2009. 嵐の中を、主イエスと 弟子たちにとっては、嵐に巻 き込まれるということは、自 分の滅びにかかわる出来事で ありました。しかし、主イエ ス に と っ て は、 そ う で は な マタイによる福音書 第 章 〜 節 かったのです。眠っていて良 ことでも大きく感じられ、自 終わりの時には、天変地異 い出来事だったのです。 分の周りは危険だらけではな が起こり、地震が頻発すると そして、この主イエスのリ そして、 アリティをこそ、私たちも共 いかと思うのです。弟子たち 考えられていました。 は怖れに支配されていったの 悪の勢力と信仰者たちとの戦 有 す べ き で は な い で し ょ う いが起こると言われてきたの か。弟子たちのように慌てふ です。 ためく必要はもはや無いとい です。 見 よ! 主 は マタイというこの福音書の うことです。これによって滅 眠っておられる 記者は、単に自然現象のみを ぼ さ れ る こ と は 決 し て 無 い、 船に乗り込み、湖を渡って 描こうとして、この嵐の記事 その確信を主イエスは持って いくと案の定、危ない目に遭 を 記 し た の で は な い の で す。 おられたのです。 うことになります。弟子たち 終 わ り の 時 の 戦 い が も う 始 そして、たった一言、お叱 は慌てふためきます。 しかし、 まっている。悪の勢力がその りになられると、嵐は主イエ 視線を主イエスの方に向ける 力 を 信 仰 者 た ち へ と 伸 ば し、 スに従ったのです。 と、驚くべき姿で主はそこに 信仰を挫こうとしている。そ お叱りの言葉を待つ のような戦いをここに描こう いらっしゃった。 としたのです。 どんな問題も、主イエスの 「眠っておられる!」 弟子たちはあっけに取られ ですから、弟子たちはこの お叱りに最終的には従わなく てはならなくなります。私た ます。こんな危機的状況のさ ように言うのです。 な か、 何 も 無 い か の よ う に、 「 主 よ、 助 け て く だ さ い。 ちにとっては、難問は難問に しか映りません。しかしなが 」 平安のうちに眠りについてお おぼれそうです。 られるのです。 「 お ぼ れ そ う で す 」 と い う ら、主イエスにはどのように の は、 「 滅 び そ う で す 」 と い 映るのでしょうか。もしかし 終わりの時の戦いの中で う言葉の意訳です。滅びにか たら、眠っていても良いもの かわる戦いが、弟子たちにお かもしれません。どのような 時であれ、主のお叱りを待ち いて起こっていたのです。 続けることが許されていま 主イエスのリアリティ す。このキリスト者としての そんななか、あろうことか、 幸いを味わっていきたいと思 主イエスは眠っておられる! うのです。 船 は 嵐 に 襲 わ れ て い ま す。 嵐という言葉は、地震とも訳 しうる言葉で、さらに、この 地震というのは、特別な意味 内容を指すものでもありま す。 8 ご一緒させていただく 暗闇の中で 「 お ぼ れ そ う で す、 助 け て ください!」叫びたくなると きがあります。自分で解決を 見つけることができず、不安 が襲い掛かってきます。この 世界で遭遇する問題は簡単な ものばかりではなく、難問も 多くあります。目の前が真っ 暗になるということを経験す ることがあります。 ▼ 日 本 基 督 教 団 主イエスについていく 主イエスに「向こう岸へ渡 ろう」と命じられ、ついてい く弟子たち。この弟子たちの 心境はいかなるものだったの でしょう。向こう岸というの は安全な場所ではありませ ん。むしろ、危険な場所であ るとさえいわれていた土地で す。悪霊の住みかではないか と人々が恐れていたのです。 恐 れ お の の く ば か り で す、 恐怖に支配されそうになりま す。何もかもが自分を傷つけ るものではないかと、疑い深 くもなっていきます。小さな 第 385 号 7 福音主義 教会連合 まことにして 一つなる教会をめざす 昭 和 52 年 10 月 13 日 第 三 種 郵 便 物 認 可 毎 月 1 回 10 日 発 行 第 385 号 / 2009.7.10 23 27 大阪 ♦ 岸和田教会伝道師 石井 和典 第 1.辻宣道議長 章 13 ◎1989年 月 常議員会 第 回教団総会では、直面 す る 課 題 に 応 え る た め と し 執筆者を依頼して、一部を 見本として提出 て、宣教委員会から4項目の ◎1990年1月 刊行委員 議案が提案された。 会が発足する。 ①天皇制強化の政策及び風潮 日本基督教団常議員 の中での「わたしたちの宣 ◎1990年 月 刊行委員 小 林 貞 夫 福音主義教会連合常任委員 名による「刊行に関する 教」に関する声明文を発表 賛同のお願い」が広く配布 する。 された。募金趣意書になっ と解明出来ない。が、一時の ②「日の丸」 「君が代」 「元号」 ている。 荒れた状態を知る人の多くは 等の使用を拒否する。 うなずいている。 ③日本基督教団「天皇代替り ここまでの経過では、発足 に関する情報センター」を の決定はしていないのに、教 暴 力 造 反 を し た 人 の 中 で、 団の名前を勝手に使ってい 中核派の支持のあった人は教 積極的に支援する。 団で用いられ、革マル派の支 ④「いま、宣教を考えるため た。経費も使っていた。 持のあった人は脱落や転向を の聖書注解書」及びそれに ◎1990年 月 第 回教 団総会では、何の審議も行 したように見える。この事情 関連する基本図書の発行を なっていない。常議員会に も後の教会史家に委ねたい。 すすめる。 付託されているので、そこ 第 回教団総会は、辻宣道 で継続しているというので 議長を選出した。伝道第一を ①、 ②、 ③ は 可 決 し た が、 ある。 (見事な策略だった) 主張する言わば教会派で、大 ④については異見が多く出さ 方の予想を覆えす当選であっ れた。特に、現在はふさわし ◎1991年7月 常議員会 で注解書刊行が可決され た。得票経過を表で示してあ い 注 解 書 は 一 つ も な い の で、 た。 る。本命不在と、父・辻啓蔵 宣教委員会が作る、という主 の獄死アピールの結果がもた 張には、拒否的反応が多かっ 発行された注解書は、提案 した方針とは全く異ったもの らしたものだった。 た。 だった。提案の時は執筆者は 誰が議長になっても大勢に 否決を避ける形で常議員会 と 多 く の 議 現場の人で複数。内容は宣教 変化はないという造反派のゆ 付 託 と な っ た の に、 裏 を か の課題に応えるもの。総会で るみでもあった。しかし、常 員 は 思 っ た 議 員 会 は 造 反 派 圧 勝 と な り、 く手段で、強引に決定してし の4つの提案はセットでなけ 殆んどの議案は、 対6で可 まうのである。以下、日程を れ ば 意 味 が な い と 主 張 し た。 追いながら、 そのどれもが守られていな 決されることが多かった。 ◎1988年 かった。 結局、 冊刊行した所で行 対立抗争をし、殺し合いまで あった(立花隆著「中核 革 マル」) 19 8年8月 日「日本 基督教団への公開質問状」が 名古屋地域の革マル派から送 られて来た。小田原紀雄の告 発状だった。他にも質問状は あった。教団は中核派と見ら れていたことになる。 管沢邦明は暴力行使では抜 きん出ていたが、極左のメン バーではなかったらしい。 川 端 純 四 郎 は 共 産 党 系 で、 自らは「困乱の調停役だ」と 主張して、造反派のリーダー と思っていた筆者などを驚か せた。しかし、最後まで、教 憲教規は守ると主張したこと と合せ、聞く耳を持っていた ことは認めてよい。 教団事務局のあるキリスト 教会館は、極左のアジトであ ると聞いていた。真相は当局 の資料が公開される時でない 東京教区の復帰 第 回教団総会は1 9 8 8 年 月、箱根小涌園で 開 か れ た。開会礼拝の説教で 志 村 信 夫はこう切り出した。 「 聖 霊 と か 祈 り と か、 口 に す る の が 気 恥 か し い よ う な、 顔を赤らめて言わねば な ら な いような、そのような 雰 囲 気 を教団総会に感じていた。」 課題解決は闘いで勝 ち と る もので祈りに逃避して は な ら ない、という造反派の主張が、 常議員会や総会を支配 し て い た情況を吐露している 。 教団は極左が支配してい た。桑原重夫・小田原 紀 雄 は 中 核 派 の 講 師 と な っ た。 