特注の信者席で 60周年を祝う

周年を祝う
60
今年四月一日に満六十歳
の誕生日を迎える指宿教会
︵寝占敦之神父︶と同付属聖
マリア学園﹁白百合幼稚園﹂
は昨年十二月二十六日︵日︶
記念ミサをささげ祝賀会を
挙行した。
記念のミサは主司式の郡
山健次郎司教の他、元主任
司祭兼園長の牧山田一神父、
幼稚園から小学校までを指
宿教会で育った中野裕明神
父、それに転勤で指宿に住
んだことのある桃薗淳一郎
助祭が加わり荘厳にささげ
られた。
ミサ中、この日のために
用意された跪き台の付いた
特注の信者席が祝福された。
そしてミサには信者の他に
白百合幼稚園の教職員や保
護者、それに信者席を製作
した長崎教区は紐差小教区
の巡回教会・木ヶ津教会所
属 の 信 徒 二 人 が 参 加 し た。
そしてミサ後、主任司祭の
寝占敦之神父から、信者席
の製作者に感謝状が贈呈さ
れた。
指 宿 教 会 で は、 こ れ ま
で財政的理由で実現できな
かった信者席設置をこの創
立六十周年の記念として実
現させることが決められて
い た が、 そ の 製 作
者として候補に挙
がったのが先の二
人。 大 工 を 生 業 と
する二人は木ヶ津
教会の信者席を製
作した経験を持つ。
信者席製作の話
が あ る 中、 指 宿 教
会の信徒Oさんが
五十年ぶりに木ヶ
津教会を訪問した。
と 言 う の は、 五 十
年 前、 当 時 鹿 児 島
純心中学校の生徒
だったOさんがク
ラスの仲間と募金
した七百四十円を
シスター山頭の紹
喜びいっぱいの指宿教会
介で木ヶ津教会建設資金と
し て 寄 付 し て い た か ら だ。
寄付した教会がどうなって
いるかと五十年後に訪ねた
ところ、教会の中には立派
な趣のある信者席が置かれ
ていた。Oさんの﹁同じよ
うな信者席が指宿教会にも
欲しい﹂との思いと心を同
じくした指宿教会の信者は
募金を開始しこの日に至っ
た次第である。
主任司祭の寝占神父は﹁こ
れで本当の聖堂らしくなり
ました。ゆっくり祈れます﹂
と喜びを語った。
10 年後の奄美の
カトリック教会を展望して
日 時:2 月 20 日(日)13 時
~
奄美地区教会︵小隈憲士
地区長︶では、二月二十日
︵日︶午後、名瀬聖心教会で
﹁奄美地区信徒大会﹂を開催
する。
この大会の狙いは十年後
︵二〇二〇年︶の奄美大島の
カトリック教会の展望を探
ること。それは希望ある教
会の姿を描く作業に取り組
むことにある。
奄美大島の教会でこの
ような動きが起こったの
場 所:名瀬聖心教会
は、二十年ほど前の宣教再
開百周年を振り返ったため。
当時、鹿児島では全教会が
これまでの宣教の歩みを振
り返り、これからの教会の
ためにビジョンを発表した
ものの、今日までそのビジョ
ンに対する評価や反省、改
善を怠ってきたという反省
の上に立っている。
そのために奄美大島地区
では、昨年二月の﹁奄美地
区信徒・修道者・司祭の集い﹂
二月二十日に奄美地区信徒大会
教会の十年後の展望求めて
奄美地区信徒大会
康志向が盛んなようです。寝たきりのお年
寄りを増やさないように行政はお年寄りに
健康体操を奨励しています。ただ、精神の
健全さを抜きにして、身体のみの健全化を
目指すことはいかがなものでしょう。これ
までできていたことができなくなっていく
自分に気付いた時の衝撃、そしてそれを受
け入れる勇気。これらの精神的葛藤こそ、
お年寄りの精神
の健全化である
と 思 い ま す。 つ
ま り、 そ の よ う
な精神的葛藤をなさっているお年寄りを受
け入れ、励ましてあげることこそ大切なこ
とであると言えます。
聖パウロによれば、教会はキリストのか
らだです。私たちはその肢体です。そして
その精神を司る方が聖霊です。私たちの教
会が健全な精神と健全な身体とに恵まれま
すように。
︵H・N︶
健全な精神と身体
中学生の頃、
﹁健全な精神は
健全な身体に宿る﹂というギリ
シャの格言を教わりました。成
長著しいこの頃から、私はこの
格言を指針として生きてきまし
たが、司祭になって種々の人々と接するう
