Title シンガポールにおける芸術教育の系譜 -1959年「美術と工芸」シラバス に基づいて- Author(s) 佐々木, 宰 Citation 釧路論集 : 北海道教育大学釧路校研究紀要, 第46号: 195-204 Issue Date 2014-12 URL http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/7750 Rights Hokkaido University of Education 釧路論集 −北海道教育大学釧路校研究紀要−第46号(平成26年度) Kushiro Ronshu, - Journal of Hokkaido University of Education at Kushiro - No.46(2014):195-204 シンガポールにおける芸術教育の系譜 −1959年「美術と工芸」シラバスに基づいて− 佐々木 宰 北海道教育大学釧路校美術教育講座 A Genealogical Study on Art Education in Singapore -Based on the Syllabus of Art and Crafts in 1959Tsukasa SASAKI Department of Art Education, Kushiro Campus, Hokkaido University of Education 要 旨 シンガポールでは、1956年の全党委員会報告と教育政策白書を端緒に、マレー語、英語、中国語、タミル語系それぞれ に行われてきた学校教育を管理するための教育改革が進められた。各言語系学校に適用する統一シラバスの編成も開始さ れ、美術教育では1959年に「美術と工芸」シラバスが刊行された。その指導内容は西洋美術に基づく当時の標準的な内容 であり、統一的な美術教育の内容設定にあたって伝統的な美術文化よりも中立性が意識された可能性が示唆された。 容にすると同時に、西洋美術を基盤とした世界標準として はじめに の美術の内容を取り入れているのである。しかし、1990年 シンガポールは1965年にマレーシアから分離独立した都 代末からこうした特徴は希薄になり、民族を超えたシンガ 市国家である。天然資源を持たない狭小な国土、中国系・ ポール人としてのアイデンティティを優先するような教育 マレー系・インド系住民からなる複合的な社会背景を持ち 内容に変わりつつある。 ながら、1959年に政権をとった人民行動党を率いるリー・ 1990年代から今日に至るシンガポールの美術教育の変遷 クアンユーの強力な指導体制の下で、飛躍的な発展を遂げ については、佐々木・福田らが報告してきたが1)、それ以 た。 前の実態についてはほとんど報告されていない。独立前後 今日のシンガポールの教育は、ストリーミングと呼ばれ から1980年代に至る美術教育の変遷過程が明らかになれ る複線型の学校教育制度や二言語教育によって特徴づけら ば、プラグマティズムを志向するシンガポールの教育にお れている。制度の変遷には曲折があったが、独立以来のシ いて、芸術教育がどのように位置づけられてきたのか、ま ンガポールの教育は、限られた人的資源を効率的に開発し た芸術教育にどのような役割が与えられてきたのかを知る て配分する社会的なシステムとして強く意識されてきた。 ことができる。 また、よく知られている二言語教育政策は、民族のアイデ 本稿では、シンガポールにおける最初の共通美術シラバ ンティティ保持のための民族母語とともに共通言語である スと考えられる1959年のシラバスの内容と当時の教育政策 英語を習得させ、多民族による複合社会における国民統合 を確認することによって、学校教育制度の整備期における 策として機能してきたといえる。 美術教育の位置づけがどのようなものであったかを考察す 美術教育に関しては、初等学校(Primary School)と る。 中等学校(Secondary School)において普通教育として「美 術(Art)」が実施されている。その教育目的や内容は、わ が国の学習指導要領に相当する「シラバス」に示されてお 1.1950年代末までのシンガポールの歴史と教 育の変遷 り、具体的な題材は教科書によって知ることができる。教 科書は1980年代から刊行が開始されており、1980及び1990 シンガポール共和国の誕生は、1965年8月9日に、マ 年代の教科書では、中国系、マレー系、インド系の民族的 レーシア連邦から分離独立することによって成立したも な美術及び工芸文化が教材化されている。それぞれの民族 のであった。もともとマレー半島やシンガポールは、18 の伝統的文化の視覚的表象を、バランスに配慮して教育内 世紀末から19世紀初頭にかけてイギリス東インド会社が − 195 − 佐々木 宰 植民地化していった地域であった。18世紀末にペナン島 な教育の機会が子どもたち、全ての民族の男子にも女子に の割譲、19世紀初頭にはシンガポールの割譲、オランダ も保障されるべきである。第三に、無償の初等教育の基礎 からのマラッカの割譲を受けて、これら3都市は海峡植民 の上に、中等教育、職業教育、高等教育が国の必要に応じ 地(Straits Settlements)とされた。イギリスは海峡植 て置かれるべきである。 」とされた5)。この方針に基づい 民地とは別に、1896年にマレー半島の4州からなるマレー て、6年間の無償の初等教育、民族母語と第3学年からの 連邦州(Federated Malay States)を、さらには1914年 英語教育等、様々な施策が実施された。