ジークフリート・クラカウアーの新中間層論

京都教育大学紀要 No.108, 2006
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ジークフリート・クラカウアーの新中間層論
荻野 雄
Über Siegfried Kracauers Die Angestellten
Takeshi OGINO
Accepted November 2, 2005
抄録 : 本論文は,主としてクラカウアーの『サラリーマン』を考察する。ワイマール時代のドイツでは,社会の
構造転換によりサラリーマンの数が急増していたが,この新しい社会集団には殆ど注意は払われていなかった。ク
ラカウアーはインタビューや実地の観察を通じてこの集団を先駆的に研究し,彼らの意識の独特の歪みを見出し
た。ドイツのサラリーマン層は,貧困化しているにもかかわらず,自分たちを労働者とは違う身分として考え続
けていたのである。
索引語 : クラカウアー,ベンヤミン,サラリーマン,ファシズム
Zusammenfassung : Diese Abhandlung folgt der vorausgehenden Betrachtung über den Gedanken Siegfried Kracauers und
behandelt hauptsächlich Kracauers Die Angestellten. In der Weimarer Zeit stieg die Zahl der Angestellten wegen des Wandels
der Sozialstruktur rapid an,aber diese neue soziale Gruppe zog kaum die öffentliche Aufmerksamkeit auf sich. Kracauer ist der
erste Denker,der diese unbekannte Gruppe durch die Feldarbeit, wie zum Beispiel Gespräche mit mancher Personen, und
direkte Beobachtungen studierte.Er hat in ihrem Bewuβtsein die Falschheit,die für die Zukunft Deutschlands gefährlich
wurde,gefunden.Obwohl im Hinblick auf die Arbeitsbedingungen die Angestellten sich der Arbeiterklasse näherten,dachten
sie sich noch als den Mittelstand,der von dem Proletariat verschieden war.
Schlüsselwörter : Kracauer,Benjamin,Angestellte,Faschismus
1 サラリーマンの「発見」
(1)フランクフルト新聞の「右傾化」
1924 年からジークフリート・クラカウアーが文芸欄の担当者となったフランクフルト新聞は,帝政
期には左翼的反対派として「ドイツ民主主義の最前線の闘争機関」を自称し,1917 年に 17 万部もの発
刊数を記録したドイツで最も質の高い新聞の一つであった。しかしこの世界的な名声すら誇った新聞
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は,ワイマール時代を通じて部数を漸減させていったのだった。
フランクフルト新聞のこうした退潮の理由は,その政治的方向性が同時代への訴求力を失ったこと
に求められる。ワイマールの言論世界ではフランクフルト新聞は,帝政への復帰を求める保守主義と
革命を志向する共産主義とを共に拒否し,若き共和政さらには社会権を支持するリベラル左派の位置
にあった。従って当時のドイツの政党の中では民主党に最も近く,実際その支持者が主要な購買層と
なっていたのだが,ワイマールにおけるドイツ政治の二極化は中道政党の一つである民主党を著しく
退潮させ,それに伴ってフランクフルト新聞の読者も減少したのであった。発刊部数は 1930 年代初頭
には,約 5 万 5 千部にまで落ち込んでしまう。
このような部数の落ち込みに加えて,1923 年のインフレーションをきっかけとした広告収入の激減
が,フランクフルト新聞社の経営を逼迫させた。1926 年に 50 万マルクの赤字を出した同社は,1928
年の 10 月までに負債を 175 万マルクまで膨らませてしまい,自力での返済はほぼ不可能となる。その
ため社主のハンイリヒ・シモンは,経営を支援してくれるパートナーを探し始めた。だがその際,資
本主義にも批判的視点を失わないという従来の社のスタンスは犠牲にせざるをえなかった。結局,後
にナチスとも協力関係を結ぶイー・ゲー・ファルベンが 1929 年 2 月に援助を引き受け,それによりフ
ランクフルト新聞は廃刊の危機を乗り越える。しかしこのドイツ最大のコンツェルンが資金を提供し
た狙いは,政治的対立が先鋭化しつつある時代において定評のあるリベラルな新聞を自陣に引き込み,
資本主義や大企業に対する先鋭な批判を封じることにあったから,当然のことながらフランクフルト
新聞の言論機関としての独立性は損なわれた。少なくとも,ラディカルな主張は控えようという空気
が編集部内には生まれたのであり,1929 年のクラカウアーが多大な労力を傾けた作品である Die
Angestellen が書き直しを命じられたり,その掲載さえ危ぶまれたという事実は,フランクフルト新聞
のこの退廃の最大の証左となっているのである。1)
さてクラカウアーの Die Angestellen が編集部内のこうした自主規制の対象となったのは,言うまでも
なく,当時の経済体制が生み出した一つの大きな問題をそれがクローズ・アップしていたからであっ
た。そうした問題とは,当時新たに形成されつつあった社会階層が孕んでいるそれであり,問題を抱
えたこの階層は,その存在は知られていたもののそれまで殆ど真剣な議論の対象とはなっていなかっ
たのである。それはいかなる集団なのか。
(2)ドイツのサラリーマン
資本主義は,当初社会の「資本家」と「労働者(プロレタリアート)」への二極分化を推し進めて
いったが,やがてその発展過程で生産の集中・拡大および産業構造の変化を引き起こし,
「資本家」で
も「プロレタリアート」でもない社会集団を出現させることになった。即ち第一に,生産手段の所有
者が同時に生産の指導者でありえた古典的資本主義に対して,大規模な生産はそれに必要な資本を社
会から広く調達せねばならないため経営と所有とを分離させていき,その結果拡充された企業の生産
の指揮・監督を専門的に請け負う「経営者(企業家)」層が生み出された。さらに第二に,こうした企
業の巨大化および産業構造内のサービス部門の伸張によって,生産過程や組織の管理,小売,流通,広
告などの業務に携わる,従来の労働者とは異質の被雇用者階層も成立したのだった。クラカウアーの
Die Angestellten が取り扱っているのは,正にこの第二の集団である。題名が示す通り,新しい被雇用
者集団はドイツでは Angestellte(もしくは Privatangestellte)と呼ばれた。この言葉は「任用された者」
(
「民間企業で任用された者」)を意味し,一般的には「職員」と翻訳される。しかし職業分類上の概念
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としてのそれは,成立の経緯からもわかるように主としてホワイト・カラー労働者を内包としている
ので,現在の日本語における「サラリーマン」にほぼ相当している。そのためここでは Angestellte を,
我々によりなじみ深い言葉である「サラリーマン」と訳することにしたい。(ちなみに 1998 年に出版
された Die Angestellte の英語訳の題名は,The Salaried Masses である。
)
このドイツのサラリーマン集団は,労働者とは別個の保険法である,1911 年制定の「職員年金保険
法 Angestelltenversicherungsgesetz」によって公的にその存在が認知された。同じように雇用されて賃金
を得る存在でありながら,サラリーマンが労働者とは違う社会階層と考えられたのはなぜかと言えば,
既に述べたようにもともとは資本家に属していた機能を引き受けているため,彼らは企業家と敵対的