ちに健全な精神と健全な身体は必ずしも一
致していないことに気づきました。
健全な精神の持
ち主でも身体的に
恵まれていない人
や、その逆の人々
に多く出会うようになったからです。です
から自分自身の指針としてはいいものの、
上記のことを軽々に口にすべきではないと
肝に銘じていました。ところがその後、上
記の格言は原語では﹁⋮宿る﹂という断定
ではなく、
﹁⋮宿るように﹂という願望を表
しているという話を聞きました。
高齢化社会になって、巷ではますます健
14 時 10 分
講師:宮下正昭氏(南日本新
次長)
「聖堂の日の丸」
(南方新社発行)著者
郡山健次郎司教
14 時 50 分
③司教司式ミサ
▼美島春雄神父︵志布志
主任・志布志幼稚園園長︶は、
指宿教会主任及び同付属白
百合幼稚園園長
▼寝占敦之神父︵指宿主
任・白百合幼稚園園長︶は、
教区本部事務局長
▼中野裕明神父︵教区本
部事務局長︶は、志布志教
会主任及び同付属志布志幼
稚園園長
※幼稚園関係者の着任は四
月一日
▼永山幸弘神父︵溝辺主
任︶は、名瀬聖心教会主任
▼小隈憲士神父︵名瀬聖
心主任︶は、鹿屋教会主任
▼ヨ ゼフ・ タム 神 父︵ 鹿
屋主任︶は、種子島教会主
任
▼坂本進神父︵種子島主
任︶は、溝辺教会主任
※着任は四月十日
教区人事
で発表された意見を小冊子
にまとめ、奄美の土地柄及
び教会の現状分析とともに
各小教区で今年の信徒大会
に向けて、展望に関する意
見を交わしてきた。
今回の信徒大会では外部
講師による新鮮な話を聞き、
また郡山司教と膝を交えて
今後の奄美の教会のあり方
を模索する。その上で、奄
美の教会が一年をかけてま
とめてきた未来の教会像︵展
望︶を発表することになっ
ている。
②司教講話
総合メディア局
聞社
13 時
①基調講話
標
道
指宿教会と同付属白百合幼稚園
特注の信者席で
〒 892-0841
鹿児島市照国町 13-42
� カトリック鹿児島司教区
� 電話 099(226)5100
� 振込口座 02030-2-8359
� 編集発行 教 区 広 報 部
� 1 部 60 円年間〒共 1100
円
新風
2011 年(平成 23 年)2 月 1 日(毎月 1 日発行)
第 533 号�(昭和 43 年 10 月 25 日第三種郵便物認
(1)�
久しぶりの深い
眠 り だ っ た。 友 人
と居酒屋まで来た
と こ ろ で、 声 を か
けられ夢から現実へと引き
戻された。その後は、痛み
止めが使えない体質だから
との理由から覚悟はしてい
たものの驚くような痛みと
闘う羽目になり、手術した
ことをチョッピリ後悔した
▼十一月下旬に左肩骨折の
診断を受けた。しばらく安
静にすれば⋮の期待とは裏
腹に動く気配を見せなかっ
た 左 腕。 精 密 検 査 の 結 果、
左 肩 腱 板 断 裂 と 分 か っ た。
要手術、しかも全身麻酔で
の手術との説明に二の足を
踏んだが、休日返上でオペ
してくれるという主治医の
心意気に押され手術を決心
した▼十年ぶりの手術。
﹁今
回は左肩だから楽﹂と高を
くくっていたが、まったく
の思い違いだった。術後の
痛みもさることながら、ビ
ス三本が入った肩と腕は一
定の角度を保つため装具で
固定、一人では衣服の着脱
もままならない。シャワー
を浴びるにも他人の手を煩
わしてしまう惨めな姿をさ
らすこととなった▼順風満
帆のように感じていたここ
数年で、自分の中に育って
しまっていた﹁驕り﹂のよ
うなものと対峙する羽目と
なった▼皆が教会で﹁降誕﹂
という神の不思議な業を称
えていたあの夜、手術を終
えたばかりの自分は祈るこ
となくただベッド上で唸っ
ていた。惨めだった。ただ
少 し ず つ 回 復 し て い く 今、
あの入院中に感じた思いを
もっと深めなければと気付
かされている。そうでなけ
れば休日返上を﹁クリスマ
スプレゼント﹂と宣言して
主治医が施してくれた手術
の本当の贈り主に叱られて
しまいそうだから。
YET
二〇・ ︶復活されたイエ