初等教育は家庭で に5州からなる非マレー連邦州(Un-Federated Malay の使用言語に応じて、中国語、マレー語、タミル語、英語 States)を形成して植民地統治体制を固めた。 系学校別に行われていたが、親に選択権が与えられると、 シンガポールは海峡植民地の首都とされ、イギリスの統 その多くは英語系学校を望むようになった。戦後の就職難 治下で貿易拠点港として都市建設が進められ、そこにマ の中で、公務員への就職には英語能力が求められていた背 レー系、中国系、インド系などの移民が集まって複合社会 景もあった。こうした状況が中国系住民の不満を生み、中 が形成されていった。植民地時代の学校教育はイギリスの 国語系学校が政治化していった。立法議会に置かれた全党 統治上からも必要とされた。植民地政府によるマレー語系 委員会(All-Party Committee)は、1956年に報告書を提 学校、それぞれの地域社会や同族社会集団、宗教系団体が 出して、全ての言語系学校を等しく扱うこと、資金援助を 設立した中国語系学校、タミル語系学校、英語系学校など することなどを勧告した。また、全ての学校に一般的・国 が並立していた。植民地政府はマレー語系及び英語系学校 家的カリキュラムを提供することなども示され、政府によ を支援したが、他の言語系の学校に対して、統治上の障害 る学校の管理が目指された。この当時の学校教育制度は次 2) とならない限り干渉しない態度を取っていた 。 図のようになっていた(図1) 。 第二次世界大戦が勃発し、1941年末に参戦した日本は、 翌1942年2月にシンガポールのイギリス軍を降伏させ、昭 南特別市と改称して1945年8月まで占領統治を続けた。こ の間の学校教育は、日本語の学習に多くの時間が割かれ、 皇居への拝礼と君が代の斉唱といった日本化政策によるも のであった3)。また統治に当たっては、マレー系とインド 系住民を優遇し、中国系住民を厳しく抑圧したため、中国 語系学校は激減している4)。 戦後はイギリスの植民地政府が復帰するが、1946年か らイギリスはマレー連邦州とマレー非連邦州、さらにペ ナ ン と マ ラ ッ カ の 海 峡 植 民 地 を マ ラ ヤ 連 合(Malayan Union)に統合し、シンガポールを直轄植民地として統治 を開始した。スルタンの権限が制限され、すべての住民に 平等な市民権を与えるこの統治に、マレー半島のマレー系 住民が強く抵抗したため、1948年にスルタンとマレー系住 民の地位を認めたマラヤ連邦(Federation of Malaya)を 発足させた。1957年にマラヤ連邦はイギリスからの独立を 果たしている。 他方、シンガポールでは1948年の立法評議会の設置を経 て、1955年に立法議会が認められ、選挙が行われた。これ によって、制限的ではあるが、一定の自治権をもったシン ガポール自治政府が誕生したことになる。1958年には、シ ンガポールはイギリス連邦内自治州となり、外交と国防を 除く内政に関する自治権が与えられた。翌1959年に行われ た総選挙において人民行動党が勝利し、党首であるリー・ 図1 1958年当時のシンガポールの教育制度6) クアンユーが首相に就任した。このリー・クアンユー政権 が、その後のシンガポール国家と社会を建造し、今日のシ ンガポールを導いていったのである。 1959年からは人民行動党政権による新たな教育改革が開 戦後の教育政策は、1947年に策定された10 ヶ年プログ 始され、シンガポール社会の変化と一体化し、社会経済や ラムとして施行されている。その基本方針は、「第一に、 政治的な目標の実現に貢献する教育制度が志向された。こ 教育は自治政府の能力、市民の忠誠心と責任感の理想を育 こにはその後のシンガポールの教育の特徴となるプラグマ 成し、拡張することを目標とすべきである。第二に、平等 ティズムが明確に示されている。同年に策定された5ヵ年 − 196 − シンガポールにおける芸術教育の系譜 計画は、全ての言語系の教育を等しく扱うこと、新自治州 の国語をマレー語とすること、数学・科学・技術科目を重 視することが掲げられた。 なお、シンガポールは1963年に、マラヤ連邦、イギリス 植民地である北ボルネオ、サラワクとともにマレーシア連 邦の結成に参加する。しかし、人種対立や経済格差が深刻 化し、1965年にマレーシア連邦からいわば除名される形で 分離独立していくことになる。1960年代以降のシンガポー ル社会と教育の変遷については、ここでは扱わない。 2.1959年美術教育シラバスの内容構成 1956年に提出された全党委員会の報告書では、前述のよ うに全ての言語系の学校に対して平等に援助することが示 されたほか、公立学校も政府支援学校も等しく扱うこと、 図2 美術工芸シラバス(左が中国語、右が英語版) 初等学校における二言語及び中等学校における三言語教育 の導入などに加え、全ての学校のための共通の教育課程と 1959年シラバスの内容は、美術及び工芸それぞれの目標 シラバスの編成、マレー中心の教科書の使用機会の増加と 等が示されている「はじめに」、学年ごとの指導内容が示 全ての言語への翻訳などが示されていた。 されている「初等学校における美術と工芸のためのシラバ 報告書の勧告内容は、同年4月の教育政策白書において ス」、表現分野別に指導内容が示されている「中等学校に 具体化され、1957年12月の教育令公布を経て実施が進めら おける美術と工芸のためのシラバス」の三部で構成されて れた。学校を登録制にし、全ての言語系の学校の扱いを平 いる(表1)。 