九、 一・二 事 件 を 主 導 し た の は、 同 志 社 大 学 の 中 核 派 だ っ た。 東京神学大学のバリケ ー ド 封 鎖を主導したのは革マル派 だった。 中核と革マルとは、 烈 し い 2 25 20 .聖書注解書の発刊 25 月 教団総会 常議員会へ付託 26 25 11 9 26 VS 11 10 11 実 録 − − − − 11 (第 3 種郵便物認可)第 385 号/ 2009.7.10 2 日本基督教団 福音主義教会連合 10 3 (第 3 種郵便物認可)第 385 号/ 2009.7.10 23 決 戦 辻 宣道 69 95 147 原 忠和 80 92 128 大宮 博 59 34 辻 建 60 46 後宮俊夫 19 7 1 問題 女性の 総会議員 教団として、 カンパは集まる。 ンターに。 委員会ではなくセ 行ってよい。 あるのは差別だ、 正教師、補教師が 造反派の主張 請したが、難渋し 議長が各教区に要 会計も不明朗。 浸透しない。 よってこれに反 複数教区が議決に 展 開 円。 中 止 に な る。 運 動 は 特 殊 化 し、 赤 字 2,7 0 0 万 対、大討論に。 社委に吸収。 超法規で扱う。 総会は大困乱。 した。 任地があり、解決 なる。 地下に潜った形に どうなったかのメモ 任地を保障すべき た。 信 徒 議 員 と し て、 だ 男 女 差 別 で あ り、 教区より選出され 部回収。 配布したものは全 た。 大変な支出になっ た。 人権無視である。 分っていない。 れない。 出版局はだめだ。 全 冊 を 刷 り 直 し、 全冊刷り直しした 沖縄基督教団と書 第 章で示した 本文2で示した いた。 分 級 教 案 の 中 で、 合同について何も は、総会議員にな 牧師婦人で補教師 らかにした をさせなかった。東京教区へ 辻宣道議長の時の主な論点 のいやがらせの議場操作で あった。 問題の始まり 課 題 そのために、第 回臨時総 会(京都)を開催した。献げ 兵庫教区総会が補 兵庫教区 られた大切な献金が、こんな 教師の聖礼典執行 の違反 使われ方をしては許されま を議決。 い。その残念な思いは、今も 多くの人の心にある。 靖国天皇 靖国委、天皇制委 当然な結果だが、東京教区 よ り 常 議 員 と し て、 安 藤 肇、 ともに赤字。 制 情 報 セ 竹前昇、山北宣久、飯坂良明、 合わせて再出発。 ンター 樋田利明、林博の 名が新た に当選し、全体でも 名中 神学校生が部落出 名が改選された。常議員会は 中田正道 身であることを明 新しくなった。 第2回 2 教師の友 } 重なっている。 「後宮体制時にとり上げた論点」と 10 6. 聖書注解書 10 7. 沖縄合同 8. 部落差別 9. 社会活動基本方針 . 三里塚 . 東神大 . 三委員会連絡会 12 15 第1回 投票総数 288 11 28 6 27 投票 氏名 き詰まって閉じたらし い 。 そ こで終っていれば、そ れ ま で で良かった。が、刊行 の た め に 教 団 か ら 借 入 れ 金 が あ り、 これの返済になかなか 応 じ な かった。 教団常議員会と宣教 委 員 会 は、この金の返済をど う す る かをめぐって、相当な 時 間 を 費やした。会議は教団 の 貴 重 な時間である。返済さ れ れ ば 何でもないものを、と 、 怒 り を感じつつ協議した。 ど う に か妥協して終るまでに 年 以 上を要したことになっ た 。 無 駄な時間を使わされて し ま っ た。 27 3.東京教区復帰の総会 10 10 第 回教団総会(1 9 9 2 年)には、東京教区が 議 員 を 選出して加わった。 年 ぶ り に全教区が揃い、全国 的 に 安 堵感が拡がった。 東京教区は徹底して 暴 力 排 除を貫いたので、選出 さ れ た 名の中に、暴力容認 派 は 名ほどだった。これに 造 反 派 はかみついた。選挙方 法 が 悪 い、分担金未納がある 、 東 神 大は帰れ、などなど。 原忠和議長、小島誠 志 副 議 長を選出したが、常議 員 選 挙 72 3 4 5 6 〜 12 日本基督教団 福音主義教会連合 3 があるが、し 本基督教団総会において日本 行われた。これは、昨秋の日 以上の現職牧師方への表彰が 7.女性宣教師の働き 6.信徒の重要な働き 5.青年たちキリスト者 を 会 場 に 3 2 0 名 が 出 席 し、 3.公会主義 年 で日本基督教団富士見町教会 そして、宣教師たちの熱 き 祈 り と 御 言 葉 へ の 沈 潜、 4.初週祈祷会 く、伝道しない教会は無い は無く、癒さない病院は無 宣べ伝えた。教えない学校 ▽ 主 は、 教 え、 る時となる。 実感させられ ださることを そ、復活の主 代表して中村忠明牧師(牧会 贈呈された。また、表彰者を ひとりに感謝状と記念品とが 謝の言葉の後に、おひとりお かしその時こ 伝道150年を記念すること その人格的感化と福音的文 ということを確認させられ 癒し、福音を し、伝道者としての召命を与 をなさり、次のように語られ えられた。そして、賀川豊彦 建てられている。伝道し続 あろう。福音を正しく宣べ 子としなさい」との主の言 き 2 0 0 9 年 月 日( 水 ) 2.1859年宣教師たち 午後1時 分から3時 分ま の来日と禁教令下での働 が決議され、そのために伝道 化による伝道といった宣教 が共にいてく 150年実行委員会 (委員長・ の豊かさが記憶される。そ 礼拝・聖餐式と伝道牧会 小林貞夫)を設けて準備が進 る。 ▽復活の主の命令は、 行って、 伝え、バプテスマの主の晩 た。 「病身であった青年時代 授け、教える。この3つの 餐 と の 聖 礼 典 を 執 り 行 い、 先生、金井為一郎先生、PS にイエス様の栄光のお姿に接 美歌4番を歌った。この讃美 言葉に要約される。 これが、 愛の業に励みつつ、再び来 ける限り教会は復活の主と 歌は日本開国を迫って来日し 教会のなすべき務めであ 出会い、共にあり続けるで たペルー総督が艦上の礼拝で る。新来者を求道者へ、求 読。説教は教団総会議長・山 洗者が聖餐を受けて、それ 道者を受洗者へと導き、受 たい。 そのことに徹することとし ロテスタント日本伝道150 しい交わりをいただいた。プ た り た も う 主 を 待 ち 望 む。 に暖かいご指導とともに、親 メーヤー博士、島村亀鶴先生 章を朗 北宣久牧師が「すべての民を ぞれの場において献身者と 行った。 派遣される。そのために私 にいてくださり、私たちを なっていく。復活の主が共 式が行われ、伝道牧会 年以 説教の後に聖餐にあずかっ た。そして、礼拝の後に表彰 召された先輩の方々に感謝を の働きを終えて、主の御許に たちはここに集められてい 」 謝した。司会は宣教委員長・ たちは忘れてはならない。 上の現職の牧師方の働きに感 た。 最後に表彰者の先生方の記 念写真撮影をもって散会し る。イデオロギーによって 61 名の先生方が出 26 席された。山北総会議長の感 名であるが り、ことに記憶すべきこと て い き た い。 多 く の 困 難 これからの歩みを切り開い ▽日本伝道150年を振り返 1.ベッテルハイムの伝道 た。 で は な く 福 音 に 堅 く た ち、 小出望牧師。表彰該当者は 50 として7点が取り上げられ したい。その労苦を決して私 以下は説教の要旨・箇条書 きである。 年記念にあたって、すでにそ わたしの弟子に」と題して 書はマタイ福音書 歌ったと伝えられている。聖 葉の山びこである。 63 50 記念礼拝は高橋豊氏(教団 常議員)が司式し、最初に讃 年、埼玉新生教会)が挨拶 められてきた最初の集会であ 6 る。教会はただ伝道の為に 30 れらは「すべての国民を弟 50 24 28 室 集 編 報告 (第 3 種郵便物認可)第 385 号/ 2009.7.10 4 日本基督教団 福音主義教会連合 キリストこそ 我が救い 日本基督教団創立記念日礼拝 ▼ 7月 16 日(木)午後 2 時〜 ▼ 日本基督教団と東京神学大学 お誘い合わせてご参加ください。 場 所 日本基督教団 銀座教会 回▼於:台湾 東京神学大学を支える同窓生・校友の集い主催 第 近藤勝彦 学長就任記念講演会 18 − 60 − 承 和 者はわずかだそうです。キリ スト者の家庭に育った青年た ちでも、教会の礼拝に馴染め ないという現実があるようで す。それで、北京語での礼拝 を取り入れる試みが始まって いると聞きました。 韓国においては、キリスト 者である有名女優などの相次 ぐ自殺が青年たちに衝撃を与 えており、若者に対するキリ スト教倫理教育が課題となっ ているようです。 