(1) イギリスとは?

第3回
(1)イギリスとは?
(2)イギリスと言えば?
(1) イギリスとは?
1)フリー百科事典『ウィキぺディア』(http://www.ja.wikipedia.org)(2005 年 12 月 1 日
アクセス)
正式名称は、The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland(英語:ザ・
ユナイテッド・キングダム・オヴ・グレイト・ブリテン・アンド・ノーザン・アイルラン
ド)
。
通称は、United Kingdom。略称は UK。
日本語の表記は、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国。かつては「グレート
ブリテンおよび北部アイルランド連合王国」と表記されていることが多かったが(日本国
との平和条約における日本語正文などを参照)、現在ではあまり見かけなくなった。通称は、
イギリスや英国(えいこく)が一般的。他に連合王国や UK とも呼ばれる。漢字による当
て字で、英吉利と表記され、英と略される。日本での「イギリス」という呼び名は、オラ
ンダ語の Engelsch またはポルトガル語の Ingles から来ており、元々はイングランドを表
す言葉である。
2)今井宏「イギリス」
(下中邦彦編『大百科事典』第1巻、平凡社、1984 年 11
月)
、p.820.
イギリスは、江戸時代に始まる日本との交渉の初期から<ぶりたにあ><あんぐりあ>
と呼ばれ、<貌利太尼亜><諳厄利亜>など種々の漢字があてられた。その後しだいにポ
ルトガル語のイングレス Inglês およびオランダ語のエンゲルス Engels からなまって<エゲ
レス><イギリス>という呼称が広く用いられるようになり、<英吉利>の漢字があてら
れ、そこから<英国>という通称が生まれた。
3)石川敏男『ロンドン』(昭文社、1990 年 9 月)、p.8.
イギリス、イングランド、ブリテンと呼ばれるが、正式には The United Kingdom of Great
Britain and Northern Ireland.(グレイト・ブリテンおよび北アイルランド連合王国)とい
う。イングランドとは Angla land アングル人の土地という意味である。イギリスにはゲル
マン系の民族以外い先住民族であるケルト族がいる。彼らは主としてスコットランドの高
地地方、ウェイルズに住んでいる。彼らは中心部より追いやられた形なので、連合王国全
体を指すのにイングランドという表現で代表されるのは面白くない。ブリテンはケルト族
のなかのブリトン人に由来することばなので、こちらのほうを用いるほうがよい。
4)森本哲郎監修『世界の国ハンドブック』
(三省堂、1993 年 6 月)
、p.128.
イングランド(アングル人の国の意味)がポルトガル語のイングレスを経て日本に紹介
された慣用的俗称。アングルとは、かれらの先住地がドイツ北部のシュレスビッヒ地方ア
ングル(土地の隅の意)であったことに由来。総称のブリテンは、先住民ブリトン人にち
なむもので「騒々しい人々」の意。
5) 石黒昭博・山内信幸監修『英米文化常識百科事典』
(南雲堂、1996 年 2 月、
p.56.
ブリテン:イングランド、スコットランド、ウェールズおよび周辺の島々を含む 1707 年
以来のイギリスのよび名。1604 年ジェームズ 1 世 (James I)が‘King of Great Britain’と宣
されたことから、1707 年のイングランドとスコットランドの連合のよび名として使われる
ようになった。グレート・ブリテン(Great Britain)の略称。
6)新村出編『広辞苑』
(第5版)
(岩波書店、1998 年 11 月)
、p.128.
イギリス【Inglez ポルトガル・英吉利】(The United Kingdom of Great Britain and
Northern Ireland) ヨーロッパ大陸の西方、大西洋上にある立憲連合王国。グレート・ブ
リテン島北アイルランドおよび付近の九百余の島々からなる。面積二四万四千平方キロメ―
トル。人口五八二六万(一九九五)
。民族は主にアングロ・サクソン人とケルト人。宗教は、
ヘンリー八世時代以後、国教会を主とし、新教各派がある。産業革命の発祥国で、政党政
治・責任内閣制がよく発達。首都ロンドン。江戸時代、日本ではエゲレス・アンゲリアな
どと称した。英国。
7)指昭博編『
「イギリス」であること』
(刀水書房、1999 年 5 月)、p.4.
元来「イギリス」という名称は「イングランド」が変形したもので、日本がヨーロッパ
と初めて遭遇した十六世紀から用いられていた。当時はイングランドとスコットランドは
別個の国家であったので、名称と実体に矛盾はなかった。しかし、幕末に再び日本の前に
現れた「イギリス」は、もはやかつてのイングランドではなかった。一八世紀にスコット
ランドと、一九世紀はじめにアイルランドと合併した「連合王国」であり、海外に広大な
植民地をもつ「大英帝国」であった。この国に旧来の「イギリス」の名をあてたのは、当
時としては当然のこととはいえ、今日この言葉は納まりの悪さの原因であるといえよう。
8)芦原伸『イギリス』
(昭文社、2001 年 5 月)
、p.234.
