎ煮」の発祥地は、神戸市垂水区とも言われていますが、いろいろ
な説があります。そもそも「イカナゴの醤油煮」
(佃煮に近いもの)は瀬戸内海沿岸地
方に古くからあったものらしいのですが、それを佃煮として完成させ、くぎ煮と名付
けたのは垂水の漁業関係者だと言われています。
その名前の由来は、
「できあがりが錆びた古釘のようだ」とか、
「実際に釘を入れて炊いていた」ことからきています。
くぎ煮は兵庫県と大阪府で地域特産品として認証の基準が定め
られており、基準に適合すると認められた製品には、Eマークを
表示することが許可されます。
イカナゴ漁が始まると、神戸の主婦たちは、地元の魚屋やスー
パーの鮮魚売り場に列を作り、シンコの入荷を待ちかまえます。
Eマーク
そして、各家庭からそれぞれに味付けされたくぎ煮の匂いが漂ってきます。この風景
は、すっかり「神戸の春の風物詩」になっています。
2
2.料理
(1)
『くぎ煮の作り方』
① 材料
生イカナゴ ………1kg
土しょうが ………約 70g
しょうゆ ………約 1.5 カップ
みりん ………1/2 カップ
調味料
中ザラ糖(又は、三温糖)……50∼300g
② 作り方
1. イカナゴを洗い、しっかりと水を切る。土しょうがは皮付きのまま千切りにし、
大きく厚手の鍋で調味料と混ぜて煮立てる。
2. イカナゴを 3 回程度に分けて、バラバラと、まくような感じで入れ、落としぶた
(アルミホイルに穴を開けたもの)をして強火で一気に煮立たせ、ふきこぼれな
い程度の火で約 40 分煮る。
ポイント
※
鮮度の良いイカナゴを使用する。
※
形が崩れないように箸でかき混ぜないのが上手に仕上げるコツ。
※
煮汁が少なくなったら鍋ごとふる。
3.イカナゴの間に小さな泡が出るくらい煮汁が減ったら火を弱め、落としぶたをと
り、煮汁が少しになるまでさらに煮つめる。
..
4. 煮上がったらサッとざるにあげ、余分な煮汁を切り、うちわなどですばやく冷ま
して出来上がり。
《一口メモ
くぎ煮の大きさ 》
イカナゴのくぎ煮の適正サイズは、4 ㎝程度が良いと言われています。4 ㎝
のイカナゴの体重は約 0.2gですから、生イカナゴ 1kg には、約 5,000 尾のシ
ンコがいることになります。
(2)
『釜揚げの作り方』
① 材料
生イカナゴ…………1kg
塩………大さじ 3∼4
水…………2ℓ
② 作り方
1.
新鮮なイカナゴを用意し、さっと水洗いしておく。
3
2.
大きな鍋に湯を沸かし、塩を入れる。(4%程度の塩水)
3.
沸騰したお湯にイカナゴを入れ、浮かび上がってきたらザルですくい上げる。
ポイント
※ 湯 2 リットルに対し 1 カップ程度ずつ作ってゆき、お湯の温度を下げないの
がコツ
4.
取り上げたイカナゴを、温かいうちにポン酢をかけ食べる。
★
釜揚げをさらに晴天の日に天日で 2∼3 時間干すと「かなぎちりめん」の出来
上がり。(イカナゴの大きさ、天気により干す時間は異なります)
《一口メモ
栄養価 》
イカナゴはたいへん栄養価の高い食品で、特に内臓も一緒に食べるため、ビ
タミン類(特にビタミン A)をたくさん摂取することができます。また、カルシ
ウム、リン、鉄等のミネラル成分も豊富に含まれています。
《一口メモ
魚醤 》
ぎょしょう
魚、エビなどの魚介類を発酵させて作る醤油のことを「魚 醤 」といいますが、
イカナゴを材料にした「イカナゴ醤油」は有名で、ハタハタやイワシを材料に
した「しょっつる」
(秋田)、イカの内臓やイワシを材料にした「いしる」
(能登
半島)とならんで日本の 3 大魚醤になっています。イカナゴ醤油で有名なのは
香川県ですが、兵庫県でも作られています。
また、海外の魚醤では、タイの「ナンプラー」、ベトナムの「ヌックマム」、
フィリピンの「パティス」
、カンボジアの「タク・トレイ」などがあります。
(3)その他の料理
その他の料理としては、子供のおやつやお酒のおつまみに合う「イカナゴのからあげ」
や、旨みが卵に絡んでいる「くぎ煮のだしまき」があります。また、イカナゴの釜揚げ
にマヨネーズとねりわさびやカイワレ大根等を混ぜて作る「イカナゴのサラダ」等があ
ります。
4
3.イベント
(1)イベント
イカナゴの時期になるとデパートやスーパーなどの食料品売り場でも、イカナゴ専用
のコーナーが作られ、生イカナゴはもちろん、鍋・保存容器から醤油、砂糖(ザラメ)、
水飴、生姜、山椒など、イカナゴのくぎ煮作りに必要なものをそろえて販売しています。
最近ではイカナゴのタレまでが登場するようになりました。また、自宅で作ったくぎ煮
を親戚や友人に送る人が多いことから、郵便局や宅配便業者もくぎ煮配達専用の料金を
設定し、容器などを製作するようになりました。
また、神戸では、イカナゴが水揚げされる時期になると、各地でイカナゴとくぎ煮に
関するイベントが行われます。
①[長田区]
A
駒ヶ林いかなごウォークラリー
駒ヶ林まちづくり協議会が主催。一般応募者が駒ヶ林の昔ながらの街並みや文化
を体で感じながらクイズを楽しみ、見どころポイントを回るウォークラリーです。
最後にイカナゴ料理のおもてなしがあります。
B
いかなごのくぎ煮コンテスト
丸五市場事業協同組合が主催。くぎ煮の本場、長田で家庭の味を持ち寄り新長田
の味を選ぶコンテストです。場所は丸五市場で、来場者が審査員になって 20 種類の
家庭の味のイカナゴのうち最優秀賞を選びます。
②[須磨区]
A
須磨の浦いかなごくぎ煮まつり
須磨駅周辺地区まちづくり協議会が主催。須磨浦漁友会、西須磨婦人会、須磨浦
商店街振興組合が協力。JR須磨駅前で、特製レシピによるくぎ煮と生のイカナゴ
の販売を行っています。
③[垂水区]
A
いかなご創作料理会
垂水中央商店街市場連合会が主催。イカナゴの釜上げを使った創作料理(平成 22
年はイカナゴ入り開口笑、イカナゴのパン揚げ)を無料で試食していただいていま
す。
B
第 11 回くぎ煮わが家の味自慢コンテスト
かがやき
NPO法人 輝 たかまるが主催。一般応募により、こだわりの鍋や調味料を持参で
作るレベルの高いくぎ煮の料理コンテストです。
審査の結果、優秀な人には、名人、達人、鉄人、師匠、博士、家元などの称号が
5
贈られるほか、選に漏れた参加者も、全員が先生の称号が贈られます。
C
神戸垂水 いかなご祭
垂水商店街振興組合が主催。イカナゴを使った創作料理の販売の他、兵庫県多可
郡多可町の特産品の販売、神戸学院大学のブラスバンド部とチアリーダー部による
商店街内のマーチング、豪華プレゼント(協力団体提供)が当たるお楽しみ抽選会、