日 本 は、 キ リ ス ト 者 が 1 パーセントにも及ばず、この 何年間は受洗者も減っていま す。もちろん青年たちへの伝 道も厳しい状況にあります。 そんな中、宣教協議会は青 年を中心としたプログラムを 設けて、三カ国の青年たちに 呼 び か け よ う と し て い ま す。 今回から実施の予定でしたが 諸般の事情が重なり実現でき ませんでした。来年の第 回 協議会は日本で開催されま す。その時には、青年たちの プログラムが実現するように と願っています。 なお、長年にわたって協議 会の実務を担当してくださっ た台湾長老教会大安教会の羅 牧師に代わって日本の勝山牧 師が総務に就任されました。 38 37 東京♦聖和教会牧師 高 店街の方々 名ほどが、主日 礼拝には300名ほどの方々 が出席しておられます。その 夜は台中の台湾長老教会忠明 教会を会場に宣教の夕べがも たれ、教会の聖歌隊、台湾泰 雅爾中会代表による舞踊もあ り共に主を讃美しました。ま た、共同声明発表があり、教 会が福音の伝道に邁進するこ と、そして、生態の危機にも 耐え、それを克服する精神を 養っていくことを声明としま した。 私はこの協議会に初めて参 加させていただきました。言 語 や 文 化、 歴 史 は 違 え ど も、 福音の伝道に励む教会の姿は 同じです。また、 それぞれに、 さまざまな困難や課題が多く あることを知りました。その 中で、やはり青年伝道の困難 は共通した課題でした。 台湾長老教会は台湾語で礼 拝を守っていますが、青年た ちは北京語を教えられてお り、台湾語を自由に話せる若 詳 細 は 東京神学大学/ http://www.tuts.ac.jp/main.html ▼ (第 3 種郵便物認可)第 385 号/ 2009.7.10 37 東北亜細亜教会宣教協議会 22 第 回東北亜細亜教 会 宣 教 協議会が6月 日(木 ) か ら 日( 月 ) ま で、「 地 の 面 を 新たにする 神と共に傷つい た生態の快復を望んで 」と いう主題のもと、台湾、韓国、 日 本 の 三 国 か ら 名 が 集 い、 台湾台中市長栄頭冠酒 店 ( エ バーグリーンローレルホテ ル)を会場に開催されました。 講 演、 聖 書 研 究、 分 団 討 議、全体協議を通して 主 題 を 学びあいつつ課題を共 有 し ま した。また、晩餐会や 日 月 潭 観光などを通して友好 を 深 め ることができました。 日 本 か らは聖書研究を鳥居坂 教 会 の 張田眞牧師が、閉会礼 拝 説 教 を教団幹事の勝山健一 郎 牧 師 が担当されました。 四 日 目 と な る 日 曜 日 に は、 台中、台北にあるいく つ か の 教会に分散して礼拝を 守 り ま した。私は台北市にあ る 台 湾 長老教会大安教会の説 教 奉 仕 に当たらせていただきまし た。早朝の礼拝には近 く の 商 年 日 時 2009 日本基督教団 福音主義教会連合 5 30 うに、礼拝出席が 人に届く 伝道すべく出会う人物が たった一人であったとして 初めに使徒言行録から聖書 の一節を引用しました。フィ の伝道なのです。たった一人 する。それが地方の片田舎で 寂しい地に行け 守っている教会なのです。そ リポによって、エチオピアの も、それが御心だと信じ伝道 して四国に来て強く感じたこ と出会うためであっても、そ 要なのです。 宦官が伝道される物語は、突 から始まります。フィリポは と は、 「四国の教会は伝道に 四国の教会はほとんどが小さ 寂しい道を行くように命じら こ こ 四 国 の 地 で は、 こ の フィリポのような伝道が求め の地に教会を建てることが必 な教会であるにもかかわら れます。誰も通ることのない ます。そして私たちは、その ず、その小さな教会がいくつ 一人と出会うことを喜びとし られています。しかしそれが エチオピアから来た高官一人 て、伝道に励んで行きたいと ような道で出会ったのは、エ でした。フィリポはこのたっ 願うのです。 ル サ レ ム で の 礼 拝 か ら 帰 る、 神様の御心であると信じてい た一人の人物と出会うため か集まって、さらに開拓伝道 に、この寂しい道に派遣され に熱心に取り組んでいるので も、電車やバスを乗り継いで たのです。 す。山に目を移せば、新緑の 行くことに、それほど困難を 季節はまぶしいばかりに若葉 かし田舎ではそうはいきませ 初代教会では、アンティオ キアを始めとする大都市を中 さて、主の天使はフ ィ リ ポ に、「 こ こ を た っ て 南 に 向 か いです。 ん。たとえ電車やバスがあっ 心として伝道活動を行ってい す。 こんな小さな町にも神様を 礼拝する群れがある。これは たとしても、すぐ隣の町に行 ま し た。 し か し そ の 一 方 で、 宍喰教会に赴任して (使徒言行録8章 節) 聞こえる潮騒に心癒される思 を渡る風は清々しく、遠くに すごいことだと思います。四 くのでさえ不便を強いられる 人気の無い、寂しい所でも伝 は寂しい道である。 私はこの春から四国 は 徳 島 県にある、日本基督教 団 宍 喰 国の片隅にあるような町に のです。車がなければ身動き 四国では、その町がたとえ小 るのです。だからこそ、この には誰かの手助けを必要とす としても、礼拝に出席するの たった一人の人物でした。し で、フィリポが出会ったのは 使に命じられて向かった先 道は為されたのです。主の天 たった一人と出会うために 教会に赴任いたしまし た 。 宍 も、神様の福音は確かに届け はできません。隣町であった し か し、 「こんな小さな町 にも教会がある」という事実 喰教会のある宍喰の町 ( 市 町 られているのです。 は、四国では普通の光景なの かしそれが御心だったので で す が ) は、 本 当 に 小 さ く 、 組んでいて釣り人には 天 国 な さかろうとも、そこに教会が す。 伝道の情熱 のだそうです。また休 み の 日 かもしれません。四国の多く あることが重要なのです。 海と山に囲まれた静か な 町 で になれば、宍喰の前に あ る 浜 の教会は、宍喰教会と同じよ す。海は青く澄み、磯 は 入 り は、サーファーでにぎ わ い ま 感じないかもしれません。し 村合併により町自体は 広 い の が輝き、そびえたつ山々は目 熱心である」 ということです。 然とも思えるようなこの一節 らには一ケタの人数で礼拝を か届かないかという教会、さ 20 い、エルサレムからガ ザ へ 下 北村 誠 の前に広がっています。水田 四国♦宍喰教会伝道師 る道に行け」と言った 。 そ こ 准允を受けて 都市部に住んでいる人に とっては、教会が多少遠くて たった一人と 出会う伝道 26 (第 3 種郵便物認可)第 385 号/ 2009.7.10 6 日本基督教団 福音主義教会連合 景画であった。しかし そ れ が パ リ の 《わがイギリスの海岸》と題した風 る様子を描いた作品で 、 も と も と は 部、海を眼下に臨む岸 壁 に 羊 が 群 が 品がある。これはイン グ ラ ン ド 南 東 ウィリアム・ホルマ ン ・ ハ ン ト の 宗教画に《迷える羊た ち 》 と い う 作 ことになった。 の作品の間に聖書的連関性が生じる ては目立った共通性を持たない2つ を扱った風景画という、作風におい した《世の光》と牧歌的な羊の群れ 遂げられた主イエスの再臨を主題に い。この改題によって、贖いの死を らかの影響を与えたことは疑いがな れ た か ら、 彼 は 苦 し ん で い る の だ、 の痛みであったのに、わたしたちは れ る。 」 が、 ま た 上 方 に は イ ザ ヤ 書 に行く。雄山羊は荒れ野に追いやら のすべての罪責を背負って無人の地 にはレビ記 節「雄山羊は彼ら することで表明している。額の下方 の作品の額に2つの聖書箇所を明記 れている。ハントはこのことを、こ の「贖いの死」の予型として捉えら 罪の雄山羊が、主イエスの十字架上 あ る。 《 贖 い の 雄 山 羊 》 の 場 合、 贖 があると確信する聖書解釈のことで 約聖書と新約聖書の間に強い連続性 象として解釈するというもので、旧 人格を救い主イエス・キリストの表 している。 であることを何よりもはっきりと表 られた主イエス・キリストの「予型」 だねます」と大声で叫び息を引き取 羊が「父よ、わたしの霊を御手にゆ と理解したその眼差しは、この雄山 い。自らの死の持つ意味をはっきり 死を前に何らの迷いも感じられな しながら、その眼光は鋭く、贖いの なかった。