江戸時代庶民の数学2

江戸時代庶民の数学2
江戸時代庶民の数学2
前回のおさらい
~塵劫記から寛政年間まで~
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前回は飛鳥時代の 算数の発祥か ら始まり、 そろ
ばんの輸入と江戸 時代初期の和算の始まり、特
に塵劫記について話した
その後、和算がどのように継承、発展されていっ
たかを資料館の所蔵している和算書を紹介しな
がら、進めていきます
京都府立総合資料館
藤原直幸
塵劫記後の流れ
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『算法闕疑抄』
塵劫記から始まった遺題継承のながれ
『参両録』 承応 2(1653)年刊、『 算元記』 明
暦3(1657)年刊、『算法闕疑抄』 寛文元(166
1)年刊etc・・・
{寛文10(1670)年刊の}『古今算法記』で出さ
れた遺題を解いたのが関孝和の『発微算法』(延
宝2(1674)年刊)である
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『具應算法』
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2006/1/19
全5冊
初版 寛文元(1661)
年刊
著者は磯村吉徳
資料館のものは貞享元
(1684)年刊の『増補
算法闕疑抄 』か?
『改算記綱目』
全5冊
初版 元禄12(1699)
年刊
著者は三宅賢隆
資料館のものは宝暦9
(1759)年改版
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1
全1冊
初版 貞享4(1687)
年刊
著者は持永豊次、大橋
宅清
実際の著者は宮城清
行
資料館のものは題簽
は違うが初版のもの
江戸時代庶民の数学2
『七乗冪演式』
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著者について
全2冊
初版 元禄4(1691)
年跋
著者は中根元圭
資料館のものは初版の
もの
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求める解をX1、X2、X3と する
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X1+X2+X3=a
X18-X28=b
X18-X38=c
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以上の三つの式を満足するX1、X2、
X3を求める問題
著者について
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中根元圭:近江の浅井郡の出身
寛文2(1662)年生まれ、京都の田 中由真に学
び、その後京都の白山に住んだ
後年関流の建部賢弘の弟子になる
暦学にも詳しく、吉宗に召抱えられる
享保18(1733)年72才で亡くなった
『括要算法』
七乗冪式とは?
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2006/1/19
全4冊
初版 宝永6(1709)
年序 正徳2(1712)
年刊
著者は関孝和
資料館のものは初版の
もの
関孝和の伝記
関氏孝和先生遺編 、荒木村英 検閥,大高由昌校
訂となっている
宝永3年(1706)に関孝和が亡 くなり、その遺編
のうち数編を弟子の荒木村英が門弟大高由昌に
編集させたもの
村英の跋 文か らは「孝和 の説 に基 づき」大高由
昌が著したやうには取れる
実際は関孝和の残 した稿本を ほとんど そのまま
収録したもの( 3巻「角法並演段図」 での関氏の
稿本との比較から)
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2
上野国藤岡(現群馬県)の生まれ
内山七兵衛永明の次男
後に父とともに関家を継ぎ、孝和と名を改めた
没年は宝永5(1708)年とはっきりしているが生
年ははっきりしない
算学の師匠も不明である。高原吉種と解釈でき
る書もある(関孝和の弟子荒木村英がその弟子
の松永良弼に話した談話「荒木先生茶談」)
江戸時代庶民の数学2
傍書法とは
関孝和の伝記2
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数学の才能が知れ、甲府の勘定奉行に
甲州の徳川綱重がその後将軍世子となったため
孝和も江戸城詰めとなり、西の丸御納戸組頭に
そして沢口一之編の『古今算法記』の問題に答
える形で『発微算法』を発行
この中で東洋初の筆算代数である傍書式演段
術(=後の点竄術)を発明、和算の中心的手法
に
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傍書術と天元術との関係
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方程式の解法としては中国から入ってきた「天元
術」という算木を用いた方法が一般的
天元術の欠点
 一元方程式に対する解 法であって、多 元方
程式には不適当
 方程式を表すのがあまりにも面倒である
縦棒の横に文字を書いて記号の代わりに使う
その後の和算
傍書術では求 める数を文字で表し、補助の未知
数をとりいれて多元連立方程式を立てる
その後その補助の未知数を消去して一元方程式
にしてから天元術で解く
2つの術の違いは方程式の立て方
天元術で解く方法は傍書術に置き換え可能
補助未知数が導入できるようになったため、天元
術で解けない方程式が解けるように
関孝和は新し い数学をつぎつぎと発表した
が、関の理論は完全なものばかりではな
かった
 多くの埋論は建部賢弘を初めとする弟子
たちや、さらにもっと後の数学者に引き継
がれた
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『和漢算法大成』
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2006/1/19
『籌算指南』
全7冊9巻 初版 元禄8(1695)
年自序
著者は『改算記綱目』と
同じ、宮城清行
その後 正徳 2(1712)
年、寛保3(1743)年、
明和元(1764)年と再
刻された
資料館所蔵の資料は
明和元年再刻のもの
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3
全1冊
初版 明和4(1767)
年序
著者は千野乾弘、誰の
門弟であるかは不明
籌算とは、籌(別紙にし
めす十種より成る)と盤
とを用いた計算方法
資料館の資料は初版
の物と思われる
江戸時代庶民の数学2
『捨璣算法』
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著者とその内容
全5冊
初版 明和4(1767)
年刊
著 者 は 豊 田( 光) 文 景
(久留米藩主 有馬賴徸
の変名)
資料館所蔵のものは奥
付から天保四年に再刻
されたものであろう
有馬賴徸(1714~1783)は16 歳で久留
米藩主となる
 山路主住を師として関流の奥義を学ぶ
 いままで書いた書のうちより代表的な問題
150問を選んで発表
 従来関流の秘伝といわれ、公にならなかっ
たものを紹介
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『算法学海』
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『精要算法』
全2冊
初版 天明元(1781)
年序
著者は坂正永、麻田剛
立の弟子
資料館所蔵の資料は
初版のもの
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藤田貞資(定資)の伝記
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2006/1/19
全3冊
初版 安永8(1779)
年自序 天明元(178
1)年刊
著者は藤田貞資
資料館所蔵の資料はこ
の初版の物である
内容について
武蔵国の郷士の第3子として、享保 19(1734)
年生まれる
22歳:大和国新庄藩の藩士 藤田定之の養子と
なる
28歳:山路 主住の手 伝いとして、幕府 に召され
る
33歳:眼病のため天文方手伝いを退き, 翌年に
久留米藩主有馬賴徸に召抱えられる
74歳:病のため息子 の嘉言 に家督を ゆずった。
この年亡くなる

