人権だより (平成 27 年度 川之石高校人権委員会 7月号) 担当 2年3組 み な さ んこ ん にち は 。急 に 暑 くな っ てき ま した ね 。 7 月 8 日に 実 施さ れ た、 人 権 ・同 和 教育 ホ ーム ル ー ム活 動 を通 し て、 積 極 的に 「 人 権 」の 大 切さ に つい て 考 えて い ただ け たで し ょ うか 。 今 月 の 「人 権 だよ り 」で は 、 私た ち 2年 3 組が 人 権 ・同 和 教育 ホ ーム ル ー ム活 動 で 実 施し た 内容 と 実施 後 の 人権 委 員の 感 想 を 載 せ てい ま す。 【 第 1 回人 権 ・同 和 教育 ホ ー ムル ー ム活 動 内容 】 2 年 次 3組 実 施内 容 「 解 放 への 歩 み 『 解放 令 』 以後 」 につ い て 明 治 維 新に よ り成 立 した 新 政 府は 、 1871( 明治 4) 年 に 太 政 官布 告 (通 称 「解 放 令 」) を 出 し ま した 。 「 制度 と し て の被 差 別身 分 」は 消 滅 しま し たが 、 差別 を 受 けて い な い 人た ち から 、 自分 た ち が被 差 別身 分 の人 た ち と同 じ に 扱 われ る こと に 反対 す る 一揆 が 起こ り 、被 差 別 部落 の 人た ち への 「 排 除」 意 識 は 続 き まし た 。 こ の よ うな 差 別と 闘 った 人 々 が愛 媛 県に も いま す 。 みな さ んは 知 って い ま すか ? そ こ で 今回 、 私た ち は、 こ の こと に つい て 学ん だ の で紹 介 した い と思 い ま す。 ● 児 島 惟謙 さ ん( 宇 和島 市 出 身 ) 大 審 院 (現 最 高裁 判 所) 院 長 司 法 権 の独 立 の維 持 に貢 献 埼 玉 県 N村 八 坂神 社 の祭 礼 に 被差 別 部落 の 人々 が 参 加で き ない こ との 不 当 性を 認 め 、 解放 令 の趣 旨 を生 か し て法 律 面で の 差別 解 消 への き っか け を作 り ま した 。 ● 安 藤 正楽 さ ん ( 四 国中 央 市 土居 町 出身 ) 愛 媛 県 議会 議 員 議 会 で 、被 差 別部 落 の子 ど も の多 く が、 地 元の 小 学 校に 行 けず 、 分教 場 で 学ん で い る 差別 的 な状 況 を改 善 す るよ う に繰 り 返し 要 求 し、 実 現を 図 りま し た 。 全 て の 人 が 等し く 教育 を 受け る 権 利を 得 まし た 。 ● 岩 崎 伊三 郎 さん ( 四国 中 央 市出 身 ) 被 差別 部 落の 人 が、 た き ぎや 肥 料の 下 草を と る ため の 村の 共 有林 に 入 る権 利 ( 入 山 権) が 奪わ れ たこ と に 対し 、 自ら の 財産 を 投 げだ し 裁判 で 争い 、 被 差別 部 落 の 人 たち の 入山 権 を獲 得 し まし た 。 ―7月号担当人権委員より― 学校に来ることができるということは、とても幸せなことだと感じました。自分自身 が不自由なく暮らせているのは、多くの人が苦労して自由を勝ちとられたからです。昔 の人の苦労を知って、自分自身の現在の生き方について考えたいと思いました。 今の私たちは、「学校に行きたくない、休みたい」などと簡単に言いますが、この人 権・同和教育ホームルーム活動を通して努力された昔の人たちに対してとても失礼だな と感じました。だから、昔の人たちに感謝して弱音を吐かずに毎日学校に通いたいと思 います。 今 月 号 は 石川玲子先 生か ら 「 先生 が 考え る 人権 と は 何か 。 人権 問 題と は 何 か」 に つ い て 意見 を いた だ きま し た 。 「先生が考える人権とは何か。人権問題とは何か」 part27 石川玲子先生 (教科:外国語) 『私の考える人権とは』 人権とは、私にとって、どこにいても自分らしく誇りを持って生きていくためのよりどころとなる ものです。 海外で、人種差別とまではいかないかもしれませんが、嫌な空気を感じることがありました。以 前、アメリカはコロラド州デンバーで、夏休み中の大学の教室を借りて、英語教育法について学ぶ研 修を受けたことがありました。