米国世界貿易センタービルの被害拡大過程

科学技術振興調整費
成果報告書
先導的研究等の推進(緊急研究分)
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、
被災者対応等に関する緊急調査研究
研究期間:平成13年度
平成 14 年 6 月
文部科学省
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
研究計画の概要
p.1
研究成果の概要
p.6
研究成果の詳細報告
1. 世界貿易センタービル地区の都市環境被害の実態とその後の復旧過程の分析
1.1. 世界貿易センターとその周辺環境の経緯と現在
p.20
1.2. 建築物の構造被害
p.32
1.3. シミュレーションによる超高層ビル崩壊モードの分析
p.46
1.4. 火災による建築物への被害
p.61
1.5. 周辺建物の応急危険度(被災度)判定活動
p.72
1.6. WTC 地区の地下構造物とその被害
p.82
1.7. WTC 崩壊被害の周辺環境への影響
p.98
1.8. 消防活動と避難行動
p.108
1.9. ライフライン関係の被害実態とその後の復旧過程
p.117
2. グラウンドゼロ地域での災害対応過程の分析
2.1. 巨大都市災害時の現地災害対策本部が必要とする条件と意思決定過程
p.131
2.2. 第一波災害後の情報の流れと人々の避難行動様式
p.138
2.3. 犠牲者に対する医療及び法医学的対応
p.144
2.4. 巨大都市災害における救助活動・ガレキ処理と情報収集
p.151
2.5. 都市インフラの被害と機能への影響及び緊急対応の実態
p.162
2.6. 救助体制の確保と救助技術の分析
p.182
2.7. 消防救助資機材と避難支援資機材
p.190
3. 世界貿易センタービル災害の広域的な影響と復興過程の分析
3.1. 復興に向けての緊急対応
p.200
3.2. 道路ネットワークの安全確保対応及び危機管理体制の実態調査
p.209
3.3. 被害の把握過程と復興計画の策定
p.219
3.4. 間接被害の実態
p.233
3.5. 世界経済への影響
p.254
4. 在ニューヨーク(NY)日系企業及び日本人旅行者の対応のエスノグラフィー調査
4.1. 日系企業ならびに日本人旅行者のエスノグラフィー調査
p.261
4.2. WTC 内の米国企業ならびに WTC 周辺住民の対応過程に関するエスノグラフィー調査
p.279
4.3. 緊急時の避難者の意志決定の実状調査
p.293
4.4. 住民避難を考慮した防災体制について
p.305
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
研究計画の概要
研究の趣旨
2001 年 9 月 11 日朝、
ニューヨーク・世界貿易センタービルで発生した航空機を使用したテロ事件は、
2 時間の間に 1.35 億平方メートルのオフィス空間と約 3000 名もの生命を奪った。膨大なガレキの山と
なった世界貿易センタービルでは災害発生から8ヶ月以上にわたって救出活動・ガレキ搬出活動が継
続された。この事件は自然外力を原因としたものではないが、発生直後からの社会の対応は、救命・
救急作業、情報収集、ニ次被害防止活動など、都市型の大規模災害への対応と何らかわりはなかった。
この災害による直接被害額は 1,500 億ドルに達するといわれ、米国災害史上最悪の災害となった。こ
の災害によって喪失したオフィス空間に入居していた行政機関や世界の主要企業群の被害評価、活動
停止の影響も大きく、ダウジョーンズや NASDAQ の急落をはじめ、世界経済にも甚大な影響を与えてい
る。以上から、今回の災害は複雑化した都市機能が持つ脆弱性を凝縮した形で具現化した新しい災害
であるといえる。
しかし、この災害は、決して他人事ではなく、この災害で 30 名以上の邦人が命を落としたのを始め、
この災害による社会・影響も大きく、わが国では保険会社の連鎖倒産まで発生している。しかも、こ
の種の災害は世界のどの大都市でも今後発生する危険性を持つ災害なのである。
このため、この災害を教訓に、災害被害軽減に資することを目的として、同時多発テロ事件のうち
被害規模も大きいニューヨーク貿易センタービル周辺での災害に関する実証的な調査を、1)物理的
被害およびそれに伴う都市機能の損傷の実態とその後の回復過程、2)現場での消火、人命救助等の
災害対応活動の実態と市・州・連邦政府等関係機関のマネジメントシステム、3)本災害が及ぼす広
範な影響、4)日本人被災者を中心事例とした被災者行動と危機管理、の観点から実施した。
研究計画の概要
今回の災害は空間的にはきわめて限定された災害でありながら、その影響は全世界的に及んでいる。
災害の全貌を把握するには、被災地の現地踏査だけでは困難であり、災害発生以来その対応と調査研
究にあたってきたアメリカ側の防災関係者や研究者の協力をもとに、事実を再構成することが不可欠
である。そこで、本研究は国研・独立行政法人・大学等の各分野の研究者からなる総合的な研究体制
により、米国側と密接な共同研究体制を構築した日米共同研究として研究を実施した。米国科学財団
防災研究担当プログラムディレクター・デニス・ウェンガー博士、ニューヨーク大学行政学研究所及
び社会基盤システム研究所、デラウェア大学災害研究所と協力し、米国の研究者がこれまで行ってき
た研究成果の共有化と現地調査での連携を図った。
平成 14 年 2 月 24 日から 3 月 3 日までの期間に実施した現地調査においては以下の 4 研究課題を設
定し,総合的な検討をすすめた.
1. 世界貿易センタービル地区の都市環境被害の実態とその後の復旧過程の分析
2. グラウンドゼロ地域での災害対応過程の分析
3. 世界貿易センタービル災害の広域的な影響と復興過程の分析
4. 在ニューヨーク(NY)日系企業及び日本人旅行者の対応のエスノグラフィ-調査
1
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
1. 世界貿易センタービル地区の都市環境被害の実態とその後の復旧過程の分析
① 研究の目的および概要
世界貿易センターのような超高層ビルは、その設計の段階から周辺地域を含めた都市環境シス
テムの構成要素として位置付けられている。世界貿易センタービルの破壊は建物自体の被害にと
どまらず、エネルギー、ライフラインなど周辺都市システムの破綻として大きな影響を及ぼした。
本研究では、世界貿易センタービルおよび周辺地域の設計段階からの資料を収集するとともに、
その被災にともなう連鎖構造の解明を試みる。またそれらの破壊プロセスを検討し、破壊階数、
被害発生時刻、季節などの条件の変化により社会に与える影響がどの程度変わるのかをシミュレ
ーションにより考察する。
② 調査項目
・ WTC1、2の倒壊過程のモデル化と検証
・ WTC1、2の避難手段と避難行動の実態調査
・ 超高層ビルの倒壊による周辺構造物への影響調査
・ WTC地下インフラの被害分析
・ ライフライン関係の被害実態とその後の復旧過程
・ 周辺建築の被害実態と応急被災度判定
・ シミュレーションによる超高層ビル崩壊モードの分析
・ WTC地域の環境被害の3Dシミュレーション
2. グラウンドゼロ地域での災害対応過程の分析
① 研究の目的および概要
今回のWTCビルは100m四方に満たない狭い地域だけが被災し、ジェット燃料火災によって、
3000名もの人命と地下10階、地上110階分の瓦礫が積み上げられるという、これまでとはまった
く異なる被災現場が出現した。本課題では、ハザードの評価とそれを踏まえた現場での消火、救
助活動等の災害対応活動の実態、ガレキ処理の実態、警察と消防の連携を始めとする災害対応機
関の活動の実態、について調査・解析を行う。
② 調査項目
・ ハザードの評価とそれを踏まえた救助活動の調査
・ 警察と消防の連携に関する調査
・ 犠牲者に対する医療及び法医学的対応に関する調査
・ 災害救助主務機関(米国赤十字社)の対応
・ 巨大災害の情報収集と復旧の迅速化に関する基礎調査
・ 大規模都市災害におけるガレキ処理に関する調査
・ 都市インフラの被害と機能への影響及び緊急対応体制の実態調査
3. 世界貿易センタービル災害の広域的な影響と復興過程の分析
2
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
① 研究の目的および概要
WTC災害は物理的な被害はグラウンドゼロ地域に限定されているものの、テレビの同時中継に
よって全世界にリアルタイムで報道された世界災害である。55の国と地域の人々を犠牲にし、
被害額は日本円にして15兆円に及ぶとニューヨーク市は発表した。また、世界の金融経済の首都
におきた災害は損害保険及び世界経済に大きな影響を及ぼしている。さらに、ガレキの撤去に目
処がついた現時点では、跡地の復興についての方針決定にあたって重要な局面にさしかかってい
る。本課題は、こうした災害が及ぼす広範な影響をできる限り実証的に検証すると同時に、大震
災による間接的な経済被害についての知見を得る。
② 調査項目
・ WTC災害発生時の連邦、州、市の政府間の役割分担(権限と責務)に関する調査
・ 地方行政機関の対応(NY市・NY州)と連邦政府との調整
・ 道路ネットワークの安全確保対応及び危機管理体制の実態調査
・ WTCビル崩壊事故が保険及び世界経済に及ぼす影響の実証的検証、大災害による間接的な
経済被害についての知見集積
・ WTC跡地の復興計画の方向性
4. 在ニューヨーク(NY)日系企業及び日本人旅行者の対応のエスノグラフィ-調査
① 研究の目的および概要
WTCビルには50社を超える日本企業がオフィスを構えており、日本人の犠牲者も30名に及
んでいる。また、日本人旅行者も多く、事件当時も多くの日本人が付近に居合わせた。本研究で
は、海外において未曾有の災害を体験した人々の避難行動、その後の対応行動、心理状況につい
て、インタビューを通して体験を再構成する。比較対照とするために,アメリカ人の被災者に対
しても同様なインタビューを行なう.
② 調査項目
・ 被災者のエスノグラフィー、日本企業の対応(安否確認等)、被災者の心理状況
・ 緊急時の避難者の意志決定の実状調査
・ マスコミやインターネットによる情報提供と世論の動向
研究年次計画
本研究は単年度研究であるため、研究のすべてを平成13年度に実施した。
3
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
平成13年度における研究実施体制
研
究
項
目
担当機関
研究担当者
京都大学防災研究所(中核機関)
◎河田恵昭
被害の実態とその後の復旧過程の分
東京大学生産技術研究所
○目黒公郎
析
筑波大学
村尾
京都大学
上谷宏二
米国世界貿易センタービルの被害拡大過
程、被災者対応等に関する緊急調査研究
1.世界貿易センタービル地区の都市環境
木村
〃
修
亮
独立行政法人防災科学技術研究所
箕輪親宏
独立行政法人産業技術総合研究所
緒方雄二
国土交通省国土技術政策総合研究所
上之薗隆志
独立行政法人建築研究所
勅使川原正臣
独立行政法人消防研究所
金田節夫
2. グラウンドゼロ地域での災害対応過
程の分析
京都大学防災研究所
○河田恵昭
日本赤十字九州国際看護大学
喜多悦子
横浜市立大学
西村明儒
独立行政法人産業技術総合研究所
小谷内範穂
〃
皿田
滋
〃
森川
泰
国土交通省国土技術政策総合研究所
鍵屋浩司
消防庁
大ヶ島照夫
独立行政法人消防研究所
天野久徳
3.世界貿易センタービル災害の広域的な
影響と復興過程の分析
京都大学防災研究所
○林
春男
独立行政法人防災科学技術研究所
佐藤照子
国土交通省国土技術政策総合研究所
松尾
消防庁
加藤晃一
消防大学校
小濱本一
(財)都市防災研究所アジア防災センター
西川
修
智
4.在NY日系企業及び日本人旅行者の対応
のエスノグラフー調査
富士常葉大学
○重川希志依
京都大学防災研究所
田中
独立行政法人産業技術総合研究所
田中敦子
消防庁
佐藤文隆
(注)研究代表者は◎、研究サブテーマ責任者は○を付す。
4
聡
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
研究運営委員会
委
員
所
属
備
考
(研究実施者)
河田
林
恵昭
春男
京都大学防災研究所
研究代表者・第2課題リーダー
京都大学防災研究所
第3課題リーダー
目黒
公郎
東京大学生産技術研究所
第1課題リーダー
重川
希志依
富士常葉大学環境防災学部
第4課題リーダー
(外部有識者)
岡田
恒男
芝浦工業大学工学部
教授
片山
恒雄
防災科学技術研究所
理事長
大門
文男
損害保険料率算定会
地震保険部長
5
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
研究成果の概要
総
括
今回の緊急調査の成果を概括的にまとめると,以下のような教訓が見出された.
1)WTC 災害の時間的展開
今回の災害では世界貿易センタービルを始めとして全部で 10 棟の建物が倒壊・炎上しており,
被災地一体は核ミサイルの爆心地を意味する「グラウンドゼロ」と呼び習わされている.災害発
生直後からのグラウンドゼロでの時間的展開を整理すると,下に示す6段階が存在していること
が明らかにできた
Ⅰ. 垂直避難:8:54-10:05
8:54
WTC ビルに居合わせた人の避難
1WTC の爆破炎上を受けて消防士現場急行,消防では1WTC Lobby に現
地指揮所(Command Post)を設営.1993年の際の WTC 爆破の教訓が
生かされ,人々の避難は静かで,秩序だったもの
9:03
2WTC の爆破炎上を受けて,WFC に Incident Command Post を移動させ
る人々の避難は静かで,秩序だったものだった.
結果的にみると,飛行機が突入した階以下に居合わせた人のほとんどがこの1
時間の間に垂直避難を完了できたと考えられる.
Ⅱ. 水平避難:10:05−10:30
WTC ビル周辺に居合わせた人の避難とグラウンドゼロ
の出現
10:05
2WTC が崩壊することによって事態は一変する.グラウンドゼロ周辺
に居合わせた人全員が「命からがら」避難する.消防士・警察官
の多くが殉職した.水平避難に関しては統制の取れた動きはなか
った.
10:28
1WTC 崩壊:
続いて,1WTC も崩壊する.
Ⅲ. 失見当(体制のたて直し):11:02-13:00?
11:02
ジュリアーニ市長が危険地域の設定とそこへの立ち入り禁止を発表す
ることから災害対策がスタートする.しかし,その段階では災害
対策本部を転々と移動させながら,指示を出している状態であっ
た.
Ⅳ. 人命救助(Search & Rescue):午後以降
午後
消防は Vasey St. と West St の角に指揮所移動させ,グラウンドゼロ
での人命救助活動を開始する.生存救出者が 5 名あった.
Ⅴ. 遺体捜索・ガレキ搬出:9 月 12 日以降
USAR 活動が本格化する.グラウンドゼロは災害現場であると同時に犯罪現場で
あり,捜索活動と平行して証拠品の回収も行なわれ,以後この活動は 8 ヶ月間
6
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
以上にわたって継続した.
Ⅵ. ビジネスの再建
被災地でのビジネスの再建過程は,第 1 に被災地への立ち入りをどのように管
理するか(Access 問題)
,第 2 に,事業再開に必要なライフラインサーボス
の回復状況をどう管理するか(Service 問題),そして最後に被災地でのビ
ジネス再開に向けた財政支援をどう行なうか(Financial Assistance 問題)
という 3 段階で推移した.
2)WTC 災害の被災の特徴
(1)災害規模の大きさ:今回の災害は米国災害史上最大の災害であるといわれている。少なくと
も、被害額の点ではこれまで最悪であったノースリッジ地震を上回り、人的被害についても、
3000 余人という死者・行方不明者を数える事案は最近存在していない。
(2)災害現象の新規性:大都市中心の高層ビル群が破壊され、都市機能に大きな被害が生じた。
これまでの災害は面的に展開するものであったのに対して、今回の災害は比較的限られた面
積の被災現場で重層的に被害が展開し膨大な被害となっているために、救助等を大変難しく
している。
(3)被災者不在の現場:グラウンドゼロはもちろん被災地周辺の立ち入り禁止は長期間にわたっ
た.同時に,被災したロアーマンハッタン地区は高層ビル群が集まるビジネス街であり,最
近職住混在化した地区である.そこに生きる人々災害発生後他の場所に転住することをせま
られた.大企業は大規模なスペースを必要とするため,広域に転住先を探し,各地に分散し
ていった.中小企業や小売業は多くがマンハッタン島内他地区へ移転した.住民はそれぞれ
のつてで各地に拡散した.その結果,被災地周辺は被災者の存在がなく,ガレキの撤去が進
むだけの無機的場所となっている.
(4)今回の災害では NY の金融街が斐幸に含まれている.ロンドン、東京とならぶ世界経済の中核
である NY が被災するということで、人的被害だけでなく経済の面でも広範で甚大な影饗が
発生した。いいかえれば、局所的な damage と広域的な losses の双方が甚大な災害と定義で
き、これもこれまでの災害にない新しい特徴である。
3)その後の災害対応で見られた特徴
今回の災害は誰もが予想もしなかった事態ではあるが,事態発生後の対応力にはこれまでの危
機対応の教訓が随所に生かされ,迅速かつ効果的なものとなった.その重要な構成要素をあげる
と以下のとおりである.
(1) ジュリアーニ市長の指導力:迅速で効果的な対応を可能にした要素として当時のジュリア
ーニ NY 市長の指導力が高く評価されている.その中でも,災害対策本部の NY 市の災害対
策本部は今回倒壊した7WTC にあったため,災害対策本部の開設場所の選定から災害対策を
開始しなければならない状況にあった.こうした事態でも災害対策本部をいち早く設置し,
7
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
立ち入り禁止区域を設定し強力な交通規制を行なったこと,被災者やその関係者のために
すばやく FAC(=Family Assistance Center)を設置した.常にマスメディアの前に立ち,災
害対応の現状について人々と情報共有を図ったこと,以上 3 点がことに高く評価されてい
る.
(2) すぐれた組織動員力:災害対応には多くの人的資源が必要となる.しかし巨大災害の発生
頻度は低く,常時多くの災害対応担当者を確保することは難しい.この難問を FEMA は 2,600
名の常勤職員に加えて,4,000 名の予備役事前登録し,災害発生と同時に彼らに現場の実務
の多くの部分を任せることで,質が高くかつ十分な量の人的資源を確保することに成功し
ていた.
(3) Federal Response Plan の有効性と機関間「調整」の意味:FEMA は 1992 年に災害時に連邦
政府が全体としてどのように対応するかを Federal Response Plan としてまとめている.
本来自然災害を想定した危機対応計画であっても,1995 年のオクラホマ州の連邦ビル爆破
事件の場合と同様に Federal Response Plan は今回の災害でも有効に機能した.あらゆる
種類の災害に対応できる一元的な危機管理計画の有効性が証明された.この計画に従った
出動経験を重ねることで,各機関がそれぞれの専門性に徹し,FEMA で全体調整をはかると
いう役割分担の遵守が組織関連携を有効にしていた.
(4) 緊急 GIS プロジェクト:今回の災害対応においては,同一基図上に災害対応の各セクショ
ンが必要とする地図を GIS で作成し,関係者全体で情報を共有させることが災害対応を効
果的にする上できわめて有効であることが証明された.その結果,NY 市の災害対策本部で
はそれまで 2 台だった GIS を 24 台に拡張している.
サブテーマ毎、個別項目毎の概要
2.1. 世界貿易センター(WTC)地区の都市環境被害の実態とその後の復旧過程の調査
「世界貿易センタービル(WTC)地区の都市環境被害の実態とその後の復旧過程の分析」では次に
示す9つの課題に関する調査を行い、以下で報告するような成果を得た。1)WTC とその周辺環境の
経緯と現在、2)建築物の構造被害、3)シミュレーションによる超高層ビル崩壊モードの分析、4)
火災による建築物への影響、5)周辺建物の応急危険度(被災度)判定活動、6)WTC 地区の地下構造
物とその被害、7) WTC 崩壊被害の周辺環境への影響、8)消防活動と避難行動、9)ライフライン関
係の被害実態とその後の復旧過程。
上記 9 つの調査成果は、a)災害前の地域環境データの収集、b)被害実態の調査、c)WTC のモデル
化と崩壊シミュレーション、d)都市環境被害の連鎖メカニズムの分析とシミュレーション、の 4
つに大きく分類される。a)としては WTC 地区およびマンハッタン島南部地区における建築計画・
都市計画関連資料(建築図面・設計主旨・都市計画図等)と、WTC(1 と 2)の主要構造図面を収集
した。b)としては、WTC の防火対策と航空機の衝突による火災の発生状況、火災による建築物への
影響、超高層ビルの倒壊による周辺建物への影響、周辺建築の被害実態と応急被災度判定、WTC
地区の地下構造物の被害と周辺の地盤状態や Bathtub(地中連続壁)の影響、WTC 周辺に放出された
8
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
環境有害物質に対する米国環境保護局の対応状況、建物崩壊という二次災害下での消防活動の実
態と避難行動、ライフライン関係の被害実態とその後の復旧過程、などを調査した。c)としては、
a)の資料を基にした WTC1と2の倒壊過程のモデル化と検証、具体的には、航空機激突に伴う爆発
の影響、床の荷重支持力、崩壊の連鎖、近隣建物の崩壊について検討し、さらに汎用の非線形解
析プログラムを用いたシミュレーションによる超高層ビル崩壊モードの分析を試みた。a)から c)
は、最終目標としての d)を実施するための基礎資料であるが、今回 d)としては、a)∼c)の成果を
含めて、関連する情報を時間・空間・事柄などによって、自由自在に編集できる新しいスタイル
の「次世代型災害情報データベース」を構築した。
2.1.1. 世界貿易センターとその周辺環境の経緯と現在
文献調査、および現場調査を実施することにより、世界貿易センターおよびマンハッタン島に
関する各種資料・文献・ヒアリングデータを収集するとともに、被災地の現状を把握することが
できた。そして、収集資料および現地調査により、世界貿易センターの設計過程と現状を整理し、
データベース(ホームページ)を構築した。
2.1.2. 建築物の構造被害
世界貿易センタービル(1WTC および2WTC)の主要構造図面を収集し、建物寸法・構造システ
ム・外周部の構造・外周部の柱等の詳細・コア部分の構造・床版の構造・減衰装置・擁壁及び基
礎構造を調べ、「航空機激突に伴う爆発の影響」・
「床の荷重支持力(はり接合)
」
・「崩壊の連鎖」
・
「近隣建物の崩壊」について検討した。
2.1.3. シミュレーションによる超高層ビル崩壊モードの分析
衝撃解析プログラムとして AUTODYN、汎用の非線形解析プログラムとして FINAS,ABAQUS 等につ
いて、WTC 崩壊解析を念頭においたテスト計算を行なった。これにより、AUTODYN の航空機衝突解
析、崩壊解析への適用が可能であるとの感触を得た。
2.1.4. 火災による建築物への被害
世界貿易センタービルの防火対策を把握したうえで、航空機の衝突による火災の発生状況、在
館者の避難状況に関する情報収集を行い、火災による建築物への被害について推測を行った。こ
れらにより、高層建築物の防火上の問題点または避難上の問題点の抽出を行った。
2.1.5. 周辺建物の応急危険度(被災度)判定活動
米国世界貿易センター地区の周辺建物の応急危険度(被災度)判定活動について、現地での聞
き取り調査及び文献調査を行い、その経過を時系列で整理した。これらの結果を基に、
(1)行政
機関と構造エンジニア団体との事前の調整、
(2)被災度判定の可能な構造エンジニアの確保、及
び(3)同様の災害での被災度判定活動のガイドラインの作成とデータベースの蓄積が重要であ
ることを指摘した。
2.1.6. WTC 地区の地下構造物とその被害
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
WTC 区の地下構造物とその被害に関して現地調査を行い,1) WTC 建設サイトの地盤状態と
Bathtub(地中連続壁)の存在,2) 倒壊現場および周辺の構造的な検証作業,3) 市地下鉄の被害
状況を明らかにした.
2.1.7. WTC 崩壊被害の周辺環境への影響
災害時に周辺環境に放出された環境有害物質に関して米国環境保護局の対応状況が明らかにな
った。また、大量に発生したガレキの無害化処理方法と処理現場での環境問題に配慮し、今後に
予測される地下水等の環境問題についても十分に検討していることが明らかになった。
2.1.8. 消防活動と避難行動
消防活動については、建物の崩壊という予測していなかった二次災害に遭い、多くの指揮者を
含む消防士が犠牲となったが、被災後直ちに救助隊を再編成し、以後 24 時間体制で救出にあたっ
た。避難行動について、在館者は避難訓練の徹底により整然と避難したが、一部避難階段の破損
や建物崩壊とともに避難路の消滅で、避難開始の遅れた在館者等がその犠牲となった。
2.1.9. ライフライン関係の被害実態とその後の復旧過程
被害が狭い範囲内に限定的に発生した今回のライフライン被害,並びにその復旧過程に関して,
電力とガス,さらにスチームの供給システムを対象として調査した.その結果,大規模地震被害
にはない幾つかの特徴が被害と復旧過程の両者に関して得られた.
2.2. グラウンドゼロ地域での災害対応過程の分析
(1)
大規模な災害や事件のとき,被害が時間的に推移する危険性のある場合には,現地対策本
部は必ずしも被災箇所に設置する必要はない.肝心なのは,本部に意思決定者がいること
と通信機能が保証されていることである.救命・救助活動は一刻を争う場合にも,大多数
が一カ所に集結するのではなく,分散型の救助部隊の展開が望ましい.
(2)
本災害は、予期せざる規模の人為災害であったが、実際、被災者が起こした避難行動は、
自然災害のそれに準じると思われた。すなわち、個々人の危険の認識度により、行動を起
こす早さが異なったと思われる。
(3)
法医学的対応では、身元確認に DNA 検査が行われたが、組織試料の焼損、汚染が著しく、
通常の犯罪捜査や親子鑑定で用いられる DNA 多型検出方法では対応しきれないことが判
明した。避難誘導・捜索での二次災害防止のため捜索ロボットの開発、効率的な捜索・救
助活動のために衛星位置探査システムの導入が必要である。
(4)
都市災害における被災地での救助作業、瓦礫除去作業、復旧作業に関しては非常に特殊な
状況であるが機械技術、ロボット技術、情報技術により備える方向性がある。情報収集に
関してはIT化が緊急課題であることが明確になった。
(5)
消防関係者への調査及び関係資料の収集整理からみた特徴的な実態として、高層ビルの崩
壊が予測できなかったために、類をみない多くの消防隊員が二次被害すなわち建物の崩壊
10
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
により殉職したこと、また、このことによる消防活動体制の再構築への影響、例えば指揮
命令系統の喪失や無線機の多くを失うなどの影響を把握した。
(6)
国レベルでの対大規模災害救助隊が、装備資機材という観点から有効である。また,各消
防本部の資機材の標準化が、効率的な救助活動遂行の要因の一つである。
2.2.1. 巨大都市災害時の現地災害対策本部が必要とする条件と意思決定過程
大規模な災害や事件のとき,被害が時間的に推移する危険性のある場合には,現地対策本部は
必ずしも被災箇所,もしくは被災地あるいはそれらに近いところに設置する必要はない.肝心な
のは,本部に意思決定者がいることと通信機能が保証されていることである.救命・救助活動は
一刻を争う場合にも,大多数が一カ所に集結するのではなく,分散型の救助部隊の展開が望まし
い.
2.2.2. 第一波災害後の情報の流れと人々の避難行動様式
本災害は、これまで研究者がかかわってきた地域紛争ともことなる予期せざる規模の
人為災害であったが、実際、被災者が起こした避難行動は、自然災害のそれに準じると思われ
た。すなわち、個々人の危険の認識度により、行動を起こす早さが異なったと思われる。
2.2.3. 犠牲者に対する医療及び法医学的対応
法医学的対応では、身元確認に DNA 検査が行われたが、組織試料の焼損、汚染が著しく、通常
の犯罪捜査や親子鑑定で用いられる DNA 多型検出方法では対応しきれないことが判明した。避難
誘導・捜索での二次災害防止のため捜索ロボットの開発、効率的な捜索・救助活動のために衛星
位置探査システムの導入が必要である。
2.2.4. 巨大都市災害における救助活動・ガレキ処理と情報収集
都市災害における被災地での救助作業、瓦礫除去作業、復旧作業に関しては非常に特殊な状況
であるが機械技術、ロボット技術、情報技術により備える方向性がある。情報収集に関してはI
T化が緊急課題であることが明確になった。
2.2.5. 都市インフラの被害と機能への影響及び緊急対応の実態
WTC ビル崩壊に伴う都市インフラ(交通施設・供給処理施設・通信施設等)の被害状況と機能へ
の影響および緊急対応による復旧過程等の実態を現地調査およびインターネットや国内の関連企
業・機関等から関連情報を収集・整理した。さらに同様な拠点災害へのわが国の対応のあり方に
ついて考察した。
2.2.6. 救助体制の確保と救助技術の分析
消防関係者への調査及び関係資料の収集整理からみた特徴的な実態として、高層ビルの崩壊が
予測できなかったために、類をみない多くの消防隊員が二次被害すなわち建物の崩壊により殉職
したこと、また、このことによる消防活動体制の再構築への影響、例えば指揮命令系統の喪失や
無線機の多くを失うなどの影響を把握した。また、ヘリコプターによる救助活動の実績がなかっ
11
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
たことや救助犬による救助活動の今後の課題を把握した
2.2.7. 消防救助資機材と避難支援資機材
国レベルでの対大規模災害救助隊が、装備資機材という観点から有効である。大規模災害に対
する各消防本部の資機材の標準化が、効率的な救助活動遂行の要因の一つである。今後、消防お
よび救助に関するロボット開発の重要性が指摘された。また、上空からの情報収集が有用である
と指摘されており、ヘリコプターや無人機を用いた情報収集が行われた。
2.3. 世界貿易センタービル災害の広域的な影響と復興過程の分析
グラウンドゼロはもちろん被災地周辺の立ち入り禁止は長期間にわたった.同時に,被災したロ
アーマンハッタン地区は高層ビル群が集まるビジネス街であり,最近職住混在化した地区である.
そこに生きる人々災害発生後他の場所に転住することをせまられた.大企業は大規模なスペースを
必要とするため,広域に転住先を探し,各地に分散していった.中小企業や小売業は多くがマンハ
ッタン島内他地区へ移転した.住民はそれぞれのつてで各地に拡散した.
被災地でのビジネスの再建にあたっては,最初に問題となったのは,被災地への立ち入りをどの
ように管理するか(Access 問題)であった.建物の安全性を確認しつつ,関係者の立ち入りを認
め,交通規制を行なうという課題の管理が必要だった.次に問題となったのは事業再開に必要なラ
イフラインサーボスの回復状況であった.(Service 問題)とくに電話回線の回復状況を多くの人
が知りたがった.最後に問題とされたのは,被災地でのビジネス再開に向けた財政支援をどう行な
うか(Financial Assistance 問題)であった.そこには個別の事業者に向けてどのような支援を
行なうかという問題と同時に,ロアーマンハッタン地区にどのように人々の賑わいを取り戻すかと
いう地区全体の問題も含まれている.
今回の災害では NY の金融街が斐幸に含まれている.ロンドン、東京とならぶ世界経済の中核で
ある NY が被災するということで、人的被害だけでなく経済の面でも広範で甚大な影饗が発生した。
いいかえれば、局所的な damage と広域的な losses の双方が甚大な災害と定義でき、これもこれま
での災害にない新しい特徴である。WTC の崩壊を始めとする 911 の影響が世界経済にどのような影
響を及ぼすかを,日本の日経平均,英国の FTSE100,米国の Dow Jones と NASDAQ という4つの平
均株価指標を手がかりとして分析すると,911 の影響は米国の平均株価に大きくそして半年にも及
ぶ長期的な影響を与えていることがあきらかになった.また,英国や日本でも米国ほどの規模では
ないにしろ,災害発生から 2 ヶ月程度影響が認められた.
2.3.1. 復興に向けての緊急対応
FEMA の対応について、
十分な活動人員の確保を図った上で、災害対応を図る仕組みとしており、
また、州等に伝達する様々な情報について、Web を活用して行っていることが、把握された。また、
消防の広域応援活動について、周辺の団体からの応援に関する現場の意見を確認することができ
た。
12
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
2.3.2. 道路ネットワ−クの安全確保対応及び危機管理体制の実態調査
WTC ビル周辺地区では、二次災害の防止等のために、立ち入り禁止区域が直後に設定された。そ
の後、建物の安全度診断、環境面での安全、がれき処理作業の進行などに応じて次第に縮小され、
ほぼ1か月で被災地区の範囲に近いところまで縮小された。交通管制は、マンハッタン島とその
外部を連絡する橋梁、道路トンネルで通行規制がなされた。
2.3.3. 被害の把握過程と復興計画の策定
現代の都市はその規模の大きさと機能の高度化、複雑化のため、都市災害時には、被害規模の
把握、復興計画の策定が困難である。
ニューヨークの WTC ビルテロ災害は、物的損害の数倍の間接損害が、業種毎にどのように広が
っているかが、関係者への大規模なアンケート、ヒアリング調査等により明らかになることがわ
かった。
2.3.4. 間接被害の実態
ニューヨーク世界貿易センタービル崩壊災害における間接被害の具体的な様相を①行政の被害、
②ビジネス被害、③コミュニティと住民の被害④都市環境被害、⑤安全対 策費用、⑥防災力の向
上に分けて考察するとともに、その被災規模、被害の時空間分 布、拡大要因を明らかにした。
2.3.5. 世界経済への影響
WTC の崩壊を始めとする 911 の影響が世界経済にどのような影響を及ぼすかを、日本の日経平均、
英国の FTSE100、米国の Dow Jones と NASDAQ という4つの平均株価指標を手がかりとして分析し
た。その結果、911 の影響は米国の平均株価に大きくそして半年にも及ぶ長期的な影響を与えてい
ることがあきらかになった。また、英国や日本でも米国ほどの規模ではないにしろ、災害発生か
ら 2 ヶ月程度影響が認められた。
2.4. 在ニューヨーク日系企業及び日本人旅行者の対応のエスノグラフィー調査
本テロ災害を直接的・間接的に経験した人々は,すべてその人なりの災害過程をたどってきた。
しかしこれらは全て個人の体験であり,それをもって本テロの災害過程を普遍化することはでき
ない。本研究ではインタビューならびにグループディスカッションを実施することにより,当事
者の視点からの証言を総合化したエスノグラフィーを作成し,本テロ災害により人と組織が受け
た影響を推定し,普遍化すべき事実や教訓を抽出した。
超高層ビル群が立ち並ぶ高密度な業務空間において大規模な災害が発生すると,個々の建物か
らの避難に 1 時間以上を要し,また建物脱出後にも群集が溢れ避難空間や歩行空間が十分取れな
い事態が起こる。また電話が通じにくい状況下であっても,家族や会社の同僚の安否確認は被災
者にとって最優先事項であり,さらに避難経路上では水や食料の調達,傷の手当て,情報の収集
を行っている。
また企業組織としては,社員の生命や企業の保有する情報を含めた資産を失いながら,平常時
13
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
の企業間ネットワークの支援により業務再開を果たすまでの過程が明らかとなった。とりわけ在
NY 日系企業は,発災直後から現地での判断・意思決定が尊重され,日系企業同士の協力が,心的
打撃の大きい社員や社員の遺族への対応など様々な場面で大きな力となった。
日本人旅行者の安全確保と帰国までの災害過程では,団体旅行者より個人旅行者の割合が高く
なった現在,旅行者自身がリスク負担の自己責任の範囲を認識していないことにより様々問題が
生じていることが分かった。しかしながらテロという外力により,航空会社や旅行代理店が本来
負う義務のない顧客対応を献身的に行ったことにより,当時 NY を始めアメリカ各地にいた旅行者
は大きな混乱もなく無事帰国を果たしていたことが明らかとなった。
2.4.1. 日系企業ならびに日本人旅行者のエスノグラフィー調査
WTC テロ災害による被災者のエスノグラフィーを作成することにより,就業時間中の災害発生で
企業人がどのような災害対応を行うかが明らかとなった。また亡くなった社員の遺族への対応の
あり方,本来負う義務のない顧客へのサービスのあり方など,これまでのわが国で発生した災害
では明らかにされていない新たな教訓が発見された。
2.4.2. WTC 内の米国企業ならびに WTC 周辺住民の対応過程に関するエスノグラフィー調査
本研究では、事件当時 WTC ビルにオフィスをかまえていた米国企業に勤務する米国従 業員4人
に対してインタビュー調査をおこなった。その内容は多岐にわたるが、特に、 事件の覚知と緊急
対応行動(WTC ビルからの避難を含む)
、安否の確認方法、会社の 再建過程、本災害から得られた
教訓などについての情報を得た。
2.4.3. 緊急時の避難者の意志決定の実状調査
2001.9.11 当日の WTC 内、WTC 周辺、そしてニューヨーク市内における緊急事態に対する人々の
情報把握の状況と避難の意志決定、そして避難行動の実状を把握することができた。これらの内
容を、当事者の決断を支援した要因、ならびに阻害した要因として整理した。
2.4.4. 住民避難を考慮した防災体制について
FEMA は、災害活動時に連邦政府の各省庁を調整する権限を持ち、災害対策の費用を負担するこ
とが把握された。また、全米の都市捜索救助隊(US&R)が FEMA の要請により現地に派遣され、現
地消防機関と協力して迅速な救助・避難活動等を行う仕組みと実際の被災者の避難行動について
確認することができた。
14
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
波及効果、発展方向、改善点等
3.1. 総括
今回の緊急研究を踏まえて,今後検討していくべき研究課題には少なくとも次のようなものがある.
1)「どのような危機に対しても効果的な危機対応できる計画」を持つ包括的な危機対応システム
2001 年 9 月 11 日にアメリカで発生した同時テロは FEMA を中心に自然災害への対応を主眼として整
備された「連邦危機対応計画(Federal Response Plan)」が,高層ビル倒壊という予想外の危機に対
しも有効に機能することを証明した.この災害を契機に,米国,英国,EU 諸国はこれまでの方針であ
った「どのような危機に対しても一元的に危機対応できる計画(Generic Emergency Plan for Major
Incidents)
」を鋭意見直す研究に着手している.先進国の中で唯一わが国には一元的な危機管理体制
が存在していない.しかし,我国でも予想外のさまざまな危機が増発しており,国民保護法制に関す
る実りある国民的な議論を展開するためにも,どのような危機に対しても効果的な危機対応できる計
画を持つ一元的な危機対応システムの構築が必要である.一元的な危機管理システムは,危機を生み
出す原因(ハザード)にはさまざまな種類があるものの,その結果発生する社会的現象は基本的に
共通していること,さらに危機対応にあたって,社会的混乱を最小限に留め,できるだけ早期に社
会の安定を回復するという共通課題を持つことを基盤として成立する.
今回の緊急研究の教訓として,一元化された危機管理計画の運用を可能にするためには,1)それ
に適した組織体制とその運営ができること,2)的確な情報処理を可能にするシステムを持つこと,
3)資源動員を可能にするシステムを持つこと,4)人材育成のシステムを持つこと,が必要とな
る.以上のような計画とそれを支えるシステムを欧米で採用されているシステムと我国の社会制度
のあり方を比較検討するながら,我国に適した次世代型の危機管理システムを構築することが必要
となる.
2)高層ビル災害における避難システムの開発
世界貿易センターのような超高層ビルは、その設計の段階から周辺地域を含めた都市環境システ
ムの構成要素として位置付けられている。高層ビルの破壊は建物自体の被害にとどまらず、エネル
ギー、ライフラインなど周辺都市システムの破綻として大きな影響を及ぼす。WTC においては 1993
年の際の爆破事件の教訓が生かされ,きわめて有効な垂直避難が可能になった.そこで,今後の研
究では、世界貿易センタービルおよび周辺地域の設計段階からの資料を収集するとともに、その被
災にともなう連鎖構造の解明を試み,それらの破壊プロセスを検討し、破壊階数、被害発生時刻、
季節などの条件の変化させることにより,避難に与える影響をシミュレーションし,総合的な避難
計画ガイドラインを整備する必要がある。
3)総合的な被害推定手法の開発
WTC 災害の被害額は日本円にして 15 兆円に及ぶとニューヨーク市は災害発生後 3 ヶ月で発表した。
そこには物的破壊による直接被害だけでなく,世界の金融経済の首都におきた災害が損害保険及び
世界経済に与える大きな影響といった間接的な経済被害についても含まれている.地球温暖化の影
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
響で都市洪水災害の激化や頻発化が懸念され,富士山の噴火や,地震度活動期に入り海溝型巨大地震
の発生や別の都市直下地震の発生が心配されるわが国でも合理的な被害低減策を実施するためには,
総合的な被害推定手法の開発は急務である.
4)阪神淡路大震災と比較した長期復興過程のモニタリング
阪神淡路大震災は 1994 年のノースリッジ地震と比較検討される事が多い.しかし,被害規模や被
害の厳しさはとても比較にならないというのが実感である.しかし.今回の緊急調査を NY の災害を
観ることで,阪神淡路大震災と比較可能な初めての災害であると感じた.両者の復興過程を継続的
に比較検討することで,都市災害での復興過程が初めて実証的に明確化しうる.
サブテーマ毎の波及効果、発展方向、改善点等
3.2.1. 世界貿易センタービル地区の都市環境被害の実態とその後の復旧過程の分析
調査結果と、それを防災上効果的に活用するために構築した「次世代型災害情報データベース」
に分けて議論する。
まず今回の調査結果に基づく主な波及効果や発展方向、改善点等を挙げる。 WTC の崩壊挙動に
ついては、火災の影響を含めた崩壊メカニズム究明と日本の建物を対象とした安全性の検討、予
想外荷重に対する安全性検知システムの開発が必要であり、この点は地下構造物に関しても同様。
応急危険度判定については、同様な状況下でのわが国の対応活動のガイドラインとデータベース
の整備が求められる。WTC 周辺の環境有害物質への対応調査からは、環境有害物質を含む大量の
ガレキや粉塵の大気中への放出・拡散メカニズムの解明が必要。消防活動については、各消防機
関の基準・要領等の見直しと訓練の熟達、さらに FEMA に相当する全国的な実施機関の検討。避難
行動については、既存建物における在館者への情報伝達経路の多重化、避難マニュアルと訓練の
徹底、水道管破損を原因とする地下自家発電設備の浸水による機能障害防止対策、及び避難階段
の安全対策の改善。ライフラインの被害と関連諸機関の対応からは、復旧活動における業務調整
システムの有用性が指摘された。災害対応全体に関して言えば、今回のテロに対する災害対応で
は、大規模地震などによる被害と違って被災地域が局所的なエリアに限定されている点が大きな
意味を持つ。ゆえに対応に関する教訓の抽出においては、この条件を忘れてはいけない。
従来この種の調査研究では、調査内容や成果が報告書としてはまとめられるが、個々の成果は
分野別、項目別等に整理されるため、全体を時系列で並べて分析したり、関連項目を抽出して評
価したりすることが難しく、結果として具体的な対策へ結び付けることは困難であった。
「次世代
型災害情報データベース」は上記のような問題を解決し、WTC ビル破壊に関する体系化された情報
を社会に発信するものである。ユーザーは収集されたデータを、自分の目的に応じて自由自在に
編集した上でこれを活用できるので、今後の具体的な対策の立案や関連研究に大いに資すると思
われる。
16
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
3.2.2. グラウンドゼロ地域での災害対応過程の分析
(1)東海・東南海・南海地震・津波災害の同時発生のようなスーパー広域災害に対して,国の非常
災害現地対策本部をどこに設置し,どのように意思決定するかについて,有用な情報となる
ことが認識された.
(2)テロ事件のような予期せざる災害についても、対応を考えなければならない時代に入ったこと
を認識した。個人、地域または所属団体/機関のレベルで行うべきこと、また、地方自治体や
国さらに国際的に行うべきことなどを検討する必要があると考える。
(3)現状の DNA 多型による身元確認方法が高度に焼損・汚染した組織に対して対応困難であること
が明らかとなった。高度に焼損・汚染した組織での DNA 多型検出方法の開発が急務である。
また、被災地での限られた人的・物的医療資源の有効活用のために災害時のリアルタイム情
報伝達が重要であることが再確認された。
(4)被災現場での情報収集の迅速化と通信手段の確保は、社会インフラの中枢が失われたとき非常
に弱いことがわかったので,非常事態対応用通信手段の確保がより重要で実現されれば波及
効果は大きい。巨大災害では情報と連動した機械化技術が望まれている。
(5)都市機能や空間が高密度に集約した地区における各種防災計画の高度化や、広域災害に匹敵す
る損害を与えうる拠点災害に対応可能な都市防災ガイドラインや地域防災計画の作成等への
発展が考えられる。
(6)日本の高層建築物においても,同種の災害が起こることも十分想定し、消防がこれらの被害を
最小限にするため、救助体制や救助技術について、WTCビルの崩壊前後の活動実態等をも
とに、二次被害後の救助体制の補完、民間セクターとの事前の協力関係を確保することにつ
いて十分な示唆を得たものと考える。
(7)国レベルでの対大規模災害救助隊が、装備資機材という観点から有効であり、大規模災害に対
する各消防本部の資機材の標準化が、効率的な救助活動遂行の要因の一つである。
3.2.3. 世界貿易センタービル災害の広域的な影響と復興過程の分析
(1) 昨今、日本では、東海、等南海地震や、富士山の噴火など、大規模な災害の発生が懸念され
ている。今回のテロ災害は、一種の大規模災害と仮定できることから、調査で得られた情報
をこれからの日本での大規模災害における対応を検討する上での参考としたい。
(2) 自然災害が広域的に発生するのに対し、今次災害はいわば拠点災害であり、交通管制の面か
ら見れば複雑度は低かったが、交通混雑を軽減するためにとられた措置については参考にな
る面がある。今次災害を契機として、重要基盤施設に対する危険度診断手法、対策手段に関
する研究が精力的に進められている。我が国でも危機管理対策の一環として検討の必要があ
る。
(3) 現代の大都市は、機能が高度化し複雑に絡み合い、連携しているため、災害発生による被害
は、多岐に影響を及ぼし、連鎖的に影響が広がり大きな災害に進展していく。その連鎖的に
広がる災害が本調査で明らかになった。今後は、日本の大都市への適応を考え、連鎖的に広
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
がる災害の阻止要因の抽出と対応策を研究する必要がある。が、関係者への大規模なアンケ
ート、ヒアリング調査等により明らかになることがわかった。
(4) 今回の調査研究が明らかにした WTC 災害の間接被害の実態は、大都市で発生する大震 災の間
接被害についての基礎的な知見として利用出来るであろう。ここで得られた知 見を、大震災
の間接被害の軽減策へと結びつけるためには、次の検討課題が残る。す なわち、(1)長期的
な間接被害の把握(2)間接被害の拡大過程とその影響要因の明確 化、(3)発生前の経済状況が
間接被害に与えた影響の評価、(4)WTC 災害の特殊性や地域 性が間接被害に与えた影響の評価
である。これらの課題を解決するためには、詳細な 被害調査、長期的な被害の観察、調査時
点では入手不可能であった新たなデータの収 集を行う必要がある。なお、WTC 災害被災地で
みられた、間接被害の拡大を防ぐための 先進的な災害対応戦略の日本の風土への導入方法の
検討も今後必要であろう。
(5) 経済の実体を反映する鏡として平均株価を利用した分析の可能性を示すことができた.しか
し,残された課題も大きい.第1に,経済の後退局面で 911 は発生したが,そうした長期的
な景気の影響も検討する必要がある.第 2 に,米国,英国,日本 3 国だけでなく,ドイツ,
フランス,香港等の国への影響も検討するべきである.第 3 は,同じ米国の株価指数でも,
Dow Jones と NASDAQ だけでなく,米国大手企業 1000 社についての Russell1000 や逆に
中小企業 2000 社を集めた Russell2000 のように業態別の指標や AMEX のように業種別の指
標によって,911 の影響をより詳細に検討すべきである.最後に,今回は株式市場に着目し
たが,国債,通貨,先物取引など他の金融市場についての 911 の影響を明らかにしていくこ
とが必要である.
3.2.4. 在ニューヨーク(NY)日系企業及び日本人旅行者の対応のエスノグラフィー調査
本研究で特筆すべきは,オフィス・アワーに都市で発生する巨大災害の災害像の一端が明らか
になったことである。我が国において今後発生するであろう海溝型巨大地震や都市直下の地震災
害に備え,今回のテロ災害で明らとなった事実は,これらの巨大災害への対応に極めて有効な教
訓を与えてくれた。これらの情報は,今すぐにでも我が国の都市災害の対策立案に際して十分反
映されるべきものである。
例えば,このような条件下で災害が発生した場合,被災者の決断を速やかにさせるため事態の
進展状況の周知に効果的な多様な情報支援手段の提供が必要となる。超高層ビルをはじめとする
巨大閉鎖空間では,全館避難時のキャパシティを考察した上で,移動の不自由な人たちへの垂直・
水平方向での高速避難の手段の開発が必要である。
また大量の帰宅困難者が発生した場合,家族の安否確認,情報の獲得,水や食料の調達,携帯
電話の充電などに対するニーズは極めて高い。帰宅困難者の混乱を回避するためには,これらの
ニーズを満たす機能を充実させる施策の実現に取りくむ必要性が高い。
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
研究成果の発表状況
(1)研究発表件数(単年度研究)
原著論文による発表
左記以外の誌上発表
口頭発表
国内
第Ⅰ期
(1)件 第Ⅰ期
1(1)件 第Ⅰ期
国際
第Ⅰ期
件 第Ⅰ期
件 第Ⅰ期
合計
第Ⅰ期
(1)件 第Ⅰ期
合計
9(2)件 第Ⅰ期 10(4)件
6
件 第Ⅰ期
6
件
1(1)件 第Ⅰ期 15(2)件 第Ⅰ期 16(4)件
*論文件数は、既発表論文数を記載し、投稿中の論文数については括弧書きで併記すること。
*原著論文については、査読制度のある論文のみとし、その他の論文については、
「左記以外の誌上
発表」に含めて記載すること。
(2)特許等出願件数(単年度研究)
第Ⅰ期
0件(うち国内
件、国外
件)
(3)受賞等(単年度研究)
第Ⅰ期
1件(うち国内
1件、国外
件)
・兵庫県防災功労者表彰(平成 14 年 5 月 15 日),河田惠昭
(4)主要雑誌への研究成果発表(単年度研究)
Journal
IF 値
サブテーマ1
第Ⅰ期
サブテーマ2
自然災害科学
(投稿予定)
第Ⅱ期
*査読制度のあるジャーナルに限る
19
サブテーマ3
サブテーマ4
合計
1件
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
1. 世界貿易センタービル地区の都市環境被害の実態とその後の復旧過程の分析
1.1. 世界貿易センターとその周辺環境の経緯と現在
筑波大学社会工学系村尾研究室
村尾
要
修
約
世界貿易センタービルの破壊は建物自体の被害にとどまらず、各種ライフラインなど周辺環境にも大きな影響
を与えた。これらの被害連鎖構造を解明するためには、この巨大コンプレックスの設計過程と被災過程の把握が
欠かせない。本研究では、周辺地域を含む世界貿易センタービルの設計過程に関する文献資料等を収集するとと
もに、事件から約半年が経過した被災地を視察し、関連機関でのヒアリングを行い、世界貿易センターが完成す
るまでの経緯と被災後の基本資料の収集整理を行った。さらに、今後の WTC 周辺の被災シミュレーション等の継
続的研究を前提とした「米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究」デー
タベースを構築した。
研究目的
1960 年代から計画が始まり 1970 年代に完成したニューヨークの世界貿易センターは、その規模と高さにおいて
世界一を争うビルであった。その世界貿易センターが同時多発テロの標的となり、崩壊し、多くの被害をもたら
した。この世界貿易センタービルの破壊は建物自体の被害にとどまらず、各種ライフライン、交通システム、周
辺施設など周辺環境にも大きな影響を与えた。これらの被害連鎖構造を解明するにあたり、この巨大コンプレッ
クスがどのような経緯で建設されていったのかを調査することが欠かせない。本研究では、周辺地域を含む世界
貿易センタービルの設計過程に関する文献および設計に関する資料等を収集するとともに、事件から約半年が経
過した被災地を視察し、建物倒壊により影響を受けた関連機関でのヒアリングを行い、世界貿易センターが完成
するまでの経緯と被災後の基本資料の収集整理を行うことを目的とする。ここで得た基本資料は、今後の都市防
災研究に資することが期待できる。
研究方法
本研究を実施するにあたり、下記の方法を用いた。
1)世界貿易センターにおけるプロジェクト・建築計画およびマンハッタン島における都市計画関連資料(建築図
面・設計主旨・都市計画図等)の収集
2)被災現場の現状視察およびヒアリング調査
3)収集資料およびヒアリング調査に基づく世界貿易センターの設計過程と現状の整理
4)今後の継続的研究(WTC 周辺の被災シミュレーション等)を前提とした「米国世界貿易センタービルの被害拡
大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究」全体のデータベース(ホームページ)の構築
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
研究成果
本研究により、下記の成果をあげることができた。
1.1.4.1. 文献資料等の収集:
国内での文献調査、現地での関連機関訪問および資料収集調査等により、世界貿易センターおよびマンハッタ
ン島に関する各種資料・文献・ヒアリングデータを収集することができた。
1.1.4.2. 現地調査
被災現場の現状視察およびヒアリング調査により、被災後の経緯と対応、および被災地の現状を把握すること
ができた。
1.1.4.3. 世界貿易センターの設計過程と現状
収集資料および現地調査に基づく世界貿易センターの設計過程と現状を整理することができた。
1.1.4.4. データベースの構築
今後の継続的研究(WTC 周辺の被災シミュレーション等)を前提とした「米国世界貿易センタービルの被害拡大
過程、被災者対応等に関する緊急調査研究」全体のデータベース(ホームページ)を構築した。
考
察
1.1.5.1. 文献資料等の収集
国内での文献調査、現地での関連機関訪問および資料収集調査等により入手し、研究の参考にした資料は下記
の通りである(事前に所持していた資料も含む)
。
日本語文献
・アンガス・K・ギレスピー、泰隆司訳:世界貿易センタービル
失われた都市の物語、KK ベストセラーズ、2002
年
・同時多発テロ事件におけるニューヨーク市の対応について、横浜市ニューヨーク事務所、2001 年
・現代建築家シリーズ
・上重泰秀:NY 崩壊
ミノル・ヤマサキ、美術出版社、1968 年
2001-09-11
世界が変わった日
−写真家 J がたどる直後 7 時間の記録−、エクスナレッ
ジ、2001 年
・賀川洋:図説ニューヨーク都市物語、河出書房新社、2000 年
・建築,1970.1 月号、1970 年
・建築と都市 a+u
1994 年 12 月臨時増刊号
・キクカワプロフェッショナルガイド
・小林克弘:建築巡礼 44
20 世紀の建築と都市:ニューヨーク,1994 年
第3号ニューヨーク、菊川工業株式会社、1995 年
ニューヨーク
摩天楼都市の建築を辿る、丸善株式会社、1999 年
・マグナム・フォトグラファーズ:ニューヨーク
セプテンバー11、新潮社、2001 年
・ミノル・ヤマサキ建築作品集,淡交社,1980 年
・ミシュラン・グリーンガイド
ニューヨーク、ミシュランタイヤ社、1996 年
・ニューズウィーク日本版臨時増刊
悪魔の空爆テロ、TBS ブリタニカ、2001 年
・ニューヨーク貿易センター爆破(1993 年)被害と復旧
響・教訓、日本建築学会、1995 年
21
情報社会における複合大型ビルの爆破事件の被害・影
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
・New York 大特集、Casa Brutus、No. 24、マガジンハウス、2002 年
・リチャード・ピッチチョート、ダニエル・ペイズナー、春日井晶子(訳)
:9 月 11 日の英雄たち
世界貿易セン
タービルに最後まで残った消防士の手記、早川書房、2002 年
・週刊朝日百科世界 100 都市 010
アメリカ・ニューヨーク、朝日新聞社、2002 年
・The New New york、ニューズウィーク日本版、TBS ブリタニカ、2002 年
英語文献)
・Angus Kress Gillespie: Twin Towers, Rutgers University Press, 2001
・Beliefnet: From the Ashes – A Spiritual Response to the Attack on America, Rodale, 2001
・Camilo Jose Vergara: Twin Towers Remembered, Princeton Architectural Press, 2001
・Eric Darton: Divided We Stand, A Biography of New York’s World Trade Center, Basic Books, 1999
・In the Line of Duty, A Tribute to New York’s Finest and Bravest, Regan Books, 2001
・Jackie Waldman: America, September 11th, The Courage to Give, Conari Press, 2001
・New York Photography by Mark Crosby, Universe Publishing, 2000
・September 11, a Testimony, Pearson Education Limited, 2001
・William Fried and Edward B. Watson: New York in Aerial Views, DoverPublications, 1980
その他)
・ワールドトレードセンター3次元モデル(模型)
1.1.5.2. 世界貿易センターの設計過程
ここでは文献[1]から[6]に基づき、今回のテロで破壊された世界貿易センターの建物概要と設計過程に
ついて述べる。
今回のテロで破壊された世界貿易センターは、110 階建て、地下 6 階、地上 415m および 417mのツインタワー
と、5 棟の建物とによって構成された敷地面積およそ 65,000 ㎡の複合施設である(図 1)
。平常時の一日あたりの
数字を見ると、就労者数約 3 万 5 千人、訪問者数約 1 万 5 千人、エレベーター乗客稼動数最低 45 万回、真夏時冷
却水約 383 万リットルというように巨大なコンプレックスであった。プロジェクトが誕生したのは、ジョン・F・
ケネディが大統領となり、人類を月に送る計画を立てていた 1960 年代の初頭であった。1921 年に創設されたポー
トオーソリティ(The Port Authority of NY & NJ)が、戦後のニューヨークにおける貿易拠点として構想した
ものである。ポートオーソリティは、NJ 州および NY 州の共同出資による商業交通整備公団で、自由の女神像を中
心に半径 25 マイル(約 40Km)内の商業交通の運営および開発の問題を扱っており、空港、ヘリポート、トラック
ターミナル、橋、トンネル、港湾、鉄道の施設を所有運営している。当時の計画では、プロジェクトの完成のた
めに、一日あたりの最多作業員 8,000 人(実際は 3,600 人)
、骨組用鉄鋼材 20 万トン、基礎の掘削約 917,520 ㎥、
壁面工事約 557,400 ㎡、塗装作業約 464,500 ㎡、電線約 2,446 ㎞、配管約 644 ㎞、電球約 20 万個、防音タイルと
床約 650,300 ㎡が必要とされていた。計画が具体的になるにつれ、政治面,経済面,環境面,建築面とありとあ
らゆる側面からの問題が指摘され、多くの問題を乗り越え、ツインタワーが完成したのは 1970 年代に入ってから
のことである。
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 1. 世界貿易センター配置図(出典:www.greatbuildings.com)
周辺地域は、銀行、保険会社、物流会社、投資企業が集まっており、ニューヨークでそれほど活気のない場所
として知られ、建設を予定していた敷地には、280 の商店、43 の工場、1000 を超える大小の事務所、100 組の家
族が住むアパートなどが建ち並び、荒廃した地域であった(図 2)。このプロジェクトを推進するにあたり、ポー
トオーソリティは日系 2 世のミノル・ヤマサキを建築家として起用した。ミノル・ヤマサキは、世界貿易センタ
ーを「街の中に存在するもうひとつの街」として位置付け、百を超える計画案の中から、ツインタワーとそれら
により囲まれたプラザのある案を最終案として提示した。やがて、プロジェクトに貢献したポートオーソリティ
のリーダーであるオースティン・トービンの名前からトービン・プラザと名づけられるこのプラザは、憩いの場
としてのサンマルコ広場を意識したものであった。そして敷地全体をひとつのスーパーブロックとして扱う計画
となった。
図 2. 世界貿易センター建設以前(1946 年)と完成後の敷地
(出典:文献[7]、www.greatbuildings.com)
建設に際しての最大の難問は、地下にある交通機関や周囲の建物に影響を与えることなく、湿った土壌の地盤
にどうやって基礎を打ち込むかということであった。総重量 1,250,000 トンの建物を支えるために、敷地のまわ
23
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
りにコンクリートの地下壁をめぐらす「スラリー壁(slurry wall)」工法を採用することで解決した。地下深 25
mの岩盤に達しているため、地中梁は必要なかった。地下壁が完成すると、この「プール」の中の掘削作業が始
まった。地下水汲み出しに伴う地盤沈下の危険もなく工事は順調に進み、約 100 万立方ヤードの土砂が、330m×
170m,深さ 23mの巨大な掘削を行うためにとりのぞかれた。掘り出された土はバッテリー・パーク・シティの
10ha の土地造成に使われた(図 3)。
図 3. 世界貿易センター敷地の地盤工事(出典: www.greatbuildings.com)
2 棟のタワー(1WTC、2WTC)は新しい構造設計に基づき、重量のほとんどを外壁で支え、内部に最大限、柱のな
い空間を生み出すように企図された(図 4、図 5)
。これにより、レンタブル比 87%を実現(従来平均は 77%)し
ている。外壁には鋼鉄(アルミニウム)製の柱がびっしりと並び、各階ごとに水平梁にしっかりと固定されてい
る。この外壁のデザインは、日の出から日の入りまでの太陽光線の変化をいかし超高層ビルとして魅力的なシル
エットになるよう考慮した結果である。柱には薄いアルミニウムの膜がかぶせてあり、柱から 30 ㎝引っ込めて、
床から天井までの着色ガラスの窓がはめ込んである(図 6)。荷重は,中央のコアと外周のプレキャスト・コンク
リートで被覆された高張力鋼のパイプで支持されている.この構造により、鉄骨フレームの場合と比べて鋼材を
40%削減し、大幅なコストダウンを可能にした。また「スカイロビーskyloby」システムの導入によって、エレベ
ーター用の垂直空間が占める床面積は最低限に抑えられている。それぞれの建物は 1-43 階、44-77 階、78-110 階
の三つの区画に分けられており、スカイロビーのある 44 階と 78 階は分速 480m の急行エレベーターで 1 階ロビー
と直結しているが、その他の階へはそれぞれの区画内で各階に止まる「ローカル・エレベーター」を利用するこ
とになった(図 7)。
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 4. 世界貿易センター平面図(1WTC、2WTC)(出典: www.greatbuildings.com)
図 5. 世界貿易センター構造モデル(1WTC、2WTC)(出典: www.greatbuildings.com)
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 6. 2WTC の外壁
Technical Services
Skylobby
Technical Services
Local
Elevators
Skylobby
Technical Services
Express
Elevators
Express Elevators
Technical Services
Local
Elevators
Plaza Level
図 7. スカイロビー方式
こうしてツインタワーは完成した(図 8)。概要は下記の通りである。
竣工年:
1WTC
1973 年,2WTC
1972 年
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
設計: Minoru Yamasaki & Assocs.
Emery Roth & Sons
構造設計: Skilling, Helle Christiansen, Robertson
延床面積: 約 418,000 ㎡(地上部)/タワー1 棟
基準階面積: 約 3,970 ㎡ (63m×63m)
階数: 地上 110 階,地下 6 階,高さ 415m,417m
構造: 鉄骨造(ベアリングウォール構造)
2001 年 9 月 11 日に同時多発テロにより崩壊する以前の世界貿易センターは、この二棟のタワーの他に 5 棟の施
設からなるコンプレックスであった。3WTC は 22 階建てのホテル、4WTC と 5WTC(プラザビル)は 9 階建てで 4 つ
の取引所(ニューヨーク綿花取引所、ニューヨーク・コーヒー・砂糖・ココア取引所、商品取引所、ニューヨー
ク商業取引所)の本部・立会所と商社や金融会社のオフィスとなっていた。そして 8 階建ての 6WTC は合衆国税関、
赤い大理石の 47 階建て 7WTC は 1987 年に完成したオフィスビルであった。官庁・民間の国際貿易に関するあらゆ
る機能、トランス・ハドソン鉄道のターミナルと地下鉄を収用する画期的なコンプレックスとなった。WTC、地下
鉄、PATH、ウォール街地区は地下の歩行者路で連絡されていた。
図 8. 世界貿易センターのツインタワー
1.1.5.3. 世界貿易センター地区の現状と復興
様々な危機管理に対応するために、1999 年 7WTC 内に設立されたニューヨーク市緊急対応センター(EOC: Mayor’s
Office of Emergency Management, City of New York)には、非常用発電機、水、コンピュータ設備、ラジオ、
電話などが常備されていた。しかしながら、2001 年 9 月 11 日のジェット機突入の際には、7WTC も被害を受けた
ため、それまでに整備していた設備やデータが全く使えない状態であった。そのため、事件直後には緊急指令セ
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
ンター(ECC: Emergency Command Center)が世界貿易センターよりも 1 ブロック北側に設立されたが、周辺も被
害を受けたため翌日には 20 丁目の警察学校に移され、一週間後にはさらに 51 丁目のピア 92 に移された。事件以
前に整備されていたニューヨーク市の GIS データはニューヨーク市緊急管理局(OEM: The Mayer’s Office of
Emergency Management)にとって大変重要なものであったにも関わらず、電話会社のネットワークセンターが被
害を受け、使用できなくなっていたため、ニューヨーク市の情報技術電気通信を扱う DoITT (Department of
Information Technology and Telecommunications)のメンバーは、多くのボランティアスタッフや ESRI 社の協力
を得て、緊急マッピングセンターを立ち上げた。この災害管理 GIS は、ハンター大学にバックアップされていた
GIS データをもとに航空写真や衛星画像により構築されていった。そして状況が変化していく中で必要とされる地
図(緊急対策本部、交通規制、ライフライン被害、立入禁止区域、公共交通機関の状況、建物被災状況、建物応
急危険度、瓦礫処理状況等)を作成し、インターネットに公開していった(図 9)。これらは各方面で有効に利用
されたそうである。
図 9. マッピングセンターが作成し、各種対応、情報公開に利用された GIS 画像
調査を実施した 2002 年 3 月現在、グラウンド・ゼロと呼ばれる被災区域には展望台が設置され、被害を受けし
ばらくの間閉店していた周辺の店舗も再開したところである。被災直後は一年かかると言われていた瓦礫処理も
順調に進み、2002 年 5 月か 6 月には全ての瓦礫が取り除かれる見込みである(図 10)。世界貿易センター跡地の
計画は大規模な開発が期待できるため、広く注目を集めており、市民によるワークショップ等が開催され、また
建築家からは様々な提案がなされている(図 11)。
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 10. 被災後のグラウンド・ゼロの状況
図 11. 建築家による復興計画の提案(出典:文献[8])
1.1.5.4. データベースの構築
本研究調査「NY/WTCビルの被害拡大過程、被災者対応等に関する日米共同研究」を実施するにあたり、研究担
当者間の情報共有、入手情報の整理と研究のとりまとめ、そして一般公開による情報発信を目的として、データ
ベース(ホームページ)
(図 12)を構築し、http://infoshako.sk.tsukuba.ac.jp/ toshiw3/Labo/murao/wtc/index.
