青山学院大学総合研究所理工学研究センター 理工学部新任教員就任特集号 1999年7月21日 青山学院大学総合研究所 Research Institute of Aoyama Gakuin University 理工学研究センターニュース1999.7.21 VOL. 1999.7.21 VOL.71 CENTER FOR SCIENCE AND ENGINEERING RESEARCH はじめまして 全学共通科目(生物学) 降旗 千恵 厚木キャンパスへの引っ越しは桜(染め井吉 学会でも見たことがなかった。また居室も教室も 野)に迎えられ、初講義は八重桜と鴬のさえずり 掃除が行き届き、もう20年近く経ったとは思え とウイスレー・チャペルの鐘と多くの新入生に迎 ない美しさで、建物や設備も資産として大切に維 えられた。そのうち並木道の欅が芽吹き今では繁 持されていることが伝わってくる。事務局の方々 ってその木陰道が涼しく、さつきが咲き、梅雨に もとても人間味豊で親切だ。 入って紫陽花の季節に変わり、夏休みも間近にな 前の大学では就任も辞任もそっけない紙切れ り、若い学生達のノースリーブ姿がまぶしく感じ 一枚が届けられただけだった。それに象徴されて られるこの頃だ。厚木キャンパスは日本の大学と いるように、教官が大切にされていると感じたこ しては群をぬいた美しさと夢とを持ち、周囲を見 とはなかった。事務局は教官を助けてはいたのだ 渡せば丹沢に連なる稜線が見られて自然環境に ろうが文部省の規則に沿って管理するという感 も恵まれたキャンパスで、厚木へ通うのは楽しみ じで、一昔前に区役所や市役所へ届けを出しに行 だ。 った時感じたのと同じ感じだ。近頃はやっと掃除 大学院生時代にイギリスのケンブリッジ大学 の人を雇い始めたが、以前は建物だけ建てっぱな へ短期間留学したのを除けば、学生時代から数え しで掃除や手入れには手がまわらないようだっ ると38年間も東京大学で過ごしてきた私には た。 青山学院大学との出会いは新鮮だ。 この大学に来てケンブリッジ大学のことをよ まず第一にこの大学の教官は大切にされてい く思い出す。私にとっては夢の世界だ。教官も学 ると感じた。4月1日の就任式は学院の理事長・ 生もとても大切にされていた。ケンブリッジは大 院長列席のもとに学院本部のチャペルで行われ、 学 を 中 心 に し た 街 だ 。 私 は Department of 礼拝の後、理事長ご自身から直接辞令を手渡され、 Biochemistry で研究したのだが、Department に この学院に尽くさねばと深く感じた。理事の方々 は年輩の身ぎれいでやさしい表情のセクレタリ の愛校心の強さも伝わってきた。また厚木キャン ーの女性達がいて学生にも親切にしてくれた。イ パスでは、講義準備室や講師控え室にはセンスの ギリス名物のお茶の時間があって、Department よい秘書の方達がいて、細やかに色々と助けてく には tea room が1室とってあって、毎日午前1 ださるし、言葉を交わすことによって疲れも癒さ 1時と午後4時に、15分間位だったと思うが、 れる。教授室にお茶を届けてくださる女性には心 教官と大学院生、研究生が集ってお茶を飲んで話 がなごむ。講義に使う教材提示装置も優れ物で、 した。お茶係りの年輩の婦人が2人で世話をして 本のカラー頁を直接拡大してスクリーンに写し いた。ビスケットなども売っていた。ここ で て見せられるのがすばらしく、著作権をもクリア Department に所属する世界的に有名な先生達と できる。今までこんな優れた設備は他の大学でも も話す機会があった。私の師事した先生は大学か 1 青山学院大学総合研究所理工学研究センター 理工学部新任教員就任特集号 1999年7月21日 ら車で5分位の場所に自宅があって、自宅で学生 た。どの分野の学生も地球人の基礎的「文化」と 達と教官達との懇話会を開くといつも呼んでく しての「生物学」を修得して、自分達の社会が「21 ださった。ワインとチーズとおつまみだけの簡単 世紀の生物学」の成果をどのように選択して取り な会だ。飲むのが目的でなく話すのが目的の会だ。 入れて行くかを、また、自然界の現状を科学的に 皆会話が旨く、よそ者の私も自然につりこまれて 確かな視点から考察して見直しを提言していけ 話の輪に入ることができてイギリス人と大学と る人を育てることを目指していく。 を知ることができた。 講義に出席する学生は、なかには熱心な学生も さて、私の主たる任務である生物学の講義につ いるが、全体としては必ずしも熱心とは言えない。 いて、どんな方針で講義をしたいか述べたい。