ではなくむしろその協力者であったからであり,また彼らの仕事内容が,高等教育を始めとする特殊
な資格の取得を要件としていたからである。同じ作業をしている仲間と連帯しながら雇用者を不信の
目で見る労働者に対して,資格によって経営者を頂点とする組織の中への入場を許されたサラリーマ
ンは,多様な仕事に従事し,同僚との競争に勝ち抜いてそのヒエラルヒー内で登りつめることを希求
する存在なのであった。2)
多少の紆余曲折のあと,1929 年 12 月よりフランクフルト新聞にシリーズで発表された『サラリーマ
ン』は,同年 4 月からクラカウアーがベルリンで行った「フィールド・ワーク」の成果であった。彼
は,サラリーマンや経営者にインタビューをし,事務所・職業安定所・労働裁判所を実地に観察し,職
場内の張り紙や求人広告に目を通す。このようにしてサラリーマンの「現実」を描き出そうとするク
ラカウアーの「小さな探検旅行」は,先述の通りその行き先が「知られざる地」に留まっていたがゆ
えに,センセーショナルな反響を呼び起こしたのだった。
「何十万ものサラリーマンが毎日ベルリンの
大通りには溢れているのに,彼らの生活は原始民族のそれよりも知られていない。……ラディカルな
知識人もまた,日常のエキゾチシズムの秘密を容易に暴くことはできていない。……だがサラリーマ
ンの日々の営みは,正に我々の眼前で展開されているのではないか?他ならぬこの明白さが,ポーの
小説『盗まれた手紙』におけるように,それを見出されることから守っているのである。」(A11)
確かに,抽象的な,つまり直接的な観察に基づかないサラリーマン把握は当時でも存在していた。例
えば,経営者層へと上昇することもできるサラリーマンは,一部の論者から社会的対立の激化を和ら
げる緩衝材の役割を期待されていた。つまり上下に開かれたこの階層は,労働者にとっての社会的上
昇の通路となるのであり,そうであるがゆえに労働者に勤勉の模範を示して彼らを体制内的な存在に
落ち着かせることができる。従ってそれは社会の安定と活力にとって決定的に重要な,没落しつつあ
る旧中間層(手工業者や商人など)に取って代わる新しい中間層だ,というのである。そして多くの
サラリーマンが,労働者から区別され,経済的支配層への出世の可能性を持つこうした「新中間層」と
しての自己理解を持っていた。他方で革新的な立場の人々は,サラリーマンをその「客観的な」社会
的位置から,やがて没落して自ずからプロレタリアートへと解消される存在として捉えていたのであ
る。
しかしクラカウアーによれば,サラリーマンは一方で次第にその労働内容や賃金および将来の展望
において労働者との差異を失いつつあり,にもかかわらず他方でプロレタリアート化することを恐れ,
実情に逆らってその独特の「身分」意識を温存し続けている。
『サラリーマン』が浮かび上がらせてい
くのは,正にこのようなサラリーマンの追い詰められた状況と,その「意識」の迷走である。クラカ
ウアーはそこに,ドイツにとっての深刻な危機を認めたのだった。自身の経済的・精神的救済を求め
て自己主張し始めるとき,この新たなそして巨大な社会集団はいかなる方向に進むのだろうか。こう
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した枢要な問題が,当時の主たる社会分析の視座にとっては死角となっていたのである。
今日,ナチスを支持する主要な社会層の一つとなったのは,正にこの新しい中間層としてのサラリー
マンであることが知られている 3)。そのため,1929 年の大恐慌以前に完成されていたクラカウアーの
『サラリーマン』は,今日その先駆的な着眼が注目され,彼の代表作の一つに数えられるようになった。
そこで本稿では,クラカウアーのワイマール期における思想を跡付けていく試みの一環として,20 年
代末から 30 年代初頭のクラカウアーのこうした「新中間層」論を見ていくこととしたい。
2 クラカウアーの『サラリーマン』
(1)
『サラリーマン』の方法
『サラリーマン』を初めとするこの時期のクラカウアーの論説で目を引くところは,破局の予感が影
を落としてペシミスティックな色合いを濃くしている点である。1929 年以降彼の思想は,近代の「両
義性」を強調し,
「転換」によるその肯定的ポテンシャルの解放を期待する 20 年代中葉の楽観的なトー
ンを失い,暗い予感に浸されていく。と同時に注目すべきなのは,当初より同時代批判を志向し,ま
たもともとジンメルやウェーバーの社会学に親しんでいたとはいえ,
『サラリーマン』というそれまで
の作品を考えれば異色な一見「ルポルタージュ」風の仕事に,彼が手を染めていることである。だが,
その議論の枠組みは 20 年代半ばからの「神話と理性」という図式を引き継いでおり,また晩年に彼自
身が振り返っているように,この作品もまたクラカウアー思想の出発点からの核心である瑣末なもの
への関心に基づいていた。サラリーマンもまた,当時の社会理論においては terra incognita(未開拓の
領域)であった。
「〔『サラリーマン』などの私の主要な著作は〕全てただ一つの目的に奉仕し続けてき
た。そうした目的とは即ち,なお名前を持たず,それゆえに見過ごされ誤解されてきた客体や存在様
態を復権させることである。」(H4)のみならず,こうした具体的な微細な事柄への執着は『サラリー
マン』の叙述方法の核ともなっているのだが,クラカウアーはこの点に注意を促して,自分の作品が
実際にはルポルタージュでは「ない」ことを強調するのである。
クラカウアーがサラリーマンの調査を始めた頃,ドイツでは,事実そのままの描出を志向するルポ
ルタージュが流行の著述様式となっていた。
「詩人は報告することを最大の野心にしている。観察した
ことを再現できれば勝利である。」
(A15)こうしたルポルタージュは観念論の「栄養失調」に対する反
動であり,その限りでは正当であるが,しかしそれが求めているものを得ることはない,とクラカウ
アーは言う。なぜなら,経験的事実を単に羅列しても,現実が我々に開き示されることはないからで
ある。現実に関する認識は,日常的な生の連関を模倣的に再現することによってではなく,むしろそ
れを破壊し,そしてその破片即ち微細で個別的な事象を何らかの「先行的理解」に依拠して組み合わ
せることによってこそ得られる。
「現実は一つの構成体である。そうした構成体としての現実が成立す
るためには,確かに生が観察されねばならない。だがそれは決して,ルポルタージュのかなり偶然的
な一連の観察の中に含まれてはいない。現実はただ,個々の観察をそれらの内容の認識に基づいて合
成したモザイクの中にのみ潜んでいる。」
(A16)つまり『サラリーマン』においてクラカウアーが試み
ているのは,サラリーマンの日常の断片的事実を用いての「モンタージュ」なのである。
けれどもこの試みは,具体的事象を一般的な理論の「図解」のための事例とすることでは決してな
かった。クラカウアーの社会学的モンタージュは,社会的現状に関する特定の観方を下敷きとしなが
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らも,それの単なる例解を超えて,サラリーマンの生活から拾い集められた様々な事柄を素材とする
「イメージ(Bild)
」を作り出す。彼は具体的な個物たちをその疑われざる自明な日常性から剥離し,一
見相互に無関係なそれらを,内容に対する洞察を導きに意表をつく仕方で結び付けあるいは対比させ
て,その秘められた意味や歪みを告白させる。こうした布置(星座)に配されるとき,複数の瑣末な
事象は現実の一つのイメージへと凝縮するだろう。
「〔『サラリーマン』で使われている〕素材は,何ら
かの理論の実例ではなく,現実の典型的な事例(exemplarische Fälle)である。」
(A7)ここで諸々の事
実は,一般的理論の中に組み入れられる場合とは違い抽象化されずにその具体的な姿を保ったままで
あり,このように具象的性格を備え,かつヴェールの剥がされた現実を体感させるイメージは,受容
者にショックを与えて彼らの思考を喚起し,そこでは何が欠落しているのかを意識させることができ
る。そしてイメージの中でその不可欠な構成要素となった微細な事象は,そのことによって日常的な
無視と忘却とから救済され,またモンタージュの基礎となった先行的な洞察は,いわば「理論的認識
の余剰」(R32)であるイメージの力において自らの正しさを証しする。クラカウアーは写真論で対象