htmlに公開している。その構成は、
「サイトマップ」、
「更新情報」、
「被害の概要」、
「実施計画書」、
「調査団リスト」、
「スケジュールと調査内容」、
「調査報告(中間報告、最終報告)
」、
「データベース」、
「次世代型災害情報データベ
ースの試み(東京大学生産技術研究所目黒研究室)」、そして「関連リンク」のようになっており、今後も新しい
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
情報を入手し更新していく予定である。本研究で得た世界貿易センター被害の内容を広く社会に情報発信すると
ともに、今後の研究に資することが期待できる。
図 12. ホームページ画面(http://infoshako.sk.tsukuba.ac.jp/ toshiw3/Labo/murao/wtc/)
1.1.5.5. まとめ
本研究では、世界貿易センタービルの設計過程に関する文献資料等を収集するとともに、被災地を視察し、関
連機関でのヒアリングを行い、世界貿易センターが完成するまでの経緯と被災後の基本資料の収集整理を行った。
さらに、今後の WTC 周辺の被災シミュレーション等の継続的研究を前提としたデータベースを構築した。
世界貿易センターの建設は、1960 年代から 70 年代にかけての巨大プロジェクトであり、敷地周辺の交通計画、
地盤や基礎の整備、超高層としての構造システムや建築計画など各種の新しい提案などが盛り込まれていた。今
回の同時多発テロにより被害を受けた世界貿易センターの破壊プロセスおよび避難活動・消防隊の対応などは、
建築構造、地盤構造、ライフラインシステム、超高層建物であることなどと密接に関連している。3 次元的な都市
災害として、今回の調査で入手した資料や各種の情報を詳細に分析していくことにより、新しい知見を得ること
が可能であろう。また被災後の物的環境を把握し、各種対応を決定づけ、一般に情報発信するためのツールとし
て用いられた簡易 GIS とそれを扱う組織の対応は日本として学ぶべきところが多くある。アメリカとは異なる社
会構造や文化を持つ日本固有の災害対応の仕方等も今後の課題として挙げられる。
最後に、本研究により構築したデータベースには、調査研究の概要と収集した一連の情報が盛り込まれている。
ホームページとして公開することにより、世界貿易センタービル破壊に関する体系化された情報として社会に発
信し、収集整理した基礎データ、文献資料等とともに、今後の関連研究に資することができる。
引用文献
[1]アンガス・K・ギレスピー、泰隆司訳:世界貿易センタービル 失われた都市の物語、KKベストセラーズ
30
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
〔2002年〕
[2]Angus Kress Gillespie: Twin Towers, Rutgers University Press〔2001〕
[3]現代建築家シリーズ
ミノル・ヤマサキ、美術出版社〔1968〕
[4]建築,1970.1月号〔1970年〕
[5]ミノル・ヤマサキ建築作品集,淡交社〔1980年〕
[6]ミシュランタイヤ社:ミシュラン・グリーンガイド
ニューヨーク〔1996年〕
[7]William Fried and Edward B. Watson: New York in Aerial Views, DoverPublications〔1980〕
[8]New York大特集、Casa Brutus、No. 24、マガジンハウス〔2002年〕
成果の発表
1.1.7.1. 原著論文以外による発表(レビュー等)
下記のホームページにより研究成果を公表した。
村尾修:「米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究ホームページ」、
http://infoshako.sk.tsukuba.ac.jp/ toshiw3/Labo/murao/wtc/
1.1.7.2. 口頭発表
下記のとおり、主催講演等を実施した。
村尾修:「NY 世界貿易センターの設計プロセスと破壊プロセス」、筑波大学第三学群会議〔筑波大学社会工学系
平成 14 年度
ファカルティー・セミナー、(2002 年 5 月 1 日)〕
村尾修:「NY 世界貿易センター破壊後の緊急対応」
、筑波大学第三学群会議〔筑波大学システム情報工学研究科
リスク工学専攻
リスク工学研究会、(2002 年 5 月 24 日)〕
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
1. 世界貿易センタービル地区の都市環境被害の実態とその後の復旧過程の分析
1.2. 建築物の構造被害
独立行政法人建築研究所構造研究グループ建築生産研究グループ
勅使川原
要
正臣、西山
功
約
世界貿易センタービルの構造概要の把握を行った後、その崩壊に係わる航空機激突に伴う爆発の影響、床の荷
重支持力、崩壊の連鎖、近隣建物の崩壊のそれぞれに関して考察を加えた。これらより建築物の構造被害の概略
の把握を行うとともに、今後より詳細な検討を行う上での検討事項の抽出に役立つ基礎情報を収集した。
研究目的
世界貿易センターのような超高層ビルは、その設計の段階から周辺地域を含めた都市環境システムの構成要素
として位置付けられている。世界貿易センタービルの破壊は建物自体の被害にとどまらず、エネルギー、ライフ
ラインなど周辺都市システムの破綻として大きな影響を及ぼした。本研究では、世界貿易センタービルの設計段
階からの資料を収集するとともに、その被災過程の解明を試みる。
研究方法
世界貿易センターにおける建築図面・設計主旨の収集、ならびに被害状況の収集を行い、被災過程の解明を試
みる。
研究成果
1. 概要
世界貿易センター(以下、WTC と略記)は、ニューヨーク・マンハッタン島の南端に位置する。WTC は、高さ 1350
feet で 110 階建て(The Port authority of NY & NJ のパンフレットを参照)の 1WTC(North)と 2WTC(South)
を中心に、合計7棟のビル群より構成されている。
WTC1,2 の各建物の外観写真及び平面を、写真 1,2 に示す。
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 1. 南マンハッタンの地図
図 2. WTC の配置図
写真 1. 1WTC の外観と平面
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
写真 2. 2WTC の外観と平面
ハイジャックされたボーイング 767 型機は、9 月 11 日午前8時 45 分(現地時間)に 1WTC に激突し、ビルが炎
上した。その後の経緯は、Tuesday’s chronology of terror (CNN.com) の情報によれば以下のとおりである。
なお、Timeline of Terror (FOXNews.com)の情報によれば、1WTC 崩壊は 10:29AM であり、7WTC 崩壊は 5:25PM と
少々の差異が見られる。
2001.9.11
8:45AM
1WTC にハイジャック機が激突、炎上
9:03AM
2WTC にハイジャック機が激突、炎上
10:05AM
2WTC 崩壊
10:28AM
1WTC 崩壊
4:10PM
7WTC 火災の第一報
5:20PM
7WTC 崩壊
2001.9.12
夕刻
他の2建物が倒壊(詳細な時刻は未確認)
2. 1WTC 及び 2WTC の建物諸元及び設計
注意:本章での記述は、下記に示す各文献[2-1]∼[2-13]を参考としたものである。各項目ごとにどの文
献を参照、引用したかをカッコ内に記述している。また、各諸元などの数値等はできる限り、より信頼性
が高いと考えられる英文文献で確認したものである。ただし、下線を付して記述した部分は、英文文献で
確認できていない。
2.1. WTC の建築主
(1)名称(文献[2-1]を参照、引用)
NY・NJ 州港湾局(THE PORT AUTHORITY OF NY & NJ)
(2)組織の性格(文献[2-4]を参照、引用)
ニュージャージー州及びニューヨーク州の共同出資による商業交通整備公団。1921 年創設。商業交通の運営や
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
開発事業を所管し、空港、ヘリポート、トラックターミナル、橋、トンネル、港湾、鉄道の施設を所有運営して
いる。世界貿易センターの施主であるが、同時に設計部門や検査部門を持ち、施主側の利益団体として契約を結
んでいる。
(3)建築法規の適用(文献[2-1]を参照、引用)
港湾局の施設は、連邦機関及び他の州機関と同様に、ローカルコードの適用は受けないとされている。すなわ
ち、ニューヨーク市の建築条例については、ある規定の条文が免除されるのでなく、条例そのものが適用除外と
なっている。ただし、港湾局責任者は、自主的に市の条例を順守するか、その規定を上回るようにしてきている
ようである。
2.2. WTC の全体計画
(1)敷地と道路(文献[2-1]を参照、引用)
敷地はもともと 14 に分かれていた街区を1つのスーパーブロックとしたものであり、全体で7万 m2 に近い面
積を有する。西側道路(WEST SIDE HIGHWAY)に対して、東側(CHURCH STREET)は、ほぼ1階分地盤が高くなっ
ており、西側から建物1階に入るとコンコースレベルであるが、このコンコースは敷地全体に広がる(半)地下
商店街につながる。
(2)建築物の配置(文献[2-1]を参照、引用)
110 階建の2本の超高層ビル、ノースタワー(1WTC)、サウスタワー(2WTC)、22 階建のマリオットホテル(3WTC)
、
9階建のサウスイーストプラザ、ノースイーストプラザ(4WTC、5WTC)
、米国税関である U.S.カスタムビル(6WTC)
があり、道路をへだてた敷地には 47 階建の事務所ビル(7WTC)がある。全体では7棟からなっている。
1階(コンコースレベル)では、前記のように街区全体に広がる商店街となっており、その下階の地下部は 1WTC、
2WTC、3WTC、6WTC の4棟および広場(プラザ)の約半分を含む部分が一体となり、広大な地下空間を構成してい
る。また、この部分には PATH と呼ばれる地下鉄の駅舎が含まれる。
2.3. ノースタワー(1WTC)及びサウスタワー(2WTC)の建築概要
2.3.1. 建築概要
(1)建築概要(文献[2-1、2-8]を参照、引用)
設計者
:Minoru Yamasaki and Associates 及び Emery Roth and Sons
構造設計
:Skilling、Helle Christiansen、Robertson
基礎地盤設計
:The Port of New York Authority Engineering Department
延べ面積
:タワー1棟につき約 445,900m2(地下6階∼地上 110 階まで)
基準階床面積
:約 3,982m2(63.1m×63.1m)
階数
:地上 110 階、地下6階、高さ 411.5m
基準階の階高
:3.66m
構造
:鉄骨造(ベアリングウオール方式)
タワー1棟の荷重:
固定荷重
:295,000ton
積載荷重
:75,000ton
荷重合計
:370,000ton
風荷重(風圧)
:220kg/m2
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
(2)建物全体構成(文献[2-1]、[2-3]を参照、引用)
ノースタワー(1WTC)、サウスタワー(2WTC)ともに地上部は約 63m 角の正方形の平面を持ち、互いに 90 度回
転の位置関係にある対照的なツインタワーである。
スカイロビー方式と呼ばれるエレベーターが採用されている。これはタワー全体を3つのゾーンに区分し、中
間階(44 階及び 78 階)をスカイロビーとしてシャトルエレベーターを運行し、そこで乗り換えてローカル階に行
く方式である。機械室は7、8階、41、42 階、75、76 階及び最上部に分散している。
2本のタワー(1WTC、2WTC)、マリオットホテル(3WTC)
、U.S.カスタムビル(6WTC)の4棟は約 330m×170m、
深さ 23m の巨大な地下空間を構成している。
基準階は 63.1m 角の正方形平面で 42m×24m のセンターコアを持つ。
2.3.2. 構造概要
(1)構造システム概要
・建物寸法(文献[2-1]、[2-3]を参照、引用)
2つの高層棟はともに高さ 411.5m で、63.1m×63.1m の平面形をなし、コア部分は 42m×24m である。一般階の
階高は 3.66m で、玄関ホールの天井高は 22.3m である。411.5m の高さの超高層ビルとして、設計風荷重によりせ
ん断力(5,670t)と転倒モーメント(1,313,415tm)を受け、これに抵抗するのに必要な外壁長さとして 63.1m が
決められた。
・構造システム(文献[2-1]、[2-2]、[2-5]、[2-9]を参照、引用)
この建物の構造形式は、風荷重の伝達方式によって決定されている。各外壁面につき 59 本の中空柱(間隔 1.02m)
は、132cm 成のスチールプレートと各フロア毎に接合され、フィーレンデール梁型と呼ばれる外周壁を形成してい
る。建設スピードとコスト低減のため、3本柱が3階分を1ユニットとして製作され、それが現場で組み立てら
れる。
外部柱と外壁面のこの架構は建物隅角部でスラブと剛接されることによって巨大な正方形パイプを形成し、こ
れが基礎にアンカーされて全ての風荷重を基礎に伝達している。
中央コア部分はエレベーターや階段等に使われている。コア部分の柱は、下層、中層、高層の順に、日の字断
面、ボックス断面、H 形断面が使用されている。コア部分は内部の床荷重のみ負担することになっているので、柱
の配置は、エレベーター、階段、トイレ等のスパン割に対してある程度の自由度を持たせている。この中央コア
と外周壁との間に鉄骨トラスの床スラブが架け渡されている。
(2)外周部架構
・外周部の構造(文献[2-1]、[2-2]、[2-3]、[2-6]、[2-9]を参照、引用)
9階より上層階では前述のように3本柱で3階分のユニットで外周壁が形成されているが、このユニットの3
本の柱は地上 12 m の位置で、ツリー状のユニットによって、1本の柱に集約されている。このツリー状のユニッ
トは 17.07m の高さで 52ton の重量がある。ツリー状ユニットの集約された1本の柱は 2,087ton の荷重を伝達す
る。この柱のピッチは 3.06m となっている。
上層階のユニット同士の接合方法は、梁同士ではハイテンションボルトで接続され、柱も同様にハイテンショ
ンボルトで接合されている。施工時の写真記録より、柱同士をボルト締めするための矩形の穴が柱の端部に開け
られているのが観察されている。また、倒壊後の写真では、外周柱の柱同士の継手接続部にボルト穴が6カ所見
られている。ツリー状のユニットの柱と最下階の柱の接続は、溶接接合されている可能性があるが、確認できて
いない。
36
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
・外周部の柱等の詳細(文献[2-1]、[2-2]、[2-3]、[2-11]を参照、引用)
9階より上層階で使われているユニットの箱形断面柱の外形寸法は、356×343mm である。これらの柱の外形寸
法は、9階から最上階まで同一であるが、板厚及び鋼材の降伏耐力は異なるものを使っている。柱断面は、9階
から最上階までの間で、板厚が 75mm から6mm まで変化している。一方、ツリーユニットの下階の柱の寸法は、外
形寸法が 686×813mm であり、その板厚は 179mm となっている。
外周柱の鋼材の種類(降伏点)を高さ方向分布で見ると、下層部では、降伏点が 7000kg/cm2 級の高張力鋼が使
われている。外周柱は、上層から ASTM A441、HIGH STRENGTH STEEL、HEAT TREATED STEEL が使用されている。こ
れらの鋼材の降伏点の範囲は、約 3500kg/cm2∼7000kg/cm2 程度の範囲となる。外部柱は鉛直荷重とともに風荷重
に抵抗するため、このように板厚と材料降伏点に関して、さまざまなものが使用されたものと思われる。
(3)コア部分の構造(文献[2-2]、[2-11]を参照、引用)
コア部分の柱の断面形状は、地下階から 70 階まででは日字形断面であり、50 階から 83 階では箱形断面、そし
て、83 階から 110 階ではH形断面が用いられている。コア部分の梁はH形鋼が用いられていると思われる。柱と
梁は構造上ピン接合であるが、鉄骨建方中の仮設時の水平力に抵抗できるように、梁フランジの現場溶接も併用
されている。コア部分の柱はすべて A36 steel が使用されており、この鋼材の規格降伏点は、2531kg/cm2 である。
柱継手の方法は不明である。梁の材料及び降伏点は不明である。
(4)床版の構造(文献[2-1]、[2-2]、[2-3]、[2-7]、[2-9]を参照、引用)
コア部分と外周部分の間の事務室部分の床版(フロアパネル)を架け渡す部分はフロアパネルとなっている。
フロアパネルは従来の梁と床の機能を合わせ持つプレハブ化されたものである。このフロアパネルと、コア部分
及び外周部分との接続は、ピン接続となっている。
フロアパネルのサイズは2種類で 4.1m×10.7m 及び 6.1m×18.3m
である。なお、フロアパネルには、水平トラスによるによる補強が建物の4コーナー部分にある。
フロアパネルは鉄骨トラス、デッキプレート、軽量コンクリートスラブからなる。トラスの成は 73.7cm∼81.3cm
であり、トラスは弦材が山形鋼2丁合わせ、ウェブが丸棒からなる平面トラスを2重梁として使われている。つ
なぎトラスはメイントラスと直角に 4.1m ピッチで取り付けられている。デッキプレートの上には厚さ 10.16cm の
軽量コンクリート(強度 211kg/cm2)が現場で打設される。ウェブ材がデッキプレートの上に突き出ていることで
シアキーとなり、床面のコンクリートと一体化されている。基準階の床の配筋は6φの異形鉄筋を@50、副筋方
向@200 となっている。なお、スラブ自重は 50kg/m2、有効積載荷重は 488kg/m2 である。
(5)減衰装置(文献[2-1]、[2-9]を参照、引用)
WTC では粘弾性減衰装置が使われている。これはスチールとプラスチックのサンドイッチされたもので、風によ
る水平変位を減少させるために7階∼100 階までに、それぞれのタワーで 10000 個使われている。これらは外部柱
と床トラス下弦材端部との間でボルト接合されている。
(6)擁壁及び基礎構造(文献[2-1]、[2-4]、[2-9]、[2-11]を参照、引用)
各建物の総重量約 1,230,000ton(1WTC、2WTC は、それぞれ 370,000ton)を、深さに 23m にある Bedrock(基盤)
で支える。その許容地耐力は約 390ton/m2 である。掘削を行なうための土止め壁として、後方へアンカーされた
鉄筋コンクリート造の擁壁(深さ約 20m、厚さ 90cm)が施工された。
コア部分の基礎の耐盤はベッドロックまで打ち込み、その上に I 形鋼を組み合わせたベースを置く。ベースプ
レートは厚さ 10cm∼25cm であり、アンカーボルトは使用していない。これはコア部分は直圧だけで、浮き上がり
がないためのようである。
37
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
3. 民間航空機(ボーイング 767)の激突
文献[3-1]では、2WTC への航空機の激突状況を映像より読みとり整理している。これより、78∼84 階におい
て建物の東側半分での直接被害と急激な火災を想起させる。また、ボーイング 767 型機に関する技術資料を
boeing.com より入手し、このデータより算定した結果、通常の事務所として算定される火災荷重の最大で2倍程
度の火災荷重の増加であり、激突直後の爆発などを考慮すると粗く見積もって通常の事務所ビルの火災荷重と同
程度の火災荷重の増加であったと推測される。
考
察
1. 航空機激突に伴う爆発の影響
爆発には、圧力容器の破裂に代表される、気体や液体の膨張、相変化などの物理過程が圧力の発生原因となる
物理的爆発と、物質の分解、燃焼などの化学過程が圧力の発生原因となる化学的爆発がある。今回の航空機の激
突に伴う爆発は、航空機燃料の燃焼に伴う爆発と考えられ、化学的爆発に分類される。
起爆後、高温の反応領域が周囲の未反応領域に広がっていく。この伝播形式は、可燃性物質の種類、濃度、環
境条件により、爆燃と爆轟に分類される。爆燃は可燃性混合気中の火炎伝播と同じ現象で、火炎の移動速度も音
速に比べ、かなり低い。高い圧力になるのは、密閉状態かそれに近い状態に限られる。また、そのときの圧力は
容器の壁に一様なものとなる。一方、爆轟は、燃焼の伝播が加速を受けたときに、その前方に圧縮波が成長し、
衝撃波となって、それと火炎が合体して進む現象である。衝撃波は爆轟波と呼ばれ、移動速度は数千 m/s にも及
ぶ。爆燃から爆轟への移行は可燃性ガスと媒体の混合気が乱れている場合に起こりやすい。爆轟波が可燃性の媒
体を通過すると、火炎は消滅し、衝撃波のみが伝播する。この衝撃波を爆風と呼ぶ。
爆風の圧力は、爆風の到達直後にピークに達し、その後指数的減少、ゼロを経て、負になり、その後0に戻る。
ピークの圧力はピーク過圧と呼ばれ、大気圧に上乗せされる圧力値で表される。ピーク圧と爆源からの距離との
間には、次の関係が成り立つと言われている。
 R
∆P = A 3
 W



−a
ここで、A=爆発物質による定数
R=爆源からの距離
(図 3)
a=爆発物質によらない定数で、通常 1.6 程度
W=爆発物の重量
38
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
12
圧力(気圧)
10
8
6
4
2
0
0
1
2
3
4
5
距離比
図 3. 爆風による圧力と距離比の関係
今回の航空機激突時には、激突直後、火炎が周囲に噴出すのがみられた。しかし、それに伴う圧力上昇により、
激突階の上階の床スラブや、下階の天井スラブが破られた様子はないように思われる。床の耐圧性能が仮に 10 気
圧(≈10,000hPa)とする。爆発による圧力は、上下階のスラブ位置で 10 気圧以下と推定される。仮にこれを 10 気
圧とし、爆源からの上下階のスラブまでの距離を 1 とした場合の、任意の爆源からの距離におけるピーク圧は上
図のようになる。爆風の隣接建物への影響は、隣接建物の距離を正確に知る必要があるが、高さ関係の距離から
考えても、大きくはないと推定される。
2. 床の荷重支持力(はり接合)
2.1. 解析の条件
WTC の連鎖崩壊を理解する上で、床組の崩壊プロセスの詳細な把握は不可欠である。特に、WTC 全体架構の構造
安定性は、床組によるダイアフラム効果により確保されているし、また、床組崩壊時に隣接する鉛直架構を水平
方向に引き込む効果も見逃せない。
そこで、床組の崩壊を対象とした WTC の1層分の床組及び柱部分(部分架構)をモデル化した二次元簡易モデ
ルを用いて、部分架構の崩壊までの過程を鉛直床荷重を漸増的に静的及び動的に荷重速度を変化させて増加させ
たシミュレーション解析(動的解析には、衝撃解析プログラム AUTODYN を使用)により、以下の諸点について基
礎的検討を行う。
1)床組、床と柱との接合部のモデル化の検討
2)静的・動的荷重速度の設定(静的荷重速度は、構造実験で実施するレベルを想定、動的荷重速度は、NY/WTC
で想定される上層階床落下レベルを想定)
3)床組の崩壊(耐荷力喪失まで)に至るまでの解析WTC床組崩壊解析モデル(案)
なお、床組の崩壊解析モデルは、柱、床組トラスを Beam 要素でモデル化する。柱については上下一層分の長さ
をモデル化する。各位置の断面は、上下弦材:L-75×75×6 のダブルアングル。端部についてはダブルアングルが
さらに上下の対になっているが上下は一体化しては働かないと仮定し、L-75×75×6 のダブルアングルの断面積、
断面2次モーメントの倍になるようにした。斜材:丸鋼φ20、柱:箱型 410x305、板厚 16、シートアングル:150
×20 の長方形。外部柱と梁の接合部については、ボルトの破断を考慮するための要素を組み込んで次ページに示
すようにモデル化する。また、内部の柱と梁の接合部については、外部柱との接合と同じモデル化を行なった。
39
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
(1) 材料特性のモデル化の概要
要素は、Lagrange 定式による梁要素である。ボルト部分以外は、材質 SS400 とし、降伏後の勾配を弾性域の 1/100
とした bi-linear 型の応力-歪関係とした。ボルト部分のモデル化については、ボルト部分をモデル化した梁要素
の軸力がボルトの一面せん断最大耐力に達した時点で破断すると仮定した。ボルトについては、F8T,M16 を想定し、
一面せん断最大耐力は 96.5KN とした。破断については、幾何学的ひずみが制限値に達した場合あるいは破壊条件
に達した場合に要素を除去する機能を用いることによりモデル化している。
(2) 荷重条件
静的荷重では、崩壊までの荷重を漸増載荷し、また、動的荷重では、上層1,2 層分の自重が1,2 層分の自由落
下を載荷した。なお、静的解析については、衝撃解析プログラム AUTODYN によるのは困難であるため、汎用非線
形解析プログラム FINAS によって解析した。
40
10ft (3.05m)
13ft4in (4.1m)
図 4. 床組解析モデル
41
10cm
9cm
60ft (18.3m)
13ft4in (4.1m)
10ft (3.05m)
シートアングル(15cmx2cm)
12ft (3.66m)
12ft (3.66m)
80cm
[20-32in (73.7-81.3cm)]
柱側、トラス端部の間に接合部を模擬する要素を設ける。
破壊条件を導入し、条件に達した場合この要素を除去する機能を
用いて破断のモデル化を行なう。
13ft4in (4.1m)
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
2.2. 解析結果
静的解析の解析結果を以下に示す。荷重は、一階分の自重と積載荷重の1とした単位で図示している。
図 5 は、荷重とトラス中央の下方向への変位の関係を示したものである。
図 6 は、ボルトのせん断力と荷重の関係を示したものである。ボルトのせん断耐力に達する前に解析が終了し
ている。
図 7 は、柱とはりの接合する節点のを水平方向への変位と荷重の関係を示したものである。
解析は6階分の荷重が加わる前に収束が得られず終了した。図 6 によると、この時点でのボルトせん断力は
F8TM16 の最大耐力 96.5kN には達していない。
動的解析については、静的解析と比較すべく計算を実施中であるが、妥当と思われる解が得られていない状況
である。衝撃解析特有の解析パラメータの扱い、モデル化の再検討を含めて検討を継続して行っている。
0.00
-10.00
-20.00
変位(mm)
-30.00
-40.00
-50.00
-60.00
-70.00
-80.00
0
1
2
3
荷重(自重に対する倍率)
図 5. トラス中央部変位と荷重の関係
42
4
5
6
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
5.00
4.00
変位(mm)
3.00
2.00
1.00
0.00
0
1
2
3
荷重(自重に対する倍率)
4
5
6
図 6. ボルトせん断力と荷重の関係
80.00
ボルトせん断力(kN)
60.00
40.00
20.00
0.00
0
1
2
3
荷重(自重に対する倍率)
4
5
6
図 7. 左柱梁接合部の水平方向への変位と荷重の関係
3. 崩壊の連鎖
(1) 飛行機が中間階に激突、侵入、炎上し、外周、コーナーおよび、コアの直接的な柱の破壊をもたらした。
(2) さらに激突階付近の柱、および床トラスの耐火被覆がはがれる。その後の加熱により数階分の鉄骨柱が座屈、
43
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
軸耐力を急激に喪失した。柱の座屈の原因となったのは、熱による柱の耐力低下の他に、加熱により床が伸
びることによる柱の面外への変形、床と柱をつなぐ接合ボルトの破断による床の落下に伴う座屈長さの増大
が要因として考えられる。
(3) それにより上階の床荷重が下階に付加的な荷重として載ってきた。床構造は自身の階の重量に対して設計さ
れているため、上部数階の重量が衝撃的*に載ってくると、床構造がその荷重を支えきれなくなる。当該ビ
ルは、外チューブ形式で、中央に軸力用の柱が配置されている。スパンは約18mと大きい。床に上部の荷
重が乗ってしまった場合床構造は容易に破壊するものと考えられる。
(4) いったんその破壊が生じると、下階には加速度的に大きな重量が付加される事になり、映像にあるような連
続的な破壊が生じたものと思われる。
4. 近隣建物の崩壊について
近隣建物に関する情報は非常に少ない。外観写真、構造形式(平面図は存在)、火災発生の有無などについて
調査が必要と考えられるが、映像情報より推定する程度の検討の域を越えることはできないと思われる。ただし、
文献[3−1]によれば、3WTC、4WTC、5WTC、6WTC は1WTC 及び2WTC の崩壊に伴う落下物の荷重により 1 部崩
壊、さらに火災も発生したが連鎖的な崩壊は免れた。その原因解明が望まれる。
1WTC 及び2WTC の崩壊に伴う落下物などの飛散状況は、World Trade Center Disaster, RMS Special Report,
September 18, 2001 にまとめられている。また、1WFC(ワールド・ファイナンシアル・センター)に関しては、
屋上に多くの落下物があり、また窓が一部破壊(飛散物により割れたものか、人為的に割られたものかは、不明)
していることが、yahoo.com の映像より判明している。
また、1WTC 及び2WTC の崩壊が原因と思われる地下鉄駅(Cortland Street station)の破壊(写真4)も報
告されており、1WTC 及び2WTC の崩壊が周辺地盤に及ぼした影響も無視できないものと考えられる。THE
MEASUREMENT Columbia’s Seismographs Log Quake-Level Impacts (The New York Times September 12, 2001)
では、航空機の激突及び 1WTC と 2WTC の崩壊を地震計が捕らえたとされ、崩壊に伴う破壊エネルギーは1月に発
生 し た マ グ ニ チ ュ ー ド 2.4 の 地 震 よ り も マ ン ハ ッ タ ン で は 少 々 大 き か っ た と い う コ ロ ン ビ ア 大 学 の
Lamont-Doherty Earth Observatory の地震学者のコメントも報道されている。
引用文献
[日本語の参考文献、引用文献]
[2-1]ニューヨーク世界貿易センター爆破(1993年)被害と復旧、日本建築学会
[2-2]松本航一:REPORT/WORLD TRADE CENTER、特集海外工事レポート/資料
[2-3]鋼構造デザイン資料集成
階層建築の実例と詳細、62世界貿易センター/ニューヨーク市、pp.162-164、鹿
44
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
島出版会
[2-4]ワールドトレードセンター、the kentiku、January 1970
[2-5]建築の構造とデザイン、pp95、斉藤公男 監訳、渡辺富雄、岡田章 訳
[2-6]朝日新聞2001年9月15日号
[2-7]ローランド・J・メインストン、山本学治、三上祐三:構造とその形態、彰国社、S59年
[2-8]JSSC Vol.6 No.53, p.75, 1970
[英語の参考文献、引用文献]
[2-9]Lester S. Feld: Superstructure for 1350-ft World Trade Center, Civil Engineering-ASCE, June 1970
[2-10]Dipl.-lng.Klaus ldelberger: THE WORLD TRADE CENTER, NEW YORK THE HIGHEST BUILDING ON EARTH, No.6
1970
[2-11]How Columns Will Be Designed for 110-Story Building, ENGINEERING NEW-RECORD, April 2, 1964
[2-12]Tall Tower Will Sit on Deep Foundations, ENGINEERING NEW-RECORD, July 9, 1964
[3-1]FEMA &
ASCE: World Trade Center Building Performance Study: Data Collection, Preliminary
Observations, and Recommendations, FEMA 403, May 2002
成果の発表
なし
45
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
1. 世界貿易センタービル地区の都市環境被害の実態とその後の復旧過程の分析
1.3. シミュレーションによる超高層ビル崩壊モードの分析
独立行政法人防災科学技術研究所
箕輪
要
親宏
約
シミュレーションにより超高層ビル崩壊モードの分析を行なうための第一段階として、これまでのビル崩壊解
析例、今回の WTC ビル崩壊を解析するためのモデル化とそれを解析するシミュレーションソフトウェアについて
の調査を行なった。
今回は、衝撃解析プログラムとして AUTODYN、汎用の非線形解析プログラムとして FINAS,ABAQUS 等について、
WTC 崩壊解析を念頭においたテスト計算を行なった。これにより、WTC 崩壊過程の各プロセスで見られる現象の解
析への適用が可能であるとの感触を得た。
研究目的
WTCビル崩壊は、テロ発生後2時間という短時間の内にビル2棟を崩壊させ、約3000名もの人命を奪っ
た悲惨な事故である。今までに想像もしなかった超高層ビルの全体的崩壊に際し、崩壊の過程を数値シミュレー
ションにより分析できるようにすることは、今後の高層ビルの安全性評価に極めて有用である。
これまでの高層ビルの崩壊に関しては、地震による崩壊に関する研究がほとんどであったが、今回のテロでは、
航空機衝突による局所的な崩壊が全体崩壊を引き起こすというこれまでなかった崩壊モードをビルの全体崩壊が
甚大な被害を引き起こした。
このようなビルの崩壊モードのシミュレーションによる分析を目的とし、その第一段階として、局所的な破壊
からビル全体の崩壊までのプロセスを挙動を再現できるようなモデル化及びシミュレーションソフトについて調
査を行なった。
研究方法
ビルの崩壊に関する解析例の調査を行なった。また、WTC に関する文献及びテロによる崩壊後の報道などの情報
からビル崩壊過程について検討し、それをシミュレーションする上で考慮すべき骨組の挙動、解析機能について
検討を行なった。
また、これらの挙動を解析するためのソフトウェアについて調査とテスト計算を行い、シミュレーションによ
る崩壊過程の再現の可能性を検討した。
1. ビル崩壊数値シミュレーション例の調査
高層ビルの崩壊に関する研究としては、強震時の繰り返し地震動に対する崩壊に関するものがほとんどであり、
構造物の航空機衝突による破壊に関しては、原子力施設への航空機落下の検討がある。
46
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
地震時のビルの挙動に関しては数多くのシミュレーション例があるが、部材破談までを考慮した解析例として
は桑村ら[1],[2]、上谷、田川ら[3],[4]などの研究がある。これらは、骨組をはり要素でモデル化し、部材とし
ての断面の破断モデルを導入したものである。
この他に、ビルの崩壊までを解析した例としては、発破解体に関する近藤ら[5]、都井、磯部ら[6]の例がある。
また、個別要素法による例[7]などがある。
これらの崩壊モードに対し、今回の WTC 崩壊に関して、WTC に関する文献、事故後の報道情報などから、崩壊過
程について検討し、それを数値シミュレーションで再現する上で考慮すべき骨組の挙動、解析モデルおよび解析
機能について検討を行なった。
崩壊の過程については以下のようなシナリオが考えられる。
a) 航空機の衝突による数層の破壊と応力の再配分, b) 火災による損傷を受けた層の床組、柱の耐力低下, c)
床組の落下とその落下の進行,
d) 床組崩壊による横方向の支え喪失あるいは熱による部材耐力低下による柱の
座屈による全体崩壊の開始, e) 衝突部より上の階の落下によるビル全体崩壊
このような崩壊過程をシミュレーションで再現するためには、衝撃による破壊挙動(航空機衝突による初期破
壊、最終的な全体崩壊)のみならず、火災による材料の強度劣化による架構崩壊挙動、柱の座屈現象などの準静
的な非線形解析を行なうことができる必要がある。
衝撃解析については極めて短時間で起こる現象を解くための専用プログラムを利用する必要がある。
火災による材料の強度劣化による架構崩壊挙動の解析には、熱荷重による応力解析機能および材料の温度依存
性の機能が必要である。また、架構の崩壊までを解析するためには材料非線形解析、幾何学的非線形を考慮でき
る必要がある。材料非線形解析、幾何学的非線形を考慮できると座屈現象の解析も可能になる。
2. 数値シミュレーションソフトの調査
衝撃荷重に対する過渡的応答や動的な破壊現象を解くためには陽解法を採用した解析プログラムが広く用いら
れている。衝撃問題の模擬のためには、高圧、高ひずみ、高ひずみ速度下での材料挙動ができ、衝撃問題で特有
ないくつかの破壊モードの取扱いが可能であることが必須である。原子力施設などの衝撃解析例として AUTODYN
を用いた例[8]がある。
火災による材料の強度劣化による崩壊、柱の座屈現象の解析では、熱応力解析、材料非線形解析、幾何学的非
線形、材料の温度依存性を考慮できる必要があるが、汎用の非線形解析プログラムではこれらの機能を備えたも
のも多い。
今回は、衝撃解析プログラムとして AUTODYN、汎用の非線形解析プログラムとして FINAS,ABAQUS による、WTC
崩壊解析を念等においたテスト計算例の調査およびテスト計算を行ない、解析の可能性を検討した。
AUTODYN は、米国 Century Dynamics 社と㈱CRC ソリューションズの共同開発による衝撃現象を解析するプログ
ラムであり、航空宇宙・原子力・防衛など分野の衝撃現象の解析に広く用いられている。
FINAS は、核燃料サイクル開発機構(旧・動力炉・核燃料開発事業団)により、昭和 51 年より継続的に開発が
進められている国産の汎用非線形解析プログラムである。㈱CRC ソリューションズは核燃料サイクル開発機構から
の委託により、開発初期段階から開発を担当している。
ABAQUS は、米国 HKS 社(Hibbitt, Karlsson & Sorenson, Inc.)で開発された汎用非線形解析プログラムであり、
多くの分野での非線形現象の構造解析に広く用いられている。
2.1. AUTODYN による崩壊解析例
図 1 に AUTODYN を用いて、WTC を想定した高層骨組の崩壊解析例を示す。この解析は、AUTODYN 開発元の Century
Dynamics 社(米国)で行なった解析例である。この例は、上層の床の落下により、下層が次々に崩壊してゆく過程
を捕えている。図中で点が飛び散るように表示されているのは、以下に示すエロージョンの機能により、破壊し
47
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
た部材について節点を質量節点として切り離し、自由運動させたものである。この節点は他の部分との接触・衝
突を考慮している。
(1)
上層落下前
0.000sec
(2)
落下開始後 1.040sec
崩壊層への接触
(3)
落下開始後 1.202sec
崩壊開始
(4) 落下開始後
1.309sec
(5) 落下開始後
(6) 落下開始後
1.471sec
1.567sec
図 1. AUTODYN-3D による高層ビル崩壊解析例
計算要素が限界ひずみを超えて降伏応力が 0 になり、変形抵抗を失った後の幾何学的ひずみを指標にして、「エ
48
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
ロ−ジョンひずみ」に達した計算要素を本来の計算メッシュから切り離す数値的な操作を行なっている。この限
界値であるエロージョンひずみは、物理的ひずみとは異なり、あくまでも数値的に導入された仮想的数値であり、
経験的に、通常 200∼300 %の値が妥当であることが知られている。(ただし、要素タイプや材料によって数十%か
ら数千%の間で変化する。)本解析では、エロ−ジョン後の要素は質点として慣性力を保持させ、他の Lagrange
系メッシュとの相互作用を可能なモデルを適用している。
航空機の衝突解析のテスト計算として、図 2 に示すようなモデルでジェット機の鉄筋コンクリート壁への衝突
解析を行なった。
以下に解析条件の概略を記述する。
(a) 初期材料配置図
(b) 初期鉄筋配置図
図 2. ジェット機壁面衝突時の衝撃解析モデル
・想定航空機 ボーイング 747 型(両翼 60 m、全長 70 m、胴体径 6.5m、材質アルミ、胴体部:ソリッド要素、
主翼部:板厚 2 mm シェル要素、エンジン部:直径 2m ソリッド要素)、重量は密度をスケーリングすること
で実重量に合わせた。
・衝突速度
200 m/s
・壁面材質
コンクリート
・鉄筋 材質:鋼、直径 50 mm、表面/裏面それぞれにかぶり厚 20cm で配置、縦横に 20 cm 間隔の格子状。
(ビ
ーム要素、各ノード点でコンクリートに固着)
・壁面寸法
横 100 m、縦 20 m、厚さ 1m(シェル要素)
・境界条件
コンクリート板端部を完全固定
・衝突条件
壁面中央部に垂直に衝突するものとみなす。
図 3 に解析結果として、衝突後 200ms での崩壊状況を示している。航空機衝突による鉄筋コンクリート壁およ
び壁中の鉄筋の崩壊性状が捕えられている。
49
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
(a) 材料状態分布図 200 ms(表)
(c)
(b) 材料状態分布図 200 ms(裏)
鉄筋材料状態分布図 200 ms(表)
(d)
鉄筋材料状態分布図 200 ms(裏)
図 3. ジェット機壁面衝突時の衝撃解析結果
2.2. 火災による骨組崩壊解析例
汎用非線形解析プログラム FINAS を用いて、火災時の骨組の挙動を検討するためのテスト計算を行なった。
火災による鋼構造骨組の崩壊については、鈴木[9]による研究があり、汎用非線形解析プログラムによる火災に
よる骨組崩壊解析例として、まず図 4 に示すような単位骨組の解析を行なった。
鋼材の応力歪関係は鋼構造耐火設計指針[10]に示されている SS400 の式に相当するもの(図 5)を多直線近似で
与えた。
50
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 4. 鋼構造骨組の火災による崩壊解析モデル
図 5. 高温時を含めた鋼材の応力-歪関係
骨組全体を一様に温度上昇させる条件で解析を行なった。
図 6 に解析結果を示す。図 6(a)に鋼材温度が 500℃を超えて以降の変形図を示している。図 6(b)に温度と柱の
縮み量の履歴を示す。初期には熱膨張により柱は伸び、500℃に至る前で縮む方向に反転している。鈴木による解
51
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
と比べ、高温となるまで崩壊に至らない結果となっており、検討の余地があるが、火災による崩壊性状を捕える
解析が可能であると考えられる。
(a) 高温時変形図
図 6. 鋼構造骨組の火災による崩壊解析結果
(b) 温度と柱軸方向変位の関係
図 6. 鋼構造骨組の火災による崩壊解析結果
52
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 7 に示すような WTC を想定したモデルでの解析を行なった。今回は左右対称と仮定して左半分のみモデル化
して解析した。材料としては、図 5 のものを使用し、モデル全体を一様に温度上昇させた。今回のモデルでは、
床スラブの剛性を考慮していないなど実際の WTC 床組とは異なっている。
図 7. WTC 床の火災による崩壊解析モデル
53
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
解析結果を図 8 に示す。図 8(a)に梁中央部の鉛直変位、図 8(b)に柱-梁接合部のボルトのせん断力、図 8(c)に
接合部における柱の水平方向の変位を示している。横軸は温度を示している。
図 8(b)に柱-梁接合部のボルトのせん断力の履歴を見ると自重による変形により、接合部には引張の力が働いて
いたものが、温度上昇による梁トラスの熱膨張により、圧縮側へ変化してゆく。100℃付近で引張側にジャンプし
ているが、この時点でトラスの上弦材と斜材が座屈しているためである。座屈後も熱膨張による圧縮側への変化
が続くが、300℃を過ぎて引張側への逆転が見られる。
(a) 梁中央部鉛直方向変位
図 8. トラス床組高温時解析結果
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
(b) ボルトせん断力
図 8. トラス床組高温時解析結果
(c) 柱-梁接合部水平方向変位
図 8. トラス床組高温時解析結果
この傾向は、図8(c)の柱-梁接合の水平方向変位からも分かる。
55
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
ボルトとして、F8TM16 クラスを仮定すると、その最大耐力は常温でも 96.5kN であり、図8(b)では、500℃でこ
の程度の値となっているが、ボルト耐力も低下するため、これより低い温度で接合部のボルト破断が起こるもの
と考えられる。
より現実に近いモデル化、温度条件の設定を行なうことにより、実際の WTC 床組の火災による崩壊の検討への
応用できるものと考えられる。
3. 柱の座屈解析
WTC の柱部材は3階分単位で加工されたものを柱1本当たり4本のボルトで止めているだけの構造になってい
る。これは、風荷重による曲げにより生じる引張を考慮しても外周柱には自重による圧縮の方が大きいため問題
ないが、床の崩壊により、補剛が失われ座屈を生じるような場合、より脆性的な破壊モードとなるものと考えら
れる。
ここでは、柱の座屈解析を、上下の柱の接合について図 9 に示すようなモデル化で行い、その挙動の違いを比
較した。解析は汎用非線形解析プログラム ABAQUS を用いて行なった。
56
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
断面降伏軸力
全塑性曲げモーメント
Ny = 5140 kN
Mp=586.1 kNm
図 9. WTC の柱を想定した座屈解析モデル
上下柱接合部については次の2種類で解析した。
1. ボルト接合、メタルタッチをモデル化したマルチスプリングモデル
2. 完全剛結
柱を Beam 要素でモデル化したが、柱断面としては WTC の外周柱で航空機が衝突した階を想定し、箱型の 410×
305 板厚 16mm とした。材質は SS400 とし、降伏後の勾配は弾性域の 1/100 とした bi-linear 型の応力-歪関係と
57
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
した。
メタルタッチ部は、箱型断面のフランジ部2点、ウェブは8点で非線形バネを設け、バネ特性は負担面積を考
慮し、SS400 の応力-歪関係は軸力-変位関係に換算したものを用いた。
ボルトについては、F8T、M16 を仮定し、96.5kN で最大耐力に達するとした。
今回は、接合部の上下に一階分の座屈長で計算を行なった。解析結果を図 10,11 に示す。マルチスプリングで
モデル化した場合も、完全剛結とした場合とほとんど同じ挙動を示しており、マルチスプリングによる断面の挙
動の置き換えは正しく行なわれていることがわかる。
マルチスプリングのモデルでは、断面の軸力-曲げモーメントが降伏曲面に達した後、フランジから開きが生じ、
ボルトが最大耐力に達した時点で収束が得られず、解析が中断した。この時点で断面が耐力を失ったものと考え
られる。
今回の解析により、ボルト破談までの挙動を追跡することができ、接合方法により、挙動の違いを示すことが
できた。
図 10. 座屈解析結果 (a) 荷重-軸方向変位関係
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 10. 座屈解析結果 (b) 荷重-横たわみ関係
図 11. N-M(軸力-曲げモーメント)相関図
研究成果
シミュレーションにより超高層ビル崩壊モードの分析を行なうための第一段階として、今回の WTC ビル崩壊を
解析するためのモデル化とそれを解析するシミュレーションソフトウェアについての調査を行なった。
衝撃解析プログラムとして AUTODYN、汎用の非線形解析プログラムとして FINAS,ABAQUS 等について、WTC 崩壊
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
解析を念頭においたテスト計算を行なった。これにより、AUTODYN の航空機衝突解析への適用、汎用の非線形解析
プログラムの火災による材料の強度劣化、柱の座屈現象を考慮した崩壊解析への適用が可能であるとの感触を得
た。
考
察
今回は、研究の第一段階として WTC 崩壊に至る各段階の簡単なモデルでの検討を行い、シミュレーションによ
る崩壊モード分析の可能性の感触を得た。今後はこれらを組み合わせての解析モデルの検討により、局所破壊か
ら全体破壊へ至る過程の連続的なシミュレーションも可能になると考えられる。
また、解析モデルの検討により、一般の高層ビルの崩壊の可能性検討への適用も可能であると考えられる。
(謝辞)
本研究を行うに当たり、東京工業大学
和田章
教授
の助言、指導を頂いた。深く感謝の意を表す次第であ
る。また、㈱CRCソリューションズの酒井新吉氏には、この研究の実施にあたり、多大な御尽力を頂いた。
参考文献
[1] 桑村仁、佐藤義也:強震を受ける柱降伏型多層骨組の脆性連鎖崩壊、日本建築学会構造系論文集、第 483
号、1996.5
[2]
桑村仁、佐藤義也:強震を受ける柱-梁-パネル系多層ラーメンの脆性連鎖崩壊、構造工学論文集、Vol.43B,
1997.3
[3]
上谷宏二、田川 浩:梁端部の脆性破壊を伴う鋼構造骨組の地震応答、日本建築学会構造系論文集、第 489
号、1996.11
[4]
上谷宏二、田川 浩:梁材破談を伴う鋼構造骨組の動的応答解析法、計算工学講演会論文集、VOL.2, 1997.5
[5]
近藤一夫、玉井宏章、加藤政利:ハイブリッド応力法による建物鉄骨架構の爆破解体過程の数値シミュレ
ーション、計算工学講演会論文集、VOL.2,NO.3,
[6]
1997.5
磯部大吾郎、都井 裕:ASI 法による脆性骨組構造体の動的崩壊問題の有限要素解析、計算工学講演会論
文集、VOL.1,
1996.5
[7]
伯野元彦:破壊のシミュレーション、森北出版、1997.10
[8]
O. Kawabata, M. Kajimoto, and N. Tanaka : HYDROGEN DETONATION AND DYNAMIC STRUCTURAL RESPONSE
ANALYSES FOR LARGE DRY CONTAINMENT VESSELS OF STEEL AND PRE-STRESSED CONCRETE TYPES, Proceedings
of ICONE 8(8 th International Conference on Nuclear Engineering),2000.4
[9]
鈴木弘之:火災時における鋼骨組の崩壊温度、日本建築学会構造系論文集、第 477 号、1995.11
[10] 鋼構造耐火設計指針、日本建築学会、1999.1
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
1. 世界貿易センタービル地区の都市環境被害の実態とその後の復旧過程の分析
1.4. 火災による建築物への被害
国土交通省国土技術政策総合研究所防火基準研究室危機管理技術研究センター
萩原
要
一郎、上之薗
隆志
約
世界貿易センタービルの防火対策を把握したうえで、航空機の衝突による火災の発生状況、在館者の避難状況
に関する情報収集を行い、火災による建築物への被害について推測を行った。これらにより、高層建築物の防火
上の問題点または避難上の問題点の抽出を行った。
研究目的
世界貿易センタービルのような超高層建築物が火災により崩壊した事例はないため、崩壊の理由を明らかにす
るとともに、従来の防火対策を見直す必要があるのかどうかについて検討するために必要な情報を収集する。特
に超高層建築物からの避難については、実態を把握し、在館者の避難に支障がなかったかどうかを明らかにする
とともに、今後の避難計画の課題を整理する。
研究方法
世界貿易センタービルの建築図面や防災計画に関する資料の収集、火災及び避難行動に関する報道された映像
などマスメディア情報を収拾する。
研究成果
1. 建築物の概要
耐火性能
世界貿易センタービル(以下 WTC)は、ニューヨーク市の建築条例の適用を受けないが、独自の基準に基づいて
同等以上の性能を確保しているという。WTC1(北棟)及び WTC2(南棟)は鉄骨造であり、耐火被覆により耐火性
能を確保している。各部材ごとの耐火時間は不明であるが、重要な構造部材は 3 時間耐火、竪穴区画を構成する
壁は 2 時間耐火の仕様とされている。
また、自動スプリンクラー設備は、竣工当初は設置されていなかったものの、事件当時にはほぼ 100%の範囲に
設置されていた。
WTC 全体の防災センターは、竣工時にはコンコースレベルに設けられていたが、1993 年の爆破事件後に WTC1 及
び WTC2 のロビーにも防災センター機能が設けられた。なお、WTC は独自の自衛消防隊を有しており、あらかじめ
消防機材を高層階にも配置している。
61
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
避難施設など
WTC1 及び WTC2 には3つの独立した避難階段がコア部分に設置されている。ニューヨーク市の建築基準では2つ
の避難階段が必要とされるが、1つの避難階段が追加されている。このうち 2 つ(階段 1 と 2)は 44 インチ幅で
110 階まで直通している。中央近くにある 3 つ目の階段(階段 3)は 56 インチ幅で 108 階まで直通している。こ
れらの階段は上から下まで連続した1つの竪穴にあるのではなく、いくつかの階では水平に乗り換える構造であ
る。階段 1 及び 2 は 42 階、48 階、76 階、82 階で乗り換える。階段 1 はさらに 26 階で乗り換える。階段 3 は 76
階だけで乗り換える。
なお、1993 年の爆破事件後の改修により、階段室にはバッテリー付きの非常用照明が設置され、階段の踏み面
の先端には蓄光性塗料が塗られている。
図 1. WTC1 の平面と避難階段の位置
WTC1 及び WTC2 には、それぞれ99台の乗客エレベータが設置されていた。12台のシャトルエレベーターによ
って、44階と78階に設けられたスカイロビーまで上り、ローカルエレベーターに乗り換える方式である。急
行エレベータは定員55人で78階から1階まで45秒である。最上階を除くすべての階に各階停止するエレベ
ータは1台だけであった。
また、火災が発生した場合、居室部分からコア部分へ煙が拡大することを防ぐために、ゾーン煙制御システム
が設置されていた。
避難訓練は、6ヶ月ごとに開かれた。各階には、「ファイヤーワーデン(防火管理者)」を配置し、階の避難
を組織する責任を負っていた。今回の事件においても、ファイヤーワーデンの指示により避難した人も多い。
2. 火災による被害の概要
事件の概要
ハイジャックされた2つの航空機が WTC に衝突した後の経過について、主にマスコミが報道した情報からまと
めると以下の通りである。
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
8:46
WTC1(北棟)の北側 94∼98 階の範囲に航空機が衝突。
9:03
WTC2(南棟)の南側 78∼84 階の範囲に航空機が衝突
WTC1及び WTC2 はともに航空機の衝突時に、大きな爆発を起こした。航空機の燃料は衝突階だけでなく内部の
竪穴を通じて下階へと拡大し、火災を引き起こした。この火災は2つの棟の上階全体に燃え広がり、建物の在館
者全員が急いで避難しなければならない事態をもたらした。WTC の管理者であるポートオーソリティーによれば、
衝突時の WTC 全体の人口は約 58,000 人(駅やコンコース部分まで含む)と推定されている。衝突から崩壊までに
多少の時間的な余裕があったため、WTC1 及び WTC2 の衝突階より下の階にいた人々の大部分は安全に建築物の外に
避難することができた。
9:59
WTC2(南棟)は衝突から 56 分経過後に崩壊した。
9:29
WTC1(北棟)は衝突から 1 時間 43 分後に崩壊した。
この崩壊により、建物の在館者、消防士など 3,000 人以上が犠牲となった。
WTC1 及び WTC2 の周辺の建築物は、倒壊した2つの棟の瓦礫による損傷を受けて倒壊したり、火災が発生したり
した。崩壊時に発生した爆風は瓦礫を吹き飛ばし、また周囲の建物の窓を破壊した。壊れた建物に閉じ込められ
た人の救助に活動が集中した結果、多くの火災は放置された。WTC3(マリオットホテル)は、2 つの棟の崩壊によ
り落下した瓦礫により、ほぼ全体が倒壊したが、WTC1 及び WTC2 のような進行性の崩壊は発生しなかった。WTC4,5,6
も瓦礫の落下の衝撃により部分崩壊し、また火災により完全に燃えてしまった。47 階建ての WTC7 は 7 時間もの放
任火災の後に午後 5:20 に崩壊した。
表 1. WTC の被害状況
建物名称
WTC2
サウスタワー(南棟)
階数
発生時刻
110F
10:06
被害の状況など
全壊。
9:03 航空機の衝突による損傷、爆発、火災の発生
により、56分後に崩壊。
WTC4
9F
同上
北一部残しほぼ全壊。
WTC2倒壊時の瓦礫により損傷し崩壊。残りは火災
により全焼。
WTC1
ノースタワー(北棟)
110F
10:28
全壊。
8:46 航空機の衝突による損傷、爆発、火災の発生
により、1時間43分後に崩壊。
WTC3
マリオットホテル
22F
同上
ほぼ全壊。
WTC1及びWTC2の崩壊時の瓦礫により損傷し崩
壊。一部に火災の発生あり。
在館者は2人を除き全員が無事避難。
WTC5
9F
同上
一部を残し崩壊。
WTC1倒壊時の瓦礫により損傷し崩壊。残りは火災
により全焼。
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
WTC6
税関
8F
同上
一部を残し崩壊。
WTC1倒壊時の瓦礫により損傷し崩壊。残りは火災
により全焼。
WTC7
ソロモンブラザース
47F
17:20
全壊。
WTC1崩壊時の瓦礫による損傷し、複数の階で火災
が発生。約7時間後、下層部から崩壊。在館者は全
員無事に避難。
火災による被害
1.1.1. WTC1及びWTC2
航空機が WTC1 及び WTC2 に衝突した時の状況について、マスメディアで放映された映像をもとに分析し、図 3
のように整理した。なお、損傷部分の範囲は画像からの推定であるため、調査報告書と多少の相違がある。
航空機が衝突した時には、図 2 のような大きなファイアボールが観察された。これは航空機の積載していた燃
料が爆発したものと考えられる。航空機は衝突時に約 10,000 ガロンの燃料を積んでいたとされている。ファイア
ボールのサイズから 1,000∼3,000 ガロンが消費された推定できるので、残りの燃料の半分が衝突した階以外に流
出したとすれば、約 4,000 ガロンの燃料が衝突階で発生した火災で消費されたことになる。この燃料が燃え尽き
る時間は、酸素が十分に供給されたと仮定すると 5 分程度と計算される。実際には、燃料が吸収されたり、酸素
の供給が不十分なこともあるので時間の長短はあるだろうが、いずれにしろ燃料自体は最初の数分で燃え尽き、
その後は、航空機自体を含めて衝突した階に存在する可燃物がほとんど燃焼を始めたものと考えられる。煙のプ
リュームから推定される室内の火災温度は、約 900℃から 1100℃と推定されている。
衝突による内部の損傷状況を確認することは不可能であるが、記録された映像から以下の状況を推測すること
ができる。
WTC1 の 97 階あたりを中心として約 10 度の傾斜で航空機が激突し、機体の前方は建物のコア部分にぶつかり停
止した。激突の直後の爆発により、北側オフィススペースは、95 階から 99 階までのトラスばりを含んだ床が破壊
され、構造部材の耐火被覆の脱落など生じた可能性が高い。突入直後に航空機燃料の爆発的燃焼を契機として,
広範囲に火災が発生した。崩壊は、階全体が真下に落下するような状況であったことから、激突を受けた部分だ
けでなく、複数の階において階全体に火災の影響が及んでいたものと推測される。
WTC2 の 80 階あたりを中心として約 45 度の傾斜を持って航空機が激突し、機体の先端が 82 階北東角部に,ほぼ
原形を保って突き出た。このことから,80∼85 階の少なくとも東側オフィススペースはトラスばりを含んだ床が
破壊した可能性が高い。同時に,突入直後に航空機燃料の爆発的燃焼を契機として,広範囲に火災が発生した。
建物のコア部については,機体の一部をかすめ,左翼がほぼ直撃したと思われるが、衝突直後に屋外でファイア
ボールが形成されているので,WTC1 北棟に比べコアの損傷は小さかったかもしれない。崩壊は,衝突を受けて構
造的損傷の激しかった北東側に折れるようなモードで始まり,その後はほぼ直下に漸進的な崩落となっている。
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 2. 航空機が WTC2 に衝突した時に発生したファイアボール
北面
西面
南面
東面
WTC1
(北棟)
100階
99階付近:右翼先端突入(北面)
90階
97階付近:胴体先端突入(北面)
95階付近:左翼先端突入(北面)
78階
北面
西面
南面
東面
損傷部分
WTC2
噴出火炎
(南棟)
100階
90階
85階:右翼先端突入(南面)
84-83階:右翼先端突出(東面)
82階:胴体先端突出(北面)
78階
80階:胴体先端突入(南面)
76階?:左翼先端突入(南面)
図 3. 旅客機突入に伴う WTC1 及び WTC2 の損傷部分
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
1.1.2. WTC3
WTC1 への衝突後、屋根を突き破ってきた落下物により、最上階の何箇所かで火災が発生した。この火災の発生
後すぐに、ホテルの客と従業員の避難が開始された。
詳しい情報は不明であるが、WTC2 及び WTC1 崩壊時の瓦礫の衝撃により、
そのほとんどが崩壊したと考えられる。
1.1.3. WTC4,5,6
これらの建物は WTC1 と WTC2 の近傍に位置していたので、WTC2 及び WTC1 崩壊時の瓦礫の衝撃により一部が崩壊
し、また瓦礫から発生した火災により全焼したものと考えられる。なお、これらの建物は大規模の崩壊にもかか
わらず、進行性破壊ではないとされている。
1.1.4. WTC7
近代の高層建築物が火災により崩壊したという事例はほとんどないため、WTC7 が火災を主な要因として倒壊し
たことに専門家は強い関心を寄せている。
目撃者の情報によれば、WTC1 崩壊時に飛んできた瓦礫により、WTC7 の南面は損傷を受け、この時に火災が発生
したとされている。火災は当初南面の連続していない複数の階(6 階∼19 階)で目撃されている。建物内部には
非常電源用の燃料タンクが設置されており、火災がこの燃料に引火したため、倒壊するまで 7 時間も燃焼が継続
したと考えられる。
人的被害
建物の在館者の死者は、そのほとんどが最初に衝突され、2 番目に崩壊した WTC1 で発生した。WTC1 で 1,434 人、
WTC2 では 599 人が死亡した。
WTC2 にいた在館者の約 2/3 は、WTC1 と WTC2 へ航空機が衝突する時間(16.5 分間)に地上へ避難している。衝
突部分およびその上部の階で発生した死者数を比較するとは、WTC1 では各階平均 78 人だが、WTC2 では各階平均
19 人と少ない。
WTC1 では 92 階以上の在館者はすべて死亡した。一方、91 階より下階の在館者はその 99%が避難することがで
きた。WTC2 では 81 階以上の在館者のうち4人だけが避難することができた。3 つの避難階段のうち、2つは衝突
で使えなくなっていたが、無事に残っていた 1 つの階段を利用して避難することが可能であった。
なお、ここには死亡した 479 人の警察、消防、レスキュー隊、また、157 人の飛行機の乗客と乗員も含まれてい
ない。
表 2. 死者の発生状況
WTC1
死者
生存者
WTC2
場所不明
総数
1434 人
総数
599 人
92 階以上
1360 人
81 階以上
595 人
91 階以下
72 人
80 階以下
4人
92 階以上
0人
81 階以上
4人
91 階以下
4,000 人以上
80 階以下
不明
(99%)
(100%)
66
地上
147 人
10 人
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図4
WTC1 及び WTC2 における階別死者の発生状況
3. 避難行動
航空機が衝突した時、5,000 人から 7,000 人が WTC1 及び WTC2 にいたと算定されている。これは午前 8 時 46 分
には、まだ出勤していない人が大勢いたということである。最上階の展望台は、午前 9 時 30 分まで開かない予定
であったため、旅行者はほとんどいなかった。ここでは、ニュース記事等から得られた個人の避難体験を中心に
避難時の状況を紹介する。[2],[3]
WTC1
■北棟最上階からの生存者
George Sleigh、63 歳の American Bureau of Shipping の technical consistency のマネージャーであるが、
91 階の彼のオフィスで電話をかけていた。その時ジェットエンジンが轟音をたてるのをきいた。壁、天井、本棚
が崩れ落ちた。Sleigh は、がれきから這い出した。Sleigh とその同僚は、衝突のあと人数を数えていた。22 人の
うち 11 人がオフィスにいた。すべての人は怪我をしていなかった。Sleigh がいたエリア以外では、オフィスはそ
のままであった。Sleigh は、鞄を探しに戻った。最も近い階段はふさがれていた。二つ目は開いていた。3つ目
の状態はわからなかった。「最初は、静かで、平和でした。」従業員が外へでたとき、階段で Sleigh はもう一度
電話をかけた。「我々のあとには、誰もいません。」数分後、Sleigh のオフィスは、炎に包まれた。衝突から 50
分後に Sleigh は、ビルの外にでた。打撲、出血、埃まみれで、自分の同僚と離ればなれになり、彼は救急車に乗
せられた。警官が叫んだ。「外へでろ。外へでろ。ビルが崩れるぞ。」
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
General Telecom は、北タワーの 83 階の角のオフィスであるが、大損害を受けた。その階のほかの4つの企業
からは、全員が生還した。その階は衝突ゾーンから 10 階下であった。しかし、General Telecom の従業員全員が
その時、亡くなった。衝突のあと、従業員の半分はキッチンと電話室を通って、出口へ向かった。General Telecom
のチーフオペレーターの Bill Callahan は言った。ドアは、がれきで遮断されたかあるいは、衝突の衝撃でふさ
がれた。従業員が反対側に回っているときにキッチンの天井が崩壊し、15×15 フィートの設備室に閉じこめられ
た。ほかの人々は、オフィスの別の部分に閉じこめられた。「彼らは、何をすべきかと、ビルの外にでるよりも
じっとしている方が安全だと感じている。と話した。」Port Authority のスポークスマン Allen Morrison は言
った。午前 9 時 59 分の南タワー崩壊のあと、彼らは、逃げだそうとした。彼らは、成し遂げられなかった。
■弱者の避難
北棟 81 階に二人の男性が階段を下り始めた。彼らが 68 階に到着したとき、非常階段の通路で車イスに乗った
若い女性に会った。彼らは急いで彼女を車イスから火災避難用のイスに載せ替え急いで避難した。彼らの助けで
この女性は 68 階から安全に避難している。
WTC2
■北棟衝突後、南棟衝突前の状況
世界貿易センターテロ攻撃の生存者達は、最初の爆発の後で私たちは安全であると言われた、と言っています。
アントニー・グールド(南タワーの 95 階で働いていた英国人)は、最初のジェット機が北タワーに激しくぶつかっ
た直後に、建物から避難しました。しかし、彼は、他の人たちが消防士および職員からの安全なので職場に戻る
ようにとの助言に従っていた、と言いました。数分後に、第 2 のジェット機が南タワーに激しくぶつかりました。
グールド氏は、1階に向かう急行エレベータに乗り、2 分あるいは 3 分以内に建物の外に出たと言いました。しか
し、人々が南タワーから避難し始めた直後に、エレベータは「オフ・ライン」になりました。彼は BBC のニュー
ス 24 に次のように語っています:「誰も何も知りませんでした。すべての人々は私たちのタワーは大丈夫である
と思っていました。私は、最初のタワーからの落下物があるので最も安全な場所は内部であると考えた人もいた、
と思います。」
■衝突階以下の階からの避難
8:30 に私は 71 階東面でいつもの会議をやっていた。建物は、最初は一方向に揺れたがそのあと前後に揺れ戻し
やがて落ち着いた。我々はだれも怪我をしなかったし、椅子から叩き落されたりはしなかった。しかし建物が動
いている間は立ち上がることは無理であった。建物はそれぞれの方向に 5∼6 フィート動いたように感じられた。
会議室のドアからは窓の外が見えた。空は大変青かったが紙があちらこちらで舞っていた。それはパレードの
紙吹雪のようだった。我々は建物の東面にいた。我々は当初から飛行機に衝突されたと推測した。私はリュック
とラップトップをつかんで、フロアーを南面まで走ってまわった。
全員がかなり迅速にフロアーを離れた。私が知らせた人と私はロビーを目指した。階段の一つは煙の強い臭い
がした。もう一つがよさそうだったので、すでに降り始めていた他グループと一緒に降りた。全員がうまくやっ
ていた。みんなが互いに助け合った。我々は2列になって降りた。しばしば理由はわからないが止まった。何人
かが上階からひどい火傷を体に負って助け降ろされた。必要なときには我々は一列になって負傷者を通した。か
なり暑くなって、前に通った人の汗で足がすべった。ところどころで煙が他の場所より濃くなった。照明が常に
ついていたことを神に感謝したい。人々は何でもあるもので目と口を塞いでいた。
恐怖がふくれあがったとき、いつも右側の人から安心させる声をかけられ、我々の中で最も怖がっていた者さ
え冷静になった。私は 81 階にいた誰かから、その階では最初の飛行機の衝突ですぐに火事があったと聞いた。2
68
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
機目が衝突したときにはそれを感じたが、それが何であるかはわからなかった。
誰かがポケットベルでニュースを知るまでは、2つのタワーそれぞれとペンタゴンに飛行機が衝突したことは
知らなかった。人々は常に携帯電話(cell phone)がつながるかチェックをしていた。多くはつながったが応答
はなかった。35 階付近で我々は消防士たちの着実な一行が上ってくるのに出会ったので一列になった。彼らは誰
も声をあげず、信じられないくらいの機材を運びながらすれ違っていった。彼らは我々が出会った時にはすでに
疲れていたようだ。
そこから少し降りた階で水が勢いよく階段を流れ落ちていた。これは階を降りるほどひどくなっていた。屋外
の扉につながる階では救助隊が列をなしてわれわれが安全に動けるようにしてくれた。この扉がつながる中庭は
きっと閉鎖されていて、横切るには危険だったようで、我々は2階のバルコニーに導かれタワー1の下のモール
に2本のエスカレータで降りた。
水はいたるところで流れ落ち、ところどころで8∼10 インチの深さになっていた。多くの商店の窓は破れてい
た。道筋では救助隊がわれわれを誘導していた。私はモールの北東の角のエスカレータを昇ってチャーチストリ
ートに出た。私は 50 分かかって外にやっと出た。
外界に出たとき救助隊は「上を見るな、歩き続けろ」と叫んでいた。私は通りを横切ってから上を見上げたが、
現実とは思えなかった。人がタワー1から落ちてくるのを見た。
多くの人々がチャーチストリートからブロードウエイにかけて建物が燃えているのを見ていた。
■衝突階以上の階からの避難
大脱出、南棟 78 階から四人が生還した。彼らは屋上でヘリコプターを待とうという他人のアドバイスを無視し
て階段を下に避難し煙と瓦礫の中を通過してきた。しかしながら、多くの人は上層階へと、来ないヘリコプター
をあてに逃げたために助からなかった。階段1では下層階へと避難すれば生還できた。彼ら 4 人と 78 階のエレベ
ータにいた 10 人のみが飛行機が衝突した階より上層階から生還した人々である。
ユナイテッド航空 175 便は南棟の 78-84 階に午前 9 時 3 分に衝突した。Brian Clark、
EuroBrokers の執行副
社長は 84 階にいた。ボーイング 767 がその階に衝突した時、彼は西側の壁に立っており、ビルが崩れるような衝
撃を感じたことを覚えている。ビルはねじれエアコンのダクトは落ち、床はめくれ上がった。「さーみんな後に
続け」と Clerk54 才は言った。彼の会社の火災責任者であり、片手に懐中電灯、片手に笛を持っていた。
5 人の EuroBrokers の同僚は Clark と共に階段 1 へ入った。81 階で彼らは大変太った女性と弱そうな男性が昇
って来るのに出くわした。「貴方達下には行けないわ」と女性は言った。「下の階は火の海だから煙と火の無い
上に逃げなければだめ」と彼女は言った。
暗い階段の中で EuroBrokers の同僚は議論した。彼の同僚達が上に避難したが Clark と Ronald
Di Francesco
は引き続き下層階へ避難した。Clark は瓦礫と化した富士銀行のオフィス内部からたたくのを聴いた、「埋まって
いる。誰か助けて」と貸しだし係 Stanley Praimnath は叫んだ。Clark は瓦礫の中から彼を引っ張り出し一緒に下
に避難し続けた。
しばらくすると、Ronald Di Francesco は息が苦しくなってきた、あっちこっちを回ったあげく、再び階段を上
に避難開始した。彼は 91 階まで登った。彼は 10 分間 91 階階段の通路で疲れひれ伏した。彼は奥さん子供に会い
たいという強い願望に動かされ、起き上がり、一度は断念した煙の中の階段を下層階へ無理に避難した。彼がビ
ルを去ったとき彼は大きな火の玉が彼に向かって転げ落ちてくるのを見た。彼は手で顔を覆った。
彼は三日後に St.Vincent 病院で目を覚ました。彼の腕は火傷を負っていた。いくつかの骨は折れていた。彼の
肺はやけどを負っていた。しかし彼は生き延びた南棟最後の避難者であった。
Richard Fern、もう一人の EuroBrokers の執行役員であるが、4 人目の生存者であった。彼は飛行機が衝突した
とき 84 階のドアが開いたままのエレベータの中にいた。彼は他のメンバーより先に階段 1 を見つけ安全な場所に
逃げた。
69
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
なぜ、もっと多くの人々が
階段1を使用して逃げなかったのだろうか?
Two AonCorp.の従業員は 105 階から下層階へ避難してきた、しかし 79 階の眼前に広がる煙を見て、それがたっ
た 1 階か 2 階以上に煙が連続するか分からずに、上層階へ戻っている。
USAToday では 9 人の人々が階段を使って上層階へへリコプターによる救助を期待して避難していることを把握
した。ヘリコプターによる救助は不可能であった。屋上へのドアはロックされさらに屋上は煙の中で息ができな
かった。EuroBrokers は 61 人の従業員を失った。
その他
避難は成功した。逃げられる可能性があった人のほとんどが逃げられた。Port Authority は、テロリストが、
1993 年に WTC を爆破したあと、建物の避難計画を改訂していた。階段、手すり、階段のドアに施した反射ペイン
ト、人々を階段への案内するための明るい矢印、ビル管理者がと通信可能なスピーカーの設置、障害を持つ人々
のために階段を下りることが可能な避難いすの設置などである。9 月 11 日にこれらの変更が、数百人、数千人の
命を救った。しっかりとした構造を持ち、精巧な設計がなされ、ビルディングコードの要求以上の数の階段が備
えられたこのビルは、潜在的な生存者が逃げ出すチャンスを得るのに十分長い時間、持ちこたえた。早い段階で
は、一度に 55 人の人々を運べる急行エレベータが避難に利用された。12 台の急行エレベータは、2分ごとに 78
階から 500 人の人々を運ぶことができた。
考
察
1. 耐火性能の問題
航空機の衝突により、構造部材の耐火性を確保している耐火被覆材が損傷あるいは脱落した可能性が高く、結
果的には火災の影響により建築物が倒壊したことは否定できない。このような衝撃力に対しても耐火性能の低下
が生じないようにすることが、現実的に可能なことであるのかを検討する必要がある。NIST の建築火災研究所に
おいても、同様の問題意識に基づき、構造部材の耐火性能について研究プロジェクトが開始されている。
2. 避難上の問題
エレベータ避難の可能性
超高層建築物では、非常時に地上まで階段を駆け下りて避難することは現実的ではないと思われる。100 階の階
段を降りるためには時間だけなく、体力も必要であり、高齢者や子供など在館者にとっては階段のそのものが困
難なこともある。
そこで、EV などを利用した避難が実現可能な解のひとつと考えられる。既に米国では、EV を利用した避難方法
について検討が進められている。ハードの技術開発と避難させるためのソフト技術の開発が必要である。
全館避難への対応
高層建築物では、従来、逐次避難を原則とした避難計画としている。しかし、今回の場合のように危険が建築
物全体に及ぶ恐れがある場合には、全館避難が必要となる。建築基準等により設置が要求される階段では、全館
避難を短時間で行うには不十分であることは明らかである。全館避難を適切な時間内で行うための条件について
検討を進めることが必要である。
避難開始の指示または避難誘導
建築物の崩壊の危険性を在館者が認識した場合、避難誘導を行わなくても自発的に全館避難が発生する可能性
もある。その場合、逐次避難を前提につくられた建築物では、避難手段が十分に用意されていないことから、避
70
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
難者の集中が発生し、群集災害やパニックなどが発生する危険性がある。安全に全館避難を行うための誘導方法
などの技術開発が必要とされる。
避難を支援する器具・設備
高層階からの避難には階段だけでなく、例えば EV のような機械力を活用することも重要となる。中層建築物に
は利用可能な避難器具があるが、超高層建築物に適用できるものは限られている。非常時に高層階から脱出する
ための装置の開発も重要であろう。
引用文献
[ 1 ] World Trade Center Building Performance Study: Data Collection, Preliminary Observations and
Recommendations, FEMA 403, 2002.5
[2]Dennis Cauchon: For many on Sept. 11, survival was no accident, USA TODAY, 2001.12.19
[3]They told we were safe, BBC NEWS, 2001.9.13
71
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
1. 世界貿易センタービル地区の都市環境被害の実態とその後の復旧過程の分析
1.5. 周辺建物の応急危険度(被災度)判定活動
京都大学大学院工学研究科建築学専攻建築構造学講座
上谷
要
宏二、荒木
慶一
約
米国世界貿易センター地区の周辺建物の応急危険度(被災度)判定活動について、現地での聞き取り調査及び文
献・WWW調査を行い、その経過を時系列で整理した。この結果を基に、
(1)行政機関と構造エンジニア団体と
の事前の調整、
(2)被災度判定の可能な構造エンジニアの確保、及び(3)同様の災害での被災度判定活動のガ
イドラインの作成とデータベースの蓄積が重要であることを指摘した。
研究目的
米国世界貿易センター地区の周辺建物の応急危険度(被災度)判定活動について整理・分析を行い、今後わが国
で同様の災害が起こった時の対策を講ずる上で、参考となる資料を提供する。
研究方法
•
米国世界貿易センター地区で実際に応急危険度(被災度)判定活動に参加した Guy Nordenson 構造設計事務
所の高木次郎氏から、応急危険度(被災度)判定活動に関して聞き取り調査を行う。
•
文献およびWWWを通じて米国世界貿易センター地区の周辺建物の応急危険度(被災度)判定活動に関する
情報を収集する。
•
聞き取り調査および文献・WWW調査から得られた情報に基づき、応急危険度(被災度)判定活動を時系列
で整理する。これらの結果を基に、今後わが国で同様の災害が起こった時の対策を講ずる上で重要と考えら
れる点について考察を行う。
研究成果
米国世界貿易センター地区の周辺建物の応急危険度(被災度)判定活動について、現地での聞き取り調査および
文献・WWW調査から得られた事項を時系列に整理した[1−5]
。その結果は以下に示すとおりである。
9月11日
72
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
•
ニューヨーク市 Office of Emergency Management (OEM)が Department of Design and Construction (DDC)
を調査・救出・復旧活動の統率機関として任命。
•
DDC が被災地の復旧活動を行う会社として、3つの建設会社のグループ(AMEC and Bovis Lend Lease LMB,
Turner Construction and Plaza Construction and Tully and DeFoe Construction)と契約。また、地下部
分のコンサルタントとして Mueser Rutledge Consulting Engineers、建築構造技術コンサルタントとして The
Thornton-Tomasetti Group Inc.と契約を交わした。
9月14日
•
ニューヨーク市の DDC と Department of Buildings (DOB)が世界貿易センター地区の周辺建物の安全性を独
自に調査した。
•
こ れ ら の 2 つ の 部 署 で の 調 査 結 果 は 整合 性が欠けたた め、ニューヨ ーク市の Structural Engineers
Association of New York (SEAoNY)の Guy Nordenson が応急危険度(被災度)判定に ATC-20 procedures を
使用することを提案。
(ATC-20 Procedures は建築・土木構造物の地震被害の応急危険度判定を行うために1
989年に Applied Technology Council (ATC) によって整備されたガイドラインである。[6])
9月15日
•
Rudolph Giuliani ニューヨーク市長が SEAoNY に ATC-20 ガイドラインに従った応急危険度(被災度)判定を
行うよう要請。
•
SEAoNY はボストンとシカゴから応援で駆けつけたメンバーを含め、15の構造エンジニアのグループを構成。
各グループは3から6人のメンバーで構成される。
9月17・18日
•
ATC-20 マニュアルに基づき、SEAoNY の構造エンジニアチームは406棟のビルの応急危険度(被災度)判定
を行った。
•
目視による検査及び屋上の航空写真の様子から、構造エンジニアは建築物の損傷を3つのランクに分類した
(Figs. 1, 2)
。
•
得られた情報はプリンストン大学へ送られ、GISを用いてデータベースとして整理された。
73
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
Fig.1. 被災前の世界貿易センタービル地区とその周辺地区の航空写真[9]
74
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
Fig.2. 被災後の世界貿易センタービル地区とその周辺地区の航空写真[9]
9月19日まで
•
プリンストン大学の大学院生のグループが損傷を受けた建築物のリストと地図を作成した。これらのリスト
と地図から、さらに調査が必要な31のビルが特定された。
9月21日まで
•
DOB、Thornton-Tomasetti Engineers と SEAoNY は建築物の損傷をさらに詳細に評価できるように ATC-20 ガ
イドラインを修正した。
9月21日
•
DOB と SEAoNY は、
さらに調査が必要と判定された31の建築物に新しい構造エンジニアのチームを派遣した。
この際の調査では、新ガイドラインを使用した。各チームはDOBから2人、民間から2人のメンバーで構
成された。WTC災害固有の検査項目として、外装の防護ネット、ガラス窓の撤去、ボードによるカバー、
仮設フレームによる隣接歩道の保護、屋上の大型瓦礫撤去の必要性有無などが付記された。
75
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
9月22日
•
SEAoNY の構造エンジニアチームが建築物の応急危険度(被災度)判定活動を終える。この時点で結果は以下
のとおりである。 中被害(外装材被害)18棟、大被害(構造材被害)8棟、部分崩壊4棟、全壊5棟(Fig.
3)。
Fig.3. 9月22日時点での応急被災度判定調査結果[10]
10月4−10日
•
SEAoNY は建物の応急危険度(被災度)判定結果を確認するため、をもう一度調査を行った。その際に、建築
物がどのように修理・補強されたかについても調査を行った。この調査では、屋上についても目視による検
査が行われた。
76
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
11月7日
•
建築物の危険度(被災度)判定の最終結果として損傷を受けた建物のリストと地図を発表した。この時点で
の被害調査結果は以下のとおりである。全壊5棟、部分崩壊3棟、構造材被害11棟、外装材被害37棟(Figs.
4, 5)。
Fig.4. 11月7日の被災度判定調査最終結果[10]
77
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
Fig.5. 11月7日の被災度判定調査最終結果地図[11]
78
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
考
察
米国世界貿易センター地区の周辺建物の応急危険度(被災度)判定活動を時系列に整理した前章の結果と、文献
[7,8]の応急危険度(被災度)判定活動に関する提言にもとづき、今後わが国で同様の災害が起こった時の
対策を講ずる上で重要と考えられる諸点を以下に列挙する。
1.
行政機関と構造エンジニア団体との事前の調整
•
行政機関と構造エンジニア団体との間で、応急危険度(被災度)判定活動を行う際の指揮系統を明確にして
おく必要がある。
•
構造エンジニアが調査を行う際に、行政機関と統一された身分証明書を持って調査できることが望ましい。
•
行政機関において、建築物の情報(耐火装置、耐震構造、設置特殊機器)などに関するデータベースを作成
しておき、調査の際に活用できる状態に整備しておく。
2.
被災度判定の可能な構造エンジニアの確保
•
単に構造設計の経験があるのみでなく、被災度判定可能な有資格者が調査を行うことが望ましい。
•
建築物の被災度判定が可能な構造エンジニアを事前に確認・登録し、データベースとして整備する。
•
定期的に被災度判定の講習などを行い、実際に災害が起こったときにすぐに対応できるように備えることが
望ましい。
3.
同様の災害での被災度判定活動のガイドラインの作成とデータベースの蓄積
•
災害の度に状況は大きく異なる可能性がある。また、一つの災害の中でも時々刻々状況は変化する。よって、
ある災害に於いて有効であった手法が、他の災害でも有効であるとは限らない。このことをふまえ、同様の
災害での被災度判定活動のデータベースの作成と問題点の分析結果を蓄積していくことが欠かせない。
•
建築構造物の被災度判定活動に関するガイドラインを作成し、災害のたびにこのガイドラインを加筆・修正
していくことにより、実用的なガイドラインを提供できると考えられる。
引用文献
[1]
ATC: “ATC-20 Postearthquake safety Evaluation Procedures Used to Assess Buildings in the
Vicinity of World Trade Center,” http://www.atcouncil.org/wtcarticle.htm
[2]
K. Dienst: “Princeton contingent helps assess WTC damage,”
http://www.princeton.edu/pr/pwb/01/1008/1b.shtml
[3]
New York Construction News: “World Trade Center Disaster Coverage,”
http://www.fwdodge.com/dcp/NYCN/NY-WTCSept01/WTCarchive.html
[4]
高木次郎:
「追跡、世界貿易センタービル被害、応急被害診断の素早さ光る」
、日経アーキテクチャー、
2−4号、2002年、pp68−74
[5]
T. McAllister, D. Biggs, E. M. DePaola, D. Eshenasy, and R. Gilsanz: “Chapter 7, Peripheral
Buildings,” in World Trade Center Building Performance Study: Data Collection, Preliminary
Observations, and Recommendations, May 2002,
79
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
http://www.house.gov/science/hot/wtc/wtcreport.htm
[6]
ATC: “ATC-20 Building Safety Evaluation Forms and Placards,”
http://www.atcouncil.org/fandp.htm
[7]
E. M. DePaola: “Appendix F, Structural Engineers Emergency Response Plan,” in World Trade
Center Building Performance Study: Data Collection, Preliminary Observations, and
Recommendations, May 2002, http://www.house.gov/science/hot/wtc/wtcreport.htm
[8]
A. Domel, Jr., “World Trade Center Disaster: Structural Engineers at Ground Zero,” November,
2001, http://dwp.bigplanet.com/engineers/nss-folder/download/wtcncsea.pdf
[9]
spaceimaging.com: “Attack on America, imagery of the attack on the world trace center and the
Pentagon,” September, 2001,
http://www.spaceimaging.com/newsroom/attack_gallery_media.htm#wtc_pre
[10]SEAoNY: “Assessed Building List,” November, 2001, http://www.seaony.org
[11]SEAoNY: “Assessed Building Map,” November, 2001, http://www.seaony.org
成果の発表
1)原著論文による発表
ア)国内誌(国内英文誌を含む)
発表者名:「発表題名」、発表誌名等〔誌名、掲載号、(掲載年)〕
イ)国外誌
発表者名:「発表題名」、発表誌名等〔誌名、掲載号、(掲載年)〕
2)原著論文以外による発表(レビュー等)
ア)国内誌(国内英文誌を含む)
発表者名:「発表題名」、発表誌名等〔誌名、掲載号、(掲載年)〕
イ)国外誌
発表者名:「発表題名」、発表誌名等〔誌名、掲載号、(掲載年)〕
3)口頭発表
ア)招待講演
発表者名:「発表題名」、発表場所等〔会議名、(発表年月)〕
イ)応募・主催講演等
発表者名:「発表題名」、発表場所等〔会議名、(発表年月)〕
4)特許等出願等
出願年月日、「出願名称」、出願者氏名、特許等番号・種類、国内・国外
5)受賞等
受賞者名:「件名」、受賞年月日、国内・国外等
80
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
謝
辞
本研究の遂行に於いて Guy Nordenson 構造設計事務所の高木次郎氏、日本総合研究所の猿渡智治氏及び山川誠氏
の協力を得た。ここに記して謝意を表す。
81
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
1. 世界貿易センタービル地区の都市環境被害の実態とその後の復旧過程の分析
1.6. WTC地区の地下構造物とその被害
京都大学大学院工学研究科土木工学専攻地盤工学分野地盤工学講座
木村
要
亮
約
WTC 地区の地下構造物とその被害に関して現地調査を行い,1) WTC 建設サイトの地盤状態と Bathtub(地中連続
壁)の存在,2) 倒壊現場および周辺の構造的な検証作業,3) 市地下鉄の被害状況を示し,考察を加えた.
研究目的
全体研究テーマ「1 WTC 地区の都市環境被害の実態とその後の復旧過程」では,主に以下に示すような調査項目
を掲げ調査に臨んだ.
1. WTC1,WTC2 の倒壊過程のモデル化と検証
2. 超高層ビルの倒壊による周辺構造物への影響調査
3. WTC 地下インフラの被害分析
4. ライフライン関係の被害実態とその後の復旧過程
5. 周辺建築の被害実態と応急被災度判定
筆者は地盤工学・基礎工学が専門であるため,上記目的の中で,特に 3.の「WTC 地下インフラの被害分析」を
研究目的とした.そのためには、1) 地下地盤構造の把握、2) 地下構造物の把握と各階における被害状況の把握、
3) 地下鉄構造物の被害状況と復旧方法の把握,および 4)地下ライフライン設置状況の正しい把握,が重要である.
研究方法
実施した研究方法は,以下に示すとおりである.
1. 構造物の基礎状況,ライフラインの設置状況,地下空間の利用状況を中心に,WTC およびマンハッタン島南
部地区における地下構造物関連資料の収集を行う.
2. WTC 地下インフラ(構造物基礎,ライフライン関連を含む)の被害状況を調査し,被害分析を行う.
3. 構造物基礎に着目して,周辺構造物の被害実態の把握を行う.
4. 周辺構造物の被害連鎖構造の解明を行う.
5. 上記 1∼4 に関しては,独自な現地調査を通して資料収集を行うとともに,米国の研究者が既に実施した研
究成果の共有化を行う.
6. 必要であれば,基礎構造物の被災度判定と周辺構造物基礎の影響評価を行う.
7. WTC を含む周辺環境の破壊過程シミュレーションの支援を行う.
82
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
研究成果
現地調査(地下構造とその被害に関連するもの)の研究成果として,現場で記述したメモを以下に示す.
2 月 25 日(月)
曇り
10 時半から 17 時 30 分まで現状把握の講義を聞く. IPA 上席研究員
青山公三氏の発表(11:30∼13:00)は有
意義であった.発表のデータファイルを CD で取得した.
・
WTC は崩壊するとは思われていなかった.崩壊時の粉塵のスピードは 10 m/s.
・
第 2 タワー倒壊時の揺れは,以前マンハッタンで計測されていた M2.3 の地震の震度と同等レベルであっ
た.
・
地下構造“Bathtub(バスタブ)”.西側は埋立地で,水の侵入を防ぐため擁壁を施工(アンカー(タイバッ
ク)付き,基礎岩盤に定着)
.地下地盤構造と構造物の位置関係の正確な把握が必要.
・
地下 2F からはバスタブの中だけの被害
パストレイン(Pass train,西側,地下6F)は復旧していな
い.地下鉄も迂回路線をとっているものがある.
・
135 万トンの瓦礫は,4 月末∼5 月初めに全て終了の予定.
2 月 26 日(火)
晴れ
9 時 15 分から 12 時まで,ニューヨーク大学松本忠氏の案内で,グランドゼロを視察.
・
デッキからの見学で全体像は把握できるものの,詳細の地下構造の把握は無理.
・
周辺を1周するものの見学できるような所なし.警察の入出チェック厳格.
・
西側の埋立地との境界は確認できる.
・
内部で何が行われているかの把握は不可能.
13 時から 14 時まで,ギ・ノルデンセン構造設計事務所
高木次郎氏にインタビュー.
・
2002 年 2 月 4 日号の日経アーキテクチャーに記事を掲載.
・
9 月 17・18 日両日に,ATC−20(地震被害を想定したもの)による周辺建物の被災度チェック.ただし,
あくまで外観調査.
・
被害のあるものだけ 2∼4 週間後に詳細調査
・
WTC-7 は何故崩壊したのかは,現段階では不明.
・
トーソン・トマセッティーが全体の設計.ニューサーラトリッジが施工.
・
NY/NJ Port Authority が施主で,地盤・設計図はそこにあるであろう.公表されていないのは,今後の
裁判の影響か.
・
連続壁による Bathtub の材料は鉄筋コンクリート製か?写真から判読.
・
地下の瓦礫の撤去は南側が先行.連続壁のアンカーリング(タイバック)も南側から先行.
2 月 27 日(水)
曇り時々雪
15 時から 17 時まで, New York City Transit (NYCT)の以下の両名にインタビュー.
Kenneth A. Mooney (Senior Director, Engineering, Maintenance of Way Department of Subway) と Nathaniel
Ford (Chief Transportation Officer, Rapid Transit Operation)
以下の資料を得る.
・
Time の記事
Engineers Tackle Havoc Underground
83
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
・
World Trade Center Disaster Subway Chronology (9/11-9/30)
・
列車運行に関する基礎資料
・
被害状況の CD
1)
NYCT の路線(①⑨ライン)は Bathtub の中に入っていない.
2)
被害状況の写真は CD に入っている.
3)
スパンの短い構造(中柱間隔)であったため,鋼材の突き刺さりによる被害の影響範囲は小さい.
4)
水道管の破裂,消火の水による路線の浸水が確認された.
5)
地下鉄内での乗客,乗員,駅員の死者はゼロであった.
6)
災害発生から 9 月 30 日までの地下鉄運行状況,特記事項の時刻暦の資料が入手できた(表 1 参照)
.
7)
現在運行停止の路線があるが,収入の低下はほとんどない.
8)
被害の復旧費用に関しては,今後 FEMA からいくらかのものを保証してもらう予定.
表 1. ワールドトレードセンター災害後の市地下鉄被災時系列表
この時系列表は 9 月 11 日に発生した WTC への攻撃に関連する災害に対するニューヨーク市営地下鉄の対応の概要
(3 日間)である.
2001 年 9 月 11 日(火曜日)
時刻
出来事
地下鉄稼動率
8:45
警察から WTC タワー1 に飛行機が衝突したと連絡を受ける.
100%
管制センターに①/⑨番線の Cortlandt Street 駅の近くで爆発があったとの第一報が伝えられる.
8:48
管制センターは Cortlandt Street 駅内に煙と埃が発生しているとの知らせを受ける.同エリアの安全性が
94%
懸念されたため,全ての電車は Cortlandt Street 駅を迂回するバイパス路線へと誘導された.N,R 路線はマ
ンハッタン橋へ,A,C 路線は F 路線へ,ロウアーマンハッタンを走行していた電車はバイパス駅へと誘導さ
れた.
乗客は地下鉄職員の誘導により安全な場所へ非難をはじめる.
9:03
二番目の飛行機が WTC のタワー2 に激突する.
94%
9:15
災害(緊急)対策本部を設置するため,地下鉄職員が管制センターに集まる.
94%
9:21
ニューヨークおよびニュージャージーの港湾管理局より全ての橋とトンネルを閉鎖せよと連絡が入る.
94%
9:30
災害緊急対策本部が活動開始.関連機関により 24 時間体制で報道活動が始まる.
94%
9:50
警察の捜査を行うため,④/⑤番線の列車はすべて Fulton 通りのバイパス路線へと誘導される.
94%
10:00
④/⑤番線の Bowling Green 駅∼14th Street 駅間で停電が発生し,電車が緊急停車した.
94%
Chambers Street 駅∼South Ferry 駅間で鉄道用電源と信号用電源が停止した.
10:05
WTC タワー2 が崩壊.
90%
10:15
Canal Street 駅∼South Ferry 駅間の東西両側で鉄道用電源と信号用電源が停止し,マンハッタン 14th
94%
Street 以南の地下鉄はすべて運行を停止.乗客は閉鎖された地下鉄構内から非難する.
10:20
鉄道用および信号用電源の復旧が遅れ,ニューヨーク市内の地下鉄の運行は全地区で停止する.数台の電車
0%
はLexington Avenue線のBorough Hall駅∼Grand Central駅間で立ち往生したが,管制センターおよび市営
地下鉄職員により,最寄の駅に運ばれ乗客を非難させた.電車は駅まで牽引され乗客を非難させたあと,車
庫に運ばれた.
10:28
WTC タワー1 が崩壊.
0%
10:34
シティーホールタワーで非難活動が始まる.
0%
10:50
マンハッタン島に通じる全ての橋とトンネルの交通を閉鎖する.
0%
10:55
大勢の人々がマンハッタン島からブルックリンに向けて,マンハッタン橋やブルックリン橋を歩いて渡り始
0%
84
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
めたと連絡が入る.
11:00
警察より,混乱を避けるため Atrantic Avenue 駅を閉鎖するするように要請される.
0%
12:11
警察より,Grand Central 駅で爆発が起こったと連絡が入る.
0%
12:24
ENY タワーから人々が退避する.
0%
12:48
A路線の運行は207th Street駅∼Far Rockaway駅間で再開される.ただし,Chambers Street駅∼
6%
Broadway/Nassau駅間は被災現場に近接しているため,両方向とも迂回路線での運行となる.
12:49
E 路線の運行が Parsons/Archer 駅∼Second Avenue 駅間で再開される.
15%
F 路線の運行が 179th Street 駅∼Stillwell Avenue 駅間で再開される.
13:00
B 路線と D 路線が運行再開する.
19%
マンハッタン島を出る車および歩行者にのみ橋の通行が許可される.
13:07
L 路線が通常運行を再開する.
23%
13:14
①/⑨番線の Rector Street 駅で水道管が破裂し,建物が崩壊する.
23%
12:46
爆発の危険性があることから,運行中の路線は各駅を迂回する.
23%
J 路線は Parsons/Archer 駅∼Chambers Street 駅間で運行再開する.
26%
13:16
13:17
M 路線では, J 路線に直結する Metropolitan 駅と Myrtle Avenue 駅の間で折り返し運行が始まる.
13:30
⑤番線は East 180th Street 駅∼Dyre Avenue 駅間で運行再開される.
27%
Eastern Parkway 線の Flatbush Avenue 駅∼Atlantic Avenue 駅間および New Lots Avenue 駅∼Atlantic Avenue
駅間で,ブルックリン方面への折り返し運行が始まる.
13:40
④番線は Woodlawn 駅∼Trand Central 駅間での運行を再開するが,ロウアーマンハッタン方面への運行は復
30%
旧せず.
⑥番線は,④番線へ接続する Pelham Bay 駅∼125th Street 駅間で運行再開するが,ミッドタウン方面への
運行は復旧せず.
13:50
G 路線は通常運行を再開.
34%
13:54
①番線はミッドタウン方面へ向かう 242th Street 駅∼Times Square 駅間での運行を再開するが,ロウアー
39%
マンハッタン方面への運行は復旧せず.
14:16
⑦番線が通常運行を再開.
43%
14:22
Grand Central 駅で折り返し運行を再開.
46%
14:30
W 路線が運行を再開する.
64%
R 路線はブルックリン方面に向かう 95th Street 駅∼Lawrence Street 駅間での運行を再開する.
N 路線は Ditmars Blvd 駅∼Queensboro Plaza 駅間およびマンハッタン橋を経由する Stillwell Avenue 駅∼
34th Street/Broadway 駅間で運行再開する.ただし,N,R 路線は Cortlandt Street 駅が被災現場に近接し
ているため通常運行は再開されず.
14:35
C 路線が通常運行を再開する.
70%
16:10
CNN 放送より WTC7 の火災が伝えられる.
70%
16:30
ニューヨーク市警・消防局より,電車運行時の振動で建物の崩壊などを招き状況を悪化させることがないよ
67%
う,A 路線の Jay Street 駅∼West 4th Street 駅間の運行を F 路線に沿った経路に変更するよう要請を受け
る.
16:35
Broadway 線(N,Q,W 路線)の Canal Street 駅∼28th Street 駅間での停電を引き起こした Broadway Street
変電所および Murray Street 変電所で支流ケーブルが破損する.
85
49%
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
17:20
WTC7 が崩壊する.
49%
17:49
Rector Street 駅の北部分と①番線の Chambers Street 駅の南部分で道路が陥没し,地下鉄施設が崩壊する.
49%
19:00
Broadway 線(N,Q,W 路線)の Canal Street 駅∼28th Street 駅間で運行が再開される.
65%
22:39
Warren Street での水道管の破損が原因で Franklin Street 駅が浸水し,2 両の排水用電車が配備必要であ
65%
るとの報告を受ける.
2001 年 9 月 12 日(水曜日)
時刻
出来事
地下鉄稼動率
5:10
NYCT 組織安全局から Brooklyn Bridge 駅,Fulton Street 駅,Wall Street 駅,Bowling Green 駅,Chambers
65%
Street 駅,Broadway/Nassau 駅,Franklin Street 駅および Park Place 駅で有害アスベストが発生している
との知らせを受ける.
13:40
A 路線の West 4th Street 駅∼Jay Street 駅間の通常ルートでの運行が再開される.
71%
14:03
Franklin 駅と 63th Street 駅での折り返し運転が再開される.
76%
17:05
WTC タワー1 崩壊後に残った骨格部分がさらに倒壊する.全職員に現場を清掃するよう指示が及ぶ.
76%
17:07
City Hall 駅と Brooklyn Bridge 駅周辺でガスが漏れているとの報告が入る.Lexington Avenue 線が削減さ
68%
れる.
17:12
ミレニアムホテルは倒壊の危険性があるとの報告を受ける.同地区への影響を懸念して,A 路線は F 路線の
64%
West 4th Street 駅∼Jay Street 駅経由の経路に変更される.
18:20
WTC5 が崩壊.
64%
19:15
ニューヨーク消防局は Lexington Avenue 線の運行の安全が確保されたと述べる.しかし NYPD は同路線の
70%
∼
Chambers Street 駅以南での運行を許可しなかった.④/⑥番線は Bronx 駅∼Grand Central 駅間,⑤番線は
19:18
Bronx 駅∼149th Street/Grand 駅間での運行となった.
22:00
NYPD より,34th Street/6th Avenue 駅で怪しい包みが発見されたことから同駅からの退避が勧告される.
64%
これに伴い,F 路線は West 4th Street 駅∼Fifth Avenue 駅間での運行を経路変更される.
22:39
F 路線で通常運行が再開.
70%
2001 年 9 月 13 日(木曜日)
時刻
出来事
地下鉄稼動率
0:26
ニューヨーク消防局長と緊急対策局次長はブルックリン∼マンハッタン間の地下鉄用トンネルは通行可能
70%
になる見込みが低いと述べる.
3:30
IRT と道路管理局は①,②,③番線の Chambers Street 駅の南に 1.8m の浸水があることを報告する.
70%
9:21
Atlantic Avenue 駅,New Lots 駅,Utica Avenue 駅および Flatbush Avenue 駅では,混雑のため電車の運行が
67%
∼
延期される.
9:45
10:15
9 箇所で爆発の危険性があった駅では退避命令が出され,当該駅への停車は見送られる.
72%
11:59
爆発の危険性から Grand Central タワーで退避命令が発令される.
63%
∼
⑦番線は Main Street 駅∼Queensboro Plaza 駅間のみ運行される.
∼
20:35
12:50
⑥番線は Pelham Bay Park 駅∼138th Street 駅(もしくは 86th Street 駅)間で運行される.
④番線は Woodlawn 駅∼138th Street 駅間で運行される. Grand Central 駅への往復電車は運行停止する.
15:31
①番線は Bronx 駅∼14th Street 駅間の運行を始める.
72%
86
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
3 月 1 日(金)
晴れ
10 時から 11 時 30 分まで,New York City Transit の案内による現場見学.
作業コンテナ内で説明の後,掘削現場を見学.残念ながら,現場での撮影は禁止.Cortlandt St. 北部の開削
トンネル部の被災状況を見学.南行きトンネルは天端部が撤去され,木組みで崩壊を防ぐ仮設構造が設置されて
いた.北行きトンネルは隠れていた.7thWTC の境界部を確認,7thWTC の東側への崩壊のより,大きな被害を受けた
模様.トンネル天端部分まで,地表面から 5∼10 m 程度か.天端部のスラブには鉄骨が設置されていた模様.
5thWTC の西側地下鉄入り口の構造物が残っていた.また 6thWTC の地下鉄骨スラブの状況がよく見て取れた.南
西部分の掘削は底部まで進行.Pass 鉄道が存在していた位置の確認.また現状としては South Ferry 駅に伸びる
①②号線の部分の駅舎天端部分のコンクリートを,ブレーカーで撤去していた.鉄骨が剥き出しになっていた.
Bathtub 東側の上に立ち,ストラッド(アンカー)の孔の削孔状況,ストラッドそのものを確認.擁壁の幅は 60 cm
∼90 cm,施工方法はベントナイトで安定させた後,鉄筋を入れ,コンクリートで置換える,通常の場所打ち杭の
施工と同じ.基盤(岩盤)部分にはソケット部がある模様.施工手順が難しいと思われ,毎日状況が変わるので
はないか.現場をまじかで見ることによって,状況がよく理解できる.
その後,Millenium Hilton Hotel(Viewing Platform の南側,54F の黒いビル)の 35F の客室から,全体の施
工状況を確認し,写真を撮影(写真 1).客室の備品等は全て撤去し,新しいものを入れ,9 月ごろに開業予定.
上から見ると現状の施工状況がよく把握できた.
写真 1. WTC 現場の状能(2002 年 3 月 1 日)
87
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
考
察
1) WTC 建設サイトの地盤 1)と Bathtub の存在
マンハッタン島,特に WTC が位置していたロウアーマンハッタンは,埋立てによってその面積を拡大してきた.
埋立てられた地盤の下は川底の土で,さらにその下にはもともとニューヨークを覆っていた氷河が運んできた礫
土と粘土質の硬盤層が分布する.そして,約 22∼23 m の深さには,7∼8 億年前にできた古代山岳地帯の名残であ
る基礎岩盤の雲母片岩が分布している.この岩盤はミッドタウンとマンハッタン島南端で特に地表に近づいてお
り,高層ビルの建設を容易にしている(図 1 参照).
図 1. マンハッタン南西部地質断面図
WTC ビル群は NY/NJ Port Authority が施主となり建設(1966 年∼1973 年)された.建設にあたっては,すぐそ
ばを流れるハドソン川からの水の影響が懸念された.掘削に先立ち,約 65000 m2 の敷地全体を地下 21 m の基礎
地盤まで幅 90 cm の RC の擁壁で囲う工事が行われた.実際には 1000 m 以上の周長を 6∼7 m の長さに区切った工
区ごとに掘削し,スラリーで埋戻し,その中に鉄筋を落とし込み,ポンプ車でコンクリートを打設,上から押し
出されたスラリーは回収され次の工区で再利用された(泥水固化式の地下連続壁.場所打ちコンクリート杭を構築
する手法と同じ手法).この擁壁はバスタブ(Bathtub,図 2)と呼ばれ,完成に 1 年間を要している.掘削中は図
3に示すように,外からの圧力に耐えるために,タイバックを壁から周囲の岩盤にアンカーで打ち込み,外向き
の張力によって壁を支持した.その後,地下部の施工が進められて地下スラブによって擁壁が支持された時点で
タイバックは切断され,その開口部は鉄板の溶接により塞がれた.3.3 万立方メートルにのぼる掘削土は,道路
を隔てたバッテリーパークシティの埋立てに使用された.このようにして,WTC の地下構造は図 3 に示す構造と
なっている.
88
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 2. 周辺建物の被害状況と Bathtub
図 3. WTC ビル周辺の地下構造
89
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
2) 倒壊現場および周辺の構造的な検証作業 2)
NY/NJ Port Authority が中心となり,構造エンジニアリング会社,米国土木学会の調査チーム等により WTC お
よび周辺の建物や道路の構造的な損傷の調査が行われた.その中には建設当時に港湾局の一員として建物基礎の
技術検討を担当した者も参加した.調査は,1 チーム 4 名程度のエンジニアを中心に構成された 6 チームに分か
れて行われた.調査の内容は,①撤去作業を進める上での構造的な検討,②周辺の建物への影響,③WTC 地下部
の損傷の調査等である.
①撤去作業を進める上での構造的な検討
現場周辺地下にある建物の構造体や,給排水,電気,通信,ガス等の設備,地下鉄,ニュージャージーとマン
ハッタンを結ぶ通勤電車 PATH の施設等無数にある施設の正確な位置を把握することは,救助作業や撤去作業を進
める上で重要となるため,本調査の最優先課題となった.WTC プロジェクト全体にわたる情報を示す資料が存在し
なかったため,建設当時に WTC および隣接する WFC の基礎設計に関わった担当者が指令塔の役目を果たし,情報
の整理にあたった.
②周辺の建物への影響
過去に類を見ないビル倒壊であることから,周辺に与えた影響も判断が困難であった.9 月 18 日現在で 406 棟
の建物の調査結果が報告され,うち 20 棟は何らかの損傷が確認され,さらに詳細な調査が必要,少なくとも 5 棟
は何らかの危険が懸念されるとの判断が下された(図 2 参照).WTC の真下を走る地下鉄①⑨号線は,瓦礫や構
造物に押し潰される形で,かなり広い範囲で倒壊した.この地域の地上部では構造的に陥没の恐れがあり,重機
の設置ができない状態であっため,地下鉄路線内を隔壁や砂嚢で塞ぎ,荷重に耐えられるような仮設工事の必要
性が検討されている.また,現場から 1 ブロック東に位置する N ,R 号線の駅舎は構造的な損傷はなく,よい状
態であることが確認された(図 4 参照).
90
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 4. マンハッタン南部の地下鉄路線図
③WTC 地下部の損傷の調査
WTC の地下は駐車場,ショッピングモールからなる地下 6 階の深さで,最下階には地下鉄およびニュージャー
ジーからの通勤電車 PATH の駅舎が位置している(図 5 参照).
図 5. Cross Section①の断面図
91
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
初期の段階で懸念されたのは,倒壊による擁壁への影響と瓦礫の除去による擁壁への影響の 2 点である.ニュ
ージャージーとマンハッタンを結ぶ通勤電車 PATH のトンネル(ハドソン川対岸のニュージャージー州から伸びる
Path train と呼ばれる鉄道.本路線は Bathtub 内で U ターンする図 2,図 3 参照)内には消火作業,雨,給水管等
からと思われる水が流れ込んでおり,WTC からハドソン川を渡った Exchange Place 駅では WTC より 6 m 低い位
置にあるため,1.8∼2.1 m の浸水が確認された.当初は擁壁の破損による水の被害が懸念されたが,その恐れは
なかった.地下部は瓦礫で埋まっており,近づくことが困難であることから,詳細な調査が継続された.擁壁を
これまで支えてきた地下スラブは倒壊により構造的な損傷が確実にあり,倒壊後はバスタブ内に詰まった瓦礫が
壁を支えていると考えられている(図 6 参照).図 6 の状態で瓦礫を撤去すれば,支持力を失い,擁壁が外から
の圧力で倒壊する可能性が大きい.万が一擁壁が倒壊すれば,周辺の建物が 2 次的に倒壊する恐れがあり,特に
ハドソン川が近い西側の壁では水の被害も予測されている.この解決策としてタイバック(計 1150 本)を再度岩
盤に打ち込む手法がとられた(写真 2).施工については地下部の状態いかんであるが,重機の荷重に耐えられる
スラブまたは瓦礫があれば地下に重機を設置し行えるが,状態が悪ければバスタブの外側にクレーンを設置し行
う必要がある.地下スラブの損傷については 5 WTC の地下 1 階部分が調査され,同ビルは焼失したものの倒壊は
免れたため,比較的よい状態であることがわかっている(図 7 参照).
図 6. 崩壊後のバスタブの状況
92
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
写真 2. タイバックの打ち込み作業
93
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 7. コンコースレベル( 地下1F,図 5 )での被害状況
最終的に Bathtub の安定性に対しては,地下水低下工法,擁壁の現場計測,タイバックによるアンカーの3本
の柱からなる対策が取られた.日系コンストラクションの最新記事 3)によると,地下水位低下工法は,10 月から
約 40 本のディープウェルで毎分 760 リットルの地下水をくみ上げ,地下水位を 7.6∼12.2 m 低下させた.また,
タイバック打設直前に,南側の擁壁の背後で最大幅 10 cm,長さ 60 cm のひび割れが発見され,裏込めへの注入に
より事なきを得たと報告されている.
3) 市地下鉄の被害状況
Bathtub の東側には市地下鉄①⑨号線が走っている.ただし駅舎(Cortland St 駅,図 8)を含め,地下鉄は Bathtub
の外側に位置している.地下鉄は開削工法で施工され,地下 2F 部分を走行しているため(図 5 参照),写真 3 に
示すような崩壊瓦礫の押出しによる天端の破壊が見られる.また,写真 4,5 に示すような,鉄骨(厚さ 10 cm の
H 鋼)が突き刺さった状態になっている部分もあった(WTC1,2 の崩壊により落下した鉄骨等(画像では花火のよ
うに周辺に広がりながら落下している)が突き刺さった.).市交通局でのインタビューによると,駅舎部の中
柱(H 鋼)のスパンは短い(20 世紀初頭の建設)ため,崩壊部や鉄骨の突き刺さりによる破壊は局所的であり,
現代のスパンの長い構造であると,影響範囲が極端に大きくなり,復旧も相当な時間がかかるとのことであった.
94
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
ただし,ホーム部の一部の鉄骨中柱の座屈現象も見られた(写真 6 参照).市地下鉄①⑨号線は WTC7 の崩壊によ
る破壊部分(図 7 参照)も含め,今年秋には復旧する.地下 6F に位置する Path Train の復旧のめどは立ってお
らず,2 月末の時点で,瓦礫の撤去は 80 %終了している状態であった.
図 8. Cortlandt 駅コンコースレベルの設計図
写真 3. 市地下鉄①⑨号線の被害
95
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
写真 4. 市地下鉄①⑨号線の被害
写真 5. 市地下鉄①⑨号線の被害
96
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
写真 6. 鉄骨中柱の座屈
Bathtub 内の詳細な地下構造,Bathtub 周辺地盤の地盤状態(N 値,コーン貫入抵抗値)等については現時点で
は公表されていない.ただし,Bathtub 内の瓦礫撤去時に,連続壁が内側に倒れこむのを防ぐため,アンカーの増
設と壁面周辺地盤の地中変位計測が実施(西側と南側)されており,データーは追って公表されるものと信じる.
2 月下旬の事故現場は,あたかも大規模掘削を実施し新たな高層建築を施工する現場のようであった.基礎の健
全度を推定しながら,崩壊物を撤去する作業の難しさが感じられた.最後に,NY 各種機関の親切な対応と,本報
告書作成を手伝ってくれた菊本
統君(京都大学大学院博士課程)に感謝いたします.
引用文献
1) 堺雄一郎:「ニューヨーク 2001 年上半期の米国建設市場動向」
,会報 OCAJI,2001 年 10 月号.
2) Dennis Overbye:「Engineers Tackle Havoc Beneath Trade Center」
,The New York Times,September
18,2001.
3) 日経コンストラクション,2002 年 5 月 10 日号,p.19.