日本で通常使われている「イギリス」は現地では通用しない。正式国名は The United
Kingdom of Great Britain and Northern Ireland であり、グレイト・ブリテンおよび北ア
イルランド連合王国という意味である。しかし、英国人にとってもこの国名は長すぎるら
しく、会話では「ユナイテッド・クングダム」または、
「グレート・ブリテン」単に「ブリ
テン」と略すことがほとんど。
9)佐久間康夫他編『概説イギリス文化史』
(ミネルヴァ書房、2003 年 4 月)、p.2.
現在われわれが「イギリス」と呼んでいる国の正式名は、「グレート ・ ブリテンおよび北
部アイルランド連合王国」(The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)
である。いわゆるイギリス本島(Great Britain)の中にある南東部のイングランド、南西
部のウェールズ、北部のスコットランドという3つの地域に、海を隔てた北アイルランド
が加わり、この4つの地域が結びついて(united)できているのが「イギリス」なのであ
る。
10)小池滋『英国らしさを知る事典』(東京堂出版、2003 年 7 月)、pp.21-22.
イギリス、あるいは英国といえば、国名をあらわすものと、わたしたちは通常考えてい
るし、それでとくに不都合が生じるわけではない。しかし、例えば、公務で出張しようと
して正式の書類を書こうとする時、相手の国の名をイギリスとか英国とか書くと訂正を求
められることがある。
「連合王国」と書かなくてはいけないのだと教えられる。
「連合王国」原語で書くと“The United Kingdom”である。もっとやかましく言うと「グ
レイト・ブリテンと北アイルランドの連合王国」となる。グレイト・ブリテンをさらにこ
まかく言うと、イングランドとスコットランドとウェイルズとなる。わたしたちが通常使
っている「イギリス」は、語源的に言うとこの中のイングランドだけにしか適用できない。
11)
『ロンリープラネットの自由旅行ガイド英国』
(メディアファクトリー、2003 年 10 月)
、
p.22.
英国は3つの国から成り立っている。この特殊な国の形態は少しわかりづらい印象を与
えるかもしれない。そこで、本書の解説はまず個々の国の定義から始めることにしよう。
基本的な事柄を把握するだけで、その後の解説もわかりやすくなり、英国旅行が大いに気
楽なものとなるだろう。
英国(グレート・ブリテン Great Britain、通常は短く Britain)は、イングランド、
ウェールズ、スコットランドの三国から構成されている。連合王国 The United Kingdom
(UK)と表現する場合には、英国に北アイルランドと半独立的な自治を敷く島々(マン島や
チャネル諸島)を加えた地域を意味している。一方、アイルランド島は北アイルランドと
アイルランド共和国(別名エーレ)からなるが、この二つは完全に別の国である。イギリ
ス諸島 The British Isles と表現する場合は、すべての島、つまり連合王国にアイルランド
共和国をプラスしたものを“地理的”に指しているにすぎない。世界のおおかたの人々は、英
国や連合王国全体のことを指す場合にも“イングランド”の一言で表現する傾向にある。
12)近藤久雄「『イギリス』は『イングランド』か?」(近藤久雄・細川祐子編『イギリス
を知るための 65 章』明石書店、2003 年 11 月)、pp.12-13.
実は英語の「イギリス人」あるいは「イギリス人の」を意味することばである。“English”
に対するポルトガル語は「イングレス(Inglez)」であり、オランダ語は「エンゲレス(Engels)」
である。おそらくこれからのことばから「エンゲレス」という呼称が生まれ、それが後に
「イギリス」となったと考えられる。この「イギリス」に漢字を当てて「英吉利」とし、
それを短くして「英国」あるいは「英語」という日本語の呼称が生まれたのである。つま
り「イギリス」とは本来「イングランド人」あるいは「イングランドの」という意味のこ
とばであり、地域的に見ればイギリスの一部でしかない「イングランド」を指すことばな
のであるが、現在ではスコットランドやウェールズ、それに北アイルランドまで含めて広
くイギリス全体を指す呼称となっている。従って日本語のイギリスやイギリス人をあらわ
す場合の英語は、正確には“England”や“The English”あるいは“Englishman”ではなく、一
七二九年以来議会でも意識的に使われている。“Britain”であり“British”なのである。イギ
リスの飛行機会社も“British Airways”というわけである。
13) 飯島英一『ヨーロッパ各国・国名の起源』(創造社、1988 年 8 月)、p.110.
我々が「イギリス」というのは、多分ポルトガル語、Inglez(イギリス人=E. English)
に由来するものであろう。三世紀終わりから五世紀初頭にかけ、ヨーロッパ大陸から侵攻
してきてこの国を建てたのは、ゲルマン一派のアングル人であった。日本語をはじめとし
て、ヨーロッパ諸国語の大部分におけるイギリス国名は、この「アングル」をそれぞれ、
自国語の綴字体系にひきうつして、形成したものである
ところで、イギリスの正式な国名は「大ブリテン島・北アイルランド連合王国(又は君
上連合)
」
(United Kingdom of Great Britain Northern Ireland)という。奇妙なことに、
England も English もこの名称には現れてこない。
同書では England という呼称がイギリス自体の正式国名と関係なくヨーロッパ各国語にお
いて使用されて例を紹介している。(pp.124-125.)