等化するとともに、共通内容をもつシラバスの作成とそれ に準拠した教科書の刊行にむけて、総則及び各教科の分科 表1 1959年シラバスの内容構成 会を含むシラバス及び教科書委員会が組織された7)。 美術シラバス このようなシラバス及び教科書作成に関わる動向を踏ま はじめに 工芸シラバス えると、1959年1月に刊行された「美術と工芸(Art and 絵画構成指導のノート Crafts)」シラバス(以下、 「1959年シラバス」と呼称す 初等学校低学年学級 る)は、シンガポールの美術教育における最初の共通シラ バスであると考えられる。教科名は「美術と工芸」(Art and Crafts、美術與工藝)であり、初等及び中等学校で実 初等学校における美 初等学校2及び3 術と工芸のためのシ 初等学校4及び5 ラバス 初等学校6 施されていた。シラバスも、初等及び中等学校における美 鑑賞と批評活動 術工芸の内容を含んだ形となっている。発行者は、教育省 ものの(静物)の絵画 (Ministry of Education)と明記されている。1955年の 植物の絵画 自治政府によって、教育局(Department of Education) 形の素描 は教育省(Ministry of Education)に改組されているの で、全党委員会の報告及び教育政策白書に示された統一的 な教育課程の編成やシラバスの作成は、教育省としての最 中等学校における美 創造的色彩構成 術と工芸のためのシ デザイン:布のプリント ラバス デザイン:レタリングとレイアウト 初のカリキュラム改革であったと推察できる。 デザイン:本の制作 このシラバスはB5判よりもやや幅が狭い大きさの冊子 デザイン:ポスターのデザイン 体として発行されている。英語版以外の言語でもほぼ同じ 美術鑑賞と批評 形態で刊行されており、英語版の総ページ数は31ページあ る(図2)8)。 「はじめに」には、美術シラバス、工芸シラバスそれぞ れについての総論が個別に記載されている。初等学校の美 術教育は「美術と教育」という教科名の通り、美術と工芸 の二つの表現分野を含んでいるが、中等学校の美術教育に は実際には工芸の内容は設定されておらず、美術のみとな るからであろう。 次章以降では、順次このシラバスの内容を取り上げなが ら、当時の美術教育の目標や内容及び指導がどのように構 − 197 − 佐々木 宰 そのような教師の資質については、美術についてのバック 想されていたかを確認していく。 グラウンドを徐々に形成することは必要とされながらも、 3.1959年シラバスにおける「はじめに」の内 容 美術についての優れた能力よりも、高いレベルの興味やそ れを志向する努力が問われている。 興味深いことは、教師の指導のあり方について、「教師 「はじめに(Introduction) 」に含まれる内容は、表1の は題材や学習テーマを(自由に選択させるという陥穽を避 通り「美術シラバス」「工芸シラバス」及び「絵画構成指 けて)学級の興味をひきつけるようなやりかたで導入しな 導のノート」の3項目である。 ければならない」、「絵画の指導を進めながら、教師は個々 「美術シラバス」の項目には美術指導全体に関わる目標 の子どもを支援したり励ましたりするために教室を動き回 が示されているとともに、子どもの表現傾向、学校におけ らなければならない」 、 「指導の終わりには理想的な絵につ る美術の目標や授業の目標、指導のあり方などが記述され いて、簡単なディスカッションの場をもたなければならな ている。例えば、この項目の出だしは「このシラバスの目 い」などの具体的な記述がなされていることである13)。 標は、子どもの個性を刺激し、発展させ豊かにするような 「工芸シラバス」の項目では、 「美術シラバス」の項目と 美術経験を実現する学校の教師を支援することである。教 同じように目標や教師の指導について記述されているもの 師は美術指導の目的を理解し、それに向かって絶えず働か の、極端に簡素化された記述量と内容である。「工芸シラ なければならない。シラバスでは、絵を描くことについて バスの目標は、基礎的な活動として選ばれた工芸を、小学 の自発性と自信を高めることを重視しており、美術におけ 校を通して訓練する計画を示すことである。このシラバス る純粋な技術の向上についてはごくわずかに触れるだけで は、ここに示されたもの以外の工芸について制限的である ある。」というものである9)。専門的な美術表現と、学校 わけではない。しかしながら、示された工芸活動における における美術教育の違いを明確に示し、技術や表現技法に 経験は本質的なものであり、工芸における他の仕事に先立 関する指導よりも、子どもの表現意欲を刺激することが重 つものである」と記述されているように、工芸は初等学校 視されている。 「子どもの美術は、彼らが考え出したり、 にのみ適用されている14)。また、初等学校において美術と 子どもとしての意味をもつ経験の象徴または経験そのもの 工芸は明確な区分はなく、工芸の活動はデザインなどの美 に関わるものである。したがって、子どもの美術は大人の 術につながっているという。したがって、工芸として特別 美術の出来損ないというわけではない。その価値は、子ど な目標等は示されていないが、子どもたちの興味の中心か ものニーズがそうであるように、多様なのである。」とい ら学習を発展させていく「プロジェクトシステム」につい う記述や、 「教師の役割は、美術指導のなかで刺激を与え、 ては触れられている。例えば、陶芸の学習において、工房 励まし、そして本当の経験を提供することであり、それに の訪問や工程に関する試験、構成、絵画、デザイン、粘土 よって美術表現に対する自信が持てるレベルになるのであ 等、多様に展開する学習として紹介されている。 