下野竜也 - NHK交響楽団

大練
きら
なれ
包た
容プ
力ロ
グ
でラ
聴ミ
かン
せグ
るを
俊
英
© Naoya Yamaguchi
文
◎
満
津
岡
信
育
下野竜也には、音楽雑誌の依頼で、インタ
ビュー取材をしたことがある。今回、掲載誌
をチェックして、それが2006年7月26日のこと
であったことを確認し、
「10年以上も前だっ
たか」
と軽く驚いたことを、最初に記しておき
たい。なにしろ、演奏会では、しょっちゅう彼
の指揮姿に接しているのだから……。それ
も、N 響をはじめとする在京オーケストラだけ
ではなく、札幌、金沢、京都、大阪、兵庫、広
島、福岡で彼の指揮姿に接しており、早坂文
雄《交響的組曲「ユーカラ」》
といい、シュニト
ケ《オラトリオ「長崎」》
といい、インパクト満点
の名演は、今なお、忘れがたいものがある。
ただし、下野竜也という指揮者は、マニアッ
クなプログラムを組んで、とりあえず音にする
だけで、ひとりで悦にいるタイプではない。彼
のバトン・テクニックは、単に正確であるだけ
ではなく、
わかりやすいのが特徴だ。したがっ
て、初めて取り組むであろうレアな楽曲で
あっても、オーケストラは、余裕をもって演奏
することができるのである。
「ぼくは小さいときから英才教育を受けて
いたタイプとはかけ離れています。当時、土
曜日に放映されていた『N 響アワー』
を見るよ
りも、
『8時だヨ! 全員集合』
を見るような家
庭に育ちました」
と語っていた下野竜也は、
子どもの頃にトランペットを吹き始め、ジュニ
ア・オーケストラに入り、その後、鹿児島大学
時代に「指揮の勉強をしたい」
と思い、桐朋
Tatsuya Sh
今月のマエストロ
下野竜也
Tatsuya Shimono
PROGRAM A
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
3
学園の指揮教室で研鑽を積んだという経歴
な響きを引き出していたのが印象的であっ
の持ち主だ。レールの上を走るというよりも、
た。
目的地に向けて、自らレールを敷設したタイ
「基本的には好きな曲をやりたいという気
プである。1999年4月には、音楽監督を務
持ちがありますと」
という下野竜也であるが、
めていた朝比奈隆の推薦で、大阪フィルハー
演奏会にはテーマを立てた上で、
「聴き終え
モニー交響楽団の定期演奏会で、朝比奈指
たときの感覚ができるだけ充実したものにな
揮のコンサートの前半に、ヒンデミット
《ウェー
るように、ということを考えています」
とのこと。
バーの主題による交響的変容》
を振って、本
そして、
「おいしいものでも、取り合わせと順
格的なデビューを果たした。以後、その大活
番が違うだけで、その日の食事の印象って、
躍ぶりは、改めて記すまでもないだろう。
ものすごく変わるじゃないですか」
とも語って
いたのが印象的だ。そうした姿勢は、現在に
「聴き終えたときの感覚が、
できるだけ充実したものになるように」
下野の場合、有名曲をなんとなく並べてみ
ましたという選曲とは一線を画し、周到に練
り上げたプログラミングが大きな特徴になっ
至るまで、まったく変わっていないどころか、
ますます磨きがかかっている。
マルティヌーとフサのあとに配す
ブラームス
《ヴァイオリン協奏曲》
ている。2007年12月、N 響 の 定 期 公 演に
今回の A プログラムの前半は、下野がし
初登場した際には、プフィッツナー《ヴァイオリ
ばしば取り上げているマルティヌー《リディツェ
ン協奏曲ロ短調》
(ソロはライナー・キュッヒル)
とリ
への追悼》
とフサ《プラハ1968年のための音
ヒャルト・シュトラウス《交響詩「死と変容」》
を
楽(管弦楽版 )》
である。ともに、チェコの作曲
並べた上で、フンパーディンク
《歌劇「ヘンゼ
家が、前者はナチス親衛隊の暴虐に対して、
ルとグレーテル」》の
〈前奏曲〉
を冒頭に置き、
後者は「プラハの春」
に対するワルシャワ条約
〈夕べの祈り〉
と〈夢のパントマイム〉
をラスト
機構軍の介入への怒りをぶつけた楽曲であ
に配するという凝ったものであった。しかも、
り、題材となる事件が起こった時期に海外に
作曲家同士の相関関係を重視したコンセプ
出ていた作曲者の祖国への真情があふれ出
トのみがすぐれていたのではなく、演奏その
す名作である。その事件のこと、あるいは作
ものも、各楽曲の特質を巧みに描きわけた
曲者がどういう人なのかを知らずに、音楽だ
上で、N 響から後期ロマン派特有の夢幻的
けに接したとしても、そののっぴきならない響
Tatsuya Sh
4
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | JANUARY 2017
きは、聴き手の心を強く打つことだろう。
の最後に持ってくるのは、20世紀前半のアメ
下野は、マルティヌーとフサの作品をセッ
リカでは、人気ソリストが出演する際に、よく
トで取り上げる際に、スメタナ《交響詩「ブラ
行われていたことを付記しておきたい。ハン
ニーク」》
とモーツァルト
《交響曲第38番「プラ
ガリー出身の俊英奏者であるバラーティは、
ハ」》、あるいは、ドヴォルザークの《序曲「フ
2015年5月の定期公演では、お国物である
ス教徒」》
と《組曲「ボヘミア」》
を組み合せて
バルトーク
《ヴァイオリン協奏曲第2番》
で会場
チェコ尽くしにするかと思えば、
《序曲「フス
を沸かせたが、終楽章にハンガリー舞曲的
教徒」》
とフサを両端に配して、協奏曲を挟
な要素を備えたブラームスの協奏曲も楽しみ
み込んだり、マルティヌーのあとにヤナーチェ
である。オーケストラ・パートが重要な曲だけ
ク
《狂詩曲「タラス・ブーリバ」》
を披露したこと
に、下野竜也とN 響による包容力に富んだ
もあった。今回は、マルティヌー+フサに続け
サポートにも大いに期待したい。
て、後半には、あえて人気曲であるブラーム
ス《ヴァイオリン協奏曲》
を配しているのが興
[まつおか のぶやす/音楽評論家]
味深い。こうした大作の協奏曲をプログラム
プロフィール
1969年12月25日、鹿児島県鹿児島市生まれ。鹿児島大学教育学部音楽科卒業後、桐朋学園大学音
楽学部附属指揮教室で指揮法を学び、1997年から1999年まで、朝比奈隆が音楽監督を務めていた大阪
フィルハーモニー交響楽団で指揮研究員として研 鑽を積んだ。2000年に第12回東京国際音楽コンクール
、翌2001年には第47回ブザンソン国際指揮者コンクールで、ともに優勝して脚光を集めた。その後、
(指揮)
内外のオーケストラに客演しつつ、2006年には読売日本交響楽団の正指揮者に就任(2013年からは首席客
演指揮者)
。2011年から広島ウインドオーケストラの音楽監督、2014年から京都市交響楽団の常任客演指
揮者を務め、2017年度より広島交響楽団の音楽総監督に就任する予定である。周到に練り上げたプログ
ラミングと意欲的な指揮ぶりが高く評価されている。
NHK 交響楽団とは2005年に初共演。2007年12月以来、定期公演をたびたび指揮し、2016年6月に
は台北公演を指揮して好評を博した。
[満津岡信育]
himono
PROGRAM A
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
5
い飾
から
にぬ
レ﹁
ス音
ピ
ー楽
ギの
を建
鳴築
ら家
す﹂
かは
© Georges Braunschweig / GM-Press
文
◎
堀
内
修
そうだ、確かにこの指揮者だったのだ!と
納得し、心の中で手を叩いた人が、きっと何
人もいたに違いない。2016年の9月、東京
二期会が上演したワーグナー《トリスタンとイ
ゾルデ》の客席には、29年前に同じ指揮者
が振ったワーグナーの上演を忘れていない
人がいたはずだからだ。29年前、1987年に
東京と横浜で上演されたワーグナーは、ベル
リン・ドイツ・オペラ日本公演の
《ニーベルング
の指環》
で、指揮したのはヘスス・ロペス・コ
ボスだった。
30年近く前の《ニーベルングの指環》上演
はお祭りのようだった。何より日本で最初の
4部作チクルス上演だったし、当時のベルリ
ン・ドイツ・オペラは西ベルリン第一の歌劇場
として予算は十分、上演水準は高かった。
当時は最先端だったゲッツ・フリードリヒによ
る話題の演出で、歌手たちもルネ・コロやカ
タリーナ・リゲンツァらがずらりと っていた。
つい、指揮者は4部作上演の悪くない一要
素くらいに思っていたけれど、いまになって
思えば、指揮者が4晩にわたる緊迫した上
演を支えていたのだと気づく。あのころベル
リン・ドイツ・オペラが擁していた音楽監督こ
そ、ヘスス・ロペス・コボスという強力な、まだ
40代の指揮者だった。
二期会の《トリスタンとイゾルデ》はとても
充実した上演だったのだが、歌手の負担が
大きい作品なので、第3幕になるとぎりぎりの
Jesús López
今月のマエストロ
ヘスス・ロペス・コボス
Jesús López-Cobos
6
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | JANUARY 2017
状態になってしまう。それをカヴァーしつつ演
わけではない。もしかしたら演奏そのものに
奏の勢いを保つ指揮者の力量は、並ではな
理由があるのだろうか?