ゲルマン系
ドイツ語
England
オランダ語
Engeland
デンマーク語
England
スェーデン語
England
ノルウェィ語
England
アイスランド語 England
ラテン系
フランス語
Engleterre
イタリア語
Inghilterra
スペイン語
Inglaterra
ルーマニア語
Anglia
スラブ系
ポーランド語
Anglia
さらに同書ではブリテン島の呼称、国名、支配者(民族)等をまとめた一覧がある。それ
を抜粋してみると以下の通りである。(p.112)
(島名、国名、支配者、年代の順で)
Albion
ケルト
AD.43 以前
Britannia Britannia
ローマ
AD.43~410
Britain
7王国
アングロサクソン
Britain
Kingdom of England イギリス
Britain
The Commonwealth of England
イギリス
Britain
イギリス
Britain
諸部族
1649~1660
Kingdom of Great Britain
1707~
United Kingdom of Great Britain and Ireland
イギリス
Britain
930~
1801~
United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland
イギリス
1922~
*イギリスの最も古い呼称は、
「アルビオン」(Albion)で、
「白い土地」を意味していた。ま
た、1649 年はチャールズ1世が処刑された、いわゆる清教徒革命(ピューリタン革命)が
起 こ り 、 共 和 制 と な っ た こ と か ら 、 そ れ ま で の Kingdom of England か ら The
Commonwealth of England と称したのである。
14) Lump, Nathan E., editor. LET’S GO: The Budget Guide to Britain &
Ireland. (New York: St. Martin’s Press, 1996), p.56.
“Great Britain”refers to England, Scotland, and Wales and don’t call a Scot or
Welshman “English”――it’s neither accurate nor polite); the political term “United
Kingdom” refers to these nations in addition to Northern Ireland and the Isle of
Man.
15 ) Musman, Richard and Adrian-vallance, D’Archy.
Britain Today.
(England:
Longman Group UK, 1989), p.13.
Britain, Great Britain, the United Kingdom (UK for short), England, the British
Isles――these different names are sometimes used to mean the same thing, and they are
frequently used wrongly.
The name used at the United Nations is the “United Kingdom”; in full, this is the
“United Kingdom of Great Britain and Northern Island”.
Strictly speaking, England,
Great Britain and the British Isles ought only to be used as geographical names, since
England is only a part of Great Britain; Great Britain does not include Northern
Ireland, but the British Isles include Great Britain and the whole of Ireland, that is
both Northern Ireland and the Republic of Eire.
Foreingers usually call British people “English”, but the Scots, the Irish and the
Welsh do not consider themselves to be English.
16) Mike Storry and Peter Childs, editors. British Cultural Identities (2nd
edition. London and New York: Routledge, 2002), p.37.
‘Britain’is a short form of the full name of the United Kingdom of Great Britain and
Northern Ireland.
Therefore, Great Britain strictly compromises the countries
England, Wales, and Scotland, whereas the UK also includes Northern Ireland.
*「イギリス」や「英国」の呼び方ひとつをとっても、実はかなり曖昧なところがあるこ
とがわかる。イギリス史がわかれば、その呼び方の変遷についてもこれまで見て来た通り、
はっきりわかるのだろう。こうしたイギリス史の複雑さは王室の紋章にも反映されている。
これまでみて来た通り「イギリス」という呼び方は日本独自であることがはっきりして来
た。これには2つの理由がある。1つはイギリスの歴史的な問題。このあたりは飯島英一
『ヨーロッパ各国・国名の起源』が詳しい。もうひとつは日本にとって当時国際語がポル
トガル語やオランダ語であったという時代的背景に由来する。『大百科事典』で今井宏が記
述した様に、ポルトガル語の「イングレス」とオランダ語の「エンゲルス」がなまって「エ
ゲレス」
「イギリス」という日本語が誕生したと考えるとよいかもしれない。
(2)イギリスと言えば?
1)連合王国とは
「イギリス」の定義、呼び方でさえもかなり複雑であったが、
「イギリス文化」を定義し
ようとすれば、更に困難になるだろう。イギリスの正式国名が The United Kingdom of
Great Britain and Northern Ireland であることはすでに紹介したが、もともとはイングラ
ンド (England)、ウェールズ (Wales)、スコットランド (Scotland)、北アイルランド
(Northern Ireland)はそれぞれ別の国であった。ここではこうしたことを意識して「イギリ
ス文化」とは何か、あるいは「イギリス人気質」と何かといった定義を扱った文献から参考
になるものを取り上げる。
1)木村信敬編『総合研究
イギリス』(三秀舎、1992 年 4 月)、p.62.