大学の購買部をよく利用していましたが、私たちににこりともせず、 冷たい対応をする店員さんがいて気になっていました。あるときその人が「この大学で、日本人がア メリカの小学校の先生から教えてもらっているのだ。」という話をだれかとしているのですが、どう も、「小学校の先生に教えてもらっている」ことを馬鹿にしているようなのです。確かに、講師が小 学校教諭でしたが、それは私たちの知的レベルのせいではなく、日本の中学校、高等学校で教えるべ き内容にネイティブの小学校の教授法が適当だからというのが理由でした。 以前ニューカレドニアに行ったときにも、気になることがありました。ニューカレドニアは旧フラ ンス領の国で、関西国際空港発の飛行機から、もうフランス人であふれていました。強気で元気な人 たちで、その勢いに押され気味になりながら、私は友達と 2 人で観光して回り、たまたま日本人の経 営するお店で買い物をしていました。日本人受けする品ぞろえのせいか、ほかにも日本人の客がいま した。そこへ、「日本人の店に日本人の客!」という声が聞こえてきました。外を見ると白人の男の 人たちがげらげら笑いながら通り過ぎていくところでした。 私はどちらの場合も「ふん」と思ってそんなに落ち込んだりはしませんでした。しかし、日本人に 対する嫌悪感やひょっとすると有色人種に対する差別意識が、あの人たちの言動の根っこのところに あるのではないかとも思われて、暗い気持ちになりました。それでも、自分が日本人でなければよか ったと思ったり、アメリカ人は、フランス人はこんなのだ、と思ってその国全部を嫌いになることは ありませんでした。日本人だから、有色人種だからという理由で差別されるのはまったく筋の通らな いことですし、アメリカやフランスが差別をするような人ばかりの集まりであるわけはないからで す。 差別は筋の通らないことだ、負けてはいけないと私に教えてくれたのは、これまで受けてきた人権 教育です。「差別」と言っては言い過ぎかもしれませんが、自分が不当な、差別的な扱いを受けてい るのを感じることはあるものです。そのようなとき、自分が悪いように思って落ち込むのは間違い で、差別的な言動を取る人のほうが悪いのです。今の世の中では、人権を尊重し、正義を守る人たち が大勢です。 デンバーでは、研修を企画した方や指導してくださった先生方をはじめ、大半の人は私たちを温か く受け入れ、親しく付き合ってくれました。町を歩けば日本よりもマナーがいいのです。私はホスト マザーが大好きで、いつまでもデンバーにいたいくらいでした。フランス人についても、ずっと前に パリに行ったときには、温かく接してくれる人たちに出会っていました。明るい声で「マドモワゼ ル!」と声をかけてくれる町の人たち。セーヌ川のほとりにいたカップルがとても様になっているの で写真を撮ろうとカメラを出すと、シャッターのタイミングに合わせてキスをして手を振ってくれた こと。生ガキとワインを楽しもうとおしゃれなレストランに入ったものの上手に食べられないでいる と、食べ方を教えてくれたり、お店を出るときに記念のボタンをそーっと手に握らせてくれたりした 店員さん。善意の人はいっぱいいました。差別を疑わせるようなことをするのは、偏見にとらわれた 少数派だけなのです。もちろん、私たちの態度や行動に問題があり、反感を買った可能性もゼロでは ないので、そこは冷静に考えてみるべきではあります。 日本は平和でいい、安心だ、だから日本から出たくない、という若者が最近増えていると聞いてい ますが、私は世界を知る機会をできるだけ多く持ってほしい、引っ込み思案であってほしくないと思 っています。だからといって、命の保証はできませんが、少なくとも私は危険な目にあったことがあ りません。場合によっては嫌な思いをすることもありますが、そこでへこたれないでください。私た ちの持っている人権はだれにも侵されない大切なものであり、そのために闘ってくれた人たちがいる おかげで、人権が守られる世界になっている、と私たちは学んで知っています。怖がらずに出ていけ ば、見たこともないすばらしい景色や、心の通う人たちに出会うことができるのです。
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