かった。声がきびしくなってきたらオーケスト
ウィーンで学び、ブザンソンのコンクールで
ラの音量を上げ、どうしても突き抜けた声が
第1位となり、
ヴェネツィアの歌劇場でデビュー
必要なときにはすっとオーケストラを抑える。
したとはいえ、ヘスス・ロペス・コボスはスペイ
そういう技だけなら、オペラ指揮者のベテラ
ン出身の指揮者だ。スペインの音楽を指揮
ンの力なのだが、ヘスス・ロペス・コボスはそ
する機会が多く、もちろん定評がある。だが
うした実用的な技を十分以上にこなした上
そのファリャやアルベニスの演奏に、いわゆる
で、
《トリスタンとイゾルデ》
という難曲中の難
「スペイン的」
な強烈さはない。光と影のくっ
曲を、自分の思い通りに仕上げてしまった。
きりした対比や激しいリズム、そしてそこは
確かにこの指揮者が、あの伝説的な
《ニーベ
かとない哀愁などを求めても、あてがはずれ
ルングの指環》
を実現させた人なのだと、納
るだろう。スペインの土着的エネルギーを解
得しないわけにはいかない。
放するのに長けた指揮などではないからだ。
ファリャもラヴェルも、ブルックナーもワーグ
スペイン出身らしからぬ
洗練された美を追求
マドリード王立劇場(テアトロ・レアル )が一
ナーも、同じ姿勢で指揮できる指揮者がヘス
ス・ロペス・コボスだ。スペイン音楽で聴かせ
るのは、ステレオタイプ的なスペインのイメー
ジとは別の、洗練された音楽美だ。
流歌劇場の仲間入りをしたのは、オペラ界
の鬼才というべき敏腕監督、故ジェラール・
モルティエのおかげではあるだろう。だがそ
の前からこの劇場の音楽的土台を作り上げ
レスピーギの文化的背景に
寄り添いながらスコアを読む
た、ヘスス・ロペス・コボスの功績は、モルティ
30年近く前とはいえ長大な《ニーベルング
エに勝るとも劣らないのではないか。
の指環》
をまとめ上げ、2016年には大曲《ト
マドリード王立劇場の後、ヘスス・ロペス・
リスタンとイゾルデ》
でワーグナーの名手であ
コボスは各地の歌劇場やコンサート・ホール
ることを示した指揮者は、意外にも大技が
の指揮台に立っている。現在音楽監督が不
得意な華やかな音楽家ではなかった。スペ
在のウィーン国立歌劇場では、主力指揮者
イン音楽の演奏では、音楽の構造計算の確
なのだが、その活動が広く知れわたっている
かさを感じさせてくれた。いまになればよくわ
z-Cobos
PROGRAM B
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
7
かる。ワーグナーの大曲においても、基礎部
まざまな文化から影響を受けていると語るロ
分の構造を把握し、堅固な構築物を作り上
ペス・コボスが、自分自身を重ね合わせてい
げていたのだ。曲の終わりを派手に決めて、
るのは明らかだ。レスピーギのオーケストレー
拍手と喝 采と人気を得るスター指揮者では
ションの卓越を認め、スコアを深読みするだ
ないが、ヘスス・ロペス・コボスは聴く者が信
けでなく、文化的背景から取り組んでいる。
頼できる優れた音楽の建築家だ。
ゆっくりと大指揮者への道を歩んできたヘス
それは今度演奏するレスピーギを、どうと
ス・ロペス・コボスの真価を聴くのに、うって
らえているのか語っている言葉からも明らか
つけの演奏になりそうだ。
だ。レスピーギが時代に敏感で、イタリアにと
どまらず、ドイツやロシアやフランスで学び、さ
[ほりうち おさむ/音楽評論家]
プロフィール
1981 年から1990年までベルリン・
ドイツ・オペラの音楽総監督を務めたヘスス・ロペス・コボスは、1987年
の日本公演で、通し上演として日本初演となったワーグナー《ニーベルングの指環》四部作を指揮し、日本の
聴衆に広く知られるようになった。1940年、スペインのカスティーリャ・イ・レオン州、サモーラ県、
トーロに生ま
れている。マドリードのコンプルテンセ大学で学んだ後、
ヴェネチアでフランコ・
フェラーラに、
ウィーンでハンス・
スワロフスキーとカール・エスターライヒャーに指揮を師事した。1968年にブザンソン国際指揮者コンクール
で第1位となり、指揮者としてのキャリアを始めた。ベルリンのほか、1984年から1988年までスペイン国立
管弦楽団の音楽監督、1986年から2001 年までシンシナティ交響楽団の音楽監督、2002 年から2010 年
までマドリード王立劇場の音楽監督などを歴任しているほか、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団など世界
中のオーケストラで指揮している。最近はウィーン国立歌劇場での活動が多い。 N 響とは2014年に初共演
している。
[堀内 修]
N 響ホームページでは、ヘスス・ロペス・コボスがレスピーギの魅力を語るインタビュー動画をご覧いただけます。
8
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | JANUARY 2017
プス
ロペ
グイ
ラン
ム人
をと
ひし
って
さの
げ使
、
N命
響を
とに
初な
っ
共た
演
© BBC Philharmonic / Sussie Ahlburg
文
◎
後
藤
菜
穂
子
昨今のように20代や30代の若手指揮者
が次々と世界のオーケストラの首席指揮者
に迎えられる時代において、ファンホ・メナ
は遅咲きのマエストロといえるのかもしれな
い。これまで常任のポストとしては、スペイン
のビルバオ交響楽団の芸術監督兼首席指
揮者(1999年∼2008年 )および現職の英国の
BBCフィルハーモニック(以下 BBCフィル)の首
席指揮者(2011年∼)
、このほかにジェノヴァ、
ベルゲンなどで客演のポストに就いてきた。で
も本人には焦りは見られない。2016年5月、
50歳にしてベルリン・フィルハーモニー管弦楽
団にデビューを果たしたが、
それに先立つイン
タビューで
「50歳でのベルリン・デビューは私に
とってちょうどよい時期だと思っています。今な
ら自分なりに表現したいことがありますから。
これからの25年は私にとってもっとも充実し
た時期になると思います」
と語っている。
ベルリン・フィルとの公演ではドビュッシー
《映像》
より
《イベリア》、ヒナステラ《ハープ協
奏曲》、そしてファリャ《三角帽子》
( バレエ音
楽)
を取り上げたが、
《三角帽子》
はサイモン・
ラトルからの直々のリクエストで、バレエ音楽
全曲を同管が取り上げたのは久しぶりだっ
たそうだ。
スペイン人という理由で、このように客演と
して招かれる際にスペインやラテン・アメリカ
のレパートリーを求められるのはある意味、
宿命なのであろう。それは、
こうした音楽が誰
Juanjo Men
今月のマエストロ
ファンホ・
メナ
PROGRAM C
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
9
でも指揮できるオーケストラの主流のレパート
生》
より
〈間奏曲とスペイン舞曲〉
、
ドビュッシー
リーになっていないことの裏返しなのかもし
《イベリア》
、グラナードス《歌劇「ゴイェスカ
れない。そうした意味でメナ自身は、自国の
ス」
》
より
〈間奏曲〉
などを含むプログラムを指
音楽の魅力を広めるのは自分の使命だと考
揮した。
えてきた。とりわけバスク出身者として、
ビルバ
今回の N 響の C プログラムの曲目も、ファ
オ交響楽団時代にはナクソス・レーベルから
リャ、ロドリーゴ、ドビュッシーというスペイン
ヘスス・グリーディ
(1886∼1961)
やアンドレス・
をテーマにしたプログラムであるが、メナはこ
イサシ(1890∼1940)
らバスク地方の作曲家
の中でドビュッシーとファリャの音楽のつなが
たちの管弦楽作品をリリースした。また目下、
りを強調する。人生でたった一日しかスペイ
BBC フィルとはシャンドス・レーベルでスペイ
ンに足を踏み入れたことのなかったドビュッ
ン音楽のシリーズを展開している。
シーが、
《イベリア》
においてなぜこれほど見
事なオーケストレーションでスペインの色彩を
ファリャ、ロドリーゴ、
ドビュッシーという
スペインをテーマにしたプログラム
喚起することができたのか。その背後にはパ
リでの彼とファリャとの交友関係があり、若き
友人の音楽を通してスペインの色彩に触れる
N 響初登場のファンホ・メナだが、2007年
ことができたのではないかと話す。
に東京のラ・フォル・ジュルネ音楽祭でビルバ
またファリャの《三角帽子》
については軽妙
オ交響楽団を率いて初来日している。その際
で華やかな音楽だと思われがちだが、実は
は《ダフニスとクロエ》ほか、ラヴェルの作品
きわめて力強く奥深い作品で、フラメンコに
を中心に取り上げた(余談だが、ラヴェルは母親
おける
「カンテ・ホンド」
(深い歌)
の概念に通じ
がバスク人で、自身もスペインに近いフランス領バスク
るものがあり、身体の奥底からの表現が必要
のシブールの生まれなので、メナはその音楽に民族的
だと語る。実際、メナは2013年にはロンドン
な親近感を覚えるという)
。続いて2009年7月に
の音楽祭プロムスにおいて、BBC フィルと
《三
は再びビルバオ交響楽団と来日、このときは
角帽子》
のバレエをアントニオ・マルケス舞踊
荘村清志をギター独奏に迎えロドリーゴ《アラ
団の共演で上演し、大好評を博した。
ンフェス協奏曲》
、武満徹《夢の縁へ》
、
《三
なお今回、ロドリーゴ
《アランフェス協奏曲》
角帽子》
( 第2組曲 )
などのプログラムで日本ツ
では世界的なフラメンコ・ギタリストのカニサ
アーを行なった。さらに翌2010年8月には京
レスをソロに迎えるが、ここでも白熱した演奏
都市交響楽団に客演、ファリャ
《はかない人
が繰り広げられるにちがいない。
Juanjo Men
10
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | JANUARY 2017
晩年のチェリビダッケに師事
「つねにクリエイティブであること」
を学ぶ
ケからいちばん学んだことは「つねにクリエイ
ティブであること」
の重要性だという。
当然ながらスペイン音楽以外のレパートリー
ファンホ・メナは1965年にバスク州ビトリ
も広く、今季の BBC フィルとの定期演奏会に
ア・ガステイスに生まれた。学校の合唱団で
おいては、ハイドン《天地創造》
、ブルックナー
最初の音楽の手ほどきを受け、歌のほかにク
《交響曲第7番》
、ウォルトン《交響曲第1番》
、
ラリネットを学ぶ。16歳のときに地元の少女
ストラヴィンスキー《春の祭典》
などの大曲が
合唱団を指揮する機会を得て、
指揮に目覚め
並ぶ。近年ブルックナーに特に力を入れてお
たという。18歳で現代音楽のアンサンブルを
り、BBC フィルと第4、6、9番を取り上げたほ
結成。ビトリア・ガステイスの音楽院およびマド
か昨シーズンはニューヨーク・フィルハーモニッ
リードの王立音楽院で学び、指揮をエンリケ・
クとドレスデン国立歌劇場管弦楽団(シュター
ガルシア・アセンシオ、作曲・管弦楽法をカルメ
ツカペレ・ドレスデン)
でも
《交響曲第6番》
を指揮
ロ・ベルナオーラに師事。アセンシオとベルナ
した。ボストン、モントリオールなど北米への客
オーラがともにチェリビダッケの弟子であった
演も多く、2017年より由緒あるシンシナティの
縁から、メナ自身も卒業後ミュンヘンでチェリ