スの栄光と昇天後のイエス
の栄光との間には何らかの
相違があり、完全な栄光化
は昇天によって完成します。
︵前掲書六六〇項︶
昇天後の栄光化は受肉の
神秘と深く関わっています。
﹁父のもとから出た﹂方、つ
まりキリストだけが﹁父の
もとに戻る﹂ことがおでき
になるのです。
﹁天から下っ
てきた者、すなわち、人の
子のほかには、天に昇った
者 は い な い。
﹂
︵ ヨ ハ ネ 三・
︶人間は自然の力で神の
いのちと至福に入ることは
できません。ただ、キリス
トだけが人間にこの道を開
くことがおできになりまし
た。
︵前掲書六六一項︶
﹁私は地上から上げられる
②使徒信条﹁生者と死者
を裁くために来られます。
﹂
�キ
� リストは栄光のう
ちに再び来られます。
﹁ キ リ ス ト が 死 に、 そ し
て生きたのは、死んだ人に
も生きている人にも主とな
ら れ る た め で す。
﹂
︵ローマ
一四・ ︶キリストの昇天
はその人性において神ご自
身の権能と権威にあずから
れたことを意味しています。
イエス・キリストは主とな
られ、天においても地にお
いても全ての支配をお持ち
です。
︵前掲書六六八項︶
主であるキリストはその
体である教会の頭でもあり
ます。天に上げられ、栄光
を受けて、使命をまっとう
されたキリストは地上でご
自分の教会のうちにとどま
1
9
とき、すべての人を自分の
もとに引き寄せる﹂
︵ヨハネ
一二・ ︶イエスは﹁人間
の手で造られた聖所ではな
く、天そのものに入り、今
や私たちのために神のみ前
に現れて﹂
︵ ヘ ブ ラ イ 七・
︶下さいました。この方
は常に生きていて、ご自分
を通して神に近づく人々の
ために執り成しておられる
の で す。
︵ ヘ ブ ラ イ 七・ ︶
︵六六二項︶
御父の右の座とは神とし
ての栄光と誉の意です。永
遠から神の御子として、ま
た御父と同一実体の神とし
て 存 在 し て お ら れ た 方 が、
人 と な ら れ、 そ の 肉 体 が
栄光を受けられた後は、か
らだをもってそこに坐して
お ら れ る の で す。
︵前掲書
六六三項︶
られます。キリストが聖霊
によって教会の上に行使さ
れる権威の源はあがないの
わざです。
︵前掲書六六九項︶
神の計画はキリストの昇
天の時から成就し始めまし
た。教会はすでに地上にお
いて、不完全ではあります
が、真の聖性で飾られてい
ます。キリストのみ国の到
来は、それを告げる教会の
宣言を伴う様々な奇跡的し
るしを通してすでに示され
ています。
︵前掲書六七〇項︶
キリストのみ国は教会の
うちにすでに現存している
とはいえ、まだ王であるキ
リストが地上に来臨し、大
いなる力と栄光とを持って
完成されるには至っていま
せん。
︵前掲書六七一項︶
主によれば、現在の時は
霊とあかしの時です。しか
正
し、それはまた、いまだに
苦悩のしるしを帯びている
時、教会を容赦せずに終わ
りの時の戦いの火ぶたを切
る悪による試練を抱えた時、
目覚めて待望する時なので
す。
︵前掲書六七二︶
イエスの昇天以後、私達
には﹁父がご自分の権威を
もってお定めになった時や
時期がたとえ分からないに
しても、キリストの栄光の
来 臨 は 差 し 迫 っ て い ま す。
︵前掲書六七三項︶
栄光のメシアの到来がい
つ実現するかは全イスラエ
ルがいつイエスをメシアだ
と認めるかにかかっていま
す。
︵ ロ ー マ 一 一・ ︶ 異
邦人全体に続いてユダヤ人
の全体がメシアの救いに預
かるようになる時に初めて、
松
弘
20
神の民はキリストの満ち溢
れる豊かさになるまで成長
するでしょう。その時神が
全てにおいて全てとなられ
るのです︵前掲書六七四項︶
キ リ ス ト の 来 臨 の 前 に、
教会は多くの信者の信仰を
動揺させる最後の試練を経
なければなりません。人生
の諸問題の見せかけの解答
を人々に与えて真理を捨て
させる偽宗教の形をとった
反キリスト、つまり人間が
神と受肉された神の御子で
あるメシアに代わって自ら
に栄光を帰する、偽りのメ
