ピリピ人への手紙 1 章 1∼11 節「パウロからピリピと小樽の教会へ」 石原俊久 一週間のお休みをいただいて名古屋と東京に行ってきました。危篤になっ て一年たった母も元気を取り戻し外を歩きまわれるほどになりました。皆 様のお祈りに感謝いたします。 また、東京の温子の両親も元気にしており、母は横田めぐみさんの救う会 の働きで、忙しくしておりました。 無事に帰ってきたところで、飛行場でアクシデントが起こりました。とい っても飛行機のトラブルではありません。駐車場にとめた車がバッテリー 上がりを起こしてうんともすんとも言わなくなってしまったのです。仕方 なく JAF を呼ぶことになったのですがこの冬、二度目の依頼になってし まいました。まあ色々とありましたが、皆さんには留守の間のことをして いただきありがとうございました。 今日は、「喜びの手紙」といわれているピリピ人の手紙から見てみたいと おもいます。 1.パウロは神の使徒として励ましの挨拶を送った。 ピリピ人への手紙はパウロがはじめて開拓した、異邦人教会であるピリピ 教会あてた手紙です。 毎年、私も年賀状やクリスマスカードをいただきます。南は沖縄から、果 ては海外から親戚友人からの手紙は互いの近況を知るだけではなく、お互 いを励ましあうという役割があるといえるでしょう。 このピリピの教会はパウロをよく支援していました。この同じピリピ人の 手紙の 4 章15、16節にはこうあります。 「15 ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ 1 伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、 物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありません でした。 16 テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物 を送って、私の乏しさを補ってくれました。」 パウロはそのことのお礼とともに、ピリピ教会がさらに本当に主に仕える ことができる教会となるようにとの願いを持ってこの手紙を送っていま す。 パウロは手紙の冒頭で「キリスト・イエスのしもべ」であると自分と同労 者であるテモテについて語っています。 そしてピリピ教会のすべての聖徒たち、その中にある、監督や執事といっ た奉仕をしている人たちについて、場所は違っても同じ目的のために労し ている信徒たちに対して「キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち」と しています。 同じ労苦をし、そして同じ恵みをイエスキリストから受けているものつ まり「キリスト・イエスにあるもの」はみな互いに親密であり、互いのこ とを思いやることができるのです。 そしてパウロの手紙に共通していることなのですが、恵みと喜びが教会 の上にあることを祈っています。 手紙を通して互いのことをすべて知るということはできないかもしれ ませんが、しかし祈りの課題を知って祈ることはできます。励ますことが できます。パウロの手紙はいつも励ましと祈りに満ちています。 2.パウロの感謝 3節からはパウロの感謝と祈りのことが書かれています。 パウロはピリピの教会のことを思うごとに神に感謝しているといいま す。そしてピリピ教会のために祈るごとにいつも喜びをもって祈ることが できる、というのです。 そんなピリピ教会とはどんな教会だったのでしょうか。パウロは何に感謝 2 しよろこんだのでしょうか。 5節からの箇所を見てみたいと思います。 あなた方が「最初の日から今日まで福音を広めることにあずかってきた」 とあります。最初の日とはピリピの地域にパウロが伝道し、信じる者がお こされた、「はじめのとき」であり「今日まで」というのは今もなお、そ れがパウロがいなくても続けられているということであります。 パウロが伝道し信じたものがその意志を受け継いで伝道に励んでいるこ とに、パウロは主に感謝し喜びをおぼえているのです。ピリピの教会がパ ウロの手を離れてもパウロがいたときと同じように伝道する教会である ということはパウロの信仰が、本当の意味で伝わっているということです。 そのような伝道の魂がパウロへの援助へとつながったのです。 