21 草木染めの実際と教材化 科学教育センター 任田康夫 要約 人間は科学が発達していない古代から主に植物から染料を取り出し利用して きました。本研修では、タマネギ、紅茶、スオウなどの身近な、あるいは昔から使われ ている天然染料を用いて、布や紙を実際に染め、それが顔料を作る化学反応であること を、実験を通して理解していただきます。また、草木染の媒染の原理を応用して、植物 染料をつけた濾紙や障子紙が、ペーハー試験紙として、また、鉄(Ⅲ)、アルミ(Ⅲ)、 銅(Ⅱ)イオンなどの検出試験紙として学校教育の現場で用いることが出来ることを示 します。これらの研修により参加教員は中学・高校でイオンの説明を分かりやすく説明 することができると考えられます。さらに、輪ゴム絞りや積み木による板締めの技法に より紙や布に美しい模様をつける方法についても研修します。 目次 §1 草木染めの歴史と有機化学の発展の経緯 §2 金属イオンを媒染剤として用いた草木染の化学的説明 §3 環境にやさしく安全で安上がりな「草木染め」の一般的な実施方法 §4 木綿布や障子紙に「板絞め」や「輪ゴム絞り」で染め模様つける方法 -より魅力的な教材を目指して- §5 草木染めの科学的考察 「草木染め」を応用した金属イオン検出試験紙としての応用など §6「草木染め」に使われる天然色素の化学構造 §7 貝殻虫から得られる赤色染料 §8 ブルーブラックインクの作り方と性質: 1 染料とインクの違い §1 草木染めの歴史と有機化学の発展の経緯 四大古代文明の遺跡から、当時の人々は色鮮やかに染められた美しい衣服をまとって いたことが分かっています。衣服の繊維を染色したいという人間の要求はかなり切実で、 染色技術は早くから発達していました。 すでに紀元前千年以上前の古代エジプト、ペルシャ、インドにおいて、近代まで使わ れた優秀な三種の染料色素が知られていました。色素の優秀性は、次の三つの観点から 評価されます。第一に色が鮮明であること、第二に太陽光によって色あせることが少な いこと、第三に洗濯により色落ちしにくいこと、です。 そのような染料の一つが貝紫(帝王紫、ロイヤルパープルとも呼ばれる)です。ギリ シャ・ローマ時代では、フェニキア特産のシリアツブリガイのわずかの分泌物により染 められたたいへん貴重で高価な染料でした。一方、日本では、この染料による染物が吉 野ヶ里遺跡から発見されています。また、現代でも、伊勢の海女がイボニシ(現在では、 船底塗料の塩化トリブチル錫の汚染ため絶滅に瀕している貝として有名)を使って、手 ぬぐいに魔除けの簡単な模様などをこの染料で染めています。古代ローマ皇帝のマント と現代の日本の海女の魔除けの模様が同じ化学成分で染められているのは、面白い事実 です。 第二の古代から知られている染料はインジゴです。ギリシャ・ローマ時代ではインド の特産品として知られた貴重な染料でした。インジゴを作る植物は多数ありますが、人 間が染料に使えるほど高濃度に生産できる植物は、マメ科のインド藍と東南アジア原産 の蓼藍だけです。日本や中国では、蓼藍による藍染をおこなってきました。 貝紫の色素分子とインジゴのそれとは大変よく似た構造を持っていることが近代に なり明らかにされました。その構造式を下に示します。 貝紫の色素 藍の色素 第三の古代染料が西洋茜の根から得られるアリザリンです。アリザリンは、多くの草 木染の染色と同様、ミョウバンと石灰を染色助剤(これを媒染剤といいます)として使 うことにより鮮やかな赤色が得られるものです。黄色に染める染料植物は多数あります が、赤色に染める染料は少なく、貴重で、主に茜科の植物の根から得られてきました。 アリザリンはアラビア人によって“その汁(al asarah)”と呼ばれていました。これは、 2 アラビア人にとっても重要な染料であった一つの証拠です。18 世紀のドイツの化学者 によりその染料成分が単離され名前を付ける必要があったとき、アカネの煮汁のアラビ ア語から転用して ”alizarin” と命名しました。 近代になり有機物、尿素が人工合成できることが分かると(1828 年)すぐに、西洋 茜の天然色素(アリザリン)の構造解析と人工合成が成功し(1868 年) 、1870 年代に は早くも合成アリザリンが植物染料を駆逐するようになりました。 染料としてのアリザリンは、他の植物染料に比べ、耐光性や洗濯に対する抵抗力が優 れていたため、工業的合成がなされました。しかし、そのアリザリンも 1958 年、DuPont 社が開発した、より耐光性の良い人工赤色顔料キナクリドンによりほとんどその地位を 譲らざるを得なくなりました。染料として、アリザリンは媒染という操作が必要ですが、 キナクリドンはこの操作の必要性はありません。 西洋茜の色素主成分 人工赤色顔料 アラビアから西洋にかけての赤色染料は西洋茜の根から採られていました。一方、日 本やインドではそれぞれ日本茜、インド茜という異なる種の植物の根から、アリザリン と良く似たアントラキノン系の色素成分、それぞれパープリン(Purpurin)、ムンジス チン(Munjistin)を主成分とした色素が使われてきました。同じ茜科の植物が作る色 素ですので、構造に類似性があります。 日本茜の主成分 インド茜の主成分 プロヴァンスの茜の主成分 青色の染色材料は、化学成分としてインジゴと呼ばれる有機顔料が優秀で、これに代 わるものは近代染料工業が発達するまではありませんでした。インジゴを効率的に生産 3 する植物としては、インド藍(インド原産)とタデ藍(東南アジア原産)が二大横綱で、 いずれも温暖な地域でしか栽培できないものでした。インジゴは、寒冷地でも栽培でき る大青(ウォード)からも得られますが、世界交易が可能になると、染料植物の地位を 保てなくなりました。インジゴの人工合成は 20 世紀初頭に成功し、その後も製造方法 が改良され続け、現在ではインド藍の栽培から得るよりも石油からインジゴを合成する のが 3000 倍も効率的となっています。インジゴを使った染色法は「建て染め」と呼ば れ、媒染剤を使った草木染めの方法とは化学的に全く異なります。 現在使われているほとんどすべての染料は、化学構造が合理的にデザインされた非天 然化合物ですが、これらの化学は天然染料のアリザリンとインジゴの人工合成をその源 として発達したものです。染料にしても医薬にしても、人工合成したものが幅をきかせ ている時代となりましたが、医薬などでは、いまだに天然成分をそのまま利用している ものや、それらを出発物質にして合成されているものが多いです。染色の教材としても 身近な天然色素を使って、アリザリンと同様に媒染剤で染める草木染は、教育的な意義 は大きいと考えられます。 §2 金属イオンを媒染剤として用いた草木染の化学的説明 ほとんどの草木染の色素成分は、分子量が 200 以上の有機物で、比較的水に溶けに くく、ポリフェノールという特徴をもっています。フェノールとはベンゼン環の C-H 結合が C-OH 結合に置き換わった化合物の総称で、ポリフェノールとは一分子中にフ ェノール性水酸基(-OH)を二つ以上持つ化合物のことです。特に染料分子は、フェノ ール性水酸基の隣のベンゼン環炭素にカルボニル基を持つ構造(A)、あるいは、隣接 したベンゼン環炭素に二つの水酸基を持つ構造(B:カテコール構造)が必要です。こ れらの構造を持つ化合物は、一分子中の二つの酸素原子が一つの金属イオンに二座配位 (キレート配位)できます。 草木染めでは染料ポリフェノール以外に、アルミニウム(Ⅲ)、鉄(Ⅲ) 、スズ(Ⅳ) 、 銅(Ⅱ)イオンなどを含んだ「媒染剤」を必要とします。そのほか、近代になり、クロ ム(Ⅲ)、スズ(Ⅳ)、およびチタン(Ⅳ)イオンを含んだ化合物もこの目的のために使 4 われるようになりました。具体的には表1に示すような化合物です。これらの化合物に 含まれる金属イオンの特徴は、水和物を作りやすく、水に溶かすと加水分解により酸性 を示すことです。これは、多価金属イオンの強いルイス酸性のためと理解できます。こ れらの金属イオンが染料のポリフェノール分子と反応し、不溶性で安定なキレート化合 物を作りやすい性質を持っています。一つの金属イオンに2~3個の染料分子が結合す る結果、元々、水に溶けにくい染料分子がさらに不溶性で細かい顔料(レーキ)となっ て繊維に吸着するため、洗濯にたいしても容易に色落ちしない染色となります。 表1 表 1 注 媒染剤に使われる金属化合物の例 化合物名 組成式 0.1M 水溶液の pH 硫酸銅(胆礬) CuSO4・5H2O 4.0 明礬 AlK(SO4)2・12H2O 3.3 塩化鉄(Ⅲ) FeCl3・6H2O 2.0 塩化スズ(Ⅳ) SnCl4・5H2O 1 塩化チタン(Ⅳ) TiCl4 すぐにTiO2に加水分解 塩化鉄(Ⅲ)水和物の鉄(Ⅲ)イオンは、正八面体型 6 配位構造をしていて trans[FeCl2(H2O)4]Cl・2H2O という構造です。また、塩化スズ水和物のスズ(Ⅳ)イオン も正八面体型 6 配位構造で cis[SnCl4(H2O)2]・3H2O という構造です。 また、染料分子はこのような金属イオンとキレート化合物を作ることにより、より色 濃くなり、さらに色合いも変化します。(一般に吸収極大波長が長波長側にシフトしま す。)この吸収波長の変化は、有色金属イオンである鉄(Ⅲ)、銅(Ⅱ)、クロム(Ⅲ) イオンで顕著であり、無色のアルミニウム(Ⅲ) 、スズ(Ⅳ) 、チタン(Ⅳ)イオンでは、 色調の変化は少しですが、染料の元々の色合いを大きく深めることになります。さらに キレート化合物になることにより、空気酸化に対する耐性も向上します。通常の草木染 めでは扱いやすく、染料の元の色を保って強調させる、ミョウバンがよく使われていま す。 5 アリザリン分子が三価の金属イオンと反応して不溶性の顔料となる反応を上の式に 示します。アリザリン分子は、上記の A および B 両方の構造を持っていますが、この 場合、金属とのキレート配位は A 構造の部分で行われています。媒染剤を使う草木染 めにおける化学反応は、上記アリザリンと同じような化学反応で説明できます。 また、有色イオンである鉄イオンは、三価イオンの中でも A および B 構造のフェノ ール性化合物とキレート化合物を作りやすく、著しい色調変化と深色変化をもたらしま す。高校の教科書に出ている「フェノール類の塩化鉄(Ⅲ)による検出反応」は、この ような草木染めと同じ反応原理によって説明できます。 さらに、草木染めの技法を使うと、タマネギの煮汁を使って、鉄(Ⅲ)イオンだけで なく、アルミ(Ⅲ)イオンやその他の多価金属イオンの検出反応としても使用できます。 (§5参照) §3 (実験手順)安全で、環境にやさしく、安上がりなタマネギによる「草木染め」 草木染は、主に植物が生産するフラボノイド類やその類縁体のポリフェノール類をア ルミなどの金属陽イオンで安定化、不溶化し繊維上に不溶性顔料を形成させる化学反応 です。 太古から人類が喜びと必要性を感じて利用してきた「草木染め」を体験的に生徒、児 童に安全に安価に体験させることができます。草木染は通常、布を用いて行われますが この目的のためには、安価な市販の障子紙の一切れで十分です。 (25cm×22.5mで 5~ 6 百円。これで 12.5 ㎝×12.5 ㎝の白紙が 360 枚、6 ㎝×6 ㎝なら 1440 枚とることがで きます。 ) 染料としてタマネギの外皮は入手しやすく、かつ、染料成分であるケルセチン(フラ ボノイドの一種)を約 2%も含んでいるため、使いやすい染色材料です。また、鉄媒染 では濃い茶色に、アルミ媒染では美しい黄色に染めることができます。(写真4)媒染 剤の濃度も 0.01~0.1%と低い濃度で十分に染まりますので、環境に対する負荷も小さ いものです。 また、同じ方法で紅茶や日本茶、コーヒーなど身の回りの材料や、ヨモギやイタドリ などの野草でも渋い色に染めることができます。さらに、市販されているスオウ(赤) やログウッド(渋い紫)など草木染め用の染料も同様に染色することができます。とり あえず、安価なタマネギで草木染めの基本をマスターしましょう。 A. 準備する材料 ○ タマネギの外皮 60g(茶色の部分) 。 (木綿のハンカチ 20 g と数枚の障子紙を染 めるのに十分な量です。 ) 6 ○ 洗った木綿の布きれまたはハンカチ(約 40 cm ×40 cm、2 枚、一枚 20g)、お よび障子紙(12.5 ㎝×12.5 ㎝、3 枚)。細かい模様を付けようとするときは薄手の布が 適当です。厚い布は大きな模様を付けるようにすると美しく染め上がります。 ○ 焼ミョウバン水溶液(AlK(SO4)2 , 0.1%水溶液、1L)、 焼ミョウバン(ワコー純薬)1gを水1Lに加え、加熱して溶かします。ミョ ウバン(無水物)の式量 258.2 です。その1gは 3.83 mmol に相当します。従っ てミョウバン 0.1%水溶液はおおよそ 3.8 mmol/L の濃度です。ミョウバン媒染剤 としてはこの濃度で十分です。 (ミョウバン 12 水和物は水に溶けやすいですが、ア ルミイオン当たりの値段は焼ミョウバンの方が安くなるのでこれを加熱して溶か して使っています。 ) ○ 塩化鉄(III)(0.05%水溶液、1L) 、 塩化鉄(III)六水和物(ワコー純薬)0.5 g を水1Lに加え、加熱しないで溶 かします。数週間放置すると加水分解により水酸化鉄(III)の沈殿ができてきます ので、使用直前に溶かして使用します。