雄山羊の瞳は悲しみを映 ずである。しかし彼はあえてそうし 動物らしく描くことは容易だったは 量を持ってすれば、山羊の眼をより よりは人間の眼に近い。ハントの技 主イエスの肖像 万国博覧会で、やはり ハ ン ト の 代 表 《迷える羊たち》では、 「羊」はわ れわれ「人間」を表しているが、ハ と。 」がそれぞれ引用されている。 W・H・ハント画 《贖いの雄山羊》 的宗教画である《世の光》 (本シリー ントは主イエスご自身の姿を聖書に 藤 存 志 ズ①参照)と一緒に展 示 さ れ る こ と 登場する動物によって描いたことも 節「彼が担ったのはわたした 22 フェリス女学院大学准教授 近 鳥居坂教会員 になって《迷える羊た ち 》 と い う 宗 あった。 16 ちの病、彼が負ったのはわたしたち 思っていた、神の手にかかり、打た * * * 群れ、道を誤り、それ ぞ れ の 方 角 に 章 6 節 の 記 述、「 わ た し た ち は 羊 の にした予型論的作品である。予型論 れは、ユダヤ教の贖罪の儀式を主題 羊》 ( ) を 描 い て い る。 こ 的な主イエスの肖像画《贖いの雄山 ハントはパレスチナを訪れていた 1856年、死海を舞台にした個性 ズムと呼ぶには不自然なかたちで描 し唯一、雄山羊の眼だけは、リアリ リアリズムの表現を追求した。しか この作品を描くにあたって徹底した 死海の岸辺に堆積した塩や辺りに 散在する家畜の死骸など、ハントは ハントの予型論的解釈は雄山羊の 描写にも鮮明に見て取れる。 向かって行った。その わ た し た ち の た羊の群れが、旧約聖 書 イ ザ ヤ 書 罪をすべて主は彼に負わせられた」 * * * 章 教画風のタイトルに改題されたの 意によるものであった の か 否 か に つ 4 かれている。それは山羊の眼という いては諸説伝えられて い る 。 し か し 53 とは旧約聖書の中に登場する事象・ いずれにしても、この 作 品 に 描 か れ 章 だった。この改題がハ ン ト 自 身 の 発 (第 3 種郵便物認可)第 385 号/ 2009.7.10 4 を連想させたことが、 こ の 改 題 に 何 53 日本基督教団 福音主義教会連合 7 悔い改め です。預言者はイスラエルの (シューブ)が 「立ち帰り」 よく出てくるのはまず預言書 です(ルカ 約思想」がこだましているの があるというのは旧約の「契 とき、天において大きな喜び 蕩息子が父のもとに立ち帰る 心」を方向付けています。放 は実際には捕囚の時代を背景 います。けれども、この祈り は執り成しの祈りをささげて められ、そのためにソロモン 囚において「立ち帰り」が求 預言書の「立ち帰り」 民に「立ち帰り」を語りまし わ ら ず、 神 へ の「 立 ち 帰 り 」 興味深いのはヨナ書の場合 捕囚という神の厳しい裁きの です。そこでは、 「立ち帰り」 実現の只中で、それにもかか ですが、 神も後悔するのです。 こともできず、アッシリアが (ヨナ に し て 書 か れ て い る の で す。 た。もちろんそれは神への立 がイスラエルだけでなく、す 章)。 ち帰りです。例えば、ホセア が求められるのです。 帰ることを拒んだからだ…あ 彼らの王となる。彼らが立ち うこと。裁きが救済への道を 章) 。 たとえば、ノアの大洪水が起 あ、エフライムよ、お前を見 友 聡 にこういう預言があります。 べての諸民族に求められます 今回は「悔い改め」 を 取 り 上げます。「悔い改め」は「回 こる前、神は人間の現実を見 捨てることができようか。イ 申命記の「立ち帰り」 到来するにもかかわらず、神 断をすべきなのは人間です ます。もちろん、立ち帰る決 の側から促されるのだ、とい 祈りです。「彼らが捕虜になっ 申命記やヨシュア記、士師 記、サムエル記、列王記にも 「立ち帰り」 重要なことは、 は、神による破局(捕囚)が 心」と結びつくキリス ト 教 用 て、人間を創造したことを 「後 開くのです。そこには間違い 4 語です。旧約聖書とは 関 係 な 悔」しました(創6・7) 。そ なく神の憐れみと招きがあり ている地で自らを省み、その が、その立ち帰りの背後に神 神が悔いるという事実が人間 る神は、不義を重ねる妻・イ えられているのです。夫であ ラエルの関係は婚姻関係に喩 で、心を尽くし、魂を尽くし と言い、捕虜にされている地 重要なことです。 「悔い改め」 ことを理解するのにはとても したちは罪を犯しました。不 このような旧約の「立ち帰 「悔い改め」という 正を行い、悪に染まりました』 り 」 は、 4 の後悔(悔い改め)を促す根 スラエルの立ち帰りをひたす 4 の招きがあるのです。 んど出てきません。新 約 聖 書 拠となります。神はしばしば 4 のギリシャ語ではメタ ノ イ ア 後悔しますが、それは人間の 4 と言います。その起源 と な る 4 帰 っ て 憐 れ み を 乞 い、 『わた 捕らわれの地であなたに立ち ヘブライ語はシューブ 。 も う は私たち自身から内発的に出 4 てくるものですが、それは徹 の祈りと願いに耳を傾け…」 。 頭徹尾、神の憐れみと赦しに 4 4 てあなたに立ち帰り…神殿の (列王上 4 方に向かって祈るなら、…そ 神との交わりの中に立ち戻る ・ ということです。 よって促されるのです。悔い ために神は苦悩し、後悔する ) のだと言えます。だからこそ 説明されるのは、聖書的な理 改めそのものが神の働きだと このソロモンの祈りは、イ スラエルがやがて経験する捕 〜 悔」と訳され、それぞ れ 旧 約 このような「立ち帰り」を 多くの預言者が語ります。こ 49 由があります。 47 囚を予告しています。その捕 8 れは新約の「悔い改め」や「回 ・ では重要な用語です。 人は神への立ち帰りが求めら 「後悔」するのは人間だけで れます。 21 ま ず「 後 悔 」( ナ ハ ム ) の 方から説明します。旧 約 で は は「立ち帰り」、ナハムは「後 (創 ら待ちわびます。契約に立ち だ神は「後悔」しました(サ ・5〜 ) 旧約の「悔い改め」と は ム上 ・ ) 。 このホセアの預言では、イ 神が後悔するなんて、考え スラエルが最初の愛に帰るこ 旧 約 聖 書 に は「 悔 い 改 め 」 や「回心」という言葉はほと て み る と 奇 妙 な こ と で す が、 とが求められます。神とイス 3 帰れという招きです。これは 8 ) 。人間を救済する 11 ことができようか…。 」 (ホセ 4 さそうですが、そうで は あ り きます。例えば、ソロモンの こ で 大 洪 水 が 起 こ る の で す。 スラエルよ、お前を引き渡す 「 立 ち 帰 り 」 が 繰 り 返 し 出 て 4 ません。そこで、旧約 に 遡 っ また、サウルを王として選ん 4 て「悔い改め」につい て 考 え 15 ます。 東京♦中村町教会牧師 小 東京神学大学教授 はありません。ちょっと驚き 「 彼 ら は エ ジ プ ト の 地 に 帰 る 38 救済計画に結びつくのです 11 一つはナハムです。シ ュ ー ブ 15 8 (第 3 種郵便物認可)第 385 号/ 2009.7.10 8 日本基督教団 福音主義教会連合 教団形成への責任 がどのように聖礼典を告白 し、それに与っていくかが問 わ れ る の で あ ろ う。 「教団は このような教会として立って 行く」という決断なしに議論 る。今日まで私共の先達はそ 取り組むべきだった諸課題が わないで認めるべきだという 成を尊重し、教団はそれを問 理解や職制理解そして教会形 告白を奉じる者の団体であ の所属教会は、本教団の信仰 るのではない。また「本教団 り、教区の集まりが教団にな ▲ ▼教会献金 は実りを生まないはずであ 日に至るまで互いへの批判や れを信仰告白と教憲・教規の る。今こそ信仰告白と教憲・ 中に見てきたと私は思ってい 教規に示される教会論が提示 問題提起に留まる傾向が教団 責任を明らかにした教会論 され、それに従った教団形成 には強くあり、教団形成への 的議論や将来への取り組みは いわゆる「教団紛争」に突 入してから今年で 年を迎え 間に内部に対して用いた労力 数少ない状況である。このま る。考えてみると教団がこの と財と祈りは大変な量に達し 滞り、様々な面で支障を来し 主張が振り回されている。こ 銀座教会 ている。しかもそれらが教団 ているのが現実でもある。教 り」 、その教会が礼拝を守り、 銀座教会 る。