5月合唱祭の音楽監督に就任する。
ビダッケに師事、巨匠の最後の8年間、身近
で過ごす機会に恵まれたそうだ。チェリビダッ
[ごとう なほこ/音楽ジャーナリスト]
プロフィール
スペインのバスク地方出身。ビルバオ交響楽団の芸術監督兼首席指揮者、ジェノヴァのカルロ・フェリー
チェ劇場の首席客演指揮者、ノルウェーのベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者を経て、
2011年より英国マンチェスターの BBCフィルハーモニックの首席指揮者を務める。
2015/16年のシーズンはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団にヒナステラ、ファリャを含むプログラムでデ
ビューを果たす。かねてから母国スペインや中南米の管弦楽曲の推進に力を注いでおり、BBCフィルハーモ
ニックとはファリャ、
トゥリーナ、アルベニス、カタルーニャの作曲家ハビエル・モンサルバーチェらの作品を録音
し、好評を得ている。
客演ではニューヨーク・フィルハーモニック、ボストン交響楽団、ロサンゼルス・フィルハーモニックなど北米の
名門をはじめ、フランス国立管弦楽団、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団、そしてスペインの各楽団などを定
期的に指揮。タングルウッド音楽祭、サンクトペテルブルクの白夜祭、BBC プロムスにも出演している。
NHK 交響楽団には、今回初登場。
[後藤菜穂子]
na
PROGRAM C
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
11
A
PROGRAM
第1855回 NHKホール
土 6:00pm
1/28 □
日 3:00pm
1/29 □
Concert No.1855 NHK Hall
January
28 (Sat ) 6:00pm
29 (Sun) 3:00pm
[指揮]下野竜也
[conductor]Tatsuya Shimono
[ヴァイオリン]
クリストフ・バラーティ
[violin]Kristóf Baráti
[コンサートマスター]伊藤亮太郎
[concertmaster]Ryotaro Ito
マルティヌー
[8 ′
]
リディツェへの追悼(1943)
フサ
プラハ1968年のための音楽
) 24 ′
]
(管弦楽版╱1969[
Bohuslav Martinů (1890–1959)
Memorial to Lidice (1943)
Karel Husa (1921–2016)
Music for Prague 1968
(Orchestral Version/1969)
Ⅰ 序奏とファンファーレ
Ⅰ Introduction and Fanfare
Ⅱ アリア
Ⅱ Aria
Ⅲ 間奏曲
Ⅲ Interlude
Ⅳ トッカータとコラール
Ⅳ Toccata and Chorale
・・・・休憩・・・・
・・・・intermission・・・・
ブラームス
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77
[40′
]
Johannes Brahms (1833–1897)
Violin Concerto D major op.77
Ⅰ Allegro non troppo
Ⅰ アレグロ・ノン・
トロッポ
Ⅱ Adagio
Ⅱ アダージョ
Ⅲ Allegro giocoso, ma non troppo vivace
Ⅲ アレグロ・ジョコーソ、マ・ノン・
トロッポ・ヴィヴァー
チェ
12
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | JANUARY 2017
Program A|SOLOIST
クリストフ・バラーティ
(ヴァイオリン)
2015年5月の定期公演 A プログラムでバルトークの《協奏曲第2番》
を
弾き、NHK 交響楽団と初共演を果たしたハンガリー出身の俊英ヴァイオリ
ニスト。2012年にリリースされたベートーヴェンのソナタ全曲の CDも好評
だ。1979年、チェリストの父、ヴァイオリニストの母のもとブダペストに生ま
れ、幼少期の多くを南米ベネズエラで過ごす。母やエミール・フリードマンか
らヴァイオリンの手ほどきを受けた後、ブダペストの名門フランツ・リスト音楽
院でミクローシュ・セントヘイ並びにヴィルモシュ・タートライに師事。1996年、パリのロン・ティボー国際
で第2位に、2010年にモス
音楽コンクール
(現在の名称はロン・ティボー・クレスパン財団国際音楽コンクール)
クワで開催された第6回パガニーニ・モスクワ国際ヴァイオリン・コンクールで第1位に輝く。ロン・ティボー
入賞時に、ストラディヴァリウス協会のディレクターでロシア流儀の継承者としても知られるエドワード・ウ
ルフソンに見出され、その後多くのアドヴァイスを受けている。これまでにユーリ・テミルカーノフ、シャル
ル・デュトワ、マレク・ヤノフスキ、ワレリー・ゲルギエフらと共演している。使用楽器はストラディヴァリウス
・ハームズワース」。
協会貸与による1703年製「レディ
[奥田佳道/音楽評論家]
PROGRAM A
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
13
Program A
マルティヌー
リディツェへの追悼(1943)
スメタナ、ドヴォルザーク、ヤナーチェク、ヨセフ・スークなどに次ぐ、チェコの生んだ最大の
である。プラハでスークに就いて学
作曲家のひとりがボフスラフ・マルティヌー
( 1890∼1959)
んだ彼は、それ以前の作曲家たちが決まって音楽の都ウィーンで学んだのとは異なり、第
一次世界大戦での敗戦でヨーロッパの一小国となり、文化面では過去の栄光にすがるだ
けとなっていったオーストリアのこの首都ではなく、1920 年代にジャズのようなアメリカから
の大衆文化も大いに受け容れ、国際都市の花形となったパリで、そのジャズを始め、六人
組やストラヴィンスキーのような作曲家たちから影響を受けて、自らの新古典主義的かつモ
ダンなスタイルを確立し、多産な創作活動を邁 進していった。
そんなマルティヌーにも、第二次世界大戦の波は寄せてきた。チェコのズデーテン地方が
ナチス・ドイツに併合された1938 年以降、終戦後までチェコに戻ることはなく、アメリカに亡
命した彼であったが、その彼にロンドンのチェコ亡命政府から委嘱が来た。それは1942
年にナチ親衛隊によって住民が虐殺され、強制収容所に連行され、村ごと焼き払われて
地図上から姿を消してしまったリディツェという村のための追悼曲を書くことであった。プラ
ハ北西 15キロほどのこの村は、ナチの親衛隊長で、ユダヤ人絶滅作戦を策定したラインハ
ルト・ハイドリヒをチェコ空軍有志が暗殺した事件で、暗殺部隊をかくまったことへの報復と
して抹殺された。マルティヌーは事件から約 1 年後に、バロック風のコンチェルト・グロッソの
クライマックスにはベートーヴェンの
スタイルで追悼曲を完成させた。10 分弱の曲であるが、
《第 5 交響曲「運命」》からの劇的な引用があり、また深い悲しみを湛えた終結部は、マル
ティヌーの書いた曲のなかでも、とりわけ美しい部分である。
[長木誠司]
作曲年代
1943年8月3日完成
初演
チェコスロヴァキア共和国成立 25 周年記念日の1943 年 10月28日にニューヨークで、アルトゥー
ル・ロジンスキ指揮、ニューヨーク・フィルハーモニックによる
楽器編成
フルート3 、オーボエ2 、イングリッシュ・ホルン1、
クラリネット3 、
ファゴット2 、ホルン4 、
トランペット2 、
トロ
シンバル、サスペンデッド・シンバル、タムタム、ハープ1、
ンボーン3 、テューバ1、ティンパニ1、大太鼓、
ピアノ1、弦楽
14
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | JANUARY 2017
Program A
フサ
プラハ1968年のための音楽(管弦楽版╱1969)
1968 年の春、プラハの街にはミニスカート姿の女性が次々にあらわれた。
戦後は共産党が政権を握っていたチェコに、ようやく自由化の兆しが訪れていたのである。
(と
短いスカート丈はその象徴のひとつだった。しかし、同年8月にはワルシャワ条約機構軍の
いうより事実上はソ連の)
戦車が街に押し寄せて、束の間の自由はあっけなく幕を閉じる……。
この様子をアメリカから見ていたのが、チェコの作曲家カレル・フサ( 1921∼2016)。彼は
母国とパリで作曲を学んだ後、1954 年からはコーネル大学の教授職に就いていたのであ
る。怒りに燃えた彼は、地元の吹奏楽団から委嘱を受けた際、すぐにこの事件を題材に据
えた楽曲に取りかかったのだった。
大きな特徴は4つ。まずは十二音技法や微分音を独自の形で用いた、ねっとりした色調
の音響。第2に、スメタナやドヴォルザークも用いたフス教徒の賛歌の引用。第3に尖 塔の
連なるプラハの街並みを、鐘の音で描き出したこと。そして最後には、吹奏楽の世界に、シ
リアスで重厚な表現を導入したこと。結果として、この作品は、その
渋な響きにも関わらず、
世界中で演奏される大ヒット曲となったのだった。管弦楽版は、1969年の後半に作られた。
第 1 楽章は〈序奏とファンファーレ〉。ピッコロ独奏の下で管楽器が作る3つのハーモニー
と題されているが、流れてくる歌はうつ
は、のちに何度もあらわれる。第 2 楽章は〈アリア〉
ろな性格。第 3 楽章は打楽器のみによる〈間奏曲〉で、鐘の音と戦闘を思わせる響きが交
錯する。そして第 4 楽章は〈トッカータとコラール〉。最後にユニゾンで奏される賛歌は勝ち
どきのようにも、どこか絶望的な悲鳴のようにも響く。
[沼野雄司]
作曲年代
1968年。管弦楽版は1969年
初演
1969 年 1月31日、ワシントン DC 、ケネス・スナップ指揮、イサカ・カレッジ吹奏楽団。管弦楽版は
1970 年 1月31日、作曲者自身の指揮、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
楽器編成
フルート3
(ピッコロ1)
、オーボエ2 、イングリッシュ・ホルン1、
クラリネット2 、バス・
クラリネット1、
ファゴット2 、
トランペット4 、
トロンボーン3 、テューバ1、ティンパニ1、テューブラー・ベ
コントラファゴット1、ホルン4 、
ル、マリンバ、ヴィブラフォーン、シロフォン、アンティーク・シンバル、
トライアングル、シンバル、サスペ
ピアノ1、弦楽
ンデッド・シンバル、タムタム、小太鼓、
トムトム、大太鼓、ハープ1、
PROGRAM A
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
15
Program A
ブラームス
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77
1877 年に《交響曲第 2 番》
を完成させ、初演で大成功を博したことは、彼の精神を大い
に高揚させたに違いない。彼が《ヴァイオリン協奏曲》の作曲に取りかかるのはその翌年で
ある。1878 年 5月6日、一連の演奏旅行を一段落させて夏の避暑地ペルチャハに到着し