今 何とかしてあの学生達の好奇心を呼び覚まして ほど「生物学」の研究成果が世の中を動かすよう 講義に聞き入らせるようだんだんに工夫してい になったことは無い。1950 年代にケンブリッジ きたい。理工学部のマスターの大学院生2人に 大学のキャベンデイッシュ研究所にいたワトソ teaching assistant を務めてもらっているが、 ンとクリックが DNA の二重らせん構造を発見し 真面目で爽やかで高く評価しており、これからに て以来この 50 年間に生物学、特に遺伝子の生物 期待をもてる。 学、は爆発的に発展した。21世紀は「生物学の 終わりに私の研究について紹介したい。今まで、 世紀」とまで言われているほどだ。今進行中の「ヒ 生物の色々な現象を興味深く研究して来た。生物 トゲノム計画」によって人の持つ遺伝子が全て明 の本質は「遺伝子(DNA)」にありという結論に行 らかにされようとしている。病気の診断や治療に き着いて、今は「遺伝子」という切り口から研究 も「遺伝子診断・遺伝子治療」が始まっている。 している。実際には、日本人に多い「胃がん」の さらに臓器移植、試験管ベービー、クローン羊な 発がんのメカニズムを研究している。ラットの胃 どと、人が「命」を操作しようとしている。 「命」 発がんには1年位かかり、胃がんになり易いラッ は太古から地球の歴史とともに育まれてきた「人 ト株となり難いラット株がいることが前から知 の意思を超えた存在」として尊ばれてきた。最近 られていたのだが、これが免疫力の差によるもの の流れは、本当によい方向なのだろうか、どうし であることを見出したのが最近の研究成果だ。も たら「命の尊厳」を損なわない方向へ向っていけ う少し詳しく説明すると、differential display るのだろうか。このことを、若い世代の人達と一 法という最新の方法を用いて発現量の増加する 緒に真剣に考えていきたい。他方人工化学物質に 遺伝子を釣った。その遺伝子を発現している胃粘 よる地球規模の汚染は深刻で、例えば PCB(ポリ 膜の細胞を探したところ、発がん物質曝露2週間 塩化ビフェニル)は北極に棲息している北極熊に 後には胃粘膜の間質に正常では少ない免疫系の まで広く汚染が忍び寄ってきていて、種の保存を 樹状細胞が多数出現することを初めて見出した。 危うくするかもしれないのだが、そのことにごく この数が胃がんになり難いラット株で何倍も多 最近まで人間は気付いていなかった。ダイオキシ かった。このことが発がん防御に関与しているこ ンによる汚染も然り。また地球環境の破壊も深刻 とを示唆した。以前の研究としては、最近になっ になってきていて、酸性雨による森林の破壊、炭 て保健衛生行政の健康診査事業の中で胃がんの 酸ガスの温室効果による気温の上昇、オゾン層破 スクリーニングに使われ始めた血清ペプシノー 壊による宇宙の放射線の影響などによって、地球 ゲン法の基礎研究がある。研究開始 20 年にして 上に現存の生物が生きていけなくなるような環 実用化された。これから differential display 境の変化を招く可能性も指摘されるようになっ 法を用いて老化モデルマウスについて「老化によ 2 青山学院大学総合研究所理工学研究センター 理工学部新任教員就任特集号 1999年7月21日 る脳の細胞の変化」の研究を始めるところだ。 教 育 雑 感 物理学科 久保 健 これは理工学研究センターニュースに載る文 学科・転学部をもっと自由にするという事です。 章なので、自分の研究について書くのが本来の趣 もともと高校生の時に大学の専門を決めてしま 旨なのでしょう。しかし、専門ちがいの研究の話 うことには、かなり無理があり、大学に入ってか で面白い文章に出会うのは希有の事である事は ら「しまった。」と思う学生も多いのではないで 皆さんよく御承知の事でしょう。そこで、大学に しょうか。私の前任校では自然科学系の4専攻共 勤める人間すべてにとって、最も重要な問題であ 通の入学試験を行い、一年生では専攻に分かれず る教育について最近考えている事を書いてみた 2年生から専攻に分かれるシステムになってい いと思います。 ましたが、これはかなりうまく機能していたと思 私はこの4月に前任校から世田谷キャンパス います。4専攻の人数は年によってかなり出入り に移ってきました。そして早速卒業研究の学生の があり、私の関係していた物理では少ないときは 指導をしています。私は物性理論専攻なので、学 50人台多いときは90人近くになりました。