成果の発表
1)口頭発表
木村
亮:
「WTC ビル周辺地下構造物の被害状況」,高松市,
〔第 51 期材料学会学術講演会(論文番号 No.125),
(平成 14 年 5 月)〕
97
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
1. 世界貿易センタービル地区の都市環境被害の実態とその後の復旧過程の分析
1.7. WTC崩壊被害の周辺環境への影響
産業技術総合研究所地圏資源環境研究部門開発安全工学研究グループ
緒方
要
雄二
約
ニューヨーク世界貿易センタービルが、航空機を使用したテロ事件で倒壊し、その倒壊の影響で、周辺の構造
物および周辺環境へも大きな影響を受けた。特に、世界貿易センタービルと同じ区画(コンプレックス:バスタ
ブ構造)にあるほとんどのビルが壊滅的なダメージを受けた。世界貿易センタービルの倒壊による衝撃エネルギ
ーは、マグニチュード 3 程度の局部的な地震が発生したと推定されており、耐震構造ではない周辺構造物は、世
界貿易センタービルの倒壊エネルギーにより発生した局所的な地震で倒壊したと推定されている。この他に区画
外にある世界貿易センター7 号ビルも倒壊しているが、このビルの倒壊の原因については判明していないが、緊急
用の燃料を大量に備蓄しており、これが倒壊の一因とも考えられている。また、倒壊したビル以外でも周辺構造
物では、世界貿易センタービルの倒壊時に発生した破片等で壁面の破壊等の被害を受けている。
世界貿易センタービルの倒壊は、火災・爆発等を伴う大規模災害であることから発破直後より周辺環境への影
響が懸念されていた。倒壊現場の被災者を救出することが最大の使命であったが、倒壊により流出したと考えら
れる有害物質に対する作業者の安全性の確保も重要であった。また、倒壊に発生した大量のガレキ処理とその無
害化処理が大きな問題であった。さらに、周辺へ撒き散らされた粉じん等の環境有害物質の影響を検討する必要
があった。これらの問題に素早く対応したので米国環境保護局(EPA: United Stats Environmental Protection)
であった。ここでは、主に前代未聞のテロ事件である世界貿易センタービル倒壊時に米国で取られた環境対策に
ついて述べる。
研究目的
本研究では、ニューヨーク世界貿易センタービルの倒壊が周辺環境へ与える影響を検討することを目的として、
米国での災害後の対応および環境有害物質への環境対策方法について調査することで日本における対応の今後の
資料とする。また、同様な大規模災害が発生した場合に米国での緊急対応システムが日本で適用できるか検討す
ることを目的としている。
研究方法
本研究では、ニューヨーク世界貿易センタービルの倒壊による周辺環境への影響を調査するために 2002 年 2 月
24 日∼3 月 3 日まで現地を視察し、関係機関(EPA,FEMA)倒壊現場(Ground Zero)
・ガレキ処理現場(Staten Island)
等を訪問し、現状および倒壊時の対応等について緊急調査研究を実施した。
98
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
研究成果
4.1
倒壊現場の現状
倒壊現場は、2001 年 9 月 11 日に航空機が世界貿易センタービルに突入して 5 ヶ月以上経過していたが、発生
したガレキの量と救助作業の困難さからすべての撤去作業はまだ終了していなかった。関係者によるとすべて
の撤去作業が終了するのは、2002 年 6 月末の予定である。2002 年 2 月現在の現場の写真(世界貿易センター北
棟の跡)を図 1 に示す。写真に示す様に 9 割以上の撤去は終了しているが、世界貿易センターのコンプレック
ス部を構成する地下部に未撤去のガレキが残っていることが確認できる。コンプレックス内部のビルはすべて
壊滅的なダメージを受けており、世界貿易センタービル倒壊時のエネルギーの大きさが想像できる。また、世
界貿易センタービルの倒壊の影響で倒壊した世界貿易センター7号ビルの現場の写真を図 2 に示す。このビル
は、世界貿易センタービルが倒壊した日の夕方に倒壊したビルで倒壊の原因は解明されていない。構造的には、
倒壊した世界貿易センタービル群を構成するコンプレックスとは別ではあるが、本ビルには米国緊急事態管理
室(Office of Emergency Management, OEM)の事務所が有り、緊急用燃料を大量に保管したいたことが倒壊の
原因の一つと考えられている。
図 1. 世界貿易センタービルの倒壊現場
99
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 2. 世界貿易センター7号ビルの倒壊現場
倒壊を免れた周辺構造物も世界貿易センタービルの倒壊時に発生した破片の影響で大きな被害を受けている。
周辺構造物の被害状況の写真を図 3 に示す。倒壊を免れた周辺構造物は、修復作業が進んでおり、近日中に再
利用される。
倒壊現場は、関係者以外の立ち入り禁止で作業者のプライベート保護の観点から内部では写真撮影も禁止さ
れている。一般市民は、倒壊現場に用意された展望デッキから内部の作業状況を観察できる。
100
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 3. 被害を受けた周辺ビルの状況
4.2
EPA の対応
EPA(米国環境保護局)は、大統領の緊急宣言による連邦対応計画(FRP: Federal Response Plan)により対
応を開始した。この計画は、地震等の大規模災害時に連邦政府および州政府が人材・資材等を供給するシステ
ムで、EPA は 12 の連邦政府機関の 1 つとなっている。この計画では、EPA は、有害物質に緊急対応する機関
(Emergency Support Function(ESF)#10)である。これは、大規模災害や事件が発生した場合に現状や将来に
ついて州政府や地方自治体と協力して対応することになっている。本災害に対しては、EPA のすべての組織お
よび FEMA および FBI への派遣を含めて 200 人以上のスタッフで対応している。
4.2.1
災害発生直後の対応
世界貿易センタービルの倒壊による周辺環境影響問題については、FRP により EPA が迅速に対応した。EPA の
本部では、災害発生直後に緊急対応センターで 24 時間体制を確立し、同時に以下の対策を行った。
1.
緊急対策準備
2.
テロ対策としてハッカーEPA Website の移動
3.
FEMA をサポートするチームを編制
4.
FBI 戦略情報オペレーションセンターに対応するチームの編制
5.
大気中および水中での許容流失量を検討
これらの対応は災害後数時間で開始されており、米国での緊急対応システムの迅速さが分かる。また、主に
対応する部署として NY にある Region2 が対応した。
4.2.2
大規模災害に対する EPA の任務
FEMA は、災害発生後に ESF#10 により環境対策を実施するために EPA に以下の任務を遂行するために緊急に
101
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
約 83 百万ドルを拠出した。以下の任務は、世界貿易センタービル崩壊により発生した大量のガレキ処理とその
処理作業者の安全対策、有害物質のモニタリングによる影響評価が主な内容になっている。環境有害物質には、
建材に使用されていたアスベスト、火災爆発で発生するダイオキシン等が含まれる。
1. すべての危険な廃棄物の除去と無害化処理
2. 撤去作業に携わる労働者と機器類の浄化
3. 対応者への個人保護機器類の供与
4. 外部空気のサンプリングと分析
5. 粉じんのサンプリングと分析
6. NYC の 13 箇所での飲料水のサンプリングと分析
7. ハドソン川へ流失した粉じん煤のサンプリングと分析
8. 湾岸部におけるサンプリングと分析
9. 海底堆積物のサンプリングと分析
10. 真空タンクによるホコリやダストおよび残骸の除去
11. ガレキ処理場であるスタッテン島における大気のモニタリング
12. 環境問題に関する情報提供
これらの任務は、NY 保険局等の関係機関と共同で実施された。アスベスト、ダイオキシン等の環境有害物質
の情報についてはデータベース化し、最新情報としてインターネットを通して一般公開された。
4.3
環境有害物質のモニタリング
世界貿易センタービル倒壊事件で発生した有害物質を安全に処理することは重要であり、周辺環境への影響を
計測評価する必要があった。今回の災害は、大都市中心部での超高層ビル倒壊災害であり、火災・爆発を伴い発
生した粉じんおよび有害物質に関するデータが無いことから発生が予想される環境有害物質について迅速に対
応した。
4.3.1
マンハッタン島でのモニタリング
世界貿易センタービルの崩壊により発生した空気中、土壌、地下水等の汚染物質として、アスベスト、浮遊
粒子(PM2.5、PM10)、ダイオキシン、PCB、鉛、VOCs(acetone, benzene, Freon-22, Ethylbenze)をマンハッタ
ン島の倒壊ビル周辺でモニタリングを行った。マンハッタン島のモニタリング箇所の一例を図 4 に示す。
アスベストは、世界貿易センタービルの建材の一部として使用されており、ビル倒壊時に細かい浮遊粒子と
して周辺へ飛散したと考えられている。マンハッタン下部(Lower Manhattan)の 21 箇所と外部の 10 箇所で空
気中のモニタリングを実施し、5,800 個のサンプルを分析し、15 個のサンプルで米国健康環境基準値(AHERA)
を上回った。
102
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 4. マンハッタン下部でのモニタリング位置
大気浮遊粒子は、マンハッタン下部と周辺の自治体で計測し、24 時間 air quality index(AQI)および年度限
界値と比較した。計測結果から 9 月 13 日に一度米国環境基準値を上回った。
ダイオキシンは、マンハッタン島の 13 箇所でサンプリングされ、分析結果は 1- and 30-year 除去ガイダン
スに比較した。分析結果から火災が発生している最初の計測では、得られたサンプルのおおよそ半分以上が、
30-year ガイドラインの米国環境基準値を上回っていたが、最近のサンプルでは基準値以下に落ち着いている。
PCB と鉛は、分析結果として基準値を下回っていた。
VOCs は、世界貿易センター倒壊現場と周辺部で計測され、米国の環境基準値と比較して倒壊現場では高い値
を示し、頻繁に濃縮された VOCs(acetone, benzene, Freon-22, Ethylbenze)が計測された。
飲料水は、マンハッタン島の 13 箇所で分析されたが、すべて米国環境基準値以下の値を示した。また、周辺
の水はマンハッタン島の 4 箇所と基準値としてマンハッタン島以外 1 箇所で分析し、基準値と同じ様な値を示
した。排水については、排水路で採取したサンプルを分析し、道路に堆積した煤塵等の清掃中に若干の異常値
を示した。
以上の様にマンハッタン島では、災害発生時には環境基準を上回る値を示す有害物質も計測されたが、現在
は通常値に戻っている。
4.3.2
スタッテン島でのモニタリング
マンハッタン島と同様にガレキの処理を行っているスタッテン島での環境有害物質のモニタリングを実施し
ている。スタッテン島のモニタリング箇所を図 5 に示す。スタッテン島は、マンハッタン島の南西部に位置し、
車で1時間程度の場所である。この島では、世界貿易センタービルの倒壊災害で発生したガレキから遺体の一
部の回収とガレキの無害化と埋め立て処理を行っている。
アスベストは、スタッテン島内の 20 箇所と外部のニュージャージー州の 4 箇所で空気中のモニタリングを実
施し、ニュージャージー州では基準値以下であったが、スタッテン島では作業中にたまに基準値を上回ること
があった。しかし、これは作業が終わることで環境基準以下になる。また、有害物質が付着していると考えら
れるガレキサンプルの分析を実施した。
スタッテン島では、現在も遺体の回収とガレキの無害化処理が継続されており、同時に現場周辺では環境有
103
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
害物質のモニタリングも継続されている。
図 5. スタッテン島でのモニタリング位置
4.4
ガレキの処理方法
世界貿易センタービルおよび周辺ビルの倒壊により大量のガレキが発生した。世界貿易センタービル倒壊現
場でのガレキ処理では、有害物質から作業員の安全性を確保するために空気テントによる清掃施設(Personal
wash station)を設置した。また、作業員の環境汚染対策として防護服等を提供した。ガレキの運搬は、当初
被災現場からトラックにより陸路で輸送されていたが、安全管理体制の強化から船による輸送に変更された。
発生したガレキは、鉄として再利用される鉄骨材を除いて近郊のスタッテン島へ持ち込み無害化処理される。
ガレキは、オフィスビルである世界貿易センターに大量にあったと考えられる机・椅子等も原型を留めないほ
ど破壊されており、被害者の遺体も肉片程度しか残っていない。このため回収されたガレキは、ガレキの大き
さから 3 つに分別されて手作業で遺体等の回収が行われている。ガレキの処分状況を図 6 に示す。回収された
肉片等は身元を確認するために DNA 鑑定で識別されるが、作業の困難性から十分に進行していないのが現状で
ある。コンクリート片の他にも電気配線、機械類等を細かく分類回収されていた。また、衝突した飛行機の破
片、車輪等の一部も回収され FBI が管理していた。
スタッテン島でも作業員の安全を確保する必要性から清掃施設が設置されている。遺体等の回収が終了した
破片は、二次災害を防止するために洗浄され埋め立て処理される。現地調査した 3 月上旬ですでに 87%のガレキ
が処理されているが、残りのガレキも 2 ヶ月程度で終了する予定である。また、倒壊現場にも未回収のガレキ
が存在していた。図 7 にガレキの状況を示す。スタッテン島には、ビル倒壊で発生したガレキの他に付近に駐
車していた消防車等 1,000 台以上の車両の残骸も回収してあった。スタッテン島周辺では、ガレキの埋め立て
処分が行われることから環境有害物質が周辺領域への拡散する可能性があり、現在も大気および地下水等のモ
ニタリングが実施されている。
104
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 6. ガレキの処分状況
図 7. ガレキ処理現場
4.5
今後の EPA の対応
世界貿易センタービル倒壊災害による周辺環境問題についての今後の EPA の対応としては、以下を実施する予
定である。
1.
マンハッタン下部およびスタッテン島での大気・土壌・地下水のモニタリングを継続して実施する。
2.
ガレキや環境有害物質の無害化作業を継続して行う。
3.
地方自治体等と協力し、環境情報等を一般に公開する。
4.6
まとめ
105
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
今回の科学技術振興調整費緊急調査研究では、ニューヨーク世界貿易センタービル倒壊現場を訪問し、倒壊に
よる周辺環境への影響を調査した。緊急事態に対する迅速な対応が米国政府によりなされたが、環境問題につい
ても同様であった。また、地方自治体やボランティア等を含めて各機関との共同作業も順調に行われた。
大気・土壌・地下水等のサンプリングによる調査結果から、環境有害物質が一時的に環境基準値を上回る結果
になったが、現在はすべて基準値以下であり、環境有害物質による被害はほとんど報告されていない。しかし、
現在大量に発生したガレキの処分場では環境有害物質の漏洩等の可能性がある。このため、継続的な大気・土壌・
地下水等のモニタリングが不可欠である。
考
察
ニューヨーク世界貿易センタービル倒壊現場調査から世界貿易センタービルの同じ構造内にあるすべてのビル
は壊滅的なダメージを受けていた。また、周辺の構造物での壊滅的なダメージを受けた構造物と倒壊時の破片で
壁面等が損傷した構造物があった。このことから倒壊にエネルギーが周辺構造物および周辺環境を多大な影響を
与えてことが明らかになった。しかし、被災した周辺構造物の修復作業が急速に進められており、近日中に再利
用される予定である。最近に報道では、被災地現場は、ビル等の再開発は行わず、公園になるそうである。また、
今回の事件では米国環境保護局の迅速な対応が明らかになり、火災・爆発による環境有害物質の安全管理および
発生した大量のガレキの無害化処理が順調に進んでいる。これらの迅速な対応は、大規模災害に対する米国での
対応マニュアルが整備されていることが大きな要因と思われる。日本で同様な事件が発生した場合に、米国と同
様に迅速な対応が可能であるか問題がある。また、災害時の救助活動にも公的な機関以外にも民間のボランティ
ア団体が積極的に協力しており、重要な役割を担っていることが分かった。
引用文献
[1] EPA Website
成果の発表
1)原著論文による発表
ア)国内誌(国内英文誌を含む)
なし
イ)国外誌
なし
2)原著論文以外による発表(レビュー等)
ア)国内誌(国内英文誌を含む)
なし
イ)国外誌
なし
3)口頭発表
106
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
ア)招待講演
なし
イ)応募・主催講演等
なし
4)特許等出願等
なし
5)受賞等
なし
107
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
1. 世界貿易センタービル地区の都市環境被害の実態とその後の復旧過程の分析
1.8. 消防活動と避難行動
独立行政法人消防研究所基盤研究部
金田
要
節夫
約
ニューヨーク市消防局(FDNY)の本災害における消防活動の概要と、崩壊した建物からの避難者の行動について、
調査を行った。この結果、FDNY は想定すらしていなかった消火対象である建物の崩壊に遭い、出動していた多く
の消防士が犠牲となった。被災後、直ちに部隊を再編成し、以後 24 時間体制で救出・救援活動にあたった。
避難者の行動については、1993 年に同建物で発生した爆発災害以降に設定されたマニュアルや対策、避難訓練
等により、当時よりは避難階段においても整然と避難が行われたが、屋上からのヘリコプターによる避難は行わ
れなかった。
研究目的
我が国でテロ行為により、高層建築物に航空機を突入させ、被害を与える犯罪は皆無であった。しかし、今後
同様の模倣犯罪が発生しない保証はない。多大の犠牲を払ったこの災害を教訓とし、我が国で同様な災害が発生
した場合に、被害の拡大を防止し、対応するための検討資料を得ることを目的とした。
研究方法
現地での観察と説明、得られた資料及び後日入手した資料等から、内容を整理し、問題点を抽出し、その解決
法について、検討を行った。
研究成果
1)FDNY の対応
FDNY は今だ災害活動中であり、本災害の報告については、活動終了後に発表されると思われる。このため、災
害の状況と FDNY の関連する対応等については、文献[1]
、[2]、[3]及び[4]から引用した。災害発生以降
の対応等について、各日付毎に以下に記載する。また、崩壊した建物の概要とその時刻等を表−1 に示す。2機の
航空機が建物へ突入した時刻とWTC1、2及び7の崩壊時刻は確認できたが、その他の事象については、ほぼ
発生・対応順に記載したつもりであるが、発生した事象や行われた対応が、同時又は前後した事もあり得る。
108
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
表−1. 崩壊した建物の概要と崩壊時刻
建物名称
WTC1
入居者等
貸事務所
(北棟)
WTC2
WTC3
WTC4
貸事務所
構
造
地上110階
崩壊発生
時刻
時刻
8:46:26
10:28:31
9:02:54
9:59:04
備考
地下6階
地上110階
(南棟)
地下6階
マリオットホテル
地上22階
ビスタホテル
地下6階
NY商品取引所
旅客機突入
9:59:04
壁面部分崩壊
10:28:31
3階まで崩壊
地上9階
9:59:04
火災発生
地上9階
10:28:31
火災発生
地上8階
10:28:31
火災発生
(サウスプラザビル)
WTC5
貸事務所
(ノースプラザビル)
WTC6
税関
部分崩壊
WTC7
ソロモンブラザース
地上47階
FBI、EOC
シークレットサービス
地下6階
※時刻は米国東部標準時による
10:28:31
火災発生
17:20:33
崩壊
出典:文献[5]
9月11日
・WTC1への1機目の突入の覚知時に第5(特別)出場を指令し、ポンプ車隊、梯子車隊、 救助隊及び救急隊等の
200 名以上を現場に急行させた。
・出動指令から2分で先着隊が現場に到着し、当該建物エントランスホールに前線作戦本部を設置した。
・状況把握と救助のため消防隊は高層階へ移動し、さらに避難者の乗ったエレベーターの統制と排煙処理を行っ
た。
※)エレベーターにより出勤途中の人の証言では、8:48 頃に停電し、エレベーターが自動停止したとの事である。
・WTC2への2機目の突入により、2部隊に分けて転戦した。活動のできる範囲が限られており、建物内への増員
が、むやみにできない状況であった。さらに、突入時より無線の統制が取れなくなり、周波数を変更した。
・3機目の突入の可能性を考慮し、応援隊は待機させた。
・WTC2の崩壊と同時に、作戦本部と高層階との間で、通信不能となった。
・WTC1で活動中の隊員に、退避命令が出された。
・WTC1の崩壊を契機とし、WTC3、4、6と WTC5の半分が影響を受け崩壊した。
・予測不能であった建物の崩壊が早期に発生し、現場から退避できなかった多数の隊員が犠牲となった。
・崩壊後、策定してある指揮要領に従い、活動可能な隊員を再編成し、駆けつけた周辺区域からの応援隊、ボラ
ンティア等により救出・救助活動を行った。
109
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
・WTC7で 16:10 頃に火災が発生し、その後崩壊した。
※)当時刻では、グランドゼロ一帯は水道管断裂による断水のため、ハドソン川から取水し、ホースを展張して送
水し、消火活動をしたと考えられる。図−1 に9月18日付けの連邦緊急管理庁(FEMA)発表の水道や電気等のライ
フラインの不通範囲を示す。
図−1. ライフラインの不通範囲
9月12日
・FDNY 職員組合は少なくとも、200 名の消防士が死亡したと発表した。
・FDNY は 11000 名の全職員を 24 時間体制とすることとし、グランドゼロにおける生存
者検索任務に約 2000 名
出動させた。
・周辺自治体から派遣された消防隊を含み、1000∼2000 名の救助隊が徹夜で捜索し、7
名の生存者を救出した
と発表したが、異なった人数の報告もあった。
13:45
少人数の消防士と建設作業員が3∼5階建てのビルに匹敵する高さの瓦礫に昇って捜索したが、何も発見
できなかった。
14:00-
ブルドーザによる瓦礫撤去を作業開始した。
15:00-
多数の消防隊員が瓦礫の中の生存者を捜索した。
15:30-
他のビルの崩壊の危険性が出てきたので、捜索隊員は緊急避難した。
18:00-
崩壊現場南側の道路(Liberty Street)の片側車線まで、ブルドーザによる瓦礫撤去
110
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
作業ができ、車両通行が可能となった。その後、ポンプ車によりまだ煙の出ている部分へ放水を開始した。
9月13日
・ニューヨーク市設計建設局、建築局(DOB)と FDNY 及び構造設計コンサルティング事務所により、外観等から緊
急建物診断を実施し、残存部の安全性について、評価、判断を行った。
※)9月15日付けの FEMA 発表の建物診断結果を、図−2 に示す。
図−2. 建物診断の結果
111
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
・昨晩までに発見された犠牲者は 82 名で、捜索活動は二次災害を発生させないように、実施している。昨日午後
にも、WTC2 の残骸が崩れ、救助隊は緊急避難した。
・400 名以上の隊員が行方不明者の捜索活動を継続している。
9月14日
・行方不明者は 4763 名で、収容された遺体は 184 体、運び出された瓦礫はこれまでに 6000 トンであった。
9月18日
・これまでに 218 体の遺体を発見、152 体の身元が確認されたが、不明者数は 5422 名である。
・現在、約 1200 名の消防隊員、100 名以上の警察官、100 名近い復旧作業員がグランドゼロにおいて捜索、救助
活動を継続中である。
10月1日
・爆破やその他のテロ攻撃に対する緊急事態への対応に関して、消防士の生命を守るため、全ての火を消し止め
るこれまでの方針を再考する意見が出た。
・今回の災害で殉職者 343 名、特別救助隊は 452 名の内 95 名死亡、消防車 18 台、梯子車 15 台、救援作業車 11
台、救急車 10 台の損失であった。
※)文献[4]より、建物崩壊により破損した消防車両を、図−3 に示す。
Reprinted with permission of Fire Engineering
図−3. 破損した消防車両
112
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
10月5日
・市長は、新たに遺体を探し出せる望みもほとんど無くなり、また重機等の操作範囲内で活動している隊員の現
場での危険な作業をすることは合理的でないとして、瓦礫処理や復旧活動に携わっている消防隊員の数を 64 名
から 24 名に削減すると発表した。
・これに対し、消防隊員たちの不満が募り、組合によるデモが起き、逮捕者も出た。
10月13日
・160 名の消防隊員、90 名の警察官と建設作業員を含め、1300 名による 24 時間体制の活動で、29 万トンの瓦礫
が取り除かれた。
・WTC7の取り壊し作業は難航し、ここ2週間で少なくとも4件の事故が発生しているため、慎重に作業が進めら
れている。さらに地下6階分の空間に周辺建物の瓦礫が隙間無く押し込まれており、取り除き作業は当分続く
見込みである。
11月8日
・グランドゼロでの出動隊員数を 64 名から、50 名に削減すると発表した。
11月17日
・消防隊員の人員削減問題に対し、市長はグランドゼロでの捜索活動隊員数を 75 名まで増員し、活動の組織力を
高めるためニューヨーク市警察(NYPD)や港湾局職員から 50 名を加えて、捜索グループの再編成を実施した。
12月4日
・WTC1の地下5階に空調用の冷媒として用いるクロロフルオロメタン 8000lb(3624kg) が、タンクに貯蔵されて
おり、建物崩壊の影響でこの一部が漏洩している可能性が示された。大気中に大量に放出された場合は、人体
に危険を及ぼす可能性もあると指摘され、細心の注意を払って作業が進められている。
・職員全員にカウンセリングプログラムの義務付けはしないが、身体検査と精神的な健康状態のチェックを受け
ることを義務付けた。
12月19日
・消防隊員及び職員 135 名を含み、300 名を対象に、消防隊による対処がどの様に成されたか、またどの様な問題
点があったか、について調査が行われている。
・9/11 当日、2機目の旅客機が WTC2に突入した直後、ビルから避難するよう各隊員にトランシーバーで指令さ
れたが、指令が聞こえなかったことについても調査している。
2)WTC からの避難行動
文献[4]によれば、全米防火協会(NFPA)は「高層ビルにおける緊急時には、その場に踏み止まれ」と指導
してきた。即ち、火災によって直ちに危険となる階にいる人のみ避難し、それ以外の人たちは今居るところに止
まって、備え付けてある防火用品や消火設備を使用するように勧めてきたのである。これは、避難者の分散を計
り、階段やエレベーター等の避難路に、人が一度に集中することを防ぎ、避難路の確保と避難速度の低下抑止を
促進することになる。さらに一度に多数の避難者が建物の外に出た時に、落下物により被害を受ける人数を低下
させることにも繋がる。
「一般的な」緊急時には、この様な指導は充分に意義のあるものであるとしている。WT
Cは 1993 年にも爆弾によるテロ災害が発生しており、災害後ビル内に勤務する人々は避難訓練を受け、避難階段
113
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
の位置と出口を確認していた。WTC を管理していた港湾局は、93 年以降緊急システムに数々の変更を加えてきた。
この変更が被災当日、多くの人たちの避難を容易くした。ある人たちは WTC タワー最上階 110 階から、外に1時
間内で脱出した。93 年では、殆どの人が同じ脱出に1時間から3時間掛かっていた。
在館者の避難行動等については文献[5]により、次のように述べられている。
①WTC1からの避難者の報告
・1機目の航空機が突入した直後に、WTC1及び2の多くの在館者が建物から自発的に避難し始めた。
・2機目の航空機が突入した直後に、WTC1の突入階の下階の全ての在館者に、避難命令があった。
・WTC2が崩壊する時までは、WTC1の避難階段は、在館者の避難に支障がなかった。
突入階の下階の階段が、まだ支持できたままで残っていたので、避難が可能であった。
・WTC1及び2における突入階の下階の在館者の 99% が生存していたことは、避難がうまくいった事を示した。
・これは 93 年の WTC 爆発災害以降の、設備や避難要領の変更による成果かもしれない。
※)変更した主なものは、避難階段踏面の先端及び手摺り部への蛍光塗料の塗布、避難階段内照明の設置である。
文献[4]から WTC1の避難階段の様子を図−4 に示す。
図−4. WTC1 の避難階段
・在館者が避難階段により出口までの経路に辿り着けたので、建物の崩壊直前まで避難階段は在館者の避難に支
障がなかった。
・突入され階の避難階段が破壊されたので、突入階とその上方階の在館者が、避難できなかった。
・何人かの生存者は、WTC1の避難階段における照明が、WTC2の崩壊とほぼ同時に消えたと報告した。
・10 階の床から始まった、避難階段とその吹き抜けを流れ落ちる幾筋もの水で、階段が滑りやすくなった。
・移動(歩行)ができなかった在館者は、他の在館者により一連の階段を下方へ運ばれた。
114
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
・火傷を負ったり、ひどく負傷した在館者を通すため、避難者は頻繁に通路脇に寄り、通過させた。
・91 階から避難した在館者は、消防士や emergency responders(防災要員)が上階へ昇るのに支障とならないよう、
建物の下層階から下りる人々が一列になって、ゆっくりと進むよう配慮した。
②WTC2からの避難者の報告
・WTC1よりも WTC2の避難時間はより少なかった。そして、航空機は WTC1よりおよそ 16 階分低い階に突入した
が、この建物の中で少ない死傷者しか発生しなかった。
・WTC2の在館者の死傷者数の減少は、WTC1に航空機が突入した直後から、2機目の航空機が WTC2に衝突する前
までに、数人の在館者の動きに、その原因があるかも知れない。
・WTC1への航空機の衝突に続いて、
「WTC2は安全であり、在館者は各自のオフィスへ戻るように」とのアナウン
スがスピーカーを通じて放送されたと述べた。
・これらの生存者の多くが、アナウンスに意を介さず、エレベーターを使用して、建物からの脱出を続けた。
・WTC2に2機目の航空機が衝突した後で、元の階に戻り、誰がそのアナウンスを聞いたのかを個別に生存者へ語
ってもらったが、示すことはできなかった。
・僅かな数の人々が、ヘリコプターからの救助があるかも知れないとして、屋上に向かったと、数人の生存者が
語った。
※)ヘリコプターによる WTC1、2 屋上から避難者の救助は、屋上に放送や携帯電話用通信アンテナが設置され、そ
の支持用のワイヤーが張り巡らされていたため、ヘリコプターが屋上に接近できなかった。さらに、災害時の
避難マニュアルにも想定されておらず、FDNY もヘリコプターによる救出を考えていなかった。また、屋上への
扉は施錠されていた。
考
察
1)FDNY の対応
消火・救助対象となる建物の予期せぬ崩壊により、343 名もの犠牲者が出たことは、内部にかなりの混乱が生じ
たことと考えられる。被災当日の時系列による明確な活動記録は、かなりの数の指揮者が犠牲になったことも含
め、発表されていない。「多数の隊員が被災した理由としては、携帯電話等が使用できず、隊員相互間の連絡が取
れなかった事、現場指揮本部の隊員が早期に被災した事である。」と、当時 FDNY の Commissioner(消防局長)であ
った Thomas Von Essen 氏は述べた。しかし、この多大な被害を受けた後でも、救助・救出部隊の再編成が行われ、
直ちに活動を開始したことは指揮要領の完成度、訓練の熟達及び過去の経験によるものと思われる。以下に研究
成果から抽出した問題点と、我が国でも対応しておく必要があると思われた解決法について述べる。
①問題点:
・崩壊前に指揮・命令の混乱を招いた無線の統制不能
・副次的災害等を予測できなかった現場周辺の混乱
・応援体制の見直し
・危険物を含む建物設置設備等の対処
②解決法:
・高出力機器による近距離区間における混信等の無線通信条件の把握のための実証確認
・被災程度に応じた範囲の警戒線・現地指揮本部の設定基準(事例、被害想定予測及び必要範囲の検討)
・長期な活動を想定して、発災初期・中期等の各段階における必要となる技能・体力レベルの要員の選定・確保
115
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
の検討と有効となりにくい援助要員の撤退
・自家発電設備の燃料、空調装置に用いる冷媒等の位置・量の確認・対処法
・関係車両等の搬入手段・経路と搬出方法の確保
・以上の災害現地で必要となる情報のデータベースと統括実施機関の構築及び情報収集と訓練の強化
2)WTC からの避難行動
WTC1及び2の崩壊が発生していなかったと仮定すれば、他の WTC の避難はほぼできていたことから、在館者の
避難時間は充分に有り、在館者全員の避難は可能であった。しかし、WTC2においては防災センターの把握した情
報が不十分で、避難者には状況が充分伝達されていなかったため、一部の避難者は混乱し、避難することができ
なかった。
高層建物における災害時の避難について、資料から得られた今回の問題点とその解決法について、以下に述べ
る。
①問題点:
・被災状況の在館者への伝達不足(利用可能な避難方法の不徹底)
・避難経路途中の通行不能区間発生時の対応
・的確な避難手段の伝達不能
・避難階段内での負傷の可能性
②解決法:
・当該建物の内部で得られた情報だけでなく、外部からの情報の活用と伝達経路の多重化
・避難階段の分散化及び途中階間における外壁外の避難手段の対応・開発
・状況を確認できたか、或いは異常に気づいたら、直ちに訓練に基づいた方法で避難を開始する等の常勤在館者
への避難マニュアルと訓練の徹底化
・自家発電設備による照明を過信することなく、避難階段に懐中電灯等の補助照明の用意と避難者の現位置と建
物外部までの経路情報の明示
引用文献
[1]ニューヨーク大学 行政研究所(IPA):[WTC テロ事件関連記事データ/資料, Feb. ('02)]
[2]Bill Manning:
「Our Most Tragic Day:Initial Report」
[Fire Engineering, vol.154,No.10,Oct. ('01)]
[3]高木次郎:
「世界貿易センタービル解体・撤去」[日経アーキテクチュア, 2-4, p68-74 ('02)]
[4]John Nicholson 他:
「Collapse:World Trade Center Aftermath」
[NFPA Journal, Nov/Dec.('01)]
[5]FEMA:World Trade Center Building Performance Study[May,'02]
※文献を使用するにあたり、渡辺展子氏に翻訳をお願いした。ここに謝意を表する。
成果の発表
3)口頭発表
ア)招待講演
発表者名:金田節夫「NY/WTC災害による被害の概要」、消防研究所〔平成14年度日本火災学会研究
発表会、(平成14年5月)
〕
116
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
1. 世界貿易センタービル地区の都市環境被害の実態とその後の復旧過程の分析
1.9. ライフライン関係の被害実態とその後の復旧過程
東京大学生産技術研究所都市基盤安全工学国際研究センター目黒研究室
目黒
要
公郎、吉村
美保、パオラ・マヨルカ
約
9 月 11 日のテロによる WTC の崩壊はエネルギー供給網にも多大な被害を与え,供給停止を受けた需要家数は,
電力で 13,000,ガスで 6,000,スチームで 300 にのぼった.電力・ガス・スチームの全復旧に要する費用は 4 億
ドルに達するものと見積もられている.本章では,マンハッタンにおけるエネルギー供給システムを紹介し,エ
ネルギー供給網の被害状況と発生要因を探るとともに,復旧過程における問題点や教訓を記す.
研究目的
本章はライフライン関係の被害実態の把握とその後行われた復旧過程における教訓および問題点を把握するこ
とを目的とする.
研究方法
新聞記事(New York Times)や関連ウェブサイトによる情報収集とともに,マンハッタンにおけるエネルギー供
給事業主体である Consolidated Edison Company of New York(以下コンエジソンNY社と記す)を訪問し,インタ
ビュー調査を行った(図 1).
図 1. インタビュー調査の様子
117
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
研究成果
1. ライフライン供給システムの概要
NY 市の電力・ガス・スチームは,一部の公共施設を除き(注 1),コンエジソン NY 社により提供されている.コ
ンエジソン NY 社は,資産 170 億ドル,年間利益が約 100 億ドルの世界有数のエネルギー会社である Consolidated
Edison,Inc.の子会社である.コンエジソン NY 社は法律上エネルギーの生産は許可されていないため,エネルギー
の供給事業のみを行っている.また,公的施設に対するエネルギー供給は,政府系機関である NY Power Authority
により,コンエジソン NY 社よりも安い料金にて行われている.コンエジソン NY 社の全エネルギー供給量の中で,
電力・ガス・スチームが占める割合はそれぞれ 85,10,5%となっている.マンハッタンでは,エネルギー需要の
主流は電力であり,ガスは主に料理に,スチームは冷暖房システムに用いられる.
9 月 11 日のテロによって供給停止となった需要家は,電力で 13,000,ガスで 6,000,スチームで 300 である.
この復旧作業のため,現場では 1,900 人を超える作業員が 24 時間体制で対応し,さらに数千人がその支援に当た
った.
以下に,電力,ガス、スチーム供給システムの被害の実態と復旧過程についての調査結果を報告する.
(注1)2000 年までは,コンエジソン NY 社も 25 サイクルの発電機を所有し,電車や地下鉄に対するエネルギー
供給を行っていたが,現在では,NY City Transit がサイクル変圧器を設置して自給している.
2. 電力供給への影響
2.1
電力の被害実態
マンハッタンには 23 の変電所があり,31 のネットワークに電力を供給している.各々の変電所には 5 台の変圧
器が設置されているが,通常は 4 台が稼動しており,残り 1 台は予備である.これらの変電所はリモートモニタ
リングシステムにより 24 時間体制で管理され,電力需要情報のリアルタイムモニタリングだけでなく,変圧器の
位置や稼動状況,作業員数等の様々な情報がテレメーターシステムにより収集され,提供されている(図 2).
図 2. リアルタイムモニタリングシステム
9 月 11 日午前 8 時 45 分,最初の飛行機が衝突した際,コンエジソン NY 社の電力システムは World Trade Center
Network への電力供給の半分を失った.これを機に,コンエジソン NY 社内では緊急対応計画を稼動させ,電力・
ガス・スチームの各部門の作業員が現地へ向かった.2 回目の衝突後,コンエジソン NY 社はこれをテロによるも
のと想定し,主要施設への職員の配置を行った.社内に緊急指令センターが設置され,情報連絡のため NY 市の非
常事態管理室(Office of Emergency Management,OEM)へ職員が派遣された.
118
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
Lower Manhattan(以下,LMN と記す)は図 3 に示すように,WTC 第 7 ビルに位置していた 2 つの変電所(図 3 中の
赤丸印)により電力供給を受けていた.しかし WTC 第 7 ビルの倒壊とともにこれらの変電所が壊滅的な被害を受け,
LMN のほとんどのエリアが停電になった.図 4 中の濃灰色の部分は,11 日午後 4 時における停電エリアを示して
いる.停電エリア中の白色部分が WTC に相当する.被害を受けた変電所全体の電力供給能力は 450 メガワット(以
下 MW と記す)であり,これは Jamestown(92MW),Albany(120MW),Syracuse(160MW),Poughkeepsie(65MW)の 4 箇所
の需要を合計した 473MW に匹敵する.WTC 地区に限っても,電力需要のピークは 90MW であり,それは当地の平均
的な家庭 90,000 戸をまかなう電力量に匹敵する大きさである.
コンエジソン NY 社によると,「WTC 第 7 ビルが倒壊さえしなければ,今回のテロによるコンエジソン NY 社の被
害は深刻なものにならなかっただろう」との見解である.一般に Consolidated Edison,Inc.の電力システムは,
通常ではその主要な部分が損失を受けたとしても十分対応できるよう設計されている.一部の給電線が破断した
としても,ユーザーは非常に敏感な機器か光ファイバーを使っていない限り,破断に気が付かないだろうとのこ
とである.
図 3. 9 月 11 日以前の電力供給ネットワーク(赤丸は変電所の位置を示す)
119
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図 4. 9 月 11 日午後 4 時の時点までの停電エリア(by New York Times 9/12)
2.2
電力の復旧過程
上記の被害に対する直後の復旧作業として,被害を受けなかったシステムへの電力の再供給,被害を受けた電
力施設の迂回,被災地への発電機の設置などが行われた.コンエジソン NY 社電力部門では,図 3 と図 6 に示した
テロ以前のネットワークを,図 5 と図 7 に示すような形へ切り替えることにより,被災後の周辺地域の電力需要
に対応した.これにより,テロ以前に WTC 第 7 ビルの 2 つの変電所からの電力供給を受けていた Battery Park
Network,Cortlandt Network,Park Place Network の 3 ネットワークに対して,周辺の変電所からの電力供給が
開始された.このネットワークの切り替えに際しては,既設のダクトが使えなかったため,一時的な対応として,
総長 36 マイルの電力ケーブルが歩道の縁や溝に設置された(図 8).これらのケーブルは図 9 に示すように,歩行
者の安全のために木製の囲いやフェンス,柵により保護された.また 82 機の発電機(図 10)の設置により 102MW
の電力が供給された.作業においては,作業員が防毒マスクを着用する必要があるか否かを判断するために大気
のチェックも行われるなど,作業環境への配慮もなされた.このような復旧作業によってネットワークは日ごと
に回復し,テロ 8 日後の 9 月 19 日午前 3:51 には,LMN の全ての電力サービスは復旧した.なおコンエジソン NY
社によれば,ここで説明したようなネットワークの切り替え等の対応は,今回のテロが電力需要の最も高まる夏
の事件でなかったからこそ可能であったとのことである.
120
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 5. 9 月 11 日以降の電力供給ネットワーク(赤丸は稼動している変電所を示す)
図 6. 9 月 11 日以前のネットワーク構成
121
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図 7. 9 月 11 日以降のネットワーク構成
図 8. 電力ケーブル設置の様子
図 9. 電力ケーブルの設置状況
122
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図 10. 応急復旧に用いられた発電機
以上のような直後対応はあくまで一時的な処置であり,一方で WTC 周辺地域ではエネルギー施設の再建に向け
た作業が進められている.これらの作業の完了までに,43,000 フィートの溝が掘られ,695,000 フィートを上回
る新たな電力ケーブル(継ぎ目 2,300 箇所)が,50 マイルにわたって地下に新しく設置されるコンジットの中に敷
かれる予定である.ところで今回の復旧作業では,スピードアップをはかるために,いくつかの最新技術が導入
された.例えば,従来は地下の給電線はコンクリートのコンジット内に設置されたが,今回はこれに代わりポリ
エチレンの管が用いられ,設置に要する時間の短縮と手順の簡略化が図られた.
壊滅した 2 つの変電所に代わる施設として,今後は, 2002 年の夏までにシーポート駅近くに新しい変電所が1
つ,もう 1 つが 2003 年中に WTC 第 7 ビルの跡地に再設置される予定である.シーポート駅は 1990 年に火事によ
り全壊したが,その後の復旧に際しては将来のシステムの拡張を見越して,2ヶ所の変電所の基礎工事が行われ
ていた.しかし実際に変電所が設置されたのは 1 ヶ所のみであったため,テロ以前は残りの 1 ヶ所は予備のスペ
ースとなっていた.今回の新たな変電所はこのスペースを利用して建設されたため,通常 2 年を要する工事が 6
ヶ月という短期間で完了できた.また,関係企業によるコンエジソン NY 社への変圧器や切り替え器等の設備機器
の納入も優先的に行われたため,更なるスピードアップにつながった.新しい変電所では,最新式の変圧器,切
り替え器,モニタリング・管理装置の整備が進められている.
復旧過程におけるキーポイントとして,コンエジソン NY 社は現地での作業にあたる種々の主体の連携を挙げた.
被災地では,コンエジソン NY 社によるエネルギー関係の復旧作業だけでなく,救助活動やがれき撤去等様々な活
動が同時並行で展開された.このような状況の中,異なる作業主体間の円滑な連携を図るため,NY市建設局に
より委員会が設立・統括された.復旧過程における様々な問題の約半分は連携不足に起因したものであり,連携
委員会から派遣されたコンサルタントがこれらの問題解決に当たった.
3. ガス供給への影響
3.1
ガスの被害実態
図 11 に示すように 9 月 11 日以前の LMN は,高圧のガスを供給するエリアと低圧のガスを供給するエリアに分
かれていた.この地域のガス供給システムは 1884 年に建設され,
1998 年にいくつかの主要導管が取り替えられた.
被災地周辺のガス管は主にスチールとプラスチック製であった.WTC 周辺エリアには 4 マイルを超えるガスの主要
導管が設置してあったが,そのうち 1 マイル以上が通行規制により対処不能となった.しかし関連被害としては,
ガス漏れによる小規模の火災が 1 件発生したのみであり,WTC ビルにおいては,膨大な瓦礫がかえってガス漏れを
防いだ.コンエジソン NY 社はガスに関する甚大な問題は発生しなかったと報告している.
123
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図 11. 9 月 11 日以前のガス供給システム
3.2
ガスの復旧過程
復旧対策として,コンエジソン NY 社では,まず主要導管の圧力をチェックするためのパトロールを行った.48
時間以内には,作業員がガスの供給を調節するための拠点を建設し,図 12 に示すように従来のガス管を切断して
新たにガスバルブを設置し,ガスネットワークの再構築を行った.LMN 内で新たに設置されたガスバルブは 16 箇
所に上る.ガスパイプの閉鎖は手動で行われたため,復旧作業のためのパイプの閉鎖に 3 日を要した.これによ
り 6,000 件の需要家へのガス供給が停止された.復旧作業で最も困難であったのは,システムを再稼動させるこ
とであった.図 13 は復旧途中の状況を示している.毎日,復旧作業の進展状況がマップに示され,今後の作業の
進め方についての OEM とのミーティングが 1 日 2 回ずつ開かれた.2次災害回避の観点からコンエジソン NY 社の
要求は当初迅速に受け入れられたものの,時間が経過するにつれて状況は日々厳しくなった.FEMA とのミーティ
ングでは復旧計画についても話し合われた.コンエジソン NY 社内では各部門同士のミーティングも毎週行われた.
ガス(スチームも加えて)の復旧の経過を図 14 に示す.左上,右上,左下,右下の順にそれぞれ,NY 市のホームペ
ージに掲載された 9 月 30 日,10 月 8 日,10 月 24 日,10 月 31 日のサービス状況である.
最終的に,今回のテロによるガスの売上の損失は 7%以下にとどまった.理由は人々が被災地から避難しても避
難先で再びガスを使ったからである.ガス施設の復旧費用は 2,500 万ドルと見積もられている.コンエジソン NY
社ガス部門は,テロリストの襲撃を想定した対策を 2000 年に講じていたことが功を奏し,今回は迅速に対処する
ことができたと報告している.
124
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 12. ガス供給ネットワークの改変作業
図 13. ガス供給システムの復旧過程
125
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 14. ガス・スチーム供給システムの復旧の経過
(左上,右上,左下,右下の順にそれぞれ 9 月 30 日,10 月 8 日,10 月 24 日,10 月 31 日の状況)
126
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4. スチームの供給への影響
4.1
スチームの被害状況
日本では一般的ではないが,この地域では冷暖房のエネルギー源としてスチームの利用が盛んである.コンエ
ジソン NY 社は LMN に,図 15 に示すような 16 マイルに及ぶ主要導管を持つスチーム供給システムを有していた.
スチームの年間需要のピークは夏と冬にそれぞれ存在する.冬のピークは主に週あけの朝 6 7時であり,夏は午
後 3 4 時にピークが観測される.この地域は冬のピーク時には毎時 1200 万バーレルもの需要があり,そのうち WTC
の需要は 50 万バーレルであった.テロがおきた 9 月の場合,ピーク需要は約 400 万バーレルである.
9 月 11 日のテロにより,Canal ストリートの下に位置していたスチーム供給システムが孤立した.被害を受け
たのは WTC 地下に設置されていた,スチーム供給のための数百フィートの長さの主要導管 1 本と供給施設であっ
た(図 15).また,WTC 第 7 ビルの崩壊により,コンエジソン NY 社はテレメーター測定点を失い,圧力変化の計測
ができなくなった.これを教訓としてコンエジソン NY 社は,今後テレメーター測定点は構造物の崩壊の影響を受
けうる場所に設置しないこと決め,最適な代替設置場所としてマンホールを考えている.
図 15. 9 月 11 日以前のスチーム供給システム
4.2
スチームの復旧過程
LMN にスチームを供給していた 5 つの主要導管はテロ後 5 時間以内に職員による手動で閉められた.WTC ビルの
地下にもバルブがあったが,コンエジソン NY 社はこれを閉鎖するのは不可能と判断した.図 16 に復旧途中のサ
ービスの状況を,図 17 に作業の模様を示す.また図 14 は復旧作業の経過を示し,左上,右上,左下,右下の順
にそれぞれ,NY 市のホームページに掲載された 9 月 30 日,10 月 8 日,10 月 24 日,10 月 31 日のサービス状況で
ある.復旧にあたっては,救助やその他の復旧活動を妨げないよう主に夜間に職員が派遣され,北から WTC 周辺
127
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
に向かってサービスの再開が開始された.テロ後の 5 日間で約 95%のサービスが再開された.ワールドファイナ
ンシャルセンターと WTC 西部の一帯は,WTC 北の Vesey ストリートに位置していた主要導管の損傷により復旧が滞
ったため,この地域へのサービスの回復にあたっては,現地に新たにボイラーが設置され,WTC より数ブロック北
の Murray ストリートに新たな主要導管が設置された.このような新たな供給設備の設置のために,49 のマンホー
ルが建設された.スチームの供給サービスは 2 ヶ月以内には全て復旧した.
スチーム関係の復旧作業は電力やガスほど大規模ではなかったが,冷暖房システムにスチームを用いていた WTC
は主要な大口顧客の 1 つであったため,その後の経済的損失は大きい.スチームの供給サービスが途絶した際,
一般住民からのクレームは来なかったものの,この地域にある2つの病院からは問い合わせがあった.これらの
病院ではスチームを殺菌に用いていた.現在,コンエジソン NY 社では,もしスチームの供給が停止した場合に特
に影響を受ける顧客をリストアップしており,サービス停止の際には顧客がスチームに代わる代替をスムーズに
用意できるよう停止の告知を行うという.
図 16. 9 月 11 日以降のスチーム供給システム
128
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 17. スチーム供給システムの復旧作業の様子
5. 電力・ガス・スチームのまとめ
コンエジソン NY 社によると,電力・ガス・スチームの全復旧に要する費用は 4 億ドルにのぼるものと見積もら
れている.通常 FEMA は連邦機関として復旧費用を提供するが,私企業への資金の直接的な提供は法律上認められ
ない.この原則は公共性の高いサービスを供給するライフライン企業といえども例外とはならず,コンエジソン
NY 社も FEMA からの復旧費用の提供を受けられない.そこで現在,NY 市が復旧費用として得た資金からの援助の
可能性を模索中である.変圧器,スイッチ切り替え機及び変電所は,総額 3,000 万ドルの保険契約を結んでいた
が,これだけでは不十分である.このような状況を踏まえ,これまで固定されていた電力・ガスの料金であるが,
コンエジソン NY 社が州政府の公共サービス委員会に対して,復旧費用の捻出のために料金の引き上げをせざるを
えないことを証明すれば,復旧費用をまかなうための料金値上げが行われる可能性が出てきている.なおこの決
定は翌秋までになされる見込みである.
考
察
今回のテロによるライフライン被害とその復旧作業の特徴について以下に考察する.大規模地震によるライフ
ライン被害と違って,今回のテロによるライフラインの機能障害の影響を受けた地域は局所的なエリアに限定さ
れる. WTC 地区と,WTC 地区内に有していた供給施設が被害を受けたことによって一時的にサービスの供給を受
けられなくなった WTC の周辺地域のみである.
被害が狭い範囲内に限定的に発生したことを原因として,今回のライフライン被害並びにその復旧過程には,
記録しておくべきいくつかの特徴がある.例えば兵庫県南部地震では,ライフライン系の被害は広域にわたり,
その総額が 6,000 億円に達したのに比べて,今回のテロによる被害額(基本的に復旧費)は電力とガスとスチーム
で 4 億ドル(約 500 億円)に留まっている.また WTC が大口需要家であったスチームを除いて,電力やガスに関し
ては被災した人々や企業が WTC 地区を離れて他の地域に行ったとしても,生活や企業活動が比較的早期に回復し
たので,周辺地域を含めた地域全体としての需要は大きく変動していない.
今回のテロによるライフライン被害の復旧作業の特徴を述べると,大規模地震被害では対応する側も広域かつ
甚大に被災した状況からの立ち上がりになるが,今回のテロでは被災地域が局所的であるので,対応業務の立ち
上がりはスムーズであった.この地域に電力とガスとスチームを供給する会社が同一であった点は,相互の復旧
作業を進める上では調整上有利だったと言えるが,異種事業者間での復旧作業に関しても業務調整はうまくいっ
ている.この理由は FEMA や OEM を含む関連組織の活動状況や作業予定の報告など,復旧作業の情報交換や日程調
整などが密に行われたためである.この機能を担った組織がNY市建設局により設立された連携委員会であるが,
この点は兵庫県南部地震の復旧・復興過程では関連組織間での業務調整が必ずしもうまくいかなかった点を反省
129
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
し,教訓として将来につないでいくべきである.
引用文献
[1] Consolidated Edison,Inc.ホームページ:http://www.coned.com/
[2] NY 市のホームページ:http://home.nyc.gov/portal/index.jsp?pageID=nyc_home
130
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
2. グラウンドゼロ地域での災害対応過程の分析
2.1. 巨大都市災害時の現地災害対策本部が必要とする条件と意思決定過程
京都大学防災研究所巨大災害研究センター
河田
要
惠昭
約
2 機の旅客機が,第 1,第2世界貿易センター(WTC)ビルに相次いで突入した直後からの現地対策本部の
位置と設置条件を時系列的に整理し、その連携体制、意思決定過程を明らかにして、わが国で突発災害が
大都市部で起こった場合の対応のあり方を示す。
研究目的
グラウンドゼロ地域での災害対応過程の分析のため、
1. 関係機関の対応を明らかにする。
1)消防隊の集結開始から人命救助に至る対応
2)ニューヨーク市の対応
3)ニューヨーク州の対応
4)連邦危機管理庁の対応
5)災害対策本部長のジュリアーノニューヨーク市長の意思決定過程
2. ニューヨークタイムズ紙に見る災害対応の報道から解析する.
研究方法
1. 現地調査前:発災直後からの新聞、雑誌記事の収集、解析
2. 現地調査:現地ヒアリングと米国側の関係者との意見交換
3. 現地調査後:前記1、2をもとに関係機関の対応に関する情報分析を行い、わが国への適用を検討
する。
研究成果
1.
まえがき
大規模な災害が発生した場合に,現地災害対策本部をどこに設置すればよいかは大変重要な問題である.こ
の問題は,わが国においても早晩,重要な課題となることがわかっている.すなわち,東海,東南海,南海地
震の連続発生が懸念されるとき,国の非常対策本部をどこに設置すれば良いかの問題である.これに対する解
の 1 つを今回のニューヨークテロ事件は与えてくれている.
131
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
さらに,現場の意思決定過程がどのようであったかは,大規模災害の時ほど重要な課題となろう.これにつ
いても今回のテロ事件は 1 つの解を見いだしている.
2.
現地災害対策本部の位置の変遷と問題点
1) 事実経過
(1)
2001 年 9 月 11 日(火)午前 8 時 45 分
アメリカン航空 11 便が第 1 ワールドトレードセンター(北
棟)
(World Trade Center:以下 WTC と略記)に激突
(2)
同午前 9 時 3 分ユナイテッド航空 175 便が第 2WTC(南棟)に激突
(3)
同午前 10 時 5 分頃第 2WTC が崩壊
(4)
同午前 10 時 28 分頃第 1WTC が崩壊
(5)
その後,第 3∼第 5WTC が順次,倒壊
(6)
同午後 5 時 20 分頃第 7WTC が倒壊
(7)
唯一,第 6WTC は倒壊しなかったが,大きな損傷を受けた.
2) 対策本部の位置の変遷
(1) 第 7WTC の 23 階に非常事態管理室(Office of Emergency Management:以下 OEM と略記)に緊急作戦セ
ンター(Emergency Operation Center:以下 EOC と略記)が設けられた.これは,1993 年のワールド
トレードセンター爆破事件の教訓から,1999 年に 1,300 万ドルかけて開設されたものであった.これ
は,第 1,第 2WTC 崩壊後,使用不能となった.
(2) ニューヨーク市のジュリアーニ市長は,旅客機が WTC に衝突したという連絡を 5 番街 50 丁目付近(直
線距離で WTC から北北東に約 6km)の車中で受けて,そのまま WTC に向かい, WTC から 1 ブロック北に
設けた一時的な緊急司令センター(Emergency Command Center:以下 ECC と略記)
(75 Barclay St. at
West Broadway)に入ったが,最初の第 2WTC の崩壊のために危険となったので,徒歩で脱出した.
(3) つぎに,午前 11 時頃,現場から約 2km 北の Houston St.の消防署に ECC を設置した.
(4) 午前 11 時 2 分にジュリアーニ市長は Canal St.より南の地区に避難勧告,14 丁目以南を住民以外立入
禁止の措置をした.
(5) それに伴って ECC を 20 St.の警察学校に移設した.
(6) 9 月 17 日に EOC をハドソン川に面した Pier94 にある市所有の建物に移設し,11 月 23 日まで設置して,
解散した.
(7) その後は,OEM が EOC の機能を引き継いでいる.
(8) 新しい EOC はブルックリンに構築中である(非公開).
132
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 1. 「事件後の現地対策本部の位置の変遷と立ち入り禁止区域」
3) 問題点
ヒアリングを実施した時点は事件発生からまだ 5 ヶ月余りしか経過していなかったこともあって,いずれの
機関でも反省に関する情報を得ることができなかった.しかし,事実関係を追っていく中で,つぎのような問
題点が明らかになってきた.それらは反省すべきことと表裏一体の関係であることは言うまでもない.そこで,
訪問した機関毎の問題点は,つぎのように整理できる.
(1)ニューヨーク市の非常事態管理室をワールドトレードセンターに置いたこと:
1993 年の同ビルの爆破事件の後,第 7WTC に設置する案に対し,ニューヨーク市庁舎から近すぎるとい
う批判があったが,逆に便利であるという理由で決定された経緯がある.この事件が起こってから考えて
みると,まず,WTC が重要な施設であって,そこにおくこと自体が問題であることがわかる.すなわち,
事件の標的になるような建物内に併設することは是非避けなければならないことになる.むしろ代替機能
を別の場所に設置するという本来のやり方の重要性が再確認されたと言ってよい.たとえば英国のイング
ランド銀行の代替機能は IBM の英国ビル内に設けられている.今回のテロ事件でも,わが国の銀行の多く
はこのような代替機能(とくに情報系)を別途用意していたところでは,立ち上がりが早かった.
わが国では,阪神・淡路大震災において,兵庫県警本部の代替施設がポートピアランドの中に用意され
ていたが,地盤の液状化のために水浸しになったほか,この島のアクセスが中断され,陸の孤島になって
しまった.このように災害に対して脆弱な地域に災害対策本部が設置される庁舎が立地している場合には,
別途,災害対策センターを別棟に用意するなどの工夫が必要であろう.また,災害対策本部ではいたずら
に人が集まることを目指すのではなく,情報の収集,解析,共有化,発信機能が優れておれば問題はない
はずである.事件直後,ジュリアーニ市長に同行した市職員が極めて少なかったにもかかわらず,対応が
133
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
円滑に進んだのはそのせいであろう.
(2)災害対策本部は,被害が発生した地域や最も被害が大きい地域には置かないこと:
最初に倒壊した第 2WTC には消防署の分署があった.したがって,旅客機が衝突直後,ニューヨーク消防
局は 24 分署から 120 名の消防士を投入し,さらに 130 人を応援のために派遣した.これらの指揮所は第
2WTC の分署に置かれたため,ビルの崩壊とともに多数の有能な隊長クラスを含む 343 名の消防士を亡くす
ことになってしまった.その上,ポンプ車やはしご車が現場に集結したために,それらがビルの崩壊の下
敷きになって,約 100 台の関係車両が使い物にならなくなってしまった.被害総額は消防車やはしご車な
ど車両だけで 4,700 万ドルと見積もられている.現場では,停電などによってスプリンクラーシステムは
最初から稼働しなかった.つまり,一切の消火活動ができなかったことがわかっている.1993 年の爆破事
件の後,WTC では,非常階段を拡げる,非常時の照明を用意する,避難経路を整理するなどの改善が図ら
れたが,これらが今回効を奏したかどうかは不明であった.
このことから,まず事故や事件現場に大量の関係者が集結することは危険であり,かつ,救助を急ぐ余
り,やみくもに現場に突入すると大変な犠牲が強いられる恐れが大きい.消防士はそれぞれ GPS による位
置確認が可能となっていたが,建物の中ではこれが作動できず,結局使い物にならなかった.
3.
現地対策本部の設置条件
ニューヨークテロ事件を教訓とした現地対策本部の設置条件は,つぎのようにまとめられる.
1)事態の推移を見誤って危険な場所に設置してはいけない.
とくに,巨大災害や東海・東南海・南海地震・津波災害のようなスーパー広域災害の場合,国の非常災害
現地対策本部をどこに設置すればよいかは非常に重要な課題である.後者の災害では,時間経過とともに災
害の様相が変化していくという特徴をもっている.事態の推移を見誤ると,救助側に犠牲者が多量に発生す
る危険のほか,被害が長期化することにつながる.たとえば,東海地震が発生したと仮定しよう.これが単
独であれば,国の非常災害現地対策本部は静岡市に設置されるであろう.しかし,東南海や南海地震が連発
する恐れがあると,それが果たして妥当な決定なのかどうか疑問である.1854 年の安政東海地震の後,約 30
時間後に安政南海地震が発生している.つまり,仮に東海地震が単独で起こった場合は,西日本各地は東南
海地震や南海地震の発生を懸念して,すぐに対策を実行しなければならない.たとえば,地震後 10 分以内に
津波が来襲する地域の住民は,すぐに安全な避難所に一時的に避難しなければならない.すなわち,東海地
震が起こったときに,被害は地域的に限定されるものの,それ以外の地域も東南海や南海地震の発生に対し
て臨戦態勢に入らなければならない.そのときに自治体はもとより国の非常災害現地対策本部をどこに設置
するかは重要な問題であろう.このようなスーパー広域災害の場合,非常災害現地対策本部も分散型,すな
わち候補となる施設を複数もっている必要がある.しかし,近畿地方を見る限り,そのような施設に充当で
きるような既存の建物のみならず,通信機能を有する施設はないと言ってよいであろう.すなわち,分散型
の非常災害現地対策本部を是非,至急用意しなければならない.
2)強力なリーダーシップをもつ本部長であれば,場所は問題ではない.
ジュリアーノ市長のように強力なリーダシップの持ち主の場合,災害対策本部はどこに位置しようと,余
り問題ではない.今回のテロ事件がそうであった.むしろ後方支援に対して情報提供のしやすい施設の充実
の方が重要であることを今回の事件は教えている.
4.
意思決定過程と課題
事件直後からニューヨーク市のジュリアーニ市長は的確な指示を下してきた.それは以下の事項で示されてい
134
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
る.
1) 一時的な緊急司令センター(ECC)を設置して,立ち入り規制,交通規制,避難勧告などを迅速に発令した
こと.
2) ニューヨーク州,連邦緊急事態管理庁と密接に連携して,ニューヨーク市が今回の事件ではイニシアティ
ブを取ることに成功した.市当局が指揮を執るのは 1994 年のノースリッジ地震以来である.
3) 1995 年の地下鉄サリン事件を参考に,2001 年 5 月にバイオテロに対するコンピュータを使った机上訓練を
実施していた.さらに,事件当日の翌日の 9 月 12 日にも第 2 回目のバイオテロに対する訓練を実施するこ
とになっており,その準備がほぼ終わっていた.
4) ニューヨーク州のパタキ知事は,連邦政府などとの交渉を取り仕切り,ニューヨーク市の災害対応を円滑
にできるように支援した.それは,ニューヨーク州政府に対するもの,近隣の州政府に対するもの及び連
邦政府に対するものに区分されるが,法律上の支援策のみならず,緊急の予算獲得に多大の貢献をした.
5) ジュリアーニ市長は 13 日の会議で,新たなアシスタンス・センターの設立の必要性を認めた.これに平行
して,ニューヨーク市の長年の懸案事項であった市政府の e-Government 化を推進することを決定し,民間
企業のアクセンチュアなどの懸命のボランティア活動に支えられ,9 月 17 日の朝にオープンすることがで
きた.このセンターは面積が 11,700m2 あり,ここに必要なニューヨーク市,ニューヨーク州,連邦政府及
び民間団体の関係機関 20 以上が入居し,一元的な対応が可能となった.
6) 家族支援センター(Family Assistance Center)を OEM に開設した.これは 163 名死亡したオクラホマ連
邦政府ビル爆破事件の教訓からジュリアーニ市長が学んだもので,一種のワンストップ被災者センターで
ある.
7) しかし,
このセンターの発展的縮小も実現され,2001 年 11 月 23 日に一部が Disaster
Assistance Service
Center に移行し,2002 年 1 月 7 日にはダウンタウンへ,2 月 12 日にはミッドタウンへ移転した.
8) ジュリアーニ市長は,市民や被災者の家族との積極的な交流を組織的に実施した.たとえば,殉職した警
察官や消防士らの葬式や慰霊祭,鎮魂の礼拝に積極的に参加するとともに,グラウンド・ゼロで捜索活動
する作業員らの激励やヤンキース・スタジアム等で開催された各種イベントへの彼らの同伴を実行した.
いつも悲しみの市民の先頭に立ち,それをマスメディアにアピールした.その効果は義捐金や各種財団か
らの寄付金の増加をもたらせた.
9) これらの意思決定過程では,有能な側近がサポートした.たとえば,OEM のコミッショナーである Richard
Sheirer 氏はその一人である.彼らは,市長の黒子として活動し,決して表舞台に現れなかった.
このような意思決定過程はこれまでのところ大きな問題点は表れていない.しかし,幾つかの点で課題を残し
ていると言える.それらは次のようである.
1) WTC があったグラウンド・ゼロ地区は被災地となり,そこで約 2,800 名が犠牲になった.しかし,犠牲者
の家族の居住地は,ニューヨーク,コネッチカット,ニュージャージ州などの隣接地に広く分布している.
そのために,残された家族の種々の問題を,一箇所に設けた家族支援センターで扱うことになったが,家
族はことあるごとに足を運ぶ必要があった.ある程度の時間経過後は,規模の縮小と分散化を図り,長期
的な対応を可能とする態勢に変わることも必要であろう.この問題は,わが国の大都市で,ウイークデー
の昼間に災害が発生した場合にも同じことが浮上するはずであり,事前に対応方法を考えておかなければ
ならない.とくにわが国の自治体は住民を対象とした対策しか考えていないことがほとんどであり,職住,
学住間の距離が遠くなるにつれて看過できない問題となろう.
2) 都市における災害や事件の発生では,情報の取得や共有化が円滑な対応に結びつくと言える.WTC はテロ
のターゲットとなっていた(1993 年の爆破事件がそうである)にもかかわらず,ライフラインの集中など
135
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
脆弱な構造をもっていたことがわかる.このために,マスメディアの中継機能,携帯電話の中継基地とし
ての機能などが破壊されて,周辺の長時間にわたる都市機能麻痺をもたらせた.とくに,発電用の重油を
大量にタンクに貯蔵していたために,これが出火原因となって長時間にわたる火災が発生し,またそれが
第 7WTC の倒壊をもたらした.このことから,情報やエネルギーの過度の集中は,事件の発生可能性を大き
くし,一度被害が発生すると連鎖的に周辺地区に拡がるという特徴をもっている.したがって,ここでも
分散型の対応が望ましいと言える.情報の円滑な流通がなければ,素早い意思決定も生かされないことに
なるので,間接的ではあるが,情報の問題は極めて重要と言える.
5.
あとがき
ここで明らかにしようとした現地対策本部の条件や意思決定過程のあり方については十分な情報が取得できた
わけではない.とくに,キーパースンであったジュリアーニ前市長のヒアリングは是非必要と考えられる.短い
滞在期間中に,かつまだ教訓が整理されていない段階での調査結果であるので,今後の検討によって変わり得る
こともあることをお断りしたい.
考
察
研究成果のところでも指摘したように,大災害が発生し,かつ被害が時間的に変化しつつあるときに,どのよ
うな対応をすべきかについての知見は極めて少ない.今回の場合,テロという犯罪であることがわかるまでにか
なり時間を要し,それが結果的に救助隊員を含む人的被害を大きくしたことは否めない.そこで,原因が特定で
きない,すなわち誘因が不明な災害や事故,事件では,災害対応機関は可及的速やかに現場に駆けつけるという
これまでの鉄則を再検討する必要がある.現場に早く駆けつける必要性は,それによって被害軽減が期待できる
場合であり,そうでない場合には,早く現場に到着することは必ずしも最優先ではない.今回,消防隊は一切消
火活動ができなかった.そうであれば現場にいる市民の救助に必要な人員は大量でなくてもよいはずである.し
かし,これを実行するためには事前にそのような想定を行っておくことが必須となろう.
今回のテロ事件では,
「杞憂」という言葉は当てはまらないことがわかった.すなわち,被害に結びつくような
災害や事件,事故の起こり方を逆に解析するようなアプローチが必要であることを物語っている.これまで,災
害研究では最初に外力ありきであったが,これからは被害の起こり方から逆に,それを実現するための条件を見
いだす努力が必要となることを示唆していると言えよう.現地災害対策本部の設置位置や意思決定では,これを
支援する情報も不可欠であって,今後都市で発生する大規模な災害,事故,事件ではますます関連情報の取得,
解析,共有が重要となろう.
引用文献
[1]Kozo Aoyama(IPA, NY University)〔2002 年 2 月 25 日プレゼンテーション〕
[2]9月 11 日以降の New York Times などの現地の新聞記事
成果の発表
1)原著論文による発表
ア)国内誌(国内英文誌を含む)
発表者名:河田恵昭
発表題名:ニューヨークの同時テロ事件の教訓
136
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
発表誌名等:自然災害科学(投稿予定)
3)口頭発表
イ)応募・主催講演等
発表者名:河田恵昭
発表題名:ニューヨークテロ事件の意思決定の特徴
発表場所等:宮崎大学
会議名:第 21 回日本自然災害学会年次学術講演会
発表年月:2002 年 9 月 19 日(予定)
5)受賞等
受賞者名:河田恵昭
件名:兵庫県防災功労者表彰
受賞年月日:2002 年 5 月 15 日
137
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
2. グラウンドゼロ地域での災害対応過程の分析
2.2. 第一波災害後の情報の流れと人々の避難行動様式
日本赤十字九州国際看護大学国際保健医療学
喜多
要
約
悦子
災害後の情報と人々の避難行動様式
情報は、第一波衝撃直後から、CNN などメディアによって、全世界に流れたが、World Trade Center(以下 WTC)
内で、どの程度の受信がなされ、また、第一波での死を逃れたが、結局亡くなった被災者は、どのような認識で
情報を受け止めたかは、予期せぬ出来事でもあり、錯綜した避難への勧告などもあって、明確ではない。
最初の衝撃後、早期に、WTC コンパウンド内に存在したニューヨーク市緊急対応局(Office of Emergency
Management)スタッフにより、100 機関・組織への電話による警告が発せられていたにせよ、広大な WTC 全域に的
確な避難警報が配布出来たとは云えない。
一方、人々は、衝撃、ビル全体の振動、落下物、事務所など身辺の破壊、瓦礫の散乱、また、煙、粉塵、火災
熱など、何らかの身に迫る危険を察知したことから、避難行動を起こしている。
また、一部、特に WTC2(南)棟にいた犠牲者では、家族の電話など、外部からの情報で、避難行為を起こした
ものもいるが、その行動は緩やかであった。
これらから、このような予期せざる種類、予期せぬ規模の災害にあって、避難するかどうかの判断は、個人の
危機認識度によるものが大きいと思われる。
ただし、WTC2の犠牲者の中には、港湾局が「WTC2は安全だ」と通報したため、避難が遅れた人や、いったん、
避難した後、「事務所に戻ってもよい」との守衛(security guard)の言葉などを受け入れた人がいることから、
多数人が巻き込まれる大型都市災害にあっては、信憑性のある情報を、誰が、何時、何処で作成し、どのような
経路を通じて、何時、配布するかを、明確にする必要がある。
このような場合、断片的な情報に左右されることは当然であり、電話、e メイルなど以外の、外部からも信号も
必要であろう。
将来、個々の企業の危機管理のみならず、ビル全体の避難計画と実際の避難訓練が必要である可能性も生じる
かもしれない。
138
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
研究目的
WTC での経過を調査し、大型都市災害にあって、災害発生後、人々がどのような避難行動を起こすかを明らかに
し、将来に備えること。
研究方法
国内では、日本赤十字社の支援活動の実態を調査し、また、インターネットなどを通じて、事件発生当時の非
難状況と救援活動資料を収集した。
2002 年 2 月 24 日からの現地調査では、以下の各所で実地調査した。
①
ニューヨーク市立大学法医学部。
②
アメリカ赤十字大ニューヨ−ク支部(American Red Cross the Great New York Branch)
③
人々の避難行動様式の調査
1.
各所における聞き取り
2.
アメリカ赤十字が設置した避難所の視察、聞き取り
④
救援者の行動についての調査
1.
ニューヨーク市消防局
2.
その他の救援者
研究成果
2001 09 11 の状況
WTC 1(北棟 94‐98 階に航空機激突)または2(南棟 78‐84 階に激突)内から避難できた生存者の証言
1. 誰も避難のイニシアティブは取らなかった。(機が激突した北面からもっとも離れていた)非常階段 A は、防御
壁も炎上し、煙にまかれたが、もし、もっと早く避難していたら、避難路はよりわかりやすかったと思う。(WTC2
の衝撃階付近から脱出した4名<3名は 84 階、1 名は 81 階>の証言)。
2. 衝撃で一斉に倒れた後、ドアを打ち破り、何人かと階段部分に至ったが、そこは頭の無い死体や腕その他の
身体部分が散乱する修羅場だった。30 分かかって、地上に達した。20 階で、数名の救援消防士を見た(WTC
2 の 78 階の勤務者の証言)。
3. たまたま、作業中のバルコニーから、北棟への激突を見た後、直ちに避難した。75 階まで降りた時、南棟にも
衝撃があった。壁、天井、パイプなどが落下飛散。建物全体が激しく振動した(WTC2 の 98 階にいた大工達の
証言)。
WTC 1(北)または2(南)棟内から避難できなかった犠牲者の話(家族・友人への情報)
4. 衝撃後、到る所で火災発生、人々は椅子で窓を割って避難しようとしている・・・(WTC1の 103 階にいた犠牲者
と家族の対話)。
5. 一度、避難したが、残っている人を助けに戻ったらしい・・・(WTC1 の 78 階にいた犠牲者の家族)。
6. 9 時に、妻のかけた電話に対し、煙と火に囲まれ、事務所から出られないと話す(WTC 1 の 105 階にいた犠牲
者)
139
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
7. 直後に、煙が充満している事務所全体の惨状と救援を要する状況を、ロスアンジェルス支部に電話(WTC1の
101,103,104,105 階を占める企業スタッフ)。
8. 9 時 10 分に、妻に対し、自分は OK で避難すると電話(WTC1 の 84 階にいた犠牲者)。
9.
WTC1 に航空機激突直後、TV をつけること、自分のビルは大丈夫、パニックはないと家族に電話(1993 年の
WTC 爆破経験者で、WTC2 の 89 階にいた犠牲者)。
10. 友人と父に、自分は安全、後でまた電話すると。(WTC2 の 89 階の犠牲者)。
11. 直後、勤務中の妻に、「WTC2 は安全だと、港湾局がいっている」と電話。20 分後、再び、(妻の秘書に)電話中
交信途絶(WTC2 の 104 階にいた犠牲者)。
12. 直後に、妻からの電話で避難開始したが、WTC2 は安全との放送で、事務所に戻ったらしい・・・(WTC2 の 91
階の犠牲者)。
13. WTC1攻撃後、いったん避難したが、守衛(security guard)が「よい」といったため、事務所に戻った犠牲者
(WTC2 の 94 階に戻った、あるいは戻ろうとした犠牲者)。
14. 階下に航空機が激突後、自分は大丈夫、脱出路を探すと妻に電話(WTC1 上部階にいた犠牲者)。
WTC 内外の初期救援者の証言
15. 救援活動中にビルが崩壊し、ストレッチャー(キャスター付きタンカ)上の 5 名を放置して避難せざるを得なかっ
た・・・ (直後に WTC の近傍で、医療救援に当った陸軍予備役の証言)。
16. 轟音とともにビルが崩壊、真っ暗闇となった。消防士 50 名が救援活動中だったが、中に身体の一部をはさまれ
たものがおり、救出しようとしたが、次の崩壊で分らなくなった(南棟内で救援中であった消防士の証言)。
その他
17. 航空機が激突した階には、燃料があふれ火災が発生したが、上部階にいた者は、延焼防止が施された階段吹
き抜けを使って(激突した階の)下に避難可能。また、巨大換気扇による大量煙の吸引、自動防火壁も作動も
行われた。事件時、WTC 内にいたものの 80%は生存している(NY タイムス)。
アメリカ赤十字
18. アメリカ赤十字大ニューヨ−ク支部(American Red Cross the Great New York Branch、以下 ARC-GNY)の救援
活動の調査で判明したことは以下の通りである。
事件直後の活動と情報源
19. 事件発生当初、情報は錯綜したが、赤十字は、いち早く、グランド・ゼロ近傍を含む 3 ヶ所に shelter(避難所)を
設置、救援活動を開始した。
20. 同時に、the Great NY(GNY)支部で、情報収集と分析を行った。
21. これには、かつての WTC 爆破(1993))、サンフランシスコ地震(1994)、オクラホマ市庁舎爆破(1995)などの救援
経過が参考になったが、9.11 同時テロは、過去経験しのない性質、規模の都市災害であり、あらゆる面で予期
できない事態があった。
22. 数時間後、すべての情報源はメディアが主体となった。
140
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
人々の避難行動様式の調査
23. 事件直後に設置した 3 ヶ所の避難所では、被災外傷者数は予測より少なかった。
24. また、近隣居住者が多かったこともあって、約 2 週後には避難行動は沈静化し、いわゆる災害後の大規模避難
は、数日内に収束した。
25. したがって、2 週間後の活動は、復旧救援者支援に変更した。
26. ただし、遺体の見つからない犠牲者(行方不明者)の家族による調査活動は継続され
27. ており、その支援は長期間必要であった。
ニューヨーク消防局の救援者の行動についての調査
28. ニューヨーク市消防局によれば、旅客機の激突後、WTC2棟の倒壊はありうると考えたが、わずか十数分以内
という短い時間に発生することは予測し得なかった。 もし、それが予測されていたならば、救援活動の内容と
消防員の行為は異なったであろうとしたが、どのように、ついては見解がなかった。
その他 救援活動における困難
29. 全体会議、消防局関係者、NY 大学、アメリカ赤十字関係者などからの聞き取りで、以下の困難な状況が判明
した。
30. 4-1.予期できぬ種類、規模の災害であったこと。
31. 戦争ではない大規模都市災害の原因として、今回のような航空機を用いたビル攻撃
32. は、これまで想定されていなかった。
33. 4-2.事件直後の航空、通行管制によって、地方との交流が中断されたこと。
34. 事件現場付近の混乱を避けるための航空・通行管制はやむをえないが、NY 市以外からの救援者や専門家招
請の際、困難があった。
35. 4-3.膨大な支援金(200 機関から総計 13-16 ドル中、9 億が赤十字経由)の適正な活用。
36. メディアによる、さまざまな情報、案が報道され過大な影響があった。
考
察
教訓
アメリカ赤十字などから、今後と対応として、以下があげられた。
1. 大規模都市災害の対策のためのdatabase作成と通信用新技術導入の必要性。
例えば、航空機による都市上空からの襲撃、人為的大規模交通事故などを含め、あらゆるリスクを想定し、
必要な物資、技術、人材などの可能な database を作製すること、および単一手段に頼らない通信網を構築す
る必要がある。
2. そのためには、新たな技術の導入が必要である
3. 地方自治体、全アメリカ赤十字網内におけるテロ対策。
4. 地域指導者のテロ対策意識の向上
テロは、何時でも、何処でも、誰に対してでも、起りうる危険性のある人為災害であることから、不審な出
来事、不審な集団(人物)など、地域内の小さな異常事態を、事前に察知し、テロ発生の予防と災害軽減への
手段を講じられる意識改革が必要。
5. 救援には、陸・海・空軍、消防、警察、FEMA、宗教団体、NGO、地域ボランティアなど、多数機関の関
141
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
与があった。予期せぬ規模であったが、その調整はきわめて重要、今後の対策が必要。
通常、公衆衛生学または国際保健では、予期できない突発的事態によって、人々の生命、健康、治安が脅か
されることを災害と考えてきた。
災害には、地震・火山爆発・洪水・台風/ハリケーンなどの自然災害と、戦争・内戦などの人為災害にわけ
て、対応がなされてきたが、不適正な開発による干ばつ、元来、居住に適しない地域に居住することによって
増える台風や洪水、また、火山爆発の被災の拡大など、自然災害と人為災害の区別はあいまいとなってきてい
る。さらに、近年、大型オイルタンカーや原子力発電所の事故、また、テロや予測されうる巨大交通事故など、
災害対策は複雑化している。
本研究では、テロによって生じたビルの崩壊現場での情報と人々の避難の調査したが、将来、テロそのもの
への対応が必要と考える。
引用文献
1)FEMA World Trade Center Executive Summary, Findings, & Recommendations. 2002 05
2)American Red Cross Press Releases 2001 09 11 - 09 30
3)New York Times 2001 09 12 - 09 30
4)Etsuko Kita ed. Report of A Study on the Health and Prospective Medical Assistance for Affected
Persons. Research Report Supported by MOH, Government of Japan, Tokyo, 1996
5)喜多悦子。 新しい災害−人道的危機。 日本集団災害医学会誌 5:79−89, 2001
6)青山温子、原ひろ子、喜多悦子。開発と健康、 有斐閣、東京、2001
142
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
1.
事件時系列と被災者および救援の状況(2001.09.11)
時間はアメリカ東部時間
時
間
8:45
出来事
情報・救援と被災者状況
AA 機北棟(WCT1,110 階)北面 94-98 階部
分に激突,火玉発生,衝突階以下へのジェット
燃料流出,燃料噴霧,ビル炎上(衝撃は 410 ノ
ット相当).
通常,WTC 全体人口 58,000.事件時の正確な
滞在者数不明.
直後, コンクリートなど破損建材,ガラス破片その他
周辺に飛散. 衝突階当りから落下する人体/身
9:17
9:21
9:30
9:40
9:43
9:45
UA 機南棟(WTC2,110 階)東面 78-84 階部
分に激突,北棟同様の事態発生(衝撃は
510 ノット相当).
連邦航空局、NYC 地域全空港閉鎖
NYC 港湾局,NJ 州、NY 地区全橋梁・トンネル
閉鎖
ブッシュ大統領、テロ攻撃と言明
連邦航空局全米の航空活動停止
AA 機国防省に激突
ホワイトハウススタッフ避難
地上にも遺体, 受傷・出血などの怪我人.
WCT2 倒壊.炎上家具その他多量塵埃瓦
礫 WTC3・4,Cedar 通・90W 通などに飛散.
風圧大.WTC4 炎上始まる.付近のビル・車
両破壊あり南棟倒壊.火災による熱は 2000
度以上.
10:08
自動ライフル保持シークレットサービス、ホワイトハウス
前通りに配置
UA 機、PS 州ピッツバーグ付近に墜落
10:10
血者用の電話ライン 1-800-GIVE-LIFE
設置.
消防などの出動.
周辺 WTC ビルなど避難開始, ただし, 避難情
報は一定せず, 個人判断によるか?
直後の棟内避難開始の際, 消防士誘導あり.
熱に耐えかねた衝撃階以上滞在者, 窓から転
ミ ス ゙ リ ー 州 セ ン ト ル イ ス の the National
Inventory Management System(NIMS,
通称, Hub)稼動.
Crisis mental health counseling 提供準
備.
落.
衝撃階以上の 直後からの CNN 報道などの把
アーリントン支部 国防省外で救援活動開
握状況不明.
10:05
直後, 災害救援決定. 詳細不明なが
ら, NY 市での Aviation Incident
Response (AIR)Team 稼動決定*1.
The Great NY 支部, ワシントン首都支部
の救援経験者による現場活動開始.
献血 80,000 件提供の用意. 新たな献
体の一部など目視.
9:03
アメリカ赤十字
衝突後 56 分.
救出活動継続中.周辺の勤務者,自己判断によ
る避難開始.
始。
バージニア州アーリントン郡支部 トーマス・ジェ
ファソン地域センターに, 救援者と一般住民
のための休憩, 食料, カウンセリング用避
難所設置.
NY 支部 マンハッタンなど 3
地域に 12 避難所設置, 被災者・家族/
友人・救援者また目撃者への精神的支
援, 温かい食料飲料補給. 専門看護
師が NY 保健局と連携.
その他
NY 市 DOEM に通報.
DOEM 警察に カナル通以南交通と市
内全橋梁トンネル遮断要請.
DOEM FC と WTC に司令室設立合意.
DOEM 沿岸警備隊に港湾閉鎖,
NYOEM に捜査・救援チーム要請.
国防省 全空港閉鎖.
この間, WTC7 23 階の指令室から,
WTC と周辺の企業など 100 機関・組織
に警告(内容不明).
なお当司令室も 瓦礫飛来・煙などのた
め,直後に撤退決定.
DOEM, PO と,バークレイ通 75 の指令部に
て市長に合流.
司令部も被災.市長らヒューストン通/六番
街の消防署に退避.
DOEM ハドソン河から給水中消防艇へ
のガソリン補給指令,三番街/20 番通の消
防学校に緊急司令室設置.
DOEM 建設局に工学チーム派遣要請.
国防省外で, 2RC 救援車による食料・
飲料配布開始. 同所にて, カウンセリング
10:13
10:22
10:24
10:28
10:45
10.48
10:54
10:57
11:02
11:16
11:18
11:59
国連職員(本部・UNICEF など 11,700)避難
DC の法務省,世界銀行職員避難
連邦航空局 アメリカ向け航空機カナダに回避
決定
北棟倒壊.衝突後 1 時間 43 分.
膨大な破片・炎上家具・瓦礫 WTC3・5・6・7・
Amex ビルに飛散.5・6・7 炎上始まる.3 倒
壊.
体制準備.
ボランティア 交通要所で活動開始
衝突階以下の滞在者は倒壊までに避
難可(FEMA).
南北棟勤務者 2830,航空機乗客 157,救援者
343 名死亡
Rescue team 1, 2 全滅.
DC の全連邦ビルから避難
ペンシルバニアで、4 機目墜落
ペンシルバニア支部、災害対策チーム設置,
犠牲者と救援者への食事配布準備
イスラエル外交団避難
NY 州知事 全州事務所閉鎖
NY 市長 全市民自宅待機とカナル通り以南住民
の避難指示
CDC 緊急対応チーム準備と CNN 報道
AA WTC 北棟への激突機乗客乗員 92、国防省
墜落機 64 名と発表
UA WTC 南棟激突機乗客乗員 65 名と発表
DOEM:Director of Emergency Management, New York City.
PC:Police Commissioner, NY. FC:Fire Commissioner,NY.
*1:The Aviation Disaster Family Assistance 法 1996 は、犠牲者、家族、救援者の精神的支援に必要な対策を the National
Transportation Safety Board(NTSB)に要請できるが、NTSB は、全国的な mental health counseling program を持つアメリカ
赤十字に、これを要請した。
143
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
2. グラウンドゼロ地域での災害対応過程の分析
2.3. 犠牲者に対する医療及び法医学的対応
横浜市立大学医学部法医学教室
西村
要
明儒
約
米国世界貿易センタービルにおける同時多発テロ災害に対するグラウンドゼロ地域での災害対応過程の分析の
一環として、捜索・救助活動、救急医療活動、法医学的対応過程分析を行った。
①調査対象の選定
捜索・救助活動、救急医療活動、法医学的対応を行った組織としてニューヨーク市監察医務局、米国赤十字社、
ニューヨーク市消防局を選定した。
②現地災害対応組織でのグループディスカッションの実施
2 月 24 日から 3 月 3 日にかけて実施したニューヨークでの現地調査においてニューヨーク市監察医務局、米国
赤十字社、ニューヨーク市消防局を訪問し、当時災害対応に従事した担当者と研究チームで災害対応過程に関す
るインタビュー調査ならびにグループディスカッションを行った。
③わが国における問題点ならびに課題
②で得られた情報と我が国の現状を比較検討し、わが国の当該災害における救助活動、救急医療活動、法医学
的対応で予測される問題点ならびに今後の課題を以下の如く抽出した。
a.
法医学的対応
通常行われる人定方法に加えて DNA 鑑定が行われたが(身元判明した 724 人の 48.6%)、被害者の組織試料の焼
損、汚染が著しく、通常の犯罪捜査や親子鑑定で用いられる DNA 多型検出方法では対応しきれないことが判明し
た(DNA 鑑定を必要とする 2,040 人中 17.6%が判明したにすぎない)。焼損、汚染の著しい組織試料からの DNA 多
型検出方法の開発をおしすすめる必要がある。
b.
捜索・救助・救急医療活動
ビル崩壊前の避難誘導に携わった消防署員に対する二次災害防止のため捜索ロボットの開発が必要である。効
率的な捜索・救助活動を行うために衛星位置探査システムの導入を考慮すべきである。災害規模に応じた重機の
配備のために平時から関連業者との連携をとっておく必要がある。
c.
被災者家族対応
従来の旧態依然とした避難所設営、仮設住宅建設をやめ、恒久住宅完成までの間、ホテル、旅館などの宿泊施
設借り上げの可能性を検討すべきである
144
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
研究目的
本災害に対する救助活動、救急医療活動、法医学的対応に関して、警察消防、医療機関、法医学機関が行った
活動の実態を調査し、わが国での当該災害に対する備えの問題点を抽出し、今後の災害対応における重点課題を
明らかにすることを目的とする。
研究方法
①
傷者の捜索、救助、トリアージ、一次救急処置、後方医療機関への搬送など救助活動ならびに救急医療
活動に関して、負傷者数、それぞれの作業に携わった人数、受け入れ医療機関数などを調査し実態を把
握する。
②
個々の被災死亡者の被災状況、死因について調査するとともに、身元確認作業について、通常行われて
いる容貌、所持品、身体的特徴、歯牙治療痕、血液型、遺伝子鑑定などの手法のうちどの手法がどの程
度の割合で用いられたかを調査し、被災状況、死因と必要とされた身元確認方法比較検討する。
③
これらの調査を通して、わが国での当該災害に対する備えの問題点を抽出し、今後の災害対応における
重点課題を明らかにする。
(研究方法イメージ図(下図)参照)
市消防局
市警察
1.総負傷者数
1.総死亡者数
2.負傷者の捜索・救助・搬送の実際
2.負傷者の捜索・搬出の実際
3.捜索・救助・搬送に関わった人数
3.捜索・搬出に関わった人数
4.トリアージの実際
4.身元確認作業、方法の実際
5.トリアージに関わった人数
5.遺体安置所設営の実際
6.一次救急処置の実際
6.遺体の処置、埋火葬の実際
7.一次救急処置に関わった人数
市検死局
米国赤
十字社
1.個々の死亡者の被災状況
1.一次救急処置の実際
2.個々の死亡者の死因
2.一次救急処置に関わった人数
3.検死に関わった人数
3.後方医療機関への搬送
4.身元確認作業の実際
4.後方医療機関数
5.身元確認作業に関わった人数
5.予後
法医学的対応の実際、被災状況や死因と必要とされた身
元確認方法を比較検討し、実態を把握する
救急活動、救急医療活動の実態を把握する
わが国での当該災害に対する備えの問題点を抽出、
災害対応における重要課題を明確にする
研究成果
145
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
①調査対象の選定
捜索・救助活動、救急医療活動、法医学的対応を行った組織としてニューヨーク市監察医務局、米国赤十字社、
ニューヨーク市消防局を選定した。
②現地災害対応組織でのグループディスカッションの実施
2 月 24 日から 3 月 3 日にかけて実施したニューヨークでの現地調査においてでニューヨーク市監察医務局、米
国赤十字社、ニューヨーク市消防局を訪問し、当時災害対応に従事した担当者と研究チームで災害対応過程に関
するインタビュー調査ならびにグループディスカッションを行った。
③グループディスカッションの結果
米国世界貿易センタービルにおける同時多発テロ災害に対する救助活動、救急医療活動、法医学的対応に関し
て、警察消防、医療機関、法医学機関が行った活動の実態を調査し、わが国での当該災害に対する備えの問題点
を抽出し、今後の災害対応における重点課題を明らかにすることを目的として現地入りし、関係者に対して以下
の日程で聞き取り調査を行った。
2 月 25 日:総合ブリーフィングおよびオリエンテーション
2 月 26 日:ニューヨーク(NY)市監察医務局、米国赤十字社、
連邦緊急管理機構災害支援センターを訪問
2 月 27 日:連邦緊急管理機構被災地事務局、ニューヨーク市消防局
2 月 28 日:グラウンドゼロ地域、埋め立て地、災害地図センター
3 月 1 日:現地協力者、研究者ならびに行政関係者に対する研究報告シンポジウム
これらの調査のうち本稿では、犠牲者に対する医療及び法医学的対応を中心に記載する。
a.