たブラームス( 1833∼1897)は、ここでの2 年目の夏の期間を過ごした。この年にペルチャ
《 大学祝典序曲》
《ピアノ協奏曲第
ハで彼が取りかかったのは、
《ヴァイオリン・ソナタ第 1 番》
2番》
《ヴァイオリン協奏曲》、ピアノ曲集《 8つの小品》
( 作品76)
などで、これらの作品はわず
か 2か月程度の期間内で同時に着手されている。
ブラームスが《ヴァイオリン協奏曲》の構想を述べるのは1878 年 8月22日、ヨーゼフ・ヨア
「 4 楽章」の協奏曲の構想が述べられ、ヨア
ヒム宛ての手紙においてである。その手紙で、
ヒムに助言を求めるべく、その独奏声部の一部が同封された。その手紙にはこう記されて
いる。
「今、書き上げたところだが、あなたならこのヴァイオリン独奏パートをどうするのか、
私には本当に分からない。もちろんあなたに手直しをしてもらいたいと思っている。遠慮は
いらない。…… あなたが一言、難しいとか、不快だとか、不可能だとか書き入れてくれれ
ば私はそれで満足だ。曲は4 楽章だ」。
ブラームスはこの協奏曲を作曲するにあたり、ベートーヴェンの同じニ長調の《ヴァイオ
リン協奏曲》のほかに、友人のヨアヒムの《ヴァイオリン協奏曲ト短調》
( 作品3)やブルッフの
( 作品26)
も研究したと考えられ、特にブルッフのこの協
《ヴァイオリン協奏曲第 1 番ト短調》
奏曲の第 3 楽章とブラームスの作品の第 3 楽章との類似性が指摘されている。
《ヴァイオリン協奏曲》の創作が始まると、
《ピアノ協奏曲第2番》の作曲は中断され、1878
年10月23日のヨアヒム宛の手紙に記されているように、4楽章構成の構想のもとに
《ヴァイオ
リン協奏曲》のアダージョ楽章とスケルツォ楽章を書き進める。しかしその後、スケルツォ楽章
は省かれ、最終的には3楽章の協奏曲として完成をみる。この削除されたスケルツォ楽章に
に転用されたのではな
関して、伝記作家のカルベックは4楽章構成の《ピアノ協奏曲第2番》
いかと推測しているが、おそらくブラームスによって破棄されたと考えられている。
ヨアヒムは書簡を通して、特に独奏ヴァイオリンの表現について細かに助言を与えた。書
き上げられたスコアの自筆譜が残されているが、この譜面にはヨアヒムの手で、細い赤い
ペンを用いて独奏ヴァイオリンの表現について訂正が書きこまれており、この作品の作曲に
16
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | JANUARY 2017
あたっていかにヨアヒムの助言が重要であったかを知ることができる。
作品は1878 年 12月下旬には一応の完成を見、1879 年 1月1日にライプツィヒのゲヴァン
トハウスでヨアヒムの独奏、ブラームスの指揮で初演された。作品はヨアヒムに捧げられた
が、この献呈は創作の最初の段階から最後の仕上げに至るまで彼の助言のもとに作曲さ
れたことへの感謝の表現である。
ブラームスのこの唯一のヴァイオリン協奏曲の初演は成功であったが、作品への反応は
さまざまであった。ブラームスの理解者の批評家のハンスリックは、
「この作品には直接に
わかりやすい魅惑的な旋律が欠けている」
と批判的な言葉を吐き、この作品を聴いたチャ
イコフスキーも、
「心をときめかす美しい旋律がどこにも見あたらない」
と批判した。その一
方で、アルフレッド・デルフェルは、この作品を絶賛し、各楽章について賛辞を寄せている。
この作品はブラームスの創作の本質を披 瀝した傑作といっても過言ではなく、それがゆえ
に華美で目新しさを求める人々にはこの作品の真価は理解できなかったのであろう。
第 1 楽章 アレグロ・ノン・トロッポ、ニ長調、3/4 拍子。おおらかで牧歌風な主題がオー
ケストラによって提示される。その後、独奏ヴァイオリンが分散和音を華麗に奏し、のびやか
に主題を再提示する。その後、ニ短調の緊張に満ちた新しい主題が奏される。この対照
的な2つの楽想を軸に展開される。第 2 主題はイ長調で、心を揺さぶるような情感に満ちて
いる。この作品ではブラームスはカデンツァを作曲しておらず、初演者のヨアヒムほか、多く
の演奏者が独自のカデンツァを作曲している。
第 2 楽章 アダージョ、ヘ長調、2/4 拍子。オーボエが牧歌風でノスタルジックな楽想の
主題を提示し、それを独奏ヴァイオリンが受け継ぐ。3 部形式で構成され、中間部はコロラ
トゥーラを思わせる独奏ヴァイオリンが美しく、ブラームスの創作した最高の旋律といっても
過言ではない。
第 3 楽章 アレグロ・ジョコーソ、マ・ノン・トロッポ・ヴィヴァーチェ、ニ長調、2/4 拍子。独
奏ヴァイオリンがハンガリー舞曲を思わせるエネルギッシュな主題で開始する。ロンド・ソナ
タ形式で構成されている。ニ長調が主調であるが自在にロ短調やト長調、イ長調などの調
を横断して、自由な表現に満ちている。
[西原稔]
作曲年代
1878年
初演
1879 年 1月1日、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、作曲者自身の指揮、ヨーゼフ・ヨアヒム
独奏
楽器編成
フルート2 、オーボエ2 、クラリネット2 、ファゴット2 、ホルン4 、
トランペット2 、ティンパニ1、弦楽、ヴァイ
オリン・ソロ
PROGRAM A
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
17
B
PROGRAM
第1854回 サントリーホール
水 7:00pm
1/18 □
木 7:00pm
1/19 □
Concert No.1854 Suntory Hall
January
18 (Wed) 7:00pm
19 (Thu) 7:00pm
[指揮]
ヘスス・ロペス・コボス
[conductor]Jesús López-Cobos
[ヴァイオリン]
アルベナ・ダナイローヴァ*
[violin]Albena Danailova*
[コンサートマスター]篠崎史紀
[concertmaster]Fuminori Maro Shinozaki
レスピーギ
[33′
]
グレゴリオ風の協奏曲*
Ottorino Respighi (1879–1936)
Concerto gregoriano*
Ⅰ アンダンテ・
トランクイロ
Ⅰ Andante tranquillo
Ⅱ アンダンテ・エスプレッシーヴォ・エ・ソステヌート
Ⅱ Andante espressivo e sostenuto
Ⅲ 終曲
(アレルヤ)
:アレグロ・エネルジコ
Ⅲ Finale (Alleluja) : Allegro energico
・・・・休憩・・・・
・・・・intermission・・・・
レスピーギ
]
教会のステンドグラス
[27′
Ⅰ エジプトへの逃亡
Ottorino Respighi
Vetrate di chiesa,
Quattro impressioni sinfoniche
Ⅱ 大天使 聖ミカエル
Ⅰ La fuga in Egitto
Ⅲ 聖クララの朝の祈り
Ⅱ San Michele Arcangelo
Ⅳ 偉大なる聖グレゴリウス
Ⅲ Il mattutino di Santa Chiara
Ⅳ San Gregorio Magno
レスピーギ
]
交響詩「ローマの祭り」
[23′
Ottorino Respighi
“Feste romane”, sym. poem
Ⅰ チルチェンセス
Ⅰ Circenses
Ⅱ 五十年祭
Ⅱ Giubileo
Ⅲ 十月祭
ottobrata
Ⅲ L’
Ⅳ 主顕祭
Ⅳ La Befana
18
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | JANUARY 2017
Program B|SOLOIST
アルベナ・ダナイローヴァ
(ヴァイオリン)
2011年からウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターの
ひとり。ソロ活動も多く、2016年6月には東京でモーツァルトの《ヴァイオリ
を弾いた。ブルガ
ンとヴィオラのための協奏交響曲》
(ヴィオラはトビアス・リー)
リアの音楽一家に生まれ、ソフィアでネリ・ジェレヴァ、
ドラ・イワノワに学んだ
後、1995年にドイツに移住。ロストック音楽大学とハンブルク音楽大学で
ペトル・ムンティアヌに師事。イダ・ヘンデルやヘルマン・クレバース、ルイス・
カプランらの指導も受けた。これまでにヴィットリオ・グイ国際室内楽コンクールの二部門で第1位に輝く
など、多くのコンクール受賞歴がある。2001年、ミュンヘンのバイエルン国立歌劇場管弦楽団に入団。
第2、第1ヴァイオリン奏者を経て、第1コンサートマスターに就任。また2003年から2004年にかけて
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターも務めた。2008年9月、ウィーン国立歌劇場
管弦楽団のコンサートマスターに就任。ヨーロッパ各国でのソロ、室内楽活動にも意欲を示す。 NHK
交響楽団とは初共演となる。
[奥田佳道/音楽評論家]
PROGRAM B
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
19
Program B
レスピーギ
グレゴリオ風の協奏曲
ヴァイオリン、ヴィオラを学び、一時ペテルブルクで奏者として活動していたオットリーノ・レス
ピーギ(1879∼1936)。ヴァイオリン・ソロとオーケストラのための作品をいくつか書いており、
が、指揮者サル
最近では、1903年に着手されながら未完に終わった《ヴァイオリン協奏曲》
ヴァトーレ・ディ・ヴィットリオの補筆版で2010年に世に出て話題になった。彼の協奏曲書法
はソロの妙技を引き立たせるというよりも、ソロとオーケストラとが一体となって高度な書法を
通じて響きの織物として表現されるといった傾向が強い。ゆえに派手な技巧を誇示するとこ
ろは少ないものの、彼ならではの見事なオーケストラ書法を堪能できるものになっている。
1921 年に書かれた《グレゴリオ風の協奏曲》は、実質はヴァイオリン協奏曲で、グレゴリ
オ聖歌への傾倒をうかがい知ることのできる一曲で、レスピーギの管弦楽法を楽しめる曲
でもある。初演は1922 年、旧知のヴァイオリン奏者マリオ・コルティのソロ、ベルナルディーノ・
モリナーリの指揮でローマで行われた。
全体は3 楽章からなる。ソロはかなり高度な技巧を用いているものの、名人芸をことさら
強調することなく、全体は厳かな宗教的色彩に満ちている。第 1 楽章は教会旋法を用いた
冒頭部でオーボエによる主題が提示され、中間部でもこの主題が展開される。再現部の
のち、ソロによるカデンツァが入り、切れ目なく次の楽章に入る。第 2 楽章では11 世紀頃の
聖歌の一種であるセクエンツァをもとにしたソロ主題が軸になる。
「アレルヤ」の副題のつ
いた第 3 楽章はロンド形式。ティンパニ、ハープ、そしてチェレスタなどが効果的に使われて
おり、ソロとの掛け合いを披露する。
[伊藤制子]
作曲年代
1921年
初演
1922 年、ローマ、マリオ・コルティのソロ、ベルナルディーノ
・モリナーリの指揮による
楽器編成
フルート2 、オーボエ2 、イングリッシュ・ホルン1、
クラリネット2 、バス・
クラリネット1、
ファゴット2 、ホルン4 、
トランペット2 、
トロンボーン3 、ティンパニ1、チェレスタ1、ハープ1、弦楽、ヴァイオリン・ソロ