をいわば「脱魂」させる写真の性格を指摘していたが,その議論を踏まえ,彼はルポルタージュと自
分が着手するモザイクとの違いを簡潔にこう定式化している。
「ルポルタージュは生の写真を撮る。モ
ザイクは生のイメージであろう。」
(A16)4)
具体的に言えば,クラカウアーが前提する現状把握とは,先にも述べたように神話と理性との相剋
としての歴史観と,さらに経済状況が意識を制約しているという(緩やかに理解された)唯物論的社
会観とである。それらを手掛かりとしたクラカウアーの社会学的モンタージュは,
『探偵小説』におけ
る「解読」の試みの変奏とも見ることができる。いずれの場合もクラカウアーは,考察対象を通常の
文脈では受容せず,その細部を特定のコードによって解読ないしは構成していくのである。そして,
『探偵小説』がこの小説ジャンルの破損部分から倫理的実存を導き出したとすれば,サラリーマンのモ
ンタージュは,その生の惨めさと不安を現前化させることで,そこに「人間性」が失われていること
を露わにする。クラカウアーは『サラリーマン』を,
「ヒューマニズムへの悲歌(ヒューマニズムを悼
む歌)」と名づけるが,ベンヤミンも非常に好意的なこの作品の書評の中で,クラカウアーによるサラ
リーマンの意識の倒錯の皮肉な暴き出しを「アイロニーの精神からのヒューマニズムの誕生」(B116)
と表現したのだった。
(2)
「プロレタリアート」化するサラリーマン
さてまずクラカウアーは,
『サラリーマン』の最初の諸章でサラリーマンの就業条件が急速に悪化し
ている現状を読者に突きつける。サラリーマンの地位低下の諸々の原因のうち,彼が最も重視するの
は,1925 年から 28 年の時期にかけてアメリカを手本として行われた,事務職への機械と合理的労働方
式の大規模な導入である。企業内でのこの機械化と合理化の進展は,かつては特殊な技能を身につけ
た人だけが請け負いえた事務仕事を,特別の教育を受けていない者でも処理できる多くの単調な作業
に細分化してしまった。
「機械道具に精神労働が内在しているおかげで,操作する人間が知識を持って
いる必要はなくなった。……彼らに要求されるのはただ一つのこと,即ち注意力だけである。」(A29)
当時その数を急に伸ばしていたこと(ほぼ 350 万人で労働者の 2 割程度にまでなっていた)が示すよ
うに,企業組織の構造の変化によってサラリーマンに対する需要は増していたが,その反面でこうし
た労働の単純作業化,さらには高等教育の普及は,サラリーマンを供給する層を拡大させた。そのた
めサラリーマンにも「予備軍」が形成されたのであり,このことは不可避的に彼らの賃金を押し下げ
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ていく効果を持っていたのだった。
そしてもちろんこの状況下では,サラリーマンが仕事で創意や個性を発揮しうる余地は次第に狭め
られていった。合理化のための専門化が職務処理権限を縮小していることもあり,彼らはかつての「資
本の下士官」から,「相互に交換可能な一兵卒」へと転落したのである。「ある大銀行では,近頃課長
は部屋頭と呼ばれている。権威の失墜を示す仇名である。」
(A31)個人の適性が調べられるとしても,
それはもっぱら効率向上のためでありその者の成長を助けるためではない。もはやサラリーマンに働
く喜びを感じる機会は殆ど残されておらず,彼らは労働を通じてただ消耗していくだけにすら見える。
労働におけるサラリーマンのこの「疎外」は,組織の変質によっても高められている。企業の拡大
に伴い大規模化したサラリーマンのヒエラルヒーは,かつては人格的でありえた経営者層とサラリー
マンとの人間関係を希薄化するため,組織内の視界も極めて悪くなっている。
「通常は文芸作品が現実
を倣うのだが,これに関しては創作が現実を先取りしている。フランツ・カフカの作品において人間
の大経営組織の紛糾が,……最高機関の到達しがたさが,決定的な仕方で描かれている。」
(A36)組織
の肥大化・体系化が進行したために,人間相互の接触が減少しているのである。
「経営層が下部組織の
サラリーマンについて何ごとかを知る可能性は殆どなく,サラリーマンの視線が上に届くこともない。
そこで指示を受け取り伝達する中間管理職が,仲介者役を引き受けている。もしも彼らが部下に対し
てと同様首脳部にも直接に接しているならば,人間は彼を通じて結びつくことになるだろう。しかし
現実に責任を負っている管理者たちはどこにいるのか。中間管理職が依存している取締役も今日では
大抵従属的な位置におり,謙遜したいときには好んで自分のことをサラリーマンと呼ぶ。彼らの上に
は監査役や銀行の代表がいるが,ヒエラルヒーの頂上は金融資本という暗い天空の中に姿を消してい
る。」(A36-37)このような組織の中でサラリーマンは,見えない頂点が下の事情に通じぬまま純粋に
経済的計算に基づいて定めた仕事を果たしていかねばならない。しかもドイツの場合,中間管理職が
しばしば軍隊式に過酷に指揮を執るがゆえに,命令履行者が抑圧を感じる度合いは一層甚だしいので
ある。
さらに今日このサラリーマンのヒエラルヒーでは,ごく稀な例外はあるにせよ頂点への道は事実上
堰き止められている。こうした事態は,サラリーマンの数の増大,合理化によるポストの削減に加え,
指導者層がもっぱら特定の「名家」から補充されるというドイツ特有の事情によって引き起こされて
いる。この希望の持てない閉塞状況は多くのサラリーマンから気力を奪ってしまっているが,彼らは
そればかりか失職の恐怖にも晒されている。
「『サラリーマンの気持ちは塞いでいる。解雇というデモ
クレスの剣が頭上に吊るされているからだ』と,述べた者がいる。別の人間の言い方はもっとあから
さまだった。
『以前は誰もが生涯勤められると考えていたのに,今日では首切りの不安に怯えている。
』
今や彼らは労働者がどんな気持ちでいるかを味わっている。」(A48)解雇の対象として選ばれるのは,
賃金が高くまた大抵の場合家族持ちのため特別の手当てを得ている,そして機械化のため若年層に容
易に取って代えることのできるようになった,中高年層である。しかも若年と中高年とを分ける線は
段々と押し下げられており,ある紳士用品店の求人広告で募集されていたのは,25 歳から 26 歳の「や
や高齢の販売人」であった。
「この店が若さに関して極端な考えを持っているとしても,実際今日商業
においては年齢の境界がかなり下方へと修正されているのは確かである。40 歳でまだバリバリ働ける
と考えている多くの人間が,残念ながら経済的には既に死んでいるのである。
」(A44)
それゆえ今や,いったん解雇されてしまえば,多くの人間にとって再就職は極めて困難となってい
る。
「無職の者がそこを通れば再び稼ぎ手となるはずのパサージュである」職業安定所は,「残念なが
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ら今日厳重に通行が禁止されている」
(N185)。もっとも,サラリーマンには救済の手段が一応残され
ている。不当な解雇であるなら,労働裁判所に訴えることもできるのである。しかし労働裁判所を訪
れる者は,持ち込まれた案件の内容によってサラリーマンの苦境を知るのみならず,日常生活への埋
没から醒めさせられたありのままのサラリーマンの姿を,正に目の当たりにするだろう。
「労働裁判所
の光は,風采を脱呪術化する。原告,被告,そして証人は,彼らの集まる労働裁判所の審理室と同様
に殺風景である。どんな化粧も若い女性の顔色を良くすることはできず,男の顔の吹き出物は一つ一
つが拡大されて見える。彼らは日曜の行楽客の反対像である。確かにどちらも,日々の営みからは離
れている。だが晴着に身を包んで自由にまたはにかみつつ散策する行楽客とは違い,彼らは装飾を剥
ぎ取られ,夕べの輝きから遠ざけられる。彼らが話し座り待つ間,惨めな裸の人間たちが兵役服務能
力ありと宣告された,あの徴兵検査場の記憶が甦ってきた。無慈悲な光がこの記憶を呼び覚ましたの
だ。徴兵検査場で光が裸ではなく戦争を露わにしたように,労働裁判所ではそれは,結局惨めな人間
ではなく惨めにする状況を暴き出している。
」
(A56)クラカウアーによるこの労働裁判所の描写は,社
会観察における彼独特の着眼の具体例の一つである。「いかなる典型的な空間も典型的な社会関係に
よって成り立たせられている。そうした関係は空間の中で,意識という撹乱させる力によって媒介さ
れることなしに表現されている。意識によって否定された全て,さもなくば見過ごされているもの全