地元の漁業協同組合女性部によるくぎ煮(3 種の代表的な味付け)の調理実演・試食
などいろいろな催し物を行っています。
「神戸垂水 いかなご祭」は平成 12 年に立ち上げ、第 1 回目には垂水駅前にある海
の神様「海神社」において、イカナゴの供養と大漁祈願の神事を行いました。
垂水では、イカナゴのシーズンになると魚屋さんの前には行列ができ、それぞれ
の家庭独自の味付のくぎ煮を大量に作って、遠くの知人や親戚に送る習慣があり、
「第二の年賀状」と呼ばれる程になっています。このイカナゴとくぎ煮文化を全国
に発信し、神戸垂水の街の活性化を目的として、「神戸垂水 いかなご祭」を実施し
ています。
主催者とフレンドシップ提携を結んでいる多可町など 10 以上の関係団体の参加を
得て、毎年、賑やかに開催しています。
D
いかなごくぎ煮講習会
神戸市漁業協同組合女性部が主催。一般応募による初心者向きのくぎ煮の料理教
室で、平成元年から実施しています。
長年の普及活動により女性部のくぎ煮は、平成 16 年度全国農林水産祭(地域活動
部門)で最優秀農林水産大臣賞を受賞しています。
E
親子くぎ煮教室
摂津地区漁協女性部連合会が主催。食育活動の一環として、親子で作ったくぎ煮
を使って太巻きを作り、昼食会として試食を行っています。残ったくぎ煮は家族へ
のお土産として好評です。
F
イカナゴをテーマにした歌とダンス「いかなごGO!GO!」
かがやき
NPO法人 輝 たかまる理事長の杉山さんの呼びかけで、平成 12 年 9 月に一般公
募で歌詞を募集し、区内の肱岡雄一さんの作品が選ばれて、地元出身の童謡歌手、
田中久美子さんが作曲して歌っています。歌に合わせて 3 世代が踊れる振り付けも
あり、子供から大人まで親しまれています。
この歌に合わせて踊るイカナゴダンスチームが、平成 16 年 3 月に善行青少年表彰
を受けました。また、
「いかなご音頭」や「いかなごソーラン」という歌もあります。
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「いかなごGO!GO!」
作詞
肱岡雄一
作曲
田中久美子
歌詞
(A)食べても
いいかないいかな
Go(Go!Go!)
踊っても
いいかないいかな
Go(Go!Go!)
いいかな
いいかな
くぎ煮ダンスで
1.垂水名物
いいかな
Go!Go!Go!
かずあれど
春の丘には
朝昼晩の
Go!
花が咲き
食卓に
一にあげるは
いかなごよ
海じゃいかなご
明るくパッと
スーイスィ
花が咲く
(A)くりかえし
2.歩む人生
困った人が
甘辛く
クギにつまづく
いたならば
手に手をとって
こともある
優しく声を
輪になって
かけましょう
未来へ向かって踊りましょう
(A)くりかえし
3.人生晴れたり
シケのあとには
喜びしっかり
曇ったり
大漁だ
かみしめて
うまくいかない
時もある
くぎ煮ダンスで踊りましょう
ご近所さんにも
(A)くりかえし
7
おすそわけ
「イカナゴ音頭」
「いかなごソーラン」
垂水名物 いかなご音頭
一. エンヤーレンソーランソーラン
みんな輪になって 踊りましょ
ソランソーランソーラン(ハイハイ)
一.春の弥生の あのにぎわいは
春がきたよと サンバのリズム
(ドッコイセ コレワイセ)
いかなご大漁で 街がわくチヨイ
明石海峡と 垂水の浜よ
ヤサエーエンヤーンサーノドッコイショ
(ソラヨイトコマカシトイテ ドッコイサノセ)
(ハー大漁大漁 いかなご大漁)
威勢のいい声 あのいい男
二.垂水よいとこ 一度はおいで
(ドッコイセ コレワイセ)
街にゃくぎ煮の 香りたつ
いかなご船は 朝早く
三.遠慮しないで 味みてごらん
(ソラ エイエイエイ)
一口食べれば 忘られぬ
二.アジュール舞子の 沖合見れば
四.垂水名物 いかなご音頭
鴎ひきつれ 波威勢よく
みんな輪になって 踊りましょ
いかなごいかなご ソリャいかなごと
大漁の船が 群をなす
三.日本全国 津々浦々で
くぎ煮待ってる あの人達へ
わが家の味に またひと工夫
いかなご炊きに 精を出す
四.垂水名物 いかなご音頭
揃いの衣装に 心も踊る
うちわ波打つ 仲間が増える
そんな輪になって 踊りましょ
G
魚のモニュメント
山陽電車及びJR垂水駅の北側にある広場には、まるでイ
カナゴが並んで泳いでいるようにも見える魚のモニュメントが
あります。
イカナゴ、
くぎ煮シーズンになれば、
「いかなごGO!
GO!」のメロディが流れます。
また、垂水駅周辺の商店街、市場、鮮魚店等を中心に、多く
の「のぼり」を立ててイカナゴ、くぎ煮のシーズン到来を盛り
上げています。
魚のモニュメント
8
4.生態(分類・種類・形態・産卵・成長・生活史)
(1)分類・種類・形態
イカナゴは硬骨魚綱・スズキ目・イカナゴ科
の魚です。日本近海ではイカナゴ科の魚は、キ
イカナゴ
タイカナゴ・イカナゴ・タイワンイカナゴ・
ミナミイカナゴの 4 種類が生息しています。
名前のとおり、キタイカナゴは北方に多く、
タイワンイカナゴ・ミナミイカナゴは南方に
(写真提供:兵庫県立水産技術センター)
皮褶
多く生息しています。
世界で確認されているイカナゴ科の魚は 7 属
23 種で、赤道直下から高緯度地方まで北半球に
広く分布しています。熱帯地方に生息する種は、
スズキ目の基本形に近く、北に行くほど特化傾
イカナゴの皮褶
向が強いとされています。
(写真提供:兵庫県立水産技術センター)
日本のイカナゴ
種名
特
徴
分布域
日本で漁獲されるイカナゴの種類は、ほとんど
はら びれ
が本種です。体は円筒形で腹鰭がなく、歯もあ
ひしゅう
りません。体側には皮褶と呼ばれる多数の筋が
イカナゴ
黄海から日本、アラ
スカ、カナダ北部の
太平洋側
斜めに走っています。脊椎骨数は近縁のキタイ
カナゴより少なく 62∼67 個です。瀬戸内のイカ
ナゴは成長すると 12∼15 ㎝になります。寿命は
2∼3 年といわれています。
キタイカナゴ
イカナゴと外見では区別がつきませんが、脊椎
北海道から千島列
骨数はイカナゴより多く 68∼72 個となっていま
島、アラスカ、カナ
ひしゅう
す。イカナゴと同様に体側に皮褶があります。
ダ∼カルフォルニア
全長は最大 27 ㎝程度。最近の研究で、耳石の外
の北太平洋
観で区別できることがわかってきました。
ひしゅう
タイワンイカ
ナゴ
はら びれ
体側腹縁に皮褶がなく、腹鰭を持っていること
南日本、南シナ海、
が、本種とイカナゴやキタイカナゴと異なる特
インドネシア、オー
徴です。全長は最大 16 ㎝程度。
ストラリア
ひしゅう