20
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | JANUARY 2017
Program B
レスピーギ
教会のステンドグラス
オットリーノ・レスピーギ( 1879∼1936)
にグレゴリオ聖歌の魅力を教えたのは、1919 年に
結婚した妻のエルザである。レスピーギの作曲の弟子でもあり、声楽家としても活動してい
に
たエルザとの結婚後、間もなく発表されたのが、ピアノのための《グレゴリオ聖歌( 旋律 )
であった。そしてこの前奏曲を管弦楽化して、新たに1 曲加え、4 曲の交
よる3つの前奏曲》
響的組曲として再発表したものが、今回演奏される
《教会のステンドグラス》
である。
エルザとの出会いの場はローマのサンタ・チェチーリア音楽院だった。ボローニャ生まれ
のレスピーギは、1913 年に同音楽院の作曲教授の職を得て、これを機にローマへ移住し、
生涯この地を活動拠点とした。20 世紀初頭のローマは、伝統と前衛の両極端が同居す
る複雑な都市であった。パリからは、パリ音楽院の作曲コンクール(ローマ賞 )の大賞受賞
者が、毎年褒賞としてローマ留学にやってくる。1885 年にローマに到着したドビュッシーが、
その息苦しさを耐え難く思う一方で、ローマでは留学後に大成したドビュッシーを常に歓迎
し、若き作曲家たちはドビュッシーを出発点にヨーロッパの前衛を積極的に吸収していった。
なかでもアルフレード・カゼッラは、パリ音楽院のフォーレのクラスでラヴェルと同級であり、
第一次世界大戦を機に1915 年にローマに戻り、ピアノ教授としてレスピーギの同僚となっ
た。前衛ばかりでなく、イタリアのバロックやそれ以前の音楽にも関心をもつ彼らの世代によ
り、プッチーニ以後のイタリアにおいて、優れた器楽作品が次々と生み出されることになる。
エルザの印象では、カゼッラの積極性の陰に隠れがちであったレスピーギであるが、そん
なレスピーギの音楽に共感を示したのが、ミラノの指揮者トスカニーニや、外国人指揮者た
ち、たとえばベルリン・フィルのニキシュやボストン交響楽団を率いるクーセヴィツキーであっ
た。1927 年にアメリカ合衆国で3か月半に渡るツアーを行ったレスピーギは、アメリカ各地
の聴衆に熱烈に迎え入れられた。その一環として、1927 年 2月25日、クーセヴィツキーとボ
ストン交響楽団は《教会のステンドグラス》
を世界初演した。
色彩の豊かさと宗教的なイメージを同時に示すこの詩的なタイトルを提案したのは、レス
ピーギのオペラ台本も手がけることになる文学者の友人、クラウディオ・グアスタッラである。
各曲にはそれぞれ副題と短いコメントがついている。これらはすべて、音楽が作られた後
に、聴覚的印象からグアスタッラとの相談で決められたものであり、あたかもステンドグラス
に描かれている宗教的場面を表現しているかのように演出する詩的操作である。異なる4
PROGRAM B
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
21
曲が共通のタイトルのもとにまとめられたという意味で、この《教会のステンドグラス》はレス
ピーギの代表作であるローマ3 部作と同じ構成をもつ。また教会旋法を元にしながらもむし
ろエキゾチックに色付けされた管弦楽法からは、20 代前半にロシアで短期間師事したリム
スキー・コルサコフと、彼の《シェエラザード》の影響も感じられる。
第 1 曲〈エジプトへの逃亡〉には「小さなキャラバンが星空の下、砂漠を進んでいる。この
の旋律がチェ
世の宝を運んで」
との説明がつく。クラリネットが奏でる第 3 旋法(フリギア旋法)
ロへ受け継がれ、その後も幻想的な響きのなか、装飾を加えながら5/4 拍子でゆったりと
展開していく。
第 2 曲〈大天使 聖ミカエル〉には「ヨハネの黙示録」の一節が添えられている。天に戦い
が起こり、ミカエルとその使いの天使たちが、竜とその使いたちを天から追い払う場面であ
る。弦楽器と木管楽器の半音階による激しい曲調から始まり、オルガンの足
盤と低音の
管楽器が竜を示すように、第 1 旋法(ドリア旋法 )の主題を奏でる。途中でハープとトランペッ
トによりニ長調で主題が奏され( 天上の響き)、曲の最後にはサタン( 竜 )が地上に投げ落と
されるように銅 鑼が鳴らされる。
第 3 曲〈聖クララの朝の祈り〉に添えられたのは、アッシジの聖フランチェスコの生涯を
伝える物語集『聖フランチェスコの小さな花』
の一節である。聖フランチェスコの弟子とされ
る聖クララが病床に伏しているところ、イエス・キリストがそれを憐れみ、奇跡によって聖フラ
ンチェスコ教会での朝の祈りができるように導かれたというエピソードである。嬰ヘ調を基
調としつつ、第 1 旋法の主題から長旋法( 嬰ヘ長調 )へと変化する箇所は、まさに祈りから
奇跡への変化を表しているようだ。最後は再び敬
な祈りの雰囲気で静かに閉じられる。
第 4 曲〈偉大なる聖グレゴリウス〉は管弦楽化にあたって新たに加えられた1 曲である。
グレゴリウス1 世を祝福し、神を讃え、アレルヤ! と唱える一種のグロリアである。教会の中
の音の反響を再現するような導入部、弱音器付きホルンによって静かに導入されるグレゴ
リオ聖歌の旋律、そして管弦楽の盛り上がりの中から立ち現れるオルガンの響き、さらに
ハープとチェレスタによる神秘的な和声からクライマックスへとつながるこのフィナーレによっ
て、グレゴリオ聖歌の旋律が典礼から解き放たれ、現代的な音響を獲得しうることが見事
に証明されている。
[安川智子]
作曲年代
による3つの前奏曲》
に基づく)
1925∼1926年
(第1∼3曲は1919∼1921年作曲のピアノ作品《グレゴリオ聖歌(旋律)
初演
1927 年 2月25日、ボストン、セルゲイ・クーセヴィツキー指揮、ボストン交響楽団
楽器編成
フルート3
(ピッコロ1)
、オーボエ2 、イングリッシュ・ホルン1、クラリネット2 、バス・クラリネット1、ファゴッ
コントラファゴット1、ホルン4 、
トランペット3 、バンダ:
トランペット1、
トロンボーン3 、テューバ1、ティ
ト2 、
ンパニ1、シンバル、サスペンデッド・シンバル、タムタム、大太鼓、テューブラー・ベル、ハープ1、チェ
ピアノ1、オルガン1、弦楽
レスタ1、
22
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | JANUARY 2017
Program B
レスピーギ
交響詩「ローマの祭り」
レスピーギ( 1879∼1936)はボローニャ生まれだが、1913 年以後は、ローマで活動し、
ローマと結びつきの強い作曲家となった。1913 年よりこの地でサンタ・チェチーリア音楽院
の作曲科教授をつとめており、1923 年から同音楽院の院長の要職にあった。創作に専
念するため結局は短い期間の院長職となったが、音楽院図書館に所蔵されていた膨大な
古い音楽の資料を閲覧できたことが、彼の創作に大いにプラスとなった。図書館創設は
1875年で、現在30万点もの資料を保有しているという。その中には15世紀初期印刷本8
冊、16 世紀から19 世紀の貴重な印刷譜約 2200 冊、1 万点もの手稿譜などが含まれており、
まさに現在でもイタリアの音楽遺産の宝庫である。
もレスピーギが過去の
1928 年に完成されたローマ三部作の最後を飾る《ローマの祭り》
音楽遺産を巧みに自作にいかしたことがよく伺いしれる作品である。作曲家の夫人の回想
によるとレスピーギは一 気呵 成に仕上げ、9日ほどで完成されたという。初演は1929 年 2月
21日、カーネギー・ホールでトスカニーニの指揮するニューヨーク・フィルの第2377回定期公
演において行われた。なおこの時、プログラミングされていた曲は、モーツァルトの《交響曲
だったとい
第 35 番》、ドビュッシーの《イベリア》、さらにワーグナーの《「タンホイザー」序曲》
う。初演は大きな話題になり、好評を博したという。本作を含め、レスピーギのオーケストラ
作品が世界的に知られるようになったのは、このイタリアの巨匠トスカニーニに負うところが
大きい。トスカニーニはその後、アメリカで NBC 交響楽団の音楽監督として活動することに
なるが、
《ローマの祭り》
を含めたローマ三部作は、録音でも高い評価を受けた。1949 年の
このコンビによる録音は現在でも容易に聞くことができるが、ムーティやパッパーノなどの現
代イタリアの指揮者とはまた異なる豪快な指揮振りが、時代の息吹を感じさせてくれる。
全体は古代から20 世紀までの祭りを主題にした4つの曲から構成されており、ローマの
華麗な歴史絵巻の様相を呈しているといえる。個々の祭りを臨場感豊かに描き出すため、
レスピーギはピアノ、オルガン、マンドリン、木の板を打楽器として用いたタヴォレッタなどを加
えている。またローマ三部作の2つの前作にも見られた金管楽器を華やかに用いる書法が
《ローマの祭り》
でも効果をあげている。各曲にはそれぞれにレスピーギによる序文がつい
ており、曲の内容が示されている。
第 1 曲は〈チルチェンセス〉。皇帝ネロが大円形劇場で開催していた残虐な見せ物を指
PROGRAM B
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
23
している。古代ローマでは、市民に娯楽を提供する統治政策がとられており、チルチェンセ
スもその一貫として毎年開催されていたという。会場となったマキシミリアヌス皇帝の円形
劇場では、民衆が野獣と奴隷たちとの格闘を興奮気味にながめている。バンダの華々しい
ファンファーレに続き、聖歌の主題がヴァイオリンと木管で奏される。
第 2 曲〈五十年祭〉は、教皇恩赦が行われた中世の祭りのこと。巡礼者たちが歩いて行
く中、ローマの北にあるモンテ・マリオの丘ではローマを頌える歓喜の賛歌が歌われ、教会
の鐘が鳴り響く。ここでは古い聖歌《キリストは蘇り》が使われ、厳かな気分を高めている。
オルガン、ピアノ、鉄琴、鐘などの明るく澄んだ音色が特徴的に響き、ホルンによる長い牧歌
的なソロによって、続く第 3 曲へと切れ目なく続く。
第 3 曲〈十月祭〉は、ぶどうに囲まれた丘陵地帯カステッリ・ロマーニで行われるルネサン
ス時代の祭りを描いている。この地域はローマ南東部に位置し、ワインの産地としても名高
い保養地である。祭りでは、狩り、馬の鈴、愛の歌に満ち、夜にはロマンチックなセレナード
が響く。曲はホルンとトランペットによる応答で開始され、頻繁に転調しながら、祭りの賑わ
いを描きだす。さらにマンドリンのメロディが効果的に用いられているのも印象的である。
第 4 曲〈主顕祭〉は、20 世紀が舞台で、古代ローマの競技場を整備したナヴォーナ広場
での1月6日の祭前夜の喧 噪が主題である。主顕祭とは、キリストの誕生を祝福する東方
の三博士が、ベツレヘムを訪れたことにちなんだ祭りである。ナヴォーナ広場は現在でも市
民の憩いの場としてよく知られており、1 世紀にドミティアヌス帝がつくらせた競技場の跡地
「ローマっ子がお通りだ
である。物売りや見せ物小屋の手回しオルガンが賑 やかに響き、
が」
という民謡ストルネッロやサルタレッロ
(テンポの速いイタリアの舞曲 )の踊りなどが谺する。
[伊藤制子]
作曲年代
1928 年
初演
1929 年 2月21日、カーネギー・ホール、
トスカニーニ指揮、ニューヨーク・フィルハーモニック