てが,空間の構築に関与している。空間像は社会の夢である。何らかの空間像という象形文字が解読
されるところではどこでも,社会的現実性の根拠が己を提示しているのである。」
(N186)
(3)
「精神的な宿無し」としてのサラリーマン
このようにクラカウアーの見るところ,20 年代末のドイツのサラリーマンはプロレタリアートと似
た生存条件の中に追い込まれていた。だが,労働者とは違う「身分」としてのサラリーマン層は,彼
らの自尊心の拠り所となっていたもの,即ち仕事において能力を発揮する余地,相対的に高い賃金,社
会的栄達のチャンスなどを剥ぎ取られると,自分たちの存在に意味や道徳的規範を与える理論的な支
えは存在しないことを見出すであろう。
「階級意識を持ったプロレタリアートとしての労働者の生は,
俗流マルクス主義の概念という屋根によって庇護されており,この概念はともかくも彼らが果たすべ
き課題を告げてくれる。もちろん今ではこの屋根も,大分雨漏りがひどくなってはいるのだが。それ
に対してサラリーマン大衆は,精神的に宿無しであるという点で労働者階級から区別される。仲間の
ところに通じる道はさしあたり見当たらず,それまで住んでいたブルジョア的概念と感情は,経済の
発展が地盤を奪ってしまったため倒壊している。彼らは現在,仰ぎ見る教説も問い尋ねるべき目的も
持たずに生きている。」(A91)
ドイツのサラリーマンは経営者層(ブルジョアジー)と自己を同一視していたが,経済的に脅かさ
れ始めたため,もはやブルジョアジーの中核的理念としての自由主義システムを信じることができな
くなっている。こうした精神的支柱としての自由主義の凋落は,クラカウアーが随所で指摘している
ように,
「個人」や「人格」といった理念が社会の組織化の進展のために深刻な疑義に晒され,いわば
「時代遅れ」となっていることによっても加速されている。だが,ドイツの現状にとってより重要なの
は,サラリーマンの範とするドイツ・ブルジョアジーが主張していた自由主義は,もっぱら経済的領
域に局限されたそれであった,という点である。そのためブルジョアジーもサラリーマンも,もとも
と語の本来の意味での「世界観」を持ってはいなかったのであり,そうであるがゆえに経済的危機に
伴ってサラリーマンが陥る精神的な困窮は一層救いがたいのである。
「世界観的基礎の欠如は,経営者
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の地位のみならずサラリーマン層のそれをも害している。なぜなら,従属する者の生は自分に課せら
れる重圧の十分な理由付けを求めるため,支配層が正当な概念を断念してしまえば,サラリーマンは
いよいよ道を見失ってしまうからである。」(A102)
社会主義の挑戦に対してドイツの「自由主義」者は,自由な経済こそ社会内の富を増進し,ひいて
は労働者階級の生活条件も改善する,という議論に主として依拠して資本主義を擁護している。この
主張はそれ自体としては真実であろう。だがそれは果たして世界観であるのか,言い換えると「公正
な社会」の理念を含んでいるのだろうか。大衆の福祉を意図しない活動によって一般的福祉をもたら
す能力を経営者に付与するこの論拠は,自己利益だけを考える経営者を正しい社会秩序の担い手にも
祭り上げている。つまり私欲と社会正義との「予定調和」が想定されているのだが,しかし経営者の
自己責任に基づく私的利益の追求は,社会の財の総量を拡大するとしても,何らかの社会的公正の理
念によって基礎付けられた秩序を実現することはない。
「人間的なものは意図されてはおらず,やっと
副次的な効果としてもたらされる,というわけである。けれども実際には,それが生み出されること
はない。なぜなら,呼びかけられなければ答えることはできないからだ。」
(A108)にもかかわらず,
「適切な人間的秩序は自由競争の自動過程から誕生する」と唱えられているとすれば,これは支配層が
世界観を与えることをはっきり拒否していることを意味している。それゆえ現在ドイツで権力を掌握
しているのは,
「権力的関心に従って,と同時に権力的関心に反して,自らの地位を世界観的に基礎付
けえない」
(A108-109)階層なのである。だが指導に従う者は指導者から正義と道徳的拠り所を期待せ
ざるをえない以上,権力層のこの状態によってサラリーマンの日々の生は見捨てられてしまうであろ
う。
ただしクラカウアーは,
「独立した理念」を持たないことに関してドイツの経営者層に帰せられるべ
き責任は割り引かねばならないと言う。官権国家によって長く抑圧されていた彼らは,イギリスやフ
ランスのブルジョアジーのように社会的責任を自覚するほど成熟しないままに突如指導的地位を明け
渡されたのであり,しかも戦後の経済状況の過酷さや環境の激変は,彼らに自分を顧みる暇を与えな
かった。しかしいずれにせよ,ドイツ支配層のこうした現状はサラリーマンに重大な影響を及ぼさざ
るをえず,クラカウアーはその結果を 1930 年の「俳優について」という論説で次のように描いている。
「いわゆる合理化によって,既にサラリーマン大衆と仕事との結びつきは緩められており,その代わり
に彼らは,彼らには手の届かない抽象的な高みで発展している大資本により緊密に依存するように
なっている。それでは大資本はその従者たちに,どのような形態を与えているのか。大資本は素材に
よって制約された形態から彼らを引き剥がしながら,新しいそれを贈ることはない。それが意図をもっ
て運用されているならば,その担い手は一切の実体的拘束を奪われたとしても,なおその頭上に屋根
を持ちうるだろう。しかしサラリーマンは自らの業務をいわば使命感なしに行い,決定的な点におい
て無目的に,ただただ経済システムの暗い強制力だけに従っている。今日いよいよ多くの人間がサラ
リーマンとなっているが,彼らが仕えているのは,何ものも意味されてはいない力なのである。
」
(S232)
(4)消費を通じての「身分」意識の保持
ドイツのサラリーマンは,その境遇においてプロレタリアートに接近し,しかも独自の社会階層と
しての自己理解のよすがも失って空虚の中を生きている。だが彼らは,このようにいわば廃墟と化し
た自らの身分を捨てるどころか,実体を失った分だけより一層それに固執している。
「失踪したブル
ジョア性が,亡霊のようにサラリーマンに付きまとっている。」
(A82)確かにブルジョアジー的価値観
ジークフリート・クラカウアーの新中間層論
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には,守っていかねばならない要素が含まれている。しかしサラリーマンはそうした要素を支配的状
況に「弁証法的に」突きつけているわけではなく,ただ低落の事実から眼を逸らそうとして身分にこ
だわっているに過ぎない。
「実際のところ現在,月給制 Monatsgehalt であるとかいわゆる頭脳労働であ
るとか,あるいはその他の同じように重要ではない特徴に,サラリーマン大衆の多くは,もはやブル
ジョア的ではないそのブルジョア的生の礎を見出している。……経済過程におけるこの層の位置は変
化したのに,中間身分としての生の把握は残存する。……彼らは自分の立場をぼやかしてくれるよう
な,そのような違いを守りたがるのである。
」(A81)
そのため私企業の被雇用者と殆ど変わらない境遇に流れ着いている公務員は,サラリーマンとのさ
さやかな違いを強調しようと躍起になっており,サラリーマンの諸集団もあたかも相互に全く異なる
世界であるかのように振舞い合っている。女子の事務員は売り子に対して優越感を抱き,製造業にお
ける技術系サラリーマンと事務系サラリーマンとは相互に見下し合い,銀行員は自分たちをサラリー
マン階級の頂点だと考える。とはいえ,こうしたサラリーマン階層内で相対的に格上の地位を守ろう
とする欲求は,プロレタリアートと区別されることに対する彼らの熱望と比べれば物の数ではない。例
えば,現在多くの企業が就職の要件として高い学歴を求めているが,合理化のため仕事にはもはや殆
ど必要とはされないこうした資格は,もっぱらサラリーマンとプロレタリアートとの質的な差を作り
出す目的に利用されている。サラリーマンにとって高等教育は,いわばプロレタリアートを遠ざけて
おくための呪符となっているのである。「古き階級国家さえ片付けられれば,この中国式任用制度も
クーアヒュルステンダムの飾りのように取り払われるだろうと考えなかった者がいるだろうか。実際
にはそれは私経済の社会でも盛んである。」(A18)
だがクラカウアーによれば,サラリーマンがプロレタリアートとは違う身分としての自己確認を行