これらのことが単に解釈 千歳船橋協会 泉ヶ丘教会 と伝道計画、活動計画が立て 会の体質が問われ、問題提起 こに矛盾を感じるのは私だけ でなく、内容を伴ったことと 教師 られるべきである。 教団が 「教 が 為 さ れ、 社 会 問 題 へ の 取 であろうか。 して教団総会で主張され、告 弓町本郷教会 まどこまで教団を問い続けれ り組みや宣教の理解において 教団が将来に向かって形成 されてゆくためには、すでに 白されて行く時に、教団は将 大阪教会 銀座教会 形成に積極的な何かを生み出 教団の不十分さが指摘された 教会論をはっきりとさせねば 来に向けた歩みをそこに描き 大阪教会 銀座教会 会的機能および教務を遂行す のであるから意味はあったの ならない時期に来ていると思 出してゆくことになろう。 大阪教会 銀座教会 ば、教団が先に進めるように だ、と主張する人も居るかも われる。聖礼典の問題にして 大阪教会 銀座教会 なるというのであろうか。ま しれない。しかしそのような も神学的理解や合同教会とし 教団形成に向けた具体的議 案作りがこれからの課題とな 大阪教会 銀座教会 したのかといえば、誰もが言 主張が教団全体に共有されな ての課題、また今日の世界教 る。 銀座教会 銀座教会 葉を濁すような状況であろ いことは明らかである。また 会状況への理解や分析など多 合 計 121,000 銀座教会 銀座教会 るために教区を置く」のであ 問い、提起し、指摘した人々 くが語られている。しかし結 銀座教会 銀座教会 た逆に教団内での多様な教会 が教団の将来に対して責任を (佐々木美知夫) 銀座教会 中京教会 う。むしろこの 年間に本来 持って何かを提示したのかと 局は日本基督教団という教会 銀座教会 小金教会 「聖礼典を執行する」のであ いえば、そうも言えない。今 合 計 87,000 30,000 13,000 14,000 60,000 4,000 聖ヶ丘教会婦人会 聖ヶ丘教会支援金 相模原教会 ( 有志 ) 静岡教会 聖ヶ丘教会支援金 銀座教会 40 40 2,000 2,000 3,000 1,000 5,000 2,000 3,000 3,000 3,000 3,000 3,000 1,000 小松川教会 2009 年 5 月 11 日〜 2009 年 6 月 10 日 献金感謝報告 銀座教会 香里教会 ▲ (第 3 種郵便物認可)第 385 号/ 2009.7.10 白土 辰子 斉藤 潤子 小林美恵子 小出 美之 山口ひさか 池田 守男 宮庄 博・真理 市川 テル 大見川昭子 吉本田鶴子 山本松太郎 福永 嘉彦 広石教会 5,000 5,000 2,000 2,000 7,000 2,000 1,000 1,000 1,000 2,000 2,000 1,000 1,000 6,500 3,000 2,500 10,000 1,000 1,000 ▼個人献金 塚本 洋子 吉本幸嗣・紀子 鈴木 優子 北村 知子 大井 孝和 笠原个可・康子 餅田由紀子 飯島 幸子 平田康夫・美智子 牧野 賢三 鈴木 信利 新海 真澄 犀川 珠子 大槻 ひで 吉岡 適子 松永 政和 東方 敬信 高橋 禮子 横山 和子 日本基督教団 福音主義教会連合 9 日本基督教団 福音主義教会連合 10 (第 3 種郵便物認可)第 385 号/ 2009.7.10 8月 31 /月 レビ記第 4 章 使徒言行録 第 10 章 44 − 48 節 …御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。 44 節 ペトロは主に啓示された幻に従ってコルネリウスの家の 集会へ行きました。そこで主イエスの十字架の死と復活、 更に人類の審判者キリストについて語ったところ、その話 の途中で彼らは「イエスは主である」と悟り信じたのです。 主の霊である聖霊が彼らに降ったからです。異言で神を賛 美している彼らを見たペトロは、水で洗礼を受けるのは当 然であると言って彼らに洗礼を受けさせました。 使徒言行録は別名を聖霊行伝とも言われますが、ここで も聖霊がペトロに先立って行き、異邦人たちを「悔い改め と主イエス」信仰へ導いたのです。 7 年ぶりに『教会学校教案 増刊号』を発行することとなりました。 内容は、 「旧約聖書 テキスト研究」です。1992 年度「一書説教による旧約聖書全巻の学び」 のテキスト研究と 2007 年度「聖書-神の約束と民の応答」のテキスト研究すべてを一冊にま とめて(約 230 頁)お届けします。 現在、教会学校教師が手もとに備えて、旧約聖書の全体を網羅する黙想集は、ほとんどあり ません。教会学校教師として 3 年に一度迎える「聖書」の年に備えて、分級指導や教師自身の 必携の一冊としてご活用ください。 また、旧約聖書全巻の学びを志す、青年会、婦人会、壮年会、役員会などの方々へも宣伝下 されば幸いです。 7 月下旬、8 月号と同冊数の増刊号をお届けする予定です。もし、冊数に変更がある場合は、 7 月 15 日までに編集室へご連絡下さい。返品の場合は、後日、下記まで返送下さい(申し訳あ りませんが返品送料はご負担下さい)。 ● 編集室 連絡先 ● 〒 461-0011 名古屋市東区白壁 3-23-4 日本基督教団 中京教会 052-934-3234 E-mail ▼ ▼ FAX [email protected] 11 日本基督教団 福音主義教会連合 (第 3 種郵便物認可)第 385 号/ 2009.7.10 8月 25 /火 出エジプト記第 39 章 使徒言行録 …「タビタ、起きなさい」… 第 9 章 36 − 43 節 40 節 ドルカス会という教会のお仕事グループを知っていま す。地道にこつこつと、教会のためにと、仕事を積み重ね てゆく、静かながら熱心なキリスト者によって支えられて いる会でした。 ドルカス会の人々は、自分たちの仕事を誇りに思ってい ましたが、自らを誇ることはありませんでした。そのお仕 事が、神への献げものだったからです。 この地上の旅路で、教会に仕え、神に仕えた人々に、キ リストは、終わりの日、墓の前に立たれて呼びかけられる でしょう。「タビタ、起きなさい」 27 /木 レビ記第 1 章 使徒言行録 第 10 章 9 − 23 節 a すると、また声が聞こえてきた。「神が清めた物を、 清くないなどと、あなたは言ってはならない。」 15 節 「神がお造りになったものはすべて良いものであり、感 謝して受けるならば、何一つ捨てるものはないからです」 (Ⅰテモテ 4・4)。信仰は神だけを絶対とし、地上のもの は相対的になりますから、真の信仰の人はどこでも自由な のです。主イエスが、私たちの罪を負って死んでくださっ たのですから、汚れたもの、清いものの区別や差別はなく なったのです。私たちの基準は神さま以外にはありません。 もっと主にあって、自由に生きたいと願います。主にお委 ねした生き方を祈り求めたいと思います。 29 /土 レビ記第 3 章 使徒言行録 第 10 章 34 − 43 節 26 /水 出エジプト記第 40 章 使徒言行録 第 10 章 1 − 8 節 …あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられ た。 4 節 主のみ前には、異邦人の祈りさえもおぼえられていま す。東からの博士たちがそうでした。自分を小犬に等しい と言ったカナンの女性がそうでした。十字架にキリストを 見上げ「この人は神の子」と告白した百人隊長がそうでし た。ユダヤ人サウロは異邦人の使徒として召されます。そ して、このイタリア隊百人隊長コルネリウス。福音はユダ ヤ人からあふれて異邦人にも伝えられ、異邦人の人々の中 にも救いを受け入れる新しいイスラエルを起こします。福 音はもっと外に向かって生き生きと生命を伝えます。ユダ ヤ人ペトロはどうするのか。楽しみです。 28 /金 レビ記第 2 章 使徒言行録 第 10 章 23b − 33 節 ペトロは彼を起こして言った。「お立ちください。 わたしもただの人間です。」 26 節 ユダヤ人キリスト者ペトロから異邦人キリスト者コルネ リウスに福音が一方的に伝えられたのではありません。神 が二人の間に聖霊を注がれたのです。コルネリウスとペト ロが神の助けを語り合い、聖霊が自分たちを結び合わされ たと信じたのです。ペトロが足もとにひれ伏すコルネリウ スの手を取って引き起こして、 「お立ちください。わたし もただの人間です」と、聖霊に聞き従うことによって結び 合わされる喜びにあずかっている姿がここにあります。共 に福音にあずかる喜びです。聖霊の導きを祈り求めて今日 も歩みましょう。 