ミナミイカナ
ゴ
タイワンイカナゴと同様、体側腹縁に皮褶があ
はら びれ
りません。また、タイワンイカナゴと違って腹鰭
がありません。全長は最大 12 ㎝程度。
9
小笠原諸島
(2)産卵
瀬戸内海でのイカナゴの産卵時期は、12 月∼1 月です。多くの魚は、春に産卵する
のですが、イカナゴは珍しい冬産卵魚です。その他、冬に産卵する魚の代表としては、
神戸周辺ではマコガレイがあります。
イカナゴは一般的に満 1 歳から卵を産むことができ、親イカナゴは、1 シーズンに約
2,000∼18,000 粒の卵を生みます。マダイやヒラメは 1 尾の雌が 1 シーズンに何回にも
分けて卵を産みますが、イカナゴは 1 回だけです。その卵は、直径 0.7∼1 ㎜位で無色
透明の球形をしています。兵庫県におけるイカナゴの最大の産卵場は「鹿ノ瀬」で、
卵は水深 10∼30mの海底の砂に産み付けられます。イカナゴの卵は、産み落とされた時
にばらばらになって砂に付着するために、沈性粘着卵と呼ばれています。マコガレイも
この沈性粘着卵です。これに対し、マダイやヒラメなどの卵は、産卵されるとばらばら
になって海面を浮遊するために、分離浮性卵と呼ばれ、海水魚ではこのタイプの卵が最
も多くなっています。
イカナゴの卵は、産卵後水温 12℃で 11∼12 日間でふ化します。卵がふ化する時間は
水温によって大きく影響されるので、水温が低い北海道では長くかかります。
《一口メモ
産卵場 》
明石海峡の西側の播磨灘には、イカナゴの夏眠や産卵場に適した広い砂地の
海底があり、「鹿ノ瀬」と呼ばれています。この砂地は、明石海峡の速い潮流
で運ばれてきた砂が、長い年月をかけてここに堆積したものと考えられていま
す。
また、須磨から塩屋の沖あたりに、同じような夏眠や産卵場に適した「上瀬」
と言う所があります。
(3)成長
イカナゴのふ化直後の大きさは約 4 ㎜程度で、卵黄から栄養を取っているため、まだ
口も開いていません。しかし、ふ化後 1 日程度で口が開き餌を摂ることができるように
なると、浮遊性の甲殻類(動物プランクトン=主にカイアシ類のノープリウス)を食べ
ひれ
し ぎょ
るようになります。このような卵黄吸収から鰭などが形成されるまでを仔魚期といいま
ひれ
す。その後、基本的な骨格や鰭などの器官が整う稚魚期、生殖巣が熟すまでの幼魚期を
経て、6 月下旬頃から 12 月中旬頃まで夏眠の後、生殖巣が熟して 1 年で繁殖可能な成魚
となります。
イカナゴは、塩分濃度や水温の異なる 2 つの海水が接し、プランクトンの溜り場とな
っている「潮目」に集まります。特に朝夕は潮目が出来るところに集まって大きな群れ
を作り、活発にエサを食べます。そのため、水温が低いにもかかわらず成長は早く(水
温、餌料環境により違いはあるが、平均して 1 日に 0.7∼0.8 ㎜程度成長する)、ふ化後
30 日で約 1 ㎝、60 日で約 3∼4 ㎝となります。この頃はまだ細くて透明な「シラス型」
10
をしています。ふ化後 4 ヶ月で 6cm、1 年で 8cm、2年で 12cm 程度になります。私たち
がくぎ煮にするシンコは、ふ化後 2∼4 ヶ月のものですから、稚魚∼幼魚期のイカナゴ
を食べていることになります。
イカナゴの寿命は、瀬戸内海で 2∼3 年、北海道では 6 年以上といわれています。そ
のため大きさも前者では 12∼15cm 程度ですが、後者では 22∼25 ㎝程度と大きくなって
います。
(4)生活史
イカナゴは 7∼8cm の大きさになると、沿岸の砂底で底生生活をするようになります。
イカナゴの生活で最も特徴的なことは、夏の間は眠る(夏眠とよびます)ことです。瀬
戸内海東部では水温が 20∼21℃前後、6 月下旬∼7 月上旬になると砂に潜って夏眠に入
り、水温が 13℃を下回る 12 月中旬頃になると目覚めます。この間イカナゴは成長しま
せんが、生殖腺は発達し、夏眠終了後まもなく産卵します。これに対し水温の低い青森・
北海道のイカナゴは、夏眠はせず、夏の間も成長するので瀬戸内海のものより大きくな
るわけです。また、イカナゴは敵に襲われた時にも砂の中に隠れて身を守ります。
このようにイカナゴにとって海底の砂は生きていくために絶対必要なものです。です
から、私たちがイカナゴのくぎ煮をこの先もずっと食べたいのならば、沿岸の砂底を守
っていかなければなりません。
《一口メモ
夏眠》
イカナゴは、夏の高水温から身を守るために、砂地に 10 ㎝程の深さまで潜っ
て夏眠しますが、夏眠に適した砂粒の大きさは 0.5∼2 ㎜程度と言われています。
水槽で飼育中のイカナゴ(砂に潜っているものもいます)
11
5.文化・歴史
(1)江戸時代のイカナゴ漁
①摂播国境漁場争論
目前に濃密な分布域を控えた神戸市域の沿岸では、イワシとともに相当古くからイカナ
ゴの漁が盛んだったと思われますが、現在のところ史料上でイカナゴ漁の存在を確認でき
るのは、江戸時代の前期である寛文年間(1661∼73 年)にまでさかのぼることができます。
や
た
べ
や たべ
その史料は、当時摂津国矢田部(八部)郡と呼ばれていた西須磨村、兵庫津、駒ヶ林村と、
せつばんくにざかいぎょじょうそうろん
播磨国明石郡にふくまれていた塩屋村、垂水村との間で発生した“摂播国境漁場争論”に
かかわってのものです。
この争論(訴訟ざたのこと)は、現在でも須磨区と垂水区の
さかいがわ
境をなす地点を流れる川(境 川 )の中央部(右図の右手にみえ
る立杭が境目であることを示しています)こそ、西須磨村(浦)
と塩屋村の境でなおかつ摂津国と播磨国の国境(くにざかい)
であると主張する西須磨・駒ヶ林・兵庫津の三者と、その境川
いちりづか
よりもやや東側(西須磨村寄り)に当時据えられていた一里塚の
地点(現在地不明)が国境であると主張する塩屋・垂水の二者
とが対立したものです。一里塚とは主要な街道の沿道 1 里(約
えのき
4km)ごとに築かれた塚のことで、ふつう 榎 などが植えられて
「播州名所巡覧図絵」より
目印とされることが多かったのですが、ここでは松が植えられ
界(境)川
ていたらしく、その松を「境松」と呼んでいたということを塩屋・垂水側は自分たちの主
張の根拠にしていました。ことは眼前にひろがる漁場の用益にもかかわっていたために、
双方とも一歩も譲らず争われましたが、結局江戸幕府の役人が双方の主張点を直接確かめ
たうえで実地見分をした結果、境川を国境と確定されることになりました。
もんじょ
この争論の過程で作成された寛文 10 年(1670)の文書の一つに、「漁場については、播