犠牲者に対する法医学的対応
ニューヨーク市監察医務局では、市長からの「Identify all victims possible.(可能な限りすべての被災死
亡者の身元を確認せよ)」との命令を受け、The Chief Medical Examiner の「Test everything. Do everything on
everything.(あらゆる方法ですべてを検査する)」方針で身元確認作業ならびに死体検死業務を開始した。テロ
当日、直ちに、現場での部分遺体・所持品等回収班および法医生化学検査班の災害対策チームを編成し、postmortem
numbering system ならびに災害データベースを立ち上げた。遺体は 9 月 11 日午後 7 時 30 分頃に監察医務局に到
着し、モルグに保管された。
遺体の状態は、ほぼ完全な状態のものから様々な状態に焼損したもの、損傷の激しいもの、腐敗したもの、骨
や骨片、ミイラ化したもの等が認められた。これら人体あるいは人体の部分ならびに所持品に対して番号を付し、
災害家族支援センターで登録された、カラー写真、体の特徴を示すもの、髪の毛や指紋を採取する持ち物、出生
証明書、医療記録、歯科治療記録などと比較できるようにデータベース化を行った。
通常行われる身元確認方法は、容貌、身体的特徴(体格、手術痕、入れ墨、ピアスなどを含む)、着衣、所持
品、レントゲン写真(手術的に留置された金属ピン、クリップ、整形外科的特徴など)、歯牙治療痕、指紋、足
紋、血液型などであるが、これらのうちのいずれか 2 項目が一致するか、DNA 鑑定で一致するかを基準として身元
確認作業を行った。以下に、推定死亡者数および身元確認数の経時的変化を示す。
9 月 14 日
推定死亡者 4,763 人
身元確認
184 人
9 月 18 日
推定死亡者 5,422 人
身元確認
218 人
146
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
9 月 25 日
推定死亡者 6,347 人
身元確認
287 人
9 月 28 日
推定死亡者 4,620 人
身元確認
306 人
10 月 5 日
推定死亡者 4,974 人
身元確認
321 人
10 月 21 日
推定死亡者 4,764 人
身元確認 1,766 人(裁判所認定を含む)
11 月 25 日
推定死亡者 3,646 人
身元確認
443 人
裁判所認定 1,820 人
行方不明 1,383 人
12 月 2 日
推定死亡者 3,300 人
身元確認
462 人
裁判所認定 1,959 人
行方不明
879 人
1月1日
推定死亡者 2,937 人
身元確認
585 人
裁判所認定 1,972 人
行方不明
380 人
2 月 12 日
推定死亡者 2,841 人
身元確認
719 人
裁判所認定 1,925 人
行方不明
197 人
推定死亡者数が 9 月 25 日以降減少しているのは、初期には、1人の行方不明者に関して家族や友人、会社等、
複数から寄せられた行方不明情報の重複を考慮せずにカウントしていたのを後には同一人に関する情報が整理さ
れて重複が少なくなったためである。最終的に死亡者は 2,400 人程度になると予想されている。また、データベ
ースのすべての情報に関して、重複も含めた何らかの間違いが判明した場合は、もとの情報を残したまま修正し、
修正の履歴を明確にしている。9 月 24 日市長は、捜索救助活動は続けるが、保険金請求や債務延期、相続問題等
の関わる形式的手続きに必要な死亡診断書を、遺体がいまだ発見されていない犠牲者の家族が手に入れることが
できるよう配慮し、市が弁護士チームと協力して無料で必要な書類事務を行うシステムを立ち上げた。このため、
身元確認されたものよりもはるかに多くの裁判所認定されたものが計上されている。一方、死亡診断書を手に入
れるか、待つかは、犠牲者の家族の判断に委ねられたため、行方不明のままで登録されているものも数多く見ら
れる。家族の中には、死亡を信じたくない気持ちが強く、身元確認の手がかりの提供を拒み続けている者も少な
くない状況である。2 月 19 日までに約 2,400 人の行方不明者の内、724 人の身元が判明しており、その半数が DNA
鑑定によっている。以下に身元確認方法の比率を示す。
DNA 鑑定
48.65%
歯科治療痕、歯科レントゲン写真
26.52%
指紋
14.90%
所持品
4.27%
生前の写真
1.89%
容貌(家族、知人が確認する)
0.63%
入れ墨
0.31%
歯科以外のレントゲン写真
0.31%
その他
2.51%
当初は、現場で発見された人の組織と行方不明者として登録された個人の歯ブラシやヘアブラシ、下着の汚れ
等に残された細胞から DNA を抽出し、直接比較する計画であったが、行方不明の個人の細胞がうまく集まらず、
親族の DNA から推定する方法も行われた。また、初期は、ゲノムのイントロン部分の短鎖縦列反復配列(short
tandem repeat: STR)を用いていたが、火災、汚染などによる被災者の組織の損傷が著しく、容易に結論が出ない
ため、ミトコンドリア DNA(mtDNA)多型ならびに一塩基多型(single nucleotide polymorphism: SNP)と検出する対
象を増やして対応した。
一方、ニューヨーク市監察医務局は、災害対応を専門とする機関ではなく、日常的にレイプや殺人事件等の刑
事事件に関する法医鑑定を行っており、本災害においても被災死亡者の身元確認作業に平行して日常的な刑事事
件に関する法医鑑定を行っていたため完全に過剰状態になっていた。この状況を打開するため、調査時点では、
親子鑑定等の民事的な DNA 鑑定を行っている 2 つの会社に STR、mtDNA、SNP 各々の多型の検出のみを委託し、親
147
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
族 DNA からの推定ならびに行方不明者データベースとの照合作業をニューヨーク市監察医務局で行う方針で対応
している。
・短鎖縦列反復配列(short tandem repeat: STR)
1)
ヒトゲノムの中には 2∼5 塩基対の短い配列を基本単位とする繰返し配列が有ることが知られており、これ
を短鎖縦列反復配列あるいは直列型反復配列と呼ぶ。この STR 領域の多型はこれまでに約 400 の遺伝子座位
で報告されており、ヒトゲノムの遺伝子マッピングや遺伝子診断、人類学や集団遺伝学的解析等に応用され
ている。特に法医学的試料の場合、陳旧性試料では高分子の DNA を抽出することが困難であり、400 塩基対以
下の断片になってしまうことが多い。STR は比較的分子が小さいため、法医学的に応用されている。
・ミトコンドリア DNA(mtDNA)多型 1)
ミトコンドリアは独自の DNA およびタンパク質合成系を持つことが知られている。ヒトの mtDNA の長さは
16,500 塩基対の環状分子で、その全塩基配列は 1981 年に決定された。mtDNA は核の DNA とは独立した遺伝系
であり、遺伝様式も核とは異なり、高等生物では母性遺伝することが分かっている。また核 DNA より進化速
度が大きく、そのためにヒトにおいては種内変異が大きく、これは制限酵素(DNA を特定の塩基配列を持つ場
所で切断する酵素)による切断パターンの多型現象として現れる。鑑定に際しては数種類の制限酵素による
切断パターンを比較する。
・一塩基多型(single nucleotide polymorphism: SNP) 2)
ゲノム配列決定の進行に伴い、1 つの遺伝子で人によって塩基配列が 1 つだけ異なる場合があること明らかと
なってきた。これを一塩基多型と呼び、異なる部位を持つ遺伝子、異なる塩基の部位、塩基の種類等によっ
て現在約 300 万種類が発見されている。その中には疾患との関係や性格との関係を示唆されているものがあ
り臨床医学的に注目されているが、長い分子の DNA を抽出しなくても検出できるため、法医学的にも有用で
ある。
b. 犠牲者に対する医療対応
9 月 11 日、ニューヨーク大学ダウンタウン病院には、最初のタワーの崩壊後、1 時間半ほどの間に多数の負傷
者が搬送されたが、実数は判明していない。セントビンセント病院はグリニッジ・ビレッジ前の通りに治療用の
施設を設け、約 60 人の重傷者を含む 319 人の負傷者を治療した。45 人は消防士か警察官で、3 名が死亡した。
9 月 12 日、ニュージャージー州リバティーステートパークに約 1,700 人の負傷者が搬送され、600 人の重傷者
が入院、そのうち 150 名が重体であった。セントビンセント病院では、361 人が手当を受け、90 人が入院し、そ
のうち 61 人は重体、5 人が死亡した。ロウアーマンハッタンに治療待ちの負傷者を搬入するためのセンターがボ
ランティアによって設置され、何百人もの医療スタッフが待機したが、1 人の消防士が治療されたにすぎなかった。
ニューヨーク市内およびニュージャージー州の各病院は多数の医療スタッフをスタンバイさせて緊急治療室を準
148
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
備し、チェルシーピアのテレビスタジオは救護センターとして医療スタッフが待機したが負傷者は搬送されてこ
なかった。11 日 12 日の両日で瓦礫から救出されたのは 5 人であった。ベルビュー病院の精神科医は、PTSD の治
療のための準備を開始した。以下に災害医療支援チーム(医療スタッフ 190 人)を中心として行われた災害医療
受診者の累積数を示す。受診者のほとんどは警察、消防職員、現場作業員であった。
災害医療受診者累積数
9 月 30 日
5,574 人
11 月 1 日
8,853 人
11 月 15 日
9,310 人
11 月 26 日
9,518 人
12 月 5 日
9,518 人
日本赤十字社は、災害時には、直ちに医療班を被災地に送り込み医療援助を開始するが、米国赤十字社の主要
な活動は、避難所の設営と寄付金の収集であった。避難所は、我が国の体育館や公民館ではなくホテル客室の借
り上げであった。
ニューヨーク市消防ならびにニューヨーク市警察では、行方不明者の捜索とともに瓦礫撤去を担当したが、神
戸の震災に比べると瓦礫が非常に大きく、我々の想像より遙かに大きな重機を必要とした。クレーン組合が全米
に数台しかない超大型クレーンを直ちに準備して撤去作業を開始している。また、ビルの崩壊前に発生した火災
からの避難誘導中に消防隊員が 343 名死亡し、捜索活動および瓦礫撤去作業中に骨折 34 件、裂傷 441 件、眼への
被害 1,000 件以上、火傷 183 件、捻挫数百件等の事故が発生した。
考
察
ニューヨーク市長は、災害発生後、直ちにニューヨーク市監察医務局に対して「Identify all victims possible.
(可能な限りすべての被災死亡者の身元を確認せよ)」と命じている。我が国では、被災死亡者の身元確認作業
ならびに死体検案業務は、警察ならびに法医学関係機関にとって当然の業務であり、市長から改めて命令が下さ
れることはないが、被災後の不安を伴う市民感情を考慮すれば、市長の災害対策の方針を明確にするこの様な命
令は効果的に作用すると思われた。
身元確認作業では通常行われる方法に加えて DNA 鑑定が行われたが(身元判明した 724 人の 48.6%)、被害者の
組織試料の焼損、汚染が著しく、通常の犯罪捜査や親子鑑定で用いられる DNA 多型検出方法では対応しきれない
ことが判明した(DNA 鑑定を必要とする 2,040 人中 17.6%が判明したにすぎない)。DNA 多型性の検出を民間企業
に委託しているが、通常民間企業が行っている親子鑑定は、新鮮な血液を試料として行うため、今回のように焼
損、汚染の著しい試料を用いた検査に慣れていないと思われる。我が国でも個人からの委託で親子鑑定と同様の
方法で検査を行う企業が現れているが、災害死体の身元確認について対応できるのは試料の状態の良いものに限
られるであろう。何れにしろ、現状の技術では対応困難であり、今後、焼損、汚染の著しい組織試料からの DNA
多型検出方法の開発をおしすすめる必要がある。
捜索・救出活動に先立って、クレーン組合が全米に数台しかない超大型クレーンを直ちに準備して撤去作業を
開始している点は、官民の連携の理想的な形と言えよう。避難誘導中に 343 名の消防隊員が死亡し、捜索活動・
瓦礫撤去作業中に多数の事故が発生していることから、今後は、何らかのロボットを使った捜索、避難誘導シス
テムの開発が必要と思われた。
負傷者の治療については、阪神・淡路大震災と同様、医療機関による受診患者数の差が著しいものとなった。
被災地での限られた人的・物的医療資源の有効活用のためにも災害時のリアルタイム情報伝達が重要である。
149
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
米国赤十字は被災者の家族のためにホテル客室を借り上げ避難所として準備した。我が国の公民館や体育館と
いう発想からはかけ離れた印象があるが、仮設住宅の建設から撤去までに 1 軒あたり 400 万円の費用がかかるこ
とを考慮すれば、発災初期から復興恒久住宅の建設を開始し、2 年後に入居するならば、ホテル客室の長期借り上
げの方が経済的、かつ、地場産業の活性化の面でも利点が多いと思われた。
引用文献
1) 永野耐造、若杉長英、現代の法医学改訂第 3 版増補、金原出版、1998 年
2) 榊佳之、ヒトゲノム、岩波新書、2001 年
成果の発表
1) A. Nishimura, Report of group B: Disaster responses and immediate activities on ground zero of WTC
disaster, WTC symposium at Japan Society Auditorium, New York, USA, 1st Mar 2002.
2) 西村明儒、災害時救急体制について:震災の経験から、第 1 回岩手こころと形態学の集い、
花巻、2002 年 3 月 15 日。
150
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
2. グラウンドゼロ地域での災害対応過程の分析
2.4. 巨大都市災害における救助活動・ガレキ処理と情報収集
独立行政法人 産業技術総合研究所フィールドロボティクス研究グループ
小谷内 範穗、皿田 滋、森川 泰
要
約
今回の WTC ビルは 100m四方に満たない狭い地域だけが被災し、ジェット燃料火災によって、3000 名もの人命
と地下 10 階、地上 110 階分の瓦礫が積み上げられるという、これまでとはまったく異なる被災現場が出現した。
本課題では、ハザードの評価とそれを踏まえた現場での消火、救助活動等の災害対応活動の実態、ガレキ処理の
実態、警察と消防の連携を始めとする災害対応機関の情報収集活動の実態について調査・解析を行った。
聞き取り調査の結果、WTC 事件現場の瓦礫およびハザード状態、その後の瓦礫処理とともに、WTC 事件発生時や
救助活動時に於ける情報の収集や利用状況について様々な知見を得ることができ、災害時に於ける情報の重要性
を確認した。また、これらのことを踏まえて今後災害が発生した場合に状況を把握し迅速に救助活動を行う為に
はどの様なことが考えられるか検討した。
研究目的
WTC ビル崩壊現場では大都市中心の高層ビル群が破壊され、都市機能に大きな被害が生じた。これまでの災害は
面的に展開するものであったのに対して、今回の災害は比較的限られた面積の被災現場で重層的に被害が展開し
膨大な被害となっているために、救助等を大変難しくしている。特に救助活動における瓦礫に覆われた現場のハ
ザード状態の評価とその後の復旧のための瓦礫処理についてはこれまでに無かったケースとして調査を行う必要
があった。自然災害にしろ人為的災害にしろ災害発生時に消火活動や人命救助などが迅速かつ適切に行われる為
には、災害現場の状況把握が欠かせない。今回の WTC 事件についても同様である。そこで、今回のグランドゼロ
の救助活動などで、どの様な情報がどの様に収集され使われたか、実際に利用された情報の他にどの様な情報が
必要とされ、どの様に収集されれば有効に活用されることができたかについて調査を行った。
研究方法
以下の団体・現場から、関連資料の収集とヒヤリングを内閣府、京都大学防災研究所、日本赤十字九州国際看
護大学、横浜市立大学、国土交通省、国土交通省国土技術政策総合研究所、消防庁、独立行政法人消防研究所と
ともに行なった。
・
ニューヨーク市災害対策本部(OEM, NY; Office of Emergency Management, New York)
・
ニューヨーク市消防局(NYFD: New York Fire Department)
・
ニューヨーク市検死局(Office of Chief Medical Examiner, City of New York)
・
米国赤十字社(American Red Cross)
・
連邦緊急管理庁(FEMA)災害支援センター(DAC; Disaster Assistance Center)
151
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
・
ニューヨーク市緊急地図センター(EMC)
・
グラウンドゼロ WTC 崩壊現場(Ground Zero, WTC, New York)
・
スタッテン島瓦礫処理現場(Fresh Kills, Statten Island)
ヒアリングおよび調査場所の地図を図 2-4-1 に示す。最初の OEM 及び NYFD のヒアリングは、マンハッタン中央
の Grand Hyatt ホテルでセミナー形式で行い、検死局のヒアリングはグラウンドゼロに近いニューヨーク大学キ
ャンパスでやはりセミナー形式で行った。FEMA DAC と EMC はどちらもグラウンドゼロのすぐ近くにある現場に出
向いた。米国赤十字社は担当支局のグレーターニューヨーク支部ブルックリン支局を訪問した。
図 2-4-1. 調査場所
研究成果
1) 救助活動における瓦礫およびハザードの評価に関しては以下の調査結果が得られた。(担当:小谷内範穗)
・ハザードの評価とそれを踏まえた救助活動の調査
地上 110 階地下 6 階の超高層ビルを支えていた鉄骨群がジェット燃料で一部溶かされ崩落したので高圧の圧縮
破壊となり、結局ビルの跡地から生存救助された人はいなかった。事件当日にその周辺で崩れた瓦礫の下敷きに
なった人 5 名が救助されただけだった。また、ビル跡地ではジェット燃料が燃えつづけ千数百℃の地点もあり、
救助活動をできる現場ではなかった。崩落の粉塵が救助活動者の肺に悪影響を起こしている。
・警察と消防の連携に関する調査
基本的に火災現場では、回りを警護し関係者以外をシャットアウトするのが警察の役目で、現場に入るのが消
防という分担になっている。ただし、今回は携帯電話の中継アンテナがある WTC ビルが被害を受けたので現場で
は消防官、警察官の連絡が著しく困難であった。また、1993 年の WTC 地下駐車場爆破事件でも倒れなかったビル
が 1 時間で崩壊するとは誰も予測していなかった。この両方が消防隊員 341 人の犠牲を出した要因になったと考
えられる。
152
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 2-4-2. 崩壊直後の WTC グラウンドゼロ
[1][3]
・犠牲者に対する医療及び法医学的対応に関する調査
今回の犠牲者が完全な遺体で確認されたのはハイジャックされて最初に激突したアメリカン航空機の尾翼付近
の搭乗客のみで、その他はすべて人体部分か、むしろ肉片・骨片が大多数であった。従って、DNA 鑑定による身元
確認が大きな比重を占めた。2002 年 2 月 19 日現在、身元確認されたのは約 2800 人と言われる犠牲者のうち、約
153
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
1/4 の 724 人のみである。そのうち、約 40%が DNA 鑑定により身元確認されている。DNA 鑑定のみで身元確認され
たもの即ち他に手がかりが無かったものが全体の約 9%含まれる。26%が歯型判定であり、15%が指紋判定である。
ジェット燃料とビル崩壊の圧縮により人体部品も著しく損傷しており、従来の FBI 方式の DNA 鑑定では判別でき
なかった。そのため、バイオ企業にいくつかの新しい鑑定手法を開発させており、膨大な予算が使われた。資金
は FEMA から支援された模様であり、これからも資金提供は続くようである。
医療対応については、崩壊したビル現場からは結局生存者は発見されなかったことから、周辺で崩壊した瓦礫
にあたったり粉塵にまかれた人など非常に軽傷の患者の治療が多かった。その結果近くの医療機関が保険請求の
ための記録を取らなかったので大損害をこうむったとのことであった。
この状況からも事件直後および被災現場の壮絶さが想像される。
ID Statistics
Tatoos (0.31%)
Visual (0.63%)
Photo (1.89%)
Pers. Effects (4.27%)
Other (2.51%)
2/19/02
Body X-Ray (0.31%)
Prints (14.90%)
DNA Total (39.47%)
Dental (26.52%)
DNA Only (9.18%)
図 2-4-3. 検死監室での犠牲者の身元確認材料の統計
[2]
WTC Samples Received
Number Received
Total # Smpls - Tissue - Bone
16000
14000
12000
10000
8000
6000
4000
2000
0
09/19 11
26
13
26
Date
12
27
図 2-4-4. 検死監室に持ち込まれた犠牲者の身元確認材料の統計 [2]
154
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
Hair/Teeth/Skin/BM/Stains
Number Received
400
300
200
100
0
06
22
05
20
02
Date
19
31
図 2-4-5. 検死監室で身元確認された犠牲者の確認材料の推移 [2]
・災害救助主務機関(米国赤十字社)の対応
日本では赤十字社は医療・病院団体と思われているが、国際的には被災者救援のコーディネーションを行う団
体。米国赤十字社(American Red Cross)、Safe Horizon、救世軍(Salvation Army)の3非営利救援団体が支
援募金を被災者に配分する事務を行っている。FEMAの監督の下、一元的支援希望者の登録を行い、一時金は
赤十字社から、それが出るまでの家賃や公共料金の支払い(事件で職を失ったりしているので)支援などを他の
団体が行っている。受付のための外国語通訳のボランティアもいる。赤十字では、今回の大規模災害の処理を通
じて、これからは被災者データベース管理や支援管理のためのIT技術のようなハイテク装備が必要であると実
感したとのことであった。
赤十字も緊急避難所を最初崩壊したマリオットホテル・ワールドトレードセンターに設置していたが隣接する
マリオットホテルファイナンシャルセンターに移している。そこで避難者たちの応急処置などを行っている。
被災現場はこのように時々刻々と変化することも考慮しなければならない。
・グラウンドゼロの調査
現在はすでに地下 4 階まで瓦礫は取り除かれ、周りからは見えなくなっているが、回りを取り囲むビルのいく
つかに WTC ビル崩壊時に飛んだ鉄骨の直撃を受けた跡が残り、ビルが閉鎖されているようで今も痛々しかった。
図 2-4-6. 一般公開用デッキから見たグラウンドゼロ
2) 都市災害における瓦礫処理・土砂処理に関しては以下の調査結果が得られた。(担当:皿田滋)
・瓦礫処置の過程
155
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
WTC ビル崩壊に伴う瓦礫の総量は約 140 万トンと見積もられ、調査時点(2002 年 2 月末)において 120 万t、
約 87%の瓦礫が処理処分されており、全量の処理にはあと 2 ヶ月を要する見通しであった。
瓦礫処理は次の過程に分けられる。
(1)
グランドゼロ区域内での瓦礫処理
(2)
グランドゼロからの撤去移送
(3)
スタッテン島での処理
以下に各課程の概要を述べるが、調査時点ではすでに(1)グランドゼロ区域内での瓦礫処理はほぼ終了しており、
また、十分な調査を行うことができなかったのでここでは触れない。
・グランドゼロからの撤去
グランドゼロ地区からの瓦礫の撤去にはトレーラ型のトラックが用いられており、グランドゼロ地区からの出
入り口は南北にそれぞれ1カ所ずつ設置されている。グランドゼロ地区の西側は片側3車線のウエスト通り(West
St.)になっており、南北両方の出入り口はともにウエスト通りに設置されている。出入り口は計量、水洗などの
機能を備えたゲートになっており、グランドゼロ内で荷受けしたトラックはゲートにおいて計量されてから荷台
に網を掛け、タイヤ部分の洗浄を行ってから積み出し桟橋へと向かう。(図 2-4-7)北側の出入り口からの瓦礫は
北方約600mにあるピア25へと移送される。周辺の道路には粉塵防止のための撒水が頻繁に行われている。
なお、グランドゼロ地区周辺は発生直後に地上に敷設された仮設の電力線や通信線を地下へ埋設する工事が行
われており、作業が輻輳していた。
(a) グランドゼロ北側ゲート(West St.)
(b) ピア 25 へ向かうトラック
図 2-4-7. グラウンドゼロ瓦礫搬出現場
・スタッテン島での処理
マンハッタンから艀によってスタッテン島に移送された瓦礫は再度トラックに積み替えて処理場へと搬入され
る。処理場での処理の流れは以下のとおりである。
1)
金属の大塊を除去する。
2)
移設型の振動ふるいによって金属とコンクリートを分別するとともにコンクリートの粒度分別を行う。
3)
捜索のため瓦礫の検査を行う。
4)
埋め立て処分する。
各課程の概要は以下のとおりである。
1)
金属大塊の除去:鉄、アルミ、銅などの金属は再使用のためリサイクル業者へ引き渡される。調査時点にお
いては、ビルディング構造材の鉄骨等の大塊はすでに処理済みであり、エレベータ用モーターや変圧器から
156
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
と思われる銅・ケーブル類や1000台に及ぶ破損した自動車は別の場所に保管されていた。これらの内、
約200台は消防車、救急車である。(図 2-4-8)
(a) ケーブル類
(b) 破損自動車
図 2-4-8. 回収金属
2)
粒度分別:瓦礫の粒度分別は+8インチ、8~2インチ、2~1/4インチ、-1/4インチの4段階であ
る。瓦礫の大部分を占めるコンクリートは細かく破砕されており、多くは2インチ以下であった。また、セ
メントが分離してコンクリートの骨材のみとなっているものがかなりの量を占めておりビル崩壊過程で激し
い破砕作用を受けたことを示している。この工程で用いられている機器類、すなわち重機や振動ふるいは既
存の建設機械であり、操作員も民間の請負業者である。(図2-4-9)
図 2-4-9. 振動ふるいへの瓦礫投入
3) 瓦礫の検査:分別された瓦礫を少量ずつベルトコンベアに載せ、捜索員の目視によって瓦礫の捜索を行って
いる。ここで発見回収されるのは遺体、遺留品、証拠物件である。ベルトコンベアに載って移動する瓦礫を
凝視する作業は負担が大きいため30分交代で捜索を行っている。(図2-4-10)
157
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 2-4-10. 検査区域(捜査員はビニールテント内で検査を行っている。
)
4) 埋め立て処分:スタッテン島はもともと67年間使用されていた埋め立て処分場であった。捜索等の処理の
すんだ瓦礫は埋め立て処分される。
これらの中で最も重要な過程である捜索にはニューヨーク市警察(NYPD)と連邦捜査局(FBI)があたっている。
発見回収された遺体の断片は DNA 鑑定等によって被害者との同定が行われる。調査時点で 3,270 個の断片が発見
され 75 人の被害者の遺体の一部であることが同定された。また、遺留品についても同様にどの被害者のものであ
るか同定される。一方、証拠物件はテロ行為の事実認定を目的として行われている。
作業は1日 24 時間、3交代制で行っている。各方の作業時間は 12 時間であり、各方の作業時間は前後の方と
重複している。捜索員が石綿等の有害物質による汚染されることを防ぐため、瓦礫の目視探索を行う区域は処理
場のなかで区分されており、捜索員は白いオーバーオール、手袋、保護眼鏡、マスク等を装着しており、探索区
域から出るときにはシャワーで洗浄を行っている。便所等も区域内外にそれぞれ設置されている。
3)都市災害現場における情報収集に関しては以下の調査結果が得られた。(担当:森川泰)
・連邦緊急管理庁(FEMA: Federal Emergency Management Association)
FEMA では災害救助や復旧に於いて、様々な情報が収集され活用されていたが、特に地形画像と様々な情報を結
び付けたものが救助活動や復旧活動に利用されていたのが特徴であった。
一つは、グランドゼロ地域の被災状況や危険地域の解析の為に、リモートセンシングによる赤外線画像と衛星
写真の合成で作製された図 2-4-11 の様な画像で、災害現場の何処でまだ火災が起こっているかなどが一目瞭然に
分かる。この様な画像から火災などの被害状況の情報や2次災害を避ける為の危険地域に関する情報が得られて
いた。更に図 2-4-12 の様な数日毎に撮影されたグランドゼロ地域の衛星写真も利用されていた。この一連の写真
から WTC ビルの崩壊や火災の様子から瓦礫処理の進行状況まで多くの情報が得られていた。その他にも画像を中
心とした多くの情報が利用されていた。
158
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 2-4-11. 熱イメージ
[3]
・ニューヨーク市緊急地図センター(EMC: Emergency Mapping Center)
ニューヨーク市では、テロ事件発生以前より DEP (Department of Environmental Protection)の資金によりニ
ューヨーク市の各セクションが所有するニューヨーク市に関するデーターベースのフォーマットの統一など統合
が進められていた。これらのデーターベースは GIS (Geographical Information Systems)と言われるもので、NY
の地図や建物の図面などとそれに関連する様々な情報が結び付けられたものである。GIS は救助活動を行う上で非
常に有効な事前情報となりうる。しかし、このデーターベースがブルックリン地区に設置されており、今回の事
件発生時には電話回線を使うことが出来なくなった為に、マンハッタン地区のハンターカレッジにバックアップ
を設置するまで利用出来なかった。しかし、利用可能になった後は地下鉄などグランドゼロの地下の様子を把握
するのに利用されるなど有効に活用された。
事件発生後、グランドゼロ上空からの航空写真や赤外線カメラ映像等を定期的に取得し、グランドゼロ地域の
状況の時間的変化の把握も行われていた。図 2-4-13 はレーザースキャニングによって得られた災害直後のグラン
ドゼロ地域の3次元情報である。高分解能で測定されたデーターから高さにより色分けされた画像が作製されて
おり、崩壊した WTC の瓦礫や周辺のビルの様子が分かる。
図 2-4-12. 衛星写真
159
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 2-4-13. 3 次元解析図
考
察
1)被災地ハザードおよび瓦礫と救助作業に関する考察
これらの調査でわかったことは、防災対策システムは非常に大規模なシステムが必要で、行政機構の迅速な対
応を支えるものにいわゆる IT(Information Technology;情報技術)が非常に重要だと認識されていることである。
また、行政機構と非営利救援団体とが非常にシステマティックに組織されていることも大きな特徴である。
技術的な開発項目としての調査は、瓦礫処理現場は非常に過酷な作業を24時間体制で行われており、建設機
器の自動化などが貢献できるのではないかと感じられた。
グラウンドゼロ地域は現在地下 4 階まで掘り進み巨大な建設現場と化しているが、一般のビル建設とは逆に瓦
礫を運び出すロジスティクスとなっており、これらの情報管理や搬送管理も重要である。最初トラックによる道
路運搬が行われたが、リサイクル可能部品の横流しなどが起こったことや運搬作業の迅速化のために、現場近く
から船による直送体制へ変更し、厳重な管理を行っている。
通常は一般に非公開であるスタッテン島の瓦礫処理現場を見学できたことは非常に貴重な経験であった。
2)瓦礫処理についての考察
WTC ビル崩壊に伴う瓦礫処理の特徴は次のような点である。
(1)
140 万tに及ぶ大量の瓦礫はマンハッタン島の市街地区中央部の狭い区域に存在した。グランドゼロ付近
はビルの密集地域であるが前述のように、この区域の西側は6車線の大きな通りに面していたため、事
件後も南北からの接近が可能であり、瓦礫の搬出を含む物資の搬入搬出を容易にした。
(2)
被害者捜索、証拠物件発見のため瓦礫の全量を検査する必要があった。検査の性格から目視による検査
に頼らざるを得ず、膨大な瓦礫量を処理するためには 24 時間3交代制による検査態勢はやむを得ないこ
とであろう。
(3)
瓦礫は TWC ビル崩壊によるものなので、大部分がコンクリートと鉄骨で構成されている。瓦礫はビル崩
落の際、激しい破砕を受けており、グランドゼロ区域およびスタッテン島での瓦礫処理において破砕工
程を置く必要は無かった。
3)情報収集についての考察
FEMA や EMC では衛星や航空機からの画像を基に画像処理や情報の付加を行い,消防活動や復旧作業に利用して
いた.これらの情報は俯瞰的,時系列的に情報が得られ,グランドゼロ地域の状況や各種活動を全体的に把握す
るのに非常に有効だった様である.しかし,実際にこれらの情報を利用した様子を聞き取り調査してみると,GIS
などはまだ発展途上のシステムであることもあり,幾つかの問題点や改良の余地があったと思われる.
160
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
まず,GIS のような情報については,データーベースを利用するのに電話回線などを使用する必要がある為,今
回の様に電話回線が使用不能な状況に陥ると意味をなさなくなる.どの様に回線を確保するか,或いはどの様に
データーベースを配置しておくかの検討が必要である.また,通常の2倍と推測される通話数により電話回線や
携帯電話回線がパンクし,しかも崩壊した WTC に携帯電話の主要な中継アンテナがあった為に電話や携帯電話が
使用不能となったことから,災害発生後数時間にわたり市や州の職員が暗中模索しながら情報収集や伝達の手段
を捜すなどコミュニケーションに支障が出た.そして今回の事件では多くの消防士に犠牲者が出たが,2機目の
飛行機の激突直後にトランシーバーや携帯電話を通して下された退避命令が聞こえなかったことも犠牲者を増や
した原因であったとされており,情報伝達手段の確保は非常に重要である.GIS に含まれる情報に関しても,非常
時にはシンプルなマップが有効であったとか,携帯 GPS(Global Positioning System; 地球測位システム)によ
って犠牲者の発見場所をマッピングしておくと後の身元確認時に役立つ,セキュリティーの観点から情報の管理
体制の整備が必要などの話があった.より多くの有益な情報が,整理統合されていて扱い易いシステムになって
いることが必要と考えられる.そしてどこで災害が起こるか分からないので,機動性のあるシステム構成も必要
である.
FEMA で利用された様なリモートセンシングによる情報は非常に有効で,2次災害回避や復旧作業支援に利用さ
れたが,衛星を使用している為に解像度やデーター取得の時間間隔に制約があったと考えられる.この様な制約
を受けずにより多くの情報を収集出来,柔軟に運用することが出来るシステムもあわせて用意されていれば,よ
り安全により迅速に救助活動や復旧作業が行われていたであろう.また,瓦礫に閉ざされた場所や危険な場所な
どの局所的な情報は衛星によるリモートセンシングでは難しいので,機動性の高いハードウェアが必要である.
画像情報の他に粉塵による大気の汚染状態や有害ガスの有無なども重要な情報であるが,今回は主に人手によっ
て調査されていた.これらの情報についても迅速かつ正確にモニタリング出来るシステムが必要である.これら
の問題点を解決する手段の一つとしてロボット技術や情報技術を駆使したシステムによる情報収集が考えられる.
その他に情報技術については,赤十字などの団体が被災者支援を行った時にインターネットなどが積極的に利
用されたとのことであったが,被災者に関する情報をデーターベース化し一元的に活用するために情報処理技術
の高度化への要望があった.また,一般市民の情報入手手段としてはテレビやラジオであるが,多くの放送局は
WTC に中継アンテナがあった為に放送出来なくなった.今回は特殊なケースとも考えられるが,何らかの技術的な
事前対策が必要である.
以上のことから,この様な災害時には防災設備などハードウェアもさることながら,救助活動や復旧作業を円
滑に進める為には各種情報を収集し有効に活用するシステムの重要性が再確認された.
引用文献
[1]青山公三:「WTC テロ事件後におけるニューヨークの危機管理対応」、調査団総括セミナー、2002.
[2]Rober Shaler, Chief Medical Examiner’s Directive, Seminar of NYCME, 2002.
[3]Brad Gair, Tuesday, September 11, 2001 World Trade Center New York, New York, FEMA-1391-DR-NY,
Seminar in FEMA Disaster Assistance Center, 2002.
成果の発表
1) 小谷内範穗、皿田滋、森川泰:WTC ビル崩壊現場の瓦礫処理と情報収集、計測自動制御学会システムイン
テグレーション部門講演会(SI2002)、2002 年 12 月(予定).
161
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
2. グラウンドゼロ地域での災害対応過程の分析
2.5. 都市インフラの被害と機能への影響及び緊急対応の実態
国土交通省国土技術政策総合研究所都市研究部都市防災研究室
鍵屋
要
浩司
約
ニューヨーク・世界貿易センタービル(WTC)で発生した旅客機を使用した未曾有なテロ事件は、莫大な人的被
害を与えると共に、周辺地区を含む広範囲にわたって交通、エネルギー、通信等の都市インフラストラクチャー
にも壊滅的な損害を与えた。この災害は、わが国の都市においても十分起こりうるものであり、発災から復旧・
復興に至る過程は、都市機能が高密度に集積したわが国の都市防災の教訓にすべきものである。
そこで本稿では、テロ事件で被害を受けた都市インフラストラクチャーについて、被災から復旧までの過程に関
する報道情報を収集・整理して、都市インフラに関する災害時の緊急対応の実態と特徴を抽出し、わが国におけ
る対応のあり方について考察した。
研究目的
WTC ビル崩壊に伴う都市インフラ(交通施設・供給処理施設・通信施設)の被害状況と機能への影響および緊急
対応による復旧過程等について実態調査を行う。
研究方法
被災地周辺の都市インフラの整備・利用・被災状況に関する基礎的な情報を、現地調査におけるヒアリングや
報道情報、国内の関連企業・機関等から収集・整理する。
研究成果
1. 概要
ニューヨーク・世界貿易センタービル(WTC)で発生した旅客機を使用した未曾有なテロ事件は、莫大な人的被
害を与えると共に、周辺地区を含む広範囲にわたって交通、エネルギー、通信等の都市インフラストラクチャー
にも壊滅的な損害を与えた。この災害は、わが国の都市においても十分起こりうるものであり、発災から復旧・
復興に至る過程は、都市機能が高密度に集積したわが国の都市防災の教訓にすべきものである。
そこで本稿では、テロ事件で被害を受けた都市インフラストラクチャーについて、被災から復旧までの過程に
関する情報を収集・整理して、都市インフラの災害時における緊急対応の実態と特徴を抽出し、わが国における
対応のあり方について考察した。
取り上げた都市インフラは、交通施設として道路・トンネル・橋、地下鉄と鉄道、フェリー航路、空港につい
て、供給処理施設として電力およびガス・蒸気、水供給について、通信施設として通信(電話・携帯電話等)と
162
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
テレビ・ラジオ放送について、被災状況と機能への影響、緊急対応の実態を整理するとともに、同様な拠点災害
へのわが国の対応のあり方について考察する。
都市インフラの災害時における緊急対応の実態と特徴の整理にあたり、報道情報は各種都市インフラ別に時系
列的に配列した。なお、以下の各種都市インフラに関する報道情報の出典は、特記のない限り、資料[1]『WTC テ
ロ事件関連記事データ/資料、ニューヨーク大学行政研究所(青山公三氏提供)、2002』からの引用であり、図
版は資料[2]『青山公三:WTC テロ事件後におけるニューヨークの危機管理対応、WTC 調査団プレゼンテーション
スライド、2002』から引用したものである。
1.1. 建物被害の概要
図 2.5.1 の建物被害状況のように、本テロ事件により航空機が衝突した WTC1,2 を中心に 5 棟が崩壊、3 棟が部
分崩壊、11 棟が大破、37 棟が中破となっている。
図 2.5.1. 建物の被災状況
この WTC 地区は図 2.5.2 に示すようにバスタブ状の擁壁に囲まれた6層の地下構造を持っており、そこに地下
鉄や鉄道が乗り入れている。また、WTC1 の屋上には大型のアンテナが取り付けられており、放送や無線、携帯電
話のアンテナとして使われていた。また、47 階建ての WTC7 の低層部には、マンハッタン地区に電力・ガス・地域
冷暖房用の蒸気を供給している Con Edison(コン・エディソン)社の変電所が設置されており、これらの施設は
建物の崩壊とともに破壊され機能停止した。
163
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 2.5.2. WTC 地区の地下構造
1.2. 都市インフラ全般
図 2.5.3 に被災時の電力供給、上水、電話の機能停止範囲を示す。
図 2.5.3. 被災時のライフライン(電力・水供給、電話)の機能停止範囲
電力供給および通信の機能停止範囲が広範囲にわたっているのは、WTC7 に周辺地区に電力を供給していた Con
Edison 社の変電所および通信会社の Verizon 社の拠点施設があったためである。
立入り制限区域については、14 日までに Canal Street 以南にまで縮小する予定であるとした。また技術コンサ
ルタントが、ロウアーマンハッタンのインフラが構造的に元のままの状態であるかどうか検査していると述べた。
(9 月 14 日 NY Times)
ジュリアーニ市長は 15 日、フィナンシャルディストリクト東部に位置する企業は、明朝より建物への立入りが
できるようになると述べた。市はこの地域の企業向けに、電気、電話その他の公益サービスに関する情報や支援
164
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
策を提供する情報センターを 80 Pine Street に設置する。センターはコン・エディソン、ベライゾン、市機関の
代表によって運営される予定となっている。(9 月 15 日 NYC Press Release)
地域全体は、いまだに自動車の通行が閉鎖されているが、徒歩や地下鉄による限られたアクセスと市バスのア
クセスは土曜日(15 日)の朝から確保される予定であり、各企業は月曜日(17 日)からの仕事再開の準備がはじ
められるであろう。(9 月 15 日 NYC Press Release)
明日月曜日(17 日)から再開予定の Wall Street ビジネス。ワールドトレードセンター崩壊後 4 日目のファイ
ナンシャルディストリクトは、Canal St.の南・Broadway の東が火曜日(9 月 11 日)以来始めての開放となった。
交通機関の状況は以下のとおり。地下鉄、A ライン:Chamber Street 駅迂回、Broadway-Nassau 駅停車。4・5 ラ
イン:Wall Street 駅迂回、Brooklyn Bridge-City Hall 駅、Fulton 駅、Bowling Green 駅停車。J・Z ライン:Fulton
駅迂回、Broad Street 駅停車。トンネルが洪水のためダウンタウンでの運行を停止していた 2・3 ラインについて
は明日 17 日になる見込み。バスは M15 と M103 がファイナンシャルディストリクトで機能。フェリーもバッテリ
ー埠頭についている。ただし、一般車のファイナンシャルディストリクトへの乗り入れは禁止。
(9 月 16 日 NY Times)
ジュリアーニ市長は、16 日、明日 17 日からさらにロウアーマンハッタンのいくつかの地区を開放予定であると
述べた。詳細は以下の通り。スタッテン島のフェリーは通常どおり運航予定。ベイリッジでの無料コミューター
バスと、ブルックリンとロウアーマンハッタン間に特別無料フェリーサービスを設ける。市と民間は、ブルック
リンとスタッテン島からロウアーマンハッタンまで、ウォーターストリートとパールストリートに沿って停車す
るバスを運行する予定。(9 月 15 日 NYC Press Release)
企業や家主は、建物に入る前に、その空間が念入りに調べられ、安全が確認されていることを確かめることを
求められている。重要なポイントを記載したチェックリストは市のウェブサイト www.nyc.gov で入手可能。市は、
ロウアーマンハッタンの建物への入居を再開するすべての家主と企業に対し、チェックリストを完成させ、その
データを市へ送るよう求めている。(9 月 16 日 NYC Press Release)
9 月 17 日のウォール街再開により、カメラやビデオを持った何千人もの人々が現場近くまで訪れた。その整備
に NYPD 及び州軍が対応に当たっている。現場近くを訪れるものの中には、兵士に変装しバリケードに入ろうとし
た男性 2 名、女性 1 名が逮捕され、他にもボランティア従事者を装い食料の箱の中にカメラを忍ばせたり、消防
士に変装し潜り込もうとしたりした例もあり。(9 月 18 日 NY Times)
「ホットゾーン」として一般の立入りが禁止されている区域は、北は Chambers Street、東はブロードウェイ、
南は Rector Street そして西は West Street である。昨日(19 日)の時点で、市は今日にもブロードウェイまで
の立入りを許可する可能性を発表した。住民は NYPD などの先導付きで入ることを許されている。ただし、救助隊
員が働いている現場近くの建造物や公共の交通路への進入禁止はしばらく続く。ガス電気などの公共サービスが
機能しているか、居住用や商業用の建造物が構造的に安全であるか等も立入り禁止区域を決める際に考慮されて
いる。また、Sheirer 氏は、「我々は現場が観光名所となる事は望んでいない。」と述べ、旅行者などのやじ馬問
題も考慮に入れた。(9 月 20 日 NY Times)
市の担当者は、近い将来に規制が解除される見込みのないものもいくつかあると述べた。これは被災現場に近
い建物や通りは、現在緊急作業のために頻繁に使われているからである。Stuyvesant 高校とマンハッタン区コミ
ュニティカレッジは、10 月 1 日よりも早く建物が開放されることはないだろう。またブルックリン・バッテリート
165
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
ンネルとホーランドトンネルは無期限で閉鎖されている。(9 月 20 日 NY Times)
2. 交通施設
2.1. 道路・トンネル・橋
図 2.5.4 にマンハッタンへのトンネル・橋の交通規制状況を示す。また被災時からの WTC 周辺の交通規制の履
歴は図 2.5.5 のように段階的に規制が解除されている。以下に、道路・トンネル・橋の緊急対応の実態を、被災
時から概ね時系列的に示す。
図 2.5.4. マンハッタンへのトンネル・橋の交通規制状況
166
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 2.5.5. 交通規制の履歴
(左上:9 月 17 日、右上:9 月 25 日、左下 10 月 8 日、右下 10 月 29 日)
ウォール街は事件直後から閉鎖された。またジュリアーニ市長は事件直後、市民にロウアーマンハッタンから
避難するよう指示した。(9 月 11 日 NY Times)
ロウアーマンハッタンに通じる道路、橋、地下鉄は 12 日も閉鎖される予定。3 つの空港は早くとも午後 2 時ま
では閉鎖。リンカーン・トンネル、ホーランドトンネルは、非常車両を除き通行止めとなる。ジョージワシント
167
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
ン橋上段のニュージャージー方向、及びスタッテン島にかかる 3 つの橋の西方向の交通については再開される予
定。クイーンズ・ミッドタウントンネル、ブルックリン・バッテリートンネル及びトライボロ橋(マンハッタン支
線)は、マンハッタン方向のみ通行止めの予定。(9 月 12 日 NY Times)
地上交通については、市内に至るすべてのトンネルと橋、及び主要な高速道路(ウェストサイドハイウェイ、
FDR ドライブ、LIE の一部、NJ ターンパイクの一部など)がしばらくの間完全に閉鎖された。(9 月 12 日 NY Times)
バス路線は、Houston Street 以南のマンハッタン以外の地域で、事件直後も運行を続けたため、市民の救世主
となった。少しでも自宅の近くまでたどり着きたいという人々が何百人もバス停に並んだ。(9 月 12 日 NY Times)
ポートオーソリティは、昨日、ニュージャージー州からニューヨーク市内に至るすべてのトンネル、橋を閉鎖
した。今日もほとんどが閉鎖されたままで、いくつかの場所では大規模な交通渋滞が発生し、昨日以来マンハッ
タンから脱出していた住民の中には車で帰宅することができない者もいた。(9 月 12 日 NY Times)
ホーランドトンネルは閉鎖されたままだが、リンカーン・トンネルとクイーンズ・ミッドタウントンネルは通行
が許可された。またブルックリン橋、マンハッタン橋及びウィリアムスバーグ橋は通行禁止であるが、ジョージ
ワシントン橋は通行が再開された。(9 月 14 日 NY Times)
市交通局長 Iris Weinshall 氏は、ウォール街のビル郡のまわりに安全な歩行者用通路を確保し、立ち入り禁止
個所にバリケードをおくなどの作業をしていると話した。市はさらに、地下鉄やフェリー、バスまたは徒歩でし
か入れない区域に人々を誘導するため、矢印つきで「ウォール街」と書かれた金属プレートを 50 用意し、信号や
標識からぶら下げることにしている。(9 月 15 日 NY Times)
Weinshall 氏はまた、月曜にウォール街が立入り可能になっても、キャナルストリートから南には自家用車は入
れないこと、ブルックリン・バッテリートンネルは昨日と同じく月曜も、ブルックリンとスタッテン島からの通
勤客を乗せた直行バスだけを走らせること、また火曜日以来消えたままの信号の電気系統を復旧させる必要があ
ること、などを述べた。(9 月 15 日 NY Times)
昨日、マンハッタン橋とウィリアムズ橋は再開したが、ブルックリン橋は緊急用車両の通行に限定されている。
(9 月 15 日 NY Times)
明日月曜日(17 日)から再開予定の Wall Street ビジネス。ワールドトレードセンター崩壊後 4 日目のファイ
ナンシャルディストリクトは、Canal St.の南・Broadway の東が火曜日(9 月 11 日)以来始めての開放となった。
交通機関の状況は以下のとおり。地下鉄、A ライン:Chamber Street 駅迂回、Broadway-Nassau 駅停車。4・5 ラ
イン:Wall Street 駅迂回、Brooklyn Bridge-City Hall 駅、Fulton 駅、Bowling Green 駅停車。J・Z ライン:Fulton
駅迂回、Broad Street 駅停車。トンネルが洪水のためダウンタウンでの運行を停止していた 2・3 ラインについて
は明日 17 日になる見込み。バスは M15 と M103 がファイナンシャルディストリクトで機能。フェリーもバッテリ
ー埠頭についている。
ただし、一般車のファイナンシャルディストリクトへの乗り入れは禁止。
(9 月 16 日 NY Times)
ジュリアーニ市長は、16 日、明日 17 日からさらにロウアーマンハッタンのいくつかの地区を開放予定であると
述べた。詳細は以下の通り。スタッテン島のフェリーは通常どおり運航予定。ベイリッジでの無料コミューター
バスと、ブルックリンとロウアーマンハッタン間に特別無料フェリーサービスを設ける。市と民間は、ブルック
リンとスタッテン島からロウアーマンハッタンまで、ウォーターストリートとパールストリートに沿って停車す
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るバスを運行する予定。(9 月 15 日 NYC Press Release)
ワールドトレードセンターへのテロ攻撃後火曜日(11 日)以降封鎖されていたウォール街が再開され、ウォー
ル街中心及び周辺にはバリケ−ドが築かれ NYPD と州軍が警備に当たっている。ウォール街で働いている人々は、
バリケードに入るとき二種類の身分証明書(会社からの写真付きIDと運転免許書)を提示しなければならない。
(9 月 17 日 NY Times)
ウォール街の再開により、約一万人のニューヨーク市民がファイナンシャルディストリクトにおけるビジネス
に戻るだろう。マンハッタン南部の立ち入り禁止区域が、昨日まではウィリアムストリートに沿ってマンハッタ
ンを三角形に区切っている形となっていた境界線は 2 ブロック西のブロードウェイまで縮小される。境界線には、
金属製のバリケードや、NYPD の黄色のテープ、もしくはライフル銃を備えた州軍兵が 1 名立っている。(9 月 17
日 NY Times)
市は市民にマンハッタンへの車乗り入れをしないよう呼びかけた。キャナルストリート以南での車の運転の規
制に加え、幾つかの地下鉄、Path Train、橋やトンネルの使用不可により、市民の行動は制限されている。また
本日(17 日)より、ブルックリンからバッテリーパークへのフェリーの運行を開始する予定である。まるで 19 世
紀の通勤スタイルに戻ったかのようである。(9 月 17 日 NY Times)
ジュリアーニ市長は、セキュリティチェックポイントにより、何マイルもの交通渋滞をおこしている現状に対
応するため、明日 27 日から平日午前中のミッドタウン及びロウアーマンハッタンの 1 人乗車を禁止すると発表し
た。交通渋滞を引き起こしている原因は、一部閉鎖されている橋やトンネル、そしてロウアーマンハッタンの立
ち入り禁止区域などの交通規制によるものと、化学物質などによる第二のテロに備えたさらに厳重なセキュリテ
ィによるものである。1 人乗車禁止の地区は、シティの管轄下にあるすべてのイーストリバー側にある橋からマン
ハッタンの 62 丁目以南に入る車に適用され、時間帯は週日の午前 6 時から正午までである。タクシー、リムジン、
商業車については適用されない。また、マンハッタンの住民に関しては、適用されないが、ただし、規制時間内
にいったんマンハッタンをでて 1 人で戻ってくることはできない。(9 月 26 日 NY Times)
ジュリアーニ市長と市交通局(Department of Transportation)局長 Iris Weinshall 氏は、今日、マンハッタ
ン方向の交通を改善するための新たな計画の概略を説明した。1 人乗りの自家用車は一時的に 63 丁目以南のエン
トリーポイントで橋やトンネルを使ってマンハッタンに入ることを禁止される予定である。
この措置は 9 月 27 日、
28 日の午前 6 時から正午までであるが、計画の効果に対する分析を行い、それによって規制を延長すべきかどう
かが判断される。プレスリリースには規制内容の一覧表が含まれており、また自家用車はさまざまなポイントで
チェックされることが示されている。(9 月 26 日 NYC Press Release)
9 月 11 日以来、市交通局は以下のイニシアチブを実施してきている。
ベイリッジとサンセットパークの住民に対し無料コミューターバスを運行するとともに、サンセットパーク
からホワイトホールフェリーターミナルまで、平日の朝と夕方のラッシュ時に無料ブルックリンフェリーを
運航。
the South Street 桟橋までのアッパーイーストサイドフェリーの運行及び New Jersey Bus Drivers from
Liberty State Park of the South Street Seaport のためのフェリーサービス。
街路の交互駐車のルールを当面の間停止。
ロウアーマンハッタンのバス計画の作成
169
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
(以上、9 月 26 日 NYC Press Release)
ジュリアーニ市長は、木曜日、金曜日(26、27 日)に実施された 63 丁目以南の 1 人乗り自動車乗り入れ規制に
ついて、「自分の目で見たが、概ね上手く機能している。火曜日、水曜日に比べて、車は速く動いている。」と述
べた。またホーランドトンネルは、テロ事件後閉鎖されていたが、本日 15:00 より、マンハッタンからニュージ
ャージーに向かう方向のみ通行止めを解除すること、またウェストサイドハイウェイを利用するすべてのバスに
よりニュージャージーへのアクセスが再開されることが発表された。
(9 月 28 日 NY Times)
25 日火曜日、ジュリアーニ市長は平日の朝 6 時から 12 時まで、1 人しか乗車していない車のミッドタウン及び
ロウアーマンハッタンへの乗り入れ禁止を発表。27 日には、この規制をブルックリン橋、マンハッタン橋、ウィ
リアムバーグ橋及びクイーンズ・ミッドタウントンネルに拡大し、28 日朝からは、さらにリンカーン・トンネル
にも適用した。市交通局の報道官 Tom Cucola によれば、この新たな規制はほとんど問題を引き起こしていないよ
うである。テロ事件発生後、マンハッタンに乗り入れる車に対するセキュリティチェックを開始してからは、平
日の朝には激しい交通混雑が続いていたが、多くの通勤者は地下鉄、バス及び電車を利用したようだ、としている。
実際、NJ Transit の職員は、彼らの電車及びバスの乗客は 10%以上の伸びを示している。またロングアイランド
鉄道、メトロノース及び地下鉄についても、乗客数は予想を上回っている。ジュリアーニ市長は公共交通の利用
を呼びかけている。また市の職員に対し時差通勤をするよう要請した。NJ Transit は、ガーデンステートハイウ
ェイ沿いのジャイアンツ球場、PNC Bank Arts Center、及び NJ ターンパイク沿いの Vince Lombardi レストエリ
アに、パーク・アンド・ライドを開始し、マンハッタンへのバスを運行させる計画である。しかし自家用車通勤
者の反応は様々である。
(9 月 28 日 NY Times)
NY 市は昨日(28 日)、監視を強めていた市内のトンネルや橋に、これまで新たな攻撃を示唆する動きはなかっ
たと述べた。ワシントンでは、危険物や爆発物を運搬する運転免許証を不法に所持していたことで逮捕された 20
人について、新たなテロの可能性は薄いとの見方を示した。この 20 人の逮捕をうけて FBI は今週初め、全国にテ
ロの警戒を呼びかけていた。(9 月 29 日 NY Times)
市内の道路や橋、トンネルが混雑を極めていたことにより、朝 6 時から正午までマンハッタンの 62 丁目以南へ
入る車の一人乗りが禁止されていたが、28 日は車の動きはよくなっていた。地下鉄やバスでは、車を使わなかっ
た通勤客による混雑もおきなかった。(9 月 29 日 NY Times)
ミッドタウンとロウアーマンハッタンへ、平日朝に一人乗り乗用車での乗り入れを禁止していることについて
市は、交通混雑の緩和に効果があったこと、また今後もこの方針を維持することを昨日明らかにした。ジュリア
ーニ市長は、公共機関が「ロウアーマンハッタンへ行くには一番望ましい手段」であることを付け加え、マンハ
ッタンとブルックリンを結ぶフェリーが追加されたこと、ミッドタウンにあるポートオーソリティのバスターミ
ナルと、ガーデンステートハイウェイや NJ ターンパイク上のパーク・アンド・ライド地点を結ぶバスが走ってい
ることも説明した。規制の効果について、市長の側近は、金曜日にマンハッタン橋で 26%、クイーンズボロ橋で
38%、それぞれ交通量が減少したと発表した。特に混雑の激しかったクイーンズ・ブールバールでは、金曜日の
交通量は 93%も減少した。規制について、NYPD はマンハッタンへ入る橋とトンネルで、一人乗りの乗用車のみを
追い返している。ジュリアーニ市長は、これが新しい規制であり、知らない人も多いと予想されることから、違
反チケットはきっていないという。この規制が適用されているのは、ブルックリン橋、マンハッタン橋、クイー
ンズボロ橋、リンカーン・トンネル、そしてクイーンズ・ミッドタウントンネル。ホーランドトンネルは金曜日、
マンハッタンから外へ出る車線のみ通行可能となった。ブルックリン・バッテリートンネルは、緊急用車両を除
き、通行止めが続いている。(10 月 1 日 NY Times)
170
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
市は今日、事件後もっとも交通量が多くなると予想している。最初の週は 14 丁目以南のマンハッタンはほとん
ど立ち入り禁止で、その後はユダヤの休日がつづいていたが、今日からロウアーマンハッタンの学校や会社が開
くところも多く、ほとんどの労働者が出勤するとみられている。ジュリアーニ市長は混乱が起きないよう、会社
に勤務時間をずらすよう呼びかけた。MTA は今日からバス路線を追加し、地下鉄 1 番と 9 番が通らなくなったウォ
ール街をカバーする。また、バッテリーパークシティの北部地域の住民をのせて、リクターストリートからアパ
ートまで運ぶバスも走る。バッテリーパークシティの南部地域の住民についても、今日からシャトルバスが運行
される予定である。(10 月 1 日 NY Times)
副市長の Joseph L. Lhota は今日、カープール政策が導入されてからイーストリバーにかかる橋の交通量は大
幅に減ったと発表した。それによると、もっとも減少の幅が大きかったのはブルックリン橋で、9月 25 日から 65%
の減少があったという。今朝の段階では、次に減少があったのはクイーンズボロ橋で、30%、次がマンハッタン
橋の 27%、ウィリアムズブルグ橋は5%減少した。Lhota 氏は、「クイーンズ・ブールバールの渋滞はほぼ通常
並にもどった」と報告。現在はラッシュアワーの渋滞が Vandam Avenue まで続いているが、これは規制前と同程
度だという。クイーンズ・ミッドタウントンネルは通常午前 6 時ごろに交通量が増えるところ、午前 4 時ごろに
ピークがはじまっている。「交通緩和のため、社員に時間をずらして出勤させている会社等のおかげだ」と Lhota
氏。街路の交互駐車のルールは、月曜日(10 月 8 日)のコロンブス・デーまでは引き続き禁止される。その後は
週末に様子をみて、今後どうするか決定する。カープールは 62 丁目以南、平日の午前 6 時から正午まで、コロン
ブス・デーも含め引き続き実施される。「毎日様子を見て、施策の変更が必要かどうか検討している」(Lhota 氏)
(10 月 3 日 NY Times)
ポートオーソリティのスポークスマン Greg Trevor 氏は、マンハッタンへジョージワシントン・橋から入る車
両について、商業用トラックは上部へ、一般通勤客は下部へ誘導すると述べた。ふたつを区分することにより、
大型車両のチェックがラッシュアワーに与える影響が減ることを期待している。(10 月 7 日 NY Times)
市の警戒体制が高まる中、ニューヨーク市内への通勤手段は通常通り。地下鉄やバスは「すでに警戒体制にあ
るので、スケジュールへの変更はない」(NYC Transit)(10 月 8 日 NY Times)
昨日 10 日、市の交通局はブルックリン・バッテリートンネルのブルックリン方向に関してのみ土曜日午前 6 時
から再開する旨を発表。南向きの FDR Drive(マンハッタン東端の高速道路)からのみの通行が可能となる。また、
ロウアーマンハッタンの一部の交通規制解除については、
昨晩 8 時より Canal St.以南 Broadway を除いた Broadway
以東の全ての交通路が再開。週日は午後 8 時から午前 5 時、土曜日と日曜日は 1 日中通行可能となっており、週
日の午前 5 時から午後 8 時まではバス、タクシー、NYPD などの職員の車、商業車、またその地域に住んでいると証
明できる者以外は立入り禁止になる。テロ攻撃以降封鎖されていたトライベッカ地区では Canal St.以南 Duane St.
以北、Church St.と Greenwich St.との間において交通が再開されるが上記と同じ制限が適応される。また、9 月
19 日以降停止されていた街路の交互駐車のルールについても今朝より再開される。(10 月 11 日 NY Times)
平日の午前 6‐10 時の一人乗り車両マンハッタン乗入れ禁止政策が、マンハッタンの経済活動に悪影響を及ぼ
している。特に、駐車場経営をしているグループからの苦情がでており、経営者によると午前 10 時前までの収益
が大幅に減少しており、ミッドタウン周辺の駐車場経営の収益は 25%減少、ダウンタウン周辺では 70%減少して
いる。中には一部の駐車場を閉鎖しなければならなくなったケースや従業員を解雇しなければならないという事
態を引き起こしている。しかし、NY 市はこの一人乗車乗入れ禁止政策を渋滞緩和や安全性の面から今年いっぱい
171
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
まで引き続き行う予定であるとしている。この規制により、午前 6 時から午前 10 時までのマンハッタン乗入れの
交通量は 38%減少している。(11 月 26 日 NY Times)
2.2. 地下鉄・鉄道
地下鉄・鉄道の復旧状況(10 月 5 日現在)を図 2.5.6 に示す。また以下は被災状況と緊急対応に関する関連報
道を時系列的に整理したものである。
ペンシルバニア駅はわずかの間閉鎖されたが、午後 2 時にはロングアイランド方面のサービスに限定されて開
放された。グランドセントラル駅も一時閉鎖されたが、コネティカット方面及び州北部方面のメトロノース鉄道
が限定的に運行を再開した。ニューヨーク州パタキ知事は、地下鉄、ロングアイランド鉄道、メトロノース鉄道
では運賃を徴収しないよう指示した。(9 月 11 日 NY Times)
PATH 電車のサービスは、Hoboken、New Ark から 33 丁目まで運行する。ロウアーマンハッタンのサービスは当
面の間運休する。アムトラックは、ボストン、ニューヨーク、ワシントン間は通常どおり運行された。(9 月 12
日 NY Times)
MTA によれば、ロングアイランド鉄道、メトロノース鉄道は、12 日は通常どおり運行する予定。また NJ トラン
ジットは、鉄道については予定通りの運行を行う予定だが、バスについてはリンカーン・トンネルの閉鎖のため
運行本数を減らす予定とした。(9 月 12 日 NY Times)
NYC City Transit の報道官によれば、10 時 15 分、いくつかの地下鉄路線で停電が発生したが、その段階では
原因がわからなかった。10 時 20 分、ワールドトレードセンターの最初のタワーが崩壊した直後、NYC Transit は
すべての地下鉄サービスを停止した。(9 月 12 日 NY Times)
しかし、夕方のラッシュ時間までには、多くの電車は運転を再開した。午後遅くには、多くの地下鉄路線(F、
B、D、L、7、シャトル)で通常どおりの運転が再開されたが、いくつかの路線はミッドタウン以北のみの折返し
運転となった。(9 月 12 日 NY Times)
地下鉄路線のうち、2、3、N、R の各路線はツインタワーの崩壊後運転が停止されているが、水曜日の夜遅く、
FDNY は NYC Transit の職員に対し、4、5 号線も停止するように要請した。これは、この 2 つの路線からの振動に
より、ロウアーマンハッタンのいくつかのビルがますます脆弱になるからであった。NYPD は混乱をおさめるため
地下鉄の駅の構内に急行しなければならなかった。(9 月 14 日 NY Times)
月曜にウォール街が開いて何千人もの人々が通勤してくることに備えて、NYC Transit はロウアーマンハッタン
の地下鉄でどの駅を開け、どの駅を封鎖するか検討してきた。スポークスマンの Al O’Leary 氏は、「道路が封
鎖されたままのところの駅はもちろん開けられないし、どの道路が封鎖されたままになるかというのはうちの決
めることではない」と話す。昨日の時点では、4,5番路線の Bowling Green 駅と A 路線の Broadway-Nassau Street
駅だけを開けて、そこからそれぞれウォール街に誘導通路を設ける計画になっている。「あまり多くの駅をあけ
てしまうと、そこから人々を誘導する作業が煩雑になる」と Weinshall 氏。(9 月 15 日 NY Times)
地下鉄4番路線は昨日朝、ラッシュアワーよりも前にマンハッタン−ブルックリン間の運転を再開した。市長
によれば、NYC Transit は木曜日にテスト運転をして、地下鉄からの振動が周辺のビルに影響を与えていないこと
を確認したとのこと。A 路線は部分的に瓦礫が何千トンも埋もれているあたりの真下を通るが、通常ダイヤに戻っ
172
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
ている。(9 月 15 日 NY Times)
明日月曜日(17 日)から再開予定の Wall Street ビジネス。ワールドトレードセンター崩壊後 4 日目のファイ
ナンシャルディストリクトは、Canal St.の南・Broadway の東が火曜日(9 月 11 日)以来始めての開放となった。
交通機関の状況は以下のとおり。地下鉄、A ライン:Chamber Street 駅迂回、Broadway-Nassau 駅停車。4・5 ラ
イン:Wall Street 駅迂回、Brooklyn Bridge-City Hall 駅、Fulton 駅、Bowling Green 駅停車。J・Z ライン:Fulton
駅迂回、Broad Street 駅停車。トンネルが洪水のためダウンタウンでの運行を停止していた 2・3 ラインについて
は明日 17 日になる見込み。バスは M15 と M103 がファイナンシャルディストリクトで機能。フェリーもバッテリ
ー埠頭についている。ただし、一般車のファイナンシャルディストリクトへの乗り入れは禁止。
(9 月 16 日 NY Times)
NYC Transit の職員は、ロウアーマンハッタンの地下鉄 1 号線及び 9 号線のトンネル及び駅に関する被害は甚大
であり、1 マイル以上にわたり完全に再建設する必要がある事を明らかにした。彼らは、この地下鉄の再建設に関
する費用が、連邦から市に対して提供される 200 億ドルの中から支出されることを期待している。しかしその費
用の見込みについては、過小な見込み額を発表した場合のデメリットを考慮し、
明言を避けた。
(9 月 28 日 NY Times)
NYC Transit は 9 月 11 日、ロウアーマンハッタンの地下鉄のほとんどが使えない中、また 1 時間単位で状況が
変わる中でどう電車を動かすか、頭を悩ませることになった。翌週にかけて、ニューヨークの地下鉄地図は大き
く変わった。N,R 線が Chambers Street 以南で使えなくなり、また 1 番がキャナルストリートの南でつかえなくな
ったことで、3 番の運行を 14 丁目までとし、1 番はブルックリンへと運ばれた。ブルックリンでは、J,M 線が N,R
線にとってかわることとなり、通常ワールドトレードセンターまで行く E 線はブルックリンの Euclid Avenue ま
でとなり、クイーンズの N,R 線は Q,W 線にとってかわられた。(10 月 7 日 NY Times)
市の警戒体制が高まる中、ニューヨーク市内への通勤手段は通常通り。地下鉄やバスは「すでに警戒体制にあ
るので、スケジュールへの変更はない」(NYC Transit)(10 月 8 日 NY Times)
173
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 2.5.6. 地下鉄の復旧状況(10 月 5 日現在)
2.3. 空港
空港については、朝 9 時を少し回った段階で、FAA はニューアーク空港、JFK 空港及びラガーディア空港を閉鎖
した。このため、その後数時間にわたり、何千人もの乗客が宿泊先やバスを探して歩き回る事態となった。(9 月
12 日 NY Times)
空港については、FAA は事件発生以来、全米すべての空港での離発着を禁止していたが、今日の午後、空港及び
航空機のセキュリティ強化策の実施を条件に、テロ襲撃により着陸させられた飛行機に当初の目的地までの飛行
を許可した。(9 月 12 日 NY Times)
アメリカの航空網は、限定的、かつセキュリティが強化された形で 13 日、一般旅行客向けのフライトが再開さ
れた。しかし、通常どおりの生活を再開するのはそう簡単ではなかった。ニューヨークの 3 つの空港は、13 日午
前遅くに再開されたが、キャンセル便が相次ぎ混乱した。そして夕方には、JFK 空港及びラガーディア空港での容
疑者身柄拘束により、再び 3 空港ともに閉鎖された。(9 月 14 日 NY Times)
ニューヨークにある3つの主要な空港では、昨日また少しずつではあるものの運航を再開した。木曜日の夜、
空港の封鎖が解けてから数時間もしないうちに突然の再封鎖があり、少なくとも 10 人が尋問を受け、一人が逮捕
174
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
されていた。乗客の不安を治めるため、これら JFK とラガーディア空港で尋問を受けた人々は、偽造のパイロッ
ト証明証を持っていて逮捕された一人を除き、全員釈放された、と関係者は発表した。(9 月 15 日 NY Times)
2.4. フェリー航路
夕方のラッシュ時間には、フェリーが貴重な交通手段となった。The Circle Line tour 社と、New York Waterway
社は、保有する船を使って、マンハッタンからニュージャージー、クイーンズ、ブルックリンへの無料フェリー
サービスを開始した。The Circle Line tour 社の 6 隻の船に乗ろうとする何千人もの人々の列は、18 時には、42
丁目の埠頭から 50 丁目まで伸びた。(9 月 12 日 NY Times)
一方 New York Waterway 社は、24 隻の船すべてを使い、その一部は海上救急船としてロウアーマンハッタンの
埠頭に向かい、それ以外の船はマンハッタンから脱出する人々のためにフル稼働した。同社の Pat Smith 報道官
は、通常の 1 日の乗降客が 32,000 人のところ、この日の夜までにおそらく 200,000 人以上の乗客を運んだであろ
うと述べた。(9 月 12 日 NY Times)
平日の乗客が 63,000 人になるスタッテン島フェリーは運航を休止したままだが、ジュリアーニ市長は月曜には
フェリーも再開する予定であると述べた。(9 月 15 日 NY Times)
ジュリアーニ市長は、16 日、明日 17 日からさらにロウアーマンハッタンのいくつかの地区を開放予定であると
述べた。詳細は以下の通り。スタッテン島のフェリーは通常どおり運航予定。ベイリッジでの無料コミューター
バスと、ブルックリンとロウアーマンハッタン間に特別無料フェリーサービスを設ける。市と民間は、ブルック
リンとスタッテン島からロウアーマンハッタンまで、ウォーターストリートとパールストリートに沿って停車す
るバスを運行する予定。(9 月 15 日 NYC Press Release)
市は市民にマンハッタンへの車乗り入れをしないよう呼びかけた。キャナルストリート以南での車の運転の規
制に加え、幾つかの地下鉄、Path Train、橋やトンネルの使用不可により、市民の行動は制限されている。また
本日(17 日)より、ブルックリンからバッテリーパークへのフェリーの運行を開始する予定である。まるで 19 世
紀の通勤スタイルに戻ったかのようである。(9 月 17 日 NY Times)
9 月 11 日以来、市交通局は以下のイニシアチブを実施してきている。
ベイリッジとサンセットパークの住民に対し無料コミューターバスを運行するとともに、サンセットパーク
からホワイトホールフェリーターミナルまで、平日の朝と夕方のラッシュ時に無料ブルックリンフェリーを
運航。
the South Street 桟橋までのアッパーイーストサイドフェリーの運行及び New Jersey Bus Drivers from
Liberty State Park of the South Street Seaport のためのフェリーサービス。
街路の交互駐車のルールを当面の間停止。
ロウアーマンハッタンのバス計画の作成
(以上、9 月 26 日 NYC Press Release)
ニューヨーク・ニュージャージー・ポートオーソリティは、テロ事件以後、西 33 丁目へ続く PATH トレインの
混雑状況が非常にひどいことから、この交通渋滞を軽減するため新しいフェリーのサービスを開始する。現在、
バッテリーパーク東にフェリーの埠頭を建設する 300 万ドルの事業が終了したばかりであり、来週にはこのフェ
リーのサービスが開始される予定である。また、2 ヶ月後にはハドソン川のニュージャージー側に新しいフェリー
の埠頭を建設する 500 万ドルの事業が完成する予定である。この2つのフェリーサービスに必要とされた緊急費
175
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
用 800 万ドルは、交通渋滞の緩和や周辺地域へのフェリーサービス拡大のために割り当てられていた資本金 2,200
万ドルから出資されている。(10 月 26 日 NY Times)
パタキ州知事は、「ポートオーソリティが、スタッテン島とマンハッタン間を通勤する 20,000 人のスタッテン
島住民のために新しいフェリーサービスを開始する。その運営にあたり民間のオペレーターを求めるだろう。」
と発表した。このフェリーサービスにより、1 日 60,000 名以上の利用者が予想されている。ポートオーソリティ
は、埠頭や駐車場の設備を含むインフラの整備に 600 万ドルを支出した。(10 月 30 日 NYC Press Release)
3. 供給処理施設
3.1. 電力供給
電力供給は、崩壊した 47 階建ての WTC7 の下層部に設置されていた2基の大型変圧器が建物の崩壊と共に破壊
されて、周辺地区への電力供給が絶たれた。以下に機能復旧状況と Con Edison 社等の緊急対応の実態を示す。
第 7 ワールドトレードセンターの崩壊により、ロウアーマンハッタンのほとんどの地域に電気を供給していた 2
箇所の Con Edison(コン・エディソン)の変電所が潰れた。その地域一帯の何千人もの顧客が電気の供給を受け
られない状態である。ニューヨーク証券取引所などの大規模な顧客はそれぞれに一時的な電力システムを持って
いる。Con Edison は、いつごろ電力が再供給できるかに対して見込みを避けている。現在、850 名の作業員を派
遣し、20 マイル(32 キロ)のケーブルを敷設して一時的システムの復旧作業に取り組んでいる。通常、一時的シ
ステムを敷設する場合、ワールドトレードセンター地域の端を取り囲む様にして地上にケーブル線を敷くのであ
るが、ワールドトレードセンターの 2 ブロック北にある Murray Street にケーブルを敷くとなると、あまりに多
くの重機材がその上を通るため、地上にケーブル線を出すことができないのである。その代わりに、浅い溝を掘
らなければならない。穴掘りの作業員は 18 時間も遅れて現場に到着してくるという次第であった。また、ワール
ドファイナンシャルセンターの後ろにある港に沿って消防隊員がハドソン川から West Street へとホースを走ら
せているため、そのホースを避けて作業をしなければならないのと、バッテリーパークシティの Albany Street
には巨大なクレーンが道を塞いでいるためにシステムを設置することができないのである。作業状況は困難を極
めている。(9 月 16 日 NY Times)
Con Edison は 1,900 名の作業員をダウンタウンに派遣。20 マイル(32km)の予備の電気ケーブルを配置し緊
急の発電機を設置した。9 月 16 日現在、未だ 7,927 名の顧客が電気なしの生活を余儀なくされている。電話のサ
ービスを受けられない顧客は何名に上るかわからないとベライゾンは報告した。(9 月 17 日 NY Times)
北を Barclay St.東を Broadway、西を West St.そして南をマンハッタン南端によって区切った地域、1,800 の
顧客へのサービスを復旧したと Con Edison は発表した。18 日火曜日には同社はバッテリーパークシティのサービ
ス復旧作業を開始した。(9 月 19 日 NY Times)
3.2. ガス・蒸気供給
図 2.5.7 にマンハッタン地区の蒸気供給網を、図 2.5.8 にガス・蒸気供給機能停止範囲を示す。WTC 周辺地区の
ガス・蒸気供給は電力と同様に Con Edison 社が行っている。特に蒸気供給は 1882 年に当時ニューヨーク・スチ
ーム社として 800m の地下埋設配管によって 10 階建てのユナイテッド銀行ビルに行ってから 100 年以上の歴史を
持っている。[3]
176
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
WTC
図 2.5.7. 蒸気供給配管網[3]
図 2.5.8. ガス・蒸気供給停止範囲(9 月 30 日現在)
3.3. 水供給
図 2.5.9 に水供給の復旧履歴を示す。水供給機能の停止範囲は電力や通信等よりは比較的被害範囲は小規模で
あった。
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 2.5.9. 水供給の復旧履歴
(左:9 月 30 日現在、右:10 月 15 日現在)
4. 通信施設
4.1. 通信
通信施設の物理的損傷は、ワールドトレードセンター周辺の局地的なものにとどまっている。しかし、長距離
電話 3 番手のスプリント社は、ワールドトレードセンター地下のネットワーク中継施設が破壊されたため、ほと
んどの通話の迂回ルートを確保するまでの間、何千という通話が不通になってしまった。(9 月 12 日 NY Times)
テロ事件の直後、午前中のうちは、北東部の各州において、電話による通信が著しく困難であったが、この日
遅くには、ほとんどの電話がつながるようになった。主要通信会社は、これは物理的な損傷が原因ではなく、ネ
ットワークの混雑によるものだと述べている。この地域の通話会社最大手の Verizon(ベライゾン)社によれば、
正確な数字は分からないが、11 日の通話数は、平日の平均通話数(1 億 1,500 万件)の約 2 倍であったと推測す
る。長距離電話最大手の AT&T 社は、全国レベルで、長距離電話の通話数は午前中に通常の 2 倍となり、午後半
ばには、通常の 30%増に落ち着いたとしている。携帯電話の通話は、ネットワークの容量が通常の電話よりも小
さいために、通話混雑による影響をより大きく受けたとされている。一方影響が少なかったのは、携帯電話のテ
キスト通話(ショートメール)機能で、その理由は通話による利用容量が小さいことによる。
(9 月 12 日 NY Times)
Con Edison は 1,900 名の作業員をダウンタウンに派遣。20 マイル(32km)の予備の電気ケーブルを配置し緊
急の発電機を設置した。9 月 16 日現在、未だ 7,927 名の顧客が電気なしの生活を余儀なくされている。電話のサ
ービスを受けられない顧客は何名に上るかわからないと Verizon は報告した。(9 月 17 日 NY Times)
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
現在までの通信網の回復状況は悪くない。幾つかの電話会社が臨時の携帯電話の通信塔を運び入れ、緊急事態
の番号 911(日本の 110,119)のサービスには問題がなく、NY 住民が外へ掛ける為の長距離電話サービスにも異
常はない。事件後、Verizon では緊急用の電話に支障をきたさない様動いた。2,400 の予備のラインを市行政機関
に、900 本を州政府に、2,600 本以上を連邦政府や軍にまわした。電話線の復旧作業にあたっては、Verizon では
まず破壊現場の状況に対応しなければならなかった。140 West St.にある Central Switching Office では、ワー
ルドトレードセンター第 7 ビルの崩壊により 5 階分の瓦礫がビルの方に雪崩れ込み、また北側のタワーの鉄材も
降りかかかり、地下では水道管の破裂による浸水などによって予備の発電機が使用不可能になった。この影響に
より 175,000 名が電話を使えない状態になった。ロウアーマンハッタンで企業に使用されていた 350 万本のケー
ブルにも被害があった。インターネットプロバイダーの Earthlink では 14 日金曜まで 7,000 名の顧客へのサービ
スが行えなかった。停電により、AT&T では World Financial Center にある電話交換機を作動することができな
かった Verizon と AT&T ではワールドトレードセンターの地下に光ファイバーケーブルで情報を送信する為の精
巧な機材があると言っている。作業中の事故については、2 人の技術者を含め 6 人の Verizon 作業員がワールドト
レードセンター倒壊により亡くなっている。(9 月 20 日 NY Times)
ワールドトレードセンターの倒壊を受けて壊滅状態となった Verizon の通信ネットワークは、West Street にあ
った 32 階建てのビルの地下にある中継基地が浸水した。Verizon は当日、市庁舎と 1 Police Plaza を最重要課題
とし、電話線をひき始めたが、翌日には Police Plaza はあまり機能していなかった。FBI は Verizon から、中継
基地が浸水し、ロウアーマンハッタンの電話が使えなくなるとの報告を受けて、オフィスを West Side Highway
のガレージへと移した。水曜午後までに、FEMA は FBI と CIA の通信を、軍事衛星を使ってつなげた。木曜日(13
日)、Verizon は Pier92 におかれた市の緊急指令センター(ECC)へ 350 回線と 25 の高速インターネット通信回
線をつなげた。その週の終わりまでに、18,000 の緊急回線が市内にひかれた。株式市場は回線の 20%とデータコ
ネクションの半分を失っていた。15 日土曜日に株式市場は再開の準備ができたと発表された時点で、電話回線の
準備はまるでできていなかったと Verizon は話す。取引量をまかなえるだけの電話回線が準備できたのは、財務
長官 O’Neill 氏が取引再開の鐘を鳴らす 2 時間前だった。(10 月 8 日 NY Times)
テロ事件から 2 ヶ月あまり経過した現在も、チャイナタウンの多くの人々(ビジネス団体を含む)は電話サー
ビスの復旧を待っている。電話回線が使用できないために、まだ復旧作業が終わってない地域でビジネスをして
いる経営者の中には、クレジットカードが使用できないために顧客が大幅に減少し経営状態の悪化に苦しんでい
る。(11 月 21 日 NY Times)
4.2. テレビ・ラジオ放送
通信施設の物理的損傷は、ワールドトレードセンター周辺の局地的なものにとどまっている。しかし、長距離
電話 3 番手のスプリント社は、ワールドトレードセンター地下のネットワーク中継施設が破壊されたため、ほと
んどの通話の迂回ルートを確保するまでの間、何千という通話が不通になってしまった。(9 月 12 日 NY Times)
ワールドトレードセンタータワーに中継アンテナを持っていた多くのラジオ局、テレビ局のうち、いくつかは、
エンパイアステートビルを経由するバックアップシステムに切り替えることができた。しかし多くのテレビ局
(ABC、NBC、FOX と提携するローカル局を含む)は電波を届けることができなくなってしまった。ケーブルテレビ
の契約者はこれらのテレビ局からの信号を受信できたが、地上アンテナを用いている地域の世帯のおよそ 30%で、
これらのテレビ局の放送を受信できなかったと推定されている。主要テレビ局では CBS のローカル局だけが、エ
ンパイアステートビルへの切り替えにより、通常どおりの放送を行うことができた。(9 月 12 日 NY Times)
179
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
テレビ放送ネットワークと多くのケーブルチャンネルでは、ニュース番組、娯楽番組を問わず、通常のスケジ
ュールを破り捨てた。24 の新聞社が号外を出し、ウェブサイトは広告を投げ出し、時には、処理能力を超えてア
クセスが集中しているサーバーでもニュースのニーズに応えられるよう、テキストと静止画像だけを用いてニュ
ースが提供された。(9 月 12 日 NY Times)
昼 12 時までに、主要 4 大ネットワークはビデオ映像の共有に合意。午後半ばまでに、TBS や TNT など、AOL Time
Warner 系のほとんどすべてのケーブルチャンネルは CNN を流していた。Viacom の CBS News は、Viacom の music
channels、VH1、MTV で放送され、Peter Jennings の ABC News は Disney の ESPN channel とすべての ABC ラジオ
局で放送された。普段は激しく競い合っている各放送局と CNN のニュース部門の間でビデオ映像を共有すること
について、Fox News 社社長の Roger Ailes は「すべてのネットワークが、これは国家の非常事態だと判断した結
果だ。今日は損得勘定をしない。」と述べた。またコマーシャルを提供する多くの商業広告スポンサーも同様に
この日は損得勘定をするのをやめた。(9 月 12 日 NY Times)
WABC と WNBC の電波を送るアンテナがタワーの崩壊とともに破壊されたため、ラジオ局の放送は通常よりも大き
な役割を与えられた。ニューヨーク市民のうちケーブルテレビに接続されていない約 30∼35%は、エンパイアス
テートビルにアンテナを持つ WCBS のテレビ放送しか見ることができなかったからである。(9 月 12 日 NY Times)
考
察
WTC 地区のような都市機能が高密度に集約・拠点化された空間は、わが国にも多数存在している。そしてこの災
害のように都市の機能中枢がピンポイントで被災して機能停止すれば、社会基盤全体に深刻なダメージを与えう
ることが容易に想像できる。
そこでこのような新たな性格の都市型災害への対策を講じる必要性があろう。その工学的アプローチには、様々
な問題が複雑に絡んでいるので、米国のような関連各方面の連携[4][5]が必要不可欠であろう。
今後の研究の展開として、わが国における既存の地域防災上の課題を検討するためのアプローチとして、WTC 周
辺地区の空間構造(物理的・社会的占有・利用形態)に起因する被災・応急対応・復旧状況・危機管理の特性を
分析して、広域災害を対象とした既存の地域防災について、今回のような新たな都市型拠点災害にも対応可能な
都市防災ガイドラインの提案等が考えられる。
引用文献
[1]
青山公三:WTC テロ事件後におけるニューヨークの危機管理対応、WTC 調査団プレゼンテーションスラ
イド、2002
[2]
WTC テロ事件関連記事データ/資料、ニューヨーク大学行政研究所(青山公三氏提供)、2002
[3]
尾島俊雄:地域冷暖房(早稲田大学理工総研シリーズ1)、早稲田大学出版部、1994
[4]
Federal Emergency Management Agency: World Trade Center Building Performance Study: Data
Collection, Preliminary Observations, and Recommendations, 2002
[5]
LEARNING FROM URBAN DISASTERS National Science Foundation Response and Opportunities for Future
Research Workshop (Workshop Materials), Institute for Civil Infrastructure Systems, New York
University, 2001
180
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
成果の発表
なし
181
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
2. グラウンドゼロ地域での災害対応過程の分析
2.6. 救助体制の確保と救助技術の分析
総務省消防庁救急救助課
大ヶ島
要
照夫
約
消防関係者への調査及び関係資料の収集整理からみた特徴的な実態として、高層ビルの崩壊が予測できなかっ
たために、類をみない多くの消防隊員が二次被害すなわち建物の崩壊により殉職したこと、また、このことによ
る消防活動体制の再構築への影響、例えば指揮命令系統の喪失や無線機の多くを失うなどの影響を把握した。ま
た、ヘリコプターによる救助活動の実績がなかったことや救助犬による救助活動の今後の課題を把握した。
研究目的
米国における WTC テロ災害は、消防がこれまで経験したことがない多数の消防隊員への二次被害の発生及び救
助体制の再構築等の課題に直面した。この調査は、テロ災害が発生した直後からのニューヨーク市消防局を中心
とする消防活動の実態について調査し、日本の消防における救助活動の参考とすることを目的として実施した。
研究方法
2002 年 2 月 25 日(月)∼2 月 28 日(木)までの間、ニューヨークの市消防局を含む関係行政機関及び研究者
等からブリーフィング又は質疑応答形式による聴き取り調査を行なった。
引き続き、帰国後、関係資料を整理し、聴き取り調査結果とを合わせてとりまとめた。なお、今回の調査日程、
調査活動の制約等のため、ニューヨーク市消防局の調査については、限られた聴取結果に基づいた内容であるこ
とをあらかじめお断りしておく。
研究成果
(はじめに)
調査時点においては、依然として救助活動を含む消防活動が継続中であったため、救助活動全体についての報
告書等が作成されていない状況にあった。したがって、調査先の説明者ごとにあるいは説明資料ごとにその内容、
データが異なっている面がみられた。
①
米国における消防体制
・ 米国における消防の体制は、ニューヨーク市のような大都市には公設の消防機関があるが、多くは消防団が
中心的役割を担っている。基本的に、州の機関は市・郡の消防に対する技術的支援や広域災害時の各市・郡
182
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
間の調整を行なっている。さらに連邦政府はこれらの州・郡・市の諸対応を支援する立場である。
・
連邦危機管理庁(以下、FEMA)は、大規模な地震等で捜索・救助活動の支援を行なうため、消防機関の特別
に訓練された救助隊、すなわち都市捜索・救助活動タスクフォース(Urban Search & Rescue:(US& R、
平時は郡市の消防機関に所属)に対して出動を要請し、現地に派遣する体制を有している。全米に28消防機
関が登録されている。
②
ニューヨーク消防の体制
・ ニューヨーク市消防局は、Office of Mayor(市長室)という市長の直轄部局の一つであり、ほかに市警察、
捜査局等がある。
・
FIRE DEPERTMENT OF NEW YORK -AN OPERATIONAL REFERENCEによるとニューヨーク市消防局(以下、FDNY)
の組織は以下のとおりである。
ニューヨーク市を9の方面に区分し(Division)、それぞれに大隊(Battalions)を配置し、各大隊ごと
にポンプ隊(Engine)及び分隊(Squads)、はしご隊(Ladders)、特殊部隊(Special Units)が配属され
ている。
・ マンハッタンには、南(South)、中央(Central)の方面(Division)があるほか、ブロンクスに2、スタ
ッテンアイランドに1、ブルックリン2、クイーン2となっており、配属の部隊は476部隊、消防隊員
(Firefighter)は11,500人である。
③
テロ災害の概要
・ WTCテロ災害の被害者数は、10月25日付けニューヨークタイムスによれば死者・行方不明者は全体で約5,000
人。うち1,766人の遺体や遺体の一部が発見されていると報道された。しかし、その後、重複集計が整理され、
検死官事務所(Office of Chief Medical Examiner)において聴取した結果では、2002年2月26日時点で2,780
人が死亡又は行方不明であり、740人の遺体について身元確認ができているとしている。2002年5月に公表さ
れた米国国務省の報告書「Patterns of Global Terrorism 2001」(May 22,2002
U.S.Department of State)
によれば、WTCの現場では、消防隊員を含む3,000人を超える人々が死亡したとの内容が報告されている。な
お、日本人の犠牲者は、WTCビルの現場では22人、そのほか、航空機に搭乗していた日本人2人を含めると24
人(外務省邦人保護課による)となっている。
・
WTCビルにおけるテロ及び人的被害の概要については以下のとおり把握したが、特に負傷者等については十
分なものではないと考えられる。
(WTC1(ノースタワー))
・
5人のテロリストがハイジャックしたボストン発ロスアンゼルス行きのアメリカン航空11便がWTCのノー
スタワー93階から98階に突入したのは、8時46分であり、10時28分に同ビルは崩壊した。
・ 92階以上にいた人々、約1,400人は全員死亡、下層階においても約70人が死亡。一方、4,000人以上が避難し
ている。
(WTC2(サウスタワー))
・
5人のテロリストがハイジャックしたボストン発ロスアンゼルス行きのユナイテッド航空93便がWTCのサ
ウスタワー78階から84階に突入したのは、9時05分であり、ノースタワーより早い9時59分に崩壊した。
・ 78階以上にいた約600人が死亡、避難できたのはわずかであり、78階以下でも死亡者が発生している。一方、
2000人∼3000人台の人々が避難した。
183
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
(負傷者等)
・ ニューヨークタイムス(01年9月12日)によれば、約2,000人の負傷者がハドソン川を渡ったニュージャージ
ー州のリバティ・ステートパークに搬送された。また、重傷者約600人が、マンハッタン内の病院に入院した。
このうち約150人は重体だとニューヨーク市長が発表したとしている。また、マンハッタンのSt.Vincents
Hospitalの報道官は、361人が病院の救急治療室で手当てを受け、90人が入院し、うち60人は重体、さらに入
院患者のうち5人は入院後死亡したと述べたことも報道している。
④
救助活動の概要
ア
テロ発生後の救助体制
・ ニューヨーク市緊急事態管理室(OEM)長であったリチャード・シェーラー氏の話及び氏の行動に関す
るレポートによれば、9 月 11 日の 2 機目の航空機がWTC2に突入した直後にすでに FEMA に対して捜
索救助隊(US& R)を要請している。この要請は携帯電話で行なわれ、その後、携帯電話は使用でき
なくなっていることから短時間のうちに行なわれたことがわかる。ニューヨーク市では、バイオテロ
の訓練を 9 月 12 日に実施する予定であったことから、非常時の対応についての想定がそのまま生かさ
れたということである。
・
IPA(Institute of Public Administration)の上席研究員青山公三氏の説明及び資料によると、FEMA
は、事件当日 8 隊のUS&Rをニューヨークに派遣し、被害のあったビルにいた被災者の捜索救助に
乗り出し、9 月 30 日までの 25 日間にわたり、20 隊がローテーションを組み、常時 8 隊が作業をして
いたとしている。動員された消防士は 1,240 人、捜索・救助犬が 80 匹である。
イ
テロ直後の救助・救急活動
・
FDNY のロバート・J・イングラム氏(Chief in Charge of
Haz/Mat Operation)によれば、当時は、
勤務の交代時間に当たり、両番の消防職員がいた。そこで、交代した職員も多数現場に向かっており、
どのくらいの数の隊員が現場にいたかは不明とのことである。
・ また、崩壊した時間と階段を駆け上がる時間を考慮すると WTC1又は2では、消火活動は行なわれなか
ったと思われるとしている。さらに、同氏は、警察官 4 人が、車椅子の 1 人とともに遺体で発見され
ているとしていることから、消防隊員もこれら警察官と同様に、自力で避難できない負傷者や閉じ込
められた人々の救助活動もしていたと思われる。
・ 消防隊員や警察官の避難誘導もあって、WTCビルの崩壊前にそれぞれ 5,000 人∼7,000 人と思われる
ビル内の在館者のうち、ビルの崩壊によって亡くなった 3,000 人を超える人々以外の多くが避難でき
たと考えられる。
ウ
WTC ビル崩壊による消防職員への被害
・ WTC ビルの崩壊前に救助活動等のためにビル内に入っていた隊員 343 人がビルの崩壊に巻き込まれて死
亡し、大きな二次被害が生じた。ニューヨークタイムス(01 年 10 月 1 日)によれば、中でも、特殊任
務を担う特別作戦部隊(Special Operation Command)の隊員は、452 人の隊員のうち、20%を超える
95 人が殉職したとしている。
このほか、特記事項として、FDNYの活動の指揮をとる立場にあった隊員が多く亡くなっている
ことが報道されている(01 年 9 月 17 日NYTimes)。実際に、今回の調査で入手した資料に基づき整
理すると、現地組織(Field Organization)の長(Chief of Department 1 名、Tour Commander2 名)
等、以下のとおり多くの指令ポストにある者や補佐役が亡くなっている。
184
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
表1
区
分
WTC テロ災害によるFDNYにおける幹部の殉職状況
方面長
Div1
大隊長
副大隊長
隊長
副隊長
分隊長
小計
2
6
4
3
12
1
28
‐
4
2
6
4
‐
16
‐
‐
‐
‐
‐
1
1
‐
‐
1
‐
1
‐
2
Div8(StatenIsland)
‐
‐
2
‐
2
‐
4
Div11
1
3
1
‐
5
2
12
3
‐
‐
‐
1
‐
4
副大隊長
隊長
副隊長
分隊長
(Manhattan)
Div3
(Manhattan)
Div6
(Bronx)
Div7
(Bronx)
(Brooklyn)
Div15
(Brooklyn)
区
分
Div13
方面長
大隊長
小計
‐
1
1
‐
‐
‐
2
‐
1
‐
‐
1
1
3
‐
3
‐
3
5
‐
11
6
18
11
12
31
5
83
(Queens)
Div14
(Queens)
Special
Operations
計
(注)1.職名は、方面長:Captain,Division、大隊長:BattalionChief、副大隊長:Lieutenant,Battlion、
隊長:Captain,Ladder、Rescue、Engine、副隊長:Lieutenant,Ladder, etc、分隊長:Captain,Squad を充てた。
2.Chief of Department 1 名、Tour Commander2 名を加えると 86 名であり、343 名の殉職者の 25.1%を占める。
・
また、殉職者の状況を方面別に概観すると、マンハッタンを管轄する Div1、3 が約 180 人、次いでブ
ルックリンを管轄する Div11、13 が約 70 人などとなっており、現場にいち早く駆けつけた消防隊が甚
大な被害を受けたことが理解できる。そのほかの方面は、ブロンクス方面(Div6、7)、スタッテンア
イランド方面(Div8)及びクイーンズ方面(Div13、17)がそれぞれ約 10 人となっている(これらの
ほか、特殊部隊 55 人)
。
エ
WTCビル崩壊後の救助活動
・ ニューヨークタイムス(01 年 9 月 12 日)によれば、FDNY は、事件と同時に全市 11,500 人の消防隊員
全員に緊急出動を命じてた。また、事件直後に現場に急行した消防士と警察官はそれぞれ約 1,000 人
であり、約 2,000 人の体制で救助活動を行なったとしている。
・
⑤
ビルの崩壊に伴う被害者の中からは5人が救助された。全員が消防隊員である。
救助活動の転換期
・
ニューヨーク市警察(以下「NYPD」)のバーナード・B.ケリック長官は、9 月 19 日、
「何千人もの作
185
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
業員が 7 日間昼夜を徹して作業にあたっているが、刻一刻と生存者発見の可能性は減っている。
」等と
テレビのインタビューで述べたことをニューヨークタイムスが報じている.