基 生と統計力学の輪講をしているのですが、熱放射 本的に希望に沿って専攻配属を決めていますが、 の話が出てきたので学生諸君に3度 K 輻射の話 面白いものでどこかの専攻が一方的に膨張ある をしたところ、7人の学生の内誰もその事を知り いは縮小してしまうということは今のところ起 ませんでした。多分授業では宇宙論は教えていな っていません。理工学部でも20%ぐらいの転学 いのでしょうが、物理学科の4年生なら半数以上 科を認めることができれば、志望を間違えたと考 の学生が物理に関する通俗本に載っているよう えている学生には救いになるのではないかと思 な事は知っているものと私は考えていたので正 います。 直なところびっくりしました。その後、2年生と もちろんその前に学生達に面白い分かる授業 の懇親会があり、そこで数人の学生になぜ物理学 をして勉学意欲を持たせることが重要なわけで 科に入学したのかをたずねたところ、本当に物理 すが、鉄は熱い内に打てという言葉もあるように、 が勉強したくて入学してきた学生は少数派であ 入学したての1年生に大学における勉強の仕方 ることがわかりました。彼等の内で真面目に勉強 とその面白さを知らせることが、大学教育では最 している学生もいるのですが、何割かは物理には も重要では無いかと私は常日頃から考えていま 興味が無くただ卒業できればよいと考えている す。その点で一年生が離れた厚木キャンパスにい ようです。3年生に対して行っている授業からも、 ることは、学生が質問したくても先生は授業のあ 勉学意欲の余り無い学生が少なからずいること る日しかいない等、デメリットが大きいのでは無 が分かります。このような学生達に何を学んでも いかと思います。私も後期からは厚木に教えに行 らって卒業してもらえば良いのか、悩んでいると くので、1年生に物理の面白さが伝えられるよう ころです。 微力を尽したいと考えています。 一つの改善策として考えられるのは、学生の転 3 移って来たばかりで不正確な知識に基づいて 青山学院大学総合研究所理工学研究センター 理工学部新任教員就任特集号 1999年7月21日 勝手なことを書いてしまったかもしれません。皆 様からの御教示をお待ちしております。 手作りスパコン ARK 物理学科 羽田野 直道 私はこの4月より物理学科に助教授として着 真3で立っている二人の右が中田助手です。 任いたしました。新任教員は特別の予算を配分し さて次にこのプロジェクトの意義を説明しま て頂けるので、それを利用して始めた新しいプロ す。Aoyama+計画の目的は新世代のスーパーコン ジェクトの紹介を致します。それは多数のパソコ ピューターを他に先駆けて自作するというもの ンを高速のネットワークで繋げて超並列スーパ です。ほんの数年前に「スーパーコンピューター」 ーコンピューターを自作してしまおうという計 と言えばベクトル計算機を指していました。 画です。題して Aoyama+です。「青山プラス」と ベクトル計算機は「パイプライン処理」と呼ば 読ませて「Aoyama PC Cluster 計画」のつもりで れる方法によって非常に高速化された CPU す。同じ物理学科の久保教授・古川 (一つだけ)備えた計算機です。ところがこのよ 助教授・中田助手と共同で、計画が着々と進行し うな CPU をより高速化するためには膨大な開発 ています。 費が必要となりました。そこで登場したのが並列 昨年度から試作機 xian を作っていましたが、 計算機です。並列計算機とは大規模な計算を多く 今年度に入っていよいよ真打ちのシステム ARK の CPU に分担させることで処理速度を向上しよ が動き始める運びとなり、非常に興奮しています。 うとするものです。従って理想的な場合には値段 構成は図1のようになっています。この図で右側 (CPU 数)と計算速度が線形に比例し、どこかの に並んでいるのが自作パソコン69台を表して 時点で並列機のコスト・パフォーマンスがベクト います。写真1をご覧下さい。1号館1528号 ル機のそれを超えることになります。 室を半分に仕切ったスペースにワイヤーシェル そして、まさに今がその時期と言えるでしょう。 フ4つを入れ、そこに69台のパソコン、ハブ、 日本のメーカーのスーパーコンピューターは今 モニターを収納しています。1台のパソコンには でも「ベクトル並列計算機」(ベクトル処理ので 2つずつ CPU が搭載されていて、これが ARK(ノ きる CPU を複数備えたもの)が主流ですが、アメ アの方舟)の名の由来です。1台が外部からログ リカでは既に完全並列計算機一辺倒になってい インするためのゲートウェイ兼ファイルサーバ ます。ワークステーションやパソコン用に開発し ーnoah、4台がブートサーバー arkwright1 た CPU をそのまま流用できるので、開発コスト 4 を で、残りの64台が実際の大型計算を担当します。 