州明石郡のうち塩屋村・垂水村と、摂州矢田部郡のうち西須磨村・兵庫津・駒ヶ林村とが、
双方から漁船を出しているが、いかなごを取っている瀬は、役人による取り調べのうえ船
を出して、播州・摂州双方から見分したところ、摂津国の領域の漁場にいかなごがついて
いる瀬があることが確認された」云々との文言が含まれており、これが今のところ史料上
もっとも古いイカナゴ漁の存在を示す史料ということになるのです(『神戸市文献史料』第
3 巻所収中西政太郎氏所蔵文書)。
《一口メモ
一里塚》
一里塚は、平安時代にはすでに存在していたといわれていますが、全国的に整備さ
れたのは江戸時代になってからのことでした。徳川幕府は全国の主要街道の整備にさ
いして、江戸の日本橋を基点として街道沿いに一里塚を配置していきました。ふつう
も
つち
一里塚は、盛り土がされ、塚上に榎や松、杉などの樹木をうえ目印とされました。塚
に樹木を植えるのは、日中に日影となり旅人の休息の場となることも考慮されていた
12
いっつい
といわれています。塚は道の両脇に一対で設けられましたが、明治時代以降、鉄道や
航路などの発達と共に交通手段としての街道の意義が失われてゆき、一里塚も次々と
失われていきました。
②江戸時代の地誌にみるイカナゴ漁
その後、元禄年間(1688∼1704)に摂津の岡
せつようぐんだん
田徯志という人が編さんした『摂陽群談』とい
つくだ
う摂津国の地誌に、 佃 (現大阪市西淀川区)の
「梭鱬(イカナゴ)
」が挙げられ、佃とともに尼
あみ
崎や兵庫津の浦辺でも「網之」
(これを網す)と
記されています。また正徳年間(1711∼6)に編
さんされた図説百科事典ともいうべき
わ かんさ んさい ずえ
『和漢三才圖會』にも「玉筋魚(いかなこ・か
「日本山海名物図絵」より梭魚児
ますこ)」がとりあげられ「春分の時摂州一ノ谷
シカガセ
にはじめて多くこれを取り、立夏播州明石浦の鹿瀬にて盛んにこれを取る」云々と記され、
この地域のイカナゴ漁が広く知られていたことがわかります。さらに宝暦 4 年(1754)、平
瀬徹斎という人が編さんした『日本山海名物図絵』には、日本中の様々な名物の一つとし
か ま す こ
て「梭魚児」つまりイカナゴが取り上げられ、
「摂州尼崎・兵庫の浦にて多く取るなり」と
し そ う はりあみ
紹介されています。またその漁法としていわゆる四艘張網が「すべあみ」として絵入りで
掲載されています。
『日本山海名物図絵』ではさらに興味深いことに、捕獲したイカナゴの
利用法として、
「かますごを煎じ、油を取り、そのせんじがらを市へ出してかますごとて売
かす
るなり」と記され、イカナゴから魚油を精製し、その粕も恐らく肥料として市場にでまわ
っていたことがわかります。このように、江戸時代にはこの地域のイカナゴ漁が全国的に
有名なものだったことが、これらの書物からうかがうことができます。
《一口メモ
江戸時代の肥料》
た いひ
くさ
じんぷんにょう
江戸時代には、農業用の肥料として、堆肥(植物を腐らせて肥料にしたもの)や人 糞 尿
じきゅう
こうにゅう
などのような自給肥料ともに、代金を支払って入手する購 入 肥料も用いられていまし
き んぴ
あぶらかす
ほ しか
た。それを一般に「金肥」といいます。金肥の代表は、
「油 粕 」や「干鰯」でした。油
な たね
粕は菜種など植物の油をしぼりとったあとの残りかすです。干鰯もやはりイワシから
ぎ ょゆ
魚油をしぼったあと乾燥させて肥料化したもので、関西地方でひろく普及していまし
た。摂津国八部郡や播磨国明石郡では、イワシとともにイカナゴが大量に漁獲された
ため、イカナゴ版の干鰯が流通していたのです。
(2)明治時代のイカナゴ漁
①『兵庫県漁業慣行録』
明治に入っても、この地域のイカナゴ漁は江戸時代のそれとそれほど大差はなかったと
13
にょじつ
思われます。兵庫県にはそのことを如実に示してく
れる貴重な史料があります。一つは、明治 20 年
(1887)頃における兵庫県域の漁業慣行をつぶさに
ひょうごけん ぎょぎょう かんこうろく
まとめた『兵庫県 漁 業 慣行録』(原本は兵庫県公館
県政資料館所蔵)です。この書物は、兵庫県の漁業
かんすい
を「鹹水之部」(海漁)と「淡水之部」とに大別し、
江戸時代までの地域区分だった国や郡ごとに、漁制
ぎょろう
(漁業制度に関すること)
、漁撈(漁業の方法などに
はんしょく
関すること)、蕃 殖(生産に関すること)、漁民(営
業に関すること)について調査されたものです。こ
「兵庫県漁具図解」より
イカナゴ地曳網使用図
の書物によって、明治時代前期ごろの兵庫県下のさまざまな漁業の実態を概観することが
できるのです。
ひんぱん
この書物にはイカナゴが玉筋魚と表記されて頻繁に登場してきます。玉筋魚の名前は、
はやしうら
はやしざき
東は武庫郡西宮付近から西は明石郡の 林 浦(現在の明石市林 崎 港)にかけての範囲で登場
し、加古郡に入るとまったく登場しなくなります(淡路島の漁港では漁を行っています)。
やはり一番イカナゴの登場の機会が多いのは、好漁場を目前に控えた東須磨村・西須磨村
や たべ
を擁する摂津国八部郡と、塩屋村・東垂水村・西垂水村を含む播磨国明石郡ということに
なります。八部郡ではとりわけ西須磨村においてイカナゴ漁が盛んだったことがうかがわ
れ、明治 20 年頃のデータではイカナゴ漁をおこなう漁者が西須磨村だけで 224 人(漁船 48
艘)もいたことが記録されています。漁法はもっぱら四艘張網だったようです。一方、明
石郡側ではイカナゴ地曳網をおこなう漁者が、東西垂水村と塩屋村だけで 220 人、餌床玉
網漁(伝統漁法の項参照)が東西垂水村だけで 83 人となっています。西須磨村でもっぱら
おこなわれていた四艘張網が、塩屋・東西垂水村ではなされず、明石新浜と林浦でおこな
われていたことも興味深い事実です。このように、
『兵庫県漁業慣行録』という書物は、村
ごとのデータが記録されているために、同じイカナゴ漁でも隣接する村々でまったく異な
る漁法がなされていたことが知られるなど、今日の私たちにとってまことに貴重な事実を
教えてくれるのです。
《一口メモ
漁民の禁忌とウミガメ》
き んき
『兵庫県漁業慣行録』には、各地で調査された漁民の禁忌(禁止事項、タブー)につ
に んぷ
ての記述があります。禁忌としてもっとも多くみられるのは、妊婦に対する禁忌です。
ある漁師の家に妊婦があるときには、一定期間その漁師の出漁を禁止するというもの
いだ
で、出産のケガレを抱いたまま出漁すると、海が荒れると信じられていたからでした。