楽器編成
フルート3
(ピッコロ1)
、オーボエ2 、イングリッシュ・ホルン1、クラリネット2 、Es クラリネット1、バス・クラリ
トランペット4 、
トロンボーン3 、テューバ1、ティンパ
ネット1、ファゴット2 、コントラファゴット1、ホルン4 、
シンバル、
シロフォン、
タムタム、
タンブリン、
トライアングル、
グロッケンシュピー
ニ1、大太鼓、小太鼓、
、
ピアノ1
( 4手連弾)
、マンドリン、オルガン1、弦楽、
ル、鈴、中太鼓、ラチェット、鐘、タヴォレッタ
( 木板)
トランペットで代用 )
( 古代のラッパ、
バンダ:ブッキーナ3
24
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | JANUARY 2017
C
PROGRAM
第1853回 NHKホール
金 7:00pm
1/13□
土 3:00pm
1/14□
Concert No.1853 NHK Hall
January
13 (Fri) 7:00pm
14(Sat) 3:00pm
[指揮]
ファンホ・メナ
[conductor]Juanjo Mena
[ギター]
カニサレス*
[guitar]Cañizares*
[コンサートマスター]
伊藤亮太郎
[concertmaster]Ryotaro Ito
ファリャ
歌劇「はかない人生」
]
─間奏曲とスペイン舞曲[8′
Manuel de Falla (1876–1946)
“La vida breve”, opera
–Interlude and Dance
ロドリーゴ
]
アランフェス協奏曲 *[22′
Joaquín Rodrigo (1901–1999)
Concierto de Aranjuez*
Ⅰ アレグロ・コン・スピーリト
Ⅰ Allegro con spirito
Ⅱ アダージョ
Ⅱ Adagio
Ⅲ アレグロ・ジェンティーレ
Ⅲ Allegro gentile
・・・・休憩・・・・
ドビュッシー
]
「映像」─「イベリア」
[20′
・・・・intermission・・・・
Claude Debussy (1862–1918)
“Image”–“Ibéria”
Ⅰ 町の道と田舎の道
Ⅰ Par les rues et par les chemins
Ⅱ 夜のかおり
Ⅱ Les parfums de la nuit
Ⅲ 祭りの朝
Ⅲ Le matin d'un jour de fête
PROGRAM C
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
25
ファリャ
バレエ組曲「三角帽子」第1部、第2部
]
[25′
第1部
Ⅰ 序奏
Ⅱ 昼下がり
Ⅲ 粉ひき女の踊り
Ⅳ お代官様
Ⅴ ぶどう
第2部
Ⅰ 近所の人たちの踊り
Ⅱ 粉屋の踊り
Ⅲ 終幕の踊り
26
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
Manuel de Falla
“El sombrero de tres picos”, ballet
suite–Part1&2
Part 1
Ⅰ Introducción
Ⅱ La tarde
Ⅲ Danza de la molinera (Fandango)
Ⅳ El corregidor
Ⅴ Las uvas
Part 2
Ⅰ Danza de los vecinos (Seguidillas)
Ⅱ Danza del molinero (Farruca)
Ⅲ Danza final (Jota)
PHILHARMONY | JANUARY 2017
Program C|SOLOIST
カニサレス
(ギター)
© Amancio Guillén
1966 年、バルセロナに生まれたギタリスト。1980 年代の終わりから
10 年間、フラメンコの巨匠パコ・デ・ルシアのグループに参加。作曲の才
もあるカニサレスは、フラメンコのみならず、ジャズやロック、クラシックの
『イマンと
要素も柔軟に採り入れて活躍し、1997 年のデビュー・アルバム
ルナの夜』
で新時代の旗手として注目を集めた。ジャンルを超えて多彩な
アーティストと共演するいっぽう、スカルラッティのソナタ、アルベニス、グ
ラナドスのピアノ作品、ファリャの代表作やピアノ曲をギターに編曲した CD シリーズに取り組んでい
る。2011 年 5月、サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とロドリーゴの《アランフェ
ス協奏曲》を共演したのをはじめ、クラシック作品のソリストとしても演奏の機会を拡げている。2013
年春のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンに出演、同冬にも自身のカルテットで来日。2015 年秋には、
新日本フィルハーモニー交響楽団とも共演した。2016 年にはスペイン国立管弦楽団の委嘱により
《ギター協奏曲「アル・アンダルス」》
を作曲し、自らソリストとして初演。 N 響とは今回が初共演となる。
[青澤隆明/音楽評論家]
PROGRAM C
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
27
Program C
ファリャ
歌劇「はかない人生」─間奏曲とスペイン舞曲
《歌劇「はかない人生」》は、マヌエル・デ・ファリャ(1876∼1946)の人生を決定づけた
重要な作品である。スペイン南端の都市カディスに生まれ、マドリードで学んだファリャは、
1907年夏にパリへ渡るが、その時携えていたのがこの作品であった。ファリャはこれ以上な
いほどの好機にパリへ渡ったことになる。まずドビュッシー、ついでポール・デュカスを訪ねた
ファリャは、最終的にこの2人から改訂のために適切なアドバイスを得ることができた。とり
わけデュカスは、ファリャを同郷の作曲家アルベニスに紹介し、そこからピアニストのリカルド・
ビニェスや、ラヴェルへと芋づる式に交友が広がっていった。1875年初演のビゼー《カルメ
ン》からすでに時は経ち、生粋のスペイン人たちの影響から、パリのスペイン趣味はドビュッ
シーやラヴェルによってきわめて精緻で魅力的な段階に達していた。
《はかない人生》はそ
の総仕上げであるかのように、フランスの作曲家や批評家たちに賞賛されたのである。
もともとは1幕のオペラであったが、初演に際して全2幕に改訂された。ロマ(ジプシー)の
女性サルーがスペイン人の恋人パコの裏切りを知り、裕福なスペイン人女性と結婚するパコ
の婚礼の場に、祖母と叔父とともに乗り込んでいく。
「踊るのではなく、殺されるために来た」
と言うサルーはパコの足元に倒れ、息絶える。祖母と叔父がパコに恨みの言葉を浴びせて
幕となる。しばしば抜粋で演奏される間奏曲は、第2幕の第3場と第4場の間奏曲であり、サ
ルーの声を聞いてパコが青ざめるなか、婚礼の場にサルーたちが乗り込む直前の、悲劇を
暗示させる場面である。また続けて演奏されるスペイン舞曲は、それより前の第2幕第1場、
婚礼の宴で参加者たちがフラメンコを歌い踊る場面の音楽である。
[安川智子]
作曲年代
1904∼1905年(1913年まで改訂)
初演
1913 年 4月1日、ニース、カジノ・ミュニシパル、ジャック・ミランヌ指揮。1914 年 1月7日、パリ、オペラ・
コミック座
楽器編成
フルート2 、
ピッコロ1、
オーボエ2 、
イングリッシュ・ホルン1、
クラリネット2 、バス・
クラリネット1、
ファゴット2 、
トランペット2 、
トロンボーン3 、テューバ1、ティンパニ1、
トライアングル、シンバル、サスペン
ホルン4 、
デッド・シンバル、大太鼓、カスタネット、グロッケンシュピール、ハープ2 、チェレスタ1、弦楽
28
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | JANUARY 2017
Program C
ロドリーゴ
アランフェス協奏曲
1936年から1939年、スペインで勃 発した内戦は各地に大きな被害をもたらした。この
惨状はピカソの名画『ゲルニカ』
で生々しく表現されているが、王宮のあったマドリード近郊
のアランフェスも例外ではなかった。この地の王宮は18世紀にフェルナンド6世の命により
創建されたもので、いにしえの優雅さを現在も残している。河川や庭園などからなるアラン
フェス一帯は、その美しい景観により、2001年に世界遺産に登録された。この地の名前を
は、内戦当時、故国を離
冠したホアキン・ロドリーゴ(1901∼1999)の《アランフェス協奏曲》
れてフランス、ドイツなどに滞在していた作曲家が、帰郷後、母国で大成功を収めた記念碑
的作品である。
曲は旧知のギタリストでマドリード音楽院教授レヒノ・サインス・デ・ラ・マーサの助言を得
て完成され、1940年11月9日、バルセロナでレヒノ自身のギターで初演された。3楽章から
なるが、中でももっとも有名なのが第2楽章だろう。その哀愁に満ちた歌い回しの魅力ゆえ、
種々の編曲でも親しまれている。全体は、ギターの音色を引き立てる繊細なオーケストレー
ションがなされており、随所にスペイン風の民俗調の情感は感じさせるものの、ロドリーゴが
学んだフランス近代の洗練されたスタイルが支配的である。
第1楽章はニ長調、6/8拍子のソナタ形式で、冒頭の小気味よいリズムが曲を先導してい
く。もっとも長い第2楽章は旋法を用いた息の長いギターの旋律が印象的で、ロ短調、4/4
拍子。しめくくりは、きびきびとしたテンポのロンド形式による第3楽章で、ニ長調、2/4拍子
と3/4拍子が交代する。
[伊藤制子]
作曲年代
1939年
初演
1940 年 11月9日、バルセロナ、
レヒノ
・サインス・デ・ラ・マーサのソロ
楽器編成
フルート2
(ピッコロ1)
、オーボエ2
(イングリッシュ・ホルン1)
、クラリネット2 、ファゴット2 、ホルン2 、
トランペッ
ト2 、弦楽、ギター・ソロ
PROGRAM C
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
29
Program C
ドビュッシー
「映像」─「イベリア」
《映像》
と題され、ドビュッシー(1862∼1918)
が生前に発表した全3作のうち、今回演奏
される《イベリア》
を含む第3集のみが管弦楽曲であることから、本作は「管弦楽のための
を発表していたドビュッ
《映像》」
とも呼ばれている。すでに《交響詩「海」》
(1903∼1905年 )
シーにとって、この管弦楽のための《映像》
はその先を模索するものとなった。民俗的なリズ
ムの自在な扱いやいっそう繊細な音色の探求は、ドビュッシーの管弦楽法上の新たな転機
を明確に示している。
《イベリア》
(スペイン)、
《春の踊り》
(フラン
管弦楽のための《映像》は《ジーグ》
(イギリス)、
ス)
の民俗的素材による3曲から成り、この第2曲《イベリア》
は単独で演奏される機会が多く、
「心象」
という意味も持つよう
最も親しまれている。タイトルの原語 Images が「映像」以外に
に、
《イベリア》
も単なる異国の情景描写ではなく、
ドビュッシーの想像力によって再創造され
た音楽的イマージュにほかならない。
《イベリア》全体は3部分から成る。第1曲〈町の道と田舎の道〉ではカスタネットが舞踏の