シア観です。
︵前掲書六七五
項︶
教 会 は、 死 ん で 復 活 さ
れた主に従って最後の過越
しを経なければ、み国の栄
光に入ることは出来ないで
しょう。み国が完成するの
出水教会主任司祭 大
信仰宣言を神学的に捉える⑤
北薩地区宣教奉仕者︵信徒使徒職︶養成講座
17
32
25
は、悪の最後の猛攻に対す
る神の勝利によってなので
す。この世界の最終の崩壊
の後に最後の審判として現
れます。
︵前掲書六七七項︶
生�者と死者を裁くため
イエスは説教の中で最後
の審判について預言されま
した。その時、各自の行為
と心の秘密があらわにされ
るでしょう。そして神が与
える恵みを顧みなかった咎
めるべき不信仰が断罪され
るでしょう。隣人に対する
態度が、神の恵みと愛とを
拒否したか、あるいは受け
入れたかを明らかにするは
ずです。イエスは最後の日
に﹁私の兄弟であるこの最
も小さい者の一人にしたの
は、私にしてくれたことな
のである﹂と言って下さる
で し ょ う。
︵ マ タ イ 二 五・
︶
︵前掲書六七八項︶
︽感謝の祈り︾参加者の誰
かが自分のことばで感謝の
祈りをささげる。
2
次 回 の テ ー マ は﹁ 聖 霊 ﹂
についてです。二月二十日
︵日︶十四時から、阿久根教
会で行われます。
40
Ⅰ 主�任司祭の歓迎の言葉
︵出水教会:大松神父︶
Ⅱ 祈
� りを持って始める。
特 に 三 位 一 体 の 神 を 信 じ、
従う恵みを求めて代表者が
祈ります。
前回に続き、
﹃信仰宣言﹄
の子に関しての④﹁栄光化﹂
について神学的にどのよう
に捉えたらいいのか、今回
も学びを中心としながら深
め て 行 き た い と 思 い ま す。
参考文献としては﹁カトリッ
ク教会のカテキズム﹂
︵カト
リック中央協議会発行、二
〇〇二年発行︶を使用致し
ます。
④ 栄
� 光 化︵ 前 掲 書
六五九 六
―八二項参照︶
① 使�徒信条﹁天に昇って、
全能の神である父の右の座
に着き﹂
﹁ 主 イ エ ス は、 弟 子 た ち
に 話 し た 後、 天 に 上 げ ら
れ、 神 の 右 の 座 に 着 か れ
た﹂
︵マルコ一六・ ︶信仰
宣言はこのマルコの証言を
踏襲しています。復活され
たイエスは天に上げられる
前、四十日に亘ってご自身
を弟子たちに親しく顕わさ
れましたが、その栄光はま
だ隠されたままです。昇天
後、初めてイエスは決定的
に神の栄光の内に入られま
した。以後、イエスは神の
右の座に着いておられます。
︵前掲書六五九項︶
四十日の間、復活された
イエスの栄光が覆われてい
たことは、マグダラのマリ
アへの言葉からうかがい知
る こ と が 出 来 ま す。
﹁私に
すがりつくのはやめなさい。
私はまだ父のもとに昇って
はいないのだから。私の兄
弟の所に行って、こう言い
なさい。﹃わたしの父であり、
あなたがたの父であるかた、
また私の神であり、あなた
がたの神であるかたのとこ
ろに私は昇る﹄と﹂
︵ヨハネ
祈りは、感謝の祈りにせよ、嘆
願の祈りにせよ、涙となって溢
大丈夫!エレミヤの祈りから
れてくるように思います。その涙
が決して涸れることのないように
「わたしの頭が大水の源であるならば」と、
松田清四朗神父 わたしの頭が大水の源と
なり、わたしの目が涙の源となればよいのに。 エレミヤは祈ります。この心を震わす祈りを
そうすれば、昼も夜もわたしは泣こう、娘なる 唱えながら、きっとキリストがおっしゃって
いるはずの言葉を伝えたいのです。祈りの手
わが民の倒れた者のために。
(エレミヤ 8:23)
「大丈夫だからね!」
何と美しい祈りでしょう。とくに「夜も昼 で触れてあげたい。
※このような素敵な言葉をご自分で見つ
もわたしは泣こう」というフレーズで胸が詰
まります。何も考えられない、思いそのもの け、時には筆写して机の上に、あるいはご自
が細かく千切れ飛ぶ…。そういう時…わたし 分の手持ちの聖書に貼り付ける。こういうこ
の頭が大水の源となり、…夜も昼もわたしは とも和善の聖書の取り組みの一つです !