る。 」という記述からも、このシラバスが、いわゆる創造 「絵画構成指導のノート」の項目は、全てのクラスに適 10) 主義的な美術教育観に立っていることが推察できる 。 用できる絵画指導のパターンが示されている。内容を要約 学校における美術の総括的な目標として、シラバスでは すると、次表のようになる。 11) 次の3点が示されている 。 表2 絵画構成指導のノート 材料:新聞紙用紙(12 ∼ 15 インチ)、テンペラ絵の 具またはポスターチューブカラー、パステル、木炭、 パレット又は皿、水入れ、太筆 避けたい材料:ワックスペンシル、クレヨン、硬い鉛 筆、ゴム、定規 教師の準備:シラバスに示されたプログラムの一部と して前段階の学習との関連をふまえて指導を考えるこ と。適切な絵画のテーマを選ぶこと。 美術の表現媒体において、個人的・創造的な表現を励ま し、発展させる。 供すること。 個人的な美術の価値観を発展させ、社会における美術の 準 備 情緒的な緊張が前向きに開放されていくような経験を提 役割に目を向ける。 この総括的な目標に基づいて、実際の授業の目標とし て、以下の3点が示されている12)。 ⒝個人的な色彩感覚を高めること。 理解を発展させること。それによって多様な様式におけ る美術の幅広い鑑賞を導くこと。 こうした目標設定のほかに、教師の心得や指導について 1.教師はトピックを設定する:年齢に応じた子ども の日常の興味や体験に関係していること;周囲の観察 と気づきを刺激すること: 「売店で」 「朝起きて」 「働 く人」 「郵便屋さん」 「表通り」等 指 導 ⒞絵画的な構成やデザイン(平面、曲面の両方)の原理の ⒜絵が明瞭に伝えるものの知的な観察とその記録。 の記述があり、画一的な学習目標の設定を避け、子どもの 多様なニーズや能力を尊重し、子どもを励まし、支援する 役割をもった存在としての教師像が描かれている。また、 − 198 − 2.簡単なディスカッション:何が絵の中にあるか、 一番重要な要素は何か、なにをしているところか、色 彩などについて答えさせる。空想の風景などは避ける。 子どもの経験に基づくものとする。求められている絵 画的な点について示す:適切なサイズの図、細かいス ケッチよりもすばやく大胆な色彩 シンガポールにおける芸術教育の系譜 3.子どもの絵:自由な活動を支援するために教室を うごき、個々の子どもを励まし、ディスカッションに 先立つ要点に触れておく。 ⒟グループ活動:飾りのパネル等 4.指導の終わり:壁に展示する作品を選ぶ;作品に ついてコメントする。作品のよい点を強調する。 ⒡イラスト的なポスター制作 5.要点:大まかなかたちや構図から細かなところへ という仕方を子どもたちに奨励する。部分にこだわっ て他の部分を見なくなるようにはしないこと。子ども たちはすばやい筆線で主たる色を置くための構図をと り、大まかな枠組みとして絵を描く。細部に目をむけ るのはそれからである。衣服や顔や手の詳細など。 ⒠人間のすばやいスケッチ モデルは学級から選び、3∼5分間のポーズをとる。 ⒢コテージ <第5・6学年のみ> 対象物の素描、植物の素描。屋外でのスケッチ。 <第6学年> 前学年(第5学年)に同じ。 加えて、水彩画、ワックスクレヨンのドローイングなど テクスチュアの効果を生みだすメディアの組み合わせを 経験する。 4.1959年シラバスにおける初等学校の内容 リノリウム画。イラストや手書き文字がある本やポス シラバスに示された初等学校の内容は、それぞれの学年 ターの制作。校外訪問時又は事後での動物のドローイン 段階ごとに、題材と指導のあり方、材料、留意事項につい グ。屋外でのスケッチやペインティング。学校で役に立 て、一覧表として示されている。美術と工芸の内容は、 つ飾り。 「絵画制作(Picture Making) 」 、 「デザイン活動(Design Activities)」、 「 工 芸(Craft) 」 及 び「 文 化 活 動 の 鑑 賞 【デザイン活動】 (Appreciation Cultural Activities)」の4領域に大別さ <低学年> れ、学年順にそれぞれの領域についての指導事項が示され 模様作り ている。一覧表の全てをここに紹介する紙幅がないため、 ⒜模様を貼る 上記の領域ごとに各学年で示されている題材とその指導の 飛ぶ鳥、葉、波、飛行機などのテーマを示す。手早く あり方の記述について紹介する15)。 自由に。 ⒝芋版 切った芋の表面を削ったり引っかいて絵の具をつけ紙 【絵画制作】 <低学年 16) に押す。繰り返しによって全面的な模様になる。 > ⒜想像画(水彩) ⒞筆による自由な模様 経験やアイデアの個人的な翻訳。絵は普通の経験や年 やり方は上と同じ。筆を使って模様をつくる。 齢集団に求められることがらに関係しているべき。 技術的な過程でとくに強調することはなし:美術を通 <第2・3学年> ⒜与えられた図形、四角、丸、三角形等のデザイン ⒝のりで貼ったり組み合わせたりする。 した楽しさが指導の基調。 ⒝フィンガー ・ペインティング ⒞繰り返しの模様 色でんぷんのりを画面上に塗っておく。絵は指の軌 本や紙などの上の縞、全面的な模様。 跡。鉛筆でひっかくなどすると、 テクスチュアやパター ンの面白い効果が生まれる。色のりが乾いたら絵の具 ⒟芋版 ⒠棒版画 <第4・5学年> のテクスチュアが再び得られる。 ⒜繰り返しの模様 ⒞ドローイング 黒板にチョークで描く。 白黒 ⒟切り紙と割き紙 複数色 制限された色のブロック、1/2drop、リズム模様等 切ったりちぎったりして紙を貼って絵を作る。 ⒠壁画パネルとフリーズ ⒝芋版 グループ活動。サイズは自由。主たるテーマは子ども ⒞切り紙模様による構成 たちが選ぶ。 装飾的なパネルに描いたり貼ったりする。 ⒟機能をもった装飾のデザイン;お皿、布 ⒠フラワー・アレンジメント <第2・3学年> ⒜子どもの個人的な経験に基づく想像による構成 ⒡装飾的なお面 ⒝物語のイラストレーション ⒢ステンシル模様 ⒣スパッター模様 <第4・5学年> ⒤簡単なレタリング、 ローマン体、 マニュスクリプト体、 ⒜普段の経験や興味に関係している絵のテーマ スクリプト体 ⒝興味のある最近の出来事 ⒞与えられたテーマの創造的な展開 (他の作業との関連) ⒥ポスターデザイン − 199 − 佐々木 宰 学級のプロジェクトやグループワークとして。街や国 <第6学年> のもの(建物など)をモデルにして。 前学年におなじ。加えて、デザインの形や人々の伝統的 な装飾を学ぶための博物館や展覧会などへの参加。生徒 〔織物〕 は観察し、スケッチする。この段階では教師の働きかけ 簡単な織り機の使用。 や、熱心さが大きい。工芸活動との相互関係があり、美 <第4学年> 〔本作り〕 術と工芸は美術的表現全般の側面をもつ。 第3学年の発展。ヒンジ、背の強化、フォルダー、封 筒等。 【工芸】 〔陶芸〕 <低学年> 第3学年に同じ。 〔本作り〕 〔かご細工〕 3つの綴じ穴、装飾的な表紙の単ページ本。 取手のついた編んだかご。 ハードカバーの単ページ本。 〔皮細工〕 〔陶芸〕 模様を刻んだひも作りの滑らかな形、ボウルの形。 手縫い、皮ひもつきの財布。内部の仕切りとマチ。 〔張り子〕 〔かご細工〕 板紙の型にラフィアヤシを巻きつける。 動物の形、針金を巻いて基礎を作り、動物などの形に 型紙にケインやラフィアヤシを巻きつけて籠を作る。 仕上げていく。 〔織物〕 〔人形づくり〕 丸めた紙の頭とマッチ箱による人形。 板紙による織り。鞄、かご、腰掛。織り機を使って。 手袋人形、プラスティシンの頭、張り子の頭の人形。 <第5学年> 〔本作り〕 〔織物〕 型紙にラフィアと紙による織り。 仕切りのあるマニラフォルダー、封筒。蛇腹のマチ、 板紙による織り。模様と紙織りの紹介をしながら。 単ページの本、本のカバーがけ、ヒンジ、簡単なレタ リング。 〔おもちゃ作り〕 〔陶芸〕 スクラップから作る簡単なおもちゃ。 <第2学年> 注ぎ口のある本体、フタと高台。石膏型取り。石膏の 〔本作り〕 タイル。 カレンダーの端を合わせて本の背やカバー等の強化。 〔皮細工〕 第4学年の発展。 ひもやファスナーなどのアタッチメント。 〔張り子〕 〔陶芸〕 粘土で丸くて空洞の形を作る。タイル作り。簡単な陶 お面、自由に立つ人形、低学年のための道具。 〔かご細工〕 板。 縁の仕上げ、大きな底、お盆など。 〔かご細工〕 〔織物〕 装飾的な編み込みでラフィアヤシを巻く。 テーブルマット、テーブルクロス。多様な素材の組み 〔張り子〕 合わせ。 手袋人形、小道具、人形劇のための舞台背景。 〔おもちゃ作り〕 〔おもちゃ作り〕 布、ウール、絵の具などの簡単な材料によるおもちゃ。 <第3学年> <第6学年> 〔本作り〕 仕切りのあるフォルダー。複数ページ製本。アルバム 〔本作り〕 の製本。 ヒンジ、ハードカバー、角の折り返しと接着等。 〔陶芸〕 ひもづくり等で瓶、注ぎ口、曲面タイルを作る。 〔かご細工〕 簡単な籠。編んだ土台、木の台と編んだお盆等。 〔皮細工〕 財布に縛ったり鋲止めする皮ひも。 〔陶芸〕 〔かご細工〕 フタのあるかご。仕切りのあるお盆。 〔皮細工〕 第5学年と同じ。より良い皮を使って。 〔張り子〕 頭や形を作る方法。石膏型を使った紙やモスリンの張 〔人形作り(張り子) 〕 り子。 実際の人に基づいた手袋人形。 〔おもちゃ作り(モデル) 〕 〔織物〕 − 200 − シンガポールにおける芸術教育の系譜 校と同じ枠組みの一覧表に、学年順に示されている。 第5学年と同じ。 ただし、参照した英語表記のシラバスでは、中等学校に 〔おもちゃ作り〕 おける学年の呼称にフォーム(Form)という言葉が用い 【彫塑】 られている。図1の通り、当時の教育制度では、英語系学 <低学年> 校における初学年がフォーム2、次学年がフォーム3(以 体験や興味に関わる塑造。学級のテーマや学習の発展。 降、同じ対応でフォーム5まで)と示されている。以下に 物語やアクションのイラストレーションなど。 は、前述の初等学校の内容と同様に、中等学校の内容を表 現領域別に示していく。 <第2・3学年> 〔塑造〕 【絵画(静物画)】 <第4・5・6学年> <フォーム2・3> 〔塑造〕 ポスターカラーで自由に静物を描く。 【鑑賞と文化活動】 多様な描画材料を使って線で静物を描く。 <低学年> モノクロームで静物を描く。 鑑賞活動における留意点は教室のセッティングについ 自然主義的に/伝統的な様式で/抽象・幾何学的に描く。 て。子どもの興味をひくように、1∼2点の絵を、よく 鉛筆またはペン、木炭等で描く。 見えるように低く飾ること。できるならば、一定の期間 初歩的な遠近法の簡単な練習。 モチーフの組み合わせ。 をおいて取り替えること。 <フォーム4・5> <第4学年> 日常生活のデザイン:教室の配置、学校、庭などに興味 多様な描画材料で静物を描く。 がつながるようにすること。 対象物の多様な形態とテクスチュアの研究。 子どもの理解できる絵について、場合に応じて話し合 初歩的な遠近法の練習。 う。絵の組成のポイントを導く:線の使用、 明部と暗部、 マッスとボリュームの表現の練習。 色彩、主題の配置と他の部分との関係など。 静物の構図を大まかにとる練習。 ひだのある布や衣服、紙等の研究。 <第5・6学年> エクスカーション:商業、工業の現場の見学。デザイン 対象物の組み合わせと分析。 産業の問題など。 カラー ・キーの構成練習。 話し合い:文化的な「多様性」の話し合い。 【絵画(植物画)】 上記のように、初等学校の「美術と工芸」の内容を領域 <フォーム2・3> 別に概観したが、絵画とデザイン活動は平面的な表現活動 花、植物、葉を主体にポスターカラーで自由に描く。 として「美術」に相当させ、立体的な表現活動の内容はほ 鉛筆、ペン、筆で花束を線描する。 とんど「工芸」にあてていることがわかる。彫塑について 土地の花や葉等を鉛筆、筆、ポスターカラー、水彩で。 は、一応の記述はみられるが示されている内容は乏しく、 個々の花、小枝、葉を線描する。 「美術」と「工芸」のどちらとして扱うのか不明瞭である。 植物、花の小枝等の研究。 ボリュームを表現するために。 具体的な個々の題材を見ると、一般的な美術の内容、す 最終的な仕上がりについての研究。 なわち西洋美術に基づいた当時の世界標準としての美術の 内容を、初等教育の目的に合わせて題材化しているように 【素描】 見受けられる。工芸の内容に関しては本作り、陶芸、かご <フォーム2・3> 細工、皮細工、張り子、人形づくり、織物、おもちゃ作り ポーズしたモデルを軟らかい鉛筆、木炭、筆ですばやく など、多様な工芸の内容がとりあげられている。西洋文化 スケッチする。 への意識はそれほど強く認められないが、マレー文化圏の 形を線や単彩で描く。 伝統的な工芸であるバティック(ろうけつ染め)が含まれ 動いている形をスケッチする。 ていない。 形の基本的なプロポーション。 量感を淡彩で表しながら形を線描する。 <フォーム4・5> 5.1959年シラバスにおける中等学校の内容 形をすばやくスケッチする。線、輪郭、マッスや動きの シラバスに示された中等学校の内容は、「絵画」、「想像 表現。 的色彩構成」、「デザイン」及び「美術鑑賞と批評」の4領 ひだのあるコスチューム。 域から構成されている。シラバスにおける記載は、初等学 人体の構造、骨格、筋肉の表面の紹介。 − 201 − 佐々木 宰 手、足の研究、表現。 【デザイン(レタリングとレイアウト)】 ひだ、衣服、折り目、しわの研究。布のテクスチュア、 <フォーム2・3> 髪等の表現。 ポスターカラーやカラーインクで簡単なレタリング。 形体の構成についてのグループ練習。 個々の文字、特に曲線、楕円の形の研究。 ブックカバーや広告のための基礎的なレタリングのレイ 【想像的色彩構成】 アウト。 <フォーム2・3> 色のある地にスクリプト体、 マニュスクリプト体、 ブロッ ポスターカラー、鉛筆、筆等で形の構成を自由に描く。 ク体でレタリング。 決められた色で形の構成を描く。 簡単なレイアウト。異なる重みのレタリングや色彩によ 線とモノクロームでテーマに沿った構成をする。 るマニュスクリプト体。 屋外で風景、街中、働く・遊ぶ人々をスケッチする。 ペンの練習。文字や言葉の配列。装飾的な要素。 <フォーム4・5> 切った紙でモザイク画をつくる。 ポスターカラーでグループの絵、壁画を描く。 ローマン体のレタリング。現代の派生体。レタリングイ 形をすばやくスケッチする。 ンク、ポスターカラー。明るいまたは暗い色調の地で。 絵画的な要素の構成。 動きのあるレタリング。 文字とその組み合わせの分析と練習。 <フォーム4・5> ポスターカラーや他の材料で形の構成を描く。 現代広告のためのレタリングのレイアウト。ポスター。 屋外で描き、人々の暮らしを記録する。 基本的なスクリプト体のレタリング。 絵画的な構成。絵を分析し、学級で話し合う。 異なる重みのレタリングによるマニュスクリプト体のレ 抽象、非再現的な形の構成。 タリング。 ものの詳細を記録し参照するスケッチブック学習。 色々な材料による色のレタリング。 学校でつかう絵、壁画、デザインや絵画のセット。 形をすばやくスケッチする。想像的構成の最後のプレゼ 【デザイン(本の制作)】 ンテーションの準備のためのラフ・スケッチ。 <フォーム2・3> 表紙の簡単なレイアウト、扉、挿絵と本文。 【デザイン(布のためのプリントとデザイン) 】 ⒜白黒インクまたはポスターカラー <フォーム2・3> ⒝ポスターカラーによるフルカラー ⒞モノクロ 模様作成の練習。ポスターカラー 模様の構成のための練習。 挿絵のあるページ。本文はリノ版による。 色彩、テクスチュア、混色や配色の練習。 色彩:配色と混色、テクスチュアの効果。 デザインユニットからのパターン構成。 本のカバーのデザイン。 選んだデザインをリノ版で布に刷る。 挿絵のある本の作成(学級でのプロジェクト) 。 本の製造における産業技術の検証。 リノ版、芋版でパッケージのための紙に刷る。 パターン作成の練習。ポスターカラーで低いトーン、モ <フォーム4・5> ノクローム、抑え気味の色調。 表紙のレイアウト、扉、挿絵と本文を多様な材料やレタ 切り紙、フェルト、端切れ布によるパターン練習。 リング書体で装飾的な要素とともに。 デザインのモチーフのアイデアを見つけるために自然の 手書き文字のページ。挿絵や装飾的な要素を入れてまた スケッチをする。 は入れないで。多様な重さ、大きさのレタリングを組み 合わせて。 <フォーム4・5> 模様作成。ポスターカラー、ブロック及びグリッドシス 挿絵ページ用のリノ版、木版、白黒のペン画。 テムの組み合わせ。 リノ版の一般多色刷り。 埋もれたソースの研究。植物、周辺環境、博物館など。 扉ページ、装飾の要素を少なくしたレタリング。 デザインのアイデアになるものノートを集めておく。 