非現実的な経済成長を目指す米国、そして日本

五十嵐レポート
2016 年 11 月 28 日
非現実的な経済成長を目指す米国、そして日本
トランプ新大統領の経済政策
米国の大統領選挙で勝利したトランプ氏は、10 年間で成長率を 4%に引き上げ、雇用を
2500 万人創出すると言っている(彼の任期は最長でも 8 年間だが)。単純計算すれば、今
後 10 年間にわたって毎月 20 万人超ずつ雇用を増やし続けると言っていることになる。景
気の回復・拡大がすでに 7 年間続き、完全雇用に近づきつつあるとみられている経済の現
状を考えると、非現実的な目標だと言わざるを得ない。
需要が不足している経済の成長率を高めるためには、文字通り需要を増やす政策が有効
だ。経済の拡大(成長)に伴って雇用も増える。しかし完全雇用に近い経済をさらに成長
させるためには、供給力を拡大させることが不可欠である。具体的には、労働投入量を増
やし、労働生産性を高めることが求められる。
今、米国では約 1 億 6000 万人の人々が労働市場にいて、うち 95%強が職に就き、5%弱
(800 万人弱)の人たちが失業している。2500 万人の雇用の創出は、失業者を減らすだけ
では到底達成できないから、労働市場への参加者を大幅に増やす必要がある。職探しをあ
きらめて失業者にもカウントされていない人たちが数パーセント分いるとしても、労働力
人口が毎年 1.5%程度のペースで増え続けなければ達成できないような想定は現実的ではな
い。ましてトランプ氏は移民嫌いではなかったか。
そうなると、4%の成長率を達成するには、労働生産性を高めるしか方法はない。1 人当
たり労働時間が増えるとは思えないので、労働投入量の伸びは 1.5%には到底届かない。し
たがって必要な労働生産性の上昇率は少なくとも 2.5%以上ということになる。しかし米国
の労働生産性の上昇率は、トレンドで見ると、最も高かった 1990 年代後半でも 2%強だ。
さらに、最近ではそのトレンドの低下が問題になっていて、1%を割り込んでいるのが現状
だ。
結局 4%成長にしろ、2500 万人の雇用創出にしろ、実現可能な数字だとはとても言えな
い。しかし問題は、トランプ新大統領が、この公約を撤回しないで、あくまでも実現を目
指してしまう場合だ。つまり大規模な需要拡大政策を打ってくるようなケースだ。
選挙キャンペーンでは大幅な減税やインフラ投資の促進という政策が掲げられた。財政
の純支出を拡大して景気を浮揚させようという需要政策である。需要拡大政策は、実行す
れば少なくとも短期的には景気は拡大し、雇用増加も実現するだろう。しかし、そもそも
非現実的な目標の達成を目指してしまうと、やりすぎのリスクが表面化する。結果として
物価が上昇し、長期金利も大幅に上昇して、景気が逆に腰折れしてしまう可能性が高まる。
さらに、雇用増加を図る観点から、保護主義的な貿易政策を実行するとも言っている。
具体的には NAFTA(北米自由貿易協定)の見直しや TPP の再交渉あるいは脱退だ。中国を
為替操作国に指定するという話もある。
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米国の保護主義政策がドル安・新興国通貨高をもたらせば、新興国経済が動揺し、世界
経済を不安定化させる恐れが出てくる。円高が進行する可能性もあるだろう。いずれにせ
よ、はた迷惑な政策だと言わざるを得ない。
日本の「経済再生シナリオ」
他方で日本は、「アベノミクスの再加速」によって、2020 年に GDP600 兆円を達成する
ことを目指している。来年 4 月の実施を予定していた消費税率の引き上げを先送りしたの
もそのためだ。下の図表は政府が試算した「楽観シナリオ」を反映している。今後、名目
GDP が急速に拡大して、21 年度には 600 兆円を超えるというものだ。
経済成長率-これまでの実績と経済再生シナリオ
(兆円)
700
(%)
6
名目GDP
名目GDP成長率(右目盛)
4
650
600
再生ケース
2
550
0
500
‐2
450
‐4
400
‐6
00 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24
(年度)
(注)2016年度以降は、内閣府の試算における「経済再生ケース」の値
(出所)内閣府「GDP統計」、内閣府「中長期の経済財政に関する試算」
平均成長率
実質
名目
2000~2015
0.8
▲ 0.1
2016~2020
1.6
3.1
2016~2024
1.9
3.4
率直に言って、このシナリオはすでに破たんしている。この「経済再生シナリオ」が実
現するためには、16 年度以降 20 年度まで、実質 GDP が平均して 1.6%成長することが必要
だ。しかし 16 年度の成長率が 1%程度にとどまることはほぼ確実だ。その場合、残りの 4
年間でシナリオを実現させようとすれば、必要な平均成長率は 1.75%に上がる。われわれ
の予想では、17 年度の成長率も 1%程度だ。仮にそうなった場合、今度は残りの 3 年間で
シナリオを実現させようとすると、必要な平均成長率は 2.0%に上がる。
もっとも 600 兆円という目標は名目 GDP なので、GDP デフレーターが想定以上に上昇す
れば、実質 GDP 成長率が想定以下であったとしても、目標が達成される可能性がないとは
言えないという反論もあるだろう。シナリオでは 16 年度から 20 年度にかけての GDP デフ
レーターの平均上昇率は 1.5%程度だが、これがさらに加速すればということだ。
しかし、再びわれわれの予想では、16 年度、17 年度を通じて GDP デフレーターは上昇
しそうにない。そうなった場合、残りの 3 年間で当初のシナリオを実現させるだけでも、
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必要な GDP デフレーターの上昇率は平均 2.5%に跳ね上がる。想定し難い数字だと言わざ
るを得ない。
わが国の場合は米国とは違って、財政支出を吹かして無謀な目標達成を目指し、かえっ