うばらぐん
またウミガメが網にかかったときの漁師の対応も記録されています。摂津国兎原郡(現
在の芦屋市から神戸市中央区にかけての地域)での事例ですが、ウミガメがかかると
網が傷むので困りものだったようですが、イワシなどの魚をウミガメが追ってきて豊
ていちょう
漁になると信じられていたため、害獣あつかいせずに、酒を呑ませてそのまま丁 重 に
14
海へ放したといいます。
②摂津国八部郡のイカナゴ漁
『兵庫県漁業慣行録』の摂津国八部郡の項には、イカナゴ漁に関する記述がかなり豊富
に書かれています。現代の漁とぜひくらべてもらいたいので、これから少し抜き出してみ
ましょう(以下カタカナをひらがなに変えるなど一部読みやすい文章に変えています)。な
もと
お、イカナゴに関する記述はもっぱら西須磨村での調査に基づいて書かれています。
まず、イカナゴの漁期については、「玉筋魚は寒前より生産するものなれども三月に入ら
ざれば一切これを許さず。ただし、その期は大低(抵)浦役など重立たる者時機を見計ら
い指揮するものとす」とあり。3 月以前の禁漁が厳格に定められていたことがわかります。
うら
おも
み はか
漁の開始時期は、浦(村)の役人のような重だったものがその年その年のタイミングを見計
らって決定されるというならわしでした。
イカナゴの生態と収穫時期との関係についても次のような記述があります。
孚化の後およそ一寸四五歩に成長せし時を最も多獲の季とす。佳味なるは八十八夜前
後なり。二年目にはおよそ三寸となる。これを「古セ」と言ふ。しかして大抵二年に
して死亡するものとす。この魚は魚類中最も産額の多きものにして此類なしと言ふ。
つまり、ふ化してからだいたい 42∼45mm に成長した頃がもっともよく漁獲される成長段
りっしゅん
階であり、味のおいしい時期は立 春 から 88 日目(現在の暦で 5 月 2 日頃)がベストである
といいます。イカナゴは二年目にはだいたい 8cm ほどに成長し、このころには「フルセ」
と呼び、二年で死ぬとあります。イカナゴは西須磨村ではもっとも生産額が多く、ほかの
魚でこれにおよぶものはなかったそうです。また別の箇所には、
「玉筋魚は四、五月頃天気
す
晴朗にして潮水澄みたる時を佳とす」ともあり、とくに天気がよくて海水のよく澄んだ状
態の時がイカナゴの成長ぶりともあいまって漁の好機だと考えられていました。なお、今
ちょうこう
かもめ
でも同じでしょうが、イカナゴの群来の兆 候 として、「波上に 鷗 の飛散するを認めてこれ
を知るべし」という報告がされています。
イカナゴの漁場は、当然ながら村によって異なっていました。駒ヶ林村では村の沿岸と
ありますが、東須磨村の漁場は、村の沿岸よりおよそ 1 丁(約 108m)以内にあると書かれ
す
ひろ
ています。沿岸に接するところは「巣」とよばれており、深さが 6尋(約 10.8m)で海底は
砂地となっており、4∼5 月頃にイカナゴが群来するとあります。西須磨村では、一ノ谷の
ひつじ
さる
せ
「 未 、申」の方角(南西方向)1 里(約 4 ㎞)内外の沖合にある「瀬」がイカナゴの漁場
とされていました。特に「沖ノ瀬」という所は陸地から 4 里(約 16 ㎞)も離れた場所にあ
り、深さも 30 尋(約 54m)にもなりますが、水底が砂地となっており、やはり 4∼5 月頃に
イカナゴが群来したそうです。
《一口メモ
筋山地山》
GPS(人工衛星などからの電波で自らの位置を確認するシステム)やレーダーなどが
なかった時代、漁師が海上の現在地を知る際には、
「アテ」と呼ばれる方法が取られま
15
した。このアテという方法は日本列島の沿海域一帯で行われていましたが、地域によ
や た べ ぐん
すじやまじやま
って呼び名が違います。摂津国八部郡あたりではアテのことを「筋山地山」と呼んで
いました。
『兵庫県漁業慣行録』によれば、漁師がここという漁場を定めると、まず近
い
くにある山を一つ見定めます。これが「地山」です。その地山といま居る海上のポイ
ントとを直線でつなぎ、その延長上に見える遠くの山をもう一つ定めておきます。次
に地山の左右にある適当な山をもう一つ目標に見定めます。これが「筋山」で、やは
り現在地とこの筋山の方向の延長線上にある遠くの山を見定めて、やはり直線を目測
で想定しておきます。現在地は地山方向に見定められた直線と筋山方向に定められた
直線とが交差する場所にあることになり、その地山筋山の交点を記憶することにより、
次回以降の漁場再訪に役立てるわけです。
③『兵庫県漁具図解』
ひょうごけん
明治時代のもう一つの貴重な史料は、明治 30 年(1887)頃の状況が記録された『兵庫県
ぎ ょぐず かい
漁具図解』(関西学院大学図書館所蔵)という書物です。これは、やはり兵庫県下における
海と淡水の漁業について、当時行われていたさまざま
な漁法ごとに、網名・捕獲魚類・漁期・網と船の新調
費・使用場・使用法・漁獲分配法などが詳細に調査さ
れ記録されたものです。とりわけこの書物の貴重なの
は、説明文のあとにたいへん鮮やかに漁網図と漁の様
子が描かれていることです。
この『兵庫県漁具図解』において、イカナゴ漁は、
摂津国駒ヶ林村の「ヤダラ網」(イカナゴだけでなく
いわし
ドロメンも漁獲した)、和田岬町の「 鰮 沖曳網」(イ
カナゴ・サッパ・トロメン・タチウオなどが対象)
、
えとこたもあみ
「兵庫県漁具図解」より
餌床攩網使用図
塩屋村の「イカナゴ地曳網」
「餌床攩網」、林村の「玉
筋魚四艘張網」
、淡路・阿那賀村の「玉筋魚地曳網」
、志筑町の「ゲジ網」(イカナゴ・コイ
ワシ・イワシ・アジなどが対象)、富島村の「玉筋魚刺網」が挙げられています。イカナゴ
を専門とする漁法とイワシなどとともにイカナゴも漁獲される漁法とに大別できそうです
が、やはり注目は塩屋村の漁法として取り上げられている地曳網と餌床攩網ではないでし
ょうか。今日では、イカナゴが地曳網で捕獲されていたことを知る人はほとんどいなくな
ったと思いますが、塩屋村や東西垂水村では、かなり古くから地曳網が使用されていたも
のと想像されます(後述)
。
また『兵庫県漁具図解』において興味深いのは、イカナゴが他の魚を漁獲する際に餌と
して使用されていたことが明記されていることです。たとえば、明石新浜のアナゴ延縄、
ノソ(ホシザメ)延縄、グチ・カマス釣、鯄(メバル)釣、鰤(ブリ)釣、鯵(アジ)・鯖
(サバ)釣などが挙げられます。
明治も終わりころになると、日本でも動力付漁船が用いられるようになり、政策的にも
16