・
ニューヨークタイムス(01 年 9 月 25 日)は、ニューヨーク市のジュリアーニ市長が 9 月 24 日の記者
会見で、「今までどおり捜索、そして救助活動は続ける。しかし、状況は厳しい。生存者を発見するこ
とは奇跡に近い」と述べ、また、「死亡診断書を手に入れるか、待つかは犠牲者の家族の判断によるも
のである。そして、彼らに分かってもらいたいことは、いままでどおりに捜索救助活動は続けるとい
うことだ」と述べたことを報道した。この発言は、生存を期待する犠牲者の家族への配慮をしつつ、
保険金請求や債務延期、相続問題等に関わる手続きに必要な死亡診断書を遺体が発見されていない犠
牲者の家族が手に入れられるよう市長がそれらの犠牲者の家族にも配慮したものであり、救助活動の
一定の転換時期に至ったことを示すものである。
・ ニューヨークタイムス(01 年 11 月 5 日等)は、ジュリアーノ市長がその前の週に、WTC の現場で瓦礫
処理や復旧作業に携わっている消防隊員の数を 64 人から 24 人に減らすよう命令したと報道した。こ
れに対する消防隊員たちの不満からデモや警官との小競り合いで逮捕者やけが人が生じる事態に至っ
ている。11 月 8 日、ジュリアーノ市長は縮少規模を 50 人とすることとなった。このような事態は生存
の見込みのない救助活動をいつの時点で転換を図るのかの困難さを示している。
⑥
特記事項
ア
救助犬
・ 救助犬(以下「捜索・救助犬」という。)の活動については、明確な出動状況及び活動の詳細を把握す
ることができなかったが、捜索・救助犬による救助活動も行なわれた記録が見うけられた。
・
ニューヨークタイムス(01 年 9 月 12 日)によれば、NYPD ボランティアの捜索・救助犬を使った捜索
により、瓦礫の中から 4 人の遺体を発見している。
・
ニューヨーク州の広報(01 年 9 月 12 日)によると、州警察は、18 匹の捜索・救助犬(州警察 8 匹、
コネチカット州警察 10 匹)が活動している。
・
FEMA が被災者の調査・捜索のために配置した US&R の 8 チームは、エンジニア等の技術者と訓練を受
けた捜索・救助犬により構成されている。また、FEMA が派遣した捜索・救助犬は 80 匹である。
・ 一方、FEMA の災害医療支援チーム(動物医療補助チーム)は、01 年 9 月 30 日現在、879 匹の捜索・救
助犬の治療を行なっている。
・ 捜索・救助犬の負傷は、火傷であり、また、すさまじい粉塵が捜索犬の嗅覚を阻んだという。さらに、
瓦礫の落下や下敷きにより亡くなった犬もいたという。
イ
ヘリコプター
・ WTC1に航空機が突入後、NYPD の救助ヘリコプター2 機がわずか 5 分で現場に到着したが、ビルの屋上
には誰も出ておらず救助できない結果となった。
・ WTC1の最上階、110 階はレストランであり屋上には出られない。WTC2の最上部は眺望用のデッキがあ
り屋上に出られるものとなっていた。事実の経過、原因等については聴取できなかった。
・
一部の報道では、屋上に通じる途中のドアに鍵がかかっていたために出られなかったとするものがあ
るというが、これについては確認できなかった。
・
FDNY の前コミッショナー、トーマス・フォン・エッセン氏の話によれば、WTCビルには通信用のワ
イヤーが張り巡らされているため、ヘリコプターによる救出は考えなかったとのことである。警察と
は異なる判断が行なわれたことが伺われる。
・
日本国内における高層建築物における救助体制については、消防庁から、はしご車による消防活動が
186
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
期待できない高層建築物(31 メートルを超えるもの)を対象として、ヘリポート等の設置を推進する旨の
通知を発出している(平成 2 年 2 月 6 日付 消防消第 20 号 消防予第 14 号 消防救第 14 号 都道府県消
防主管部長あて
消防庁消防課長、予防課長、救急救助課長)。また、平成 2 年 1 月 11 日付建設省住
指第 14 号で建設省住宅局建築指導課長からも特定行政庁建築主務部長あて通知「高層建築物等におけ
るヘリコプターの屋上緊急離着陸場等の設置の推進について」が発出されている。
(参考)
高層建築物等におけるヘリコプターの屋上緊急離着陸場等の設置の推進について
各都道府県消防主務部長あて
平成 2 年 2 月 6 日
消防消第 20 号消防予第 14 号消防救第 14 号
消防庁消防課長
予防課長
救急救助課長
消防におけるヘリコプターの活用とその整備のあり方については、平成元年 3 月 20 日に、消防審議会
から消防庁長官に答申されたところであるが、同答申において、消防ヘリコプターの有効活用に必要な諸
条件の一つとして、離着陸場の整備を図ることの重要性が指摘されたところである。
また、今般、高層建築物等におけるヘリコプターの屋上緊急離着陸場等の設置について、建設省住宅局
建築指導課長から別添のとおり、その設置の推進を図るべく各都道府県建築行政庁あてに通知されたとこ
ろである。
ついては、下記事項に留意され、貴管下市町村に対し、高層建築物等におけるヘリコプターの屋上緊急離
着陸場等の設置を推進し、これに伴ない必要な警防計画の整備を図るよう指導されたい。
なお、(以下、省略)・・・
記
1
建物火災等のヘリコプターによる消防活動は、特にはしご自動車による消防活動が期待できない高層
建築物においては高い効果が期待できるものであり、各消防本部が保有するはしご自動車の性能等を勘
案し、原則として高さ31mを超える非常用エレベーターの設置を要する高層建築物を対象として設置
の指導を行なうこと。
2
ヘリコプターによる傷病者の搬送については、医療施設の緊急離着陸場が整備されることにより、搬
送時間の短縮、傷病者の効率的な収容等、極めて高い効果が期待できるので、3次救急医療機関をはじ
めとする高度医療施設を対象として設置の指導をすること。
4は省略)
187
(3、
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
高層建築物等におけるヘリコプターの屋上緊急離着陸場等の設置について
特定行政庁建築主務部長あて
建設省住指第 14 号
平成 2 年 1 月 11 日
建設省住宅局建築指導課長
去る昭和 63 年 5 月に発生した米国ロスアンゼルス市ファーストインターステート銀行ビル火災では、
ヘリコプターを利用してやむを得ず屋上へ避難した人々が多数救助されたところである。
高層建築物等については、建築基準法等において防火上及び避難上必要な措置を講じているところで
あるが、緊急時にヘリコプターが屋上へ離着陸できることは、消防隊の屋上から建築物への進入を可能
にするとともに、やむを得ず屋上へ避難した者を救助することができ、高層建築物等の防火安全性の一
層の向上につながるものである。
ついては、今後、主として火災時に消防活動が制約される可能性のある高さ31mを超える非常用エ
レベーターの設置を要する高層建築物及び緊急時に離着陸等が必要な医療用建築物等について、その所
有者等に対し、ヘリコプターの屋上緊急離着陸場又は緊急救助用スペースの設置を積極的に指導された
い。
また、設置の指導に当たっては消防機関等と十分に連絡をとられたい。
別途「ヘリコプターの屋上緊急離着陸場等の設置に関する指針・同解説」
((財)日本建築センター発
行)を送付するので、設置の指導の際の参考にされたい。
ウ
救助資機材
・
現場では、大量の曲がりくねった鉄骨、コンクリートの塊及び粉塵が幾重にも層をなすように折り重
なっており、また、その下に犠牲者が埋もれていたために瓦礫の撤去作業が困難を極めた。犠牲者を
救出するために常に慎重な作業が求められており、部分的には重機を使っているが、基本的には一つ
ずつ手作業で撤去が続けられていた。
・
FDNY での聴き取り調査では、救助資機材については、人力では処理できないコンクリートや鉄筋、鉄
骨を取り除くためにクレーン等の重機が役立ち、また、レスキューの資機材としては溶断機、バッテ
リー式のコンクリート切断機が役に立ったとしている。
・ 一方、WTC ビルの崩壊により救助資機材を搭載した車両等の消防車両が多数破壊されたり押しつぶされ
ている。その数は、消防車 18 台、はしご車 15 台、救助工作車 11 台、救急車 10 台、計 54 台(01 年
10 月 1 日NYTimes による)
。これについて FDNY からの聴取では、91 台(うちポンプ車とはしご車が
47 台)であるとしている。
エ
通信機材
・
FDNY の前コミッショナー、トーマス・フォン・エッセン氏の話によれば、崩壊時にビル内にいた消防
隊員の所持していた無線機が使用不能であったため、隊員に対する指示が伝達できなかったことや 343
人の消防隊員の所持していた無線機が崩壊とともに使用できなくなったことが予想外の障害となった
と述べている。
188
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
考
察
日本の高層建築物においても、火災や事件・事故等、原因を問わず同種の災害が起こることも想定しておく必
要がある。消防がこれらの被害を最小限にするため、救助体制や救助技術について、WTC ビルの崩壊前後の活動実
態等をもとに、二次被害後の救助体制の補完、民間セクター(捜索・救助犬等のボランティア団体、重機等の資
機材の提供について協力を得た建設関係団体等)との事前の協力関係を確保すること等について示唆を得た。
個別の課題ついては、
ⅰ)
高層建築物における救助活動について、ヘリコプターの積極的な活用及び屋上離着陸場又はホバリング
可能な障害物除去等の救助環境の整備、
ⅱ)無線資機材の喪失時の速やかな補完体制の確保等、
ⅲ)現場指揮者に事故ある場合、特に多数の人員を喪失した場合の組織体制の再構築及び活動の持続、
ⅳ)災害現場における捜索・救助犬への安全保護方策
ⅴ)重機の提供などについての関係団体との協力関係の確保及び現場への迅速な資機材の搬送
等について、日本においても実態の把握、検証などが必要ではないかと思われる。
最後に、この災害に対して、多くのボランティア活動や基金活動が活発に展開されており、被害者家族のみな
らず消防隊員も含めて対象とされていることが十分理解できた。さらに、消防隊員のストレスやトラウマに対処
するケアカウンセリングなどの対応が充実していることも確認された。
参考文献又は引用文献
[1]米国における防災・消防体制(概要)(2001 年 4 月、海外消防情報センター)
[2]同時多発テロ事件におけるニューヨーク市の対応について(2001 年 12 月 11 日、横浜市ニューヨーク事務
所)
[3]WTC テロ事件関連記事データ/資料 2002 年 2 月 Institude of Public Administration(IPA)
[4]
FIRE DEPERTMENT OF NEW YORK
−AN OPERATIONAL REFERENCE
February,2001
[5]Dennis Cauchon:For many on Sept.11,survival was no
accident(2001.12.20),Retrieved 2001.1.31,from
http://.usatoday.com/news/attak/2001/12/19/usacov-wtcsurvival.htm
[6]Amanda Griscom "MAN BEHIND THE MAYER" New York Magazine,
October 15,2001
成果の発表
特になし
189
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
2. グラウンドゼロ地域での災害対応過程の分析
2.7. 消防救助資機材と避難支援資機材
独立行政法人消防研究所基盤研究部
天野
要
久徳
約
大規模災害発生に必要とされる資機材の調査、および、各種資機材に必要とされる仕様を調査することを目的
として、ニューヨーク市消防局、連邦機器管理庁、および邦人被災者への聞き取り調査を行った。
その結果、WTC災害のような大災害時に必要となるクレーン等の重機材については、オペレータ労働組合と
の連携が重要であった。また、多くの消防本部や組織が連携して行うに当たっては資機材の標準化も、効率的な
救助活動を実現するための一つの重要な要素であった。国レベルの救助組織が資機材の必要性の面からも有用で
あった。災害弱者を迅速に避難させることも重要であり、資機材面からの検討も必要性を感じた。また、ロボッ
トなど隊員を危険領域に進入させずに済む資機材は、消防局として重要視している。被災地の火災状況を把握す
るために、ヘリコプターや無人機を使用したことが消防局等の聞き取り調査で明らかになった。高層階の被災者
を有効に避難させる資機材の開発など被災者からの聞き取り調査での要望もあった。
研究目的
大規模災害発生に必要とされる資機材の調査、および、各種資機材に必要とされる仕様を調査することを目的
とする。
研究方法
今回の調査で、ニューヨーク市消防局(FDNY : Fire Department city of New York)の Robert J. Ingram
氏と討論する機会を得た。Ingram 氏は隊長として災害発生時に出場し、ビル崩壊後も引きつづき救助活動に参加
された。現在は危険物質対応部門のチーフ(Chief in charge of Hazardous Material Operations)である。Hazardous
Material Company は、通常日本では化学機動中隊と呼ばれる部隊に対応するものと思われるが、ここでは直訳的
に危険物質対応部隊と呼ぶことにする。危険物質対応部隊の資機材だけでなく、特別救助隊(Heavy Rescue)が装
備する資機材の選定も担当している。本調査研究の成果は主に、Ingram 氏との討議結果によるものである。
またさらに、FDNYの警防部長(Chief of Operations)Salvatore J. Cassano 氏らへの聞き取り調査、連
邦機器管理庁(FEMA : Federal Emergency Management Agency)での聞き取り調査も実施し、その聞き取り調
査から資機材に関係する部分を整理した。さらに、被災者の意見を代表して邦人被災者への聞き取り調査を行い、
これについても資機材に関係する部分を整理した。
なお以下の調査内容には一部の個人的見解とことわって討議した部分もあるので、注意されたい。また、調査
対象としているWTCの災害においてのガレキの形態は、WTC独特な物ともいえ、一概に災害全般に通じない
部分もあることに注意が必要である。
190
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
研究成果
2.7.1. 危険物質対応資機材
航空機が巨大ビルに衝突したテロ災害であることから、当初、災害の被害拡大を目的として飛行機内に危険物
質が積載されていたのではないかということが心配された。そこで、FDNYでは危険物質部隊を投入し、放射
線、有毒ガス、および可燃性ガス等の検知機器を使用して危険物質の検索を行った。通常の高層ビル火災では危
険物質部隊が出動することはない。今回の災害においては状況が全く予想できなかったので、危険物対策部隊に
より、各種有害物質の有無をチェックした。しかし、危険物質対策部隊の隊員はビル倒壊当時最前線にいたため、
19名の危険物質対策部隊の方々が亡くなられている。なお、発災当初の資機材の搬送に当たっては、避難者が
降りてくる階段と同じ階段を消防隊が資機材を担いで上がっていくことになってしまった。ビル倒壊後も最初に
ガレキ周辺の危険物質検索を行った。
2.7.2. 個人装備品
塵芥による汚染がひどく、救助活動を行う隊員の安全や健康衛生管理が第一とされた。マスクあるいは呼吸器
が作業上不可欠な資機材であった。実際に、災害現場であるWTC周辺の調査団が現地調査を行った時点におい
ても、消防隊員向けではなく作業員向けのようであったが、新品の防塵マスクが街路灯など柱などにくくりつけ
られていた。防塵マスクメーカーが宣伝をかねて配布しているものと推測される。配布されていた防護マスクに
は、WTC領域内での作業には防塵マスクが必須であることも表示されていた。ビル倒壊当時、粉塵により数分
間程度は自分の手元も見えないほど暗かったが、その後は明るさを確保するための特別な資機材が必要なほどで
は無かったようであり、呼吸器系への配慮のみを対応したようである。
救助作業に当たった消防隊員は一般の火災の消火活動時に着用する防火服を着ていた。しかし、防火服を着用
しての作業は非常に暑く、長時間の救助作業には適さなかった。遺体の血液や肉片がこびりつき、さらに、塵芥
による汚れがひどかった。そのため、防火服を脱いでTシャツ、Gパンの服装で作業にあたる消防隊員もいた。
彼らのうち何人かは、可燃性ガスの噴出などによる小さな爆発でやけどを負ってしまった者もいた。長時間の探
索、ガレキ処理作業においては防火服の改良が必要であると思われる。
他に消防隊員の重要な情報機器の一つとして無線機器がある。WTC内部では、電波障害により消防隊員に対
して無線機器による情報伝達が難しかったようである。また、隊員の活動位置の把握が難しく、隊員の所在や活
動状況をモニターできる機器の必要性が指摘された。
2.7.3. 救助およびガレキ除去資機材
今回のWTCのビル崩壊という災害に限って考えると、ビル崩壊後の救助活動において、最も有効に機能した
機械は、建設機械であった。発災後24時間以内に全米最大のクレーンが投入された。建築機械オペレータ労働
組合の全面的な協力があり、協調して救助活動を行った。彼ら自身もクレーンを被災地に持ち込んできていた。
クレーンの他にはグラップラー(パワーショベルの先端にバケットの代わりに、油圧で駆動する把持装置が付い
ているもの)が非常に有効に機能した。建機オペレータ労働組合と連日打合せを行い、消防の要望に応じてオペ
レータおよび機械を配することが可能になった。また、個々の作業に於いてもオペレータが消防隊員の指示に従
って作業したことの功績が大きい。彼ら建設機械オペレータは、我々調査団が調査を行った時点(発災から5ヶ
月以上経過)においても引き続き現場で活動していた。WTC災害の救助活動では、FEMAの一機関であるU
S&R(Urban Search And Rescue)も参加した。US&Rには建設機械操縦の専門家が配されているが、おもに
山間地などで使用する機器を専門としている。
191
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
消防隊の装備品では、切断用資機材として、ガス溶断器、充電式ノコギリなどがよく機能した。ガス溶断機の
使用に当たっては、可燃性ガスが存在していないかモニターしつつ使用した。可燃性ガスの存在のためエンジン
カッターは使用されなかったようである。エンジンあるいは油圧駆動機器と比較して、バッテリー駆動機器が使
用されたようである。バッテリー機器は油圧機器に較べ出力が小さいものの、軽量であり、油圧ホースなどが必
要となる油圧機器と比して、優良な可搬性がその要因と推測される。今回のWTC災害ではコンクリートはほと
んど粉々に砕けており、コンクリートカッターの必要性は低かった。また、探索用資機材としてはファイバース
コープやサーチカム等が使用された。
このような大規模な災害においては、救助隊がすべての救助活動をカバーすることは難しく、一般の消防隊や
はしご隊も救助活動に参加した。救助活動の最初の数日間はガレキ下に取り残された生存者に配慮したためか、
手作業が多かったようである。このような腕力が必要とされる作業については、一般消防隊やはしご隊が作業し
た。特別な機械や知識が必要とされる作業については、救助隊が行った。したがって、当初は救助隊以外が専門
的な資機材を使用することは無かった。さらに、国が保有している資機材は24時間以内に現場に着いていた。
不足している資機材についてはFDNYから要求し、手配された資機材も順次到着した。また、災害発生以降二
日ほどで資機材を製造しているメーカーが自主的に持ってきたものを使用した物もある。たとえば、サーマルカ
メラや、探聴機などは消防でも装備していたが、さらなる追加として使用することができた。したがって、多く
の資機材が必要となった頃には多くの資機材があり、救助活動全般において資機材の不足が問題にならなかった
ようである。ただし、メーカーが自主的に置いていった資機材のうち、消防が要求した物や受け取りのサインを
していない物については、現在のところ支払いに関して検討中のようであった。
WTCの災害のガレキの特徴は、コンクリート、壁、ガラスがすべて粉々に細かく崩れ、大きな空洞はほとん
ど無かったことであった。
最終的には、多くの犠牲者が発見されたが、建物が崩壊しているため犠牲者を発見した場所の特定が難しかっ
たので、GPSを使用し、発見場所の特定を行った。
2.7.4. 協力体制と資機材
今回の災害において、FDNYばかりでなく近隣の消防本部やFEMAの一機関であるUS&R(Urban Search
And Rescue)と共同しての救助作業であった。通常、各消防本部や組織毎に救助活動に使用する資機材が異なる。
大規模な災害においては、いくつかの消防本部や異なる組織の救助部隊が共同して救助活動に当たるため、資機
材の違いが救助活動の障害となることも考えられる。
米国においても各消防本部の装備品は標準化され統一されているわけではない。しかしながら、FDNY周辺
消防本部の装備品はFDNYを基準としている。そのため、細部では異なる資機材もあるが、ほぼ同様な資機材
が配備されている。また、US&Rの救助資機材は、FDNYの装備品と標準化がなされており、資機材の共通
性という問題は無かったようである。また、FDNYの隊員がUS&Rの隊員をかねていることから、連携もよ
りうまくいったものと考えられる。
なお、以上の状況は一般の消防本部では必ずしも同様な状態であるとはいえない。たとえば、都市部以外の消
防本部ではUS&Rと装備品が標準化されていることは無いと考えられる。また、オクラホマ市の連邦ビル爆破
テロでは、現地消防本部とUS&Rが共同で救助活動を行った。10チームのUS&Rでは資機材が統一されて
おり、コンビネーションがうまくとれた。しかしながら、現地消防本部の救助資機材とUA&Rのものでは異な
るものもあった。
なお、近隣消防本部からの応援は、共同の救助活動と言うよりは、消防隊が災害現場へ出動して不在となって
いる消防署での日常的な消防活動を主に担当してもらったようであった。ビル倒壊時にFDNYは91台の車両
を失い、そのうち47台がポンプ車、はしご車であった。
192
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
2.7.5. ロボットによる要救助者探査
今回、災害救助活動では初めて遠隔操作型のロボットが投入された。いくつかのタイプのロボットが要救助者
探査に使用されたが、主に無限軌道クローラの移動体にカメラとライトを装備したものであった。ロボットを持
ち込んで探索作業に加わったのは、National Institute for Urban Search and Rescue メンバーである。
操作方法によって投入されたロボットには無線操縦、有線操縦タイプがあった。無線操縦は機能としては優れ
ているが、無線の到達限界がある。これはロボットに限らず、消防無線を含む無線全体の問題である。動作の確
実性から考えると有線操縦タイプが優れていた。今回の災害の活動では、無線操縦型のロボットが地下4階まで
進入して画像を送って来ていた。FDNYが画像による探索資機材として使用しているサーチカム(伸縮する棒
の先に向きを変えることができるカメラが取り付けられており、手元で画像をみることができる。)と比較して、
かなり深くあるいは遠方まで進入することができた。また、人が入っていけない領域から画像を送信することが
できるという点に関しては大変有用であった。しかしながら、WTCの探索活動において、ロボットによって生
存者を発見できなかったようであるので、有用性について評価することは難しい。WTC災害で使用した状況に
置いては、ガレキ下は暗いことが多く、ライトは必ず必要であった。また、消防隊員の様にはっきりした衣服を
身に付けていない被災者を見つけることは難しかったようである。
投入されたロボットには探索機器としてカメラが取り付けられているタイプであった。もし、さらに機器を取
り付けられるのであれば、危険物質対策部隊が最前線で検索活動中に命を落としたことを考えると、有害ガス、
放射線、および可燃性ガスを検知するセンサーを取り付け、遠隔操作による検索活動を可能にしたいとの要望が
あった。さらにいえば、ハンドなどもさらなる追加機能として考えられるが、機能を増やすとロボットが高価に
また、大きくなる。建物が崩れた災害を考えれば、ロボットに多くの機能を取り付けた大型ロボットと機能が限
られた小型ロボットでは機能が限られていても小型ロボットが使用しやすいであろうとの見解であった。
2.7.6. 消火活動と空からの情報収集
今回の災害で特異的な状況の一つとして、火災を挙げることができる。報道されているように約3ヶ月間火災
が継続した。火災がガレキ下で発生しており、ガレキ上面では把握しにくかった。そこで、ヘリコプターや無人
飛行機を利用し、上空から情報収集を行った。映像だけでなくサーマルカメラを使用し、ガレキ下での火災状況
の推測に使用した。2~3ヶ月後においても、1000°F以上のところがあった。撮影した災害発生当時の写
真を図に示す。図 1~4 は9月14日9:30の写真、図5~8は9月22日13:00の写真である。写真を入
手することはできなかったため、図はいずれも写真を撮影したものである。したがって、画像の質は原本の写真
ほど鮮明でないことを注意されたい。写真を見る限りにおいても、9月14日時点では煙が多い。また、9月2
2日の写真ではクレーンも多く搬入され、ガレキ撤去作業が進捗している様子がうかがえる。なお、FDNYは
ヘリコプターを配備していない。WTC周辺ではライフラインも被害を受けており、消火栓は機能しなかった。
消火に当たっては、消防艇を利用し、川から吸水した。
193
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 1. 9月14日の状況(1)
図 2. 9月14日の状況(2)
194
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 3. 9月14日の状況(3)
図 4. 9月14日の状況(4)
195
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 5. 9月22日の状況(1)
図 6. 9月22日の状況(2)
196
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 7. 9月22日の状況(3)
図 8. 9月22日の状況(4)
197
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
2.7.7. FDNYの今後の資機材
今回の災害における救助活動を教訓として装備品を変更する予定は今のところ考えていない。今回の災害に関
しては、災害が大規模であったがためにNYFDの装備品だけで対応することは難しかった。確かに、資機材の
台数としてはFDNYの所有する物では不足したが、資機材の種類や性能という面では現在持っている資機材で
対応できたと考えられている。したがって、今のところ、WTCの災害をふまえて資機材を変更することは考え
ていないようである。しかしながら、消防隊員が危険な領域に進入するという危険性を回避できるのであれば、
ロボットを配備したいとの要望が聞かれた。特に今回の消防活動で343人という多くの消防官が命を落とした
ことを考えると、ロボットなどの機械によって消防隊員安全を確保したいとの強い要望が聞かれた。
2.7.8. 被災者を支援する機器
報道されているように高層階からの飛び降りによって多くの方が命を落とした。被災者からの聞き取り調査で
は、高層ビルにおける高層階からの飛び降りを防止するため、高層階にいる被災者を救助する資機材の開発の必
要性が聞かれた。実際に災害発生以降、パラシュートが売れていることが話題になったそうである。これは、高
層ビルに勤務あるいは居住している者が購入したものと思われる。
被災者への情報伝達機器の必要性についてもいくつかコメントがあった。被災者にとっては確かに情報不足で
あったようである。災害現場にいた被災者は災害の全体像を知り得なかったようである。しかし、情報を知って
いると却ってパニックになってしまうことも考えられ、被災者に対して多くの情報が提供されることが一概に迅
速な避難をもたらすことにはならないとの意見が、被災者からあった。消防局などの専門部署ではより多くの情
報が必要であることは当然と思われるが、被災者への情報提供についてある程度の取捨選択が必要であることが
うかがわれた。この点に関しては、より継続的な、また冷静な検討が必要に思われた。
WTC北棟については崩壊前に大半の民間人が避難を終えていたが、北棟のガレキ下から車いす女性を避難さ
せるため、女性が乗った車いすを警官が4人で運んでいる状態で発見された。このような現状を見る限り、ハン
ディキャップを持った人が迅速かつ容易に避難できるための機械の必要性がある。
ガレキの下敷きになった人が携帯電話で助けを呼び救出されたという新聞記事が出た(日本でも報道された)
が、その報道自身は間違いのようであった。しかしながら、他のところではあったかもしれないとの意見も聞か
れた。
考
察
今回の調査では、WTC災害、とくにWTCのガレキの状況が特異であるという点に注意する必要がある。自
然災害のガレキの状況とは大きく異なっていた。しかしながら調査結果をまとめると以下のように整理すること
ができる。
1) 大規模災害においては国レベルの救助組織が非常に有効に機能したことが、装備品の配備という点からも明
らかである。
2) 大規模災害における共同の救助作業においては機器を標準化することが重要である。
3) 消防などが自ら装備できない資機材については組織間の協調が重要である。
4) 救助作業に適した防火服が必要である。
5) ロボットなど、消防隊員を危険領域に進入するリスクを軽減あるいは回避する資機材が必要である。
6) 消防隊員の活動状況を把握する装置の必要性が指摘された。
7) 上空から情報収集を行うことが有用であった。
8) 災害弱者が迅速に避難できる支援機器の開発が必要である。
9) 高層階の被災者を救助するための技術開発、機器開発の必要性が聞かれた。
198
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
成果の発表
1)口頭発表
ア)応募・主催講演等
1. 金田節夫、天野久徳:
「NY/WTC 災害による被害および救助の概要」
〔日本火災学会研究発表会、(2002.6)〕
2. 天野久徳、田所諭:「大規模災害時の消防用救助活動資機材 ―NY-WTC テロ災害の調査研究から ―」〔計
測自動制御学会システムインテグレーション部門講演会、(2002.12)〕
199
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
3. 世界貿易センタービル災害の広域的な影響と復興過程の分析
3.1. 復興に向けての緊急対応
総務省消防庁防災課
加藤
要
晃一
約
2002年2月24日から3月3日の間 FEMA Regional Office (N.Y.)、FDNY 等で聞き取り調査を実施した。
そこで、FEMA の対応について、十分な活動人員の確保を図った上で、災害対応を図る仕組みとしており、また、
州等に伝達する様々な情報について、Web を活用して行っていることが、把握された。また、消防の広域応援活動
について、周辺の団体からの応援に関する現場の意見を確認することができた。
今後、今回得られた情報を考慮し、日本での大規模災害における対応を検討する必要がある。
研究目的
WTC災害発生時の FEMA の対応状況等に関する調査を行い、国内における災害時の国、地方の連携のあり方に
ついて検討する。特に、消防機関の広域応援のあり方について検討する。
研究方法
2002年2月24日∼3月3日に行ったニューヨーク現地調査(FEMA Regional Office、FDNY
等)での聞
き取り調査を基に、日本での考慮すべき点を考察する。
研究成果
2001年9月11日に発生したWTCテロ災害では、当事者の直接的な被害のみならず、間接的な経済被害
も計り知れないものになっている。
第3節では、この甚大な災害から人々が立ち直っていくまでの復旧・復興に関する動きをまとめていくことと
するが、本項では、復旧・復興活動にいたる前の緊急対応について、触れることとする。
ア
立入禁止区域の設定(「同時多発テロ事件におけるニューヨーク市の対応について」2001年12月11
日横浜市ニューヨーク事務所
参照)
2001年9月11日、ジュリアーニ市長は事件直後、市民にロウアーマンハッタンから避難するよう指
示を出した。
夕方になって、14丁目以南の地域への住民以外の立ち入りを禁止した。(9月13日まで継続)
9月14日、立ち入り禁止区域を Canal St.から南の地域に縮小した。
その後、週単位で規制が緩和されていった。
200
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図
事件現場と立入禁止区域
出典
WTC テロ事件後におけるニュ
ーヨークの危機管理対応
2002.2.25
Kozo Aoyama (Institute of Public
Administration)
14 丁目以南
事故現場
Canal St.以南
イ
FEMA Regional Office の対応
FEMA Regional Office Region Ⅱ (New York)の Bradford C’Mason 氏 Mike Beaman 氏等に Regional Office
の対応を伺うことができた。その中で、特に興味深い内容は次のとおりである。
FEMA は、今回の WTC テロ災害のような大規模な災害対応を行う際、
十分な人員を確保した上で対応を図る。
日本では、災害対応を行う際は、通常業務を投げ捨て、災害対応を行
うことが多いが、FEMA は、今回の WTC テロ災害のような大規模な災
害が発生した際、災害対応を行うチーム(Disaster Field Office)を新た
に設け、対応を行わせる。Regional Office は、その他の様々な災害が起
こる際の十分な対応が行えるように準備しながら通常業務を遂行してい
る。
201
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
FEMA は、テロ災害対応に関する情報を Web で公開し、地方での対応
を推進している。
FEMA では、WMD(大量殺戮兵器)の使用を含むテロ災害対応に関
する情報を、州、郡、市及び住民に共有しもらい、テロ災害対応に関す
る準備をしっかり行ってもらうため、Web で情報を公開している(Rapid
Response Information System : RRIS)
。
( http://www.rris.fema.gov/ )
(FEMA Regional office での聞き取り調査)
時間:2002 年 2 月 27 日 14:00∼16:00
場所:FEMA Regional Office
対応相手:シェリー マッカリー、Bradford C’Mason、Mike Beaman、 Miss Dara
参加者:(総務省消防庁)小濱、大ヶ島、佐藤、金田、天野、加藤、
(内閣府)岩田、(内閣官房)若林
特記事項:
・FEMA は、災害時、州の要請に基づき活動を行う。
・市や郡によっては、災害対応が十分でなく、他の都市では支援を求めないような災害でも要請する場合
はある。しかし、災害の発生危険性、財政力、地域の特色などそれぞれの市や郡で違いがある。すべて
一律というわけにはいかないので、不公平と考えることはない。
・FEMA の Disaster Field Office (DFO)は、WTC テロ災害に関することのみを行っており、私たち、Regional
Office は、それ以外の災害対応を行っている。管轄領域で起こる災害は、WTC テロ災害以外にも小さな
ものも含め多くの災害が発生している。
・DFO のトップはワシントン本部から来た連邦調整官である。
・DFO は、今回の災害対応はワシントン本部にのみ報告し、こちらには報告しない。しかし、DFO の役目
が終わると仕事は私たちが引き継ぐこととなるため、情報はできるだけ入手することとしている。
・私たちは、24時間体制はとっていない。マサチューセッツに24時間体制の情報センターがある。(全
米に情報センターは5つある。)
・災害に備え、よく使用するいくつかの物資は備蓄しているが、何が必要になるか分からないので、全て
のことに対応することはできない。その際は、他の regional office からまわしてもらう等の措置をと
る。
・FEMA は、各省庁を調整する権限を有した災害対応の独立機関である。
・災害対応が担当省庁が必要となる予算は、FEMA がプールしており、各省庁は予算を持ち出す必要はない。
202
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
・私たちの通常業務は、計画の作成、訓練の想定、州に対する宣伝活動(災害対応をどのようにするべき
か、FEMA がどのようなものを備えているか
等)である。
・NBC 対応について、FEMA は、訓練よりも NBC 対応の研究を行っている。
・NBC 対応の広報について、市、郡、州、住民向けの広報として Web で情報を流している。
・FEMA の情報について、90%程度を Web で公開している。
・研修機関として Emergency Management Institute (EMI)がある。FEMA の職員は全員参加してもらいた
いが義務化はしていない。なぜなら、自主的に参加した者でないとものにならないからである。
・要請に基づく FEMA の復興支援の終わりがいつになるかは分からない。州との話し合いの結果、全てが
元に戻ったと確認された段階で終了となるが、終わりはない。10年前のハリケーン災害での復興支援
は今でも続いている。
・原子力施設のテロ等については、全米規模で安全対策を図る必要があるため、全米安全機構の管轄とな
る。原子力施設の設置場所については、FEMA も関与することとなっている。
・NBC 対策について、連邦議会において、各州に対策費を配布することとされている。
・WTC 航空機テロについての今後の対策は、連邦航空省が対応する。
(参考)
我が国の防災体制との比較
日
国の組織
本
米
危機管理担当大臣
連邦危機管理庁長官
内閣府(官房、本府)
連邦危機管理庁(FEMA)
国
対策本部
緊急災害対策本部
国
連邦対策本部(CDRG)
非常災害対策本部
現地災害対策本部
連邦現地災害対策本部(DFO)
(現地対策本部長)
(連邦調整官:FCO)
(州調整官:SCO)
現地
州政府災害対策本部
都道府県災害対策本部
(State EOC)
(FEMAの特徴)
・人員体制
災害時には臨時に職員(元警察官、元消防官、元軍人等)を雇用(最大7千名)し、被害状況の把握等
の業務を行わせる。
・被災者への財政支援
被災した住宅再建のために、被災者に対し最高1万ドル(連邦 3/4、州 1/4)財政支援制度がある。
・都市・検索救助部隊(Urban Search & Rescue Task Force : US&R)
消防機関の特別に訓練された救助隊(US&R:平時は郡市の消防機関に所属)を一時的に管理下に置き、
現地に派遣する制度あり。
一隊は救助隊員以外に通信の専門家、重機の専門家、兵站の専門家等の62名で構成
203
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
ウ
消防の活動状況
Fire Academy Randall’s Island (FDNY)の Robert J.Ingram 氏(Chief in Charge of Haz/Mat Operations)
(WTCテロ災害時、現場で実際に活動を実施)に当時の状況に対する様々な話が聞けた。その中で、
特に興味深い話題は次の通りである。
州内の周辺消防の応援は、要請に基づき出動してもらうのが理想である
が、今回は、
「勝手にやってきた」
、
「州の依頼に応じて出動」
、
「FDNY の
要請に基づき出動」の全てのタイプの出動事例があった。勝手にきた消
防はじゃまな場合が多かった。
日本において、消防の応援は、基本的に、現場の要請に基づき行うこ
ととしているが、阪神・淡路大震災以降、
「応援要請を待ついとまがない
と認められるときは、要請を待たずに、消防庁長官が応援の要請を行う
ことができる」こととなった(消防組織法第24条の3)
。現場の要請を
待たずに出動要請を行う場合は、情報を十分に把握し、現場で特に必要
と考えられる部隊を投入しないと、逆に混乱を招くことが予想される。
クレーンについて、US&R 以外に全米クレーンオペレーター組合から
オペレーターが派遣され、FDNY の指示の下に活動してもらった。
今回の災害は特殊な事例であるが、阪神・淡路大震災級の地震が発生
した場合にも大量の瓦礫が発生し、道路が塞がれる等の障害が生じるこ
とが予想される。日本においても、消防、警察、自衛隊、海上保安庁、
土木関係者がそれぞれの専門分野を生かし、連携して活動に当たる必要
がある。
204
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
(Fire Academy での聞き取り調査)
日時:2002 年 2 月 28 日 9:00∼12:00
場所:Fire Academy Randall’s Island
対応相手:Robert J.Ingram (Chief in Charge of Haz/Mat Operations)
参加者:(総務省消防庁)小濱、佐藤、天野、加藤、
(産業技術総合研究所)田中
特記事項:
・US&R と FDNY の装備は、同じタイプのものを使用しており、一緒に活動をするに当たり問題は生じない。
・FDNY 以外の地域の消防とは、必ずしも統一がとれているとは限らない。たとえば、オクラホマの連邦ビ
ル爆破事件では、US&R と地元の消防本部との装備は、同等のものではなかった。
・今回の WTC テロ災害の際の周辺の消防からの応援については、概ね同じタイプのものを使用していた。
なぜなら、このあたりの消防本部は、FDNY を真似している。
・今回の活動では、ポンプ隊の人でも救助に関する特殊な装備に関する知識を有している人と、専門知識
を有していない人(単純労働を行う人)に分け、それぞれ、役割分担を行い、現場活動に従事した。
・今回の活動では、最初の数日間は瓦礫の手作業による除去を行い、その後、US&R の専門知識を有する
作業が必要になったため(既に US&R は到着済み)
、資機材の不足は感じなかった。
・資機材について、企業からの寄付や消防からの発注により数日以内にサーマルカメラ、探聴器、建物の
動きを把握するセンサー等が持ち込まれた。中には、必要でないものもあり、また、勝手に送りつけた
後請求書が届く例もあった。消防では、受け取り時にサインしたものは代金を払うが、それ以外は寄付
と見なしている。
・クレーンについて、US&R 以外に全米クレーンオペレーター組合からオペレーターが派遣され、FDNY の
指示の下に活動してもらっている。
・今回に限定すると、役のたった資機材はクレーンである。また、レスキューの資機材では、溶断機とバ
ッテリー式のコンクリート切断機であった。
・溶断機は、ガスのモニターを行いながら使用した。
・油圧のものも使用したと思うが、バッテリー式の切断機は、パワーはないが、小回りが利き使いやすか
った。
・防護服は、汚れがひどく、また、周囲が暑かったので、防護服を脱ぐ隊員もいたが、小さな爆発に巻き
込まれ、やけどを負うこともあった。
・Department of Defense (DOD)のカメラ付きロボットは、人が入れないところまで入っていったが、生
存者を発見できなかったので、役に立ったかどうかは分からない。無線式のロボットは、地下まで活動
できた。また、DOD は、崩れたビルでの作業に不慣れの印象があった。今後、消防が使えるように訓練
する方がよいのか、DOD に訓練してもらう方がよいのかはわからない。
・ロボットに更に付加してもらいたい機能は、オーディオ機能とガス、放射能検知機能である。
・今回の活動では、資機材の性能が低いという印象よりも数が不足しているという印象がある。
・WTC では、93年の爆破事件以降、誘導灯の数の増加、スピーカーの設置など、避難誘導のための改善
は行われていた。
・消防隊の当日の活動は概ね次の通りだと思う。
①チーフがコマンドセンターを設置
②作業の規模の把握(WTC1(北棟)に飛行機激突把握)、アラームを1から5にアップグレード(20
0人規模の消防出動体制)
③エレベーターのコントロール、通信の確保、ビル管理のコントロール
④周辺の署から部隊が到着するが、他の署からも派遣が行われている(20分以内には現場到着が可能)
205
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
⑤2機目の飛行機が WTC2(南棟)に激突を把握、今度は、WTC2の活動に対し、アラーム5を発令。
⑥WTC2に隊員を派遣。
⑦WTC2 の崩壊。現場にいた多くの隊員がこの時に犠牲
⑧WTC1 で活動している隊員等に待避命令
⑨WTC1の崩壊。まだ、現場に残っていた隊員が巻き込まれ犠牲。
⑩3機目の飛行機がどこかに激突する目的で向かっている情報が入り、再度アラーム5を発令。ブルッ
クリンで待機。
・当時は、勤務の交代時間に当たり、両番の職員がいた。そこで、勤務を交代した職員も多数が、現場に
向かっており、どのくらいの数の隊員が現場にいたかは不明。
・崩壊した時間と階段を駆け上がる時間を考慮すると、WTC1又は2では消火活動は行われなかったと思
う。
・WTC1は崩壊が遅かったため、大半の消防隊員が避難したと思うが、障害者の避難を手助けした職員な
どは、巻き込まれたのではないか。実際に、後に、5人の遺体が発見された際、4人が NYPD で、1人
が車椅子の人だった。
・今回の災害で、91台の車両を失った。うち、47台は、ポンプ車と梯子車である。
・FDNY は、長期活動はこれまで経験したことがなかったので、交代をどうするか、補給をどうするかが問
題になった。
・消火栓の圧力が不足し、使用できなかったのが問題であった。
・州内の周辺消防の応援は、要請に基づき出動してもらうのが理想であるが、今回は、「勝手にやってき
た」
、「州の依頼に応じて出動」、「FDNY の要請に基づき出動」の全てのタイプの出動事例があった。
・勝手にきた消防はじゃまな場合が多かった。
206
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
(参考)
日本における緊急消防援助隊の活動状況
(協定に基づく応援出動)
隣接市町村
災害発生市町
村
(統一協定に基づく応援出動)
同一都道府県内
市町村
災害発生市町村の
属する都道府県知事
(広域協定に基づく応援出動)
近隣都道府県域内
市町村
(応援要請)※
︵
出動︶
(出動要請)
消 防 庁 長 官
応援要請を待ついとま
が な い と 認 め ら
れるときは、※を待たず
消 防 庁 長 官 が 、
応援措置をとることを求
めることができる。
(応援措置要求)
緊急消防援助隊の
属する都道府県知事
(応援措置要求)
緊急消防援助隊
考
指 揮 支 援 部 隊
後 方 支 援 部 隊
救
助
部
隊
航
空
部
隊
救
急
部
隊
水
上
部
隊
消
火
部
隊
特 殊 災 害 部 隊
察
今回のWTCテロ災害での FEMA の活動を調査すると、「①FEMA は、大規模な災害対応を行う際、十分な人員を
確保した上で対応を図る。」「②FEMA は、テロ災害対応に関する情報を Web で公開し、地方での対応を推進してい
る。」等の今後の日本での災害対応で参考となる情報が得られた。
また、消防の広域応援活動に関し、「①州内の周辺消防の応援は、要請に基づき行うのが理想であり、現場の状
況を無視して行うと逆に障害となるおそれが生ずる。」「②他の専門分野の関係者と連携し、災害対応にあたるこ
とが必要。」等の教訓が得られた。
今後、国内の大規模災害が発生した際の対応に当たり、考慮していく必要がある。
引用文献
[1]「同時多発テロ事件におけるニューヨーク市の対応について」
(2001 年 12 月 11 日、横浜市ニューヨーク
207
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
事務所)
[2]「WTCテロ事件後におけるニューヨークの危機管理対応」
(2002 年 2 月 25 日、Kozo Aoyama (Institute
of Public Administration))
[3]「FEDERAL RESPONSE PLAN Executive Overview (April 1999)」
(Federal Emergency Management Agency)
[4]「TERRORISM PREPAREDNESS AND RESPONSE」
(Federal Emergency Management Agency)
[5]「This is The Federal Emergency Management Agency」
(Federal Emergency Management Agency)
成果の発表
特になし
208
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
3. 世界貿易センタービル災害の広域的な影響と復興過程の分析
3.2. 道路ネットワ−クの安全確保対応及び危機管理体制の実態調査
国土交通省国土技術政策総合研究所危機管理技術研究センタ−
松尾
要
修
約:
世界貿易センタ−ビルの周辺地区における道路交通管制の実態、同じくペンタゴン周辺地区での実態、および
今後の同様のテロ攻撃等に対する重要交通施設の保安措置の実態を調べた。
研究目的
世界貿易センタ−爆破テロ災害に伴う道路交通施設の危機管理対応に関して、(1) 緊急対応の基本方針、組織
体制、関連する危機管理のための基準・マニュアル、さらには新たに浮かび上がった課題等についての詳細な実
態、および(2) 連続テロ爆破の未然防止のため、全米の主要公共施設等においてとられた緊急監視体制のうち道
路施設に関する実態を調査し、もって我が国における危機管理体制への示唆となる点についてとりまとめる。
研究方法
事前に質問票を作成し、関係機関の担当者に送付した後に、個別に訪問してヒアリングを行った。
研究成果
1. ワールドトレードセンター周辺地区における道路交通等の危機管理対応状況
1.1. NY&NJ ポートオーソリティー(PANYNJ)の対応
(1)PANYNJ の概要
PANYNJ(Port Authority of New Jersey and New York)は、ニューヨーク(NY)市周辺の 3 空港、NY 市と New Jersey
州を結ぶ 4 道路橋と 2 道路トンネル、ならびに地下鉄 PATH を運用している公団である。同公団(以下 PA と称す)
は、1 日あたり数百万という顧客にサービスを提供しており、多額の収入を得ている。WTC ビル(1960 年完成)を
含むビルも所有しており、WTC ビルを含む多施設からの賃貸料が大きな収入源である。税金は投入されていない。
WTC ビルのオーナーである PA は、2001 年 4 月に民間会社にリース契約(99 年間で 32 億ドル)をしていたが災害
発生時に本部を WTC ビル内に置いていた。この WTC の賃借料が大きな収入源であった。この他に債権の売却収入、
有料道路収入、及び地下鉄 PATH(年間 1600 万ドルの赤字)が主な収入源(トンネル、橋梁、ターミナル部門の総
収入額は 7.4 億ドル≒960 億円)であった。
(2)テロ災害後における PA の全般的対応及び地下鉄 PATH の復旧計画
PA は今でも「特別警戒」状態を継続している。
209
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
PA は、長大橋や長大トンネルに対してカメラや埋込型センサー、及び橋梁床版上に対しては GPS を利用して監
視している。例えば、George Washington 吊橋には 7 台のカメラの CCTV(Closed-cireuit TV)があったが、今回
2 台に増設した。また、リンカーントンネルでは 68 台を設置した経費は FEMA が提供した。この他、1300 人の PA
独自の警察を擁して警戒にあたっている。また湾岸は沿岸警備隊(CG)が水路警戒にあたっている。
PA は、大量破壊兵器、生物兵器への対策を含むと共に、顔表情、眼球、手掌による人物認識システム等の保安
システムを用いた災害対応計画を開発するための情報を探求している。また、PA は煙探知システムや煙の中でも
見えるセンサーについての情報も必要としている。
(3)テロ災害後におけるトンネル橋梁及びターミナル部門(TBT)の対応
PA の Infrastructure, Tunnels, Bridges and Terminals Department(以下 TBT と略称)の担当者から、トン
ネル、橋梁及びターミナル部門が行ってきたテロ災害発生後の対応につき詳細な説明をうけた。この内容は 2002
年 1 月ワシントン DC で開催された TRB(Transportation Research Board)の年次総会で発表されたものである。
まず、テロ直後にとられた対応を表-1 に示す。
表-1. TBT における 9 月 11 日災害の直接的影響と対応
・PA 本部は WTC ビル内にあった
・75 名の PA 職員が死亡した(うち警官 37 名、一般 38 名(うち TBT 職員 12 名)
・NY 市他の EOC と連携の上、EOC(緊急作戦本部)を始動した
・全施設を閉鎖した
・9/11 正午に NY 市から外に出る交通のため西行き路線を再開した
・1 人乗り車両(SOV)の通行禁止を設定した
・商用車について点検実施及び George Washington 橋の上層路の通行禁止を行った
・しばらくの間、Holland Tunnel(Ground Zero 地点に近接)を閉鎖した
・バス及び乗用車の進入を除々に解除した(2001.9.28 に西行、10.15 に東行)
・商用車の大部分については閉鎖のまま
・PA 警察官配備を増強した(州及び市の法執行支援及び州兵の支援をうけた)
また、所管交通施設の保安確保のために以下の点を詰めておくことが先決であるとしている。
・攻撃を受けやすい対象の明確化(運用上の弱点、構造上の弱点)
・被災軽減策の策定及び優先順位づけ
・組織間及び組織内の連繋関係の樹立
・アイディアや経験の交換(共有)
・利用しうる財源の明確化と目標設定(州及び連邦から)
・最善の実務的手法の確立
・必要な経費の分担
さらに、今後テロ等の人為災害を予防するために、以下の新技術について研究開発を進めることとしている。
・車両及び積荷の点検システム
・生体測定技術
・顔形、眼球及び手掌を用いた鑑定システム
・生物学的、放射線学的な探査機器
政策的な課題としては表-2 に示す事項が挙げられている。
210
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
表-2. 将来の挑戦課題
・より高レベルの安全性確保の必要性が継続するか?
また何時まで続くか?
・長期戦略の明確化及び展開。
・公共機関は要求される安全性のための長期的な予算支出をいかに最小化していくか?
・最終的に機動性、安全性及び収益性のバランスをいかにとっていくか?
・新しい状況下で、顧客に対する有効なサービスとはどのようなものかを明確に定義すること。
1.2. NY シティートランシット(NYCT)の対応
(1)NYCT の概要
New York City Transit (NYCT)は Metropolitan Transportation Authority(MTA-首都交通公団、1960 年 NY
州が設立)が擁する 5 部門のうちの最大規模の地下鉄・バス運営部門(地下鉄 26 路線及びバス 237 路線)である。
MTA は主に地下鉄・バスを運営する部門である。
(NYCT の他に、鉄道 2 部門、バス 1 部門、道路橋・トンネル部門
を保有している、MTA の 2001 年度の総収入 73 億ドルのうち、NYCT が 47 億ドル(約 64%)を占めている。また MTA
全体職員数 62、800 人のうち、NYCT が 48、000 人(約 75%)を占めている。NYCT だけで毎日(週日)延べ 7 百万人
の顧客を輸送しており、年間予算は約 45 億ドル強(約 600 億円)に達している。
(2)NYCT 施設の被災概要
NYCT が運営している地下鉄 26 路線のうちの N/R 線及び 1/9 の 2 線は WTC 直下及び側近を通過しており、N/R
Cortlandt 駅及び 1/9 Cortlandt 駅周辺が WTC ビル崩壊時の重量・衝撃により甚大な被害を受けた。崩壊ビルの落
下重量により、比較的土被りの浅い(土被り約 2m で道路面より線路面までの深さは約 7m)周辺の支柱、梁、コミ
ュニケーションルーム他の駅事務室等の構造物が破壊された。WTC ビル内水道本管の破壊によって大量の浸水(深
さ 2.1m)があった。また、停電も発生した。
(3)NYCT 施設の復旧と応急対策
N/R 線は 2 ケ月間営業を完全停止した。2002 年 2 月末現在でも 4 駅が閉鎖中である。WTC 跡地整理のために重機
(80 トン)が上部を通過する関係上、地下鉄部の中間柱を 2 ブロックにわたり補強した。今回の復旧にあたって
の構造設計は最新の建築基準法に準拠して行った。
地下鉄 N/R 線及び 1/9 線の被災直後の対策を表-3 及び表-4 に示す。
表-3. 被災直後における地下鉄 N/R 線の応急対策
1.
N/R Cotlandt 通り駅の立入禁止
2.
擁壁の新設(地下鉄の側近にめりこんだタワー鋼材の撤去のため)
3.
駅に傾斜計を設置(今後の移動監視のため)
表-4. 被災直後における地下鉄 1/9 線の応急対策
1.
WTC ビルの北から南の 2 ブロックにわたり、地下鉄トンネル部に木製支柱を構築(上部で行われているガレキ
撤去工事による不測事故防止のため)
2.
WTC ビルの北及び南の 2 個所に止水壁の構築(万一 WTC のスラリー壁が破損した際の大量浸水の防止)
(4)復旧工事の方針
被災した 1/9 線(駅舎やトンネル)の再建にあたっては、現行基準に適合させること、及び新しい WTC 復興計
画に適応しうるようなフレキシビリティをもたせることとしている。まず、2002 年 10 月までに基本サービスを再
211
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
開させる。またそれ以後、各種機械施設や駅舎を充実させる。このため、2001 年に 12 億ドル(約 1,560 億円)の
工事発注(Contract 1 の工事受注者は PA の工事受注者と同一グループ)を行っており、さらに 2002 年には 24 億
ドル(約 3、120 億円)の工事発注を行う予定である。
さらに、新計画にあたっては保安のための(出入口等)施設強化(hardening)を推進することとにしており、
このために今後 10 年間に 10∼25 億ドル(1、300∼3、250 億円)の投資を予定している。また施設や構造物の強度
判定(Vulnerability Assessment)や危険度評価(Threat Assessment)を行うことにしている。さらに新しい設
計ガイドラインを策定する予定である。
また当面の緊急安全強化策として、駅構内のサインを見やすくする、駅職員・警備員のバッチを見やすくする、
駅の階段の幅を広げること等をあげている。
(5)今回の災害から得られた教訓
NYCT は今回の災害から得られた教訓として、下記の諸点をあげている。
(1)
地下鉄網の余裕(多線化)と融通性のため、今回の災害後数時間でロアーマンハッタン(南端)のサービ
スが回復できた。
―
余裕(多線化):
IRT 4&5 と 2&3 路線及び BMT/IND M&J と A&C 路線は無被害であった。
―
融通性:
車両入換点(スイッチ)や路線間の接続点が多数存在したため、1/9 路線南端や N/R 被災地点での作
業がスムーズに実行できた。
(2)
100 年前に建設された掘削・埋戻しトンネル(1.5m ごとに鋼製柱あり)は小被害であり、よくもちこたえ
た。
(3)
全施設の電子図面を複数個所で保管しておくべきである。また、GIS データベースの開発が必要である。
(4)
職員、主要コンサルタント会社、及び重要建設会社の自宅電話及び携帯電話番号につながるホットライン
を開設する。
(5)
9 月 11 日当日数十万人の人々にロアーマンハッタンから徒歩での避難を行わせた。
(6)
現在進行中の路線体系拡張計画が進展すれば、この問題の解決に役立つであろう。
(7)
今回の災害により NYCT ではロアーマンハッタン地区にあった 2 つの事務所が使用不可能となった。このよ
うな事態への対応をあらかじめ考慮しておくことが重要である。
1.3. NY 市長緊急事態管理局(NYC Mayor’s OEM)の対応
(1)OEM の概要
ニューヨーク市長緊急事態管理局(NYC Mayor’s Office of Engineer Management, OEM)
は、1996 年に設立され、NY 市におけるあらゆる被害(自然、工業、バイオ、化学、テロその他に起因する災害を
含む)発生時における組織間の調整を行う責務を有している。
NY 市民及び営業・文化諸団体に対して最高レベルかつ最大効率の緊急事態管理体制を提供するために、緊急時
対応業務や災害軽減計画の実施に加えて、OEM の重要な使命として技術的な人材・資機材を明確にし、それを活用
することが求められている。OEM の職員数は常時約 70 名で(市長室や消防、警察、保健、環境の部局からの出向
者)である。しかし緊急事態発生時には他の関連機関の代表が多数参加する。
各関連組織からの責任者との緊密な関係が重要であり、OEM は災害の特定及び軽減手法に関する情報知識を市長
に提供する中心的な役割をはたしている。
2001 年 9 月 11 日の WTC テロ災害にあたっては、市民の救出・回復活動の中心機関として、
OEMは、連邦・州・市の 150 を超える機関(FEMA、NY State Emergency Management Office(SEMO)及びアメリ
212
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
カ赤十字等を含む)の業務の調整責任者の役割をたしてきた。つまり、救出・回復からガレキ処理、福祉活動、
地域社会救済活動に至るまでのあらゆる業務の運営調査にあたった。市の緊急運営センターEOC(Emergency
Operations Center)が入居していた WTC の破壊にもかかわらず、新しい場所を確保し、48 時間以内に EOC 機能の
再建をはかった。
なお、最近 Brooklyn の Water Street 11 番に移設した OEM 内の EOC 室を視察することができた。面積は約 700
m2 の大部室で、ここに全体会議コーナー、各セクションのコーナーが配置されており、約 100 台の PC が設置さ
れていた。ここには原則としてプレス関係者の入室は禁止しているとのことであった。なお EOC は緊急事態発生
(または予想)時に市長または OEM 局長がその開設を命じることができることになっている。
(2)WTC テロ災害への OEM の一般的対応
WTC テロ災害に対して OEM は事件調整官の役割をはたした。つまり、軍隊、警察、消防などの制服組組織の活動
を含む緊急・回復業務の総合調整のためのあらゆる後方支援業務の連携化をはかった。9 月 11 日、OEM の EOC は
入居していた 7 号ビル内が破壊されたため、やや北側にある Pier 92 に(NY 市の会議施設ビル)に急遽移転した。
ここでは各関係機関の代表者 150 人が数週間にわたって勤務した。関係機関としては、連邦(FEMA)
、州(SEMO)
、
市(Battery Park Authority)及び公益法人団体(Southern Baptist Disaster Relief)等が含まれていた。重
大局面の間は総計 300 人の関係者が 2 交代で勤務した。
(3)道路交通関係の対応
OEM の業務内容としては、保健及び福祉活動のほか、交通関係が主要なものとなった。つまり、市交通局と協調
して、バス路線及び地下鉄(1/9 及び PATH)路線の停止の影響をうけた人々のマンハッタン下町への交通手段の便
宜提供(特別手配無料バス、フェリー、路線変更、新地図)をはかった。交通関係の緊急事態は長く続いた。WTC
地区の広い範囲への車両の接近が出来なかったので、各種バス路線(M1,M6,M9,M20,M22 路線)の限定運用をはか
った。ロアーマンハッタンの西側地区を通る地下鉄 2 路線(1/9 及び N/R)の運転が停止した。北から南に走る主
要街路も閉鎖された。ハドソン、イースト両河川を横断する橋やトンネルの運行にも制約がでた。
この様な事態の解決をはかり、被災地区に入るバスや一般車両の交通手段が展開できるようにするために、OEM
は下記の対応を行った。
― Trinity Street 及び Church Street の啓開
― 南北の移動を可能にするための、West Street の 2 車線の再開(2∼3 カ月)
― これよりに Brooklyn-Battery トンネルが無制限で通行可能となる(2∼3 カ月)
道路通行禁止地区の縮小過程について以下に記述する。
1) WTC 地区の交通閉鎖部を再開する努力が着実に実施され、安全性が確認されると車両、歩行者、営業活動、
住民が帰復してきた。
2)
通行禁止地域は下記の観点から設定された。
復旧工事関係(ガレキ処理、クレ−ン出入路)
②
保 安
③
安全及び環境面の健全性
3)
①
2001.9.11 以降における、道路の通行禁止地域の縮小過程はつぎのとおりであり、ほぼ1か月で建物倒壊地
区に近い範囲にまで絞られたことがわかる。
9月 11 日:14th St.以南
213
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
9月 14 日:Canal St.以南
9月 19 日:Chamber St.以南、Broadway 以西
9月 27 日:ほぼ現状に近い範囲
1.4. NY 市交通局(NYCDOT)の対応
(1)NY 市交通局(NYCDOT)の概要
NY 市交通局(Department of Transportation, DOT)は、NY 市の交通施設(街路、高速道路、歩道、道路橋、
トンネル)の多くを管理している。これには街路の標識、交通信号、街灯、舗装維持、路面の穴ぼこ等の欠陥部
の補修、パーキングメータの設置・維持、市の駐車場の管理、及び Staten 島フェリーの運営等が含まれている。
又、イーストリバーに架かる 4 つの長大橋(Brooklyn、 Manhattan 及び Williamsburg, Queensboro)を初めとす
る多数の橋梁(約 759 橋)及びトンネル(すべて通行料無料)を維持管理している。
(2)NYCDOT の対応
1)9月11日テロ災害にあたってNYCDOTは各分野で高い技術を擁する複数のコンサルタント会社・総合建設会社に
対応支援を委託した(主要契約4社、下請契約20社)。利点としては、多数の専門技術者を集約できる点にあ
った。また、欠点としては市職員が詳細を掌握できなくなること、また設計図面等を保管できなくなること
などがある。NY市において、設計・建設の技術的支援を行いうる専門的組織はNYCDOT(維持管理面)及びDDC
(Department of Design and Construction―新規建設面)のみである。
2)必要とする施設の設計図面等の情報を市が保管・保有していなかったため、設計を行ったコンサルタント会
社にそれらを提供してもらった。
3)暴動や爆弾攻撃の脅威に際して、橋梁を閉鎖するかどうかの決定は警察が行うことになる。DOTは自からが交
通ルートを閉鎖することは出来ないので警察を呼ぶ必要がある。
4) 主要橋の保安警備は警察が担当しており、NYCDOTの職員が現場に点検に行く際には、警察に1日前に事前通告
をしておかなければならない。勿論、現場に入る時には、用務、事前報告書類のコピー、自分の写真つきID
カードを提示する等の所要手続きが必要である。今でもロアーマンハッタン災害現場等の進入禁止区域に入
る時ほぼ同様の手続きが必要であり、最終的には現場警察官の判断で進入許可が決まる。きちんと説明すれ
ば、進入は許されるのが普通であるという。時折、写真マニア(プロ、アマとも)が吊橋のケーブルに登り、
問題となることがある。
5)Batteryトンネルは、まだトラックの交通止めが続いている。このため、BatteryとStaten島間には無料のフ
ェーリーサービスを提供している。
6)DOTのweb site及びラジオによって、緊急時状況時の交通情報を提供した。情報は、定期的かつ頻繁に更新し
た。イーストリバーをわたる橋についてはSOV(一人乗り車両)禁止策を採用した。しかし、最近の新聞報道
(2002.2.28 Daily News)によると7カ所の検問所(4橋及び3トンネル)を合計31回、SOVで通過したが、警
察官が実際に停止を命じたのはわずか5回(見逃し率84%)であったという。
7) イーストリバーをまたぐ4長大橋については毎年、膨大な維持経費(1年間約20億ドル 2、600億円―この半分
は連邦・州が負担しており、NY市のかかえる巨大負債(総額約50億ドル 6、500億円)の主因ともなってい
る。最近これを解決するために、市はこの4橋を、前述のMTA(Metropolitans Transportation Authority―
NY州の公団)に売却また賃貸する構想を打出している(2002.2.23付New York Post誌)。2006年よりこれら
の4橋を有料橋にすることが出来れば年間約8億ドル( 1、000億円)の収入が見込める公算である。これによ
り、橋梁メンテナンス費の確保等の諸問題が解決することを期待している。
8)
市は759橋の橋梁を管理しており、橋とトンネンルに対してテロ攻撃の対象となる可能性があると考え、各
種の検討を行っている。重要な橋、特に可動橋、長大橋に対して高い対策優先順位をおいている。全ての橋
214
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
梁についてのデータベースが準備されており、それによって重要度、各種の寸法・諸元、交通量等が即座に
検索できる(入手資料DNYCDOT-参照)。
9) AASHTO(American Association of State Highway and Transportation Officials)は近く保安・安全につ
いての特別部会を立上げることにしており、橋梁の安全度点検を含む各種対応を検討する予定である(これ
については、本報告書の4.1及び4.5参照)。
10) NY市管轄の橋梁(759橋)の点検は、50人の橋梁技師×10日間を投入して実施する。CCTV (Closed-circuit TV)
などのカメラは100%とはいえないが、ある程度有効である。この映像は、保安目的のために警察と共有する
方法をとっている。米国は橋梁点検マニュアル(吊橋を含む)を準備中であり、この課題について、2002.4.22
∼24、カリフォルニア州でワークショップを開催する予定である。
11)テロ災害対応で最も困難度の高かった問題として、重量機械(重量80トンクレーン)の搬送ルートの決定に
関する相談があげられた。橋梁の耐荷力・クリアランスの他に地下鉄(100年経過のものもある)を有する街
路の耐荷力も懸念された。バージに乗せて水上運搬するか、適当なパーツに分割する方法を推奨したところ、
結局はバージで運送し、路上はパーツに分割し、現地組立てを行った。橋梁の耐荷力の推定にあたっては、
設計図面を必要としたが、市役所内には保管してなかったので、設計時のコンサルタントへ提供依頼した。
12)テロ等により橋梁に、ある程度の被害が発生した場合、橋梁を強制閉鎖するのが安全側であるが、軽被害に
ついては通常車両はそのまま使用可能と判断できるであろう。NYや東京等で道路橋の通行を閉鎖することは、
大きな問題(反対)となろう。警察の判断となるが警察も閉鎖を強制しにくい。
13)吊橋の保安・安全性の問題で、アンカレージが重要とされるが、アンカレージだけが重要という訳ではない。
爆弾セットの脅し電話がよくあるがその場合には、常に警察に通報する。また橋梁上の火災も重大な影響を
橋に与える。回転橋であるGrand Street橋が火災被害をうけ、部材が座掘し、長期間にわたって回転機能が
失われた事があった。また、橋梁下の物資貯蔵施設の火災等も橋に重大な影響を与える可能性があるため、
不法物件を発見した場合には、その都度警察に通報し、即座に除去してもらっている。
1.5. PB 社(NY 本社)の対応
(1)PB 社の概要
PB 社は 1885 年に創立された、世界でも最古の建設コンサルタント会社である。各種社会基盤
施設(交通、エネルギー、環境施設、建築物等)のコンサルティング、計画、工事、PM, CM, 運営・維持ならび
にデザイン・ビルト等の業務を実施しており、世界各地の 250 事務所に合計 9,000 人のスタッフを擁している。
(2)PB 社(NY 本社)のテロ災害への対応
9 月 11 日テロ災害に対し、PB 社は企業市民としての対応および一私企業としての対応をとった。ここでは、企
業としての、テロ対策に関する新しい事業展開の計画の説明があったので、それらを以下に示すのにとどめる。
1) 主要交通施設の設計において「大量破壊兵器」による攻撃を考慮。
2) 橋梁、トンネル、ターミナル等の重要交通インクラする爆破被害防御対策。
」
3) ソルトレイク市オリンピックのような目立つ目標に対する保安評価(Security Assessment)
。
4) 郵便物細菌問題に対する郵便局の改良。
5) 爆発物探知、手荷物検査を含む空港の保安体制の改良
6) 重要インフラの「核心機能」に関するシステム解析。
(3)その他
・PB 社としては、9 月 11 日災害以前においては、各種施設の設計・施工にあたってのテロ対応は考慮していなか
った。しかし、今は顧客の考え方が変わり、重要テーマとなってきた。特に、ユタ州ソルトレイク市での 2002
215
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
年冬期オリンピックの計画にあたってのユタ州交通局は、テロ対策を念頭に入れた設計・計画を打出した。し
かし、テロ攻撃に対処する技術基準は未だなく、その策定が今後求められる。例えば、空港の主要構造物と駐
車場との間に 300’
(=90m)の距離をあけるという基準はある。また、設計者の責任問題も十分に研究する必
要がある。PB 社としては、今後、テロ攻撃を想定した保安解析(security analysis)
、法律事項、及び設計・
企画を取扱う会社と協力して、テロの主目標となる社会基盤施設の候補を抽出するシミュレーション解析等を
開始していく予定である。
・NIST では建築協会と共同で、新基準を作成予定。この基準では科学的見地を重視し、金がかかっても必要なも
のは実施するという基準となろう。(なお、5月に講評された ASCE の報告書によれば、テロ攻撃に対する安全
性の観点から現行の建築基準を見直す緊急性はない、との暫定結論が示された。)
・橋梁への爆弾騒ぎ(Bomb scares)の対応 ― FBI は非公表であったが、カリフォルニアではドライバーへ爆弾
警告のあったことを通知した。
2. ペンタゴン周辺地区における道路交通等の危機管理対応状況の調査結果
(1)Pentagon 災害発生後における FHWA の対応
(1.1)背景及び発生事態・災害対応の経時変化
Pentagon はヴァージニア州 Arlington 市に位置し、近接するポトコック川を挟んで首都ワシントン DC までの距
離は、わずか 2Km にもみたない。
また、この地域は、メリーランド州、ヴァージニア州、及びワシントン DC の 3 州行政区にまたがっている。この
ため、交通は常時混雑しており、複数の交通関係機関が交通システムを運営・管理しており、ITS の使用も増大し
ている地域である。ここで FHWA が掌握している災害発生後の事態及び対応を時系列的に表-5 に示す。
表 3.2-1. Pentagon テロ災害発生後の事態の経時変化
2002.9.11
9:43 AM
AA-77 機ペンタゴン衝突。避難開始。
9:45 AM
White House(Pentagon から北東約 3km に位置)避難開始。
9:46 AM
地下鉄 Pentagon(イエローライン及びブルーライン)駅閉鎖。
9:53 AM
Arlington 緊急業務運用センター(EOC)活動開始。
10:00 AM
米陸軍特別警戒体制施行。
10:10 AM
Pentagon の一部が崩壊。
10:22 AM
ワシントンにある国務省、法務省、世界銀行から避難。
10:32 AM
Amtrak, VRE 及び MARC が列車運行を停止。
10:41 AM
地下鉄再開(但し Pentagon 駅は通過)
。
10:45 AM
連邦政府各機関が個々に職員の帰宅許可開始。地下鉄ブルーライン
回復(但し Pentagon 駅は通過)
。
10:59 AM
National 空港閉鎖。
11:39 AM
Arlington 郡が緊急事態宣言。
1:27 PM
ワシントン市が緊急事態宣言。
7:09 PM
地下鉄の通常運転再開。
(1.2)災害発生直後 2 日間の交通量等の変化
FHWA は、今回の災害が交通施設へ与えた影響を調査した。災害発生当日の 9 月 11 日及び翌日の交通量形態は平
日と全く異なった様相を呈した。利用者数が高い精度で判明する地下鉄の利用者数を見れば、平日は午前8時か
ら9時、および午後6時頃にピ−クが顕れるのに対し、事件当日は正午過ぎにピ−クが顕れた。これは、当該地
216
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
域における職員に避難命令が出され、引き続き帰宅命令が出されたためであるとのことであった。
3. 交通施設に対するテロ対策の実施事例−Woodrow Wilson 橋更新工事における対応
(1)Woodrow Wilson 橋更新工事の概要
Woodrow Wilson 橋は Washington DC の最南端の南側にあり、州際道路Ⅰ-95 線が Potomac
川を渡る位置に架かる長大橋で Virginia-Maryland 両州を結ぶ重要橋梁である。現橋(6 車線)は、1961 年に完
成したもので、設計当時の予想日交通量は 75,000 台であった。しかし、現在の日交通量は 195,000 台となってお
り、2020 年には 295,000 台にも達すると予想されている。このため、橋の更新工事が、FHWA, Virginia 州、Maryland
州及び Washington DC の協同事業として現在実施されている。下がその全景写真である。
写真-1. Woodrow Wilson 橋の更新工事の全景
Washington DC 南端の Potomac 川を渡る Virginia-Maryland
両州を結ぶ I-95 にある。手前が Virginia 側。
(2)Woodrow Wilson 橋におけるテロ対策
9 月 11 日テロ災害発生直後現 Wilson 橋をテロ攻撃から守るべく Virginia 州交通局は Maryland 州道路局と協議
の上、地域自治体、法律執行機関、及び交通管理担当者との協議を開始した。その際の目標としては「Wilson 橋
はテロリストにとって出来るだけ攻撃しにくい対象であるようにする」ことを念頭においた。
同橋の強化策として、テロ攻撃に対して無防備状態となるのを回避することを中心においた。具体的対策とし
て、橋梁の下(Virginia 側橋台の下をくぐって Alexandria 市 Jones Point Park
に行ける地域道路がある)での駐車禁止を実施した。また、同公園内の駐車場他への車両を禁止した。
さらに、写真-2 に示すように橋桁下を通る地域道路 Royal Street の車両の通行を物理的に禁止するために、コ
ンクリートバリヤーフェンス及び立看板を設けているのが判る。駐車禁止の強制措置は地元の Alexandria 市と協
議の上、実施した。バ−ジニア州交通局(VDOT)は、さらなる安全確保のために同 Street の完全閉鎖を Alexandria
市に要請している。一方、Virginia Maryland 警察は、同橋付近での不審行動を監視し、警戒を高めている。
以上の措置は、VDOT、MSHA、FHWA、Washington DC 公共事業局、国立公園サービス部、Virginia Maryland 警察、
217
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
Alexandria 市(市長、上級職員、警察消防・救助隊)その他の関係する機関・担当者が協調して実施された。
写真-2. Woodrow Wilson 橋 Virginia 側橋台付近の近景
(テロ対策のために橋桁下道路をバリヤー等で通行禁止としている)
4. まとめ
今回事件が主として道路交通に及ぼした影響に関してまとめれば以下のとおりである。
(1)本事件を兵庫県南部地震と対比して見れば、今回の事象は地域限定的であり、交通関係のオペレ−ションは
比較的混乱が少なく行われたようである。
(2)グラウンドゼロ地区では、事件当日に当該地区を含むマンハッタン島南端部(南北方向に 2km 余り)を交通
規制及び立ち入り禁止区域に指定して以降、9月末までにはグラウンドゼロ地区にまで縮小された。
(3)当地区の危機管理対応は、NY 市の危機管理室(Office of Emergency Management:OEM)が各部局の上に立ち、
うまく機能したと評価されている。FEMA はその側方支援を行った。また、NY 市は隣接する州、市と相互協
力の協定を結んでいたようであり、多数の応援を得たことも有効であった。
(4)既に具体的なテロ対策がとられている事例がある。
Potomac 川をはさんで Virginia 州と Washington, D.C.をつなぐ Woodraw-Wilson 橋拡幅プロジェクトでは、
橋のアプロ−チ部の下部空間を駐車場にする計画であったが、爆破されるリスクがあるため、その空間をつ
ぶすよう計画変更した。また、立体交差する既設の地域道路をも閉鎖した。この計画変更については、担当
者でさえも大きな悩みを抱えているようであった。
その他、今回調査での所感を以下に記す。
(1)テロは人為的(man-made)であり、かつ意志的(intentional)である。したがって、重要施設をテロから守る
ことは極めて難しい。テロ対策をとることは、相当の費用を要する、利便性が喪われる、という側面がある。
これらが多くの関係者の悩みであると感じた。
(2)訪問した部局のいくつかで、Vulnerability Assessment の必要性に関する言及があった。これまではそのよ
うなガイドラインは殆ど存在していない。
(軍、警察、CIA にはあるかもしれない。)当面、ガイドライン作
り、検知装置の開発などが活発化する模様である。
218
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
3. 世界貿易センタービル災害の広域的な影響と復興過程の分析
3.3. 被害の把握過程と復興計画の策定
財団法人都市防災研究所アジア防災センター
西川
要
智
約
2001 年 9 月 11 日に起きたテロ災害は、ニューヨークの経済へ多大な被害をもたらした。早急な対応を取ること
で、被害の拡大を防ぐことができた。これはニューヨークの経済再建やマンハッタン南端区域の復興を行うため、
あらゆるレベルにおいて協力する体制により実施されたものである。
本調査では、ニューヨーク経済の被害把握と影響、そして復興にかかる計画策定の調査を実施した。
現在の都市は複雑にいろいろな要素が関係し合い、一つの災害が発生した際の間接被害の広がりを掴むのは大
変困難な作業になる。しかし、被害の大きさを把握しなければ復旧・復興計画も現実に有効な方策になることは
ない。
今回のニューヨークのテロ災害直後は、それが世界経済の中心地で発生したこと、都市としての集積が非常に
高かったこと、被害が甚大だったことから、現実にどの程度の被害が発生したかを掴むことが困難であった。そ
のため復興のプラン策定のための、最初の作業として、政府、民間の各機関、調査会社、シンクタンクによる被
害額把握作業が行われた。
その主要被害及び影響の調査結果は以下のとおりに明らかになった。
・
損失額
ニューヨーク市の経済的被害総金額は計$830 億になるとみられる。その中から、保険や人命救助に
かかった費用への連邦政府からの補填、瓦礫撤去や清掃そしてインフラ復旧費用を差し引くと、最低で
も$160 億もの損失が発生している。もし第三者の賠償責任等の支払が発生すれば、損失はさらに膨ら
むになるであろう。
・
失業者数
2001 年度第 4 四半期に、直接テロの影響を受けた失業者は 125,000 人と推定される。被害を受けた多
くの企業が復興したとしても、2003 年末時点でニューヨーク市で約 57,000 人の失業者がいると考えら
れる。
・
最も被害を受けた産業
金融サービス、旅行、小売店などが大きな被害を受けている。
全産業にわたって中小企業が多大な影響を被った、そしてその余波は現在まで継続している。
・
最も被害を受けた区域
マンハッタン南端区域に被害は集中している。この区域ではテロ災害により 10 万の失業者が既に発生
219
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
している。そしてオフィススペースのほぼ 30%を失った。そしてさらに今後の復興の進展によっては、
依然として Chambers 通り以南で 27 万人の失業者の発生する可能性がある。
上記の被害把握の調査を基に復興計画としては以下事項が実施されていることが明らかになった。
・
マンハッタン南端区域 再開発計画策定
WTC ビルの瓦礫撤去終了の 2002 年中頃までに再開発計画を策定する。
・
インフラ再建
ダウンタウンのインフラ(配電網、輸送、通信)再建は、21 世紀スタンダードで構築する。
・
世界の金融センターとしての地位維持
金融センターとしての地位確保のため州政府からのからの経済的な援助を得る。
・
包括的な投資による信頼の回復
新たな安全保安基準による都市構築のための投資を実施する。
・
マンハッタン南端区域住民への対応
労働者、中小企業、住民のためのコミュニティ機能の早期回復を実施する。
・
ニューヨークへの観光・ビジネス誘致への早期の取組みをおこなう
ニューヨークのビジネス経営者は、9 月 11 日のテロ災害により、ニューヨーク市のリスクの耐性がためされた
と感じている。そして、あらゆるビジネスの経営者は、能力、設備、保安、充分なスペース、データや電話シス
テムの地理的集積について、再評価を迫られている。
そしてニューヨーク市そしてアメリカの国益を守るため、またさらに強いニューヨークに復活するために、政
府は多くの民間企業に対して、指導力を発揮する必要があることが明らかになった。
研究目的
WTC 災害発生は、災害地域は局所的であったが、その場所が世界経済の中心であったため、その経済的インパク
トは大きかった。そのため、この地域の早期復旧が重要な課題になっている。
早期の復興のためには、早急に復興計画を策定する必要がある。しかし復興計画の策定には実際の被害状況の
把握が必要になる。しかし、ニューヨークのような現代の大都市は、機能が複雑に絡み合い、連携しているため、
災害発生による被害は、多岐に影響を及ぼし、連鎖的に影響が広がり大きな災害に進展していく。そのため、災
害被害を把握することは大変困難な作業になる。今後、東京などの経済や情報の集中した日本の大都市で災害が
発生したとき、その広がりは大変大きなものになると考えられる。そのため、今回のニューヨークテロ災害に関
する被害の連鎖を調査することにより、大都市における災害の被害の影響や進展を明らかにしておく必要がある。
本調査は、WTC テロ災害後に、ニューヨークで、多くのコンサルタントや調査会社がアンケートやインタビュー
により被害の波及に関して実施されているため、その調査によって判明したテロ災害による経済的損失、そして
テロ災害の影響に関して明らかにすることを目的としている。
そして、被害把握を基にして作成された復興に関する提案、計画に関してインタビュー及び文献調査によって
220
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
明らかすることを目的としている。
研究方法
WTC ビルテロ災害による被害の把握過程と復興計画策定に関して、New York City Partnership and Chamber of
Commerce, New York City Economic Development Corporation, The Port Authority of NY & NJ 及び保険会
社、再保険会社等のインタビューと文献収集により整理・分析を行った。
研究成果
本調査ではテロ災害によって失われた経済的損失及びビジネスに関しての被害調査と被害の影響を①被害把握
②復興計画策定③産業別被害に関して結果を示す。
① 被害把握
今回の事件はニューヨーク市経済へ推定で$830 億の被害を及ぼした。保険金、人命救助にかかった費用へ
の連邦政府からの補填、瓦礫撤去や清掃そしてインフラ復旧費用を差し引いても、最低$160 億もの損失にな
る。もし米経済の景気回復が遅れたり、保険の支払が遅滞したり不十分であれば、損失はさらに膨らむ可能性
がある。
この災害による失業者は、2001 年度第 4 四半期に、直接テロの影響により、125,000 人が職を失ったと推定
される。今後に企業の多くが復旧したとしても、2003 年末にでも、約 57,000 人の職は戻らないだろうと推定
される。
また、瓦礫の撤去や清掃にかかる費用は、保険金の支払いや連邦からの補償で賄われるだろう。ニューヨー
ク City Partnership 調査チームによると、保険金は$370 億と推計している。最終的に、この保険金支払いは
ニューヨーク市経済へ$470 億の波及効果をもたらすであろう。同様に、人命救助や清掃にかかった費用($140
億
2001 年 11 月推定)は、連邦政府が全負担すべきである。もし、それがなされたならば、その波及効果は
$200 億にのぼる。よって、計$670 億もの波及効果が期待される。これらを考慮すると、テロ事件の被害額は
ネットで$160 億になると推定される。
もし、補償がなされなかった場合、ニューヨーク市にとって被害は大きいが、ニューヨーク市の年間粗市民
所得は$4400 億であるため、許容範囲内といえるだろう。しかし、テロの影響や景気後退の結果、ニューヨー
ク市やニューヨーク州の税収減が予想される。
ア.マンハッタン南端区域1経済
この区域はテロの直撃を受けたため、被害が最も大きく、数千人の死亡者が出た。一時的な失業数は 10 万
に上る。商業用土地家屋が被害を受け、重要な公共・民間インフラが破壊された。ダウンタウン地域では、全
体の 30%にあたる約 270 万㎡の事務所スペースが失われた。これには破壊されたWTC複合センターの 140 万
㎡も含まれる。内 32.5 万㎡は改修に 1 年以上要するほど被害が大きく、他方約 94 万㎡は 1 年以内に回修可能
であろう。また、小売業スペースも 4.6 万㎡の被害を受けたが、その大半はWTCの地下モールに立地してい
た。その他にも多くの商業用スペースが被害を被った。
1
マンハッタン南端区域とは、特にチェンバー通以南をさす。この地域は、米国内でニューヨーク中心地区、シカゴに次ぐビジ
ネス区域である。また、この地域は、観光地の一面も持っている。金融業の中心地であり、中小企業、ソフトウェア関連の創業
を育んできた。テロ以前はバッテリーパークシティーアパートメントの住民の内 50%が、徒歩で通勤していた。近年、若い企業
家らがコロニーを形成し 21 世紀の新たな職住環境を提案したことで、マンハッタン南端区域の潜在力を示していた。
221
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
また、交通機関も被害を受けたため、マンハッタン南端区域へのアクセスが困難になった2。さらに、不動
産とインフラの被害が重なり、10 万人以上の雇用者が勤務先の移転や勤務先が変わっている。今後も潜在的
にも 27 万人は、職を失う危険にさらされている。
さらに住民の健康被害として、ビル倒壊、瓦礫処理に伴う空気汚染について不安を抱く人も多く、健康に支
障はないかどうかの健康診断を今後とも継続して行う必要がある。これに関する賠償責任の拡大も予想される。
イ. 金融サービス,旅行、小売、中小企業
・金融サービス業
ニューヨーク市経済$4400 億の付加価値・サービス生産に対して、24%が金融業によっている。それは、市
の税収の 14%にのぼり、金融業は他の関連産業も創出していた。金融保険業は、マンハッタン南端区域が生み
出す$730 億のうち、75%を占めていた。テロによる被害は、資本損失、景気減速等の影響もあり、$420 億と推
定される。一時的な勤務先の移転では、3 万 2400 人がニューヨーク市内ではあるが、マンハッタン南端区域
以外へ、ニューヨーク市外へは 1 万 9000 人が転出した。マンハッタン南端区域の、通信設備や交通機関の被
害がひびいている。
経営者は安全性の確保、複数所在地外での活動、天災・人災時にも対処可能な代替通信エネルギーシステム
を備えたコア事業の確保に、重点をおきつつある。
・旅行業
テロは、航空旅行への恐怖をひろげ、人々は「巣ごもる」ようになった。イギリスやカナダからのニューヨ
ークへの観光は第 4 四半期で 40%減少した。海外からの観光客は、米国内からの観光客に比べ一人あたり 3 倍
も支出する上得意だっただけに、ニューヨーク経済へ大きな打撃を与えた。年間でニューヨークの観光収入は
$340 億規模であった。2003 年末までテロの影響で総額$70∼130 億の収入が減少するだろう。2001 年内に約 2
万 5000 人が失業するだろう。テロの余波は、ニューヨーク観光ばかりでなく他の観光地にも波及している。