塩化鉄(Ⅲ)6水和物の式量は 270.3 です ので、1g=3.70 mmol。その 0.05%水溶液は 1.85 mmol/L の鉄(Ⅲ)イオンを含む ことになります。鉄媒染剤としてこれで十分です。 (無水の塩化鉄(Ⅲ)は、激しい吸 湿性を持ち、吸水して固まったり、蓋をあけていると塩化水素ガスを発生させたり するので、扱いやすい 6 水和物を使います。この化合物も少し吸湿性で、その濃い 水溶液は銅板のエッチングに使われるほど酸化力が強いです。水溶液はステンレス の容器に入れない方が無難です。プラスチックかガラスの容器に入れて使ってくだ さい。) ○ 硫酸銅(II)(0.1%水溶液、少量)。(銅イオン(II)も酸化力がありますので、 プラスチックかガラスの容器に入れて使ってください。 ) B. 準備する器具 ○ ステンレスのボール(直径約 30cm、2 個)、○ 洗い桶(5L、3 個) 、 ○ ガスコンロあるいはガスバーナー、 ○ 割りばし、 新聞紙、 ○ こし布(ガーゼ地、約 30cm×30cm)、○ ○ スポイド ○ 板染め用板(割りばし、積み木、プラスチックの三角定規など) 4本、 試験管 ○ ○タオル、雑巾、軍手。○ 7 4本、 輪ゴム、 C. 手順 1. ステンレスのボールにタマネギの外皮 60gと水約1Lを加え、約 20 分間、 おだやかに沸騰させ色素を煮出します。熱いうちに、こし布を空のボールにひもで固定 し、こしわけます。煮出した液は採って置いて、タマネギの外皮だけをもう一度ボール に戻し、約 0.8Lの水で同様に煮出し、こし分けます。これをあわせて約 1.5Lの赤茶 色の染色液とし、50℃以下になるまで放冷します。 授業で事前に染色液を作り、数日以上あとで使う場合は、冷蔵庫で保管します。(2, 3 ヵ月は保存できます。 ) 2. 模様をつけないで布や紙全体を染めたい場合は、直ちに布(あるいは紙)を 染色液に1~2分浸します。その後、お箸で布(あるいは紙)を取り出し、水をいっぱ い張った洗面器に数秒ほど漬け、その後、布を取り上げ、軽く水切りします。 3. 媒染剤の入った容器に布(あるいは紙)を約2分浸します。このときの色の 変化をよく観察しましょう。別のきれいな水をいっぱい張った洗面器に数秒ほど漬け、 その後、布を取り上げ、再び水切りした後、乾燥させます。 さらに濃く染める時は、2.と3.の操作を繰り返します。 ☆注意! 鉄媒染剤が、ミョウバン媒染した布や紙に付くと、色が黒ずんでしまい ますので、付けないように気をつけましょう。 §4 木綿布や障子紙に「板締め」や「輪ゴム絞り」で染め模様つける方法: -より魅力的な教材を目指して- せっかく染色の用意をしたら、もう一手間かけて、染まらないところをつくり、模様 のある染色に挑戦してみましょう。簡単な模様を自分で付けるだけで、染め上がった後 の達成感が大きく向上します。その方法、「(4-1)輪ゴムしぼり」および「(4-2)板 締め」について説明します。(☆注意! このとき、手に油汚れが付いていると、染め ようとしている布や紙に付き、染むらができますので、ここで手をよく洗いましょう。 ) (4-1) 「輪ゴム絞り」の例 8 布の絞り模様の中心となる数か所に、柔らかい芯の鉛筆で×印を付けます。短い目 の一本の割りばしを印のところに当てて、布で割り ばしを軽く包み込みます。布の上から二重にした輪 ゴムを端から 5~7 cm の所から端の方に向けて、規 則正しく、強い目に巻いていきます。もし、端まで 輪ゴムを巻いても、まだ輪ゴムが残っている場合は 端付近で何重にも巻いて、輪ゴムの張力が下がらな いようにします。 (写真1)このようにして染めた布 が写真2です。本格的には、針と糸で防染します。 写真1 写真2 輪ゴムのかけ方の例 輪ゴム絞による模様(タマネギ染め、鉄媒染) (4-2)「板締」の例 ハンカチを屏風折りにたたんで、割りばしや積み木ではさんで、染まらない部分を作 ります。「屏風折り」とは、山折と谷折を交互に繰り返す折り方で、このようにすると 染色液が布全体にいきわたり易くなります。適当に折りたたんだ布あるいは紙の上下か ら同じ形の板きれや 棒で挟み、 写真3のよ うに割りばしと輪ゴ ムで固定します。 写真3 9 板締の例 自分の名前を布の端の方にボールペンで書き入れ、輪ゴムでしばって染まらないよう にしてください。用意したハンカチ2枚を水にしばらく浸しておきます。 輪ゴムや板により防染した場合は、以下の手順で染めていきます。 1.染める前に、防染したハンカチ(あるいは紙)をきれいな水の中に数分つけて おきます。 2. ボールに染色液を入れ、防染したハンカチ(あるいは紙)を取り出し、軽く 水をきり、染色液に入れます。約 5 分間、お箸で布を泳がせます。輪ゴム絞など細かい 模様を期待しているときは、布を手でよく揉み、染色液をよく染みわたらせます。時間 は永いほうが確実に染まります。 3. お箸で布を取り上げ、染色液を軽く水切りした後、水をいっぱい張った洗面 器に数秒ほど漬け、その後、布を取り上げ、再び水切りします。この操作により染むら ができにくくなると共に、余分な染料で媒染剤の金属イオンを浪費することを防ぎます。 (布に吸着した染料が媒染剤と反応して染色されますので、染まらなくなる心配はあり ません。この操作により、薄い媒染剤の濃度での染色が可能になります。) 4. 次に、塩化鉄(Ⅲ)水溶液の入った洗い桶に入れ、約 5 分間、浸します。絞り 模様や板締め模様が細かい時は、媒染液の中でもゴム手袋をして布をよく揉み、もう少 し永く漬けておきます。 5. ハンカチを取り出して軽く水洗いします。輪ゴムをはずしてハンカチを水中 で広げ、もう一度軽く水洗いして出来上がりです。この瞬間は、いつもワクワクします。 絞って乾かしましょう。 ☆ 板締めで鉄媒染とミョウバン媒染を連続して行う染め方(多色染め) 少し慣れてくると、上の段階(5)で折りたたんだ布を広げずに、防染していた板の 位置をずらしてもう一度布に固定し直します。そして、もう一度、染色液に漬け、水洗 いした後、ミョウバン媒染液に漬けます。このようにすると、一枚の布で、最初に鉄媒 染だけされた所(茶色) 、二度目のミョウバン媒染だけされた所(黄色) 、鉄媒染の後に ミョウバン媒染された所(黄土色)、および何も染色されなかった所(白)に染め分け ることができます。(写真4)また、蘇芳(スオウ)を染料として、ハンカチに鉄とアル 10 ミで連続して媒染した例を写真 5 に示します。同一の染料と媒染剤でこの方法を行いま すと濃淡模様ができます。 写真 4 たまねぎ、鉄→ミョウバン媒染 写真5 スオウ、鉄→ミョウバン媒染 また、障子紙(12.5 ㎝×12.5 ㎝)に板絞めで染色した例を写真6に示します。