うのは,何よりも消費行動によってである。サラリーマンの平均的な家計を見れば,食費はプロレタ
リアートの家庭より抑えられているのに,交際やレジャーなど「文化的必要」のためには思い切った
金額が支払われていることがわかる。この事実が示している通り,サラリーマンは無理をしてでも「文
化的」生活を送ることで,中間身分としての自尊心を維持しているのである。
「なぜ労働者とサラリー
マンとの間に溝があるのかという質問に対して,ある簿記係がこう述べている。
『その主な原因は,サ
ラリーマンは誰でも自分を実際以上に見せたがるという点にある。』」
(A94)そして,どのような暮ら
し,余暇へのどの程度の消費が文化的であるかは同じ階層の他の人々の行動によって決まるがゆえに,
「人並み」から脱落しまいとサラリーマンは流行のものを追い求めていく。
「サラリーマンは高級な見
本に驚くほど従順である。しばしば社会的生の何気ないほのめかしだけで,まどろんでいる力を目覚
めさせるのに十分である。」
(A94)サラリーマン向けの雑誌は,彼らの生を成り立たせている「文化
財」に満ちている。そのようなものたち,つまり高級ピアノ,ベッド,会話術の本,若返り薬,白い
歯などの「輝きや若さ,教養や人格性などのファンタスマゴリー Phantasmagorie(幻像)
」
(B121)の中
に,サラリーマンは進んで自らを囚われさせていくのである。
サラリーマンがこうした消費文化に惹かれるのは,それが「イデオロギー的宿無しにとっての避難
所」となっているからでもある。「制限された意味でしか生と呼べないサラリーマンの生を,彼らに
とっての高次のもの das Hörere が現れる仕方以上に特徴付けるものはない。サラリーマンにとって高
次のものは内容ではなく輝きなのであり,そしてそれは精神集中においてではなく気散じにおいて現
れてくる。
」
(A91)単調な日常の「無差別状態」や経済的苦境に疲弊した人間を,百貨店のショーウイ
ンドーやキャバレーに溢れる光が癒す。人は,幻想的な人工楽園が与えてくれる陶酔によって,日々
92
荻野 雄
の営みに欠けているものが満たされるように感じるのである。「〔サラリーマン〕世界の本来的な象徴
体系の中心は,
『娯楽兵舎』である。それは,石化した,というよりむしろプラスティック化したサラ
リーマンの願望像である。」(B121)このようにベンヤミンは既に触れた『サラリーマン』の書評で指
摘しているが,そこで彼は,クラカウアーの執拗な問いについにサラリーマンの現実はその「名前」を
白状している,と言う。
「そうした名前とはベルリンである。
」
(B118)ベルリンはクラカウアーによれ
ば,正にサラリーマンにとっての宿であるような,絶えず新たなものが生まれては消えていく「思い
出を持たない」消費都市である。
「ベルリンは今日明確にサラリーマン文化の都市である。即ち,サラ
リーマンがサラリーマンのために作り出し,大抵のサラリーマンによって文化として考えられている
ような文化の都市なのである。出自や土地への繋縛が断ち切られ,週末の遠出が流行となりうるよう
なベルリンでのみ,彼らの現実を捉えることができる。」(A15)
「前近代的な」身分意識によって下支
えされた「超近代的な」消費空間,それをドイツのサラリーマンは生きているのである。
それゆえ「自然」と「理性」との関わりを軸としたクラカウアーの歴史的パースペクティヴから見
るならば,彼らは「第二の自然」に沈み込んだ存在である。というのもサラリーマンは,市場や景気
の変動によって蒙る災厄をあたかも「自然現象」のように運命として甘受しながら,企業での労働か
ら娯楽企業での消費へと回付され,そこで夢に浸ることで,自分の状況を直視することを避けている
からである。
「仮想された自然の権利によって今日の経済システムが批判されているが,しかしその際,
自然は資本主義的貪欲の内にも具体化されており,従って資本主義の最も強力な同盟者であることは
……気づかれることはない。」(A113)既に『ギンスター』でも披瀝されていた認識であるが,クラカ
ウアーによれば第二の自然の中に自閉している文化の決定的な特徴は,
「死からの逃避」である。その
ために,現在「若さ崇拝」とでも言うべき現象が見られるのである。
「雇用者だけではなく国民全体が,
老いに背を向けて,うろたえてしまうほど熱心に若さそのものを賛美している。若さはグラフ雑誌と
その読者の物神であり,老いつつある者は若さを求めて,若返りの手段でそれを維持しようとする。老
いることが死へと近づいていくことを意味するなら,こうした若さの偶像崇拝は死からの逃亡の徴で
あろう。しかし周囲に厚い死の暈ができるとき初めて,生の内容が人間に開かれるのだ……。生と死
とはそのように内密に組み合わさっているので,死を欠くときには生を持つこともできない。……若
さを生と名づけるのは,危険な誤解である。合理化された経済がこうした誤解を生み出したのではな
いとしても,育んでいるのは間違いない。」(A51-52)こうした神話的連関に取り込まれているがゆえ
に,サラリーマンが自らの現実を認識するためには,諸事実から破局の相を浮かび上がらせるモンター
ジュが必要なのであった。「サラリーマンほど自分の状況の意識を欠いている者はない。
」(A11)
『サラリーマン』には,エピグラフとして次の二つの文章が掲げられている。「解雇された女性サラ
リーマンが,雇用の継続か賠償金を求めて労働裁判所に訴えた。被告の会社の代理人として原告の以
前の上司である課長が出廷し,解雇を正当化するために,特に次の点を強調した。『彼女は事務員
(Angestellte)としてではなく,淑女として扱われることを求めたのです。』課長は原告の女性よりも六
つ年下であった。」「明らかにアパレル産業の要職にあるエレガントな紳士が,夕刻女性を伴って世界
的都市にある娯楽産業のロビーに現れた。連れの女性が副業で一日 8 時間のカウンター勤務をしてい
ることは,一目で見て取れた。クローク係の女性が声をかける。
『奥様,コートをお預かりいたしま
しょうか?』」
(A9)ここに提示されている二つの事実は,その際立った矛盾を通じて,クラカウアー
が見て取ったドイツのサラリーマンの現状を簡潔によく伝えている。労働の現場ではプロレタリアー
ジークフリート・クラカウアーの新中間層論
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ト化しつつある彼らは,にもかかわらず身分意識を維持し続け,
「消費文化」の中でそうした幻想の自
己の確認行為に耽るのである。
「ルナパーク〔移動遊園地〕では,晩になると時おり,ベンガルライト
を当てられた噴水のショーが催される。絶えず形を変える光の束が,赤や黄や緑に輝きながら,闇を
流れていく。明かりが消えれば,この光彩は数本の管からなる貧相な軟骨組織から発せられていたこ
とがわかる。噴水は,多くのサラリーマンの生に似ている。惨めさから気散じへと逃れ,ベンガルラ
イトで照らされたあと,自分が出て来た場所を忘れて夜の虚空に溶ける。」
(A101)
3 保守革命とサラリーマン
クラカウアーは,サラリーマンという未知の社会集団を探査した結果を以上のように報告する。そ
してそこで光を当てられたサラリーマンの有り様の倒錯のうちに,彼はドイツにとっての大きな危険
を認めたのだった。新中間層の困窮が一層深まって,そのプロレタリアート化がさらに進むとき,い
よいよ厳しく彼らはプロレタリアートとの混交を拒絶し,同時に現在の悲惨の主たる原因としての自
由主義(資本主義)をも敵視するであろう。そのとき「精神的に宿無し」であり自然に落ち込んでい
る彼らは,新たな「神話」へと引き寄せられてしまうのではないか。クラカウアーはサラリーマン層
を,近い将来起こりうる政治的混乱の震源の一つとして予感していた。周知のように 1929 年 10 月の
経済恐慌はドイツの危機を一気に昂進させ,翌 1930 年 10 月の選挙でナチスが中間層の支持を集めて
一大勢力として台頭することとなったが,ナチスがこうした躍進を遂げる直前の 8 月に,クラカウアー
はアドルノにこう書き送っている。
「ドイツの状況は深刻などというものではありません。……失業者
数は 300 ∼ 400 万人にも達していますし,いかなる脱出口も見えません。この国には不吉な運命が迫っ
ています。そして確かに,それは資本主義のせいだけではないのです。経済的な理由だけでは,資本
主義は獣的にはなりえないのです。」(M58,63)