上中下の三巻から出来ている
算数に用の 用あり,無用の 用あり,無用の 無用あ
り
上中巻は関流の秘術を、実際的な問題の形に書
き改めて解説
下巻には斬新な問題を精撰してまとめる

以後の和算家の腕試しとして重用される
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4
江戸時代庶民の数学2
関流の始まり
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宗統の系譜
和算が普及、発展→幾つものグループが発生
関やその弟子建部の弟子たち→「関流」の創始
関流の「免許」の制度
4伝
安島直円
グループの頂点に立つ人を「宗統」と呼んだ
関孝和を 祖とし、荒木村英を 宗統初伝、二伝松永良
弼、三伝山路主住とし、「印可」を 得る と関流何伝と名
乗れる
『算法童子問』
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4伝
藤田貞資
5伝
坂部広胖
5伝
日下誠
6伝
和田寧
6伝
内田五観
4伝?
戸板保佑 6伝
白石長忠
内容
全6冊 初版 天明4(1781)
年刊
著者は村井中漸 (1708~1797)
当館の資料はこの初版
のもの
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『神壁算法』
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3伝?
山路主徴
(山路主住の子)
3伝
山路主住
到達レベルを示すもの
全部で五段階(「見題」「隠題」「伏題」「別伝」「印可」)

2006/1/19
内容は平算、天元術、点鼠術、約術、方陣、算脱
等の諸術における算法書
初心者にも分かり易いように身近な例を使った
問題
算額
全2冊 初版 寛政元(1789)
年序跋
著者は藤田嘉言
算額を集めて紹介した
初めての書
当館の資料は国書総
目録によると寛政8年
の増刻のもの(資料本
体に刊記なし)
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5
庶民の和算として広く流行
数学の問題、解答を木の板に書いて神社に奉掲
したもの
『算法勿憚改』(1673年刊)にも算題の記述
和算家による奉納もある
公会討論会場としての一面
算額がもとで大論争が起きたことも
江戸時代庶民の数学2
『解惑辯誤』 
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会田安明の伝記
全1冊
初版 寛政2(1790)
年刊
著者は神谷定令
鈴木玄広に学び、後に
藤田貞資の門に
会田安明の『解惑算法』
を非難する為に書かれ
た もの
当館の資料は寛政8年
に増刻されたもの
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最初は藤田を尊敬していた
藤田の門人になろうとした時、自分の間違いを認
めよと言われる
このことが原因で藤田貞資の間に終生の論争が
起こることとなった
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安永8(1779)年関流の藤田貞資は『精要算法』
を出版
会田安明はこれに対して天明5(1785)年『改精
算法』を出版
書名は精要算法を改めるとの意味
『算法古今 通覧』 の序文 から天明3年 に原稿は
出来ている
終生続く関流と最上流の論争の最初
藤田貞資と会田安明の論争
藤田貞資と会田安明の論争