て不都合な結果をもたらすということにはならないと思う。それよりは、効果的な政策が
打てていないのに、目標は達成できると言い続けて、最後に「結局できませんでした」と
いう事態になってしまう可能性が高いことが問題だと言える。次にそのことを考えてみよ
う。
実現しそうにない財政健全化
安倍政権は、20 年度に財政のプライマリーバランスを黒字化する目標を掲げている。し
かし内閣府の試算によれば、15 年度に 15.8 兆円の赤字だったプライマリーバランスは、中
長期的な実質成長率が 1%弱にとどまる「ベースラインケース」(2000 年以降これまでの
実績が今後も続くという想定)では、20 年度になお 9.2 兆円の赤字が残る。また、中長期
的な実質成長率を 2%超と想定する「経済再生ケース」でも、なお 5.5 兆円の赤字が残ると
試算している。
この「経済再生ケース」はすでに破たんしていると言ったが、仮に実現しても財政健全
化の目標は達成できないと政府自身が試算しているのに、それでも安倍首相は目標達成の
旗は降ろさないと言い続けている。そのココロは、消費税率の引き上げを先送りし、また
アベノミクスを再加速することで、経済が想定以上に成長し、見合って税収が増えるとい
うことだろう。
こうした「根拠なき楽観」は悲惨な結果をもたらす可能性がある。おそらく市場は、財
政の健全化が達成できないことを徐々に織り込んでいくだろう。つまり達成できないこと
自体がサプライズにはならないということだ。問題は、「目標は達成できる」、「経済は
成長する」、「根拠はアベノミクスの成功だ」と言い続けた挙句、「できませんでした」
となった時に、市場から「日本には財政健全化を実現させる意志も能力もない」と見切り
をつけられる可能性が高いことだ。
その場合、本来であれば国債の相場が大幅に下落する(金利が大幅に上昇する)ことに
なるのだが、長期金利もコントロールできると言っている日銀が国債を買い支えざるを得
ないため、暴落といった事態は回避されるのではないかと思われる。問題は為替相場だ。
世界中の誰もが売り買いできるこの市場で、円が大幅に下落する事態は避けがたいだろう。
円安のお陰でデフレが解消するなどと呑気なことが言える状況ではない。輸入価格の大
幅な上昇を通じたインフレが発生する。このインフレは国内の実質所得を海外に流出させ
てしまうので、われわれは「所得が減って、物価が上がる」という事態に直面することに
なる。本来、円安は輸入サイドで差損をもたらす一方、輸出サイドで差益をもたらすので、
貿易黒字の日本なら差益の方が大きいと思われがちだ。しかし、差益や差損は外貨建ての
貿易取引で発生するわけで、外貨建ての貿易に限れば、わが国の収支は年間で 10 兆円を超
える大幅な赤字だ。したがって、円安は差益を上回る差損をもたらすのだ。
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さらに、ここ数年の経験でも明らかなように、輸入サイドで生じる差損は、そのすべて
が国内で負担の増加となるが、輸出サイドの差益の一部は輸出企業の内部に留保されるの
で、その面からも全体で経済を下押しする。所得が減って、物価が上昇する経済にとって、
財政赤字の負担は膨らむのであって、軽減されるのでないことは明らかだ。
それでも経済を成長させるには
では日本経済は悲惨シナリオの実現に向かって進むしかないのかと言えば、そうとは限
らない。20 年度に名目 GDP で 600 兆円を達成することはさすがに無理だが、これまで 10
数年にわたって全く増えてこなかった名目 GDP が確かに増え始めたではないか、GDP デフ
レーターが上昇しているではないか、という実績を作れば、状況は明らかに変わっていく
だろう。
これまでの日銀の政策を振り返ると、物価上昇目標を輸入インフレを通じて達成しよう
としているように見える。原油価格が下がっていることが目標達成を妨げているという言
い方は、まさにその姿勢を裏付けるものだろう。
しかしデフレからの脱却は、消費者物価の上昇ではなく、GDP デフレーターの上昇で実
現させるべきだ。GDP デフレーターは「実質国内総生産 1 単位当たりの名目国内総所得」
だと言い換えることができる。自動車を 1 台生産し、販売して得られる所得が増加すると
いうイメージだ。その意味では自動車の価格を引き上げれば GDP デフレーターは上昇する。
しかし円安で増加したコストを自動車の価格に転嫁しても、消費者物価は上昇するが、GDP
デフレーターの上昇にはつながらない。つまり円安を進めてもデフレからは脱却できない
ということだ。
今の日本において一番望ましいのは、消費者が喜んで高い値段を払って購入してくれる
モノやサービスを提供して、売り手がしっかり稼ぐことだ。そして、その稼ぎを従業員に
もしっかり分配することだ。お金の面から見れば、ストックは潤沢にあるのに、世の中を
巡るフローが少ないことが問題だ。これまでの政策、とくに金融政策は、ストックを増や
すことばかり目指してきた。しかし必要なのはフローを増加させることなのだ。
高齢化が急速に進んでいく日本は、経済を成長させないと行き詰ってしまう。それには
経済政策のサポートは欠かせないが、それはいわば触媒だ。化学反応を起こす主体はあく
までも民間企業だ。日本のトランプは、民間にいてもらわなくては困る。
(MU投資顧問客員エコノミスト 兼 三菱 UFJ リサーチ&コンサルティング
調査本部
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研究理事
五十嵐敬喜)
MU投資顧問株式会社
登録番号
金融商品取引業者
関東財務局長(金商)
第 313 号
一般社団法人日本投資顧問業協会会員
一般社団法人投資信託協会会員
〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台2-3-11
電話
03-5259-5351
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