ペー パータオルよりも障子紙の方が、水に濡らしたときの破れにくさと染めやすさの点で勝 っていました。化学の実験に使う濾紙でも染色できますが、濃く染まりにくく、値段の 点でも障子紙の方が使いやすいです。 11 写真6 障子紙(12.5 ㎝×12.5 ㎝)に板絞めで染色した例 左二つおよび中下段はタマネギに鉄媒染したもの。中上段は藍建て染めをしたのち板 の向きを変えてタマネギにミョウバン媒染したもの。右列は藍建て染めの例。 §5 草木染めの科学的考察および解説 (1) 染色液と布や紙の上での染料、顔料の色と状態の違いについて タマネギやスオウなど、天然の染料を使って草木染めをした場合、最終的に布や紙に 染まった色と染色液に媒染剤の水溶液を加えたときの色の印象は大きく異なります。 写真7に、試験官に入れたタマネギの染色液(参照用)とそこに1%のミョウバン、 塩化鉄(Ⅲ)、および硫酸銅水溶液を加えたあとの変化の様子を示します。もともとの染 色液は赤褐色透明ですが、いずれの媒染剤を加えても沈殿が生じますが、塩化鉄(Ⅲ)を 加えた場合は、緑がかった黒い沈殿が生じるので、変化が分かりやすいです。染色液あ るいは鉄媒染剤が薄いときでも、溶液の色が顕著に変化するので、キレート化反応が起 こったことが簡単に確認できます。一方、ミョウバンや硫酸銅をタマネギ染色液に加え た場合、溶液の色の変化はそれほど明確ではなく、よく注意して観察すると、もやもや とした不溶性の浮遊物ができているのがわかります。タマネギ染色液あるいは媒染剤、 どちらかの試薬の濃度が薄いときは、不溶性の浮遊物の確認は困難です。 写真7 試験管にいれたタマネギ染色液と媒染剤を加えた染色液 一方、障子紙、濾紙および染色試験布に草木染めの要領で染色したものを写真8にま 12 とめて示します。紙や布の色は、明らかに媒染剤で処理したものと、媒染剤で処理しな かったタマネギ染色液のもので顕著な違いとなって現われています。また、鉄媒染の場 合、試験官中では溶液および沈澱の色は黒であったのに対して、紙や布の上で発色した 場合は茶褐色となり、大きく色調が異なります。 白紙 写真8 無媒染染色 明礬媒染 硫酸銅媒染 塩化鉄媒染 ケルセチン二水和物とタマネギ染色液で染めた障子紙、濾紙および染色試験布の 色の比較 上段は、ケルセチン二水和物の1%エタノール溶液で処理した紙および布を三種の媒染 剤で染色したサンプル。下段はタマネギ染色液で処理した紙および布を三種の媒染剤で染 色したサンプル。大きい正方形の紙が障子紙。小さい円が濾紙。染色試験布は、いずれも 左から、アセテートレーヨン(二酢酸セルロース)、木綿(セルロース)、ナイロン、絹、 ビスコースレーヨン(キサントゲン酸ナトリウム再生セルロース)、羊毛(ウール) 写真7と8の比較より、ミョウバンや硫酸銅、塩化鉄(Ⅲ)にキレート配位した染料は 不溶性の顔料になるのですが、水溶液中にコロイド状態で浮遊しているときの顔料の色 と紙や布のセルロース繊維に吸着したときの色では、色合いが大きく異なることを示し ています。また、塩化鉄(Ⅲ)で媒染した場合、結晶として顔料が析出した場合は緑がか った黒に、セルロース繊維上の吸着した場合は茶褐色に発色していることが認められま す。 また、濾紙は純粋のセルロースだけからで作られていますが、白い障子紙の場合、蛍 光剤も含んでいます。しかし、タマネギ染めの場合、濾紙でも障子紙でも目で見た色合 いはほとんど同じで、障子紙の方がわずかに濃く染まることが確認できます。 13 (2) 純粋なケルセチンとタマネギ染色液で染めたときの色合いの違い タマネギの外皮には乾燥重量あたり2~3%のケルセチンが含まれています。それが 全部、熱湯抽出されているとは考えられませんが、タマネギ染めの主な染料成分がケル セチンであることは、写真8の上段(純粋なケルセチンで染めたもの)と下段(タマネ ギ抽出染料で染めたもの)との比較から分かります。同時にこの写真から、タマネギ抽 出染料にはその他に赤色の染料成分も含まれていて、この赤色成分は絹、ウール、綿の 天然繊維に比較的染まり易く、レーヨン類やナイロンには染まりにくいことが分かりま す。つまり、タマネギの皮は天然物ですので、染料主成分のケルセチンだけではなく、 その他多数の染料成分も含んでいます。それで、純粋のケルセチンだけで染めたものと は色合いが大きき変わる場合があります。 (3) タマネギ、スオウの草木染めに対する繊維の染まりやすさ タマネギばかりでなく、スオウを草木染めした場合は、木綿よりも絹が断然濃く染ま ります。そこで、木綿の布に絹のように濃く染める方法として「豆汁(ごじる)下地」 という方法が知られています。これは豆乳の中に木綿の布に十分ほど入れた後、からり と乾燥させたものです。一度、乾燥させた布は腐ることなく保存することができます。 絹や豆汁(ごじる)下地の綿布が濃く染まるのは、染料のポリフェノール類がセルロー スよりタンパク質に吸着しやすいためであるとされています。 (4) 媒染剤の染料成分に対する親和力の違い 草木染めの多くは、鮮明な明るい色を発色させるミョウバンをよく使うこと、および ミョウバン媒染した布や紙に塩化鉄(Ⅲ)溶液が少しでも付くと、鉄媒染の濃く、濁った 色が発色してしまうため、注意を要することを先に述べました。逆に、鉄媒染した布に ミョウバン媒染液を付けてみても、染色された色はまったく変わりません。この現象を 科学的に考えてみると、アルミニウム(Ⅲ)イオンと鉄(Ⅲ)イオンに対する染料ポリフェ ノール類の親和力が大きく異なるためであると考えると良く説明できます。さらに、水 溶性スズ(Ⅳ)イオン化合物を鉄媒染した布に付けると、鉄(Ⅲ)イオンよりポリフェノ ール系染料に対して親和力の強いスズ(Ⅳ)イオンが不溶性のキレート化合物を作り、 この化合物は染料の色とあまりかわらない薄い色を示しますので、鉄媒染の色が抜けた ように見えます。これを「スズ抜染」といいます。銅(Ⅱ)イオンとアルミニウム(Ⅲ) イオンの親和力については、タマネギやスオウの染色試験紙からは明確な区別がつきま せんでした。まとめると、ポリフェノール類に対する金属イオンの親和力は次のように なります。 スズ(Ⅳ)イオン>鉄(Ⅲ)イオン>アルミニウム(Ⅲ)イオン~銅(Ⅱ)イオン 14 (5)「草木染め」を応用した金属イオン検出試験紙としての応用 (5-1) タマネギ抽出液試験紙 草木染めでは、アルミニウム(Ⅲ)や鉄(Ⅲ)、銅(Ⅱ)イオンを可溶性染料の不溶 化ならびに顕色化のため使用しました。純粋なケルセチンならびにタマネギ抽出液にお いて、これらの金属イオンの顕色化の程度は、写真8に示したようにかなり顕著で、1 mmol/L 程度のごく薄い金属イオンの存在でもはっきりと目で見て判断できる呈色反 応を示します。