ニューヨークは業界と協力して、しかるべき安全性確保、観光客刺激策をとる必要がある。ニューヨーク市へ
の観光客誘致 PR と共に、観光地・空港等、公共の場所の安全確保を行ってゆく必要がある。
・小売業
小売業は、年間$510 億の収益を上げていたが、$76 億減少すると推定される。特にマンハッタンに店舗のあ
った業者は 30∼40%の売上減少に直面した。テロによる消費者行動の変化によると思われる。しかし、米国全
体の 9 月期の季節調整済み小売売上高は、対前月比 2.6%減、ニューヨーク市についても予測値を 14%下まわる
に止まっている。が、今後とも影響は長引くことが予想される。より規模の小さな商店が手元資金繰りに困っ
ており、今後債権問題に直面するであろう。
・中小企業
歴史的に中小企業がマンハッタン南部地域経済へ果たす役割は大きく、10 万人以上がチェンバー通り以南
で商売していた。これらの約半数は金融や専門的ニッチ産業に従事していた。内、WTC 複合センターに入って
いた 700 社は、破壊あるいは依然甚大な被害を被っている。その周辺に立地していた企業も、80%
程度売上が落ち込んだ。現金取引、一部保険といった商習慣をとっていたため、もし地代や、給料支払等への
2
通信接続業者であるヴェリゾン(Verizon Communication)は、マンハッタンにあった約 10 拠点のワイヤレス用電話基地局に被
害を受け、$190 億もの損害を被った。
また、 ニューヨーク市とウェストチェスター郡へ電気、ガス、地域熱を供給しているコン エディソン(Consolidated Edison Inc)
は、今回、変電所 2 ヶ所や配電系統に大きな被害を受けた。
222
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
財政的援助がなければより深刻な状況に陥ったであろう。
ウ.非営利団体(NPO)
ニューヨーク市民へ様々なサービスを提供していた NPO も、深刻な財源不足に直面している。2000 年時点
で、5700 団体、$230 億の収入を得ていた3。今後、長期的に一般市民からの寄付の減少が予想される。
② 復興計画策定
ア.復興へ向けての優先事項
ニューヨーク復興促進への6優先事項として以下の6点の計画がなされている。
・マンハッタン南端区域開発計画の早期策定
多くの企業が全従業員、業務の一極集中を避けるため、立地の分散傾向を強めている。マンハッタン南部地
域の完全復興に向け、長期的展望に立ち長年の懸案であるインフラやアクセス問題に対処しなければならない。
短期的には、ニューヨークは復興すると、産業界へ発言していかなければならない。
開発は民間の手で進められ、その手法は、総合的なマンハッタン南部地域計画をよく検討した上で設定する
必要があるため、ニューヨーク市や州と、連携する必要がある。過去の経験からも、復興計画を早く策定すれ
ばするほど、実現に歳月がかかろうとも、経済力を保てるといわれている。そのため 2002 年度第 1 四半期まで
に長期計画策定を目指している。
民間デベロパーは、知事や市長が設立するマンハッタン南部地域再開発公社と連携をとって進める必要があ
る。そしてこの公社は、州基金の監督やインフラ開発促進計画との調和を図り、当該地域への産業や住民誘致
のため、魅力的な地域を創造していかなければならない。
・インフラ克服対策への挑戦
マンハッタン南部へのアクセス利便性向上を目指し、サービスの完全再開促進や、通信速度上昇のため、通
信接続業者や電力会社コン エジソンへの協力が必要になる。単なるテロ事件以前への状態への復帰でなく、最
先端の容量、耐性、そして天災、人災時にも強く、迅速につながる代替システムといったサービスの提供を目
指す必要がある。
メトロポリタン交通局、ニューヨーク港湾局、NJ(ニュージャージー)港湾局、他2交通省らの業務の連携
向上をはかるため交通管理責任者の任命が必要とされている。
・安全の向上保証
地域・州・国家レベルでの安全性向上に向けた行動や政策に関心が集まっている。多くの米国人は、安全性
向上と引き換えに、不便になっても良いと、考えていることがわかった。観光地の業者や、重要な小売業者は
その立地に対する潜在的リスクにさらされていることが認識された。
非常事態を想定した計画の重要性が高まり、ニューヨーク市の病院や非常時対応官庁の取組を参考にして計
画を策定する。また、生物兵器テロへの対応も急務である。
・金融サービス業と収入の維持に重点
金融は、ニューヨーク市にとって重要な産業であるだけ特に配慮しなければならない。ニューヨーク証券取
引所は連邦準備銀行や民間決済業務の拠点である。したがって、マンハッタン南部にニューヨーク証券取引の
3
米国内には 2 万 7000 団体が存在し、毎年民間や政府より$800 億の援助を受けている。
223
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
新たな拠点建設のための支援呼びかけてゆく必要がある。また、金融サービスの要である安全性、強靭さを向
上すべく、非常時においても業務を支障なく、とりおこなえる代替システムの必要性が浮き彫りになった。
・マンハッタン南端区域の中小企業支援
多数の中小企業が、短期的な手元資金不足に陥っている。中小企業に対する私的・公的融資や慈善資金等、
何らかの支援策を講じると共に、それらの活用を呼びかけていく必要がある。事業再開にむけた、新たな店舗
の斡旋も重要な事業になるであろう。
・ニューヨーク経済の宣伝
現状では、WTC 周辺の 64,752 ㎡が閉鎖されているのみであり、ほぼすべての事業が再開に向かっている。ニ
ューヨークは、特にバイオ技術、国際的業務、ソフトウェア企業起業家を、マンハッタン南部地域へ誘致する
ことで、世界経済の中心であり続けようとしている。このような状況をふまえて、活発なニューヨークの事業
維持と新たな事業誘致を実現すべく、マンハッタン地域が“事業しやすい、開かれている”との PR を行い、公
的機関、民間が協調してゆく必要がある。
イ.慎重な楽観主義による復興計画が必要にある
テロの影響は大きいものの、依然としてニューヨークは魅力ある都市と捉えられている。調査から、金融、メ
ディア、エンターテイメント、専門的なサービスや健康関連産業において、今後とも世界に冠たるリーダーであ
り続けるという結果が出た。
何より重要なことは、ニューヨークの各界指導者らが復興へ向けた取組について合意を形成することである。
彼らの方向性が定まることで、ニューヨーク経済回復への動きが加速するだろうと考えられている。
③ 産業別状況
ア.金融
・被害状況
人的被害は、推定で 1,700 人(WTC センターで働いていた金融関係者の 40%に該当)と考えられ、物的被害
は、資本損失からみると少ないと考えられる。(たいていの事業所は賃貸、高率の保険補償をかけているため)
また金融業特有の性質から、バックアップ・プランに地理的な自由度がなかったことや、重要なシステムが
脆弱だった。また、バックアップサイトへの不十分なアクセスや、通信やエネルギーも兼ね備えた代替ネット
ワークの不備が重なった。
今後、州や連邦の援助を受け、ニューヨーク市は追加的な混乱を最小に抑えるべく、迅速なマンハッタン南
端区域復興計画の策定や、懸案事項である臨時交通機関の設置といった包括的安全計画の導入が求められてい
る。また、これらの政策が取られることで、企業のニューヨークへの復帰を促すことになるだろう。
・ニューヨーク市における金融サービス業への影響
金融サービス業への直接的な経済損失はわずかで、追加的なレイオフは少ないだろうと考えられている。よ
り深刻なのは業務のニューヨークからの流出である。残された従業員の雇用を守るために、今後長期にわたっ
て苦しい状況が続くであろう。それは業界の景気後退より、業務や従業員の喪失が及ぼす影響の方が大きい恐
れがあるだろう。
・金融市場への影響
今回、システムはよく機能したが、いくつかの分野では注意すべき事態が起きた。
224
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
卸売り決済システムでは、主要な決済銀行が他の市場の余波を受けたため崩壊が起こった。だが、取引はマ
ンハッタンや、バックアップサイトから支障なく行われた。
固定金利市場においても、決済銀行の崩壊と主要なブローカー取引業者が被害を受けたため、米国債の取引
成立や決済が一時的に滞った。これらの影響がレポ市場へ波及した。これを受け連邦準備は危機を回避するた
め、$800 億の流動性資金を供給した。
法人信用市場では、手形市場の不確実性が高まり、いくつかの企業は短期的に必要な預金を引き出した。そ
のため、いくつかの銀行は流動性不足から融資不能になりその連鎖を受けた他行は、より多額の手形不渡りを
だすことになった。
いくつかの市場では建物が被害を受けたため 4 日間閉鎖されたが翌週から取引が再開された。外為市場では、
連邦準備制度当局による介入のため、外国の銀行は米国銀行からの米ドル貸出ができなかった。また当局は海
外の中央銀行との交換スワップとして$900 億準備した。
株式市場では、マンハッタン南端区域へのアクセス規制や、4 日間閉場により、メンバー企業と市場間の接
続できなかったが、決済、裁定には支障はなかった。ニューヨーク証券取引所、Nasdaq 自体は被害を受けなか
ったので、9 月 17 日に市場が再開した折にも取引は滞りなく行われた。
小口決済システムにおいては、テロ後数日間にわたって、民間航空機の飛行が禁止されたため、連邦準備制
度間での小切手振替ができなくなった。その結果、当局は一時的な信用リスクを引き受ける事になった。その
他の小口決済は支障なく平常どおり機能した。
そして、テロ災害により、金融業が抱えるいくつかの脆弱性が表面化した。バックアップ・プランはバック
アップサイトの地理的分散に配慮しなければならない。バックアップサイトへの迅速なアクセス、そして立上
げも重要である。一箇所のハブからの通信やエネルギー源インフラの接続は脆弱である。金融市場には”要”
となる取引、決済事業者や株式仲買間の取引は特定のハブに集中している。その要が崩壊すると、他の金融市
場へも深刻な被害が連鎖する。
・復興計画
ビジネスの復帰と維持するため、魅力的な勤務地としてのマンハッタン南端区域への即時復興を目標に掲げ、
適切な場合には、企業ニーズにあわせて誘致の動機を設けることも考慮すべきである。業務や知的資本の狭小
な特定地域への集中をさける必要がある。
また、長期的な特定インフラ必要性への対応として、更なる弾力性を兼ね備えた金融システムを目指して構
築する、個々の機関の規制監督や機関同士の連携を高めたり、高い信頼性に裏付けを持つ、カギとなる”要(ハ
ブ)”の代替システムの開発や複数産業コミュニケーションのサブネットワークの開発が必要になる。
イ.中小企業
・被害状況
物的被害は、推定$1 億 100 万。707 店が破壊されたり、盗難等の被害が発生している。
まず、低迷している中小企業には現金や非常事態無償供与を求めている。行政機関は、個々の事情に合わせた
融資等の運助を行う体制を整えつつある。
また、需要回復に向け、ダウンタウンへの集客回復の呼び水となるような財政的(例タックス
ホリディ)
はたらきかけや PR を行ったり、地元企業製品購買運動を実施したりしている。
・9 月 11 日以前の経済状況
歴史的にもマンハッタン南部地域は、ニューヨーク経済の原動力である多くの中小企業や企業家を魅了して
きた。テロは営業拠点の一極集中に警鐘を鳴らした。中小企業は、ニューヨーク市にとって不可欠な存在であ
225
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
る。また、景気の影響を最も受けやすい業界でもあり、近年の米国景気減速を受け、テロ以前より売上高は微
増に留まっていた。
収入(部門別)
$248 億超
卸売(25%),専門サービス業(13%),金融(12%),小売(10%),不動産(10%)
雇用者数(部門別)1900 万人(ニューヨーク市全雇用者数の約半数)
小売(16%),交通機関及び観光業(13%),専門サービス業(13%),
健康関連及びバイオ(10%),不動産(9%)
・テロの経済的衝撃
テロ災害は、中小企業コミュニティへ大きな打撃を与えた。ダウンタウンの外では、購買意欲の減退、安全
性の重視による円滑な物流が困難となったため、全般的な経済活動が低下した。特に、WTCビル周辺の中小
企業(企業数 4,400 以上、従業員 43,522 人)の内、700 社以上、8,005 人の労働者が実体的な被害を受けた。
実物被害、安全性基準、保険金請求の未解決、インフラや交通アクセス等の問題が重なり、マンハッタン南
端区域の店舗は数日(中には数週間)に渡り、休業を余儀なくされた。
そして観光業と関係のある製造、卸売業、アパレルや専門サービス業は、需要の大幅な減少に直面している。
ある調査によると、事件後、トライベッカやソーホー、リトルイタリアにあるレストランの売上は 20 から 50%
の減少した、そして、小売業者はテロ災害以前と比して 20 から 80%売上が減少した。
テロの結果、中小企業の売上減少総額は 01 年第 4 四半期の$530 億減少分と、02 年、03 年にかけて見込まれ
る$168 億の計$221 億に達するだろう。ニューヨーク市の小売関連における失業者数も、第 4 四半期に 5 万 4619
人、02 年第1四半期に 5 万 4987 人とピークを迎えるだろう。
・影響
中小企業は、財政的基盤が脆弱なため、賃貸料や給与支払等の短期での手元資金繰りに困っている。営業環
境についても交通規制、アクセス面、配送やインフラについての問題から他の地域に比べ、苦戦を強いられて
いる。例えば、いくつかのレストランはカードが依然使えなかったり、材料納入業者と連絡が取れずにいる。
専門的サービスはインターネットを通じた事業に支障をきたしている。これらのビジネスはライフラインなし
では、営業が成り立たない。
・復興計画
中小企業は、個々の企業は規模は小さいが、従事者数ではニューヨーク市全雇用者の約半数を占めるという
事実が示すように、地域経済への影響は大きい。さらにこれらの企業が提供するサービス、製品、仕事がなけ
れば、市経済は長期にわたり苦しめられることになるだろう。
中小企業支援に向け、つなぎ資金を素早く融資したり、保険金支払算定の効率向上、一時的な店舗の貸与、
技術供与、必要な資金の無償供与といったあらゆる手段を考慮するべきだろう。また、需要を高めるため”中
小企業”販売促進キャンペーンを行う必要がある。
なお、中小企業の復旧を助ける為に、インターネットウェブサイトで随時復旧に必要な情報(電気、水道と
いったライフラインはどの範囲まで復旧したか、どこへ行けば立入禁止区域の入場パスがもらえるか、ビジネ
スの再起のためにどんな資金援助を受けられるのか)をきめ細かく掲示し、これを毎日更新したことは、新し
い手法であり、大変役に立った。
また、連邦政府中小企業庁の資金援助が決定する前の段階で、民間の義援金を原資とした中小企業向けの資
金援助が素早くなされたのは、大変有効だった。
226
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
ウ.保険
・被害状況
人的被害は、約 500 名になり、物的被害は、9 万㎡の事務所スペースが失われた。
マンハッタン南端区域にあった保険会社へ、テロが与えた直接的な衝撃は、相対的に市、国経済に占める
存在は小さい。しかし、ニューヨークに拠点をおく保険業界は重大な人的損失に苦しんでいる。また 9 月 11
日の保険金支払がかなりの額に上るとわかっている。この事件により、今後、テロリスクの補償はなくなる
だろうといわれている。
保険金請求、支払への対応の早さが、市経済の再投資、復興のカギとなる。ニューヨーク経済復興を妨げ
る要因を取り除くために、長期にわたり保険金支払を待っている企業に対し、十分な当座の手元流動性補償
を迅速に行われることが望まれる。
・9 月 11 日以前の経済状況
ニューヨーク市には 70 以上もの世界的に有数な保険会社が本店を置き、市の重要な存在である。ニューヨ
ーク市や州所得への貢献度は案外低く、ここ 10 年にわたって毎年 3.8%程度ずつ低下してきたこともあり、
州総生産のたった 2.2%($160 億)に過ぎない。
雇用者は高技能、高賃金取得者であるため、ニューヨーク市の雇用者数では2%(70.800 人)だが、ニュー
ヨーク市賃金所得の3%($60 億)を占める。雇用者数も 1990 年より年率 2.5%の割合で低下していた。この流
れは 2005 年まで続くだろう。この背景にはテロの影響よりむしろ会社の移転やバックオフィス機能の整理へ
の動きがある。
しかし、保険業界の再保険未調整収入は攻撃以前は$470 億(1996 年)から$630 億(2000 年)へと増加し
ていた。もしテロがなければ 2005 年まで収入増加が見込まれていた。
・テロの経済的衝撃
500 名にのぼる人材喪失、9 万㎡の事務スペースを失ったにも関わらず、今後 1 年以内に本来の予想パター
ンへの回復が見込まれる。数年後には、保険商品への需要の高まりや料率上昇により、保険産業の産出高は
上昇基調をたどると予想される。
保険業界からの税収は、保険純収入の下落を受け短期的には減少するだろう。だが、保険料自体への課税
により相殺できるだろう。全体としては、テロ災害がニューヨーク市への税収に与える影響は、無視できる
ほど小さいであろう。
・影響
保障の関連項目数、損失算定の複雑度の点において、テロによる保険損失は史上最悪のものとなった。例
えば、生涯保険からの便益を享受する期間を短縮し、休業保障、信頼性、いくつかの財産損失補償の推定を
複雑にした。損失は推定$250 億∼$500 億超とされる。保険可能な損失は平均$380 億とされる。
これらの損失にも拘らず、保険会社のソルベンシー比率についての問題はないといわれている。理由とし
て、国際的な保険業者大手 20 社により損失は 80%カバーされているため、内外の保険機関へリスクの分散し
ていることが挙げられている。
過去の経験から、1 年以内に保険損失の約 45%($170 億程度)、2 年以内に 60%、そして残り 40%は 3 年か
ら 6 年以内に支払われることが望ましい。約 50%の保険金が清算、後支払われるとニューヨーク経済は復興
するだろう。なぜなら、それらの保険金はニューヨークへの再投資につながると予想されるからである。よ
って、ニューヨークの復興速度は保険損失の算定にかかっている。しかし、テロ攻撃は保険料率上昇の契機
227
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
となった。特に商業用途での財産、傷害において 20%から 60%への引き上げられた。今後保険業界構造や保険
商品の改革に着手すると予想される。
・復興計画
テロ災害後、テロの不確実性の評価にあたり、ニューヨーク市の企業は再保険契約や、元受保険の対象と
して無視できないものとわかった。企業からの要請に応えるため、保険会社や政府は以下の事項を迅速に立
ち上げる必要がある。そのために活発な支援、連邦議会開会前に適切な法案の策定や、保険引受と、2001 年
度末までに解決策について細かい日程案を独自に作成している。
保険可能な損失の複雑さや、最終的な帰結に向けた数年計画での利潤支払や保険請求を前提とすると、ニ
ューヨーク経済復興には、ある水準の手元資金が必要だろう。企業、保険そして政府機関はタイムリーな保
険金支払成立に向けた様々な方法の検討を行い、保険金支払を待っている企業の為、その代替となる補助的
な暫定基金創設することも有効であろう。
迅速な流動化、協調する努力、強い首尾一貫した支援政策といった取り組みが、円滑な保険金支払を助け、
さらにニューヨーク市経済の復興、ひいては再開発計画の加速へとつながる。
エ.世界的な保険業界
・被害状況
保険業界では、このテロ事件による保険金支払額はハリケーンアンドリュー(1992)時の損害額を越え、
史上最高額になると予想されている。死傷者数、損害総額等が未確定なため、支払金額算定に数ヶ月要する
ため、$300∼580 億に上るという予測もあるが不明である。
・主要保険会社への影響
大手の保険会社(ミュンヘン再保険、スイス再保険、バークシャ)が¥1000 億規模の大きな損害が発生し
ていると見込まれている。他、ロイズも航空保険や WTC 等の保険を引受けており全体支払額は$15 億とも言
われているが、先のハリケーンアンドリュー時に最終的に当初見積もりの 3 倍となったケースもあり4依然、
不透明である。
だが、各社の経営に大打撃とはならないものの、財務体力と引受額規模により各社への影響は異なり、相
対的に影響大とみなされた会社の株価が低迷したり5、格付けを下げられる会社もあった6。
・保険料率への影響
事件影響は戦争・テロリスク担保料率に即座に反映された。貨物海上保険の War&SRCC 料率引上げや、航
空保険の戦争リスク担保料率や条件の見直しが行われた。
料率全般では、特に商業関連商品の料率が最低でも 25∼30%上昇するだろう。だが、個人向け商品につい
ては 5∼10%程度の上昇に止まるだろう。
・保険種類ごとの見直し
2000 年より保険市場は、多種類安価で購入可能な環境から、限られた種類、高価な保険へと変化しつつあ
ったが、今後この流れはテロによりさらに加速するだろう。特に米国の標準的な保険証券には「テロリズム
4
既に、ミュンヘン再保険、スイス再保険、チャブ等は当初の 2 倍以上に上る修正見積を公表している。
例えば、エース保険会社は自己資本比率の7%にあたる損失($4 億)を発表した後、テロ後 1 週間で 38%下落した。他損害
保険会社は平均 10 20%の下落に止まった。
6
ロイズは A+から A へ、チューリッヒは AA+から AA へ格下げされた(S&P 社)。
5
228
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
免責」条項が盛り込まれるようになるだろう。
火災保険(利益保険含)
ビル内に立地していたことによる直接被害のみならず、周辺のマンハッタン南端区域にあった多数の企業
も、休業による損害を被っている。料率上昇に加え、保険条件も変化するだろう。再保険市場では、全リス
クから列挙リスク担保へと補償対象を変更する動きもある。売り手市場へと移ることで、自家保険、保険の
代替的市場を求める企業も現れるだろう。
労災保険
事件以前より悪化していたが、今回の事件で損害率がさらに悪化(上昇)することにより、NY 州における
料率上昇が予想される。その結果、雇用者による自家保険へ移行が起きるだろう。また、今後は巨大損害に
おける労災保険の適用範囲等が狭められる懸念がある。
賠償責任保険
賠償責任保険は、訴訟内容やそれに対し保険がどのように補償するかに依存するため、今後の予測は難し
い。が、WTC については、アスベストによる損害請求が発生する可能性もあり、保険市場や料率への影響は
財産保険等同様、不可避だろう。
再保険
1999 年以降、全世界で自然災害が多発したため、再保険料は上昇基調にあり、需要が逼迫気味である。そ
の上テロ事件による保険金支払急増も再保険料の上昇要因であるため、今後元受保険会社は顧客の要望に沿
った再保険手配が困難になるだろう。この動きは火災保険、航空保険分野に顕著であるが、他の市場にも波
及すると予想される。
・監督官庁としての政府の動き
今後、政府によるテロリズム保険機構7設立が検討される必要がある。保険会社は証券上テロリズムを一義
的に免責とした上で、消費者はテロ保険を米国仕様 Pool Re や、民間市場で保険会社から購入することも考
えられる。
オ.エネルギー
・被害状況
ニューヨーク市の雇用者数の内、3 万 2000 人がエネルギー関連産業8に従事しており、2000 年時点での収
入は$139 億、ニューヨーク市粗生産への寄与分は、$48 億である。
病院、証券取引所は自家発電装置を備えていたが、大半のビルにはなかったため被害が拡大した。電力を
供給しているコン
エディソン社も2変電所、配電系統に被害を受けた。修復費は$4 億 700 万かかると推定
されるが、2001 年の税引き後収益は$1500 万(推定)、また保険で補償されるのも$6600 万程度と思われる。
新たに建設する 2 変電所は 2002-2003 年完成予定である。同社はさらに安全性確保、マンハッタン南端区域
のインフラへの信頼性向上のため$3 億 8400 万投資する予定である。
テロ以前、ニューヨークの配電システムは世界で最も信頼性が高いとされていた。今後、従来水準での信
頼回復への単なる復帰ではなく、さらに次世代標準を目指したシステム構築に向けて取組む必要がある。
7
8
この仕組みは Pool Re(英国)のテロリスト再保険プログラムと同様の仕組みである。
電力、ガス、蒸気、石油−ガソリン、灯油、航空燃料、プロパンを指す。
229
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
・9 月 11 日以前の経済概要
ニューヨーク市のエネルギーは、送信システム、配電、変電システムから成り立っている。送電システム
は高圧ケーブルのネットワークを経由してニューヨークへ電気を供給している。配電システムは低圧ケーブ
ルのネットワークを経由して各建物へ、そして変電システムは送信システムからのやや高圧な電流を企業や
消費者へ供給するため、低圧に変換している。そのため送電システムは、都市の主要な送電線の損害、都市
最大規模の発電機への被害を受けた。4つの変電所はマンハッタン南端区域へ様々な電圧の電流を供給すべ
く、特定の場所に設置していた。
競争的な電力市場創出のため、近年ニューヨーク州は規制緩和計画の一環として他業種からの卸売電力市
場への参入を許した。いまや、電力の卸値は競争市場で決定される。当局によって設定される送配信率は低
下していた。この競争的な電力市場は電気価格の不安定性をもたらした。だが、ニューヨーク州はカリフォ
ルニア州といくつかの点で異なる方策をとった。ニューヨーク方式では、最低留保利益幅は 18%とし、需給
が見合うよう充分な対応能力を持った市場を用意した。さらに、送電制約から、地域毎に価格が異なっても
良いとした。既存企業、個々の顧客は短期、中間、長期と様々な期間で契約可能であり、リスクや価格変動
を避けるためヘッジを行った。
テロによる電力需要の減少は一時的、微小なものであり、ニューヨーク州、カリフォルニア州とも、発電
容量増加が懸案事項である。発電容量が増加しなければ、NY経済復興の足をひっぱることになるだろう。
システムの信頼性からも、ニューヨーク市はピークロード時の 80%を確保する必要がある。2001 年夏季に
は、ニューヨークはその規制に応じ、追加的に 300MW 発電し、8700MW を供給した。今後、年率 1.3%で電力需
要がのびるとすると、ニューヨーク市へさらに 500MW、また州全体の電力需要が年率 1.4%で伸びるならば、
2,500MW が 2005 年までに必要となる。これらの発電は、効率ばかりでなく環境にも配慮したもので、これま
で使用してきた大気汚染を生む発電装置に変るものであらねばならない。
エネルギー管理、ロード時電力評価は、ニューヨークのエネルギーインフラと計画の根幹である。エネル
ギー管理は負荷を低下させることで、新たな電力需要の抑制や環境への負担減少につながる。エネルギー価
格に反映されるロード時電力評価は、企業や消費者の電力需要をピークロード時からオフピークへと分散さ
せるだろう。バランスのとれた計画は、ニューヨークの経済復興ばかりでなく、さらなる成長をもたらすだ
ろう。
・テロの経済的衝撃
テロにより、コン
エディソン社は電力、天然ガス、水蒸気配電システムの一部に被害を受けた。WTC の
地下にあった 2 つの変電所が破壊され、高圧送電線も被害を受けた。これらの変電所はマンハッタン南端区
域の一部へ電力を供給しており、現在近くの仮設ケーブルから電力を受け取っている。2002 年夏までに新た
な変電所を1基、2003 年夏までにもう 1 基建設予定である。またテロのため、ガス幹線 2.4km が使い物にな
らなくなった。
これらの被害を修復する費用は計$4 億 700 万にのぼり、内$6600 万は保険により補償されるだろう。コン
エディソン社全サービスエリアにおける 2001 年の送配電施設への予算配分は$5 億であった。年間収入は税
引き後で$1500 万である。さらに、コン
エディソン社は安全性、信頼性向上のため、マンハッタン南端区
域のエネルギー関連インフラへ$3 億 8400 万の追加投資を計画している9。
・分散発電
9
建物自体の安全性、信頼性向上、破壊された 2 変電所とはまた別に新たな変電所、送電線、バックアップコントロールセンタ
ー能力の向上等が計画されている。
230
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
テロ以前、病院や証券取引所等いくつかの建物は、不慮の事態を想定し自家発電装置を完備していたが、
他の建物は不充分だった。それらの建物では、電力不足により業務に支障が出た。
このような状況を避けるため、停電の際、各建物がその電力需要の一部をまかなえる(バックアップ用)
自家発電を備えるという案が考えられる。が、発電機設置には、設置場所、多大な費用、設置許可、コン
エ
ディソンの信任を得る必要がある。しかし、必要な電力の質、量の確保はビジネスにとって不可欠であろう。
分散発電の 1 例として、従来型の内部燃焼型エンジンによる発電機があるが、これは大気汚染の危険性があ
るため非常時のみの使用に限られるだろう。他方、より進んだ内部燃焼エンジンがある。これはガスを燃料
としているため、先の発電機よりも大気汚染への影響が軽微で、燃焼効率も高い。この発電機を有効に活用
することで、エネルギー費用を削減することもできるだろう。
・復興計画
市、州当局、共同体、企業、環境団体は新たな2変電所とケーブルとパイプの地下共同溝についての、再
調査、同意、迅速な敷設の支援をし、関係者は、システムの代替電力源や追加的な安全を NY 市全体の建物へ
供給するため、環境にも優しい、しかるべき分散発電装置の活用を共に支援する必要がある。
緊急連邦基金は、コン
エディソンが行うマンハッタン南端区域のエネルギーインフラの修復や、被害を
受けたシステムの再構築への補償に使われるべきである。また、連邦エネルギー規制委員会(FERC)、市、
州当局、NY 独立システムオペレーター、企業、環境団体や他の諸関係機関は共に競争的な電力市場を基にし
た、NY 市の発電容量、環境上の責任や、効率的な投資を支援しよう。その上で、効率的なエネルギー供給を
助けるような、保全や負荷調整対策の促進すべきだろう。
考
察
現代の都市はその規模の大きさと機能の高度化、複雑化のため、都市災害時には、被害規模の把握、復興計画
の策定が困難である。
都市の災害においては、経済的な観点からは、都市の物的な価値の集積も大きいが、それ以上に情報、流通、
金融等のソフトの集積が大きく、災害によりソフトの資産が損傷を受けた時は、経済的損害は、物的な損害の範
囲を大きく上回り多岐にわたる間接損害が広がる。
今回のニューヨークの WTC ビルテロ災害は、このような高度な都市の災害の側面を特徴を表し、物的損害の数
倍の間接損害が広がっていることが、関係者への大規模なアンケート、ヒアリング調査等により明らかになるこ
とがわかった。そして直接被害の受けた WTC ビルの周辺の間接被害の調査から現状の都市では、間接損害を防ぐ
ための対策が非常に遅れていることが明確になった。その対応策は、データや通信の地理的集積の解消や十分な
スペースの確保、そして災害後の各産業・職業や地域の魅力の低下を防ぐ手法の開発が必要になってきているこ
とが明らかになった。
なお、復旧復興プロセスにあたって、被災者、被災企業向けの情報提供ツールとしてウェブサイトによる情報
提供が有効に活用されたことは、今後の参考となろう。
引用文献
[1] Alliance for Downtown New York, Inc.:「Downtown Alliance of Lower Manhattan Retail Establishments
January 2002」〔(2002)〕
[2] Alliance for Downtown New York, Inc.〔http://www.downtownny.com/index.asp〕
[3] Empire State Development, New York City Economic Development Corporation:「World Trade Center Disaster
231
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
Final Action Plan for New York Business Recovery and Economic Revitalization」〔New York State Action
Plan, (2002)〕
[4] New York City Partnership〔http://www.nycp.org/〕
[5] New York City Partnership and Chamber of Commerce:「Working Together to Accelerate New York's Recovery
Economic Impact Analysis of the September 11th Attack on New York City」〔(2001)〕
[6] New York State Urban Development Corporation d/b/a the Empire State Development Corporation:
「Guideline for the WTC Business Recovery Grant Program」〔New York State World Trade Center Disaster
Action Plan for New York Business Recovery and Economic Revitalization, (2002)〕
[7] NYU Wagner, Regional Plan Association, AMERICA SPEAKS, Milano Graduate School:「Listening to the
City」〔A Project of the Civic Alliance to Rebuild Downtown New York, (2002)〕
232
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
3. 世界貿易センタービル災害の広域的な影響と復興過程の分析
3.4. 間接被害の実態
独立行政法人防災科学技術研究所「災害に強い社会システムに関する実証的研究」プロジェクトチー
ム防災科学技術研究所
佐藤
照子、片山
恒雄
独立行政法人防災科学技術研究所「災害に強い社会システムに関する実証的研究」プロジェクトチー
ム日本リスクマネージメント(株)
本位田
正平
独立行政法人防災科学技術研究所「災害に強い社会システムに関する実証的研究」プロジェクトチー
ム防災科学技術研究所客員研究員(損害保険料率算定会)
坪川
博彰
独立行政法人防災科学技術研究所「災害に強い社会システムに関する実証的研究」プロジェクトチー
ム防災科学技術研究所客員研究員(青山学院大学国際政治経済学部)
瀬尾
要
佳美
約
ニューヨークの世界貿易センタービル崩壊災害、すなわち世界経済の中心的役割を担う多機能・高密度に利用
された都市空間の破壊にともない発生した間接被害の実態を現地調査や関連資料の分析による実証的な方法によ
り明らかにした。その中で、間接被害の規模、被害の時空間分布、拡大要因を分析するとともに、その具体的な
様相を①行政の被害、②ビジネス被害、③コミュニティと住民の被害、④都市環境被害、⑤安全対策費用、⑥防
災力の向上の、6 つのカテゴリーに分けて考察した。
調査研究の目的
2001 年 9 月 11 日、ニューヨーク市(New York City)
、ローワー・マンハッタン(Lower Manhattan:以後 LM と
記す)にある世界貿易センター(World
Trade
Center:以後 WTC と記す)ビルコンプレックスがテロによる航
空機の突入により崩壊した。この WTC ビルコンプレックスの崩壊は、ビル空間にあったオフィス、ショッピング
センター、地下鉄駅、ライフライン、通信施設等の都市施設を破壊し、3,000 人にのぼる人々の命を一瞬に奪った。
この被害は、オフィス空間に入居していた世界の主要企業群ばかりでなく LM 地区の企業の経済活動、ニューヨー
ク市の経済、地域のコミュニティ、住民、都市環境などに大打撃を与えた。この事件は自然外力を原因としたも
のではないが、高密度に利用された大都市で、しかも世界の金融経済の中心地で発生した災害であり、そこには
都市型の大規模災害への対応や被害の拡大の様相が見られた。すなわち、この災害は、複雑化した都市機能が持
つ脆弱性を凝縮した形で具現化した災害でもあった(以後、この災害を WTC 災害と呼ぶ)。本調査研究では、大震
233
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
災による間接損害についての知見を集積するために、WTC 災害の間接被害に関する資料の収集、情報の蓄積を行う
とともに、その収集した資料の分析により、その実態を明らかにした。
研究方法
2.1. 調査対象地域
本調査研究の対象地域はアメリカ合衆国大西洋岸に位置する、人口約 800 万人のアメリカ最大の都市、ニュー
ヨーク市である。同市の面積は 800k ㎡、5 つの行政区からなる。市の北西部に位置し、東西をイースト川、ハド
ソン川で境されるマンハッタン行政区で WTC 災害は発生した(図 1)
。マンハッタンの 2000 年時点の人口は 154 万
人である。マンハッタン南部のチャンバー通り(Chambers St.)以南が、LM 地区またはダウンタウン(Downtown)
と呼ばれることが多く、ここでもこの通例に従う。災害が発生した WTC は LM 地区の南部に位置し(図 1 下中の☆
印)、西隣のバッテリー・パーク・シティ(Battery Park City)には世界金融センター(World Financial Center:WFC
と記す)が、南側 2 ブロック先にはウォール・ストリート金融街がある。WTC は 7 つの高層ビルで構成されるビル
コンプレックスである。なお、ミッドタウン(Midtown Manhattan)は LM 地区の北側に位置する。
234
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 1. 対象地域位置図
左:ニューヨーク市全図、右:ローワーマンハッタン
2.2. 間接被害の定義と調査範囲
ここでは、異常な外力が加わった場所で発生した物理的な被害を直接被害とし、それに連鎖して発生した二次
的な被害を間接被害という。すなわち、9 月 11 日の WTC への航空機突入の結果として、WTC ビルコンプレックス
とその隣接地域で発生した不動産、動産、社会基盤等の物理的被害と人命の損失を直接被害とし、それから派生
した被害を、経済的、精神的被害も含めて全て間接被害とする。間接被害の発生は時間的には長期にわたり、ま
た空間的にも拡がりをもつが、本報告では、ニューヨーク市の被害を中心とし、災害発生後 3 年くらいまでの範
囲を扱う。
2.3. 調査研究方法
本調査研究では、WTC 災害の間接被害に関する情報を、現地調査や関連文献、災害後の報道情報等から収集し、
災害の経過、被害の連鎖、被害の大きさ、災害対応等に焦点を当て、整理・分析し、実証的に間接被害の実態を
235
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
明らかにした。現地調査は、WTC 災害に関する緊急調査研究チーム全体で米国側と共同研究体制を構築し、アメリ
カの防災関係者や研究者の協力をもとに、2002 年 2 月 24 日∼3 月 3 日にかけて実施された。その中で、WTC 災害
現場の調査や、災害対応にあたったニューヨーク市緊急指令センター(Emergency Command Center)
、NY 消防局、
米連邦緊急事態管理庁(Federal Emergency Management Agency:以後 FEMA と記す)、ニューヨーク市役所、Downtown
Alliance、ニューヨーク大学行政研究所(Institute of Public Administration:以後 IPA と記す)、New School
の関係者や研究者から、災害の状況や調査結果等についての説明を受けるとともに、聞き取り調査、資料の収集
を行った。
2.4. 使用したデータ
WTC 災害の被害額の確定にはまだ時間が必要で、また時間が経過しても確定が難しいものがある。本報告では、
[8]
New York City Partnership and Chamber of Commerce(NYCP と記す)の報告書
「Working Together to
Accelerate New York's Recovery-Economic Impact Analysis of the September 11th Attack on New York City」
の中で示された被害の見積額を用いた。NYCP は 7 つの経営コンサルタントと商工会議所からなる組織で、専門能
力を活かし、災害直後から早期復興に不可欠な被害額の見積を産業別に行い、それにもとづいた復興政策の提言
を行ってきた。また、災害時の出来事、様子については、現地での聞き取り調査により得た知見および、IPA が作
[4]
成したデータベース「WTC テロ事件関連記事データ/資料」
、横浜市ニューヨーク事務所が作成した「Emergency
[12]
Management by the City of New York After Tragic Events on September 11」
を用いた。これ以外の資
料を用いる時には引用文献を記した。
研究成果
3.1. WTC 災害の概要
WTC 災害は、2001 年 9 月 11 日、乗客を乗せたボーイング 767 型の航空機 2 機が、まず午前 8 時 45 分頃ニュー
ヨーク市の WTC 第 1 ビルに、続いて 9 時 3 分に WTC 第 2 ビルへと突入し、WTC ビルコンプレックスとその中の資産
と人命を奪うことにより始まった。航空機の突入により午前 10 時 5 分頃、まず WTC 第 2 ビルが崩壊し、その約 20
分後の 10 時 28 分に最初に攻撃を受けた WTC 第 1 ビルが崩壊した。その影響で周囲に建っていた WTC 第 3 ビルか
ら WTC 第 5 ビルが倒壊した。さらに WTC 第 1 ビル、WTC 第 2 ビル倒壊の 7 時間経過後の午後 5 時 20 分、すぐ北側
のブロックにあった 47 階建ての WTC 第 7 ビルも倒壊した。第 6 ビルだけは残ったが、大きな損傷をうけた。WTC
の西側に位置するバッテリー・パーク・シティの WFC でも第 1∼第 3 ビルが大きな損傷を受け、そのままでは、使
えない状態となった。
2001 年午前 9 時 17 分,連邦航空局(Federal Aviation Association)がニューヨーク地域の空港を閉鎖、9 時
40 分にはアメリカ国内の民間航空機の飛行を全面的に禁止し、全空域は空軍戦闘機により監視された。この民間
航空機の飛行禁止は、翌日 12 日正午まで続いた。事件直後 マンハッタンでは、すべての公的バスや地下鉄の運
行がストップした。午前 9 時 21 分には、ニューヨーク市のクイーンズ、ブルックリンやニュージャージー州から
イースト川やハドソン川を渡ってマンハッタンに入る全ての橋やトンネルが閉鎖された。その直後からニューヨ
ーク市や州などの行政ビルや国連ビルなどからの避難が始まった。また連邦航空局はアメリカに向かう全ての国
際便にカナダに向かうよう指示した。ジュリアーニ ニューヨーク市長(当時)は、キャナル・ストリート以南の
住民や会社従業員にマンハッタン南部から避難するように勧告、
また 14 丁目以南の住民に外出禁止を呼びかけた。
市長のリーダーシップのもとで、ニューヨーク市とニューヨーク州、FEMA 等の連携により、災害緊急対応がな
された。ニューヨーク市は、数多くの機関の連携を必要とする緊急事態における管理機能を強化するために、非
常事態管理室(OEM:Office of Emergency Management)を 1996 年に設置し、その拠点として、1999 年に WTC 第
7 ビル内に、緊急オペレーションセンター(EOC:Emergency Operation Center)を開設していた。しかし、WTC
236
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
第7ビルの崩壊とともに EOC は消滅したため、代替機能として仮設の緊急指令センター(ECC:Emergency Command
Center)を立ち上げた。緊急指令センターは、組織の拡大等により、約 1 週間の間に場所を 4 回変更し、最終的
に 51 丁目ハドソン川沿いに設置された。また、被災住民を支援するための家族支援センター(FAC:Family
Assistance Center)を災害から 6 日後に開設した。
3.2. 被災地域の特徴
ニューヨーク市は世界経済の中心地と知られ、金融業が市の経済生産高(economic output)4,400 億ドルの約
24%に相当する額を生みだしている。その中でも LM 地区は、アメリカの中でミッドタウン、シカゴに続いて三番
目に大きいビジネス地区として知られ、ニューヨーク証券取引所のあるウオールストリート金融街をはじめとし
て、金融関係や世界の主要企業群のオフィスが集中する。そして、LM 地区の経済生産高の 75%は金融と保険関係
企業によって支えられている。この LM 地区の象徴的な存在である WTC は、写真1に示すように高層ビル群が建ち
並ぶ高密度に利用された都市空間である。この様子は、航空機が突入した WTC の第 1、第 2 タワービルに典型的に
見ることができる。ビルは 110 階建(第 1 タワー417m、第 2 タワー415m)で、92 万㎡以上のオフィス空間があり、
地下は 1-2 階がショッピングセンター、3-4 階が 2,000 台の駐車スペース、5-6 階が地下鉄の駅として使われてい
た。
写真 1. 被災前の WTC ビルコンプレックス:中央には 110 階建てのツインタワーがそびえている([5]から引用)。
3.3. 被災規模
WTC 災害では、総推定被害額 830 億ドル、その約 36%に相当する 297 億ドルが直接被害、残りの 64%、530 億ド
ルが間接被害であった。間接被害は、直接被害の約 2 倍の大きさとなることが予測された。総被害額は、ニュー
ヨーク市の 2000 年の年間総生産高(Real Gross City Product:GCP) 4,290 億ドルの約 19%に、また、市の 1999
237
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
年の歳入・歳出額 341 億ドルに対しては、約 2.4 倍の大きさに相当するものであった。巨額ではあったが、ニュ
ーヨーク市にとってマネージできる範囲であると NYCP は報告している。阪神大震災における神戸市の社会・産業
面の資本ストック全体の推定損害額は 575 億ドル(約 6 兆 9 千億円[12]
を 1 ドル 120 円で換算)であった
が、これを、WTC 災害の社会的資産の被害額、すなわち直接被害総額から命の損失分を差し引いた 197 億ドルと比
較すると、WTC 災害の被害額は阪神大震災の神戸市の社会・産業面の資本ストック全体の推定損害額の約 1/3 であ
った。
直接被害を具体的にみると、被災域は図 2 に示すように、WTC ビルコンプレックスを中心に 24 エーカー(約 10
万㎡)と非常に狭い範囲であった。ここで、超高層ビルを含む 7 棟のビルが倒壊し、WTC に隣接するビル 2 棟が重
度の損傷をうけ、図 2 にみられるように隣接する商業地区も軽度ではあるが、損傷した。これにより失われたオ
フィス空間は、マンハッタン全体の 8%に、LM 地区に限ると 30%に相当する 268 万㎡(全壊が 141 万㎡、重度の損
傷が 33 万㎡ 、軽度の損傷が 94 万㎡ )となった(表 1)。また、WTC ビルコンプレックスにあった社会基盤施設
も被災した。地下 5-6 階にあったニューヨーク・ニュージャージー港湾公社(NewYork New Jersey Port Authority:
NY/NJPA)が運営する地下鉄が破壊し 10 億ドル、MTA 社が 15 億ドル、民間の電信・電力施設被害が 20 億ドル、合
計 45 億ドルの被害を受けた。建物に付随する動産の被害は 66 億ドルで、その内訳は、機器(Technology)が 37 億
ドル、設備(business fixtures)が 23 億ドル、在庫商品(retail inventory)が 6 億ドルであった。なお、この災
害による死者・行方不明者は災害直後、5,000 人以上と推定され、人命の損失として 100 億ドルが計上された。こ
の際、人命の価値は計算できないため、生涯の生産性を考慮して試算された。WTC 災害現場では、ガレキ処理が
2002 年 5 月 30 日に終了したが、その時点での死者・行方不明者は 2,823 人(行方不明者 1,092 人)と発表された。
238
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 2. WTC 災害の被災状況図[8]p73 の図を編集)
表 1. WTC 災害における直接被害内訳
[8]
単位:億ドル
被災内容
(1) 建物(全壊)
建物(損傷)
被害額
(2) 社会基盤関係
45
(3) 動産
機器
設備
在庫商品
(4) 人命の損失
小計
64
22
37
23
6
100
297
内訳等
全壊 141 万 m2 × 4,515 ドル / m2
重度 33 万 m2 × 3,763 ドル / m2
軽度 94 万 m2 × 1,075 ドル / m2
交通施設
NY/NJ PA 10
MTA 社
15
民間電話・電力施設(Verizon 社、ConEd 社)20
証券会社 35、 その他 0.5
損壊、重度被害 23(174 万 m2 × 1,344 ドル/ m2 )
計算不可、人生の生産性を考慮して試算
3.4. 間接被害の実態
WTC ビルコンプレックスの崩壊にともなう間接被害は多岐にわたり、短期間の調査では、その全貌を把握するの
は難しいが、ここでは、今回の調査により収集した情報・資料の整理・分析にもとづき、その被災規模、被害の
239
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
時空間分布、拡大要因を明らかにするとともに、被害を 6 つにカテゴリー分けし、間接被害の具体的な様相につ
いて述べる。
3.4.1. 間接被害のカテゴリー
まず、WTC ビルコンプレックスの崩壊にともなう間接被害を、収集した情報・資料の整理・分析により、6 カテ
ゴリーに分けた。このカテゴリーは、間接被害の特徴が分かるような分類とした。まず、被災した側で分け、(1)
行政の被害、(2)ビジネスの被害、(3)コミュニティと住民の被害、(4)都市環境被害の 4 分類とし、これに、WTC
災害に特徴的に見られた(5)安全対策費用を加え、災害の経験から生まれた新しい知恵としての(6)防災力の向上
を加えた。ここで、(1)行政の被害とは、災害発生に伴い発生した臨時の行政経費である。(2)ビジネス被害には、
災害に伴う経済活動の変化により発生した経済生産の損失、雇用の損失などが含まれる。(3)コミュニティと住民
の被害には、地域や住民が受けた経済的な被害から、精神的なダメージ、生活の不便さも含まれる。(4)都市環境
被害には、都市活動空間、交通アクセス、インフラ、環境汚染、都市のアメニティ、都市活動、文化活動など、
都市の機能や環境の被害が含まれる。(5)安全対策費用は災害後、テロ再発へと向けた支出された安全対策費用で
ある。これは、社会的に追加された新しい費用であり、被害額としては(1)∼(3)に入る。(6)防災力の向上のカテ
ゴリーは、災害による被災経験が生み出した、災害による被害を軽減するための新たな考え方、計画、対策、行
動などである。それぞれのカテゴリーに含まれる主な被害の内容を表 2 に示した。
240
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
表 2 カテゴリー別の間接被害の主な内容
[4][8][11]
間接被害発生に関わる 間接被害の内容
影響する被害
被害軽減策
被害
①
<災害対応に関わる行政経費>
連邦、州の支援
行 直接被害
緊急対応、被災者支援、行方不明者
非常事態管理室
政 間接被害
登録システム、心のケア、主要建物
(組織的な対応)
の
へ の 非 常 用 電 源 の 供 給 、 Web 上 で の
市長のリーダーシップ
被
情報提供、ボランティアおよび献血
民間団体との協力体制
害
募集システム、避難所提供
ボランティア
地域復興策
災害現場の復旧:ガレキ処理
(テロに対する不安) (テロ再発防止対策)
② オフィスの消失・損壊 経済活動停止・停滞→収益の減少、
税収の減少
ビ ライフライン不安定化 (金 融業 、観光業、小売り業、中小 失業
ジ 交通アクセス悪化
企業に被害が集中)
ネ 都市環境悪化
オフィスの移転
ス 顧客の減少
雇用の損失
ビジネス支援策
失業者対策
都市環境悪化
被 (テロに対する不安) (テロ再発防止対策)
害
③ 住宅被害
避難所生活(約2万人)
行政の被害
緊急支援センター
地 活動空間制限
自宅に戻れない被害
都市環境被害
家族支援センター
域 ライフライン機能停止 生活上の不便さ・困難さ
(被災者重視の対策)
と 雇用の損失
失業・所得の減少・生活の困窮
NPO,NGOに よ る 支 援
住 ビジネス被害
社会サービスの停滞
義捐金
民
身体の負傷、精神的ダメージ
被 災害体験
アラブ系住民への迫害
救済基金設立
移民政策
害 (テロに対する不安) (テロ再発防止対策)
不法移民対策
④ (テ ロ に 対 す る 不 安 )
活動空間の制限
ビジネス被害
都 インフラ被害
交通アクセスの悪化
行政の被害
市 交通規制、検問
環 境 汚 染( 粉 塵 、ア ス ベ ス ト 、ゴ ミ ) 住 民 の 被 害
環 立ち入り禁止区域
人の移動量の減少
境
文化施設の閉鎖
の
都市のアメニティ破壊
被
職住環境の破壊
害
⑤ テロに対する不安
観光客・ビジネス客等の激減
安
地域の安全対策
(1 ) ∼ (4 ) の 被 害 に
全
社会的に安全対策を求める声増大
含まれる
被害額としては
対
交通機関等の安全対策
策
(例:平服の警察官の増員、持ち物 観光客等誘致キャ
検査 、顔 を確 認するためのカメラの ンペーン
設置、車の調査等々)
⑥ 被災経験
奨学金
災害に強いビジネスシステムの創設
防 テロに対する不安
災
力
241
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
3.4.2. 間接被害の被災規模と分布
間接被害には、定量的な把握が難しい被害も含まれる。ここでは災害後被害額の推定が行われている行政の被
害やビジネスの被害規模を中心に述べる。WTC 災害では高密度に土地利用された都市空間が被災し、世界経済の中
心的役割を担う企業群のビジネス活動の拠点であるオフィス空間が破壊されたり、機能不全に陥った。その結果、
ニューヨーク市における行政やビジネスが受けた間接被害の規模は、市の経済生産高 4,290 億ドルの約 12%に相当
する 530 億ドルという巨額なものとなった。その内訳を表 3 に示すが、行政の被害額 144 億ドル、ビジネス被害
390 億ドルであり、間接被害の 3/4 はビジネス被害であった。なお、2000 年 2 月の NYCP レポートの追録では被害
額増大の可能性を示唆している。それは、支払い義務のある損害賠償請求(liability claims) が増加しており、
それは損失見積額のかなりの増加を意味するからである。また、雇用の損失は、2001 年の第四半期に最大 125,000
人が発生するとされる。この約 10 万人の雇用損失で失われる年間総収入は 67 億ドルにのぼると推定された。な
お、雇用の損失も、最初の推定より、かなりな増加傾向にあるとされる。
ビジネス活動で最も被害を受けたのが、金融業、観光・運輸業、小売り業、中小企業(従業員 100 人未満)で
ある。金融業の被害は 190 億ドルとビジネス被害全体の 49%を占めた。続いて、第 2 位の観光・運輸業が 50 億ド
ルと全体の 13%、第 3 位の小売業が 49 億ドルと全体の 12%相当と、3 業種あわせて全被害の 74%以上を占め、被害
が偏って分布していることが分かる。金融業の被害が全体の半分を占めたのは、前述したように金融関係ビジネ
スが集中しているこの地区の特徴を表している。そして、金融業は LM 地区の専門的サービスや中小企業などにも
雇用を生み出しており、金融業の被害は他の産業にも連鎖的に被害を及ぼすことになる。雇用の損失についても、
3 業種合わせて 2001 年第四半期には損失全体の約 58%に相当する 71,750 人が見込まれた。なお、不動産・建設業
と専門的サービスは雇用を増やし、増収が見込まれた。
災害対応に伴い発生した行政経費 144 億ドルは、ニューヨーク市の 1999 年の歳入・歳出額 341 億ドルの約 42%
に相当する大きさであった。内訳は、ガレキ処理に 60 億ドル、災害緊急対応(消防士や警官の時間外勤務手当な
どの人件費、機器の損壊等)に 50 億ドル、保健・労務関係に 27 億ドル、被災者支援・教育設備等の修繕に 7 億
ドルである。最も大きいのが 120 億トンといわれるビル崩壊に伴うガレキの処理費用で、行政被害全体の約 42%
を占める。超高層ビルの崩壊に伴い、鉄骨、コンクリート塊および粉塵が何層にも重なってガレキとして堆積し
た。120 万トンに達したガレキは WTC 災害現場からトラックで運び出されハドソン川のフェリー桟橋からフェリー
でスタッテン島に運ばれ、トラックで処理場に運ばれた。ガレキの量が多いことに加え、テロの証拠物件である
ガレキは、内容物の検査を行ったうえで、廃棄しなければならず処理に膨大な時間とコストを要した。
WTC ビルコンプレックスの崩壊に伴い周辺地域のコミュニティや住民も後述するように様々な被害を受けた。
避難所を利用した住民は 2 万人、被災住民を支援する家族支援センターを訪れた住民は 2 カ月間で 22 万 9,000 人
に達した。また、都市環境被害には様々な側面があるので、ここでは都市の活動度を表す一つの指標ともいえる
ニューヨーク市を訪れるビジネス客や観光客数への影響をみておく。市の年間訪問客は内外合わせて約 3,740 万
人であるが、WTC 災害後の調査は、ニューヨーク市行きを計画していた人の 40∼50%が、その計画中止や延期を考
えていることを示し、市を訪れる人の激減を予想した。
WTC 災害で発生した行政の被害とビジネス被害に対して、連邦政府から救援、ガレキ処理、LM 地区再建費用と
して 112 億ドル、保険から 370 億ドルが補填され、最終的に被害額として残るのは 160 億ドルと推定されている。
連邦政府からの救援資金には FEMA の資金 27 億ドルやビジネス復興支援のための資金(Business Community
Development Block Grant)が含まれる。
242
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
表 3. 間接被害推定額
[8]
単位:億ドル
内 容
被害額
行政の被害
(災害対応と
ガレキ処理)
備 考
144
内訳 ガレキ処理
災害緊急対応
(個人被害10億ドル含む)
60
人件費、機器の損壊他
50
医療費、休業補償、訴訟補償他
保健、労務関係 27
その他
被災者支援、葬祭費用、教育設備被害他
7
ビジネス被害
390
計
530
3.4.3. 被害の時空間分布
間接被害の発生は直接被害発生直後から始まり長期間続き、また、発生場所も直接被害発生地点から周囲へと
被災範囲を広げていく。ビジネス被害を中心に、被害の時間的な分布について述べる。表 4 は、NYCP が発表した
業種別、発生年別の経済被害予測額である。ビジネス被害は、2001 年に 122 億ドル、2002∼2003 年に 266 億ドル
と、短期的な被害より、長期的な被害が約 2.2 倍と大きい。特に、被害全体の 74%を占めた金融、観光、小売り業
の 3 業種では、2001 年の短期的被害 62 億ドルに対して、2002∼2003 年の被害が 216 億ドルと約 3.5 倍と予想さ
れ、時間の経過とともに被害が拡大する傾向がより強く、長期にわたり、災害の影響が続くことが示されている。
また、雇用の損失は、2001 年第四半期に 12 万 4,500 人分が失われ、次第に回復するものの、2003 年にもまだ、5
万 7,050 人分の雇用の損失が発生すると見積もられた。特に、観光業においては、雇用への影響が大きく、しか
も長期にわたり発生し、2003 年第四半期になってもまだ、約 29,000 人の雇用損失が推定されている。また、被災
企業のニューヨーク市郊外への移転に伴う LM 地区の経済活動の低下は、後述するように、都市の環境にも影響を
与えることになる。
ビジネス活動の長期にわたる停滞は、税収減という形で、ニューヨーク市に長期にわたり影響を与える。ニュ
ーヨーク市では 2002 財政年の税収は前年に比べ 14%減収すると推定されている。例えば、株式市場の税金(Wall
Street tax payments)は 2001 財政年の 29 億ドルから、2002 財政年には 21 億ドルと前年より 8 億ドル減少すると
[6]
予想されている
。さらにその影響は翌年まで続き、2003 財政年にも、2001 財政年のレベルに戻らないと予
想されている(図 3)。
なお、WTC 災害により発生した行政経費 144 億ドルの一部は、連邦政府やニューヨーク州政府によって補填され
たが、まだ、ニューヨーク市に損失は残った。市は 2001 年当初予算で、黒字 5.5 億ドルを見込んでいたが、災害
発生にともなう臨時支出は、10 億ドルの予算不足をもたらした。これに対応するため、市の機関に 15%の経費削
減を、消防局、警察局、教育委員会に対しては、2.5%削減努力目標を課した。しかし、職員解雇はしない方針を
とった。また、復興の資金調達のため市の公債 3 億 8,700 万ドルを発行し、企業投資家(institutional investors)
から 2 億ドルを借り入れた。この公債は、将来の景気回復が見えない状況にもかかわらず、市場では好意的に受
け止められた。
243
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
表 4. WTC 災害によるビジネス損益([8]を編集)
(
Industry Sector
Short-term
Long-term
impact
impact
(2001)
(2002-2003)
$ billion
$ billion
)の数値はプラスの値を示す
Employment Losses
Q4-2001
Q4-2002
Q-2003
Financial Services
4.2
13.8
26,500
14,000
12,000
Professional Services
1.4
0.1
(2,000)
(6,000)
(6,300)
Tourism/Transport
0.9
4.1
21,000
38,200
29,000
Retail (Trade)
1.1
3.7
24,250
11,500
12,000
Manufacturing
0.7
2.2
32,000
19,000
4,000
Government
1.1
0.2
1,000
1,500
1,500
Health Services
0.4
0.4
400
3,000
2,700
Media/Entertainment
0.7
0.8
250
1,200
250
IT/Communications
0.4
0.9
3,500
1,900
4,000
Wholesale Trade
0.4
1.6
13,700
10,300
4,900
Insurance
0.2
0.0
1,900
Energy
0.0
0.1
Real Estate/Construction
0.0
(1.3)
2,000
(5,000)
(7,000)
Others
0.7
0.0
Total
12.2
26.6
124,500
89,600
57,050
244
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
図 3. 株式市場の利益(Wall Street profit)と税金(Wall Street tax payments)[6]
3.4.4. ニューヨーク市における被災空間の拡大
WTC 災害の直接被害は、WTC ビルコンプレックスの崩壊が発生した約 10ha の非常に狭い地域であったが、間接
被害の被災空間は LM 地区全域、ミッドタウン、そして市全域へと拡大していった。被災域が拡大した一つの要因
に、オフィス空間の消失、損壊という物理的被害は WTC 地区周辺にとどまったが、電力、情報回線、ガス、スチ
ーム、水というライフライン施設の被害が、より広い LM 地区のオフィス空間を機能不全に陥れ、ビジネス拠点と
して使えなくしたことがあげられる。例えば、電力の被害については、大規模な顧客は非常電源で数時間の対応
はできたが、それ以上は難しかった。電力は、事件後 1 週間目には一部を除き復旧したが、LM 地区の大部分は非
常用電源と暫定的な対応に頼る不安定な状態が調査時点でも続いていた。2002 年の夏までに、少なくとも変電所
1 つの再建が必要と考えられている。通信施設の被害は、LM 地区の通信回線に障害を与え、正常に戻ったのは 10
月末であった。例えば、株式市場は通信回線の 20%を失い、FBI と CIA の通信は、軍事衛星を利用し回線を確保し
た。ガスやスチームは事件後 1 ヶ月たっても復旧できない地域もあった。WTC および LM 地区がビジネス拠点とし
て機能不全に陥ったため、企業はニューヨーク市郊外、特にニュージャージーへとオフィスを移し始めた。例え
ば、7 つの主要な金融関係企業が暫定的に場所を変えた。移転先でのオフィスの契約は最低でも 5 年、多くは 10
年の長期契約である場合が多かった。
次にあげられる要因は、LM 地区への交通アクセスの悪化である。WTC で発生した局地的な交通施設の被害が LM
地区およびミッドタウンの交通ネットワークシステム全体の機能を低下させ、LM 地区ばかりでなくミッドタウン
への交通アクセスをも悪化させたこと。また、テロ再発防止のための、道路や橋での検問や交通規制が道路の交
通渋滞を招き、LM 地区全体への交通アクセスをさらに悪化させたことがある。これらは、LM 地区やミッドタウン
245
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
を訪れるビジネスの顧客や観光客を減少させ、ビジネス活動を阻害し、また、住民の生活を不便なものにした。
続いて、テロに対する不安感が、内外からニューヨーク市を訪れる観光客・ビジネス客・買い物客等を激減さ
せるなど、市全体に被害が及んだ。また、マンハッタンにおける経済活動の停滞は市の税収減となり、市全体へ
の被害となっていった。
3.4.5. 間接被害の様相と拡大防止策
間接被害全体について述べてきたが、ここでは、カテゴリー別に具体的に間接被害の様相とニューヨーク市な
どが行った被災者、ビジネス支援策、すなわち間接被害拡大防止策について考察する。
3.4.5.1. 行政の被害
WTC ビル崩壊災害発生にともない、ニューヨーク市は既存の組織を緊急体制に切り替えるとともに、緊急指令セ
ンターや家族支援センターなどの新しい組織を作り、災害の緊急対応や被災者支援、莫大な量のガレキ処理、そ
して地域復興策を実施した。災害直後、現場に警察官、消防隊員約 2,000 名が現場に急行し、レスキュー活動を
行ったが、約 1/3 の消防隊員がビル崩壊に巻き込まれ殉職した。最終的に救援・消火活動に当たった消防隊員は 1
万 4,000 人となった。高温でしかも 120 万トンというガレキの山に阻まれ、救出活動は難航した。初期の段階で
約 2,000 人の負傷者がニュージャージー州の病院に運ばれ、重傷者 600 人(重体 150 人)がマンハッタンの病院に
運ばれた。しかし、救出活動が難航し、これ以上の負傷者が運び込まれることは無かった。前述したように最も
経費のかかったガレキ処理は、約 8 か月後の 2002 年 5 月 31 日までかかった。
緊急対応や被災者の支援で重点がおかれたのは、次の 7 点であった。すなわち、①被災者の救済、②行方不明
者の登録システム、③心のケア・カウンセル、④主要建物への非常用電源の供給、⑤市の Web Site の立上による
情報提供、⑥ボランティア及び献血募集システム、⑦家をなくした人への避難所の提供である。これを実践に移
すための組織としての役割を担ったのが緊急指令センターと、災害後に設立された家族支援センターである。ま
た、ニューヨーク市では、経済活性化のために、ビジネス支援情報の提供、ビジネスへの低利子ローン等をおこ
ない、雇用機会創出、失業者支援のための費用を支出した。
行政の災害対応で特筆すべきことは、事件の被害に関わる全ての人が、様々な手続き、相談、支援を受けられ
る機能が全て揃っているワンストップ被災者センターである「家族支援センター」が被災後すぐに(9 月 17 日)
設立されたことである。被災者優先の考え方で作られ、市の機関から、連邦政府、州政府、民間団体まで 140 の
相談窓口、60 の法律相談コーナーがプライバシーに配慮して作られていた。また、ここを訪れる人のために、受
付、託児所、子供の遊び場、テレビルーム、マッサージルーム、無料のインターネット、国際電話、通訳、無料
のカフェテリア等が用意され、主要な駅からは無料の送迎バスが運行された。被災者への徹底した支援体制がす
ばやく確立され、被災者が受けるであろう間接被害軽減に大きな役割を果たしたと推測される。注目すべきこと
は、600 台のコンピューターと 600 台の電話がある巨大な施設を、民間マネージメントコンサルタント会社社員の
べ 300 人がボランティアで、設立決定から 3 日間で立ち上げたことである。民間機関を巻き込んで組織された、
機動力のある、柔軟性のある対応がとられた。
3.4.5.2. ビジネス被害
ニューヨーク市の財政レポートは、WTC 災害発生前にすでにアメリカの経済状況は悪化しており、この災害によ
[6][10]
る大打撃は、それを加速させる結果となったと報告している
。ビジネス被害全体については報告し
たが、ここでは、WTC 災害の影響を最も受けた、金融業、観光・運輸業、小売り業、中小企業(従業員 100 人未満)
について述べる。まず、金融業であるが、オフィス空間の損壊とライフラインの機能障害により、ビジネス活動
の拠点の多くが失われた。それに伴い、7 つの主要な金融関係企業が暫定的にオフィスの場所を変えるなど、活動
拠点の移転を迫られた企業も多かった。金融企業の少なくとも 3 万 2,000 人が LM 地区からニューヨーク市内の他
246
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
地区へ、その大部分はミッドタウンへと移り、市の外へと 1 万 9,000 人が移った。ニューヨーク経済の屋台骨を
支える金融業の被害はビジネス被害の半分を占め、さらにそれらと関連する多くのビジネスにも、経済的被害を
拡大させる結果となった。金融業の被害 190 億ドルは、2001 年 42 億ドル、2002∼2003 年 138 億ドルと、長期的
被害が短期的被害の約 3.3 倍と大きく、大きな被害が長期にわたり発生すると予想された。これは、ニューヨー
ク市全体の経済が、長期にわたり大きな被害を受けることを意味する。
続いて、経済損失全体の 13%に相当する被害となった観光・運輸業であるが、ここでは、オフィス空間の被害に
加え、テロに伴う不安と都市環境被害が大きな被害の要因となった。年間収益が 340 億ドル、観光事業従事者は
28 万人という大きな産業である。ニューヨークを訪れる観光客やビジネス客、買い物客は、年間 3,500 万人以上
にのぼるが、WTC 災害の発生原因であるテロ再発に対する不安等が、ニューヨーク市周辺だけにとどまらず非常に
広範囲に、航空機を使った旅行の中止を引き起こした。例えば、2001 年中にカナダ、イギリスからニューヨーク
市への旅客は約 40%の減少した。災害後の調査によると、ニューヨーク旅行を計画していた人の 40∼50%が、中止
や延期を考えているとの結果も出ている。観光客は激減し、前年のこの時期のホテル稼働率は 84%であったが、災
害後 1/4 の 20%台となった。特に、国内の観光客の 3 倍の購買量があり、市の経済を支えていた海外からの観光客
が減少した。観光客を呼び戻すために、ニューヨーク市は NPO(資金の 48%は市による)とともにランドマーク、
空港、交通機関の駅、デパートなどの安全対策を改善し、ニューヨーク市が安全な観光地であるとのキャンペー
ンを行ったり、旅行へのインセンティブの付与などの対策をとった。観光・運輸業界では、2003 年までに 50 億ド
ルの損失が生じ、最大 3 万 8,200 人の雇用減で、2003 年第四半期でも 2 万 9,000 人と、ビジネス業界の中では最
も大きな雇用損失が出ると見込まれている。
続いて小売業であるが、年間の売り上げは 510 億円、ニューヨーク市の 2/5 の雇用を支えてきた。災害により、
2003 年までに 76 億ドルの売り上げ減少が予測されている。これは、災害後、金融業の停滞、海外の観光客の減少、
LM 地区の交通規制や、アクセスの不便さによる顧客の減少などによるものである。例えば、2001 年のホリディシ
ーズンに、特にマンハッタンの高級デパートや高級店の売り上げは 30∼40%落ち込んだ。これは、災害にともな
う消費者行動の一時的な変化によるものと推測される。
全ての業種の中で、中小ビジネスは住民や企業に必要な製品やサービスを提供し、伝統的に LM 地区で重要な役
割を果たしてきた。そして、災害前には何千というビジネスが 10 万人以上の人を雇用していた。そして、これら
の半分が、金融業や専門サービスにおいて独自の地位を占めている。700 以上のビジネスが WTC ビルコンプレック
スにあり破壊され大きな被害を受けた。これにより約 80%の売り上げ減少に直面し、さらに店舗の修繕費用がかさ
み、リース、ローン、電気料等の支払いは続けなければならず、中小ビジネスは経済的な危機に直面した。
[1][2][3][6]
続いて、WTC 災害の大打撃から地域経済を復興させるための対策や支援について述べる
[9]
。まず、ニューヨーク市はオフィス空間の確保を支援するための施策、LM 地区において不動産の賃貸価格の
吊り上げを厳しく禁じた不動産取引の強制的制限を行った。LM 地区のオフィス空間の 30%に相当する 268 万㎡の
消失は、需給から考えれば価格の上昇を招くおそれがあったためである。税の優遇措置もとられた。また、金融
街のビジネス・企業からの要望を一元的に集め、彼らを支援しようとする企業を結びつけるための「ビジネスリ
ソースセンター」が、市、州、複数のビジネスグループにより設立された。このデータベースは AOL-タイムワー
ナー社が作った。
ここでも民間企業の専門能力が重要な役割を演じた。Downtown Alliance 等の NGO が大活躍した。
また、ニューヨーク証券取引所は、災害 1 週間後の 17 日には、政府、ビジネス団体の努力により再開された。失
業者に、仕事探しを支援するツインタワージョブセンターを設立した。また、失業者に対する財政支援も行われ
た。
3.4.5.3. コミュニティと住民の被害
コミュニティと住民が受けた被害は、金銭的な換算が難しい。被災者の数は、WTC 災害の被害者に、ニューヨー
ク市、ニューヨーク州、連邦政府、民間団体等が提供する様々な手続き、相談、支援を受ける機能が全て揃う家
247
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
族支援センターの訪問者が 1 ヶ月で 8 万 5,000 人、2 カ月間で 22 万 9,000 人であったこと、連邦政府や州の支援
窓口である FEMA の災害支援センター(Disaster Assistance Service Center)の登録者数は 4 万 6,000 人であっ
たことなどから、非常に大勢の住民が被災したことが分かる。なお、被災地域は、多国籍のコミュニティであっ
た。FEMA のホットラインでは 25 か国語でサービスを提供し、家族支援センターには無料通訳も配置された。被災
者への様々な支援は、アメリカ国籍を持たない住民も受けることができた。
コミュニティと住民の被害には、まず自宅に戻れない被害があげられる。これは、一つは直接被害から派生し、
何らかの形で自宅が被害にあったもの、例えば窓が破損し粉塵が室内に堆積したりしたものなどがある。住宅の
被害は、災害住宅補助金の申請件数でみると、10 月 1 日現在、5,274 件世帯の調査が終わり約 1,070 万ドル、1 件
あたり 2,028 ドルが支給されている。12 月 5 日現在 1,940 万ドルの補助金が支給されているので、それを 10 月 1
日現在の平均支給額で割ると、9,652 件の申請戸数となる。何らかの形で被害を受けた個人住宅は、9,000 件以上
あったことが推定できる。二つ目は、都市環境被害の項で述べるように、立ち入り禁止区域の設定により自宅に
戻れないものである。災害直後、立ち入り制限により家に帰れない人が 1 万 1,080 人、帰宅が制限された人が 1,260
人、帰宅に証明書が必要な人は 4 万 6,920 人におよんだ。最も長い間、住居への立ち入りを禁止されていたのは
バッテリー・パーク・シティの住民で、9 月 15 日まで許可されなかった。なお、災害発生から 3 週間たった 9 月
28 日時点で、WTC 周辺の住民 8,000 人が避難所を利用していた。
続いて、都市環境被害、ビジネス被害が住民生活に様々な不便や困難さをもたらしたことがあげられる。すな
わち、立ち入り禁止区域の設定により、活動空間の制限がされ、交通規制により、車の自由な乗り入れが制限さ
れ、インフラの被害により、ライフラインが、長期間使えなくなるとともに、小売店等の閉鎖により、生活物資
の取得が不便になったこと、社会サービスが停滞したことなどが、生活に支障をもたらした。
ビジネス被害の発生にともない、失業したり、所得の減少がおきた住民も発生した。災害によって職を失った
人々は、通常失業保険の対象にならない自営業者も含め、災害失業保険が申請できた。申請件数は 12 月 5 日現在
4,000 件であった。収入を失った個人家族向けに支給される災害食料引換券は、12 月 5 日現在 3 万 1,000 人に支
給された。
都市空間の崩壊に伴い、保健・医療、刑事裁判所の電話サービスの停止、裁判の延期等、様々な社会的な機能
が通常のように利用出来なくなった。また、学校も閉鎖され、災害 9 日後の 9 月 20 日になって、WTC 付近の学校
に通っていた約 9,000 人の生徒は他の学校で授業を受けられるようになった。1 ヶ月後の 10 月 9 日時点でも、6
つの公立学校が閉鎖されていた。行政では、教室確保のために支援を行った。また、立ち入り禁止区域の設定に
より、学校に通えない学生も発生した。また、学校が復旧作業のセンターとして一時的に利用されたところもあ
った。
さらに、被災地では、多くの人々が怪我をしたり、精神的ダメージを受け、健康を損ねた。例えば、ニューヨ
ーク州とニュージャージー州の病院では事件後 7,300 人の患者を診察し、そのうち 561 人が重傷であった。患者
の大多数は火傷であった。精神的なダメージに対するカウンセリングが、非常事態プログラムの一つに入ってい
るように、様々な形で、子供や大人のメンタルヘルスに関するケアが行われた。例えば、家族支援センターの窓
口、ホットライン、インターネットを活用したカウンセリング等々である。このプログラムでは、NGO、NPO が大
きな役割を果たした。被災地、および市中では、災害医療支援チームの治療件数は、統計日時は不明であるが、
医療 7,200 件、精神衛生 4,000 件、獣医 934 件であった。精神衛生の治療件数が、医療の 56%を占めているように、
心のケアを求める人が多かった様子が分かる。
前述したように、コミュニティや住民が受けた被害を支援する体制が、行政や NPO、NGO、ボランティアによっ
て、迅速につくられ、間接被害の軽減やそれからの早い立ち直りに寄与していた。WTC 地区をどう復興するか、跡
地をどのように利用するかの議論がはじまった。このために、Lower Manhattan Redevelopment Corporation が設
立された。同時に数多く、100 以上の Civil Alliance(NGO のような市民的な組織)が建築家、デベロッパー・グ
ループ、市民グループなどによって作られ、活動を始めた。
248
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
3.4.5.4. 都市環境被害
都市環境被害は、活動空間の制限、交通アクセスの悪化、インフラ被害、環境汚染、都市のアメニティの破壊、
都市活動の低下、文化被害などがみられた。この被害は、ビジネス活動やコミュニティ・住民の被害へ影響した。
具体的な被災内容は次のとおりであった。
(1)活動空間の制限:災害後、ガレキ処理や安全対策のため、立ち入り禁止区域の設定や交通規制が行われ活動空
間が制限された。まず、11 日夕方に 14 丁目以南への住民以外の立入りが禁止され、14 日にはキャナルストリー
ト以南へと地域が縮小された。車の乗り入れも、住民の車、配達の車などが州毎に、地区毎に決められていた。
大部分の地域において時間制限付きではあるが、一般車の乗り入れが可能になったのは 10 月 25 日のことであっ
た。このような活動空間の制限は、住民の生活に支障を与えるとともに、LM 地区への人々の出入りを減少させ、
経済活動にマイナスの影響を与えた。また、人のいなくなった空間では、盗難被害があいついだ。
(2)交通アクセスの悪化:交通施設の直接被害は、WTC ビルコンプレックスの下を通っていた地下鉄の The Path 駅
と地下鉄の隧道 1∼9 に限られたため、被災区域外では、当日夕方のラッシュ時には、地下鉄、バスが部分的に運
行を再開できた。しかし、テロ再発に備え、マンハッタン入る橋、トンネルで厳重な検問が行われたため、交通
渋滞が発生した。交通渋滞を緩和するため、ニューヨーク市では、平日午前中の マンハッタンへの一人乗りの車
の乗り入れを約 1 ヶ月間規制したが、渋滞は続いた。人々は公共の交通機関を利用するようになり、以前より長
い時間をかけて、混雑している公共交通機関で移動した。これは、交通料金の増収をもたらした。また、地下鉄
破壊にともなう WTC での局地的な交通ネットワークの断絶は、ネットワークシステム全体にも影響を与え、ミッ
ドタウンへのアクセス悪化をももたらした。
(3)インフラ被害:WTC ビルコンプレックスに敷設されていたインフラ施設の破壊により、その供給範囲である LM
地区の大部分で、電気、ガス、スチーム、水道、電話、情報回線等が約 1 ヶ月間停止した。電話、情報回線の復
旧が最も遅く、事件前の 90%以上に復活したのは 10 月末であった。経済活動や都市生活に不可欠なライフライン
の機能麻痺は、オフィス空間を経済活動の拠点として使えなくするとともに、住民の生活にも支障を与えた。具
体的にみると、LM 地区のほとんどの地域に電力を供給していた Con Edison の変電所 2 か所と配電システムが潰れ
た。大規模な顧客は非常電源で数時間の対応はできたが、それ以上はむりであった。予備のケーブルの配置と緊
急発電機の設置し、事件後 1 週間目には一部を除き復旧したが、LM 地区の大部分は非常用電源と暫定的な対応に
頼っている不安定な状態が続いている。2002 年の電力不足を補うために、会社は夏までに 1 つの変電所を再建す
る必要があると考えている。通信施設の物理的被害は WTC 周辺の局地的なものにとどまった。しかし、長距離電
話会社のネットワーク中継施設が WTC ビルコンプレックスにあり、破壊されたため、通話の迂回ルートを確保す
るまで何千という通話が不通になった。また、WTC 第 7 ビルに設置されていた地域の通信回線プロバイダーである
Verizon の中央中継基地が破壊され、17 万 5,000 件の顧客が電話を使えない状態になった。例えば株式市場は回
線の 20%を失い、FBI と CIA の通信は、軍事衛星を使って回線を確保した。平常に戻ったのは、10 月末であった。
なお、民間公益企業施設被害(電力と電話線の復旧費用)の 10 億ドルに対しての連邦政府からの補填については、
調査時点でも結論が出ていなかった。
(4)環境汚染:WTC ビルコンプレックス破壊に伴い発生した大量の粉塵は大気や街や住宅を汚染した。紙くずや、
ガラス片、数インチにおよぶ灰で街は覆われ、建造物はすすをかぶった状態となり、都市の景観が悪化した。空
気中に漂う粉塵は、破れた窓から室内に入り、エアコンやコンピューターを使えなくした。また、建物に使用さ
れていたアスベストによる空気汚染が懸念され、救急隊員にはマスクが支給され、空気のモニタリングが続けら
れた。立ち入り禁止が順次解け、人々の職場復帰も始まり、WTC から 2 ブロック南にあるニューヨーク証券取引所
249
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
も 17 日から再開された。しかし WTC 周辺では一様に異様な臭気があり、粉塵も立ち込め執務する事は事実上出来
ず、職場環境を整理するに止まった所が多かった。
(5)都市活動量の低下:災害原因であるテロがもたらした不安、活動空間の制限、交通アクセスの悪化が、LM 地区
やニューヨークを訪れる観光客、ビジネス客、買い物客を急減させた。また、前述したように、企業のオフィス
の LM 地区から他の地域への移転等々により、都市としての活動量ともいうべきものがさらに低下し、それと連鎖
した都心部のゴーストタウン化が懸念されている。
(6)文化被害:リンカーンセンター、メトロポリタン美術館といった文化施設の閉鎖や、自由の女神の閉鎖、イベ
ントの自粛により、都市のもつ魅力の一つである文化・娯楽的な側面が一時的ではあるが低下した。また、WTC ビ
ルコンプレックスの崩壊は、LM 地区のランドマークの消滅をも意味し、都市景観の魅力を減少させた。
(7)都市のアメニティの破壊:WTC 災害以前の LM 地区の快適さ(amenity)は、良好な交通アクセス、安定した情報
基盤は、競争相手であるミッドタウンと比べものにならないほど優れていた。 例えば、災害前には、バッテリー・
パーク・シティ
アパートにすむ半分の住民は徒歩で通勤していた。最近、LM 地区に見られるようになった、こ
のハイテク関連の若い専門家群の新しいライフスタイルが 21 世紀型職住接近型のモデルとなりうる可能性を示し
ていたが、WTC 災害はこれらの状況をほぼ破壊した。
3.4.5.5. 安全対策の費用
災害後、様々な場所でテロ再発を防止するための安全対策がとられ、そのための費用が支出された。これは、
社会的に追加された新しい費用である。災害後の世論調査によると、住民はセキュリティ確保のための対策(平
服の警察官の増員、持ち物検査、顔を確認するためのカメラの設置、車の調査等々)に、多額の支払い意志があ
ることが確認された。安全対策費用は、このカテゴリーの被害額としては積算されず、行政被害、ビジネス被害、
都市環境被害、地域・住民被害それぞれのカテゴリーに被害額として含まれる。安全対策費用は、復旧経費の中
でも大きな額を占めた。例えば、テロ再発を警戒しての各地で警備が強化された。また、ニューヨーク・ニュー
ジャージー港湾公社の例をみると、災害に伴う支出 24 億ドルのうち、直接被害が 13 億ドル、残り約半分にあた
る 11 億ドルが、X 線、空港の燃料庫周辺の柵等々、セキュリティ強化のための費用であった。ガレキ処理費用が
膨大な額となったのも、証拠物件としての特殊な処理を必要としたためであるし、テロの恐怖の影響による観光
客減少に対処するため、観光地の安全対策を進めるとともに、ニューヨークが安全であるとの観光キャンペーン
が実施された。テロに対する保険料率も 65%近く増大した。
3.4.5.6. 防災力の向上
防災力の向上のカテゴリーは、災害による被災経験が生み出した、災害による被害を軽減するための新たな考
え方、計画、対策、行動などである。WTC 災害による都市の破壊は、新たな都市環境創造の芽をもたらした。例え
ば、災害を経験した企業では、安全対策の向上や、災害発生時の情報回線や電力の被害に備えた新しい対策がと
られ始めている。金融業では、1 カ所に機能や施設を集中せず、ビジネスの中枢を 2 極化することで、大災害時の
被害軽減に対処しようとしている。また、被害を受けた通信施設の復旧では、技術の進展に耐えられる、より高
度な機能をもつインフラ整備を目指すことが議論されている。これらは、より災害に強い企業のシステムや地域
社会づくりにつながるものである。WTC 災害を契機に、都市や社会の安全対策が見直され始めたが、これも社会の
防災力向上につながるものである。
250
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
考
察
WTC ビルコンプレックスの崩壊にともなう間接被害の被災規模、被害の時空間分布、拡大要因、そして間接被害
の具体的な様相について述べてきた。WTC 災害における間接被害は、直接災害が局地的に発生したため、直接被害
からの連鎖がよりわかりやすい形で存在していた。災害原因、直接被害と
各カテゴリーとの関係を、図 4 の間
接被害発生のシナリオに示した。間接被害には、直接被害から連鎖して発生したものと、災害の発生原因である
テロに大きく影響を受けたものに大別された。後者にはカテゴリー⑤の安全対策が該当する。安全対策に関わる
費用の全体像は分からないが、復興費用の中でも大きな比重を占めていたことが、現地での聞き取りや収集した
資料から伺えた。この被害(費用)が WTC 災害の特殊性を示していた。
各カテゴリーは相互に関係し、被害をさらに拡大させていた。例えば、経済活動の拠点であるオフィス空間の
被害は、LM 地区のオフィス空間の 30%にあたる 268 万㎡ が直接被害を受けたことに加え、間接被害(ライフライ
ンの機能障害)が、さらに経済活動に使えないオフィス空間面積を LM 地区全域へと増加させることにより、拡大
していた。ビジネス被害は、経済の変化に敏感な税という形で行政に影響を与え、失業という形で、コミュニテ
ィ・住民へ影響を与え、経済活動の停滞やオフィスの移転は都市環境を大きく変化させることになった。また、
行政の被害として計上された、災害対応の経費は、一方で地域・コミュニティ、ビジネス被害を速やかに復興さ
せることで、被害の拡大や長期化を防ぎ、間接被害を軽減する働きを持っていた。このような複雑な間接被害へ
の影響要因や拡大過程の明確化は、本調査で収集した資料では充分行うことができず、今後の問題として残され
た。
世界経済・技術
国・文化・地域社会・地域経済
間接被害
(5)セキュリティとセイフティ確保のための費用
直接被害
(1)行政の被害
(2)ビジネス被害
動産被害
(施設・設備・在庫)
(4)都市環境被害
社会基盤の被害
(電力・ガス・スチーム
水道・電話・通信回線
テレビ・ラジオ)
6 防災力の向上
外力:テロ
建物被害
)
(
死者
(3)地域・住民の被害
交通施設の被害
社会・企業・地域・個人の防災力
図 4. 間接被害発生シナリオ
WTC における間接被害は、図 4 に示すように、国や地域の持つ経済、文化、社会、技術レベル等々の影響を受け
ながら発生していた。具体的に示すと、(1)LM 地区は世界経済の中心地で、世界有数の企業のオフィスが集中する
251
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
世界経済と密接なつながりを持った地域であり、このことが巨額なビジネス被害につながったこと、(2)WTC 災害
は、アメリカの経済が低迷している中で発生したこと、(3)行政の被害、すなわち間接被害を拡大させないための
様々な災害後の対応に、アメリカの文化や時代の技術レベル、アメリカの持つ組織的な防災力の大きさが顕著に
示されていたこと、例えば、緊急対応や被災住民の生活やビジネス復興の支援が、市長のリーダーシップや FEMA
の支援のもとに、組織的に、大規模に、民間機関や NPO、NGO、ボランティアなどの民間団体の全面的な協力を得
ながら迅速に展開されていた。(4)住民の視点にたった行政サービスが展開されていたこと、5)復旧に欠かせない
迅速な被害推定とその復興への戦略づくりにも、民間会社の専門能力が活かされていたことなどである。
このように、WTC 災害の間接被害の発生には、災害発生原因がテロであることの特殊性や地域性が色濃く反映さ
れていた。今回の調査研究が明らかにした WTC 災害の間接被害の実態は、大都市で発生する大震災の間接被害に
ついての基礎的な知見として利用出来るであろう。しかし、ここで得られた知見を、大震災の間接被害の軽減策
へと結びつけるためには、次の検討課題が残る。すなわち、WTC 災害の特殊性や地域性が間接被害に与えた影響の
評価、間接被害の連鎖に関する詳細な調査と間接被害の拡大過程とその影響要因の明確化、発生前の経済状況が
間接被害に与えた影響の評価、長期的な間接被害の把握である。これらの課題を解決するためには、詳細な被害
調査、長期的な被害の観察、調査時点では入手不可能であった新たなデータの収集を行う必要がある。なお、WTC
災害被災地でみられた、間接被害の拡大を防ぐための先進的な災害対応戦略の日本の風土への導入方法の検討も
今後必要であろう。
テロの犠牲となった方々、救援中に亡くなった方々に対して心から哀悼の意を表する。また、被害を受けた住
民の方々の生活と地域の一日も早い復興を祈念する次第である。
引用文献
[1]Alliance for Downtown New York, Inc.(2002): Downtown Alliance Survey of Lower Manhattan Retail
Establishments, 8pp.