イギリスは「多民族社会」である。古代には、さまざまの民族が、イギリス諸島に渡
来しては定住した。その後の時代に国家的統合が進み、そのもとで国内の移住や混住が
拡大し通婚が増えることで、相当程度に融合が進んだ。とはいえ、現代でもイギリスに
はイングランド人、スコットランド人、ウェールズ人、アイルランド人という四つの民
族(ネーション)が存在すると考えられている。たとえば、ラグビーやサッカーなどの
世界的な大会には、イギリスから四つの「ナショナル・チーム」が参加することがある。
また、イギリス国内であっても「ホーム・インターナショナル」とよばれる試合もある。
アイルランド人がむしろ少数派になっている北アイルランド(別名アルスター)は例外
ではあるが、これらの民族の分類はイギリス国土を構成する 4 地域(ランド)の区分にほ
ぼ呼応している。正式国名の「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」は、
イギリスが多民族の連合国家であることを示しており、国旗(通称ユニオン・ジャック)
もその連合の事実を象徴している。
確かに現在のイギリスでは、スコットランドの人口は総人口の約9%、ウェールズは
同じく5%弱、北アイルランドに至っては3%にも満たない。しかし、これら民族地域
の区分は、人口比率以上に重要な意味をもっている。政治的には「連合王国」という単
一の国家をつくりながら、民族としては多元的・複合的な性格を維持し続けているとこ
ろに、イギリスの社会を民族という側面からみた場合の最大の特徴を見いだすことがで
きるのである。
2)スケーブランド編/吉田暁編訳『世界文化情報事典』
(第 2 版)
(大修館書店、1995 年
3 月)の「イギリス」の項目をみると、
「イギリス(イングランド)」(p.46)、
「イギリス(ウ
ェールズ)
」(p.52)、
「イギリス(スコットランド)
」(p.58)、
「イギリス(北アイルランド)」
(p.66)とに分かれて説明されている。
「イギリス」全体に対する記述はない。
(イングランド)歴史が長くまた文化的遺産の豊かなイギリスは自ずから伝統を重んじ
る傾向がある。
(ウェールズ)何かと物事を深く考え傾向がみられる。また、小さな集団で働くのを好む。
(スコットランド)自国の伝統と遺産に対する誇りは強い。
(北アイルランド)勤勉を徳とするが、生活の全体的なペースは比較的のんびりとしてい
る。
3)佐久間康夫他編『概説イギリス文化史』
(ミネルヴァ書房、2003 年 4 月)、p.6.
ウェールズ、スコットランド、北アイルランドといったイングランド周辺地域の人々は、
ローカルな愛着心にもとづく地域的アイデンティティ、ケルト系民族という連帯感にもと
づく民族的・言語的アイデンティティ、そして連合王国としての政治的アイデンティティ
という 3 重のアイデンティティの重なり合い
の中で逡巡している。
4)佐久間康夫他編『概説イギリス文化史』
(ミネルヴァ書房、2003 年 4 月)、p.8.
地域にある程度の自治権(アイデンティティ)を与えてしまった方がかえって敵意意識
を減少させ、結果的にブリティッシュとしてのまとまり(ナショナリティ)が得られる
という意見もある。ともあれ、歴史的、文化的、政治的背景を考えると、
「イギリス」と
いう国に単一のアイデンティティを求めることはほとんど不可能な話なのである。
5)小池滋『英国らしさを知る事典』(東京堂出版、2003 年 7 月)、pp.30-31.
イギリス人はこうした智恵を、経験によって身につけて来た。何か高いとところから
授けられた有難い教科書か免許皆伝のお墨付きによって学んだのではなくて、長年の実
地体験の成果として知ったのである。彼れらも人間だから、過去において愚かな失敗を
たくさん重ねている。だが、そうした愚行・失敗が肥料となって、鼻をつまみたくなる
悪臭が精神の病気を防ぐ良薬となってくれた。
これがイギリス人気質の最後の、そして最大・最良の特質であると言ってよかろう。
つまり、経験論という生き方の指針である。もう少し偉そうな、哲学的な言い方(イギ
リス人からは軽蔑されるだろうが)をすれば、先に原理・原則を確立して、それを実地
の個々の場合にあてはめて行く演繹的方法ではなくて、個々の実例を並べて整理した結
果として、後から原理・原則を確立する帰納的方法である。イギリスの法律に憲法がな
いのも、これによって説明できる。シャーロック・ホームズのような名探偵の推理も、
この方法の応用だから、イギリスに世界一すぐれたミステリー小説が生まれる理由も、
これで理解できるだろう。
6)John Oakland. Contemporary Britain (London and New York: Routledge, 2001),
p.61.
National identity (of the individual nations or of Britain) is a multimensional construction, formed by often competing forces. It derives from the events
and accidents of history; the influence of central and local institutional structures; the
existence of ‘the Other’against which to measure oneself or one’s country; ideals, folk
memories and myths; alleged common ethnic origins; and a degree of invention and
artificially. Very often, it may be couched in terms of stereotypes and also be in
conflict with more localized identities with nations.