したがって、ケルセチンあるいはタマネギ抽出液を障子紙や濾紙に吸着 させ、乾燥させたものは、これらの金属イオン検出のための鋭敏な試験紙として使用で きます。ケルセチンは特殊な試薬で入手困難ですが、タマネギはよく使う食材なので試 験使用に数 g を確保するのは、全く問題がありません。 この試験紙により、鉄(Ⅲ)イオンが存在すると黒味を帯びた茶褐色に、アルミニウ ム(Ⅲ)イオンでは黄色に、銅(Ⅱ)イオンでは橙色に変色します。しかし、アルミニ ウム(Ⅲ)イオンと銅(Ⅱ)イオンの区別はこれだけでは不十分で、その他の証拠を必 要とします。もっとも簡単な区別は、1mmol/L 程度の銅(Ⅱ)イオンでも薄い青色を 呈していますが、アルミニウム(Ⅲ)は無色なので、区別できます。 各種のイオンが混合しているサンプルでは、通常の金属イオンの系統分析手段により、 成分イオンごとに分離したのち、単一の金属イオンの確認定性反応の一つとして「タマ ネギ抽出液試験紙」を使用するのが良いと思います。 また、鉄(Ⅲ)イオンの存在を確認するだけなら、アルミニウム(Ⅲ)イオンあるい は銅(Ⅱ)イオンで媒染した草木染めの紙や布でも十分です。これらに鉄(Ⅲ)イオン が存在する水溶液を漬けると、しばらくして黒ずんだ鉄媒染特有の濃い色があらわれま す。 (5-2) 鉄イオン(Ⅲ)検出用の紅茶ティーバッグ試験紙 さまざまな紅茶ティーバッグが売られていますが、ティーバッグに薄い紙を使用した ものは、数多くあります。(今回使用したのは「日東紅茶ダージリン」のティーバッグ (50 バッグで 500 円程度)です。 )このタイプのティーバッグを通常に使用したのち、 中の紅茶の葉を取り出し、フィルターの薄い紙を乾燥させて保存しておきます。この紙 は、0.1 mmol/L 程度の鉄(Ⅲ)イオンの水溶液の色がようやく黄色であることが目で わかる程度の希薄な鉄イオン(Ⅲ)を含む水溶液に漬けると、ただちに黒褐色の呈色反 応を示します。残念ながら、このティーバッグフィルターは、アルミニウム(Ⅲ)イオ ンおよび銅(Ⅱ)イオンとはすぐにわかるような呈色反応を示しませんでした。(乾い た試験紙をよく見るとわずかな色の変化により、媒染されていることが観察できまし た。)従って、この試験紙は鉄イオン(Ⅲ)に特異的な呈色試験紙として使用できます。 草木染めをしていると、鉄媒染液中の鉄イオン濃度が十分かどうかは、媒染液の色から 15 だけでは判断できません。媒染液中では、いろいろな色素が混じり合っていて、鉄イオ ン(Ⅲ)の特有な黄色い色があるかどうかは判断できないからです。そのようなときに、 紅茶フィルター試験紙の呈色反応は大変便利です。 紅茶の染料成分はプロトアントシアニジンと言われ下のようなカテキン分子 2~50 個の酸化的重合体であると推定されています。プロトアントシアニジンは紅茶に特有な 成分で茶の葉が発酵するときにできます。また、単量体のカテキン類は、紅茶に全く含 まれていませんが、緑茶に特有の成分です。カテキン類として、エピカテキン(EC)、 エピガロカテキン(EGC)、およびそれらの没食子酸エステル(ECg, EGCg)の 4 種類 が知られています。茶葉を半発酵して作られるウーロン茶にはカテキン類の二量体が特 有の成分として含まれています。 OH H HO OH O HO OH OH OH HO OH O OH OH HO OH OH OH Epicatechin OH Epigallocatechin OH OH OH OH Proanthocyanidin OH OH OH n O O HO O OH OH HO O OH O 図 紅茶と 緑茶の染料成分 上 右 紅茶 緑茶 OH O OH O OH OH O OH OH OH Epicatechin Gallate OH Epigallocatechin Gallate また、ここで取り上げた使用済 み紅茶ティーバッグの包み紙は、 板絞めによる鉄媒染染色のために も使用できます。 写真9‐1 はまだ、 確信がないまま、模様をつけてみた ものです。写真 9-2 は、もう少し力 をいれて、板染め技法で鉄媒染した ものです。やはり、何事につけても、 きっちりとした操作をすると、より 良い結果が得られる一例としてご覧 ください。 写真9‐1 使用済み紅茶ティーバッグ の包み紙に鉄媒染液を付けたもの 16 写真9‐2 使用済み紅茶ティ ーバッグの包み紙に板絞め技 法で鉄媒染液を付けたもの (6) 草木染め染料成分を使ったpH 試験紙への応用 草木染め染料成分はポリフェノールですので、強アルカリ性にするとフェノール水 酸基の酸性水素が取られてフェノラート陰イオンとなります。このとき一般に吸収波長 が長波長シフトし、色調が赤色に傾くことが昔からよく知られています。特に顕著な変 化をする二、三の色素について用意してみました。 (6-1) ターメリック試験紙 この試験紙は、市販のウコンを砕いて、室温でエタノールに溶かし抽出した溶液を濾 紙や障子紙に付けて、乾燥したものです。純粋なケルセチン同様、染料成分は水にほと んど溶けません。このような場合は、アルコール抽出が有効です。 カレーの黄色着色剤であるターメリック(日本名はウコン)は、ショウガ科の多年草 の名前でもあります。その太い根を乾燥させたものが、いわゆるターメリック(ウコン) です。この中にはクルクミン(curcumin, 下図)と呼ばれる色素成分が多量に含まれて います。この色素は、酸性や中性では濃い黄色なのですが、pH が 8~9 という極めて 弱いアルカリ性でさらに濃い赤色に変化します。従って、クルクミンを赤変させること のできる塩基は、酢酸ナトリウムや炭酸水素ナトリウムのような弱い塩基で十分です。 これは、クルクミンの 1,3-ジオンの活性水素が水素陽イオンとして引き抜かれたあ とにできる陰イオンによる色であります。カレーなどで汚れた布を石鹸で洗ったときに も同様に赤く発色する原因です。この色の変化は可逆的で、酢酸(お酢)などで中和す ると、すぐに元の黄色に戻ります。 もう一つ、クルクミンを使った呈色反応は、ホウ酸(H3BO3)を検出するための反応 です。ホウ酸とクルクミンが存在するところに塩酸を加え、少し加熱すると脱水反応が 起こり、ロソシアニンという赤色色素が形成されることで、ホウ酸の存在が確認できま 17 す。これをクルクミン法といいます。 不思議なことに、クルクミンは塩化鉄や、ミョウバンとは全く反応しません。 (6-2) スオウ試験紙 この試験紙は、スオウチップの熱水抽出液にペーパータオルに吸着させて作ったもの です。 スオウはマメ科の落葉小高木で、インド、マレーが原産地です。その赤い芯材を蘇芳 木とよび、染料として用いました。