=和善の案内=
泣こう…と、何度も繰り返し、枕を濡らす。
●月 18 時 30 分
自分が大病をしたせいだからでしょうか。
●水 14 時 00 分(第 2,4 於姶良)
病気に苦しむ多くの人々、あるいは病気の人
●水 WAZEN こころ相談室(第 1,3:要予約
の介護をしている人々から、以前よりも多く
= 10 時 10 分から= 45 分間)
お祈りを頼まれるようになりました。喜んで
●金 10 時 00 分 ※いずれも本部 3 階にて
お引き受けします。ミサの中でのその祈りは、
●和善のミサ 2 月 25 日(金)17 時 30 分
たぶんその人の「涙」に心を合わせ、ただた
(和善ブログ http://mr826.net/wazen/blog)
だいっしょに泣くという祈りになるのです。
[和善の窓から]その⑯
13
25
(2)
2011 年(平成 23 年)2 月 1 日(毎月 1 日発行)�
第 533 号�(昭和 43 年 10 月 25 日第三種郵便物認可)
19
池上聖行さん︵八十七歳︶叙階
長寿の島・徳之島に長寿の終身助祭
昨 年 十 二 月 十 九 日︵ 日 ︶
午前十時から徳之島のカト
リック母間教会で終身助
助祭の聖位に上げられた。
叙階されたばかりの池
上師は助祭服着衣の後、司
教から熱い抱擁を受け平和
の挨拶をした。さらに共同
司式した司祭とも抱擁、そ
してこの式のために駆け
つけていた終身助祭たちも
新助祭を兄弟として迎える
意味で抱擁した。聖堂には
百五十人余りの信者の熱気
が溢れていた。
式後の祝賀会では新助祭
を師と仰ぐ人々が信者、未
美信を問わず祝辞や感謝
の言葉を送り喜びを分かち
合った。主任司祭の福崎神
父 は﹁ 池 上 さ ん は そ れ ま
では腰が曲がって杖が必要
なほどだったが、叙階が決
まってからは腰が伸び、教
会の庭の剪定もできるよう
になった﹂と叙階の恵みの
効果に驚いていた。
終身叙階式実行委員会は
プロフィールの末尾に﹁池
上 聖 行 師 は、 五 十 年 余 り、
宣 教 師、 修 道 者 と と も に、
徳 之 島 の 宣 教、 司 牧 活 動 を
支え続けてこられた。この
ことは島民衆目の一致する
ところである。私たち共同
体 は、 池 上 聖 行 師 が 終 身 助
祭に叙階されたことを神に
感 謝 し、 頂 い た 恵 み を 一 人
でも多くの人に伝えられる
よ う 師 に 倣 い た い。﹂ と 記
している。
月の会と催し
日︵水︶主の奉献
日︵金︶ボッフィ神父命日︵一九八八年︶
日︵土︶日本二十六聖人殉教者
日︵日︶年間第五主日
▼祭壇奉仕者選任式・ザビエル教会・ 時
日︵金︶世界病者の日
日︵日︶年間第六主日
▼ハンマ神父霊名︵ヨルダン︶
▼宣教奉仕者の会・教区本部・ 時 分
日︵月︶出口市太郎神父命日︵一九五八年︶
日︵日︶年間第七主日
▼奄美地区信徒大会・聖心教会・ 時
日︵火︶聖ペトロの使徒座
日︵日︶年間第八主日
▼東條一浩神父命日︵二〇〇一年︶
9
所
時
鹿児島カテドラル・ザビエル記念聖堂
三月六日︵日︶午後二時
受階者
司 式 郡山健次郎司教
日
21
巡礼委員会(徳永善博)
青年司牧見直しの好機
30
問合せ・申込
WYDに一人でも多くの若者を
13
坂本 進神父の講座
①ホリスティック・スピリチュアルケア講座﹁病気の
とらえ方﹂ 月 日︵火︶
時 分~ 時 千円
②ホリスティック黙想会﹁おむすびの祈りと食生活﹂
月 日︵月︶
時~ 時 五百円
※いずれも会場はザビエル教会一階ホール
13
30
使徒ヨハネ 川
�������
� 口 茂︵加世田教会︶
マルチノ ���
石神秀人︵阿久根教会︶
�������
※申込締切は 3 月 1 日
今 夏︵ 八 月 十 六 日 ~
二十一日︶
、スペインのマ
ド リ ー ド で W Y D︵ ワ ー
ルドユースデイ︶世界大
会が開催される。WYDは
6 5 4 2
13 11
20 14
27 22
場
終身助祭叙階式
18
同行:郡山司教、ティエン神父
千六百人余りいることが分
か っ た。 も ち ろ ん こ れ は 各
小教区が提出していた十年
ほど前の信徒名簿から生年
月日等を計算して割り出し
たもので不確実な数。しか
しながらこれに近い数の青
年が教区に所属していると
いう事実からは目をそらす
ことができなくなった。
WYD参加者には教区か
らも何らかの資金的支援が
必 要 だ が、 小 教 区 で も 所 属
する青年が参加する際は支
援を宣言しているところも
あ り、 青 年 活 動 の 活 性 化 と
それを見守る教会の変化に
期待が持たれる。
12
定員:20 人(最小催行人員 15 人)
五月一日に列福
15
10
費用:14,8000 円