以下では,彼のこうしたサラリーマンに照準を当てたドイツの危機の分析をより詳しく見ていくた
め,1931 年 10 月に発表された「中間層の反乱 ―― タート派との対決」を見ていくことにする。この
論考は,新中間層の意識に潜在する政治的危険性の分析として,その点に関しては十分に掘り下げて
いなかった『サラリーマン』のいわば補論となっているのである。
(1)タート派の主張
「中間層の反乱」におけるクラカウアーの狙いは,副題が示す通り「タート派」の主張を批判的に検
討することにあった。タート派とは,ハンス・ツェーラーを中心とする月刊誌『タート Die Tat(行動)
』
の常連執筆者によって形成されていた,いわゆる「保守革命派」の代表的な一グループである。それ
まで無名であった青年たち(ツェーラーは 1899 年生まれ)からなるこの思想集団は,ワイマール共和
国の終焉前夜に多くの同調者を獲得していたのだった。5)
この支持の拡大を最もはっきりと表しているのが,『タート』が 1929 年より編集を担当したツェー
ラーの下で,当時の事情を考えれば驚異的に部数を伸ばした(3 年間に 30 倍)という事実である。ク
ラカウアーは,この雑誌に掲載されている諸論稿が他の無数の時代分析に比べて傑出していること,そ
れゆえこのように共感する人間の数が増えているのは不思議ではないことは認める。党派的なあるい
は具体的現実を顧みない「観念論的駄弁」に過ぎない分析とは違い,タート派は確かに,今日のドイ
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荻野 雄
ツの「真正で一般的な経験」から出発している。それは,「苦境に陥っているドイツ国民の結束 die
Verbundenheit des notleidenden deutschen Volkes」
(R405)という経験である。つまり伝統も政治的理想も
宗教も社会を結びつける力を失い,解体の危機に脅かされているドイツの中で,タート派は独自の社
会統合のヴィジョンを掴み取っているのである。タート派は,この「根本経験」へと人を覚醒させる
ことを目指し,そのような問題視角から現在の状況をいわば戦略的に解明する。ここに,彼らが賛同
を集めている理由がある。
それでは,彼らがその下でドイツの再結合を図ろうとしている「理念」とは何であるのか。
「あの経
験は,タート派に国民という概念を与えた。彼らは国民を,それ以上分解しえない根本概念として措
定する。」
(R407)知的活動の中核に据えられたこの「国民 Volk」という根本概念は,彼らの場合ロマ
ン主義的に「自生的な共同体」の意味で用いられている。タート派は,共同体の基礎に個人を据える
「自由主義的」世界観こそ現在の「実体の欠乏 Substanzarmut」の主因であると見なし,人々のいわば基
層である「有機的なもの」への立ち返りをドイツ再生のために訴えるのである。有機的統一体として
の国民はそれぞれ特定の場で現れるから,地縁を断ち切りインターナショナル化を推し進める自由主
義に抗して,タート派は空間を重視し,進行しつつある世界のブロック化にも好意的なまなざしを向
ける。そしてタート派によれば,国民は現在国家として自己主張し始めており,それゆえ今日の国家
はもはや「夜警国家」ではなく,国民やその組織を残りなく統合する「全体国家」として立ち現れつ
つある。タート派は,合理的な構成体としての自由主義的な国家モデルを退け,部分が自ずから他と
接合していく非合理的で生命的な統一体という国家像を追求されるべき理想と見なしている。このよ
うに有機的国家を求めて極端に反自由主義的な姿勢を取っているがゆえに,当然のことながら「リベ
ラリズムの主要な武器である」知性は敵視され,理性も知性と同一視されているため背を向けられる。
反啓蒙主義的なタート派は,理性に代えてソレルに由来する「神話」,
「非合理的な力を何らかのひそ
かな仕方で凝縮している絢爛たるイメージ」
(R408)を国民の導きの星とする。タート派によれば,
「民
族的 national であらねばならない」この神話の主要な担い手は中間層であるが,逆に中間層もただ神話
の中でのみ偉大な共同体への帰属感を体験できるとされ,結局彼らは将来の課題として,
「一つの民族
Nation という神話の下での新しい国民共同体の創造」
(R409)を掲げるのである。(「
〔運命的共同体と
しての〕民族」と「〔市民的存在としての〕国民」は,日本語では明確に区別されている二つの概念で
ある。しかしドイツ語の Volk もまた Nation も,ヨーロッパの他の言語におけるそれぞれに対応する言
葉と同様に,渾然と「民族」と「国民」の両方を意味している。それゆえ,ここでは一応 Volk を「国
民」と訳しておいたが,それが加えて「民族」という含みを強く持つ言葉であることに注意しておく
必要がある。そして,後に見るようにクラカウアーが Volk という言葉を肯定的なニュアンスで用いる
ときには,タート派の場合とは反対に明らかに「国民」の意味の方にアクセントが置かれており,の
みならず「人民」や「民衆」といった Volk のさらなる意味もそこには込められている。)
(2)中間層の反乱としての保守革命
クラカウアーは自身の歴史観に基づき,タート派の以上のような時代批判は基本的には問題の在り
処を探り当てている,と評価する。ただし彼らは偏見や言葉の不正確さのせいで,真の「敵」に照準
を合わせることには失敗しているのであるが。時代の困窮を作り出したのは,本当は知性でも理性で
もなく,
「自らの由来を否定し,一切の限界をわきまえなくなったラティオ ratio」
(M410)である。
「ラ
ティオは一般的な理性とも,最終的にはヒューマニズム信仰を支えとする特殊な自由主義的理性とも,
ジークフリート・クラカウアーの新中間層論
95
区別されなくてはならない。……それは理性であるどころか,自然のデーモンのようにむしろ理性的
なものを圧倒してしまう。そして正に理性の無力さが,今日のラティオのこの野放図な支配を許して
いるのである。……この盲目的ラティオはまた,性急な合理化や,一切の要素は考慮に入れるのに人
間だけは無視する堕落した経済が行う計算の全てにも,責任を負っている。ラティオは無考えに技術
的装置を作り出し,その前に我々は,召喚した元素的力を制御できないでいる魔法使いの弟子のよう
に立ちすくんでいる。そればかりか,これまで社会のまとまりを保証していた繋がりを瓦解させたの
もラティオなのである。
」(R410)
もっとも既に述べたように,ラティオと理性とを混同してはいるとはいえ,状況の批判としては彼
らの主張には肯んじうる点は多い。しかしクラカウアーによれば,タート派は単なる批判を超えた地
点,つまり「彼らの根本概念が目指している実質的現実性 die substantielle Wirklichkeit」(R410)には,
決して到達しえない。というのも,
「タート」の寄稿者たちが「根本経験」としている国民や神話など
は,実際には「経験された内容」ではなく単に「願望されている内容」に留まるからである。彼らが
求めている「実体 Substanz」は「存在するかしないか」であって,その性質上決して「意志的努力」に
よって作り出すことはできない。そうである以上それについて語ることが意味を持つのは,覆いを取っ
てその存在を露わにする場合においてだけである。にもかかわらずタート派は,彼らの議論を詳細に
検討すればわかるように,実在しないそれをただ要請しているに過ぎない。このことは,彼らの用い
ている概念が,自由主義と総称されている否定的に評価されたシステムに対する無内容な反動である
ことを示しているだろう。タート派のこの「反動性」の最も典型的な表れが,自由主義の有意味性に
対する彼らの敵意である。もはやいかなる意味をも保持していないように見える状況を否定するのは
当然であるとしても,タート派は意味そのものに反対し,
「醒めた意識で野蛮の虚無へと歩を進めてい
る」
(R414)。歴史において「真理」や「正義」は無力であり,決定的な要素である「力」や「人種」
の犠牲に常になってきたと,歴史の実際を精査することもなく断言する彼らの立場は,全く積極的内
容を欠いた「明らめられていない単なる自然」
(R415)のそれである。言い換えれば,タート派が行っ
ているのは,現状への本質的にニヒリスティックな反逆なのである。
のみならずタート派は,深刻な内的矛盾にも蝕まれている。ボルシェビズムの内にすら自由主義の
汚染を見出す彼らであるのに,その言説のところどころからは見まがいようもなく自由主義的な主張