[ 2 ] Empire State Development in Cooperation with New York City Economic Development Corporation
(2002):World Trade Center Disaster Find Action Plan For New York Business Recovery and Economic
Revitalization, 16pp.
[3]Lower Manhattan Development Corporation(2002): Draft Assistance Plan for Individuals, 5pp.
[4]IPA:Institute of Public Administration(2002):WTCテロ事件関連記事データ/資料, 125pp
[5]Munchener Ruck Munich Re Group(2001): 11th September 2001, 16pp.
[6]MBM:Office
of Management and Budget(2002), The City of New York Executive Budget, Fiscal Year
2003.
[7]New York City Economic Development Corporation(2002): New York City Business Assistance Guide, 47pp.
[8]NYCP:New York City Partnership and Chamber of Commerce(2001): Working Together to Accelerate New
York's Recovery-Economic Impact Analysis of the September 11th Attack on New York City, 147pp.
[9]New York State Urban Development Corporation d/b/a the Empire State Development(2002): Guidelines
for the WTC Business Recovery Grant Program, 7pp.
[10]New York City(2001):Monthly
Report
Current
Economic
Conditions.
[11]横浜市ニューヨーク事務所(2001): Emergency Management by the City of New York After Tragic Events
on September 11, 2001, 90pp.
[12]神戸市(2002):神戸市ホームページ「震災の記録」
252
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
成果の発表
[1]ワークショップ「NY/WTCビル崩壊による間接被害を検証するーニューヨーク現地調査報告会」を開催、平
成14年3月15日(金)午後1∼4時、日新火災海上保険株式会社会議室(東京お茶の水)。
253
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
3. 世界貿易センタービル災害の広域的な影響と復興過程の分析
3.5. 世界経済への影響
京都大学防災研究所巨大災害研究センター
林
春男
要
約
本稿では,WTC の崩壊を始めとする 911 の影響が世界経済にどのような影響を及ぼすかを,日本の日経平均,英
国の FTSE100,米国の Dow Jones と NASDAQ という4つの平均株価指標を手がかりとして分析した.その結果,911
の影響は米国の平均株価に大きくそして半年にも及ぶ長期的な影響を与えていることがあきらかになった.また,
英国や日本でも米国ほどの規模ではないにしろ,災害発生から 2 ヶ月程度影響が認められた.
研究目的
WTC ビルが位置する Lower Manhattan 地区は,バッテリーパークや連邦ビルといった歴史的な建造物が多いニュ
ーヨークの発祥の場所であり,多くの小売店や商業ビルを持つ地域のビジネス活動の中心であり,ニューヨーク
証券取引所(New York Stock Exchange: NYSC)や Wall St にひしめく金融関係の多国籍企業群に代表される世界
の金融センターでもある.この節では,世界の金融センターとしてのニューヨークで発生した世界経済にどのよ
うな影響を及ぼしたかを,マーケット情報を解析することで明らかにすることを目的とする.
世界の金融センターとしてのニューヨークの立地条件
図 1 は,災害発生から 127 時間後の 9 月 16 日午後 3 時時点でニューヨーク市が行なっていた WTC 周辺の立ち入
り規制区域を示している.破線に囲まれた地域への立ち入りは厳しく制限されていた.この地域内で生活するこ
とは許されなかった.この地域に居住していることを証明できた住民だけが,警察官の同道のもとに身の回りの
ものを取りに戻ることが許された.その数は住民 48,300 名とその他関係者 15,400 名にのぼっている.
図 1 から明らかなように,世界の金融センターである Wall St 一体は,WTC の現場から空間的に数ブロックしか
離れておらず,物理的に WTC 周辺の厳しい立ち居入り規制がひかれた地域に位置している.ニューヨーク証券取
引所を始め Wall St 一体の建物には大きな被害はなかった.しかし,電力および通信回線の障害のために,ニュ
ーヨーク証券取引所は災害発生当日の 9 月 11 日から,まる 1 週間閉鎖された.その間に通信回線を始めとするラ
イフライン機能の必死の復旧作業がなされ,業務を再開できたのは 9 月 18 日となった.
254
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
Wall St
NYSC
図 1. 9 月 16 日午後 3 時現在の被災地周辺の立ち入り規制状況
研究方法
日経新聞のマーケット情報に 911 の影響は現れるか
今回の災害をどうとらえるか
「911」はアメリカのマスコミが今回の事案をさす時に使う表現である.
「9 月 11 日に起きたこと」という表
現が定着したことは,今回の事案が持つ複雑さとアメリカ国民に与えた影響の深さを示唆しているように思われ
る.今回の事案はきわめて複雑である.災害の起きた場所もニューヨーク,ワシントン DC.ペンシルベニア州と
3 ヶ所ある.ハイジャック事件があり,飛行機のビルへの激突があり,飛行機の墜落があり,高層ビルの倒壊があ
り,火災があり,航空機の飛行禁止があり,金融市場の閉鎖もあった.どの局面をとりあげても大きな災害であ
る.同時に,今回の事案はその断面だけを考えれば十分といいがたい.こうした事実が今回の事案を総体として
表現しようとする際に「911」という日付を選ばせているように思う.この記述にあたってわざと「事案」と
いう言葉を使い,「事故」「事件」「災害」といった表現を避けていることも,同じような想いに由来している.そ
の点からすると,わが国のマスコミが使う「同時多発テロ」という呼び方はきわめて冷静な表現であるといえる
かもしれない.
同時多発テロとして今回の事案をとらえると,「911」がアメリカの歴史にとってけっして忘れることがで
きない重要な日となる.アメリカは建国以来,外国から自国領土を攻撃されてことがない国である.1941 年 12 月
7 日に日本軍の攻撃を受けた真珠湾を持つハワイは,当時属州に過ぎなかった.しかし,この日を当時のルーズベ
ルト大統領は“Day of Infamy”(アメリカの歴史にとって屈辱の日)と名付け,アメリカ国民の愛国心を駆り立
てるのに成功している.それ以後もアメリカは他国から自国領土を攻撃されずにきていた.他国による攻撃の可
能性で今回の事件に匹敵するものを探してみると,1962 年のキューバ危機がある.ソ連が核弾頭ミサイルをキュ
ーバに配備する可能性の高まりがアメリカにとっていかに大きな事件となったからを考え合わせると,今回の「9
255
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
11」がアメリカ史に持つ,アメリカ人の心に与える影響の大きさははかりしれないものがある.
以上のように考えると,「911」がアメリカ経済に持つ影響はさまざまな分野に及ぶことが予想された.ま
た,冷戦構造が終結し,「アメリカひとり勝ち」の状態が続く現在の国際情勢では,アメリカで発生した災害で
あっても,世界経済にも大きな影響を与えることが予想された.そこで,アメリカ経済および世界経済に「91
1」がどのような影響を与えるかをモニターするために,日本経済新聞夕刊に掲載されている平均株価の変動に
着目した.
株価に着目する理由
株価は毎日動いている。株価が割高だからそのうち安くなると考える人が多いと売り圧力が高まり、
株価は下落する方向に動く。逆に割安だからそのうち高くなると考える人が多ければ、買い圧力
が高まり、株価は上昇する。そのため長期的にみても大きな波を描きながら変動している。 上がりつづけ
ている株もなければ、ずっと下がり続けている株もない。株価を動かす要因のことを「材料」というが,材料は
「個々の銘柄を動かす要因」と「市場全体を動かす要因」とに 2 分される.個々の銘柄に影響を及ぼす根本的な
要因は個々の企業の業績、新製品の発表、新技術の開発などである。一方,市場全体に影響を及ぼす要因
には、経済的要因(景気見通しや為替変動、ニューヨーク市場の動向、金利の変動など)や政治的要因(選挙や
国際関係)などがある。
株価の決まり方に関する理論には対立する 2 つの考え方がある.一方の考え方では株価は経済のファンダメン
タルズ(経済の実体)によって決まっており,短期的にファンダメンタルズから離れることはあっても,長期的
にはそこへ戻るとされている.こうした考え方の背景には,株式市場は市場経済を構成する重要な市場として,
経済全体の資金を効率的に配分する役割を果たしているとする「効率的市場仮説(efficient market hypothesis)」
がある.そのため,この考え方に立つと株式投資は,短期的には儲かることや損することがあっても,長期的に
は誰も平均以上に儲けることもできず,誰も平均以上に損することもないという.
他方の考え方では,株価は経済のファンダメンタルズとは無関係に人々の思惑によって決定されると考えられ
ている.人々が株価の予想や株式の売買を行なう際にもっとも強く影響するのは「他の投資家がどのような行動
をするか」であるという.そのため株価は「過剰反応」「予想連鎖」によって大きく変動するという.わが国のバ
ブル崩壊後に株価が示した下落はこの好例であるとされている(酒井,1996).
以上 2 つの考え方に代表されるように,株式市場には 2 面性がある.株式市場が経済の実体を写す鏡の役割を
果たすとともに,行き過ぎる投機的な面も持っている.本稿では経済の実体を写す鏡としての株式市場に着目し,
911 の経済的な影響を明らかにすることを試みている.できるだけ投機的な側面を捨象するために,いくつかの工
夫を行なった.1)ここの企業の株価ではなく多くの企業の株価が示す全体的な動向に着目するために,平均株価
や株価指数に着目した.2)911 の影響がたんに米国だけでなく世界各国に広がっていることが予想されるので,各
国の平均株価や株価指数を標準化し,相互に比較可能な形で分析する.3)分析対象とする期間を長くすることで
投機的な要素が相殺できる可能性が高まるので,可能な限り長い範囲を対象に分析する.
研究成果
マーケット情報に現れた911の影響
図 2 は日本,英国,米国の平均株価に現れた 9 月 11 日のテロの影響を検討する.日本経済新聞夕刊に掲載され
ている,平均株価の推移を追ってみる.日本の場合は日経平均(当日午前終値)
,英国は FT100,米国は Dow Jones
と NASDAQ(これらは前日終値)を見る註).これら 4 つの平均株価について,災害発生前日の平成 13 年 9 月 10 日
か平成 14 年3月 21 日までの間について,9 月 10 日の各平均株価を 100 とする指数で表現し,5 日間の平均株価
指数を求めた.米国,英国,日本のいずれも9月 11 日のテロによってその後平均株価を下げており,今回の 911
256
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
の影響はマーケットにも明確に現れている.
125%
120%
115%
110%
105%
100%
95%
90%
2002/3/4
2002/3/11
2002/2/18
2002/2/4
2002/2/11
2002/1/28
2002/1/21
2002/1/14
2002/1/7
2001/12/31
2001/12/24
2001/12/17
2001/12/10
2001/12/3
2001/11/26
2001/11/19
2001/11/12
2001/11/5
2001/10/29
2001/10/22
2001/10/15
2001/10/8
2001/10/1
2001/9/24
2001/9/17
80%
2001/9/10
85%
2002/2/25
Nikkei
FT100
Daw Jones
NASDAQ
図 2. 日本経済新聞社夕刊に示された平均株価の推移
特に米国の場合には株式市場が1週間閉鎖され,再開は災害発生から 1 週間後9月 17 日月曜日となった.911
以降で平均株価が最安値を記録したのは,日本,英国,米国のいずれも 9 月 21 日であった.その後 3 国とも 9 月 10
日以前の水準以上に平均株価を回復させたが,それまでに要した時間には 3 国に差が見られる.英国がもっとも
早くアフガンへの侵攻が開始される前日の 10 月7日であり,災害発生後約 600 時間を要している.次に日本が 10
月 11 日に 9 月 10 日以前の水準に回復し,約 750 時間を要している.その後米国の NASDAQ が 10 月 19 日に,ほぼ
1000 時間で,Dow Jones は 11 月 12 日,約 1500 時間で,9 月 10 日以前の水準に回復していた.
米国と英国はその後平均株価が 20%程度上昇する期間が長く続き,われわれが現地調査を行なった平成 14 年 3
月始めの時点でも 9 月 10 日以上の水準を維持している.それに対して,日本の平均株価は上昇の幅も小さく,そ
の後も何度が 9 月 10 日以前の水準を割り込んでおり,2002 年の 1 月以降 9 月 10 日以前の水準を割り込んだまま
である.その差にはアフガン戦争への係わりの違いも影響していることを示唆している.
911 による影響の大きさの推定
図 2 では,米国,日本,英国のいずれのマーケットでも,911 による平均株価の下落とその後の株価の回復過程
をみることができた.9 月 10 日の各平均株価と比較して,911 以降の平均株価の変動の累積値の時間的推移を図 3
に示す.911 による影響を以下のように定義し,その相対的な大きさについて検討する.
257
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
10 .00000
Nikke i
FTSE100
Dow Jones
NASDAQ
8 .00000
6 .00000
9/21: Nikkei, FTSE100, Dow Jones, NASDAQ 最安値
4 .00000
10/9・1 1: Nikkei, FTSE100 9.10値回復
10/19: NiASDAQ 9 .11前値回復
2 .00000
11 /12: Daw Jone s 9.11前値回復
0 .00000
2/22: Daw Jones 911影響脱出
-2 .00000
11/26~28: Nikkei, FTSE100, NASDAQ 9 11影響脱出
2002 /3/1 9
200 2/3/1 2
200 2/3/ 5
20 02/2/ 26
20 02/2/ 19
20 02/2 /12
2 002/2 /5
2 002/ 1/29
2002/ 1/22
2002 /1/8
2002/ 1/15
2002 /1/1
200 1/12/ 25
200 1/12/ 18
20 01/12 /4
200 1/12 /11
20 01/1 1/27
2 001/1 1/20
2 001/ 11/6
2 001/1 1/13
2001/ 10/3 0
2001 /10/2 3
2001 /10/1 6
2001 /10/ 9
200 1/10/ 2
200 1/9/ 25
200 1/9/ 18
20 01/9/ 11
-4 .00000
図 3. 平均株価にみられる 911 の影響
911 による影響
=
∑(912 以降の平均株価指数値‐1)
ただし,本稿では 911 による影響の大きさを,1)平均株価が 910 以前の値を回復した時までの変動の累積値,
2)平均株価の変動累積値がゼロに回復するまでに要した日数を,指標として採用する.
図 3 から明らかなように,平均株価が 910 以前の値を回復した時までの変動の累積値をみると米国市場への影
響は日本市場や英国市場への影響よりもはるかに大きいことがわかる.日本市場の場合には累積値の最大は 10 月
11 日の 0.83189,英国市場の場合には,10 月 4 日の 0.87113 であるのに対して,Dow Jones の場合には 11 月 12
日の 1.88192,NASDAQ の場合には 10 月 19 日で 1.79967 となった.累積値がピークを迎えた時期には差があるも
のの,ピーク時の累積値は直接の被災国である Dow Jones と NASDAQ ともに 1.8 から 1.9 程度であり,間接的な影
響国とみなされる日本と英国はともに,0.85 前後で,ほとんど差がない,ことが明らかになった.
さらに,平均株価の変動累積値がゼロに回復するまでに要した日数を見ると,市場を超えた共通性は一層顕著
になっている.11 月 26 日に英国 FTSE1000,よく 27 日に米国 NASDAQ,そして 28 日には日本の日経平均がそれぞ
れ 911 の影響を脱出した.米国の Dow Jones の回復は手間取り,翌年 2 月 22 日にようやく 911 の影響を脱したと
考えられる.
表 1. 株価の変曲点となった日の新聞記事
日付
2001 年 9 月 11 日
2001 年 9 月 21 日
株価の変化
事件発生
FTSE100,Nikkei,Dow Jones, NY 株一時 8500 ドル割る
NASDAQ が最安値
2001 年 10 月 4 日
英国 FTSE100 が 911 以前の値
に回復
2001 年 10 月 11 日
朝日新聞一面記事
日本日経平均が 911 以前の値
に回復
航空各社の人員削減が 10 万人
規模に達し,大手企業が次々とリストラ策を発表
600∼750 億ドルの景気刺激必要
米大統領,対策促す
米,一両日中にも地上作戦
特殊部隊,パキスタン到着,4 夜続け空爆
258
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
2001 年 10 月 19 日
米国 NASDAQ が 911 以前の値に
回復
2001 年 11 月 12 日
米国 Dow Jones が 911 以前の
値に回復
2001 年 11 月 26 日
英国 FTSE100 が 911 の影響を
脱出
2001 年 11 月 27 日
日本日経平均が 911 の影響を
脱出
2001 年 11 月 28 日
米国 NASDAQ が 911 の影響を
脱出
2002 年 2 月 22 日
米国 Dow Jones が 911 の影響
を脱出
炭疽菌 CBS でも発病者全米の被害 6 人に拡大
テロの経済的影響懸念 APEC 宣言案対話促進を確認
バーミヤンも制圧
北部同盟「国土の半分支配」
タリバーンクンドゥズ投降
北部最後の拠点失う
米景気後退入り宣言
全米経済研究所今年 3 月から
国連側「来春,国民大会議を」
アフガン代表者会議支援策も提示
米中首脳会談対話拡大で合意
江主席,10 月に訪米
メルクマールになった日付の意味
これまでの分析で 911 の経済的な影響のメルクマールとなった日には社会的にどのような事件が発生していた
かの対応を起きらかにするために,以下の日付の朝日新聞縮刷版の朝刊1面の関連記事との関連性を明らかにし
た.ただし,2001 年 11 月 12 日は新聞休刊日で朝刊がなく,この日だけは夕刊 1 面の記事を用いた.変曲点とし
た日付は以下のとおり.1)FTSE100,Nikkei,Dow Jones,NASDAQ が最安値を記録した 9 月 21 日,2)FTSE100,Nikkei,
NASDAQ が 911 以前の値に回復した 10 月 4 日・11 日・19 日,3)Dow Jones が 911 以前の値に戻した 11 月 12 日,
4)FTSE100・Nikkei・NASDAQ が 911 の影響を脱した 11 月 26 日から 28 日,そして 5)Dow Jones が 911 の影響を脱
した 2 月 22 日である.
表 1 から明らかなように,4 つの指標がともに 9 月 21 日の最安値はそれ自体が一面をかざるニュースとなって
いる.その原因となったのは航空各社の需要減に伴う 10 万人に及んだレイオフに代表されるように,多くの大手
企業で人員削減策が次々と発表されてことによっている.
FTSE100,日経平均,NASDAQ が 911 以前の値を回復できた 10 月 4 日,7 日,19 日は前述したように,米軍によ
るアフガニスタンでの地上戦闘開始の時期と重なっている.
Dow Jones が 911 前の値に戻った 11 月 12 日になると,
米軍が支援する北部同盟がアフガニスタン国土の国土の半分を支配するまでになっていて,地上戦闘の帰趨が明
確になっている.FTSE100,日経平均,NASDAQ が 911 の影響を脱出したと考えられる 11 月 26 日から 28 日までの
新聞記事では,タリバン政権崩壊後のアフガニスタンのあり方が話題に上っている.ここまでの推移を見ると,
株価の変曲点はアフガニスタンでの米軍の軍事行動の推移と連動していることが示唆される.
Dow Jones が 911 の影響を脱したと考えられる 2002 年 2 月 22 日では,アフガニスタンも過去の問題であり,イ
ラク・イラン・北朝鮮というブッシュ大統領の「悪の枢軸」が話題になっていた.911 以来の 5 ヶ月に,アフガニ
スタンでの地上戦を含む多くの出来事があったことを考え合わせると,911 の経済的な影響は長期間続いたという
印象を受ける.
考
察
本稿では,WTC の崩壊を始めとする 911 の影響が世界経済にどのような影響を及ぼすかを,日本の日経平均,英
国の FTSE100,米国の Dow Jones と NASDAQ という4つの平均株価指標を手がかりとして分析した.その結果,911
の影響は米国の平均株価に大きくそして半年にも及ぶ長期的な影響を与えていることがあきらかになった.また,
英国や日本でも米国ほどの規模ではないにしろ,災害発生から 2 ヶ月程度影響が認められた.
本稿では経済の実体を反映する鏡として平均株価を利用した分析の可能性を示すことができた.しかし,残さ
259
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
れた課題も大きい.だい1に,今回は 2001 年 9 月 10 日から 2002 年 3 月 21 日までの4つの株式指標を分析した
に過ぎない.長期的な傾向としては経済の後退局面で 911 は発生した.そうした長期的な景気がどのように影響
しているかも検討する必要がある.第 2 に,米国,英国,日本という 3 国だけでなく,ドイツ(Xetra DAX)
,フ
ランス(CAC-40),香港(Hansen)といった他の国への影響や世界の優良企業を集めた総合指標である S&P500,S
&P1200 についても検討するべきである.第 3 は,同じ米国の株価指数でも,Dow Jones と NASDAQ だけでなく,
米国大手企業 1000 社についての Russell1000 や逆に中小企業 2000 社を集めた Russell2000 のように業態別の指
標や AMEX のように業種別の指標によって,911 の影響をより詳細に検討すべきである.最後に,今回は株式市場
に着目したが,国債,通貨,先物取引など他の金融市場についての 911 の影響を明らかにしていくことが必要で
ある.これらの分析を今後計継続していく.
註)
日経平均とは,東京証券取引所一部上場銘柄の、主要銘柄 225 を対象とした株価指数であり,
「日経 225」
「日経
ダウ」ともいう。225 銘柄の株価の合計を、基準日(1949 年5月16日)の単純平均株価176円21銭から割り
出した除数で割った数値であり,長期に渡って市場の動きを見る指数として参考にされることが多い。
ダウ・ジョーンズ工業株価平均(Dow Jones Industrial Average - DJIA)とは,「ダウ平均」「NY ダウ」「ニ
ューヨーク株価平均」などとも呼ばれており,米国を代表する優良銘柄 30 社の平均株価によって構成されている.
1896 年5月 26 日以来の長い歴史を持つ世界の株式市場を代表する指数.銘柄入れ替えなどは、ウォール・ストリ
ート・ジャーナル紙の編集陣によって行われ,1999 年 11 月 1 日からマイクロソフトが加わった.
NASDAQ 総合指数は 1971 年 2 月 5 日の株価を基準値として、NASDAQ と全米市場システムの上場銘柄の時価総額
から割り出した数値である.米国ナスダック市場は世界初の電子市場であり、小規模会社、成長企業、および知
名度の高い多くの大手企業など、約 5,000 社が上場している。ナスダックは最新の情報技術およびシステムによ
り市場を運営し、世界の大手証券会社を代表する約 500 社のマーケットメーカーが互いに最良の売値や買値で競
っている。ナスダックのマーケットメーカーは自己の資金で有価証券を売買している。資本市場に競争活動を導
入することで、活発で継続的な売買、秩序ある市場、注文の即時実行を、投資家の大小によらず公平に提供して
いる。
FT-SE100 とはイギリスのファイナンシャルタイムズがまとめる 100 種株価指数.
引用文献
酒井泰弘「リスクの経済学」,1996,有斐閣.
成果の発表
3)口頭発表
林
春男:「Closing Remarks」,Japan Society Auditorium(NY)〔調査報告会,(2002 年 3 月 1 日)〕
260
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
4. 在ニューヨーク(NY)日系企業及び日本人旅行者の対応のエスノグラフィー調査
4.1. 日系企業ならびに日本人旅行者のエスノグラフィー調査
富士常葉大学環境防災学部
重川
要
希志依
約
WTC テロ災害を直接的・間接的に経験した人々は,すべてその人なりの災害過程をたどってきた。しかしこれら
は全て個人の体験であり,それをもって本テロの災害過程を普遍化することはできない。本研究では直接的に巻
き込まれた在 NY 日系企業と日本側の本社対応,間接的な被害を受けた日系企業,日本人旅行者への対応を行った
企業等に対するインタビューならびにグループディスカッションを通し,当事者の視点からの証言を総合化した
エスノグラフィーを作成し,普遍化すべき事実や教訓を抽出した。対応の過程には事件発生から 10 時間,100 時
間,1000 時間というタイムフェーズの存在が検証されたが,これは阪神・淡路大震災時におけるタイムフェーズ
と同様なものであった。
超高層ビル群が立ち並ぶ高密度な業務空間において大規模な災害が発生すると,個々の建物からの避難に 1 時
間以上を要し,また建物脱出後にも群集が溢れ避難空間や歩行空間が十分取れない事態が起こる。また企業組織
としては,社員の生命や企業の保有する情報を含めた資産を失いながら,平常時の企業間ネットワークの支援に
より業務再開を果たすまでの過程が明らかとなった。とりわけ在 NY 日系企業は,発災直後から現地での判断・意
思決定が尊重され,日系企業同士の協力が,心的打撃の大きい社員や社員の遺族への対応など様々な場面で大き
な力となった。
日本人旅行者の安全確保と帰国までの災害過程では,団体旅行者より個人旅行者の割合が高くなった現在,旅
行者自身がリスク負担の自己責任の範囲を認識していないことにより様々問題が生じていることが分かった。し
かしながらテロという外力により,航空会社や旅行代理店が本来負う義務のない顧客対応を献身的に行ったこと
により,当時 NY を始めアメリカ各地にいた旅行者は大きな混乱もなく無事帰国を果たしていたことが明らかとな
った。
研究目的
NYテロ災害を体験した企業(組織)、個人、家族が辿った Disaster Process を明らかにし、そこから汲み取
れる新たな事実、教訓を再構築することによって、NYテロ災害エスノグラフィーを構築する。特に、在 NY 日系
企業および当時 NY 滞在中の日本人旅行者の対応行動に焦点をあて、海外において未曾有の災害を体験した人々の
避難行動、その後の対応行動、心理状況などについてインタビュー調査をおこない、現場にいあわせた者の視点
にたった災害過程の同定をおこなうことを目標とする。
研究方法
3.1. 研究方法の概要
261
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
・エスノグラフィー構築のための調査対象者の選定
テロにまきこまれた直接的/間接的に日系企業に対する事前ヒアリング調査
・災害対応組織(企業)とのグループディスカッションの実施
日系旅行会社、航空会社、医療機関、WTCビル内で被災した企業が体験した Disaster Process
の明確化
・個人・家族に対するディテールド・インタビューの実施
生命(安否)を守る、社会フローが切断された中での生活の継続、くらし(心とからだを含め)の再建という
フェーズでの Disaster Process
の明確化
・NYテロ災害エスノグラフィーの構築
上記の調査で明らかとなった被災組織・個人の体験、および、米国企業や住民の対応過程との比較をもとに、
複数の研究者の視点で明らかな発見、普遍化すべき事実や教訓を見つけ出し、エスノグラフィーとして記述する。
3.2. 調査対象者の選定
2001 年 9 月 11 日,旅客機が激突したニューヨーク世界貿易センタービルに入居していた日系企業は 30 社(2001
年 9 月 12 日首相官邸発表)にのぼっている。これらの企業では旅客機の激突,それに続くビルの崩壊という直接
的な被害を受けているが,WTC 地区外にオフィスを構え間接的な被害を受けた企業も多数存在する。今回のテロに
より日系企業がたどった災害過程を明らかにするため,本研究では直接的被害を受けた企業と,間接的な被害を
受けた企業の双方を調査対象とした。また,テロ発生当時ニューヨーク等に滞在していた日本人旅行者の災害過
程を明らかにするため,航空会社ならびに旅行代理店を対象とした。
なお調査対象となる企業はいずれも,社員の生命や企業活動に関わる情報の喪失,恐怖の中で崩壊建物から脱
出した体験等を持っており,事件発生から半年も経たない時点で詳細なインタビュー調査を受けることに対し,
理解と同意を得られた企業に協力を依頼した。
調査対象企業
直接被災した企業
A 社(在ニューヨーク,商社)
B 社(日本本社,金融機関)
間接的に被災した企業
C 社(在ニューヨーク,医療機関)
D 社(在ニューヨーク,保険)
日本人旅行者対応を行った E 社(在ニューヨーク,航空)
企業
F 社(在ニューヨーク,日本本社,旅行代理店)
さらにインタビューの対象者の選定に当たっては,上記の企業の中で本テロ災害において組織の中で判断・意
思決定を行う立場にいた人を企業側に選んでもらい,インタビューを行った。インタビュー対象者は以下のとお
りである。
企業
インタビュー対象者
A社
A−1
B社
C社
B−1
C−1
WTC 北棟でテロに遭遇,無事生還を果たした副社長
社員が犠牲となり日本本社から駆けつけその後の対応を行った責任者
家庭医として日系人の健康管理を行っていた医師,テロで生き残った会社
員・家族等の精神的ケアを実施
C−2 医療機関の院長
C−3 医療機関の看護婦長
262
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
D社
E社
F社
D−1
D−2
D−3
E−1
E−2
E−3
F−1
F−2
NY 支店長,テロ発生時には出張で NY には不在
NY 支店 IT システム担当責任者
NY 支店長補佐
空港所長
NY 支店マネージャー
NY 支店総務責任者
NY 支店長
日本本社においてテロ災害の対応責任者
3.3. インタビューの方法
本テロ災害を直接的・間接的に経験した人々は,すべてその人なりの災害過程をたどってきた。しかしこれら
は全て個人の体験であり,それをもって本テロの災害過程を普遍化することはできない。本研究ではこれら個別
の体験の中から,当事者の視点からの証言を総合化することにより,本テロ災害により人と組織が受けた影響を
推定し,普遍化すべき事実や教訓を明らかにすることを目指している。
したがってインタビュー実施時においては,インタビュアーの予断を一切さしはさまぬよう留意し,時系列に
沿って自らが見,聞き,感じ,体験したことを自由に話してもらう方法(Sub-Structured Interview)を採用した。
インタビューは対象者の話題の展開に従って話の進行を妨げないことに留意し,話の途中での質問は極力行わず,
発言は話の先を促す程度に留めた。
研究成果
4.1. 対応行動のフェーズの検証
4.1.1. 阪神・淡路大震災における被災者の対応行動
青野他[1],田中他[2]は,阪神・淡路大震災でのエスノグラフィー調査で,被災者 32 ケースのインタビュー
結果を解析し,震災発生後の時間経過に伴い被災者の行動がどのように変化したのかを研究した。具体的には被
災した自宅を距離の基点に,地震発生時間を時間の基点とし,経過時間と移動距離の関係を検討した。その結果,
被災者の行動には 10 時間,100 時間,1000 時間の 3 つのタイムフェーズが存在することが明らかになった。この
3 つのタイムフェーズの解釈は次のようになされている。
阪神・淡路大震災被災者の 3 つのタイムフェーズ
10 時間
100 時間
1000 時間
1000 時間以降
状況の把握ができず近隣の救助や安否の確認,避難など目の前に展開する
様々な事態に対症療法的に対応する「失見当期」
おおむね状況が把握され応援部隊や救援物資の到着など,被災地社会を構成
する要素が出そろう「被災地社会の形成期」
ライフライン等の応急復旧工事が進み,ボランティアの流入などにより,い
わゆる災害ユートピアが出現する「被災地社会の安定期」
被災地に残った多くの人もライフラインの復旧により日常生活へのルーテ
ィンが復活し平常期に戻る動きが強くなる「平常期への移行期」
263
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
100
距離
距離
自宅型被災者の対応行動
10
10
市内転居型被災者の対応行動
1
1
)
m
k
(
)
m
k
(
0.1
0.01
0.01
0
0.1
1
時間(h)
10
100
1000
0
10000
0.01
0.1
1
10
100
1000
10000
100
距離
市外転居型被災者の対応行動
10
1
)
m
k
(
0.1
0.01
0.01
0
0.1
1
10
100
1000
10000
時間−行動距離の変化3パターン
4.1.2. WTC テロ災害の被災者対応行動の分析
4.1.2.1. タイムフェーズの検証
4.1.1 で延べたとおり,阪神・淡路大震災の被災者行動には 3 つのタイムフェーズが存在することが明らかとな
っている。WTC テロ災害は,外力として起こったテロ行為は自然災害ではない。しかし旅客機の激突という外力に
よって引き起こされた火災,ビル崩壊,人命の喪失,ライフラインの停止,さらにその後に起こる社会システム
の回復や被災者のくらしの再建等の過程は,自然災害が原因で引き起こされる事象と共通するものがあると考え
られる。そこで本研究では,インタビューを行った直接的・間接的被災者の記録に基づき,テロ発生後の時間経
過と,被災者の行動変化との関係を明らかにした。
テロが発生した時点とその時に所在していた場所をそれぞれ0とし,時間経過と被災者の移動距離との関係を
表したものが下図である。その結果,4.1.1 で述べた阪神・淡路大震災の被災者対応行動と同様に,本テロ災害に
よる被災者対応行動には,10 時間,100 時間,100 時間のタイムフェーズが存在することが明らかとなった。
[対象者 A-1]
WTC 北棟にて直接被災体験を持つ被災者
100
距離(km)
10
1
0.1
1
10
0.1
時間(hr)
264
100
1000
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
[対象者 B-1]社員が犠牲となり日本本社から駆けつけその後の対応を行った被災者
100000
距離(km)
10000
1000
100
10
1
0.1
1
10
100
1000
10000
時間(hr)
[対象者 E-1]航空会社の空港所長(在ニューヨーク)
100
距離(km)
10
1
0.1
1
10
100
1000
0.1
時間(hr)
4.1.2.2. タイムフェーズの規定要因の検討
4.1.2.1 で述べたテロ発生後,被災者の対応行動を規定する要因について検討を行う。移動を開始するきっかけ
となった出来事を調べた結果,以下に示す規定要因が明らかとなった。
265
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
ケース1 WTC北棟にて直接被災体験を持つ被災者
経過時間(hr)
きっかけとなる出来事
0
WTC北棟にてテロに遭遇
0.16 2機目の衝突
オフィス内の煙が強くなってくる
ビル管理会社からの避難命令が出る
1.16 階段室が突然暗くなり煙がすごくなり人が逆流
消防士の誘導
1.5
消防士・警察官の「Run for life!」の叫び声 1.5
妻へ無事であることを知らせたいと思う
1.6
背後ですごい音と人の波
その後ろからすごい煙が追いかけてくる
3
水や食料を求める
3.25 ビルからの退去命令が出る
8
臨月の妻が心配になる
電車が非常に混雑している
9.5
車の渋滞が激しい
24
立てない,歩けない,食べられない
102
そううつ状態から抜け出したいと願う
144 親会社の米国支社や支店が仮オフィスを用意
144∼
それに伴う対応行動
オフィスからの避難開始
避難ルートの変更
北へ向かって走り出す
立ち止まり電話をかける
北へ向かって死に物狂いで走る
親会社の米国支社に立ち寄る
近くの知り合いのオフィスへ移動する
地下鉄に乗り家に向かう
30分歩いて家の近くにたどり着く
予定していたゴルフを中止
3日間家にこもりっ放しになる
ゴルフ場へ行くが一球もあたらず
家族で外食に出かける
仮オフィスへ出社
自宅⇔仮オフィスの往復が続く
ケース2 直接被災した企業の日本本店危機管理担当
経過時間(hr)
きっかけとなる出来事
それに伴う対応行動
0
自宅で1機目の衝突を知る
1.16 会社との連絡が取れない
本店へ飛んでいく
2機目の旅客機が衝突
48
9月14日にNYへの第1便が飛ぶという情報を得る 自宅へ渡航準備に戻る
57
14日に第1便は飛ばず
本店と成田間を往復
105
9月15日よりNY便が運行開始
被災社員の家族とともにNYへ出発
144
被災社員の家族がNYへ到着
ホテルから空港へ出迎えに行く
148
行方不明者の登録を行う
家族支援センターへ出かける
168
被災社員の家族から献花したいと言われる
ニュースクエアに設けられた献花場所へ行く
170
被災社員の家族から現場が見たいと言われる
現場近くへ行く
220
被災社員の家族から今後のスケジュールの話が出病院回りを開始
292
被災社員の家族の半数が日本へ帰国
病院回りのスピードがぐんと増す
532
病院回りと捜索活動が一段落する
3名の社員を残し日本へ帰国
897
1名の社員の遺体が見つかる
NYへ再び渡航する
1080 遺体への対応と残務処理が一段落する
日本へ帰国
1080∼
その後自宅と会社との往復
266
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
ケース3 航空会社NY空港所長
経過時間(hr)
きっかけとなる出来事
0
自宅で1機目の衝突を知る
0.6
空港との連絡が遮断される
0.9
トンネルが閉鎖され車で通行できない
1.7
トンネルには入れないと警官に言われる
2.1
やはり行くしかないと決意する
9.1
地下鉄の運行再開の情報を得る
96
日本への帰国第1便が飛ぶ
96∼
それに伴う対応行動
空港へ出発
歩いて行く支度をしに自宅へ戻る
もう一度自宅に戻る
会社に向かって歩き出す
空港へ向けて出発する
空港での泊り込みをやめ自宅へ戻る
自宅∼空港の往復
被災者の対応行動を規定しているこれらの要因を分類してみると,物理的外力,生存,交通アクセス,情報な
どの項目に分類されることが分かった。
被災者の移動を促す規定要因
規定要因
物理的外力
内 容
具体的な事例
振動,煙,熱,音,圧力などの物理
・2 機目の航空機が衝突
的外力が加わることによって対
・オフィス内の煙が濃くなってくる
応行動が規定される
・階段室が突然暗くなり煙が濃くなり人が逆流してきた
・背後ですごい音と人の波,その後ろから煙が追いかけてく
る
行動指示
逃げろ,走れ等の行動指示が出さ
・ビル管理会社から避難命令が出る
れることによって対応行動が規
・消防士の避難誘導
定される
・消防士,警察官の「Run for Life!」の叫び声
・ビルからの退去命令が出る
情報アクセ
必要な情報が得られない,伝えら
・会社との連絡が満足に取れない
ス
れない等情報アクセスが確保さ
・9/14 に NY への第 1 便が飛ぶという情報を得る
れるか否かにより対応行動が規
・社員 1 名の遺体発見の情報が入る
定される
・空港との連絡が遮断される
交通アクセ
交通アクセスが確保されるか否
・電車が非常に混雑している
ス
かにより対応行動が規定される
・車の渋滞が激しい
・9/14 に NY への第 1 便飛ばず
・9/15 より NY 便が運行開始
・トンネル閉鎖で車で通行できない
・トンネルには入れないと警官に言われる
・地下鉄運行再開の情報を得る
・日本への帰国第 1 便が飛ぶ
職務遂行
自らに課せられている職務を遂
・
親会社の米国支社や支店が刈りオフィスを用意
行する事を目的とし対応行動が
・被災社員の家族が NY へ到着
規定される
・被災社員の家族から献花したいと言われる
・被災社員の家族から現場が見たいと言われる
・被災社員の家族から今後のスケジュールの話
267
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
が出る
・被災社員の家族の半数が日本へ帰国
・病院回りと捜索活動が一段落する
・やはり空港まで行くしかないと決意する
生存意欲
自らの生存のために対応する
・水や食料を求める
・立てない,歩けない,食べられない
・躁鬱状態から抜け出したいと願う
親しい人へ
親しい家族や仲間等に対する感
・妻へ無事であることを伝えたい
の思い
情により対応行動が規定される
・臨月の妻が心配になる
・行方不明者の登録を行う
4.2. NY テロ災害エスノグラフィーの検討
4.2.1. インタビュー内容の量的解析
聞き手の予断を差し挟まずに行ったインタビューで得られた話では,NY テロ災害の直接的な被災者であるか間
接的な被災者であるか,テロ発生時にいた場所がグランドゼロ近いか遠いか等,その人の本災害に対する精神的
な近さ(Psychological Closeness)や物理的な距離(Physical Distance)等立場の違いで,話が集中する時間帯が
異なることが分かった。そこで,インタビューで得られた会話に関して,どの時間帯の話がどの程度の時間を占
めるのか分析を行った。また時間帯は 4.1 で示したタイムフェーズを用いる。なお,比較するにあたり,直接的
に被災した企業ならびに被災者の精神的ケアを行った医師のグループ,日本人旅行者への対応を行った企業のグ
ループに分けて検討した。
会話時間割
合(%)
会話時間割合(%)
80
70
60
50
40
30
20
10
0
60
40
F-1
E-3
0
E-2
10
1
時間(hr)
ケース1:直接被災した企業ならびに被災者
の精神的ケアを行った医師
図
E-1
1000
100
1000∼
1000
時間(hr)
100
10
20
C-1
B-1
A-1
ケース2:日本人旅行者対応を行った企業
時間帯別に見た会話時間の長さ
ケース1(直接被災した企業ならびに被災者の精神的ケアを行った医師)では,テロに直接巻き込まれ WTC ビ
ルから生還した被災者 A-1 では発災後 10 時間までのことが会話全体の 72.8%を占めており,直後の出来事に対す
る話題の集中度が極めて高い。また社員が犠牲となり日本から駆けつけた本店の責任者 B-1 では 100 時間という
フェーズでの会話が最も多く全体の 58.2%を占め,テロで生き残った会社員や家族の精神的ケアを行った医師 C-1
では 1000 時間というフェーズでの会話が最も比重を占めていた。
ケース2(日本人旅行者対応を行った企業)では,NY に滞在していた邦人の帰国に直接関わる航空便の確保に
268
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
携わった航空会社社員 E-1,E-2,E-3 では,10 時間というフェーズでの会話が大きな比重を占めていることが分
かる。また自社の顧客である邦人旅行者への対応を行った旅行代理店の NY 支店長 F-1 では,1000 時間というタイ
ムフェーズでの会話が最も多かった。またケース2の E-2,E-3,F-1 はテいずれもテロ発生時に NY 支店のオフィ
ス内にいた人たちであるが,テロ発生後 100 時間=1 時間の会話の占める割合が比較的高いという特徴が見られる。
テロ災害に対する精神的な近さ(Psychological Closeness)や物理的な距離(Physical Distance) 等立場の違い
で,話が集中する時間帯が異なる。当事者意識が高いほど,あるいはテロにより受けた影響が大きいほど,発災
後早い時間帯における話の割合が多くなるであろう事は容易に想像される。そこで,エスノグラフィーの検討に
当たっては,テロによる影響の高い人から順番に,その記述をおこなうこととする。
269
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
エスノグラフィー結果概要
2時間まで
A社
・その瞬間セスナかヘリが
当ったと思う
・オフィス内で待機,煙への
対応
・2機目激突,煙濃くなり避
難指示が出る
・9:05 全員かたまり避難開
始
・避難階段は一列で秩序だっ
ていた
・50階で消防士とすれ違う,
ジョークを交わす
・16階で人が逆流,避難経路
変更,初めての恐怖心
10時間まで
・水と食料を求め親会社のオ
フィスへ
・知人のオフィスにて電話連
絡
・社員の無事確認
・電車,バス,徒歩で帰宅
100時間まで
・翌朝,立てない,歩けない,食べ
られない
・一睡もせず3日間,事件の中に浸
りつづける
・事件の追体験以外何もする気が
起こらない
・4日目,躁鬱状態から抜け出した
いと思う
1000時間まで
1000時間以降
・系列会社が仮オフィスを準備
・'02.4月末に本オフィスで
業務開始
・6日目,仮オフィスに初出社
・9月19日の給料日を乗り切り
安堵
・電話で今日の体験を喋りま
・初めての外出,家族と外で食事
くる
・明日は休み,ゴルフへ行こう
・社員に電話,安全を確認しあう
と考える
・10:20ビルの外へ脱出
・「Run for life!」の叫びで北
に向かって走り出す
・現地の情報が断片的に入り
だす
・日本国内の本支店と連絡を取 ・社員の生存に希望を持って
り合う
いた
・1棟目崩壊と同時に自宅を飛 ・NY社員家族へ30分おきに電
び出し出社
話をする
B社 ・自宅にて事件を知る
・社内で対策会議を実施
C社
・生存の情報入らず,もしかした
ら
・9/12,渡航社員の人選,渡航手
段の検討に入る
・9/18,登録,献花,現場訪問,
家族に同行
・マスコミの暴力から家族を守
る苦労
・9/20,遺体発見時の対応,職
・被災した企業と連携の道を探る
員の入れ替え検討
・9/13,生き残った社員が気がか ・9/21,家族の帰国に伴い病院
りになる
回りが本格化
・9/16,社員の家族と共にNYへ飛 ・9/28,全ての病院回りを終え
ぶ
創作活動終了
・9/16,現地にて生存可能性が低
いことを実感
・10/3,3名の職員を残し帰国
・遺族の生活確保手続き(労災,
保険,etc)
・NYの家族に帰国を促す説得が
続く
・病院へ行くよう説得するが聞き
入れず
・1週間後,他の会社の人に連れら
れ受診
・患者は背筋がぞっとするような
様相
・不眠,食べられない,興奮状態
・30分話して初めて泣いた
・週1回,8週間の治療を行う
・6週間目に症状がぐんと快方に
向かう
・患者を通し会社や家族の支援の
強さ実感
・助けてくれと言えない日本人
・昼過ぎから客が支店にあふ
れかえる
・アメリカ国内の対策本部を ・市外通話途絶,市内も3割し
設置
かかからず
・テレビ,インターネット以外 ・最後まで生き残ったのは
に情報入手手段なし
メール
・テレビに職員1名を貼り付け ・情報は全く入らず客に伝え
モニター
るべき情報なし
・パスポートも持たず客が支店 ・足止めを食った客のためホ
カウンターに来る
テルの会議室を借上げ
・現場判断で航空券の再発行を ・ホテルに泊まった客は静ま
する
り返っていた
E社 ・2機目の衝突で情報収集開始
・9/13 電話はいまだに全く不通
・ 〃 東京への第1便を飛ばす
・FAAから膨大な量の指示書が
毎日メールで届く
・空港でのセキュリティ強化
への費用負担増
・ 〃 空港の状況等が色々な形
で入り始める
・〃 最新情報を旅行代理店に
メールで配信
・9/14 客のイライラがピークに
達する
・9/15 日本への定期便運行再開
・9/16 混乱がほぼ収束
・11時過ぎから携帯電話も不
通となる
・WTCへのツアーがないかを
・日本の代理店とメールで対
チェック
応
・1棟目の崩壊で全顧客850名の ・個人旅行者が多く安否確認
安否確認開始
に手間取る
・NY中の添乗員と無線でやり取 ・留守宅家族からも直接問い
り
合わせ
・国際電話が不通,日本と連絡 ・全滞在者リスト作り開始,3
取れず
人で3日間費やす
・9月は1年で最も忙しい繁忙 ・足止めされた客に空港近く
期
のホテルを用意する
・帰宅希望の社員は地下鉄再
開と同時に帰す
・混乱の中で時間だけが過ぎ
ていく
F社 ・2機目の衝突でテロと確信
・受付の公平さの徹底,早い日付
のチケット順
・米系チケットを持つ日本人へも
対応
・9/12午前11時頃,全顧客の安全
・9/20 最後の客が日本へ帰国
確認が完了
・帰国便の予定は空港へ行かねば
掴めず
・客をバスに乗せホテルと空港
間を毎日送迎
・航空会社ごとに客の対応が異な
る
・9/15 客のイライラがピークに
達する
・生活費1人200ドル貸出し,ホテ
ル代立替え
・9/15,テレホンカードを配る
・NYよりハワイ,グアムでの対応
が混乱
270
・10/17,社員1名の遺体発
見
・日系企業から葬儀方法の
アドバイス
・10/26,遺骨,家族,残留職
員全て帰国
・12/16,遺体の見つからな
い社員のお別れ会
・12/22,会社としてのセレ
モニー「しのぶ会」
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
4.2.2. テロにより直接被害を受けた被災者のケース(インタビュー対象者 A-1)
WTC 北棟にあるオフィスでテロに遭遇。北棟崩壊直前にビルから脱出し一命をとりとめる。日本の総合商社の子
会社で NY オフィスでは 13 人の社員を抱えており,テロ発生時にはオフィス内に 5 名の社員がいた。対象者はこ
の会社の副社長である。
4.2.2.1. その瞬間
・アメリカ人スタッフと会議中にものすごい横殴りの衝撃を感じた
・観光用のヘリコプターかセスナが当たったかと思った
・頭のすぐ上をハンマーで殴られたような感じだった
・天井のパイルがバラバラと落ちるが,オフィス内の被害は大したことない
・ギギーという嫌な音がしてこのままビルが倒れてしまいそうなくらい 2∼3 回揺れる
・上のほうから火穴のスパークが見え,やっぱり当たったと思った
・インターネットで小型機が衝突したことを知りああやっぱりと思う
・家族や知り合いからの電話に「今救助されるのを待っている,大丈夫だ」と答える
4.2.2.2. 煙への対応
・火はスプリンクラーがあるので大丈夫,煙への対応を考える
・救助がすぐに来るだろうからオフィスの中で待機する
・煙が入らぬようオフィスのドアを閉め,社員を落ち着かせ,人数確認,窓際へ移動するように指示を出す
4.2.2.3. 避難を決意
・だんだん煙が濃くなり窓際に追い詰められていく
・つけっ放しのラジオで「もう一機あたる,あたる,あたった(セカンドアタック)」という実況中継を聞く
・3 機目もあるかも,さらに煙も強くなってくる,これはまずい,どうしよう
・ビル管理会社の人が個別に「避難しろ」と言って回ってくれた
・決心がつき 9 時 5 分,全員でオフィスからの避難開始
4.2.2.4. 静かな避難階段
・非常階段はようやく人がすれ違える幅,しかしなぜか常に片側をあけていた
・床はスプリンクラーの水で滑りやすく,皆手すり伝いに降りる
・電気もついていた,秩序だっていた,ペースの遅い人を気遣っていた,途中煙の強いところもあった
・50 階で上がってくる消防士たちとすれ違った,アメリカ人らしくジョークも出た
4.2.2.5. 突然避難行動が寸断される
・16∼17 階で突然暗くなる,煙が強くなる,人が逆流してきてそれ以上進めなくなる
・「降りろ,進め,いや進めない,何でだ,いや進めないんだ」みんな怒鳴った
・その時パニックに近いものを感じる,初めて「これはひょっとしたら」と考える
・消防隊員の誘導で別の避難階段に回る
・16 階のフロアは真っ暗,壁が落ち水浸し,瓦礫に埋まり前の人の背中がようやく見える状況
4.2.2.6. ビルの外へ
・1 階は瓦礫の山,山を登るようにして光のほうに歩いていった
271
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
・ロビーにでた瞬間衝撃を受ける,灰で真っ白,100 年も使っていない幽霊屋敷のよう
・何が一体起きたんだ,南棟が崩壊したことはいまだに知らず
・10 時 20 分,ビルの外へ脱出
・ビルを見上げるとガラスやビルの破片がものすごい勢いで落ちてくる
・まわりの情景は 5cm∼10cm ぐらい雪のように灰が積もって空爆を受けた都市のよう
・警官,消防士の「Run for life!」の叫びで北に向かって走り出す
4.2.2.7. 生きていることを確かめる
・当日夜は異常な興奮,見舞の電話全てに一から十まで話して聞かせる
・明日から会社は 5 連休となる,明日ゴルフに行こうと考える
・翌朝ドーンと反動がくる,立てない,歩けない,食べられない,眠れない
・一睡もせず 3 日間,ひたすら新聞を読み,テレビを見,事件の中に浸りつづける
・全体を知りたい,その中に自分の体験を当てはめたい,繰り返し繰り返し追体験をしてまた落ち込むことの繰
り返し
・他に何もする気が起こらない,それをやらずにはいられない
4.2.2.8. 追体験からの脱出
・9/15
躁鬱状態から抜け出したいと思う
・ゴルフの打ちっぱなしに行くが 1 球も当たらず,それで家族と外食に出かける
・他の社員へも気が配れるようになる,電話をして安全を確認し合う
・9/17
親会社の NY 支社,支店が仮事務所を用意,出社して業務を再開
・9/19
社員の給料日,最優先にやるべき事ができた事への安堵
・その後現在に至るまで仮事務所での業務が続く
4.2.3. 社員が犠牲となり日本本社から駆けつけた責任者のケース(インタビュー対象者 B-1)
テロ災害で NY 支店の社員が犠牲となった企業の日本本社側の対応責任者。事件発生は日本の自宅で知る。9 月
11 日夜 10 時前。その後,犠牲者の家族に同行し NY での現地対応を含め今回のテロ災害対応の全てを取りしきる。
4.2.3.1. 生存の可能性,入らぬ情報,渡航準備
・テロ発生から6hr
生きている,希望を持っていた
・
〃
〃
NY 社員の家族に 30 分ごとに電話をする,話すと気が紛れる
・
〃
12hr
翌日朝になり昼になっても本人からの連絡入らず,もしかしたら
・
〃
24hr
現地へ行く職員の人選を始める,自らも NY への渡航準備
・
〃
36hr
被災した企業と情報交換,連携の道を探る
・
〃
〃
渡航手段の検討に入る
4.2.3.2. NY 渡航までのゴタゴタ
・9/13
政府専用機が羽田に移動したとの情報を得る,しかし民間機の方が早いと判断
・
〃
午後になり NY で生き残った社員の事が気がかりになり始める
・
〃
9/14 に NY への第 1 便が飛ぶとの情報を得る
・9/14
社員の家族と共に成田空港へ行くが第 1 便は飛ばず
・9/16
9/15 に NY への運行再開,家族とともに現地へ飛ぶ
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
4.2.3.3. 現地での先の見えない対応
・家族への過剰な対応,マスコミの暴力,他企業からの支援
・現地にて生存の可能性が低いことを実感
・病院の生存者を全て確認するまで希望を捨てず
・家族支援センターへ登録,花や写真がないことに安堵
・家族から「これからどうする?」という言葉が初めて出る
・取材攻勢により病院回り,献花もかなわず
4.2.3.4. 先が見え始める(日本から行った家族帰国,NY 市長絶望宣言)
・9/23 家族 5 人,職員 2 人帰国
・家族の帰国に伴い病院回りが本格化
・9/25NY 市死亡証明書の発行
・9/28
現場での捜索活動終了
4.2.3.5. 処理フレームの決定
・遺体発見時の対応の調整,派遣職員の入れ替え
・NY 残留職員3名体制に
・残された家族の生活確保手続き(労災,保険,etc)
4.2.3.6. 会社の論理と家族の論理の対立
・アフガン攻撃開始,愛媛丸引き揚げ,残留家族への説得
・職員一名の遺体発見,現地で葬儀,特例の葬儀方法
・遺体を家族に見せるかどうかの判断
・行方不明家族(残留)への説得
4.2.3.7. 会社としてのけじめをつける
・10/17
行方不明社員 1 名の遺体発見
・10/19
再び NY へ,日本式で荼毘に付す
・10/26
残っていた家族と共に残留社員も全て帰国
・12/16
行方不明社員に「花をささげる会」
・12/22
会社としてのセレモニー「しのぶ会」
4.2.4. 日本人被災者の精神的ケアを担当した医師
在 NY 日本人の多くが診療を受ける病院で家庭医を務める。テロ発生時は対岸のニュージャージーの自宅におり,
マンハッタンへの交通が復旧するまではニュージャージーで過ごす。発災 1 週間目に,テロから生き残った日系
企業社員の精神的ケアを開始。約 8 週間の治療を経て急性ストレス症候群を治癒させた。
4.2.4.1. 生き残った社員への支援
・9/13
在 NY 日系企業の社員が迎えに行く(病院へ行こう)
・人間ではないような,背筋がぞっとするような様相,初めて被害のすさまじさを知った
・9/18
会社の人たちに連れられて初受診
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・不眠・食べられず・興奮,30 分話して初めて泣いた
・Acute Stress Disorder,これほど重症なケースは初めて
・ソーシャルワーカーと 2 人で週 1 回,8 回の治療でフォロー
4.2.4.2. “I need help”が言えない日本人
・治療 6 週間経過した頃から「泣きたい時に泣ける,助けて下さいと言えるようになった」
・本人が立ち直っていく過程を通じ,会社や家族のサポートのすごさを感じた
・日本人は人の助けを得ないで自分で頑張ろうとする
・身体状態を訴える形でメンタルな悩みを訴えてくる
・子どもたちの回復力はすごかった
4.2.5. 日本人旅行者への対応(航空会社)
日本への航空便が最初に飛んだのは 9 月 15 日であった。テロ当日 NY から日本へ帰国予定だった旅行者を始め,
NYに向けフライトして他空港に到着した客,9 月 15 日までの日付のチケットを持っていた客等,ニューヨーク
のみならず全米にいた客の帰国フライト確保にあたった航空会社のケース。
4.2.5.1. 9/11
客は静かだった
・午前 11 時,最初の避難客がパスポートも持たず支店へ
・昼過ぎから支店のカウンターに客があふれかえる
・ホテルのバンケットルームに宿泊した客はしんと静まり返っていた
4.2.5.2. 9/13
・9/13
情報,人が動き出す
東京への第 1 便が飛ぶ
・空港の状況も色々な形で情報が入るようになる
・9/14
客のイライラのピーク
・9/15
日本への定期便運行再開
・9/16
カウンターに来る客も落ち着いてくる
・9/18
混乱がほぼ収束
4.2.5.3. やれることは全てやった
・受付の公平さの徹底,早い日付のチケットを持っている順に乗せる
・米系チケット保有者の振り替え輸送,料金交渉も行う
4.2.5.4. セキュリティ強化への費用負担増
・10 日間
・10 日以降
客の目に触れる場所でのセキュリティ強化
客の目に触れない所でのセキュリティ強化
・トランジットは認めない,膨大な荷物の積み下ろしチェック
・機内食も 1 食 1 食ふたを開けチェック
4.2.6. 日本人旅行者への対応(旅行代理店)
テロ発生当時,ニューヨークを含め米国本土,ハワイ,グアムなどに 1 万人以上の顧客がいた。パッケージ旅
行者が減少し個人旅行者が過半数を占めるようになった現在,顧客の所在確認には極めて手間取った。対象者は
274
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NY支店長である。
4.2.6.1. つかめぬ旅行者の所在,帰国の目処たたず
・NY滞在 850 名,その他米国本土 250 名,ハワイ 6500 名,グアム 2500 名
・本社で最大のエネルギー払ったのはハワイ,グアム
・1 棟目崩壊で顧客の安否確認に入る
・9/12
全顧客の安否確認終了
・11 日から 12 日は眠れず,パニック状態で社員を怒鳴りまくる
・個人旅行者の急増(7 割),自由行動が多く確認に手間取る
・全滞在者リストの作成に 2∼3 人の社員で 3 日間かかる
・情報の 9 割はTV,その他ウェブサイト,メール
4.2.6.2. 帰国便の確保
・フライト時刻,座席数,全て空港に行ってみないと分からない
・航空会社により客への対応が異なる
・9/20 過ぎ,最後の客が日本へ帰国
4.2.6.2. 不満の塊の人たちへの対応
・足止めされた客へのホテルの用意
・ホテル代立替え,旅行費用の貸し出し 1 人 200 ドル
・9/15
客のイライラがピークに達する,テレホンカードを提供
・情報集約センターをつくり客を集めたがうまくいかず
・集めてうまくいくケースと集めてうまくいかないケースがある
・テロ現場に近い客の方が冷静
考
察
WTC テロ災害発生後の被災者の対応行動には,1 機目が衝突してから北棟が崩壊するまでの最初の 2 時間,10 時
間,100 時間,1000 時間,1000 時間以降というタイムフェーズが存在することが明らかとなった。このタイムフ
ェーズに従い,インタビュー内容の中から被災者のたどった災害過程を記述したエスノグラフィーの中から明ら
かになった事実や教訓は,以下に示すものである。
5.1. 日系企業の対応
5.1.1. 事実・傾向
今回インタビューを行った日系企業の災害過程では,緊急時には全て日系企業のネットワークの力で対応を行
っている。インタビューの中では,米系企業の話は一切出てきていない。日本の本社からの職員が NY に到着する
までの間,NY にいる他の日系企業の職員が様々な支援を行っている。生き残り憔悴しきった社員を説得し病院へ
連れて行ったり,日本からの到着家族の受け入れ準備を行ったりしている。また遺体が発見された時に,現地で
の葬儀社の手配,また日本人遺族の感情を考慮した葬儀の方法を交渉するなどしている。
この日系企業のネットワークは平常時から培われているものであるが,外国で日本人社会に固執することがと
もすれば悪いことのように捕らえられがちな中で,緊急時においてはそのネットワークの力が最大限に発揮され,
災害対応の随所で効果をあげていることが分かった。
275
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
さらに,日系企業といっても,どこの企業も日本からのスタッフの割合は非常に少なく,ほとんどの社員は現
地採用のアメリカ人が占めている。今回のような未曾有の危機に直面した時に,寝食を忘れて対応に当ったのは,
大部分が日本から派遣された日本人スタッフであり,現地採用社員の力をあまり当てにできないという話が度々
出てきた。
また情報の入手・伝達に関しては,これまでに発生した自然災害時の対応と同様に,必要な情報が得られない,
伝えられないという問題が起こっている。日本本社との連絡も事件直後から国際電話が不通となり,また NY 市内
電話,アメリカ国内電話も極めてかかりにくい状況が長期間続いた。その中で情報を入手する手段としてはテレ
ビが圧倒的な力を発揮しており,また情報のやり取りではe-メールの存在が大きな役割を果たした。
5.1.2. Office hour での被災
5.1.2.1. 被災後の対応
阪神・淡路大震災の発生は午前 5 時 46 分であり,ほとんどの企業では就業時間外での地震発生であった。もし
これが就業時間中に起きたらどうなるか,その一つの教訓を残したのが WTC テロ災害であった。WTC ビルでは多く
の企業が仕事を開始している時間帯にテロが発生したが,被災後無事にビルを脱出できた人たちの行動は,家族
の安否確認,同僚の安否確認,そして避難途中で営業している店に入り水や食料の購入,傷の手当て等を行って
いる。また途中立ち寄った店のテレビで WTC で何が起こったのかを始めて知ったという証言も多い。その後その
まま自宅に帰宅したり,自宅が被災している場合には親戚や友人宅に宿泊している。
5.1.2.2. オフィスビル街での避難
マンハッタンの中にありテロに標的になりそうな建物は,当日 10 時過ぎから次々と退去命令が出された。超高
層ビルが林立するオフィスいる街から一斉に人が外に避難した時,指定された避難場所はあっという間に満杯と
なり,路上は人の波で埋まりって大混雑となった。わが国においても,商業業務地区で高層建物が林立する地区
においては,ビル内の人が一斉に建物外に避難すれば同様の事態が発生することは容易に想像できる。このよう
な事態を考えると,建物ごとの時間差避難や,そもそも建物の外へ避難すべき事態がどのような場合であるかの
基準を明確にすること,ビル内の人たちへの避難情報伝達の徹底などの対策を講じておく必要がある。
5.1.2.3. 帰宅困難者への対策
5.1.2.1 で述べたように,終業時間中に被災した人たちの多くは,避難途中で open している店に入り情報の入
手,水や食料の調達,携帯電話の充電,簡単な傷の手当てなどを行っている。災害時における帰宅困難者への対
応は既に検討され始めているが,これらのサービスへの需要は極めて高いことが明らかとなった。
5.1.2.4. 会社の論理と家族の論理
就業時間内に災害が発生し社員が死亡した場合、会社の責任はどこまであるのかという問題で、会社と家族の
論理のせめぎあいが発生した。発災直後は,家族も会社もひたすら社員の生存を願い,両者ともに 100 時間まで
のフェーズは安否の確認や捜索活動のために全力を注いだ。この時間のフェーズでは両者の論理は一致していた。
しかし時間の経過に伴い生存の可能性が徐々に低くなってくる現実の中で,会社にとっては捜索活動に伴う家族
や社員の渡航費や滞在費等の経費負担の問題が顕在化し始める。複数の社員を日本から長期にわたって派遣する
事により,日本国内での業務遂行のための人事ローテーションにも負担を強いる事となった。生存の可能性を諦
めきれない家族と,テロ災害に関する一連の業務に早く終止符を打ち通常業務に復帰したい会社の論理の差が顕
在化するのは、約 1000 時間(1ヶ月)のフェーズであった。とりわけ今回の災害においては、遺体の発見ができ
ないままに,会社の論理は業務再開という次のフェーズに移行し,家族の論理は生存の可能性にかけるというフ
ェーズを引きずらざるを得なかったところに,両者の論理のせめぎあいが生じた。すなわち、家族にとって最終
276
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
的に死を受け入れることができないままに、会社が会社の論理に従って次のフェーズに対応を移行させることに
は大きな困難をともなう事があきらかとなった。
5.2. 日本人旅行者への対応
5.2.1. 旅行者の自己責任
以前と異なり,日本人が外国旅行をする場合にも団体旅行ではなく個人旅行の割合の方が多くなっている。団
体旅行であれば,全てのスケジュールや宿泊先が旅行会社でのすぐに把握でき,添乗員が同行して場合にはすぐ
さま緊急の連絡もとれる。しかし個人旅行者の場合,今旅行者がどこで何をしているかを把握することはできず,
WTC テロ災害時にも顧客の安否確認が極めて困難であった。さらに日本にいる留守宅家族からの問い合わせも多く,
あたかも旅行者の責任を追及するような言動も多かった。
日本人旅行者にはリスクの自己負担認識の欠如が多く見られ,とりわけ個人旅行ではその認識を持ち合わせて
おくことが求められる。本テロ災害で航空会社や旅行代理店は,日本人旅行者に対し本来やるべき義務のないこ
とにまで対応して大変な努力を払って,日本人旅行者の安全確保と帰国のための対応を行った。
5.2.2. 現場への権限委譲
NY を始めアメリカの各地で空港が閉鎖され,帰心矢のごとしの日本人旅行者は最長で 10 日間も NY で足止めを
くった。その不満は本来責任を負う義務のない航空会社や旅行会社に向けられ,旅行者の不満を解消するための
あらゆる対応が行われている。最新情報の提供に努めたことは言うまでもないが,滞在費が底をつきかけた旅行
者には 1 人 200 ドルの資金貸出しを行ったり,ホテル代の立替え,いつ飛べるか目処の立たない中で毎日ホテル
と空港の間をバスで送迎等のサービスを行った。
このような判断は,現地で旅行者の不満を直接モニターしていた人たちにしか行うことはできず,現に今回の
テロ災害において現場にかなりの権限が委譲されていた。結果的に旅行者の航空会社や旅行会社に対する信頼度
は高まり,顧客を掴むという点で企業にとって大きなプラスとなった。
引用文献
[1]青野文江他:「阪神・淡路大震災における被災者の対応行動に関する研究」,〔地域安
全学会論文報告集,№.8,(1998)〕
[2]田中聡他:「被災者の対応行動にもとづく災害過程の時系列展開に関する考察」,自然災害科学,18(1),
1999」
成果の発表
1)原著論文による発表
ア)国内誌(国内英文誌を含む)
なし
イ)国外誌
なし
2)原著論文以外による発表(レビュー等)
ア)国内誌(国内英文誌を含む)
277
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
なし
イ)国外誌
なし
3)口頭発表
ア)招待講演
なし
イ)応募・主催講演等
なし
4)特許等出願等
なし
5)受賞等
なし
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
4. 在ニューヨーク(NY)日系企業及び日本人旅行者の対応のエスノグラフィー調査
4.2. WTC内の米国企業ならびにWTC周辺住民の対応過程に関するエスノグラフィー調査
京都大学防災研究所総合防災研究部門
田中
要
聡
約
本研究では、事件当時 WTC ビルにオフィスをかまえていた米国企業に勤務する米国従業員4人に対してインタ
ビュー調査をおこなった。その内容は多岐にわたるが、特に、事件の覚知と緊急対応行動(WTC ビルからの避難を
含む)、安否の確認方法、会社の再建過程、本災害から得られた教訓などについての情報を得た。本研究で特筆
すべきことは、オフィス・アワーに都市で発生する巨大災害の災害像の一端があらかになったことである。これ
らの情報は、わが国の都市災害の対策立案に際しても、十分反映されるべきものであり、今後とも継続的に情報
を収集し、復興過程も含めた災害過程の全体像を明らかにする必要がある。
研究目的
WTC ビルには50社を超える日本企業がオフィスを構えており、日本人の犠牲者も30名に及んでいる。また、
日本人旅行者も多く、事件当時も多くの日本人が付近に居合わせた。本研究では、海外において未曾有の災害を
体験した人々の避難行動、その後の対応行動、心理状況について、インタビューを通して体験を再構成する。特
に本研究では、WTC ビルにオフィスを構えていた米国企業に勤務する米国従業員に対して、インタビュー調査をお
こない、日本人の対応行動との比較分析をおこなうことを目的とする。
研究方法
3.1. インタビュー調査の方法
インタビュー調査は、a)構造化されないインタビュー法の採用、b)時系列にしたがった話題の展開、の2点に
留意しながら、計画・実施された。
a)構造化されないインタビュー法の採用
一般にインタビューの方法は2つ大別される。一つは、事前にしっかりとした質問項目を系統的に整理し、そ
のプランにしたがって実施する構造化されたインタビューである。この方法では、質問内容や質問の仕方が一定
のため、共通の項目について多くの対象者からデータの収集が可能となるが、一方で、あらかじめ質問項目がき
まっているため、“思いがけない事実の発見”はあまり期待できない。もう一つは、対象者の話題の展開にした
がい、進行をさまたげないようにしつつ、はなしの先をうながす方法、すなわち構造化されないインタビューで
ある。この方法では、インタビュアーの仮説にもとづいて構造化された質問をした場合、回答がそれをこえるこ
とはないという問題を回避することは可能となるが、インタビュアーの個性や能力に大きく依存するため、結果
279
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
に個人差が生ずる可能性が大きい。
本調査では、私たちが無意識的にいだく予断を排し、思いがけない事実に着目することを重視するため、構造
化されないインタビュー法を採用した。
b)時系列にしたがった話題の展開
災害過程をあきらかにする上で、時間は災害過程をつらぬく唯一の基軸であるため、この時間軸にそって事象
の展開を語ってもらうことは、災害過程のシステム論的記述にはかかせない。また、対象者にとっても、いきな
り特定の話題から話し始めるより、時間の流れにそって、被災前日から現在(調査日)までの、対象者のとって
きた行動やその背景、被災状況や近隣との関わり、思考、被災者の直面するさまざまな課題の経過などを語るこ
との方が自然な流れとなると考えられる。
3.2. インタビュー対象者の概要
本研究では、事件発生当時(2000 年 9 月 11 日)第1ワールドトレードセンター(北棟)の 77 階にオフィスを
構えていた World Trade Centers Association の従業員4名に対して、個別にインタビュー調査を実施した。イ
ンタビューでは、事件発生直後の対応行動から、約半年後にいたるまでの対応状況についての情報をえた。なお
本報告において、事件発生時とは、2002 年 9 月 11 日午前 8:46 頃、すなわち、アメリカン航空 11 便が第1ワール
ドトレードセンター(北棟)に突入した時刻をあらわす。
調査の概要については、以下にしめすとおりである。
調査日時:2002 年 2 月 26-27 日
調査場所:World Trade Centers Association の事務所(60E 42nd St., NY, NY)
調査対象者:Mr. H.O 氏(60)
調査日時:2002 年 2 月 26 日 14:00-17:00
調査者:田中聡、林春男、河田惠昭
調査対象者:Ms. D.M 氏
調査日時:2002 年 2 月 27 日 10:00-12:00
調査者:田中聡、牧紀男
調査対象者:Ms. C.G 氏
調査日時:2002 年 2 月 27 日 13:00-15:00
調査者:田中聡、牧紀男
調査対象者:Mr. B.D 氏
調査日時:2002 年 2 月 27 日 15:00-17:00
調査者:田中聡、牧紀男
研究成果
以下に4氏へのインタビューの概要をしめす。
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
4.1. Mr. H.O のケース
O 氏は World Trade Centers Association(WTCA)の副社長。1970 年から 30 年間 NY & NJ Port Authority で
働いており、その頃より WTC ビルに勤務していた。World Trade Center (WTC) Complex には4万人が働き、毎日
8万人の訪問者がある、ひとつの都市である。O 氏の NY & NJ Port Authority での仕事は、日本の貿易振興会
(JETRO)のような、世界貿易の促進であり、現在は NY & NJ Port Authority を退職して WTCA に移ったが、同様
な仕事をしている。
O 氏には、妻と息子二人と娘一人がおり、上の息子はロンドン在住である。娘はマンハッタン(Uptown)に住んで
いる。下の息子(25)は、WTC ビル北棟の 105 階の証券会社(CF 社)に勤務しており、ビルの倒壊によって死亡し
た。
4.1.1. 事件発生直前の状況
O 氏の自宅はニュージャージー州(NJ)にあり、毎日電車で通勤している。事件当日も 8:00 頃には WTC ビル北棟
の 77 階のオフィスに到着していた。O 氏の息子も、同じく WTC ビル北棟の 105 階の証券会社(CF 社)に勤務して
おり、事件当日もすでにオフィスに到着していた。
4.1.2. 事件発生当日の対応行動
事件発生直後、なにが発生したのか全くわからなかったが、1993 年の WTC ビル爆破事件の経験から、とっさに
ビルのなかにいると危険と判断し、78 階の Sky Lobby の Express Elevator に向かう。しかし、このエレベーター
は動いている気配がなかったため、すぐに階段で避難をはじめる。部下の CG(ケース 4.2)氏にも同様な指示を出
す。ビルの中の人たちは、全く状況がつかめていなかった。なかには、危険であることすら感じていない人が多
くいた。階段途中で、下から上がってくる消防士たちに出会う。1階のコンコースで気がついたことは、スプリ
ンクラーが全く動作していないことであった。10:00 頃、ビルから外に脱出した。
息子は事件発生直後、すぐに家(自宅)に電話して、(妻すなわち母親に)とりあえずの無事を連絡したが、その
後消息不明である。
ビルから脱出して、歩いて避難をはじめると、誰かが“WTC ビルが完全に倒壊した”、と叫んでいるのを聞くが、
何のことだか理解ができなかった。避難の最中に、家の妻に連絡をとろうとするが、公衆電話も携帯電話も全く
つながらず、連絡の手段がなかった。そこで、14 丁目でタクシーをひろって、Uptown にある娘のアパートへゆく。
アパートでは、最初、娘は不在で、おなじアパートの娘の友人の部屋に入れてもらい、そこでテレビを見て、は
じめて事件の全容を知る。娘が戻ってくると、彼女に息子の安否を尋ねられるが、“たぶん家か病院にいるだろ
う”としか答えられなかった。娘のアパートから妻に電話をし、息子の安否がわかるまで、娘の部屋にとどまる
旨を告げる。しかし娘も妻も、“息子はビルの倒壊で死亡したであろう”と語った。
1日待ったが、何の知らせもなかった。
4.1.3. 翌日以降の対応行動
翌日(9/12)より、息子の写真をもって病院をまわった。おおくの人が同じように、写真を片手に、「この人を
知りませんか」と歩き回っていた。どこの病院でも、けが人の多くは処置を終えて帰宅していた。何軒もの病院
を回るうちに、息子の死を受け入れなければならないことを感じ始めた。家族を失った人たちの多くは、“もう
死んでもかまわない”といっていた。O 氏も同じ気持ちであった。
O 氏は、検死官のところへゆき、DNA 鑑定のためのサンプルを提出した。体の一部しか発見されなかった被災者
の例をいくつも聞いたが、息子に関しては何も発見されなかった。
9 月 30 日に息子の葬儀をおこなった。教会は参列者であふれんばかりであった。こんなにおおくの人が参列し
てくれるとは考えてはいなかった。この事件は、自分たち家族の悲劇だけではなく、アメリカ全体の悲劇であっ
281
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
たということを悟った。
息子の会社の遺族への対応は大変悪く、みな口々に怒りをあらわにしていた。息子の生命保険金が支払われた
ので、これをもとに、息子の名前を冠した基金を設立した。
4.1.4. 精神的なダメージ、息子への思い、そして事件への洞察
O 氏は、家族を破壊した犯人たちに大変な怒りを感じている。現在(3/26/02)でも、O 氏も妻もセラピーにかよ
っている。月曜日の夜はグループ・セラピー、火曜日は個別のセラピー、土曜または日曜は牧師と面会している。
O 氏は、もしいやされるとすれば、他の人を助けることによって、はじめていやされると考えている。
まだ息子がよく夢にでてくるそうである。息子が最期に何をおもったのか、たぶん家族のことだったのではな
いかと想像している。
O 氏は、オサマ・ビン・ラディンをはじめ、4 機の飛行機を乗っ取った 19 人の男たちを大変憎んでいる。しか
し、この事件の背景には貧困があり、貧困の問題を解決しなければ、この問題を根本的に解決することにはなら
ないと考えている。そして、なぜ WTC ビルが標的になったのかといえば、WTC ビルはアメリカの豊かさのシンボル
とみられていたからだと考えている。
4.1.5. 1993 年の爆破事件の際の対応行動と事後対応
1993 年 2 月 26 日の WTC 爆破事件の時は、34 階でビルが揺れるのを感じた。その後すぐに煙があがってきた(爆
弾は地下の駐車場に仕掛けられていたので、煙が上階へあがっていった)ので、すぐに避難すべきと考え、コー
トをもって、階段で避難した。時間は 12 時 18 分。O 氏は、とても怖かったことを覚えているが、ほかの人たちが
かなり冷静だったことも覚えている。ビルの外にでるまでに 45 分ほどかかり、地下鉄に乗ってバスターミナルへ
ゆき、バスに乗って家に帰っている。
その後しばらく(3-4 ヶ月)はビルが閉鎖されたが、州知事の強い意向で、できるだけ早く戻った。その後 WTC
ビルは警備が強化され、ビルの構造にも、柱を補強するなどいろいろな対策がほどこされた(実はインタビュー
当日(2/26)は、9回目の記念日であった)。
4.1.6. 教訓
O 氏は、教訓として、情報伝達の重要性をあげている。たとえば、今回オフィスに残った人のなかには、ドアの
隙間に濡れタオルを敷いて、煙の進入を防いで、避難しなかった人たちがいた。彼らには、ビルの倒壊の危険性
を知るすべが、あるいは、外から危険を伝達する手段がなかった。ビルを上っていった消防士たちも同様で、情
報が伝わらないということは致命的である、という点を強調している。
4.2. Ms. C.G のケース
G 氏は WTCA の社員。毎日、自宅のある Queens より通勤している。家族構成としては、夫と娘一人である。彼女
の妹もおなじ会社で働いている。今回の事件では、足にけがをし、避難行動に多大な困難がともなった。また、
精神的にもおおきなダメージを受け、現在休職中である。4月には仕事に復帰できる見込みである。1993 年の爆
破事件当時も WTC ビルに勤務しており、彼女の対応行動には、1993 年の教訓が生きている場面が多い。
4.2.1. 事件発生当日の対応行動
G 氏は、通常 9:00 頃出勤するのだが、この日は通常より少しはやく出勤した。おなじ会社に勤務する妹は、近
くの郵便局にいっていた。
8:46、WTC ビル北棟の 77 階のオフィスに入ったとたんに、大きな衝撃を感じた。オフィスにあった置物が足に
ぶつかり、けがをした。地震かと思ったが、上からいろいろなものが降ってくるので、何かがビルに衝突したと
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
感じた。すぐに上司である O 氏が 78 階の Express Elevator の様子を見にいったが、すぐに降りてきた。そこで、
5分もたたないうちに(8:50 頃)、階段で避難をはじめた。G 氏は、足にけがをしていたために、早くおりること
ができず、O 氏は先に行ってしまった。おなじフロアの友人の女性と一緒におりていった。階段には、非常灯が点
灯していた。
44 階で、1つのエレベーターが動いているようにみえた。なぜならば、100 人以上が、エレベーターを待って
いるのが見えたからだ。3−5分待ったが動いている気配がなかったので、再び階段で避難した。
40 階あたりで、下からあがってきた消防士や警察官、FBI などとすれ違った。
7-8 階では、スプリンクラーが作動していたため、床が水浸しであった。くるぶしくらいまであり、とても歩き
づらかった。避難の途中、なにも情報がなかった。誰も飛行機が衝突して火災が発生しているのだということを
知らなかった。ただおり続けた。
外にいた妹は、事件を知るやいなやオフィスの G 氏に電話し続けたが、誰もでなかった。一方 G 氏は、妹がエ
レベーターで上がってくる途中で、中に閉じこめられているのではないかと心配した。
1階のロビーでは、おおくのガラスやいろいろなものの破片が散乱していた。G 氏は、スカートをはいていた上
に足をケガしていたので、ころんですりむいてしまった。エレベーターから煙がでているのを見て、これはすぐ
に脱出しないといけないと感じた。しかし、回転ドアのいくつかは壊れていて動かなかった。4−5人の警備員
が人々をビルの外へ誘導していた。
出口に近づくと、突然ライトが消えた。と同時にすごい風が吹いてきて、あたりを吹き飛ばした(WTC 南棟の倒
壊 10:05)。多くの人が悲鳴をあげていた。あたりは粉塵で霧がかかったようで、全く視界はなかった。ひとつの
出口を目ざしたが、おおくの破片や障害物があって出られなかった。誰かがつけたフラッシュライトをたよりに
出口を見つけた。その出口に向かって、手をつないで人の鎖をつくって歩いていった。一緒にいた友人は靴をな
くしてしまったが、これらの破片の上を歩いてでも、歩き続けなければいけないといった。転んでいる人もいた
が、その上を乗り越えていった。ロビーは混乱していた。なにが起こっているのか全くわからなかった。
10:15 頃、ビルから脱出した。
地上を歩き出すと、足から血がでているのに気がついたが、痛みは感じなかった。近くの教会を曲がると、警
察や消防、レスキューの人達がおり、救急車をすすめられたが、拒否して歩き続けた。
Wall St.についた時、大きな土煙が迫ってきたので(WTC 北棟の倒壊 10:28)、Wall St.を走って逃げた。後ろ
は振り返らなかった。後ろから、紙やいろいろなものが吹き飛ばされてきた。
途中、ある店で、水とペーパータオルをもらい、よごれを拭う。友人は靴をかえた。Canal St.へ向けて歩いて
いる時に、はじめて後ろを振り返ったが、ビルの倒壊の認識はなかった。誰もそのことをしゃべらなかった。見
えたのは煙に包まれた光景だけだった。友人は携帯電話を持っていたので、家族に連絡しようとしたが、つなが
らなかった。公衆電話も多くはつながらなかった。つながる電話には、50-100 人の行列ができていた。そのため
あきらめて、Canal St.へ向けて歩き続けた。
Canal St.で警官に、近くのバーで傷の応急処置をしたらどうかといわれ、応じる。そこで、テレビを見てはじ
めて事件の全容を知る。とても信じられなかった。その後別の店から、店の電話で Queens の自宅と Uptown に住
んでいる妹へ連絡した(13:00)。その後、一緒に行動していた友人の友人のアパート(1st Ave. 10th St.)へゆくこ
とにする。タクシーはいっぱいで、とれも乗れるような状況ではなかったので、歩いていった。その友人宅で、
水とコールドパッドをもらって、傷を処置した。そこでは 10-15 分ほどすごし、59 St. Bridge をめざして歩き始
める。
途中、G 氏は、同僚の安否を気遣う。事件発生当時、二人の同僚がオフィスにいたはずだが、彼らの家の電話番
号もわからず、連絡しようがなかった。これらの同僚も G 氏の安否を気遣っていることであろうと心配する。
14:00-15:00 ころ 59 St. Bridge に到着し、わたる。そこでは、4人の女性が助けてくれた。また、彼女らが家
族に連絡してくれた。Queens 側にわたったとき、警官が救急車を呼んでくれて、15 分ほど待って Queens の Elmhurst
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Hospital についた。G 氏の足は、ガラスでかなり深くケガをしており、そこで処置をする。精神科の医者も呼ん
でくれた。
16:30-17:00 頃、夫と弟が病院に迎えにくる。
19:00 頃 Queens の自宅にたどり着く。家族は大変驚いた。やはり実際に顔を見るまでは信じられなかったよう
だ。
4.2.2. 精神的なインパクト
G 氏は翌日(9/12)、精神的にもダメージを受けていることを自覚した。まず、夢に事件の場面が何度もでてきて
眠れなくなった。さらに、ビンラディンの白昼夢をみることもあり、精神的に何らかの問題があることを悟った。
そこで精神科に通い、いまだに多少の問題を抱えている。仕事もできない状態なので、休職した。
4.2.3. 職場の状況
翌日(9/12)、職場のオフィスマネジャーから家に電話あり、同僚の安否を知った。その後、O 氏の息子の葬式
(9/30)まで、同僚と会うことはなかった。同僚のおおくは、G 氏が元気であることに驚いていた。ほかの会社では、
社員の安否確認など、うまくいっていないところも多くあると聞いている。
G 氏は、仕事にはいまだ復帰していない。妹は特に問題なく働いているので、会社の状況を知らせてくれる。G
氏も働くとこは精神的にもプラスになると考えており、4月には復帰する予定である。
4.2.4. 被災者支援
被災者支援として、FEMA などからいろいろなサポートが得られると知り、電話で連絡した。しかし担当者に、
給料をもらっている人は支援を受ける資格がないといわれたり、2−3ヶ月前からの給与支払い証明などが必要
であるなどといわれ、断念する。結局、会社の人事課で、労働保険が適用可能であることがわかり、治療費など
が支払われた。
4.2.5. 1993 年爆破事件との比較と教訓
今回の事件発生直後、多くの人はまず電話をし、そしてどのように行動するか考えていた。しかし G 氏は、1993
年爆破事件の経験から、すぐに避難行動をおこし、結果的にビルから脱出できた。
1993 年爆破事件の時は、爆発の衝撃はあまり感じなかったが、煙が大変多かった。また、当時は、避難などに
関しては組織的にも大変貧弱であった。上へ避難すべきと主張するものと、下へ避難すべきと主張するものがお
り、避難経路に関しても大変混乱していた。今回はそのような混乱はなかったが、ビルからの避難を促す館内放
送はなかったと記憶している。
4.3. Mr. B.D のケース
D 氏は WTCA の社員。O 氏と同様に、1970 年頃より、NY & NJ Port Authority に勤務し、WTC ビルの施設担当。
1997 年に退職して、WTCA に勤務するが、現在でも WTC ビルの管理に大きく関わっている。自宅はニュージャージ
ー州(NJ)にあるが、WTC ビル群のとなりの Battery Park City のアパートの 8 階にも部屋を借りており、通常はそ
こから通勤している。娘が Uptown にすんでいる。また、D氏は不動産管理の専門家であり、ニューヨーク大学で
資産管理を教えている。
4.3.1. 事件の覚知と当日の対応行動
D 氏は通常 8:00 から 8:30 分頃に WTC ビルに入り、108 階のレストランで朝食をとっている。しかし、9 月 11 日
はニューヨーク市の市長選挙の投票日であり、通常よりも少し遅く出勤した。
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投票をすませて投票所をでると、最初の飛行機が WTC 北棟に激突した。ものすごいノイズがきこえ、見上げる
と北棟の南側から火の玉が吹き出るのが見えた。爆弾だと思った。すぐに何階が爆破されたのか数えはじめた。
75-77 階の機械室であろうと予想したが、90 階あたりであった。
自分のオフィスでなかったので、少しほっとしたことを覚えている。しかし、大変興奮していた。通りがかり
の女性が、“飛行機がぶつかった”といっていたので、小型飛行機が事故で衝突したと理解した。しかし、すぐ
におおきな飛行機の車輪をみて、それが大型機であることを悟った。
マリオットホテルで朝食を食べていた友人と出会ったが、彼らも何が起こったのか全く知らなかった。その時、
再び大きなノイズがして、爆発音が聞こえた(9:03、UA175 便が WTC 南棟に激突)。今度はミサイルで攻撃されてい
ると思った。ビルを見上げると、人々が飛び降り始めた。
すぐにその友人 4-5 人と D 氏のアパートにいって、テレビをつけ、はじめて事件の全貌(大型の航空機が WTC
ビルに激突したこと)を知った。すぐにあちらこちらに電話をかけ始めた。
およそ 45 分後(実際には1時間後)、WTC ビル南棟が倒壊した。ものすごい音がしたので、もう一機激突したの
かと思った。ちょうど娘に電話をしており、もう一機激突したらしいといった。まるで映画のようなものすごい
粉塵がやってきた。D 氏は、粉塵が入らないように、アパートの窓を閉めて回った。テレビはまだやっていて、ビ
ルが倒壊したことを告げていた。もちろん粉塵で、窓からは何も見えなかった。
30 分程度たつと、粉塵がすこし落ち着いてきた。しかしすぐに WTC ビル北棟が倒壊し、同じような状態になっ
た。WTC ビル北棟が倒壊すると、電気、電話、テレビがすべてダウンした。
私のアパートにいた人たちは、外に出ようとしていたが、外は息もできそうもなく、人々は混乱して走り回っ
ているのであきらめた。
さらに 45 分くらいたった時、警察官がやってきて、逃げるように指示をした。階段で地上までおり、北へ歩い
てゆこうとしたが、警察官に船でニュージャージー州(NJ)に避難するようにと指示された。NJ(Jersey City)にわ
たって、友人のアパートにゆき、一夜を明かした。
翌日マンハッタンに戻り、Uptown の娘の家にゆき、そこに 3-4 週間いました。
4.3.2. WTC タワーにおける危機管理体制と 1993 年爆破事件
1993 年の爆破事件当時にも、WTC ビルには危機対応マニュアルが存在した。20-30 のイベントに対応できるように
準備されており、航空機の衝突についても、20 年前に一度訓練をやった。しかしそれは、燃料がほとんどない着
陸寸前のもっと速度の遅い航空機を想定していた。1993 年当時のマニュアルでは、テロリストによる爆破は想定
していなかった。しかし 1993 年の事件の際には、当時5万人が WTC Complex にいたが、大変秩序だって避難をし
た。これは訓練の成果だと考えている。現在も年2回の火災訓練を実施しており、階段の容量は十分であったと
考えている。1993 年の事件以降、WTC ビルの改修がなされた。たとえば、館内の高度情報化対応、空調システム
の改修、エレベーターとエスカレーターの改修など、さまざまな改修工事が終了したばかりであった。
今回の避難に関する大きな問題は、むしろビルから外に出た後の問題である。このエリアは、洪水災害に対し
ての避難計画しかない。したがって、全く避難計画がないに等しい状態であった。これは、大きな問題であると
考えている。
4.3.3. 立ち入り規制
アパートのあるエリアは立ち入り制限区域に指定されたため、常に身分証明書を提示しなければならなく、住
民にとっては大変負担であった。バッテリーパークはまるで軍のキャンプ地のようであった。1993 年の事件の時
も様々な規制があったが、Port Authority がもっとコントロールをしており、今回ほど不便を感じなかった。
4.3.4. Business の再開
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
最初の 24 時間は会社のメンバーと連絡をとる手段がなかった。ただし、携帯電話とパームパッド(PDA)に、電
話番号などの情報が入っていたので、それで関係者にかたっぱしから電話をした。
主要メンバーと連絡をとり、会社再開に向けてオフィス・スペースを探しはじめた。特にコンピューターが設
置できるようなオフィスが必要であった。D 氏は不動産学の専門家であって、Building Owners and Management
Association の Board Member でもあるため、オフィス・スペースに関する情報は何でも入ってくる。事件発生か
ら1週間以内に、6th Ave.の仮のオフィスで最初の会合をおこなった。さらに、最初の1週間で Web Site を立ち
あげた。次の仮のオフィスに 10 月から 2002 年1月までおり、2002 年1月7日に現在の場所(60E 42nd St.)に移動
した。現在の場所にたどり着くまでに、35 カ所の候補があった。現在の場所は、5年契約である。WTCA は多くの
データを失ったが、現在徐々に再構築している。現在(2/27/2002)までにビジネスの約 90%が回復した。
4.3.5. World Trade Centers Association(WTCA)について
WTCA のビジネスは、貿易の促進にある。全世界 90 カ国に 300 の World Trade Center があり、これらのネット
ワーク整備・交流促進がおもな仕事である。会社の従業員は20から25名であるが、事件発生当時は3人しか
オフィスにいなかった。Web Site 再開後、他国の WTC から多くの支援のメールをもらった。大切なことは、これ
らの組織が、引き続き WTCA を支援してくれることである。
4.3.6. WTC エリアの所有関係と再開発
現在の WTC Complex エリアの所有関係は複雑である。#1,2,4,5ビルとその地下部分(約 400,000sq ft)
は、2001 年 7 月 24 日より 99 年間、Silverstein Properties にリースされた。土地は、NY & NJ Port Authority
が所有している。事件前には、空室率は 2.5%以下であり、Lower Manhattan 全体でも 10%以下であった。しかし事
件後、NY から約 40000 の仕事がなくなり、部屋面積に換算すると 8,000,000sq ft の面積が消失した。多くの会社
は Manhattan からでていってしまったため、Lower Manhattan の空室率は増加していると考えている。
再開発に際しては、9/11 以降に設置された Lower Manhattan Development Corporation が委員会を作って検討
している。Silverstein Properties は多額の保険金が入ったはずなので、それを元手に再開発をすることになる
が、遺族、周辺住民の感情もあり、まだ結論はでていない。
4.4. Ms. D.M のケース
M 氏は WTCA の社員。1998 年から WTCA で働いている。自宅は WTC ビルに隣接する Battery Park City のアパー
トである。このアパートは、35 階建て 3 棟と 8 階建て 3 棟のビル群からなり、合計で 1700 戸である。M 氏の自宅
は、WTC ビルに面した 28 階である。家族構成は、夫と2歳の娘が一人いる。
事件発生当時、M 氏は Midtown におり難をまぬがれた。しかし、職場のみならず自宅も被災したため、その後の
対応行動や避難生活など、都市災害を考える上で重要な点が多い。
4.4.1. 事件発生直前の状況
事件発生当日は、朝 Midtown の IBM ビルで打ち合わせがあったため、まずオフィスへたちより、スケジュール
を確認後、地下鉄 E-train で Uptown へ向かった。M 氏がオフィスを出た約 10 分後に飛行機が激突し、あやうく難
をのがれた。約 15 分後に地上にでた。
4.4.2. 事件発生当日の対応行動
地下鉄から地上にでたところで、自転車のメッセンジャーボーイが WTC ビルが燃えていると叫び、振り返ると、
WTC ビルの北面におおきな穴があいていて炎がでている光景が見えた。これは小さな火事ではないと直感し、ショ
ックを受けた。
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
M 氏がオフィスを出る時、すでに O 氏など数名がオフィスにいたことを知っていたので、すぐに IBM ビルに行っ
て、O 氏に電話をした。1993 年爆破事件の時には、ビル内で避難を指示するアナウンスがなかったため、彼らが
避難していない可能性を心配した。電話には誰もでなかったが、“速く逃げろ。ビルにはおおきな穴があいてい
る”とボイスメッセージを残した。
次に、Midtown に勤務する夫に電話したが、夫はすでにオフィスを飛び出した後で、連絡がとれなかった。夫は
IBM ビルにいき、M 氏がチェックインしていないことを知って、パニックに陥る。そこで夫は Downtown へゆこう
とし、その際偶然にも路上で M 氏と出会った。すぐに二人で地下鉄 4,5,6-train に乗り、WTC に最も近い Brooklyn
Bridge 駅に向かった。途中、携帯電話で自宅に連絡を試みるが、つながらない。Brooklyn Bridge 駅の直前で停
電して、電車が止まった(10 時少し過ぎ。WTC ビルの倒壊によるものと考えられる)。しばらく待っても再開し
ないため、トンネルの中を歩いて Brooklyn Bridge 駅までいき、地上に出た。駅には煙が立ちこめていて、いや
な予感がした。
地上に出ると、おおくの警官や軍隊がいた。彼らに“Battery Park City へいかなければいけない”というと、
“WTC ビルが倒壊して無理だ”といわれ、信じられなかった。とにかく夫と Battery Park City に向かって歩き始
めた。途中何度も“Battery Park City はどうなっているのか”と Emergency Personal に尋ねても、なにも知ら
ないか、あるいは、おおきなダメージがあったという答えしか返ってこない。近づけるだけ近づいても、大量の
煙と炎以外は何も見えなかった。近くの高校までいったが、それ以上は近づけなかった。
M 氏の携帯電話に最初にかかってきた電話はフロリダの妹からあった。しかし、家族とも同僚とも連絡がとれな
かった。公衆電話は、お金でいっぱいで動かなかった。夫の携帯は、バッテリーがなくなってきた。誰かが電話
をかけてくるかもしれないので、どこかでバッテリーを充電したいと思い、近くのカフェにはいった。カフェで
はテレビで事件のリプレイをやっており、そこではじめて事件の全容を知った。
娘の安否が気になり、Tribeca や Village を歩き回った。すべての交通機関は止まっていたので、歩くしかなか
った。
17:30 頃、娘のベビーシッターが夫の会社の留守番電話にメッセージを残していることがわかった。再生すると、
NJ に避難していて、どこへもゆくことができないといっていた。そこで、NJ の友人にすぐに携帯から電話して、
彼らを迎えにいってくれるようにたのんだ。
10:00 か 10:30 頃、Greenwich Village の Christopher St. まで歩いていき、電車にのって、NJ の友人宅(Jersey
City)へいった。娘とベビーシッターに会ったとき、かれらは大変疲れた様子だった。
娘とベビーシッターは、事件発生直後、避難しようとしていた。あたりはとても混乱しており、エレベーター
ではなく、階段で下りたため、アパートのビルから出るのに大変時間がかかった。WTC ビルが倒壊した瞬間は、娘
に毛布をかけて、壁際によけていた。
4.4.3. 翌日以降の対応行動
その後数日間、Jersey City (NJ)の友人宅に滞在した。
上司である O 氏の家に電話をし、O 氏が娘のアパートで息子からの連絡を待っていることを知る。
3日後に夫がアパートの様子を見に戻った。アパートにおいてきた、飼っていた2匹の猫のことが気になった
が、とても2匹をもっておりられる状況ではなかったので、餌と水をやって、帰ってきた。
5日後、M 氏も夫とアパートの様子を見にいった。おおくの人がマスクと防塵眼鏡をして、片付けをしていた。
M 氏と夫は、2匹の猫とすこしの着替えをもってでた。
その後、Long Island の M 氏の母親のところに移る。母親が子供の世話をしてくれたので、M 氏は、そこから
Manhattan へ通勤した。
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
4.4.4. オフィスの再開
会社(WTCA)はすべを失ったが、社長はできるだけ早くオフィスを再開したいようであった。そこでまず、ある
会社が貸してくれたスペースで業務を再開した。
M 氏は、Web Site の責任者だったので、まず Web 技術者とともに、会社のある社員の家に行き、そこで Web Site
をたちあげ、E-mail のサービスを再開した。ホームページで、“私たちは大丈夫。業務は再開した”と報じた。
おおくの人が Web Site をおとずれ、おおくの人からメールが届いた。WTC ビルの他のオフィスからもメールで安
否の連絡があり、情報交換をした。
会社は、WTC ビルと同じようなサービス環境のオフィス、すなわち、NY にも NJ にも交通の便がよいところを探
していた。その後オフィスは、現在のビル(60E 42nd St.)の 13 階に移動し、その際に Web Site 用の機器を買いそ
ろえた。やらなければいけないことは、たくさんあった。
4.4.5. 被災者支援
この災害により、住まいを失った人は大変であった。Midtown の会社などでは、翌日から出勤する事を見込んで
いるため、彼らはホテルに宿泊しなければならない。もちろん誰かが宿泊費を支払うというあてがあるわけでは
ない。一晩 300 ドルなどという高額なものもあり、これは本当に重大な問題であった。高級ホテルでも、そこし
かなければ泊まらないわけにはいかない。選択の余地がない。いくつかのホテルでは、このような家族のために、
料金を割引した。また、ペットの持ち込みを許可したホテルもある。台所がないので1日3食、外食しなければ
ならない。大変な出費である。問題は、住まいを失った人でも、職場のために、ここに留まらなければならない
ことである。数週間後、連邦政府はこのような住まいを失った人々に、ホテル代の支援を約束した。また、その
他の費用の支援もおこなわれた。M 氏が受け取った FEMA からの支援金は、自宅のアパートにかかった費用として
3500 ドルである。
4.4.6. 環境汚染とアパートへの帰宅の判断
アパートのビルは、構造的には大丈夫だったが、WTC ビルの倒壊によって、アスベストなどの粉塵がアパートの
あらゆるところにたまっており、その損害は大変なものであった。窓が吹き飛んで、様々な破片が部屋の中に入
り込んでいた。ベッドからカーテンから、おもちゃから、すべてアスベストに汚染されていた。
アパートは6週間閉鎖され、その間に、アパートの管理会社は、空調システムや冷蔵庫などを交換し、アスベ
ストを除去した。さらに、アパートを再開する前には、すべての部屋が環境局の検査を受けた。
近所の商店もアスベストに汚染されていて、その除去に大変時間がかかった。レストランなどの商店は多くの
保険金支払い請求をしている。そのため最近まで、商売が再開されず、住民にとっては大変不便であった。
M 氏一家のアパートへの帰宅の判断はそう簡単にはできなかった。空気が汚染されているので、娘によくないと
考えた。6週間後にアパートは再開したが、M 氏一家はさらに 10 日ばかり待った。さらに、2-3 日試験的に滞在
して Long Island へもどるということを試みた。空気がきれいであると判断されるまで、そのような生活をした。
最後に、もどって一週間暮らしてみて、空気が悪いと判断したら、賃貸契約を解約して、ほかの場所へ移ろうと
決心し、11 月 1 日に帰宅した。その結果、比較的よいと判断し、そのまま住むことにした。近所にはまだ戻って
きていない人がおおぜいいる。これらアスベストの除去にかかった費用は、連邦政府と赤十字が負担した。
4.4.7. 周辺商業への影響
周辺のほとんどの店はしまっている。一部にはガラスが割られているものもあり、犯罪があったことをうかが
わせる。American Express Tower のようなビルにも、テナントは少し戻ってきたが、多くは NJ などに移転し、ほ
とんどあいている。WTC ビルがなくなった現在、1日数万人の往来がなくなったため、WTC 周辺では、これまでと
同じような商売はなりたたないであろう。これらの店がいつ戻ってくるのかわからない。さらにビルの従業員も、
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
もしかしたらまた同じようなことが起きるのではないかと心配して、戻りたがらないようである。
4.4.8
子供の学校への影響
子供の学校は今月(2月)まで、閉鎖されていた。そのためアパートに戻ってきても、子供をほかの学校に通
わせなければならなかった。子供にとっては通学時間が多くかかるようになり、たいへん不便である。また、学
校が再開されても、親が環境汚染を心配して、子供を戻したがらないケースがおおくある。環境はよくなりつつ
あるが、常に検査は必要である。
近所の学校では、子供の数が激減したために、経営が苦しくなり、補助金の申請をしている。申請は、New York
Downtown Alliance におこない、M 氏の娘が通っている学校では、25 万ドルの運転資金を受けとった。子供の数は
少しずつ戻ってきているが、それでもまだ半分近くが戻ってきていない。
4.4.9. 住宅資産価値への影響
アパートの住民は、ここに残るかでていくかで思案している。おもな原因は、環境汚染である。現在の空室率
は 30%。アパートの管理会社は、住民にアパートへ残るためのインセンティブを提示している。すなわち、もう2
年住みつづけるなら、家賃を下げるというものである。
一方アパート群の半分は、区分所有のコンドミニアムである。彼ら所有者は、資産価値ことを心配している。
資産価値が低下すると、売ることもできない。何らかの対策が必要である。
アパートの住民のなかでは、Battery Park City Tenants Association (BPCTA)と Gateway Plaza Tenants
Association (GPTA)が組織されている。これらの組織は、住民から年会費を取って、弁護士を雇い、委員会をつ
くっている。この弁護士は、家賃の値下げについて交渉している。この交渉によって、事件後2ヶ月間の家賃の
免除と1年間にわたって 15%の値下げを獲得した。現在、コミューターバスの開設や地下鉄の再開について交渉
している。
4.4.10. 子供の精神面への影響
娘は3才3ヶ月になる。事件後2週間ほど、外に出たがらなかったし、煙もいやがった。あるいは、どうして
ビルは壊れたのかとか、どうして飛行機が衝突したのかという質問もする。いまでも事件のことを口にするが、
アパートに戻ってきてからだいぶんよくなった。一度ベビーシッターがいないことに機嫌が悪くなった時は、ベ
ビーシッターの家に遊びにゆくと、彼女はすぐに機嫌をなおした。娘を精神科にみせにいったが、特に問題はな
いとのことであった。
4.4.11. Emergency Communication におけるインターネットの役割
数週間もの間アパートをはなれていたため、アパートの近所の人達の安否が気になった。そんな時、Battery Park
City のある住人が立ち上げているコミュニティの安否情報の Web サイトを見つけた。そこには多くの住民の安否
情報が書き込まれており、多くの人が自分の安否を気にしていることをしった。そこで、“私は大丈夫である”
との書き込みをした。これはとてもよいアイデアだと思った。
コミュニティがあるところには、どこでもコミュニティの Web サイトを立ち上げるべきだと考えている。コン
ピューターは公共図書館に設置して、サイトには Emergency Section を設け、緊急時にはさまざまな情報を掲示
するべきだと考えている。特に安否情報を Web サイトに掲示することは、大変有効である。現状では、一人の安
否情報を検索すると、6-7 カ所のサイトがヒットするが、それらのサイトのいずれの情報も不完全である。安否情
報は、CNN や ABC などのニュースメディアのサイトにいくつもあり、これらをチェックする必要がある。逆にある
人の安否に関する情報提供を呼びかけるには、いくつものサイトに情報を掲示しなければならない。そこで政府
の支援でこのようなサイトを構築すれば、一カ所ですべて解決すると考えている。
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4.4.12. 1993 年爆破事件の教訓
1993 年爆破事件の時は、煙がすごかったことを記憶している。みんな避難したが、だれも何が起こったのか、
全く知りらなかった。煙をみたので、ただ避難した。翌日ビルに入って、コンピューターを取り出し、仮のオフ
ィス(120 Broadway)に設置した。ビルの改修には約6週間かかった。誰も、あの時の犯人たちが再びこのビルを
攻撃するとは、考えてもいなかった。当然、次は違うビルであろうと考えていた。
今回の事件で、あれだけの衝撃を受けたにもかかわらず、2 つのタワーがあれだけ長い時間たっていられたのは、
とても幸運なことだったと考えている。ビルの中には約2万人いたのに、死者が 3000 人であった。これは大変運
がよかった。
1993 年の事件以降、WTC ビルでは多くの改修工事がなされた。階段の補助ライトもこの時つけられた。また、
避難計画も変更されたが、どこで火災が発生したのか、どこへ避難すべきなのかは館内放送を待つことになって
いたはずである。理屈はすばらしいが、実際の運用には大きな問題があった。
避難計画については、Battery Park City のアパートも同様で、避難計画がない。どこに避難階段があるのかと
いう表示だけで、どのような状況の時にどこへ避難するのか、全く決まっていない。このような大きなコミュニ
ティでは、絶対に避難計画が必要であると考えている。たとえば、船で避難する場合にも、港に船は停泊してい
るが、そこへゆくには壁があり、これを壊すか乗り越えるかしなければならない。別の港もあるが、歩いてゆく
には遠すぎる。この問題で、今回娘とベビーシッターは苦労した。このエリアに適した計画が必要である。
さらにアパートには、階段が各階に2つしかない。緊急時には大混乱になるのではないかと心配している。
4.4.13. WTC 地区の再開発
M 氏らのコミュニティーは、WTC エリアは自分たちのコミュニティーの一部であると考えているので WTC エリア
の再開発に関するフォーラムに積極的に関わっている。そこでは、さまざまな議論がかわされているが、結論は
まだ出ていない。一つ決まっていることは、地下鉄の再建である。これは良いアイデアであるが、地上のことは
未定である。
現在、周辺住民として困っていることは、ここに旅行者がどんどんやってくることである。事件現場をみるた
めに、フェンスによじ登ったり、車の上に乗ったりと、大変迷惑している。あたらしい展望台ができたので、そ
ちらに行ってもらいたいと考えている。
WTC 現場の再開発については、個人的には、ここは住宅地には向かないと考えている。公園でもオフィスでもか
まわないが、ながく多くの人が訪れる場所となるので、住宅には向かないと考えている。
今、このアパートは地下鉄の駅まで遠く、大変交通の便が悪い。小さなシャトルバスの運転があるようだが、
どのくらいの間隔で走っているのか知らない。
考
察
本研究では、事件当時 WTC ビルにオフィスをかまえていた米国企業に勤務する米国従業員に対してインタビュ
ー調査をおこない、彼らの避難行動、その後の対応行動、心理状況などの情報から、本災害の災害過程の分析を
おこなった。
本研究で実施されたエスノグラフィー調査とは、いわば実証的データにもとづいた災害過程についての個別的
記述の集積である。すなわち、災害現場における人々の人間関係のあり方や、災害対応で重要となるさまざまな
対象との関係のあり方についての記述である。このエスノグラフィー調査において重要な点は、私たちが無意識
的にいだく予断を排して、災害現場にいあわせた被災者・災害対応者の視点から見た災害像を描き、災害現場に
あった暗黙のルールや原則、あるいは被災者・災害対応者が災害に対してもつ文化をその場にいあわせなかった
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
人々に理解可能な知識体系に翻訳することである。いわば、被災地に共有されている暗黙知を形式知化する作業
である。これによって、次の災害で災害現場にいあわせる可能性があるすべての人々に対して、防災上有用な情
報を提供することが可能となる。したがって、本エスノグラフィーは、単独で評価されるのではなく、他の災害
におけるエスノグラフィーとの比較による評価が必要である。
これまでの災害事例と比較して、米国世界貿易センタービル災害に特徴的な点は、平日の昼間、すなわちオフ
ィス・アワーに都市で発生する巨大災害の災害像の一端があらかになった点がある。本事件の発生は、午前9時
前後とわずかに始業前ではあるが、すでに多くの人が自宅を離れて出勤しており、オフィス・アワーに発生した
災害の事例と考えることができる。
本調査では、その時間的制約から、比較的少数の事例ではあるが、以下に以下に本研究で明らかになったいく
つかの問題点をあげる。なお、詳細な全体像の解明は、今後の詳細な調査に期待したい。
1. 家族の安否確認
緊急時において、まず優先されることは、家族の安否の確認である。しかし、平日の昼間という時間帯は、家
族の各構成員が都市のなかに散在している可能性が高く、電話が通じない状況の下でどのように家族の安否情報
を得るのかが問題となっている。インタビュー対象者のうち3名は自宅を基点に安否情報の収集・伝達をおこな
っていたが、D 氏のケースのように職場と自宅の両方が被災した場合は、その代替方法が確立されていない。今後
の都市地震災害において、検討されなければならない事項の一つである。
2. 電話による情報伝達
緊急時の連絡手段の主役は、やはり電話である。本インタビューでは、公衆電話、携帯電話、宅内電話、の3
種類の電話が登場するが、すべてのケースで述べられているとおり、公衆電話はほとんど機能しなかったようで
ある。もともとマンハッタンの公衆電話には故障しているものが多いという背景もあるが、本インタビューで語
られたほとんどすべての情報伝達が公衆電話以外の回線でおこなわれたことは、重要である。今後緊急時におけ
るこれら3種類の電話の利用法は、検討されるべき課題の一つである。
このような状況のもとでは、携帯電話の価値は非常に大きい。それは、1)連絡をとりたい相手にダイレクト
にたどりつける唯一の手段であり、2)携帯電話のメモリーには多くの情報が蓄積されており、これ1台持ち出
すだけで、緊急連絡からビジネスの連絡まで幅広く利用できる点があげられる。WTCA もすべてのデータを失った
が、これら携帯電話や PDA の情報をもとに、データの再構築をはじめている。一方で問題点としては、3)緊急
時にはつながりにくい、4)バッテリーの消耗があげられる。特に4)に関しては、緊急時には常に電源を入れ
た状態にしており、バッテリーの消耗がはげしい。しかし通常、予備バッテリーなどは持ち歩いておらず、さら
にバッテリーや充電器の規格は機種によって異なるため、町中での充電も難しい。緊急時の使用を考慮すると、
バッテリーや充電器の規格の統一をはかることは、検討される価値があるものと考えられる。
3. 正確な情報伝達
本インタビューにもあらわれるとおり、ビルに留まった社員や、ビルに駆け上っていった消防士などのように、
事態に対する正確な情報を知らなかったために、命を落としたケースが多く指摘されている。しかし一方で、ビ
ルからの避難の際にパニックを起こさずに冷静に判断し、行動をおこなえたのは、状況に対する正確な認識がな
かったためであり、もし正確な情報を得ていたならば、このように冷静に行動できたかどうかわからない、とい
う指摘もある。正確で迅速な情報伝達を確保しつつ、いかに冷静な判断と対応行動を求めるのか。防災上きわめ
て本質的な課題が、本災害においてもあらためて指摘されている。
4. 過去の教訓
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
すべての対象者が指摘しているが、1993 年の WTC ビル爆破事件の教訓は大いに活かされた。特にとっさの判断
には、この事件の体験がベースとなっていると指摘されている。教訓の活用とは、いわば応用力の問題である。
したがって、過去の教訓がどのように活かされ、どのように共有・伝達されてきたのかを分析する上で、本事例
はきわめて有用な事例であると考えられる。
引用文献
田中聡ほか、
“災害エスノグラフィーの標準化手法の開発
―インタビュー・ケースの編集・コード化・災害過程
の同定―”、地域安全学会論文集、N0. 2, pp. 267-276, 2001.