ヨハネ・パウロ二世
一 月 十 四 日︵ 金 ︶、 教 皇
庁広報部は、前教皇で尊者・
神のしもべヨハネ・パウロ
二世︵カロル・ヴォイティ
ワ︶の列福式を今年五月一
日に教皇ベネディクト十六
世司式で行うことを発表し
た。
ヨ ハ ネ・ パ ウ ロ 二 世 の 列
聖調査は二〇〇五年から始
め ら れ、 教 皇 ベ ネ デ ィ ク ト
十六世は二〇〇九年にヨハ
ネ・パウロ二世を尊者とす
ることを宣言していた。
携帯��090(3669)
2
3 月 20 日出発 3 月 24 日帰国
祭 叙 階 式 が 行 わ れ た。 叙
階されたのはフランシス
コ・ザビエル池上聖行さん
︵八十七歳︶
。
式は郡山健次郎司教主司
式で、教区内外からの九人
の司祭による共同司式ミサ
の中で行われた。福音朗読
の後、福崎英雄神父︵母間
教会主任司祭︶の呼び出し
で司教の前に立った受階者
は、高齢とは思えないほど
直立不動の姿勢を保ったま
ま、はっきりと司教との約
束を宣立し、諸聖人の連願
が歌われる間は祭壇前の床
に 伏 せ た。 そ し て そ の 後、
司教の按手と聖霊の注ぎの
祈りにより、めでたく終身
一九八五年を国連が﹁世界
青年の年﹂と定めたことを
受け、教皇ヨハネ・パウロ
二世が青年たちにローマに
集うよう呼びかけたことに
始 ま る。 そ の 後、 毎 年﹁ 受
難の主日﹂が﹁世界青年の日﹂
と定められ、教皇庁信徒評
議会が主催して二~三年ご
とに世界各地でWYDの世
界大会を開催している。今
年の大会に日本からは郡山
司教を団長とする約三百人
が、この同じ信仰を持つ青
年たちが出会いを通しなが
らキリストの受難と復活の
神秘を祝う巡礼の旅に参加
する予定となっている。
この催しに鹿児島から一
人でも多くの青年に参加し
て欲しいしている教区司祭
団は、青年担当司祭と協力
して参加者を募ったところ
一月中旬ですでに八人の申
込 が あ り、 今 後 も ま だ 増
えそうな勢いである。募集
に当たって担当者が行った
のは﹁教会に若い人はいな
い﹂と言われる現状の確認
作業。その結果、WYDの
参加対象となる十八歳から
三十五歳の信徒が教区内に
ヴンタウ―
司教執務室便り
心 感 と か 希 望、 喜 び、 共 感 な ど と い う 形
にできない寄付をなすことはできる。
﹁先生と神さまに全部おゆだねしてい
るから心配していません。
﹂ガンを告知さ
れたシスターのあっけらかんとした言葉
に主治医も驚いたという。
﹁先生も治療が
しやすかったでしょうね。
﹂聞いていた一
人が言った。先生の負担を軽くしてあげ
る。 ま た、 シ ス タ ー の 病 室 か ら は 笑 い 声
が絶えず、お見舞いの人も元気をもらっ
て帰っていたという。さしずめタイガー
マスク運動心編というところか。
病 気 に ち な ん で も う 一 つ。 子 供 の 頃 父
がよく言っていたのは﹁自分もあんなふ
うに爽やかに逝きたい。
﹂父の手を握りな
が ら﹁ お 先 に 行 っ て 待 っ て い ま す!﹂ と
言って大往生を遂げた村の校長先生が父
の憧れだったからだ。
難病やさまざまな不幸に苦しむ方々の
ため癒しの祈りを捧げ続けるのも、気持
ちのいい挨拶や返事、謙虚な言葉遣いな
どなど卑近なかかわりの中でのこうした
生き方こそ信者の真骨頂であり、ランド
セルを贈るのに勝るとも劣らない信者の
タイガーマスク運動。
電話��099(206)7221
21
―ホーチミン、ニャチャン、
信者のタイガーマスク運動
去る十二月二十五日のクリスマスに
﹁伊達直人﹂を名乗る人から群馬県の児童
相談所にランドセル十個が届けられたの
が始まりで、全国各地でこうした匿名の
慈善行為が発生し、タイガーマスク運動
と呼ばれた。識者がいろいろのコメント
を出していたが、中には一時的な現象だ
と言う人も。たとえそうだとしても善意
の 伝 播 は 大 い に 歓 迎 だ。 な に よ り も、 暗
いニュースばかりが報じられる中で私た
ちの心に爽やかなぬくもりのある風を運
んでくれたことは間違いない。
と こ ろ で、 信 者 は タ イ ガ ー マ ス ク み た
いなものではないのか。ふとそう思った。
マスクをかぶるわけではないが、
﹁普通
の人﹂というマスク
をかぶっていると考え
ることができないわけ
で は な い。 ま た、 匿 名
で何かを寄付するわけ
で も な い。 し か し、 安
2
2
ベトナム巡礼
2011 年(平成 23 年)2 月 1 日(毎月 1 日発行)
第 533 号�(昭和 43 年 10 月 25 日第三種郵便物認
(3)�
文
芸
神さまの小道
指
―宿教会の信徒席を巡って
―
=出会い=
稲
の方がご参列くださいますように!