スオウに含まれている色素成分はブラジリン (brazilin)と呼ばれている物質です。この物質は、染料としてのほか、pH 指示薬と しても知られています。塩酸酸性で黄色、水酸化ナトリウムで紫がかった赤色となりま す。塩化鉄(Ⅲ)、ミョウバン、硫酸銅(Ⅱ)の水溶液をつけたスオウ試験紙のようす を写真 10 に示します。 また、塩酸を付けた直後のスオウ試験紙は、直後は写真のように、やや黄色の色を呈 しますが 10 分ほど室温で放置しておくと鮮やかな桃色に変化します。この試験紙に再 び塩酸を付けますと再び黄色に戻り、乾くと桃色になります。さらに半日ほど放置して おくと、黄色になります。スオウ試験紙のこの塩酸による変化の理由は今のところ、よ くわかりません。 写真 10 スオウ試験紙 上段左から、無媒染スオウ試験紙、お よび塩化鉄(Ⅲ) 、ミョウバン、硫酸 銅(Ⅱ)の水溶液を浸けたスオウ試 験紙 下段左から、0.1 モル塩酸、3%酢酸、 リン酸緩衝溶液、3%炭酸水素ナトリウ ム、3%炭酸ナトリウム、1%水酸化ナ トリウムで処理したもの。 18 染料としてのスオウで注意をしなくてはならないその他の点として、その染料成分で あるブラジリンは酸化され易く、ブラジリンよりもさらに赤味がかったブラジレイン (brazilein)となりやすいことです。(下式)スオウのチップから熱水で抽出して染色 するのですが、抽出してすぐの液の色は赤みがかった橙色で、ミョウバン媒染してもそ の色調は変わりません。この染色液を 3 時間ほど放置しておくと、色調がどんどん赤紫 に変化していきます。それを染色に用いると「いかにもスオウ色」といった赤紫色に染 まります。一般に有機化合物の共役系が大きくなると光の吸収極大波長が長波長側にシ フトし吸光度も大きくなることが知られています。従って、この現象も、ブラジリンか らブラジレインへの酸化がこの間に進んだと考えるとよく理解できます。 同様に、ログウッド(西インド諸島、中央アメリカ原産のマメ科の常緑小高木)の芯 材から得られる染料は、主成分としてヘマトキシリン(hematoxylin)を含み、ミョウ バン媒染で渋い紫色に染まります。 スオウ染料主成分 ログウッド染料主成分 §6 (参考) 「草木染め」に使われる植物色素成分の構造について §6-1 黄色および紫色の染料成分 日本で昔から使われてきた黄色染料を採る植物は、刈安とコブナグサです。これらの 植物から得られる染料は、タマネギ抽出液のように赤色の染料成分が少ないという利点 19 があります。刈安とコブナグサの染料成分はルテオリン(Luteolin)です。一方、タマ ネギ抽出液の黄色染料成分はケルセチン(Quercetin)でルテオリンとたいへんよく似 た化学構造をしています。 万葉の昔から日本で使われていた紫色の染料はシコニン(Shikonin)といい、紫草 という植物の根(紫根)を乾燥したものから得らます。紫根は染料店から現在でも入手 可能です。これを使って染料を抽出するには、まず乾燥した紫根をよく粉砕し、アルコ ールで冷時抽出し、そのアルコール溶液であらかじめミョウバンで処理した布を染めま す。これを後媒染といいます。染料成分が貴重な時には有効な染色方法です。 シコニンは不安定なので、沸騰した水でゆっくりと抽出していると、その間にどんど ん酸化分解してしまいます。また、ミョウバンは、当時の日本にありませんでしたので、 椿の木の灰を使ってアルミ媒染していました。この木の灰には、特異的にアルミニウム イオンが多く含まれているようです。しかし、椿の木灰の中に私たちが使っているミョ ウバン水溶液ほど多くのアルミニウムイオンが含まれているとは考えられません。万葉 の昔では、草木染は大量の椿の木灰から確保しなくてはならない大変困難な事業であっ たことが分かります。 同様に大島紬の黒は有名ですが、この染色は「泥染め」といって、島のある場所の鉄 分を多く含んだ泥水により鉄媒染をしています。現在の私たちは、薬品屋から安くミョ ウバンや塩化鉄を入手できますが、必要以上に使い過ぎないように注意しましょう。 昔の染色の事情を偲ばせる和歌を万葉集から二首ご紹介します。 紫は 灰指すものそ あかねさす §6-2 つ ば いち 海石榴市の 紫野行き しめ の 標野行き 花の色素成分と染料成分: 八十のちまたに 野守は見ずや たれ 逢える児や誰 君が袖振る 基本的な植物染料成分の生合成経路 草木染めに関連して、「きれいな花の色素で染色をしたい」という希望をよく伺いま す。しかし、一般的には花の色素は染色に適していません。例外的に「ベニバナ」から 20 採られるカルタミン(Carthamin)という赤色顔料があります。口紅などの化粧品や食 品の着色剤として用いられています。しかし、この色素も堅牢性が悪いため、今では衣 服の染料としては実質的に用いられていません。カルタミンで染色する場合は、アルカ リ性条件下で水に可溶性の陰イオンとし、布に吸着させた後、酢酸酸性にして顔料を再 生させて染めます。この色素の構造はたいへん複雑で、カーミン酸と同様に C-グルコ シドという構造を持っています。 化学的に花の色素を大きく分類しますと、ほとんどがアントシアニン系色素(赤、紫、 青)で、一部にカロテノイド系色素(黄色、赤)が存在します。いずれも光や水で分解 しやすい化合物です。露草の花の青いしぼり汁もアントシアニン系色素で、消えやすい ため、友禅染の下絵を描く染料として用いられています。花ばかりではなく、ナスや紫 キャベツ、紫さつまいも、紫タマネギ、紫トウモロコシなどの野菜やブドウの色もアン トシアニン系色素です。ナスの漬物は何もしないとすぐに退色し褐色なりますが、そこ にミョウバンを少し加えておくと鮮やかな紫色を保っています。これも草木染めと同様 に、アルミニウムイオンによるアントシアニン色素の安定化の例です。しかし、衣服の 染料として使うには堅牢性が不足しています。 多くの植物染料成分は、フラボノイド(Flavonoids)と呼ばれるポリフェノール類で、 その骨格は次の六種に分類されます。 ① フラバノン(Flavanones) 。Naringenin という化合物が以下のフラボノイド類の共 通した前駆体となっています。 ② フラボン(Flavones) : ルテオリンがこの一員です。 ③ フラボノール(Flavonols) : ケルセチンがこの一員です。 ④ フラバノール(Flavanols) : ⑤ イソフラボン(Isoflavones) : カテキン類ともいいます。 マメ科植物に特有の化合物群です。 ⑥ アントシアニジン(Anthocyanidins): 陽イオン性の骨格をもっています。この ポリフェノール類にブドウ糖など糖類が結合したのでアントシアニンで花に多い色 素です。 