2)生活文化等
教育
小池滋『英国らしさを知る事典』
(東京堂出版、2003 年 7 月)、pp.93.
イギリスの国会が初等教育法を可決したのは一八七○年のことだった。何だ、日本よりも
たった二年早いだけなのか、と意外に思う人も多かろう。
実は、ここにイギリスという国の教育に対する姿勢がよく示されている。教育に国家権
力が介入することに対するアレルギーが、一般国民の間に早くから強くあったわけである。
小学校での最低限の教育、日本でいうところの「読み、書き、そろばん」
、英語でいうとこ
ろの「スリーR」――‘Reading, wRiting and [a] Rithmetic’――ですら、オカミにとやかく
言われる筋合いはない、それは私的な問題なのだ、と。
音楽
小池滋『英国らしさを知る事典』
(東京堂出版、2003 年 7 月)、p.78.
十八世紀イギリスは民衆の政治・経済における主導権が顕著になった時代で、音楽のパ
トロンもそれまでのような宮廷や教会から、市民階級へ移って行った。こうなると皮肉な
ことに、国内の才能のある者を見つけて育てることよりも、手っとり早く金の力で海外の
既成の名人を呼び寄せるという傾向に頼ることとなった。つまり、音楽の輸入超過国への
転換である。
そのもっとも有名な例が、ドイツ人ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデル(一六八五-一七
五九)であろう。わたしたちは「イギリスに渡った死んだドイツの作曲者ヘンデル」と考え
ているが、イギリス人に言わせると「ドイツで生まれてイギリスに来て死んだ作曲家ジョ
ージ・フレデリック・ハンデル」となる。同じようにドイツからやって来たジョージ一世
国王のために作曲(例えば「水上の音楽」)したことはよく知られているが、イギリスでも
っとも歓迎されたのは、彼のオラトリオ(聖譚曲)であった。
通貨
石川敏男『ロンドン』
(昭文社、1990 年 9 月)、p.10.
1ポンド=100 ペンス。紙幣 (note)は1、5、10、20、50 ポンドの 5 種類。硬貨(coins)
は1/2、1、2、5、10、20、50 ペンスと 1 ポンド、2ポンド(1986 年発行)の 9 種
類。イギリスが十進法 (decimal system)に変わったのは 1971 年であるが、それ以前の 1
シリング硬貨と2シリング硬貨も流通している。これらは今の 5 ペンス、10 ペンスに相当
する。スコットランド、アイルランドとも独自の硬貨、紙幣を発行しており、しかも銀行
ごとに出している。
地下鉄
石川敏男『ロンドン』
(昭文社、1990 年 9 月)、p.23.
1863 年、ロンドンのパディントン (Paddington)からファリンドン(Farringdom)まで開通したメトロポリタン鉄道(Metropolitan Railwary)が世界で最初の地下鉄だ
った。蒸気機関車を走らせたので全区間がトンネルではなく、煙を外へ出す部分を設けた。
電気機関車が使えるようになると、深いところを走らせる地下鉄ができるようになった。
また、第 2 次世界大戦中は防空壕の役割を果たした。円筒型のトンネルなので、通称 Tube
ともいわれる。
バス
石川敏男『ロンドン』
(昭文社、1990 年 9 月)、p.27-28.
いうまでもなく 2 階建て (double decker)の赤いバスは、ロンドンの名物である。バスが
ロンドンに現われたのは 1829 年、150 年以上は前のことが、この頃の乗合バスは馬がひく
ものだった。2 階建てのバスこの時代からのもので、本当は1階建の屋根に客を乗せる形式
のものだった。2 階建の理由は客をたくさん乗せられることと、天気のよい日などは屋根上
の客のほうが気持ちがよかったからである。このため、今でも 1 階のほうを inside、2 階を
outside という呼び方が残っているのである。
パブ
石川敏男『ロンドン』
(昭文社、1990 年 9 月)、p.221.
Public House の略で、本来は人が集まって相談したり、話し合ったりするところでだっ
た。それが酒を提供するようになって今日の性格ができあがった。ロンドンのほとんどの
パブは 19 世紀からのものだが、それ以上古いものもかなり残っている。パブはかつては階
級意識のはっきしていた場所だった。1 軒のパブを仕切って、労働者階級の入る Public Bar
と中流の人の入る Saloon または Lounge Bar に分かれていた。今はこの仕切りをとるとこ
ろが多くなった。ともかくパブは英国の名物のひとつである。こういうところで案外イギ
リス的な食べ物 steak & kidney pie が食べられる。
英国料理
石川敏男『ロンドン』
(昭文社、1990 年 9 月)、p.206.