30 /日 マルコによる福音書 第 6 章 30 − 44 節 …神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かり ました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいこと を行う人は、神に受け入れられるのです。34・35 節 さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、 自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告し た。 34 節 ペトロは説教で語ります。「神は人を分け隔てなさらな い方」 「神はすべての人の主なるイエス・キリストによっ て平和の福音を告げ知らせる」「神は、聖霊と力によって ナザレのイエスを油注がれた者となさった」「このイエス には、神が御一緒だった」 「神はイエスを三日目に復活させ」 「イエスを信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが 受けられる」。 ペトロはコルネリウスと親族に友人に福音を語りまし た。私たちの福音を語るべき相手、 現代のコルネリウスに、 正しい福音宣教をさせてください。 男だけで 5,000 人の群衆であった、と記されます。こ れを集団と理解してはなりません。マザー・テレサが言う ように、ここには、 「ひとりの人」がいるだけです。多勢 の 「ひとり、 びとり」 にイエスの憐れみは向けられるのです。 政経・軍事の指導者は王侯・貴族、宗教的指導者は祭司・ 律法学者たちです。彼らは、その民を養い導くよりも、食 い物にしています。現代同様、政治不信、似非宗教の溢れ る時代に、民衆の孤独は深まります。この時に教え始めら れたイエスの言葉こそ、人間の孤独を突き破り、慰める力 を持っています。 日本基督教団 福音主義教会連合 12 (第 3 種郵便物認可)第 385 号/ 2009.7.10 8月 19 /水 出エジプト記第 34 章 使徒言行録 第9章1−9節 20 /木 出エジプト記第 35 章 使徒言行録 第 9 章 10 − 19 節 a …「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。 5節 そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気 を取り戻した。 18・19 節 サウロはダマスコへの道をまっしぐらに進みます。キリ スト教会殲滅(せんめつ)こそ、もっとも熱心に神に仕え ることになると信じて疑わなかったからです。神は、サウ ロが進む道に立ちはだかれ、彼の人生に御手を伸ばされま す。キリストに捕らえられて、迫害者サウロは、キリスト のもの、キリスト者となります。迫害する者さえも御自分 のものとしてしまわれる、 神の愛と知恵は計り知れません。 主は、私たちの人生に御手を伸ばされます。そして、私 たちをご自分のものとされて、この人、あの人のところへ と遣わされます。 洗礼を授かって初めて口にしたパンと杯のことが忘れら れません。求道者の間、何となく居場所がないような思い を持ちながら過ごした聖餐の時間。でも、そのときを過ご し、洗礼を授けられる日を待ち望んだことは決して意味の ないことではなかったと思います。そのときがあって、洗 礼を授けられる喜びと、その後に与った聖餐の豊かさが あったのだと思います。洗礼から聖餐へ。聖餐に与るたび に洗礼の恵みを思い返し、終わりの日の宴に思いを致す。 この二品に与ることなくその席に留まっている、あの人 のために祈りたい。 21 /金 出エジプト記第 36 章 使徒言行録 第 9 章 19b − 25 節 22 /土 出エジプト記第 37 章 使徒言行録 第 9 章 26 − 31 節 しかし、サウロはますます力を得て、イエスがメシ アであることを論証し、… 22 節 しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのとこ ろへ案内し、 27 節 キリスト者サウロの誕生は、周りの人々には受け入れ難 いことでした。特にこれまで一緒に行動してきた人々に とってはそうでした。 しかしサウロはますます力を得て、イエスこそメシアで あると大胆に宣べ伝えます。サウロ、後にはパウロ、彼自 身の言葉によるならば、 「なぜなら、わたしはあなたがた の間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキ リスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。 (コ 」 リ一2・2)と語られています。聖霊に満たされて、教会 は一致して、ただこの一事を務めます。 回心者サウロへの不信はエルサレムの教会でも同じでし た。教会の指導者たちでさえ、サウロの回心をにわかに信 じられないのです。教会の迫害者だったサウロがキリスト と出会い、 これまでの生き方を全く悔い改めて洗礼を受け、 キリスト者とされて、大胆にキリストを宣べ伝えた。こと の次第をよく知っていたバルナバは、使徒たちにサウロを 紹介します。一人のキリスト者を介して、サウロの回心は エルサレム教会にも認められるところとなります。 あなたにとってバルナバは誰ですか。あなたは誰のため にバルナバとして召されていますか。 23 /日 マルコによる福音書 第 6 章 14 − 29 節 なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であ ることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教 えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を 傾けていたからである。 20 節 ヘロデはヨハネの正しさを認め、さらには敬意をもって いました。しかし、その場をつくろうために彼の首を切っ てしまいます。人間とは弱いものです。彼はは、姪との約 束の前に引っ込みがつかなくなり、命という、神さまに属 するものまでが、自分の手中になるかのように思い、過ち を犯します。 私たちも、この世の力に負けることなく、素直な信仰に よって、しっかりと立ち続けていたいものです。 24 /月 出エジプト記第 38 章 使徒言行録 第 9 章 32 − 35 節 アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。 起きなさい。… 34 節 ペトロも伝道します。福音を携えて、イエス・キリスト と共に。ペトロは知っていました。自分が優れているとか 立派だから伝道をしているのではないことを。ガリラヤの 湖のほとりでキリストと出会い、召されて以来、ペトロは 幾たびも失敗を重ねてきました。そのわたしをキリストは 見捨てたまわなかったと。ペトロは、アイネアにも、イエ ス ・ キリストを宣べ伝えます。 キリストが、罪人をいやされて起き上がる力を与えてく ださいます。主の力に満たされて、この方の御名を伝える ために、さあ、立ち上がりましょう。 13 日本基督教団 福音主義教会連合 (第 3 種郵便物認可)第 385 号/ 2009.7.10 8月 13 /木 出エジプト記第 29 章 使徒言行録 第 7 章 44 − 53 節 …そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺 す者となった。 52 節 このステファノの言葉を聞いて、人々は激しく怒りまし た。言いがかりだ、とでも思ったのでしょう。 「イエスさ まを十字架につけたのはあなたです」とか「あなたは罪人 です」という言葉を聞いて、反発した頃のことを思い出し ます。しかし、聖霊によって心が打ち砕かれると、2000 年前のあのゴルゴタの丘のキリストの十字架の出来事が、 まさに私の罪のためにあったのだ、ということが示される ようになります。 同じように、先入観ではなく、へりくだった心で聖書に 接すれば、新しい恵みが与えられます。 15 /土 出エジプト記第 31 章 使徒言行録 第8章1−8節 一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒ら し、男女を問わず引き出して牢に送っていた。3 節 初めてパウロが登場します。まだキリストの敵であった 頃のサウロという名前で出てきます。