これらの化合物は、植物がシキミ酸(Shikimic acid)といわれる共通の前駆体から、 共通性のある合成経路を使って、生合成しています。出発物のシキミ酸は、日本の山に 21 よく生えているシキミから発見されたのでこの名前がありますが、植物界に共通して広く 分布しています。ご参考までにこれらのポリフェノール類のおおまかな経路を最後の図 に示します。 植物色素ではありませんが、植物性ポリフェノールの仲間でタンニン(あるいはタン ニン酸)と呼ばれる無色の化合物の一群があります。タンニンはタンパク質を変性させ る力が強く、革をなめすときに必要な物質です。生理的には収れん作用があり、血止め 薬や下剤などとして使われてきました。また、鉄(Ⅲ)イオンと直ちに反応して不溶性 黒色顔料を作り、インクの原料として使われたこともありました。このような性質をも つタンニンは、化学構造的に二つのグループに分けることができ、一つは縮合型タンニ ンと呼ばれ、すでにご紹介した紅茶ポリカテキン類がこれに相当します。もう一つのグ ループは没食子酸(もっしょくしさん、Gallic Acid or 3,4,5-tetrahydroxybenzoic acid)と糖類やポリフェノール類とのエステルで、加水分解可能なタンニンと呼ばれて います。この化合物の一例として一分子のブドウ糖に三分子の没食子酸がエステル結合 した Corilagin という化合物の構造を示します。 §7 (参考)貝殻虫から得られる赤色染料 園芸家にとって貝殻虫はにっくき大敵として良く知られたものです。木の枝に白い 蝋のような斑点がたくさんついていたら、それが貝殻虫です。これはある種の昆虫のメ スの成虫で、木の枝から養分となる樹液をたらふく吸っているのです。貝殻虫を木の枝 から剝したことのある方は、外側の白い部分と、内部に濃い橙色の層があるのをごらん になったと思います。外側の白いところはワックスで水をはじくためにある保護層です。 雨はこの層でしのげますが、太陽の有害な紫外線はこれでは防げません。そこで日よけ のためにこの橙色の層があるわけなのです。貝殻虫もいろいろな種類があり、目ざとい 人間は大昔から、特にこの日除け色素をたくさん生産する貝殻虫から染料をとることを していたのです。ここではそのような赤色染料となる代表的な貝殻虫、三種を紹介しま しょう。 7-1ラック貝殻虫(あるいは紫鉚・シコウ・) 22 東南アジア(インド、ブータン、チベット、ミャンマー、タイ、インドネシア、中国 南部)に分布。オオバマメノキ(マメ科)、アコウ(クワ科)、ライチ(ムクロジ科)、 イヌナツメ(クロウメモドキ科)などの樹木に寄生する。木の小枝の回りを樹脂状の分 泌物(ラック)が円筒状に覆い尽くす。あまり多く着生すると木が枯れてしまう。 収穫したラックはすぐに枝からはずして乾燥する。染料を得るには、ラックを水に入 れ温めながら煎じていくと、水溶液は赤くなり、樹脂の方は塊になっていく。この色素 をしみ込ませた綿を臙脂綿といい、中国蘇州のものが特に優れている。 樹脂は、ラッカーなどの塗料や接着剤として用いる。レコード盤がラック樹脂で作ら れていた時代もあった。 日本にも古くから伝わり、正倉院の宝物として枝つきの紫鉚が存在している。これは 量から見て、染料よりはむしろ薬として用いられた可能性が高い。 ラック色素(Natural Red 25)の構造式を下に示す。ラック色素の溶解度は、コチニ ール色素(カーミン酸)に比べて大変低い。 OH OH O R HO COOH COOH OH OH O Laccaic acid (Natural Red 25) Laccaic Laccaic Laccaic Laccaic 7-2 acid A: acid B: acid C: acid D: R=CH2 CH 2 NHCOCH 3 R=CH2 CH 2 OH R=CH 2 CH(NH2 )COOH R=CH 2 CH 2NH2 ケルメス ケルメス・オークにつくエンジ虫(貝殻虫)は木の実のような虫こぶを作る。この虫 こぶ(ゴール、gall)から古代から西洋の鮮やかな赤を染めていた。 【合成染料が用いられるようになった19世紀末までは、繊維の染色には植物や動物が 利用されていた。赤の染色には、茜がよく用いられるが、ヨーロッパでは、赤をとる染料 として、昆虫のケルメスも用いられていた。 ケルメスというのはえんじ虫の一種でペルシャ原産。地中海沿岸に生息している。イラ ン語で赤を意味している。雌は、球状の覆いで覆われており、ケルメス樫という木の小枝 についているが、木の実と誤認されていた。胸に吸管があり、動かずに木から養分をとる ことができるようになっている。この雌から押し出された卵から幼虫がふ化し、木の至る 所に動く。その後2-3日で、木の皮の隙間などに固着し始める。そうして、丸い形に膨 23 れていく。色素はケルメス酸。のち、中米からもたらされたコチニールにより駆逐され、 近年ではほとんど使われていない。コチニールに比べて、色沢を欠くためだった。 (http://www.mukogawa-u.ac.jp/~ushida/europe/arl.htm)このサイトにケルメスの写真有】 ケルメスの色素はカラーインデックスでは Natural Red 3 と呼ばれている。その構造式 は下に示す。ラック、ケルメス、コチニールの色素はいずれも貝殻虫の出すもので、アン トラキノン骨格をもったカルボン酸で、化学構造には大きな類似性が見られる。 7-3 コチニール 中南米、メキシコ、ペルーなどに産するノパールサボテン(ウチワサボテン、nopal cactus) に寄生する臙脂虫のメス(カイガラ虫)を熱処理して作られた赤色の顔料(Natural Red 4) で、絵の具のカーマイン・レーキ(carmine lake)として用いられた。主成分のカルミン 酸は、アルミニウム、鉄、クロムなどの三価のイオンで媒染することにより、鮮紅色から 紫がかった色相を得ることができ、ヨーロッパではケルメスを駆逐して、主に羊毛を染め るのに用いられた。織田信長の時代に宣教師が身に付けていたマントはコチニール(ある いはケルメス)の可能性が強い。戦国大名も陣羽織などに好んでこの染料を用いた。 現在では、優秀で安価な赤色顔料が人工合成できるため、コチニールは食品の着色料と して用いられている。しかし、エンジ虫は体外にこの染料を分泌し、日焼け防止剤として 使っているので、人間が食用として使って安全であるというのは、極めて怪しい論理であ る。 さらにまた、カーミン酸単独で、酸性でオレンジ、アルカリ性で赤紫を示すpH 指示 薬としても使用できることが知られています。 下にカーミン酸(Natural Red 4)の構造式を示す。左右の構造式は同じ物質を表し ている。