句
指している二人のために一人でも多く
俳
※韓国で学び、鹿児島教区の司祭を目
九州の北、その最西端に
小さい教会がある。木ヶ津
教会。その教会の大工さん
が手作りした﹁信徒席﹂が
九州の南の指宿教会にクロ
ネコヤマトで運ばれた。
椅子専門でもない大工さ
んに指宿教会のため、神父
ジョン神学生
純心学園 川上
和
初雪や聖母も微笑む初日のミサ
出水市 沖
弘子
息災に生きて天与の初日の出
霧島市 政 ノブ子
年はじめ共同祈願読む恵み
純心学園 山頭 信子
指宿に主は在りまして﹁信徒席﹂
洗礼に祝い花かご手にこぼれ
愛光園 春山マリ子
雪を見て命嬉しい独り言
神学生
歌
牛憲さん ︵大笠利︶
ん た ち は、﹁ 恩 人 が 訪 ね て
来られた﹂
︵現地の寄付者
はほとんど亡くなってい
た ︶ と 伝 え る と、 か か ら 団
子 を 作 っ て く る 者、 赤 飯 を
炊 い て く る 者 ⋮。 教 会 の 庭
は、にわか宴会のように賑
やかな歓迎ぶりだった。
そ の 後、 木 ヶ 津 教 会 と
指 宿 教 会 は 交 流 が 始 ま り、
﹁その温かいもてなしはど
こにでもあるもてなしとは
ま っ た く 違 っ て い た、 心 か
らのものだった﹂とOさん
は言った。この教会でOさ
ん は 恩 人 の た め 五 十 年 間、
祈り続けられていること
を知った。自分たちのため
五十年間も祈ってくださっ
ていた人たちがいたと知っ
て驚いた。
神さまの小道は祈りが続
けられている限り共にいて
く だ さ っ て 導 い て お ら れ、
必ず実らせてくださる。心
動かす出来事はいつも小道
から始まる。感動した指宿
教会の﹁信徒席﹂祝別だっ
た。
︵式典参列の一修道者︶
昨年十一月の下旬、素敵な旅の人がいるとの声に
ザビエル教会ホールに足を運ぶと何とも味わい深い
おじいちゃんとの対面となった。
じいちゃんの名前は稲 牛憲さん。大笠利の信者
さ ん だ っ た。 八 十 四 歳 で、 一 人 旅 の 途 中 だ と い う。
自分の洗礼名と同じ名の教会を一目見ようと足を運
んだそうだ。ここに至るまでにも長崎、大分を巡っ
ている。両肩にはクロスに掛けたカバンが二つ。そ
して手には大きな紙袋。そんな出立ちで各地を回っ
てきたのだ。この日の予定もまだ未定。孫と連絡が
取れれば鹿児島に一泊、そうでなければ島に帰るっ
て な 具 合。 こ う な る と 旅 の と い う よ り、 生 き 方 の 大
ベ テ ラ ン だ。 ま、 そ
うでなければ教区報
文 芸 欄 に﹁ 亡 き 妻 の
時かけてためしヘソ
クリを一人巡礼の旅
に使わん﹂なんて投
稿しなかったのかも
⋮。
②アントニオ・ジェオン・ペオブ・
き、 同 級 生 を 誘 っ て 長 崎 ま
で お 見 舞 い に 出 か け た。 集
ま っ た の は、 た ま た ま 五 十
年 前、 貧 し い 木 ヶ 津 教 会
建設に生徒会でした募金を
自分たちで届けた仲間たち
だ っ た。﹁ あ の 教 会 は 今 も
残っているのかしら?行っ
てみよう﹂ということにな
り出かけた。
お見舞いをした友人の紹
介で訪ねた木ヶ津の信者さ
①ドミニコ・ソン・ジン・オック
短
式:郡山健次郎司教
には若芽伸びゆく
折りをりに忘れぬようにと口ずさむ英語
にて学びしクリスマスの歌
純心学園 川上
和
聖夜ミサ光を受けし教え子の真白き
ヴェール素顔を包む
大笠利 稲
牛憲
一生を紬を織りて逝きましし母は紬を着
ることなかりし
奄美市 林
明子
その笑顔わが身をいやす天使だねすくす
く育て奄美のやちゃぼう
奄美市 林
常広
口喧嘩新婚の時を思い出し互いの指輪見
て苦笑い
伊佐市 森
博伸
空を見る渇けるこころのつぶやきを盲い
た想いを天に問いつつ
鹿児島市 前田 儀子
し ま
時雨れつつ夕日がさっと射すときに桜島
は大きな虹の弧を抱く
高空を風唸りて吹くいく日か高き椿は赤
き花落す
葉を送りやがて骨瘤の木とならむ大き銀
杏は足をふんばる
所:ザビエル教会
司
様と信徒の方々から直接頼
ま れ た。﹁ 跪 い て 祈 る ﹂ た
め の 椅 子 を 何 度 も 試 し て、
メジャーはいつもポケット