ステファノが石で打 ち殺され、嘆き悲しむ人々を土足で踏みにじるようにして、 サウロは迫害の手を伸ばしていきます。このサウロがやが て国際的な伝道者になろうとは、誰が予想できたでしょう か。 私たちの周りにも、キリスト教を敵視する人、快く思わ ない人、憎む人がいることでしょう。しかし「このサウロ が回心した」ことを思い出して、それらの人々の救いのた めに根気よく祈りたいものです。 17 /月 出エジプト記第 32 章 使徒言行録 第 8 章 9 − 25 節 しかし、フィリポが神の国とイエス・キリストの名 について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も 女も洗礼を受けた。 12 節 キリスト者が宣べ伝えるのは神の御名です。キリストが 宣べ伝えられるところに、このお方のものとされることを 喜ぶ人々が生み出されてゆきます。自分自身を宣べ伝えた シモン、彼は主の恵みを自分の欲望のために利用しようと しました。フィリポと使徒たち、彼らはキリストの御名を 宣べ伝えました。その結果は歴然としていました。キリス ト者たちはただひたすら主のために仕えます。 主の御名を宣べ伝えるにふさわしい言葉を豊かなものと したまえ。私どもの祈りです。 14 /金 出エジプト記第 30 章 使徒言行録 第 7 章 54 − 60 節 ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄 光と神の右に立っておられるイエスとを見て、 55 節 ステファノは暴徒と化した人々によって石を投げつけら れて死にました。しかしその時、ステファノには、天が開 けて主イエスが神の右に立っているのが見えました。 使徒信条で告白するように、主イエスは父なる神の右に 座しておられるのではなかったか。 しかしステファノには、 立っているイエスさまが見えました。すなわち、主イエス は、ステファノを天に迎え入れるために御座から立ち上が られたのです。主は立ち上がって手を伸ばして天国に迎え てくださるのです。 16 /日 マルコによる福音書 第 6 章 6b − 13 節 そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わ すことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を 授け、 7節 伝道とは、 「神の国が来た」ことを宣言することです。 そのために私たちは遣わされています。主は弟子たちに、 汚れた霊を制する権威までお授けになられました。それを 見て、人々は神さまの権威を知るのです。 12 弟子を遣わされるとき、主イエスは、何も持たずに 行けと言われます。主が共におられるから大丈夫だという ことです。大切なのは、神さまが共におられる、というこ とへの安心感です。さあ、安心して行きましょう。 18 /火 出エジプト記第 33 章 使徒言行録 第 8 章 26 − 40 節 宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びに あふれて旅を続けた。 39 節 たどたどしく聖書の言葉を理解しようとしている人の声 が聞こえます。フィリポは駆け寄り宦官に御言葉が聞こえ てくるように手引きをします。宦官は御言葉に慰められて 喜びながら旅をつづけます。 あなたは誰のそばに駆け寄りますか。もしあなただけで 駆け寄ることができないのなら、牧師の手を引っ張ってゆ きましょう。彼らは御言葉のためにすべてを献げ専心して います。その人に御言葉が聞こえてくるように力を尽くし てくれるでしょう。 「なぐさめの声こそ/旅路ゆく人のち から」 (讃美歌 222 番) 日本基督教団 福音主義教会連合 14 (第 3 種郵便物認可)第 385 号/ 2009.7.10 8月 7 /金 出エジプト記第 24 章 使徒言行録 第7章1−8節 「兄弟であり父である皆さん、聞いてください。私 たちの父アブラハムが… 2 節 ステファノは議員たちを前にして、演説を始めました。 それはユダヤ人なら誰でも知っている、旧約聖書のイスラ エルの歴史についてでした。 なぜそんな誰でも知っていることを話し始めたのでしょ うか。ここでステファノが言おうとしているのは、その歴 史をどう解釈するか、ということです。同じ歴史でも見る 人によって違って解釈されます。 ステファノは旧約聖書が、 十字架にかかられたイエス・キリストへとつながっている ことを証ししようとしたのです。旧約の神の約束は、イエ ス・キリストによって成就するものだからです。 9 /日 マルコによる福音書 第6章1−6節a この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコ ブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹た ちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」 このように、人々はイエスにつまずいた。3 節 「この人は、大工ではないか」 。ナザレの村人は、主イエ スに驚きます。あのヨセフのせがれが……!と。このこと は、主イエスが、生身の人間として、共に歩まれたことを 示します。しかし、ナザレの村人は、そういう主イエスを キリストとして認めることができません。真実の姿を知ら ないからです。 救いの本質は外側の姿だけではわかりません。私たちの 外なる体が滅びても、内なる人は新しくされていくのです。 11 /火 出エジプト記第 27 章 使徒言行録 第 7 章 23 − 29 節 四十歳になったとき、モーセは兄弟であるイスラエ ルの子らを助けようと思い立ちました。 23 節 最初モーセは出エジプトの事業に、なぜ失敗したので しょうか。それは、主なる神さまが命じたことではなく、 自分で「思い立った」ことを行ったからです。神さまに問 うことなしに、自分で良かれと思ったことをしたからです。 その結果、彼は逃げていって世捨て人のようになりました。 神の御心を尋ねるというへりくだった心なしに御国の事 業をしても失敗します。それゆえ、 日々聖書を開いて読み、 神の御心に聴き、心から主に祈るということが大切なので す。 8 /土 出エジプト記第 25 章 使徒言行録 第 7 章 9 − 16 節 この族長たちはヨセフをねたんで、エジプトへ売っ てしまいました。しかし、神はヨセフを離れず、あ らゆる苦難から助け出して、… 9・10 節 もし神が共にいてくださるならば、たとえ兄弟によって 遠い異国へ奴隷として売り飛ばされるようなひどい苦しみ にあったとしても、神は私たちを救い出すことがおできに なります。 それゆえ試練や苦しみがあることが問題なのではありま せん。神が共にいますかどうかが問題です。 今、主はあなたと共におられますか? また、そのこと を願っていますか? どうか主が願いと確信を与えてくだ さいますように。 10 /月 出エジプト記第 26 章 使徒言行録 第 7 章 17 − 22 節 その後、捨てられたのをファラオの王女が拾い上げ、 自分の子として育てたのです。 21 節 王の命令で乳飲み子が川に捨てられる。なんというひど いことでしょうか。モーセも一度捨てられました。どんな に親は辛かったでしょうか。神を恨んだかもしれません。 しかし実は、ファラオの娘に拾わせるという神のご計画 のために捨てられたのであることが、 その後分かりました。 神さまにはご計画というものがあることが分かります。 辛いことが自分に臨むと、その時は絶望的になります。し かしそこに何らかの神のご計画というものがある。そのこ とを覚えたいものです。 12 /水 出エジプト記第 28 章 使徒言行録 第 7 章 30 − 43 節 …さあ、今あなたをエジプトに遣わそう。 34 節 神さまが必要としているのは、どんな人でしょうか。強 くて有能で財産があって、自信満々の人でしょうか。 神さまは、若くて能力があって自信に満ちていた頃の モーセを用いることはなさいませんでした。なお 40 年の 歳月を主は待たれました。モーセは歳をとり、地位も名誉 も力も自信もなくなっていました。そのモーセを神は必要 とされたのです。 主は自信満々の人を御用のために用いることはなさいま せん。心が打ち砕かれ、神に頼る以外、なんの取り柄もな いような人を用いられるのです。 15 日本基督教団 福音主義教会連合 (第 3 種郵便物認可)第 385 号/ 2009.7.10 8月 1 /土 出エジプト記第 19 章 使徒言行録 第 5 章 12 − 16 節 そして、多くの男女が主を信じ、その数はますます 増えていった。 