カーミン酸の化学構造的特徴の一つは、C-グルコシドの構造を持つことであ る。(通常、ブドウ糖は、多くの場合、O-グルコシド結合で他の分子とつながってい る。 ) H OH HO HO HO H OH H OH O Me O OH H HO OH OH O Carminic Acid Natural Red 4 24 7-4 臙脂の語源 エンジ色とは鮮やかな赤色を指すが、なぜ、エンジなのだろうか。 赤色染料は古代人が最も求めたものである。西洋アカネの染料アリザリンがアラビア 語で単に「その汁」という単語で呼ばれていたことも肯ける。 ベニバナは鮮やかな赤色染料をもたらしてくれるが、その原産地はエジプトであった。 シルクロードを東進して紀元前 200~300 年頃には、中国の西方で勢力を張っていた匈奴が 愛用していた。前漢の武帝は紀元前 127 年、ついに匈奴の領地に攻め入り、優れたベニバ ナの産地である今の陝西省にあるキレンの燕支山(エンジサン)を奪い取った。このため 匈奴の王は「我が燕支山を失う。我が婦女をして顔色なからしむ。」と嘆いたという。匈奴 というと、どんな野蛮人かと考えてしまうが、これは中華思想に惑わされた結果であり、 実は文化人であったのだろう。ともあれ、それ以来、中国では紅色を産地の名前から「燕 支(エンジ) 」と表すようになった。しかし、明代になってより鮮やかでより耐光性のある ラック・カイガラ虫の色素が使われ出し、「臙脂」という同音で染料の性質をよく表した漢 字に置き換えられ、今日に至っている。 ちなみに、ベニバナの赤色は光で褪せやすく、現在では口紅などに使われている。 また、ラック色素はコチニール色素に駆逐され、その染料としての重要性を失った。 コチニール色素も、前述したように、耐光性のよい合成顔料キナクリドンにその座を奪わ れている。 §8 ブルーブラックインクの作り方と性質: 染料とインクの違い この節は、W. B. Logan 著、山下篤子訳「ドングリと文明」日経BP社、pp. 220-224 を参照しました。 プリニウスは、ローマ時代の政府高官でしたが、古代の知識を集大成した「博物誌」 を表した博物学者として有名です。この本は、彼の忙しい政務の終わった夜更けに執筆 されたそうですが、有史以来の人類の知りえたことを集大成したものとして貴重な資料 となっています。プリニウスは、オークのゴール(虫こぶ)を粉末にして鉄と混ぜると ブルーブラックの染料ができることを知っていました。ブルーブラックインクの作り方 は、五世紀のマルティアヌス・カペラの「自由七科目の百科大全」に出てきます。しか 25 し、ヨーロッパ世界で主要なインクとして使われ出したのは、原料となるアレッポオー ク(トルコ特産)のゴールと、アラビアゴムが入手可能になった十字軍遠征以降のこと です。ブルーブラックインクのもう一つの材料は、緑礬(硫酸鉄(Ⅱ) )です。これは 特殊な鉱山で、岩からしたたる溶液をバケツで集めるという方法で取られました。地中 では、酸欠状態で鉄イオンが二価の状態で存在します。しかし、これを採集しに行く鉱 夫は命がけの仕事であったことが、容易に想像できます。 ブルーブラックインクは、よい原料さえ入手できれば、これらの原料を混合するだけ で簡単に作ることができます。このインクは、紙に書いたときは淡いグレイで見栄えが しませんが、紙の繊維にしみ込んでから二価鉄イオンが三価に空気酸化されると、濃い ブルーブラックの顔料が紙と結合して、保存性のよいインクとなります。これは草木染 めの染色において鉄(Ⅲ)媒染剤とポリフェノール類が繊維上で結合して不溶性顔料と なる仕組みとよく似ています。ブルーブラックインクの場合のポリフェノールは、ゴー ルにたくさん含まれているタンニン酸です。タンニン酸の化学構造は一定していません が、没食子酸(gallic acid)と糖類のエステルであるといえます。 アラビアゴムは、多糖類で切手の糊に使われている物質です。析出した色素粒子を懸 濁状態に保つため、その他の目的で少量をブルーブラックインクに添加します。 このブルーブラックインクは、鉄のペンではすぐに錆びるため、羽ペンを用いなくて はならなかったのですが、明瞭な細い線が書け、保存性が良かったので政府の公式文書 の記録にも用いられさした。また、レオナルド・ダ・ビンチのノートも、バッハの楽譜 もこのインクが使われています。永いあいだアイアン・ゴル・インク(ブルーブラック インク)は永続性があるものと考えられていました。 ところが、百年ほど前、図書館員が古い写本を開くと黒い埃が舞い落ち、文字や素描 がなくなっているのが見られるようになってきました。アイアン・ゴル・インクは永遠 に安定なものではないことが分かったのです。これは、草木染めの布の耐光性の悪さと 同根の現象として説明できます。 化学的な見地からは、どのような色素も光により徐々に分解されていきます。数年に 1 度しか開帳されない秘仏や、写真撮影が禁止されている絵画などには、色素の耐光性 という観点から合理性があるといえます。本日、染めたハンカチも、普段は日に当たら ない所に保管して頂くと、色が長持ちします。 26 CoA S O OH COOH CoA S O CoA S = HO OH OH OH Shikimic Acid OH O O O O a polyketide p-Coumaroyl CoA Liginin OH COOH HO HO HO OH OH HO HO OH COOH OH OH O p-Coumaryl Alcohol a monolignol Caffeic Acid Naringenin Chalcone Gallic Acid OH OH HO O HO OH O Genistein a isoflavone HO O OH O OH O OH O Naringenin a flavanone Apigenin a flavone OH HO OH OH O OH HO HO O O OH Epicatechin a flavanol H HO OH O OH a leucoanthocyanidin HO O OH O OH HO O OH Quercetin a flavonol Proanthocyanidin a polycatechin シキミ酸から誘導される植物性ポリフェノール類の生合成経路 27 OH OH O Cyanidin an anthocyanidin OH OH 図 OH OH OH n OH a dihydroflavonol OH OH OH OH HO OH OH O OH OH OH
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