リズムを軽快に刻み、明朗なクラリネットの旋律が多彩に展開される。巧みな管弦楽法が
音の方向性をさまざまに分散し、異国の喧 噪を喚起する。第2曲〈夜のかおり〉は緩やかな
ハバネラのリズムとオーボエの物憂げな旋律に始まり、分割された弱音器付きの弦の精妙
な音色のテクスチュアが、神秘的な夜のざわめきと官能を醸し出す。夜明けを告げる鐘の音
とともに第3曲〈祭りの朝〉に切れ目なく入ると、軽快な行進曲のリズム、ギター風の弦のピ
チカートやクラリネットの陽気な旋律が夜の残り香を一掃する。音色やリズムのめまぐるしい
変化を伴いつつそれまでの旋律が回想され、意気揚々と締めくくられる。
[関野さとみ]
作曲年代
1905∼1908年(《映像》全体の作曲年代は1905∼1912年)
初演
1910 年 2月20日、パリ、ガブリエル・ピエルネ指揮、コロンヌ管弦楽団
楽器編成
フルート3
(ピッコロ1)
、
ピッコロ1、オーボエ2 、イングリッシュ・ホルン1、
クラリネット3 、
ファゴット3 、コント
トランペット3 、
トロンボーン3 、テューバ1、ティンパニ1、カスタネット、タンブリ
ラファゴット1、ホルン4 、
ン、小太鼓、中太鼓、
シンバル、サスペンデッド・
シンバル、テューブラー・ベル、
シロフォン、チェレスタ1、
ハープ2 、弦楽
30
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | JANUARY 2017
Program C
ファリャ
バレエ組曲「三角帽子」第1部、第2部
ルネサンス時代のイタリア貴族の館での踊りが起源だとされているバレエ。その後ルイ14
世の宮廷、19世紀前半のパリ、そして帝政時代のロシアでひとつの頂点を迎えたが、バレエ
において音楽と舞踏とが最も緊密に結びつき、これまでにない斬 新な総合芸術へと昇華さ
れていった幸福な時代は、20世紀前半のパリだといっても過言ではない。
背景には当代随一の興行主セルゲイ・ディアギレフの存在があった。彼はダンサーでも音
楽家でもなかったが、裕福な家庭の出身で当時のロシアの芸術家達との交流も深めてい
た。そうして培った芸術をめぐる教養と時代への鋭い感性によって、自身が率いたロシア・バ
レエ団を歴史に残る名カンパニーへと押し上げたのだった。彼の嗅覚は音楽選択にも発揮
された。当時のパリの聴衆の話題になりそうな斬新な音楽でバレエを次々と上演。賛否が
分かれたこともあったが、結果的には当時のパリでこれほどまでに成功を収めたバレエ団
はほかには存在しなかった。
ファリャ(1876∼1946)の代表作となったバレエ音楽《三角帽子》誕生のきっかけをつくっ
たのが、このディアギレフだったのである。スペイン風のバレエの上演を企画していた彼が白
羽の矢を立てたのが、ストラヴィンスキーの紹介で1916年に知り会ったファリャ。おそらく当
時のパリで流行していた異国趣味をバレエにも採り入れようとしたのだろう。当初はファリャの
《スペインの庭の夜》
を気に入ったディアギレフがバレエ化を提案したらしいが、題材は両者
の協議のうえ、ファリャがかねてから関心を抱いていたアラルコンのパントマイム劇『代官と粉
屋の娘』
に決まった。振付家レオニード・マシーンはスペイン風のリアルな情感を出すために、
ファリャとともにグラナダを訪れ、ロマの踊り手の青年に指南を受け、土着の踊りの動きを最
大限とり入れたと伝えられている。1919年7月22日のロンドンのアルハンブラ劇場での初演
は大成功をおさめた。粉屋の妻役は、のちに名バレリーナのマーゴ・フォンテーンの当たり役
ともなった。初演の管弦楽の指揮を担当したのは、エルネスト・アンセルメである。
バレエには、アンダルシアの町はずれに住む水車小屋の粉屋の夫妻。そして代官夫妻、
伊達男、警官、近所の人たちなどが登場する。物語は、横暴な代官がやり込められ、ひどい
仕打ちを受けるという痛快な喜劇。美しい粉屋の妻を見初めた代官は、彼女を自分の物
にしようと画策。粉屋を強引に逮捕させるという暴挙に出るのだが、粉屋の妻に迫ろうとし
た代官は、橋から落ちてずぶ濡れになってしまう。上着を着替えようと粉屋の家に忍び込み、
PROGRAM C
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
31
粉屋のマント姿になった代官は、今度は留置所から逃げ出した粉屋に間違えられ、警官に
手ひどい仕打ちを受けるのである。
今回演奏されるのはバレエ版から1921年に2部構成に編み直された組曲版。バレエ版
からかなり音楽を刈り込み、聴きどころを巧みにつなげた版で、密度の濃いものになってい
〈昼下
る。第1部は5曲からなる。ティンパニ、トランペット、ホルンによる短い〈序奏〉に続く
がり〉は、粉屋夫妻の踊りで、叙情味豊かな音楽に民族舞踏的な情感が入り交じる部分に
なっている。スペインのアンダルシア地方のフラメンコのリズムによるファンダンゴを用いた
〈粉ひき女の踊り〉は、独特のアクセントのついた音楽で、バレエ版でも粉屋の妻のソロ・ダ
ンスの見せ場になっている。その後〈お代官様〉では、粉屋の妻にちょっかいをだしにやっ
て来た代官の姿が短くユーモラスに描かれる。第1部をしめくくる〈ぶどう〉は、2人のやり取
りに粉屋も加わる場面になる。ぶどうを差し出された代官は粉屋の妻に言い寄ろうとする
が、うまくいかず退散する。
〈近所の人たちの踊り〉で開始される。スペインの民族舞踏セギ
3曲からなる第2部は、
ディーリャによる生き生きとした躍動感が際立っている。この舞曲はあのビゼーの《カルメン》
などでもおなじみだが、3拍子でカスタネットとギターを伴う躍動したリズムが特徴である。続
く
〈粉屋の踊り〉はファルーカとよばれるスペインの激しい民俗舞踏がもとになっており、粉
屋の逮捕とひとり残される妻が描写される。最後は、
〈終幕の踊り〉。旋回するような舞曲ホ
タのリズムで華麗に曲は閉じられる。
[伊藤制子]
作曲年代
1919年(バレエ版)、1921年(組曲版)
初演
1919 年 7月22日、ロンドンのアルハンブラ劇場
(バレエ版)
、エルネスト・アンセルメ指揮
楽器編成
フルート2
(ピッコロ1)
、ピッコロ1、オーボエ2 、イングリッシュ・ホルン1、クラリネット2 、ファゴット2 、ホル
トランペット3 、
トロンボーン3 、
テューバ1、
ティンパニ1、
カスタネット、
シロフォン、
シンバル、小太鼓、
ン4 、
ピアノ1
サスペンデッド・
シンバル、大太鼓、
トライアングル、タムタム、グロッケンシュピール、ハープ1、
(チェレスタ1)
、弦楽
32
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | JANUARY 2017
Natsuki Sawatani
澤
谷
夏
樹
語
っ
て
い
た
だ
き
ま
す
。
モ
ダ
ン
・
オ
ー
ケ
ス
ト
ラ
に
お
け
る
﹁
ピ
リ
オ
ド
・
ア
プ
ロ
ー
チ
﹂
に
つ
い
て
第
五
回
は
、
音
楽
評
論
家
の
澤
谷
夏
樹
さ
ん
に
さ
ま
ざ
ま
な
ト
ピ
ッ
ク
を
深
掘
り
し
て
い
く
シ
リ
ー
ズ
。
現
代
の
オ
ー
ケ
ス
ト
ラ
を
め
ぐ
る
ゆオ
くー
えケ
ス
ト
ラ
の
ライプツィヒで掴んだ
ピリオド・アプローチの芯
シ
リ
ー
ズ
ピ第
リ五
オ回
ド
・
ア
プ
ロ
ー
チ
番と第4番を中心としたプログラム。その合
間にグラウプナーやバッハの長男ウィルヘル
ム・フリーデマンの作品を挟む。
ドイツ中部ライプツィヒの旧市街から、北
かすかな違和感を感じたのはチューニン
に1km ほどのところにそびえる聖ミヒャエル
グのとき。現 代 楽 器(20世 紀 後 半から用いら
教会。2010年6月、ここでオランダのオーケ
れる当世風の楽器 )
を手にした音楽家たちを
ストラ、コンバッティメント・コンソート・アムステ
見て、
「この団体はモダン・オーケストラだっ
ルダムの演奏を聴いた。ヨハン・セバスティア
たかな?」
と疑問符が頭に浮かぶ。かつて
ン・バッハの《ブランデンブルク協奏曲》第2
聴いた録音は古楽器( 作曲当時のスタイルの
楽 器 )の演 奏だったような気がする。曲が
始まってすぐ、疑問符は感嘆符に変わった。
「古楽器の音がする!」彼らが手にしてるの
は紛う方なき現代楽器。聴こえてくるのは
古楽器の音運びだ。このとき「ピリオド・アプ
ローチ
( 時代様式の尊重)」の芯を、やっと掴め
© Maurice Lammerts van Bueren
た気がした。
コンバッティメント・コンソート・アムステルダム
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
33
ピリオド・アプローチの正体
モダン・オーケストラの
ピリオド・アプローチ
「てふの羽の幾度越る塀のやね」
(松尾芭蕉)
多くのモダン・オーケストラが今日、ピリオ
この春の句を「チョーノハノ イクタビコユル
ド・アプローチを取り入れるようになった。た
ヘイノヤネ」
と読むのが、ピリオド・アプロー
だその取り入れ方は一様ではない。それは
チの 正体 だ。冒頭の「てふ」
を「チョー」
と
大きく3つに分類することができる。
読み、そのあとに「羽」が続いていることか
ら、この語が蝶を指していると分かる。これ
を「テフ」
と読んでしまっては元も子もない。
現代仮名づかいに基づけばこれは確かに
「テフ」だが、意味が通らない。それでも現
代仮名づかいでは「てふ」
は「テフ」
だ、と押
し通す向きもある。
(1)楽器はすべて現代のもので、演奏法
に古楽器の文法を取り入れる
( 2)楽器に一部、古楽器を交え、演奏法
に古楽器の文法を取り入れる
( 3)楽器に一部、古楽器を交え、演奏法
は現代楽器の文法のまま通す
そうした態度に違和感を持ち、この語の
そもそもの読みと意味、そしてこの句の真の
先述のコンバッティメント・コンソート・アム
内容を探ろうとするのが、ピリオド・アプロー
ステルダムは、
( 1)のもっとも徹底した例。ピ
チだ。読みを知るには旧仮名づかいを知ら
リオド・アプローチの両輪を踏まえた上で現
なければならない。これは俳諧の技術その
代楽器を操る。その結果、古楽器の楽団に
ものではないが、これが頭に入っていなけ
比肩するほど生き生きとした演奏になる。大
れば妥当な解釈にたどり着けない。逆に、
切なのは楽器よりもむしろ文法であることが
これが頭に入っていれば、毛筆で解答しよ
よく分かる。
うとフェルトペンで解答しようと、古文の試
そこまで徹底しないまでも、ピリオド・アプ
験は合格だ。道具の問題ではない。
ローチの利点を一部、取り入れることで、現
ただし道具が教えてくれることもある。た
代楽器を用いながら、作曲当時の息吹を伝
とえば、作句にたびたび登場するある語と
える演奏に到達する場合もある。たとえば、
語との連なりは、毛筆のときに心地よく続け
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮、ゲヴァント
書きできるがゆえに頻出するのだとすれば、
ハウス管弦楽団の2013年5月の演奏( 於ライ
それはまさに毛筆を使ったときにしか気づく
プツィヒ・ゲヴァントハウス)
。演目はベルリオーズ
ことはできない。
《幻想交響曲》
だ。18世紀以来の分節法で、
つまりピリオド・アプローチとは、音楽を妥
ひと続きに見える旋律に鋏を入れる。それ
当な解釈で読み、その意味を探るための古