扉ページ、挿絵ページ、マニュスクリプト体の使用、書 色彩とテクスチュアの練習。 とレタリング、単独でまたは組み合わせて。 商業的な布の分解による分析。 本の製造における産業技術の検証。 求められるデザインの計画。 フィクションその他の本の装丁の分析と話し合い。配 2∼3色のリノ版で(a)複数版、(b)単版で布や紙に刷る。 色、使われているレタリング、構成の技術等。 シルクスクリーンで布に刷る。 本の製造における写真。 − 202 − シンガポールにおける芸術教育の系譜 【デザイン(ポスターデザイン) 】 年の教育令を通して行われた教育改革は、政治化する中国 <フォーム2・3・4・5> 語系学校という喫緊の問題への対処であると同時に、全て 特定のニーズのための小ポスターの制作。ポスターカ の言語系の学校を登録制にして等しく政府援助を与えて、 ラー。 学校教育制度の国家管理を進めるものであった。それまで 与えられた条件からポスターを計画する。 各言語系の学校で独自に設定していた教育内容について レイアウト、色彩、レタリングの書体と配置、イラスト も、標準的な教育課程を共有していくことが求められた。 的な要素と配置などの大まかな下絵。下絵の後、職人の したがって、1959年の「美術と工芸」シラバスの第一の ような仕上げの制作。 意義は、自治権を獲得したシンガポール政府による教育改 色彩とポスター。色地の上にデザインする。 革の一環として、全ての言語系学校に対して提供される統 色彩計画、混色の練習。ポスターカラー。 一的な美術教育の内容であったことであろう。換言すれ 学校で役立つ等の特定のニーズのための大型ポスターの ば、シンガポール政府が公式に示した、最も初期の普通教 作成。 育における美術教育の内容であったといえる。 本稿で紹介した1959年シラバスは、英語版のものであ 【美術鑑賞と批評】 り、中等学校の学年段階が「フォーム」で示されているこ <全フォーム> とから、英語系学校用のシラバスであろうと推察される。 〔建築〕 それぞれの言語系学校は独自の学校体系をもち、他の言語 〔彫刻〕 系学校とは修学年限も異なっていた(図1参照) 。したがっ 〔ピクトリアルデザイン〕 て、英語以外の言語で示されたシラバスは、内容の共通性 〔インテリア・エクステリアの装飾〕 を測りつつ、適用学年等をそれぞれの修学年限制度にあわ 〔ボートのデザイン〕 せていると推察できる。しかし、この点については英語以 〔衣服〕 外の言語のシラバスとの違いを現段階では確認しておら 〔演劇のデザイン〕 ず、今後の研究課題とする。 〔国内外の工芸〕 シラバスに示された初等及び中等学校における美術及び 工芸の内容を見ると、その教育内容は、西洋美術を基盤に 上記のとおり、中等学校の内容をみると、「絵画」 、「想 世界標準となった美術文化の概念に基づいて題材化された 像的色彩構成」、「デザイン」及び「美術鑑賞と批評」それ ものであるといえる。比較のために当時の日本の美術教育 ぞれの領域が、初等学校における「絵画」 「デザイン活動」 、 、 の状況を見てみると、1958(昭和33)年に学習指導要領が 「鑑賞と文化活動」の発展内容であることが理解できる。 改訂され、中学校の「図画工作」が「美術」と改称され、 他方、初等学校での「工芸」の発展内容に相当する内容は それまであった生産的な工芸の内容が新設の「技術」に移 設定されておらず、中等学校では「美術」のみの内容になっ 植された時期である。シンガポールの初等学校で美術と工 ていることがわかる。さらに、彫刻の内容も割愛されてい 芸が扱われ、中等学校で美術のみが扱われるという構造と る。 同じである。また小学校・中学校ともにデザインの内容が 絵画の指導内容をみると、マッス、ボリューム、ムーブ 盛り込まれている。このように比較すると、シンガポール マンなどの指導事項、用いる描画材料から、西洋絵画の画 の1959年シラバスに内容の傾向と、日本の学習指導要領の 法を基盤にしていることがうかがえる。デザインについて それとが著しく異なっているとは言えない。普通教育にお も、初等学校での版画学習を発展させて、布地へのプリン いて美術教育が行われることの意味や、美術教育の目的は トなどのテキスタイルデザイン、パッケージデザインと ほぼ共有できるものであろう。また、具体的な内容として いったデザイン学習につなげている。内容には初等教育と 扱う美術や工芸の文化についても同様である。 の連続性が意識されており、系統性が考慮されている。 シンガポールの1959年シラバスが示した美術教育の内容 全体を通じて、生徒の表現に対する情緒的な側面より は、西洋美術を基盤にした標準的な内容であった。それ も、表現技法の習得や美術の知的な理解、産業や社会との は、当時、既に世界標準として普通に受け入れられていた 関わりを強く意識した内容になっているといえる。 美術であったことによるであろうが、それとは別に、シン ガポールの全言語系の学校に適用する内容を策定するにあ たって、英語系学校を基準にしたから、という理由も考え 6.まとめ られる。すなわち、中国、マレー、インド系の美術や工芸 前章までに、シンガポールがイギリス連邦内自治州で ではなく、中立的でかつ世界標準である西洋美術が選ばれ あった時代に示された「美術と工芸」シラバスの記述内容 た可能性も否定できない。例えば、中国語系学校ならば水 を通して、当時の美術教育観、題材や指導内容、指導方法 墨画や中国画などの伝統文化を扱っていた可能性は十分に についての考え方を確認してきた。 あるが、民族の伝統的な美術文化よりも、共通性が求めら 1956年の全党委員会報告及び教育政策白書、さらに1957 れていた背景が推察できる。