環境企画部 課 川野知希 1983年 神奈川県横浜市で育ちました。 2003

環境企画部 課⻑ 川野知希
1983年⽣まれ 2010年度新卒⼊社
1983年
神奈川県横浜市で育ちました。
2003年-2010年 1年間の浪⼈⽣活の末、明治大学政治経済学部に⼊学。
(19歳-26歳)
大学時代
『環境問題と経済』をテーマに学びました。
自分探しの日々
このままエスカレーター式に社会⼈になることに疑問を感じ、途中3年間
の休学をしました。
海外⽣活
アルバイトで資⾦を貯めてワーキングホリデービザを取得。1年弱の間、
オーストラリアのシドニーで⽣活しました。現地の若者のフラットに間借
りし、英語学校に通ったり、レストランで料理修⾏したりしました。英語
の習得はもちろんですが、それ以上に自分の個性を再発⾒する貴重な体験
になったと思います。
起業体験
帰国後、アルバイト時代の先輩と飲⾷店(沖縄居酒屋)の⽴ち上げをしまし
た。ゼロからビジネスを作ること、現場オペレーションを洗練させる事の
愉しみを知りました。
2010年
(26歳)
大学に復学し、無事卒業
新卒社員としてオフィスバスターズに⼊社
「環境」のキーワードでオフィスバスターズと出会いました。
選考では、店舗でのインターンや本社業務、現場⾒学など、たくさんの機会を頂きました。
また、熊谷さん(現副社⻑)との⾯談は、うわべだけの返答では通用しない真剣勝負で、大きな刺激を受けた
のを覚えています。
オフィスバスターズを知るにつれてベンチャー企業のおもしろさを知り、⼊社を決めました。
「まわり道した分を取り戻すにはベンチャーしかない」という思いでした。
店舗戦略部(4⽉-7⽉)
研修が終わり、最初に配属されたのがオープンして間もない三田店です。
販売スタッフとして顧客対応やお店作りをする中で、BtoBの基本、オフィス業界の基本を学びました。
リユース部(OA機器買取オペレーション部隊・8⽉-10⽉)
店舗業務に慣れてきた⽮先、急遽本社に異動となりました。
当時、オフィスバスターズ史上最大級の引揚プロジェクトが発⽣し、そのためのオペレーター補充がきっ
かけでした。
そのプロジェクトとは、全国200〜300拠点に設置されている什器・OA機器を引揚げるというもので、私
は、各パートナー会社やリース会社の担当者様とやり取りをして引揚げの段取りを組む役割でした。
進捗管理に使用していたエクセルの画⾯が、夢にまで出てくる毎日でした。
環境企画部(オフィス家具買取・11⽉-)
プロジェクトが⼀段落したところで、つぎはオフィス家具の買取・引揚げチームに異動となりました。
現場に出て、買取査定や引揚げの基本ノウハウを身につけたあと、同部署内でグローバル・ビジネスの担
当に任命されました。
2011年-2012年 グローバル戦略グループ
(27歳-29歳)
私のミッションは、急成⻑するフィリピン店へ⼗分な物品供給をできるように、国内の体制を構築するこ
とです。
買取・査定メンバーや物流パートナー、フィリピン側のマネージャーとの間に⽴ち、調整を取りながら、
順調に出荷コンテナ本数を増やしていきました。
年に1,2回、海外出張することもあります。反対に、フィリピンやタイのパートナーが来日した際のアテン
ドをすることもありました。またこの時期には、オフィスバスターズとして株式上場準備をしていたた
め、証券会社の対応をする機会がありました。
毎日がチャレンジングなことの連続で、がむしゃらに働いていましたが、それがスキルアップの糧になっ
ていたのだと今は思っています。
2013年-2014年 営業企画室
(30歳-31歳)
2015年
(32歳・6年目)
これから
メッセージ
環境企画部
グローバル戦略グループの後任も育ち、新たに設⽴された営業企画室の室
⻑代理として配属されることになります。
営業企画室は、部署にとらわれずオフィスバスターズ全社のビジネスの発
展を考えるチームです。会社としての新規プロジェクトに参画させてもら
えることが多く、刺激的で楽しい毎日でした。
これまでよりも高い視点からの考え方を学ぶことができました。
「もっと現場に近いところで自分を鍛えたい」という思いから、環境企画
部に復帰。部⻑付として、部署全体の数値管理や運営をしながら、管理部
門のオペレーション改善に挑戦中です。
これまでは、いわば自己完結型のスキルを磨いて来たのだと思います。
これからはチームやオフィスバスターズ、更には業界に影響を与えられるような、外向きのスキルを磨い
ていきます。
私はオフィスバスターズはまだまだ組織を作り上げている途中にいる会社だと考えています。
「自分が会社を創るんだ」という積極的な姿勢の⼈には、必ず成⻑のチャンスが巡ってくる。
そんな環境がオフィスバスターズにはあると思います。