の中に入れて歩き、作り上
げ た。 信 徒 会 長 の N さ ん は
﹁私たちは椅子を頼んだの
で は あ り ま せ ん。 信 徒 が 跪
いて祈るようになるための
信徒席をお願いしました﹂
とおっしゃった。
自分の作品がどんな場所
に 使 わ れ、 ど ん な 人 に 跪 い
て も ら え る の か、 自 分 の 目
で確かめ、信徒を知りたい
と 思 い、 指 宿 と い う 初 め て
の教会にやって来た。そし
てこれならやるぞと決め
た。信徒席を作り始めると
同時に禁煙を一発で実行し
た。
六十周年を迎える教会と
白 百 合 幼 稚 園 は、 同 い 年。
歴代の主任神父様は教会の
内部を整える余裕はなかっ
た。折畳み椅子を並べてミ
サにあずかっていた。
折りも折り、信者のOさ
んが純心卒業の友人が長い
間ブラジルで働いていた
が病気で帰国していると聞
場
田信長、豊臣秀吉、徳川家
康などで、それらの人物分
析からよい指導者について
書いたところ、霊的なもの
が感じられないと没にされ
ました。合格をもらうまで
には三度の書き直しが必要
でした。
やっとの思いで講師役を
久 保 俊 弘
時:2 月 6 日(日)9 時
設置された指宿教会の信徒席
師を育てることになりまし
たが、これは本当に素晴ら
しい体験でした。
一昨年、教区本部会議室
でメキシコとブラジルから
講 師 を 招 い て﹁ 宣 教 学 校 ﹂
という黙想会を開催しまし
た。掛け図や小道具を駆使
してイエスを体験しよう
というもので、これは日本
でも実施するべきと促され
取り組んだものです。そし
て、二回目は自分たちの力
で や っ て み よ う と 決 意 し、
昨年六月に実現させまし
た。今年もこの宣教学校は
五月の二日から四日まで行
う予定です。口下手だった
私が、講師を務め、そして
錬成長を体験し、そして宣
教学校を開催するようにな
る 。
―これこそ﹁やればで
きる﹂ことの証だと思って
います。
日
やれば、できる!
終身助祭
終えると、次に私を襲って
き た の は﹁ 次 回 は 錬 成 長 ﹂
という災難でした。その折
りにも﹁できません﹂と固
辞 し ま し た が、
﹁神様が助
けてくださる﹂と言いくる
められ引き受けることにな
りました。そして七年ほど、
担当の神父様と一緒に錬成
会のプログラムを組み、講
祭壇奉仕者選任式
でした。そんな錬成会の締
めくくりの食事では、参加
者全員が苦しみを乗り越え
てきたことが分かり、涙が
流れるのを抑えることがで
きませんでした。
翌年になると今度は私
が錬成会の講師をするよう
請われました。口下手な私
シリーズ⑲
は﹁とても務まらない﹂と
断 り ま し た が、
﹁信じる者
は何でもできる﹂を引き合
いに出され、引き受けさせ
られたのです。与えられた
テーマは﹁指導者﹂でした。
話すことを原稿書きにして
提出するよう命じられ、試
行錯誤しました。指導者と
して頭に浮かんだのは、織
教区の韓国人神学生
愛光園 春山マリ子
人の世の哀しみさらに深くして心新たに
神に祈ろう
霧島市 市来 房枝
ミサあげる神父さまの手の動きお茶の作
法によく似てゐたり
教会の庭に枯葉の吹き溜りユーカリの木
頴娃から転勤して谷山に
住み、早速レジオ・マリエ
に入りました。数年経った
頃、兄・大野和夫神父から
﹁信徒錬成会︵クルシリヨ︶
をやるが出てみないか﹂と
言われました。三日間もあ
ると聞き、尻込みして最初
は断りましたが、二度目の
誘いには心動かされ参加す
ることにしました。
錬成会は、朝の祈りに始
まりミサ、その後十回もの
講 話 が あ り ま し た。 驚 き
だったのは講師を務めるの
が全員信徒だったこともで
すが、分刻みのプログラム
にもビックリしました。期
間中、腕時計は外され、講
話の後はそれについての分
かち合い、そして参加者た
ちが三つに分かれて演じる
ク ル シ リ ヨ 劇 場 な ど な ど、
居眠りする間もありません
みことば
(4)
2011 年(平成 23 年)2 月 1 日(毎月 1 日発行)�
第 533 号�(昭和 43 年 10 月 25 日第三種郵便物認可)
被選者