西洋美術はその中立性におい − 203 − 佐々木 宰 ても現代性においても、共通の内容を設定する母体として 佐々木による。 適していたと考えられる。すなわち、シンガポールの美術 16)Lower Primary Classと示されている。第1学年のみ 教育における教育課程の作成には、教育内容としての美術 を指す場合と、低学年一般を指す場合があるようである。 文化の中立化・標準化の必要性が背景としてあり、その最 も早い事例として1959年シラバスを位置づけることができ る、と解釈できるのである。 参考文献 本稿は前述の通り、1959年シラバス英語版に基づいてお ・綾部恒雄・石井米雄(編), 『もっと知りたいシンガポー り、中国語版をはじめ他の言語によるシラバスは未調査で ル 第2版』,弘文堂,1994. あるため、分析と考察を通して到達したのは一つの仮説で ・岩崎育夫,『リー・クアンユー ──西洋とアジアのは ある。これを裏付けるためには、未着手の資料調査・分析 ざまで』 ,岩波書店,1996. とともに、1959年以降のシンガポールの美術教育の変遷過 ・萩原宜之、『ラーマンとマハティール ──ブミ・プト 程の中で西洋美術の受容を位置づけていく必要があるが、 ラの挑戦』、岩波書店、1996. それについては稿を改めて報告したい。 ・田村慶子, 『シンガポールを知るための62章』 ,明石書店, 2009. ・村田翼夫、『東南アジア諸国の国民統合と教育 ──多 注 民族社会における葛藤』 、東信堂、2001. 1)佐々木宰、「シンガポールの美術教育における伝統文 ・Gopinathan, S., Education and the Nation State, The 化と現代化」 、福田隆眞・石井由理(編)、 『教育における selected works of S. Gopinathan, Routledge, 2013. ・Jaime Koh and Singaopre Children’s Society, Singapore Childhood; Our Stories Then and Now, World Scientific, 2013. ・John Yip Soon Kwong, Sim Wong Kooi, Evolution of Educational Excellence : 25 Years of Education in the Republic of Singapore, Longman, 1994. グローバル化と伝統文化』 、建帛社、2014、pp.115-132. 福田隆眞・佐々木宰、「シンガポールにおける小学校美術 科の教科書について」 、 『大学美術教育学会誌』 、第29号、 大学美術教育学会、1997、pp.67-76. 佐々木宰・福田隆眞・小平征雄、「シンガポールにおける 美術教育の現状調査報告」 、 『釧路論集(北海道教育大学釧 路分校研究報告)』 、第28号、北海道教育大学、1996、pp. 203-228. 2)T. R. Doraisamy, 150 years of education in Singapore, 付記 TTC Publications Board, Teachers' Training College, 本稿は,JSPS科研費24531091「アジアの芸術教育にお 1969, Singapore. ける西洋の影響と独自性の形成に関する研究」,JSPS科研 3)岩崎育夫,『物語 シンガポールの歴史 ─エリート 費24531135「アジアにおける美術教育の文脈研究」の助成 開発主義国家の200年』 、中央公論社、2013、p.49. を受けたものである。 4)同上書、pp.51-52. 本研究にあたり、以下の方々の多大な協力を得ている。 5)Soon Teck Wong, Singapore's New Education System : Education Reform for National Development, Institute of Southeast Asian Studies, 1988, p.4. ここに感謝の意を表します。 6)前掲書2)、p.146より転載 Mr.Lum Chee Hoo and Ms.Tai Shuxia (Centre for Arts 7)前掲書2)、p.53. Research in Education, National Institute of Education, 8)英語版のほか、中国語版の実物を確認している。ただ Singapore) Mrs.Rebecca Chew, Mdm. Suiati Suradi and Miss.Tang Hui Jing (Singapore Teachers’ Academy for the aRts) し、記載内容が完全に一致しているかは未確認である。マ レー語版とタミル語版の存在も推測されるが、筆者は現物 を確認していない。 9)Ministry of Education, Singapore, Syllabus for Art & Crafts: In Primary and Secondary Schools, Ministry of Education, Singapore, 1959, p.1.(佐々木による邦訳) 10)同上 11)同上 12)同上 13)前掲書9)、p.2.(佐々木による邦訳) 14)同上 15)前掲所9)の掲載表から抽出して再配置した。邦訳は − 204 −
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