によっておしゃべりをするような楽想を実現。
典文法を身につけること、場合によってはそ
ヴィブラートを付けない場面と付ける場面と
れを楽器に学ぶことの両輪からなる。
を分け、さらに付ける場面では振幅の大きさ
や速さを変え、多面的な表現に結びつける。
古楽器の楽団を率いる指揮者が、モダ
34
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | JANUARY 2017
© J.M. Pietsch
ヘルベルト・ブロムシュテット
ゲヴァントハウス管弦楽団
ン・オーケストラを振る機会が拡大して、
(1)
とティンパニに1800年前後のスタイルの楽
にあたる演奏が増えた。一方、ブロムシュ
器を用いた。モダン・オーケストラに一部、古
テットのようにふだんモダン・オーケストラを
楽器を導入する試みだ。
振る指揮者が、
その演奏にピリオド・アプロー
重要なのは無弁トランペットを使ったこ
チを取り入れることも多くなった。そのことに
と。現代のトランペットに比べて管の長さが
より両者の音楽は、古楽側に近づく方向で、
長い。出る音の高さは同じ。つまり、無弁ト
その溝を埋めつつある。
ランペットは現代のトランペットよりも、より高
パーヴォ・ヤルヴィ指揮、
ドイツ・カンマーフィ
い倍音列で音階を作っている。そうなると当
ルハーモニー管弦楽団が 2009年 9月、ドイ
然、奏者の唇にも、出てくる音にも、現代楽
ツ西部ボンのベートーヴェン音楽祭で披露
器にはない緊張感が漂う。その音色は押出
した、
ベートーヴェンの交響曲全曲演奏会は
しこそ強くないが上品な個性を持つ。現代の
(2)にあたる。このとき彼らは、トランペット
トランペットは、自らの登場する場面をその
© Oliver Reetz
© Kaupo Kikkas
パーヴォ・ヤルヴィ
/
写
真
提
供
ジ
ャ
パ
ン
・
ア
ー
ツ
ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
35
音でべた塗りしがちだが、無弁トランペットは
ピノック指揮、ゲヴァントハウス管弦楽団の
その気品のある音色で、周囲を圧することな
2016年6月の演奏(於ライプツィヒ・ゲヴァントハウ
く存在感を主張する。ヤルヴィはそんな音づく
ス)
。バッハの《マタイ受難曲》
(メンデルスゾーン
りを目指して、古楽器を導入したのだろう。
編曲1841年版 )
でピノックは、音量のバランス
なお(3)
に音楽的な成果が期待できない
をとることはもちろん、管弦楽に可能な限り
ことは、はっきりしている。古典文法を身に
合唱寄りの、合唱に可能な限り管弦楽寄りの
つけることも、手にした古楽器からそれを学
音色を求め、両者の乖 離を埋める。その結
ぶこともしようとしない。古楽器さえ持てば
果、古楽器が実現するコラパルテに近い効果
ピリオド・アプローチをしたことになる、という
を、モダン・オーケストラから引き出した。
のはいかにも浅はかな考えだ。こうしたモダ
今後、日本のモダン・オーケストラにおい
ン・オーケストラはもちろん、存在しないとは
ても、器楽曲だけでなく、声楽を交えた作品
思うが ……。
でピリオド・アプローチを試みる局面が増え
るだろう。そのとき、器楽と声楽との溶け合
今後の展 望
― 器楽と声楽の溶け合いを目指して
いの実態を、古楽器演奏に学んでおくこと
はとても重要だ。さらに、それをモダン・オー
ケストラでどのように実現するか、という点も
大規模声楽曲の扱いは、世界中のモダ
あわせて考える必要がある。教会音楽にオ
ン・オーケストラにとって大きな課題だ。現代
ラトリオ、そしてオペラ。モダン・オーケストラ
楽器と古楽器の顕著な違いはその音量と
がピリオド・アプローチで開拓すべき沃 野は、
音色。大ホールで朗々と響かせるため改造
まだまだ広がっている。
されたのが現代楽器で、音量は増し音色の
押し出しも強くなった。他方、人間の声は昔
澤谷夏樹(さわたに なつき)
と今とでその音量音色とも、楽器の変化ほ
音楽評論家。慶應義塾大学大学院文学研究科哲学
ど変わっていない。かつては音量の点でも
専攻修士課程修了。現在、新聞や雑誌、演奏団体
音色の点でも美しく溶け合った器楽と声楽
とはいまや、音の張り上げ合戦をすることす
の公演プログラムなどに批評や解説を寄稿している。
2011年度
〈柴田南雄音楽評論賞〉
本賞、2007年度同
奨励賞を受賞。監修に『バッハ大解剖!』
、共著に『バッ
らある。とりわけ、大規模声楽曲でしばしば
ハおもしろ雑学事典』
、研究に『 J・S・バッハの「任意装
見られるコラパルテが問題だ。ここでのコラ
飾」研究』
『 天宝十四調の「実用性」『
』「アートの質」
は
パルテとは器楽の各楽器が、合唱の各パー
トの旋律を重複して演奏すること。これがう
まく溶け合うと、器楽でも声楽でもない第3
『 顕彰・コンクー
玄関に響く― ロビーコンサート四態』
ル事業の現在―選考方法と事後支援策』
など。日本
音楽学会会員、企業メセナ協議会外部研究員。
の音色で歌が客席に届き、歌詞が 5割増し
で聴こえるようになる。これを、声楽を置い
てきぼりにして 筋肉を増強 した現代楽器
で実現するのは、非常に難しい。
その点で成果を上げたのがトレヴァー・
36
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | JANUARY 2017
者)
、ペルト独特の音世界が味わえよう。一方
2月定期公演の
聴きどころ
トゥール《プロフェシー》
(「予言」の意)
はアコー
ディオンと管弦楽のための協奏作品で、連続
する4つの楽章からなり、トゥール独自の書法
のうちにアコーディオンの表現の可能性を追
求した作品だ。独奏はラトビア出身の若き俊
英クセニア・シドロヴァ。国際的な活躍めざま
しい彼女の表現力と名技に注目したい。
後半はシベリウスの《交響曲第2番》。フィ
ンランドのこの大作曲家の作品の中でも、
壮大かつロマン的な魅力のゆえに特に親し
2月の N 響定期公演を振るのは首席指揮
まれているものである。果たしてパーヴォが
者のパーヴォ・ヤルヴィ。このポストに就任し
どんな切り口でこの名曲にアプローチするの
て以来、毎回考え抜かれたプログラムをとお
か、興味深いものがある。
して N 響のレパートリーに大きな広がりをも
たらしてきたパーヴォだが、今回も A プロで
は2曲の北欧の現代作品を日本で初めて紹
C プロはシベリウスとショスタコーヴィチ
ソリストは諏訪内晶子
介する。一方シベリウス
(A、C プロ)やショスタ
コーヴィチ(C プロ)のお馴染みの名曲では作
C プロ前半の曲目は古今のヴァイオリン協
品に新しい光を当てるような、彼らしいフレッ
奏曲の中でもとりわけ名曲のひとつに数えら
シュな解釈を聴かせてくれるだろう。
れるシベリウス《ヴァイオリン協奏曲》。北欧の
風土を反映しつつ、深い内省的な性格を持
2月は首席指揮者のパーヴォが登場
A プロは北欧特集
ち、一方でヴァイオリンの技巧を生かした傑作
だ。今回何よりも注目されるのはソリストとして
諏訪内晶子が登場することだろう。1990年
エストニア出身のパーヴォはこれまでもし
のチャイコフスキー国際コンクールで一躍有
ばしば北欧の作品を取り上げてきた。今回
名になって以来すでに四半世紀以上、最近
の A プロもまさに北欧特集で、特に前半では
の彼女は、本来の端正なスタイルは失うことな
彼と同じエストニアの作曲家の現代作品が2
く、そこに格段と表現の深みを加えた円熟し
曲、日本初演される。最初のペルト
《シルエッ
た演奏を聴かせているだけに、今回のシベリ
ト― ギュスターヴ・エッフェルへのオマージュ》
ウスは期待が大きい。彼女はこれまでもパー
は、パーヴォがパリ管弦楽団の音楽監督と
ヴォとの共演を重ねてきているので、息の合っ
なった際に彼のためにペルトが作曲したもの
た名演となること間違いないだろう。
である。エッフェル塔の構造と形姿に霊感を
後半は旧ソ連の大作曲家ショスタコーヴィ
得て書かれた弦と打楽器のみの編成の小品
チの大作である
《交響曲第10番》。ソ連の厳
で(副題中のギュスターヴ・エッフェルはこの塔の設計
しい統制のもとで辛酸を嘗めたショスタコー
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
37
ヴィチがスターリン死後に完成させたシリア
に対して、パーヴォがいかに斬りこんでいくの
スなこの作品には、作曲者のさまざまな思い
か楽しみである。なお、2月の C プロと横浜
が込められている。意味ありげな引用や音
スペシャルの演目は、2月末からの N 響ヨー
型による象徴表現を盛り込みつつ、暗く重々
ロッパ公演でも演奏される。
しい第1楽章から開放感あふれるフィナーレ
に至るまで波乱万丈に展開するこの交響曲
[寺西基之/音楽評論家]
2月の定期公演
A
土□
祝 6:00pm
2/11 □
日 3:00pm
2/12 □
ペルト/シルエット─ギュスターヴ・エッフェルへのオマージュ
(2009[
)日本初演]
)日本初演]
トゥール/アコーディオンと管弦楽のための「プロフェシー」
(2007[
シベリウス/交響曲 第2番 ニ長調 作品43
NHK ホール
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
アコーディオン:クセニア・シドロヴァ
C
シベリウス/ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47
ショスタコーヴィチ/交響曲 第10番 ホ短調 作品93
NHK ホール
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
ヴァイオリン:諏訪内晶子
金 7:00pm
2/17□
土 3:00pm
2/18□
N響横浜スペシャル パーヴォ・ヤルヴィ指揮 マーラー
「悲劇的」
パーヴォにとってマーラーの交響曲は中心
ルで演奏されるのは《第6番「悲劇的」》。苦悩
的なレパートリーのひとつで、N 響でもすでに
と闘争と憧れが交錯するこの作品のドラマチッ
何曲か取り上げてきた。2015年10月の首席
クな起伏の激しさをパーヴォがいかに浮き彫り
指揮者就任記念定期演奏会の曲目として《第
にしてくれるのかが聴きどころとなろう。N 響
2番「復活」》
を選んだことにも彼のマーラーへ
の底力を存分に引き出すような名演となること
の傾倒が窺えるし、記憶に新しいところでは、 を期待したいものだ。冒頭に壮烈なマーラーと
昨秋 N 響創立90周年を記念して《第3番》
と
はまったく対照的な、デリケートな感性に満ち
《第8番》を演奏して、その直 截なアプローチ
た武満徹の《弦楽のためのレクイエム》
を配し
が大きな話題を呼んだ。今回の横浜スペシャ
水 7:00pm
2/22□
木 3:00pm
2/23□
たプログラミングも心憎いものがある。
N響横浜スペシャル
「悲劇的」
パーヴォ・ヤルヴィ指揮 マーラー
横浜みなとみらいホール 大ホール
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ 武満 徹/弦楽のためのレクイエム
(1957)
マーラー/交響曲 第6番 イ短調「悲劇的」
38
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | JANUARY 2017