編纂:’10.9.25 渡邊 第一次世界大戦がもたらした変革 ◆勝敗の決め手 (イギリス と ドイツ の違い) 第一次世界大戦は、国家を挙げて双方が死力を尽す 戦いだった。政治・経済・文化・社会すべての国家エネル ギーを動員する「総力戦体制」が必要だ。第一次世界大 戦の勝敗は、総力戦の体制作りが決め手になった。 結論は、イギリスが上手に国家総力戦体制を作ったのに 対し、ドイツは体制作りを失敗している。 【植民地帝国の戦い】:ヨーロッパの有力国家は、世界中を支配下 に置く植民地帝国だった。世界各地の植民地を巻き込んだ戦い を「世界大戦」と呼ぶ由来である。イギリスは、インド,アフリカ,自 治領のカナダ・オーストラリア・ニュージーランドなど大英帝国を 支える兵力を戦線に投入できた。ところがドイツは、植民地が分 散し、有力な植民地がなく、兵力を戦線動員に失敗した。 [ ドイツ植民地帝国 ] 【アメリカの取込み】:外交でもドイツは失敗した。ヨーロッパ諸国 同士の戦いは、戦力が拮抗し、戦線が膠着した。そこで、アメリカ を味方にするかが、勝敗を決した。結論は、イギリスがアメリカを味方にし、ドイツが失敗し、中立の立場に留 めることもできなかった。強大兵力のアメリカが、イギリス側の勝利に大きく貢献した。 総力戦を戦い抜く、体制整備・植民地の資源・労働力の動員、アメリカ他の世界を味方に付けるかが、勝敗を 決める要素になった。 全ての面で優位だったのが、イギリス側の連合国である。 ◆ 国家総力戦とはなにか? これまでの戦争と、国家総力戦の大きな違いを、具体的に示す。 【第1ポイント】:戦場が大きく変貌し「近代戦」になった。 地上戦は、日露戦争に使われたトーチカ・鉄条網・ 機関銃を突破するタンク(戦車)が出現、鉄条網を破り塹壕を乗り越える兵器が出現した。飛行船(気球)、飛行 機を用いた空中戦が始まった。海戦には潜水艦が加わる。これまでの陸海の平面(二次元)戦争が、空と海中 を含めた三次元の戦いに変わった。近代兵器の量、即ち国の産業カが勝敗を左右するようになった。 【第2のポイント】: 近代戦の発達で戦線と銃後の境界がなくなった。これまでは軍人だけの戦争で、一般人 は日常生活を送っていた。出征兵士を送ったあと、一般人が暮らす村は基本的に平和だったが、近代戦で は平和な村に敵の爆撃機が飛来する。こんな状況では、国が戦争の意義を示し、国民が目的意識を持たな いと耐えられない。思想、プロパガンダが重要になり、政治・経済・文化・社会すべてを動員して戦わないと、 総力戦には勝つことができない。 【第3ポイント】: 企業家と労働者を戦争に動員する必要重になった。住居を移動しない農民の動員は比較 的容易で、思想的にも国家と対立しない。しかし、戦車や飛行機が登場する近代戦では、農民の戦力的な 価値が下がった。企業家の目的は儲けることで、戦争に消極的。日本でも企業家の戦争動員に苦労した。 近代戦の兵士は科学・機械の知識を有し、飛行機・タンク・輸送車の運転技能を持った労働者が必要にな る。同時に武器の生産力も重要になる。 ◆ 労働組合の協力 総力戦では、企業組織と労働組合が全国的に組織され、戦争に協力する条件整備が、重要になる。 イギリスの労働組合は単一化した組織が全国ネットワークを成し、少数の有力な兵器会社が中小企業をまと め巨大な武器企業を組織した。そのため上手に戦争計画を推進できた。一方、ドイツは、複数の国が一緒 になったので、ローカルな中小企業が多く、まとめるのに時間がかかり、組繊連携ができなかった。労働組合 も、地域組合が乱立して全国組織がなく混乱状況に陥り、戦争が始まると、産業が破綻してしまった。国家 総力戦は、長期間の持久戦争になる。しかし、ドイツは短期決戦戦争と考え、全ての戦力を前線に配置し銃 後の産業力が極端に弱体化、混乱してしまった。 