酒井 哲雄 Sakai Tetsuo 日 本 キャンプ協 会 名 誉 会 長 元 大 阪 YMCA 副 総 主 事 頌栄短期大学理事長 時代に合わせて キャンプは変化し続ける ▼海洋国日本を担う若者たちへ 阿南国際海洋センターを作ったのは、日本 列島で暮らす日本人にとって海は重要な生 活の基盤であり、海を知らねば世界と繋が らないという信念があったからです。セン ターのモデルとしたのはアメリカノースカ ロ ラ イ ナ 州 の「 Camp SEAGULL」。海 洋 プ ロ グ ラムを通してキャンパーが成長していく素 晴らしいキャンプ場を視察し、感銘を受け ました。 阿 南 海 洋 セ ン タ ー 開 設 時 に は 、“ 子 ど も 達 に と っ て 良 い も の は 何 か ” と い う 一 貫 し た 思 想 の 中 で 海 洋 体 験 、生 活 体 験 全 て を 考 え ま し た 。カ ッ タ ー・ボ ー ト を 設 計 す る に し て も 、 当時の日本人の子どもの体格・体力を調査し、子どもたちに合ったサイズで特別に発注 したものです。本当に良いものを提供するためには、準備が必要で、だからこそ上質の 「本物体験」を提供できたのだと自負しています。 ▼キャンプが人に与えるもの 生活の知恵や本物体験。それらはキャンプを形つくる大切な要素です。しかし、それら は 手 段 で あ り 目 的 で は あ り ま せ ん 。キ ャ ン プ は 何 を 目 的 と し て い る の か 、と 問 わ れ れ ば 、 そ れ は 「 人 格 形 成 」 の た め で あ る と 言 う こ と が で き ま す 。 1830 年 代 、 社 会 的 な 背 景 の 中 で 、子 ど も た ち の 笑 顔 が 失 わ れ て い っ た 時 代 が あ り ま し た 。そ の 笑 顔 を 取 り 戻 す た め に 、 アメリカのニューイングランド各地に一つの試みとして作られた教会の中の砂場から、 「プレイグラウンド・ムーブメント」が起こりました。両親の共働きや都市化、教育の 高度化などにより、子どもたちの遊ぶ時間や空間が失われていく社会において、キャン プは大きな役割を担うことになります。阿南国際海洋センターにおける「本物体験」へ の こ だ わ り は 、子 ど も た ち の 成 長 の た め に 、 「 遊 び 」や「 体 験 」、 「 笑 顔 」が い か に 大 切 で あるかを考えた結果なのです。 1 「 少 年 よ 、大 志 を 抱 け 」で 有 名 な ク ラ ー ク 博 士 は 、 も う ひ と つ の 言 葉 を 残 し て い ま す 。「 Be Gentleman!( 紳 士 た れ ! )」。 キ ャ ン プ の 本 質 は 、 やはり人格形成に多大な影響を与えるところにあ るのでしょう。 ▼ キ ャ ン プ 100 年 、 そ し て 次 の 世 代 へ 今の日本のキャンプは停滞期にあると感じてい 「 本 物 体 験 」に こ だ わ り 抜 い て 、当 時 の 日 本 人 の 子 ど も た ち の 体 型・体 力 に 合 わ せ て 作られたカッター・ボート。 ます。子どもたちの生活様式に合わせて、キャン プスタイルを変化させていくべきでしょう。大きな自然災害時にキャンプ経験者が活躍 をしたこともあり、キャンプには不便・不自由・不足を克服し体験する防災教育として の側面も持ち合わせています。しかし、今の子どもたちが置かれている一番の課題に向 き合うべきでしょう。 超情報化社会が加速度的に進み、話す・触れ合うなどの基本的な対人関係が失われて いる時代において、まさに「人間性」を回復させることができるのがキャンプであると 信じています。その基本は「気づき」です、何に気づくのかと言いますと“隣人”大き く 言 え ば“ 人 類 全 体 ”。次 に“ 環 境 ”や“ 社 会 ”そ し て“ 自 分 ”に 気 づ く と い う こ と で す 。 そして心と心の触れ合いをキャンプで取り戻すこと。会話や思いやりの乏しいところに 「優しさ」を取り戻すのがキャンプの持つ教育力です。これらキャンプにおける全ての 体験が“気づき”に焦点をあてられているべきであり、キャンプが私たちにとってのチ ェ ン ジ エ ー ジ ェ ン ト で あ り 続 け る キ ー ワ ー ド で す 。キ ャ ン プ が 生 ま れ た 原 点 を 振 り 返 り 、 基本に戻ることが大切です。 Profile 1924 年 大 阪 生 ま れ 。 1950 年 大 阪 YMCA 入 職 、 野 外 事 業 を 担 当 。 海 に 囲 ま れ た 日 本 で 、「 海 」 を 学 ぶ キ ャ ン プ 場 の 必 要 性 を 訴 え 、1968 年 、日 本 初 の 海 洋 キ ャ ン プ 施 設「 阿 南 国 際 海 洋 セ ン タ ー 」を 創 設 し 、初 代 セ ン タ ー 長 に 就 任 。そ の 後 、 国立学校法人鹿屋体育大学海洋スポーツセンターを開設 し 、多 く の 日 本 の 青 少 年 の 成 長 に 努 め た 。1988 年 よ り 日 本 キ ャ ン プ 協 会 会 長 就 任 。日 本 の 組 織 教 育 キ ャ ン プ の 発 展 に 大きく貢献した。 【 取 材 : 名 古 屋 YMCA 2 中村 隆】
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