が噴き出している。例えば彼らは,資本主義を克服するために「新しい人格文化を構築する」必要性
や,我々の将来にとっての個人の決断の重要性を説いたりしているが,こうした「ブルジョア的個人
主義」は,
「統合的ナショナリズム」というタート派の根本的ヴィジョンと相容れることはないだろう。
タート派のこうした純粋に否定的で虚無的な姿勢や理論的混乱は,その主要な支持集団である「中
間層」のそれを映し出している,とクラカウアーは言う。即ちタート派を通じて反乱しているのは,没
落しつつある中間層なのである。
「中間層は今日その大部分が経済的にはプロレタリアート化し,そし
て理念という観点においては宿無しである。プロレタリア化しているために彼らは,今日の〔恐慌と
いう〕危機に面して,いよいよ反資本主義的になっている。……経済的領域におけるこの反資本主義
的感情は,しかし決して中間層のプロレタリア的社会主義への帰依をもたらさない。実情は全くその
反対である。自己主張のために中間層は,プロレタリアートからはっきりと区別されることに固執す
る。
」
(R419)クラカウアーは,
『サラリーマン』で確認されたこうした新中間層の物質的・精神的状況
から,彼らがいかなる政治的立場へと流れ着く傾向にあるかを推定していく。
「空虚の中にいる」彼ら
は,その「社会的存在の存続を理念という点で保証してくれる新しい意識」
(R420)を形成しようと試
96
荻野 雄
みるだろう。けれどもそうした身分意識を支えてくれる理念は見出しえないから,プロレタリアート
との合流を帰結させるマルクス主義を嫌悪する彼らは,現在の自由主義的システムの純粋な反対概念
としての「国家,空間,神話」へと引き寄せられる。中間層は,「いかなる故郷を意味してもおらず,
荒地の蜃気楼」
(R420)に過ぎないこれらの概念によって資本主義に対抗するのである。こうした反抗
において現出しているのは,しばしばそれが「剥き出しの暴力への訴え」にまで到っていることから
もわかるように,彼らが落ち込んでいる自然である。「『タート』が遂行している精神的闘争は,実際
常に繰り返し非精神的な暴動へと堕落する。……彼らが中間層に与える一切の概念の中で,同時に単
なる自然が暴れているのである。」(R420)他方で,安住の場所を持たない中間層は時代遅れとなった
自由主義に縋りつくこともあり,彼らのこうした別の極端への揺れ戻しこそ,タート派の議論にその
本来の傾向とは矛盾して「個人」や「人格」といった概念が侵入してくる原因に他ならない。
このようにタート派の主張が中間層の行き場のなさの現れ,いわばその困窮の呻きである以上,そ
れは中間層に救済の道を与えることはない。彼らの議論はむしろ,危険の兆候と見るべきである。つ
まり中間層は,資本によって社会主義との闘いに利用されその後捨て去られるか,あるいはいよいよ
野蛮へと接近していくか,そのような危険に晒されているのである。こうした危険は最近の経営者層
の動向によっていや増しにされている,とクラカウアーは考える。1930 年の「経営者層の精神的決断」
で彼は現状を診断して,既に述べた通り「自覚的イデオロギー」を欠いている経営者層が「はっきり
右へと舵を切った」ことを憂慮する。
「経済自身から浮かび上がってきたイデオロギーを欠いているた
め,彼らは反マルクス主義的姿勢で売り込んできた政治的イデオロギーに庇護を求めている。」
(E226)
経営者は,愛国心を独り占めしているショーヴィニストの仲間に加わったり,暴力を使用したりする
ことで,イデオロギーの問題に関して安泰となり,また経済の混乱も収拾できると考えてしまってい
る。
「疑いなく,彼らを右翼の陣営へと歩み寄らせたのは,政治的反動の側の理念内容に対する信頼で
はなく,精神的欠乏と出口なしに見える現在の状況とであった。
」(E226)
(3)サラリーマンへの期待
このようにサラリーマンを中心とするドイツの新中間層の政治的動向に危惧を抱いていたクラカウ
アーは,しかしながら決して独自の階層としての彼らを否定していたわけではない。むしろ彼はドイ
ツの未来に対して彼らが決定的な役割を果たしうると考えていたのであり,彼がタート派との対決に
踏み切ったのも,「中間層の中に存在する代替しえない力の運命に対する憂慮のゆえ」(R421)になの
であった。
このことは言い換えるならば,クラカウアーは保守革命派の非現実性を抉り出す反面,新中間層に
「プロレタリアートとしての階級意識」への目覚めを求めたわけでもなかった,ということである。20
年代中葉にマルクス主義に接近し,その影響の下独特な革命のヴィジョンを描いたクラカウアーは,
『サラリーマン』執筆時にもなお,ベンヤミンに「革命の日の朝焼けの中のごみ拾い」6) と評される余
地を残していた。しかし 30 年代に入ると,資本主義社会の全面的転覆を通じての歴史の一大転換とい
う展望に基づいた思考は,彼の論考の中には見られなくなる。上部構造・下部構造論はいわば「発見
法的原理」として保持され,また経済の計画化の必要性も強調され続けはするものの,もっぱら革命
という観点から状況を考える人々から彼は一線を画していく。そもそもクラカウアーはソヴィエトの
実験に対しては早くから慎重に距離を置いており,また個人の自由の安易な軽視や過度に集団主義的
な主張には嫌悪感を隠してはいなかった。
「一人で死に向き合う人間は,最終目的にまで高まろうとす
ジークフリート・クラカウアーの新中間層論
97
る集団に入り込むことはない。人間を縛るのは共同体そのものではなく,共同体を成立させるかもし
れない認識である。」
(A115)
ブロッホは,直接にはソヴィエトの文筆家トレジャーコフに対するクラカウアーの批判をきっかけ
としてであるが,このように「転覆の救済力」を信じなくなったかのような彼の「変貌」を責めてい
る。1931 年 4 月 29 日付けのクラカウアー宛の手紙でブロッホは,かつて「腐食したマルセイユや映画
やインプロヴィゼーション」の賛美者であったあなたが,今ではマルクスの思想から生産手段の少々
の社会化計画だけを抜き出し,
「人間」を「永遠の現象」として考察するような人物に堕落してしまっ
たと難詰している
7)
。確かに,ここで指摘されているようにこの頃のクラカウアーは,近代的自我に
よる抑圧を蒙っているとされる「(無定型な)人間性」をかつてより以上に前面に出し,またそれを社
会構造の変革とは切り離した文脈で語るようになっていた。この手紙に対するクラカウアーの返信は
残されていない。だがおそらく彼は,ブロッホのようなユートピア的な思想家にどのように思われよ
うとも,現在可能な仕方で啓蒙主義的な「人間性」
(ヒューマニズム)を守り育むことこそが,ドイツ
の知識人にとっての最も重要な課題だと考えていたのであろう。既に『サラリーマン』の末尾でも,次
のように書かれていた。
「組織が変化することが問題なのではない。人間が組織を変化させることこそ
が問題なのだ。」(A115)
それではこうした関心を抱くクラカウアーは,目下のところ危険な道へ入り込みつつあると見えた
中間層に,どのような使命を託していたのか。実はクラカウアーは,現下のドイツ社会の課題,およ
び中心となってそれを履行すべき階層に関しては,タート派と殆ど意見を同じくしていた。つまり,
「国民の連帯」が実現されねばならず,そして正に中間層こそそれを獲得する能力を持った集団である
ことを,クラカウアーも認めていたのである。ただしクラカウアーによれば,中間層が為すべきなの
は「既にあるもの」とされる幻想的な国民(民族)を持ち出すことではなく,なお存在していない(市
民的な)国民を創出する核となることなのであった。そのためには,彼らはその偏狭な身分意識を捨
てて,労働者層と結びつく必要がある。中間層は,
「プロレタリアートの許に赴いて彼らを自分たちの
側に引き入れたとき,初めて国民の経験を現実化することができる」(R423)。クラカウアーのこの提
言は,既に述べた通り状況をマルクス主義的視角から考えることを彼らに奨めるものではない。だが
中間層は,マルクス主義に対する過剰な警戒を払拭し,その「中間的」位置を,左右を越えた「国民」
を醸成するために用いるべきなのである。クラカウアーは,タート派の次の言葉に全面的に賛同する。
「その性質,伝統,血,性格ゆえに今日のシステムを認めることのできない保守的人間と,今日のシス
テムを痛めつけ唾を吐いている左翼の新しい人間とは,両者が思っている以上に共通性は大きく,そ
の距離は近い。将来への道は,こうした右翼の人間と左翼の人間とを結びつける方向へと伸びている