成果の発表
1)原著論文による発表
ア)国内誌(国内英文誌を含む)
なし
イ)国外誌
なし
2)原著論文以外による発表(レビュー等)
ア)国内誌(国内英文誌を含む)
なし
イ)国外誌
なし
3)口頭発表
ア)招待講演
なし
イ)応募・主催講演等
なし
4)特許等出願等
なし
5)受賞等
なし
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
4. 在ニューヨーク(NY)日系企業及び日本人旅行者の対応のエスノグラフィー調査
4.3. 緊急時の避難者の意志決定の実状調査
独立行政法人産業技術総合研究所地圏資源環境研究部門
田中
要
敦子
約
2001 年 9 月 11 日にニューヨーク・ワールドトレードセンター(以下 NY/WTC と略す)で発生したテロ事件では,
人々が一刻も早くと避難を行っていた一方で,事態の進展の予測が不可能であったために一部の避難は遅れたよ
うである.消防当局や在ニューヨーク日本企業へのインタビューで,得られた NY/WTC 事件における避難の意志決
定の状況を整理して分析して以下に述べる.
研究目的
2001.9.11 当日の NY/WTC における災害に対する、邦人を含めた人々の避難の意志決定とその後の行動等を調査
し、緊急時のリスク・マネジメントの参考とする.
研究方法
市民の災害対応行動についてニューヨーク市消防当局ならびに日本企業へのインタビューを実施する。
研究成果
WTC1(北棟)に一機目が衝突したのはニューヨーク(以下 NY と略す)では 9 月 11 日午前8時46分の出勤時
間であった.先に攻撃された WTC1 は 102 分後に崩壊した.また WTC1 の 16 分半後に攻撃された WTC2(南棟)は,
56 分後に崩壊した.WTC1 の被災者は,16 分あとに攻撃された WTC2 に比較して格段に多い.また,WTC2 では衝突
階より下の被災者が非常に少ない.避難可能であったと思われる衝突階以下では,WTC1 で 72 名が死亡し,WTC2
では4名が死亡した.また,WTC 周辺の路上で事態の推移を見守っていた市民が 10 名死亡した.
以下に本調査におけるインタビューから,緊急事態の把握と避難行動に関係する内容を示す.
(4.1)WTC1タワー89階からの避難
日系企業副社長.35歳日本人男性.
会議室で打ち合わせをしていた時に,横なぐりの衝撃があった.普段,観光用と思われるセスナ機やヘリコプ
ターが目の下を飛んでいたので,とっさに飛行機かな?と思った.ガーンと横揺れが来て,天井のパイルが落ち
た.大きく2∼3度揺れた.壁の絵が落ちた.聞いたことのないようなギギギという音だった.
会議室に窓はなかった.会議室を出て,「落ち着け,何人いるんだ」と従業員に声をかけて,すぐに窓の様子を
見に行った.火花が見えた.ジェット燃料が燃えていたのだと思うが,ほうき星のようなきれいな光だった.火
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
事では火と煙,特に煙が怖いと思ったのでドアを閉めた.そして,従業員にハンカチやタオル,ペーパータオル
に水を含ませて口にあてさせた.救助がすぐに来るだろうと思い,会社に退避していた.
職場には副社長の自分(35)と社長(40代後半の米人),60歳近くの男性部下(米人),30代の女性社
員(米人),20代の日本人女性社員の5人がいた.
衝撃があったのは,社長が出勤してドアを開けたのと同時だった.社長は,すぐにエレベータホールの様子を
見に行った.煙とジェット燃料の臭いがひどかった.社長は同じフロアの別の会社から3名連れてきた.その中
には70代の経営者もいた.従業員が老人に水を渡したりしていたわった.
インターネットで調べると,WTC に小型飛行機がぶつかったと出ていた.TV で WTC の煙を映しているが大丈夫
か?と,自宅からを含めて電話が4∼5本かかってきた.
だんだん煙がひどくなり,皆少しずつ窓の方に寄っていった.息苦しくて窓を開けたかった.ラジオが「もう
一機接近してきた.当たるぞ,当たるぞ,....当たった!」と言った.その時「アタックではないのか」と言っ
ていたように思うが正確には分からない.アタック(攻撃)ではまずい.2階下に,ビルの管理会社(ポートオ
ーソリティ)があった.そこの人が来て,ノックして「逃げろ!」と言ったのと,ラジオで「セカンドアタック
だ!」と言ったのとが同時だった.それで避難の決心がついた.
すぐに避難を開始しなかった理由は,エレベータホールは,煙とジェット燃料の臭いで息が出来ないほどだっ
たからである.また,普通の火事だと思い,すぐに救助が来ると思っていたことも理由.あのようなビルが,ま
さか鳥かごのようなちゃちな作りで,あんなふうに崩れるとは思ってもいなかった.
避難を始めるとき,自分は副社長であるし,『皆で一緒に逃げよう.自分が最後になって,後ろを固めよう.』
と決心した.自分が列の最後尾になり,その前が副社長.米人の女性社員は70代の男性のカバンを持ってやり,
常に付き添って助けていた.
(彼のすぐ後ろに91階の人が一人いた.91階の人が最上階からの生還者なので,は WTC1 からの最後の避難
成功者の一人である.
)
避難階段はスプリンクラーの水で滑りやすかったので,避難開始から下までずっと,手すりのある側に1列に
なって降りた.避難階段には電気も付いていたし,皆冷静で,米人らしく冗談を言いながら避難した.50階あ
たりで消防士に会った.49階か50階のあたりにカフェがあったのだが,そこの自販機を割って水やお茶を出
して分け与えあったりした.年輩の人を気遣ったりした.
16階か17階あたりでガガガ∼という音がして暗くなり,煙が強くなり,人々が逆流してきた.
(新宿の駅の
階段のように上向きと下向きの流れ)このとき WTC2 の一部が崩れたらしい.それまで冷静だったのが,パニック
状態になり,みな怒鳴りあった.
「おりろ!」「進めないんだ!」自分でももう駄目か?と思った.
消防隊員がこっちに来いと呼んでくれたので,16階か17階のフロアを横切り別の避難階段へと移った.フ
ロアは真っ暗で,前の人の背中が見える程度だった.床にはいろいろな物が散乱してひどい有様だった.携帯電
話のバックライトで照らしてみたが,すぐに,バッテリーが切れたら困った事態になるかも知れないと思い直し
てライトを消した.避難路は瓦礫の山だった.別の避難階段を進んで遠くに1階の明かりが見えたときはホッと
した.1階の吹き抜けに出たときの光景は忘れられない.真っ白で幽霊屋敷のようだった.幽霊ビルだった.
社員とは16階でフロアを横断するときにはぐれてしまったが,自分が最後だったから彼らが避難できたのは
確実だと思った.10時20分頃にビルの西側に出た.上を見上げた.ガラスやビルの破片がすごい勢いで落ち
てきた.雪のように灰が積もっていた.瓦礫でいっぱいで戦場ではないかという有様だった.向かい側のビルの
ガラスも割れていた.呆然と立ちつくして上を見ていたときに,NYPD か NYFD に "Run for life!"と言われて我
にかえった.
走り始めて30mほど行って自宅に携帯電話で電話してみたが通じなかった.歩いたり走ったり30mほど行
ってはくり返し電話したが,電話が通じなかった.
そうしているうちに,後ろからものすごい音がしてきた.(Chambers St.あたり) 振り返ると人の波が向かって
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
くるところだった.まるで火星人襲来のイメージのようであった.人の波の後ろに上と横に広がる煙が見えた.
煙が目に入った瞬間に走り出した.煙につかまったら死ぬ,と思った.とにかく走った.煙を見てももう大丈夫,
と思えたところでようやく走るのをやめて歩き始めた.(Canal Street)
北へ向かうのは自分一人だけで,皆,南に向かって行った.野次馬である.野次馬は WTC 近くの Chambers st.
あたりからずっといた.
10機くらいハイジャックされている.トンネルや橋が封鎖され,地下鉄も使えないというのが聞こえてきた.
どうやらトンネルなども全てストップしたらしい.マンハッタンから2日ほど出られないのかも知れない.ミッ
ドタウンにある親会社に行けば水も食料もあるし泊まることもできるだろうと考えて向かうことにした.自宅と
自社のシカゴ支店長に電話して自分の無事を知らせ,他の社員の安否を聞いた.
12時少し前に親会社に着いた.しかし,このビルもグランドセントラル駅に近いから危険であるという理由
で,10∼20分で退去命令が出た.近くの友人宅をベースにすることにして,電話を借りて東京本社に連絡を
し,また,従業員の安否の確認を行った.夕方になって,電車や地下鉄も動いていることが分かったので,自宅
に帰った.
(4.2)WTC1タワーのエレベータ42階からの避難
板倉裕一氏(日系企業40代日本人男性)
.
オフィスのあった WTC1 の46階までは、地階からエクスプレスエレベータに乗り、スカイロビーの 44 階でロ
ーカルエレベータに乗り換える必要があった.エレベータの乗り換えの時間を入れると通常は片道で平均3分内
外かかったと思う。強風の日はビルが揺れてきしみ、エレベータもスピードを落として運行されていた。
1WTC の攻撃時(8:46)は 44 階行きのエレベータに乗っていた。
私はグランドセントラル駅から地下鉄 4、5 番線に乗って、Fulton 駅で降りた。同駅からは、一旦外に出ないと
WTC には入れない。West Street とプラザとは段差になっていて、プラザ側からビルに入るには、一旦エスカレー
ターで一階降りないとエレベータホールに着かない。
私の家はクイーンズにあり、WTC の職場まで丁度片道 45 分掛かった。朝 8 時に家を出て、1 と 2WTC の間のプ
ラザ中央の噴水の横を通って、ビルの中に入り、下りエスカレーターに乗り、セキュリティを通りエレベータに
乗ったところまでいつもと全く同じだった。何の兆候もなかった。これが 8:45 頃だったことになる。
スカイロビー行きのエレベータは大型のもので 30∼40 人乗りくらい。1 階で乗る側と 44 階で降りる側とは反
対のドアが開く構造だった。私の場合、当日、41 階か 42 階で衝撃があり、そこで止まった。これが 8 時 46 分だ
ったことになる。
その時エレベータには私を含めて 8 人乗っていた。いつも朝と夜の通勤時間には非常に混んでいるのだが、こ
の時はたまたま 8 人だった。縦揺れでアッという間に止まり、しばらく動かなかった。非常ビルを押しても応答
がなかった。
2WTC では、2、3 年前、78 階行きのエクスプレスエレベータが 78 階で止まらずに天井にぶつかるという事故が
あった。その時は 12 人乗って 8 人が病院にかつぎ込まれたとのこと。それ以来、古いビルでもあるし、エレベー
タの修理はしょっちゅうやっていた。
44 階行きエクスプレスエレベータは 6 基くらいあったが、
当日も 2 基がメンテ中で使えたのは4基だけだった。
日頃、ぎゅうぎゅうになり、誰かが間違えて非常ベルを押してしまった際には、必ずすぐオペレータがスピーカ
ーから出てきた。ところが当日はベルを鳴らしても誰も出て来なかった。あとで考えると、その時点でオペレー
タは避難していたのではないか。
しばらくして普通の安全なスピードで降下し始めた。私は 2WTC の事故のことを覚えているので、またそうい
うエレベータ故障事故だと思った。エレベータの階数を表示するインジケータが「1」を指したが、ドアが開か
なかった。
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
しばらくしたら、天井からうっすら煙が出てきた。幸い、エレベータの中の照明はついていた。モーターが焼
けるような臭いがしてきたので、正にエレベータの故障だと思っていた。
また、しばらくしたら、エレベータのシャフト内のスプリンクラーが作動した。かごの外、エレベータの外壁
を雨のように水が打ち、流れる音がした。
その時の時間的な感覚はないが、エレベータから出たのが 9 時半頃だったと思う。多分時計を見たのだと思う
が、覚えていない。所長に電話しようと携帯を使ったが全然通じない。ビル全体がアンテナのようになっている
らしく、普段はエレベータの中でも携帯電話が使えた。
その中で消防車のサイレンの音が聞こえた。自分たちを助けに来てくれたと思ったが、誰も来てくれなかった。
2WTC の攻撃の音や衝撃は全然気付かなかった。
8 人のうち 6 人が女性で、残る一人が中国系の恰幅の良い若い男性だった。私は一階で開くべきドアの反対側
に座っていた。女性の中には泣いている人もいた。見るとドアの下の数ミリの隙間から光が見えた。それで、中
国系の男性と「せいの!」で手で開けたら、中と外のドアが重なってスーと開いた。どれだけの力だったのか?
とあとで人に聞かれたが、火事場の馬鹿力だったのか、全然覚えていない。
開けてみたら、それが一階だった。それが非常にラッキーだった。1 階と 44 階にしか出口がない構造のエレベ
ータなので、もし 2 階で止まっても外に出られない。非常にラッキーだった。
エレベータから出ると通勤の人は誰もいなかった。セキュリティ要員もおらず、消防士と警官が沢山いた。素
人考えでは、消防士はエレベータを先に探すのかと思っていたが。彼らは上に気を取られていたのだろうか。
誰かに「あっちへ逃げろ」と言われたのだと思うが、何も覚えていない。8 人はバラバラに逃げた。
エレベータを出るとロビーのガラスが全部割れていた。それで何かおかしいなと思った。ホールには、割れた
窓や吹き込んできた紙、書類があったと思う。外はカーテンや外壁の一部が落ちてきていて真っ白だった。
誘導されたのだと思うが、私はその時に、(エレベータの正面方向である)マリオット・ホテルの 1 階ロビーを
通って WTC の南隅から外に出た。
外に出て見上げると、2WTC に大きな穴が空いていて煙が出ていた。その時に何かぶつかったのかな?とは思っ
た。それ以外は分からなかった。出たところに、警官や消防士が沢山いた。そのあたりで飛行機がぶつかったこ
とを聞いて、操縦ミスでセスナか何か小さい飛行機がぶつかったのだと思った。私はそのまま南の方向へ逃げて
行った。(バッテリーパーク方面)
道には消防士と警察官がいっぱいいた。私がマリオットホテルから出てきた時に、そこにいっぱいおられた消
防士さんや警官は皆亡くなられたのではないか? あれが崩れるとは思わなかっただろうし、また、あそこは(先
に崩れた)南棟に近いから。
(Q:他に逃げている人は目に入ったか?)
私は WTC とバッテリーパークの間にある小さな公園にへたって座っていた。そこで人に聞いて 767 級の旅客機
がぶつかったことを聞いた。南にも北にもぶつかったことを聞いた。それで初めて事故ではないと分かった。
そこで 2 棟のタワーがモウモウと煙を上げて燃えるのを見ていた。人が飛び下りるのも見えた。いろいろなも
のが焼け出されて宙を舞っているのだが、それを見ていて人だということが分かる距離にいた。紙は風向きの関
係でバッテリーパークまで飛んできていた。地面は灰と紙と埃で真っ白だった。
そうこうしているうちに 2WTC が崩れ出した。ゴジラの映画ではないが、黒い煙が丸くなって、自分の方向へ追
い掛けてくる感じだった。Battery Place のあたりにハイライズのアパート・ビルがあり、私はそのロビーに逃げ
込んだ。アパートの人と避難した人がロビーに 30 人くらいいた。
そこで一息ついている時に、今度は1が崩れた。肉眼で見た。表現のしようがない。崩れた時に煙で外が真っ
暗になった。一面が黒くなり、何にも見えなくなった。アパートで粉塵用のマスクが配られた。専門家ではなく、
アパートの管理人のような人が配っていた。常備してあったのではないか?
(周囲は海であるので)WTC の南側にトラップされた状態になり、船でハドソン川の対岸のニュージャージーに
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
逃げなさいと言われたが、私の自宅はマンハッタンの反対側のクイーンズの方であるので、ニュージャージーに
逃げたら帰れないと思って船には乗らなかった。
結局、そのアパートのロビーには、2 時間くらいいたのではないだろうか?その間に携帯電話も公衆電話も一切
つながらず、私は正に行方不明になっていた。
WTC からの煙とほこりであたりは真っ白になっていて、外に出ると咳込む程だった。私は多少煙と埃が収まるの
を待って、南のバッテリーパークまで下り、東に渡り、ブロードウェイを上がり WTC の真横を通った。しかし、
煙で WTC 自体は見えなかった。また歩き出し、途中で店の人が飲料水を配っていたので、一杯もらった。シティ
ホールのところを通り、ブルックリンブリッジを通ってブルックリンに渡った。ブルックリンからクイーンズへ
の地下鉄はまだ動いていた。
家を出たのが朝8時、家に帰り着いたのは2時半を越えていたと思う。ここで初めて電話ができた。多分 11 時
頃まで WTC のそばにいたのだと思う。
(4.3)WTC1地下コンコースからの避難
日系企業30代スーパーバイザー,日本人女性.
8:46:
WTC1 の攻撃の頃は,地下鉄を降りてタワー5の地下モールを歩いていた.床に水が流れていて,前日
の大雨でどうにかして流れ込んだのだと思ったが,その他は地下モールは普段通りだった.旅客機が衝突した衝
撃は感じなかった.普通に通勤客や買い物客があたりにいた.
8:55 頃になってあたりが騒がしくなり,立入禁止のテープやネットなどが張り巡らされていき,モールの従業
員に「とにかく外に出ろ」といわれた.またオフィスに行くのに遠回りになるな,と思った.
階段を使って WTC1 の東側に出た.WTC の中庭に面したミレニアムホテルの前の通路に立ち,WTC1 にぽっかり穴
が空いて日が出ているのが見えた.ただの火事だと思って,いつも8時半に出勤してくる上司が今に中から出て
くるだろうからと待つことにした.
9:03: WTC1 をそうやって見上げている間に,WTC2 の攻撃があった.飛んでくる飛行機が見える位置にいたが,
WTC1 を見ていたので飛行機は見なかったが,爆発音と大きな火の玉を見た.
ただの火事ではないと思った.火の玉は非常に大きかったが WTC2 は背の高いビルなので,離れて見えて現実離
れしていた.マンハッタンの機能が停止したのかと思った.核戦争かと思った.
9時ちょっと前の時点では,あまり消防車もパトカーもいなかったので,なぜこんなに燃えるまでほおってお
いたのだろうと思った.ぽっかり大きな穴が空いていたので,5∼6時間燃えている火事だとばかり思っていた.
見ている人もいたが,現場から物理的に遠ざかりたい一心で逃げ,普段歩いたことのない南東方面へ向かった.
女性はキャーと大きな悲鳴を上げていた.(火の玉を見てこれは大変だ!と思い,手近のストリートへ駆け込んで
いった)気が付いたら全然知らないところへ行っていた.東に逃げながら微妙に北上していったらしく,漢字が
見えたのでチャイナタウンだと気が付いた.チャイナタウンだと土地勘があってだんだんどこにいるか分かって
きた.ずっと WTC は見えていて,振り返り振り返り逃げていった.ソーホーあたりで見えなくなった.
逃げている途中で別の銀行の友人に出会った.彼女はアメリカ人だが,彼女も靴を脱いで逃げていて,既に夫
と連絡が取れていて,彼女の夫が車でこちらに向かっていた.彼女はブロードウェイで夫に拾ってもらう約束だ
った.
友達がご主人に爆発の時にすぐに連絡をとった.
「すぐに迎えに行くから,ブロードウェーを上がってきなさい.
自分はブロードウェーを下って行くから,どこかで会うだろう」と約束をしたそうだ.私は彼女に偶然会って,
彼女が「夫が迎えに来るから一緒に行こう」と言われて,一緒にブロードウェーを歩いて行った.
逃げているときも,北棟が火事,南棟は何らかの爆発があったということしか分かっていなかった.通勤途上
で何が起こったのか全く分からなかった.だから逃げなかった人もいっぱいいると思う.むしろ高校生なんか面
白がって,逆に現場現場へ向かっていっていた.お巡りさんは止めていたが,若い人たちは聞かなかった.一緒
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
に逃げていたのは女性が多かった.
チャイナタウンあたりは普通に商売をしていたし,普通と違うのはお巡りさんがわっと来て,現場に向かうな
と言っているくらい.ただ,現場に向かう警察や消防の車は多かった.
9:59
通りの見晴らしのいいところにいれば見えるし,私はブロードウェーを逃げていたので見えなかったが,
隣のストリートでウワッと大きな声が聞こえたので,今にして思えばその時崩れたんですね.
そこまで離れると,見物人のように見ている人々がいた.彼女の夫とすれ違う数分前に近くでウワ∼!と言う声
がしたので,多分その時に崩れたのだと思う.町の人々のどよめきがあった.
友人の夫は,駐車場に車を入れて歩いて妻を捜していた.ソーホーあたりで友達の夫とすれ違った.私たちが
駐車場に入ったときに,ペンタゴンに飛行機たった今やられたというニュースがあった.
ニュージャージーへのトンネルは封鎖されていたので,マンハッタン北部の友達の家に泊めてもらい,連絡場
所にした.
友人の家でニュースを見たが,ニュージャージまでのフェリーは2時間待ち,トンネルは封鎖と言うことであ
った.かなり混乱しているのではないかと,その夜は家に帰らなかった.
(4.4)ミッドタウンの二つの有名ビルの避難
日系企業2社の男性3名(片山浩氏,柳沢裕氏,吉田竜太氏)
WTC の北約 8Km,Rビル43階のニューヨークオフィスには日本人4人(1人は兼務)と米国人1人が勤務.窓
は北側のセントラルパークに向いていて WTC は見えない.事件の際,東京からの問い合わせの電話には,被災し
たのが新宿で,我々は丸の内にいるようなものであると説明した.
東京の本社から来た8人の日本人社員が2社に分かれて勤務している.一方のR社は9千人の社員がいて大多
数は米国人,日本人社員は5名(1人兼務)いるだけである.一方,M社のオフィスは5名で本社の駐在事務所
のような存在であり,米人秘書の他は日本人である.
毎朝8時半に出社して東京から入ってくる E-mail をチェックする習慣だった.9時近くに届いた日本からのメ
ールで,WTC から煙が出ている,大変なことになっていると知らされた.日本で夜のニュース見て報せてくれたも
のである.それではじめて事態を知った.あわててテレビを付けた.はじめは何が起こっているか分からなかっ
た.Mビルの R 社系列の柳沢氏に電話して知らせた.テレビでは(WTC1 の次に)WTC2 に突っ込み,ペンタゴンにも
突っ込んだという話がでた.
このビル(GEビル)は比較的テロの対象になりやすいビルだと思うが,10時頃にニューヨーク市からビル
からの退去命令が出たとのアナウンスがあった.たまたまその時は秘書がおらず,私と他にもう一人二人だけだ
ったが,カバンだけもってエレベータで出た.その時は,R 社の柳沢氏に会いに行くつもりだったが,携帯電話も
あるので外から電話しようと思った.そとへ出てみると,携帯電話が通じなかった.
Mビルの方は退去命令がまだ出ず,ビルのテナントが会社単位で自主的に避難をしていた.私はそのビルのテ
ナントではないので簡単に入れないし,電話も通じない.困って顔なじみの日本レストランで電話を借りて,M
ビルの中の社員に電話をかけて迎えに来てもらい,11時頃に柳沢氏に会うことが出来た.駐在員が8名と,R
社の子会社であるC&W社に3人ほど本社からトレーニングできている日本人がいた.11名の日本人と家族の
安全確認が昼前には終わり,東京にファックスした.
仕事にならないでいるうちにMビルにも退去命令が出た.皆で昼食をとってから帰宅したが,あたり一帯は人
の波だった.Mビルの前にしばらくいれば皆降りてくるだろうと思い待っていたが,情報を正確に把握していな
かったので少し混乱した.エンパイア,GEビルと有名な順番があり,GEビルでは早めに退去命令が出た.
14:30∼15:00:
確か,はっきり覚えていないのだが,電車は増発していなかったと思うのだが,今日は早く
帰ろうと手じまいした.2時半か3時頃の電車に乗ったのだと思うが,ラッシュアワー並みだった.
R社は 6th Ave.の52階建てのMビルの29階にあり,社員の大多数が米国人.オフィスの窓から WTC が見え
298
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
る.9.11
事件当日,吉田氏が会社に来てしばらくして,まわりの人が WTC から煙が上がっていると言いだした.
丁度見える部屋が合ったので,そこから見ると一本のタワーから煙が上がっていた.ずっと見ている人もいた.
9:53:しばらくすると,もう一本にぶつかる飛行機を見た人がいた.これは普通の事件ではなくて,テロか何
かじゃないか?という話をしていた.妻からは日本の実家から事件を知らされたという電話が来た.そういう大
変なことが起こっていると言うことが,はっきり分かったので,会社のTVもつけて状況の把握につとめた.落
ち着いて仕事することはできなかったが,ともかく仕事を続け,時々WTCの見える窓まで見に行ったりTVを
見に行ったりしていた.
10:00 過ぎ:ふと見たらタワーが1本なくなって,下の方が白い煙でおおわれていた.まさか崩壊するなどとは
思ってもいなかったが、TVの崩壊した映像に非常に驚いた.
10:28:もう一本も崩壊して,遠いところの出来事であったが,信じられない事件という印象が強かった.直接
近くにいるわけではないので,すぐ逃げなきゃなどとは思わなかった.パニックという感じではなかった.
柳沢氏の会社は29階の西南の角の部屋からWTCが見える.
9:15 過ぎ:
私が見たときは2本ともから煙が上がっていた.そんなに深刻にはとらえず愚かな飛行機がぶち
当たったのかな?と思っていた.映像で見たのかも知れないが,何かの小さな飛行機がぶつかったように見えた.
報道も最初はそうだった.
10:00 過ぎ: 大変だなぁと思ったのは,1本無くなってからだった.その時,私たちは新しい時限爆弾が仕掛
けられたのかと思った.上の方にぶつかって下の方まで崩れるのは変だと思ったので,時間をおいて爆発するよ
うな新しい時限爆弾かと思った.
10:28 頃: これは大変なことになったと思ったら2本目もくずれ,アメリカ人が騒然としている状況になった.
しかし,なかなか本当のことが分からない.ただ9時半頃,TVの画面に『"intentional(故意)"の飛行機がぶ
つかった』と,"intentional"という言葉が出た.それで,これは大変なことになったと思っていると,TVの中
で二本目もなくなった.TV の言葉も"attack"に変わって,ああそれは大変なことになったんだなぁ.という感じ
であった.
まだ,ハイジャックされた飛行機がたくさん飛んでいるというニュースが一時期あった.11機飛んでいると
か.逃げても逃げられると言う状態ではないので,どうなるんだろうと思ったものだ.その後しばらくは,飛行
機の爆音を聞くとナーバスになった.
日本の本社から来た日本人は8名しかいなかった.8名と家族の連絡は早く取れたので,安否確認上の問題は
なかった.何が起こっているのか正確な情報は無かった.携帯がつながらなかったので情報がお互いにわからな
い.市内の人間は皆歩いて帰った.
今回の事態を機会に,危機管理マニュアルを見直した.自分たちの危機管理マニュアルは1ページなのだが,
ロンドン駐在寿無書のものは10ページにもなったと言うことだ.一度経験すると,やらなければならないこと
は三つくらいしかないことが明らかになってくる.ロンドンは何日分の食料を何人分,など,非常に細かい.実
際には,どこに集まってどうするかだけで,やることは三つくらいしかない.必要なのは落ち合う場所を決めて,
何がどうなっているのか分からないから臨機応変に決めましょう,だけである.一枚の危機管理マニュアルの他
に,名刺大の連絡表(オフィス,自宅,携帯)を持ちあうことにした.日本人職員同士の連絡表や会社の幹部職
員の物をそれぞれ作った.最初にできる事柄は安否確認と迷子になった場合どこに集まるか,というように限ら
れているから,連絡先を分かりやすくしておくことが大事だ.
Fire Drill は定期的に行われる.全員ではなくて,何人かが非常階段の前に集まる.WTC の事件の後は,さす
がに自分も非常階段の場所を確認してきた.
NY市が定める非常アラートランクの2が出されると,マンハッタンに通じる全ての橋とトンネルが封鎖され
て,エンパイヤステートビルはエバキュエーションと決まっている.次のランクでは,ロックフェラーセンター
がエバキュエーションである.
299
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
(4.5)ミッドタウンの高層ビルの状況(1)
横浜市ニューヨーク事務所
若林和彦所長.
9月11日は,おそらく10時過ぎ頃だったかと思うが,非常用の警報装置に組み込まれたスピーカーを通じ
て,状況説明的なアナウンスがあった。改めてビルのオーナーに確認したところ,一部のテナントがパニック状
態になり,非常階段を使って下りはじめたため,このままでは危険と判断し,安心するようにとの趣旨の内容を
流したとのことであった。(ニューヨーク市警からは正式の避難命令は当日はなかった。)実際は,この時点でか
なりの入居企業社員が避難した模様。引き続き,何人事務所に残っているかを確認する電話が管理事務所からあ
り,以後,2,3回同様の内容の電話があったように記憶している。
当事務所では,横浜から進出している企業の従業員の安否確認がとれていないこと,横浜市役所から最新の情
報を定期的に送るようにとの指示があったこと,職員が使っている通勤路線(地下鉄や近郊への鉄道)が止まっ
ているため帰るに帰れない状況であったことなどを総合的に判断して,帰宅を希望するものは帰すこととし,残
った者で引き続き情報収集にあたった。
私が利用しているグランドセントラルターミナルも攻撃される恐れがあるとのことで,全便運転を中止し,駅
には軍が出動して一時閉鎖されました。本数を大幅に減らして運転が再開されたのは,午後に入ってからだと思
う。
午後1時20分過ぎ,ひときわ長く警報音がなり,ビル内残留者に避難を促すアナウンスが流れたため,また
ちょうどその頃,連絡がとれなかった日本企業H社の社員全員の無事がカリフォルニアにある同社の本社からの
電話で確認できたため,事務所を閉じる旨横浜市役所に連絡を入れ,事務所を後にした。
グランドセントラルターミナルは,便数が極端に少なかったため,帰宅を急ぐ人々であふれていた。普段車内
に立つ乗客など全く見かけないが,この時ばかりかなり混んでいた。出発予定時間を30分以上過ぎてようやく
出発した。
事件後,避難訓練が一度あったが,それまでのやり方と変わらず,フロア毎に,各階で働く人々を集めて避難
階段の場所を担当者が指し示すだけです。非常階段を使って実際に下りてみたいと申し入れたが,セキュリティ
の点からか受け入れてもらえなかった。
(4.6)ミッドタウンの高層ビルの状況(2)
自治体国際化協会
ニューヨーク事務所
飛騨直文所長他3名のインタビュー.
WTC の事件の発生後,TV を見て情報収集に努めた.電車は 5km 先まで折り返し運転になっていた.周囲の他の
ビルは12時までに退去命令が出たが,事務所のあるビルに退去命令は出なかった.そのため自宅が郊外にある
者から帰宅させたが,その他の者は通常勤務を行った.幸いにも帰宅難民はいなかった。
当日は,東京と電話が通じずに大変だった.また,通勤途上で出勤をやめた職員の安否の確認をとるのに手間
取った.大手のキャリア(電話会社)は通じなかったが零細な電話業者は通じたので順番にキャリアを試してい
った.事件をテレビ等で確認し、自宅待機した者、及び通勤途中で自宅に引き返したものとは午前中に電話にて
確認がとれた。あと、ワシントンDCに1名出張しており、携帯電話がつながりにくい状態だったが、事件当日
夕方までには連絡が取れた。当日は他に,日本の地方公共団体の関係者の安否の確認を行った.
翌日は当事務所の職員15名の内、12名は通常出勤した.地方の自治体から派遣された人々の安否の確認も
行っていった.
今回の事件は,都市の一部の機能(オフィス)だけがダメージを受けた点で,生活の場すべてがダメージを受
けた阪神大震災の場合とは全然異なる.WTC 事件全般について,防災への備えの点で見ると特筆する点はないが,
災害への対応が迅速な点は特筆すべきで見習うべきではないか.
300
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
考
察
人間は独立した存在であり,本人が自分や自分が守るべき人々に危険が迫っていることを合理的な理由で了解
しない限り,避難行動や誘導を開始するものではない.
火災等の人間の五感で感じ取ることのできる災害に対する避難行動では,災害発生後に人間がいかに事態を覚
知し,避難を開始するかが,避難の全所要時間を大きく左右する.発災後,避難開始まで時間がかかりすぎると,
避難が間に合わないこともある.
火災における避難行動は,5つの行動期があるといわれている[1] .日常行動期,次いで何らかの異変を感
じての検索行動期.検索行動で火災を覚知した場合,初期対応行動期もしくは避難行動期に移る.避難行動が不
調に終わった場合は籠城のように救出待機期に移行することもある.避難の決断が遅れて人命が危険にさらされ
ることのないよう,避難時間に充分に余裕のあるうちに火災報知器によるアラームや音声放送などの情報を与え,
個々人に対して複数以上の避難開始の決断の理由が浸透するようにして,速やかに避難行動を開始させることが
好ましい.
WTC タワーでは,すぐに逃げなかった方や逃げられなかった方々もおられたらしい.未曾有の大惨事からなぜす
ぐに避難しなかったのか?と不思議に思われるが,それらの行動は避難の行動期の分類に従うと,検索行動期や
初期対応行動期に時間をとられ,早々に救出待機期に移行せざるを得なかったりしたケースである.
以下に,場所による行動のフェーズを示す.
(5.1)WTCタワー
1)日常行動期
オフィスで既に執務中の人もいたし,通勤途上の人々がコンコースや各階ホール,エレベータに多くいた.
2)検索行動期
大きな揺れと衝撃音があった.上層階ではエレベータシャフトを通じて,各階のホールに煙とジェット燃料の
臭いが立ちこめた.窓の外を見ることができた人々は夥しい紙やコンクリートの破片といった飛来物に危険を感
じた.オフィスの人々はエレベータホールの様子を調べたり,同じフロアの別の会社の人々共同で状況の把握に
努めるなどした.
3)初期対応行動期
先に攻撃された WTC1 では,すぐに避難を開始した人もいる.反対に,エレベータホールの臭いに危険を感じて,
ハンカチを濡らして口にあてオフィスで様子を見ることにした人もいた.WTCタワーが崩壊することは誰も予
測していなかったためである.WTCタワーが崩壊することは誰も予測していなかった.WTC2 では WTC1の状況
を見て,半分の在館者が避難を開始した.
4)避難行動期
自発的に避難を開始した人々は,最大90分ほどかかって階段を下りた.下層では暗闇の中の避難を余儀なく
された(非常用照明のバッテリーぎれか?)
.
5)救出待機期
籠城していた人々に対して,消防士や WTC のビル管理者が避難を促して回った.
(5.2)WTC 周辺からの避難
301
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
1)日常行動期
超高層の WTC は市内至る所から観望できたという.人々は通勤途上の街角で,WTC の異変を知った.
2)検索行動期
人々は WTC の煙に驚き,あちこちの街角に見守っていたという.飛行機の衝突がテロ攻撃によるものであると
いうことは,街頭では特に了解されていなかった模様である.
WTC2(南棟)が最初に崩壊するまでは,WTC 周辺から避難していく人々は人並みをかき分けて,北へ向かったそ
うである.屋内ならTVやインターネット,車内でもラジオニュースなどがある.しかし,路上ではペンタゴン
までもが攻撃されたこと,テロ攻撃であることなど,事態の進展を伝えるニュースには接しにくい.そのため人々
が異様な事態の発生を知らず,WTC の周辺の路上に留まっていた可能性がある.
3)初期対応行動期
WTCタワーが崩壊することは誰も予測していなかった.WTC から人影が落ちてくる異様な光景に恐ろしさを感
じて一刻も早く逃げる人もいたが,WTC からようやく脱出して虚脱のあまり座り込んでしまった人,さらにはずっ
と見守り続ける人々がいた.
4)避難行動期
WTC 周辺で避難行動開始のきっかけになったのは WTC2(南棟)の崩壊である.足の速い人は力の限り走り粉塵か
ら逃れた.
5)救出待機期
粉塵に巻き込まれそうになった人々は付近の建物に駆け込み,埃が治まるまで1時間前後籠城した.粉塵で死
亡した人はいないが,特に消防士や警官等の救出作業に当たった人々の中に呼吸器疾患が残った人々が多い.
(5.3)市内のオフィスビルからの避難
ニューヨーク市当局は緊急事態を5段階に分類して備えていた.市当局はリスクレベルBランクの対応として,
市内の主要な高層ビルに避難命令を出した.WTC から約5km程離れたミッドタウンでは 10 時前後から,国連本
部のような代表的なビルから,他の有名ビルへと順次避難命令が出されたが,その他のビルには避難命令は出さ
れなかった.
1)日常行動期
外部からの電子メールや電話などで,WTC の異変を知らされた.
2)検索行動期
外部から異変を知らされ,窓から WTC が見えるビルでは WTC の状況を見て驚いて会社の TV をつけてニュースを
見た.TV ニュースを見たり窓の外の様子を見たりしながら,気もそぞろに通常の業務に当たった.
3)初期対応行動期
ニュースでアタック(攻撃)という言葉が使われて事態の異様さが分かり,社員の安否情報の収集を開始した.
4)避難行動期
市の避難命令やビル管理者からの退去要請に従って,全館避難して自宅に帰った.それ以前に自発的に会社毎
302
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
に避難を開始した会社もあった.一部ではパニック的な避難もあった.反対に夕方まで通常勤務に当たり邦人の
安否確認にあたった組織もある.翌日は通常出勤した.
以上,2001.9.11 の NY/WTC テロ事件における人々の行動に関するインタビュー結果を避難行動の意志決定の観
点から整理した.特異なテロ攻撃であり,現場やその周辺(特に路上)にいる当事者には,事態の進展が非常に
把握しづらいものであったために,人によっては避難が遅くなったことが分かった.
NY/WTC における避難の状況から個々人として教訓を汲み取るとすると,避難の意志決定を迅速にさせるため,
個々人の事態の緊急性を素早く感知しうる感性が必要であると思わされる.
さらに,社会的な備えとして以下の研究開発が必要であろう.
逃げ遅れて籠城した人々を探索して犠牲になった消防署員や,高層階から障害者を特製の椅子に乗せて避難を
介助していたポートオーソリティ職員など,職務に忠実な公務員の犠牲が非常に多く出たのも今回の事件の特質
である.
社会的な備えとして以下の研究開発が必要であろう.
人々に,避難意志の決断を速やかになさせるため,事態の進展状況の周知に効果的で多様な情報支援手段の提
供が必要である.高層ビルをはじめとする避難経路が長い巨大な閉鎖空間では,全館避難のキャパシティを考察
したうえで,移動の不自由な災害弱者を含めた垂直・水平両方向の高速避難の手段の開発が必要であろ.
そのような努力によって,軽微な火災等における避難をも速やかにし,超高層ビルを含む閉鎖空間内だけでは
なく市街においても,安心感のある避難行動を実現することが可能になると考えれる.
市街の避難の状況を考えると,都市型災害を念頭に置いて,市街にいる市民に対する災害情報ならびに避難誘
導情報の効果的な伝達手法の開発や,見通せない超高層ビル内や各種の閉鎖空間における災害のリアルタイムの
シナリオ分析と,当局,産業,市民の災害対応の意志決定に通じる簡潔で効果的な情報の伝達提示手法の検討が
必要と考えられる.
引用文献
[1]室崎益輝(1982): ビル火災, 大月書店科学全書 4, p. 115
成果の発表
1)原著論文による発表
なし
2)原著論文以外による発表(レビュー等)
ア)国内誌(国内英文誌を含む)
田中敦子:「2001.9 の NY/WTC 事件における避難の意志決定」,[セーフティエンジニアリング,7月
号,(2002)]
イ)国外誌
3)口頭発表
ア)招待講演
田中敦子:NY/WTC 災害における避難の概要,独立行政法人消防研究所[日本火災学会研究発表会特別
303
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
企画,(2002.5)]
イ)応募・主催講演等
田中敦子:2001.9.11 ワールドトレードセンターにおける避難について,独立行政法人消防研究所[日
本火災学会研究発表会特別企画,(2002.5)
]
4)特許等出願等
なし
5)受賞等
なし
304
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
4. 在ニューヨーク(NY)日系企業及び日本人旅行者の対応のエスノグラフィー調査
4.4. 住民避難を考慮した防災体制について
総務省消防庁特殊災害室
佐藤
要
文隆
約
2002 年2月 24 日から3月3日の間 FEMA Regional Office (N.Y.)、FDNY 及び日本国某市NY事務所等で
聞き取り調査を実施した。
そこで、FEMA は災害に見舞われた州の要請に基づき大統領の災害宣言により活動を開始し、その際、連邦
政府の各省庁を調整する権限を持つとともに災害対策の費用を負担している。また、全米の消防機関等の都
市捜索救助隊が、FEMA の要請により現地に派遣され、現地消防機関と協力して迅速な救助・避難活動等を行
う仕組みと実際の被災者の避難行動について確認することができた。
今後、今回得られたことを考慮し、日本での大規模災害における対策を検討する必要がある。
研究目的
WTC災害発生時の FEMA 等の対応状況及び未曾有の災害を体験した人々の避難行動等に関する調査を行
い、国内における災害時の住民避難を考慮した防災体制のあり方について検討する。
研究方法
2002 年2月 24 日∼3月3日に行ったニューヨーク現地調査(FEMA Regional Office、FDNY 及び日本国某
市NY事務所等)での聞き取り調査を基に、日本での考慮すべき点を考察する。
研究成果
2001 年9月 11 日に発生したWTCテロ災害は、ビルの在館者等のみならず、ビルの崩壊により救助・避
難活動にあたっていた多くの消防士等が犠牲となる大惨事となった。
第4節では、未曾有の災害を体験した人々の避難行動、その後の対応行動、心理状況についてまとめてい
くこととするが、本項では、住民避難を考慮した防災体制について触れることとする。
ア
米国における防災体制について
(ア)防災体制
アメリカにおける災害対策の第一次的責任は、地方公共団体(郡、市等)が負うことになっているが、
災害の規模が大きく、被災した地方公共団体だけでは対応が困難と判断された場合、州政府の応急・復
旧活動の支援が行われることとなる。
305
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
さらに、大規模な災害で州政府の対応でも困難と州知事が判断した場合、州知事の要請に基づき、連
邦政府としての大統領の権限(非常事態宣言)が発動され、連邦対応計画に基づいた他の州等の協力を含
めた連邦政府の資源等の提供がなされることとなる。
(イ)連邦危機管理庁(FEMA)
FEMA は、米国内における大規模災害等の緊急事態に対応する中心機関であり、緊急事態における地
方との接点を連邦政府内に確立するため設立された。
FEMA は、連邦政府の緊急事態関連機関を統合した独立行政機関で、ワシントン D.C に本部を置き、
地方に 10 の地域事務所を置いている。
総職員数は約 2,500 名(本部約 800 名、各地域事務所約 70∼120 名等)で、長官は大統領が指名する
こととなっている。
大規模な災害が発生した場合に、FEMA は、現地に連邦調整官を派遣し、現地州政府・地方公共団体
と調整を図りながら、被災地支援、応急復旧活動を迅速かつ的確に実施していくよう諸権限が与えられ
ている機関である。なお、大統領により指名された連邦現地災害対策本部長の連邦調整官と州知事に指
名された州政府災害対策本部長の州調整官が、直接連絡・調整を行っている。
FEMA は、重要な職務を単独で行うことはなく、連邦応急対応計画の一部を構成する 26 機関と連携し
て活動するとともに、米国赤十字、救世軍などのボランティア組織、州及び地方公共団体担当官と密接に
協力して行動する。
災害対応により担当省庁が必要となる予算は、FEMA が負担する。
また、FEMA では、災害支援に当てるための災害救助予算を管理しており、そこから被災者等に対す
る資金援助も行えるようになっている。
被災者への財政支援としては、被災した住宅再建のために、被災者に対し最高1万 4 千 800 ドル(連
邦 3/4 以上、州 1/4)の財政支援制度がある。
FEMA は、連邦政府における危機管理のための独立機関で、あらゆる種類の災害による生命・身体・
財産の損失を軽減すべく、国家レベルでのリーダーシップ及び支援を提供することとしている。
FEMA は、災害時に臨時に職員(元警察官、元消防官、元軍人等)を雇用(最大7千名)し、被害状
況の把握等の業務を行わせることとしている。
(ウ)都市捜索救助隊(Urban Search & Rescue: US&R)
アメリカでは、伝統的に主として消防機関(市、郡)が人命救助を行っている。
災害の規模が大きくなると FEMA は、検索・救助活動の支援を行うため、全米内の 28 か所に設置され
ている救助隊の派遣要請を行い、それにより救助隊が現地に派遣される。
この救助隊は、都市捜索救助隊(US&R)と呼ばれ、消防機関が中心の援助・エンジニア隊員のほか、
ボランティアが中心の捜査犬専門家、医師等の 62 名からなり、出動指令から6時間以内に被災地に向
け出発するとともに、現地到着後 72 時間は独自の装備だけで活動が行えるようになっている。
(図 1 参
照)
なお、活動現場における指揮監督は、現地消防本部(署)が行う。
また、派遣中の必要経費、装備品の資機材整備及び訓練に要する経費については、FEMA が全額負担
することとなっている。
306
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
【都市捜索救助隊 (US&R) の 組織】
捜索救助隊 (US&R) リーダー
安全管理責任官
計画担当官
検索チーム
救助チーム
医療チーム
技術チーム
吊上重機機器専門家
通信専門家
兵站専門家等
図1
307
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
(エ)我が国の防災体制との比較
米国と日本の防災体制について、比較すると次のとおりとなっている。
我が国の防災体制との比較
日
本
米
国の
防災担当大臣
連邦危機管理庁長官
組織
内閣官房、内閣府
連邦危機管理庁
国
対策
本部
緊急災害対策本部
国
(FEMA)
連邦災害対策本部
(CDRG)
非常災害対策本部
現地災害対策本部
連邦現地災害対策本部
(現地対策本部長)
(連邦調整官:FCO)
(DFO)
現地
州政府災害対策本部
都道府県災害対策本部
特徴
広 域 応
援体制
(State EOC)
(州調整官:SCO)
各省庁に対する指示権は有しない
27 省庁に対して大統領の代理人として権限を行使
緊急消防援助隊
都市捜索救助隊(US&R)
指揮支援部隊・救助部隊・救急部隊・
検索チーム・救助チーム・医療チーム・
消火部隊・後方支援部隊・航空部隊・
技術チーム(吊上重機機器専門家、通信専門家、
水上部隊・特殊災害部隊
兵站専門家等)
(オ)結果
米国においては、被災地支援、応急復旧活動を迅速かつ的確に実施するため FEMA が各省庁を調整する権
限を有し、災害対応に係る担当省庁の費用を負担している。
都市捜索救助隊(US&R)にあっては、隊員の教育・訓練及び使用する資機材について統一化が図られ、
また、FEMA が派遣中の経費、装備品の資機材整備及び訓練に要する経費について全額負担している。
日本では、東海、東南海、南海地震等や富士山の噴火等、大規模な災害の発生が懸念されているが、今後、
FEMA 等を参考にし、広域的な大災害時において、国、県、市町村が一体となって対応するとともに、緊急消
防援助等の機能について検討することも必要と思われる。
イ
ニューヨーク市消防局の活動状況 (FDNY)
(ア)消防隊員 343 人という犠牲者を出した消防の活動状況は次のとおりである。
・チーフが順次集結した部隊を統制するため、エントランスホールに前線作戦本部を設置。
・作業の規模の把握(WTC1(北棟)に飛行機激突把握)、アラームを1から5にアップグレードした。(200
人規模の消防出動体制)
・初期は、エレベーターのコントロール、通信の確保、ビル管理(空調)のコントロールに終始した。
・2機目の飛行機が WTC2(南棟)に激突、今度は、WTC2の活動に対し、アラーム5を発令。
(200 人
規模の消防出動体制)
・部隊を2つに分け、WTC2に隊員を派遣。
308
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
・WTC2 の崩壊。現場にいた多くの隊員がこの時に犠牲。
・WTC1 で活動している隊員等に退避命令。
・WTC1の崩壊。まだ、現場に残っていた隊員が巻き込まれ犠牲。
・3機目の飛行機がどこかに激突する目的で向かっているとの情報が入り、再度アラーム5を発令。ブ
ルックリン橋で待機。
・今回の災害で、ポンプ車と梯子車 47 台を含む 91 台の車両を失った。
・消防の HAZMAT チームは倒壊現場で化学剤のモニターや放射線のモニターを行い、テロ特有の2次ト
ラップを警戒していた。
(イ)問題点等
・消防職員の中には建築技術者もいたが、あの建物があのように倒壊することは予測できなかった。
・ニューヨーク市消防局の多くの Urban Search & Rescue と指揮者が死亡し、統制がとれない状態に
なった。今回のテロで多くの消防関係者の生命とともに専門知識をも失ったことが痛手である。経験
に裏付けられた専門知識は代替がきかない。また、勤務を終えて交代した職員も多数が現場に向かっ
ており、それらの隊員が現場にどれだけいたか把握するのに苦労した。
・立ち入り禁止区域のバリケード(半径2∼3マイル)を張るまで、要請に基づかないボランティア等が
各所に入り込んだため、これが混乱にもなった。
・隊員は空気呼吸器を付けての救助作業であったが、無線交信する際にはこの呼吸器のマスク
を外さなくてはならないことから、その間に有毒ガスを吸引した者が多い。体調に異常を訴
える隊員もいた。
・今回、役にたった資機材はクレーンである。また、レスキューの資機材では、ガス溶断機と
バ ッ テ リ ー 式 の コ ン ク リ ー ト 切断機であった。バッテリー式の切断機は、パワーはないが 、
コードホースがないため小回りが利き使いやすかった。
・FDNY は、これまで長期活動を経験したことがなかったので、交代をどうするか、補給をどう
するかが問題になった。
(ウ)結果
・救助活動中のビルの崩壊という誰も予想できない事故であったため、その対応にも予想外の
苦労があったと思われる。
今後は日本においても同様の災害が発生した場合における消防隊員の活動方針等について
検討する必要がある。
・広域応援における消防隊の資機材について、Urban Search & Rescue のように統一されるこ
とが望ましい。
ウ
日本国某市NY事務所等在館者の避難状況について
(ア)在館者の避難状況については、次のとおりであった。
・衝突直後、テロとは知らず、行動したためパニックにならず比較的冷静に対処できた。
(避難時に正確な情報があるか、無いかは、どちらが良いか分からない。)
・自分は知らなかったが、1993 年のテロ火災以降、WTC1、2のどちらかで何かあった際は、
もう一方の棟の人も避難するようにマニュアルになっていたと聞く。
・WTC1に航空機が衝突後、WTC2にいた人が、非常階段を避難中、「WTC2は大丈夫」と館内放
送があったためオフィスに戻った人もいたらしい。
309
米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
・携帯電話及び公衆電話は一切使えなかった。
・避難訓練は、年 3 から 4 回実施するが、非常口が何処にあるかを確認するのみであり、避難
階段を使った実際の訓練はしていない。
・衝突直後は、誰もビルが崩壊するとは予想していなかった。
・WTC 1の 46 階の事務所から非常階段で避難したが、避難するのに 40 分かかった。階段は、
上ってくる大勢の消防隊員とすれ違うため、避難者は片側一列で下りたが、落ち着いて避難
していた。
(イ)結果
・避難者に対して正確な情報を伝えることは重要であるが、避難者に対しパニックを起こさせないよう状
況によって情報の内容を選別して伝えることも検討する必要がある。
・普通の高層ビル火災ならば、避難する対象は限られると思うが、今回のような航空機が衝突した火災に
ついては、館内全員を一斉に避難させるか等、検討する必要もある。(災害弱者に対する避難について
も考慮)
エ
聞き取り調査結果
(ア)FEMA Regional Office
時間:2002 年 2 月 27 日 14:00∼16:00
場所:FEMA Regional Office
対応相手:シェリー マッカリー、Bradford C’Mason、Mike Beaman、 Miss Dara
参加者:(総務省消防庁)小濱、大ヶ島、佐藤、金田、天野、加藤
(内閣府)岩田、(内閣官房)若林
特記事項:
・FEMA は、災害時、州の要請に基づき活動を行う。
・市や郡によっては、災害対応が十分でなく、他の都市では支援を求めないような災害でも要請する場合
はある。しかし、災害の発生危険性、財政力、地域の特色などそれぞれの市や郡で違いがある。すべて
一律というわけにはいかないので、不公平と考えることはない。
・FEMA の Disaster Field Office (DFO)は、WTC テロ災害に関することのみを行っており、Regional Office
は、それ以外の災害対応を行っている。管轄領域で起こる災害は、WTC テロ災害以外にも小さなものも
含め多くの災害が発生している。
・DFO のトップはワシントン本部等から来た連邦調整官である。
・DFO は、今回の災害対応はワシントン本部にのみ報告し、Regional Office には報告しない。しかし、
DFO の役目が終わると仕事は Regional Office が引き継ぐこととなるため、情報はできるだけ入手する
こととしている。
・Regional Office は、24 時間体制はとっていない。マサチューセッツに 24 時間体制の情報センターが
ある。(全米に情報センターは5つある。
)
・災害に備え、よく使用するいくつかの物資は備蓄しているが、何が必要になるか分からないので、全て
のことに対応することはできない。その際は、他の Regional Office からまわしてもらう等の措置を
とる。
・FEMA は、各省庁を調整する権限を有した災害対応の独立した連邦機関である。
・災害対応に担当省庁が必要となる予算は、FEMA が負担し、各省庁は予算を持ち出す必要はない。
・通常業務は、計画の作成、訓練の想定、州に対する宣伝活動(災害対応をどのようにするべきか、FEMA
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
がどのようなものを備えているか等)である。
・NBC 対応について、FEMA は、訓練よりも NBC 対応の研究を行っている。
・NBC 対応の広報について、市、郡、州、住民向けの広報として Web で情報を流している。
・FEMA の情報について、90%程度を Web で公開している。
・研修機関として Emergency Management Institute (EMI)がある。FEMA の職員は全員参加してもらいた
いが義務化はしていない。なぜなら、自主的に参加した者でないとものにならないからである。
・要請に基づく FEMA の復興支援の終わりがいつになるかは分からない。州との話し合いの結果、全てが
元に戻ったと確認された段階で終了となるが、終わりはない。10 年前のハリケーン災害での復興支援
は今でも続いている。
・原子力施設のテロ等については、全米規模で安全対策を図る必要があるため、全米安全機構の管轄とな
る。原子力施設の設置場所については、FEMA も関与することとなっている。
・NBC 対策について、連邦議会において、各州に対策費を配布することとされている。
・WTC 航空機テロについての今後の対策は、連邦航空省が対応する。
(イ)Fire Academy(FDNY)
日時:2002 年 2 月 28 日 9:00∼12:00
場所:Fire Academy Randall’s Island
対応相手:Robert J.Ingram (Chief in Charge of Haz/Mat Operations)
参加者:
(総務省消防庁)小濱、佐藤、天野、加藤、(産業技術総合研究所)田中
特記事項:
・US&R と FDNY の装備は、同じタイプのものを使用しており、一緒に活動をするに当たり問題は生じない。
・FDNY 以外の地域の消防とは、必ずしも統一がとれているとは限らない。たとえば、オクラホマの連邦ビ
ル爆破事件では、US&R と地元の消防本部との装備は、同等のものではなかった。
・今回の WTC テロ災害の際の周辺の消防からの応援については、概ね同じタイプのものを使用していた。
なぜなら、このあたりの消防本部は、FDNY を真似している。
・今回の活動では、救助に関する特殊な装備に関する知識を有している人と、専門知識を有していない人
(単純労働を行う人)に分け、それぞれ、役割分担を行い、現場活動に従事した。
・今回の活動では、最初の数日間は手作業による瓦礫の除去を行い、その後、US&R の専門知識を有する
作業が必要になったが、US&R が到着していたため資機材の不足は感じなかった。
・資機材について、企業からの寄付や消防からの発注により数日以内にサーマルカメラ、探聴器、建物の
動きを把握するセンサー等が持ち込まれた。中には、必要でないものもあり、また、勝手に送りつけた
後請求書が届く例もあった。消防では、受け取り時にサインしたものは代金を払うが、それ以外は寄付
と見なしている。
・クレーンについて、US&R 以外に全米クレーンオペレーター組合からオペレーターが派遣され、FDNY の
指示の下に活動してもらっている。
・今回に限定すると、役にたった資機材はクレーンである。また、レスキューの資機材では、ガス溶断機
とバッテリー式のコンクリート切断機であった。
・ガス溶断機は、ガスのモニターを行いながら使用した。
・油圧のものも使用したと思うが、バッテリー式の切断機は、パワーはないが、コードホースがないため
小回りが利き使いやすかった。
・防火服は、汚れがひどく、また、周囲が暑かったので、防火服を脱ぐ隊員もおり、小さな爆発に巻き込
まれ、やけどを負うこともあった。
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
・Department of Defense (DOD)のカメラ付きロボットは、人が入れないところまで入っていったが、生
存者を発見できなかったので、役に立ったかどうかは分からない。無線式のロボットは、地下まで活動
できた。また、DOD は、崩れたビルでの作業に不慣れの印象があった。今後、消防が使えるように訓練
する方がよいのか、DOD に訓練してもらう方がよいのかはわからない。
・ロボットに更に付加してもらいたい機能は、オーディオ機能と可燃性ガス、放射能検知及び化学物質を
見分ける機能である。
・今回の活動では、資機材の性能が低いという印象よりも数が不足しているという印象がある。
・WTC では、1993 年の爆破事件以降、誘導灯の数の増加、スピーカーの設置など、避難誘導のための改善
は行われていた。
・消防隊の当日の活動は概ね次の通り。
① チーフがコマンドセンターを設置。
② 作業の規模の把握(WTC1(北棟)に飛行機激突把握)、アラームを1から5にアップグレード。(200
人規模の消防出動体制)
③ エレベーターのコントロール、通信の確保、ビル管理(空調)のコントロール。
④ 周辺の署の部隊が現場に出場し、また、それを補うため他の署からも周辺の署に配置転換される
システムになっている。(20 分以内には現場到着が可能)
⑤ 2機目の飛行機が WTC2(南棟)に激突を把握、今度は、WTC2の活動に対し、アラーム5を発令。
⑥ WTC2に隊員を派遣。
⑦ WTC2 の崩壊。現場にいた多くの隊員がこの時に犠牲。
⑧ WTC1 で活動している隊員等に退避命令。
⑨ WTC1の崩壊。まだ、現場に残っていた隊員が巻き込まれ犠牲。
⑩ 3機目の飛行機がどこかに激突する目的で向かっている情報が入り、再度アラーム5を発令。ブ
ルックリン橋で待機。
・当時は、勤務の交代時間に当たり、両番の職員がいた。そこで、勤務を交代した職員も多数が、現場に
向かっており、どのくらいの数の隊員が現場にいたかは不明。
・崩壊した時間と階段を駆け上がる時間を考慮すると、WTC1又は2では消火活動は行われなかったと思
う。
・WTC1は崩壊が遅かったため、大半の消防隊員が避難したと思うが、障害者の避難を手助けした職員な
どは、巻き込まれたのではないか。実際に、最近、5人の遺体が発見された際、4人が NYPD で、1人
が車椅子の人だった。
・今回の災害で、91 台の車両を失った。うち、47 台は、ポンプ車と梯子車である。
・FDNY は、長期活動はこれまで経験したことがなかったので、交代をどうするか、補給をどうするかが問
題になった。
・消火栓の圧力が不足し、使用できなかったのが問題であった。
・州内の周辺消防の応援は、要請に基づき出動してもらうのが理想であるが、今回は、「勝手にやってき
た」、「州の依頼に応じて出動」、「FDNY の要請に基づき出動」の全てのタイプの出動事例があった。勝
手にきた消防はじゃまな場合が多かった。
(ウ)日本国某市NY事務所
日時:2002 年 2 月 28 日 14:00∼15:30
場所:日本国某市NY事務所
対応相手:
(日本国某市NY事務所)所長、副所長
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
(邦銀NY事務所)
A課長(男性)
、職員B氏(女性)
参加者:(総務省消防庁)小濱、佐藤、天野、加藤、
(産業技術総合研究所)田中
特記事項:邦銀NY事務所A課長とB氏から WTC の9月11日の状況を伺った。
(詳細は近代消防に掲載)
WTC1に飛行機が衝突した時、A課長はエレベーターの中、B氏は地下のモールにいた。
(A課長の感想)
・衝突直後から 30 分以上、WTC1のエレベーター内に取り残されていたが、エレベーターのただの故障程
度にしか考えていなかったため、パニックにならず比較的冷静に対処できた。もし、それがテロである
と知っていたならパニックに陥っていたと思う。そう思うと避難時に正確な情報があるか、無いかにつ
いては、どっちが良いか分からない。
・エレベーターから抜け出したとき、1 階ロビーのガラスがすべて割れていて、消防や警察が奔走してい
た。避難しろと言われたと思うが、目の前の異常状態では、全く耳に入らなかった。
・ビルから外へ逃げる際、消防士や警察官がビル周辺の道路上にも大勢いたが、崩壊に巻き込まれたと思
う。
・私は知らなかったが、1993 年のテロ火災以降、WTC1、2のどちらかで何かあった際は、もう一方の棟
の人も避難するようにマニュアルになっていたと聞く。
・WTC1に航空機が衝突後、WTC2にいた人が、非常階段を避難中、「WTC2は大丈夫」と館内放送があった
ためオフィスに戻った人もいたらしい。
・携帯電話及び公衆電話は一切使えなかった。
・アメリカの避難訓練は、年3から4回実施するが、非常口が何処にあるかを確認するのみであり、避難
階段を使った実際の訓練はしていない。
(日本国某市NY事務所に確認すると9月 11 日以降もその方
法を変えようとしない。)
(B氏の感想)
・WTC の地下から外へ出るように指示があったが、何が起こったか知らなかったので避難するという感覚
より遠回りをしなければならないと思っていた。地下から地上に出たら、WTC1の壁面に穴が開き、燃
えていた。その後、WTC2が爆発したのが見えたので、その場から逃げたが、どこに逃げたかはすぐに
わからなかった。逃げるときは WTC1で火事、WTC2で爆発が起こったと思っていた。
・衝突直後は、誰もビルが崩壊するとは予想していなかった。現に高校生などは、面白がって現場に向か
っており、警察官が指示していたが聞かなかった。
・WTC1は単なる火事だと思っていたので、これだけの火災で消防自動車やパトカーがあまり無かったの
で、疑問に感じていた。
(邦銀NY事務所長の談話について)
・所長は、事故当時、WTC 1の 46 階の事務所で勤務していたが、無事に避難することができた。そのと
きの様子は次のとおりである。
① ドーンという衝撃があり、地震かと思ったが、窓の外に焼け焦げた紙が大量に舞っていた。非常
階段で避難したが、避難するのに 40 分かかった。
② 階段は、上ってくる消防隊員とすれ違うため、避難者は片側一列で下りたが、みんな落ち着いて
避難していた。
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米国世界貿易センタービルの被害拡大過程、被災者対応等に関する緊急調査研究
考
察
今回のWTCテロ災害での FEMA の活動を調査すると、「被災地支援、応急復旧活動を迅速かつ的確に実施
するため FEMA が各省庁を調整し、災害対応に係る費用を負担している。」「都市捜索救助隊(US&R)にあっ
ては、隊員の教育・訓練及び使用する資機材について統一化が図られ、また、FEMA が派遣中の経費、装備品
の資機材整備及び訓練に要する経費について全額負担している。」等、今後の日本での災害対応で参考となる
情報が得られた。
また、消防活動に関し、「消防隊員が避難救助と消火作業のため被災ビル内に進入した経過、ビル崩壊予
測の困難性及び救助活動の問題点」
、「避難者に対しての情報提供のあり方及び避難方法」等の教訓が得られ
た。
今後、国内の大規模災害が発生した際の対応にあたり、考慮していく必要がある。
引用文献
[1]「同時多発テロ事件におけるニューヨーク市の対応について」
(2001 年 12 月 11 日、横浜市ニューヨーク事務所)
[2]「WTCテロ事件後におけるニューヨークの危機管理対応」
(2002 年 2 月 25 日、Kozo Aoyama (Institute of Public Administration))
[3]FEDERAL RESPONSE PLAN Executive Overview (April 1999)」
(Federal Emergency Management Agency)
[4]「TERRORISM PREPAREDNESS AND RESPONSE」
(Federal Emergency Management Agency)
[5]「the Federal Emergency Management Agency」
(August
2001)
(Federal Emergency Management Agency)
[6]「アメリカの消防事情」(2001 年5月、海外消防情報センター)
成果の発表
特になし
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