を抑制できるからです。日本でも将来的には完全 経費節減と学生教育を兼ねて、全てのパソコン 並列計算機に移行せざるを得ないでしょう。 はケース・マザーボード・CPU・メモリーなどを Aoyama+計画はこのような新たな流れを先取 バラで購入して学生たちと一緒に組み立てまし りしようというばかりでなく、これまでメーカー た。彼らに敬意を表して写真を載せます。写真2 から買うのが常識であったスーパーコンピュー の背景に写っているのが組み立て前の CPU やマ ターを素人が自作するという点にも大きな意義 ザーボードです。写真3の背景が外箱の入ってき があります。特に近年は市販のパソコン用の CPU たダンボール箱群です。大規模さを感じ取ってい の性能改善、メモリー価格の低下に加え、OS と ただけるでしょうか。なお、写真2の左端が久保 して LINUX、コンパイラーとして gcc や g77 な 教授、後列右端が筆者、その隣が古川助教授、写 どのフリー・ソフトウェアが次々に登場し、一台 4 青山学院大学総合研究所理工学研究センター 理工学部新任教員就任特集号 1999年7月21日 あたりの値段を低く押さえることができるよう 3年前のスーパーコンピューターと同等のメモ になりました。今回のシステムはハブやディスク リー量です。研究室レベルでこれだけのことがで を全て含めて1300万円ほどかかりましたが、 きてしまう時代になったわけです。 1CPU あたりでは10万円以下になっています。 似たようなシステムは既にアメリカに幾つか 実際の計算の並列化は PVM や MPI といったソ 存在しますが、市場に広くある Pentium プロセッ フトウェアによって実現します。これらは各 CPU サー搭載のパソコンを使い、しかもそれを自作し 間で必要なデータのやりとりを、イーサーネット たというのは世界的にも稀有と自負しています。 を介して行ってくれるフリー・ソフトウェアです。 これから外部にも積極的に宣伝していこうと考 残念ながらこの原稿締め切り時点で ARK は完全 えています。興味がおありの方は是非、内線31 稼動していないのですが、計算速度としては10 07か [email protected] までご連絡下 GFLOPS 程度を目論でいます。これは1990年 さ い 。 ま た ホ ー ム ペ ー ジ を 代初頭の(ウン十億円した)スーパーコンピュー http://www.phys.aoyama.ac.jp/ aoyama+ に 開 ターと同じ性能です。メモリーは各パソコンに2 設しました。こちらもご鑑賞下さい。 56MB なので64台で16GB です。これは2・ あの本、この本、現在の道を選択した 次号より新コーナーを開設します。 「この道の選択を決めた書物との きっかけともなった数々の書物の中から 選んでご紹介下さい。 出会い」 (仮題) (仮題)で、何人かの方に毎 題) 回執筆をお願いします。 原稿は約500字程度、詳細は理工学 研究センター事務室(内線2604)ま 教職員・学生の 教職員・学生の皆さんの原稿をお待ちし ・学生の皆さんの原稿をお待ちし で。 ています! (図・写真は6頁に掲載) 5 青山学院大学総合研究所理工学研究センター 理工学部新任教員就任特集号 1999年7月21日 図1:大型並列計算機 ARK の構成。 写真1:1528号室に設置された ARK。 背景はパソコン・ケースの入っている箱。 発 行:青山学院大学総合研究所理工学研究センター 連絡先:〒157-8572 東京都世田谷区千歳台6−16−1 写真2:後列左から久保教授、納谷、鈴木真吾、饗場、 堀川、古川助教授、筆者。前列左から山崎、田村、小 黒。 背景は Pentium II・マザーボード・メモリーの箱。 編集後記 いささか気の滅入る梅雨も、このニュースが発行さ れる頃には梅雨明けとなっていることでしょう。いよ いよ酷暑の夏がやって来ます。 今号は、本年4月に就任された3名の先生方に原稿 をお願いしました。優れた教員を新たにお迎えして、 一層理工学部が発展することを願っています。 次号は10月初旬に発行の予定です。 (事務室) 写真3:後列左から北原、中田助手。前列左から筆者、 渡邊高広、及川、鈴木一朗、田村、櫃田、下村。 6 青山学院大学総合研究所 理工学研究センター事務室 ℡ 03−5384−1111(内線2604) [email protected]
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