■ローストビーフ
代表的な英国料理として、まず名が挙がるのはローストビーフであろう。ローストビー
フにもステーキ同様、レア、ミディアム、ウェルダンがある。
■スモークト・サーモン
スモークト・サーモンはスコットランドのもので、レモンをかけて食べる。市販のスモ
ークト・サーモンは塩が強すぎる傾向があるが、一流の店では上品に調理されている。
■ドーバー・ソウル
ドーバー・ソウルはドーバー海峡でとれる平目のことで、これもレモンや塩で食べる。
あっさりした料理のひとつ。
■ステイク・アンド・キドニー・パイ
牛の肉や腎臓を煮込んだものを入れたパイのことで、パブあたりでよく提供
する、大衆的な料理である。若い人に人気がある。
三谷康之『イギリス紅茶事典』
(日外アソシエーツ、2002 年 5 月)、p.226.
【フィッシュ・ン・チップス】
「イギリス風でてんぷら」ともいうべきその「フィッシュ」は、魚の白身を衣でくるん
で油で揚げたもの(fried fish)
。素材には、タラの類のコッド(cod)とハドック(haddock)、
カレイの類のプレイス(plaice)の3種類が四季を通じて用いられる。骨を抜き、頭部を除い
た大きな切り身を厚めの衣に包むので、でき上がりも相当に大きくなる。衣は粉をミルク
と水で溶き、砂糖を少々加え、イーストも入れる。卵や少量の酢〔ヴィネガー〕を加える
こともある。
チャールズ・チャップリン Charles Spencer Chaplin (1889-1977)
チャーリー・チャップリン(Sir Charles “Charlie” Spencer Chaplin, 1889 年 4 月 16 日 1977 年 12 月 25 日)はハリウッド映画初期の俳優、脚本家、そして映画監督である。本名
チャールズ・スペンサー・チャップリン。バスター・キートンとハロルド・ロイドと並び、
「世界の三大喜劇王」と呼ばれる。
1975 年には、それまでの活動を評価され、ナイトに叙され「サー・チャールズ」となっ
た。1977 年のクリスマスの朝に没した。日本には 1932 年、36 年、61 年に訪れている。
フィルモグラフィー
1914 年 『成功争ひ』 Making a Living
1915 年 『チャップリンの失恋』 The Tramp
1916 年 『チャップリンの質屋』 The Pawn Shop
1917 年 『チャップリンの霊泉』 The Cure
1917 年 『チャップリンの移民』 The lmigrant
1917 年 『チャップリンの冒険』 The Adventurer
1918 年 『犬の生活』 A Dog’s Life
1918 年 『担へ銃』
Shoulder Arms
1919 年 『サニーサイド』
Sunnyside
1919 年 『一日の行楽』 A Day’s Pleasure
1921 年 『キッド』 The Kid
1921 年 『のらくら』 The ldle Class
1922 年 『給料日』 Pay Day
1923 年 『偽牧師』 The Pilgrim
1923 年 『巴里の女性』 A Woman of Paris (監督のみ)
1925 年 『黄金狂時代』 The Gold Rush
1928 年 『サーカス』 The Circus
1931 年 『街の灯』 City Lights
1936 年 『モダン・タイムス』 Modern Times
1940 年 『独裁者』 The Great Dictator
1942 年 『黄金狂時代』サウンド版
1947 年 『殺人狂時代』 Monsieur verdoux
1952 年 『ライムライト』 Lime Light
1957 年 『ニューヨークの王様』 A King in New York
1959 年 『チャップリン・レヴュー』 The Ghaplin Revue
1966 年 『伯爵夫人』 A Countess from Hong Kong (監督のみ)
3)キャラクターとしてのイギリス物
フランケンシュタイン
メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』(1818)
ホエール監督『フランケンシュタイン』(1931)
ホエール監督『フランケンシュタインの花嫁』(1935)
ブラナー監督『フランケンシュタイン』(1994)
ドラキュラ
ブラム・ストーカー『ドラキュラ』(1898)
ブラウニング監督『魔人ドラキュラ』(1931)
フィッシャー監督『吸血鬼ドラキュラ』(1957)
コッポラ監督『ドラキュラ』(1992)
*ドラキュラ退治に乗り出すヴァン・ヘルシンクが登場し、以後、魔物退治の代名詞とし
て使われるようなる。ヴァン・ヘルシンクの話も独立して作られるようになる。
ピーター・パン、ウェンディ、フック
ジェームズ・バリー『ピーター・パン』
(1904)
ブレノン監督『ピーター・パン』(1924)
ラスケ、ジェロニミ、ジャクソン監督『ピーター・パン』(1953)
スピルバーグ監督『フック』(1991)
ホーガン監督『ピーター・パン』(2003)
フォースター監督『ネバーランド』(2004)
ピーター・ラビット Peter Rabbit
ベアトリクス・ポッター Beatrix Helen Potter (1866-1943)
上田和夫編『イギリス文学辞典』
(大修館書店、2004 年 1 月)、p.281
女性童話作家・挿絵画家。 Lancashire の裕福な家庭に育つ。教育は家庭教師のみ。避暑
先の湖水地方 Lake District を愛し、動植物を写生。1893 年家庭教師の息子の見舞いに書
いた絵入り手紙が The Tale of Peter Rabbit の原型で、1901 年、250 部を自費出版。以降
23 冊のシリーズは児童文学の古典となった。動物の生態に基づくユーモラスなストーリー、
難関な語も取り入れと簡潔な文章、綿密な取材と博物学の感性に支えられた正確な絵が特
徴。1905 年、湖水地方 Lake District の Windermere 湖の近くに Hill Top Farm を購入。
13 年結婚、以後農業と牧羊に専念。数千エーカーの土地を National Trust に遺贈した。
アリス Alice
ルイス・キャロル Lewis Carroll (1832-1892)
上田和夫編『イギリス文学辞典』
(大修館書店、2004 年 1 月)、p.56.