遠洋漁業が奨励されたために、沿岸漁業者が減少する傾向がみられましたが、イカナゴ漁
は漁法を変えながらも今日なお神戸市の沿岸部における重要な漁業として定着しています。
(3)失われた漁法
①四艘張網
『兵庫県漁業慣行録』には摂津国八部郡西須磨村や播磨国明石郡の村々で行われていた
し そ う はりあみ
四艘張網の方法が詳しく記されています。それによれば、四艘張網漁は、春の晴天無風の
こ しお
おおしお
日を選ばれ、小潮の時は朝から夕方まで、大潮の時は朝から日中(昼間)まで行われたよ
しゅつりょう
うですが、どちらかといえば小潮のほうが漁には良かったようです。 出 漁 にあたっては、
まあみぶね
さかあみぶね
かしらふね
しもぶね
「真網船」
「逆網船」
「頭 船 」
「下船」の四艘を使用するため四艘張網と呼びました。漁の方
法については、次のように記されています(現代語訳)
。
網船は潮流の上流側で網の一方を下船に、その他の一方を頭船に渡したあと、袋網を
おろ
しべあみ
海中へ卸し、続いて蕋網を重ね掛けて卸し、そうして真網船・逆網船共に船を横に漕
いでその網を拡げてゆき、下船は「ヤ縄(網に付けた手縄のこと)」をしっかりと持っ
て、網がようやく下がったのを確認してこれを延
べる。船長は網が完全に拡がり終ったことを考慮
して、それを海底に沈着させるために、乗組員全
員を少し休憩させる。しばらくして下船は「ヤ縄」
を少し延べて、さらにもう一回潮の下流側を少し
だけ漕ぐ。そうして網が魚の群の居る場所に到達
したことを察して、完全に「ヤ縄」を延べて船を
横に向はせ、遂に合図をして四艘一斉に「ヤ縄」
を繰り上げ、そうして次第に四艘が集合してゆき、
あたかも四角形のようになる。こうして網を上げ
ふくろあみ
「兵庫県漁具図解」より
玉筋魚四艘張網使用図
ぜにぐち
終われば、袋 網 (銭口という)を繰り上げる。その網は網船に収納し、捕獲したイカ
ナゴは逆網船へ取り入れる。この段階で各船は分れて、また前の順序にしたがって一
日に何度も漁をおこなう。
文章だけではなかなかわかりにくいでしょうが、最後の四角形の場面は、前にふれた『日
本山海名物図絵』に掲載されている絵のような状態でしょう。より正確には、『兵庫県漁具
図解』に掲載された図が参考になります。
四艘張網で使用される網については、
『兵庫県漁具図解』のほうに詳しい記述があります。
わらあみ
それによれば、網地は、藁網(『兵庫県漁業慣行録』の「蕋網」と同じもの)が用いられ、
幅が 30 尋(約 54m)で網目 8 寸(約 24 ㎝)から段々と網目を小さくしてゆき、イカナゴを
収穫する袋網との接点部分あたりでは、幅は 4 尋(約 7.2m)で網目は 1 寸(約 3 ㎝)にま
か
や
じ
で縮め、これを 4 枚貼り合わせて、蚊帳地で作った袋網と繋げて使用しました。
17
これらを総合すれば、イカナゴは、まさに産卵のため砂上に群集していたところへこの
おお
網が上から覆いかぶさってくるので驚きますが、網目が 8 寸もあるため通り抜けたりなど
していったんは浮き上がって散ります。しかし、しばらくするとイカナゴも落ち着きを取
り戻し、網を砂とまちがってかえって網の上に集まっ
てくるといいます。イカナゴが網の上にすっかり集ま
ったかなという頃合いをみはからって、4 艘の船の乗
組員は一斉に曳き綱を引っ張って網を一気に引き上
げます。その勢いに負けて、イカナゴはどんどん網目
の細かい中央部に集約されてゆき、最後は逃げること
のできない袋網に収まって、船に引き上げられるとい
うわけです。この一連の作業を一日に何度も繰り返し
て多くの漁獲をあげたのでした。
「兵庫県漁具図解」より
玉筋魚四艘張網構造図
②地曳網
すでに述べたように播磨国明石郡の村々には、イカナゴの漁法として地曳網を用いてい
たところがありました。
『兵庫県漁業慣行録』によれば、明治 20 年(1887)段階のデータ
じょう
として、東から、塩屋村には 4 畳 (網の単位、帖とも)、東垂水村には 6 畳、西垂水村も 6
おおくらだに
畳、山田村(以上神戸市垂水区)には 7 畳、大蔵谷村(現明石市)には 5 畳、明石の相生
町に 1 畳の地曳網があったそうです。同様の傾向は、海峡を挟んだ対岸の淡路島でもみら
れ、津名郡でもイカナゴの地曳網漁が盛んでした。
さて、地曳網の方法ですが、漁期は 3∼4 月で、漁船は 1 艘だけ使用します。イワシの地
曳網漁では「魚見船」という魚群を探すための船が随行したようですが、イカナゴの場合
はそれがなく、漁師の推測でもって各所に網を投じたそうです。イカナゴは水底の砂地に
生息するので、漁は昼間におこなわれました。
漁場は、イカナゴ以外の諸魚とともに、村落間で厳格な取り決め(漁権)がなされてい
ました。たとえば、明治 7 年(1874)に西垂水村と山田村との間で取り交わされた取り決
さいごく かいどう
めによれば、沿岸部を通る西国街道に打たれた両村の村境杭を基準に、そこからまっすぐ
海岸へ向けて境界ラインが設定され、その境目から両村側へ 30 間(約 54m)ずつ、合計 60
いりあい
間の地帯が両村の入会(共同利用)で地曳網漁をおこ
なう区域とし、今後は境界をめぐる争いを禁じるもの
となっています。こうした境界をはさんで 60 間の入会
地帯を設ける取り決めは、塩屋村と東垂水村との間で
も明治 10 年に成立しており、その取り決め証文ではそ
の理由として、潮の流れによって地曳網が他村の領域
を侵害する可能性があるので、争論の発生を防ぐため
境界をはさんで入会地帯を設けることがうたわれてい
「兵庫県漁具図解」より
イカナゴ地曳網構造図
ます。
地曳網の様子は、
『兵庫県漁具図解』が塩屋村での事例を詳しく記しています。用いる網
18
ひき づな
は、袖網と袋網とからなり、袖網は、曳綱に近い部分(陸に近い部分)の網目を初め 4 寸
目(約 12 ㎝)程度とし、すこしずつ縮めていって、袋網との接点あたりでは 2 寸目(約 6
㎝)に仕上げていました。袖網の幅は 6 尋(約 10.8m)で、袋網部分だけ 8 尋としていたそ
う
き
うです。帯状になった網の片方には杉材を加工した浮子(厚さ 8 分、長さ 6 寸)が合計 330
ゆ
お もり
個結わえ付けられ、もう一方には沈子(直径 1 寸、長さ 2 寸 5 分)が 350 個付けられてい
ました。魚を集める袋網は、まず 36 反の木綿を縫い合わせ、およそ 4 丈(約 12m)の長さ
の筒状のものに、モヂ織(麻で織られた目の粗い布、蚊帳状のもの)8 反を縫い合わせて長
うおとり