延享4(1747)年、出羽村山郡に生まれる。本
姓は内海
23歳:江戸に出て幕臣の鈴木某の家名を継ぎ、
鈴木姓を名乗る
41歳:浪人となり数学の研究に没頭した
和算は岡崎安之に学び、江戸に出てからは本田
利明と交流があった
天明年間に自ら学派をたて、最上流と名づけた
藤田貞資と会田安明の論争
藤田貞資と会田安明の論争
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2006/1/19
『改精算法』に対して・・・
「改精算法正論(上木せず)」(神谷定令)
『非改精算法』天明 7(1787)年 9月刊(神谷定
令)
会田安明はさらに・・・
『改精算法改正論』天明7(1787)年初夏刊(会
田安明)
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6
『非改精算法』に対して・・・
『解惑算法』天明8(1788)年刊(会田安明)著
『解惑算法』に対して・・・
「非改正論(上木せず)」 (藤田貞資)
「非解惑算法(上木せず)」 (藤田貞資)
『解惑辯誤』 寛政 2(1790)年 正月刊(神谷定
令)
江戸時代庶民の数学2
藤田貞資と会田安明の論争
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藤田貞資と会田安明の論争
『解惑辯誤』に対して・・・
『算法廓如』 寛政9(1797)年11月刊(会田安
明)
その後は相次いで・・・
『撥亂算法』 寛政11(1799)年7月刊(神谷定
令)
『算法非撥亂』寛政 13( 1801)年正月刊(会田
安明)
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『勾股致近集』
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「福成算法(上木せず)」享和2(1802)年(神谷
定令)
「掃清算法(上木せず)」文化3(1806)年(会田
安明)
約20年に及ぶ論争
一般の人々に和算への興味を持たせる契機に
『精要算法起源』
全二冊 初版 享保4(1719)
年刊
著者は野間泝流の向
井一貫の門人若杉多
十朗
当館の資料は奥附から
寛政11(1799)年の
再訂本
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『精要算法解義』
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2006/1/19
全7冊 刊年不明
著者は会田安明
表題は『精要算法起源
改精』
国 書 総 合 目 録 では 享
和元年(1801)刊のも
のがある
資料館所蔵の資料で
は 刊 年 は は っきり し な
い
まとめ
全3冊 刊年不明
著者は不明
資料館所蔵の資料はカー
ド目録の注記から三木
流の秘伝書とされ、全
3冊のうち上中2冊しか
ないので上記の資料と
同じかどうかは疑問で
ある
7

和算は塵劫記以降も高度に発展していっ
た

内容は独創的な研究が減り、手法の改良
や教育の面が目立っていく

結局、西洋数学のように系統だった発展は
見られなかった
江戸時代庶民の数学2
参考文献
2006/1/19
参考文献
『明治前日本数学史(全5巻)』 日本学士
院日本科学史刊行会 岩波書店
 『増修日本数学史』 遠藤利貞 恒星社厚
生閣
 『和算用語集』 佐藤健一 研成社
 『和算史年表』 佐藤健一ほか 東洋書店
『算木を超えた男』 王青翔 東洋書店
 『「数」の日本史』 伊達宗行 日本経済社
 『新・和算入門』 佐藤健一 研成社


おわり
ご清聴ありがとうございました
ご意見・ご質問はこちらへ
[email protected]. kyoto.jp
8
参考資料1
傍書法の表記法
甲+乙は
|甲|乙
または
例:406+5X2-12X4=0
|甲
|乙
は
四
〇 (定数項)
甲-乙は
|甲|乙
甲×乙は
|甲乙
甲2 は
甲
巾
または
六
|甲
|乙
〇 (Xの係数)
甲3 は
甲
再
甲4 は
五 (X2の係数)
甲
三
〇 (X3の係数)
√甲は
甲
商
一
二
(追記)
と表す
乙/甲は
甲|乙
で表す
(X4の係数)
参考資料2
籌算の図
第
六
第
一
第
七
第
二
第
八
第
三
第
九
第
四
第
五
第
十
(『増補日本数学史』より)
参考資料3
和算家系譜
(発表で紹介した人物を中心に載せています。)
今村知商
(未詳~1668)
毛利重能
吉田光由
(未詳~未詳) (1598~1672)
高原吉種
磯村吉徳
(未詳~未詳) (未詳~1710)
持永豊次
(未詳~未詳)
宮城清行
(未詳~未詳)
大橋宅清
(未詳~未詳)
沢口一之
(未詳~未詳)
橋本正数
(未詳~1683 前)
橋本吉隆
田中由真
中根元圭(後に建部賢弘の弟子へ)
(未詳~未詳)(1651~1719) (1662~1733)
内田五観
日下誠
(1764~1839)
安島直円
馬場正督
(1732~1789) (1777~1843)
山路主徴
(1703~1766)
荒木村英
松永良弼
内藤政樹
山路主住
坂部広胖
(1729~1778) (1759~1824)
(1805~1882)
長谷川寛
(1782~1838)
和田寧
(1787~1840)
白石長忠
(1795~1862)
有馬賴徸
(1640~1718)(1692 頃~1744)
(1704~1772)(1714~1783)
久留島義太
戸板保佑
(未詳~1757)
(1708~1784)
藤田嘉言
藤田貞資 (1772~1828)
関孝和
(1734~1807)
(1640 頃~1708)
神谷定令
(未詳~1811)
建部賢弘
中根元圭
中根彦循
幸田親盈
今井兼庭
本田利明 ? 会田安明
(1664~1739)(1662~1733)(1701~1761)(1692~1758)(1718~1780)(1743~1820)(1747~1817)
小池友賢
(1683~1754)
高橋至時
伊能忠敬
(1764~1804)(1745~1818)
麻田剛立
間重富
(1734~1799) (1756~1816)
坂正永
(未詳~未詳)
村井中漸
(1708~1797)