1 ◆ 第一次世界大戦がもたらしたマイナス変革 第一次世界大戦でヨーロッパ諸国は、勝敗に関わりなく、二つのマイナスを背負うことになった。 【その1】: 動員された植民地で独立の気運が生まれた。植民地各国は、主権要求の代償に戦争に参加した。 当然の結果、大戦後に民族自決、独立問題がヨーロッパ、アジア、中近東の広範な地域で広がった。 【その2】: 世界経済の構造変化。大戦前は、世界の工場はヨーロッパだった。しかし、ヨーロッパの工場が、 総力戦で崩壊してしまい、新たな世界の工場になったのが、アメリカ、日本である。両国は、急速に工業化を 果し、今までヨーロッパが輸出していたものをアメリカ、日本が生産・輸出するようになった。アメリカはこれを 機に世界の指導国的な地位を確立した。世界最大の覇権国家も、イギリスからアメリカへと交替し、同時に 日本も国際的な地位を上昇させた。 ◆日本国内の状況: 第一次世界大戦の恩恵を受け、日本は大国化し「一等国意識」が芽生えた。明治以降、常に赤字だった 貿易収支が、第一次世界大戦中に初めて黒字になり、四年間も継続した。溜め込んだ外貨の用途に悩み、 結果的にはシベリア出兵や中国への投資ですべて失うことになる。いずれにしてもこの時期に、日本財政 は豊かになり、好景気のなかで賃金や物価が上がり、労働運動が本格化した。 【軍事力の分析】: 第一次世界大戦終了後、新しい戦争思想が生まれた。日本の軍人の中にも、ヨーロッパ の新しい戦争の方法を学び、やがて来るだろう次の国家総力戦に備える必要を説く人々がでてきた。日本 から多くの軍人が第一次世界大戦の実態を視察していた。 小磯国昭、永田鉄山、石原莞爾 … ・日露戦争: ・第一次世界大戦: 面的(地上・海上)な戦い 短期決戦 二国間の争い 軍人による戦争 砲台 トーチカ 要塞 鉄条網 機関銃 銃剣 戦艦 砲弾発射量(奉天会戦) 22万発/日本 10万発/ロシア 立体的(陸海空)な戦い 国家総力戦・持久戦 複数国の戦い 国民総動員 戦車(タンク) 自動車 爆撃機 高射砲 魚雷艇 砲弾発射量(独仏会戦)2千万発/両軍 (ソンム会戦)2千4百万発/仏 【軍需産業の発達】:近代戦では膨大な砲弾が必要になり、陸海空に新兵器が投入された。膨大な戦争規模 に備えうる産業力の拡充が必須である。その決め手が、鉄の生産量で、八幡製鉄など国策で建設された。 今までは鉄の使い道といえば軍艦と大砲ぐらいでしたが、第一次世界大戦以降はタンク (戦車)、自動車、 さらに今まで以上に巨大な軍艦など、鉄の使用量が膨大なものになっていきます。 永田鉄山は軍事・政治・緯済・思想などの動員のタイプをいくつかに分けて、そのために必要な法令を詳 細に調べました。さらに小磯国昭は鉄を確保するために日本と大陸をつながなくてはいけないと提言しまし た。そして、大胆にも対馬海峡に海底トンネルを掘ってつなげる考えを発表しています。空襲されることなく 大陸の鉄を持ってくる方法を考えたわけです。このようにさまざまな案が一部の軍人からでてきます。 【誤った戦法の判断】:日本国民の意識、多くの軍人の意識は、日清・日露のままだった。日本も第一次世界 大戦に参戦したが、イギリス側についてアジアのドイツ植民地を攻略しただけで、主戦場の経験がない。 第一次世界大戦で、数百万の戦死者、不衛生で数百万人が病死する総力戦の悲惨さを理解できなかった。 むしろ、第一次世界大戦は戦中・後とも戦勝国として好景気で、戦争は儲かるとの認識を持ってしまった。 国民的な体験から、日本は時代に逆行して、日清・日露戦争を絶対化していった。ヨーロッパ諸国やアメリカ が第一次世界大戦で体験したものを日本が体験するのは、時すでに遅く、第二次世界大戦のときだった。 総力戦の先取りだった日露戦争から延長して、近代戦の姿を考えることができれば、日本の針路は大きく 変っていたかもしれない。 2
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