児童文学者・数学者。本名 Charles Lutwidge Dodgson。Cheshire の牧師の長男として
生まれ、Rugby 校からオックスフォードの Christ Church に進み数学を専攻、1854 年卒業
後、同学寮の数学の講師となる。聖職叙任。生来の内気と酷い吃音のために人前で話すの
を苦手とした。Edmund Year の雑誌 Train などに投稿し‘Lewis Carroll’の筆名を用いる。
女の子を可愛がり、大学の学生監 Liddle の娘 Alice とその姉妹の舟遊びをしたとき、思い
つきで話したことをもとに Alice’s Adventures in Wonderland (1865)を出して大成功を博
した。ヴィクトリア朝の倫理と大人の整合性から逸脱した物語は児童文学として画期的で、
児童の精神傾向への新しい接近の道を開いた。続編 Through theLooking-Glass and What
Alice Found There (1871)とナンセンス詩 The Hunting of the Snark などがある。
ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』(1865)
ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』(1871)
くまのプーさん Winnie-the-Pooh
アラン・ミルン Alan Alexander Milne (1882-1956)
上田和夫編『イギリス文学辞典』
(大修館書店、2004 年 1 月)、p.230.
小説家・随筆家・劇作家。ロンドン生まれ。ケンブリッジ大学に学び Granta 誌を編集。
1906-14 年 Punch 誌の副編集長となり、随筆を連載。Mr Pim Passes By (1921)など軽妙な
ユーモア喜劇 20 作がウェスト・エンドで上演された。The Red House Mystery (1921)は推
理小説の傑作。童話集 When We Were Very Young (1924)、Now We Are Six (1927)、
息子とぬいぐるみが主人公の童話 Winnie-the-Pooh (1926)、続編 The House at Pooh
(1928)は、Ernest H. Shepard 挿絵で児童文学の古典。Pooh はラテン語など諸国語版、Walt
Disney のアニメ版、タオイズムやビジネス・マニュアルへの応用版にもなった。Milne 自
身は童話作家とは見られたがらず、また実際の父子関係は冷たく、息子の Christopher
Robin は童話のモデルになったことが原因で、極度の人間嫌いになった。
機関車トーマス Thomas the Tank Engine
きかんしゃトーマス (Thomas and Friends)は、イギリス制作の幼児向けの人形劇テレビ
番組。日本語版は一貫して「きかんしゃトーマス」
。
コンテンツ化された番組自体をはじめ、絵本や玩具・日用品・衣料など、2005 年現在で
日本国内のきかんしゃトーマスのキャラクター商品の売上額は年間 250 億円に上ると言う。
パディントン・ベア Paddington Bear
「マイケル・ボンド」(http://www.ehon.info/whoswho/MichaelBond.html)(2005 年 12
月 1 日アクセス)
1926 年 1 月 13 日、ロンドンの西に 100 キロほど離れたニューベリーに生まれる。半年
後父親の仕事でレディングの町へ。義務教育の終了後 14 歳で弁護士事務所に入り、後に
BBC 放送へ入社。17 歳で空軍に志願。2 年後陸軍に移りエジプトへ配属。その頃から文章
を書き始め、1947 年には再び BBC に戻りカメラマンとして仕事をしながら執筆を続け、
1958 年に『クマのパディントン』を出版し人気を博す。
「パディントン・ベアのなぞ」 (htt://www.2s.biglobe.ne.jp/ ~ keri/paddingtonbear.htm)
(2005 年 12 月 1 日アクセス)
英国のマイケル・ボンドの童話。赤い帽子、青いダッフルコートに赤い靴のくまのお話。
ペルーから密航してイングランド、ロンドンにやってきた。パディントン駅の「落とし物
預かり所」近くで、皮のスーツケースに座っていたところへブラウン夫妻がやってきた。
運命の出会い、というわけだ。くまの首には、「このくまの面倒をみてあげて下さい。あり
がとう。
」と書かれた札が下がっていた。この単純な要求に、ブラウン夫妻はそのくまを自
宅に連れてかえらずにはいられなかった。パディントン駅で見つけたからパディントンと
呼ばれるようになった。
シャーロック・ホームズ
上田和夫編『イギリス文学辞典』
(大修館書店、2004 年 1 月)、p.323.