14 節 その人たちには、病人を助け、いやし、汚れた霊に悩ま されている人々を解き放っていました。不思議にもその人 たちはお金を取るわけでもなく、自分たちの利益になるか らそのことをしていたのでもありませんでした。一つのと ころに集まり「心を一つにして」祈っていました。その集 団の噂は、人々の間に広まり、その評判は高まっていきま した。御言葉が示す最初の教会の様子であり、伝道が前進 していくときの様子です。私たちも心を一つにして祈りま しょう。そのとき、主を信じて仲間に加わる者が与えられ るのです。 3 /月 出エジプト記第 20 章 使徒言行録 第 5 章 17 − 32 節 「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず 民衆に告げなさい」と言った。 20 節 使徒たちは、どんな時でも、どこでも、誰に対しても、 福音を語りました。牢獄に囚われ身になった時も変わりま せんでした。自分たちを脅してくる相手に対しても堂々と していました。議会の中でも確信に満ちて語りました。福 音を宣べ伝えることは、人の業でなく神のみ業なのです。 「主の天使が牢の戸を開け」るのです。そしていつでも同 じことが語られました。十字架と復活、罪の赦しとからだ の甦り。そう、私たちが救われた福音です。さあ、行きま しょう。今日も、主が遣わされるところへと。 5 /水 出エジプト記第 22 章 使徒言行録 第6章1−7節 私たちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにし ます。」 4 節 使徒たちは教会会議を招集して、やもめに対する食事の 世話役を別に選任し、自分たちは「祈りと御言葉の奉仕に 専念する」ことを決めました。 この世の目から見れば、むしろ貧しい人々の食事の世話 のほうが重要であり、祈ったり御言葉を説教することなど、 なんの意味もないように思われます。 しかし信仰の目から見れば、祈る者、御言葉を聴いて説 教することがなければ、神さまの御心が何であるかが分か らなくなってしまうのです。神さまに祈り、御言葉を聴く ことによって初めて、正しく隣人に仕えていくことができ るのです。 2 /日 マルコによる福音書 第 5 章 21 − 43 節 イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなた を救った。安心して行きなさい。もうその病気にか からず、元気に暮らしなさい。」 34 節 2 人の女性が出てきます。12 年、 病いに苦しんだ女性と、 12 年で命が絶えた少女です。12 歳で娘の命が奪われて行 く。 父である会堂長ヤイロの悲しみはいかばかりでしょう。 深い悲しみに心奪われていたことでしょう。病いに苦しむ 女性は、すがる思いで、主の御袖に触れます。大枚をはた いて、医者に費やした日々も、もう過去のことです。ヤイ ロもまた、会堂長でありつつも、主にすがります。 主は信じた彼らの、 (小さな、 素朴な)信仰を喜ばれます。 ただ信じるゆえに、私たちは救われます。 4 /火 出エジプト記第 21 章 使徒言行録 第 5 章 33 − 42 節 あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅する だろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼす ことはできない。 38・39 節 2000 年も前に書かれた聖書。聖書により証しされてい る福音。 「そんなの時代遅れだ」とか「今どき…」などと 言う人がいるかもしれません。更に加えて「今は…」と語 られたとしても、100 年保つ思想など、まずはないでしょ う。そんなものに振り回される必要があるのでしょうか。 使徒パウロが「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては 愚かなものですが、 私たち救われる者には神の力です」 (コ リ一 1・18)と言った言葉に「アーメン」と告白します。 6 /木 出エジプト記第 23 章 使徒言行録 第 6 章 8 − 15 節 最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注 目したが、その顔はさながら天使の顔のように見え た。 15 節 教会に敵対する人たちが偽証を立て、ステファノを訴え て議会の真ん中に立たせました。 その時ステファノの顔は、 「天使の顔のように見えた」とあります。 天使の顔とは、どんな顔でしょうか? 私は見たことが ないので分かりません。しかし、10 節にヒントがあるよ うに思います。ステファノは「知恵と“霊”とによって語る」 と。つまりそれは、聖霊に満たされた顔、言い換えれば主 を信頼し、主にすべてを委ねた顔ということだろうと思い ます。これから何が起こるか分からないが、すべてを主に お任せしているのです。 ♦ 日本基督教団創立記念日の礼拝と表 彰式は教団主催としては近年になく雰 囲気の良い集会であり、伝道への志を 新たにされて帰宅した。私の牧会する 教会からも2名の信徒が出席させてい ただいたが違和感を少しも感じること はなかったであろう。 繰り返すが、教団主催の集会として は 画 期 的 で あ っ た。 残 念 だ っ た の は、 9 日発行) 献金感謝報告(2009 年 5 月分) ………………………………………… 教会教育には 教会学校教案 をどうぞ 月号 目次 巻頭言……………………………………… 川島 隆一 「幼児洗礼私論」 月号の教案 テキスト研究……………………………… 上田 光正 説教 例 筧 牧人・網中 彰子・福井 博文 桑 渚・七條 真明・宮庄 博 堀岡満喜子・辻川 篤・森里 信生 福田 哲・小林 信人・藤田 義哉 林 牧人・岡村 恒・森田恭一郎 見渡したところプロテスタント伝道 150年に反対の教団常議員の方々が おられなかったことである。ただ、そ お知らせ 「教会学校教案 増刊号 近日発行!」…………………………… 10 − 聖書日課(2009 年 8 月) ………………………………………………… 15 教案誌案内・編集室……………………………………………………… 16 円)一年間購読料3000円(送料とも) − 室 の同じ立場の方々が無関心でいてくだ − − 集 さったので、今回のような画期的な集 日第三種郵便物認可(毎月1回 部以上200円 − F A− X 15 編 会を持てたということなのかも知れな 月 − F A− X − 編集室 日本基督教団 鳥居坂教会内 〒 東京都港区六本木5 6 03 3401 8289 電話03 3401 8704 発行人 長山信夫 編集人 張田 眞 郵便振替口座 00170 − − 定価1部250円(〒 60 聖句カードのお話………… 浅見 覚・内田 知 分級 教 案 … … … … … … … … 筧 伸 子 ・ 田 中 か お る 小林 貞夫・飯田 敏勝 読者の広場・教会紹介 中村町教会(東京都) い。 8 − 発行所 日本基督教団 福音主義教会連合 〒 東京都中央区銀座4 2 1 銀座教会堂ビル内 03 3561 0242 電話03 3561 0231 7 33909 年 … …… 小友 聡 シリーズ 信徒のための旧約用語基礎知識 38「悔い改め」 鷲の翼 「教団形成への責任」……………………………………… 佐々木美知夫 10 7 月号 contents 昭和 9 6 5 報告 「日本基督教団創立記念日礼拝」 … ……………………… 編 集 室 7 証し 「たった一人と出会う伝道」 … …………………………… 北村 誠 報告 「東北亜細亜教会宣教協議会」 … ………………………… 高 承和 13 シリーズ 主イエスの肖像④「W・H・ハント画《贖いの雄山羊》」… … 近藤存志 4 2 − 8 8 1 実録教団紛争史「第 13 章 東京教区の復帰」 … ……………… 小林貞夫 10 説教「嵐の中を、主イエスとご一緒させていただく」 … …… 石井和典 52 104 − 0061 106 − 0032 − 20 (第 3 種郵便物認可)第 385 号/ 2009.7.10 16 日本基督教団 福音主義教会連合 福音主義教会連合の主張(創立感謝宣言より)
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