1962年御降誕祭 連続講話① 勝利へと 今日、皆さんは、神の御名について、そして、バクティ〔信愛〕の絶対的な必要性に ついて、それから、神の恩寵の遍在性についての、素晴らしい講演を聴きました。これ ら三つに関する限り、誰が何を語ろうと、どう解説しようと、それらはその人自身の体 験であり、学識や技術ではありません。神の御名は、プラフラーダのような、ひたむき な魂の持ち主が口にするとき、どこであれ本人が神を見ている場所に神を連れてきま す! 神の御名は、救い、解脱させます! 神の御名は、慢心と自己憐憫の猛攻撃に対抗する 鎧です。体系的な方法でジャパ〔唱名〕を始めて、その御名が描写している御姿にあな たの内なる目が定まると、あなたは、様々な障害物、あなたを不安にさせる思考や誘惑 に出会うでしょう。それらは無視し、迂回して、軽く扱いなさい。自分の習慣を正し、 自分に定められている戒律を固守し、自分の中の管理体制を改善しなさい。善き仲間、 神聖な仲間と、もっと交わりなさい。手に負えない雄牛は、ロープにつながれて人に飼 われ、鼻に穴を開けられて鼻輪をされなけばいけません。軛(くびき)を掛けられ、重 い荷車を引く訓練をされ、おとなしく主人の言うことを聞く召し使いにならなければい けません。 六つの情念を敵として非難し、徹底的にそれらを追い払うようアドバイスする人たち がいます。しかし、私は、それらを従順な召し使い、あなたの目的の役に立つものとし て、あなたの中にとっておくようアドバイスします。嫌悪しなさい! 神の御名を馬鹿に して、「そんなものは中身も意味もないただの音だ」とあなたに言う人たちを。彼らを ずっと避け続けるほど、おおいに彼らを嫌悪しなさい! 執着は、あなたのハートを神に 固定させることができます。自然界の愛らしいものすべてに反映されている神の御姿の 美しさに圧倒されなさい。 シャーストラは生き物すべてを拘束している 欲望(カーマ)は、邪悪ではありません。なぜなら、欲望は人間の尽力(プルシャー ルタ/人生の四つの目標)の目標の一つとしての地位を与えられているからです。欲望 を募らせなさい。しかし、それは、物質的なもの、はかないものへの欲望を募らせると いうことではありません。不死不滅になりたいという欲望、そして、そのための手段と してシャーストラ〔法を説いている経典〕への信心をしっかりと育てたいという欲望を、 募らせなさい。「シャーストラはすべての人々を拘束している」とガナパティ・シャース トリ〔先の講演者〕は述べました。私はさらに一歩進んで、「シャーストラはすべての生 1962 年 11 月 21 日のババの御講話 1 サティヤ サイ出版協会 き物を拘束している、シャーストラは聖なる知識であり識別力である」とさえ言いま しょう。シャーストラが土台になければ、私たちはラーマがヴァーリ〔猿王スグリー ヴァの邪悪な兄〕を殺したことをどう説明できるでしょう? ヴァーリはラーマの行動 〔ラーマがヴァーリ対スグリーヴァの戦いに加勢して木の影に隠れてヴァーリに矢を 放ったこと〕の是非を論じました。ヴァーリはラーマに、ダルマの原理原則を守ってほ しいと訴えました。ラーマは数々のアダルマ(非正義)を行っている、とヴァーリは非 難しました。その一方で、ヴァーリは自分が非難されると、シャーストラが拘束してい るのは人間だけであり、自分は猿だから免除されると主張しました。両方を取ることは できません。是非を識別し、ダルマの原理原則の土台について尊大に論じるときも、あ なた方は、戒律を敷いているシャーストラに拘束されます。 徳の道を厳格に固守し、望みに執心すれば、あなたはパラマハムサ(最高位の修行者 /パラマハンサ)となることができます。たとえあなたが、今、駆け出しでも、あるい は、無信仰であっても! しばしば、ただチャンスをつかむだけで、しっかりと自分を向上できることもありま す。ある人が、お腹の痛みを治してもらおうと、私のところに来ました。それ以来、そ の人は、ここと、ここの環境と、オームカーラとバジャンと大いなる平安(プラシャー ンティ)が好きになり、私を見て、私が動き回る様子や、私の言葉と行いを観察しまし た。しばらくすると、彼は自分をここに来させた痛みのことはすっかり忘れて、家に写 真やバジャンブックを持ち帰り、新たな痛みを募らせました。それは、大いなる平安 (プラシャーンティ)を求める痛み、神を見ること(ダルシャン)、神に触れること(ス パルシャン)、神と話すこと(サンバーシャン)を求める痛み、ジャパ、瞑想、サーク シャートカーラ〔神我の悟り〕を求める痛みでした。 もちろん、私は決して真理〔サティヤ/真実〕から逸れません。私は真理に寄りか かっているために、サティヤ サーイー〔サイ ババの「サイ」はサンスクリット語で 「サーイー」と発音する〕と呼ばれているのです。「サーイー」は、「寄りかかる」とい う意味です。この名前がいかにふさわしいかを、私は皆さんに保証しましょう。私の教 えに従いそこなった人、私が敷いた道から逸れた人だけが、私が目の前に差し出したも のを受け取りそこないます。私の教えに従い、私の軍隊の兵士になりなさい。私はあな た方を勝利へと導きます。誰かが本気で「主なる神はどこで見つかりますか?」とあな たに尋ねてきたら、はぐらかしてはなりません。あなたのハートからあなたの口へと上 がってくる答えを告げなさい。その人に道を教えなさい。彼〔主なる神〕は、ここ、プ ラシャーンティ ニラヤムにいます、と。 1962 年 11 月 21 日 プラシャーンティ ニラヤムにて Sathya Sai Speaks Vol.2 C47 1962 年 11 月 21 日のババの御講話 2 サティヤ サイ出版協会
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