A. Conan Doyle が創造した私立探偵。ロンドンの架空の場所 221B,Baker Street に住
み、Dr Watson とともに難事件を次々と解決した。その水際立った推理とストーリー性は
全世界に熱狂的ファンを生んだ。初事件は A Study in Scarlet (1887)、以後 60 以上の事件
に関わるが、The Adventures of Sherlock Holmes (1891)、The Case-book of
Sherlock Homles (1927)はその事件を収めた短編集である。The Final Problem (1893) で
死亡するが、ファンからの激しい抗議で、生き返らせた「事件」はよく知られる。事件の
怪奇と複雑さは世紀末のイギリス、ことにロンドンの混沌とした空気に合っていた。
サンダーバード Thunderbird
「サンダーバード」(http://www.tbjapan.com/intro/intro_navi.html)(2005 年 12 月 1 日ア
クセス)
「サンダーバード」の生みの親、総製作指揮のジェリー・アンダーソンは、1929 年 4 月
14 日、ロンドンのハムステッド生まれ。技術学校で石膏工芸を学んだが、石灰にアレルギ
ーを持っていたとわかり、映画セット用の模型を作る夢を断念したという。
スチール写真技師として、働き始めたジェリーはどうしても映画産業で働きたくなり、
英国情報省に属するフィルム製作現場に見習として参加した。その後、独立系フィルムメ
ーカーの「ゲーンズボロ・ピクチャーズ」に入社したが、1947 年に英国空軍に徴兵され、
航空管制の無線交換手を担当した。
2 年後に兵役を終えたジェリーは、数社の映画製作会社を経て、劇場上映用の CM フィ
ルムやドキュメンタリーを制作する「ポリテクニック・スタジオ」に入社する。そこで多
くの仲間と出会い、1955 年暮れに仲間 5 人と独立して CM フィルム製作会社「AP フィル
ムズ」を設立した。
しかし、CM の仕事は来ず、瀬戸際となった半年後に舞い込んだ仕事は、絵本作家ロバ
ータ・リー原作の「The Adventures of Twizzle」
(日本未公開)という、安価な 15 分人形
劇 TV シリーズ 26 本の製作依頼だった。その後、彼女原作の「Torchy The Battery Boy」
(日本未公開)15 分 全 26 話の人形劇 TV シリーズも製作している。
そして、ロバータ・リーが紹介した作曲家、バリー・グレイ原案で、1960 年グラナダ TV
放送「Four Feather Falls」
(ウエスタンマリオネット 魔法の拳銃)を製作することとな
った。このときの操り人形には、頭部中部に電磁石を内蔵し、台詞の録音テープに直動し
て、電気信号で唇を開閉させる「リップ・シンクロイド装置」を試験的に使用している。
その後、ジェリーは ATV 総帥のルー・グレード卿のバックアップを受け、スーパーマリ
オネーション第 1 作の「スーパーカー」
、英国はカラーTV 番組「スティングレイ」
、初の1
時間人形劇「サンダーバード」などの特撮人形劇で、ヒット作品を発表した。1965 年「AP
フィルムズ」から「21 世紀プロダクション」に改名したスタジオは「キャプテン・スカー
レット」
、
「ジョー90」
、
「ロンドン指令 X」の後に、実写作品にも挑戦を始め、
「UFO」の
終了後、解散。
ジェリーは「グループ・スリー・プロダクション」を作り 1972 年「プロテクター-電光
石火」
、1975 年「スペース:1999」を製作して、成功を収めた。
「テラホークス」
、
「ディック・スパナ-」
「スペース・プリシンクト」「ラベンダー・キ
ャッスル」など子供番組を製作したジェリーは、現在新作を作る為に活動中である。
21 世紀の世界は科学技術がめまぐるしく発展し、人類にとっては夢のような世界であっ
た。しかし、その科学技術はひとたび事故を起こせば逆に大惨事となる危険性をはらんで
いる。そのような時代背景の中、西暦 2065 年、アメリカの世界的な大富豪、ジェフ・トレ
ーシーによって国際救助隊(INTERNATIONAL RESCUE ORGANIZATION)が設立され
る。ひとつの国や救助組織では対応できない大惨事から人々を救出するためである国際救
助隊は公的なものではなく、あくまでもジェフ・トレーシーとその家族らによって構成さ
れる私的な組織である。主たる活動は、その名の通り“人命救助”。
最新気鋭の科学技術によって開発されたスーパーメカ“サンダーバード”を駆使して、災害
や事故、あるいは犯罪によって危機に直面した人々を救う。
活動の拠点となる基地は、南太平洋上に浮かぶ絶海の孤島、トレーシー・アイランド。
悪用を避けるため、その詳細は絶対の秘密とされている。ジェフの指揮のもと、ブルーの
制服に身を包み、サンダーバード・メカに乗り込むのがジェフの5人の息子達、スコット、
ジョン、バージル、ゴードン、アランだ。彼らの知恵と勇気に満ち溢れた活躍を描くのが、
『サンダーバード』なのである。