さ 1 丈 3 尺(約 3.8m)に仕立てた「魚捕」を付けていました。
あとは、地曳網一般とほぼ同じ作業で、船に 6 人が乗り込み、潮の上流側から順次網を
おろしてゆき、円形に張り巡らしたあと、陸へ引き寄せることになります。
この漁に関わる人は、曳き手などかなり多かったはずですが、全漁獲高の 5 分の 1 が船
あみもと
および網の所有者(網元)の取り分とし、残りの 5 分の 4 を漁に関わった全員で平等に配
分されていました。
19
6.漁業
(1)神戸市の漁業
神戸市の水産業は、神戸市沿岸を中心にして西は明石市との境までの沿岸部と、東は
大阪湾一帯の広い海域で行われ、大阪湾でも指折りの漁業地帯になっています。
①神戸市沿岸の漁船漁業
A 釣り漁業
漁
法
1 本釣り
はえ縄
曳縄
内
容
船のヘリから、先に針の付いた 1 本の釣糸を
獲れる魚
スズキ、メバル、ベラ等
海中に垂れて釣る漁法
たくさんの針の付いた長い縄を海底付近には
アナゴ(夏∼秋)カレイ
わせて魚を釣る漁法
(1∼3 月)、カサゴ(春)
船の両側に竿を張り出し、竿の先から擬餌針
ハマチ、サワラ(8∼11
の付いた長い縄を伸ばして、船を高速で走ら
月)
せて魚を誘い釣る漁法
B 網漁業
漁
法
船曳網
内
容
獲れる魚
稚魚が海面近くを群れて泳ぐ習性を利用し
イカナゴ(2∼4 月)
て、2 隻の船で魚の群れをはさんで網を引っ張
チリメン(7∼11 月)
り、魚を網の中に集めて獲る漁法
底曳網
1 隻の船で海底に沈めた網を引張って魚を獲
カレイ、ヒラメ、アイナ
る漁法
メ、エビ、カニ、タコ等
(周年)
刺網
海底に幅 1.5∼2m、長さ 500∼1,000m 位の網を
カレイ、ヒラメ、アイナ
建て、魚がひっかかるのを待って獲る漁法。
メ、カサゴ、スズキ等
C せん漁業(魚の習性を利用して誘い込んで捕らえる漁)
漁
法
モンドリ
タコ壷
内
容
獲れる魚
一旦入ると出られなくなる仕掛けをしたカゴ
アイナメ、カサゴ、ナマ
にえさを入れ、海底に設置して魚を獲る漁法
コ、タコ、イカ
タコの隠れ場所となるような形の壷をたくさ
マダコ(周年)
んくくりつけた縄を海底に設置し、自分のす
みかと間違えて入ってくるタコを獲る漁法
20
②潜水器漁業
潜水器具をつけて、海底に潜って魚や貝等を捕獲す
る漁法で、主にナマコ、アワビ、サザエが漁獲される。
③養殖漁業
神戸での養殖漁業といえば、「ノリ養殖」です。ノ
リの種の付いた網を海中に設置し、成長したものから
収穫します。10 月頃から採苗(種付)が始まり、10
ノリ網干出
月中旬頃から育苗(稲なら、苗代)を行います。11
月中旬以降に本張り(稲なら、田植え)を行い、12
∼4 月に順次収穫します。収穫されたノリは板のりに
加工され、乾のりとして出荷されます。
兵庫県のノリ生産量は全国でもトップクラスです。
神戸市でも年間約 1 億枚の乾のりが生産されていま
す。地域団体商標登録された「須磨海苔」のブランド
名で有名です。
ノリ網
④栽培漁業
神戸市立栽培漁業センターは垂水区にあり、1989 年に開設されました。この施設は、
大阪湾に生息している有用魚介類 (マダイ、ヒラメ、オニオコゼなど)を放流すること
によって、漁業資源が増大し、漁業が盛んになるようにする役目を持っています。
天然の魚介類は卵やふ化直後の仔魚のときに食べられたり、エサが不足したりするこ
とで大きくなるまでに減ってしまうことが多く、成魚になるのは僅かです。栽培漁業セ
ンターでは、親から卵を採り、ふ化させ、エサをあたえて一定の大きさまで稚魚を育て
てから海に放流する栽培漁業に取り組んでいます。このように他の魚に食べられないよ
うな大きさまで育ててから放流した魚の数は、平
成 21 年度で、
ヒラメ 15.7 万尾、
マダイ 3.3 万尾、
オニオコゼ 21.7 万尾、クルマエビ 9.5 万尾、メ
バル 2.2 万尾などです。
このように「獲る漁業」から「育てる漁業」
へと変えていくことで、限りある海からの資
源を守りながら、新鮮な魚を安定して市場へ
ヒラメの仔魚 ふ化後 40 日目
出すことができます。
(2)神戸市等におけるイカナゴの漁獲量
平成 20 年 3 月には神戸市垂水区沖の明石海峡で船舶 3 隻が係わる衝突事故が発生し、
内1隻が沈没しました。それに伴い大量の燃料油が流出し、当時最盛期であったノリ養
21
殖、イカナゴ漁が大打撃を受けました。
神戸市内には、神戸市漁業協同組合と兵庫漁業協同組合という2つの漁業協同組合が
あります。
この 2 つの漁業協同組合を合わせた神戸市における平成 21 年の漁獲高は 3,494 トンで、
その内訳は、1,561 トンのイワシを筆頭に、スズキ 187 トン、タチウオ 177 トン、アジ
156 トン、タコ 150 トン、タイ 123 トンなどでした。また、イカナゴは 56 トンでした。
全国、兵庫県及び神戸市のイカナゴの漁獲量と神戸市中央卸売市場のイカナゴの流通
量の推移は次のとおりです。
全国、兵庫県及び神戸市のイカナゴの漁獲量
(単位:t)
年 次
平成 17 年
平成 18 年
平成 19 年
平成 20 年
平成 21 年
全 国
67,591
100,925
46,921
62,116
―
兵庫県
16,197
22,906
9,967
13,184
―
神戸市
650
5,397
268
402
56
全国・兵庫県のデータは「兵庫県水産業の動き」(兵庫農林統計協会発行)による。
神戸市のデータは「神戸市産業振興局の調べ」による。
神戸市中央卸売市場のイカナゴ(生鮮)の流通量
(単位:t)
年 次
平成 17 年
平成 18 年
平成 19 年
平成 20 年
平成 21 年
本場
475
544
381
326
125
東部市場
233
336
217
194
51
計
708
880
598
520
176
神戸市中央卸売市場年報による。
22
(3)イカナゴ漁
全国的にはイカナゴは船曳網、沖合底曳網、敷網等で漁獲されますが、地域や魚体の
大きさによって漁法が異なります。
瀬戸内海と伊勢湾では大半が船曳網によって漁獲されます。漁期は稚魚・幼魚が 3∼4
月、成魚は 2∼4 月です。
北海道では、幼魚∼成魚が 6∼9 月に沖合底曳網で、稚魚は 4 月に敷網等で漁獲されま
す。仙台湾∼茨城県沖の漁場では稚魚は 2∼5 月に船曳網や敷網で、成魚は 2∼6 月に船
すくいあみ
曳網や抄 網 で漁獲されます。
①船曳網漁業
瀬戸内海東部では 2 月末∼4 月頃にイカナゴの
シンコ、5∼11 月頃はチリメン(カタクチイワシ