のであり,その逆ではない。」(R421-422)
そして,現在の「決断へと切迫している」ドイツの状況によって負わされた「国民」形成というこ
の責務を果たすには,中間層,特にタート派のようなその精神的指導者は,何よりもまず理性の尊厳
を回復せねばならないとクラカウアーは言う。現在中間層が扇動されている理性に対する反抗は,先
述の通り脅かされている彼らの絶望的行動であり,彼らの苦境を作り出している「解き放たれたラティ
オ」を制御することは絶対にできない。ラティオという「一切の被造物性から切り離された無拘束な
思考」は,理性ではなくむしろ「盲目的な自然の表れ」なのであるから,単なる自然によってそれを
押さえつけようとする試みは無効であるばかりか,むしろ一層深く人々を自然の内に沈みこませてい
くだけである。自身の限界をはっきりと自覚した「謙虚な知性」としての理性だけが,基準を失った
98
荻野 雄
ラティオを制限することができるのである。
残念ながらクラカウアーはこの「理性」について語ることは少なく,彼の理性観を十分に把握する
ことは難しい。ただ 1931 年に発表された「知識人への最小の要求」はそれについて比較的踏み込んで
論じており,彼が抱いていた理性観念をおぼろげながらも伝えている。そこでは理性は,
「先天的およ
び後天的自然」から少なくとも試行的に力を奪い,
「我々の周囲および内部の神話的構成要素」を瓦解
させていく手段として捉えられている。理性は,
「人間が自分自身を見出すまで,人間のイメージを覆
い隠している力を攻撃し非難する。自然的力の解体が,その務めである。」つまり「自然」や「神話」
に抵抗して「人間性」の発現を助けるのが理性の働きなのであるが,もちろんだからと言って理性が
自然を根絶するわけではない。だが,
「知性の努力にもかかわらず自己主張できるような自然の状態だ
けが,本当に正当化される」のである。そして理性的な人間は,自分の理想を高く掲げるのではなく,
「それを括弧に入れた上でその実現の瞬間的可能性との弁証法的関係に置き」(I355),そのつどそこか
ら果たすべき行為を導き出す。それに対して,
「列挙された社会主義的理想を頑なに,非弁証法的に主
張することは,たやすく社会主義の放棄へと変質する」(I355)。
理性は,国家や国民といった概念からもタート派などによって吹き込まれた反動的意味を拭い去り,
それらをいわば脱神話化する。クラカウアーによれば,フランス啓蒙主義のことを考えればわかるよ
うに,「真正なナショナルな力 die echten nationalen Kräfte は,正に明らめられた意識の働きの中でこそ
語り出すのである」
(I354)。新中間層がこうした理性の方向へと舵を切り直すならば,彼らは狭い身分
意識から脱して,
「右と左とからなる国民」を創造することに成功するはずである。そのときまた,ター
ト派等の「保守革命派」も掲げている経済の計画化も実現されるであろう。このようにクラカウアー
は新中間層に,理性へと開かれ,国民共同体を形成するという意志を抱いて労働者に近づいていくこ
とを求めていたのだった。
だがこの願いは,あまりに叶えられる可能性の乏しい希望であった。1933 年 1 月に,サラリーマン
の願望と幻想に応えていたナチスが政権を奪取する。そしてその直後に催された「非ドイツ的精神」の
書物の焚書において,クラカウアーの『サラリーマン』は最初に火の中に投げ込まれた本のうちの一
冊となった。自らの主要な支持階層であるサラリーマンが「敬蒙」されることをナチスは恐れ,その
可能性を早急に摘み取っていったのである。
*引用文後の括弧内のローマ字と数字は,引用した文献の略号とページ数とである。各ローマ字は,そ
れぞれ以下の文献を表している。(なおクラカウアーの作品は,著者名を省略した。)
A ; Die Angestellten,Suhrkamp,1971.
B ; Walter Benjamin,“Ein Aussenseiter macht sich bemerkbar”,in Die Angestellten.
E ;“Die geistige Entscheidung des Unternehmertums”,in Schriften 5・2,Suhrkamp,1990.
H ; History:The Last Things before the Last,New York,1995.
I ;“Minimaiforderung an Intellekuellen”,in Schriften 5・2.
M ; Marbacher Magazin 47/1988 Siegfried Kracauer 1889 − 1966,Marbach,1988.
N ;“Über Arbeitsnachweise”,in Schriften 5・2.
R ;“Aufruhr der Mittelschichten”,in Schriften 5・2.
S ;“Über den Schauspieler”, in Schriften 5・2.
ジークフリート・クラカウアーの新中間層論
99
注
1)こうしたフランクフルト新聞の歴史については,以下の文献を参照した。Helmut Stalder, Siegfried
Kracauer Das journalistische Werk in der >Frankfurter Zeitung<1921-1933, Würzburg,2003,S.21-41.
2)ドイツのサラリーマンに関しては,次の文献も参照せよ。木村雅昭,「ホワイト・カラー層の社会
意識 ―― 身分意識の歴史社会学的考察」,
『法学論叢』,116 巻第 1-6 号,1985 年。雨宮昭彦,『帝政
期ドイツの新中間層 資本主義と階層形成』,東京大学出版会,2000 年。なお前者の論文は,ドイツ
のホワイト・カラー層(サラリーマン層)が,精神文化的伝統に媒介されていかに独特な身分意識
を抱いていたかをイギリスの事例と比較しつつ考察したものであり,本稿はこの論文に多くを負っ
ている。
3)ナチズムとサラリーマンを初めとする中間層との関係については,2)で挙げた文献の他に次の文
献を参照せよ。山口定,
『ファシズム』
,有斐閣,1979 年,85-99 頁。Jürgen Kocka, Angestellte Zwischen
Faschismus und Demokratie Zur politischen Sozialgeschichte der Angestellten:USA 1890-1940 im
internationalen Vergleich,Göttingen,1977,S.17-57. 山口によると,イタリアと比較すればナチズムの社会
的基盤は新中間層(ホワイト・カラー,官吏,教師等)より旧中間層の比重の方が大きいようであ
るが,ホワイト・カラーだけを見てみると,ナチス支持者に占めるその割合はイタリア・ファシズ
ム支持者に占めるそれを大きく凌駕している。
4)クラカウアーのイメージ概念やモンタージュ概念は,明らかにベンヤミンの影響を受けている。両
者の思想的関係については,今後の研究の課題としたい。ベンヤミンのこれらの概念に関しては,次
の文献を参照せよ。Susan Buck - Morss,The Origin of Negative Dialectics, 1977,New York,pp.82-110.
5)タート派については,次の文献を参照した。蔭山宏,
『ワイマール文化とファシズム』,みすず書房,
1986 年,143-335 頁。
6)この表現は,ベンヤミンの書評の最後の部分の,クラカウアーの「イメージ」を伝える重要な箇所
に含まれている。「我々が全く彼一人だけを,孤独に仕事をし憧れを抱いている彼の姿を描いてみよ
うとするならば,我々の前に浮かび上がってくるのは,朝焼けの中のごみ拾いである。ごみ拾いは
棒で話の切れ端や言葉の屑を刺し通し,文句を言いながら反抗的に,しかも少々酔っ払っいながら
それを荷車の中に投げ込む。もちろん,朝風の中を時折舞う『人間性』や『内面性』や『深化』と
いった色あせた木綿の布切れは,軽蔑的に一瞥した後吹き飛ばされるがままにしておくが。クラカ
ウアーはごみ拾いである。しかも早朝の,革命の日の朝焼けの中の。
」(B122-123)
7)Vgl. Brief von Bloch an Kracauer vom 29. April 1931, in, Ernst Bloch,Briefe 1903-1975 Bd. 1, Suhrkamp,
1985,S.353-355.