そしてピリピの教会の中ではじめられた伝道の働きはきっとこれから も末永く行われてキリスト・イエスの日が来るまで、すなわち再臨のとき まで続けられ、福音がさらに広がってゆくことをピリピ教会の熱心さから 堅く信じることができるとパウロは、語っているのです。 教会が主の救いと恵みの中にあるときに伝道が進められてゆきます。ま ことの神である主が先立ってひとり一人を伝道するものへと召してくだ さるのです。 2千年にはじめられた伝道の魂はこの小樽教会にも引き継がれていま す。私たちの教会も伝道する教会であるべきです。そのためにキリストの 十字架と復活があり、またパウロや使徒、初代教会の犠牲があったのです。 3.私があなたがたについてこのように考えるのは正しいのです。 パウロは続いて自分の考えが正しいということを立証します。 ピリピの教会はパウロが福音宣教のために投獄されているとき、また裁判 となったときにも祈り、贈り物を贈り、身の回りの世話をさせるためにと エパフロディテという信者をも送っています。祈りと、物と、人を送る。 この精神は現代においてもOMFなどの宣教団体に見られるスピリットです。 祈ることも、物を送ることも大変ですが、人を送る、というのはさらに大 変なことです。その人の人生を左右することですし、そのための準備や費 3 用が必要です。しかし、ピリピ教会はⅠヨハネの 「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行な いと真実をもって愛そうではありませんか。」(3章18節)という言葉 のとおり、パウロに対する思いを形にしました。 もちろんパウロはそのように支援されることをピリピ教会に要求した わけではありませんでしたがピリピ教会が主の霊に満たされそのことを 行ったことに心から感動しているのです。支援の中身が問題なのではあり ません。その行う態度にパウロは心から喜んでいるのです。 8節の「キリストイエスの愛の心を持って」の「愛の心」という言葉は 「はらわた」つまり内臓を意味します。からだの内側から湧き上がるほど の思いをもってパウロはピリピ教会に対して感謝しているのです。似た表 現に日本語でよく根性があることを「ガッツがある」といいます。この言 葉もガット、つまりおなかの中の腸のことをさしています。はらわたが湧 き出そうなほどの、という意味です。 パウロが不在でも、自発的に働いてくれるピリピ教会のことをこれほど っまでに喜んでいるのです。 4.さらなる祈り、 ここまでの箇所ではピリピ教会の歩みの巣晴らしさ、交わりの豊かさを パウロはしたためていました。9節からはさらなる祈りが記されています。 それはピリピ教会の将来についての祈りです。 愛が、真の知識と、あらゆる識別力によってゆたかになって、優れたも のを見分けることができるようにとの祈り。そしてキリストの再臨のとき にはさばきに会うことなくキリストと出会うことができるように。そして、 神の栄光が満たされるものとなるようにとの祈りです。 真の知識と識別力はどこから得ることができるでしょうか。人生の教科 書聖書から学ぶことができます。私たちはみ言葉から学ばなければなりま せん。さまざまな異端的教えがピリピ教会の近くにせまってきていました。 そしてそれは私たちの周りにもあります。いつも聖書がどういっているの か、聖書主義で歩まなければ、教えの風に吹き飛ばされてしまいます。 4 パウロはキリストの完成、キリストの再臨のときまでピリピ教会が現状 のように愛にあふれた害を思いやり、伝道に燃えて歩むことができるよう にと願っていたのです。 同時に、必ずそのような困難に出会うというパウロの預言でもあるのです。 そして真の知識と識別力によってキリストの道を確かに歩んでほしい と願っているのです。 私たちの教会も40年以上のときを主とともに歩んできました。それはキ リストにある救いを確信し、喜ぶことができ、そして、伝えたいとねがい 祈り続けることができたからです。 今までの感謝、そして現在の状況、将来のこと。パウロははじめの挨拶の 部分で教会の 過去、現在、未来について心を砕き、祈っているのです。 パウロのこの手紙は2千年後の私たちへの手紙でもあります。 伝道に励み真実の愛によって結ばれ、行いを持って愛し合うものとなるこ とをパウロは喜びます。2009年の歩みが主そのようでありますように。 5
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