の稚仔魚)を対象に操業が行われます。操業は 1
あみ ぶね
チーム 3 隻で行われ、内 2 隻が網を曳く網船で、
て ぶね
もう 1 隻は運搬などをする手船です。手船は速度
が速く、漁場探しの役目もしています。
漁場に着くと網船は網を入れ、潮の流れに向か
って 2 隻で曳網を開始します。イカナゴが十分入
船曳網漁
った頃を見計らって魚取り部を手船に引き上げ
ます。イカナゴは鮮度が命です。手船にあがった
イカナゴはすぐに魚槽に入れ氷で冷やし、大至急
港に運ばれます。このため、手船は網船と違って
高速で走る船が用いられています。シンコ漁の操
業はおおむね早朝からお昼ごろまで行われます。
手船に網を引き上げている
《一口メモ
瀬戸内海機船船曳網漁業》
漁船法では瀬戸内海機船船曳網漁業に使用する船舶(網船)の総トン数の最高
限度は 9.99t、エンジンの最高限度馬力は
110kW(35 馬力)とされています。また、海
上交通の安全を図るため「海上衝突予防法」
により、船の右舷側に緑灯、左舷側に赤灯を
装置することが決められています。これに準
じて、
左右に分かれて網を曳く 2 隻の網船は、
進行方向に向かって、左側の船は赤色の旗、
右側の船は緑色の旗を揚げています。緑の
「み」は右の「み」と覚えると間違わないで
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操業中の網船
しょう。
 旗を揚げている理由
船曳網漁をしている船に向かってくる他の船は、進行方向に緑色の旗の船がい
る場合、舵を左に切って避け、進行方向に赤色の旗の船がいる場合、舵を右に切
って避けます。こういうルールを設けることにより網の中に他の船が入らないよ
うにして、漁の安全を守っています。
②火光利用敷網
仙台湾周辺では 2∼5 月頃に、コウナゴを対象に操業さ
れます。操業は夜間です。日没頃に漁場に着くと、船の
舷から出た 2 本の支持棒の間から海面に向けて集魚灯を
点灯します。コウナゴが光に寄ってきた頃を見計らって、
舷から網を入れ、魚群の下をとおして、支持棒の先から
網を手繰り寄せます。魚取り部の魚はフィッシュポンプ
火光利用敷網
を使って吸い上げ、水切りをしながら魚槽に入れます。
③沖合底曳網
北海道では、底に接した網を船で引き、底にいる魚を漁
獲します。
沖合底曳網漁
④伝統漁法
A
イカナゴ込瀬網
込瀬網(袋待網)は昭和 30 年代中頃までは、瀬戸内
海東部で盛んに行われていましたが、以後減少し、兵庫
県では昭和 40 年代後半には行われなくなりました。現
在では瀬戸内海の備讃瀬戸海域で操業されているのみ
です。
この漁は、海流と平行になるように張った大きな網
イカナゴ込瀬網
に、潮の流れに乗って泳いでいるイカナゴが入るのを待ち受けて獲る漁法です。通常、
潮が動き始めてから緩むまでの約 5 時間操業し、潮が止まっている間に漁具を揚げま
す。したがって、海峡や瀬戸と呼ばれる潮の流れの速いところが好漁場となります。
B
コウナゴ抄い漁(餌床すくい)
海鳥に追われて海面に浮き上がったイカナゴの群れを、投石をしたり、鵜竿(7∼8
mの竹竿の先に鵜の羽根を付けたもの)を使って魚群が散らないようにして直径 2mほ
どの大きなタモ網ですくい獲る伝統的な漁法です。
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C
イカナゴを利用した漁法
アビ漁
広島県豊浜町に 300 年前から伝わる伝統漁法。アビはアビ目アビ科の海鳥で、夏は
シベリア方面ですごし、冬に瀬戸内海に渡ってきます。アビ漁は人間と鳥とが一体と
なって織りなす世界にも類を見ない漁法と言われています。アビの群れに、囲うよう
に追われたイカナゴが水中に乱舞すると、それを狙ってマダイやスズキが集まってき
ます。集まってきた食いの立った魚を一本釣りで釣り上げるというものです。この伝
統漁法は 1988 年を最後に中断しています。
(4)イカナゴ資源を守る取り組み
瀬戸内海東部∼大阪湾におけるイカナゴは、大きな回遊は無く比較的限られた海域に
生息し、漁獲されています。
大阪湾では、毎年安定してイカナゴ漁ができるようイカナゴの資源管理に取り組んで
います。このため、大阪湾に面した大阪府、兵庫県摂津海域、兵庫県淡路島の大阪湾に
..........
面した漁業協同組合で大阪湾漁業調整協議会を設立し、毎年の網おろし日(操業を開始
する日)の決定、操業時間などの協議を行い船曳網操業を行っています。
具体的には兵庫県、大阪府の両水産技術センターが実施するイカナゴ稚仔魚の調査(稚
仔の数量・体長組成)、また、兵庫県水産技術センターが実施する親魚の調査(親魚の
量・年齢・産卵量)等を基に協議し、まず試験操業の日程を協議します。次に試験操業
の結果を基に、イカナゴ体長を検討し、操業開始に適した体長に成長する日を推定し、
その年の網おろし日を決定します。ちなみに、2009年(平成21年)の解禁日は2月28日、
また、2010年(平成22年)の解禁日は2月27日でした。
操業開始以降は、日々の網おろし時間、網揚げ時間、天候による操業中止等の調整を
その都度行い、資源の有効利用に努めています。また、海上保安部とも密接に連絡を取
り、明石海峡など船舶が常に行き交う海域での操業の安全を守っています。
操業終了については、各漁業協同組合に一任されていますが、大阪湾での漁獲は成長
と共に減少します。一部フルセ漁の継続についても、その年の資源量を鑑み、検討され
ています。
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〈参考文献〉
『新修神戸市史』歴史編Ⅲ近世(神戸市、平成 4 年)
『新修神戸市史』産業経済編Ⅰ第一次産業(神戸市、平成 2 年)
『兵庫県漁業慣行録』鹹水之部(兵庫県水産試験場、昭和 11 年)
『わが国の水産業「いかなご」』
(社団法人日本水産資源保護協会)
テキスト作成協力団体
神戸大学大学院人文学研究科地域連携センター
兵庫県立農林水産技術総合センター 水産技術センター
取材及び広報の協力団体(順不同)
駒ヶ林まちづくり協議会
丸五市場事業協同組合
須磨駅周辺地区まちづくり協議会
垂水中央商店街市場連合会
かがやき
NPO法人 輝 たかまる
垂水区連合婦人会
垂水商店街振興組合
神戸商工会議所垂水支部
社団法人 神戸市中央卸売市場運営協議会
兵庫県神戸農林水産振興事務所
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